鍵盤

2024年11月 3日 (日)

音楽備忘録1905 ’70年代Rockの浦島太郎➋

長く携わってれば思わぬ変遷に遭遇するのは珍しく無いが、基礎的な知見がこうもマイナー化するとは正直思わなかった。
取敢えずは前回の体格案件の続編をやるとして、スポーツよりゃ音楽は影響を受けない。

が楽器がグローバル基準のサイズだと、決して皆無とは言えねんだ。
それで議題に遡上するのが先ず手の大きさとリーチで、弦以上に鍵盤は結構残酷なのだ。

杜撰君はFranz Lisztに挑戦する気は無いからギリギリ難を逃れられてるけど、欧州起源の鍵盤サイズは私感では奏者の身長は170㎝以上と想定されてる様にしか思えない。
難を逃れられたと言ってもGrandタイプの譜面台の位置(高さ)は少々気になり、たまたま杜撰君が普段譜面を使わないスタイルだから問題化してないだけだ。

つまり手やリーチはセーフでも座高の不足が無事では済まず、個人的にはDrumセッティングの自由度が大巾に削がれてましてん。
腕長・背骨短って腰掛けてると肘が膝に干渉し易く、元々は椅子は低いのが好きだったがそれを諦めさせられた。

ほんでこの件今なら過去程音的に支障しなくなったから楽器サイズの方を小さくも出来っけど、PAレスの方が多かった時代は必ずしもそう云う訳には行かなかってん。
昔になる程音量・ピッチ・音色がダイレクトに反映してたから、あっそう云や未だに吹部でパート分けする時体格次第で強制指名されるのなんかに残ってたね。

これを完全に排除可能としたら打込みで、けれど現時点では打込みの複数人のBandってぇのは思い当たらない。
辛うじて少しは肉体的ハンデを覆せるとしたら、成長期が終る前に無理矢理ど根性で手や腕を大きくするか。

因みに手前味噌だが遺伝的素養や運もあったかも知れんが、杜撰君自身は実際それでギリでデフォサイズのエレキBassが手に負える様になっとりま。
そんなのが当時必須条項だったのも、Rock系では必要最大音量の問題が厳然と存在してたからだ。

生楽器の平均的鳴りは今よりかなり劣ってる上、明瞭度等だって大した事無かった。
そこへ持って来てVocal Amp(基本的に歌専用のPA)かそれに毛の生えた程度のPAしか普段はありつけず、元の出音が足りないのは致命傷だった。

歌やDrumに比べればだいぶマシも、エレキその他でも俺言い「しっかり音を出す」のが今より格段に重要且つ必須だったんだ。
テク難度やスペックを不問にして聴くと、古物な程得体の知れない説得力があったりするのはこの為なんだ。

これを別の言い方に換言するなら基本がしっかりしてたと捉えられ、その最大の効能は悪環境等への耐性が高い事。
単に音や内容が確認可能っつうだけなら今のの方が或は勝るも、イメージ等感覚に大きな差を生じないんすよ。

杜撰君は’70年代突入の少し前からずっとリアルタイム体験してるんで、概知の作品に特に新鮮味は無いしそれだけを聴いてるとつい普通に思っちゃうけどさ。
ひょんなキッカケでその後の色々と聴き比べる事になると、想定を遥かに凌ぐ「地力の差」を毎度痛感させられるん。

野球でNPBで神ってたのにMLBじゃ通用しない選手とか居るが、爺は今劣化本邦でJ-POPに内包されてるRockerがそうなりそうで心配なんだ。
今の日本の平均的Live環境だと大して人力で出せる最大音圧は不問だけど、多くの外国じゃ今でも妙に懇切丁寧なPAなんか無いのが極普通だ。

-続く-

2024年11月 1日 (金)

音楽備忘録1903 人力生演奏のススメ➐

続いてはこの件でのニュートラルな状態での厳しさに触れとくが、音楽や演奏で他人にウケたり評価されるのは元々レアケースなんだって事を。
学業であれば今劣化本邦でなら偏差値とか、スポーツであれば記録とかで明確な数値化が可能。

なのに対しこっちだと数字で比較する意味が元来希薄で、あるとしたら余程売れてる奴のチャート順位とか売上金額程度だ。
しそれですら真のレベルとの関係性はかなり弱く、他の多くと比べると売れてる=良い作品の公式は成り立ってない。

そんな中多少なりとも証拠を提示出来るのが「実演」で、この面では可哀想だが打込み氏ではリアルタイムの実演ってカードは持ち得ないんだ。
昨日迄出来てたのを今失敗する事が無い代わり、どんなに素早く完璧に打込めても演奏する迄のタイムラグを無くせはしない。

尤も非力な一奏者が他人に公表するのが動画主体の近頃じゃ、以前よりこの事実は実感し辛くなってるがね。
↑の夫々の長所に鑑みると今後は正規作品は打込みで、自身のアイデンティティの実証には実演を使うのも1つの方法かも知れない。

ちょくちょく吠えてるが全く何も弾けずに音楽を作るのってとっても難しいもんで、何と言っても感情等をダイレクトに音に変換出来ないのが厳しいんだ。
加えてその加減を習得するのが又大変で、下手でも弾けたらそこから少しは拾えるんだけどさ。

強弱や音色その他全てが知識頼みになる上、選択や構築も全て脳内処理だけで実施しなきゃなんない。
それって一面で大作曲家がレストランのナプキンに譜面のメモ書きする様なもんで、余程音楽自体に精通してないと後で見ても一体何の事やらになるっしょ。

途方も無い修練を積んだ挙句なら凡人にも不可能って訳じゃねえが、恐らく普通は自身にフィットとした楽器の演奏を取敢えず習得する方が断然早いよ。
ここで皮肉なのが弾きたいだけなら未だしも、作曲したいだけの者にとってもそうなってる処ですわ。

過去体験でイメージの方を段違いに奏力より持ってる人が、協力者に恵まれないが為に凄く憂き目を見てたケースがあったな。
その協力者達はプチ編曲はおろか殆ど奏でる事にしか興味が無いもんだから、具体的な音で提示されないとちっとも意図が汲取れない感じどした。

それでも過去なら完璧なスコアを書き上げられれば、今なら打込んじゃえばどうにか形に出来る様になったから随分マシになってんだけどね。
っう感じで他人とのコミュニケーションのみならず、自身の作家活動にも実は人力演奏って大いに関係があったんすよ。

そりゃ正規の本番が最も経験値を上げてくれるけど、全くの臨時で相手のニーズに応えようとするのには量こそ少ないが別のメリットがあるんだ。
自分って個性の持ち主だと、どんなのを他人は喜ぶかなんてのがさ。

これは実践を伴わない机上マーケッティングでは幾ら掘ってもハッキリしない処で、きっとまだ自覚してない世間からのイメージなんかがあるんじゃないかな。
一面で商品開発でモニターさんからの意見を加味するみたいなもんで、音楽には所謂既製品が存在しないだけにとっても貴重なんじゃないかな。

=つづく=

2024年10月31日 (木)

音楽備忘録1902 エレキBassのCreamyな音色の魅力➑

通過列車待ちが終ったから又本線を走り出すが、前回述みたいなのがエレキBassでは音色太さにかなり大きく影響してんだ。
電気楽器でGuitarや鍵盤の音域なら「高域のニュアンス・質」に差異が生じるが、私的にはこちらの方が適した代替手段が他に無いと感じてま。

数回前述の通りローエンド近くなら厚みで太さを補填可能だが、中域ではそれが出来ねえから問題なんよ。
インピーダンスの高低はパッと聴きには上下帯域の出具合だとか、均一な明瞭度とかが先ず大抵は耳に付く。

加えてオーディオ的Hi-Fi感が増すんでそれだけだったらまあ良いが、アンサンブル内での各音の存在感には案外ムラが増えちゃってるんだよ。
その一因にしゃべりの肉声だけを扱うなら、案外メガホンみたいな狭帯域なのの方が聴き取りが良いっつうのがある。

大昔ラジオがAMだけだった処へFMが登場して、イケボDJの声の低域が豊かになっておぉぉと思った。
が騒音が多い環境で聴いたら、AMの時よりボリウムを上げても何言ってるかまだ聴き取り難かって。

のが杜撰大王にとっての原体験で、音響的高音質と音楽的高音質には相反する箇所があったんすよ。
圧倒的な制圧感のあるSyntheの超低音や他を凌駕する高域持ち主のcymbal、そのどららも音程感の明瞭さでは下位に沈んでるよねえ。

そんでも↑みたいなのは音楽内でのお仕事に音程感をあんま求められてないから良いが、音域や用途上エレキBassではそれじゃ困る事の方が多い。
のは1本でContrabassとCelloの領域を賄いたいからで、音域限定的Hi-Fiさならこの2つの方が元々勝ってるんだ。

コンバスでのローエンドの重厚感等エレキBass如きじゃ中々太刀打ち出来ないが、音程感に限ればその深い音色が仇になってる。
エレキBass出力をハイインピーダンスを一切経ないでローインピーダンス化した場合、一般の想像に反しSynthe等電子楽器より実はコンバス等アコースティック楽器の方へ近付いてんすよ。

ので大編成とかで用途が限られてたらローインピの高音質も結構だが、小編成で色んな要素兼任となると却って不都合なんだ。
特に高音域での太さや低音弦との性質差が懸案事項で、極端な話し音域次第でまるで別の楽器みたいになるのがね。

ノーマルピッチの4弦の場合最低音から1オクターヴ上がれば、音域としてはGuitar等ともう同じ。
そこへ持って来て音色もオクターヴ下のと乖離すれば差別化は矮小するわ、オクターヴ的に跨るフレーズを弾けば余計な俺言い「上下分離感」を発症するわで…。

しかもこれはGuitarだけ歪ませてたりした場合で、Jazzみたいな太い音色を使ってたら区別も何もあったもんじゃねえ。
近年そんな音色ニーズはかなり減ったけれど、これってエレキGuitarじゃないと出し難い音色でもあるん。

アコースティック楽器の多くはマイルドな音色にしようとすると、その殆どはノーマル時より音量がかなり制限されちまう。
一般印象ではより煌びやかとか派手な音色なのがエレキやけど、実は無制限のマイルド音色の方こそエレキの特権なんすわ。

因みに生GrandだってEQ等で大胆に高域を持ち上げりゃ↑に充分対抗出来るけど、そうした場合音程感に関してはかなり劣化してんでっせ。
エレキでハイインピーダンスにも限界はあるけど、基本的な音色とはある程度分けて調整出来るんだ。

=つづく=

2024年10月27日 (日)

音楽備忘録1898 エレキBassのCreamyな音色の魅力➐

たった6回でもう主題から逸れるのはお家芸として容赦して貰うとして、今回は前回末告知!?の電気楽器の非効率な面についてざんす。
杜撰大王は音響や電気関係の技師でもあるんで以前は忌み嫌ってたが、未完成で不安定なハイインピーダンスで音色を色々弄ろうとすると避けて通るべきじゃなかったんだ。

1.中期以降のVan Halen仕様のスピーカユニットの変態周波数特性
ある時サウンドハウスのサイトで偶然知ったんだが、↑は何故か高域の有効帯域
が4kHz迄と書かれてた。
普通エレキGuitar用は殆どとれも8kHz前後になってるのに、一体どうした事か。

現時点で明確な本人証言を得てないから推測の域を脱せぬが、どうやらAmp回路では高域と美味しい歪みの生成に専念させスピーカには低域の生成と分業をさせてたらしいんだ。
これは磁気PUの原理に由来し、Ampで何もしなかったらまるで昔の磁気テープみたいに高域不足低域過多になってるからだ。

それプラスエレキの歪みで欲しいのが主に高域で、低域迄飽和(歪み)させると籠ったFuzzみたいな音色にしかなってくんない。
その度合いが想像より遥かに上に行ってたのを魔改造等で思い知って、しかし歪みが良い感じに回路定数を調整するとどうもローエンドがお留守になっていけねえ。

その現代主流の対処法はAmpプリ段だけで歪み生成を完結させるだが、それだとパワー段の歪み(俗称:パワーコンプレッション)が得られなくなる。
ので恐らく師はAmp回路部で補うのを諦め、後段のスピーカユニットでの改善を目論んだんじゃないかな。

私的には彼だと初期の音色の方がダイレクト感に勝って好きだが、かと言って晩年の音色が特に籠った感じはしなかったのが一応の証拠か。
コレそもそもはMarshallが発展期に既に大雑把にはやってた手法で、深度をもう1段深めただけではあるんだけどね。

2.やたらHI上がりなAmpに繋いどいてわざわざGuitar本体のToneツマミを適宜絞って使う
今ではあまり多分やらなくなってるだろうけど、昔はかなり当たり前の音色生成手法でしてん。
これの真相は音色調整箇所が今より少なくその効き方も自由にならなかったからだが、歪み生成がAmp主体の場合は今でも音楽的にはちゃんと意義がある方法なんだ。

1.で指摘した通り美味しい歪みにはその歪ませ度に応じた極端なHI上がりが必須だが、そのままだと超高域も必要以上になっちゃうんだ。
それで杜撰君自身も含めAmp回路で超高域をカットしたら、折角深めた歪みの歪み成分(高域になる程顕著)が何だが妙に大人しくなってもうた。

のはGuitar自体の音はもう少し普通で、歪み成分だけワイルドなままにしときたい場合が少なくないからだ。
のを単純直結思考で対処したのがコレで、理論的には理不尽でノイズを目立たせるだけなんだけどね。

今では利便性優先で何でもEffectorで処理するのがデフォ化しちゃったから、やってる人は多分相当減ってるんだろうけどさ。
レコーディングで少しでも良い音をとなったら、ベテランを中心にまだ達人達は少しは用いてると思うんだけどね。

何れにしてもエレキにはこんな現象が少なくないから、SynthesizerやPCでの音色生成みたいに中々素直には行ってくれないんだ。
只個人的には理不尽を超越してるからこそ、↑とは一味も二味も違ったのが色々発見出来てる気がするよ。

=つづく=

2024年10月22日 (火)

音楽備忘録1893 折角弾けるのに勿体無い⑦

体毛は薄目でも心臓だけは未だに剛毛生い茂る杜撰大王だって、ちったあ人目は気になるしわざわざ劣って見られたくはない。
から〜ぁので今回は自意識と第三者からの視点とその差について、表面上の言葉は同じでもその内容は全然違う事も…迄掘り下げてみよう。

真っ先に取上げたいのは「上手さ」で、誰だって少しでも上手いとは思われたい。
特に相手が全く弾けない人だったら最低限のリスペクトは欲しい処だが、その考えが通用するのは相手が「弾きたいのに弾けない」場合限定なのだ。

しかもフルに通用するのは相手の憧れの対象そのものか、それに近かった場合に限る。
これのマッチング度は限りなく低く、何処か1つ欠けててももう感動は半減したりするんだ。

普通に考えて何も出来ないより何か出来る方が良いのは確かだが、例えば兎に角彼女を欲しがってる処へはした金程度貰えたって有難くはあっても喜べないよね。
そりゃ金額がもし10億円位になりゃ、出逢いの機会を増やせたりするから違って来るだろうけどさ。

それだけ人の評価を得るのは大変なもんで、特別な興味を持って無い相手だったら最低でも次元が違う位じゃないと難しい。
ので自身の身勝手な好みで確実に評価されるには、相手がそこを求めてる場合しか元々あり得ねんですよ。

この大前提を踏まえある程度上手だと思われるのは、超絶なテクなんかより何かしら僅かでも相手へ歩み寄れたらなんだな。
満腹な処へこれ美味しいから如何と言われて、もし無理して食べるとしたら前々から興味深々で流行ってるお菓子やスナック程度が関の山。

レベルを下げて相手が満腹じゃなかったとしても、空腹なら腹に溜るもの・甘いのか辛いのを欲しがってたら該当するのじゃないとさ。
この事は音楽でも大差無いかもっとシビアなんだから、例え不充分でも相手のリクエストやニーズに少しでも応えられなかったらその時点でご破算なのだ。

故に自身の奏力をそこへ活かせてなんぼで、実は奏者特有の考えなんて殆ど世間には通用してねんだ。
で相手の予想通りかそれを上回れたらベストだが、音楽の好みは実に多種多様だから滅多にドンズバなんて起り得ない。

ではどうするのったら極力相手の好みに寄り添った上で、他人が持ってなさそうな独自性を添加してやるんだ。
当然安全策を優先すれば余計な追加は無い方が好ましいが、そればかりに終始してると今度は万に1つも独自性を気に入って貰える機会を失ってまう。

これ等を併せて考察すると、我流で可能な範囲でその場の期待に応えるのが最善なんじゃないかな。
演る側・聴く側が最初から合致してる保証があったらいきなり取って置きを披露するのもアリだが、何処かで世界一にでも成れて無きゃそれでKOを目論むってな虫が良過ぎ。

先ずは演る側から聴き手に歩み寄るべきで、先方だって意図無くばわざわざこっちの不得意を要求なんかして来ないよ。
最悪出来そうに無いものを要求して来るのって、ほんの僅かも聴きたく無いって意思表示の代わりかも知れないしねえ…。😵

=あと1回だけ続く=

2024年10月21日 (月)

音楽備忘録1892 映画・TV等への専門家が作った音楽⑯

前回はRock系への頂戴し易さから先ずはBarry Whiteを提示したが、って事ぁそれに拘らないなら全盛期の米は大御所の宝庫だ。
流石に今となっては当時とのタイムラグは気にせざるを得なくなってて、わざとじゃないとそのまま引用するのは無理になってもうた。

だが杜撰大王としては単に流行のとか典型的な何かだったら幾らでも他に例があるが、新旧とか明確に○○ジャンル風では足りない時のこそ懸案なんすよ。
米での全盛期って確かに編成的には殆どBigband Jazzのままだったけど、使われるフレーズや編曲はその範疇を大巾に逸脱してるのがあったんだ。

そもそもBigbandスタイルって唯のオケの米版的意味もある様で、今だと確かにその編成だとJazzかせいぜい吹部みたいなのを演るのかなって思っちゃうけどさ。
ここからは独断と偏見になるが欧のClassicオケって、一面で演奏会場の豊かな残響があって成り立ってるよね。

のでもし残響不足だと結構ショボくなりそうで、その点Bigbandスタイルはそこ迄の影響は受けんとな。
無論Rockや俺言いプライベートFolkとかBluesに比べたら、残響ゼロでもOKじゃないけどさ。

それプラス当時の米では何にでも意欲的で凄腕な人にJazz系(何せこっちも全盛期ですから)が多かっただけで、案外気持ちはClassicオケに入った様なつもりだったかも知れない。
そもそもⅡでゴージャスアンサンブルの原典は恐らくBeethoven辺りで、今の一般認識のゴージャス≒Bigband Jazzってのがどっちらけざんすわ。

なんてほざいといて真っ先にすわBigbandかと思ってる杜撰君だが、そこで止めないで由来がClassicか民族系かはたまた宗教音楽か何かなのかその先へも目を向けてるだけなんだけどね。
けれどちょっち聴き込んでみるとClassicやJazzネタは当然乍ら、それ以上に耳に付くのが所謂前衛の要素だ。

そして特筆すべきがその按配が実に巧妙で、中にはニーズに応じて訳分からんのもあるけどさ。
大半はまあまあ普通のポピュラー音楽として聴ける処で、普通露骨に前衛を取り入れると殆どの場合ついやり過ぎてるのが多い。

順然たる一部Jazzは勿論、他のポピュラー系でもFusionを筆頭にプログレだのサイケだの…。
のが映画音楽となると一部ヲタにだけ理解される程度じゃ全然足りなかったり、多数派のミュージカルみたいに歌だけ追えれば良い訳じゃないもんね。

中でも’70年代中頃迄のTVの連続ドラマや、当時そんな呼称は無かったがアニソンにその傾向が最も強い。
何しろ尺(時間的許容長さ)が近年より格段に短く設定されてたんで、迂闊に行き過ぎれば戻って来られない危惧があった。

故に盲目に崇拝してるんじゃなくて、苛烈な条件下でそれをクリアしてたのが凄いんよ。
因みにその対極にあるのが今劣化本邦のアニソンで、その多くOPは1分半が常套手段化しとるがな。

それだけ尺がありゃだらだら進む凡庸な曲だって、一回りは完遂出来るから楽っつうか怠慢っつうか…。
映画ではタイトルロール等の関係からそこ迄短いのは少数派だったけど、今平均より短い中で密度が濃かったのは確かなんじゃないかな。

=つづく=

2024年10月15日 (火)

音楽備忘録1886 エレキBassのCreamyな音色の魅力➍

前3回で大凡の意味と葛藤を綴ってみたが、そうこうしてる内に進んじまった状況の変化も考えなきゃいけなくなった。
ノスタルジーやトリビュート以外で、Flat弦デフォ当時みたいなアンサンブルが死滅してたんだ。

その筆頭はRock系小編成アンサンブルでの、Off Mic収録がほぼ無くなった件ざんす。
こればっかりは已むを得ぬ事情があって、毎回曲・アルバム毎にマッチした良好な残響を得られる場所の選択と確保はとても困難だもんね。

昔みたくMicの本数が足りない・レコーダのトラック数がぁからほぼ開放されたとなりゃ、一部のヲタやニッチを除けば取敢えずOn Mic収音を選ぶのは至極当然の成り行きだ。
だがそれに依って不要なケースでも妙に明瞭度が与えられ、生でなら今でも充分通用する音色の幾つかが合わなくなっただよ。

杜撰君世代にしてみれば過去には全く予想出来なかった状況で、過半数は録音作品より生の方が良いってのが覆りやがってん。
かくなる上は音色で削るとか制限する方法では駄目で、新たな何かを加える方向で解決を図らねばならない。

そこから考えられるのが各帯域の質とバランスで、低音の量が一定値を超えると高音が駆逐される現象の魔用とかだ。
平均的音色の際どれにしといても低い音程だとザラついたりは稀になってて、そりゃかなり思い切って中低域をケチれば低音程でも硬質な音は出せるけどさ。

でも一般認識のエレキBassの典型的な範囲に留めてたら、最低でも4弦か3弦迄は自動的に丸みのある音色になってまう。
だからこそ1・2弦が異なる性質の音色となり易く、DrumsetのTomとFloor Tomの関係なんかと同列だ。

両者で異なるのは通常後者は違うものとしての存在意義が高く、物理的仕様差よりその殆どはチューニング等を変える事で差別化が図られてる。
のがBassではそれが色々と困る方が多くて、先ずピッチが自由にならないかんね。

故にスラップ専業奏者で1・2弦ではプルしか演んないなんて人以外は、多くのBassistは程度差こそあれもし自覚が無くても直面してる懸念なんすよ。
それもあって過去に数度意図して中域を増量したら、「君の音色じゃない」と糾弾される事故なんかが起きちまった。

こっちとしちゃタッチ感の増量とオクターヴ上フレーズを使い易くする為で、敢えて妥協したつもりだったんだけどね。
音色的な重厚感とかエッジが従となったせいかけんもほろろの塩対応、説明する意欲さえ萎える有様どした。

事後分析すれば少々安直のそしりを逃れないかも知れんが、誰にも一番敏感な中域は実際弄り難いとは思ったさね。
かくなる上は前述低域と高域の内容で、バーチャル中域増量を試みるしかないと。

のだけだったら現代的なグライコとかが搭載されてるAmpなら比較的簡単だろうが、その部分迄真空管で回路構成されてるのは過去を全て含めてもとっても希少。
幸運にもそんなのが手に入らない限り中域の押し出し感の強い球を、わざわざ妥協してもこの件では本末転倒なのだ。

=つづく=

2024年10月12日 (土)

音楽備忘録1883 人力生演奏のススメ➋

幕開けに私的動機を綴った処で、このお題にも各自の腕前に即した段階っつうのがある。
それを知らずに挑戦すると真価を誤解する危惧があるから、先ずそれから行ってみよう。

何か奏でられるそれなりに熟達した楽器があったなら、私感では打込みより感性ダイレクトに演れるのが兎に角楽だ。
ってアンタ打込みの腕がまだまだだからじゃねと言われたら否定は出来んが、人間様はAD/DAコンバータじゃないから感性で出来上がってる物を一々数値変換するのは億劫だ。(実際は脳内で無意識に同様な事をしてるが)

その作業で私的に一番危惧してるのが源イメージの薄弱化や欠落で、返還に勤しんでる間にウッカリが起きるのがねえ。
その中での3つの私的懸案の最初がリズム(ノリ)面で、元が一択の感覚依存なだけにこいつは実に厄介だ。

のから逆算するとノリが自由にならない内は、それが人力でのメリットにはあんまなんない。
んがかと言ってそれだけで利ザヤが無いかってばまだあって、それが人の気紛れへの随時対応だ。

余程の打込み達人で無い限り気紛れの繁栄には時間が掛かり、特に奏でてその成否を見極めたい時なんかは判定する迄のプロセスが面倒過ぎる。
と言うのも成功率50%以上の見込がありゃまだ良いが、手当たり次第お試しするには駄目な分にまで掛かった手間暇は完全に無駄になるからね。

ほいでホントに怖いのがその先で、誰でも無駄や非効率が嫌な為にチャレンジ精神が減退する事だ。
特に自信が無い程演奏のせいで没になるのを気にすれば、打込んだ結果で判断したいとか思っちゃうじゃん。

そうこうしてる内に自信の無さが増大するは打込みの手間に耐え兼ねるはで、何時しか当初から確証のあるの以外試すのさえ躊躇う様になったりさ。
元来は自身にフィットしたのが足りないのが自信不足の一因になってるかも知れないのに、そんな境遇でチャレンジを減らしちゃったら光明が射す訳ゃねえっての。

ついでで俺知りを披露しとくと、打込みメインの所謂ボカロPで名を馳せた多くは弾けない人じゃ無かったんだよ。
夫々の事情で人力演奏の公開を遅れさせてただけで、って事ぁ完成品では打込みにしてても思案する段階では手弾きで色々試してた可能性が大いにあるんよ。

それと初期からじゃ無かったかも知れんが他人との合奏に割と積極的な様で、作曲自体は孤独な闘いに明け暮れてても決して他の存在を否定しては居なかった等ね。
なので必ずしも固定したBandでは無くても、この件に関しては全然OKなんだ。

最もそれを地で行ってるのがJazz系の人達で、インプロビゼーションが命脈なだけにかなり広範に積極性を持ってる様だ。
その意味で対照的なのがClassic系で、しかし必ずしも人嫌いな訳じゃ無く自身の追及で多忙なだけだ。

音楽やそのジャンルの成り立ちからしたら異常だが、今劣化本邦ではポピュラー系の人程結構頑なな印象を受ける。
確かに昔とは比べ物にならない程発展・細分化した都合も分かるが、どうせ本番時には他の人達と一緒になるんだよね。

底辺に居る場合は出られる場所は自ずと限られるし、天辺に居る場合なら紅白歌合戦で他の者とやはり同席させられる。
結局纏まってられるとしたらどっちでも無い中途半端な時期だけで、しかし「違う人」も居てくれると助かる面もあるんだなぁ。

-続く-

2024年10月 7日 (月)

音楽備忘録1878 エレキBassのCreamyな音色の魅力➋

前回末尾の「オクターヴ上」とはエレキBassで出せる各音での最低音程の1つ上なんだが、アンサンブルでの最低限の使命「ルート明示」だけだったらそんなの使う義理は無い。
但しそれが成立するのは他の各パート全てが、「被らない音域」だけを使用してるのが条件だ。

鍵盤と違って弦は遠く離れた2つの音程を同時に鳴らすのが苦手だから、普段上へ寄せれば上・下へ寄せれば下の比較的狭い音域を使う事となるんだ。
ので鍵盤不在で例えばGuitarがGuitarとしての中音程域を使ってたら、Viola音域は賄えるがCello音域が出せなくなってる。

その時少し中抜けして構わないなら良いが、塊り感が要求されたらBassも上の方へ移行するのがベター。
等実際のアンサンブル内ではそんな事も起きるから、単純に楽器の音域だけで棲み分けさせりゃ大丈夫とは行かねんだ。

寧ろ音色差からの棲み分けの方が重要で、古くはClassicオケで既にその具体例が多数見られる。
それからするとGuitar系メインのアンサンブルで、エレキBassには差し詰めContrabassとCelloの両方の音色が初期段階では要求されてるって事った。

のがエレキBass黎明期に王座に付いたヤツがたまたま中域中心の音色だったが為に、Hi-Fi化し出す迄は注意する必要が無かったんだよ。
或はそれが分かってて音色形成されてた可能性もあるが、何れにせよ各方面とも熟成が未達だったから到底Contrabassのローエンド等には対抗出来てなかったと思うよ。

又アコースティック発音の金物系以外では高域量も出せる限界が低く、今ではより煌びやかなエレキも当時のは意図的に倍音を目立たせられる程度でさ。
実際には生楽器よりかなり所謂狭帯域で、その代わり纏まりって点では扱いが楽になったかな。

わ兎も角電気楽器でGuitarや鍵盤のデフォルトメロ音域の方がより高域が必要だからか、或は足りない低音を相対的に目立たせる為かBassは「ハイを出さない」音色が中心になっただよ。
のとJazzでより好ましい音色を求めてかFlat Wound弦がデフォになったが、恐らく技術的にはRoundより後発の進化形なんだ。

杜撰君は世代的にFlatデフォの末期世代だから意外だったが、製造技術難度を考えれば当然の結果だった。
断面が☐の線を巻くとか○線を巻いてから表面を平らに削るとかしなきゃ、表面ツルツルにはなってくんないかんね。

そうして初めて得られたCreamyな音色が、コンバス一択当時では選択肢に無かったフレージングを可能化したんすよ。
だからって今更高価なFlatを全推しはしないけど、それで成立するようになったフレーズは決して無視は出来ませんって。

明瞭度や現代ニーズ全体では勝るRoundも、この面でだけは代用するにはそこそこ音色の工夫が必要でさ。
直接中域を増やさない迄も、「中域を感じさせる」エレキBassでの高域の下の方とかで補填しないとならないんだ。

具体的側面は例に依って長くなるから次回送りとするが、かつて出せなかった・拾い切れなかった低域を特定中高域で感じさせるのなんかと大体同じだ。
最典型例としてはBeatles時代のRingoのDrumサウンドで、意図的に「皮が揺れてる」成分を前面に押し出してたよね。

=つづく=

2024年10月 6日 (日)

音楽備忘録1877 折角弾けるのに勿体無い③

現況の諸悪の根源は悪政なのにその理不尽をSNS等の暴言で発散するのが多いから、誰もが他人に隙を見せまいとなるのは仕方無い。
だがある程度は勇気を出してそんなのを打ち破らないと、自身に必要なプレゼンさえ出来なくしちまうよ。

いや飽く迄個人の秘密の趣味だからとか上手くなれなくても独学でやるからなんて思ってる人、どんなに慎重に事を進めても他人にバレたり関わりを途絶するのは無理でげすぜ。
を例に依って敢えて秘密主義肯定論から考察してみると、先ず楽器や関連道具の入手はネット通販にすればほぼ心配は無い。

但し大柄な生楽器は例外で生ピ等は専門の運送・設置を業者に依存しなきゃなんないし、運んだ時の振動等の悪影響から逃れられないから最低でも初回だけは調律師にも世話にならなきゃなんない。
仮にそれはクリアしたとして今回考えて欲しいのは、所謂「独学」の正体なのだ。

狭義の概念では個人だけで熟せるが、実際には様々な場面で他人の助力があって初めて成立するもんなのだ。
その1として教わるのを極力避ければ教師の世話にゃならずに済むが、間接的ではあってもマニュアルやテキストは誰か先人がこしらえた物。

それを幾ら読んでも分からなかった時一般学校受験のなら参考書等豊富だが、個別楽器の演奏のだと書籍だけに頼り切れないのがちょこちょこ出て来ちまう。
そうなると知識の段階で例えSNSを通してだろうと、質問する等誰かとのやり取りの必要性が生じる。

それ処か演奏って「実技」なんで全く実地訓練レスってのは厳し過ぎ、運転免許だったら教習所のコースも仮免での練習もせずに免許を与えて大丈夫なのかってなもんだ。
それ故結局趣味でも有意義なものにしようとしたり僅かでも向上させたいと思ってたら、独学だから講師不要なんて考えたら大違いなんだよ。

一般感覚的に先生居ませんと感じるのはアリでも、年下の友人からプチアドバイスを貰うだけだってミクロ先生が実際には居たも同然でっせ。
独学と習ってるの実際の差は特定の練習日時・場所・講師の有無程度で、俺言い活発な独学をしてたら寧ろ先生の人数は何時しか桁違いに膨大になってる筈だ。

なのでもう練習の時点から一定数の他人にネタバレしてる訳で、唯その各人に何度もは聴かれてないからきっとあまり自覚が残ってないんだよ。
それって思春期の男の子がエロ本を上手く隠し通せてると勝手に思ってて、狡猾な親は状況把握の為にとっくにバレてるのを黙ってるだけみたいなもんすよ。

ひた隠しにしようとするよりバレてる前提の対応を考えとくべきもので、それに有する勇気はほぼ初回1回のみ。
何より正式に習ってない人への期待度は低いから、よっぽと変態的な失態を演じない限り他人は逐一詳細になんか覚えてないさ。

を逆典型例の提示で補強しとくとある時桐朋音大現役生と知らされてそのViolinの腕前に期待したっけ、オタマトーンやテルミンより音程が曖昧で悪い意味で強烈に印象に残っとりま。(容姿端麗で音程以外は全てハイスペック!!)
肩書で勝手に想像するのは俺も含め今劣化本邦人の悪い癖だが、少なくとも音が良くは分かってない一般人がスペックを頼るのは仕方無いけど同時に「恥ずかしい音になる」のも仕方無いぞ。(現況はあまりに度が過ぎてるが…)

=つづく=

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