録音

2024年2月20日 (火)

音楽備忘録1649 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➓

パートⅡの最後を飾るのは、培って来た個人感性の上手な処遇の仕方ざます。
人間は容易に勘違いもするけれど、だからって独自の感性を自らゆがめるのはお止しなせー。

誰かと見解の相違が発生した際、その過半数は認定と表現違いが原因なんだ。
これは食べ物の味が一番分かり易そうだが、絶妙に美味しいのって大抵は各要素が複雑に絡んでるよね。

甘さが際立つ印象が客観視したら塩味の方が強いだとか、そのどっちを先に取り上げて語るか次第で言葉は正反対に近くさえなる。
身内で共通認識を持ちたい時は条件設定を明確にして、時間を掛けて整合性を見出さねばならない。

が特にそんなニーズの無い殆どの場合は、○君のは○語・□さんのは□語なんて風に捉えた方が手っ取り早いん。
或はもっと範囲を拡大して、○国文化・□地域文化ではそう云う解釈になるなんて仮定をしてみたり。(自論の正当化に悪用しちゃあきまへんで)

その真相可能性として前々回リッケンベースがデカいと言った人、もしかしたらその人だと体の何処かが支障してたのかも知れないんだ。
それか既体験のは軽目のばかりで、リッ君の割と角ばってて少し重いのが堪えたのかも知れない。

俺は筋肉マンの方だからあまり食い込みは気にならないが、もっと体表が柔らかかったら角が当たると痛そうだ。
この面で万能プロデューサを目指すなら、俺言い「感性の翻訳力」が必要だしモノを言うんすわ。

↑例の様に100人中99人が不細工っつうのを、ある誰かが見たら最高の美形って事は水面下では案外頻繁に起きてる筈だ。
のがちっとも表に出て来ないのは同調圧力大国だからで、独自性を最高と考えるフランス等なんかじゃ寧ろ必死に探して語ろうとしてんじゃないかな。

但しどちらの両極でも求められて無いのに発揮したら、唯の迷惑か我儘なのは一緒。
この点寧ろ今劣化本邦の泥酔者等、特に白昼だったらEU圏なら即逮捕・連行される。

つまり自説を他人に強要しないのなら、心でどう感じてどう思ってても何も問題は無いのだよ。
寧ろ自分は常識的だから大きな問題は無い等と浅はかに考えるのこそ害で、酔っぱらえば無礼講が大抵は許されると思ってるのなんか酷い勘違いだ。

しかし同じ勘違いでも個人で勝手に思い込んでて、他人に一切害を及ぼさないなら後は羞恥心だけの問題だ。
実は勘違いにも少しは効能があって、創作の分野ではそれで盗作疑惑から逃れられる事だってあるのだ。

馬鹿と鋏は使いようの一種で、手前味噌ではSnareのゴーストノートを間違えてバスドラの3連打と思い込んでたのなんかがさ。
スピキンに慣れる迄そんなイカレたのは実現こそしなかったが、結果的に3連打の使い方の源になってるんだよ。

してこんな柔か頭に一役買ってくれるのが、本物に触れた経験なんだ。
ほら「想像の斜め上を行ってた」なんて語句があるじゃん、その「上」次第じゃ程度差っつうより次元が違ったって方がマッチしたりするっしょ。

一口に良い・凄いと言ってもその内容は様々だし、本物は大抵何処か予測不能箇所に余力を持ってたりもするんだ。
世界観が広がる・刷新される等、実利以上に思考の範囲拡大が最も重要なんすよ。

-続-

2024年2月14日 (水)

音楽備忘録1643 Paul HumphreyというDrummer③

では余談から戻ってPaul Humphreyの続きと参るが、ノリは絶品もBernard Purdieみたいな目立つものではない。
この点でもJeff Porcaroの始祖に値し、特に今劣化本邦では見落され易い。

アンサンブルのリズム(ノリ)を牽引してのはどっちも一緒だが、他者に与えられる自由度に大きな差があるんだ。
Humphrey達のは自己主張が強くないから、酷くズレない限りどんなのでも許される。
のがPurdie達のだと半ば強引に参加させられる感じがあり、ビッグマウスとは無関係に少し相手を選ぶんすよ。

なんて言うとディスってるかの様だが、杜撰大王自身はPurdieタイプの強烈なのの方が好きだ。
尤もそんな我儘こいてられるのは従兄の存在があるからで、んな事ある訳ゃねえがもしこの世でDrummerが俺独りしか居なかったらもっと真剣にHumphrey氏を参考にするだろうね。

そのノリと併せて特に稀有なのがフレージングで、常に何処かしらで聴者の裏をかいてる処。
その特徴は聴いてるだけだと完全に溶け込んでるのに、いざ真似して叩こうとすると音が普通ある場所に無くて無い場所にあったりするのよ。

と言ってもこれはある程度Drummerになれてる人にはで、Drumって楽器を無視して鼻歌でフレーズを作ったりすると多分Humphrey先生みたいな方のが多く思い浮かぶんじゃないかな。
これこそが「歌えるフレーズ」ってなもんで、叩けない叩かない内だったら誰しもが少しは持ってたものなのだ。

Drumの性質に慣れるにつれ、段々と演り難いのより演り易いのの方を無意識下で選ぶ様になるもんでさ。
それを好意的に捉えれば専業らしさ等となるが、そんなのは曲に対して何時もベストとは限らないよね。

確かに人力演奏には打込みより不可能なのが多いけど、出せない音程を強要されるのとかとは違う。
簡単な処では右利きの奏者が必ず右手始動に束縛されると、Ringoの一部は不可能化する。

逆にRingoが左手始動に固執してたなら、右用セットじゃロクに何も出来やしない。
俺はまだ従兄みたいにほぼ左右を自由には選べてないが、そんなのPianistだったら全く許されないよね。

だからもう少しDrum演奏はPianoとかの親戚と思うべきなんだが、実際Drummerの副業に鍵盤の入ってない人は少ないんじゃない?。
只Humphrey氏の場合はそれより頭の段階での柔軟性が凄く、既成概念・固定観念に全く捉われていねんですわ。

左右手足どれで鳴らそうと普通ここはバスドラと習慣で思ってしまう箇所でSnareを鳴らしたり、Snareの箇所で安易にバスドラを省略するってのが無い。
どうやら全体のフレーズを考える前に、個別楽器を鳴らす最適箇所を洗い出してるみたいなんだ。

つまり例えば曲とバスドラだけを聴いても、それで曲として既に完全に成立してるんすよ。
その結果かどうかワシャ知らんが、小節の頭以外バスドラが全部裏拍なんてのも多い。

それ処かSnareのBackbeatが入ってるのに、裏拍でしかバスドラを鳴らさないのなんかが…。(つまり重なる箇所は同時併鳴)
単純Drummer頭では勿体無いからそんなのしないが、曲の要求に依っちゃ実はその方が良いのもあったんだよねえ。

と斯様に所謂Drummer視点では少々変態的なんで、世間の一般Drummerからの支持が少なくなってしまうんだろう。
けど実際の楽曲中での名演を目指すなら、もっと彼やPorcaroみたいな視点にしないと曲を劣化させちまうんだよなぁ。

=終り=

2024年2月10日 (土)

音楽備忘録1639 知られざる?Billy GriffinってDrummer

只今Paul Humphreyの記事を執筆中だが、②の文末で触れた人の事を忘れぬ内に記述させとくれ。
概述では有名になり出した時にと書いたが、正確には所属グループはとっくに有名だったが本人の名は殆ど残ってなかったんだ。

さてバスドラヲタが高じて探し当てたのが、私感全盛期のThe ImpressionsのDrummerだ。
彼はどうやら’66年からと2代目Drummerらしく、オマケに実働2年弱でこの世を去ってるから中々分からなかった。

今でも日本語に拘ればググっても出て来ず、米での雑誌の事故記事の切り抜きか何かにやっとの思いで行き付き真相の一端に届いた。
グループの存在自体はかなり昔から一寸面白い曲がFENで掛ってたから知ってたが、レコードヲタの親友からWe’re A Winnerってのを借りる迄はバスドラヲタの虫は寝てたんだ。

そのアルバム同名曲のドラムを聴いたらあら大変、典型的なコーラスグループの「歌の後ろ」なのに何やらバスドラが大変な事になってねえかって。
それもアフターBonzoだったらまだ理解も出来なくないが、こっちのが1年位早いでぇ。

もしかしたらBonzoの方がこんなのからインスパイアされたのか、皆とっくに死んじゃってるから今となっては確かめられないけどね。
俺はあからさまなの以外はワンバスで演ってると考える癖があるが、これを綴ろうとして再確認してる内にあまりにも音数が多いから心配になって来た。

らYoutubeに叩いてみました動画が1つだけあって、動画で足元は見えないが足首Doubleで熟してる様だった。
仮にツーバスだろうと約10後年のCozy Powellじゃあるまいし、よくもまあ歌の兄さん達がそんなのを許可したもんだ。

ユニークだからもしかしたらと考えたのは慧眼で、しかしそれもあんなの踏める奴がそこに居たからなんだよね。
Ringoが有名化する以前はあんなにドカドカ強く踏んで歌の邪魔になりゃせんかと心配してたのが、歌バックで太鼓で弄れるとしたら実はバスドラってのに徐々に皆が気付き始めた頃なんでしょう。

処が大丈夫なんだそれしか無いんだと分かった処で、いきなり実践出来るとしたらBuddy Richが足脚の制限解除でもする位が関の山だ。
沢山鳴らすっても昔のHard系の脳筋ツーバサーみたいに、唯左右交互に連打したんじゃあまりに芸が無い。

しそんなのは普通の歌のバックでは到底フィットしないから、技術的ハードルをクリアしてもフレージングが大問題ですわ。
それをこの御仁は弱冠23歳で一遍に纏めて片付けちゃったんだから、もっと誰もが知って尊敬しなきゃアカンがな。

所詮は裏方職人なんで本国ですら注視する人は一握りに過ぎないけど、音だけで判定してけば誰にだって少しは気になる存在である筈なんだ。
確かに探索初心者にとっては名前や情報量は多い程楽だが、音より名前で参考にしてくと本当はもうその時点で自身の本来の好みから少しづつ逸脱する可能性があるんすわ。

仮にどんなのでも丸1日で完コピ可能なら流行りを追っかけても間に合うが、普通はもっと時間が掛るもんだからね。
半ば時系列なんか無視して自らの感性にフィットするのをピックアップしてった方が、掘り出し物に出逢える確率が上がるんじゃないかな。

-了-

2024年2月 7日 (水)

音楽備忘録1636 杜撰大王が過去モノに拘る訳②

どうせ杜撰大王の事だからこの件でも心臓強く図々しく…も少しはあるが、決して歴女とかじゃないが今に始まったんじゃないんだ。
自分内では音楽みたいに人生途中から興味が出たのと、最初からヲタだった鉄道では追及の仕方に違いがあったん。

鉄道は文字通り当時最新のに惹かれて、過去モノはそれ等の網羅がひと段落した後と至って普通の進捗を遂げた。
鉄道に限らずメカや乗り物全般に対してそんなだったのに、ある条件の差が音楽にはあったんだ。

鉄道→殆どのは公共交通だと昔は博物館等極限られてたから、過去モノは国鉄の有名なのの一部を除いて現物を拝むのすら不可能だった。
写真にしてもネットが無かったから、今みたいに個人が趣味で撮っといたのの公開なんて極めて少なかった。

乗り物で最大の実感が得られるのは試乗だが、そんなの更に限られてたしさ。
ので風貌と伝説だけで途端に興味が湧くの以外、そもそも興味の対象となり難かったんだ。

処が音楽作品だと当時は昔のも平然と普通にラジオで流れてたんで、その面ではずっと現役継続同然だったのよ。
中には聴いただけで古そうなのもあったが、当初はこっちも詳しくないから良く分からない。

尚且つなまじ英語がロクに分からないのに洋楽に惹かれたんで、当時日本が欧米より遅れてたのと相まって時系列が半ば無効化してたん。
なので自分内では不明な新旧は他所に、単純に興味が湧くか好みかだけでマイリストが形成されてったんだ。

その結果まだ最新ジャンルではあったがRockが自分向きなのと、Rockの勃興期のが興味の対象として定着。
例えばChuck Berryに関し俺の世代は普通はBeatlesやStonesのカバーから入るが、俺はラジオから直で始まってるんだ。

当時ガキの確実にありつける良い洋楽ったら家族にヲタでも居ない限り、FEN(AFN)ほぼ一択でさ。
あとはせいぜいTVの輸入番組程度で、これも時系列を無効化させるのに一役買ってたさね。

これ等の環境が自分では得したと考えてて、お陰で新旧不問で純粋に面白さで選別可能になったと自負してんの。
そして俺の場合自分に最もインパクトを覚えたのが、たまたま1955年頃のから1980年位のだったって。

故に今でこそ「古い」って意識もあるけど、昔のだから評価してるって訳じゃ全然ねえんだ。
流石に近年は新規への興味が少しは衰えてるだろうが、本質的には女性と一緒で!?何でも若いのが大好物なままでっせ。😖

ついでだから女性に対する興味の本音を曝露しとくと、かつて若い時分には齢と共に変化すると思ってたんだけどね。
少なくとも俺の場合齢を重ねる程若さの価値が高まって、昔なら圏外だったコでも若いだけで興味を持つ様に変化してるよ。(でも小児性愛とかでは御座んせん、念の為)

但し理性も分別も弁えてるつもりなんで、余程金満に恵まれでもしない限りパパ活すらする気にはならないがね。
だが音楽作品だったらメディアのデジタル化以降、それ自体の劣化や老化とは無縁だ。

生身の人間だと加齢でしわやたるみが避けられんが、元から「聴くだけしか出来ない」相手で一切老けないんだからさ。
結果個人にとっての真の新旧って、本当は聴いた事の有無とか順番とか
なんじゃないのかな。

-つづく-

2024年2月 6日 (火)

音楽備忘録1635 Paul HumphreyというDrummer②

昔の人な上既に亡くなってるんで、普通に語っても若い世代には分かり難いかも知れない。
たまたま今還暦の杜撰大王だって、聴き始め時期が早かったから実感が持てるだけだ。

’60年代末からがギリギリリアルタイムで、Rock全盛の’70年代前半に間に合った。
そこで育まれた感性からすると’80頃からもう下り坂で、前みたいに次から次へとはオモロイのが来なくなったから遡ってみる事にしたんだ。

もしそうなってなくて世代平均で推移してたら、前回後部に登場させたJeff Porcaroの「1つ前の人」と思えないと感覚的に実感が掴めなかっただろうな。
更にそれより新しい人となると杜撰情報網も怪しいが、無理に挙げるとしたらドラムマシンか打込みってぇのが俺の答えだ。

ハッキリ言って達人職人より大部落ちるが、プログラミングを誤らない限り曲に対して大きなミスマッチは起こらないからね。
彼等みたいな稀有な存在を除き巾広く手掛けてると、どんな偉人でもたまにはミスマッチや黒歴史作が少しは残るもんだ。(身内認識具体例:Vinnie Colaiuta、俺個人は嫌いじゃないが…)

何でも演って曲に対し少なくとも減点が無い人ったら、一般的な評価よりかなり絞られて来る。
更に面倒なのは絶大な加点をしててもそれが目立たなかったり、素人では中々その秘密を見抜けない場合だって多々ある。

だからJeff PorcaroだってTotoに参加してヒットしてなきゃ、一般大衆には知れずその筋の人にしか評価されなかった可能性大なんだ。
確固たるパーマネントメンバーになってなくて名が残ってるのは、せいぜい色々と話題豊富なBernard Purdie位じゃね?。(未だ健在なのも大きい)

だけどさぁ昔の名作時代劇なら名うての殺陣師とか、結局腕利きのスタッフが足りるだけ揃ってないとああはならなかったからな。
つまり一般への有名度は運次第で、業界に残れるかはやっぱ実力次第の部分があったんすよ。

大口を叩くならPaul Humphreyの価値が正統評価出来ないってんなら、Drummerとしての才能があなたには無かったと言っても良い位。
わアレとしても彼の何処かには「オッ!」程度になる筈で、それだからこそこんなに杜撰で鈍い俺がやるなぁと思ったんだわさ。

って流れから想像される様に、俺の場合早期からバスドラの16のダブルを頻発してたのが耳に残ってたんだ。
私感比喩をすれば1980年以降に登場したエレキGuitar達人踏み絵がタッピングとして、’70年代前半のDrummerでは足の数と速さだったんだ。

手の方に関してはJazzの時点でかなりの人が出てたし、まだJazz
からの転向者がそこそこ居たんでね。
厳密には足脚だって手も含めBuddy Richみたいなのが既に居たけど、全体はシンプルで足脚だけ増え出したのはこの時期だったんだ。

これもRingoに触発された極一部では、’60年代後半には出だしてたんだけどさ。
当初はGinger Bakerみたくツーバスでそこそこマニアックなのだったり、黒人で全国的な知名度を得掛った時に交通事故死しちまったとかね。

=つづく=

2024年2月 5日 (月)

音楽備忘録1634 行き過ぎた自作自演➍

又もや今更で決定打を噛ましとくと、自前曲だって仲間の自分以外の作品を演る時ゃ実質カバー状態なのだ。
その中の特異例を挙げるとしたら、録った時とその後の生演奏では違う人が演るケースざます。

これは多忙な連中に比較的多く生じてて、やっと曲が出来た→一刻も早く出したい→でも直ちには全員揃えられないなんて状況だとね。
アマの場合上記とは異なる理由のが多いけど、例えばメンバー募集中に作った曲なんかでは新加入の人にとっちゃ「既に誰かが演った曲」でしかないんだよ。

或は今劣化本邦で恐らく多数派の歌手+歌詞・奏者+メロ・編曲なんてコンビの場合、前者は常時メロは実質カバーで後者は何時もカバーされてるのと同じ状態だ。
ので単独シンガーソングライターで自作品しか演らない以外は、仮にカバーを嫌った処でどうせ避けて通れてはいねんですわ。

その意味で少しでもグループ体制で演ってるなら、結局作曲者を良く知ってるか全然知らないか程度の差でしかないんだよん。
寧ろ最初は全く未知の作者でも、何曲も取り上げてくと曲を通じて少しはどんな奴か見えて来たりするじゃん。

逆に旧知の人のだって数が少ない内は不明点も少なくなく、増えてく過程で多かれ少なかれ予想外の一面とかが大抵は出て来るで。
その意味でⅡでは外面からは窺い知れない箇所に限定すれば、誰の曲でも何の差も無いんすわ。

では翻ってカバーを回避したくなる理由も考察しとくと、ビジネス面からは作曲の著作権料が目減りするからだ。
尤もそれはプロダクションと作曲を手掛ける者限定で、ユニット内の作曲者数が少ない場合は他の大勢にとっちゃどうでもエエ話しやがな。

せいぜい「俺たちの歌」と気分的優越感を少し味わえる程度で、杜撰大王が問題視してる本命はズバリ「ボロ隠し」だ。
他の作家と自作品のレベル差がバレると不利だから、危ない橋は渡りたくないんだろうさ。

これマネージメント側・本人側両方共にカバーを避けるって事ぁ、余程自信が足りないまま出しちゃったんだと裏読みも可能ですなぁ。😵
最初は不完全なコピーから誰でも入るだろうが、自作曲が出来出したからってカバーを拙速に全面撤退なんかするからそうなるんだよ。

ずっと続けてりゃ曲レベルは向上してくし、カバーの解釈面でも秀逸さが得られるかも知れないのにね。
↑の後者って編曲も大いに関わって来るから、もしメロ作るのが無理でも編曲家への道が開けるかも知れないんだよ。

それを他人に気付いて貰うのに常にオリジナル曲だけだと、他の編曲家との比較が困難だから中々知って貰えない。
のが皆が知ってる曲で良い感じになってたら、忽ちオファーがガンガン来る…可能性が出て来る。

曲の水準についてカバーは残酷な位丸裸にしてくれるが、自身で回避したつもりでもラジオやYoutubeで直後に流れりゃアッサリパーになるんだよねえ。
今劣化本邦でのカバー忌避って結局は脆弱なもんで、思考の視野狭窄に陥ってるのに気付いて無いも同然でんがな。

=つづく=

2024年2月 3日 (土)

音楽備忘録1632 杜撰大王が過去モノに拘る訳①

齢食ったから遠い過去のになっただけで、出逢った当初は最新のだったんだ。(これだけなら完全な過去の栄光!?)
っても今は大昔何時迄も執着してたら、他人はきっと唯の老害認定するだろう。

ってのは重々承知なんだが、内心は単純に凄いと思えるのが古いだけなのだ。
流石に還暦ともなればノスタルジー0%では無いんだろうが、無理に若ぶったり新しぶる気にはなれないんすよ。

それは大袈裟に云や近年の殆どのは、「感動量」が足りないからなんだ。
例えばこないだ家族の都合で紅白歌合戦の最初の方だけ見させられたが、非ベテランは唯の1つを除いて歌詞の聴き取りに聞き耳を強要
された。

そんなに良くは知らないが、彼彼女等の録音物ではそこ迄聴き取りが悪くなかった。
根底には歌唱力(発声や声量)不足が原因だろうが、私的には取敢えずMic選択ミスと感じられたんだ。

大定番のShure SM58系って原設計がそれこそ大昔なんで、歌唱法も含め今劣化本邦の若者にベストフィットなんかする訳ゃねーっての。
これが又妙なもんで20世紀末頃迄の歌謡番組では、もっと歌手次第で色んなMicを夫々が使ってたんだよ。

PAのショボかった昔は歌唱力の水準が必然的に高かったのに、Micの相性にも皆が注意してたのかな。
実際現況は58のLiveでの定番度合はより高くなってっけど、録音物より数段歌詞聴き取りが悪くなってるのに…。

そんな箇所だけを注視しても、実は新しい人程目立たない処にカビ臭いのが多いんだわ。
そりゃ商業的観点からしたらコスパは問題だが、良い部分の良さのピークが↑等で昔より落ちちゃってんじゃないかな?。

例えばそのⅡで電気楽器での真空管の使用・不使用、エレピやHammondのリアル・バーチャルの差。
普段曲全体を気楽に聴いてれば、大差が無さげに聴こえる。

リアルを用いた処で特別上手く行かなけりゃ、手間暇掛かるだけ面倒だ。
んが幸運に良い感じになった際、リアルでなければ得られない特別固有な雰囲気ってのがあるんだよ。

確かに昔の機材って大失敗した時は目も当てられぬ状況に陥るから、大事故だけは避けたいならド素人にも親切な感じの今のの方が良いかも知れない。
けれど音楽なんて一般にとって非生活必需品には、失点が○点迄なら合格って事ぁねえんだわ。

昔でもスポーツに興味の無い人でも大体皆知ってたのって、野球なら王・長嶋とか相撲なら大鵬とか。
今なら大谷翔平の様にバカみたいに突出してると、無興味でも無視出来ないじゃん。

つまり失点より得点が毎回2桁越えとか、そっちの方が遥かに必要なんだよ。
特別音楽好きでも無い一般人ってシビアなもんで、悪くないじゃなく飛び抜けて良いじゃないと興味なんか持って貰えないんだ。

だから伝説の超人でも今がパットしなきゃ興味喪失だし、機材環境が劣化したと感じられたら以前通りの評価なんて俺には無理なのさ。
っと多小理屈武装はしてみたが、内実は年寄りだから古いのが好きと思われるのを気にしてないだけ。

-つづく-

2024年2月 2日 (金)

音楽備忘録1631 Paul HumphreyというDrummer①

杜撰大王昔から興味はあっても途中まで本職Drummerじゃなかったから、特にテク魅力のDrummerに自分からは興味が無かった。
だが曲・編曲や全体を気に入った作品では、一応どんな人達が演ってるのかは一応目を通してたんだ。

その後レコードヲタの親友と出逢ってある知恵を授けられ、人物と音の関連から好みを探したりする様になったんだ。
その最初の頃に覚えたのがAl Jackson Jr.で、該当者が非一発屋の場合かなり当確率の高いのが分る。

で段々と好みを演ってそうなDrummerの名前が顕在化して来て、Ed Greeneだの今回スポットを当てるPaul Humphreyの存在を認知したとよ。
その為無茶叩き捲りするKieth Moonみたいなのより、オーソドックスなのにアイデアや個性に長けた人達が自然と増えてったんだ。

更にその後本気でDrummerに取組み出したがその時点では自分に向いてそうな足脚に秀でた人達が中心で、上記の人達にはまだ大きな興味も無きゃ分析して実践しようとはあまり思わずに居た。(尤もAl Jackson Jr.とPaul Humphreyは当時としては足脚テクも優れてたが💧)
少なくとも手に関しては未だ全然大したレベルに到達してねえが、以前より「実際の曲中で効果的なDrum」への興味がどんどん強くなったんだ。

何でも演ってみたい杜撰大王にはバカテクを要す様な曲は少な目で、けれどノリや個性では妥協しない方が良い状況にあってさ。
それで数年前から好みのDrummerの、ソロ作品とかイニシアチブを司ってる作品の洗出しと試聴をし出したんだ。

Ringo等シンガーソングライターやAl Jackson Jr.みたいなAl Greenの大ヒットを作った兼業の人は以前から結構知ってたけど、彼等は「音楽が上手な人」であって「Drumの上手な人」では無い。
って器楽演奏にも音楽全体の才能があった方が有利だが、曲が良いから演奏は2の次となり過ぎては同好の士には時に物足りなくもなるってもんだ。

その点演奏にしか携われない人だったらどんなにシンプルに演っても、細やかなの1つ位は存在証明代わりに何かしら工夫を追加したりするもんだ。
尤も有名・高名になると一部の者は俺に合せろ的傲慢さの出るのも居て、そうなるとミスマッチ迄は行かずとも真の最適解とは異なる演奏になったりする。

この点で本当の職人はずっと柔軟さを維持してて、その中で俺が一等凄いと感じたのがPaul Humphreyなのだ。
だから余計な事(曲をスポイル)は一切しないがそれでいて個性発揮は遠慮せずと、常に面白い事を追加してるのよ。

それと良作への膨大な参加実績が凄く、昔のを聴く者であれば恐らく無自覚でも誰でも既に聴いてる筈なんだ。
それこそ前項Carol KayeとかJeff Poracroみたいに、先ず避けて通るのが不可能。

にも拘らず前者は過去の男尊女卑の影響か後者は人々の記憶に上書きされたか、特に今劣化本邦じゃPaul Humphreyは名前が上る事すらとても
少ない。
だが当時は海外で舐められてた日本のPearlを’70年代初頭から常用してくれたのを、全員忘れた訳でもあるまいしこの点に限っちゃ「不当低評価」と言わざるを得ない状況だ。

=つづく=

2024年1月30日 (火)

音楽備忘録1628 適切な帯域制限の苦悩⑫

さて数多くの記事で杜撰大王が「生耳聴き」に拘るのは、何処迄行けるかの指標として重要だからだ。
帯域制限についても関係性がとっても深く、硬さを許さなきゃ明瞭度が確保出来ない等と云う重大な誤解を招くのと同じなのだ。

是迄再三吠えて来た如くオーディオ的にだけ高音質なのは、アンサンブル内で同じ振舞いをするのが僅少なんだ。
けれどパート別で録る最初のは、その時点でアンサンブル内で鳴らす事が出来ない。

結果単体聴き評価をすると、高音質な感じがしたの程どうしたって良さそうに思えちまう。
この意識を圧倒的に覆せるとしたら、名人が眼前で奏でる「生耳聴き」が最有力なんだ。

理想は既にメディア等で沢山聴いた事のある人のだが、そうでなくても何処かで録音に使ってたっぽい音色なら構わない。
最初は唯々おースゲエと来て、次に過半は帯域制限が掛ってるなんて感じられない音だろう。

特殊音色以外では達人はバランスにも充分配慮してるから、殆どのに実際は掛っててもそれが気に留まらないんだ。
のわそうしとかんとアンサンブル内での明瞭度や立ち位置がフラフラ変動したりして、不都合が生じちまうからだ。

でそんなのが記憶にしっかり刻み込まれてると、高域過多になってたら「あの時のと違う」と即座に判断が付くんすよ。
ってもその段階じゃ何が異質にした犯人かはまだ釈然としないかも知れんが、何かを変えなきゃ近付けないのだけはもう分かるって寸法さ。

ド下手な人の生音でも音色に偏りがあんま無きゃ生耳と録ったのの比較は可能だが、どうすれば好みの音色がなるべく色んなアンサンブル内で通用するのかはあまり知らないケースが多い。
その一方で確実な指標が自分内でたった1度でも得られてたら、仮にその後は全く機会に恵まれなくてもそこそこ行けちゃうんだ。

これが俺言い「音色に於ける三つ子の魂百まで」で、親だと双子の区別が何時でも付けられる様なもんだわさ。
基準の原典になる訳だからなるべく至高なの程向いてるが、それより重要なのは最低限の機材で出されてたかどうかだ。

真の一流ならある程度の楽器と球Ampさえあれば、業務の実用に堪え得る音色が出せるんだ。
又老害臭が漂っちまうが古老程アテになるのは、今みたいな高性能なマルチEffector・Preamp・ストンプが無かった時代を生き抜いて来たからだ。

昭和の内プロも扱う録音スタジオなら、1台はFender Twin Reverbかそれに相当するAmpが必ず用意されていた。
だが令和の今では多種・多様な機材がある代わり、立地条件等のせいで球Ampの無い所もある。

そんな所でばかり仕事をしてる人では、なかりの売れっ子でも楽器本体とAmpのみの音創りに精通してない可能性があるんよ。
この先は新項を設けてそっちで続けるが、ツールやアイテムだけで音色の全てが作られてる訳じゃないんだ。

=Fin=

2024年1月29日 (月)

音楽備忘録1627 Carol Kayeショック➌

さてAmpeg B-15NとSの続きだが、最大の欠点ともなり得るのはBassの高音弦が細目・薄目の音色になる処か。
尤もBassらしい低音を充分得るには↑は避けにくく、それはアンサンブル内でのバランスとして聴いてみると良く分かるんだ。

最大出力が30と60W・スピーカは15inch一発なんで大規模Liveには不向きだが、比較的コンパクトなのがレコーディング向きの最大理由って訳じゃねんだ。
主流派のベーアンは何でも太目に出すのが最適ではあるがそんなステージに合うAmpで困るのが、デッド目なスタジオでの録音時なんだ。

ライブな音場程低音が響かないんで、録ってみると高音弦が悪目立ちするんすよ。
昔の欧米のステージは低音がやたらと響いたりするんで、そこでだけ丁度良い按配になってるとね。

又ひと口に低音重視っつっても色々あって、必ずしも大バランスばかりが欲しいとは限らないんだ。
最大の懸案は小さ目バランスでもローがちゃんと聴こえるかで、それ故パーソナルオーディオにはラウドネスやバスブースト機能が搭載されてるべ。

因みに業務用PA系のにはそんなのホントに皆無で、寧ろ何か付加機能があるとしたら減らす方のLow Cut Filterでっせ。
Bassが最低限のバランスになっても低音が聴こえるかどうかは、アンサンブル全体に対し甚大な影響が御座居ま。

Carol Kaye先生も俺と同じくGuitarが先で、そもそも’50年代はBebop JazzでプロになったGuitaristだったん。
それが’63年に急遽トラでBassに触れた際、アンサンブルの骨格を支配出来るって理由でBassメインに転向したそうだ。

この最初から音楽の全体像を意識してたのは大変重要なポイントで、その結果の一部がプレべなのにリッケンに近い音色となった模様なんだ。
今はベーアンの音創り巾が拡大したんであまり困らなくなったが、オッサンの若い頃はまだプレべタイプを持ってってショボイAmpしか無かったら充分な低音は諦めるしかなかったよ。

因みにⅡでEQストンプ挿入等で補填可能なのは1にスピーカ2に出力段が対応してた場合限定で
、当時の廉価品の殆どは底突きを起こしたり忽ち歪んだりして期待薄だったよ。(俺はBass歴初期にベースブースタを持ってた)
結局コレに懲りたのとチビに大柄は不似合にて、それ以降持ち替え不可な状況では俺はFenderタイプのは避ける様になったんだ。

又ⅡでCarol先生全盛時も欧系ではアンサンブルの重心が低かったが、米ではワイドレンジ且つ湿っぽいのはあまり歓迎されてなかったからね。
因みにⅢで当時のシックな欧州サウンドはムード満点だったが、分析耳で聴くと高域がとても控え目な感じになってるだけでローエンドなんて幾らも入ってないから聴いてみそ。

半分は偶然かも知れんがCarol Kaye先生の音色って、Flat弦+プチミュート以外は他の昔の人のより今の状況に直接導入可能なんすよ。
それも含めて今に続くBassの音色やフレージングの原型を、初めて作った人と言えるんじゃないかな。

んっまそんな事より兎に角躍動的で痛快だから、とっくに誰が真似したって不思議じゃなかったんだけどねえ。
今劣化本邦じゃ高評価して参考にしてる人が少なきゃ、特に躍動感の部分で足元に及ぶ人さえほぼ居ないのは悲しいな。

=おわり=

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