録音

2023年1月31日 (火)

音楽備忘録1264 過音圧ミュージックはもう沢山➒

だば前回の続きになるが、そもそも歪みの深さって一般的には「何処で感じてるか」が鍵なんよ。
もしかしたら全体とか最も歪んだ時って思うかも知れないが、一般聴者の多くは「一番歪まない処の浅さ」で判定を下す事が多いんだなぁ。

ってのは生音かそれに近いのの変化なら知ってるけど、「○○の深さだと□□音が△△に変化する」なんて専門じゃなきゃ知ったこっちゃないでしょ。
それで殆ど無意識の内に「歪まない方の度合い」で予測してて、歪み前コンプが掛ってると悪く云や騙されてた訳。

それを弱くなるのを嫌ってバカ正直に深歪みさせると、上記のとは時に違いが出るんだ。
端的に言や「和音が潰れ易くなる」で、併せて明瞭度も低目になるんす。

のを昔の達人達は人力で不要な処が弱まらない弾き方をするのから始まり、後に適宣「前コンプ」を利用して切り抜けて来たん。
そんじゃあ昔の人はシビアで大変…ってまあ事実ではあるんだが、Jazzとかで生音で演ってる人よりゃ大分楽。

今だって生太鼓や生ピの人は全然変わってないんだから、それに比べりゃ全くどうって事ぁねんだ。
んで何が言いたいかっつうと生楽器入りの音源では、エレキの強弱の粗なんか殆どあってもどうでも良いってね。

流石に「フルループ」にすると生楽器でもその強弱の種類が激減するけど、それって究極はマシンドラムと「地続き」だかんね。
現在のドラムマシンでも「生音」のは、1音単位に分解しただけだ。

アタックと余韻に迄分解したのは恐らくまだ無く、ってそれもヲタ性が強くて何だけどさ。
一般論で生身の人間が演ってそうな程度にすると、完全に同じ楽器が同じ音になっちゃ駄目なんだ。

それを敢えて逆手に取ってYMOなんかは「全部機械が演ってます…風」にしてたけど、今になってみれば「人が想像する機械の音」と実際は一寸違ってた。😃
機械でも他の音の状況次第でまるでムラがあるかの様に聴こえる時があって、初めて自分で打込んだ音を聴いた時ゃ何だこんなもんなのかいって思ったよ。

それを分析しみると物理的には確かに同じだったんだけど、他の音からの影響迄「考えて同じになる」様になんて全くなって無いからねえ。
音量差がある程度以上だったらあまり影響は無いが、拮抗したり大差無いと絶大な影響を受けてたんだ。

とどのつまりは生身の人が聴く以上は人耳感覚でフラットにするには、人間が調整しなきゃ駄目だとな。
要するに邪魔が入った時ゃ聴こえが同程度になる迄、「少し盛って」やらないと同じにゃ聴こえんのよ。

それが生身のアンサンブル内では殆ど意識せずに自然と調整してて、邪魔にはなりたくないが自分の存在も堅持したいって気持ちからそうなってんの。
差し詰めロクに打てない打者には少しセーブして投げる様なもんで、そうして強敵が現われた時負けない様に余力を残しとくみたいなさ。

人力では無いけど常にフルにしちゃうってなそういう対応力を剥奪するんで、音楽が自然に聴こえる余地を残そうとすると首尾一貫フルってのは滅多に使えないの。
だからか分かんないが忙しないテンポも含め、劣化近年本邦のJ-POPは多くが何だかみみっちく聴こえるんだ
よなぁ。

<つづく>

2023年1月28日 (土)

音楽備忘録1261 過音圧ミュージックはもう沢山➑

いい加減で「不毛なイタチごっこ」は卒業して頂きたいもんだが、最初始めたのには訳があった。
だが当初の効果が失せた今、何時迄も続けるのは「私バカです」と世間に知らしめてる様なもんなんだが…。

今回は珍しく切り口を変えて、音楽の内容から離れて営業等の方面から再考しよう。
仮に、仮にですよ、もし最高の作品が出来たとしても、どう聴かすかに依っちゃそれが中々伝わらない場合もあるわね。

他の作品に比べて極端に平均音量が小さかったりしたら、それこそ小音量でBGMに流してたら聴き逃すかも知れない。
だがそうやって争ってる内に限界に達しちゃって、誰が「猫の首に鈴を付けるか」で皆躊躇してるのが日本の現状だ。

こう迄頑なに誰も禁を破らないかの様な様子を見ると、或は闇談合でもしてるか知らんがね。
しかしそれに依って最早業界自体が破綻し掛ってて、経済の立て直しに見向きもせず当座の利権にしがみ付く愚政府と同じやんけ。

それでも政府の方はクーデターなる奇策がまだ残ってるが、音楽でそれやると最低向う10年間位は回復しないからそこは一緒じゃ無いんだぜ。
何せ政治は無興味でも一応成立するが、音楽ではそうは行かないからねえ。

仮にドス黒く行ったとして儲けに繋がれば投票するかもだが、「内容を気に入ったら買う」という相手ではバラマキしてもさしたる効果がおまへんやろ。
そこでおかしくなる寸前の状況を顧みると、その頃は音量も密度も両方がフルのは無かったんだ。

聴き易さの為に音量に厳しい画一化のある物は密度に結構疎密があり、一方で密度が比較的均一な物には音量の変動が許容されてた。
その様な手法で夫々音楽の強弱を表現してたのが、違いは今やせいぜい楽器数とか位になってしまった。

当然それでは到底楽曲を表現し切れず、今度は仕切れないからか単調な曲が増えて行き…の悪循環だ。
これで一寸想い出したのがGuitarのコンプレッサで、それも楽器とAmpの間に噛ましてAmpで歪みを作るって時のだ。

程々にしとけば例えばCrunch設定にしてたら、弱く弾いた時は生音になる。
のが深くしとくと全く同じAmpセッティングでも、弾いた「全て」がCrunchになる。

つまり前者では大まかに1つの設定で2つのサウンドが得られるが、後者は抜群の安定感はあるが得られるサウンドが1つだけになる。
因みに’70年代中頃にこの方法がブームになったのは、今みたいに上手に深く歪ませられないのを補填出来たからでね。

歪みのピーク深さは大した事無いんだけど伸びが良いもんだから、聴感上は実際よりも深歪みに感じられるってヤツだ。
しかし今振り返るとPopな作品には寧ろお誂え向きで、今みたいに深く歪ませられると失敗すれば「歪み過剰」になるからね。

要するにMetal系と音質に差別化が図れてた訳で、近年あまり耳にしなくなって久しいかも。
と云う様にアイドルポップもゴリゴリメタルも一緒くたになっちまって、そりゃあBABYMetalみたいに分けなくて良い存在も稀には居るけどさ。

<つづく>

2023年1月26日 (木)

音楽備忘録1259 伴奏の重要性①

承認欲求が大手を振って歩き回ってる今、伴奏の重要性に気付いてない人が多い。
ソロパートは自己責任な上目立つけど、そこが来る迄聴いて貰えたらなんだよね。

例えばグループが5人だったら必ず曲冒頭にソロを演るとして、残りの4/5はじっと我慢の子。
って現実にはそれすら困難なので、長い事指を咥えて待つばかりだ。

でももし伴奏でも好印象を与える事が出来たら常にチャンスがあるし、ソロの無い歌曲でも存在感を示せるのよ。
だからこそグループのメンバーとして有名になった奴等は、どんなにソロが上手そうでも実は「伴奏の方が上手い」連中なんすよ。

具体的にはJazzよりFusion・FusionよりRock系に多く、それはパーマネントグループの割合とリンクしとりま。
更にLeadパートよりRhythmパートの人に多く、Donald ”duck” Dunn等がその典型だ。

最近じゃその殆どが死んじゃったけど彼の他にも多数居て、特に’80年代に当時はよりマイナーだった日本人と数多く演った人達がその典型だ。
中でもJeff Porcaroなんて凄まじく、当時自らのTotoも売れてたし本国で並み居る大御所のバックもしてたのにね。

Porcaroが重用された理由に流行もあったのは事実だが、自分のスタイルを維持し乍らもかなり色んなスタイルに応用が利いたのも大きい。
普通はカッチリとかルーズな感じの人だとそこは変われないもんだが、リズムの正確さだけ残してシックにも派手にも行けたのが特筆すべき点だ。

その秘密が良い意味で曲に依存してたからと考えてて、組立ての上手い投手はお任せで球だけ良い投手にはリードに専念する捕手みたいな側面があったんじゃないかな。
それでこれが「駄曲は叩かない」→「マイナー・メジャー問わず参加の是非を決定」に繋がり、ギャラが良く知名度があっても下らない作品には不参加→良い曲ばかり参加にも繋がってた気がする。

それが一般論でのテクレベルが大した事無いのに、つまり凄いソロがあった訳じゃないのに数多の名曲で叩けたんだろう。
例えば当時同じ位有名だったVinnie Colaiuta等より、オファーが多くなった理由じゃないかな。

そんでまた後年Ian Paiceが参加したPaul McCartneyのアルバムなんかと比べると良く分かるが、絶対にDrummerが彼じゃ無かたっら駄目という感じがしないとかと違ってる。
端的に言や誰が演るかで曲が違って聴こえるか否かみたいな差があって、MG’sじゃ無いとStaxの曲じゃないみたいな現象が起きてるかどうかだ。

そうやって考えてくとバカテクソロはそれ自体は大変だが、状況が許せば何時でも大体同じのでも構わない楽さがあるかも知れない。
のが伴奏となると曲毎に微妙でも毎回変えなきゃなんないし、使える技も逐一限定が厳しいからそっちの方が実は音楽的に高級なんだ。

んで何が高級なのってば、楽器を奏でる以前に音楽に詳しい事が必要な処だ。
単独パートに詳しいのを「音楽の一部に詳しい」とするなら、自分のパート以外に一定以上の理解が要るのが違う。

ってホントは何処を受持とうと音楽するなら、少しでも詳しく分かってた方が良いんだけどね。
興味の範囲がこれより狭くても仕方無いんだが、それならそう云う人は譜面を貰って弾く方が向いてるよ。

<つづく>

2023年1月25日 (水)

音楽備忘録1258 過音圧ミュージックはもう沢山➐

伴奏案件の続きは別項を新設して続きをやるとして、ここでは隙間や休符の効能を再認識して貰いまひょ。
今劣化本邦の様な悪癖は元は退屈させない処から始まったんだろうけど、どれもがずっと鳴り続けてると「何も無い」のと結局は一緒になっちゃうんだが…。

人に依ってかなり差はあるだろうが人間ってな慣れってのがあるんで、一定以上「状態が変わらない」のが続けば「ニュース無し」と認識するんだ。
それを避けるのに予想外の展開等を模索するんで、「絶対に隙間がありそうな曲」にだったら隙間無しもある程度効果があろう。

但し「全無し」ってのが使えるのは1回こっきりなんで、大抵は半分位を中心に量の増減より場所を変えるのを選ぶもんだ。
又最も「劇的に変化」するのは無音から突然の最大音だが、これもホントに劇的に効果があるのは1曲につき1回のみなんだ。

どうでも2回以上やって悪か無いが、読まれて慣れちゃうとねえ。
だからせめて無音の方を小さい音に変えるとか、大きい方を最大迄上げないとか何処かを変えないと鮮度が落ちる。

のを殆ど放棄してるのが今劣化本邦のメジャー系ので、「ほぉ、そんなに曲に自信があるのかね」と嫌味を噛ましてやりたくなる。
それを今回は歌の迫力について論じてくが、先ず実際に圧倒的にパワフルなのと声質が迫力満点なのの2つに分れる。

この2つの違いは「Off Micに出来るかどうか」で、声質だけの場合遠ざけると歌詞が分り難くなったりする。
今の時代デシリバとかでどうにでも出来る様な感じもするし、バラ録りすればどんなにパワフルでも他へ混入したりしない。

しかしパワフル感を「演出」したいのであれば寧ろ他のMicに混入した感じとか、他楽器に共鳴した感じにするのが一番だが誰も何故かやっていない。
これは昔のチープな録音でどうしてパワフルなのが分かったかで、録りはバラす程クリアにはなるが力感を損ねるのを意外と皆知らないかスッカリ忘れちまってんだ。

かつてMicの本数とトラック数をどんどん増やしてったのは、力感を損ねても明瞭度を上げたかったからだ。
それへほぼ唯一逆行したのがZepで、暫くは明瞭度を犠牲にしても音の大きいのを分かる様にしてたな。

お陰でリズム隊を拾おうとすると大変厄介で、DrummerやBassist泣かせだった。😢
今の録音クウォリティなら両立も充分可能になったけど、それにはなるべく同時にとかリアルな響きが必要なんだ。

デジタルバーチャルで現在再現可能なのは部屋の残響迄で、スナッピーが共鳴するのだとか楽器に共鳴する分はプログラミングされてない。
この様な要素も力感にはかなり重要なのに、圧縮率を上げただけで済まそうとは片腹痛いわい。

それも含め判断すると平均音圧を上げて効果があるのは、「弱くはなくする」だけなのが分かるだろうか?。
音の強さ弱さには色々な切り口があるんで、もっと視野を広げて欲しい。

<つづく>

2023年1月22日 (日)

音楽備忘録1255 過音圧ミュージックはもう沢山➏

こう見えて表面は悲観的でも根は楽天家なので、今日は上手な伴奏法についてひとくさりと洒落込もう。
日本人の場合今のその第一歩は、一旦「映え」を放棄する処だな。

昨今の映え文化って第一印象に特化してるんで、第2,第3…と進むと大抵は落ちて行く。
それでも主役であればまだ良いんだが、脇役は下手すると「第一印象が無い」んですよ。

こと音楽のそれも歌物に於いては1回目なんて、歌詞とメロを拾うだけで精一杯だからね。
そらまあ歌の無い箇所で悪目立ち!?でもさせりゃあちったあアレだけど、それだと歌に間の無い曲だと諦めるしか無いやね。

そこで例えば聴いて3回目以降に印象に残るのを目的として、つまり曲は大体把握出来たが何か他に面白い処は無いか…みたいなのに焦点を当てるんざます。
そんなのはウケるのに時間が掛かるし、もし曲がヘボだったら3回目があるかどうか…。

ってさぁハッキリ言って曲が駄目だったらどう弾いたって駄目で、演奏が良いのに曲がって聴こえたとしてもそれはソリストとして幾らか有能なだけよ。
要するにホームランとかゴォールゥは不要で、その代り何時も満塁とか幾ら枠を外しても絶え間なく次が来るなんて状況を作るのが必要なんだ。

言うなれば曲が良くて、それよりちょっぴりだけ落ちる演奏!?ってのがbestなの。
コレ話しは単純明快で曲は誰もが聴いてくれるけど、各パートになると例えばGuitarにしか興味の無いヤツはBass聴いてくれねえだろ。

そんな際でも「曲を通して」だと少しは「聴いちゃう」訳で、考え様に依ったらこれは楽器の特権なんだ。
歌唱の場合厳しい事に、もし生理的に声質を受付けなかったらお終いだものさ。

んな事言ったってせっかちなお姉ちゃんは1回でも駄目だと…昔結構苦しめられたが、そんな相手でも常に一期一会とは限らない。
今景気が悪くて余裕が無いから一発で承認欲求を満たすのばっかに走ってるけど、所詮はその時の受け手の気分次第で色々変わっちまう。

確かに何か1つインパクトは必要なんだが、音楽で本当の勝負になるのは何回も聴いてからなんだ。
又ミスの有無だけを問題にするのが流行ってる様だが、本当はミスだらけでも売れる位魅力的じゃないとね。

今ミス撲滅っても修正で何とかしてるのが殆どなんで、何度も聴いてるとその不自然さに気付くかも知れない。
その様な「減点は少ない演奏」では飽きてしまい、減点があっても「加点の多い演奏」じゃないと持ち堪えられない。

ただ曲を尊重してればそんなに難しくは無くて、「曲からヒントを貰える」のが大きいんだ。
仮歌すらレスで録ると問題があるやもだが、歌える人だったら「ハモりを付ける」のと殆ど一緒だ。

そう言えばAKBやSMAP以降複数人居ても軍歌よろしく馬鹿みたいにユニゾンするのが普通になったが、それを楽器で演っちゃうと更に最悪だ。
そんなに皆戦争したいのか知らんが、平和を愛するなら教会の讃美歌みたいにユニゾンじゃ無くハモれよってか。

ユニゾンだってハモりのバリエーションの1つと考えられなくもないが、曲にフィットするかどうかを精査しないで乱用する様なもんじゃない。
あと「間」(隙間、空白≒休符)の使い方も問題で、一様にルート連打になってるのは「曲をロクに聴いて無い」証拠だ。

<つづく>

2023年1月19日 (木)

音楽備忘録1252 過音圧ミュージックはもう沢山➎

今日は音楽から「弱い処」を全て無くしちゃったら、どうなるかについて綴って行こう。
特に電気的に画一化しても、音的には平準化しないのなんかを。

音楽ってぇのには元々強い音と弱い音ってぇのがあって…っつうと一寸分かり難いんで、全く異なる音で同じレベルにしてみた時を考えてみよう。
先ずピーキーなのとそうで無いのでは、ピーキーなの程大きくした割にそうは聴こえない。

これは平均音圧の相違が原因だが、ならば例えば鋭いSnareをコンプすりゃ良いか?。
すると太くはなるだろうが最早鋭さは影を潜め、最後は鈍い音!?になってしまう。

只Snareは通常バスドラなんかより音程が高いんで、そこまてしなくても何とか聴こえるだろう。
と云う事で鋭い低音程聴こえなくなる訳だが、特に同じ音域に別の音があると最悪だ。

それからすると最も聴こえ難いのはピチカート奏法のウッドベース辺りになるが、それ故昔の録音だと先ず全部聴こえた試しが無い。😵
恐らくパルシブな他に低域が削れるののせいもあったんだろうが、それでJazzをRockより軽いものと勘違いしてる人も居るかも知れないな。

その悪弊として最近「バスドラをRockみたいにハッキリ踏むJazz擬き」が蔓延してる様だが、Drumパターンがハッキリしちゃうと駄目なんだよねえ。
言うなればJazzではウッドベースがバスドラの仕事の多くを担ってるから、Rockとの明確な違いを生み出せてんだよ。

普段表拍で行っといて時々裏拍を鳴らすが、全体の流れは止めないってのにはその方が合ってんの。
こう云うの1つとっても今劣化本邦の録り方は最悪で、まるで雑魚はかり全員で主役を張ってる様なもんだ。😞

人数(≒音数)が極限られてりゃまだ良いが、誰が主役なのかサッパリ分からんですぜ。
この件目立つにもどんな風にしてが相応しいのかとも関係してて、それが今劣化本邦じゃ幼稚化・単純化したのとも大いに関係がありそうだ。

例えば歌物バックのBassが格好良いってのは、どんな状況だろうか?。
音量が大き目なら単純にフレーズが良いとそれでついOKと思ったりするが、LeadパートやVocalと同じ位前面に出てては「バックとして格好良い」を満たさない。

これは古今東西積年の悩みにもなり兼ねないが、「目立って当り前」時だけ良くたって駄目なんだ。
その点チームスポーツだと未だ正直なもんで、各自の責任の果せ具合で試合の勝敗が決まっちまう。

実は音楽でも一緒かより一層で、「バックとして格好良い」を満たせないと主役との共存が成立しないんだ。
そうしなけりゃ相乗効果は得られず、単なる主役が交代するソロの集合体になるんだ。

Jazzの一部にそんなのがあるが、主役は良くても脇役の一部につまらない箇所が残る。
「音楽として無効な箇所を無くす」方が当然「何処から聴いても良い」になるが、その為にもバッキングの成否は重要なのだ。

歌物のVocal等は主役を演じる時間が殆どだけれど、ソロの後ろに僅かに入る「掛け声」等でバッキングを担う事もある。
それ以外のパートでは実質的にバックを演る時間の方が長く、つまりそんな表立たない処でこそどれだけの物を提供出来るかが勝負なんだ。

<つづく>

2023年1月16日 (月)

音楽備忘録1249 過音圧ミュージックはもう沢山➍

さて楽曲を再現するのに「足りてれば」良いと言ったが、その足りるが案外難しい。
フルプロセスで保険を掛ければ足りる様なもんじゃなく、全体としてはそんなレベルは必要じゃ無い。

例えばリズムの躍動感が重要な曲なら、他を差し置いてもそこだけは「生きたリズム」が必要だ。
それには多少不安定になってでもClickを使ったら死んじまって、しかしそれがあったならそんなに強い音で無くても構わない。

のを猫も杓子もClickを常用するから、物足りなくなって色々加工したくなるんだわ。
結局は「そこじゃない」から幾ら盛っても不充分なんだが、及第点は取っておきたい心境なのかな。

では思い切って要らない処の盛りを止めたらどうなるか?、確かに部分的には見劣りする作品になるだろう。
内容で判断せずパッケージングだけで聴き比べりゃそうなるが、何と自信の無い事か!!!。

しかし音楽の基本は減点では無く「加点法」で、悪くないなら今掛ってるのを止めはしないがわざわざ買ったりはしないですよ。
電通様を本流とする威力のみで頻繁に流した処で、大してヒットする訳ゃ無いんだよ。

それだって見た目で買うから良いんだって、音楽が出来なくても構わないならもっと良いのが居るんじゃないの?。
案の定若い女子は未だしも男はサッパリで、さしものジャニーズが誰の目にも勢いを無くしてるぞ。

それで困るのはラジオやTVの番組が成り立たない処で、面白いヤツを路頭に散在させたが為に忙しい現場じゃ見つけられなくなってる。
ミュージシャンの方はこれを熟知して「世を忍ぶ仮の姿」でリリースしてると、CDよりもLiveを儲けの主体にしている。

中堅処になれれば海外のエージェントと契約し、酷い音を我慢しなくてよくなる寸法に御座居。
これが何とも憐れなのは’90年代に向うでJazz系の人達があぶれた時、こぞって国内メジャーが契約した事だ。

そういうのを上手く育んで行けたらもっと産業として成長出来るチャンスだったんだが、道半ばでバブルが崩壊すると同時に手間を掛けるのを止めやがった。
今日本には目に見える形でのRockの市場は無くなったが、先々続けたいのであれば本邦メジャーの手法なんか真似する事ぁねえぞ。

ジリ貧メジャーがこのまま持つとは思えないんで多分過渡期なんだろうが、今現在一定以上の収入が得られてないなら将来に掛けた方が良い。
そればかりか今売れてるのが壺パワーに全依存してないなら、何時でもマトモな音にスイッチ出来る準備をしといたがエエがな。

と云う具合に今マトモな音で苦戦してるならご愁傷様だが、それがまだ身に付いて無い人にとってはこのブランクは一大チャンスだ。
今はClick・ループ・修正を常用しなきゃ無理でも、それ等を使わなくても録れる様になれるさ。

因みに現時点でだって全く加工不要な音が出せてたら、あんなにフル盛り加工なんかされないんだぜ。
幾らご時勢とは云え充分テクをマスターし切れて無いのに使おうとするからで、何処かで一度又Beatlesのデビュー当時みたいに「ベーシックオンリー」で売れるのを目指さないと現状打破出来ないかもな。

<つづく>

2023年1月13日 (金)

音楽備忘録1246 過音圧ミュージックはもう沢山➌

是又恒例化しつつある「ついででシリーズ」と銘打って、コンプリミッタのレシオを掘っとこう。
機器の表示に依れば2:1,4:1等とあって、最後は∞:1等とあるが果たしてその真相や如何に。

とっととバラしちゃうと無限大なんて事ぁ、少なくともアナログの世界ではあり得ない。
それ処かデジタルでさえ本当に無限大を作ったら、スレッショルドを下げるとどんな音を入れても無音になるのだ!。

普通スレッショルドを下げるってな「入って来た音全部に掛る」んだが、実際には無限に圧縮する訳では無いから小さくなっても聴こえるんだ。
と云う事は無限ってのは比喩なだけで、その値がキッチリした数字にはなり難いからちょっち盛っちまったんだ。💦

具体的には球やディスクリート(石だが個別部品)の時代で20〜100、集積回路になってそれが1000位迄だ。
但し40:1位を越すと音が露骨に変容して、使えない音になる場合が多い。

真空管の又はそれをシミュレートしたのが最も音楽的であるが、その様な性質を持たせると歪まずに扱えるのは20位迄だ。
ので一般的に耳にする殆どは深くても20〜40で、しかしリミッタでは無く「コンプらしい音」にするだけならそんなに深いレシオにしなくても充分だ。

それが↑のスレッショルドで、小さい処から掛ると圧縮感が目立つんすよ。
その逆に「理想リミッタ」ってのは全く音の印象を変えずに、レベルのピークだけを抑える。

尤も理想とはデジタルでも程遠い現況なんで少しは音が変っちまうが、少なくとも純粋なコンプよりゃ音色は変わらない。
因みにBeatlesの時代には圧縮率も低く、その為リミッタをコンプの代用としてがね。

その頃のコンプじゃRockのパルシブなピークにゃ遅くて追付けず、リミッタを使ってもコンプの動作しか無かった。😓
が今や速度だけならデジタルの威力で間に合う様になたったんで、音色の改変(主にマッチョ化)にはコンプが使われる。

今仮に高性能なリミッタだけを使った場合、原音と比較しなければ分からないだろう。
その場合オーバーする分だけが抑えられ、それ以下の部分はそのまま出て来る。

それは場合に依っては極強の部分だけ取ってしまうんで、プロセス後の音は寧ろ大人しくなるんだ。
なので折角ダイナミックレンジが拡がっても、弱い処を盛るコンプが頻用されてわざわざ狭くしてだんけどね。

確かに貧弱過ぎては印象に残らないし訴求力も欠けるけど、強さは「必要なだけあれば良い」んだ。
リズム隊は弱いより強い方が良い・それならGuitarだって…の挙句、肝心の歌はそれより強く元気に出来るのかよってな。

何なに歌を強化出来ねえからせめて伴奏だけでもってか?、そりゃアンタ歌の弱さを強調するたけでんがな。
要するに音の強さだけに元気さを求めるからアカンので、リズムの躍動感の方が元気さが出せるんだ。

それにはClick常用ってのが又最低で、調子の良い若者に正確さなんか大して求められてねんだ。
ってベテランの凄腕に比べたらの話しだが、若い時のつい興奮し過ぎて浮足立ってしまう感じとか齢取ると中々出せないから結構貴重なんだぜ。

音程感だってもっと欲しいのは山々だが、どれもこれも無理くり修正してボーダーラインを越えたって駄目なんだ。
要は曲次第で重要素は変動するんだから、その曲を再現するのに足りてりゃ良いんだ。

<つづく>

2023年1月10日 (火)

音楽備忘録1243 過音圧ミュージックはもう沢山➋

一様な速過ぎテンポについて色々文句を付けたが、実はそんなのは氷山の一角に過ぎない。
絶望的に深刻なのが過剰音圧で、特に「曲に不相応な元気過ぎるDrum」が致命傷なのだ。

しかも恐らく元音は大人しいのを無理矢理加工して、かなりPop寄りの曲やグループでもHard Rockみたいな音にさ。
単体としては元気で何が悪いと思えるかもだが、曲に必要以上の元気は却って駄目なんすよ。

粗さとか乱暴さに繋がって、特にフレーズが詰め込んであると最悪だ。
音を逞しく聴かせる方法として「落差」が最も効果的なんだが、速いテンポでは弱い処や「音の途切れる処」を意図的に作ってやらないとね。

その参考として今日はThe PoliceのStewart Copelandを提示するが、元はPunkとReggaeを融合するのにそれは必須だった。
De Do Do Do De Da Da Daではサビ以外は半分のテンポに下げ、SnareのBack Beatを抜いてスピード感を殺している。

Message In A Bottleでは↑の他、バスドラの数で差を生み出している。
サビでは8部音符が出て来るが、それ以外の箇所では頑として4部音符迄しか踏んでいない。

最初聴いた時はトリオなのにそんなに省いてエエのんかと思った位で、けどサビの疾走感をもって納得って感じだった。
実は当時の売れ線としては久々でテンポが速く、その速さはロカビリー以来だったんだ。

ロカビリーの途中迄何故速くてもポピュラーとして成立してたかってば、伴奏がシンバルレガート以外ほぼ4分音符で演られてたからだ。
主旋律も言葉としては細かくても4分主体で、それ故条件が悪くても聴き取りが割と楽だったんだ。

それからBeatが細かくなるに連れ実はテンポが遅くなってってるんだが、スピード感が増してった為に問題にならなかった。
では何故Beatが細かくなってったかってば、4分音符で出来る範囲がほぼ一回りしちまったからだ。

昔に比べると再生音質の平均は遥かに良くなってるけど、かと言って人間の聴き取り速度は大して上がっちゃいない。
そこで新たな手段としては多い物には抜く・少ない物には足すとなるんだが、それには「テンポは速いけど抜けない」のをこしらえるのがヤバいんだ。

個人的には重心が高くなるんで昔のロカビリースタイルはあんまり好きじゃないが、例えばバスドラを小節の頭にしか殆ど入れない事で余白を作っている。
一方でJazzでは全部入れる時は凄く弱くしてて、アクセントと混同しない様に配慮されている。

中には全部入れて弱くしてないのもあるけど、それは例外的存在で常用出来る様な代物ではないのだ。
ってのは小節頭だけを基本にしてれば、1つだけ足すその位置等で幾らでもバリエーションが稼げる。

のが全部フルにしちゃうと無効化する訳で、要するに「誰がどう演っても同じ」になるさぁねぇ。
いやいやそれでもまだ音色の個性ガなあなた、そりゃ加工度が低かったら確かにそうだ。

フルコンプ・フルEQしちまえばそんなの僅差になって、少なくとも素人(これが一番肝心なんだが💦)に違いは分からなくなる。
因みに過去名作で結構深目にコンプの掛かってるのもあるが、半分以上は「テープの仕業」で昔にそんな凄い機器はおまへん。

コンプ/リミッタの「レシオ」を比べると一目瞭然で、その根源は増幅素子の増幅率にありま。
と言えば電気詳しい人ならこれだけで分かる筈で、今は1万倍以上なんてのもあるが昔はせいぜい100行けば凄かったんだから。

<つづく>

2023年1月 8日 (日)

音楽備忘録1241 楽器Amp同士の組合せの話し㊲

恒例の前回後部補遺からになるが、楽器に手が届く距離で聴くのって生楽器なら一部例外以外では極当り前な状況だ。
非生楽器の「離れても聴ける」は一種の醍醐味ではあるが、私的には「離れなきゃなんない」を補う為のものと思ってんだ。

心底音楽とその楽器が好きだったらそれ等は恋人同然なんだから、常にせめて手を伸ばせば届く位の距離感で居たいと感じても自然なんじゃないかな。
情緒とか感情を殺して考えたって、Ampは調整するのにどうせ手が届く距離に置かなきゃなんないし。

からのプチ観察をするとJazz用等のコンパクトなのの一部には、ツマミ類等がAmp上面に付いてるのもあるよねえ。
座した奏者の足元とか横に置いて視覚的に邪魔にならないなら、座ったまま何時でも再調整可能にするにはその方が良い。

エレキでもそんなのを使えば向きのズレは兎も角、Amp-奏者間距離はDrumsetや生Piano等と近似になってる。
そこで基準としては非ノッポのならAmp前に胡坐で手が届く、人よりノッポの巨大なのだったら立ちはするがやはり手の届く距離にしてみては如何でせう。

それで継続的に耐えられるのを自身の最大音量とし、特別広かったりAmpから常時は遠ざかる時以外環境に応じて寧ろ必要なだけに下げるのがお勧めよ。
音って音色等次第で計測した通りには感じられない方が多く、下手に悪いのに飼い慣らされててもとっても気付け難い。

俺から見て身近でこれを最も具現化してるのが従兄で、騒々しいのが苦手な癖にDrumだけ喧しくても涼しい顔しててさ。
こっちだって最近はそこそこ日常的に鳴らしてるけど、楽器種に依ってウルサさが違ったりはあり得ない。

人一倍適正音量にも拘ってるしかも大ベテランの従兄でそんなな位、音量に対する正常な感覚(特に音楽趣味の無い一般平均の)を保つのは困難なんだ。
それでも生楽器の人は耳は平気でも妙に疲れるとかでまだチャンスが残ってるが、電気で音量が自由となると感覚だけに頼るのは無理がある。

それでいて今劣化本邦で解せないのが歌唱声量の極度な減少で、歌は小さくPAはデカくって完全にエコにも反する行為じゃい。
確かに声量に恵まれない人が人前で歌える機会は増えるけど、PAの音量過大で今度は爆音に弱い人を追い払っちまってるじゃん。

と一面でわざわざ客数減少を促す行為だが、これを無視しても表現者には過剰平均音圧と同様大きな損失がある。
平時が暴爆音だとPianissimo以下位に
下げた時しか、観客には強弱が認識出来なくなるのよ。

してこれはバランスを取り難くしたり明瞭度を悪化させたり、音楽にとっちゃ百害あって一利無しなんす。
目立ったもん勝ちの世間じゃ演者のエゴも増し盛り気味になるし、Drumsetに過大最大音量のがこうも増えるとつい「大きい方に合せ」その後バランスを取ろうとするけどさ。

基準になるヤツがバランスを取れる限界を超えてると、他のを全部食っちまうからそんなの絶対無理なの。
そんな最大音量のリミットは先ずは人耳だが、その他にハコの広さとその残響率ってのもある。

の一端が素人でも認識し易いのったらハウリングで、そりゃあ音源音量が不適切に小さ過ぎりゃこの限りじゃないがね。
マトモな楽器+奏者or歌手×適切なMicで僅かな変化でハウリングを頻発する様なら、その場所の俺言い「最大音量容量」を超過してるんだと思っとくれやす。

<つづく>

より以前の記事一覧

フォト
2023年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ