Mic

2025年5月21日 (水)

音楽備忘録2103 音プロの音楽の聴き方㉒

周波数8回目は前回補遺と次の副題へと牛歩で!?進むが、音楽的な中域の代表となる周波数値は1kHzだ。
但し杜撰大王流では800Hzとしてて、飽く迄私感も2kHz以上になると俺言い「硬さアシスト」をしてしまうんだ。

幾ら音楽にしても低過ぎると思われるか分からんが、少なくともポピュラー系でポピュラーな楽器にPiccolo程の高音域のは稀にしか登場しない。
杜撰君過去に金管をGuitarを捏ね繰り回して代用しようとして、致命的高音域不足で挫折したのを暴露したべ。

個人的には未だ上記へ嘆き節状態も、多数派ニーズにならないのには訳があってん。
それはポピュラー系では明るい音色≒Bright→高域倍音多目が好まれてっから、音域自体の高い楽器はあまり好まれてねんですよ。

のわ高音域→倍音の帯域が狭くなる→例え出てても高次倍音が可聴帯域外になるの図式で、実際やったら多分喧しくて仕方無くもあるだろうけどね。
要するにCymbal等一部例外を除き、高域は極力音色(主にディテール)の為に空けときたいん。

だから音程感等言うなれば音楽の基本情報を補正するのに、その帯域を弄るのは忌避事項と迄行かんにしても捗々しく無いんすよ。
ほいで冒頭に示した周波数は31バンドグライコ以上の、ピンポイントで効くのじゃないと中心周波数なだけなのだ。

効き目はそれから離れる程弱くはなるものの、実際にはそこそこ広範囲の上下も道連れに増減してくれやがる。
その有効帯域(バンド幅)をQと呼び、基準値となってる1.41で何と上下1octaveもの範囲で効いてくれちゃうん。

その際もし中心周波数を1kHzとすると下は500Hzからで特に問題無いが、上は2kHzとなって俺言い「硬さアシスト」領域に入っちゃうんだよ。
これが低域で20Hzなら上は40Hz迄しか効かないし、高域で20kHzなら下は10kHz迄だから全く中域には干渉しなくて済むんだけどさ。(※上記夫々の反対側は何れも可聴帯域外になる)

にも拘らず殆どの場合中域は情報量が大抵ラッシュピークになってんで、その分精密な調整がとても難解になっとん。
且つ精緻にやりたきゃ高精度パラメトリックEQ等、ツールの方も充実させないと厳しい。

で本題の「聴き方」とどう関係してるかったら、EQ補正で手に負えるべき案件かどうかの判断が重要なんすよ。
もし欲しい帯域が硬過ぎてどうしようもねえポンコツな音質だったら、夜鍋徹夜のEQ補正で夜を明かすより楽器等を変えて録り直した方が遥かに救いがあるねん。

まあ現実には時間等の制約もあって中々理想は遠かったりするが、せめて何か他楽器を加える等別手段を使わなきゃ決してマシな音にはなってくれねんだ。
それと硬過ぎ君も帯域次第で被害箇所が異なってて、高域のよりゃ目立たんが中域のの方が解消困難なんだ。

何せ音程を司ってる領域なんで、大胆に削ろうもんならどの音もパーカッションみたいに化けちまうだよ。
わ大袈裟にしても音質とかを妥協しても殆どご利益が無く、高低域で補填するのもかなり無理がある。

しかし極大雑把な知識として何となく内容がぼんやりしてたら、1kHzをほんの一寸だけ上げてみるのは効果的だ。
これ実は知人音響技師の受け売りなんだが、全体像を保持したままでは実際聴くとそうだったんだ。

但し件の主は頑なに自身ではコンデンサMicしか録りには使用せず、かつてはダイナミックタイプばっかだった俺にはその自前環境じゃ有効度が低くて気付かなかったんだろうな。
そこで格言「柔らかく拾って硬くするのは朝飯前」だが、万一硬過ぎ君になったら諦めろってか。

-続く-

2025年5月17日 (土)

音楽備忘録2099 音プロの音楽の聴き方㉑

周波数7回目の今回は「中域の増減」について綴ってくが、これに限っちゃ機器性能等の事情でオーディオと音楽(楽器)が近似傾向にある。
そして又々私感だが欧テイストを好む人の方が、調整が大胆且つ秀逸に感じるのは気のせいかな。

だばアナログオンリー当時の方から参るが、今比で周波数特性は概ね全てが狭帯域だった。
その上一々どの段階でも高域を中心にローエンドも損失が避けらんなかったから、最終段階から逆算もしといて下と上を盛っとくのが定石だった。

ので中域観点では余ってるのを削るのが主体で、もし増やすとしたら量は僅かでピンポイント的じゃないとなんなかった。
のがデジタルの普及と歩調を合わせる様にどんどんドンシャリサウンド嗜好も強まった挙句、近年ではうっかりしてると所謂周波数帯での「中抜け」現象が起きてんだ。

から今度は削るより盛る機会が増えたんだが、中域固有の用心をしないと単にナローな感じになるんすよ。
その訳は音程聴き取りが最も容易い事にヒントがあり、誰にも良く聴こえる音なだけに盛り過ぎると他の帯域を埋もらせ兼ねねんですよ。

低域過多は物理的に高域過多は特に大音量時に聴神経を麻痺させるんだけど、中域ではそんな言わばドS側面が無いだけに油断し易いんだ。
別観点なら「大体何時も聴こえるのが当たり前の音」なんで、聴こえなくなったらおやっとなるが実際は中域過多でも低高域が不足してると誤認し易いん。

もしかしたら今劣化本邦の汚Mixは標準再生音量を低く見積もり過ぎてて、作品に不似合な想定以上のドンシャリにしちまってるのかも知れないねえ。
加えて経済的には合理的だが音的には不適切なデジタル化・バーチャル化も中域の質にはマイナスで、周波数特性より平均音圧やトランジェントを害し出してんだ。(意外な事に物理的に良過ぎると不自然になる)

上記での前者は共鳴ポイントが不要に平準化しちゃったとか、後者では一定以上の音圧になる時間が減ったりする事でな。(リアル生演奏では必ず楽器・音源と耳の間の空気の存在に要注意)
楽器毎に音色に癖を持ってるの自体は功罪相半ばだが、らしく聴こえるのには必須条件。

平均が下がってピークの音圧が上昇した方がダイナミックレンジとしてはワイドになるが、音程や固有音色を司ってる箇所が不安定になると決して聴き易くはねんですよ。
大昔に吠えた如く闇雲に斬新さやHi-Fiを求めると、上記みたいなのの失念を発症するんだ。

ここでは本題から逸れるんでここ迄に留めとくが、本質的には周波数以外の質低下をEQのみで補うの自体に無理がある。
ので周波数特性だけでの大胆な補填は、改善よか他部位を悪化・劣化させるケースの方が多いん。

ほいで仕方無くあった方がリッチで良い低・高域を、必要最小限にダイエットすれば過不足は何とか収まる。
が何の変哲・個性も無い凡庸なサウンドとなりがちで、けれど自然に近く聴き慣れてるからそう感じられる側面もあるんだ。

そんなアピールポイント不足のサウンドでは商売的には売り物にならんが、奇特ならどんなに不自然でも売れるってもんじゃないよね。
それ故中域は盛るにしても削るにしても、ピンポイント(狭隘周波数帯)で微量の増減から色々試みなきゃ危ねんだ。

その意味ではMic等は単なる物理的高性能より、中域がなるべく自然な感じor好感に拾えるのを選んでみるのも一利あたりだ。
未だに骨董NEUMANN等の評判が衰え知らずなのはココの為で、意外と聴感性能を上げるのに皆腐心してんですよ。

-続く-

2025年4月22日 (火)

音楽備忘録2074 爆音歌唱に纏わる色々➎

歌唱での共鳴については杜撰大王は声楽家じゃねんで正規教示は出来んが、そのさわり位は一応体感して知っている。
本来は1度位誰でもちゃんとしたボイストレーナから教わるのが良いが、Classic系出自の先生だとホピュラー系にはもう足りててもその先を厳しく追及されたりもする。

って事ってここでは最低限の初歩的コツを綴るとして、共鳴を得やすい原理はとても単純だ。
先ず「響く為の空間」が必要で、幾ら残響率が高くたって狭過ぎりゃ響く場所が無いからね。

んで人間の声の場合音程次第で共鳴ポイントは結構移動してるんで、夫々に合ったフォームに近付ける必要がある。
初歩段階で体感し易いのはその人なりの「低い音程」の方で、高い方は他人になら出来てれば一聴瞭然なんだが歌ってる本人には今一分かり難いんだ。

これこそがポイント移動の証拠で、そうなる訳は音域と楽器のサイズと原理的には全く同じ。
一般傾向としてノッポは低域がチビは高域が伸びてるが、体格が弦の長さ・皮の面積等の代わりになっとん。

但しノッポでも響かす場所を狭くすりゃそれなりに高い音程を響かせられるし、チビでも目一杯体内の響いてくれる場所を有効化すればある程度低い音程が出せる。
但しノッポに比べ大抵は容積に劣るのが、音としては声量の多少として表れる。

そして低音共鳴には音の波長の都合から長さが必須なんで、喉から口先だけでは音程こそ辛うじて出せてもそれでは声量が全然稼げねんですよ。
イメージとしては肺の底からって感じで、胸郭の容積を利用して低音の量を稼いでるん。

視覚置換するなら低音用スピーカの箱が巨大化するアレで、それが低音程の声質を左右してるん。
具体的な差は同じ低い音程でも痩せて枯れた声質になるか芳醇になるかで、前者は歌詞の聴き取りには勝るがフォルマントが少量な為妨害に弱く音程感が乏しくなる。

しかも声量でも劣るんだから、少なくとも使えるシチュエーションが大巾に限定される。
高音の方に関しては関連筋肉や体力次第で変動するが、低音の方はそれと比べると遥かに体の使い方次第で結果が変わるのよ。

ので共鳴状態を兎に角体感して伸ばす参考にはこっちが有利で、ひたすら高音程を目指してる者でも共鳴のコツを掴むには試してみとくのがお勧めなんだ。
してこれが可能化するとどんなメリットがあるかったら、歌声の通りと平均声量がこれだけでもかなり改善する処。

過去述の如く青二才当時の杜撰君取敢えずピーク声量は少しは出せる様になったが、ポピュラー系歌唱としては声量の大小があり過ぎたん。
Rock系の洋楽系では伴奏や器楽演奏もコンスタントバランスで聴かせたく、それにはピークよりアベレージの声量が安定してる方がマッチする。

上記の状態で全部聴き取れる様にMic感度を上げりゃ、今度はピークの時だけ爆音化して観客に何だか不機嫌か怒ってる様な印象を与える煩さが生じちまう。
無論ここぞの1発では大きくなった方が良いけれど、印象は大きくてもこっち系じゃ瞬間的な爆声量より「強い音」の方が必要だし効果的なんすよ。

要するに共鳴成分レスだとどんなに爆声量にした処で、音楽的有効成分の含有量は全然足りてねえ訳。
稀にはひたすら爆声量追及する途上で共鳴に気付く場合もあるけど、ある程度は響かせられてから大きくしてく方が大抵は確実で近道なんだ。

-続く-

2025年4月18日 (金)

音楽備忘録2070 爆音歌唱に纏わる色々➍

爆音系若しくはポピュラー系での「綺麗な声」の恒例復帰な補遺から参るが、冒頭にお断りしときたいのが「その人なりに」ざんす。
実は歌のみならず欧由来のClassic系全般の方がホントはこの点で特異な存在で、素質的声色が不適だとその時点で不採用決定だ。

それでも歌なんかまだマシな方で最近こそ少しは緩和したけれど、バレエでは身長かプロポーションか顔等何か1つでも満たなかったらどんなに踊れたってプロとしては門前払いだ。
のわ宮廷や皇族主導で発展して来てたのと、夢や理想だけを具現化しようとした物だからだろう。

Classic歌唱での典型例としてはウィーン少年合唱団が挙げられるが、他のジャンルではパーソナリティを無視して迄の美しさなんて要求されてないのだ。
元来人間如きの歌声なんてカナリヤとかと比べたら醜悪なもんで、純粋な美しさでは全然タカが知れてんですよ。

この点歌声は非Classic系だとエレキGuitarの歪んでるのに美しいと似た性質があって、簡単に言や普段の地声との落差等が焦点になってるですよ。
私感で声楽の弱点の1つに歌詞の明瞭度を感じてて、美声に忖度するあまり悪環境下での聴き取りに難がある。

っと言っても元来は専用会場での生歌唱用だから問題は無かったが、現代一般生活でそれを満たすのは少々厳しい。
ので録音や放送で聴かれるのも当たり前の後に登場したジャンルでは、聴き取りへもリソースをより多く振り向けてんだ。

がそれが今劣化本邦では一寸行き過ぎ傾向があり、音程感の低下ばかりか酷いのになると歌声自体の安定的聴き取りが悪くなってる。
のわⅡで「声の共鳴」を軽視し過ぎてるからで、声にも久々出目立つ倍音の存在があるからなん。

特に悪環境下での影響力が甚大で、普段高性能化したMicやPAに依存してるからなのかな。
一方Classic以外では美声の定義自体が曖昧で、尚且つ独学だと自身の歌声が何処迄美しく出来るのかさえ不明な場合が多い。

更には大抵加齢に依る汚濁や劣化も避けられないからこそ、少なくとも舞台裏では「今各自が出せる目一杯の美声」をちょくちょく試しとくのが強力推奨なんすよ。
杜撰君はずっと喫煙者だが40位迄は頻繁に歌ってたんで事無きを得られてたらしく、それ以降は少し歌い込まないと濁った歌声に成り下がってのぉ。

それも喋り声は全く不変でファルセットにだけ顕著な差を生じたんで、暫くはその事実すら自覚出来無かってん。
昔から平均よりは美声チャレンジはしてたんだけど、どうやら自分にはその頻度が足りなかったらしい。

そして最近痛感したのが仲間の中途半端な歌声で、一種の美声にもワイルドにも足りなくなってた件だ。
かつては爽やかさに勝る反面ワイルドさに欠けてたんだけど、彼の場合ちゃんとはシャウト練習をしてなかったのが災いしたのかも。

シャウトの理想って普段の声より明確に迫力が増す事と思ってて、それには自身の喉で比べらんないと現状で足りてるかどうか分かんねえんすわ。
それでかシャウトで名を馳せた過去レジェンドの多くは、かなり綺麗な歌声も少なくとも全盛期は出せてたっしょ。

加えて「共鳴」の体感と成立させ易さに、一定以上美声を出そうとするのがお誂え向きなんだ。
呼気量やパワー自体は一切変えず、口・喉・気管等の形状を色々に変化させないと近付けないのがその理由。

-つづく-

2025年2月27日 (木)

音楽備忘録2020 今更Beatlesから学べる事➎

全員が俺言いリズム革命に大きく寄与してるが、録音方法の可能性を広げた点でもRingoの奏法やサウンドは大きな影響があったと言わざるを得ないのだ。
っつう事って彼のを続けるが、一般的にはマルチMic収音・意図的大胆コンプを皆は挙げるんだろうな。

決してそれは間違いじゃねえんだが、単純に今みたいなDrum録音スタイルにしてただけじゃ当時は済まなかったんだ。
現代との大きな相違点を提示してくと先ず①Drum専用Mic等存在せず、②その為当然Mic Pre以降の機器だって特に想定した作りになってない。

その結果例えばどの箇所でオーバーレブしたかは知らんが、ZEPのファーストアルバムでは太鼓がかなり歪みっぽくなってしまっている。
確かに今の大谷翔平のバカげたホームランみたくBONZOの強大なパワーは前例が無かったが、さりとてMicを直接ぶっ叩いてた訳でも無いからねえ。

予算事情や技師側が不慣れだったとは言え、トータルでの計算が不充分だったからああなっちまったんだろう。
その証拠にセカンドアルバムからはファーストみたいに歪んで無く、彼等は既に友人関係だったんでもしかしたらRingo達に色々訊いてみたのかも知れない。

さて何度もRingoは最低でも当時としてはパワーDrummerだったと釘を刺してるが、ならば何も考えずに録ってたらBONZOよりマシでもそこそこ歪んじまってた筈なんだ。
ってのもマルチトラック録音でピンポン(テープコピー)も使ってただろうから、その度に機器由来の歪みと相まって歪み率はどんどん悪化するからね。

その面で生楽器奏者だからこそ録音やEffectの関係個所には詳しくなっとく必要あったと言え、もし石頭の唐変木野郎だったらそれが枷になってあそこ迄多重録音を演れなかった可能性が否めないん。
因みにRingoと同等かそれ以上に世間に誤解されてるのがKieth Moonで、全く信じ難い感じだが同期演奏Drummerの元祖の1人なんだよ。

Peatが主に鍵盤も弾いてる動画でKiethはふざけ乍ら叩いてるだけだから彼のお陰と気付き辛いが、Drummerがシーケンスに合わせらんなきゃ他が色々演ろうと成立しねんですよ。
今日日は俺言い「変な公平」で何人たりともClickに合わせるのがデフォだが、昔はそれが要るのは「Drummer以外」だったんだから。

だいいちその頃じゃそんな用途は確立前夜だから、何たってシーケンスのモニタ自体が一苦労だ。
現代のインナーイヤーとかDrummer用ヘッドホンとか皆無で、遮音性能は低いはそれより何よりでっかくて酷く重いだけでもすぐ首に来るんだ。

今それを現行品で体感可能なのは多分唯1つ、俺言い「軍隊ヘッドホン」例のKOSS PRO/4AAしか残ってねえから。
彼はPIONEERの近似タイプを使用してた様だが、普段おふざけで自然と鍛えられた体力・筋力のお陰で堪えられたか。😃

まあ直接必要なのはたまたま↑だったが、テクノロジーに興味と挑戦意欲が無かったらあんな拷問には耐えられますまい。
この様にDrumをより良くしようとしたら意外な処でする変な苦労、全くの想定外だったろうけど録音現場ではしばしば起こり得る事象なんだ。

それからすると一面でRingoは最も「辛抱強い人」と言え、Johnを始めとした皆の無茶振りに応じるのは他の人じゃ無理だったかも。
自分でDrummerに本格参戦して痛感したんだけど、いやぁ肉体派に見えてその実法外に知力やメンタルも要求されるんだねっと。

-つづく-

2025年2月13日 (木)

音楽備忘録2007 楽器音色一般のイメージと実際の違い㉑

相変らず文章が稚拙で済まんが、前回末尾の誤認対策で補遺から。
正確には誤認の他逃す可能性もあって、万一にも再生機器が記録されたローエンドに非対応等のケースだ。

今劣化本邦では共通条件で聴かれる率が飛躍的に低下してるし、それと同時に軽度の難聴とか聴感覚に変な癖が付いてても把握スルーされてる可能性大なのだ。
そしてその現状は到底個人や小さな集団では調査不可能なんで、昔みたいにこの手は主にラジカセで聴かれるからこんな按配になんてのが通用してくれへん。

音響ヲタ的には主用されるブランドタイプの混沌化したのがガンで、かつて日本では歌謡曲寄りなClarion等とオーディオライクなSONY(全機種じゃ無いが)みたいな棲み分けがあったんだ。
杜撰君はそれを魔用して歌はClarionで伴奏やインストはSONYでなんてやってたんだけど、いつの間にか何だか中途半端にごちゃ混ぜになってしもうてのう。

ほいで徐々に本題へ向かうが、上記等が新たに発生してっから聴取環境が以前よりバラバラになってんだ。
そんな中誰にでも「同じ感じ」に聴こえる様にするのが、却って昔より困難化を招いてんの。

大昔は雰囲気だけその後の昔は単純にHi-Fiにすりゃ及第点だったのが、今では両方をそこそこ以上のレベルにしとかないとならなくなったんすよ。
そんな中対策遅れと思しきが雰囲気の方なんだがここで扱うのは、例えば前述の通りそんなにローエンドが出てるならそれより上の帯域にも相違がある筈だみたいなヤツだ。

大柄な楽器若しくは発音体で生成された低音には、単に音程が低い他に色んな要素が実際は付帯して来る。
その①皮が大きかったり弦が長きゃアタック音を始めとした反応が鈍目になるとか、②そのエネルギーも大き目となるので他の物体等が揺すられて音を立てる等だ。

俺知りでの最好例が概述BeatlesはCome Togetherのバスドラで、①はOn Micの高域で②はスナッピーの共振音で現場の臨場感を俺達に伝えてくれる。
尤も②の方はバスドラよりBassのローエンドに貢献してるが、特別共鳴し易いチューニングにでもしてない限り流石にメロタム叩いてスナッピーの共鳴を感じる奴はあんま居ねえべ。

そう云や古代述だがDrumsetのバスドラって、人知れず単体の時とは少し異なるサウンドを皆は普通の音と認識してるんだよね。
そもそもバスドラの打面と響き線の付いてるSnare裏皮って至近距離にあるんで、仮に所謂共振・共鳴現象が起んなくてもその振動でザッってなっちゃうんだ。

粗雑な扱いのDrummerだったらセッティング時とかに何かにぶつけると、スナッピーSWがOnになってたらカン・コンとかじゃなくてザって云うの概知でんがな。(すんまへん、オラの事だす😓)
かつて一時期はモア明瞭度忖度の為↑を雑音とみなし忌避された時期もあったけど、打込み勢力が台頭して来ると生リアル固有の貴重な現象なんすわ。

因みに打込み音源にはわざと入れてあるのもありそうだが、Snare叩かないけど途中でスナッピーSWをOffにしたみたいなシミュレートは聴いた覚えが御座んせん。
生合奏してたらさして珍しい事じゃないんだけど、物知りベテランDrummerのバスドラサウンドは所望次第でこんなのを使い分けてんすよ。

別の言い方をするなら出てたのに重要じゃないと思って無視しちゃった音ってのが意外とあるもんで、普段はどっでも良い事が時には運命の鍵を握ってたなんてのがあるん。
スナッピーの伴鳴りの無いバスドラって、あるのよか何となくガッツがねえからお試しあれ。

-続く-

2025年2月 7日 (金)

音楽備忘録2001 ’70年代Rockの浦島太郎㉖

さてここ数回老害呼ばわりも厭わずRockはアウトローと吠えてるのは、分かっておくとあらゆる面でアプローチに違いを産むからでもあるんだ。
今時の若者でも何かしらマイナーコアヲタ体験を、一定以上してる人なら別なんだけどね。

基本的に余程特殊な情報以外はスマホでググるのが当たり前化してる故、特に初心者時代に大まかにと思うと他の調査手段なんか先ずやらんでしょ。
杜撰君半ば休業中の鉄ヲタでもあるから便利で助かるけど、ネットって思ったより当てにならないのを思い知らされちゃったんだ。

小坊の頃に極ライトな鉄道ファンですら誰でも知ってた様なのの一部が、今になるとネットの何処を探しても全然出て来ないなんてのがあったんだわ。
オーディオヲタからも例えばまだ現役のPrimoってブランド、あーたは何なのかご存知でっか?。

あと3文字Micと入れれば、検索結果の先頭に本家のホームページURLが出て来るんだけどね。
昔は少々オーディオとかに興味がある人なら誰でも知ってたんだが、今は各方面の雑誌等にも名前すら滅多に出て来ないからまだあるのに一般社会からは抹殺されとる。

まあ昔は割安だったのに何時の間にか高額にしてるのも悪いが、スポンサー忖度記事の横行で世間からは結果的にガン無視状態になってるんだ。
これってどうせ高額だから買う奴は少ないだろうけど、決めるのは買う奴なんだからこんなの余計なお世話だよね。

万に1つも世間お薦めのが自身の声質にどうも合わなくて悩んでる人からは、低確率とは言え可能性を勝手に奪っちゃってんだよ。
要するに密かにアウトローに追いやられてるのにそれに気付かないでままで居ると、「探すアテ」の段階から的外れになっちゃうんすよ。

Google検索エンジンだけが悪いんじゃねえが、単語検索と識者に伺うのでは埋められない差もあるん。
前者はおぼろげに存在するのは知ってても、名前が分からないと途端にポンコツ化する。

のが古株ヲタにでも訊きゃ割とすぐにアレじゃねとなる訳で、最大の差は相手から質問が可能かどうかだ。
ってのも例えばホントはブランドカラーが赤とかしっかりあっても、気付かない内は「赤い憎い奴」とか書込めないぜよ。

概知の側からしたら「ロゴは何色だった?」とも問えそれで即座に判明するけど、杜撰君みたいに名称記憶に疎いとそうは行かないじゃん。
それと瓢箪から駒機会がググりだけじゃかなり確率低下してて、以下の様なケースが訪れない。

クソオヤジにオレンジのロゴと答えて当初求めてた正解じゃなくても、例えばJBL以外にCerwin Vegaなんつう少々ニッチだがハイレベルなのへ辿り着ける事も。
検索が既に巧みだったらそんなでも無いか分からんが、ニッチなのでは工夫しないとすぐには辿り着けんのどす。

もう1つ注意すべきがWikipediaは必ずしも正確では無い以上に、最初は誰かが書き込まないとお目当ての項目が存在しない事。
普段は出典を要求するのも悪かないが元記事が消失したり、紛失したとか手元に無いだけで安易に嘘扱いされるのがゴミだ。

潰れた会社の元社員(つまりは当事者本人)のカキコでさえ、他人が閲覧可能な証拠が残ってないといけねってんだからクソだろ。
そんじゃ大昔のその人の名刺のコピーでも、事務局へ送り付けりゃエエのんか?。

=つづく=

2025年2月 5日 (水)

音楽備忘録1999 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓳

俺言い「偽りの明瞭度」には少々粘着しちまうが、それ等の実際の寿命は劣悪聴取環境下のみで僅かに生き長らえられるだけなのだ。
コレ今とは比較にならん程軽度ではあったけど、昔のにでもそんなのは少しは入ってたんだ。

爺はその登場からその後の浮沈を体験したて来たからこそ力も入るんだが、登場時には若干のキツさは覚えたが特に問題視はしてなかったんだ。
が純粋に高音質とかより適した音色のが出て来てみれば、それ等は随分みすぼらしく聴こえる様になったんすよ。

杜撰君世代の体感で最も目立ったのはDrumサウンドで、私的第1波は1970年前後だった。
それ迄のはジャンルや収録環境次第の差こそあれ、どれも今一不明瞭で生耳比ではかなり遠くで鳴ってる様なのしか無かったん。

或はそんなに遠く無くても角度等が悪くて、何かの陰で鳴ってるような感じでね。
それがBeatles辺りを筆頭に、どれもが同じ部屋の眼前で演られてる様な風に激変し出したんだ。

っと言ってもまだこの時点では実際には今のOn Mic程近接させてないのが殆どで、且つ全部に構えられてた訳じゃ無かったんだけどね。
それでも従前のDrumを軽視したのなんかだと他は一応ステレオ感があるのに、何を叩いても丸っきり同じ位置から聴こえるのなんかが結構あったんだから。(つまりDrumset自体はモノラル)

こっちもその頃はまだDrumsetの知識なんてロクに無かったから、別のを叩いたらしきのは別の位置から聴こえてりゃそれだけでリアリティを感じてたん。
ここが今回の第1ポイントで、非専門家に聴かせるには今だってその程度でも及第点になる処ざます。

わざとでない場合生耳聴きでは視覚効果もおおいに加勢して、別の太鼓が全く同じ位置から聴こえて来ると流石に誰でも違和感を覚える。
尤もその具合はMixer卓のパンポットツマミでなら1目盛り行くかどうか程度の事が多いが、残響・反響・マスキングetcに関してはその程度のでも全体の差は拡大してんだ。

それとは逆にバスドラより他のにダイレクト感が強いのは実位置からしたら不自然で、深く傾けたTom以外は裏の皮すらあっち向けホイやんか。
そんな点からは一時期のバスドラだけOn Micで他のはOn Offの中間位ってのが、意外と理に適ってたんすよ。

でも何時迄もそんなのだけじゃつまんないから全部Micは近付けて、↑の代替策としてバスドラだけReverbを掛けないなんて真似をしてたっけか。
今の高音質じゃその変さが露呈する様になったが、昔の低音質ではトランジェントがトロかったからそれでまあまあ普通な感じに聴こえたんすよ。

Bassなんかもっと極端で、最新のでもReverbレスになってるのがあって…。
杜撰君はそれだと何か仲間外れ感が出ちゃって嫌だから、近年は工夫して控え目でも適切なのを掛けてんだけどね。

んが明瞭度だけに忖度すりゃ、実際Line収録Reverbレスの方が何してるかの聴き取りは断然良好だ。
この事が関係してるのか分からんが何か2010代以降の国産作品のBassは、どうも音色の流麗なのがご無沙汰になってて悲しいよ。

猛毒噴射すれば元からどうしようもない音色で演ってても、Line収録とおバカコンプ等のお陰でどうにか聴ける音になるからってサウンドメイキングをサボってんのかねえ。
故に奏者の音色面での成長には好環境は不向きでしかなく、それに甘んじなきゃもう少し良い音色を出せてる筈なんだけどな。

-続く-

2025年1月29日 (水)

音楽備忘録1992 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑯

さあKaren Carpenterの2回目は、彼女の持てる才能と一般評価の是非から行こう。
何分ポピュラー系であるが為に先ずは歌唱力と声質で、次に容姿若しくは雰囲気とか若さなんじゃないかな。

気楽に歌物を聴きたい層にとっちゃ個別楽器には、強大なキッカケか必然性を感じないと耳が向かねんだ。
ので愛好家以前だったら別にそのままで批難なんかしないけど、アマでもミュージシャンとか評論家がそんなこっちゃとっても困るだよ。

ってのもDrumsetを叩きながらで最初の関門は、どんなに美声でも一定以上の声量が無きゃ無理な処。
特にKaren先生の場合女性としてはかなり低い音程が頻繁に使われてて、低い方で声量を稼ぐのはかなり難度が高い。

次にポピュラー系で折角Micが常用出来ても、所謂Micワークの自由度がかなり制限されて厄介なんだ。
これは手前味噌でも体験してて、BandでLiveの予定が入ってるのに突如Drummerが脱退しちゃってさ。

Vocalの奴が下手でも一応Guitarを鳴らせたのもあって、急遽Lead GuitarからDrumへコンバートですわ。
で杜撰君が最優先でChorusも担ってたし、マトモなGuitarが不在になる分余計にChorusを省けなくなっただよ。

何か楽器を奏で乍ら歌う事自体には慣れ捲ってたんだが、今迄Micワークで補填してたのが殆どパーに…。
で杜撰君何に一番困ったかったら意識的に遠ざけるヤツで、頭部だけ遠ざけ様にも首が短いっ!!。

ならばと代わりに横を向くのも何だか見てる人に不機嫌と思われそうだし、変に指向軸から外せば歌詞が不明瞭になっちゃっうし…。
そりゃ叩き乍らの都合に合わせりゃまだ何とかなるが、Karen先生のは叩く都合なんてガン無視で豊かな表現に没入してんじゃん。

是又私感だがメロパート楽器なら割と一緒に盛り上がり盛り下がりゃ良いんだが、伴奏系は対比を維持すべく片方は知らん顔みたいにしなきゃなんない事が少なくないんすわ。
そのせいかリズム隊兼業歌手の方が、歌だけでも上手な人が多い気がするがどんだろね。

勿論ホントの歌専業にも偉大なのは一杯居るけど、ポピュラー系小編成アンサンブルではダイナミック過ぎて今一合わないケースだってあるん。
つまり舞台で殆ど叩かない時でも本人にDrummer自覚がある限り、それがもたらしてた影響はかなり大きいんじゃないかな。

つう事って歌唱だけに着目してもDrummerが結構作用してて、それでいて逆は殆ど無いのが又凄いんよ。
因みにBassでもMcCartney・Entwistle・Squire氏等に顕著で、奴等は歌ってる時の方がBassでも難しい事を演る率が高い。

兼業演奏家としては杜撰君も経験は膨大だが、たまには専念したらもっと上手く歌えるのではと試した事がある。
処が確かに余裕は増えたんだけど余計な事を意識する余裕も増えちゃって、今迄の段階ではどっちらけだった。

尚且つ伴奏と喧嘩或は輻輳する箇所が発生し易くなり、少なくともシンプル歌物系ではどうも好結果に結び付かない様だった。
楽器の代わりに踊り等へリソースを振ればどうか分からんが、今度は果たして「聴くだけ」で満足出来る代物になるか大いに疑問でやんす。

-続く-

2025年1月24日 (金)

音楽備忘録1987 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓰

前回末尾の繋がりで今回は過去作での、良く聴けば不自然・理屈に合わない例から行ってみよう。
流石は何でも大雑把な昔、低音質にかまけて随分といい加減なブレンドが結構されてたんだ。

その1は明らかに違う場所で録ったのを強引に混ぜるで、大ホールLiveでの粗相を後からちっこいスタジオで録ったのに部分的に差し替える等だ。
尤も最上位グレードのになると同じ場所・同じ機材で翌日録り直したのもあったが、如何せん観客の様子が「突如変わる」のを感知されたらバレバレだったけどね。

その2は一定以上に収音方法が異なるのを強引に纏めた代物で、マルチMic発展途上期にはかなり頻繁にみられたヤツ。
どゆ事かってば小柄な楽器や電気楽器は各パートワンポイント収音でも、近接可能な為周辺雑音や残響音は拾わない。

のに大柄な楽器はブースも↑よりゃ広くせざるを得ないのと、Micもそんなに接近させられぬ事からの音場差異が。
特にDrumset等に構えられる本数が少な目だったんで、無響室以外では結構それこそ場違い感があったのよ。

尤もⅡで極限迄各楽器毎に全部近接させると、今度はDrum全体の響きは奏者耳とは大抵掛離れる不自然さを生じるんだけどね。
これは中々デジリバ等でも補償困難で、Drummerと音響技師の両面で秀でてる上機材にも恵まれない限り違和感を払拭出来ない。

その3は繋がりをロクに審査せずの編集で、当時はアナログテープを文字通りホントに随意箇所で切断して繋いでたん。
後期Beatlesみたいに編集を予見して予め繋げ易い編曲・演奏をすれば寛解したが、収録後にプロデューサや技師が勝手に強引に施すと↑になるねん。

コレ専門学校の実習で経験したがそれよりずっと前から既に習得してたんだけど、個人のテープでは再利用時等に不利になるからやらなかった。
ってつまり他人のテープなら平然とバッサリ出来た訳で、場合に依っちゃ人間性や性格を疑われるんだろうけどね。

わ兎も角実習時はなるべく自然な繋がりを命題としてたが、それは主にサウンド面で音楽内容面は従となってたな。
で具体的にどんなのが切り貼りの枷になるかったら、切る寸前の箇所でだけ余韻の長いのが鳴ってたりするケースだ。

無加工であれば次の小節にも余韻は残るのが、突如鳴り止むからおかしくなるん。
別観点ではもうこの時代から音楽家には音響スキルの一部が必要だったとも言え、幾ら演奏だけが上手くても良い録音作品はそれだけじゃ作れなかったん。

ではどれもそんなに不自然さや違和感が目立ったのかってばそうでも無く、低音質にかなり助けられてたとは言え重箱の隅を突く様な真似をしなきゃ容認出来た。
ってか全楽器・全奏者の生音を熟知してる聴者なんて先ず居ないんで、一般的にあの人のはそう云うサウンドと認識してたんだよねえ。

そもそも杜撰大王にしても真のLudwigのサウンドが明確に記憶されたのは、自身で所持して数年経った後でしてん。
何しろ垂涎だが滅多にお目に掛かれなかったし、例え見掛けても昔はおいそれとは試奏なんて申し出られなかったから。

その意味でかつて一趣味者如きと達人プロとの機材差は、今では想像も出来ない位異なってた背景があったんすよ

一概に甲乙付けられるもんでも無いが、何れにしても打込みオンリーでは発生しない案件だ。

今この件で問題となるのは加工済みのに憧れちゃって、それを知らず実演したくなった時だ。
っつう事って次回はアナログテープ録音専売特許的、サウンド変容について綴ってみっべ。

-つづぐ-

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