Mic

2023年6月20日 (火)

音楽備忘録1404 適切な音楽の評価方法⑬

続いては最大の難関たるムードについてだが、雰囲気っつうのは主観に左右され易いから定義付けが困難だ。
だがこれこそが唯の音と音楽の最大相違点で、今は昔より軽視されてるのが真に遺憾で御座るよ。

昔ゃねえあんたジャンル名にムード歌謡なんてのを出現させた程…って何か老害臭が酷いが、音楽知識ゼロの人が音楽を堪能する時は必ずそんな状態なんだす。
そいで音楽表現の原点はそこにあって、苦労して様々な技を駆使するのだって源はそこにあるんだ。

その中で音響的高音質に依存してる部分もあるけど、だったら4k・8k画質のエロ動画が最も印象深いかったら必ずしもそうはならんでしょ。
女優自体・シチュエーション・表情・喘ぎ声その他諸々の、何かが心の琴線に触れたのが最も深く印象に残る。

これ若い人達にはもしかしたらあんまり分かんないかも知れないが、登場当時最高画質だったDVDだって今となっては全然大した事無くなってる。
恐らく3D等も何れはそうなる運命で、時間軸に左右される分は賞味期限がある様なもんだ。

んで過去物には当然の如く想い出は付いて来るものの、必ずしもノスタルジーだけで残存してる訳じゃないんすよ。
それが例えば現時点迄では表情が最高峰だったとかで、今でも通用するはおろか凌駕してるのもあったりするんだ。

そう云うのが内容で上回ってる作品で、メディア品質等の影響を殆ど受けない領域なのよ。
音楽の場合だと明らかにチープな音質なのに、妙にムーディーなのとかがそれに値する。

ってもそのムードには無限のバリエーションがあって、一般論で心地良い物ばかりとは限らないんだ。
私的に印象深いのは「ヤバい感」で、今からしたら昔は随分と恐いのが沢山あったもんだわさ。

あーそう言や子供向けアニメなんかでも今みたいな酷い残虐シーンは無かったけど、恐さに関しちゃ旧作は大胆だったなぁ。
視覚的にはマイルドでもストーリーが辛辣だったとかで、それだと視覚的なのより慣れられるもんじゃないから未だに残ってるんじゃないかな。

って何ゆうてんねんローテクだっただけやんかなアナタ、その拙い技術で十二分な雰囲気を創り出す方が遥かに難しいんでっせ。
確かに演奏力・Mix力では劣るけど、そっちを優先評価するのは結局製作側のエゴでしかない。

要するに木乃伊取りが木乃伊になってる現象で、特に顧客を特定ヲタに限定しないのだったら「雰囲気こそが全て」なんざます。
それ故「硬過ぎ警報」とか「過音圧警報」を拙ブログでは発令中で、それ等は雰囲気に対して8~9割方は負の作用しかしねんだ。

硬過ぎない≒柔らかい方が何故ムードが多様になるかは次回述として、特定目的のを除くと雰囲気に明瞭度は直接は貢献しないからなんだわさ。
要するにⅡであまり何かを断言されると想像の余地が減る様なもんで、リアルなのは良いが自由に夢見れなくなる訳よ。

>つづく<

2023年6月14日 (水)

音楽備忘録1398 歌のコーラス③

今劣化本邦でのコーラスがマイナー化した理由を探ると、私的には歌の平均声量が落ちたのが大いに関係アリだと踏んでんだ。
それはこれから「ハモりのコツ」を記してくと多分氷解して、極度の音痴で無い限りはモニター状態に左右されるのが拭えないからなんだ。

杜撰大王は題ではコーラスと綴っとき乍らサッサと「ハモり」等と異語を用いてるが、ポピュラー系では純然たる和声グループ以外は大抵は主旋律に加えるのしか演らないからなんだ。
因みに厳密にはユニゾンもコーラスの一種だが、声色・音量等を添加するだけで音程は追加しないのでここでは扱わない。

さて意識・概念的にも実働状況にも相応しいからのハモりだが、ハモるには先ずメインVocalがちゃんと聴こえない事には始まらない。
それプラスハモり手が他にも居たらメインよりゃ同じから小さ目の方が良いが、全く聴こえないのではハモり手同士が上手くハモれないからそれも不味い。

で具体的にどんなのがハモれてる状態かっつうと、理想は複数の音程はあるが束になって響いて来るヤツなんだ。
プチ専門理論でも置換しとくと純正律で和音として「調和」してる状態を指し、所謂「相乗効果」が有効化して気持ち大き目に聴こえたり音の通りがかなり良くなったりするん。

歌い手の人数が増えた分歌パート全体の音量が上がるのも皆無じゃないけど、そんなのより「へこたれ難い音色」になるのが象徴的なのよ。
単独では大した存在感の無い声色でも、音的化学合成されると久々俺言い「目立つ倍音」が生成されるんだよね。

ハモらせようとすれば下手なりに声色の悪いなりにでも、目指す響きは一致してる。
すると歌の目立つ倍音は少ないなりでも歌う全員から出てて、それ以外の無駄な倍音!?は不一致に分散していたりになる。

その足し引きの結果一致してるのだけが残って協調・強調され、一般聴感的には恰も響きが良くなった感じになる訳っすよ。
でⅡでユニゾンも精緻に音程を揃えれば近似効果が発揮されるが、多数派はEffectorのChorusみたいに拡げる方が多いんでそうはならない。

若しくは狙える程の腕が無い場合、バラけるのもありだからねえ。
のがハモりでは最低限ハモらん事には気持ち悪い音になるので、そう云う不合格の以外のには程度差こそあれ必ず増強効果が期待出来るんだ。

でⅢで本当に美しい響きとなると各パートの音程もシビアになるけど、一応噛み合った状態で良けりゃ結構大雑把でも平気なのよ。
そうなるのは元から各パートの音程がほぼ別のだからで、直接比べられる相手が不在だからズレがバレ難いのね。

これはボロが出難いだけでなく実際共鳴が起こり易く、だから下手な人こそその面ではユニゾンって怖さもホントはあるんだす。
ある程度以上の声量がある者同士だと他人のは耳の外部、自身の声は少なくとも感覚的には耳の内部と別の場所から聴こえる感じになる。

それを比べて加減すりゃ良いんで、釣られないのに慣れさえすれば誰でも出来る様になれるん。
つまり過半数は声量以外の歌唱力より、聴き取りの良否のせいで可否が決まってんの。

-つづく-

2023年6月12日 (月)

音楽備忘録1396 適切な音楽の評価方法⑪

今回は俺言い楽器音響の観点から評価法を掘ってくが、これには積年の迷いがあってねぇ。
近年の高音質下で純粋音響の音質を優先させると、何故か音楽ツールとしては性能が低下するっつう…。

昔からどんな楽器ももっとローノイズ化・ワイドレンジ化等々、その意欲は人一倍強かった。
折角音響屋兼任なんでその知見を最大限に活かしたかったものの、音響的に単純に高性能化させるとどうも楽器っぽくなくなってイカンよと。

その過程で見えて来たのが俺言い「目立つ倍音」の存在と重要性で、比較的最近痛感させられたのが歪み率だ。
前者は僅かでも欠けたり含有率が低下すると、後者もそれ以外の部分での歪み率に拘るとどうも駄目だったんすよ。

これには幾つか原因があり筆頭はアンサンブルに入ると…で、単独と集団では聴こえに変化が起こるからだった。
各楽器には重要度の異なる要素が夫々大別して2つあるが、大事なのに小さいとかそうじゃないのに大き目な音量バランスになってるのがあった。

っても完全分別は不可能なんで程度問題になってて、そうなるのは音響耳と音楽耳では違う聴き方をしてるのが多いからなんじゃないかな。
音響耳では割と耳に入って来たままを受止めるのが多いが、音楽耳だとずっと1つのパートを追い続けたりがある。

純粋な音響耳なら例え音程感の喪失やバランス変容があっても高音質が堅持されてりゃスルーになったりもしてるが、音楽耳ではそんなの完全Outと判定が真っ2つに分れる。
っつう処から音楽評価には1つのパートを執拗に追ってみるのも1つの手で、例えばローエンド・ハイエンド欠落の有無のみに注聴したのとは違って来るんだ。

それに際しほぼ全員に気を付けて欲しいのが、旧作の音響的レベルのプアさだ。
稀に狭帯域・ナローダイナミックレンジの方が功を奏すケースもあれど、ロクでも無い音の中から別のロクでも無い音が結構聴き取れるって事実にね。

俺が執拗に今劣化本邦のJ-POPを中心にディスり、俺言い黄金期の洋楽を中心に崇め奉るのはこれが主因なのだ。
今の方が機器も演奏技術も明らかに向上してるのに、一番マシなのでせいぜい同等程度の聴き取りしか達成してないのは一体どういう了見かってね。

更に追及しちまうと今駄目作品に一定以上洗脳されるとこれが又不味く、純粋な音響音質等で大巾に内容に下駄履かせられてても分別不能になるからなんだ。(耳が悪慣れ)
いやぁまあ実際に唯楽しむのには原因成分比率なんてどうでも良いんだが、音楽に限ると保存料が多い程俺言い「ある賞味期限」が短くなるんだなぁ。

それ何ってば寝かしとく分には長寿命になってんだが、一旦耳にしちまうとそんなの程長持ちしないんですわ。
金とコネをフル駆使して大ヒットしたとして、そんなに流行ったんなら数年後でも後年も1回位はメジャーで流される筈よ。

実際平成の途中位迄はそうなってたのに、今劣化本邦じゃ何かとコラボったとか再ブームが来たとかじゃないと全然流れなくなって久しいぞっと。
わ兎も角音響音質と音楽内容の分別にはもう1つリスクがあり、音が良過ぎて曲の良さを捉え損ねたりする可能性だって時々あるんだ。

-つづく-

2023年6月 8日 (木)

音楽備忘録1392 適切な音楽の評価方法⑩

前回は芸術肌には文系が多そうな気がしたので心理面を綴ったが、もし理系で少しアカデミックに攻められたならそれに越した事は無いのだ。
俺がこれに典型的に該当するんだが、しかしかと言って迂闊に心理面を軽視してるとロクな事ぁ無かったよ。

その失敗談たるや質も量も多過ぎて想い出すのも困難なんで後回しにするとして、少なくとも「音楽の音」関係では比率は兎も角文理両方の要素が不可欠らしいよ。
概知の如く俺は純粋な音響技師・Rockを中心とした音楽音響技師・音楽家の三つ巴で、この件では最強も適用を誤るととてつもないバカをやらかす危険がある。

こんなのを読む大多数は純粋な音響技師は滅多に居ないつもりで筆を進めてるが、万一音楽音響技師や音楽家の要素を持ってなかったら最低限俄かでも良いからどっちかになってね。
自身で真剣に考えた事が無いのがなんとも杜撰大王だが、機械音の一部にはそれ自体のヲタには良音でも音楽には殆ど使えないのがあるですよ。

心細い記憶から何とか辿ってみて確実に候補に上がるのは、近年の電車の所謂「VVVFインバータ制御」の回路とモータが出す音ね。
いやまあ又しても社会性の低いコアなのでスマンが、昔の以上に奇々怪々な不協和音を出しやがるんでねえ。(ホントは通勤・通学でかなりの多数が日常的に浴びてんですが…)

昔の電車だってモータから不協和音のするのは幾らでもあったんだけど、それ等はアナログだから不協和音にも人が馴染める法則性があったのよ。
それが今のと来たらかつて京急とJRの一部にあった、俗称「ドレミファインバータ」or「歌う電車」
以外は絵の具の筆を洗う水の交換直前みたいにゴタ混ぜだもん。

前衛にするなら却って好都合かも知れんが、それ以外の音楽だと良くてSEとしての他に使い道が思い付かない。
この手のは他にもあるだろうが非音楽の○○ヲタだと、そんなでも気に入れば良い音と認知してまう。

ので幾ら客観視するにしても、「音楽に結び付けそうにない」のは除外すべきなんすよ。
それには音響技師なだけでは困難で、一定以上音楽にも詳しくなれてないと厳しい。

結局両方に才能が無いとそのハードルを越えるのは難しいんで、一般大多数は良否を問わず好き嫌いに徹するのがお勧めなのだ。
それであれば他人と価値観が異なってもお互いの領域を侵食し合う事が無く、副産物として自分と違う人を許容出来る様になる。

その体験が積算してくと世間の主流派には今はこんなのが好まれるらしい等と、個人の価値観とは別のでも理解可能になって来る。
好みと上記みたいな価値観の分離が図れる様になれば、それが普遍性のある良否判断の入口になる訳ね。

これって音楽内容でも同様なんだけど、私的にはサウンドの方で影響が絶大だと思っててさ。
内容を仮にメロとすればドレミは平気でドレファは駄目とかになるが、その際ドレ迄の内はどっちでも無い。

だから3音は「聴いてから」判定が下るがサウンドの場合1発目が受付けないのだと、少なくともその後のを平常心で聴き続けられなくなったりするやんか。
処が極端なのだと散々ゴミを聴かせといて、最後に最高のを出して来るのなんかもたまにある。

のを偶然エンディングだけ聴くとかしかない限り、誤審してそれに気づけないで居ると逃しちゃうのよね。
判定は「聴き終ってから」の癖が付けばそれ等を避けられて、一度だけ我慢して未来永劫以降は拒否する作戦!?をも可能にするだわさ。

<つづく>

2023年6月 6日 (火)

音楽備忘録1390 歌のコーラス①

平成中盤以降軍歌みたいな大人数ユニゾンが巾を利かせてて、親父がかつて学徒出陣で招聘されてたのもあってこう多いと嫌んなっちゃう。
なぁんつうと老害臭ふんぷんかも知れないが、歌える人が複数居るのに何と勿体無いと思っちゃうんだよねえ。

多重録音が可能化する迄だったら、ぼっちじゃ絶対ハモれないじゃないさ。
しかし歌の主旋律が脆弱だとVocalダブルトラックも必要で、それをリアルタイム化すればユニゾンになる。

ではコーラスは付属物なんだから弱くても平気かってば、本当に背景音の以外やっぱり脆弱だと駄目なんだ。
どうも典型的日本人はメロっつうとすぐ単音の固定観念が強いみたいだが、「最初からハーモニーのメロ」ってのもあるんざます。

スタイル的に独唱を選択する以外でユニゾンばっかにしちまうと、実はもうそれだけで演れる楽曲が限定されるんだぜ。
それで勿体無いのが大所帯のグループで、↑の弱点って「ハモりもユニゾン」に出来るのになぁ。

等との私感は程々にしてコーラスも、ほぼメインVocalと肩を並べられる位じゃないとの説明へ進もう。
楽器も演る人には伴奏だったら弱過ぎたら困らんかいと問うが、通常メインより音量が低目になるから結構強くてもそれが目立たないだけなんすよ。

何せ音量と云う最大のファクタで譲歩してんだから音色位より太くしときたいが、それも主役より悪目立ちすれば認めて貰えない。
以前伴奏の項でも記したが、脇役こそしっかりしてないと駄目なのは芝居と同じなんだ。

通常コーラスの付く範囲・時間・頻度がメインより少ないんで、盛り返せる機会も少なくなるのさ。
結果ポピュラー系での過去例を見ると、最低メインもたまに取れる位の集団がコーラスも良い感じなんだわ。

グループに依ってはメインの人が録音で重ね録りしたのを、Liveではゲストに歌わせるなんつうのもあるがね。
元のは同じ声だから、それこそ上質な影武者でも見つけられないと再現し切れない。

ではそんなにハードルが高いのかったら否で、少なくともポピュラー系では声質や発声を大して揃える必要が無いからそこはかなり楽なんだ。
声量差にしてもホントは揃ってた方が良いけれど、Micを個別にしたり感度を変えたり出来るしね。

のでまあまあ全員が「ちゃんと歌え」さえすりゃOKで、声色なんかは寧ろ全員違った方が良い位なんだ。
Classic系の声楽だって人次第で少しは声色が違うけど、ポピュラー系みたいに何でもござれでは無いよね。

個性的な和声にしようとして難易度の高さも然る事乍ら、ポピュラー系小編成ではパート数を限定される場合も多い。
がその代わり声色とその組合せの個性はほぼ自由で、簡単な和声でも様々な表情や味わいを創出出来る可能性があるんだ。

のでその人なりに一応ちゃんと歌える様になれれば、後は他パートに釣られない様になるだけで良い。
ほいで俺言い「ちゃんと」が出来てると、ある程度の声量は得られてる筈。

すると同時に歌ってて自分の声が全然聴こえなくはなり難いから、ハモりもより付け易くなるんすよ。
これは相手にとっても同じだから、まあまあ全員がの主軸は声量になるんだす。

処でそれってRock等器楽音が大きいと、どうせその位は声が出てないと単独でも歌い辛いんだな。
PAがショボいなんて今の日本じゃ滅多に無くなったけど、例えば不意にコロガシが逝っても変な音程とかにならずに済むのさ。

-つづく-

2023年4月30日 (日)

音楽備忘録1353 一寸変な歌の練習方法➌

キチンと歌唱を学ぶなら声楽をかじれば…かつてはそうだったが、最近ではインスタントにやるならボイトレの方が有力候補だったりもする。
のは誤教育の影響が音大に迄及びだし、体裁を気にするからこそ唯の大声が余計嫌われる。

だが物には順番がありMicレスでオケやフルコンサートGrand Pianoと合奏するとか、Micがあっても至近に爆音が蔓延してたら先ず聴こえてナンボの話しなのだ。
やり方を誤れば力技には手痛い副作用もあるけれど、肉体が明確に下りに入る前の人達に小手先の技を授けるべきじゃ無いんだよ。

多少小奇麗に歌える様になった処で、偶然声量を獲得した人の迫力の前には何とも無力でやんす。
そして客目線で問題となって来るのが、「気楽に聴ける」かどうかなんだ。

目の前で怒鳴られりゃビックリさせられるが、演奏会場ではショボいLivehouseですらたちまち5mやそこらは距離が出る。
するとアンサンブルバランス自体は伴奏者が必死に抑えて確保出来ても、客席とのバランスは正規のとは掛離れちまう。

ごく軽く咳込んだとか一寸座り直した程度でもう全然歌が聴こえなくなるんじゃ、騒音の他姿勢を保つ緊張感を全く緩める事も出来ねえぞっと。
っつう訳で最近は騒音ばかりが取り沙汰されてるも、足りない方だって同じ位困らされるのよ。

そもそも騒音問題の発端は単に煩い他に、必要な音の聴き取りを阻害したからなんだ。
何でもカンでも静音仕様のが出来てるのにまだ問題になるのはコレで、今日本では酔っ払い等を除き「負の静音競争の無限ループ」に陥ってる傾向がある。

わさて置き音量を出すべき時は出し抑えるべき時引っ込めるのはそう簡単じゃないが、最初から放棄する様では最早音楽とは言えない。
少なくとも友達のいたずらに驚いて出す声よりゃ、Rock系等の歌声が小さいのはナシでやんすよ。

処が世間的にはそんなニーズが減ってるんでボイトレを受けるとしても、自ら目的を明確に伝えないと滅多に向こうからは指導して貰えなくなっちまった。
して俺がどんな用途でさえも声量に固執するのは大いに訳アリで、要するにオーディオのダイナミックレンジと同じだからなんだ。

細かいコントロールっつうのには余裕が大いに必要で、声量に余裕があるからこそ未だに矢沢の永ちゃんはあんな歌い方が維持出来るん。
確かに大声だけ出せてもそれ自体はコントロールとは別物だが、微調整を終えたまま声量だけ増すのは殆ど不可能なんだ。

又喉のスペックを少し超えた高音程等も小さく出す方が困難にはなってるが、それすら声量を制限しなければ出せると分かってからの話し。
俺知りで普段未体験の人が偶然出せたとしても発声方法がその時だけ異なってしまうので、大抵は音色が汚くなってすぐに実用にはならなかった。

それが普段よりその時だけ肉体的負荷が増えるもんだから、練習を続けるのを止めてしまう者多数だ。
だが声量を出すの自体は大して高負荷では無く、やっていて慣れていれば少なくとも精神的には簡単に諦める気にはなれないんだけどなぁ。

<つづく>

2023年4月29日 (土)

音楽備忘録1352 天然REVERBの勧め➓

今回の実験って現代では少し珍しそうなんで、夫々の音の具体内容も披露しとこう。
その前提として階段バーブ音の収録に使ってるMicが、現状では大したのじゃ無いSONYのワンポイントステレオなのも。

我々現行基準では問題を感じてないんで存置させてるが、多分グレードアップさせたら吉凶両方が現れるに違いない。
デジリバに懐柔されてると気付き難いんだが、リアルEchoの音ってそんなにワイドレンジじゃないのが大勢を占めてるもんなんだ。

そんで今のカマボコ君(プチ失礼)でも生耳と大差が出なかった、からこそ良しとしててさ。
この事実が信じ難い人或は実体験困難な人向けに、科学的な理由も提示しときやしょう。

残響(反響)がカマボコ気味になるのにはちゃんと原因があって、低音や高音は中域より跳ね返らせるのが困難になるからなんす。
低い方はそれを生き残らせるのに、広大でいて僅かでも構造体が撓ったりするともう駄目。

音波の波がやたらとデカくなるんで、それが維持出来ないと倍音成分しか残れないんだ。
一方高音は超小波になるから遠く迄は伝播し難いのもあるが、それ以上に反射面の僅かな凹凸が苦手なん。

超小波君の視点ではたった1mmの凹凸が10cmの凹凸に見えてて、そうすると乱反射するから逆相のも生成されちゃって相殺するねん。
現代の技術力なら克服も可能だろうが普通そうしないのは、Echoには中域だけ響いてくれた方が大抵は好都合だからなのよ。

もし低音だけやたら響き捲るのが出来たとして、バスドラやBassが鳴ったら暫くはトンネル通過音みたいなのが止まないから何演ってるか全然分からなくなる。
因みに長いトンネルだと低音が響くのは波長にトンネル全長が勝ってるからで、新幹線のトンネル等で騒音源になって苦労させられたりがあるよね。

まあ私趣味的にはそんなのにも一寸興味はあるんだけど、演奏内容を何でも不明化しちゃうから使えるポイントが僅少だ。
わさて置き階段バーブ音の方は同録でも別録でも、再生スピーカの癖が載る以外は大差無かったっす。

けど太鼓に構えた2本の方はかなり違ってて、完全な超Onでは無いにしろあんなに近くで爆音鳴らしてんのに「背景音」もしっかり入っちゃってたんだ。
距離差からも原音と残響音には桁違いな音量差があるが、未コンプの生楽器はそれに負けない位アタック音と余韻音に音量差がある。

アタック音がお留守になれば余韻音や残響音の天下で、特にデジタルで録ってればアナログにあったみたいな雑音埋没・隠蔽は僅少だ。
もし全く隙間なく鳴らせる楽器があって曲が終わる迄鳴らし続けられれば別だけど、大抵は殆どのに何処かしら隙間が出来ちゃうからそこでバレるのよ。

んでそれが従兄の現用セットだと開扉時のEchoタイムの方が、どうもフィットしてるみたいなんだ。
そう云やデジリバの狭目のRoom Reverbって、明瞭度が落ちるだけみたいなのが多かったっけ。

その太鼓はアマチュア個人練習専用とは真逆のなんで、つまり広くなればなる程真価を発揮する設計なんだろうね。
普段は誰もこんなの忘れがちだけど、マトモな生楽器だったらそんな想定ってのが必ずされてんのよね。

実際の達成度は不確かも、かつて名称にレコーディングが冠されてた楽器があったやん。
従兄が妙に小規模Jazz向けのコンパクトDrumsetに興味深々なのも、もしかしたら普段の環境からもたらされてるのかも。

<つづく>

2023年4月26日 (水)

音楽備忘録1349 一寸変な歌の練習方法➋

では早速正しい発声方法から参る…その前に、カテゴリーに直接は関係無さそうなのが初回から加えられてる訳を。
これは楽器の正規平均音量ってものさしが無いと、どれ位の声量で足りるかがとても判り難くなるからだ。

音や光って比較対象が無いと中々曖昧なもんで、加えて感覚にはその時の心理状態迄影響する。
例え騒音計等を持ってても正確な計測には場所と距離がとってもセンシティブで、家具の寸法を測るより大雑把で良くても誤差が大きくなり易い。

のでもしその様な比較対象が無い際は、自分勝手にこれ位と思うよりひたすら最大声量アップに励む方が良いんだ。
って辺りで本編に進めるが基本中の基本は、極力「綺麗な声質」で声量を稼ぐ事なんだ。

これに関しちゃ中学時代の音楽教師のお陰で、壮年の彼がたまたま声楽と編曲の元プロだったのに由来する。
当時我々ド素人に彼が求めたのは、なるべく良い声の大人になる事でねえ。

男子の場合中学期に変声のピークが来るのが多いが、その時期を上手に過ごせると幾らかは誰でも良い声になるんだ。
これが運動部系の部活等で喉を無理な使い方して、所謂「声を潰す」人が昔は多くてさ。

人間って切羽詰まると発声が自然と崩れ易く、それを続けてると潰れて元に戻らなくなるん。
この件で授けられた知識としては、潰した声質だと声量の割に「声が通らない」もんだってのでね。

本当にチームメイトに声を届かせたいなら、闇雲に怒鳴るより上手に「響かせる」方が遥かに有効ってさ。
具体的メカニズムとしては軟口蓋が下がる等して、喉が「細まった」状態にしてると拡散性等が低下するん。

声出ししてる人の近くでは結構な声量でも、遠く離れたチームメイトの耳には思った程には声が届いてなかったりするアレだ。
又その場合腹筋の有効活用率も極端に低下し、音を遠く迄飛ばす(息を遠く迄送り出す)のが困難化する。

これに関し想い出して欲しいのがスポーツでの名選手で、思ったより綺麗な声の人が多かないですか?。
加えて私的にだと案外音域の広い人が多く、それって少しPops系歌手の理想とダブルねん。

実は彼等こそが試合中にはMicを使えなかったり、だだっ広い場所でプレイしてる部分ではかなり厳しい状況に置かれてるんだよね。
確かに味って点では珍しい声だとか、珍しいシャウトの方がそれだけで目立つんたがね。

プロ歌手のそれは計算尽くのもので、唯力任せ勢い任せに怒鳴るのとは一味違ってんだ。
例え素人耳にはそうしか聴こえなくてもで、だからシャウトの方を先にマスターしようとすると大抵は失敗しちゃうのよ。

先ずは大声量に堪えられる喉と体力を付けた上で、余裕が出来てからその分を声質に回すって考え方が必要なの。
それが昔打込みやボカロが無かった当時は然程考えなくても自動的にそうなり易かって、もし聴こえなきゃ声質もヘッタクレも無かったからさ。

それが今じゃストリートの人でさえ、ポータブルPAの登場で使える様になったりもしてっから。
それとスタイル事情もあるんだろうが「のっけから作った歌声」を出そうとするのも又不味く、趣味のカラオケと正規の歌唱では全然違うのだ。

>つづく<

2023年4月25日 (火)

音楽備忘録1348 天然REVERBの勧め➒

今回は又新たなプチテストをしたので、その様子をば。
んでやったのはDrumset+階段バーブなんだが、それ既にやってるよねーの慌てるでない。

過去に実施したのは同時録りのみで、先に太鼓を録って後でPA出し→階段バーブを録ったのは初めてだったんだ。
もし後者でも行けるなら例えば俺宅で太鼓を録ったのにも、階段バーブが掛けられる等適応範囲の拡大が図れる。

因みに他楽器のは前述の通り既に試して、一応合格圏に入っている。
それプラス取ったのを色々比較試聴して、前回述迄の確認が取れた他幾つか新たな発見もあったん。

処で今頃になったのは、概述の如く現況では火曜日しか階段バーブをやれない事情に依る。
先に新発見を羅列すると
 ①別録りは同録よりクリアな印象はあったが自然感に劣りデジリバでも代用出来そうだった
 ②ドラムトラック自体に同録と別録りでは相違があった
 ③レッスン室の扉の状態???。

夫々について順に掘ってくと①は階段バーブに「PAスピーカの音色が反映」してたのと、レイテンシの微増・後から気付いたドラムトラック自体の差異等に依る。
一旦中座して②へ進めるとほぼOn Micであっても周囲音を絶縁出来てはいないので、叩いてる広さが変わったのがしっかり記録されてまつた。

いよいよ本命!?③なので御座りまするが、俺言い「リアル階段バーブ」には当り前だがレッスン室の扉は開けとかなきゃなんない。
のがもし閉じといても太鼓だけなら録れるとなると、水曜から月曜迄「太鼓を録れる日」が7倍になるからね。

ってそもそも純粋にEcho Chamberの代役と考えたら別録りになるんだが、従兄に試させるのに1回で済んだ方が良いと思って同録だけを指示しちゃってたんだ。😓
のからすりゃ今回の別録りの方が本命になる筈だったんだが、従兄曰く「最初に思い浮かんだのが60%正解」が見事的中しやしたどす。

で戻ると結局は扉の開閉の状態が一番影響してて、↑の通り「広さが変わる」のが大きかったん。
変わるったって部屋自体が間仕切りを取払うとみたいなのとは全然違うが、音波にとってはㇾッスン室のみと階段が追加されるのは大変化なんすよ。

狭宅と比べりゃ広い従兄のㇾ室ったって学校の教室にすら及ばないんで、少し拡張されるだけでも大違いだったん。
その中で特記すべきと思われるのは、一番遠い壁との距離でありんす。

閉扉だと良くて5mあるかどうかなのが、恐らく倍以上に伸びてまんねん。(計測はしてないので…💦)
でⅡで閉じてても室内残響は混入しちまってるんでそれへ階段バーブを足すと、例の「2つの異なるEchoを掛けた」状態になっちゃったんだよなあ。

それが一聴明瞭に感じたのはShort Delay+Reverb擬きとなってたからで、同録特有のナチュラルさはすっかり失せとりゃあした。
これでは柔らかさには貢献してくれないんで、少なくともTAMAのセットを使う際は没にさせて頂きやした。

付記余談:最初に従兄が試し録りをSoundcloudで公開した際、「柔らかくて良い」って感想を頂いてたそうな。
我々それも視野には入ってたんだが、その頃は独自音場の方に気が行ってたもんで…。

>つづく<

2023年4月22日 (土)

音楽備忘録1345 一寸変な歌の練習方法➊

生粋Rock・Blues系では未だしも、最近の日本の歌手の非力さは一寸深刻な感じがする。
兎にも角にも声量不足が根底にある様で、しかし該当者より真因は教育にある様なのでそれをチクリとねっと。

以前にも記したが喉の健康保全目的なのは分かるが、幼少時から女性に高音部を地声でなく裏声で歌わせるのが愚の1。
やんちゃな男子にも必要以上に綺麗な声で歌わせるのが愚の2で、1人1人声量は不問にし乍ら合唱の声量不足にだけ叱咤激励するのが愚の3…とかなり延々続くから一旦止めとこう。

更に罪なのが過剰な同調圧力で、声量に個人差があるのはごく自然なんだけどさ。
イジメを恐れて出せるのに出さない奴が出る始末で、尤もこれは過去から一部には存在したんだけどね。

その理由は今とは違ってて、音痴で迷惑掛けたくないとか狡してサボるとかもっと個人的だった。
確かに喉を傷めては始まらないんだけど、誰だってビックリしたり悲鳴は今でも何時だって最大声量をオーバーしたりする。

それを考慮に入れとくと「喉の耐性」を上げとくのだって大事なのに、音楽の授業中にさえ壊さなきゃって事なかれ主義なのが見え見えだ。
元来どんな風にすると喉を傷めるかの知識は必須だし、可能なら予めプチ体験をさせといた方が却って安全率は上がるんだけどな。

確かに近年の環境下では呑んで酔った時等以外(これが大問題なんだが💦)、大声を出す機会はとても限られてるがね。
けどだからこそ急遽そんな時を迎えたら壊す者も少なくなく、普段全く歌わない人にだって大いに関係あるんすよ。

にも拘らず今は単細胞な慎重になり過ぎてて、どちらも極端な偏りは何等かの致命的な欠点を残すんですわ。
一生の内で滅多に大声を張り上げずに済むなら今式で良いし、常に怒鳴ってばかりなら昔式がフィットしてる。

だが人次第で頻度やシチュエーションは千差万別だし、将来どうなるかは誰も確約出来ない。
のでその時期の各自に合った方法を伝授するのがベストだが、取敢えず今本人はニーズを感じてなくても一通りは教えとかんと。

歌唱力ってな適性(才能)がありゃかなりすぐに上達したりもするが、天性以外の部分を向上させるにはとても長い時間が掛かる。
ならば現時点でニーズの無い無さそうなのは先送り…一寸待った、そう云うのもあるが成長途上に知らせとかないといけないのもあるんだよ。

それがその時点での各自の肉体が持つ最大声量で、喉を壊しちゃ困るが息が上がって過呼吸になったり動悸が暫く収まらなくなったりするのも困る。
そのバランスは下手な教育等施さず天然環境下に置かれてれば自然と掴める様になるが、昼間の公園や自宅前の道路で常に大人しくするのを要求すればありつけないシチュエーションとなる。

成長期終了後だって正しいトレーニングに励めばどうにもならなくはないが、基礎体力的な部分だと向上巾は限定されるし更に長期を要して効率が悪い。
結果喉とか呼吸系のみ極度に弱い人を増産しちまって、大きな弱点のせいでそれ以外はもっと大声を出せる体のポテンシャルがあるのにってな事を招いてるじゃないかな。

<つづく>

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