奏法

2025年3月27日 (木)

音楽備忘録2048 今更Beatlesから学べる事⓬

彼等はChorusを売りにしてたからそっちから綴ったが、実はLead Vocalも初期には一風変わってたんだ。
その歌唱法こそが実は上達へのショートカットなんだが、案外皆気が付いてねんですよ。

どんなのかってば敢えてシャウト以外の小技を殆ど封印して、作曲・作詞・編曲だけで勝負に挑んてたん。
多分半分は最後に落されたデッカのオーディションに原因があったんだろうけど、その時のデモテープでは演奏技も盛り沢山だったんだよ。

だが当時の彼等には後年のVan Halenみたいな革新的な演奏技は持合せて無かったのもあってか、恐らくは自分達最大の売り自作曲を中心に据えてみたんだ。
のわ当時の状況が大いに反映してて、歴浅若年世代は彼等を含む一部を除けば作曲面が弱かったんだ。

その意図的差別化は見事成功したが、それにしたって格別な美声揃いでも無いのに直球歌唱オンリーにするのはかなり勇気を要したんじゃないかな。
ってのも一般感覚で本職歌手と言えばビヴラートやコブシ等のテクが水準以上の印象があるが、それ等装飾技でホントは主役が決定されてる訳じゃないんだけどさ。

寧ろ一切の小技を封印して歌っても曲終わり迄聴けるかが最重要で、小技付きの方が味は出るものの曲自体(メロディ)は何もしない方が断然分かり易いんだ。
実際それを実行するにはメロ自体がかなり高水準な必要があるし、基礎力がかなり高くないとボロ隠しの小技レスでは厳しい。

んだが素人が軽く耳にした程度だとそれが全然分からず、唯メロを歌っただけの様に聴こえちまったりするかんね。
何せ表面的にはプロじゃないと出来ない技が全然出て来ねんだから、そう感じても何の不思議も無い。

加えて近年視覚面でも直立不動で歌うのは皆無に近いが如く、素人のカラオケですら小技を使える方が称賛されるしね。
これは野球界でも直球のみ・変化球を使ってもたった1種だけで勝負に挑む投手が居なくなったのと同様で、結局は直球を滅多に打たれないレベルへ磨くより目先・小手先でかわす方が早期に実現可能なのもあるからだろう。

しかし過去に変化球で有名を馳せた投手の多くは、直球の質も高かったから一寸曲げるだけでも打者を翻弄出来てたんすよ。
どちらさんでも大スターが現れ難くなったのはこのせいで、基礎力レベルがそこそこで止まっちゃってるからなん。

初期BeatlesのLead Vocalって確かに完成にはまだ遠いレベルだったけど、本当に大した事無かったなら小技レスで曲終わり迄なんか聴けない筈ね。
幾ら曲レベルに恵まれててもアルバム全般が殆どあんな唱法だけなんだから、基礎レベルに秀でて無きゃ最後迄聴くに堪えられる訳ゃねんですよ。

処が目立った技とか一切出て来んし音程感やリズムも別次元に凄かったでも無いから、上辺の巧さがちっともありゃしない。
結果大多数の聴者にはそれが盲点となってて…、まあ歌唱以外も全てがそんな感じなんだけどね。

のを覆せるとしたら自身で歌って本人に迫ろうとする事で、なまじ小技禁止なんで究極の茨の道が突如行く手を阻むのよ。
その対極にあるのが他の有名歌手の「1フレーズ物真似」で、例が古くてスマンが森進一の「お袋さんよぉおぉおぉ」とかは取敢えず大きなビヴラートさえ似せられれば他人に理解して貰える。

これだって実際にはそこだけが特別秀でてた訳じゃねえんだが、戦略的意図もあったか大衆には最も印象に深い。
けれど昭和世代でも門外漢の杜撰君なんかだと、彼のヒット曲は一杯あったのに他に数曲程度しか記憶に残って無い。

-一旦終了-

2025年3月25日 (火)

音楽備忘録2046 今更Rolling Stonesから学べる事➑

アさてBrian Jonesの後任達の貢献も少なか無いが、彼の功績抜きにStonesを語ってたら杜撰大王にしてみりゃ一見さんかお上りさんみたいなもんなのだ。
単純に色々良いだけなら先発のBeatlesに対し唯少し若く後追いなだけで、唯一のライバル的地位になんか上れやしなかったん。

今となっては大昔のBeatles解散後は実質独り勝ち状態で、それが恐ろしく長く続いてっから分かり難いのも仕方ねっけどよ。
当時の英のアイドル的若者でBにさえ無く、彼等にだけあった個性こそが最重要なんだよ。

容姿は良い方だが普通・歌詞は多少のスリルこそ内包してたが、何と言ってもサウンドの俺言い「ヤバい感」が圧倒的だったんよ。
例に依って稚拙な文学力から最適表現になってない公算が高いが、独特な緊張感っつうかスリリングっつうかさ。

それが映画007みたいなフレーズやアンサンブルをほぼ使わずに達成してたのが新規で、Brian脱退以降どんどん弱まってるから聴いてみそっての。
技術的には編曲の影響が一番大きいが、あれは理屈や形だけ真似ても得られないもんだから一般には殆ど理解されてないんだろう。

のわ普通編曲っつうと楽器構成や仕掛けを先ず考えるもんだが、彼のはもっと根本レベルで尚且つ鋭敏な感性に従ってのものだったんだ。
その結果多くは特に目立つフレーズなんかでそれをしてなく、けど聴き込むとたった1発のアコギのカッティングなんかが雌雄を分けてたんだ。

それと奇抜な楽器登用は傍目には子供騙し感が残るが、本当はもっと全然深い処で意味のあったのよ。
例えばUnder My Thumbは今じゃ有名曲でMarimba(木琴)の入ってないLive Versionの方が恐らく耳慣れてる人多数だから気付き難いだろうが、どっちかったら硬派なRockへいきなり↑を入れるのってかなりリスキーよ。

今なら↑の前例があるからそんなに大変じゃないが、初めて導入して大成功させるってとんでもない離れ技っすよ。
木琴なんか入れて全体はメルヘンチックにならない様にするのって、自身で試してご覧あそばせ。

更に木琴系で苦労するのが余韻の短さで、殆どの場合それが原因で絶対何か裏メロ程度のは作らなきゃなんないん。
鉄琴系みたいに伸びてくれりゃちったぁ白玉も使えるんだが、特に昔の低音質録音じゃホントアタック音しか拾えねんだから。

っと言うからには杜撰君たった1度だけだが録音で演った事があって、カセットのピンポンに依る多重録音且つ昔の子供用の木琴だからボロい太鼓より遥かに余韻が短くて参ったで御座るよ。
何れにしても全ては「ヤバい感」の為に実施されてて、彼の脱退後に可能な範囲でこれを維持してたのはBill Wymanだけだったね。

そのBillすら抜けてからは少なくとも杜撰君には特別な興味が消え失せたが、どんなに格好良くても唯一無二のヤバい感が無くなったんなら他のBandでも良いからだ。
彼等程じゃ無いが日本の昔のRockにもそんな危険な匂はあって、もしそれが無かったらあんなに冷遇されてたんだから今はきっと微塵も残って無かったんじゃないかなって気がするね。

今は音楽界でも方法論が優先されてるが、本当のムードを醸し出すには全くそんなの向いてねんですよ。
個人のセンスへの依存度が高く確実性には↑より劣るが、人間独自の感性に磨きを掛けてそれを出さんと絶妙は得られないんだけどねえ。

=つづく=

2025年3月24日 (月)

音楽備忘録2045 ’70年代Rockの浦島太郎㊲

今日は長く続けてると生じるブランクについて綴るが、若い時には例え不慮の怪我で強制的に休みになっても回復が早い。
のが齢を重ねるにつれ肉体の回復は遅くなるし、それ以上に生活に関わる諸々に忙殺されての復帰機会逸失等色々な障害が立ちはだかって来る。

不慮の事故に次いで意識不足の不摂生での肉体故障に襲われたら諦めるか新手段に打って出るしかないが、それで無くても老化補填対応等に追われて中々しんどい思いをさせられたりするもんだ。
この面での最高幸運は気付いたら続けてしまってたになるんだろうが、厳しい現実は滅多にそんなの許しちゃくれない。

肉体面も然る事乍ら気力や意欲の継続が更に至難で、逆にそれに浮沈が無ければ盲目的に有効度の著しく低い努力を続けてたりするんすよ。
あとほんの僅かで何かが出来そうな時、人は自然と追い続けたい心境になる。

が当分続けて何の成果の片鱗も見えて来なきゃ先ず萎えるし、そこでへこたれなかったらそれは素晴らしいが何か大事な要素を忘れたままの徒労を知らずに続ける事となってたりする。
のを思えば壁にブチ当たる実感が無いっつうのも考えもので、唯の夢ならそれもアリかも知らんがリアルで実現させたいならそんなマインドじゃ困る。

私感では10万か100万人に1人位なら才能や勢いだけで進化し続けられる者も居ようが、それですら大きな挫折無しでは進化時期の終焉が定かじゃないし何時訪れるか不確定だ。
演ってる間中僅かでも進歩し続けられる為には立ち止まる機会も必須のもので、従前以上に自然と深く考えてしまう時間が大切なのだ。

普段ロクに考えず行動する感性派の杜撰大王だからじゃねって、それでより痛感させられたのは確かだろうけどね。
どんなに普段から全方位に熟慮してても、想定外の壁にブチ当たりゃその解決には新発想が必要な場合が多い。

加えて頭でっかちになってると他人に示唆するには足りても、自身で実現するには練習や実験が必須だ。
編み物とか・絵画・小説から工作や電子回路趣味では未完に終わるのも少なくないとは言え、全く作ってみようともしないなら収集ヲタなだけ。

音楽でも演るのは僅かで満足出来るなら良いが、かなり自身で演ってみないと実際には満足感を得難い。
その意味では一般屋内系趣味より、遥かに屋外系のスポーツなんかに近いんですよ。

それが昭和の頃迄は世の中何でも「手動」の方が多かったから、特に↑みたいな意識をせずとも多分当然の様に出来てたんだがね。
只でさえ加齢で億劫になってる処へ、昔と比べたら今は何でも「自動」の世の中だ。

から昔はリアル楽器で実演したが今は打込み専ってんなら上記みたいな葛藤をせずに居られるが、時代は令和でもエレキだのBandだの昭和以前に登場してたのをやろうとすりゃ「今普段はしなくなった手間」が付き纏って来るのは至極当然なのよ。

そしてかつて実行出来た者には多少の劣化はあれ演れてた保証がある訳だから、やたら急いだりしないで調子がある程度戻って来りゃそんなに苦にはならないん。
と分かってても腰の重いのが加齢のなせる業だが、最初から欲張るのがもっといけねんですよ。

-続く-

2025年3月23日 (日)

音楽備忘録2044 今更Beatlesから学べる事⓫

もしかしたらこれから暴露する真実はショッキングかも知れないけど、所謂ピンの歌手に確実になれるのは才能を偶然持ってた者に限られる。
特に今劣化本邦では容姿重視が凄く、相当実力があってもマトモに聴き込まない大衆も少なくない。

のでかつて以上に映え忖度が激しく、では持てない者は単に諦めろと言うかったらそうでもない。
その典型例が古くはジャニーズのグループ商法、その後は更に大量に増員したAKB商法等がある。

実はそのルーツは昔の日本のお家芸「人海戦術」にあると見てて、それを魔用比喩したのが「赤信号皆で渡れば怖くない」なのだ。
一般平均生活水準が欧米等他の先進国の比較対象になったのは平成以降で、栄養も環境も劣ってりゃ仮に同等の素質を持ってたって充分には育たない。

令和の今でこそ最も遠くへ沢山打てるのは大谷翔平だが、彼等以前は個人単独の力量では間違いなく劣勢を強いられてたんだ。
これには他にも寒冷地の狩猟民族と温暖地の農耕民族の差も加勢し、更には民族的な平均体格の優劣迄追加される。

ので個人単独での勝負となればダントツ1位は大谷でも、2~10位には実際日本人は先ず入れない。
只他の順位にも目を向けて例えば50〜100位となると恐らく日本人が最多になり、100位以下で日本人が居るとしたらノンプロなんじゃないかな。

非指令サイドの警官なんかも能力は高い程良いには違いないが、寧ろ1人でも駄目な奴が居たらそこから犯人は逃走するんすよ。
音楽でも最高だけがどんな箇所にも適してる訳じゃ無く、グループ内に1人かなり劣る者が居る方が全体のパフォーマンスは低下するん。

その者に絶対歌わせないってんならまだ話しは違って来るが、そんなに不要なら毎回誰かゲストを呼んで来た方が仕事が捗るさね。
まあBeatlesの場合は売れる程度こそ違えど全員がソロでも食って行けてるが、世間の他を見渡せばグループ時代しか活躍出来て無い方が多数派だ。

その中で歌も演ってる人でハモりの可否は半ば死活案件で、そこそこハモれるかどうかが運命の分かれ道と言ったら大袈裟かな?。
グループ脱退前に歌唱力以外でレジェンド化したなら未だしも、アンサンブル内で歌唱力が有効化させられなけりゃカリスマ的歌手からのオファーを指を咥えてひたすら待つしかなくなる。

ここでの有効とは全曲は無理でも合う曲ならLead Vocalが取れるとか、それ以外の曲で必要とあらば何時でもハモれるのを意味する。
運良く容姿に恵まれてて担当楽器を構える姿が誰にも絵になってるとか以外、突出したスキルが無くば総合得点が評価の対象になるんよ。

特に小編成アンサンブルではかなり決定打で、歌える者は何も弾けない弾ける者は一切歌えないとなると両方出来る集団に対しもうその段階で出音が半減する訳ですから。
実際The Jimi Hendrix ExperienceやVan Halenではあまり印象に無い人も居るか分からんが、Chorusレスのより付いてる作品の方が断然多いべ。

但しこの域に到達するのは想像するより簡単ではなく、なるべくならたった1曲だけでも構わないからLead Vocalを取れる腕前が要るんだ。
楽器でも同様に伴奏とメロの片方だけが極端に上手くなる事って無くて、そりゃあーた歌う・弾くの自体は同じだからだよ。

=つづく=

2025年3月21日 (金)

音楽備忘録2042 今更Rolling Stonesから学べる事➐

かなり本題より拡張になるが、前回の俺言い「安全シャウト唱法」案件の続きだす。
Mickにしても当時のお仲間にしても共通なのが、シャウト完成・常用より単になるべく大きな声で歌うのが先だったのがミソその1だ。

併せて「なるべく力強い声で歌う」のも目指してて、こちらは肉体の成長度・完成度の都合で一部の者は当時時点では未成だったけどね。
但し声色の小細工なんかでそう聴こえる様になんかせず、全身全霊でそれを出そうとしてたのは十中八九黒人唱法からの導入だ。

前回提示で最も歴の古いGospelって簡単に云や教会の聖歌隊で、しかしその頃は殆どの白人教会で差別から締め出されてた。
が故に独特な進化を遂げてっただけで、経済的にも極度な差別を受けてたから彼等はMicなんか全然使えなかった。

そこで人力で極力音量を稼ぐニーズが自然発生したんだが、上記事情から正規の声楽教育なんて受けられなかった。
その結果編み出されたモノでオペラと共通なのも含まれてたが、白人が発明したのとは異なる方法となったん。

それが俺言い「発声時の息の過給(ターボ)」で、それに依って今で言うシャウトの一種になるのを拒絶しなかったんだ。
人間心の底から助けてと叫ぶ際、声色を一々気になんかしてらんないべ。

但しⅡで誰かに届くのが第一目的だから、音量は決して下がっちゃ不味い。
ので喉の小細工は使えなくなり、他の部位で何とかしようとしたらああなった訳だ。

のが白人ではあったが社会から眉を潜められてた点で彼等は被差別サイドに位置してて、当時の権力者が好む様な連中と比べたら当初はかなり明確に虐げられてたん。
環境が悪くPAはあってもチープなVocal Amp程度でいてお客はエキサイトして煩いとなりゃ、大声で歌えなきゃそもそも誰にも聴いて貰えんかっただよ。

そんな状況では1に聴こえた2に強かったが先で、声色なんてその後になるのは必然。
その面では今劣化本邦の現況とは真逆で、声量が足らんかったら聴こえなくて漏れなく評価無しの烙印を押されたあるよ。

更にオペラ等より大抵はお客のお行儀が良くないとなりゃ、より歌詞の聴き取り易さに注力しなきゃなんない。
音楽性を損ねぬ範囲でそうしようとしたのが黒人系の発声方法で、様々なジャンルや唱法がある中でこの面では実はこれがニュートラルポジションなんだ。

あまりそう思われてないのは黒人固有の癖の強い発音や声色のせいで、聴き味とは裏腹にかなり丁寧に歌ってた人が多い。
そしてコレをある程度以上マスター出来ると、安易に喉で小細工に走る気が段々失せてくのよ。

更に続けてる内大声で歌っても余裕が出て来て、その余力を使ってOverdriveも段々出来る様になって来るんだ。
この方法で限界に一番近付けたのが意外にも非Metal系のMick Jaggerで、恐らくシャウトより兎に角継続的に大声を出すニーズに迫られてたからなんじゃないかな。

尤も近頃は加齢対策か延命策でこの頃の過激なのは全く演らなくなってて、そのせいで余計にまさかと思われてんだろうな。
何れにせよ昔の黒人歌手も含め歌以外のサウンドに判断が釣られてては、シャウトの真相や本質に迫れ
ないんじゃねえべか。

-続く-

2025年3月20日 (木)

音楽備忘録2041 ’70年代Rockの浦島太郎㊱

今日は又杜撰大王流の変態思考が始まるが、嫌が応にも痛感させられた「歌唱力」の劣化ざんす。
俺は現状ボーカロイド不所持だからまだ救われたか分からんが、ものの1ヶ月程全然歌わないで居たら恐ろしい劣化ぶりに冷や汗かかされましてん。

に懲りて気持ちだけはもう妥協やサボりは止そうと決心したんだが、単に齢取ったからで済ませたくないと何となく感じたんすよ。
で何が引っ掛かって納得行かなかったかったら、環境変化の影響も見逃せないと思ったん。

但しテクノ等が一般化する以前に音楽を始めた世代の話しで、要するに昔は自動演奏とか多重録音を利用した独りBandとかの実現ハードルがとっても高かったんだ。
今だって杜撰君は変わらず生演奏志向だが、作編曲の骨格を確認するのに今は打込みを利用するのが常態化しててね。

のは昔から機械に一切抵抗感が無かった他に、確実性・時短・省力化で勝るからなん。
上記を順に少し詳説してくと、先ず音色等のせいで本当は当たってる音程等を見逃さずに済む様になる。

時短は全パートの試奏が不要になるからだが少し難度の高い演奏なんかだと、僅かしか弾かない為でもウォームアップ等を省略出来ない。
で今日は何だか中々暖まらんなとかやってる内に、騒音防止条例(自主規制含む)の抵触時間帯になってパーとかさ。

これが演奏家だけに従事してたら違ったろうが、何か作らん事にゃ演奏材料が底触する訳やからね。
そうしてる内に結構毛だらけ猫灰だらけ心境になって、何時しかこの方法の副作用を失念しちゃってたんすわ。

中でも殆ど無意識にしょっちゅう歌ってたから、あの程度は何時も歌えてたんだってのをね。
これは音楽演奏の基礎や習慣が育まれた若い頃に打ち込みって手段は無かったんで、今からすればプチお試しですらどうも自然と練習の一端になってたらしいん。

ソリッドボディのエレキならAmpに繋がなきゃ深夜でも気楽に弾けるが、爆音ジャンルの歌や太鼓じゃそうは行かない。
そんでも専業演奏家だったりすりゃ現代でも隙あらば的に実演機会を狙ってるだろうが、必然性が低下すればその分無意識で居たら実奏機会が減ってたんだ。

又グループミュージックを好む場合、必然性の無い独奏意欲は合奏と比べると欲が弱い。
自他共に昔は誰かの協力が無いとハモりを試せなかったのが、今は機械力を借りれば単独で試せてしまう。

飽く迄私感に過ぎないが↑も合奏機会の減少の一因になって、逆につまらない単独練習(人次第じゃそうとは限らないが…)の機会が増えてんじゃないのかな。
珍しく!?他力本願な見立てだが実際に上手くハモった時の満足感って格別で、少なくとも歌ってる本人達にとっちゃ他で得難い満足感があるんだよ。

常時だと相手に呆れられるけど、たまにだったら失敗しても笑いを誘う等で気持ちは決して負の方向に向かわんし。
なんてぇのがかつては簡単に出来てて当り前な印象になってたが、今になってみるとたまたま運が良かっただけだったのかも知れない。

こんなのも無自覚で老害化する内の1つと思われ、環境対応の一部が旧態化してたとも言えそうだ。
かくなる上は取敢えず僅かでもその気になったら即実行する事で、例え成果が上がらなくてもそんなのもう気にしてる場合じゃない。

イチローや大谷みたいなストイックさは適性にも依るんで必定じゃないけど、普段は滅多に携わらない癖が付いたら後がもっと苦しくなる。
一度波に乗ったり習慣付いてしまえばきっとそんなに意識しなくて良いんだろうが、そこ迄持ってくのが齢取ると結構大変らしい。

-続く-

2025年3月19日 (水)

音楽備忘録2040 今更Beatlesから学べる事➓

続いてはメンバー全員に共通なChorusワークへ言及するが、私判定ではRock・Pops系では初めて黒人に拮抗した白人と思うがどうでせう。
それは幾つかの要素の上に成立したんだが、音楽理論的にはそのお陰でシンプルな演奏でもテンションコード等がふんだんに実現させてたのが嚆矢ざます。

アホな杜撰君だからご多聞に洩れず若く歴の浅い内は、凝ったコードなんか弾けなくてもオサレな曲を幾らでも作れると誤解してたわ。
確かに作曲者が奏でなくても誰か何かで必要な響きを加えられりゃ可能だが、ジミヘン逹と違って少なくとも表面的には誰も難しいコードなんて滅多に彼等は弾いてない。

その絡繰りの裏にはChorusの存在が重大で、半音だろうとテンションノートだろうと必要とあらばハモりで補ってたんすよ。
これを実現するにはどんなにLead Vocalが上手くても簡単に他パートに釣られたりしちゃ駄目だが、それにはグループ全体の歌唱スキルに何が要るかだ。

音域に目を向けると一応JohnとRingoが低目・PaulとGeorgeが高目に分類可能だが、Doo-wopの連中みたいに綺麗に音域がバラけてる訳じゃ無い。
それで色々歌おうとすると常に誰々さんは一番下にハモりを付けるとかが不可能で、大凡の振り分けは出来てもどのパートを歌うかを人次第で固定するのは無理だ。

そんな処から歌唱力でも汎用性が決め手で、全員がLeadも凝ったハモりも出来なきゃ成り立たないんですわ。
これが現代では中々厳しくなってて、悪い意味でChorusも分業化が進んでてさ。

っつうか今劣化本邦程じゃないにしても、声色や存在感を重視すれば例えハモれなくてもその持ち主を中心に据えた方が良い。
但しそれは純粋な歌手の場合で、作編曲や演奏がセットになって魅力を発揮する者達にはあまり適用されない。

これに関し「セーラー服と機関銃(夢の途中)」を生贄にすると、万人への心地良さでは美声の薬師丸ひろ子のバージョンの方が良かった。
ってか↑がヒットした時点では作者のバージョンを殆ど誰も知らなかった訳だが、後に来生たかお自身が披露すると少々古めかしく暗くはなるがかなり深い味わいを持つ曲なのが一目瞭然となる。

因みにこの時作者は薬師丸氏の事は存在すら未知で、幾らプロでも「誰々向け」って作り方は不可能だったで。
極端なケースだと名作が出来たは良いがフィットする歌手が中々見つけられず、渾身の作品が長らく公表出来ないなんて場合も。

わ兎も角偶然全員シンガーソングライターが集う事となったのが発端で、全員が主役と脇役を兼業しなきゃなんなくなりましてん。
のでもしか当初は不得手克服で夫々に苦労もあったか分からんが、後のお籠り時代にそれが功を奏す。

何でも歌えるのを活用して、人数分以上の多重録音Chorusの実現に発展したんだ。
一聴別物の様に聴こえるQueen等のChorusワークだって、Beatlesのがもし実在しなかったらもっと実用化に時間が掛かってたかも知れねんですよ。

他にも小編成の特にトリオだとか4人でも楽器は3人等の場合、Chorusが出来ると実質約2倍のパート数になるんだからその差は甚大だ。
そりゃある程度売れてからならChorus隊なんかも付けられるが、売れる為にこそChorus等は必要な場合が多いですから。

-つづく-

2025年3月17日 (月)

音楽備忘録2038 今更Rolling Stonesから学べる事➏

近年はいよいよMickのシャウトに言及する者が絶滅危惧に瀕してる様なので、杜撰大王如きだが知る範囲は書き残しとこう。
今だってやたら喉が丈夫なのとかシャウトの上手い奴は居なくは無いが、進境著しい喉関係の薬とか無い頃からずっと演れるとしたらその唱法の基本は唯1つなのだ。

その表れの1つにMickより年下なのに引退を強いられたSteven Tylerの存在があり、若い頃は無茶苦茶だったとは言え後年は全方位的に健康にも人一倍神経を使ってたんだけどね。
運以外で原因があるとしたら唱法の差と、素の声色のせいで異変や危険な兆候が捉え切れなかった事だろう。

Mickの場合のそれは少し高目なだけの普通の声色だから、僅かにすれたり荒れた位でも簡単に自認出来る。
とここ迄綴っててはたと思い出したのが、シャウターでロングライフな人って地声は結構綺麗目の人の方が多かったのを。

少なくとも’70年代迄にメジャーデビューした人にはほぼ当て嵌まり、最も汚い声になりつつも昔の曲を今も歌えるのが相棒のKiethですわ。
過酷な職場環境等で後年にはバッチイ声色に変化したのも↑みたいにそこそこ居るが、それにしたって喉に過負荷が掛かるシャウトをしてたら20年持てば上等なんすよ。

で安全なシャウト方法とは簡単に言えば大昔述の通り、エレキの歪みの原型と理屈的にはほぼ同じなん。
Ampを純粋にOverdriveされるのの方がシャウトでは安全唱法で、Effector等でこしらえる方が危険唱法。

なのは喉には電子部品みたいな働きが可能な機能は無いから、一時的なら兎も角継続的に歪ませ続けるのが無理なんだ。
一方俺言い「安全唱法」は単に息を余計に供給してるだけ、エンジンに詳しい人ならターボと近似な動作をしてんすよ。

それだって決して無限では無いが、その限界は歪ませずに大声で歌い続けられる時間とほぼ一致しとんの。
喉がもし皮膚や肉製で無かったらJazz Fluteでわざと尺八ぽい音色を出すのとほぼ同じで、後者をずっとやったからってFluteの音色が汚くなるなんて事は普通起きんやろ。

のは現行一般的なのは金属製なんで、息を吹き込む程度の力では直ちに変形したり劣化したりしないからだ。
この様に構造的事情から中々マスターし辛かったり呼吸器系を含む全身の鍛錬は要するが、他部位と比べたら脆弱な喉や声帯の負荷を極力軽減するのが唯一の道なんだ。

では何故それをHard系でもMetal系でも無いMickが早期にマスター出来たかったら、全く歪ませなくたってやたら大声でずっと歌い続けなきゃなんない環境に置かれてたからだよ。
私体験ではBeatles登場から’70年代一杯位がRockの全盛期だと感じてるが、その時期の大御所は観客数やそのエキサイト振りがホントに凄かった。

その割にPAが現代より脆弱だったから、実際に爆音を出さないと他のメンバーにすら聴き取れなかったん。
加えて舞台・Live規模の拡張も顕著だったんで、可能な限り前回より音量を上げてかないと不便で仕方無かったんだ。

ので聴感上は後年彼等を凌駕する音色・声色のパフォーマーが続出したが、純粋な爆音が最も要求されてたのはこの時期なんだ。
そんな背景で効力を発揮したのが黒人系由来の技で、歌唱ではGospel・Rhythm and Blues・Soul等で編み出された手法がね。

-続く-

2025年3月15日 (土)

音楽備忘録2036 今更Beatlesから学べる事➒

今回は4人の中だと最も評価の難しいJohn Lennonだが、広大な視点で眺めれてみればその真価は案外単純で分かり易い。
ので誰でも真似出来る様な気がするが、参考にはなっても同等に演るのが実は最も困難な人だ。

そんなのがあったりするから正確な評価がされ難い様で、神と崇めるのも幸運なだけと評するのも居る。
杜撰君的には「損なタイプの人」と捉えてて、普段癖強なプレイが目立ってるもんだから真面目に大人しく演った分の多くは他の誰かのと思われてる節がある。

その一例でThe Long and Winding RoadのBassはJohnだが、浅はかな世間一般論では彼の演奏ミスだけが妙に強調され優れた点には一切触れられて居ない。
だがその時点でソロ作でのBass奏者の個人的好みのタイプが既に表出してて、音程の比較的離れた和音でのグリッサンド等が実演されてたんだ。

確かに不慣れに依る拙さは否定出来んがメンバーの誰かがそんなにショボいと思ってたんなら、スタジオ録音なだけに差し替えてた筈じゃんか。
少なくともこの曲にはそれで及第してたからそのままにしてあった訳で、言うなれば外野の身勝手な過大妄想の餌食になってたんすよ。

この点StonesのCharlieと少し似てるが、未だ曲や歌唱と比べると演奏や編曲力はとても正統評価されてるとは言い難い。
それ以上にトータルアーティストだったって論評が少な過ぎで、個別に重箱の隅突きだけで判定するから判断を間違ええるんだ。

又声色に恵まれたからと思ってるなら残念で、確かにそれはあったがBeatles初期に最もしっかり歌い切れてた歌唱力を失念しての評価が何とも下らない。
ソロになって以降少なくとも録音作品で↑の唱法をしなかったのも仇になってると思え、多分本人としては既に出来たものよりまだ演れてない唱法への挑戦を優先したんでせう。

その結果Beatles中期迄のが好きな人と後期からソロ期のを好む人で分断が生じてる様だが、同一人物が両方を演ってた事にこそ真の凄さがあったんじゃないかな。
そう力説する裏にどっちも後追いなのにその唱法をたまたま大体会得出来たってのがあって、是又たまたまほんの一寸後追い世代だったのも大いに関係してる。

聴く方ではBeatles末期頃からリアルタイムになったが、杜撰君聴いてすぐに自分で挑戦しようとは思わなかった。
それでソロ中期頃になって本気になったんで、古いのも新しいのもほぼ同時に挑戦する事になっただよ。

したっけ正統派なBeatles初期の歌唱法の方が難しかったり、本当に声が鳴らし切れないと駄目なんで攻略が後回しになったんよ。
のどんな箇所に苦戦したかってば、シャウトしなくても継続的に力強く歌わなきゃなんない処でさ。

これには体も喉もRock歌手として出来上がってる必要があったみたいで、技術的な面だけでは到達出来ずかなり歌い込みを続けてやっとどうにかって感じだったんだ。
その意味で中期迄の歌唱を聴かずにあーだこーだ語るのは愚ってもんで、後年はかなりアイデアだけを優先しつつもそれを着実に実現する地力があったのがほぼ無視されとりまんがな。

何れにしても生涯ずっと曲やコンセプトに不要な腕は表に出さず仕舞いで、少し残念な気はしなくもないけど真の実力を甘く見積もるのは大変危険だ。
そんな面はJazz等旧世代レジェンドに近い物があり、自身はピエロに見られても構わんからひたすらお客を楽しませたいとでも思ってたんじゃないかな。

-つづく-

2025年3月13日 (木)

音楽備忘録2034 今更Rolling Stonesから学べる事➎

前回補遺でオンコードの件からMick Jaggerへと進んでくが、難しい或は使用頻度の低いコードフォームを一々覚えなくて済むのが利点1。
高度なコードスキルが無くても簡単に色々違う響きを探れるのが利点2で、多少編曲も含む作曲をしようとする人には絶大なご利益があるねん。

ここで云う編曲とはコード指定の事で、現代のポピュラー系作曲家の大半はこのタイプが要求されている。
ではそうじゃないのったら純粋にメロを紡ぐ職人の事で、このタイプは過去にだったらそこそこ大勢居たんだけどね。

打込み・ネット未登場の頃は作って録るのに必要な人員が今比では膨大で、何役でも熟せるマルチが居ない
限り中々少人数では作れなかったん。
そんな背景もあるから今よりずっと分業にするのにも抵抗が無かったし、作曲家・編曲家・作詞家夫々の人数も多かったからその中で趣味の合う者同士がチームを組んで仕事するのもそんなに大変じゃなかってん。

そんな事よりどんなに全知全能でも1曲仕上げる手間暇・労力が俄然多かったんで、ピンポイントで良いから一瞬で片付けてくれた方が他の皆が助かったのよ。
それがこっちじゃシンガーソングライター・あっちじゃSelf Contained Groupなんてのが流行ったもんだから、俺言い「ピンポイント職人」は激減の一途を辿ったんだ。

それプラスメロ作者の好みの響き(コード)を確実に与えるには、コードも一緒に作っとくニーズが高まった。
のがメロがポンポン想い付く人は大抵コードよりメロに興味が強い為、高度な編曲スキルが身に付くのは少なくとも編曲家タイプの人よりかなり後になってまう。

結果傲慢高名編曲家に勝手に嫌いな響きを付けられたりするのを、当分の間黙って指を咥えてるしか無くなると。
そんな「無理な我慢」を強いられるのを、この技が使えたらキャンセル出来るんすよ。

又だいぶ長くなったが本日のメインに進むと、数多の功績や魅力はあるが作曲力と歌唱ではファルセットとシャウトに特異性があったと考えている。
その内作曲力については証拠として爆売れがあるからここでは敢えて触れず、今劣化本邦では軽視され過ぎてる歌唱の方を取上げよう。

のを敢えて擁護しとけば歌唱で意欲的に様々な挑戦をしてたのが主に’70年代初頭頃なので、その時期の作品に疎いと凄さをまだ知らなくても仕方無い。
今ではメンバー交代にもスッカリ慣れた彼等だが、初回の交代にはかなり色々悩んで苦労したみたいだ。

のでヒットシングルは相変わらず出せてたものの、アルバムの他の曲は意外と知られて無いのが多いん。
しかし個人的には彼等の最も内容のが充実した時期で、多方面で彼等の力量の真価が表出してたんすよ。

んでMickのその頃の歌の何が凄かったかったら、シャウトの歪みが群を抜いてた事。
その声色ったら3分と持たず喉が壊れるんじゃって位刺激的でHard系よりHard、強いて対抗馬を挙げられるとしたら黒人のAl Greenか。

尤も2人共Soul系由来の手法だったからちっとも壊しゃしなかったが、激しさ表現に伴奏の助力を一切求めないのが稀有なのだ。
正反対の典型例としてはOzzy OsbourneのCrazy Trainがあり、高くか細く強力なシャウトが出来なくてもMetal系を演れる証拠になっている。

そんな事から私体験では上記2名を凌駕するシャウトには未だ出逢って居らず、尚且つ一般傾向とは逆を突き詰めてたのがミソだ。
しかも黒人系なら近似な者も多少見つかるが、当時の白人(しかも英)ではそんな奴は他に居なかったよ。(もしかしたら今も)

-続く-

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