真空管

2025年4月25日 (金)

音楽備忘録2077 ’70年代Rockの浦島太郎㊺

さてマニュアル執着の問題点は他にもあるが、その嚆矢は用途外活用じゃないかな。
メーカ側としては何されるか分からんから保証対象外になるし、成功率が低い割にハイリスクなのは間違いないんだけどね。

けれど従前の枠内でどう捏ねようと、それじゃあ結果もほぼ従前の範囲内に限定されちゃうんだ。
それがもし安全面に関わるなら変な冒険なんかすべきじゃないが、音楽なんて内容が空想の産物なんだから実害は遥かに少ねんですよ。

少なくとも生命の危機に瀕する機会は極小で、そりゃなるべく機器だって壊したか無いがね。
処が形ある物何れは崩れるで、寿命は様々も絶対に一生持ってくれるとは限らんのどす。

そこから見えて来るのが寿命間際と思われるので試す方法で、これ実際に鉄道車両等では古くから実施されてる手段なんだ。
廃車解体が決定しててどうせバラすんなら、その前に衝突事故の実体シミュレーションに利用したりさ。

実はマニュアルにも「質の差」っつうのがあって、今劣化本邦の電子機器には唯の1つも回路図が付いてるのにお目に掛からなくなっちまった。
と書くからには主に真空管全盛時代の頃のには、日本でだって巻末か別添付で付けられてたんだ。

折角だから一例を紹介しとくと一体型のステレオ再生装置やTVの裏蓋に封筒が背負わされて、その中に折りたたまれて回路図が入ってたん。
そりゃ信頼性が今より格段に低かったんだから、せめてものお慰みで…なんてケチ付けるのは何処のどいつだい?。

まあ確かに頻繁に不具合は起こしてたけど、滅多に不具合が出なきゃ修理の為の重要情報を非公開にして良いって事ぁ無かんべよ。
今劣化本邦で杜撰大王がこれを問題視するのは、メーカが面倒を見てくれる期間が短目だからだ。

家電標準寿命が6年だからって、本来より長く使って貰えたら喜ぶべき事象。
中々壊れないと次を勝って貰えんからは分からんでもないが、その際消費者が必ず同じメーカを選ぶ保証なんて無いのにさ。

結局自らブランドの誇りを捨て当座の売り上げに全振りしたんだから、低迷するのは至極当然だぁ。
わ兎も角万全なアフターとは到底言い難く、その面等では昔より購入者自身で色々考えとなきゃなんなくなってんすわ。

ので長期視野に立てばどんなにマニュアル尊守したって先は分からねんだから、もうちったぁ自分自身で考える癖を普段から養っとくのがお勧めなんだ。
そうしといて大損しないのは、考えた上でその時点ではマニュアルに従うって選択肢もあるからだよ。

のが逆は無いし万一マニュアル不記載の事例に出くわしたら、そこで一巻の終りが来ちゃうで。
しやしかし昭和の頃or世代にはこれっぽっちも取説に目もくれずやらかす奴が多かったのに、今度は読むばかりなんて逆へ振り過ぎだわさ。

何時の時代だろうと熟読せずとも一応全部目は通しといて、自身でもそれなりに考えなきゃ駄目に決まってんのに。
確かにケータイショップで列をなす昭和以上世代の汚客様逹の自助努力ゼロには呆れるが、幾ら反動とは言え間に平成が30年以上もあったんだから。

今マニュアル盲信に溺れてる人も後10年か20年後には、晴れて老害入りおめでとさんでんがな。
現在の老害とその場所は真逆に近いだろうけど、現役世代にとって話が通じない相手になるのは一緒だ。

-つづく-

2025年3月18日 (火)

音楽備忘録2039 音プロの音楽の聴き方⑥

さて本項ここ迄は概念や意識の仕方を綴ったが、実用域ではその他にやはり知識が必要なのでそれへ言及してこう。
その1は音響機器への一般評で、私感とは別に把握するのが大切なのだ。

その副産物として私感を別とするのには、自身の感覚・好みが世間平均内で何処に位置するかが知れるから。
と同時に説明上手に直結してて、海外渡航に際し取敢えず簡単な英語だけでも習得しとくのなんかと同じだ。

聴くのとその判定を正確にするのが第一ではあるが、それを実際に反映させらんなきゃ殆ど意味が無くなっちまう。
この段階で問題になるのが意思の疎通で、最低でも標準と比べたらどこそこ寄りですよなんて表現が出来る様にならんと。

当然相手が感性が似てるとか共通項が多い程翻訳量が減って楽なんだけど、それに甘んじてるとそのタイプの人達の弱点を是正出来ない。
理想は万人夫々に最適な表現が可能な事だが、誰でもそこ迄上り詰められる訳じゃない。

からこそ最低限だけは死守しときたい処で、個性の強い者程残念乍ら苦労させられる。
だが苦心はしてもクリア出来た暁には、個性≒独自性はとても大きな武器になるんだ。

その2は機器等の差が再生音にどの程度どんな風に影響するのかで、なるべくなら各傾向で極端な例の代表的な処は実体験が望ましい。
のわ物理特性と感性の関係が大多数の者にとっちゃリニアには程遠いからで、悪い意味でスポンサー臭ふんぷんの専門誌記事なんかに騙されるのも防げんのよ。

一般心理として体験ハードルの高いヤツには、苦労して実体験する価値があるかどうか↑等で先に様子を伺いたくなるのが人情ってもんだ。
だが好みの他商売になれば儲けが絡んで来て、特に近年は各業界全体に効果が波及する様な論評は皆無になっちまった。

資本主義をやってる限りはこの傾向は避けられなく、本来ならそれを教育分野で補填しなきゃいけないんだけどね。
今劣化本邦では公的機関は増える手間暇を毛嫌いして、情けない事にボランティアに丸投げ状態だ。

まあ日本って昔から内実は中小下請け依存体質だったが、近年新自由主義に感化される迄はこんなに冷遇・切捨てはしてなかったん。
ので昔は売れない専門誌等には絶好の記事も散見されてたんだが、大企業だけが正義みたいな波に飲まれて散逸してもうた。

先頃惜しくも急逝した森永卓郎先生等は辛うじて世間への発言権が確保されてたが、それが可能だったのは一匹狼なのと先に既に知名度を持ててたからだ。
長らくはどっちかったら体制側に好都合な存在で、晩年に突如牙を剥いた様な状況だったかんね。

しかもそれが殆ど偶然のタイミングでの変身で、意図的に狙って猫被ろうと考えててもとっても難しい。
余程の人物でない限り人は良い思いをすると変わり易く、当初崇高な志を持ってても何時しか楽な低い方へ流されるもんだ。

こんな事を執念深く書いてる杜撰大王でも、歌や楽器の練習はいとも簡単に疎かになってるし。
って単にだらしないだけかも分からんが、だからこそ知性だけは劣化させない様に気をつけないとね。

感覚・運動能力・自身等と自ら特には望んでない習慣なんて、唯齢を取るだけであっさり想像以上に劣化しちまうんだからさ。
上記と比べたら聴くのは受け身で済み、最も楽なんだしね。

-つづく-

2025年3月14日 (金)

音楽備忘録2035 音プロの音楽の聴き方⑤

さて次にAI等機械で分析困難なのが「硬さ柔らかさ」で、各要素の物理的総合特性と聴感が一致しない件ざんす。
前回から機械と人間夫々の得手不得手に言及してるのは、片方でしか殆ど判断出来ないのがあるからだ。

その内現状人間聴感依存のを一定以上聴き分けられなかったら、それじゃあ音プロの使命が果たせなくなる訳よ。
処がノリにしても今回の硬軟にしてもなまじ明確な指標とか基準が無いもんだから、それも意識した体験が足りんとどんどん廃れてくんすわ。

その意味で真空管とかかつてのTANNOY等の存在はとっても貴重で、各個人の好みとは無関係にそんなのがあり得るんだを知らしめてくれてたんだ。
それ等に共通なのが柔らかい割にさして明瞭度に劣らない点で、必ずしも高級品だからそうだったんじゃ無いんだよ。

そして録音等のモニタスピーカにも主に2つの役目があるんだが、近年は何時の間にか片方が軽視或は忘れられてるのがアウトなんだ。
今でも堅持されてるのがノイズ発見等の所謂「検聴」で、大多数が失念してるのが「実際の聴感」なのだ。

拙ブログでは随時警鐘を鳴らしてるが、どんなにノイズレスだってそれでは物理的欠点が無い証明しか出来んのどす。
えっ?欠点無いなら良かったじゃんなあなた、そりゃ唯の音だったらそれでも充分かも知れないけどさ。

音楽っつう嫌いな人には騒音になるかも知れない存在で、魅力や心地良さが足りなかったら本来は世に出せる代物じゃねえんすよ。
無論酷い雑音を放置するのは論外だが、欠点の有無より先に長所或は何等かの魅力が無きゃお話しにならんのどす。

だって上記した如くどんなに物理的ノイズレスにしといたって、耳にする人が生理的に嫌いだったらそれだけで騒音認定されちまうんだから。
そんで嫌いの中には聴くとすぐに疲れるとか堪えられないも含まれてて、機器や環境雑音等と違いこの箇所だったら出す側でかなりコントロール可能なんすよ。

こちらが干渉不可な部分があればこそ、可能な箇所はもっと配慮すべきと杜撰大王は思うんだがね。
それには散々聴き慣れて耐性が高くなってても、聴者に負荷が掛かりそうな音には常にアンテナ感度をMaxにしとく必要がある。

のを昭和感覚で例示するなら「子供には辛すぎるか」等、手始めに聴くのが自分以外の誰かと想像する等が良い。
但しそれも自身の現在の感覚が世間ではどんなか知っとく必要があり、最終的には無興味な人がどんな反応をするか等の実体験を積んだりしないと難しい。

ので他人が関る分は手間暇掛かってすぐには出来ないけど、自身で色んなタイプ違いのスピーカとかで聴くなら比較的すぐ取り掛かれてすぐ済ませられるん。
この面で何でも可能化した筈の現代は案外不便になってて、例えばFMトランスミッタ等が象徴的。

一時期は少し多機能なラジカセとかなら望んで無くても付いてて、所詮は擬似もラジオ放送で流れたらとかボロいラジオで聴いたらそんな感じになるのかが簡単に試せた。
因みに恐らく今ではかなり減ったろうが正にこの目的の為に、かつての録音スタジオのコントロールルームにはAURATONEの5C Super Sound Cubeってスピーカが常備されてたんよ。

アホな俺は当初はその意図をサッパリ知らなくて、何であんな低性能なのを一々備えてんのって思ってたわ。(救い難いアホ😢)
流石に現代レベルではあんなの殆ど例外的存在だろうけど、目先を変える宜しく耳先を変える効果は今でも無くなってねえぜ。

=つづく=

2025年2月17日 (月)

音楽備忘録2011 楽器音色一般のイメージと実際の違い㉒

手漕ぎボート並に進捗の遅い拙ブログでも、いい加減で総括へ筆を進めよう。
のに際し近年では大きく2つの主因があって1つは従来からの奏者と聴者の環境差だが、2つ目の新参者の比率が高まりつつある。

一体それ何?ったら、奏者ですら完成作品の予測が困難化した事だ。
便利・簡便・経済性で旧来のアナログに圧倒的優位なデジタルなんだが、誘惑に負けてデジタル領域での強力な加工・修正に依存し過ぎになっちゃったんだよ。

その結果奏者は質より迅速な音源提供が求められ、言うなれば血統の悪さ等が最後迄足を引っ張ってる様なのばかりになっとん。
現況デジタルで補足不能な生や真空管にもっと目を付けるべきで、そこだけは音源の段階で施しときゃ良かったんだがね。

どうせ切り貼り編集を前提にすんなら、1曲通してノーミス遂行出来る迄待つ必要は無い。
ので何処かを借りて演るなら、タイムコストはかなり下げられる。

んがそればかりに走っては唯の粗製乱造となり兼ねんから、高品位な収録音の方へもう少し時間と予算を回しゃ良いんだよ。
っとここで遠吠えした処ですぐに状況が変わる訳じゃ無いからどうするかったら、自身にとって最低限必要な加工度の低い音が聴ける場を探すのだ。

創作に携わってて自己基準になる生音がもし無かったら、そのまま幾ら続けたってピントのズレが永久に埋められないから一大事なんだ。
実は身内に音楽家2世にも拘わらずここの怪しいのが居て、なまじ本物に何時でも触れられる環境に居たのが仇になったのかな。

或は本物とは似ても似つかぬ紛い物の洗礼が足りなかったのか、要点の解釈がどうも未だ甘いままなんだ。
テク・フレージングに加え容姿もあり余ってるから実に勿体無く、音色とリズムの鮮度さえ解決したら正に万能なんだけどねえ。

しかも不思議なのは杜撰君同様音響屋でもあり、耳も健全な筈なのに。
そうなると考えられる原因は唯1つ、自身の確固たる音の基準が未だ確立出来てないからなんじゃないかな。

ってのも育った音環境が杜撰君とは真逆に近く、球サウンドを除けばこっちは何時も何かしらの不満を抱えた状態が長く続いてたんだ。
飢えた処へ御馳走が登場すれば猛然と喰い付くし、その印象は深く恒久的に心に刻み込まれる。

のが大した不満も無く過ぎてれば一応記憶には残っても、一々詳細に分析したりあそこがああでここがこうだから素晴らしい等と固執したりしないんじゃないかな。
まあこれは例外的で普通はありつけなくて苦労するんだが、相応しい体験と素直な記憶が無いとこの件は正確に把握出来ねんだ。

それから個人の好みとは独立した感性が必要で、癪に障ろうと大嫌いだろうと美しい音が沢山あるなとか皆は好きになれそうにないけど自分はこんなのが好きとかあるじゃん。
こう云うのってどっちに転んでも得だけ損だけとはならず、唯一無二の独自性と受容れられ易さは反対側に位置する事が多い。

-もう1回つづく-

2025年2月13日 (木)

音楽備忘録2007 楽器音色一般のイメージと実際の違い㉑

相変らず文章が稚拙で済まんが、前回末尾の誤認対策で補遺から。
正確には誤認の他逃す可能性もあって、万一にも再生機器が記録されたローエンドに非対応等のケースだ。

今劣化本邦では共通条件で聴かれる率が飛躍的に低下してるし、それと同時に軽度の難聴とか聴感覚に変な癖が付いてても把握スルーされてる可能性大なのだ。
そしてその現状は到底個人や小さな集団では調査不可能なんで、昔みたいにこの手は主にラジカセで聴かれるからこんな按配になんてのが通用してくれへん。

音響ヲタ的には主用されるブランドタイプの混沌化したのがガンで、かつて日本では歌謡曲寄りなClarion等とオーディオライクなSONY(全機種じゃ無いが)みたいな棲み分けがあったんだ。
杜撰君はそれを魔用して歌はClarionで伴奏やインストはSONYでなんてやってたんだけど、いつの間にか何だか中途半端にごちゃ混ぜになってしもうてのう。

ほいで徐々に本題へ向かうが、上記等が新たに発生してっから聴取環境が以前よりバラバラになってんだ。
そんな中誰にでも「同じ感じ」に聴こえる様にするのが、却って昔より困難化を招いてんの。

大昔は雰囲気だけその後の昔は単純にHi-Fiにすりゃ及第点だったのが、今では両方をそこそこ以上のレベルにしとかないとならなくなったんすよ。
そんな中対策遅れと思しきが雰囲気の方なんだがここで扱うのは、例えば前述の通りそんなにローエンドが出てるならそれより上の帯域にも相違がある筈だみたいなヤツだ。

大柄な楽器若しくは発音体で生成された低音には、単に音程が低い他に色んな要素が実際は付帯して来る。
その①皮が大きかったり弦が長きゃアタック音を始めとした反応が鈍目になるとか、②そのエネルギーも大き目となるので他の物体等が揺すられて音を立てる等だ。

俺知りでの最好例が概述BeatlesはCome Togetherのバスドラで、①はOn Micの高域で②はスナッピーの共振音で現場の臨場感を俺達に伝えてくれる。
尤も②の方はバスドラよりBassのローエンドに貢献してるが、特別共鳴し易いチューニングにでもしてない限り流石にメロタム叩いてスナッピーの共鳴を感じる奴はあんま居ねえべ。

そう云や古代述だがDrumsetのバスドラって、人知れず単体の時とは少し異なるサウンドを皆は普通の音と認識してるんだよね。
そもそもバスドラの打面と響き線の付いてるSnare裏皮って至近距離にあるんで、仮に所謂共振・共鳴現象が起んなくてもその振動でザッってなっちゃうんだ。

粗雑な扱いのDrummerだったらセッティング時とかに何かにぶつけると、スナッピーSWがOnになってたらカン・コンとかじゃなくてザって云うの概知でんがな。(すんまへん、オラの事だす😓)
かつて一時期はモア明瞭度忖度の為↑を雑音とみなし忌避された時期もあったけど、打込み勢力が台頭して来ると生リアル固有の貴重な現象なんすわ。

因みに打込み音源にはわざと入れてあるのもありそうだが、Snare叩かないけど途中でスナッピーSWをOffにしたみたいなシミュレートは聴いた覚えが御座んせん。
生合奏してたらさして珍しい事じゃないんだけど、物知りベテランDrummerのバスドラサウンドは所望次第でこんなのを使い分けてんすよ。

別の言い方をするなら出てたのに重要じゃないと思って無視しちゃった音ってのが意外とあるもんで、普段はどっでも良い事が時には運命の鍵を握ってたなんてのがあるん。
スナッピーの伴鳴りの無いバスドラって、あるのよか何となくガッツがねえからお試しあれ。

-続く-

2025年2月11日 (火)

音楽備忘録2005 ’70年代Rockの浦島太郎㉗

今日は副題「進化のバランス」を掲げて進めるが、私感ではあらゆる分野で今が最大かもと感じている。
多分世代的な影響もあるんだろうが、’70年代って未来予想図みたいのがかなり多かったんだ。

少なくとも表面上は敗戦禍から脱せたのと高度成長期で資金も意欲も豊富だから、次はアレを今度はそれをが決して単なる夢物語じゃ無かったん。
で当時のそれに依れば陸上の乗り物は少し地面から浮上可能になってたりして、実際リニアモーターカーやドローンとかで実現し掛かっちゃいるんだけどさ。

でも特に後者は過去予測のとはかなり別物で、現況のの実態は唯の4発ラジコンヘリに過ぎない。
空飛ぶ自動車にしたって過去予測のはもっとホバークラフトの小型版で、今のみたいな変形飛行機じゃ無かったんだ。

そして鉄ヲタとして執拗に吠えたいのが連接車で、原理的に乗り心地と曲線通過速度を向上させられるんだけどね。
確かに振子装置やアクティブダンパーを使えば補えはするが、付加機器を増やす点では非合理でしかないのよ。

そもそも未だにどちらさんでもレールと鉄輪に固執してるのが愚で、一番古典的な箇所を進化させなきゃ他をどんなに進化させた処で足枷になるのは明白なのに。
と言いつつ楽器みたいに下手に進化させたら固有の魅力が消失するのもあるから、何でも一概に進化させりゃ良いってもんでもない。

どんなに低性能で非効率でも現に相変らずSLは人気だが、本当に味わう為には変な所だけ刷新しちゃっちゃ駄目でしょ。
蒸気時代客車の扉は全て手動だったのが安全の為の自動化なら許したとして、流石に煙も水蒸気も全然出なくしたら最早デザインだけになっちゃうよな。

あと体験が目的なら本来は冷房もアウトなんだが、近年の異常酷暑では付けとかんと夏場に運航出来ない。
がホントに先に必要なのは機関車の運転室なのに、諸事情からとても困難とは言え放置してるのは明白な矛盾だ。

それなら客車冷房を止めて下手に儲けに走らずに、冷房が必要な時期は思い切って運休にすべきなんだけどなぁ。
その根拠の1つに「走行風を満喫」っつうのがあり、バイクやオープンカー同様風でスピード感をってのがあんのよ。

バイク・オープンカーは私有地内なら免許不要で運転出来るし、それよりゃハードルは上がるが肉体的障碍無くば免許を取れる可能性がある。
だが鉄道では素人には門戸が開かれて無いし、増してや自身の代わりに運転してくれる人を探すなんて夢物語に等しい。

そう云った意味で電気楽器から真空管を除外してては、こう云う物だと云う正しい体験が不可能になってんの。
誰もが一通り体験をした後だったら縛られなくても一向に構わんが、杜撰流に言や現状はまるで見合い結婚の大昔に戻った様なもんすわ。

それで昔みたいに離婚は恥みたいな認識も無くなってっから、安易に手を出してサッサと諦める人を増やしてんじゃね。
それの行き過ぎが又罪なのは、本当はどんな物かを知れずに止めてしまう事。

すると粘り強い性格とかたまたま一定以上続けられた者と、真実を知らされず即座に投げ出した者との体験の乖離が拡大して2極化・分断が促進される。
挙句には演っても演らなくても思考狭窄に陥り、やがては所詮は唯の楽器なのにナントカ族のアイテムへと逆行だ。

スポーツ界には未だ新参種で態度の悪い選手がいると慌てて蔑んでるが、高額年俸を貰ってるプロ野球選手の淫行の方が余程性質が悪いのにNPBでは何故か永久追放処分にならない。
かつての暴力団等確かに社会を害する部分は少なくなかったが、どう考えたって裏金議員が誰1人逮捕されない方がどうにもヤバイっしょ。

-つづく-

2025年2月 9日 (日)

音楽備忘録2003 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓴

今回は杜撰大王自身未達の命題を副題に掲げて進めてくが、その名は「音色の肥満度」でゲス。
アチキは古くからワイドレンジでフルなサウンドが好みで目指して来てるが、ちゃんと検証してみると聴感や印象と物理特性の違ったのがかなり多かってん。

最初にあれっと思ったのはエレキGuitarをカリカリにしたつもりが、いざ録って混ぜてみたら案外普通っぽかった古事に依る。
但しAmpが伝統的オールチューブって条件付きで、石の回路やデジタルでやったら保証の限りじゃねっけどな。

まあしかし余程特殊なの以外エレキの音色は基本的には全球Ampで開発されてて、如何にもなLine収録のBassのはLiveになると殆どそのままなんて再現出来ゃしない。
っつう事って生再現不可な音色は一応除外しとくが、どうやら楽器の音色って想像するより物理的にはそんな大きくは変えられないらしい。

のを逆から考えりゃ、聴感・印象だけならかなり大胆に変えられるって事なんだよね。
それを確信したのが過去述杜撰君にとってのセカンドインパクトで、再検証してみたRingoのバスドラサウンドざます。

彼等のは奏者は言う迄も無く機材を始め全てが最高のだったから、純粋に当時の他のとはスペックが違ってたせいだとずっと思ってたんだ。
がかなり近似なDrumsetを入手して色々試す内、主因はスペックじゃないらしきを思い知ったん。

低域等をどう料理しても敵わなかったのが、皮の揺れ感どす。
聴取機材・環境次第で印象激変しても構わなきゃ、可聴限界の底迄拾ってローエンドを盛っといたって良いんだけどさ。

尤もそうしてると課題になるのがどの程度の盛りにしとくかで、万一個人嗜好で常時盛大にローブーストしてる人が居たらこっちの意図と異なって単に超低域が飽和するだけ。
逆にチープなのしか持たぬ人にはそもそも低域が芳醇なのが全く伝わらず、その為の苦労は水の泡になってまう。

この懸念を一気に吹き飛ばせるのが太鼓なら「皮の揺れ感」で、低音が豊富な音色の「低音以外での特徴」に目を付けたのは実に慧眼でしたわ。
コレ実は凄く昔の低音質な作品でも、流石に大太鼓と小太鼓を聴き違える奴なんて殆ど居ないのから来たんだろうな。

物理的には狭隘な中域を非リニアにしか拾えてなく、ほぼ全てのサウンドが盛大に削られて変容させられて記録されてんだよね。
にも拘わらずわざとや偶然以外、どの音が何かって皆割と苦も無く判別付いてるじゃん。

と言いつつ近年迄は音響に正直過ぎたかはたまたアホなだけか分からんが、杜撰大王もそんな面は殆ど意識に無かったんだ。
音響兼業の立場としては紛い物じゃ無く、そのものズバリを訴求してたからね。

でも今再考してみるとそれも1つのエゴとかナルシスの疑い大ありで、殆どの人は聴いた印象しか気にしてねんだよ。
深掘りしてみると聴者全員が録音現場に立ち会ってるなんてあり得ず、誰が何をどう奏てどう録ったかなんて知ったこっちゃない。

それより遥かに「きっと○○はバカデカいんだろうな」とか、「部屋が揺れる程凄いんだろうな」とかそれが分かるのが大事なんですわ。
悪詮索すりゃ俄かヲタが得意ぶって実際出てて拾えてるのに対し、あんなのはきっとEQとかで盛大に盛ったに違いあるまいとか逆もあるかも知れんしね。

-つづく-

2025年1月11日 (土)

音楽備忘録1974 音楽でのアイデアの実現方法⑨

さてさて又々余談から入るが、老人大国となった今もしかしたら耳よりな話しから参ろう。
本項前回末尾で「還暦以上世代の平均可聴限界 は12kHz」と吐露したが、そうなると音楽も含めた世の中に存在する音はどんな風に聴こえるのかだ。

視覚にしても聴覚にしても個人の感覚だから、きっと千差万別であらゆるパターンがあるんだろうな。
けど物凄く大雑把に言えば、本人意識としてはあまりそうなる以前と変わり映えしない。

ってのが少なくとも杜撰大王の感想で、特殊な音を除けばざんす。
ではその特殊っつうのはってぇとブラウン管の動作音とか所謂モスキート音等、他の周波数帯域を伴わない超高音だ。

但しその帯域の耳感度が著しく低下したのみで、現状杜撰君の場合は爆音になればまだ少しは聴こえてんだ。
何れは完全Cut Offされる日が訪れるやも知れぬが、昔想像してたのとは一寸違ったよ。

現実にはあり得ないけど目の前でも高周波で悪口言われたら、全く聴こえなくって無反応みたいになるかと思ってたんだ。
極論すれば例えば両方鳴らしてるのに、Cymbalだけ聴こえなくなって太鼓ばっか聴こえるとかさ。

処がそんな事は全く起らず、音楽や楽器の音色等は何等変化無く何時ものままに聴こえたん。
ほんでこの体験が新音色開発の1つのヒントになりそうで、耳の加齢劣化をアンサンブルの過酷度に置き換えて考えるのもアリかと思ったんよ。

逞しいにせよ高音質にせよ楽曲やアンサンブルに最適化された音色って、そうじゃないのと比べると断然印象が激変したりなんかしないじゃん。
特にそこそこ昔に発明された音色なんかがそうで、出てる周波数の上下が記録では明らかに削れてる筈なのに印象の代表的部分は変わらない。

厳密にはほぼ生耳でしか充分には堪能出来ない部分だってあるんだが、その領域になると現行音響システムですらあんまり再現出来てないし。
ってかそもそもあらゆるLiveで理想の音色を再現するのが至難で、俺知りで最も頑張っててBrian May辺りで限界かねえ。

’70年代当時でも最早大舞台用では無くなってたVOX AC-30に固執して、必要台数を並列接続して使ってたん。
因みにこの方法の制約は33W単位でしか音圧調節出来ない処で、比較的早期に大舞台に恵まれたから助かってたんだ。

もし33Wでは不足だが66Wでは過多とかだったら、ゴリ押そうにも不可能だったんだよ。
出力音圧ってW数とリニアな変化じゃ無く倍々ゲーム
で、その結果小さ目の方でAmp最大出力依存の音量調整は困難を極めるだよ。

わ兎も角1に資金2に手間や輸送も大いに影響するから、仮に↑案件をクリアしてもおいそれと誰もが真似なんか出来ねんだ。
只そんでも電気楽器はマシな口で、爆音スタイルのDrumなんかだともっとてえへんなのだ。

特に今はOld Type Ludwigが主流じゃないから、サイズが変わってもほぼ同じ音色ってのがかなり難しくなっちゃったよ。
因みにⅡでかつてマイセット購入で24か22かで迷った際、カノウプスの神店員から殆ど最大音量が違うだけと教えられ実際その通りでしてな。

それ故音色って必ずしも音響や物理とはリンクしてないもんで、これを忘れて開発しても実用に堪えないのが少なくないんすよ。
スペックより実聴感、その上色んな環境下で変容の少ないのの中から抽出するのがコツなんじゃない?

-続く-

2024年12月25日 (水)

音楽備忘録1957 ’70年代Rockの浦島太郎⓯

つう事って今回はこっち方面の小規模商店にスポットを当ててみるが、これには今昔で相当な隔たりがある。
多分まだ完全には消滅してないんだろうが、オリジナルスキルを持った店員は見事な迄に霧散しちまった様だ。

少し以前にプロドラムショップのモリタ楽器の話しをしたが、あそこは特別にしても街の一介のレコード屋だって昔は侮れなかったんだ。
で唯昔を称賛したんじゃ不公平だから先に弱点を綴っとくと、現代の大型総合店等と比べるとやはり守備範囲自体は狭かった。

電子部品なら球屋・石屋・トランス屋・ケース屋…等と別れてて、初心者が初めての自作機の部品を集めるには少々面倒だった。
尤も東京ラジオデパート等集積してる所では中々工夫されてて、動線が予算で妥協出来ない部類から順に配置されてはいたかな。

或は誰でも即買い可能なのは入口付近に、熟慮と相談を要するのは奥の方に鎮座してたねえ。
その結果物理都合上は軽い電線類が道路に面してて、重たいトランスがどの入口からも遠目だったのは皮肉だがね。

けど殆どの客がわざわざ交通機関に乗って来てる様な状況では、なるべく最小回数で買い物を達成出来る方が有難かったのよ。
こんな時点から限られたやれる範囲での工夫は周到に凝らされてて、まるでかつては便利だった私鉄の小駅が高架化・地下化・巨大化等で改札からホーム迄の動線がやたら延長したのとは正反対だ。

さて今更ネット時代に入って久しいってのに何故店舗に拘るかったら、特に日本ではプチデータベース発信基地も兼ねてたからなのだ。
出来れば公のが望ましいが私設であっても万人が利用可能な施設みたいなのがありゃ良かったが、教育・広報関係が全く育ってない処か微かなのさえ消失し続けてる始末に御座居。

私説では明治維新で武士の誇りを捨て、昭和の敗戦で貴族の矜持を蔑ろにしたのがどうも良くなかったかね。
大金持ちしか出来ない社会貢献ってのがサッパリで、主に野球限定だが最早実効性を伴って実施中なのは大谷翔平唯一人位じゃねえのけ。

かと言って明治以降の我が国政府はどうも頼りないのが続く中、敗戦から平成の途中位迄民間のしかも小市民が兼業でその代役を担ってたんすよ。
その賛否は別として本来善意で堪えてる内に対処すべきが、日本のじゃないから(洋楽の事な)別にいいやとでもなったのかな。

それで大損するのは今後の人だから自分達が唯で教えるなんて気に食わんと思ったか、何時しか文化を知った者は伝える義務もあるのを忘れたらしい。
歴史や学問も含めこの手の情報は都合が良かろうと悪かろうとありのままに伝えなきゃ駄目で、そうしいなと現在地の座標にズレを生じるだよ。

もし悲しくも不都合だったらこれから修正してきゃ良いだけの事で、ホントは崖寸前に近付いてるのに地図に誤記載されてたらえらいこっちゃで御座居やすよ。
臭い物に蓋をするのが伝統と言う人も居るか知らんが、かつてはどうでもいい事と重要案件を皆が同じに扱ってた訳じゃねえんでっせ。

確かにアホ指導者が暴走するケースはしばしばあるが、マトモな人は何時の時代だって決してそれで良いとは思ってない筈だ。
唯一’70年代と異なるのは今は挑戦自体を簡単に諦める処で、成功確率の低い挑戦を継続する者を表の世間では蔑んでる処じゃないかな。

-続く-

2024年12月21日 (土)

音楽備忘録1953 ’70年代Rockの浦島太郎⓮

マスゴミの劣化・情報操作がぁなんつうと陰謀論者かと疑われ兼ねないが、近年は壺の悪影響もあるが音楽関係ではそれ以上に民度の低さが招いた結果なのだ。
資本主義社会下であれば芸術ですら儲けも問題だが、所詮新自由主義みたいなのはこの分野では成り立たんのどす。

寧ろ普通はこんなやり方じゃ儲けが出ない様なのが、奇特なアイデアで少しは儲かるみたいな存在なんすよ。
近頃はめっきり貧しくなったから何だってロクに売れやしねえが、元々市場規模の極小なニッチ分野で販量で稼ごうなんてのが大甘過ぎるのだ。

どんな大ヒットEffectorを出した処で、果たして日本一売れてない国産自動車の販量を上回れるのかなあ。
過去述「杜撰で隠蔽体質だったレコード表記」の欠陥よろしく、1モデルだけじゃ売れないからこそからめ手戦法で関連商品も色々少しづつ売るべきなんだがね。

処が俺言い「量産の倫理」にスッカリ囚われちまって、コスパの良い少量生産が出来なくなっちまいやがった。
その一例として米のエレキAmpメーカMatchlessを引合いに出すが、出た当初は法外な高価格だと思ったがミントコンディションのヴィンテージと比べたらまだ夢が見られる価格設定なんだよね。

英では特定ブランドの特定モデルに限定されるも、例えばVOX AC-30の一部は整流管仕様を死守しつつモノホンのヴィンテージよりゃかなり安い。
それでも遥か彼方の杜撰君は埋もれた中古から選ぶしかないんで、変にブームになって高騰するのは不都合だ。

がそれでも「作れる内はそのものズバリの本物を作り続けるべき」と考えてて、商業上なんてチンケな理由じゃなく材料が枯渇したとかそんな理由で絶版になる危惧が常にあるからなんよ。
ヴィンテージでボロ儲けしたい奴等にゃ悪いが、希少価値も度を越せば世間から方法論自体が消失するだよ。

かなり探しても見つからなきゃ別の手を考える者が続出し、偶然遭遇しない限り「切れないカード」と思われちまうんだ。
そうなるともう極一握りのコアヲタにしか相手にされなくなって…、ですら希少情報を誰かが伝授したりそれなりに広めなきゃ一巻の終りだ。

今劣化本邦の悪習の1つとしてマニアが消失しヲタが巾を利かせてる懸案があり、重なってる部分もあるが本来は別物なのだ。
確かに「浅い一般認識」としては流行りの呼称の方が理解は早いが、当事者自身が内心迄そんなじゃアカンがな。

そうして言うなれば「劣化コピー」繰返した挙句が現況と言え、政治・経済も酷いが一番目も当てられないのが文化程度・民度の低さなんすよ。
Rock系の場合スタンダードはメジャー放送メディアでは殆ど掛からなくなって久しく、平成後半以降に生まれた者は身内等からのレクチャーが無ければこんな基本情報さえ偶発遭遇でしか得られなくなっとるやんけ。

漸くの核心で済まんが恐ろしい事にRockが今よりもっとマイナーだった’70年代の方が、この件等に関しちゃずっとマシだったのを強弁しときたい。
ネットも無く世間での認知度も格段に低かったにも拘わらず、少なくとも都市部なら小坊ですら最低限の情報は望めば自ら簡単に知れたんだ。

企業界でも日本は欧米に比べると中小零細が未だ桁違いに主流を成してるが、この件でもそっちに大いなる利点があったんだがそれは次回に。
何れにせよ杜撰君は↑の典型だったから現況は青天の霹靂並で、まさかこんな酷い状況になるとは夢にも思えなかったよ。

-続く-

より以前の記事一覧