鍵盤

2023年5月30日 (火)

音楽備忘録1383 ノリを育む方法➓

拙ブログでは再三Click等への過依存に警鐘を鳴らしてるが、その中に昔より便利になり過ぎたからってのもあるんだ。
その一端に♩=125のテンポが正確に得られるとかがあり、しかし125.5っつうと殆どので出来ないって大きな弱みがあるんだよ。

もし楽曲の配布がMIDIデータが主流だったら未だしも、人が演ったら125.5はおろか大雑把にはなるだろうが125.395だって不可能じゃない。
この件で影響が大きくなるのが遅いテンポの時で、まあ60のをわざと120とか数倍で打込みゃちったあ端数だって再現出来るがね。

リズム・フレーズ・奏者とその組合せ次第で、ベストなテンポはとても微妙な変化をするもんなんだ。
それも例えば1人だけメンバーチェンジしても聴いた感じを同じにするのに、微調整した方がなんて事が起きるからねえ。

その感覚の精度を養うにはテンポを唯選ぶより、自ら探せる能力が必要なんだ。
仲間に事前練習を頼むのには大凡の数字は必要だが、それすら「どの位にしとくか」には明確なガイドなんて存在しませんぜ。

又滅多に起きないけど曲が進むにつれ僅かにテンポを上げると良かったとして、それが例えば119.6~120.4だったとして一般打込みだと全部120の方が近かったりする。
純然たる音響なら何でも数値化するのも結構だが、音楽って結局は人間が「聴いた感じ」が全てなんす。

概述の如く興奮を呼び覚ます様な曲だと聴き手の心拍数が上昇してくんで、そっちに合せてかないと遅くなった様に聴こえるんざます。
その程度ってのが厄介で人次第でかなり巾があるんだが、しかし誰が聴いても「遅れてはいない」位にするのが人力だったら可能なんすよ。

特にリアルのリアルではお客の顔色伺って反映させるのもアリになって来るんで、今日は昨日より速めた方が良いとかそう云うのもね。
で録音ではClick常用がデフォでも全部人力のアンサンブルだと、Liveじゃまだそうじゃないからねえ。

何もガイドが無い中で加減する力が要って、いや例えあっても今日のお客には事前設定しといたのが全然駄目とか平気であってね。
ので訓練の一環として平時なら120ってこん位、エキサイトしてたら実際は130のが平時の120とイーヴンとか知るのにメトロノームを使う分にはオッケー。

でも自分の中の常速を120と思ってて、かなり違ったからって変に矯正したりするのは良くないんだ。
音楽教師とかだったら未だしも自身のを感覚は一切変えず、唯それが「世間では130と呼ばれて
る」位に留めとかんと。

人次第で脈拍の常速に差がある等、下手に感覚を矯正するのは最も危険なのだ。
絶対音感みたいにテンポだって分る方が便利だが、もしかしたら皆持ってはいるが気紛れな人程変動巾が大きいだけなのかも知れねえぜ。

>つづく<

2023年5月27日 (土)

音楽備忘録1380 適切な音楽の評価方法⑦

前回のお題「音と音楽の評価はキッチリ分離しませう」の分科会と称し、サウンドの判断指針に言及しよう。
聴者にとっちゃ只良きゃ良いんだが、音楽的貢献度に着目すればそれに反するのが多々出て来んだ。

楽器単体で一般人が皆美しいと感じるのは、やはりワイドレンジで明瞭なの等が多いだろう。
特に生の器楽音に疎いとその傾向が強く、例え奏者からしたら非現実的なのでもそう思いがち。

けれどアンサンブルに支障する様では、全体を聴いた感じに負の作用をしちゃってるんだな。
悪目立ちして他の存在を無き物にするとか、部分的にマスキングして恰もその箇所には入って無いかの様に聴こえるとかね。

一般聴者には元々興味の薄いか無い相手が多少留守になったって知った事っちゃなく、その楽器の音を辿ってりゃ未だしも他を聴いてたらどうでも良いか? 。
けれどそんな状況でも全く無事に済んではいなくて、アンサンブルの変化は少しは感じ取ってんだ。

それはサビだけ他より何か軽い薄いなとか、イントロだけかなり重かったなとかね。
提供側が意図してそうしてるのもあるからややこしく、しかし不要で聴こえなくても構わないのは入れとかないのが基本なんだよね。(隠し味やハイブリッド合成の素材になってるのは別よ)

過去述の如く、後でどんな悪さしてたのが露呈するか分らんから。
今の表面上の高音質ってなこの面では美人局みたいなもんで、ウッカリ着いて行ったら後から怖いお兄さんがパターンに陥り易い。

俺言い「分別耳」がある程度出来上がってたら聴き分けられるが、楽器の生の音さえロクに知らない段階ではハードルが高過ぎる。
聴き専経由で打込みに至った人で、生のも一定量以上の体験があれば見込みが出ては来るがね。

てな訳で音質はLo-Fiな程俺言い「音楽効果耳」育成には適してて、近年の作品になる程出逢い系アプリやインスタ盛り画像と一緒で表層と内容に差があると思っといた方が良いのよ。
又「盛り」なんて登場したが、加工度がどれ位なのかもアンサンブルの出来栄えには大いに関係があるざます。

今みたいにやたら色々可能になって来ると生合奏ではあり得ないのが、如何にもバランスしてたかの如くに誤魔化せる。
つまりリアルではバッティングするのが成立してたりして、音楽内容的にはそう云うのは低レベルなんですよ。

そんなだと大天才の集団でもリアル再現不能ですから、少なくともポピュラー系としては落第だしょ。
とは言えあまりに低音質では「サウンド耳」育成にはマイナスになり、この面でも’70年代位のが妥協点になるんだよ。

処で’70年代の音楽が嫌いな方へ一言申し添えとくと、スタンダードが豊作だったんでそれと気付かず耳にしてる可能性が非常に高いどす。
特に近年斜陽のTVでBGM等に使われるケースは多い様で、将来そんなのを回避するにもある程度知っとかないとね。

<つづく>

2023年5月26日 (金)

音楽備忘録1379 ノリを育む方法➒

続いてはノリ関連での「機械の副作用」を綴ってくが、リズム関係のトレーニングでメトロノーム等が悪さするってのも妙な話しではある。
無論全く使わないのは駄目だが、同時に必ず「何時も使う」ってのがもっと駄目なんすよ。

人が主体となるリズムっつうのを自転車やバイクとすると、機械主導リズムのは3輪以上の乗り物みたいなもんなんだ。
つまりメトロノーム等は→ガイド→補助輪に値し、常用してたら如何なる場合も倒れないと。

で最初の内は補助輪が無いとすぐ転んで仕方無いが、慣れた暁には却って「あると邪魔」になって来るっしょ。
その最たるのが曲がる時の遠心力をキャンセルし切れないとか、左右高低差の大きい処で走れなくなったりさ。

補助輪レスだったらタイヤグリップが許す限り倒せるし、横傾斜では逆に自分で立ってる時と同じ様に引力に垂直にしてバランスを取るとかね。
一定以上の横傾斜に3輪以上は非対応だが、普段は不安定な代りそんなのが2輪車の有利な処なんだよね。

んでリズムの場合でも似た様なもんで、
極緩やかなテンポチェンジだとかノリの一部にガイドがお邪魔虫になるんすわ。
私的には録音でClickを常用するのは最早「時代遅れ」と考えてて、これからはより人のリアル合奏じゃないと出来ないモノに注目してんだ。

わ兎も角あまりちゃんと試してないけど録音時Click使用に、ガイドレスで行けるかどうかの差はノリという形でだとあると思うんだ。
ここらしく珍奇な表現をすれば「ズレても合うとか平気な箇所」が、ガイドレスじゃないと把握し辛いんよ。

語弊があってはイカンので掘っとくと、音楽耳で聴けばズレてないのにガイドとは一致しないって事が多々あるん。
どうしてそんなのがあるのかったら音程の平均律と純正律の関係と近似で、リズムも機械の一定のは最大公約数なだけだからなんだ。

少し誇張するならベストなリズムにするには、テンポ・拍子その他次第で本当は色々違いがあるんだよ。
例えば遅いテンポでは○箇所は僅かでも早いと慌てた感じになって不味いとか、△は普段より早目にしとかないと如何にも遅れた感じがしちゃうとかね。

それがDrumのオカズなんかで完全に譜面通り打込んどいたのに、達人の演ったのよりどうもキレが出ないとかに現れてんのよ。
特に問題になるのがリズム主導の為にそんなフレーズになったのなんかで、そう云うのはタイミングさえ良かったら実はフレーズはどうでも良いヤツなんだな。

これが叩く人だとどうも自分のはダサくて敵わんなんて、少しは実感出来るから良いんだけどさ。
叩く気のない人だと「フレーズの意味」の理解が浅くなりがちで、どんなに下手クソでも良いから机でも何でも手で叩いてみたら良いんだけどね。

昔機械が無かった時代は鼻歌や身振り手振りでシミュレートするしかなく、口で困難なのは誰でも説明するのにそうしてたんだ。
今は打込みが手軽になったから皆そっちで…、っても打込む前段階でもし譜面が無かったら必要なプロセスなんよ。

この辺も体裁過忖度の悪い部分で、ノリ(リズム)が決まらなきゃそのフレーズを使っても意味が殆ど無くなるん。
故に上述の様な極インスタントなのでも良いし体の一部でも良いから、「動かしてリズムを取ってみる」のが凄く大事なんざます。

>づつく<

2023年5月25日 (木)

音楽備忘録1378 リズム表現を手放しちゃうの?⓮

前数回は人間のノリ≒感性優先を綴ったが、今度は逆サイドから考察してみよう。
自身がメトロノームになる際は多分鼓動がその基準になってるんだろうが、最初に単独で録る時は唯奏でるだけだ。

が何かに沿わせる場合、聴くと奏でるを並行同時進行させる事になる。
その時リズムに影響があるのは奏でるばかりでは無く、ガイドの聴き方がどうなってるかでも結果に違いが生じるのだ。

この聴くってのが実に厄介な存在で、ほぼ人体内部処理だから明確に測定するとかが出来ねんだ。
何故って普通人体にはEffectループとか、パラアウトの類は一切付いて無いからねえ。

だからその是非は兎も角「自分の聴き」をアカデミックに数値化しようと思っても、耳のレイテンシが幾らで聴神経のレイテンシは幾らかなんてのが全然分からないんだ。
普通じゃない方法例えば頭に電極を付けたり埋め込んだとしても、全神経の解析が未明な内は分別その他が釈然としない。

仕方無いから感覚で分かる範囲を考察するとして、個人のリズムの興味がこの段階から影響してるのよ。
例えばDrumは重くあるべきとか思ってたりすれば、Clickに置換されててもその鳴動頭を基準としてんじゃね。

ので逆にDrumを引っ張るべき(軽い)存在と認知してたら、鳴動尻の瞬間を「今」と解釈してたりさ。
が常に安定してそう感じられたなら良いが、「ここら辺は重くないから真ん中で良いや」とか勝手にカウントの仕方が変動しちゃうんだ普通はね。

何故ってⅡでだってそう聴こえたもんに無理して逆らっても、そしたらもうその人のノリからは外れちゃうやん。
なのでもし奏でる方で完全一致する人同士が居たとしても、聴く方の個性で必ずしも両者の音像が1つになってくれなかったりするんでやんす。

もし重なるのが多いとしたら聴く方・奏でる方は夫々別値でも、総合特性が近似な人達なんだ。
っと言っても聴こえ方その他で全部は一致しなくて、俺と従兄みたいに普段はまあまあ合ってるのにそこでそっちへ行くかなみたいなのは天然では無くせない。

昔一時期はそれに拘ってイラついたりオラついたりもしたんだが、それこそがストレスにもなるけど別の誰かと合奏しなきゃ得られないリズム・コンビネーションなのよ。
自分でも楽器次第じゃ癖や所望が異なる場合もあるけれど、「音楽の解釈」は基本単一になる。

そもそもナチス軍の行進みたいなのが良きゃ全部打込みゃ良いし、それですら殆どのでアンサンブルが単一音になって聴こえる事は滅多にありゃしない。
のでⅡでアンサンブルであれば「リズムタイミングの組合せ」がアンサンブルのノリになり、適度にバラけてる位が丁度良いんですわ。

因みにズレが少ない方が体裁的には良好だが、組合せの余地が減るから個性は出し難くなるだす。
例えるならAmpのツマミ動作がリニアじゃ無く3~7が激変するのとかで、0と1とか9と10とかの差が殆ど他人には認知出来ないみたいなね。

かと言って楽曲を脅かす程のがあっちゃ不味いが、許容限界内で最大にズレてるのが多い集団のが有利になりますわ。
のでⅢでClick常用でもそれに釣られ過ぎなきゃ良いんだけど、反射的な動作を全てコントロールしてくのはとっても難しいぞ。

それやってギクシャクしたりする位なら、Click使うの止めちゃった方が話が早いんじゃね。
但しそれには最低限リズムキープと無音の処へ叩ける、Drummerが居ないとならんけどな。

>つづく<

2023年5月23日 (火)

音楽備忘録1376 適切な音楽の評価方法⑥

今回のお題は「音と音楽の評価はキッチリ分離しませう」と定めて、けど音だって音楽内容に大いに影響あるじゃん…さてどうしたとな。
充分な注意と体験をしてからじゃないと、良い音でも音楽的に効果の有無が分別出来ないからなのだ。

かつてLo-Fiってのが少しブームになったのが典型例で、わざとチープな音にしたりしてた事があってさ。
当時って既にCDこそ普及してたものの、録音機器は今より劣ってたのにですぜ。

それには勿論ノスタルジーも含まれてたけど、最大の要因は差別化で併せて親近感・内容重視にしたかったからだ。
近年のしか聴いてない人には想像困難かも知れないが、ずっと昔は何もしないと酷くて聴けたもんじゃなかったのよ。

今や伝説の黎明期ストンプは達人の功名な操縦・音色だけが有名だが、凡人が初めて触った段階じゃほぼ使い物にならない音しか出てくれねんですわ。
それが繋いだだけで良い音のが出て来たら満足せずとも許容して、積極的に音を創らない奴等が出始めてのぉ。

杜撰大王流の比喩させて貰えば、それ等は「裾上げ前のズボン(ほぼ死語け)」ってな状況でして。
稀には手付かずで曲にピッタリハマる場合もあるけど、大抵は単体でどんなに良い音でも曲に沿った微調整をしなきゃいけない筈なんだ。

これを省るってな嬉しい曲でも悲しい曲でも全部同じ音で演る様なもんで、ほんじゃあそ奴等の曲は全部嬉し泣きなのかってな。
実際にはとても微細なので一般聴者には意識されない事が多いが、例えば葬式でバカ笑いしてる様な感じになっちゃう箇所があったら何とかせなアカン。

一寸逆説的だけど冴えないとかチープな音で腐心してると、せめてココ位どうにかなんねえかなんて思うじゃん。
それが第一印象が一定以上に美麗だと油断する訳じゃ無くても、こんだけ良きゃ大丈夫だろうって知らない内に兎と亀の兎に。

現金な話し美人を評価するのは目に入った瞬間が多く、外見が残念な方は深く付き合って初めて中身に惚れたりするやんか。
自然体で居たらそんな煩悩が勝手に発動するから、最初に良かった音程アンサンブル後のチェックが甘くなるんだ。

それは元来はアイドルとアーティストのニーズ差だったんだけど、アーティストだって見栄えは良い方が良い…のは確かですがね。
極論すればどんな醜悪な容姿でも音楽でやられる位のが、とても難しいけど純度100%のアーティストなんすよ。

私的には大昔一度だけ実体験したのが御座居まして、好み圏外のOno Yokoの声に下の方が反応しちゃったなんてのが…。(ご無礼&失礼)
今劣化本邦は映え文化全盛で内容が素晴らしくても、外見が不合格だと出してさえ貰えなかったりするからな。

けど時効と思ったか知らんが大昔に既に露出しちゃったのに対しては、現状まだ隠蔽はされてないから聴く事が出来る。
故にそう云う風に極度に偏る前の時代のが、基準には向いてるのよ。

<つづく>

2023年5月22日 (月)

音楽備忘録1375 ノリを育む方法➑

さてここらで一旦原点回帰してノリ育成の基盤に言及しとくと、全ての出発点は名作を聴く事にある。
にも拘らず拙ブログでは’70年代の洋楽を聴け位しか言わないのは、聴いても消化するのに時間がかなり掛かるからなんだ。

俺みたいに時期的に↑がリアルタイムであれば単にカッコイイのヤバい雰囲気のするのなんて、巷で流れてたから選ぶだけでお腹一杯になったんだけどね。
その頃ってレストランで掛かってたのが良かったとか挙句はどっかですれ違った車で掛かってたのがみたいに、音楽無関係に生活してる途中でもサンプルのヒントがあったん。

申し訳ないけど過去名作と比べると近年身近な新作は、概述みたいな事情もあって初聴には濃度が足りないのだ。
それと機械のノリを全否定こそしないけど、まだ打込み手のノリに対する個性確立が充分とはとても言い難い。

のでサンプルとしては分り難く、先ずはそんな迄になるんかいみたいな体験をして欲しいんだ。
何処迄ズラして音楽的に成立するのかを知らんと、個性の全発揮を阻むか薄味の範囲から選んで行くしか無くなる。

この俺言い「薄味の範囲」ってのは「気にしなきゃ知らなきゃ」リニアに聴こえる範囲なんで、学ぶのに分り難い癖にご利益がとても少ない。
そんなのを雛形にしちまうと真似た側って本家より控え目に終始するのが多く、下手に無理矢理それを超越させりゃ仲間からズレとるでぇと言われるのがオチだったりするんだわ。

それが即座に証拠を明確に提示出来れば救いの道もあるが、相手がノリの達人級でない限りほぼ却下されたりするじゃん。
結局ゆくゆくはサンプルだって多く必要なんだが、ほんじゃあ貯まる迄ノリを一切出さないってのも無粋やんけ。

そこで魔手だが当初はサンプル非依存の、跳ね王を目指しつつサンプル貯蓄も充実させてはって提案なんざます。
聴き専と違って演る人には再現性も必要なんで、折角理解してもそれが実行に移せなきゃ他人には知らないのと同扱いされちゃうだしょ。

これとは全く別に稀有な状況じゃない限り、音楽では跳ねないのの方が主流っつうのがあるわな。
頻度は決して高くないけど「それ用の鍛錬」を積んどかないと、いざ跳ねてと言われた時に足りるだけ跳ねさせられないんよ。

シャッフルとか跳ねるのが嫌いって食わず嫌いと似ててさ、一度克服してるかどうかで結果が両極端になり易い。
のでⅡでチトシュールだけど跳ねたくない人程跳ねられる様にしとくと、先々の跳ねる時間を減らせるんだ。

この件は基礎レベルの部分も含んでるから、なるべく歴の浅い内に最低限必要な処迄は習得しといた方がええん。
跳ねない方と完成度に乖離が出て来ると、ニーズにぶち当たったらいきなり沢山ハードルを越えなきゃなんない。

数年掛ければ日々少しで済むのが嫌いとか不得意な人に限って、いざ鎌倉となってから急遽徹底的にやらなきゃなんなくるからね。
因みにリアル昭和のド根性式体験もしてる身からすると、エネルギー消費が著しい割に「取りこぼし」の多いのも「付け焼刃」の難点ざます。

又それで例え跳ね足りる様になれたとして練習時はハイテンション気味になってるんで、僅かでも気を緩めると途端に跳ね不足になる等副作用もありまっせ。
のでⅢで「この曲は跳ねとけっと」程度の指令で卒なくこなせるには、自己内消化時間が長く取れる程良いんだ。

>つづく<

2023年5月18日 (木)

音楽備忘録1371 ノリを育む方法➐

ノリ命の杜撰大王でこのタイトルだと良い方の秘訣と思われるかもだが、それよりなるべく誰とでも組める様大きな欠点を潰してく方が先決なのだ。
その中から今回は跳ねさすのが苦手な人をターゲットにして、解決策を探ってみまひょ。

先ず基本的にポピュラー系では、跳ねる方が跳ねないより有利なのを知っとこう。
これは近年のアイソレート技術の向上で、アンサンブルから抜き出した音源を聴くと良く分る様になった。

Ian Paiceに関しては左利き同士だし体質に合うのもあって従兄はヲタ並みなんだが、その彼をもってしてIanが8Beatでも滅法跳ねてるのが↑を聴く迄幾らも分らなかったんだ。
その曲はあのHighway Starなんだが、Drumだけ聴いてると良くこんなに跳ねて他と合うよなと俺も思った位。

その原因はどうやらRitchie Blackmore以外の皆が「跳ね気味」だったからっぽいんだが、全体を聴いてる限り勢いは素晴らしいが凄く直線的にしか聴こえない。
それに対しシャッフル系の曲で下手に跳ね足りないと、何か調子が今一なんじゃねと誰にでも途端にバレてまう。

曲想の都合次第じゃ意図的に「跳ね切らない」のもありはするが、混在を許容する曲以外では割とシビアだ。
そのレアケースってばJohn LennonのI Found Outみたいに、太鼓だけわざと一部を跳ねなくしてるのがハッキリしてるヤツだ。

「跳ねの少ない」Funkや4Beatアンサンブルはその意味で上級編で、「ズレて構わない領域」が普通のより狭隘になるんすよ。
で今日の俺変言い「ズレて構わない領域」の分水領は、シャッフルとそうで無いの若しくは3拍子と4拍子の境目ざんす。

アンサンブル単位でどっちかに聴こえる為にはこれが必須で、さもなくば誰かが拍子を違えてる様に聴こえちまう。
コイツが中々切ないもんで、跳ねさそうとしても足りないとそんな風に聴こえちゃうんだ。

一方跳ね過ぎたらってば↑に加え、JazzからRockが枝分かれしたのに端を発してるのかも知れない。
過去述過渡期に曲や目指すのはRockだが、演ってる人の前職は皆Jazz屋って例のアレっすよ。

ロカビリーの多くにはGuitarだけ8Beatで、他の伴奏者はまるっきり4Beat JazzのまんまでSwingしてるなんてのがザラだったっしょ。
それを全く耳にしてなかったら或はだけど、今でもロカビリー風ってのは幾らでもあるからねえ。

なのでClassicとかの狭い範囲限定だったら未だしも、それ以外のを演ろうとしたら「跳ねられない」のがとっても困るんよ。
理屈的には跳ねる基本は3拍子の中抜きして頭と後ろなだけなんだが、3拍目と次の1拍目の間が短くなるんでテンポが速くなると結構大変だ。

これは4拍子系には無い性質
で、2拍目が付いて行けりゃ大抵は何処迄行っても大丈夫なのにね。
故にリズム王を目指すなら先ず3拍子系・次にハーフタイムシャッフルをモノにするのがお勧めで、跳ね損ねた際それがタイミング調節の一例にもなってくれっから一粒で二度美味しい。

跳ねたのが嫌いな人には少し酷だろうが、短い音符にはそれで慣れられるから我慢してーな。
3拍子系が得意な人も居るだろうけど、それでも
跳ねさせる方が難しいんじゃないかな。

>つづく<

2023年5月16日 (火)

音楽備忘録1369 一寸変な歌の練習方法➐

生楽器に簡単にやられるな迄来た処で、この国だと問題になるのが練習場所だろう。
最も身近な存在はカラオケルームとかになろうが、困った事にそこには先ず生楽器が置いてない。

アコギ程度だと持込み可能な場合もあれど、なるべくならもう一寸大音量のPianoの方が良いんだよねえ。
処で誰でも弾けるとは限らないのを推奨するのは、最大音量と音域の広さが理由だす。

俺自身今だって随時で自由になるのは簡単なコード程度で、Guitar系の方が遥かに扱いやすいよ。
なのにこう云う考えに至ったのは、Grand Pianoだと自分自身でさえ声量不足だと「歌が聴こえなくなる」からなんだ。

ここが案外重要でエレキだとAmpから遠ざかれば聴こえちゃうし、アコギでは自身の内部では足りてても外の他人には思ったより小さい場合があってね。
要はどの程度「遠鳴り」させられてるかなんだが、極論すれば歌の最大音量時に器楽音がマスクされる位じゃないと絶対安全圏じゃないのよ。

何しろ声だけが「体の中」から発せられてるもんだから、それだけで本人にだけ大きく聴こえてるからねえ。
この件は音量イーヴンの3声コーラスとかしてみてそれを録ると分り易いが、歌ってる最中の「本人内部音量バランス」では自分の声だけ大い位じゃないと外ではバランスしてなくてさ。

その状況を単独で疑似的に得ようとすると、アコギや音量が自由になるエレキだと紛らわしい。
面倒を厭わなきゃエレキでもその状況を作れ無かないけど、本気で取組むと瞬間最大音量と平均音量だとか音響の知識だって必要になって来る。

なので推奨案としては最低月1周期程度でも良いから、どうせ何処かを借りるなら中型以上のGrand Pianoが使える部屋が良い。
そうすると少なくとも恥と外聞を捨てられたなら、そんなのがガンガン演れる遮音性があれば肉声にはそっちも足りてるよ。

万に1つも安カラオケだと隣の部屋から苦情を貰う可能性があって、ポツンと一軒家状態で外部には平気だからと遮音性が不十分なケースも。
ので上手に選べば普段の歌だけの練習にはリーズナブルだけど、声量チェック等をキチンとやる時にはあまり向いてない。

それから初期段階では俺も人の迷惑顧みず自宅その他で平気で歌ってたけど、最低限のマナーを守れてないと無意識下で遠慮したりする悪癖が付く可能性がある。(杜撰大王+近隣の暖かい目のお陰で難を逃れられたが😓)
歌と限らずこの手の案件は普通なら他人の迷惑を考えた段階で終るが、実際にはやろうとするこっちにも中々の副作用が働くんすよ。

それだって太鼓やラッパと比べたら全然軽負担なんだから、つまらん処で姑息にケチっちゃいけねえよ。
倹約も深く追及すれば予算の掛ける場所が違って来るもんで、何より悪癖は一旦付くとその呪縛を解くのは手間も費用ももっと掛かって大変。

出せるなら思いっきり声量を上げられるとか、前よりもっと大きく出せる環境っつうのもかなり重要なファクターなん。
トドメとしては厚顔無恥でもない限り、下手な歌がダダ洩れしちゃうんだから他人も自分損するざます。

<つづく>

2023年5月15日 (月)

音楽備忘録1368 適切な音楽の評価方法④

聴き方の要領を覚えたら、好きなの気になるのを早速行きたくなるだろう。
それで一向に構わないんだけど、なるべくなら同時並行で少し挑戦して欲しいのがあるんだ。

それは各サウンドでの象徴的なのとか最も極端なので、世の中にはどの位の迄あるのか知る為だ。
今歴の浅い人だと過音圧や過硬質な音を普通と捉えるかも知れないが、もっと柔らかくても明瞭なのとか大して圧縮してないのにとんでもない迫力のある作品を耳にする機会が乏しいからなのだ。

差し詰め今劣化本邦のは壺・電通…式池ってなもんで、半分意図的に作られた人工池に一般リスナーは幽閉されてる様な状態なんだ。
井の中の蛙大海を知らずここに究まれりで、比べる尺度が曖昧なのを悪用してるんだ。

世の中にはこんな音楽がありますみたいな番組でも、過去の洋楽は小林克也位しかロクに掛けねえじゃんさ。
昔日本ので世界的知名度のあるのったら古くは坂本九だがそれは単発で、アルバム単位且つ継続性のあるのだとこないだとうとう残り1人になったYMO位だ。

人種差別や言語の問題もあったにせよ世界的知名度となると、昔のになる程必然的に洋楽率が高くなるのが当り前なのにな。
それ処か相変わらず人気のYOSHIKIですらMetalってのが馴染み難いにしても、XJapanの旧作は全然掛からんだろがい。

NHKでものど自慢の生伴奏辞めるなんてアホな真似しよってからに、そんなメディア側からの偽供給じゃちっとも正しい学びなんか出来ねえっての。
昭和のリアル体験がある身からすると今からだと随分大変で済まなさすら覚えるが、その代わり昔はネットとか諸々は無かったからなぁ。

なので受身で居ると壺洗脳のそれこそ思う壺になっちゃうが、今ならまだ自ら取りに行けば悪状況を打破出来るんす。
政治色が強くて済まねえがこのまま壺自民なんかの支持が続くと、もうすぐ完全な独裁政権になって今よりお上に不都合な存在は一切アクセス不能になるからな。

万一そうなったら概所持の年寄を頼るしか無くなるが、どの爺さんがそんなの持ってるかなんて良く分らないぞ。
現況は俺だと頭の天辺が怪しいだけだが、将来皆禿げちまうと長髪でそれっぽいなんてのが居なくなるからねえ。

そうなったら勇気を出して片っ端から声を掛けたって、当確立が滅法下がるがね。
それと昭和リアルの人はメディアが扱ってくれたっても、一寸マイナーなのになると中古にしろレコードを買うとかその筋のヲタと懇意になるしか手は無かったんだ。

つまり昔は入口は近かったが奥はやたら深かって、今は入口が見つかり難い代り一旦入れば奥まで割と全部見通せる感じに変わっただけなのよ。
せやさかい受身主体で知ったつもりになると愚で、概知のだけで判断するのがより危険になった訳。

っと言ったって個人の力はささやかだから網羅するのも骨が折れるが、その暫定手段としては「今迄聴いた中では」と常に付け加えとくのだ。
これが最も現実に近く、気分は最高峰で実際はNo.1じゃなくても問題の起きない妥協点だろう。

我々「演る人」は時間割の都合で、所詮聴き専のハイパーヲタには足元にも及べない。
但し聴いた内の幾らかは再現出来るのが強みで、全てに劣りはしないのだから相手を尊重しつつおごり過ぎない様に。

<つづく>

2023年5月14日 (日)

音楽備忘録1367 ノリを育む方法➏

今日は個人所有のノリのタイプに言及するとして、先ずは天然でどんなのがあるかだ。
この解析の利点は現在地を確認する事で、限界はあるにせよ目指す方向へ近付ける為だ。

先に限界について綴っとくと極端な才能の場合、前ノリや後ノリになりたくても最悪はニュートラル止まりなケースもある。
もし自分がそうだったら落胆するだろうが、決して投げ槍になったり不貞腐れてはいけない。

上記前者では「絶対慌てない落着きがある人」とか、後者なら「常に快活で重苦しくならん奴」なんて称号が与えらるんだ。
尚且つ独奏を常とするならノリは何時も「自分比」で良いから他人と比較不要だし、他力本願にはなるもののアンサンブルとして足を引っ張らなきゃ良いのだ。

私体験では自分が幾ら頑張っても皆が着いて来てくれない方が多かったが、アンサンブルに入りゃ個人の力なんてどうせそんなもん…。
っと愚痴っぽいが真実でその内の何割かは、相手からしたらこっちを自己中な奴なんて感じてたかも知れない。

この上記2つを踏まえるのが駆けっこの「よ~い」に値し、仮自己分析が終了するといざ「スタート」となる。
では何故「仮」なんてしてるかったら、完全な自己分析となるとほぼ終わりが無いからなのだ。

それが冒頭述のタイプで一般論としてはせっかちとかグズなんてなるけど、実際はとても複雑なパターンが無限にあるからなんだ。
その中で良くあるのが高速だとグズなのが、低速だとせっかちになるとかだ。

この場合は癖よりも努力不足や主体性不足の方が多いが、要するに凄く速くとかゆっくりってのは普通より演奏が難しいかんね。
そんなになる位ならフレーズ等を一寸変えりゃ良いんだが、エゴが邪魔したりしてモタって無い・慌てて無いフリをしてやり過ごそうとか…。

コイツが曲者なのは状況次第じゃある程度は通用しちまう処で、それで柳の下の2匹目のどじょうとして己の中で定番化しちゃったりさ。
戻ってその逆に誇張表現が好きな奴ってか、一寸速目だとより速く・遅目だとより遅くしたがるのなんかも居る。

前者は印象としてサラリーマンタイプ・後者は自営業タイプってなもんだが、それが無意識で勝手にそんな傾向が出てる場合も少なくないん。
そこへもってきて勤め人にも官民の差があって、テンポ変化を最低限に抑えたい公務員タイプと窓際族なんかの最低しか働きたくないのなんて分類が。

これ悪態突いてっけど前者は安心感最優先で、後者は家では大変な介護をしてるとか訳アリかも知れねんだ。
斯様に夫々の「ノリの理由」も様々で、それは地の性格等からの影響だってあるんだ。
たっての願いと違うと厳しいのは他のと一緒も、どうしてもってんならリズムに関しては合わせ技を使えば抜け道がある。

愚直で最単純な方法だと、例えば録ってからトラック毎僅かにタイムシフトするなんてベタなのがある。
遅らす方ならごく短いDelayを噛ましといて、Effect音のみ出力するとか。

尤もそんな邪道には副作用も付いて来るから、それより現実ありのままを受容れて何とか上手く料理するのがお勧めですがね。
それでも嫌だったら弾かなくて打込みでもよろしで、弾ける最大の利点は弾くか弾かないかを選べる処なんざます。

>つづく<

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