音楽備忘録1940 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑤
過去のアーティストのパフォーマンス程残された記録に実力が現れ難い件、具体例を幾つか掲げてもうちょい掘ってみよう。
前回はその原因の内無茶苦茶なスケジュールとコンディションだけ提示したが、他にも数多の原因のお陰で必ずしもベストパフォーマンスが記録に残せてないケースがあったんだ。
最初に現在迄で最も上手かったのは恐らくBeatlesと敢えて半ば断言しとくが、飽く迄「総合得点」観点で見た場合だ。
只それですら証拠が残ってて判明してる分限定で、内容が素晴らしくてもあまりウケ無かったのなんかには録音機会が少くて確証が持てないのが幾らでもおま。
Recordingにしても予算や人材供給の都合次第で、一体何%本人or本人達のニーズが達成されてたか分かりゃしない。
それ故人気やウケが今一だった人は、例えば本人の作品より誰か有名人のLiveへ飛び入りしたのなんかの方が信憑性があったりもするんじゃないかな。
今だって録音技師等のレベル差は残ってるが、取敢えずデジタルならクリッピングにさえ気を付けとけば事後処理でどうにでもなる。
因みにクリッピングとは過大入力で「音波波形の頂点が頭打ち」する事で、アナログだって歪ませないに越した事は無いがそれだと雑音が目立ったりダイナミックレンジが足りなかったり…。
戻ってそれより機材差が顕著で超高額なのを筆頭に、可搬性・操作に必要な人員等数多の制約があったんだ。
のに対し今だと最小はノートPCとUSBインターフェイスさえありゃ、開幕寸前にポチっとしときゃ技師レスでさえ録れちまう。
加えてLiveやSession時のデフォルト環境もあり、今みたいに全部にMicを構えといてPAを常用してなんか居なかったからねえ。
ので普段よりMicが林立してたり様子の違うのが、パフォーマンス全発揮を阻害してる可能性もあった。
そんな中一般認識ではZEPよりPurpleの方が整った演奏の記録が残ってるが、ブートレッグ等へも耳を向けると少なくとも腕前に大差は無かったのが知れるだろう。
又Hard系の中での最大のウリに両者は少し違いがあって、前者は観客の反応(盛上がり)が後者はインプロビセーションの秀逸さを優先してた様だ。
のでⅡでLive盤発売に際し、前者は演者のパフォーマンスがベストでは無かった可能性が濃厚だ。
のに対しⅡで後者も何時もアドリブが完遂してた訳じゃ無いのに、不出来なのは公式盤として決して出さなかったかんね。
又演奏のテクレベルの差は象徴的なのだと誰にも分かり易いが、それに惑わされて過去の者・物を低く見るのは浅はかだ。
鳴らすのに一苦労・臨んだ表現にするのに一苦労・所望音色を得るのがとってもセンシティブ…等、あらゆる面で今とは段違いの環境下でのパフォーマンスだったんだよ。
現代EffectorでのFuzzサウンドって初心者でも難なく出せるけど、初期のヤツはゲインが不充分だったり足りたと思ったら今度は途端にグジャグジャに潰れちまったり…。
杜撰大王は貧もあってジミヘンの使ってたの自体は未体験だが、電気的には同じ回路の自作模造品でこっ酷い目に遭っただよ。
-続く-
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