鍵盤

2021年10月21日 (木)

音楽備忘録798 他を出し抜く音創り④

個人の論法に過ぎないが、出し抜くには適切な差別化が最適と考えている。
好みが広大な分野では万人への理想を追求するには限界が低いんで、何等かの価値観で捉えた時の最高峰を目指すしか無いんじゃないかと。

何れにせよどっちを追及するにも創意工夫が必至になるが、楽器種次第でそれを出来る場所は大巾に違って来る。
中でも最も厳いのは打込み・それに続くのが個人で作ったり弄れる箇所の僅少な生楽器で、その場合奏で方と録り方主体で何とかするしか無い。

けど反面で聴者がそれを理解してくれてると、そうじゃ無いのよりゃ「僅かな違い」に敏感になって貰える部分はある。
それからすると自由し放題に見えるの程厳しい判定が下されるとも考えられ、電気・電子楽器担当者には辛い処だ。

門外漢が想像する程実際は電気の関わる物だって色々制約だらけで自由には程遠く、例えばエレキのPUとかデジアナ変換の半導体とかはそれ等の心臓部なのに一般個人では全く手に負えない。
とは言えそんなの「内部事情」でお客の知った事っちゃ無いんで、苦し紛れになろうとこっちで対処してくしかない。

具体的には個別機器と組合せの選択に集約されると思うが、突詰めて行くと自動車の変速機のマニュアルとオートマの差等と近似だ。
あらゆる状況にマクロフィットさせるにはマニュアルの一択で、ファミリーカーではほぼ死滅してもスポーツカーには残ってるのがその証だ。

只ここで考慮すべきが使用者のスキルで、最初から全てを意のままに加減しようってんじゃ課題が多過ぎる。
それが音楽ではお便利ストンプの方が好結果と見えたりする原因で、苦手な音創りだけに腐心してパフォーマンスへ悪影響だらけにしたって仕方無いってパターンだ。

しかし厳しい判決言い渡しみたいになっちまうが、もし10年以上もその方が好結果になる様ではアウトだで。
それがGuitarだったら止めちまえ…っとは言わず、もしかしたらエレキよりアコギの方が向いてんでねってね。

だどもそんなハッキリしてるのならまだ幸せで、罪深いのはそこ迄適性レスじゃ無いのに何時までも旧来のやり方を引きずってる連中や。
客観視したら移行タイミングを逃したとかその方法を知らんかったとかなんだろうが、大変な思いをして迄贅沢しようとは思わなかったなんて言われると何となく無罪な感じが漂うからねぇ。

今時はプリセットだけでも取敢えずは行けちゃうオールインワンタイプなんかが一杯あると、昔よりそれに惑わされるのもやむを得ないとは感じるよ。
でもそんなのってハッキリ言や機材を「売る為の方法論」なだけで、流行りの機材を使えば曲も売れるなんて事は全く無いんすよ。

確かにポピュラー系では時代との親和性とか「それっぽさ」は必要なんだけど、ホントにバカ正直に後追いしちゃったら何しろ作品寿命が酷く短くなるんですわ。
加えて余りにもその時代のっぽ過ぎるとその時点ではセンター取れても、少し時代が下ると新しい割にゃ随分古臭さが強く臭っちまうんだ。

それを長持ちしてるヒット作品の実例で見て行くと、印象は流行そのものの様でいて良く聴くと手法丸パクリのは皆無だったんだ。
機材の方で取り入れたのでは使い方や録り方はその人達何時もの・その逆も又然りで、流行取入れが最大でも49%って感じになってたんだ。

私的例では当時はギリギリセーフだからって安易に入れちゃったチープなシンセの音のせいで、今では恥ずかしくて他人に聴かせられなくなった自作曲とかが…。
尤も俺の場合はサウンドより雑過ぎたパフォーマンスの方がもっと問題化しちまってるが、何れにしても本人としては頑張ったのが無効化したのは淋しい限りで御座居ます。

<つづく>

2021年10月18日 (月)

音楽備忘録795 他を出し抜く音創り③

近年の俺言い盛り過ぎ君達を辛辣にディスっちゃいるが、俺自身実は加工は積極的なのも厭わない口だったりする。
にも拘らず何故目の敵にするかったら盛りの基本を理解不足か軽視してるのが、私は無罪判決でしたからなんて顔して闊歩してるからだ。

って事って早速具体的なメソッドみたいなのを羅列してくが、音源が実在の物の場合例外時以外は完全に別物になっては無意味ってのから始まっている。
先に↑の例外に触れとくが端的に云や効果音等で正体が不明でも構わない時等や、わざと幻惑させようなんて時だ。

1.どんな楽器か判別するのに要る部分を損ねては駄目
2.その楽器固有の個性を消しては駄目
3.演奏内容が分り難くなっては駄目

とダメダメのオンパレードで禁則事項でが
んじがらめなムードだが、実際には「元を忘れて無理し過ぎるな」ってだけだからちっとも大変じゃ無いんでっせ。
寧ろ変な処にだけ固執して実際にはエラク無理してる方が、その時熱くなってるせいで余計な苦労をしてるのに気付けないで居るだけなんですよ。

ケース1:ひ弱なのをどうにかして逞しくする
現代のデジタルバーチャルを魔用すりゃ表面的にはかなり行けちゃうが、元からもっと逞しいのに同じ加工をされたら必敗だ。
もしそうなっても生き残れるとしたら少し別の価値観の提示等が有効で、逞しいと一言で言っても細部には色んなパターンが内包されてる。

全体として逞しいアンサンブルも、その内部で比較すると程度差のあるのの方が圧倒的に多い。
仮にLed Zeppelinを逞しいと仮定するとBONZOは最強だが、少なくとも内部比較ではJimmy Pageは最弱になる(おっと失礼)。

これが不思議なのは彼等が別人と組んだ際どうなるかで、BONZOは何処に行ったって剛力なままだがPage氏は
他所でだと強くはなくとも決してひ弱ではなくなるっしょ。
これを野球のポジションに置換すりゃBONZOは投手・Page氏は捕手みたいなもんで、後者は自らは剛球は投げられないって感じだ。

けれどそのBONZOが全く遠慮無しに投げ込めるのはキャッチャーPage君の時だけで、チームとしても他よりZep球団の時の方が思いっ切り行けるってね。
つまりアンサンブルになると「個人的に全員が逞しい」ってより、組み合わさった時にどうなるかが全てでね。

足し算思考だけに捉われず引き算や果ては掛算割算したらどうなるか、なんて発想の転換が先ず重要になって来るん。
もし全員がジャイアンだったら一寸上手く行かなかったらすぐ揉め出し自滅みたく、「噛み合わない逞しさ」だったら寧ろあった方が「チームの時」(アンサンブル)だとマイナスにしか作用せんのよ。

野球の試合って投手が凄きゃ点取れない→負けないから、より剛球が欲しくはなる。
でもそれを捕れる捕手が居なかったら宝の持ち腐れで、試合で実用になるのは名捕手も帯同してたらでしょ。

更にその先唯捕れるだけと配球や刺殺スキルの有無次第で試合結果が大巾に変わるんで、主役より目立たないってだけで内容的にはアシストだって同列な価値があるんだす。

そこでもしその時のアンサンブル内で「たまたま」弱者サイドに回ってたら、スーパーアシスタントを目指せば良いんですよ。
ここでは随時頻吠え「音楽は比較芸術」ですんで逞しいも繊細も、何かそれをスポイルしない程度の「そうじゃないの」と共存させとくのが最も有効な手段なんで御座居ます。

なので全体が逞しさを維持出来るなら、1つ位普通な感じのが却ってあった方が助かるんだ。
足を引っ張るのさえ気を付けりゃそれで良く、わざわざそれ以上に弄るなんて勿体無いのよ。

<つづく>

2021年10月15日 (金)

音楽備忘録792 他を出し抜く音創り②

前回少々クドくやったのの具体例へ進めてくが、スタンダード曲に関しては別項でやってるからこっちではパスして楽器のへ
これに限ってはClassic系生楽器の人は断然有利で、ポピュラー系の人より大きく道を踏み外す心配が少ない。

筈だったんだけど最近はそうでも無くて、他ジャンルの録音音色に下手に対抗しようとして身を持ち崩し掛けてるのが少なくない。
過去作との差別化を図るには何処かがハッキリ違ってた方が良いし、世間一般の耳慣れてる音色に近付けて親和性を持たせたいってな分かりますよ。

只悲しいかな本邦では習い事で習慣化させられただけで、ホントに他のより明らかに好きだからClassicってのが多くないからなのかな。
自分が弾く時ゃChopinでも普段聴きは鬼滅の刃なぁんて調子だからなのかな、或いはポピュラーにもClassicの楽器が出て来るからなのか…。

これもし逆だったら誰でも一瞬できっと笑い転げる筈で、例えばギンギンFuzzのエレキでクールにナルシソ・イエペスなんてどうよ。
そりゃ上手い事アレンジでもすりゃ案外行けるかも知んないが、完全に譜面通りにだと多分流石にねぇ。

生Pianoだとあらゆるジャンルで使われてるし、中には全然違うジャンル同士ので結構似てるのがあったりはするよ。
でも「やり過ぎ・寄せ過ぎ」ちゃったら↑のと内容的には同じで、意表突かれた程じゃなかったからって無事で済む訳ゃないっての。

この際だから特定ジャンルを攻撃する意図は無いのを断った上で煽っとくと、万に1つも音色のせいでChopinをBilly Joelだと思って聴かれたりしてなwww流石にんな事ぁねえか。
またこのオヤジ突拍子も無いのをってお思いのアナタ、Billy Joelって限定的ではあるれけどClassicからの引用もあるから絶対無いとは限らんのよ。

楽器が完全ベーシックですらこんななんだから、ポピュラー系楽器だったら気を付けてたって元々危なかったんだ。
過去の実例としてLine録りブーム初期のBassの音程感や太さの喪失とか、On Micブーム初期のDrum Setブランド個性の望まぬ逸失とかね。

どちらも単体の新味に傾注し過ぎてたせいで、特にアンサンブル内でのらしさを殺し過ぎちゃってたな。
そう云や丁度その時期の1980年頃に音楽業界関係者の口からはやたらと「新しい」ってフレーズが乱発されてて、個人的にはとっても違和感があったのを思い出した。

提供側の意識は前のと全然違って初めてのだから新しくて良いでしょも、こっちからすりゃ新しくたって面白く無きゃしょーがないんだけどな。
近年本邦の乗物のデザインが一般用途対象のでも妙に挑戦的なのばっかになったのと似た様なもんで、全否定こそしなくもユーザー全員が奇抜さを求めてるとは到底思えんのだが。

冷徹に断罪しちゃうと「流行と云うプレッシャーに完敗した」+「デザイナーのエゴ」で、結果的に模倣だけでオリジナリティが欠落とね。
それでも生活必需品だったら使って貰えるかも知んないけど、ある意味プラスα部分だけが売りの音楽ではそうは行きませんよ。

その代りシートベルトの付いて無いクラシックカーじゃ危なくて高速道路に入れて貰えんのと違って、音楽だったらベルト無しの車やノーヘルのバイクが制限速度を無視して高速を爆走してる様なのを今でも何時でも演れちゃうんだ。
その代りⅡでクラカーはどうせ高速入れねっから100km出なくても困らんが、音楽の方ではそれじゃ表現し切れなくなるからOut。

で 楽器音色ならワイルドなのに細密過ぎたら、爆速は確かに出てるけど万全の安全対策施してるみたいになって↑は遂に達成されずってね。
Popsで音圧高過ぎるのって、街歩いてたら暴走車が歩道に突っ込んで来たみたいに感じるのは俺だけかい!?。

<つづく>

2021年10月12日 (火)

音楽備忘録789 他を出し抜く音創り①

従兄がTwitterで過加工録音の事をドーピングだなんて、絶妙な表現してたのから着想!?を得た。
余の辞書にはそもそもがほぼ原始人であるからドーピングなんて概念すら皆無だが、積極的に攻めるのと何時から何処でどう取り違えちまったんだろう。

なんて考えたのは罪の意識があれば無いよりゃ少しは加減しそうだからで、あんなに誰もが平然と盛れるのは意識が全く無いからなんじゃないかってさ。
私的にはそれを更に後押ししてるのが楽器音色の劣化で、現行の多数派のは俺にすれば「やり過ぎて失敗」としか思えないんだ。

近年みたいにサプリメントなんて一面で微妙なのが蔓延して来ると、薬をお菓子か何かと無意識下で混同し易くなってそうだ。
音楽界でも音加工が操作上は簡易化したのを、加工自体が簡単になったと是又無意識下で勘違いしてる人が増えたのかな。

プロ野球界(特に米)でもイチローの登場寸前迄はルールの遅れもあったがドーピング全盛で、罪の意識が希薄化したのはアル中・ヤク中同様精神神経面にも何らかの中毒症状をもたらしてたのではと疑っている。
結局これ等は全て「旨過ぎる話しにゃ気を付けろ」の典型だっただけなんだが、スポーツや音楽で道具も使うものだとそちらの悪進化もあって主犯の特定が困難だったのもありそうだ。

さてここからRock界を中心に掘ってくが、例えばGuitaristだったら過去よりアコギに触れる機会が減り過ぎてるのが1つの危機を招いたと考えている。
Drummerだったら音色を創り過ぎてくれるバチやセット、Keyboarderなら生のより動作不良の出ない電子楽器の頻度が高過ぎたとかさ。

電子機器にだってエラーはあるんだけど、機械部分でたまたま運悪く引っ掛かっちゃったみたいなのは殆ど起きない。
かつて野球界では圧縮バットや飛ぶボールなんかで打ち損じてもホームランなんてのがあったが、それを普通にしちまうとアスリートの技は低下するんだよね。

極端例で比較すりゃ一目瞭然なんだが、もしバットが空を切りゃ全く効果は無いっしょ。
つまりアシスト量が多いだけで多い程助かるし楽にはなるけど、俺だとどんな凄いの使ったって三振の山にしかなんないって。😢

なのでその手の明確なルールが無い音楽界でも、本番にならスーパーアシスト君を使っても練習時だって何時もじゃ腕が退化して当り前でんがな。
それプラス人間の感覚って習慣の部分も少なくないから、聴くものに偏りがあるとそっちへ知らん間に引きずられてるん。

これを好きなのに没頭して特化するのと勘違いしてる奴が多くて、特に近年本邦では世間一般人にもこの傾向が強く伺えるから事態は深刻じゃい。
働かない某与党に洗脳されてコロナで死にそうになっても盲信してるのと似た様なもんで、興味が無いから余計に騙されてるのに気付けないってロジックね。

結婚したい人だったら浮気性じゃないか確かめたいが、無興味の赤の他人だったらどっちだろうと知るかってさ。
そりゃ確かにこんなの取っ掛かりは自然現象なんだけど、その時点では無事でも絶対に未来永劫無縁で済むって保証迄は無いんじゃね?。

故に大したリソースは割く必要は無いが、折角知った最低限の情報迄スルーしてわざわざ消去せんでもええやんか。
拙ブログではこの方面過去にも知らんで最新のが出来たと思ってて、後でもっと色々聴いてみたら最古のにクリソツだった悲劇とか話したしっと。

だから何でも一通りは…ってのを大袈裟に考え過ぎるから尻込みしたくなるだけで、取敢えずは大ヒットしたのだけでも新旧に捉われず一通りを流して聴こえときゃ良いんです。
楽器に関しても同様に色々制約や限度はあるが、最もベーシックな奴に適宣で随時触れといて「そもそもはこんなの」ってのを完全失念しない様にさえしときゃOKよ。

<つづく>

2021年10月11日 (月)

音楽備忘録788 Rockのスタンダード➎

今回はBANDセッション向け共通認識曲の概念に触れてこうと思うが、その分類がとっても大変だ。
そもそも一口にRockと言っても、ロカビリーやRock ’n’ Roll迄含めるのかがそれだけじゃ曖昧だ。

しかも普段どんなのを演ってたからって、気紛れで他ジャンルの曲で遊んだって構わないんだしね。
最終的にはジャンルも担当パートも無制限で何でも知ってりゃ最強で、だけどそんなの幾ら頑張ったってかなり時間を掛けなきゃちっとも近付けやしない。

そこで提案したいのは合奏専用のと各自の専門のを分けて考えとくってので、非専門のは滅多な事で本職さんには敵わないだろうしね。
それでも非専門曲でもエッセンスだけはなるべく押えられとくと、センスの良さはアピール出来るだろうしより合奏し易くなるんじゃないかな。

その際大切なのは細かいフレーズの正確さより全体のイメージとなるんで、取敢えず音を全体として覚えとければそれで良い。
たまたま興味が湧いたら少しだけコードを探すとかもアリだが、分析脳では無く飽く迄感覚中心としとくのがコツだ。

もっと凝縮表現にすりゃ「聞いた事あって知ってりゃOK」で、原版忠実へ拘るならアンタがそこで弾いて無い限り演っちゃ駄目ってなもんだ。
弾き手が違って「同じ雰囲気を得る」には調整が必須で、体も心も違ってんだからそのままトレースする方が元からは大抵却って遠のくでしょう。

奏法技術等の習得の為にならトレースだってアリだけど、原典の人は何の為にそんな技を駆使したのかよう考えてみなはれ。
例えばその曲のその部分に「甘じょっぱい」のが欲しいと感じたとして、理想に近い「味」を出す為に選んだり加減したに過ぎないんですよ。

合奏相手が自分以外皆本職だったら「良く拾ったね」と褒められるかもだが、門外漢の人には「聞こえた感じ」が違ったらそのせいで何の曲かすら分かって貰えん場合も少なくない。
持合せてる才能の如何に依ってはこの限りでは無いが、物真似上手とオリジナリティは共存させ難いもんだ。

それを可能化するにはアンサンブルのアプローチから変える位じゃないと厳しく、大昔の「のど自慢」で伴奏は全てアコーディオンの独奏みたいな切り口とかね。
なので私的にはJam Session(即席合奏)では、各自の個性がなるべく発揮された方が価値が高いと考えている。

加えて他流試合とか道場破り的要素も含まれりゃ、歴やスキル差が大きくても合奏出来た方が良い。
となるとそれ用の素材たるスタンダード曲はシンプルなの程相応しく、この面では「聴き専」の人達とは真逆の価値観が必要だとも思う。

高度な曲を難無くこなせると羨望を得られたりもするが、それで自慢出来るのは作れるかは不明なんでせいぜい技術面の一部のみだ。
勿論必要時になら演っても良いが、音楽で先に要るのはテクより個性や表現力とかだからねぇ。

然も無い曲を素晴らしく奏でられたりするのが「真の演奏力」で、他人が書いた曲を演るならチョイスやアレンジのセンス以外は意味を為さない。
弾かないんであれば寧ろ選択以外にやれる事が無くなるから、その凄さを誇示しても問題無いんだけどさ。

とは言えRock内でもジャンル次第じゃかなりテクの要る有名曲も少なくないが、一部例外を除くと曲自体をやるだけならハードルの高いのは少数派だ。
ここでの例外とはEdward Van Halenが独奏してる様なヤツで、尤もこの手の多くは合奏にはどうせ使えないよね。

そりゃ折角の見せ場ならどんなのでも期待通りかそれ以上に演れるに越した事ぁ無いが、殆どの場合今やってるセッションが「本家のオーディション」じゃ無いのを忘れん方がええで。
有料Liveでカバー曲やると著作権使用料が掛るし本家を凌ぐのも中々大変、それからすると他人の凄いのよか「自分独自の凄いの」の方が遥かに求められてるんでっせ。

おっとついプロ志向の前提で行っちゃったけど、至上のコピーを目指してるんなら上記とは当然真逆になるよ。
只これも上記に倣えば差し詰め「分家のオーディション」みたいなもんだから、本件だとレアな方に入るんじゃないかな。

アマだって決してオリジナリティが不要では無く、プロとの違いは腕不足でも活動が続けられるだけなんじゃない。
寧ろそんなに売れなくても構わんからこそ、とびっきりコアヲタなスタイルにも出来るんだら。

<つづく>

2021年10月 8日 (金)

音楽備忘録785 Rockのスタンダード➍

続いてはエレキGuitar以外のRock的始祖へ進めるが、肝心な歌唱法については敢えて後回しとさせて頂く。
人の肉体って楽器より進化がとても遅いのもあって、革新的なのが現われたのが大分後になってからだったんでね。

本日のトップバッターは生Pianoで、Jerry Lee Lewis,Little Richard,Fats Dominoの3名を提示しとこう。
記した順に奏法への影響が強くその逆がヒット曲の数となってるが、元はClassic用に作られた楽器をそのまま使ってるのにってのが凄かった。

但しRockルーツのや黒人系のジャンルでは既に近似なのは登場済みで、後の電気・電子鍵盤楽器みたいにサウンドからして別物って程の特異性には恵まれていない。
けれども弾き語り形式で演っても、ちゃんとRockに聴こえる点が看過出来んからの選出だ。

処で前回迄ちゃんとRollが付くのは選外にしてたのになしてったら、Rollが取れた後もPiano奏法には大した変化が無かったからだ。
確かにCombo Organのの多くやPianoでもBeatles位以降からもっとシンプルなのも増えたが、更に後のシンセみたいに鍵盤は片手でしか弾かないみたいな違いは基本部分には生じて無かったんでね。

さてここ迄が大凡1950年代スタートので残りのパートのは’60年代になってからのになるが、その訳は概述と上記等が原因だ。
この手の話しは基準の設定次第で様々な分類があるが、本項では「根本的な使い方」に着目している。

例に依って若干遠回りアプローチになるが、最近のJazzだと無遠慮にバスドラをドカドカ踏んでるのも散聴される。
Jazzは自由至上だから無しと迄は言えないが、俺にはそんなやり過ぎ君のは無粋な印象を受けてしまう。

Bassも含めたリズム隊で積極的にバスドラを鳴らした開祖のRingo Starr、彼等のは従前比だと数は増えてるが意味無く鳴らしてるのは皆無なのが違ってんだよ。
それ迄のとの最大差は「リフ化」させてた処で、しかもそのパターンが無尽蔵(実際は奏力その他で色々制約もあったが)だった処だ。

ClassicやJazzとRockや近代PopsでのBDの使われ方の違いって、前者はダイナミクス・後者はフレーズの変化に特徴がある。
Ringo以前のRock系ではこれが曖昧ってか定まっておらず、視点を変えりゃ脇役から主役級に昇格したとも看做せなく無い。

Drumパターンだけでどれくらい曲が特定出来るか、なんて聴き方をして貰うと理解し易いんじゃないかな。
そりゃ音程面で不利な分太鼓単体では他パートには及ばんのも少なくないが、Bassとセットで聴けば特定出来ないのの方が僅少だ。

んでそのBassの方もPaul McCartney以前にだってそれなりにパターンはあったが、Bassだけでこれはあの曲しかあり得ないなんてのは一寸思い当たらない。(リフやメロを弾かせてるのは除く)
杜撰大王だから失念がありそうな気もするが、同じ人が何曲もとか多彩なバリエーションってのは無かったのを保証出来る。(基本的な伴奏時に於いて)

このリズム隊の革命はRockよりPopsへの影響が大きかったとは思うが、Bassが何らかのメロディを担ってもOKって部分はRockにとっての方が一大事だったと思うんだ。
エレキでだって例えば可愛らしいリフを奏でられなくは無いが、それをオルゴールにやられたら勝ち目ゼロ。

その代りRockみたいにかなり歪ませるのも許して貰えれば、音色面でワイルド方向では圧倒的に有利だ。
但し歪ませればその分総体的には細部の聴き取りが悪化するから、比較的シンプルなリフでも構わないジャンルじゃ無いと活用し切れない。

現実的には上記事情からリズム隊の歪ませはRockでも少数派に留まってて、Guitarの歪ませ方の工夫でかなり聴き取り改善が図られてる様な訳にも行かない。
処で英ばかりじゃ無く米でも同時進行でThe Booker T & MG’s辺りからこれが顕在化し出してたが、Beatlesでのこの手法のルーツは米の黒人系のにあった。

だが上記2団体!?以前のは以前からの手法のと混在してたし、意図的にグループのアンサンブルのスタイルとして打ち出しては居なかった様だ。
なので深く追及したかったら例えばRay Charlesとか、昭和日本式ならソウル・今ならRhythm&Blues系等のを聴かなきゃ足りないが黒さ不問なら必須では無い。

但し近年本邦のR&B(アールアンドビー)は名称とは裏腹に内容差がかなりあるんで、教材としては個人的には非推奨だ。
単に聴いて楽しむのに問題がある程じゃ無いが、ルーツの継承とか伝統の維持等の面で重大な欠落が見られる。

かつてBlue-Eyed Soulなんて俗称があったのと似た様なもんで、この呼称が生まれたのも当事者の人種差のみならず違いが内容にも及んでたからだ。
なので俺言いに翻訳すりゃR&BよりYellow-Eyed Soulとでもしといて貰いたい処だが、英語圏に顧客が居ないから叱られずに済んでるのかな。😅

因みにどう考えたって俺じゃ非ウルサ型には入れて貰えんだろうが、こんな風に呼称へ少し拘るのは「ガッカリ防止」に繋がるからだ。
どうせ勝手に略す位なら前例に倣って頭に追加して、せめてJ-R&Bとかにしといてくれたら助かったのに。

<つづく>

2021年10月 2日 (土)

音楽備忘録779 楽器の明瞭度の話し⓮

前回は出す側案件だけで紙面が尽きたんで、今日は受ける側専で行ってみよう。
近年最も気にされるのは所謂ディテールが多数派を占めてる様だが、全体より細部に拘るのって厳しい表現にするとその実「供給側のエゴ」でしかないんだよね。

この件何を隠そう俺自身も日々苦闘中の身で、Liveだと諦めなきゃなんない事も少なくないからなるべくなら全部拾っときたいとつい思っちまう。
只最近になってこの誤った呪縛から解かれつつあるのは、もう昔みたいに「劣音」じゃ無くなってるんだからってのだ。

今だってMicは超Onの方が細部の拾いは抜群に良いが、細部が実音を著しく凌駕してるのにだけ気を取られ過ぎてた嫌いがある。
楽器もAmpも近年のになる程その音色が細密化してる感じがあるが、一般聴者が最初に捉えるのは全体像の方が圧倒的に多い。

それからすればこっちが「ディテールヲタ」化してると看做せ、それも文化だと言っちまえばそれ迄だろうけどさ。
けどフュージョン系だとか元々顧客にヲタが多いジャンルなら未だしも、Popsなんかでこれを全開でやるのはお門違いなんじゃないかってね。

今こっちの業界側で明瞭度っつうと相変らず高域やアタック音ばっかで、それが貢献してくれるのはリズム面だけだ。
チューニングメータの普及で肉声以外は大きく音程が外れる事は少なくなってっけど、ズレてるって程じゃ無いのとバッチリハモってるではそれに依る明瞭度の差ってかなりあるんですよ。

複数音が共鳴するとそれ独自の倍音も生成されるんだが、それが平均律では無く純正律になってると原音に対する明瞭度貢献度が最大になるん。
これを活用しようと思っても打込みだととても困難で、人力生時より手加減なんてのがし難いからだ。

その代わり打込みは安定度では勝ってるのからすると、機械でも賄える様になったのを今更人力で演るならもっと重視すべきファクタだと思うんだ。
さてこれも倍音なんだから高域が充実してりゃ良いと思うだろうがさに非ずで、元の構成音の中域が不足してるとちゃんとは生成出来ねんだわこれが。

出て来るのは高域でもその「材料」はハモった中域だからで、各楽器が出してる倍音の内容を今一度精査して見ると良い。
その楽器らしさを司る倍音って音程に無関係なのも少なくなく、だからこそどの音程を鳴らしてもGuitarならGuitarのに聴こえたりする訳ですよ。

それが楽器毎に全部違ってるし差の大きい程違うのが鳴ってるのが分かり易くなるんで、余計に皆バラバラになってんの。
それを下手に強調し過ぎとくと「ハモらない倍音」が増大しちゃって、折角上手くハモって生成された倍音があっても駆逐しちまうんだ。

複数音なのに単音より却って目立つのもハモりのご利益で、単体時では絶対に得られない共通倍音で実際に明瞭度が上がってるんよ。
凡人である以上エゴを皆無にするのも難しいなら、せめて個人じゃ無くてもっとアンサンブル単位のエゴを敢えて持ってみるのも一興かと思うんだ。

何れにしてもセコイ機材にアホな俺みたいなのは過去の話しで、何時までも上下ばっか気にするなんてもう古いっての。
そう思ったって実際古い俺みたいなのは習慣を改めるのに四苦八苦、だからこそ呪縛が無くなってからの若い人がそんなんしてたらもっとカッコ悪くていけねえよっと。

<つづく>

2021年9月21日 (火)

音楽備忘録768 風変りなMic位置➊

従兄に依頼した実験結果が上がって来たので、定間隔更新にはならないかもだが新テーマおば。
例によって平然と過去重複も併記しちゃうが、少なくとも個人的に音案件の殆どは「連携」だと考えとりますので悪しからず。

楽曲やアンサンブルだったら纏めるのに絶大な自信がある!?ものの、それ以外ではカスなのでどれだけ網羅出来るかは怪しいが努力させて貰います。
っと思ったのもどの位の選択肢があるかを掴むには、情報がバラけ過ぎてると難しそうかなって。

俺等みたいなベテランだって知らないのの方が多いんだろうけど、音さえマトモになりゃどんな変態的なのでもアリなのだけは身に沁みついてるみたいだ。
但しそれもドマイナーでアウトロー街道まっしぐらだったから許された話しで、多忙なビジネス界では怪しげなのは嫌われて当然だもんね。

それが私的には過去比で本格録音のプロセスが、インスタントになったのも大きいと感じてるんだ。
オープンリールの時代だと巻戻しやレコーダ清掃の間に、暇つぶし兼のプチ冒険を試す余裕があったからなぁ。

わそれとして件の実験ってのは、Drumsetの中心付近にMicを設置してみるってのだった。
ネタ元は生のセットを簡単に電子DrumしようってYAMAHA EAD10のMicとセンサの指定設置場所からパクりましてん。

尤も後で良く思い出してみれば、その昔Drum収録がモノラルがデフォだった時代のに近いのがあったんだった。
Micが漸くパート毎に支給され出した!?当初って、各パートどれもが1本で良く云や公平だったかも知れない。

そんな状況で特に大きさがあって分散してるヤツは、極力中心に置かないと全体が拾えないでしょ。
そこで上品な打者様にはホントにセットの中心付近へ、粗野な打者君には壊されちゃ敵わんからバチが届かなくなるだけ上とかへ逃がしとくのが定番だったのよね。

そこから後者のでもバスドラが小さくなり過ぎない様に下にだけとか、楽曲次第で特定のを大き目にしたい分だけその側へ追加するってな具合で段々増えてってるんだす。
ここで道が2つに別れたのの典型がPianoとDrumsetで、前者は一般的にはキリが無かったからか2本がデフォのままで今に至っとりゃあす。

っとその前にそもそもモノラルオンリー時代だったら、個別立てはバランスと明瞭度以外には不要だったね。
ステレオソースが市販されるに及んで「最低2本」になったんだが、主にポピュラー系でもっと使われる様になったのは私的には「録る場所の音響の悪さ」のせいだと考えてるんだ。

悪さってば登場当時の新ジャンルじゃどんだけ稼げるか分からんし兎に角何かけしからんしで、黒人系のとかRock系のなんて端っから目一杯ケチられてた訳だしさ。
って歌詞じゃ無いから幾らRockでもボヤキはこの辺にしとくとして、歴史の一部を失念してたからとても斬新な気がしてたけど本来ならこっちの方がベーシックに近かったんだ。

強いて言い訳するなら「Micサイズが昔と大違い」な処で、古典Micだったらギチギチセッティングにされたら離すしか無かった処ですわ。
して試して実感した功罪へ進めるが、今回は分量の都合から良かった方だけ列記しときまひょ。

1.一般的思想のセッティングがされてたらそれに沿ったバランスになる
ここでの一般ってのは「大事なヤツ程近くに」って意味で、この点現代の個別立ては半ば逆アプローチになってるね。

2.追加無しなら位相問題から完全開放
3.Mic頭が楽器正面を向いて無いのに明瞭度が良い

具体的に最も良さげだったのは金物(Cymbal等)の雰囲気で、通常より横から拾えてるのが大きいと思われた。
生の舞台ではそこに居るほぼ全員が「横からの音」を聴いてるのに、普通のMic位置では斜めにしても縦方向からになってるよね。

金物の設計にも多少は左右されるが大抵のは、高次倍音は上下より横に豊富に出る様に作られている。
なら何故普通は横じゃなくしてんのったら、「近所の他の」の方を「大きく拾っちゃう」からだ。

これって論理的には屁理屈っぽくなっちゃうが、今回位置のだと何1つ「正面に無い」のが却って功を奏したらしい。
なしてったら多くの箇所で何かへ向けたら、他のも大抵少しは「エリアに入っちゃう」からだ。

勿論極力そうならない様に苦闘してるんだが、如何せん「外から内」を狙えば避け切れんからね。
特に問題になるのが「隣接してないの」で、実際は隣じゃ無いのに「Micにとっては隣」ってのが出て来ちゃうから面倒なのよ。

<つづく>

2021年9月10日 (金)

音楽備忘録757 楽器の明瞭度の話し❽

分離し易い倍音じゃ明瞭度貢献度が低いってんなら、どんなのだったら貢献度が高いかってのが今回のお題だ。
上記みたいな言い回しからすると「分離し難い倍音」なら良さげだが、より適化させると「原音に関連性の強い倍音」って方が相応しいだろうか。

臨場感の観点からだとClassic系Pianoなら、奏者の身動きで出る「イスの軋み音」なんかも視覚レスの際は演出アイテムの1つになるかも知れない。
だがこの手のが有効化するのは無観客で独奏の場合に限り、音の出し主が自動的に特定出来るからだ。

現場体験が豊富だと大勢居ても「これは誰それに違いない」とか見当が付けられたりもするが、それですら俺言い「分析耳モード」に入ってたらの話しなんだ。
専門家だと一般人とは差があるやもだが、純粋に曲を聴いてたら検聴時よりゃ粗発見力は鈍って当然。

寧ろそれ位になれてないと、今度は曲がちゃんとは聴けてない証拠も同然なのだ。
プロデューサ等音響と音楽の両面を扱うには、各局面でどっちが主因なのかの正しい判定が必須だからね。

こんなのと似て明瞭度でも有効性の高いのは、最悪環境下で「きっとアレのだろう」と誰でも思える様なのになるんですよ。
これで理論的に当確率の高いのは偶数次倍音で、更に原音とオクターヴ関係になるヤツだ。

楽器種次第では最も象徴的な倍音がこれに当て嵌まらないのだって少なか無いが、そっちを強調して好結果が得られるのはかなり他とは隔絶した独特なの限定だ。
私的に本件を最も痛感させられたのは「昔のエレキBass」のサウンドで、ここでの昔とはフラットワウンド弦デフォの時代のだ。

体験からだとリッケン等のピック弾き等一部例外を除くと、ラウンドワウンドみたいに典型的な倍音を豊富には出せなかった。
その上低音尊守から倍音なんて4の次5の次扱いされてて、そんなでどうして籠ってボケてでは無く聴こえるのもあったのかって。

これの解析には若干手古摺ってたんだが、「無意識でも耳に目立つもの」ばかりを追い駆けてたのが敗因だったんだ。
個人的には奇抜で派手なのを厭わないとかピック弾き中心スタイルの奢りとも看做せ、気付いたら自分は兎と亀の兎の方だったって感じよ。

そしてこれはかつて本邦で蔓延してた「Bassは指で弾くもの」の悪癖払拭には必須要素で、指でも充分な明瞭度が出せるが只好きだからピックの方が多いだけなんだってのを見せ付けてやらんとさ。
そこから参考として先ずは昔でも決して高音質とは言えないのの名演を、少し本件を意識しながら色々聴いてみるとある共通項が浮上した。

それがオクターヴ倍音の豊富さで、タイミング聴き取りは近年のエッジの利いたのよりゃ劣るんだけどさ。
因みに私的には関係性の弱い高域の倍音はサブキャラの位置付けとしていて、単体聴きではグンと目立つが他所からの妨害には滅法弱いからなんだすよ。

Cymbal等の特殊なの以外では倍音も次数が高くなる程、音量は小さくなるし鳴ってる時間も短くなるもんだ。
それが1オクターヴ上とか2オクターヴ上だと掟破りで、物に依っちゃ基音より終始大きく長く鳴ってくれるからね。

恰も短期保険と生涯保険みたいなもんで、全面サポートのあるのは特約条項付きの低次倍音って訳。
なのでお飾りのパーカッションとかならタイミングアピールオンリーも却って良かったりすんだけど、常駐してなきゃいけないヤツには元々向いて無かったんだよ。

それが録音音質向上の負の作用から…ってホントは人の方が扱いを間違えただけなんだが、皆前より高域が出てるのにこっちだけ従前のままじゃって慌てちゃったのかな。(勿論過去の俺も含めて💦)
あらゆるパートの人も技師も俺言い「不毛競争」に、血道を上げちゃったんだよな~。

<つづく>

2021年8月29日 (日)

音楽備忘録745 楽器の明瞭度の話し❹

引き続き高域過多嫌悪!?になるが、そんなに高域を増やしたいんだったら一般的なPA手法に1つ疑問がありまんねん。
何故にLivehouseの多くで、Cymbal収音用のMicが無いのよ?。

と言っとき乍ら直ちに俺も大抵は立てないよって、二重人格とか狼少年とは違わい。
無くても足りる事が少なくないからそうなるんだが、だったら闇雲に何でも高域Boostするってのも妙な了見だ。

これって実は高域どうのじゃ無くて、元は低域が響き過ぎて邪魔な分を減らそって話しだったんだよ。
一定以上の音量になると低域過多だと低音程エネルギッシュ故、高域→中域の順に占拠されてマスクされちゃうんだ。

それが面倒な事に大抵は低音になる程余韻も長くなるもんだから、一度影になっちゃうと開放される頃にはもう中高域のは余韻すら終わっちゃってたりしてね。
1つの為に他全部を犠牲には出来ないから引込めるしか無いんだが、増え過ぎたのを戻そってだけで普段より小さくなるのを我慢しろって訳じゃないんだ。

概述だが母国でのMarshallの過去作品がキンキンじゃ無いのは、それだけ盛大に低域が響き捲る様な会場とかハコで録られてたからなのよ。
寧ろAmpをキンキンにしとかんとボーボーモーモーでもうどうしようも無くなってたから、後からわざわざそんな性質のを作ったんだから。

それより先発のVoxだってBright Inputが付いてたし、Treble Boosterを出したのだって随分余所より早かった筈だ。
これに対し我が国の演奏会場は狭さ+全面完全石製では無いのが多いんで、英国程低いのがバカ響きする事ぁ無いんよ。

故に当時の英では削るだけじゃ足りなかったのと、遠く迄高域が届く様にするには増やさなきゃなんなかったんだ。
もし畳の和室が会場だったら障子や襖の紙、表面に弾力のある壁材とかが高域だけ吸収しちゃうから多少は盛る必要もあろうが。

因みに再生機器のLoudnessは誰でも知ってると思うけど、純粋なオーディオAmpの中級以上のにかつてはPresenceってボタンも大抵付いてたの知ってまっか。
或はご年配だったら覚えてはりますで、これはLoudnessと真逆の性質を一辺で得られる様にした機能だ。

普段より音量を上げたらドンシャリになり過ぎて不都合な際、オーディオ的中域だけBoostする仕掛けで歌やメロの聴き取り悪化を補おうってヤツだった。
演奏会場だと帯域はオーディオのとはズレて来るが、本邦環境下で明瞭度を改善したいならこっちの方がマッチしてるんすよ。

それがどうも過去の忌々しい記憶のせいか、そうしたら「Vocal Amp」っぽくなるからって逃げ捲ってんだわ。
PAが常用され出した当初は歌用のしか無かったり、Cymbalっぽい高音とかシンセBassっぽい低音とかが全く出せないのが多かったからねぇ。

けど20世紀中にまあまあ何時でも何処でも可聴帯域に近い音が聴ける様になって、それから
もう20年も経ってんだよ。
技師も演者も世代交代が進んだんだし、このままお目覚めになれない様だったら業界丸毎死ぬでホンマ。

そやって何時までも音駄目なままにしとるから、マブい(死語:眩しい位美形)ネエチャン出て来んかったら誰も見に行かへんくなったんや。
っと少なくとも俺は正直そう云う処が無い、とはどうでも言い切れへんわ。

<つづく>