奏法

2018年11月27日 (火)

Speedkingよもやま話⑬1足3連余談Ⅱ

前回の補足プラス図説主体になるが、その前に少々。
俺は割と強めの表現が多そうなので何だけど、実際誰がどうするかに対して固執はありませぬ。
少なくとも求める音に対して過不足等が無くて、結果が得られるなら一向に構わないと実は思っとりますです。

けれども只単に何でもOKって言っちまうと、時に「後で不具合」が出たりもするのを避けたいんですわ。

復唱になっけど太鼓は個人的には体格・体質差等からの影響大と感じてて、俺に良くても他人に駄目とかその逆があっても不思議じゃないと思うんです。
とは云えこの紙上では各個人の個性は不明なので、論理的観点からの優先順位で吠えてるのでありんす。
何せ外見と本人意識が正反対なんてのもあるんで、最適値を求めるにはマンツーマンじゃないと難しいと思います。

Photo
久々でいきなり出ましたが、題して「押出し踏み」と命名させて頂きやす。
先ず黄緑の線が膝より体側からの力の向きで、青線が
カカトを「支点」にした時の足首からの位置関係を示したつもりだす。
足各部の距離関係は人次第でまちまちだが、そこが正に個人差なので一例としての概念図と思われたしざんす。

で現実的な力には膝で前へ押す分もあるが、上から下へのそれと比べたらかなり非力だと思われる。
脚の重さは「作為的な動作」が無ければ近い方中心に掛り、つまりくるぶしから爪先・カカトそれぞれへの距離割合で大凡分配されるだろう。
加えて基本的にカカトは固定なので、他の奏法よりどうしても動作範囲は狭くなる。

だから俺的には絶対的必要性が無ければ用いて無いが、単純原始的な爪先踏みよりはパワーが出せるのも確かだ。
上図左は踏む直前で右は直後を描いたが、カカト固定の癖に足が何故か前へ少し移動してるのに着目されたしある。(描画は誇張気味)
これの度合いもまた人次第でまちまちだが、余程極端に「カカトが長い!?」主で無い限り押出さないと爪先へ重量モーメントを持って行けないからなのだ。

こんなんでどうして「
Slide」意識を持たぬかっつうと、それをすると「カカト支点」が機能し難くなり易いからだ。(移動しなけりゃSlideじゃないので)
それと「踏む前」に爪先がしっかり上がってないとビータストローク不足→パワー不足となって、唯の
慌てた爪先踏み」に成り下がっちまう。
よって目一杯勢いを付けようとはするが、
Slideと思わぬ方が大抵はベタ―なんじゃないかと思われる。
一番単純な思考では「目一杯威勢の良い爪先踏み」をしようとしたら、近い状況が得られる場合もありそうだ。

欠点は是迄に綴った通りだが、では利点は何か。
奏法的には大きな動作が不要なんで、「何か演った直後」に用いるのには有益だ。
それと他の奏法と足・脚の動作箇所と向きが少し異なるのも、複数ストローク用として有利だろう。

複数ストロークと称する多くは手足の基本の「振り」が一回で複数音を出すと解釈してるが、それを可能とするのは大抵は「違う場所を動かす」ので得ている。
だが増やせる数に限界と制約があり、パワーを要する場合個人的には3つ位が限度と感じられている。
工夫の余地は無限かも知れぬがそれ故、現状俺では4つは2+2で賄う等となっている。

基本手足一緒論の俺と云えどペダルとバチの相違を無視はせずで、ペダルは最低でもフットボードの分がバチより多いとなっている。
その影響はやはり応答性に現れてて、手より脚では複数ストロークの数的限界が下がってると感じられている。

またRock系では常時フルのバスドラサウンドが要求されがちなので、「パワーを伴わない速さ」だとご利益僅少だ。
こうなると手で言う処のバズ系の技法は、もし足で出来ても用途不一致だ。
もしツーバスとかでバズロールが出来たとして、使い道が少なそうなのも確かなのである。

これ等から俺言い「押出し踏み」の適正を考察すると、最適なのは「Slide Double直後」って判定になっている。(つまりSlide Triple)
個人差で極度に足首が非力とか遅いとか、何らかの事情で
Slideが不可な場合だったら採用に意義は出て来る。
けれども物理的に最適解で無いのが検証済みなので、特に「これから脚のDoubleに挑戦」ってんなら非推奨なのだ。

もし試すなら他の方法を暫く訓練した後、もし余りにも結果が芳しく無かったらそれからにするのが良いんじゃないかと思う。
尤も
高純度のSlide Tripleに挑戦するなら必須となるだろうけど、それはSlide Doubleを充分習得後での話し。
因みにこの高純度と称してるのは、速度・パワーが得やすいのが「全部違う動作」の組合せだからだ。

体自体もだがそれだけでは限界が近く、前に述べた通り「指令速度」も大事だ。
「頭を楽にする」のにも同じのを繰り返すより、
「全部違う動作」を順番にやるだけの方が普通は低負荷だと思うのだ。
既に目一杯押してるのに更にもっと押せったって無理な相談でしょ、でも「違う注文」だったり「前のは気にしなくて良い」となったら余地も出て来るんじゃない。

ドラムの神様ってばBuddy Richだと思ってるが、従兄の先生の分析では今のが違って聴こえても
技術面では越せてる者は見当たらないそうだ。
その
Buddy Rich実際に途方もないレベルだが案外「簡単な意識」で演奏してた様で、複雑なHi-Hatでのアクセント等を主にバチの「当てる角度」だけで実現していた様だ。
どうやら高度な演奏をしたい程、不要な際は「簡便化」が重要らしいのだ。

2018年11月23日 (金)

Speedkingよもやま話⑫1足3連余談

今週従兄にとある外国人の踏み方の質問を受けたが、それは変形足首ダブル(ヒールトゥ)であった。
何処が変形かってば普通の2連打なのにカカト→爪先と順番が一般的なのの逆なのに、2打目が決して非力にならないのが珍しかった。


従兄は選択ミスで俺言い「足首ダブル」で
かつて逆順に慣れてしまい、必要なパワーを得るのに難儀した為苦手意識を持ってしまっていた。
力を意識すると今度は速度面が一層不利になるが、スライドが体質的に苦手だったのもあって半ば脚は放置プレイ化していた。
それに一条の光明を見出したかの如くだったから大いに興味を持った様だし、普通なら見落としそうなのにも気付いたらしい。

これの秘密を述べるに当り誤認回避で
「足首ダブル」のおさらいをしとくが、強弱無視で単に2つ鳴らせれば良いんなら順不同である。
だがCloseを意識したり色々「条件」が加われば、「演り易い」とかもっと言えば「演れる」順番の制限が出て来るものなのだ。
一例として上記「
Close意識」について述べると、次のような現象が起こる。

普段の単打との差を極小化しようとすると、どうしても必要な時以外は足の何処かがフットボード等から離れなくなるだろう。
この時ダブルでもカカト(腿に依る脚踏み)を先にすると、1打目後の爪先は上がっていない。
Close意識なので当然の結果だが、これが為どうしても2打目動作の開始が遅延気味になってしまうのだ。

特にアップヒール常用だと一段と顕著に出て、1.カカト降ろして→2.爪先上げて→3.それから漸く踏むと随分な迂回になる。
これではパワーは勿論それ以前に速度面で不利で、ダブルストロークにする意義すら薄れてしまう。
では何故順番が違うトゥヒールだとセーフかっつうと、以下の如くになるからだ。

1打目を爪先とすると特にアップヒールならカカトは「上がったまま」なので、素早い足首の脱力をすればそれだけでもうフットボードが上がってくれるのだ。
少なくとも奏者意識的には「踏む前に上げる」が不要となり、身体の動作数のみならず脳の指令系統の方も「時短」化される。
加えて「爪先踏み前」には猶予が取れるので、パワーを出し易い踏み方へ持ってくのも容易になって来る訳だ。

普通の現代ペダルでは
所詮パワーでは爪先がカカト(脚)には勝てぬが、Speedking等の骨董系でバネ弱になって来るとその差はかなり縮小する。
昔だって歯切れでは
Close優位なのは一緒だが、PAレスで肝心な「低音」が補償不可となれば優劣も逆転する。
それで「楽にOpen」が得やすいとか他楽器の音量が今より小さ目な昔では、足首由来の爪先踏みが優位に立つので道具側も意識せざるを得なかったからだ。

これ以上続けると何だから詳細は過去記事参照願うとして、本件の核心へ向かおう。
一見只の逆順に見える今事例のヒールトゥだが、自称専門家の俺分析では違っていた。
実はトゥの方が普通ではなく、俺言い「超速1足3連」(Slide)の3打目と同じ踏み方となっていたのだ。

核心の核心に触れるが、要は爪先踏みの動力源が足首のみじゃなく「膝」等を利用するとこう云った芸当が可能になるのだ。
これも詳細は俺別言い「Slide Triple」過去記事参照願うが、通常誰だって足首より膝の方が力は強いもんだ。
殊に足首とハイブリッドとなれば脚を大人1人とすれば、子供でも2人掛かりになれば対抗の可能性も生まれるって感じだ。

普通のヒールトゥならカカトが上がっていても平気だが、動画の主の2打目時は必ず「カカト接地」状態から為されてるのがその
証拠だ。
膝動作で爪先を下げられるのは「カカトが突っかえてる」からこそで、足首関節とカカトの先端に多少なりとも距離差があるからこうなるのだ。
理科的表現をすればカカト=支点・足首=力点・爪先=作用点となっていて、力点の動力源が膝である。

厳密には腿の筋力も使ってるかとか各部の力のバランスはってのもあるだろうが、体格差もあるのでそこ迄の追及は各個人毎じゃないと無意味だと思う。
俺自身の意識は「下へ」であるが、今回の件で若干の見直しにもなった。
それは爪先上げ時には
「下へ」より「前へ」の方が有利なのが明かだからで、自身の脚を無視してフットボードばかりを凝視してたからかも知れない。

俺がこれのキッカケを得たのは「
Slideの延長」で、元々膝を使っていたし前へ押す発想があったせいで早かったみたいだ。
ってより実際足を前へ動かしてて、「止めなかっただけ」とも取れるか。
尤も指不使用のバチのリバウンドと一緒で数の制約があり、フットボードと脚の両者の長さもあるから3つ程度が実用限界みたいだ。

俺は2連には現況必要性が低いのでこの変形ヒールトゥはほぼ不使用だが、従兄みたいに逆順がフィットする者には確かに朗報であろう。
けれども一番利用率の高い連打では1打目は「16分の裏」が多いので、2打目の「表」時に単打と連打で逆動作となる懸念は残るシステムだ。
フレージングの自由度を考えると手と同様で、平常時「表裏の鳴らす方法」が固定の方が有利に思える。

演りたいのがこれで充足する等条件次第では、1つの選択肢なのも確かだろう。
何しろ全身を使うからか、太鼓演奏は個人の体格差の影響が大きいから。
但ししかしこれ以外の奏法も習得したいんなら、亜流から入れば従兄がした辛酸舐めは辞さない。
例えば
1足3連へ行くのは道順がとても複雑化してしまい、習得前の修正箇所からして多くなってしまう。

なので原理的に考察すると次善策ともみなせ、俺的には余りお勧め出来るものではない。
複雑な技を持ち出すのは速度的必然性等があっての事なんで、可能な限り一番簡単な方法を用いるのが良さげに思っている。
またその様な発想にしといた方が、更なる高度化への発展性に繋がるのだ。

2018年11月15日 (木)

日本のRockって何だろう③暴言みたいでもホントマジな話し

今週は従兄が復活してツーバスの微細セッティングの研究をしたが、とある情報を伝えられ驚愕しちまった。
それは従兄も推してる新進女流ドラマー「ミカナベ」さんが、落されたコンテストの件だ。
てっきりとても厳しい審査で落されたのかと思いきや、審査員の模範演技動画の下手さ酷さ加減を見て「これはヤクザより悪い商売」だと痛感させられたのだ。

個人主観に過ぎんと仰せられるか知らんが、こっも伊達に長年音のプロを貫いて来ちゃ居らん。
それプラス誤認回避の前提として、俺はミカナベ氏を評価はしてるが特に好みでは無い。
だがミカナベ氏を3とすれば偽師範供のは1って位、力量差が明白だったから論を待つ迄も無いだろう。

またどう云う理由か不明だが偽連中の「録音された音」が妙で、使用楽器・叩き方等どれもが異なるのに同じ音になってたのがとうにも不可解だった。
しかも「出せそうに無い音」になってて、しかしミカナベ氏の方はちゃんと見た通りの音となっていた。
例えばブランドもサイズも(恐らくチューニングピッチも)違うバスドラで、低域のピークが同じ周波数になるなんてあり得ないからだ。

この時もし楽器のスイートスポットを犠牲にしてでも周波数(音程)を合せたら、今度は音色に大きな差が生じてしまうものだがそれも無い。
音量はマルチMic録りなら・周波数毎のバランス等なら矯正可能だが、ピークの出るタイミング迄弄るのは不可能なので何らかの相違は必ず残ってしまう。
であるからして偽連中のは「当て振り」の疑念すら拭えず、そこ迄で無いにしても無添加純正では得られない音であった。

加えて駄目押しになるのが定評のある録音屋が録ったのなのに、メモ録りでカメラ付きMicで拾ったのの方が良い音だったんだわ。
これは実は俺も経験してるんで分かるんだが、無理加工を施した場合に起きる現象なのだ。
かれこれ30年程前録音時に正規のバンドドラマーが不在になった時、今以上に大した腕でなかった俺が叩いたのでこれを施した事があった。

バンドの楽曲最優先で太鼓の瑕疵を半ば隠蔽しようとして、何とかそれだけはクリアさせた。
だがそれで全体としては聴ける状況になったものの、太鼓だけに耳を傾けたら何とも不自然で妙な音になってしまったのだ。
対して過去記事に記した従兄に叩いて貰ったコンプレス録音の如く、腕が良い程只叩いただけでもう完成品の音が出るものなを体験済みなのだ。

一部に立場上とても不都合になる犠牲者を出す事になるが、敢えて吠えよう「クソ野郎!!」。
この中身が伴ってない審査員供の何が問題かっつうと、バランス等が非現実的で滅茶苦茶なのである。
つまりPA無しでは他楽器との合奏に支障を来す様な有様で、自分より上手い奴を落しとき乍ら金を稼いでいるのが犯罪級なのだ。

単に趣味で演ってんならまだ只の偽物で済まされるが、嘘或は間違いを正当化した上それで金を取ろうってんだから許す訳には行かんぞなもし。
追求しても騙される方が悪い等と言い逃れしそうだが、好きな音楽に対してすら不誠実とはものの哀れの極致だ。
挙句の果てに自己保身の為に(悪・嘘を貫くのに)正しく出来てる方の人を排斥、つまり「わざと」不合格とする事で世間の無知な者へ対してアピールしている。

しかしそんなんでも間違ってでも一応成立してたって事は、かなり狭い世界だが「世論」が不足してるせいなのも否定出来ない処だろう。
現代本邦の異常環境即ち俺言い「不要PA」が、この「悪さ」の根源にある気がして止まない。
要するにそのせいで素人が生本に接する機会を損ねてて、実際はどんなもんかを知るのが困難になってるからだ。
もしやこの段階から悪意図的になされてでもいるのだろうか?。

で更に「不要PA」の源を辿ると、稚拙な西洋の模倣からの「恥ずかしい勘違い」があるとしか思えないのだ。
コンプで本家元祖はOn Mic録りの対生耳補正が主目的だったのが、J-POPでは異常音圧獲得の為だったり。
頑張れば奏法と楽器だけで得られる低音を、EQで持ち上げて誤魔化したり。

けどそれって保冷車をサブエンジンで走らそうとする様なもんで、どうにも無理があり過ぎる。
因みにこのサブエンジンってのは荷室を冷やす冷凍機の動力で、トラックが停車してメインエンジンがアイドリング(低回転)になったり止めたりしても温度を保つ為のもの。
わざわざ走るのの他に小さいエンジンを、追加搭載してるヤツだ。

日本古来の美学としては「自然をそのまま生かす」が得意な反面、考え様に依っちゃ西洋的演出は下手な部類だと思う。
しかし「ものの本質」に立ち返れば洋の東西なんて無関係で、結局は「源がどうか」が最終的に左右するもんだろう。
それを何時からか表面ディテールの模倣だけに走る様になってしまい、「見た目から入る」と「見た目だけ」の区別が出来なくなってる様に感じられる。

この恥ずべき勘違いからの脱却方法は、そもそも演出とは何かを正しく認識する処から始まる。
彼等西洋系の演出の豊富さを初めて知ると少しビックリさせられたれもするが、そこで盲目になると今みたいな不始末をやらかしちまう。
あたかも「今時やんなきゃ時代遅れ」的な焦燥感に駆られるが、ここで焦りが出るのは本邦じゃ「演出無し」がデフォルトだったり「一緒じゃないと不安心理」からだろう。

そこで本家たる西洋人達はどんな気持ちで演出を施してるのか、ここを観察熟考してみるのだ。
こっちと違ってするのが当たり前って事ぁ大凡平常心が保たれてそうで、焦って視野が狭まったりはしてないだろう。
そして肝心なのは当たり前だからやっただけで、こっちが勝手に想像する程別に演出になんか大して頼っていないのだ。

また演出ってのは本来強調等はするにしても、変身させる様な術では無いしそう云う効力を持合せていない。
ここら辺りを本家のご仁は皆熟知した上でやってるだけで、結局は「源が」を決して忘れちゃいないんですわ。
街では傍目にゃ化粧だけが目立ってても、家ではしっかり毎日美肌もやってましたってな具合だ。

機械文明の導入も早かったからどっかで既に経験済みなのか、自然を機械で置換える無意味を知ってるんだと思う。
かつてアメリカ車社会に我が国が不要に看過されたりしてたが、これも大幅な環境差を見逃しての失敗だ。
向うじゃ広くて遠距離で人口密度が桁違いに低くって、人に頼んで移動するのが困難なだけだ。

だから鉄道斜陽のあちらでも大都市の地下鉄等は健在な訳で、「違って見える気がした」のは実際には交通手段じゃ無く町の方なのだ。
地図を眺めて「ここは狭い路地」とどうして思えるかってば、他にそれより太く交差点間隔の広い道が
描かれてるのと比べたんじゃないのか。
つまり地図の「縮尺感」って普通は全然分かんないから、「対比」で想像してるに過ぎないと思うのだ。

その内試しにアメリカの田舎の人と北海道の郊外の人と、知らない所の距離が載って無い地図を眺めてその距離を当てっこでもしてみたい。
「次の角までの距離」の
推察は北海道の人は俺より一桁、アメリカの人はもしかしたら二桁多く見積もったりするかも知れない。
因みに現環境下の俺は10m以内を真っ先に主張するだろう。😓

2018年10月22日 (月)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(五応私的)➄

少し遠回りな流れになるけれど、今週した新たな体験が役立ちそうなのでそれから。
お馴染み従兄の太鼓の先生のちょっと困った習性か、一旦終結した筈のバスドラペダル案件で「後出し」事案が発生。
彼が手本としたSimon Phillipsがその当時使用してたのと同一のを持ってたのを思い出したで、それの実験をしたいから付合えってのだった。

先に結論を言うと従兄が踏むと本人とは大違いの音に、俺が踏むとどのペダルでも大して変わらぬ音が出た。
奏者毎に体格も踏み方も違うだろうから当たり前ではあるが、その他に道具の影響度の高低もあるらしいのは改めて実感した次第だ。
そして従兄の場合は却って本人と少し異なるペダルの方が近い音が出せてて、逆に俺だとどうしてどれでも毎度の音しか出せなかったのか?。

分析へ進むがこれの最大の原因は脚重も含め、脚のパワーと速度の違いの様だった。
従兄の先生曰く「太鼓はその楽器が出せる限界音量に近付くと、色んな意味で似た様な音になってく」もんなんだそうだ。
物理的には基音と倍音の割合がこれをもたらしてるみたいで、強い(マトモに)程通常基音率は高くなるものだ。
基音は音色より音程等を司っどっているので、音色差が減少する訳だ。

一方従兄がそうなった主体は力ではなく踏み方の癖が原因だったが、これはSpeedkingで苦闘した過程で確認が取れてるので保証出来る。

Simon Phillipsみたいにするには俺言い「開いた柔らかい脚」から脱却出来て無いからで、目的に対し柔らか過ぎるアップヒールになっているからだ。
本家の参考例ではオープンを「ベタ足」で踏まれてるが、それでないと完全なオープンは特にバネ弱ペダルではとても困難だからだ。

へろへろ蛸
アップヒールは美フォームなので無駄力みが入らないのは良いが、打点時の「爪先の離脱」が遅れ気味になる弱点がある。
つまり最初は股関節から指令と動作が順番に爪先へ波及して行くが、その為奏者意識で踏むから上げるへ反転しても爪先にタイムラグが生じるのだ。
結果的に打撃瞬間の長さが僅かでも長目となり、超低音の生成を阻害してしまう。

特にウルトラローピッチではより皮の
振れ幅増加と時間延長の許容が求められるが、俺言い「ビータ離れ」の遅さで無意識ミュートしちまってる。
この件の詳細は過去に記してるのでご参照願うとして、結果的に従兄の現況ではある程度バネ強さで早く爪先を排除した方が低音が出るのだ。
しかし俺的には関心し兼ねるもので本来音を出す為だけには要らないバネ反力が加わり、「音を出す為の力」が幾分かでもペダルに横取りされてしまう。

これが音だけの影響ならまだ良いが実は労力への影響の方が大きくて、手に高度な技術があって楽な分従兄は余計踏みたがらなくなりそうだ。
俺が手下手の他にもすぐ脚で誤魔化したくなるのが多分逆現象が起こってるからで、これは長い目で見るとかなりな運命の分かれ道かも知れない。
従兄の場合は本人が何処迄求めてるか不明なのでここでは終りとするが、パワーや低音が欲しければ奏法的には「ベタ足」が最善策だ。

手の方でも下手に無理して小さな(動作範囲が)叩き方はしない方がと述べたが、高度な技術を駆使してなされるそれを決して否定は無い。
しかしもし高度技術が不要な場合、敢えて技術レベルを下げた分を基礎部分の加減等へ振り向ける事だって出来る筈だ。
太鼓の基本的な出音やノリを重視してたらどんなに簡単なフレーズでも暇になんかなりっこなくて、寧ろ数が少なく各音が目立つので余計神経を尖らせる位だ。

一流奏者だと無為に演ってもそれなりに上手いだろうけど、奏者内部を覗けば訓練度の高さが本件では災いし「思ったままが音に出てしまう」だろう。
だから技術面では何も労してなくても、他人に外から見える姿程は気持ちを緩める事が出来ないのだ。
これの典型例が前回記したJohnny吉長談なのだと思ったが、こう云う心持ちがあると奏法選択にも波及して然りとみえた。

上述「不要爪先残り」に着目すると柔軟アップヒールよりベタ足が桁違いに優勢だが、もしかしたら大元の求める音色の願望の「強さ」が現われただけなのかも知れない。
俺は
Simon Phillipsの音に対して特に興味は無くどうチューニングしてどう踏んでるかを、先日の実験迄ノーマークで全く知らなかった。
それが蓋を開けてみるとヘッドは穴無し両面張り・Micは内部仕込み・ベタ足踏みと、ピッチ以外はそっくりだ。(※全て我々が参考とした時期)

どうやら常に「ドンッ」とか「ズシン」とかバスドラでは重い音色を出そうとして試行錯誤した挙句、各個人の体格差等以外が必然的に近似になったんだろう。
因みにベタ足は脚上げ面では柔軟アップヒールより基本労力面では不利だが、Simon氏程の達人でも音色の為にわざわざ茨の道を選んでる事になる。
要は所望バスドラ音色がたまたま元から似てた結果なんじゃないかと感じられ、未確認だが従兄のそれは対俺比ではにわか仕込みと伺えている。

もひとつ因みに「踏めれば良い」ならどっちの奏法でも大差無いが確実に「出せる最低音を維持」を最優先にすると、実は柔軟アップヒールの方が過労となる。
その仕組みは確実に速攻爪先離脱させるには、ベタ踏みよりかなりストロークの余裕が必要になるからだ。
音量に不要な領域まで脚を上下させる事となるが、こうしとけば完全脱力で下がり切った爪先も流石にフットボードから離れるって寸法だ。

こうした観点に立てば何故Charlie Wattsがわざわざぎこちなく面倒な叩き方に、長らく固執してるかの理由も少し分かった気になれる。
キャリアの浅い人には実感が持てる話しじゃ無さそうだが、普段どう求めてるかも長い間にはこんな処に迄違いが出て来るとなると全く気が抜けない。
始まりは気持ちの話しだったが奏法選択迄異なって来るなら、実はちっとも精神論では無く純粋な科学的理論だ。

2018年10月15日 (月)

ドラムのパワーとトーンの関係性考察(二応私的)②

今回はヘッドのミュートに特化する、つもりで船出だ。
但し本稿ではミュートそのものよりお題の通り関係性最優先なので4649。
考察の物差しとして基礎原理から始めるが、ミュートの有無で何処がどれだけどんな風な影響が出るのかだ。

①ミュートがある程音量低下
ミュートがある程倍音低下
ミュートがある程余韻短縮
これの②についてなら皮の細かい振動がし難くなりそうなのが想像着くので、マイルド若しくは低域の強い音色に変化するのが分かりそうだ。
注意が要るのは①の方で、自分も含め普段は多くが気にせず音色だけ視点で加減してるんじゃないかと思う。

だが物理原理からすると「振動し辛く」なれば、必ず音量もその分低下してる筈なのだ。
それが人耳には高音程けたたましく感じるので、高域が減るとうるさく無くなる分安堵して往々にして叩く勢いの抑制が無くなってるのではないだろうか?。
無意識下で叩く強さが変わってしまうなら、ミュートで音量変化は無いと認識しても無理も無い。

元が爆音でその中での少しの違いがとても判別困難になってるのもありそうで、バスドラペダルの項で力を結構入れたままで微調節するのは難しいのと何だが同じだねぇ。
太鼓の最大音量を僅かでも小さくしたく無かったりするなら、ミュートはしないに限るとなる。
但し通常皮のまん真ん中を強く抑えたりはしないので、音量低下量はそんなに大きくは無いだろう。

音色以外で他に影響が出てるのは余韻の長さで、これの影響度は音色・音量の中間位と思われる。
叩いた直後は皮の振動も大きいが、鳴り止む寸前の振動は微々たるものとなるからね。
実際バスドラでは余韻短縮目的でのミュートが多い訳で、何れにせよ音量を少し損ねても音色を優先させての措置なのがミュートとなる。

アンサンブル内での音色の都合として現実的に太鼓のレンジが広過ぎて他パートに不要干渉する場合があるが、そんな時はミュートをした方が全体としての聴き取りは向上する。
俺は「自作ドーナツミュート」を常用してるが、太鼓練習の俺言い「擬似バンド」時の他パートの聴き取り向上も目的に含まれている。

かつてはオーソドックスなガムテ―プ主体で、必要に応じてティッシュペーパー追加等で様々なのを散々試行錯誤していた。
だが録音時に楽曲由来で欲しい音が違った時に
問題があり、長期間ガムテを貼ってると剥がしても半乾燥した糊がヘッドに残る欠点があった。
要は「残り」があるとフルオープンにならなくて、その為にこれをこそぎ落とすにはかなりの手間と時間が掛ったのだ。

因みに
「自作ドーナツミュート」は中央部が破れたお古のヘッドから切り出しているが、これの外側とリムの隙間を無くしたければ1サイズ大きいヘッドを使用する。
同口径のだとヘッド外周部の折り目の都合で、搭載時に全体が浮き上がって想定通りの効果が出せなくなるからだ。

裏技として裏返しに乗せるのも試したがミュート側に張力が掛って無い為、太鼓側の表面の具合と
微妙に合わず浮き気味になる事もある。
もしスネア
交換等をして輪っかのみそのまま移動させたりすると、大抵は状態が異なってしまい効果も変化してしまう。
だが「折り目」部分が輪っかに付いて無ければぺらぺらなので、その点では打面がどんな状況でもそれなりに追従してフィットしてくれる。

また
俺言い「擬似バンド」とは他の生楽器はPAから流すしかないが、電気楽器類はそれぞれのアンプから再生させて本物へ近付けさせるという仕掛けだ。
完全に近くするにはアンプ台数・PA・
マルチトラックレコーダを含む録音機材迄揃ってないとならないので大掛かりだが、録音の為の練習としては恐らく最高級な手法且つそのまま移行も可能なメリットがある。
個人的にマルチプレーヤの都合上どの楽器の練習も要るのと、ともすれば拙い太鼓練習に誰かを無理に付合わせずに済む訳だ。

ステップ
:予め所望の他パートを演奏して、マルチトラックレコーダへ録音しとく。
コツとしてはこの時電気楽器はアンプで鳴らすが、記録するのを「アンプ直前」から拾っておく処。
ステップ
2:生物はPAへ繋ぐが電気物はそれぞれ録った時のアンプへ繋ぎ、全体を再生させ乍ら音色と音量バランスを調整する。

こんなある意味面倒なのに至ったのも「もしや人望に乏しいの」と訊かれたら「貝になる」だろうが、本人としては大音量生楽器の慣れ不足対策なのだ。
電気物や生でもPA必定の物なら音量バランスはフェーダの上げ下げだけでも済むが、生だとそうは問屋が卸さなく手加減・足加減が全てだ。
更に奏者の各太鼓のバランスの好みもあるし、想定範囲を超えた増強・抑制が急遽訪れたら下手な内は無理対応すると他の演奏自体が崩れたりし易い。

アンタの好きな音にはこん位の加減が要んのよってのを知って、それを身に着けたいと思っての所業だ。
これが全パートを偶然巧く演れるとリアルさは凄まじいもので、超高級オーディオで苦心惨憺するより良好な音場空間が得られてしまう。

ベテランの域に達すると個人練習で他人からは単独にしか見えずとも、しばしば「全体での音」が本人の内部では流れてる事だろう。
それでも微妙な調整等は実際に音を合せるのが近道だし、錯誤が起こり難いのは確かだ。

俺的には太鼓は奏者本人と周囲の奏者への聴こえに差のある方の部類との実感があるあるが、それ故ミュート等に関しても叩き乍らだけでの判断では調整不足が出易いと感じている。
他楽器にこれが無くは無いけれど弦の類だと、任意に移動が出来るから実態を把握するのも簡単に出来てしまう。

そして太鼓等の生楽器は叩く強さで音色が露骨に変わるのが当たり前、変わらんでも困るがだからこそ各自がデフォルトの強さを自覚しとくのも必要そうだ。
叩く場所にしても同様で普段は変わると困るけど(音色が不安定化)、そうじゃ無い時はドンドン変わって欲しい。
これが安定化させられた上で音色調整へ入らないと、振出しに戻るになってしまって先進みしないであらう。

2018年10月14日 (日)

Hi-HatとそのStand⑮実験備忘録

最近は滅多に雑誌も見なくなったので実情不明だが、例えばまだ持った事が無い人に参考になる様な情報を全く見掛けない。
そこで先週の実験結果を掘り下げ記述するが、俺にとっても簡易で基礎的だが忘れると困る部分を中心に掲載する。
1つはHi-Hat Standによる音色差で、もう1つはメーカー(ブランド)やタイプによる大まかな個性と前者からの影響度の大小だ。

ではStand差の影響度から行くが、薄く軟らかいCymbal程影響度は高かった。
俺と従兄は並よりヘビーなタイプを不所持なのでそこは未だ不明だが、手持ち中では一番ヘビーな俺のPaiste The Line Soundedge(現在では表記のある場合Medium相当)でも明確な変化が認められた。
奏法関連で述べればどのCymbalでも大差が出たのはフットハットで、音色・余韻は言うに及ばず音量自体が激変した。


Hi-Hat Standがゴツくなるに従い先ず最初は低域成分が欠け、次に高域その次に核心たる俺言い「目立つ倍音」が消失して行った。
これはクラッチ部・そのフェルト等単体部だけでも同傾向で、全体でも個別部のみでも兎に角極力ヤワな程Cymbal本来の音が得られる結果となった。

ここで先に
メーカー(ブランド)差の大凡を具体的に記すと、
Zildjanは地味目だが深みを損ない難く
Paisteは派手目だが扱いを誤るととたんに安っぽくなる
であった。
我々が他ので有名なのを不所持で
今回の以外ではそれなりに経験はあるが、実比較を出来てないので済まぬが他の詳細は今回は省略させとくれ。
しかし上述の如くで全体傾向の中では割と上出両者が個性面でも右大臣・左大臣な感じで、他の多くはその中間にあると思っといて大丈夫だと思う。

特急通過待ちが終わったから又本線走行に戻るが、
Zildjanの場合は元から「目立つ倍音」が地味目な為どんどんこもって音の通りが悪化した。
最悪時を得意の!?誇張表現すると特製合金が真鍮になり次段階ではブリキ、最終は最早金属では無くプラみたいでフリスビーで代用でもしたかの様な変遷を辿った。


俺は普段大昔の慣例!?からポピュラーなAシリーズを単にZildjanと称しているが、Kの国内販売が後からだったののせいかと思っている。
その当初のAとKの違いは高級感で
Kは更に渋めの個性だがワイドレンジで、個人的に時にAで感じる超高域の天井低目みたいな制限感が無かった。
近年に近付く程Aの天井も高くなってった感があるが、一時期は代わりに少し安っぽくなった気がした頃もあった。


個人的には昔よりアンサンブル全体の高域成分が増加してると感じてるが、そんな中で
Paiste比だと余裕の少ない倍音が削がれるのは厳しいと感じた。
実施したBassとの合奏でもCymbalが発した音量の割に、リズムの聴き取り(特にチック:スティックチップで叩いた音)が早期に劣化して行った。

Paisteはと云うと全体にある弱点たる「安くなる」が増して行き、最悪時は「しまった偽物掴まされた」みたいな血の出る出費が無効になる感じだった。
実験に用いたSoundedge以外は薄軟タイプで並のより小音量だから結果を待つ迄も無くハナっから厳しいが、それでも最良条件時のみは合奏で何とか聴き取りが可能であった。


PaisteもK Zildjanに対抗したのかは不明だが、602(正式には前にFormulaが付く)等はかなり思い切って渋めでピッチも低くなっている。
総体的に
Paisteはハイピッチで倍音が強く俺は全く気にならずにいるが、従兄の所で彼はSoundedgeに触れた瞬間に「うわっ、高っ」と声が漏れた。
この特性だと爆音で且つ混雑時でも他楽器より更に上で鳴る感じだから、鳴ったかどうかの確認が取り易いと思う。

俺は
Zildjanが嫌いな訳じゃないが従兄より太鼓のアベレージ音圧が高目だからか、或は一体感より分離や消えない存在感をより求めた辺りで金を払うならPaisteとなった様だ。
有名な2002は
Paiste内でも一段と華やかで目立つので爆音下では最強っぽいが、残響が少ない所で録音するには低域不足に感じるかも知れない。

俺のPaiste購入時当初は2002が第一候補なのをカノウプスの店員氏に咎められた一幕があったが、録音にもガンガン使用と言ったのを受けての事で今となっては有難く思っている。
実は俺のフェイバリットはBig Beatかもとその後の情報・知識の充足から導き出されてるが、当時はまだ販売休止期でしかしThe Lineが中では近似だった。
相違点はLineは
Big Beatが金持ちになってギャルメイクをした様な感じで、ゴージャスだが少しケバくなった様な印象だ。

急行に追付かれたので又待避線へ向かうが、ある意味ちゃっちいStand程Cymbal本来の音色が引き出せると言える。
そこから従兄が少し拘って持ってる他のCymbal Standの話しになったが、彼は鳴りを気にして意図的に華奢なのを選択している。
その乗せ方も教室として交換の簡便化の意図もあるにせよ、Splash系以外は上側はフェルトもネジも付けずフリーにしている。

こうするとCymbalの動きは一番スポイルされなくなるからだが、彼の好みが太鼓の皮もCymbalも並より僅かでもヘビーになると不許可なのの現れの様だ。
俺は手下手由来で彼より何処に行ってるか分からないのを、叩ける自信が無いから「上」は付けている。
だがそれなりの紆余曲折を経てCymbalの最大移動時のみ上フェルトが効果を発揮する程度に、
わざと「フェルトがあるのに隙間がある」位に落着いている。

俺のケースは音色より演奏性からの結果で、最初はJohnny,Louis&Char時代の
Johnnyさんの真似をしてかなり締め込んでいた。
動画等で確認するとその方が短時間でニュートラル位置へ戻っており、それへ演奏し易さを求めてみたのだった。
処が実際俺が演ると復帰が早くても必ずしも演奏のタイミングと合致せず、逆相(現実のCymbalと想定したのの向きが逆)となった時に
却って危険且つ叩き難くなってしまった。

私分析に依ればCymbalの動揺が重力由来だけの自然数と異なるのが不味い様で、Cymbal位置予測が困難になった為の様だ。
凄く慣れられたら違って来るのかもだが反力は増加してるので、動揺の速度は速く動きは細かくなるから目に厳しくなるのは間違い無い処だ。
反対に結局極力自由を与えておくと振動速度が最低速化したので、それをキッカケに上記の設定となった。

これをHi-Hatでも連続アクセントOpen時の安定目的で固めるのを試したが、同様にタイミングが奏者都合と合わぬ場合が発生したので止めている。
Hatの場合はTopを上下両方向へタイムロス無しに移動させる必要があるので、目に見える様な上フェルトとCymbalの隙間は持たせていない。
けれども余計な圧は
やはり不自然動揺を招いて不便が増すので、隙間は無いがちっとも押さえてはいない程度の締め具合に落着いている。

そして従兄が君の古Standだとそれ自体も共鳴してる気がすると言うんで、物は試しでHat用以外のも含め色んなののパイプ自体の打音検査をバチで実施してみた。
するとチューブベルには遥かに及ばぬが、古い或はその手のタイプの程何と「キンキン」と良く鳴るのである!!!。
これだって万一その特性が逆相になれば逆効果になる危険は内包するが、「受けた力を巧く返せる」様ならStandも楽器の一部として機能するのだ。

お恥ずかしい事に近年のを一切不所持な俺は「金属パイプは鳴る物」の認識しか無かったが、この手ので殆ど鳴らないのもあるのを初めて知ったよ。
でも従兄とは程度が違うが俺も汎用性面等で激厚Cymbalは用い辛いので、鳴らない式を今後も求める可能性は無さそうだ。
特に薄柔を使用する場合は「思い切ったキンキン」を用いると、対音量比の耳通りが格段に高かったのを記しておく。

諸条件次第で適応度低下の可能性は否定できないが、これらを総合すると基本的にCymbal類の保持はなるべく放任の方が無難だと俺には思われた。

Hi-HatとそのStand⑭Closed失敗体験

前回別項でClosed Hi-Hatの部分で「負の無限ループ」と書いたが、実際自分が結構な期間それにハマってたのを後から想い出した。
内容は以前にも少し触れてたので鮮度を欠いて何だが、奏者としての俺の当時の心情はまだ言ってないと思うんでその辺を。

今回から読む人向けにあらすじを示しとくが、根本原因は目的に適さないHi-Hatを強引に適合させようとして挫折しただけの情けない物語である。
当方の貧民事情で当時中古購入したのがPaiste 602 
Mediumの14のセットで、Old Style Jazzには最適だがRockには…って代物だ。
選択理由は勿論価格だが、本貧民(俺)は一般人とは若干思考が異なるのだ。

たまには少しリッチになる者なら買換えチャンスが再来するが、清水の舞台から飛び降りれば死ぬから次はもう来ない。
そうなると当時買うまでの時間的猶予が無かった中、後で後悔の心配がある安物へは絶対に手出し不可となるのだ。
ロクに叩けなかった当時からそれでいてハナから録音利用するつもりもあったから、その点でも音がオモチャでは困るのが原因だ。

実際にこれで少なくとも10曲以上は録って、他人様のお耳に入れている。
太鼓に腕も無いが知識も全然だったから今からするとCymbalだけのせいでは無いが、初めに苦闘したのはClosed時の余韻過剰であった。
Old Style Jazzよりどうしても強く大きく叩いたりするので余韻過剰になるが、強引に踏み付けるので切り抜けようとした。
当然無理なので、これが「失敗1」である。

そこで雑誌等からの即席学習でガムテミュートを試みるが、当時はそれで妥協したつもりになってたが今にすれば「失敗2」である。
余程の熟練者が施すなら或はもあるが、単に俺言い「目立つ倍音」を減少させてたのが実態だ。
それに伴う音量低下と輪郭低下を余韻短縮と「誤聴」してたんだから酷い話しで、不慣れな太鼓の大音量下での聴き分け経験不足が原因か。

集音・録音機材も太鼓に適切ではなかったから、ヘルプ無しのアホでは救われる見込みが無かった訳だ。
この誤ミュートの為に一層「無茶踏み」も増長したが、Hat自体の特有音より只の打撃音としての余韻に耳が行ってしまいゴールから遠のいていた様だ。
その結果求めてるのは「ツ」とか「チ」なのに、短余韻だが「コ」や「カ」を無理加工で変身させようとしてしまってた。

マトモなMicがあったら「叩いて無い時」に聴き比べが出来るが、それが無い内は「ドラマー耳」の育成は難しいのかも知れない。
今は把握出来た全貌からだと寧ろ当時の行為は逆効果で、先ずは極力ブライトな音色を得られる様に持って行くのが正解だったろう。
そうしてたら少し無茶踏みしててもハイが残って、お盆サウンドじゃなくHi-Hatの音を出せてた事だろう。

極め付けはStandフェルト劣化の見過しで、これ等認識出来たのすら約1年前の体たらく。
これが為Top Hatの位置保持に難が出てたが、それもClosedには大きく響く処だ。
Hi-Hat Cymbalの「適正位置」については俺は未だ知識不十分だが、ズレが大き過ぎると余韻過剰になるの等は把握済みだ。
尤もこれも近年になってからで、「失敗3」であろう。

それで生来の阿保を除きこれらの「あ~ぁ勘違い」の源を顧みると、俺的には自覚がもたらした様に思える。
かつてはドラムのそこそこ行けるベーシストの自認だったが、それがドラムサウンド分析にマイナス作用をしたらしいのだ。
今は他楽器の成否に無関係に片足だけギネス級の下手なドラマーの自覚を持ってるが、なってみると目・耳の付け所が自然と変化していた。

良し悪し・好き嫌いの他にちゃんと「その楽器の音がしてるか」を確かめる様になって、これ迄の見・聴き落としが続々判明中だ。
近年従兄と再度組んだ処から楽器の修理・改造等の相談も増えたが、彼はドラマーなので今迄少なかったそれも俄然増加した。
従兄は俺に最初は主に物理科学面を期待しての事だろうが、結局は音が分からないと仕方無いとなった。

近年俺言い「音の為の物理」は只の物理学とは反する場合も多々を痛感してるので、セットで進めて行かない事には適切処理が施せないのだ。
マトモなプロドラマーが叩き出した良い音若しくは正しいと単体では思えた音が、アンサンブル内で埋没・不適切化変身する近年の体験も役立っている。
従兄で文句が出る位なら俺が叩いてたら殴られる位になりそう等、専門的感性は本人がその気になってからじゃないと得られぬものらしい。

2018年10月13日 (土)

Speedkingよもやま話⑪ペダル論(現況私的)

題にしては今回もHi-Hat Stand中心なので何だが、現在俺が確認・実験可能な俺言い「旧基準ペダル」がSpeedkingなのが原因だ。
相性も無視出来ないが他の現代ペダルでは不可なのが演れてしまったり、程度が上回ったりしたからだ。
何でも出来て加減が効く裏に操縦の手間と「無意識での安定性」が無いのはあるが、元来「良い楽器」ってのはこっち(奏者)のまんまが出る物を指すものなのだから。
タイトルに(現況私的)と付けたのはコンセンサス考慮で、個人的には実証を得て確信を持っている。

薄れ行く過去の記憶を辿ると、かつてのペダルは太鼓用・金物用のどっちももっとへなちょこだった感触が残っている。
実際様々な点で現代比でかなりチープだったが、その割にはだけども演奏性全体で大きく劣りはしなかった。
つまり必ずしも現代一般的なのの程「余計なお世話」が無くても、演奏する事自体には不足は無いのだ。

バスドラで俺の実体験からペダルが最低限な方が最高速等が高いのを知ったが、
今週の従兄の所での実験から推察するとHi-Hat Standも同様なのではと思い始めている。
久々のプチ脱線するが例えばギターの一番高音域の弦は細い故切れ易いが、これの予防には太さアップが効果がありそうにも見える。
でももし切れ難くなっても張力が高くなり過ぎて、弾くのが困難となるだろう。

太くなるとその分余計に強く張らないと元の音程が保てず、特にエレキだとチョーキングが不可となってしまう。
切れるの嫌でも自由な表現を継続的に出来ないと意味が無いから、欠点を容認して音楽性を優先してる訳だ。
それからすると足で扱うからにしても、何故そんなに太鼓ペダルだけボディビル大会優勝を狙わなアカンのかと。

本線帰還初めは
Hi-Hat Standのバネ強さから考えを巡らすが、絶対的に必要な力はTop Hatを必要高さ迄持ち上げられる強さだろう。
バスドラペダル同様「脚上げアシスト」の水増しがある方がこれも一見楽に感じられるが、Closed時の安定性はバスドラよりこっは注意が要る筈だ。
プレイスタイル次第で影響度は異なるが、
Hi-Hatには「踏み叩き」(今回は例外的に一定に踏んだままも含める)が常用されるのだ。

現代では過去より厚手のHatを用いるのが多いので気付け難くなってるが、薄手若しくは柔らか目を用いると一目瞭然なのだ。
それが偶然今週の従兄ので露呈したんだが、彼は現況Hatもバネ強しか持ってないので俺より「何時もと違わないから」と俺からすれば見逃がしていた。
それでも俺がJohnny吉長式踏み叩きの成否で大差があるのを、実演したので漸く気付いて貰えた様だ。

俺言い「
Johnny吉長式踏み叩き」を説明すると、手の他に足も連続的に踏み乍ら叩く奏法。
足と手の音符の組合せでバリエーションはあるが、Closedの程度を音符単位で変えて表現を広げられる。
手でもロキュモーション(腕・手首によるダブルストローク)等で類似効果を得られるが、こっちはスティックの「当たる場所」の差による音色差だ。
両者は併用可能だし、本家は大抵併用していた。

彼以外にも類例はたまにあるがこれの特徴はハットを緩めはしても決して開かない処で、上下の押圧のみを変化させるのである。
この手の微妙な力加減をするにはバネが強いと不向きで、「Ludwig Speedkingの使い方」等でも指摘した通り「力を入れるのが重なる」のは極力避けたいのだ。
そうなってしまうと必ず制御力は低下する。

そしてHi-Hat Standでバネ強はClosedが不安定となり易いが、踏み足りず緩むのより実は踏み過ぎが起こり易い様だ。
力持ち+薄手or柔らか目ハットでは踏み過ぎにその逆では不意に緩み易いが、他の手足動作で僅かにせよ腰が揺れるせいか「継続的で微妙な中間出力」の制御は困難な様だ。
上述
「力を入れるのが重なる」と内容的意味合いは同じだ。

意図せぬ踏み過ぎの何が不味いのかっつうと、Cymbalの必要としてる倍音をミュートさせてしまう等の部分だ。
Closedなので余韻は無くて平気でも、特に俺言い「目立つ倍音」が削がれれば
Hi-Hatのキレも音量も低下してしまう。
強めに叩いても音が伸びない様に踏力を増加させたりするんだから、それでは本末転倒になって又もや負の無限ループのお出ましだ。

Hi-Hat Standがバネ弱で不都合とすればOpenの「開度」で、想像と違い速度的には意外と影響が無い。
この「開度」は奏者の想定と実際との差の事で、脚重を逃すのに例えばカカトを降ろす等脱力だけでは不足したりして来る処だろう。
処が宅のバネ弱に慣れてるままを従兄のバネ強で演ると、現実的には真逆で却って開き切れなくなっている。

分析してみたら
原因はバネでなくストローク(上下の間隔)で、バネ強緩和目的でそれを狭めに設定しがちだったからだ。
これも以前から述べてるがバネは「元の長さの寸前」になると、どんなのでも必ず力は弱まるものだった。
これから紐解けばOpenの確実安定に有効なのは、なるべくバネ力の「変動が少ない領域」のみを使うって事になる。

ツーバサーの一種の裏技で足を離すと丁度「シャンシャン」の開度って設定は出来なくなるが、バネ弱で充分なストロークを用意しておくのが上記条件に該当しているのだ。
一番上を敢えてそこ迄開く必要ない位にしとくと、「使う領域」のバネ力変動が最少巾になる。
極端に軽脚だと上がり過ぎの不安は残るが、そこそこの脚重があればバネ弱なだけに足が触れてればそこ迄上がらないと云う按配だ。

人によってOpenもClosedも一種のみしか使用しない等ならこれとの関係性は薄くなりそうだが、エレキギターで本体のボリウムを小まめに加減するのなんかと似た使い方をしたいなら一択である。
俺は他でも車のアクセル・ブレーキ等のペダル類にも同じ様に感じられてるが、強くてショートストロークのは加減が大変で滑らかな運転がし辛い。
しかし免許不所持の同乗者には理解されないから、運転者のせいにされちまって損して敵わんよコレ。

Speedkingよもやま話⑩ペダル論争×→談義○

今週の実験の後従兄とペダル論争もとい談義へ発展中だが、その中で耳寄りな初耳の実験談が出て来たのでそれから。
若い頃なら掴み合い寸前の論争となったかもだが、現実は体力・気力より知識由来で懐がお互い広がったお陰の様だ。
一点だけで停滞しなくなると思わぬこぼれ話も漏れて来たリするらしく、もっと俺が早く大人になれてら既に訊けてたかもと小反省。

その実験とはバスドラペダルで、今回Hi-Hat Standでやった様に取替えられるのは全部の組合せを試したんだそうだ。
っても主にビータだけではあるが、その結果彼等の想定恐らくは一般認識とも実際が正反対だったんだって。
因みに彼等とは太鼓の先生の従兄と我々共通の古い友人の息子さんで、一頃暫く生徒として習いに来てた期間での事だそうだ。

先の一般認識とは皮を直に打つのはビータなのでスティックと同様音色を、ペダル本体は演奏性(踏み心地)を左右するだろうと云うもの。
俺もSpeedkingで実体験する迄はずっとそう信じてた口で、他のペダルでもほぼ全ててそれが真逆だったとは今更ながら驚いている。
それもSpeedkingは調整箇所の少なさのせいで「そう見えるだけ」、との思い込みも見事に消し飛ばされてしまった。

たられば式思考をすると従兄が今一フィットしなかったのが、少しビータを短めにしたら普通のは普通に踏める様になったのを思い出したりしている。
「踏み心地」を言われるとどうしようもない側面が出て来るが、それであればこそ本来なら踏力の強い物程使い手を選ぶ筈だ。
しかし現実はこれも逆の事例が多そうで、俺論の自信は風前の灯火になる…ならないんだわそれが。

ペダル=音色も俺言い「手足一緒論」に則って
チョイと物理分析してみると、重さやバネ強さはバチのサイズや重さに対応すると看做せる。
ビータもヘッド部分は位置関係的にスティックチップと対応するが、ではシャフトの長さはバチ自体の長さだろうか!?。
この疑問を大抵はクリア出来ぬので実際の真逆と誤認する様で、バチは実演奏時は手加減等によって実は長さは変動している。
でもビータシャフトはネジ固定なので、演奏中の長さは絶対不変と大違いだ。

そこで手で長さが不変なのの対応箇所を探すと、「1の腕」(そんな表現あるか知らんが2の腕より前なので)が一番至近にあった。
体が違えば同じバチに相性の良し悪しが出るのも尤もで、足演奏では指活用が著しく限定される為「1つ上へずれる」と云う事の様だ。
また裏を取るならばペダルはフットボード上の踏み位置を演奏中に変えられるし、それで音色の加減等も確かに可能だ。

ここからペダルでもHi-Hatの方へ移行してくが、近年ではJazz 4Beatのバックビートをフットハットで等のニーズは激減している。
それでより分り難くなってる嫌いがあるが、今週の実験結果を踏まえると実はバスドラ以上にHi-Hatの方が神経を使うべきかもと俄かに深刻度が上がって来た。

先ずは比較の容易化としてフットハットを取り上げてみると、バスドラにはビータがあるがハットにはもうその部分が無いッ!!。
足とフェルト以外に調整の仕様が無く(バネ強さ可変のがあるが主目的が音色ではないので)、その分
Hi-Hat Standの責任度は重くなりそうだ。
加えてバスドラならペダルはリム装着なのに、
Hi-Hatはフェルトを介すものの「直付け」なんだから尚更だ。

今では演奏は手が主で足動作が従だが、
Hi-Hat StandはTomでならホルダーも兼ねてるのを忘れるとこれも大変だ。
Tom等太鼓にはRims等の切り札が用意されてるが、その要素迄本来はStandが担っている訳だ。
最終的にはバランスの問題だろうけど、演奏性はとても重要だが俺は音色の方が先に大事だと思っている。

だって欲しい音が出なけりゃ操縦する意味がないもの、音楽の名の通り音と楽しいが基本条件だと思うんだわ。
それに演り易いと云っても熱意が生じぬなら発展・向上は見込めないので、「最初が良いだけ」ですぐ飽きて放置でもしちまいそうだ。
余りに負荷が高ければ挑戦意欲を削がれるが、継続性のあるものにはそれなりの負荷はあってもいやあった方が良いのだ。

楽器演奏自体が今じゃ打込み等で簡単に誰でも音楽を作れるのに、わざわざ知って覚えて慣れてと一番遠回りのルートを選んだも同然。
一般平均感覚の人からしたら新幹線で行けるのを知らないローカル線の乗り継ぎにして、それを自慢する乗り鉄みたいなもんで所謂「物好き」でしかない。
面倒は少しでも誰もが避けたくて当然だが、好きな音の為の少しのにでもそれを感じる様なら演奏家に不向きか心の病だろう。

意味のとか意義のある苦労の経験値が高ければ、こんな過ちに染まり切る心配は無い。
油断大敵火がボウボウで案ずるより産むが易し、どのみち「無苦労」も無けりゃ「無楽」だって無くて何時も両方併存しかない。
それを偏って感じられるのは大抵はタイミングが原因で、そこは確かに中々巧く合わなくて困るもんではある。

<つづく>

2018年10月12日 (金)

Hi-HatとそのStand⑫

半年振りの続編は今週の成果!?よりで、物語的にはSpeedkingよもやま話⑨従兄のペダルその後Ⅲの続きだ。
が、今回はバスドラ側は非登場だし内容の継続性からこっちの項目とした。

この際なので俺と従兄の現況で可能な全てを集めて比較したが、かなり知識・経験値の向上をみた自負はある。

機材概要はHi-Hat CymbalがPaiste The Line Soundedgeと602 Midium,Zildjan New Beat(’70年代末期),上がPaiste 2002 Crash/下がZenって従兄独自組成の4つで、サイズは全て14だ。
StandはYAMAHA-HS710,TAMA 
HH95・95NLとHH35Sで、クラッチ部だけから果てはそれのフェルトだけなんての迄可能なのは組替えて試験してみた。

先ず踏力の件の続報として強まる程Closed時の「踏み過ぎ」の発生し易いのが判明、特に薄手・柔らか目のCymbal使用時は顕著且つ回避困難だった。
しかも被験者が従兄の先生であるから特に弱い側の力加減は達人域で、それへ俺が煩く注意を促してもだから信頼度99.99%と断言出来る。
残りの0.01%は例えば相撲の白鵬関が太鼓の達人化した場合で、超重脚・超強力・超柔軟・超微細加減能等を同時共有してれば或はって感じだ。


SoundedgeとNew Beatなら辛うじて一定範囲に収められるが、602 Midiumや特にそれよりTop側が薄い従兄変態コンビでは不安定極まり無くなってしまってた。
最後者は奏者の従兄には未だしも、今回意図的に極力傍聴サイドに身を置いた俺にはあと少しで新拷問手段発見みたいであった。

Cymbalの鳴りについては簡単に言えば古いStand程良好で、各部の硬度と材質の差異が原因とみられた。
拙ブログ「
楽器の欠点と使用者の立場」等で継続的に唱えてるが如くで、構成部品が強度より硬度や共振に留意されるのがより楽器的なのがここにも表れた。
完全に当て嵌まりはしないが「古い」はその時期次第で、今よりチープな材しか無かったのが実は意外と楽器には向いていたと云う事。

また硬度についてはフェルトも同様で、従兄が購入当時入手性の都合で選択した某P社の極硬フェルトに至っては俺には立派なミュートと感じられた。
これを使うともうどれのどれとの組合わせでも必ず音質変化して、従兄よりCymbalでは鳴りにかなり無頓着な俺でも即不許可であった。
乗せられて無理購入した俺のSoundedgeが、大袈裟に言えば価格の桁を1つ減らしたみたいに安っぽい音色になるんだからたまったもんじゃない。

それから鳴りで俺でも見過ごせなくなったのがFoot Hatで一番明確に差が現われ、そもそももう音量からして全然違った。
これはどちらがどう試みても人の方は結果差が僅少で、フェルトもだがStand自体の依存度がとても高かった。
加えて「聴く場所に依る音色差」が同様に出現し、この部分は完全On Mic時以外は何人たりとも無視出来ないだろう。

本実験の結論としてはHi-Hat Standはゴツイのは駄目ってか無理で、現在販売されてる物からすると酷な結果となった。
使用者観点からも強度・耐久性はあるに越した事がないので厄介で、只でさえ俺みたいな粗忽者にはCymbalの破壊用心だけで大変なのにだ。
しかし少なくとも維持費増加があってもフェルトだけでもなるべくヤワとするのが良さそうで、一番壊れても安いの位は他の為にケチらんのが賢明そうだ。

従前からの俺論の証拠的意図は皆無だが、Cymbalの位置保持は「音の為」には基本的に諦めざるを得ないと心得るが良い様だ。
破壊予防的には位置が安定してる程有利と感じて来たが、叩き方の方で対処するしか無いと云う事でもある。
当日は他にアンサンブル時のテストとして従兄太鼓と俺Bassってのも試したが、それ等は次回の講釈へ続く。

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