音楽備忘録1905 ’70年代Rockの浦島太郎➋
長く携わってれば思わぬ変遷に遭遇するのは珍しく無いが、基礎的な知見がこうもマイナー化するとは正直思わなかった。
取敢えずは前回の体格案件の続編をやるとして、スポーツよりゃ音楽は影響を受けない。
が楽器がグローバル基準のサイズだと、決して皆無とは言えねんだ。
それで議題に遡上するのが先ず手の大きさとリーチで、弦以上に鍵盤は結構残酷なのだ。
杜撰君はFranz Lisztに挑戦する気は無いからギリギリ難を逃れられてるけど、欧州起源の鍵盤サイズは私感では奏者の身長は170㎝以上と想定されてる様にしか思えない。
難を逃れられたと言ってもGrandタイプの譜面台の位置(高さ)は少々気になり、たまたま杜撰君が普段譜面を使わないスタイルだから問題化してないだけだ。
つまり手やリーチはセーフでも座高の不足が無事では済まず、個人的にはDrumセッティングの自由度が大巾に削がれてましてん。
腕長・背骨短って腰掛けてると肘が膝に干渉し易く、元々は椅子は低いのが好きだったがそれを諦めさせられた。
ほんでこの件今なら過去程音的に支障しなくなったから楽器サイズの方を小さくも出来っけど、PAレスの方が多かった時代は必ずしもそう云う訳には行かなかってん。
昔になる程音量・ピッチ・音色がダイレクトに反映してたから、あっそう云や未だに吹部でパート分けする時体格次第で強制指名されるのなんかに残ってたね。
これを完全に排除可能としたら打込みで、けれど現時点では打込みの複数人のBandってぇのは思い当たらない。
辛うじて少しは肉体的ハンデを覆せるとしたら、成長期が終る前に無理矢理ど根性で手や腕を大きくするか。
因みに手前味噌だが遺伝的素養や運もあったかも知れんが、杜撰君自身は実際それでギリでデフォサイズのエレキBassが手に負える様になっとりま。
そんなのが当時必須条項だったのも、Rock系では必要最大音量の問題が厳然と存在してたからだ。
生楽器の平均的鳴りは今よりかなり劣ってる上、明瞭度等だって大した事無かった。
そこへ持って来てVocal Amp(基本的に歌専用のPA)かそれに毛の生えた程度のPAしか普段はありつけず、元の出音が足りないのは致命傷だった。
歌やDrumに比べればだいぶマシも、エレキその他でも俺言い「しっかり音を出す」のが今より格段に重要且つ必須だったんだ。
テク難度やスペックを不問にして聴くと、古物な程得体の知れない説得力があったりするのはこの為なんだ。
これを別の言い方に換言するなら基本がしっかりしてたと捉えられ、その最大の効能は悪環境等への耐性が高い事。
単に音や内容が確認可能っつうだけなら今のの方が或は勝るも、イメージ等感覚に大きな差を生じないんすよ。
杜撰君は’70年代突入の少し前からずっとリアルタイム体験してるんで、概知の作品に特に新鮮味は無いしそれだけを聴いてるとつい普通に思っちゃうけどさ。
ひょんなキッカケでその後の色々と聴き比べる事になると、想定を遥かに凌ぐ「地力の差」を毎度痛感させられるん。
野球でNPBで神ってたのにMLBじゃ通用しない選手とか居るが、爺は今劣化本邦でJ-POPに内包されてるRockerがそうなりそうで心配なんだ。
今の日本の平均的Live環境だと大して人力で出せる最大音圧は不問だけど、多くの外国じゃ今でも妙に懇切丁寧なPAなんか無いのが極普通だ。
-続く-
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