Mic

2024年12月 8日 (日)

音楽備忘録1940 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑤

過去のアーティストのパフォーマンス程残された記録に実力が現れ難い件、具体例を幾つか掲げてもうちょい掘ってみよう。
前回はその原因の内無茶苦茶なスケジュールとコンディションだけ提示したが、他にも数多の原因のお陰で必ずしもベストパフォーマンスが記録に残せてないケースがあったんだ。

最初に現在迄で最も上手かったのは恐らくBeatlesと敢えて半ば断言しとくが、飽く迄「総合得点」観点で見た場合だ。
只それですら証拠が残ってて判明してる分限定で、内容が素晴らしくてもあまりウケ無かったのなんかには録音機会が少くて確証が持てないのが幾らでもおま。

Recordingにしても予算や人材供給の都合次第で、一体何%本人or本人達のニーズが達成されてたか分かりゃしない。
それ故人気やウケが今一だった人は、例えば本人の作品より誰か有名人のLiveへ飛び入りしたのなんかの方が信憑性があったりもするんじゃないかな。

今だって録音技師等のレベル差は残ってるが、取敢えずデジタルならクリッピングにさえ気を付けとけば事後処理でどうにでもなる。
因みにクリッピングとは過大入力で「音波波形の頂点が頭打ち」する事で、アナログだって歪ませないに越した事は無いがそれだと雑音が目立ったりダイナミックレンジが足りなかったり…。

戻ってそれより機材差が顕著で超高額なのを筆頭に、可搬性・操作に必要な人員等数多の制約があったんだ。
のに対し今だと最小はノートPCとUSBインターフェイスさえありゃ、開幕寸前にポチっとしときゃ技師レスでさえ録れちまう。

加えてLiveやSession時のデフォルト環境もあり、今みたいに全部にMicを構えといてPAを常用してなんか居なかったからねえ。
ので普段よりMicが林立してたり様子の違うのが、パフォーマンス全発揮を阻害してる可能性もあった。

そんな中一般認識ではZEPよりPurpleの方が整った演奏の記録が残ってるが、ブートレッグ等へも耳を向けると少なくとも腕前に大差は無かったのが知れるだろう。
又Hard系の中での最大のウリに両者は少し違いがあって、前者は観客の反応(盛上がり)が後者はインプロビセーションの秀逸さを優先してた様だ。

のでⅡでLive盤発売に際し、前者は演者のパフォーマンスがベストでは無かった可能性が濃厚だ。
のに対しⅡで後者も何時もアドリブが完遂してた訳じゃ無いのに、不出来なのは公式盤として決して出さなかったかんね。

又演奏のテクレベルの差は象徴的なのだと誰にも分かり易いが、それに惑わされて過去の者・物を低く見るのは浅はかだ。
鳴らすのに一苦労・臨んだ表現にするのに一苦労・所望音色を得るのがとってもセンシティブ…等、あらゆる面で今とは段違いの環境下でのパフォーマンスだったんだよ。

現代EffectorでのFuzzサウンドって初心者でも難なく出せるけど、初期のヤツはゲインが不充分だったり足りたと思ったら今度は途端にグジャグジャに潰れちまったり…。
杜撰大王は貧もあってジミヘンの使ってたの自体は未体験だが、電気的には同じ回路の自作模造品でこっ酷い目に遭っただよ。

-続く-

2024年12月 7日 (土)

音楽備忘録1939 楽器音色一般のイメージと実際の違い➍

続いてはDrumsetの内先ずはCymbalについてだが、私的には録るのに悪戦苦闘がずっと継続している。
当初はマイキングにだって問題多々だったが、Micも含め何より貧機材との闘いだった。

厳密には高域だけ拾えりゃ良いってもんじゃないが、そこが必要なだけ拾えん事にゃ話が始まんない。
だがアナログテープ時代は何しろ高域が苦手で、録ると削れてそれを再生すると又削れてだから到底無補償なんかじゃやってけなかった。

そこから編み出されたのが過去述目立つ倍音の死守で、実際には守り切れなんかしないからEQで事前盛りをしてやる事となる。
んが上記2点が解消してもまだ問題があって、それが生耳聴きで最適化された音色や指向特性ざんす。

’70~’80年代の一時期にレコーディング専用と銘打ったモデルもあったが、当時の主流録音システムに合わせた物だから今じゃ大してそうなってくんない。
結局現時点迄で生耳聴きの音色を犠牲にしたのなんか出ておらず、PAを通したり録音を経ると違う音になってまうん。

まあ普段一般庶民にとっちゃそんなに詳しく知れる必要も無いのが救いではあるが、生演奏の盆踊り等の祭・チンドン屋等が生活から遠のいたのは残念だ。
ラッパにしたってそうなんだけどチャルメラを色んなシチュエーションでリアル体験してるかどうかって、基本楽器音色情報案件としてはかなり深刻化してんすよ。

その1は爆音に不慣れだと音色印象は音量次第で左右されるで、同じラッパでも豆腐屋のと屋台ラーメンのじゃだいぶ印象が違った。
昭和生活だと夕刻は干してた洗濯物や布団の取り込みをしてたから、家の開口部の何処かが開いてる場合が多かった。

のに対し夜間帯がメインのチャルメラの方は気密性が低かったにせよ、雨戸迄びっちり閉じられてたかんね。
それに対応させたか私感に過ぎんが、眼前だとチャルメラの方が倍位の音量を出してた覚えがあるねん。

尤も背景雑音が夜間の方が圧倒的に少ないんで定かじゃないが、これ等程度の最大音量なら聴く距離でそんなに音色印象は変わらない。
チンドン屋にしても同様だが、やぐらの上のデカい和太鼓となると俄然話しは違って来る。

適度に離れれば一部を除き全体の音色が把握可能だが、眼前でドォンと演られるとその音圧が一般人耳では飽和して今一釈然としなくなる。
但しローエンドに関しては逆で、物凄い振動としてその圧を嫌でも体感させられる。

でCymbalへ戻るとストリート用小径の以外常人には爆音のばかりなので、一定以上の距離が取れないと音色の素性が理解し辛い。
処が離れれば周囲雑音や残響の影響が大抵加わるから、昔じゃなくても元々正確に把握する機会は少なかったん。

それプラス生楽器は奏者の腕と楽器の質でも大きく左右されるんで、これ等が劣ると本来の音色が得られてないケースがあるん。
そこへデジタル音源なんかが普及してそっちの方が良さげに聴こえりゃ、そちらを基準としてしまうん。

更にはそれ等音源でさえウケ狙いで耳慣れた(完パケに入ってる加工済みの音)方を主に登用するもんだから、差し詰め無理が通れば道理が引っ込む状態に陥ってんすよ。
そうこうする内今度はリアルCymbal自体の音色味付けが変な方向へ行き出して、何が何だか訳が分からなくなってるのが現況なんじゃないかな。

=つづく=

2024年12月 5日 (木)

音楽備忘録1937 ’70年代Rockの浦島太郎➓

前回から発声の件をぼやき出したが、単なる老害発言とは違う証拠として今の方が優れる点を先に指摘しとこう。
音程・リズムに対しての一般平均はかなり良くなり、完全な音痴の人以外は大凡聴くに堪え得る様になった。

’70年代って日本は昭和の真っ只中で、その頃はドラえもんのジャイアンみたいなのは別に珍しくなんかなかったんだ。
最も味って点に限ったら本当はアリだったんだが、耳の肥えてる者以外には歌ってる内容がそんなじゃ皆に良くは分からなかった。

多分その後のカラオケの普及が↑な欠点は殲滅させたんだろうが、一般ピーポーは別に歌が上手くなんかなくても全然構わないのをちょっち忘れてやしないかな。
そりゃ上手に越した事ぁねえが、一般平均より下手だと減点みたいな心理は全くどうかと思うさね。

私的に問題を感じるのは少し位上手でも所詮「素人にしては」で、幾ら音程・リズム等が良くても所謂「歌声」になってないのは食えんですわ。
又カラオケ等のお陰で一般論としては皆がMic慣れしたが、ちゃんと理解した上でそこそこに扱えてる人は寧ろ減ったね。

これはMicの昔より性能・扱い易さの向上も功罪相半ばってなもんで、最近は口を近付け過ぎたからって音割れ(歪み)するのなんて滅多にねえや。
のが1990年頃迄のではそんなのが多数あって、又1980年頃迄は無指向性のもかなり多かった。

↑の影響で安全圏を保ちたきゃあまりMicに近接出来んが、そうなると今比平均での低感度とか無指向性での周囲雑音の混入にも配慮しなきゃなんない。
差し詰めカメラのフィルム時代と今のスマホ主流時代の差みたいな感じで、一般人にとっちゃMicは常に助力になる様な存在じゃなかったん。

尤もMicの原理・基本構造は今でも何等変わって無く、フル活用したきゃ必須スキルにも差は全然無いんだけどね。
だが「一応使えりゃ良い」素人となると、知識・慣れの他かなりハードルが段違いだったんだ。

で発声・唱法がそのままだったらMic関連の進化は、涙がちょちょ切れる程有難かったんだがね。
中々どうして世間一般は開発者の思惑通りには行かんもんで、Mic関連が良くなった分歌う方を手抜きしてレベル低下を引き起こしちまった。

尤もⅡで自ら人前で歌いたがったりしないならそれでも良いんだけど、末端でも歌手の端くれを自認する奴がそんなじゃアカンがな。
これが前回述の理由でそれじゃあ勝手に聴かせたいのに、聴者に負担を強いてるやおまへんか。

んなじゃ音程・リズムでは良くなってても、それって無自覚な内にニュータイプのジャイアン登場ってなもんだぞ。
確かに気持ち悪い音を垂れ流すよりゃマシだろうけど、もし強制的に聞き耳を立てさせ様としてたらそれだって罪ですぜ。

近年はメジャーPops系のLiveへ一般人は二の足を踏み、ヲタだけが執拗に足を運ぶなんてのはこのせいもあるんじゃないかな。
過去みたいな万人ウケヒットが出難くなってるのは何もネタ切れとかばっかじゃなく、こんなのも一因だとしたら実にアホらしい自殺行為でんがな。

=つづく=

2024年12月 1日 (日)

音楽備忘録1933 ’70年代Rockの浦島太郎➒

杜撰大王は現時点迄ではカルチャーにとっちゃ栄光の’70年代と思ってっけど、その後で一番悪い方へ変わっちまったのの1つに歌唱力がある。
と溢せば皆上手くなったのにと多分異論噴出だろうが、上辺のテクじゃなく基礎力の方が酷く劣化したんすよ。

今劣化本邦って宗教に寛容な代わり無関心だが、一面でこれが悪影響してんのかな。
個人の主義はどうでも自由だが、国にちゃんとした宗教があるとさ。

式典とかで皆賛美歌とか歌うニーズがあり、その際大抵は体裁気にして他人に聴こえない様小声なんかで歌うと大目玉を喰らう。
「誰もが互いに聴こえる様に歌う」事自体が賛美だったりし、音程感やリズムの良し悪しは賛美には直接は関係ねんですよ。

今劣化本邦でだって元旦とかなら、誰でもお互い最低あけおめ程度は言い合うべ。
何等かの理由で恥ずかしがったりはあるだろうけど兎に角「反応する」のが重要で、はっきりしなかったら折角勇気を出して挨拶したのにシカトされたみたいな状況になるやんか。

要するに歌うって行為には意思表示≒コミュニケーションの役割もあって、極論すりゃメガホンで全員に伝わる様に指示出すのなんかに近い要素も内包しとん。
でこれを実践するのには歌としての発声が必須で、しゃべり声との最大差は声が「遠鳴り」してくれる事。

殆どの場合声量(音量)や音域も違って来るのは当然だが、実はそれより声色や指向特性の影響の方が断然大きいんすよ。
歌唱発声の基本には例外時以外先ず軟口蓋(喉の入り口部)を持ち上げ、次に口自体を大き目に開けるのが鉄則となっている。

これをすると一般会話時より声帯から口の出口迄の経路での干渉が低減するんで、 音声の指向軸から外れても明瞭度が落ち難くなる等色々な違いがあるねん。
これは歌に限らず大勢を相手に話す際にも有用で眼前の数名には唾ぺっぺな上喧しいが、両端や奥の者には何言ってるか分からんなんてのを最小化出来んの。

って事はご想像の通り普段からOperaみたいな発声しか出来ん奴は、内緒話しに不向きですぐ周りに洩れてバレたりしてるっしょ。
要するに全然歌手なんかじゃなくても状況に応じ発声を最適化させるニーズって、殆どどんな人にも本来は必須スキルなんすよ。

なのにあべこべになってんのが普段は体裁やら何やら気にして声量を抑えてるのに、徒党を組んで大興奮したり泥酔した時だけ羞恥心が吹っ飛んで絶叫する様な奴等。
昨今は大きい歌声(日本以外では至って普通扱い)に慣れてない人に配慮したりとか、個人でのストレス発散のニーズは確かにあるけどさ。

悪い意味で習慣化定着してっと、自身のLive歌唱ですら俺言い「しゃべり声」になって聴き辛いったらありゃしない。
上述した如く声量に関しちゃ今はネ申PAのお陰で何とかなっても、声色や発音が他人に聴いて貰う向けにちっともなってねんですよ。

唯でさえ歌詞主軸の潮流に勝手に乗ってるってのに、それを聴き取る徒労が聴衆依存って一体何様なのってな。
恐らくその大多数は傲慢では無く見落としの結果なんだろうけど、折角の内容が伝わり難いのはどっちのせいだろうと誰にも損だ。

=つづく=

2024年11月29日 (金)

音楽備忘録1931 楽器音色一般のイメージと実際の違い➋

ほいじゃま先ずは最もポピュラーであろうピアノの音色から始めるが、今劣化本邦庶民が思ってるのは恐らくデジタルPianoの方なんじゃないかな。
確かにPA経由後や完パケメディアのとはそっちが近いが、それ現物のとはちょいと違っとん。

実は杜撰大王も縁あって宅にGrandが入る迄はそう感じてて、かつて直に触れた殆どは普及品のアップライトだから少し籠ってたんだとばかりずっと思ってたのよ。
で実際宅で色んなシチュエーションで触れてみたら(試し録り含む)、確かに煌びやかさはあったけどデジピその他のみたいな恣意的なのじゃなかったん。

具体的には次回以降取上げるPaiste cymbalと近似で、Mic2本程度じゃその豊富で際限が無い感じの倍音は全然拾い切れて無いんだ。
因みにハイスペックコンデンサを用いてもで、基本的に正当な生楽器は人耳で直に聴いた際最良になる様に設計されてるかんね。

超高性能バイノーラルで拾えば少しは改善しそうだが、リアルの人間って平気で頭とか動かすやんか。
のでそもそも固定位置で拾ってるのに限界があるらしく、かと言って録ってる最中に移動させたら変な感じになるからアウトでんがな。

リアル耳で聴いてて↑の任意移動が不問になるのは自身に「動いた意識」なりがあるからで、その時だけ聴こえた倍音も楽器からずっと出てるなんて認識しちゃうんだ。
いや実際そうなってる方が多いんだが、持続的には耳に届いてなくても「届いた時の音色」の方を印象としてきっと記憶に残してんのよ。

まっ要するに未だに純生で一定以上の奏者が奏でないと、本当の楽器の音色は聴けてねんですよ。
過去には機器音質ももっと低かったからジャンルニーズ等に合わせて音色も取捨選択してたんだけど、近年は明瞭度忖度で大体一辺倒になっちまいやがった。

と同時にClassic系奏者ですらBrightなのを好んでそう出る様に弾いてるが、極論すりゃそんなのSyntheでMozartを弾いてるのと同じよ。
俺知りでは知り合いでかつて弱視だった女性唯1人がそうしてないが、視覚より聴力依存度が高まっててきっとそんなじゃ変とって思ってたんだろうね。

それ故デジピを使ってさえ今迄他で聴いた事が無いマイルドな音色を醸し出してて、それが音色選択とかじゃなく神懸り的な繊細な弾き加減だけでやってたんだ。
それから記憶イメージでは明瞭な録音・演奏のBilly Joelを改めて再聴してみたっけ、出るべき処は確かにBrightだったけど不要な箇所では思いの外丸っこい音になってたんすよ。

Rockですらそんななんだから現行の潮流は、特にClassic系でそんなのは全く異常としか言えねんですわ。
木と金属で構成されてるのは弦楽器と一緒だが、ハンマーが本来は木で表面がフェルトなのが他のと違う。

弦のBrightさだけでは↑で作られた音の成分が欠けてて、近代On Mic収音のでは目立たぬがマトモなのなら入って無い訳じゃ無いんだよ。
これへ杜撰流屁理屈で捏ねればアコギの弦を指の腹で叩けばメカニズム的にはほぼ同等だが、多少は似せられたって実際そんな音を出すのは至難じゃないすか。

=つづく=

2024年11月11日 (月)

音楽備忘録1913 ’70年代Rockの浦島太郎➍

取敢えず今演れればOKな人に実体験迄しろとは言わぬが、そんななるべく簡単に楽に演りたい人にこそ最低限の知識は必須なのだ。
平均より楽をするには経験則由来のプチ知恵だけはケチれず、とは言え全部実体験するのと比べたら桁違いに省エネずら。

で過去述の如く本来なら初心者時代に最低限の実体験を得られるべきなんだが、教育面で今劣化本邦ではこんな趣味性の高いの迄その環境は最低に近い。
現況子供達の職業体験はキッザニア等で可能ではあるが、本格的なのは良いも入場料がとてもじゃないが対象年齢の子供の小遣いで気楽に賄えたもんじゃない。

ここで1つ大きな疑問なのが子供への責任問題で、巷ではやたらと何でも「自己責任」等と騒いでる癖に相手が子供の商売となると怪獣親を恐れてか急に正反対になる処。
確かに親主導のだったらそれで構わんが、そんなに縛りだらけじゃ子供自身が気紛れでプチチャレンジなんか出来ゃしねえっての。

それと近似であらゆるものが極端な2極化傾向にあり、大雑把で良いからほんの一寸だけ知りたい等の受け皿が無くなっちまいやがった。
一部の社会管理者的存在の奴等はネットで見られるからと思ってるか知らんが、それ等では何処迄行ってもバーチャルの弱点を完全払拭は出来ねんですよ。

Band関係初心者の中心世代は↑よりもう少し上だろうが、かつて或は過半の諸外国と比べるとやはり芳しいもんじゃない。
こういうのが「夢の無い時代」の一端で、その根底には大人に余裕が足りないのが原因じゃないかな。

時代も何も確かに昔とは異なるけど図々しい杜撰大王のみならず、昭和世代は楽器の知識は楽器屋等でPAの知識は主にPA屋等が拠り所だったんだ。
これは専門学校体験ともリンクしてて原理は学校の方が教えてくれたけど、電子回路や電子部品等の具体的な内容はほぼ現場でしか得られなかった。

今はどんな状況に変化したか大体そのままか知らんが、技術系の進歩の早い分野では一昨年迄現場に居た講師でももうアカン。
極論すれば↑は過去の人そのものでしかなく、逆に日々の体験量が僅かでも俺みたいに現場に辛うじてかすってる奴とは何処か何かで違うんだ。

現時点でウチでは前例がまだ無いが、超暇なスタジオのオッサン(俺😢)の愚痴を訊かされるだけでもその中に「現在のコツ」が含まれたりするかんね。
自動車好きの子が近所の修理工場へ大工好きの子が近所の家族経営の工務店へ入り浸る等する内、実情を知って続けるか方向転換するか決まったりしてたんよ。

私的にもっとそうだったのが鉄道会社の比較的「暇な職場」で、今みたく体験イベントなんて無かった代わり坊はそんなに好きならもう少し大きくなったら手始めに駅のバイトでもしてみっか?…なんて具合にね。
そう云うのが運命の出逢いとか、導きってもんなんじゃないのかなぁ。

-続く-

2024年9月 1日 (日)

音楽備忘録1842 打倒閉塞感➐

サヴキーワードは温故知新でお送りしてるがその訳は、酷く単純に身近で簡単に聴ける音だけじゃ不足を感じてるならだからだ。
マクロ聴点に立ちゃどんどん新しいのが生まれてるが、音楽やサウンドの進歩はITとかと違って恐ろしくスローモーなもんなのだ。

誰も作らず誰も奏でずとも何処かから温泉みたいに勝手に新音が湧いてくれたら良かったが、誰かが作れる様になったり奏でられる様になってからじゃないと聴けないからねえ。
只その代わり温泉みたいに源泉が知らん間に枯渇するなんてのは無く、特に録音して残せる様になってからのは半永久寿命なんだ。

今日は視点を変えて人間側の先ずは肉体事情を考察してみるが、要するに昔と今の人の耳の進化具合だ。
ハッキリ言ってあっても計測不能な位の進化で、地球環境の劣化具合からしたら退化してる可能性の方が高い位だ。

実際先日メタラー様専用で高域を強調したヘッドホンが新登場なんてのを目にしちまったが、こりゃもう明らかに軽度の難聴になってしまった人向けのブラックな商品だわ。
まあこれで確実なのはせいぜい傾向位なんで推測に過ぎないが、もしかしたら昔の人の平均の方が可聴帯域が広かった可能性が考えられる。(但し罹患率の高さや健康体の維持期間の短さは除く)

オーディオについては長らく人耳に性能が追い付いて無かったからあれだけど、楽器に関しては現行標準品よりワイドレンジだった自説が濃厚なんざます。
もう少し詳述すると必ずしも出せる範囲が広いってんじゃなく、もし出てたら今のより隅々迄気を配られてた可能性があるんだ。

ほいで面白いのはワイドレンジだが基幹にならない箇所は、今のよりかなり控え目になってるのが殆どでね。
杜撰君が体感したのはDrumだとLudwigの3Ply Reinforcement以前の過去仕様ので、テキトーに聴いてるとナローなのがいざ録ってみたら超絶ワイドだったってヤツでさ。

それがより具体化したのが過去述100年Snareで、こっちは深胴でもないのにそれ迄に聴いた事の無い音の太さに圧倒されただよ。
例えるなら生なのにEQやコンプ等でフル加工済みってな感じで、今もそんなのが主流だったら録音で加工したい人が劇的に少なかったに違いねえってね。

最初従兄の親切若しくは悪戯でノーインフォで、突如叩かされたんで1㎜も期待なんかしてなかったんだ。
何せ木胴でも深胴でも無かったし、見た目も割かし平凡だったしさ。

その上状態も「普通の中古」にしか見えなかったのに、少なくともここ数十年の俺には正に劇的な出来事だったさね。
この体験をする迄はペダルの俺言い「Speedkingショック」の方が上だったけど、訊いた値段や経年も含めて青天の霹靂どした。

とは言えこんなのは一生に一度あるかのレアケースだと思うが、先に強く全否定なんかして身に沁みついてたら短時間の体験じゃ分からんかったかも知れん。
取り立てて期待してないのと高を括るでは、こういう処で違ってるのねと改めて思い知らされた次第で御座居。

-つづく-

2024年8月31日 (土)

音楽備忘録1841 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓮

何でもやり過ぎなのを指摘するのがクドい杜撰大王とは皮肉でしかないが、未だに俺言い「これで足りてるか不安症候群」は自身も完全寛解には程遠い。
だからこんな老害でも気持ちだけは誰より知ってる自負があって、しかしどうやら主に2つの原因があるらしい。

その1は古い世代だとリアル人力音源の音が基準になってるせいで、Line録り以降デジタル音源も含め音の存在感に脆弱性を感じる処から始まっている。
旧来の録音ではほぼ必ずMicを使用してたんで、どんなにOnセッティングにしようと背景雑音を完全に無くす事は出来なかった。

その頃は他の録音関連機器も低性能だったから、もっと欲しい音だけクッキリ録れんもんかと何時も思ってた。
のがいざ可能になってみればクリアになったは良いが、どうもアッサリし過ぎてて何か物足りなく感じられたんよ。

のは意識外にあっても空間の残響音等も含めたのを「○○のサウンド」と認識してるからで、それは今でも楽器に疎い人だと姿で視認出来ないと何の音だか分からない時も少なくないだしょ。
私感では1980年頃がこの新懸案の発生境界で、レジェンドの模倣をしようにも金満プロじゃないと例えばデジリバを使えなかったのも一因してんのよ。

Line録りでもトランス入りダイレクトボックス等が同様で、昔からのスタンダードなAmpでは最低1回はトランスを経由してからの音だかんね。
確かに純音響的には省けた方が何かと有利なんだけど、あまりに経路が異なると楽器の音色形成を構成してる要素迄道連れでレスになるだよ。

かと言って何でもノイズ迄拾っといたんじゃ曇って濁ってでアカンしで、実は背景音の最適含有量は物凄くシビアで微妙なバランスを要求されるもんだったんだ。
録り場所が自由に選べない+あってもポンコツなデジリバで、尚且つ大抵は当然Mixで匠の技も持ってねえと来りゃそりゃあんまり上手く行く訳ゃねえっての。

ので却ってローテクで旧式な録音方法にした方がまだマシになる確率が高いんだが、自分達だけ望んでもないのに古臭い音じゃ
やだもんねえ。
ほいでアイテムやツールは兎に角揃えてみるんだが、昭和のサラリーマン父ちゃんの無駄に多いゴルフ用品みたいな事に。

母ちゃんにはほぼ例外なく叱られるが、それでも趣味だったら家庭内案件で収まるからまだ良いんだ。
素人相手でこれといった実績の無い録音屋がお客にアピールするには、一通り揃ってる方が安心感はあるでしょ。

けど同傾向になれば「高級な素人」は凌駕出来ても、「低級なプロ」にすらなれなくなるコースなんすよ。
一応頭じゃ分かっててもお客に来て貰わん事には商売が成り立たないからか、段々このウイルスみたいな奴が高級なプロの方まで感染してっちゃったのかな。

要するに木乃伊取りが木乃伊になるみたいなもんで、段々無垢な素人の時の感性を忘れてっちゃうんだ。
更に良くないのがそんな連中普段は仕事上で、ホントのズブの素人とは接点がねえべ。

そうしてる内にトウシロウは余計な口出すんじゃねえとなって、自分達の方がイカレてるのがもう分かんなくなる。
でその傾向が今劣化本邦でだけ強く出るのも、赤信号皆で渡れば怖くないなんて言葉が出る国だからなぁ。

=つづく=

2024年8月 6日 (火)

音楽備忘録1817 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➑

さて次なる新仮設はかなりハイリスクだが、今劣化本邦のJ-POPヘヴィーリスナーも大半は難聴なんじゃないかだ。
わ言い過ぎにしても本人無自覚の、何等かの劣化に見舞われてる疑いがとっても濃厚なのだ。

今の普及価格帯主流は音源も再生機器も基本は極小音量に主眼を置いてる様だが、もし音源に充分な事前補正が為されてるならその直後以降はもう不要なんすよ。
人耳の非リニアな周波数特性(音量次第で特性が変わる)の分を、最初の段階で補正してある訳だからね。

ので録る前になるMicで高域忖度してるのはまだ理解出来、今の流行りの音にするのにEQが不要かその負担を軽減させられるからさ。
けれどイヤモニやスピーカ等では既に「処理済み」なんだから、昔のと違ってもう無理にドンシャリになんかしとかなくても平気になったんだ。

にも拘わらずどいつもこいつも高域忖度する理由として、極小音量補正が施されてない昔の音源を聴く際はっつうのが考えられる。
だがそう云う事情で音の出口での補正が欠かせないってんなら、別に音源の方に施しとく必要は無いんだ。

一面で音楽制作と音響制作が夫々勝手に自己ナルシスを発動してるとも伺え、それじゃあグループ会社内で両方やってる意味が全く無くなっちまう。
各部門には各々の言い分はあろうが、音源と機器の両方共買ってくれた人程損させるのはどうにもイカレとるがね。

と誰も得しないのにスルー出来るとしたら、関係する人の過半数が既に耳に何らかの劣化・損傷を受けてるとしか考えられないんだよ。
こんなのを大胆に提唱出来るのは俺が老害だからこそで、但し単に好みに合わんから文句を付けてんじゃおまへんのや。

こごての老害とは正常・健康でも、加齢に依る逃れられない耳の性能低下があるからだ。
同世代の中では可聴高域限界の劣化は16kHzと現況少ない方だが、所謂モスキート音は全く聴こえなくなって久しい。

その上誰よりも爆音慣れしたこの耳で、今劣化本邦のJ-POPはどうにも喧しくて過刺激だと感じてるんだからな。
って事ぁ健康な耳の持ち主で俺より若きゃもっと煩く感じてる筈で、そうなってないのは耳自体が逝っちゃってる証拠でんがな。

では何故皆気付かない・気付けないのかったら、普段の日常に比較対象が存在せんからだ。
幼少時からずっと新旧交えて耳にしてれば、そうはならずに済むんだけどね。

因みにここでの新旧とは事前補正の少ない音源及び
、事前補正レスの生演奏ざます。
後者は近代のスピーカを使うともう補正が入るんで、主にPAや電気・電子楽器不使用の限定条件付きとなる。

故に厳密には近代のオーディオ機器で聴くとその補正が含まれ相応しくないが、だからこそせめて音源では補正レス時代のじゃないとね。
処が既に耳が劣化してたらそんなのの方が籠ってて変に聴こえて、タイミングを逸するともう聴き比べの効能さえ喪失しちゃうんだよ。

=つづく=

2024年7月10日 (水)

音楽備忘録1790 杜撰流不景気対策⓮

従兄だけ何時も生贄になって貰うのも流石に気が引けて来たんで、1回間が空いたが杜撰大王のこの方面での失敗も晒とこう。
珍しく躊躇してたのは種類があらゆる分野に及んでるのと、それでいて時期的には若かりし頃程集中してたからなんだ。

今ようやっと思い出したのが齢15での「最初のエレキBass」で、体格と趣味性からヴァイオリンBassの最安の真っ赤な偽物をそそくさと買っちまった。
このタイプは元々小型のセミアコなのでAmpのアシスト不足だと低音が足りなくなるが、それにしてもどうにもBassらしい音が出せなかったねえ。

購入から半年位でBass Boosterを追加購入してみたんだが、ローエンドは元が全然出てないから少し肥満化しただけでオワコンですわ。
結局2年と持たず学友に転売して、高校時代迄の失敗購入は全数そんな方法で処分しただよ。

無知で未体験な処からしたら必ずしも失敗認定は出来ないんだけど、音楽的に成長したら玩具としてでも練習用としてでも全く役立たなくなったのが従兄より致命的だったん。
セミアコってばエレキGuitarの方でも同じ失敗をしちゃってて、こっちはネックとボディのジョイント位置でアカンくなった。

当該器はGretsch Country Gentleman、のGrecoのコピーモデルで出来栄えは結構良かったんだ。
がなまじ忠実にコピーされてたのが災いして、一般的な335タイプみたいなハイポジションアクセスが不能だったのよ。

ボディがセミアコにしちゃ厚い上、流石に15フレットで結合となりゃこれぞホンマの「手が回らん」でんがな。
俺がJazz系なら良かったが、一番やりたいのがRockでそれじゃどうにも無理でやんした。

因みに最初からジャンルは厭わない主義だったけど、それだからこそ応用・転用の利かない楽器は自分には不向きだったんだな。
Beatlesに強烈に感化されてたにしても、もう少し汎用性を考えられてたらどうなってたのかな。

実際Bass弐号機の偽リッケンは今でこそモノホン借用中だからずっとほったらかしてるが、未だに手放しては居ない。
その後偽Gretschと偽リッケン等の後、幸運にもヘッド折れ修理品だがGibson SGを格安で入手出来たのが色んな懸案での転機なったみたい。

新らしい方でVan Halen自作のゼブラ君位の迄のは、本物と偽物で一番の違いは私体験では「守備範囲」。
音質・音色・各種奏法対応力等々、限界はあるにしても実用領域が大部違ったんだ。

逆に偽物でも概述偽リッケンみたいにローエンドでも出来の良いのだと、価格程の差は無いのもあった。
それからするともし偽物で凌ぐなら本物入手の時点で第1の楽器は人生が終るんで、代用品はなるべく安く上げとくのが資金貯蓄にも繋がって良い。

好景気だったら失敗も勉強代とか呑気に言ってられるかも知れんが、やはり無駄な投資をなるべく少なくするのが倹約の鉄則ですわ。
強いて例外があるとすりゃ貰い物だが、それとてメンテ費用はゼロにはならないかんね。

=おわり=

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