録音

2024年9月 9日 (月)

音楽備忘録1850 打倒閉塞感➒

さて前回のは不要に深刻になって思考停止に陥ったりするのを避ける為だが、凡人が常に冷静さを保つのは中々に厳しいものがある。
音楽でも経験値が高まれば本番時の緊張等には対応可になって来るが、その分お客さん不在時の色々は却って訓練が遅れちまう様なんだ。

又ピンチに怒ったり不機嫌になるのは周囲に誰か居たら難儀だが、それを表に出さないとか出せない性分の人の方が事態は深刻になり勝ちだ。
何時だってよく考えるのは大事だが、脳内で行き詰ったら俺言い「脳外」に活路を見出すしかない。

処が試行錯誤をするにも何等のアイデアや意欲が必要で、頭が飽和してると手も止まりがちになってまう。
その打開策の1つとして「遊び」若しくはそんなマインドが好適で、決して最初からは成果を求めない処に鍵があるんだ。

普段は良い事尽くめの真面目思考も、時に軽薄さに屈する場合がこんな時。
目的に対して大抵は遊びは余計だが、あんまり石頭で徹底徹尾排除してると息詰りを招いたりするのさ。

かと言って心持ちが散漫になり過ぎたら非効率になるから、中々加減するのは難しいんだけどね。
そこで再考の余地の出て来るのが「真面目の内容」で、軽薄とか表面上の不真面目を先に否定しちまうとね。

実際他人からどう思われるか等も何かと気になるもんだが、ある程度の外野の初期誤解はスルーすべきなんだよ。
それが真の意味での目的へ一直線ってなもんで、嫌みになったらスマンがサラリーマン社会の一般認識とは大いに異なる点なんだ。

現行今劣化本邦の教育基本方針が↑なんで、亜流だろうと頑なに嫌って様と大抵ほぼ誰もが思考的には影響を受けちゃってんだ。
ので闇雲に何でも反体制だなんてのだったら取敢えずは回避出来るが、全共闘でもあるまいし今時そんなのは流行ってないからねえ。

つまり一面で真面目とか勉強熱心な人程↑の弊害も重く、東大生程壺に騙され易い傾向があったなんてのも既成の理屈で考えちゃうからだ。
そんな時独立性・一部客観性のあるのが感性や野生で、最初は違和感の有無に着目する。

勿論理論的裏付けの無いのが多いからハズレになる方が多いが、さりとて狭義の理論だけで思考する方が失敗時のリスクは全然大きいんすよ。
ってのも狭義の枠外に矛盾点があったら、考え方を変えない限りそこに到達出来ないでしょ。

別の言い方をすりゃ最初からスマートに行こうとし過ぎるのの弱点で、それは既存のマニュアルへの過依存にも通じるものがあるねん。
誰かの後追いしかしてない内なら既に充分なマニュアルも存在してる可能性が高いが、僅かでも前人未到の箇所があったらそこに限れば自身が成功してからじゃないとそもそもマニュアルなんて作れないじゃん。

結局は外面の真面目さと内面のそれは別物で、評価を急ぐのも又よろしくないんだ。
壺に従って滅亡するか多大なリスクがあっても正義を貫くか、なんつうと如何にも大袈裟だがこんなのでもその影響はしっかりあるんざます。

=つづく=

2024年9月 8日 (日)

音楽備忘録1849 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓰

不安症候群その3は、実体不肖なヘボマニュアルの盲信ざんす。
前回の言わば欲張り過ぎての失敗も、なるべく早期に素直にそれを認めないとド壺に嵌るがね。

↑とは比較にならん程情けないのが、初心者でもないのに全貌が明らかになってない慣習やマニュアルみたいなのに盲従してる処。
これが更に不味いのは殆ど新規の勉強にならず、自身で失敗を含む新体験の積算をしなくなるからなんだ。

幾らマニュアル高依存が流行ってるにしても、信頼性が充分確立したマニュアルが無きゃ御破算でごわす。
本来この場合個別のマニュアル制作からやらなきゃ駄目で、しかしそれに翻弄されたら現場仕事はどうしたって疎かになる。(几帳面な技師だと逐一メモ書きで残したり程度はあるが、それを系統立てて纏めるとなると…)

けどそれ位心血を注いで取組まないと、汎用なの(なるべく多くのケースでどれか当て嵌まる)なんて到底作れないよ。
そもそも音響技師ひいてはその中の録音技師人口の少なさを先ず事前了承すべきで、スポーツみたいな明快な結果とか記録データが音楽じゃ得られないのもね。

そう云う意味で機材こそ既製品があっても、実用上の加減等に関してはバラバラの部品がやっと売られてる程度のものと考えて頂きたいん。
差し詰め自製の手作りしか無い分野だったも同然で、仮にマトモなマニュアルがあっても助けになるのは個性以前の段階迄なんだ。

にも拘らず勘違い野郎を噴出させたのは、外野から眺めた打込みの簡便さなんじゃないかな。
真の打込みの意義って楽器は演れないが音楽センスなら持ってる人が、脳内イメージを例え擬似でも実音化可能になった事なんだ。

ちゃんとやろうとしたら弾けないのに各楽器固有の音域に始まって、得失とか色々を学ばなきゃなんない。
それもリアル楽器に触れても良く分からないんで(だって弾けないんだから
)、文献その他からのとっても地味で地道な努力を延々と。

それだと又隣のガキが下手クソな○○を演り出しやがったみたいにならないから、実際はどれ位努力をしてるのか他人にはとても分かり難いんだ。
そりゃ今みたいに猫も杓子もとなりゃ、無知なまま滅茶苦茶にやって自分が気に入ったからOKなんてアホも居るがね。

けどそれって非打込みでも中二病の自己満Bandとか、昔は特に凄く一杯居たんだよね。
強いて打込みとリアルでの本件の差ったら、丸パクリしてもそれが判然としない処かな。

ネタ元と同一音源・シーケンス・フレーズになると、誰がやろうと寸分違わぬ音しか出て来ない。
だったら即バレだろ…って必ずしもそうとは限らず、1からの自作でも偶然一致する可能性が
あるからね。

同じ値段で買ったウチの初音ミクだけ何かブス、なんてなったら最悪は訴訟もんだで。
って事ぁもし細かい部分でも歌詞とメロがたまたま同じだったらそこだけは全部同じに…、となるから引用と丸パクリの区別に鈍感なのが増えたか知らんが。

閑話休題大まかな目安こそ目的毎に存在するが、意図でもせん限りずっと同じ設定・調整で中々「同じに聴こえる音」になんかなってくれないんだ。
結局極力フラットな気持ちと耳で聴いて、調整しなきゃなんない部分は無くせないんだよ。

=つづく=

2024年9月 7日 (土)

音楽備忘録1848 映画・TV等への専門家が作った音楽⑤

前回述の如くそのものズバリのムードの為には、僅かに異なってもアウトな場合がある。
とは言えRock系や特にPops系では軽視されるのも少なくないが、諸事情や制約がキツくても妥協なんかするから音での訴求力を低下させてんだよ。

その意味で歌詞に頼れないインストにも耳をもっと傾けて欲しいが、今回は国内過去モノで未提示のを行かせて貰いま。
杜撰大王がこれに際し一番訴えたいのが「和風」の解釈とか、理解・表現の仕方ざんす。

駄目と迄は言わんが千本桜とか、近年のは悪い意味で想像上のファンタジーに寄せ過ぎてるんだ。
取敢えず和楽器を導入すればとか歌詞に古典的言い回しを用いればとか、過去名作と比べると随分安易で薄っぺらにしか聴こえねんだこれが。

何故又執拗に抵抗するのかってば、TV時代劇で大川橋蔵主演時代の銭形平次のなんかを聴いてたからだ。
クソガキ当時リアルタイム体験してた時ゃ所詮は年寄り向けとしか思ってなかったが、その割に結構ノセられちゃってたのも事実でね。

江戸文化や侍テイストを浴びつつも単なる古事ってよりゃ、ストーリー自体には現在進行形を感じさせる要素が「音や曲」にもふんだんに入れられてたんすよ。
何と言うか今のを干物とすればかつてのは刺身といった体で、曲・編曲共々もっと勇猛な攻めの姿勢が結構利いてたんだ。

具体的には非和楽器の扱いにこそ洋モノとの明確な差別化がなされてて、同じGuitar BandでもCountry・Rock・Metalでは夫々かなり異質になってるみたいなもんすわ。
それ故Big BandのもStringsやHornからエレキ系迄、和楽器以外は他のTVや映画のと編成はほぼ同じままなんだ。

ついこないだ迄全然調べないからあの舟木一夫が歌ってたのさえ知らない始末で、強いて言い訳すれば彼の代表曲高校三年生とは随分雰囲気が違ったからってのはあったけどさ。
要するに全ての面で「音楽の内容自体がそうしてあった」からああ聴こえてた訳で、この辺は冗談でも自分のジャンル以外はあまり演らなくなった弊害が大きいかもね。

要するに俺の過去の受け止め方は誤解してて、「若者向けの和」の要素もちゃんと入ってたんだな。
私事になるが杜撰君が和テイストを良く思えないひとつに、能動的・躍動的な和モノがとっても見つけ難いのもあって。

今旬の大谷翔平の二刀流ってそもそも元祖は宮本武蔵で、って事ぁ存命時の彼の世間イメージは今の大谷君みたいだったんじゃないのかな。
なので近年の劣化NHKの大河ドラマみたいのより、下手すりゃブルース・リーみたいなカンフー映画の音楽の方が本当はまだ合ってるかも知れねんだよ。

そう云や犬あっち行けぃの不始末ってば、その最初は人形劇の新八犬伝辺りが疑わしいぞ。
確かそこそこバトルシーンもあったのに、テーマ音楽は何とも舞台演芸一色だったのは今考えるとおかしかった。

ほんでRockにとってそんなじゃ不都合なのが、他の普通の曲の間にラインナップするのが厳しい点。
今主流の和テイストのって特化させてれば演れるけど、一般RockやPopsとは世界観が隔絶してて一緒には演れねんだよ。

-続く-

2024年9月 4日 (水)

音楽備忘録1845 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓯

俺言い「これで足りてるか不安症候群」その2は、サウンドに対する「悪慣れ」でやんす。
杜撰君の場合はこっちが主犯で苦闘が続いてて、もしかしたら感覚をその都度上手くリセット出来てないのがいけないのかもね。

美人も3日で飽きる…だったっけの如く、慣れは必要不可欠だが副作用も付いて回るん。
その典型が「もっと○○を」で、ファーストインプレッションでは良かったのが段々物足りなくなって来るヤツだ。

そしてそんな迷宮に誤進入し易くなるのがパート単体でばかりサウンド調整するのと、アンサンブル単位でやってはいるが周囲の誰にも負けるもんかみたいな下心が強く出た時。
だが最多層は↑を交互に続けて拗らせた場合みたいで、独奏なら未だしも音楽のサウンドには絶対的に「独り勝ち」が存在し得ないのを何時しか失念してるんだ。

音量や圧縮比(エンジンじゃあるまいしまさか音楽で用いる事になるとは😓)と同様、最初から「枠(わく)」ってのが常にあるのよねえ。
それ故引き分けこそあっても、相手が一切引かなかったら最初から勝ちは無い訳さ。

かと言って完全に埋没しては困るんでどうするのったら、他パートの弱い箇所に勝機を見出すしかないんだ。
周波数の低い順に行くとバスドラは大抵は音程感こそ不明瞭だが、振動に近い低周波をほぼ唯一生成可能な存在。

Bassもそれに続き今劣化本邦で幾ら明瞭度忖度が厳命でも、所詮Cymbalとかの高域アタックに挑むのは無謀なんすわ。
のでやはり各々最大の固有帯域をアピールするのが得策で、逆にそこに拘らないで他を何とかしようとすると実用上「使えない音」にしかならない。

っと言いつつ杜撰君かなりどんなのでも全帯域を目立たせ様としてるが、実際に必要なのは物理的じゃなく聴感上でのそれなんだな。
バスドラやBassの「らしい高域アタック」を求めてるのであって、Cymbalの高域アタックとは別物だ。

つまり明瞭な低音域楽器に求められる高域アタックって、物理的周波数を計測してみると中域若しくは中高域程度なん。
それ処かCymbalでもお気に入りのPaisteなんかだと、想像や印象
と違って実際アナライズしてみたら有効なのは可聴限界より大部「低い高域」だったんだ。(私感では何と10kにも届かず8kHz前後だった!!)

そんなのを過去に象徴的呼称として、勝手に俺言い「目立つ倍音」と命名して物理的なのと区別しとりゃあす。
因みに本来なら企業秘密の生ピその他のも出血大サービスしとけば、明瞭度に優れる生ピは私感4kHz前後で↑とは幸運にも被ってない。

バスドラ・Bassでは2kHz前後と、是又都合の良い事に↑どちらとも被ってない。
っつうか寧ろ一般的にアンサンブル内での使用が主な楽器は、開発初期段階から意図的にそうなる様に作ってんだよ。

だってそうしとかんと無加工リアル合奏で、敢え無く埋没しちまうざんしょ。
杜撰君がセオリなんて言うのは似合わんし好きじゃないが、サウンドを弄り倒しならこう云うのは基礎情報だし物理的理由なので誰も避けては通れんですから。

=つづく=

2024年9月 3日 (火)

音楽備忘録1844 映画・TV等への専門家が作った音楽④

広義の映画音楽には色々な分類方法が存在するが、独断と偏見でRock系の人が馴染めそうなのを提示して行きま。
実際過去にあったカテゴライズが杜撰君にはマッチせず、それもあって研究にだいぶ遅れを取っちまったからだ。

Classic系・吹部系・bigband Jazz系の人なら多分既存のどれかで大体当て嵌まるんだが、それだと映画音楽でR&B(FunkやDiscoも含む)・Country系含有量の大目のが何故か欠けがちになるんだよ。
又曲単位で探すのに既に名曲を知ってたら足掛かりにはなるが、1970年代前後の全盛期のをリアルで耳にしてないと洩れるのが多くなる。

例えばロッキーのテーマはお気に入りだが作者のBill Conti、私感的にはロッキーを超えるか比肩する程の曲が他に乏しい。
のは恐らく彼の活動時期と関係があるらしく、どうも’60年代中からの人と比べると競争の厳しさが足りなかったからなのかな。

TVドラマは未だしも映画全盛期からの経過時間は無視出来ず、この傾向は日本でも同じだ。
んでこれはBill ContiとLalo Schifrinを比べると明白で、後者は映画・TVを問わず超有名なのが目白押しなんざます。

ので1人を知って沢山のを聴こうと邪な魂胆があると、後者みたいなタイプじゃないと取れ高が良くないんよ。
無論既に気に入ってるのをピンポイントで攻めるなら別だが、全体の様子を掴んだりそんな奇抜なのもあるんかいを知りたければさ。

そこで登竜門の1策としてかつて日本でブームになった、イージーリスニング系の有名人を足場とするのもお薦めなんだ。
っと言っても保守本流ではなく当時FMでPaul Mauriat等と一緒に流されてた、Francis Lai・Henry Mancini・The Love Unlimited Orchestra(Barry White)辺りが狙い目ざます。

特に上記最後者は人種差別圧の強かった当時では異例で、単発なら黒でも他に達人・有名人は居たんだけどね。
そしてこんな経路を俺が辿った元にオーディオヲタだったのがあって、その頃に高音質に拘ると当時はこの系統のが最もリードしてたからなんだ。

当時映画館やTVのオーディオ水準は純粋オーディオには遅れを取ってて、それ故インストものをオーディオで聴かれる可能性の高いの程音質に神経が配られてたんだろう。
この関係で惜しいと思ったのが警部マクロードのOPとEDで、折角良い曲なのに真に正規と呼べるサントラが未だ出てないんだよ。

カバーとかバージョン違いで構わなきゃ、とっくの昔から幾つかはあるんだけどさ。
作品のオリジナルイメージで特にムードに拘ると、やっぱそのものズバリじゃないと何処かに違和感が拭えなくてね。

こんな処が歌物よりインスト物の難しさで、恐らく明確な主役が居ないケースも少なくないからだろうな。
っつうか主役を順に交代してくのが常套手段で、しかもそのタイミングが意図的に分かり難くしてある事が多い。

何分歌詞と云う漸次変化するのが不在なんで、1番と2番でも異ならせる様なのが必要なんだ。
故にこの手のに対してはオリジナル若しくは自身のイメージに忠実なのも重要で、曲が同じでもバージョン違いだったりすると記憶にある雰囲気が裏切られたりするんだよ。

-続く-

2024年9月 1日 (日)

音楽備忘録1842 打倒閉塞感➐

サヴキーワードは温故知新でお送りしてるがその訳は、酷く単純に身近で簡単に聴ける音だけじゃ不足を感じてるならだからだ。
マクロ聴点に立ちゃどんどん新しいのが生まれてるが、音楽やサウンドの進歩はITとかと違って恐ろしくスローモーなもんなのだ。

誰も作らず誰も奏でずとも何処かから温泉みたいに勝手に新音が湧いてくれたら良かったが、誰かが作れる様になったり奏でられる様になってからじゃないと聴けないからねえ。
只その代わり温泉みたいに源泉が知らん間に枯渇するなんてのは無く、特に録音して残せる様になってからのは半永久寿命なんだ。

今日は視点を変えて人間側の先ずは肉体事情を考察してみるが、要するに昔と今の人の耳の進化具合だ。
ハッキリ言ってあっても計測不能な位の進化で、地球環境の劣化具合からしたら退化してる可能性の方が高い位だ。

実際先日メタラー様専用で高域を強調したヘッドホンが新登場なんてのを目にしちまったが、こりゃもう明らかに軽度の難聴になってしまった人向けのブラックな商品だわ。
まあこれで確実なのはせいぜい傾向位なんで推測に過ぎないが、もしかしたら昔の人の平均の方が可聴帯域が広かった可能性が考えられる。(但し罹患率の高さや健康体の維持期間の短さは除く)

オーディオについては長らく人耳に性能が追い付いて無かったからあれだけど、楽器に関しては現行標準品よりワイドレンジだった自説が濃厚なんざます。
もう少し詳述すると必ずしも出せる範囲が広いってんじゃなく、もし出てたら今のより隅々迄気を配られてた可能性があるんだ。

ほいで面白いのはワイドレンジだが基幹にならない箇所は、今のよりかなり控え目になってるのが殆どでね。
杜撰君が体感したのはDrumだとLudwigの3Ply Reinforcement以前の過去仕様ので、テキトーに聴いてるとナローなのがいざ録ってみたら超絶ワイドだったってヤツでさ。

それがより具体化したのが過去述100年Snareで、こっちは深胴でもないのにそれ迄に聴いた事の無い音の太さに圧倒されただよ。
例えるなら生なのにEQやコンプ等でフル加工済みってな感じで、今もそんなのが主流だったら録音で加工したい人が劇的に少なかったに違いねえってね。

最初従兄の親切若しくは悪戯でノーインフォで、突如叩かされたんで1㎜も期待なんかしてなかったんだ。
何せ木胴でも深胴でも無かったし、見た目も割かし平凡だったしさ。

その上状態も「普通の中古」にしか見えなかったのに、少なくともここ数十年の俺には正に劇的な出来事だったさね。
この体験をする迄はペダルの俺言い「Speedkingショック」の方が上だったけど、訊いた値段や経年も含めて青天の霹靂どした。

とは言えこんなのは一生に一度あるかのレアケースだと思うが、先に強く全否定なんかして身に沁みついてたら短時間の体験じゃ分からんかったかも知れん。
取り立てて期待してないのと高を括るでは、こういう処で違ってるのねと改めて思い知らされた次第で御座居。

-つづく-

2024年8月31日 (土)

音楽備忘録1841 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓮

何でもやり過ぎなのを指摘するのがクドい杜撰大王とは皮肉でしかないが、未だに俺言い「これで足りてるか不安症候群」は自身も完全寛解には程遠い。
だからこんな老害でも気持ちだけは誰より知ってる自負があって、しかしどうやら主に2つの原因があるらしい。

その1は古い世代だとリアル人力音源の音が基準になってるせいで、Line録り以降デジタル音源も含め音の存在感に脆弱性を感じる処から始まっている。
旧来の録音ではほぼ必ずMicを使用してたんで、どんなにOnセッティングにしようと背景雑音を完全に無くす事は出来なかった。

その頃は他の録音関連機器も低性能だったから、もっと欲しい音だけクッキリ録れんもんかと何時も思ってた。
のがいざ可能になってみればクリアになったは良いが、どうもアッサリし過ぎてて何か物足りなく感じられたんよ。

のは意識外にあっても空間の残響音等も含めたのを「○○のサウンド」と認識してるからで、それは今でも楽器に疎い人だと姿で視認出来ないと何の音だか分からない時も少なくないだしょ。
私感では1980年頃がこの新懸案の発生境界で、レジェンドの模倣をしようにも金満プロじゃないと例えばデジリバを使えなかったのも一因してんのよ。

Line録りでもトランス入りダイレクトボックス等が同様で、昔からのスタンダードなAmpでは最低1回はトランスを経由してからの音だかんね。
確かに純音響的には省けた方が何かと有利なんだけど、あまりに経路が異なると楽器の音色形成を構成してる要素迄道連れでレスになるだよ。

かと言って何でもノイズ迄拾っといたんじゃ曇って濁ってでアカンしで、実は背景音の最適含有量は物凄くシビアで微妙なバランスを要求されるもんだったんだ。
録り場所が自由に選べない+あってもポンコツなデジリバで、尚且つ大抵は当然Mixで匠の技も持ってねえと来りゃそりゃあんまり上手く行く訳ゃねえっての。

ので却ってローテクで旧式な録音方法にした方がまだマシになる確率が高いんだが、自分達だけ望んでもないのに古臭い音じゃ
やだもんねえ。
ほいでアイテムやツールは兎に角揃えてみるんだが、昭和のサラリーマン父ちゃんの無駄に多いゴルフ用品みたいな事に。

母ちゃんにはほぼ例外なく叱られるが、それでも趣味だったら家庭内案件で収まるからまだ良いんだ。
素人相手でこれといった実績の無い録音屋がお客にアピールするには、一通り揃ってる方が安心感はあるでしょ。

けど同傾向になれば「高級な素人」は凌駕出来ても、「低級なプロ」にすらなれなくなるコースなんすよ。
一応頭じゃ分かっててもお客に来て貰わん事には商売が成り立たないからか、段々このウイルスみたいな奴が高級なプロの方まで感染してっちゃったのかな。

要するに木乃伊取りが木乃伊になるみたいなもんで、段々無垢な素人の時の感性を忘れてっちゃうんだ。
更に良くないのがそんな連中普段は仕事上で、ホントのズブの素人とは接点がねえべ。

そうしてる内にトウシロウは余計な口出すんじゃねえとなって、自分達の方がイカレてるのがもう分かんなくなる。
でその傾向が今劣化本邦でだけ強く出るのも、赤信号皆で渡れば怖くないなんて言葉が出る国だからなぁ。

=つづく=

2024年8月30日 (金)

音楽備忘録1840 映画・TV等への専門家が作った音楽③

毎度乍ら基本的に過去遺産中心になっちまうが、今回のばかりは今劣化本邦の情勢下では仕方無い。
超大規模編成も要求されるものは景気や経済の影響に敏感で、予算が回って来ない限りは再興の望みは無い。

がだからこそとても微力でも、その素晴らしさの一端でもなるべく周知させたいんだ。
と言うのも自身は貧から高品質音源等に無縁なんで困難だが、例えリアルには劣っても打込みでサウンドや編曲だけなら再現不可能じゃ無いんすよ。

苦境の時に一番ヤバイのが所謂「貧すれば鈍す」で、出来る事迄つい放棄しちまうヤツだ。
そもそも日本では本場米みたいなレベルには到達し損ねてて、その一因に昭和の絶好調景気でもまだ真にリッチにはなれてなかったっつうのがあった。

も少し掘り下げると↑には維持の関係もあり、折角良い仕事をしたのにそれをそんなに長くは続けられなかったりしたのよ。
他方ではその筋の名人達の伝承があまり上手く行かない内に亡くなったのもあろうが、これとて後継者が同程度の仕事に恵まれてないのも大きいんだ。

これを一流メンバーのオケで演ればバッチリと思っても、過去よりそんな機会は格段に疎遠になってるしねえ。
只過去遺産の残存はモノ次第でかなり難度に差があって当然で、例えばClassic Carなら可能でも新幹線の編成丸毎とっとくなんてのは狭い日本じゃ不可能に等しい。

では代替案は?ったら理想よりかなり落ちるが、模型等でサイズは縮小はしても形は死守したりなんてのがあるずら。
ってかそもそもスーパーカー所持だって庶民には夢に等しいのに、電車以上の高額な大物となるとそんな方法しか無かったやんか。

その面で他も含め音楽家ってのは少々贅沢に陥りがちで、オケのメンツが揃わんならワシ指揮棒振らないもんねなんて…。
こんなのは他業種では考えられない一種の横暴で、挙句の果てに聴き専さんより折角の過去遺産を無碍に扱うなんて愚の骨頂とちゃいまっか。

悪い意味で音楽をパーソナルなものにし過ぎた結果が、今劣化本邦の音楽界の衰退でもあるんじゃね。
ほんで少なくとも残り時間が限られて来た杜撰大王は、どうせ売れっこないのもあるからそんな閉塞状況には居続けたくないと。

今メジャー所属で爆売れしてるなら先送りもアリだろうけど、それ以外の方は誰でも新天地を求めない手はないっすよ。
別に広義の映画音楽に限らず何でも構わないが、今脚光を浴びてるのはあまりお薦め出来ませぬ。

自分内で消化して昇華して出て来る頃にゃ、きっとそのブームもう終わってますから。
っつうのも演るのもだが聴いて定着させるにも、人次第で長短あれどある程度の時間が掛かるんすわ。

本当に些細で簡単なアイデア1つだけを頂戴しようってんなら、確かに割とすぐ思い立っただけで導入出来るけどさ。
元ネタに何か加えるか引くかして、自分の新流儀にしようとしたらそんなにすぐには出来ねんだよ。

-続く-

2024年8月29日 (木)

音楽備忘録1839 過小評価で忘れられつつある人々㉞

このテーマだらだらとかなり長く続けたんで一旦〆るとして、今回はスケールが巨大化するが’70年代全般の作品について論じさせて頂きま。
当然独断と偏見もテンコ盛りなのは認めるけれど、21世紀になってからの作品とは条件面で大きな相違があるんすよ。

それは何等かの理由・事情で作品の存在が当落線上にあるのが顕著で、主因はリリース時点でデジタルやネットがあったかどうかなんざんす。
先ずデジタルについては音源がそうなってると保持・残存が簡単だが、アナログのみの場合は現物が手元にあるか放送メディアで流れない限り一般庶民にゃ縁自体が持てない。

その先もたまたまレコードを持ってても盤の状態が悪かったら、著作権がOKでもついネット公開を躊躇したりするやんか。
そうすっとせいぜい身内レベルでしかありつけなく、かと言って主に強引に上げろと言うのも評判に関わったりするから酷だ。

ヲタ勇者であれば中古レコードのギャンブル買いをするかも知れんが、大多数の者にとって内容不明の物に手を出すのは特に今劣化本邦みたいな不景気下では出来ぬ相談だ。
のが理論的にほぼ劣化が無く記録形態も巾広く選べるデジタルだと、↑の様な制約は基本的に付かないんだよ。

ってかそもそもレコードプレーヤの所持からして、既に絶対聴きたいレコードを持ってなきゃ今更だんべ。
つまりこんなのに依って鉱脈の「お宝埋蔵量」自体に差がある訳で、より自ら獲得に乗り出さないと聴けない可能性が高くなるんだよ。

して大体に於いて逃がした魚は大きい現象がここでも起きてて、それと同時に’80年代以降の機械演奏とか昨今の切り貼り編集なんかが不可だったからねえ。(テープでの物理的切り貼りはあったがデジタルのとはクウォリティが段違い)
言っちゃ悪ぃが作品の作り自体が、どんなにものぐさしようと手抜限界が低かったのよ。

ので打込み専なら未だしもそうじゃない従事者にとって、割と直接的に参考にもなるんだ。
古さとか時代の隔たりとかの弱点は今を求めてたらどうしようもないが、そう云う不一致があるからって内容で評価せんのはどうなのかと。

実際音楽を「演ってない人」にとっちゃ音質の優劣も無視出来ないけど、ある程度以上の経験者なら良くも悪くも生と録った音が色々違うのは分かってる筈だからねえ。
尤もリアルはおろか体験の少ない若い世代では実感を持ち難くても当然なんで、ここは1つ老害呼ばわりを厭わず既に知ってる者がアピールしないと条件差を忘れられそう。

と言いつつ杜撰大王自身もこの事を普段は殆ど考えなかったり、忘れたも同然で過ごしてんだけどね。😓
けれどポピュラー音楽の全盛期・成熟期で今の基本であるのに、どうして今一低評価だったり幾らも放送で流れなかったりするんだろうって違和感はずっとあった。

野球では未だにベーブ・ルースやONの名前位は日常的に扱ってんのに、音楽だと半ば封印ってのは国内商売上の都合かとつい勘繰りたくなるぞ。
聴いてみて駄目でも一向に構わないから、聴くだけはもう少ししてみてちょ。

=おわり=

2024年8月28日 (水)

音楽備忘録1838 打倒閉塞感➏

暫くぶりでの前回補遺入りは、前回後部述は飽く迄ヒントだから他のでも良いのよ。
もののついででもう1つ晒しとくと、ソフトシンセのデモ曲にも参考になるのがあったっけ。

尤もこれ等は普段耳をシャットダウンしてないってだけで、到底能動的とは言えない。
がそんな風に余計な意識がなるべく無い状態で聴くのはかなり重要で、理系思考が強かったり文系でも思い込みの激しい場合は要注意だ。

拘って探して引掛からなかったって事は、こっち(受け手側)に問題がある可能性もあるからね。
普段はそれも個性に繋がってるから気にしなくてOKだが、今迄の自分の普通で何か不足を感じたら何処かを少し変えてみないと埒が開かない。

ならば思い切って全替えするのも悪か無いけど、それで自身のアイデンティティに必須な箇所迄放棄するのも危険ざんす。
まあ人夫々性格・性質もあるから安心出来るけど新味に乏しいとか、何時も斬新だが折角良かったのにすぐ次へ行っちゃったとか何かしら傾向が出るのは仕方無い。

が過去事例を眺めてると他人が思う最大の魅力を迂闊に逸すると、後で挽回するのはとてつもなく困難みたいだ。
一度散々例えばAが100って魅力に晒されると維持出来てりゃ平気なのが、一旦他所へ行って戻った時だと大抵は100にしても復活と認識されねんだよ。

従前に無かった変更後のBってのに共通とか似てる箇所があると、そのせいでA100に聴こえてるのかもなんて疑念が新発生するんだわさ。
しかもこの現象は他人にばかりじゃなく、状況に依っちゃ本人だけが過敏になったりするケースもあってね。

杜撰君視点では今の相棒達が該当し、勝手に自身で神経質になり過ぎて自滅しててね。
そんな時は原点回帰が最適なんだけど齢取ってブランクが一定以上になると、過去に良かった時の記憶が曖昧化したり肉体的劣化で以前の方法では叶わなくなってたり…。

なんて他人事を言ってる余裕は無きゃ資格もあるか怪しいが、齢を取ったりブランクが長くなる程取り戻すのは想像以上に困難になるのだけは明白ざます。
ずっと不満足な状態を続けるのは色々辛いけれど、自身の最大のウリを破棄して何か獲得出来ても大抵取れ高はマイナスなんだ。

右も左も分からない中で最初に他人から得た評価って、その人の素であり持てる才能の萌芽でもあるんだわ。
故に原点維持+温故知新つうのが最有力なルートで、自分を見失う事がなければこその自由な冒険なんすよ。

別観点からだと改造箇所を誤ったとも看做せ、そうなると戻すのと変革を同時並行で進めなきゃなんないからえらいこっちゃで。
その様な地に足が着いてない状況へ自ら追い込んじまうと、冒険の方だってやったつもりでも思いっきりは多分出来てねんだ。

例えばGuitar(非Guitar Synthesizer)からSyntheみたいな音が出せたら凄いけど、それは見なくてもGuitarと分かればの話し。
つまり適度に古くからの部分を残しとかないと、何が何処が新しくなったのかが分かり難いんだ。

-つづく-

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