鍵盤

2025年5月 1日 (木)

音楽備忘録2083 音プロの音楽の聴き方⑰

周波数3回目は音楽的各周波数の特徴で、その中であまり世間に流通してない面に絞って進めるだす。
語学でも電子工学でもそうで弱っちゃうんだが、幾ら教科書を学んでも現場での具体的に迫られる対応について殆ど書かれてないんだよぉ。

青二才当時の杜撰君の考えが甘かったか知らんが、専門学校の専科ですら当時頻用されたOP AMPの型番とか終ぞ講師の口からは聴けんかった。
実際に作って使おうとして一番問題になるのは、当時なら4558ってので満足出来るか353ってのにしなきゃ駄目なのかとかそう云うのが真のポイントなのにさ。

設計ミスの駆逐に始まって組立ミス・半田付不良等数多の難関を克服して、やっとの思いで完成に漕ぎ着けたのにガッカリサウンドしか出せなかったら浮かばれねっての。
それと同様に各周波数毎に実用上特有の性質があるのに、そこには殆ど誰も触れてくれねえでやんの。

って事で先ずは150Hz以下の低音から参るが、そっから低くなってく程迂闊に盛り過ぎるとそれ以外の音が食われちまう現象がある。
特に60Hz以下になって来っと無倍音・残響多目環境下では、その音自体の音程も曖昧化するが他をマスクする威力が膨大化するんだ。

因みに大凡70Hzで、エレキGuitar開放6弦(E)の1音下げ(つまりD)だ。
故に↑なら盛大に盛って自滅気味になってもそんなに他パートは害さないけど、無神経にエレキBass等のローエンドを欲張り過ぎると他パートからひんしゅくを買っちまう。

悩ましい事に超低域って魅惑溢れる深い響きがするんだが、音程明瞭度と他パートに大迷惑を掛けない配慮をすると中々満足なだけ出せないもんだ。
もっと厳しいのがバスドラで、Classicオケのみたいに叩いた直後に手でミュート可能だと良かったんだけどね。

コレ直後っても欲しいローエンドが鳴り切る前に止めちゃうと駄目で、ペダル+脚では中々そこ迄精細にコントロールなんか出来ゃしない。
そこで大抵は次善策として倍音と抱き合わせにして凌いでるが、ポピュラー系用楽器ではそれでもチト苦しい。

のわ音程がオクターヴ下がってんのに、皮の直径や弦長が倍にはなってないっしょ。
そうすっとファンダメンタル(基音)量も減少するが、何よりの損失は明瞭度がそれだけでかなり低下する事なんだ。

不足気味だから盛りたいのに、盛る元が曖昧とは泣きっ面に蜂でんがな。
そんで意固地になってガンガン盛りゃ、大量のクレームを皆から頂戴するってな。

理論では大抵実過酷環境の影響を不問として書いてあるんで、専門書で知恵付けてその通りにやったのに何故に怒られるとなり易い訳ですわ。(確かに各環境を網羅しようとしたらキリが無いが)
この性質更には「低い音程になる程綺麗にハモらなくなってく」に繋がってて、オケなんかで低音パートが複数人居ても殆どユニゾンでしか演んないのはこのせいだ。

現実的には奏者にこそ大いに関係する案件なんだが、Classic時代は編曲者の仕事と考えてたのか楽器の○○教室で殆ど教えられる事が無い様で困る。
そんなこんなで150Hz以下ってぇのは、他とは別の独特な注意が要る。

-つづく-

2025年4月25日 (金)

音楽備忘録2077 ’70年代Rockの浦島太郎㊺

さてマニュアル執着の問題点は他にもあるが、その嚆矢は用途外活用じゃないかな。
メーカ側としては何されるか分からんから保証対象外になるし、成功率が低い割にハイリスクなのは間違いないんだけどね。

けれど従前の枠内でどう捏ねようと、それじゃあ結果もほぼ従前の範囲内に限定されちゃうんだ。
それがもし安全面に関わるなら変な冒険なんかすべきじゃないが、音楽なんて内容が空想の産物なんだから実害は遥かに少ねんですよ。

少なくとも生命の危機に瀕する機会は極小で、そりゃなるべく機器だって壊したか無いがね。
処が形ある物何れは崩れるで、寿命は様々も絶対に一生持ってくれるとは限らんのどす。

そこから見えて来るのが寿命間際と思われるので試す方法で、これ実際に鉄道車両等では古くから実施されてる手段なんだ。
廃車解体が決定しててどうせバラすんなら、その前に衝突事故の実体シミュレーションに利用したりさ。

実はマニュアルにも「質の差」っつうのがあって、今劣化本邦の電子機器には唯の1つも回路図が付いてるのにお目に掛からなくなっちまった。
と書くからには主に真空管全盛時代の頃のには、日本でだって巻末か別添付で付けられてたんだ。

折角だから一例を紹介しとくと一体型のステレオ再生装置やTVの裏蓋に封筒が背負わされて、その中に折りたたまれて回路図が入ってたん。
そりゃ信頼性が今より格段に低かったんだから、せめてものお慰みで…なんてケチ付けるのは何処のどいつだい?。

まあ確かに頻繁に不具合は起こしてたけど、滅多に不具合が出なきゃ修理の為の重要情報を非公開にして良いって事ぁ無かんべよ。
今劣化本邦で杜撰大王がこれを問題視するのは、メーカが面倒を見てくれる期間が短目だからだ。

家電標準寿命が6年だからって、本来より長く使って貰えたら喜ぶべき事象。
中々壊れないと次を勝って貰えんからは分からんでもないが、その際消費者が必ず同じメーカを選ぶ保証なんて無いのにさ。

結局自らブランドの誇りを捨て当座の売り上げに全振りしたんだから、低迷するのは至極当然だぁ。
わ兎も角万全なアフターとは到底言い難く、その面等では昔より購入者自身で色々考えとなきゃなんなくなってんすわ。

ので長期視野に立てばどんなにマニュアル尊守したって先は分からねんだから、もうちったぁ自分自身で考える癖を普段から養っとくのがお勧めなんだ。
そうしといて大損しないのは、考えた上でその時点ではマニュアルに従うって選択肢もあるからだよ。

のが逆は無いし万一マニュアル不記載の事例に出くわしたら、そこで一巻の終りが来ちゃうで。
しやしかし昭和の頃or世代にはこれっぽっちも取説に目もくれずやらかす奴が多かったのに、今度は読むばかりなんて逆へ振り過ぎだわさ。

何時の時代だろうと熟読せずとも一応全部目は通しといて、自身でもそれなりに考えなきゃ駄目に決まってんのに。
確かにケータイショップで列をなす昭和以上世代の汚客様逹の自助努力ゼロには呆れるが、幾ら反動とは言え間に平成が30年以上もあったんだから。

今マニュアル盲信に溺れてる人も後10年か20年後には、晴れて老害入りおめでとさんでんがな。
現在の老害とその場所は真逆に近いだろうけど、現役世代にとって話が通じない相手になるのは一緒だ。

-つづく-

2025年4月19日 (土)

音楽備忘録2071 音プロの音楽の聴き方⑭

いきなり前回補遺から行っとくが実在不可能な硬い音案件は、好みに無関係にノイズ駆除なんかの際にも多大な影響が出るんすよ。
のわ天然空間でマスクされ易いのとバーチャル空間でのそれにそこそこ差があるからで、最悪録音はクリアなのにLiveだと途端にノイジーなんてなったりするん。

これはスピーカ:ヘッドホンでも又別種のそれがあり、今劣化本邦ではかなりスピーカ聴取が減ってはいるけどまだスピーカ聴取を基準に調整しないと損すんだ。
確かに聴取方法を指定しときゃ一応難は逃れられるだろうが、ノーマルな者は人体の性として束縛は少ない方を好むかんね。

俺言い「軍隊ヘッドホン」程の負担は強いられずとも、何かを装着すれば必ずその負荷が掛かりまふから。
わこの辺でお開きにして、今回は苦手意識を持った人も少なくないであろう周波数ざます。

現行単位はHz(ヘルツ)となってて、音以外にも周期のある交流電流や電磁波(電波)には広く用いられている。
只これ日本の大昔はC/S(サイクルパーセコンド)となってて、1秒間の振動数って意味は多分その方が分かり易かったんじゃないかな。

横文字苦手意識がありゃどっちでも大差無いと思うか知らんが、現行のは人名で過去のは直訳が上記の通りだかんね。
そして電気だけじゃ無く自然界の音波にも使われるのが紛らわしさを一層助長してるが、基本的には単に「回数」ってだけの事ざんす。

そして音楽では音程の高低を示すドレミはほぼ全員が分かるし、もう少し進めばキーコード(和音のルート)のC,D,E…等も譜面が苦手なら習得してる人が殆どだ。
けどこれ等は皆平均律の12音階に基いてるのと、厳密には飽く迄「相対音程」でしかない弱みがある。

王道としては基準音A(440Hz)のラに対してのだが、それが443Hzと微妙に高くてもドレミやキー自体にはツ浮上それを示せるパラメータの欄が無い。
つまりは絶対的な音程の高低を表しては居らず、それを可能化出来るのは今の処「周波数」しかねんですわ。

そもそも論迄掘ってくと現用音階って一部白人が勝手に定めただけの物で、汎用性に長けてたから普段皆が利用してるに過ぎないのだ。
と言っても別に否定しようって訳じゃ無いが、音階と周波数のどっちか1つだけで全音程を網羅しろったら周波数でしかその責は担えないんだ。

と随分大上段的な言い回しをしちまってるが音楽での実用上は、必要時にさえ手に負えりゃ取敢えずは間に合うん。
最大のニーズとしては近年チューナーがほぼデジタルになったのもあり、↑の基準周波数設定は数値ダイレクトがデフォ化しとん。

現代Classic系オケでは以前より明るさを求めて、440より443Hzとかが主流になっている。
ので例えばそこで使われてるPianoを再調律レスでそのまま使おうとしたら、チューナーを443Hzにして他楽器を合せてやんないとズレちまうだよ。

中域の3Hzなんて音程的には大したズレじゃないんだけど、流石に5パート中の1つだけとかになると少なくとも何か収まりが悪いのは誰でも感じ取れるんじゃないかな。
全ミュージシャンに必須なのはこれだけだが、しばしば電気的に色々加工を加えようと思うならもっと周波数の知識は要る。

っと言っても純粋な音響技師程のスキルレベルは不要で、目安として大雑把に感覚的に掴めてりゃOKだ。
のでその内容は次回に譲るが、少しづつで全然構わないから覚えてくとその苦労以上の御利益があるんすわ。

=つづく=

2025年4月12日 (土)

音楽備忘録2064 今更米ポピュラー音楽から学べる事④

前回の話しから今日は「米のGuitarは色々と一味違う」を副題に、その背景を考察てみよう。
発祥・普及自体は欧州の物で、それからしたら唯彼等が移住しただけなんだからそんなに差が生じる筈はないんだけどねえ。

だが実際Guitarメインの作編曲者のコードスキルでは、明らかに米が欧等を凌駕している。
尤もClassic界での名作は殆どが欧で、Latinも含めるとスペインを中心としたヒスパニックの活躍が著しい。

Countryにしても類似根源は欧のFolkが既にあったのに、独自進化と隆盛をみたのは米だ。
Guitar以外での作編曲例を見てみればHammondの源流はパイプオルガンだが、当初は教会の神聖な存在で庶民にはAccordionやその類型の方が身近な存在だった。

からこそ仏の大衆音楽Chanson等で大発展した訳だが、こちらは米ではマイナー寄りなままで推移している。
又教会ですら黒人の方では差別の影響もあって、Hammond系の方がデフォだ。

そして王道たるPianoについてはJazzでなら作編曲のレジェンドも枚挙に暇がないものの、ジャンル不問でとなるとGershwin等を除けば大きな成果を上げたのはずっと後年になってからだ。
それと黒人ではJazz全盛期以前GospelよりBluesの方がまだPiano作編曲者が多かったのも逆転現象な感じがするが、当分の間は自前で持てずしかし呑み屋常設のが使えた関係か。

そうなった背景にはやはり環境差を認めざるを得ず、結構長く掛かった開拓とそこから来てるFrontier Spiritがどうやら濃厚に関係してる様だ。
これ等から要するに「Guitarでも色々作れなきゃ困る」状況があった為、米でだけその意味でのGuitarの立ち位置が違ったんじゃないだろうか。

杜撰大王は育った家には足踏みOrganしか無かったが、それでもずっとGuitarで押え難いコードを使いたくなったらそそくさと鍵盤に逃避してたな。
元々は鍵盤なんて全然弾けなかったけど、何しろ隣り合わせの半音ですらいとも簡単に押鍵出来るからねえ。

それが覆ったのは折角マイスタジオにGrand Pianoを持てたってのに、家族に部屋毎占拠されてその間は触れられもしない時間が生じた事だった。
特に鍵盤で作りかけの曲の続きを思案するのにGuitarしか使えない瞬間が訪れて、以前より更に出せる和音を増やさざるを得なくなりましてん。

そんでフト想い出したのが、米ではGuitarでも平然とそんなんしてる人達が居たなってね。
それプラス近年は本格的に指弾きもやり始めた関係から、昔から好きだったEarl Klughにもプチ挑戦したくなって。

彼はメロと同時に随時オサレハーモニーを鳴らすのが最大の特徴と思ってるが、同時に弾くにはフルコードはかなり弾き難い。
のを絶対に必要な音だけに絞れば結構何とかなるもんで、少なくとも杜撰君の場合俗称省略コードに余計な嫌悪感か何かが以前はあったんだろうな。

けど慣れて来てみりゃ思った程ご大層なもんじゃなくて、よりやり易いのは鍵盤には違いないがそんなにGuitarでも無理じゃなかったん。
この事実を知らずに鍵盤でオサレコードを自由に使った作編曲家に、劣等感なんか抱いてたのは今にしてみりゃアホだったよねえ。

-続く-

2025年4月 9日 (水)

音楽備忘録2061 ’70年代Rockの浦島太郎㊶

かなり歌唱法に偏っちまったがそれは新設別項に移行させるとして、’70年代Rockに挑むにしてもリアルタイムの人と後追いの人のアプローチ差を今日は綴ろう。
冷静に考えりゃ近回の老愚痴も、もしかして下の世代になるとかなり違ってるんじゃないかって思ったのよ。

’80年代一杯位迄アマ及び貧プロにとって、正式な録音は非日常的なもんだった。
資金も然る事乍ら専門性の高いオペレートが必須だったから、今みたいに自宅で個人でなんて先ず出来なかったんだよ。

貧乍らもいち早くそれに気づいて杜撰大王は専門学校に行ったのと、元々オーディオヲタだったりがあったから当時としては急先鋒だったかも知れんがね。
ので音楽自体を重視してる連中は皆Liveが活動の中心で、音楽する≒リアルに奏でて歌う事だったんだ。

それが今みたいに変化する転換点となったのが様々なデジタル化で、登場から暫くは高価だったが原理的にはデジタルの方が低廉化が容易だったのよ。
故に今ボカロPなんかの人は年老いても加齢劣化の影響が断然少なくなってるし、あまり方法論を変えずにずっと行けるんじゃないかな。

けれど生リアル部が残ってる機械とのハイブリッドで演ってたら、必ず何れは訪れる俺言い「加齢の壁」なんや。
人生最終段階に至れば近年は頭より体の無効化する者が多いから、最後は誰でも機械力に頼らなきゃ続けらんなくなるんだろうけどね。

ので無用に機械で音楽するのを嫌ってては↑Xデーが来たら途方に暮れるだろうが、人力リアルの取り組み方が浅いと機械全移行への日が早くやって来るのは間違いないんだ。
そう最近実感したのが歌唱に纏わる加齢劣化の悲喜こもごもだった訳で、人力リアルの合格基準が低い程「聴覚の練度」も低く留まらせてる損失があるみたいなんだ。

その中で今回注目するのはハモるかどうかで、歌に限った事じゃねんですよ。
音的パラメータとしては主にビヴラートや調律等音程の問題とリズムタイミングがあるが、後者は既にある程度綴ってるから前者中心に話しを続けよう。

して具体例としちゃ「Chorus隊の一員」経験の有無等で、例えば3名の内1人だけが全然異なる震わせ方だったりすると今一美しくなくなっちゃうじゃん。
エレキGuitar等でも同様で常時自身で重ねてたら表面化しないが、他の誰かと演るとチョーキングのニュアンス差ですら問題になる場合がある。

ではそれが自意識にどう作用するのかったら、ビヴラート等の速度と深さを考える様になるっつうか必要に応じて調整しなきゃなんなくなってるですよ。
それが単独パートで孤塁奮闘してた場合の盲点で、誰でも副業に手を出すのが向いてる訳じゃ無いんだけどさ。

あまりに応用力が足りないままで居ると、加齢劣化等に遭遇した際パニックに繋がるんだ。
どんなに些細な劣化で辞めたって個人の自由だが、真の終幕にはまだかなり距離があったのに断念したら後に後悔する可能性が高い。

しかも音楽だけで済みゃ良いが色々な物事の考え方のズレにも繋がってて、面倒になったからって慌てて学びを放棄する癖が付いちまったら最悪だ。
ってのも興味自体が失せてくれりゃ良いが辞めただけで何か拘りが残ってると、それが悪化学合成されて無責任暴言を口走る基となってしまったりす
るからだ。

-つづく-

2025年4月 8日 (火)

音楽備忘録2060 今更米ポピュラー音楽から学べる事③

今日は正しく今更のAl Greenのコード案件と参るが、単に黒人系音楽ってだけなら影響を受けた白人も含め後年程幾らでも参考になる人は居る。
だがそれ等の多くは全体がほぼ完全なオサレ系となってて、素朴な普通のコードとか進行とは一寸距離が離れてん。

のでCity PopsとかAOR志向だと良いんだが、それ以外の路線では導入に難があるんだ。
のは純粋にJazz系からの派生が殆どで、非Jazz系なBlues等がルーツの者には親和性が低いんだよ。

尤もそのJazzですら勃興当初からオサレコード・進行のオンパレードだった訳じゃ無く、何処か途中から段々に増えてってたんだ。
だからJazzのその時期のに詳しかったら良かったが、日本では第2次大戦の影響もあってか今一マイナーで困る。

そこで浮上するのがAl Greenで、素朴とオサレの共存の他独自新解釈の進行迄学べるから引っ張り出してみたのさ。
さて彼の全盛時は日本でもかなり売れたし、リアルタイムで経験出来てたら有名外タレの欄に記載されただろう。

飽く迄私感だが職人界では初期のLupin Ⅲの音楽等に強い影響がみられたが、若者から子供にウケ過ぎたか残念乍ら日本国内ではその流れは途絶えて久しい。
恐らく該当職人とはそれ迄に聴いた物が違ったからなんだろうけど、日本のポピュラー系が飛躍するには全く惜しい機会を逃したもんだ。

わ兎も角例えば’76のアルバムFull of Fireの1曲目、Glory,GloryのIntroやサビ直前の繋ぎ箇所等に珍しいコードが使われている。
特筆すべきはそれが全く必然性を持って使われてるのと、更には「Guitar1本だけで再現可能」になってる処だ。

私的には後者が大変意義深く思ってて、手が小さいと押えるのが少々キツいかも知れない。
けど1つ目は普通の7thコードの・2つ目も普通の9thの夫々一番上の音が違うだけだけだから、慣れれば探し当てるのもそんなに大変じゃない。

未だ真剣に調べないから本人が鍵盤を弾けるのか分からんが、
舞台上では滅多に手にしなくあまり知られてないらしいが彼はGuitarが常用でその腕前もかなりのもんなんだ。
他にも多数明らかにGuitarで作った曲があって、’72のアルバムI’m Still in Love with Youは5曲目Simply Beautifulなんか鍵盤で作ろうとしたら滅茶苦茶大変だ。

って何の事は無いGuitar弾き語りBalladeだからだが、クレジットにないから真相不明も普段よりGuitarだけ微妙に拙い感じだから本人が当時の録音から弾いてた疑いが濃厚だ。
この所謂Jazz系出身では無いGuitarのシンガーソングライターで、コードスキルが独自且つ高いのって結構レアな存在なんすよ。

今劣化本邦じゃある程度纏めて参考になるのったらChar先生位(押え方が超奇抜!!)で、米でも高名なのはAl先生と活動時期の一部がダブるジミヘン位のもんだ。
そのジミヘンとて歌伴奏部で演ってたのは例のジミヘンコード位で、大いに攻めてたのは歌の無い箇所だ。

故にGuitarメインの歌物作曲者にとっちゃ彼は最重要人物なんだが、今劣化本邦じゃどうも忘れたとか知らん奴ばかりなのが悲しい。
と言いつつ具体的には未だ上手く引用なんて出来てないんだけど、だからこそ余計に知りもしないで過ぎるのは勿体ねえすよ。

-続く-

2025年4月 5日 (土)

音楽備忘録2057 ’70年代Rockの浦島太郎㊵

さて加齢に依る歌唱力の劣化には色々なパターンがあり且つ複数となる場合があるが、杜撰大王が考え得る範囲で先に羅列してみよう。
代表的には①音域の狭隘化②歌唱用肺活量の低下③音程維持力の低下若しくは喪失があるが、以下に夫々について詳説致しませう。

の前に何れにも共通な原因を挙げとくが、少なくとも気付いた当初は純粋な肉体劣化より久しく歌ってない事の方が遥かに大きいみたいだった。
個人差はかなりのもんだろうけど仮にカラオケ等で割と歌ってても、本格的爆音Bandで本格派シャウトをするのとは全然違う。

人に依っちゃ切捨て御免になるがそれ位の声量で歌えないと、正規の爆音系ではそもそも自分の声がコロガシ(モニタスピーカ)使わなきゃ全く聴こえんくなるんだ。
立ち位置不動で居るなら未だしもアチコチへうろついたり、客席を駆け回ったり観客にダイブする可能性があったらモニタなんてアテにしてらんない。

ならばとインナーイヤーを使えばそれは一応クリアされるが、狭隘Live Houseで同期物でも無いのに装着してたら聴覚障碍者と疑われるかもと毒づいとくかね。
いやコレ若かったら左程でもねえだろうが、体の動作に僅かでも心配な感じがする年寄りだとどうか分からんですぜ。

わ兎も角自分が日常的に爆叫びしてた当時は、徐々にそうなって行ってたからちっともその自覚なんて無かったのよ。
尤も私感でそんなのより深刻に感じてるのは③で、②については病気になってない限りある程度は訓練で戻せる見込みが立つ。

んが無意識下で歌って声に変な震えが何時も付いて来るとなると、別稿に綴った初期Beatles唱法でもしないとどれだけ「無駄に震えてるか」さえ把握し辛い。
杜撰大王はたまたま昔歌のビヴラートが大の不得意だったからかなり敏感になれてるが、心地良ければ最初からずっと歌声に震えは付いてても問題無い訳だからね。

但しそれが初期段階から不適切なものであれば、修正出来なきゃ歌手への道は閉ざされる。
と考えてくと全く揺すれなかった俺みたいなのかまるで常時極度に緊張してる体のブルブル声なら既に学んでるが、大した壁も無く歌える様になった者に指摘し自ら修正意欲を持って貰うのは中々に厄介なんだ。

又奇特な見解か分からんが杜撰君初めて録音された自分の声に即死んでやろうかと落胆したが、それから長い年月が経つと諦めが付いたか開き直ったか知らんがちっとも気になりもしなくなった。
俺よかマシな声の持ち主だったらもっと否定感は無いだろうから、好み完全無視で客観的に聴ける耳を持って無いと「そーかぁ?、前からこんなもんじゃねえの」となっちまいやがる。

つまりはそれなりに良かった若い頃の歌声を、そもそも自身が正確には把握出来てなかったんじゃないだろうか。
先ず「良かった」の判断基準からして、いたいけな少年と大ベテランに対しては異なってる公算大なんすよ。

この様な認識差は歌が一番顕著だが、それに続くリズム(ノリ)についても状態次第じゃ結構深刻なんだ。
例えばたまたまヘヴィーな仲間とそんなのばかり演ってたら、普通の人とは重過ぎて合わなくなってるとかね。

稀にトラで普段と正反対なのでも演らされてりゃその時点で気付けてたが、極端なので長年無事に済んでたら自身のノリは重いなりに普通の範囲に収まれてると思っちまう。
つまりⅡで加齢ブランクの克服には2つのポイントがあり、出す方(演奏)と同じ位入れる方(聴いて判断する)にも良く目を向けなきゃアカンのよ。

-続く、か-

2025年4月 4日 (金)

音楽備忘録2056 今更米ポピュラー音楽から学べる事②

前回述の如く従前には殆ど前例の無かったキー(調)やコード進行が私的最大の特徴ではあるが、1つの明確なメソッドなんて存在しないんで難解で困る。
だが他にもジャンル内にも多様なバリエーションがあり、それ等でも上記の一部が使われてんだ。

凝ったコードやその進行は学ぶだけならJazz理論がお勧めだが、それをかなり深掘りしても斬新とか独創的な使用法はそんなに学べない。
ので少なくとも杜撰大王は体当たり習得する道を選んでて、その初期に役立ったのが各ジャンルでの風変りな亜流だ。

っと言ってもそもそもは高校で俺以外帰国子女のBandに入る事になって、Southern Rockに魅せられたのが実践のキッカケだ。
変った響き自体に興味を抱いたのは小学校入学以前だったが、その当時は見つけられて聴けるだけでご満悦でしてん。

そのSouthern Rockですら上述Band脱退からかなり経って、過去述レコードヲタの親友が出来てからとあるBandを紹介された辺りから漸く具体化し始めたん。
と同時にそのヲタ氏にGuitarを教えたりする過程で、主にAl GreenやAtlanta Rhythm Sectionが用いた変態コードをアナライズしなきゃなんなくなってねえ。

彼は決して一端のGuitaristなんか目指してなかったものの、真性ヲタとしては知識として変わった響きを出す方法を知っときたかったらしいん。
それ故乞われたのは殆ど伴奏で、一般的にはかなり珍しいケースかも知れない。(それが原因で一般のお教室は忌避してたらしい)

だがレコードって自宅内でしかほぼ聴けなく、それ以外の場所で一寸楽しむには下手でも良いから弾き語りの真似事が出来ればってのがあったんじゃないかな。
誰かにこんなのだってあるんだよと紹介するにも、相手宅にプレーヤが無きゃ取敢えずは↑みたいな代替手段はあった方が好都合なんだろう。

さて経緯はたいがいに前者は進行こそ独特だが普段はそんなに奇特コードは使って無く、曲のニーズ次第で突然難しいのが出て来たりしたんすよ。
傾向としてはBeatlesだって近似なんだがあちらは複数楽器やChorusとの複合技なのに対し、こっちはGuitar1本だけで再現可能なのが違ってたんだ。

Bのは個人で成立させるには弾き語りが必須だが、そうすると醸し出せた響きにリアルじゃ没頭出来ない。
のがこっちのは押え方を見つけて慣れられさえすれば、ボロリンと鳴らすだけで何時でも何処でもその響きに没入可能。

加えて一番大きいのがRockやPopsの普通の感じの曲に入れてあって、オサレJazzや難解Fusionに精通しなくても使い方が例示されてたんすよ。
そのJazzやLatinでも古い名作を聴くと今の都会的な緻密なのみたいに全部がオサレコードになんかなってなかったのを知ったが、時代の隔たり等のせいかそれ等原点作品だと今一縁遠い。

因みにコード(和声)に関しちゃStevie Wonderも独自性でかなり貢献してるが、少年時代のはClassic・Jazz臭が強目で近年のは達観したかあまり独自のは使って無い。
この方面でらしさが溢れてたのは’70年代で、もしかしたら今回提示した連中に負けまいって意識が働いたのかな。

他にこの方面ではあまり目立ってなかったが、Earth,Wind & Fire等も結構さり気に色々凝ったの使ってましたな。
けど曲自体の独自性が汎用応用には独特過ぎて、誰もが簡単に導入不可なのがこの件では仇になってんのかな。

-続く-

2025年3月25日 (火)

音楽備忘録2046 今更Rolling Stonesから学べる事➑

アさてBrian Jonesの後任達の貢献も少なか無いが、彼の功績抜きにStonesを語ってたら杜撰大王にしてみりゃ一見さんかお上りさんみたいなもんなのだ。
単純に色々良いだけなら先発のBeatlesに対し唯少し若く後追いなだけで、唯一のライバル的地位になんか上れやしなかったん。

今となっては大昔のBeatles解散後は実質独り勝ち状態で、それが恐ろしく長く続いてっから分かり難いのも仕方ねっけどよ。
当時の英のアイドル的若者でBにさえ無く、彼等にだけあった個性こそが最重要なんだよ。

容姿は良い方だが普通・歌詞は多少のスリルこそ内包してたが、何と言ってもサウンドの俺言い「ヤバい感」が圧倒的だったんよ。
例に依って稚拙な文学力から最適表現になってない公算が高いが、独特な緊張感っつうかスリリングっつうかさ。

それが映画007みたいなフレーズやアンサンブルをほぼ使わずに達成してたのが新規で、Brian脱退以降どんどん弱まってるから聴いてみそっての。
技術的には編曲の影響が一番大きいが、あれは理屈や形だけ真似ても得られないもんだから一般には殆ど理解されてないんだろう。

のわ普通編曲っつうと楽器構成や仕掛けを先ず考えるもんだが、彼のはもっと根本レベルで尚且つ鋭敏な感性に従ってのものだったんだ。
その結果多くは特に目立つフレーズなんかでそれをしてなく、けど聴き込むとたった1発のアコギのカッティングなんかが雌雄を分けてたんだ。

それと奇抜な楽器登用は傍目には子供騙し感が残るが、本当はもっと全然深い処で意味のあったのよ。
例えばUnder My Thumbは今じゃ有名曲でMarimba(木琴)の入ってないLive Versionの方が恐らく耳慣れてる人多数だから気付き難いだろうが、どっちかったら硬派なRockへいきなり↑を入れるのってかなりリスキーよ。

今なら↑の前例があるからそんなに大変じゃないが、初めて導入して大成功させるってとんでもない離れ技っすよ。
木琴なんか入れて全体はメルヘンチックにならない様にするのって、自身で試してご覧あそばせ。

更に木琴系で苦労するのが余韻の短さで、殆どの場合それが原因で絶対何か裏メロ程度のは作らなきゃなんないん。
鉄琴系みたいに伸びてくれりゃちったぁ白玉も使えるんだが、特に昔の低音質録音じゃホントアタック音しか拾えねんだから。

っと言うからには杜撰君たった1度だけだが録音で演った事があって、カセットのピンポンに依る多重録音且つ昔の子供用の木琴だからボロい太鼓より遥かに余韻が短くて参ったで御座るよ。
何れにしても全ては「ヤバい感」の為に実施されてて、彼の脱退後に可能な範囲でこれを維持してたのはBill Wymanだけだったね。

そのBillすら抜けてからは少なくとも杜撰君には特別な興味が消え失せたが、どんなに格好良くても唯一無二のヤバい感が無くなったんなら他のBandでも良いからだ。
彼等程じゃ無いが日本の昔のRockにもそんな危険な匂はあって、もしそれが無かったらあんなに冷遇されてたんだから今はきっと微塵も残って無かったんじゃないかなって気がするね。

今は音楽界でも方法論が優先されてるが、本当のムードを醸し出すには全くそんなの向いてねんですよ。
個人のセンスへの依存度が高く確実性には↑より劣るが、人間独自の感性に磨きを掛けてそれを出さんと絶妙は得られないんだけどねえ。

=つづく=

2025年3月24日 (月)

音楽備忘録2045 ’70年代Rockの浦島太郎㊲

今日は長く続けてると生じるブランクについて綴るが、若い時には例え不慮の怪我で強制的に休みになっても回復が早い。
のが齢を重ねるにつれ肉体の回復は遅くなるし、それ以上に生活に関わる諸々に忙殺されての復帰機会逸失等色々な障害が立ちはだかって来る。

不慮の事故に次いで意識不足の不摂生での肉体故障に襲われたら諦めるか新手段に打って出るしかないが、それで無くても老化補填対応等に追われて中々しんどい思いをさせられたりするもんだ。
この面での最高幸運は気付いたら続けてしまってたになるんだろうが、厳しい現実は滅多にそんなの許しちゃくれない。

肉体面も然る事乍ら気力や意欲の継続が更に至難で、逆にそれに浮沈が無ければ盲目的に有効度の著しく低い努力を続けてたりするんすよ。
あとほんの僅かで何かが出来そうな時、人は自然と追い続けたい心境になる。

が当分続けて何の成果の片鱗も見えて来なきゃ先ず萎えるし、そこでへこたれなかったらそれは素晴らしいが何か大事な要素を忘れたままの徒労を知らずに続ける事となってたりする。
のを思えば壁にブチ当たる実感が無いっつうのも考えもので、唯の夢ならそれもアリかも知らんがリアルで実現させたいならそんなマインドじゃ困る。

私感では10万か100万人に1人位なら才能や勢いだけで進化し続けられる者も居ようが、それですら大きな挫折無しでは進化時期の終焉が定かじゃないし何時訪れるか不確定だ。
演ってる間中僅かでも進歩し続けられる為には立ち止まる機会も必須のもので、従前以上に自然と深く考えてしまう時間が大切なのだ。

普段ロクに考えず行動する感性派の杜撰大王だからじゃねって、それでより痛感させられたのは確かだろうけどね。
どんなに普段から全方位に熟慮してても、想定外の壁にブチ当たりゃその解決には新発想が必要な場合が多い。

加えて頭でっかちになってると他人に示唆するには足りても、自身で実現するには練習や実験が必須だ。
編み物とか・絵画・小説から工作や電子回路趣味では未完に終わるのも少なくないとは言え、全く作ってみようともしないなら収集ヲタなだけ。

音楽でも演るのは僅かで満足出来るなら良いが、かなり自身で演ってみないと実際には満足感を得難い。
その意味では一般屋内系趣味より、遥かに屋外系のスポーツなんかに近いんですよ。

それが昭和の頃迄は世の中何でも「手動」の方が多かったから、特に↑みたいな意識をせずとも多分当然の様に出来てたんだがね。
只でさえ加齢で億劫になってる処へ、昔と比べたら今は何でも「自動」の世の中だ。

から昔はリアル楽器で実演したが今は打込み専ってんなら上記みたいな葛藤をせずに居られるが、時代は令和でもエレキだのBandだの昭和以前に登場してたのをやろうとすりゃ「今普段はしなくなった手間」が付き纏って来るのは至極当然なのよ。

そしてかつて実行出来た者には多少の劣化はあれ演れてた保証がある訳だから、やたら急いだりしないで調子がある程度戻って来りゃそんなに苦にはならないん。
と分かってても腰の重いのが加齢のなせる業だが、最初から欲張るのがもっといけねんですよ。

-続く-

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