奏法

2021年7月19日 (月)

音楽備忘録704 リフの上手な!?作り方①

先日従兄発案のGuitarリフを具体化したら、見事に駄目出しを喰らっちゃった。
作者の元イメージを尊守なので覚悟の上ではあったが、こう云うのには固有楽器に対する知識不足由来のもあった様に感じられた。

そこでお題に取上げてみようと思ったんだが近年本邦メジャー系のなんかだと、失礼乍ら俺には恐ろしく凡庸なのばかりになってる様に感じられた。
従兄提案のはアブノーマル過ぎて現段階では纏めるのに難があるが、そんなのを避けて無難に行き過ぎては新しいのはちっとも生み出せない。

どんな楽器にも夫々フレーズの適正があるから確実性へ忖度し過ぎてんだろうが、他にも今回の俺等のみたく発案者と奏者が分離してるせいかも知れないと思った。
提示側は「お前専門なんだから何とかしてくれよ」・受注側は「不可能を強いるなら他ので演れよ」とか揉めちゃって、挙句に半ば投げ槍にったりトラウマ回避であんなになっちゃったのかな。

そこで声高に吠えときたいのが「作るのに腕の関係は低い」って処で、余程技術を要すフレーズじゃ無い限り「思い付いたの唯それだけ」さえ辛うじて弾ける様にすりゃ良いからだ。
該当パートの専任者だったら舞台上でもソロや難しいコードも鳴らせなきゃなんないけど、歌と兼任とかだったら「弾けるのだけ弾く」んでも一向に構わないじゃん。

又別面ではどのパートも「伴奏力の劣化」が著しい様で、ホントはコレこそが打込みでは最も代替が困難なんだけどな。
シンプルな程個性やニュアンスはダイレクトに露呈するもんで、高度なフレーズになる程打込みでだって小細工は効かなくなるのだ。

そりゃ機械的にゃどんなのでも一応「設定は可能」だけど、人耳の追尾に限界があるやんけ。
折角微に入り細に入り色々施しといたって、認識出来る前に瞬間で通過しちまうからね。

その伴奏力の劣化がリフの劣化に大きく影響してると考えられるの
が、「シンプルでも間が持つ」とか「単純な味でも美味しさ充分」なんてするのが下手っちまうからなのよ。
多分気付いてる人が少数派なせいなんだろうが、「分かり易い技術力の差」の方が目立つからだろうな。

加えて一部のけしからんベテランの悪目立ちも罪なもんで、技術の拙さを「味命ですから」なんて実際は味なんて全く出せてないのに言い張るのも居たりするからだろう。
結果的に「他力本願オンリーなのにジャンジャン思い付ける人」と、高度な技で弾き捲れるけど気の利いたのを思い付けない人」へ2極化してってるみたいなんだよね。

そんな状況になるとソロとしてはお話しにならなくてもリフとしてなら美味しいのも、下手っぴだから恥ずかしくて弾いて聴かせらんないとかなっちゃてさ。
どうせ少し位練習したって仲間の本職に相手にして貰えないんだがらなんてんで、マトモに作れる人が居なくなっちゃったっと。

身内中心ではあるが是迄の体験からすると、技に興味が偏り気味な人程リフとかは苦手だった。
この辺が簡単そうでいてポピュラー系のホントは恐い処で、「必要な分かり易さ」を維持するのに技が邪魔する事が少なくないからなのだ。

俺もこの齢になって歴も長いからアホっぽいのより高級感に溢れるのへついつい行きたがってるが、思い切ってそんな邪念にケリを付けないと帰って来られなくなったらと思ってゾッとしている。
実はこんなのって考え方に一寸誤りがあって、足りないのは技じゃ無くホントは「音の選び方」なのよ。

様々な評価があって当然だが例えばRolling StonesのSatisfactionとか、もっと掘りゃ昔の007のテーマとかって所謂技ってのとは無縁だ。
後者のはリフってよりゃメロと認知すべきかもだが、エレキの部分とそれ以外の部分では知名度や記憶度に差があると思うのは俺だけかぃ?。

要するにリズムも含むが「印象的な音列」を作れてるかがほぼ全てで、聴感上は不足分を技で補えててもそうしないと物足りなくなるのってリフ自体としては最高でも2流以下って事なんざんす。
この論法からすれば弾けない奴程良いのを作れる可能性が多く、却って曲自体には余計なのなんて弾けない方が良いとも言えるんだす。

<つづく>

2021年2月20日 (土)

音楽備忘録555 パートのリズム調節㉙

Drumの録音ったら今俺は長~ぁく待たされつつ従兄が奮闘中だが、彼曰く今迄の殆どのは人が演ったのを勝手に変えられてたから✖なんて言ってたね。
じゃあ今回は自身で自由になるのに、何でそんなに掛るのって言っちゃぁオシマイ?。

個人ブログなので私感全開で行かせて貰うと過去のには、従兄自身の表現にも若干の不足はあった様な気はするけどね。
でも最近従兄が愚痴ってた「同意無しの改変」は問題外で、彼がかつては瞬時の発言力の弱さのせいで余計酷い目に遭ってたのは紛れも無い事実だ。

あちこちで訊いた処だと近年の方が無断改変が増えたそうだが、先ずは意思の疎通に問題が無いか気を付けてみよう。
録音も商売でやるとなると部外者の評判も無視出来ず、奏者側としても技師の立場をもう少し理解しないといけない。

一言でそれを言えば「意図無きLo-Fiは勘弁」ってなもんで、聴き取りの悪さは奏者より技師のせいにされがちだからだ。
俺が従兄に対して疑念を持つのもそんな部分で、本人は「隠し味みたいなもんだから聴こえなくても構わない」なんて言ってる。

だが隠し味ったってホントに全く聴こえなかったら無効化するんで、音源の特定は出来なくても何かが鳴ってるのはキチンと記録されてないとならない。
それには他のと混ぜて聴いてからじゃないと正確な判定が出来んので、単体で地味過ぎる様だと大抵は無意味なノイズとなってしまうんだ。

それが崇高なClassicやJazzだったら未だしも、気軽に聴けるポピュラー系では半ばご法度と思われる。
より興味を持ってくれた聴者に対して、聴き取るのに必要以上の負担を掛けるのは相応しく無いじゃない!?。

この面で私的に最も上手と感じられたのがRingo StarrやJeff Porcaroで、周囲音環境に応じて細かいのの入れ方を自在に加減している。
ともすればそのせいで実際よりシンプルにしか演ってないと誤解され易いが、自パートより曲全体を尊重した結果自然にそうなったものだ。

換言すれば先ずは「他パートに都合の良いDrummer」だが、そこで思考停止させちゃう人が多くて皆損してる。
「都合が良い」範囲内でならそのお陰でかなり自由に振舞える訳で、慌てる乞食は貰いが少ないとか急がば回れと同じなのよね。

従兄と俺のDrumフレーズの考えに少し距離が出来たのは、元はと言えば俺がテク僅少君だったからだろう。
今だって手に関しちゃかなり大きな差があるままだが、ポピュラー系への最適化としてのコツは経験からは「目立つ手は控え目に」だと思っている。

歌物の場合SnareやCymbalは歌声の基音もだが、子音部分とも音域が被ってて支障し易い。
それと比べるとバスドラはBass以外とは音域的に乖離してるので、Bassと喧嘩にさえならなけりゃかなり自由に入れても平気だ。

流石にどっかの気違いオヤジみたく節操が無いと落着かんかも知れんが、フルCrashの連打よりゃそれでも何がどう演ってるかがまだ分かる。
その意味で手が得意な人にポピュラー系は一寸意地悪な気もするが、曲やアンサンブルへのマッチ度合いはタイミングの計り易さや合せ易さとだって大いに関係がある。

それがより顕著になるのがLiveの方で、録音時だとマルチ収録されてればバランスをそれ用にして改善するのも可能だ。
尤も録る時平気でもそれでは混ぜる時に苦労が増え、スタッフ間でバランスに対する論争を引き起こしたりし兼ねない。

俺と違って従兄がそんな傾向のフレーズでも苦労しないのは、合せるスキルの高過ぎるのが却って仇になってるのかな。
単体パートの評価としてはRingoやPorcaroの演り方は一等「損なタイプ」だが、一緒に演る周りの連中の調子が一番上がる方法でもある。

素人でも即座に理解出来るのしか出て来ないと、どうしたってプレミアム感とは遠い。
だが全体としての仕上がり具合へ耳を向けると、大人数な程単体以外の調子の良さに左右される。

ノリに関してはこの影響は常に大きく出るもんで、ある意味「個人の良さ」と「集団を鼓舞する」ののどっちを取るかってなもんだろう。
そりゃ幾ら応援しても期待に応えられないのしか居ない場合は、孤軍奮闘して引っ張るしか無いのも又事実。
けれど所詮はそんなの多勢に無勢で、他所の集団パワーを前にしては埋もれるだけだ。

<つづく>

2021年2月12日 (金)

音楽備忘録547 パートのリズム調節㉕

CCRの分と本題との関わりが残ってるんで、しつこいが続々編でごんす。
T・REXのが半分当人の個性依存とするなら、こちらのにはそんな成分が少ない分誰にでも優しいと言える。

その代り捉え様に依っちゃCCRの方がSoloist+Backband的でもあり、実際John Fogertyがソロになってからも変化が少ない。
どちらも編曲っても曲由来のや曲依存度の高いのは一緒だが、CCRの方が奏者を選ばぬ再現性があると思う。

T・REXだってLiveではStringsの入らない事の方が多かったが、それだと世界観の再現度は低いので「既にファンになってる人向け」って印象が強かった。
CCRの方は本人達だけでもその様な事が無いから、グループの活動方針が違ったかああ見えてMarc Bolanは作家的要素が強かったのかも知れない。

この相違は採り入れ易さに直結してるし、CCRのそれはどれもとてもベーシックな物だ。
なので現代本邦のJ-POPみたいなのには、ホントは最も良い参考になるんだよねえ。

そりゃ時代も国も違うから味比べしちゃったら古過ぎるけど、もしそんな理由で避けてるんだったらもうこれからはお米のご飯なんか絶対食べるんじゃねーぞってなもんだ。
米だって品種改良されてるし炊飯器だってどんどん進化したから、その点では昔と全く同じ味じゃ無いだろうよ。

けどお米を炊いてってのは変わって無くて、それをRock Bandへ置換したらエレキGuitarとコードカッティングってのが同意義になるやん!?。
んで楽曲でも素人向け汎用を狙えば編曲だってシンプルイズベストだから、それからしたら極力簡便な奏法で構築するのが適してる事になるだすよ。

かつては日本でもCharの「闘牛士」みたいに、GuitarのコードカッティングだけでIntroがちゃんと成立してるのもそこそこあったのよね。
この曲厳密に再現するにはかなり高度な小技もテンコ盛りなんだけど、曲としてそれに聴こえるのにはコードが大体合ってればOKってのが職人芸ですわ。

時代順からして妥当だろうが手法としては、差し詰めT・REXとCCRの良い処取りみたいになってんね。
って俺の感覚では結構時代が下ってるが、今から数えるとその差って10年にも
満たない位だったんだな。

まあ正直本当の核心をバラしちゃえば、殆どのあらゆる手法をBeatlesがとっくに演っちゃってんだけどね。
只Beatlesのスタイルの根幹はそのコーラスだから出来た芸当で、歌唱だけでそこ迄の独自性がない場合演奏面でパターン的スタイルがもっと要ったりすっからね。

その点に絞るとここ迄紹介したお三方辺りが、一応意図してやり出した最初の方の人達だったと思う。
してフレーズ以外で本件と関わって来るのがタイミングであるが、これ等の手法を使うならその大多数は遅刻厳禁って感じだ。

極端な話し少し突っ込んだり走っちゃってもOKで、株式会社アンサンブルの宴会部長みたいなもんだ。
例外になるとすりゃPunk系統ので演る時で、その方面ではどんな手法だろうと先ずDrumがイキリ勃ってないと始まらない。

それ以外では幾ら勢いが欲しくとも、リズムに安定感が足りないと聴くのに落着かない。
確かにリズム隊にだって勢いがある方が調子良くて快適だが、Guitarのカッティングを追い越す様な事がしばしばあってはなりませぬ。

これについては又次回にするけど、そこに居る宴会部長を押し退けて下の者が勝手に仕切ちゃっちゃ不味いでしょ。
言葉のアヤっぽくて何だけどこの手法時は「カッティングが伴奏のベーシック」なのであって、伴奏のカッティングじゃ無いんだからさ。

常に最新の注意を払って熟慮する程の事ぁねえが、パート間の組合せが一緒だからって無頭で行くのは流石に勘弁ね。
アイツは分かってるとかってのは、こう云うのの差だと思うんだ。

<つづく>

2021年2月10日 (水)

音楽備忘録545 パートのリズム調節㉔

前回提示した2組にもコードカッティング以外のもあるんで、続編としてそれにも触れとこう。
こちらでは両者に少し違いがあって、T・REXの方は他パートに委ねるケースが多かった。

本邦ではT・REXのMarc Bolanに対して根強い「下手っぴ説」もあったが、それが理由で簡単なのしか弾かないと何時迄も信じ込んでては核心に迫れない。
かなり何時も変ちくりんな音を出してたのが誤解の元らしく、実際ソロパートでの音使いにも理論を無視した様なのも散見された。

だが理論にも段階ってのがあって汎用なのの他アブノーマルなのもあり、深読みすれば
必ずしも知らなかったから間違えたからそう弾いてたなんて簡単に断定しちゃ拙速だ。
なのにそう思われたのは曲がとてもPopだったからで、俺言いすれば「お子様ランチにタバスコ」状態だったからと思われる。

T・REXの編曲はCCRのより実は大編成や外注のも多かったが、聴いた印象がシンプルなせいで本人が関与してないと勝手に思い込んでんだろう。
この誤認は正確にコードを拾おうとすると解消するんだが、彼のコード使いの特徴に「意外な処でマイナーコード」ってのがある。

それを明確化させるのにStringsに意図的に短3度音を弾かせてるのが多く、こう云うのは作者主導じゃ無いと中々実現出来ないもんなのだ。
かつて数曲位俺は「T・REX風サウンド」にしようと画策した際、彼等のには上記の意外な処でマイナーコードと Stringsの存在が鍵を握ってるのに気付かされた。
 
ノリの良さではかなり高得点でも、弾いてる内容はたった1つの変態を除いてシンプル且つ在り来りなのしか無い。
そのノリにしたって種類的にはちっとも珍しく無く、例外の変態は時々しか顔を出さないからそれらしさとして依存するのは不可能だ。

これ等からすると作者は当初から、Strings込みで作ってったと考えるのが妥当じゃないかな。
あとStringsの音使いが編成の大きさに対してかなり限定的で、音使い的に近いので俺が思い出せるのったらHi-Recordのとかかな。

Hi-Recordのは金管も入っちゃいるものの、管も弦も和音構成上最低限の頭数しか居ない。
T・REXのStringsで重複メンバーを多くしてるのは、そのサウンドに雄大さ等スケール感を求めた為の様だ。

処で上で「例外」と書いたのはアンサンブル内での「Joker役」の事で、これは基本的にMarc Bolan本人だけが担当する様に決められてた様だ。
俺がクソガキ当時リリースされて瞬時に嵌った曲でこれを例示してくが、「Solid Gold Easy Action」ってので私的には今でもおバカRockの最高峰と感じている。

Introからいきなり奇妙なVibratoを掛けGurissandoも使われた「和音弾き」が登場するが、スーパーヘビーリスナー且つ感性派の俺が50年近く経っても完コピ出来ん代物だ。
これが難物なのはニュアンスだけで再現しなきゃなんない処で、それが本人の個性のみで出来上がってたからだ。

この方面ではローリー氏がかなり良い線迄行けてるが、本家と違ってマトモな音に聴こえちゃうから至難の道かも。
総括するとMarc Bolanって奏者は、地味だかとても堅実な伴奏と怪奇音発生装置の二重人格みたいなのだったらしい。

その2極間が中抜けで完全分離してるもんだから、得体の知れない存在扱いされちまったんだろうな。
しかし「曲を正しく伝える」のを主眼に据えると、これは最も理に適った手法だ。

他所で類例が目立たないのは恐らく「類は友を呼ぶ現象」のせいで、生真面目グループ・ヤンキー軍団みたいな固まり方をしたがる人が多いからだろう。
その場合Joker役が持ち回りになるんで、各々のマトモ弾き対変態弾きの時間的割合で変態のが激減する。

故に「Marc Bolanの味」を獲得出来るのは、元から似た個性を持ってる者に限られてしまう。
んが枠を広げてT・REXみたいなアンサンブルってんなら、前述のツボを押さえられれば誰にでも取入れられる筈だ。

<つづく>

2021年2月 8日 (月)

音楽備忘録543 パートのリズム調節㉓

続いてはGuitarでの伴奏時の重要性を吠えとくが、本邦ではどうもソロパートにばかり力を入れてる奴が多くていけねえ。
確かにメロディを弾いた時にその位ナルシス君じゃ無いと説得力に欠けるキライもあるが、そんなの「そこまで聴いて貰えたら」の話しなんだけどなぁ。

最ブーム時のFusion系とかのにはかなり技が無いと弾けないリフもあったけど、ポピュラー系の曲でそんなのの出て来る頻度はとっても少ない。
それからすると先ず興味を持って貰うにはどうでも良い位のを弾いた時でも、最低でもソロ時と全く遜色無い魅力を発揮出来るのが鍵なのよ。

ハッタリ効かせるのにいきなり超絶速弾きから始まるのも無くは無いけど、それを活かせるのはよっぽど高級に仕上がった曲じゃないとさ。
カッコイイGuitarの後で歌い出してショボかったりしたら、ギャグにしかならんですから。

演奏力に長けてても曲が書けなかったりすると、どうしたって凄いのだって演れるのをアピールしたくなる心情は良く分かります。
けどお客さんを増やすには「今迄聴いた事が無い人」が最上客はんでっから、誰が何処をどう演ってるかなんて知った事っちゃ無いんざんす。

それには全パート共音色の魅力も大事だけど、主役か脇役かで入れ込み度が違ったりしてはボロをダダ漏れさせるってなもんよ。
中には今迄音楽自体に無興味だったお客さんだって居る訳で、予備知識ゼロだとこっちが想像も付かない様な処へ聞き耳を立てられる可能性が大アリや。

そんな観点から秀逸と感じたのに、T・REX(英)とCCR(米)って2つBandが印象強い。
両者共Tyrannosaurus RexとCreedence Clearwater Revivalが正式名だったが、前者の方は暫くして通称の方を正式名にしちゃった。

後者は改名こそしてないが、やはりヲタ自慢的な局面以外では略称でしか滅多に呼ばれていない。
これからしても素人客が多かったのの一面を示してるが、どちらにもリフがあっても短くて簡単なのが殆どなのが共通してる。

それ処か「只のコードカッティング」が主流で、しかしそんなで僅かに聴こえただけで奴等だとハッキリ分かっちゃうんだから凄い事ってすとばい。
その原因が奇特ってば奇特でフレーズは前述の通りで音色も大して特別でも無く、リズムの刻み方とそのタイミングしか残ってるのが無いのだ。

一聴してノリや調子が良いのはすぐに分かるけど、取り立てて変な取り方してるでも無いから具体内容がとても分り難い。
そんな五里霧中から探して行くと、曲との一体感が半端じゃ無いのにその内気付ける筈だ。

Guitarを弾いてるのが作曲・歌唱者本人なのも見過ごせないが、他人の曲を演っても全く変わらないから立場のお陰でそうなれてる訳でも無いみたいよ。
日本で近いのったら路線は異なるが、Charの代表曲のSmokyなんかも同じ部類でもっと分かり易い。

Introや歌間で登場する「ンつ・クチャッ・チャッ・チャッ…」がこの曲の決め手で、しかしⅡで技術的には唯のコードカッティングでしか無い。
だがテクレベルで舐めて掛るとお終いで、これがどれ位バッチリ決められるかで良否判定が下てってしまう。

要はテクレベルとか自担当の目立ち度なんて無視して、どれ位曲をちゃんと表現出来てるかに拘れると近付けるのである。
ヲタの中にだと演奏力を先に聴いてくれる人も居るだろうが、聴く人の基本概念は殆どは先ず「どんな曲か」となるのが自然で当然。

故に例え演奏面で主役を張っててもそれが特に歌物だったなら、伴奏の方がソロパートなんかより遥かに重要なんですよ。
そしてこの考え方で有利になるのが演奏に疎いお客さんに対してで、誰でも知ってる豚に真珠・猫に小判と同レベルの本来とてもベーシックな案件なんですわ。

自分の流儀を仕上げるには少し時間が要るけれど、もし「そうだった・そうなんだ」と思えたなら今この瞬間から即実行するあるね。
演奏に対する基本概念が是正されるだけで、間違ってたらその頃のとはかなり途端に違いが出ますから。

<つづく>

2021年2月 6日 (土)

音楽備忘録541 パートのリズム調節㉒

今度はBassistの「出来る範囲」に依る影響についてになるが、小規模編成になる程これは一種深刻と思われる。
前々回に提示したYardbirdsの曲に、その典型例があるのでそれから行ってみよう。

それはLost Womanってのだが、私的推奨はアルバム「Over Under Sideways Down」に入ってるのの方だ。
上記の米版と通称「Roger the Engineer」の英ので内容的に大差は無いが、後者のはモノラルのもあるのでご注意ね。
例え「擬似ステレオ」のでも、少しでも音が分離してる方が聴き取りには有利だと思うんだ。

さてこの曲では大胆な処が3つあるんだが、先ずはDrumとBassだけのIntroだ。
ここでの太鼓はかの有名なSwing,Swing,Swing(Gene Krupaが叩いてるバージョンの)とかなり似てて、Bassが無かったらとてもじゃ無いが英国Rockには聴こえなさそうだ。

曲想としてはこの部分は近似なので土人っぽくなって然るべしだが、それをJazzや民族音楽じゃ無くしてるのはBassのお陰だ。
次に特異なのがサビ部でBassに和音弾きがある処で、最有名なWhile MY Guitar Gently WeepsでMcCartneyが演ったのよりこっちの方が2年も早い。

そしてトドメはって相応しいかどうかは意見が割れそうだが、この曲ではリフを弾くのは最後迄Bassだけなのだ。
これが特に’60年代中頃では希少に感じられ、どれか1つだけってんならGuitarやPianoが担当するのが普通だった印象がある。

ここで少し考えると効果的なのがリフの内容で、複音になってたらBassには不向きだ。
前述ジョニルチャのユニゾンのでもそんな場合Guitarの出す和音に依存してるから、途中でGuitarがソロやインプロへ行っちゃうと一寸淋しくなってる事もあった。

けど裏を返すと単音リフだったらこれ等の心配は一掃されるんで、わざわざ同時発音数の多いのに演らせるのは勿体無いし他で大差の出る可能性がある。
その中で今回はお題に沿ってリズム面だけに留めとくが、リズム隊以外のパートはリフの邪魔さえしなきゃOKって事ぁリズム的に相当やりたい放題をしても平気になるのだ。

それが実際にこの曲で反映されてるのが刻みの細かさで、普通なら所謂「うわもの」の方が細かくなるのが逆転している。
但し実現するにはリズム隊の技量がそのグループ内で平均を上回って無いと厳しく、普段は伴奏の方が多くてもメロディもすぐに弾けないとそうは行かない。

Drumに対してメロディって言うとSteele Drumねってなりそうだが、ここで言いたいのはそっちじゃ無いよ。
一般的な音階とは違っても構わないが、そんなのと同等に聴けるフレーズって意味でっせ。

噛み砕きゃすぐに覚えられて口ずさめる様なタイプので、それにパターンがあったらもう立派なリフの1種だって訳だ。
但しⅡで覚え易いソロとは若干の相違があり、こっちのは他のと合奏可能でそうなっても訴求力が落ちないの限定だ。

ポピュラー系のでBassのメロディ弾きが出て来るのってぇと、指弾きのではStevie WonderのSir Dukeとか位でピック弾きのの方が多数派だ。
そのせいもあって近年減少傾向が伺えるが、ピック弾き=BassのGuitar弾きと忌避するのはもういい加減に止めて貰いたいもんだ。

或は劣等感の塊りからメロディ弾くのを取られるのが嫌で、そんな事をほざいてるか知らんがね。
何れにしてもだったら正式名称「Bass Guitar弾き」をメンバーに入れたのがそもそも間違いで、従前のウッドベースよりそんな使い方がし易いからこその命名ですんでね。

少な目編成で様々な曲に最適なアンサンブルとするには、なるべくどの楽器ででもどんな役割も担当出来る方が断然有利ですから。
今度もしそんなのに出逢ったらもういっその事、オクターバーを繋いだGuitarで弾き捲ってやろうかいな。😵

<つづく>

2021年2月 4日 (木)

音楽備忘録539 パートのリズム調節㉑

何だか事後承諾要求みたいで何だけど、前回のみたいなフレーズの組合せとか割振りもノリに対してかなり影響力があるもんなのだ
そんで前回のは夫々が違うのを演るパターンのだったんで、その真逆のユニゾンのについて記しとこう。

Rock系の特徴の1つとも言えるユニゾン伴奏だが、案外小規模なアンサンブルに多いのも考慮点だ。
大規模ユニゾンったら何たってBeethovenのが有名だが、壮大さでは嚆矢な代わり各パートのノリの自由度は著しく限定される。

大人数になると膨らみは素晴らしいものの、例えば49:1とかで1人だけタイミングが違うと通常は失敗にしか聴こえなくなる。
なので最速・最遅の人は当然居るだろうが、タイミング差が大きかったり孤立気味のは無しとなる。

それからするとオーケストラのは奏者よりノリは指揮者依存とも看做せ、あんな大人数で演ってる割に一定区間で同時に味わえるノリの種類は少ない。
勿論楽団次第で軽目・重目等の個性はあるが、例えば水色と紺はあっても小人数Bandの青と赤の同居みたいなのは困難だ。

この差が小人数だと一段と音の種類が減るのにユニゾンが行けちゃう秘密!?で、一塊に聴こえる範囲って限定こそあれノリの自由度の高さで救われてると考えられる。
俺個人は音やアンサンブルはカラフルな方が好きで、それからするとユニゾンには興味を持ち辛いのが当然な筈だった。

せやさかいRoy OrbisonのPretty WomanやCreamのSunshine Loveに出逢っても、曲が良いからマスターはしたがそんなに入れ込みはしなかった。
のがJohnny,Louis&Charの際は覆り、物の見事にド嵌りして今に至っている。

彼等の凄いのは太鼓迄完全にフレーズや要所のタイミング合わせてるのもある処で、普通だったらわざわざ音数を少なく聴こえさせてるんだから淡泊にりそうなのがそうなって無かった。
メンバー各自の個性は結構掛離れてるのを、グループの個性として一体化させてたのが面白かったのかも知れない。

只それが生きたのも他の部分ではかなり各自が自由に演ってて、これとのコントラストの強さがあったのも重要そうだ。
尤もそれで各自の個性を殺してたかったらちっともで、余韻の処理や鳴らし方に関してはかなりバラバラなまま。

要所のタイミングだけをピッタリ一致させた例で、一般的には逆のの方が多いと思う。
但し何時もピッタリとか許容範囲内だが一定のズレ方しかさせないしないとなると、それに依って表現巾に制限が掛るのは確かだ。

これの影響の大きいのが「演れる曲」の種類等で、節操無く色んなのを演りたいと思うなら外せない手法だ。
今時は目立つ技にばかり走る奴が多いが、音楽的に効力の大きいのはこんな地味な方なのだ。

私体験からだとジョニルチャでこれを知って以降以前にも増して、その時演りたくなった本来の自分のジャンルから掛離れた曲でもアッサリ演れる様になったなぁ。
それでもグループではやり過ぎては他メンバーの負担が大きいから、自重して限定させるようにはしてるけどね。

しかし考え様に依っちゃ寧ろこれがあればこそレパートリーを増やせるってもんで、各自のジャンルの定番タイプの曲だけで行けるとしたらそんなのはとんでもない天才集団位のもんですぜ。
それが登場後間もないジャンルのだったら未だしも、歴史の長いのになると一寸やそっとの工夫じゃ過去に誰かが既にやっちゃってるのが多いからねえ。

又ヲタ様限定じゃ無く不特定多数を対象にしたいなら尚更で、珍しくするにも凄く簡単なのじゃないと聴いた途端に理解するのは無理だからさ。
現代本邦じゃClick常用の副作用でそんなのは滅多に耳に出来なくなってるけど、そのままってのは流石にもう限界なんじゃないのかな。

これとの関係性は不透明だがそう云や最近のって、伴奏のバリエーションがやたらと少なくなってないかい?。
リフの有無や最後迄それで押通すかどうかとか、逆に一切リフは使わないのとか…。

世間が不安定だからひたすら安らぎを求めて、定番頼みになり過ぎてるのかも知れないけど。
けど「暗い世相」にならBluesがおあつらえ向きで、それが主流化しないのはバブル期に繁栄した残像を追っ駆けてるからなのか!?。

<つづく>

2020年5月23日 (土)

音楽備忘録290 エレキGuitar歪ませない効能②

先ずは歪ませた場合の弱点詳細へと進んでくが、当然乍ら歪ませなけりゃ弱点が無いでも無い。
論点は楽曲や使用箇所次第でどっちの弱点が困るかって部分で、流行にも左右されるものの一寸本邦の現状は偏り気味と思われてならない。

楽曲と音色とか演者のキャラと歌詞のミスマッチも今では殆ど誰も気にしなくなってるが、毎度でしつこいが本流がしっかりあってこそ成り立つ亜流なのである。
事の始まりはアニメやゲームの世界で新鮮味や非日常感を得る目的で始まった様だが、行き過ぎて本流が何処かへ半ば消えちまっては元も子もない。

そして何が不利益に働いてるかってば、わざとであるかどうかはとても重要だったのだ。
わざとだったら最悪は歌詞の聴き取りを阻害してでも、「良く聴こえなかったからもう1回」なんて思わせるのも作戦の内だった。

只その為には意図した該当箇所意外は「楽に良く聴こえ」てたりしないと駄目で、ついでにそこの歌詞が倫理的にギリギリのになってたりとか良い意味で裏があったりする。
そうして計算尽くでやっても何時も成功するとは限らんけれど、それでも滅多に単なるお邪魔になったりはしない。

処がそうこうしてる内に打込みの安定度への対抗心や演奏技量不足を誤魔化せると誤認したせいか、要求されねば「歪ませとく」のが何時の間にか普通みたいになっちまった。
確かになぞるだけで精一杯の奏者に「加減しろ」ったって幾らも上手くなんて演れず、物凄く手間は掛るし音楽的スキルも要すが「分かってるMixer氏」にお任せしたらボーダーラインはクリア出来るだろう。

但しそこ迄するなら打込んだ方が大抵は好結果が得られるし、各音色の「中間領域」は使用不可となってしまう。
してこの音色中間領域こそが楽器が電気式か電子式かの大きな相違点で、物理的に実在の音源を持ってるかどうかの差から発生しているのだ。

音源実在はそれに縛られる弱点はあるが、それで出せる範囲の音ならどんな中途状態のでも途切れる事は無い。
だが電子式のは数は膨大でも「特定の状況下で鳴った」のへ後加工が可能なだけで、サンプリングされてないとかストックされてないのは基本的に出せないのだ。

それでも現代本邦の一般環境からすると爆音必須なのとかは使い辛くて仕方無いから、自宅では電子楽器でってのもそれ自体は大いにアリだ。
しかし何式であろうと例えばそれがドラムなら「バチで叩く」って操縦方法の大枠は全く一緒なので、音源を鳴らす指令を出すには何かの楽器が弾けなければ打込むしか無い。

近年の一般的用途では生或は電気式のより電子式の方がご利益の多い場合が常かもだが、それだってマトモに弾け無きゃ結局マトモには鳴らせないのである。
んでもしある程度以上にマトモに鳴らせるのなら、様々な点でバーチャルは必要最低限に抑えといた方が何かと後で助かるのだ。

端的に例示するなら歪ませないで録っといたのを後から歪ませたりは可能だが、逆は不可能でげしょ。
そりゃ幾らでも録り直しが可能で弾く度に必ず前回のを上回れる自信があるってんなら別だが、そんな達人なら端っから最適音色と歪ませ度を把握してる事だろうさ。

尤もこれにも条件があって、全体の基本線が最後迄不変であればの話しなのよ。
例えば録ってる最中にもっと良い歌詞が浮かんだりして、それにサウンドも急遽合せたいなんてケースもある。

しかも明らかに改良後の歌詞の方が良いのに何らかの事情でGuitarを録り直す暇が無いからって、明らかに良い方を断念するってのも勿体無い。
そんな時に限界はあるけれど加工自由度の余地が大きく残されてると、助かる確率がグンと高まるのだ。

それと近年の多数がかなり勘違いしてるのが、歪みが深けりゃ迫力や存在感の足しになると盲信してる類。
近年みたいに幾らでも深く歪ませられる様になるとそれ自体は今風の象徴かも知れんが、それは割と誰にでも買えるEffectorを買うだけで済む。

持ってた方が流行の端っこ位には掴まってられそうだが、他の皆とほぼ一緒では埋もれるの必至だ。
もし過去の名作としか張り合わんしそれに絶対の自信でもあるならワシャ知らんが、普通直接のライバルになるのは時代も世代も何も似通った相手になるよね。

本人が幾らJimi Hendrixの倍歪ませたヤツと思ってても、世間はそれより先にBABYMETALのファンとかじゃね位に捉えるかもな。
本家がFuzzを多用した当時似た様な使い方をしてる奴は皆無で、それからしたら今は逆をするのこそ美しき抜け駆けって事になるね。

<つづく>

2020年5月14日 (木)

音楽備忘録281 バスドラペダルとフレージング26

大分長く続いたんでそろそろ本項は一旦閉めようと思うけど、原典体験が有益且つ重要なのはドラムに限らない。
尤も現代ではPAその他の「補助機器」の発展・普及で知らなくたって音楽出来なくはならないが、それならそれでやり方を再考するのがお勧めだ。

打込みや電子楽器を利用すれば人力・天然だけでは不可能なのが色々演れるので、例えばバスドラにトリガーを常用する位ならわざわざ生のセットに固執するのは最早時代遅れだ。
ってのも生+トリガーで「出来る事」は既にかなり出尽くしてるから、もし今から始めて追付く頃には「懐かしいもの」になってるだろうからね。

単純にそれが好きなだけで周囲の評価を無視出来るならご自由にだけど、例えどんなに上達出来ても貴方が初めて触れた時の様なインパクトを他人は決して感じてくれない。
特別に興味を持ち続けてる人以外には、時間の経過やオリジナルじゃ無い事の影響は大きいもんだ。

俺が古典ペダルで新技開発に繋がったのは千載一遇の偶然でしか無かったが、僅かな色気はあったもののそれが目的でなった訳じゃありませぬ。
単に自分の求めるスタイルを追及しようとしただけで、ある意味ホントは残念だけど「自分の齢」を受け入れたからだ。

本邦では未だにベテラン達人の一部に所謂「齢甲斐の無い」真似をするみっともないのが居るが、それを見てああにだけはなりたくないと思ったのが本音だ。
その何が駄目って道具や新風貌が演ってる音楽とミスマッチだったからで、採り入れ方の勘違いの典型なのだ。

ブームはとうの昔に過ぎてジリ貧の辛苦を舐めた挙句なんだろうが、「不人気でも残ってた良さ」をスポイルしては本末転倒じゃないですか。
Rock系も歴史が積み重なって新しくは無くなった以上、以前よりどれだけ「それらしく」出来るかが鍵を握ってると思っている。

それへ「三つ子の魂百まで」を加味して考察すると、世代や時期を否定するのは決して利口じゃ無いのは気付けるだろうか。
例えば今聴いても素晴らしい過去作は幾らでもあるが、出た当時の衝撃はその時に既に生まれてた人にしか体感は持てない。

とすればそれは世代特有の武器でもあり、例え新規開発するにしてもその「感覚」を活用しない手は無いのだ。
ベテラン或は新鮮味は失せた者・物が何らかの新規を企てられるとしたらその源はコレしか無く、換言すれば「世間視点の新旧を下手に気にし過ぎない」のがコツであろう。

僭越だが一応体験者として提言させて貰っとくと、ネタとなり得るのは音楽でもその道具でもシンプルなのが決め手だ。
既に色々加えられてる物だとそれに依る制約が大きくなってて、それの除去作業をする位ならそれ自体の「元ネタ」へアクセスした方が手っ取り早い。

今回はその中でお題に従ってペダルのみに絞っとくが、付加機能等の多い物程この目的には合致しない。
これには物理的に以下の様な問題が考えられ、多機能を搭載する為の土台に不要部分が発生する可能性があるからだ。

中にはEdward Van Halenなんかみたいに自分で思い切ってボディを削っちゃう様な勇者も居そうだが、本人談に依れば自加工前より音色が劣化したんだそうな。
完成品になってる物から削るより足りないのを足したり強化する方が技術的にも楽だし、当初は仮設としとけば駄目だったら元に戻せば良いだけだからね。

それからすると現代的な高機能なヤツはこの手のネタには不適格で、知恵無しでの追設は不可能でも古典的でシンプルなの程発展性は高い。
そんなん語っといて実際俺は殆どは調整しかして無いけど、手持ちYAMAHA FPとか従兄所持のTAMAので「擬似ロングボード」実験ってのはやったことがある。

それはフットボードヒール部を固定させる為に本体と連結してる嵌め込み式の鉄棒を、本体側から敢えて不安定になるが一時的に外すってのだ。
これは従兄がご執心のヤヤンクちゃんの擬似体験を狙ったもので、もし好結果ならその連結棒部分だけを新規に捏造!?してやろうって魂胆だった。

結局現時点では作製要望は出て無いが無償のプチ体験としては一応アリで、もし立派なアンダープレート付きのだったら邪道だがこんな芸当は即座に簡単にとは行かなかっただろう。
素手で分解可能な構造のだったら取敢えず一寸だけ試したい時、簡単だし楽だしで例え不完全でも様子見位はもう思い立ったその場で試せるんですよね。

<つづく>

2020年5月13日 (水)

音楽備忘録280 バスドラペダルとフレージング25

Drummerは副業でも昔からバスドラは猛ヲタで、その中でもかつては専門!?だったパワー案件を今日のお題にしよう。
当然の如くペダルの古典系・現代系とも絡めて行くが、ペダルの風貌のせいでどうしても古典系が非力に見えてる人も多いだろう。

既に正規の踏み方を会得済みじゃ無けりゃ少し試した程度では分からないが、体験からすると例えばSpeedkingは全く底知れぬ感じなのだ。
他の現代系ペダルだったら大体これが最大だなってのは直に掴めたんだが、もしかしたらSpeedkingでは未だに出せる最大迄到達出来てないかも知れない。

俺自身も知ってる分野以外では凡人そのものなので、見た目から購入当初はパワーは全く期待して無かった。
尤も元々足は強いが手は弱かったのもあって、モアパワーの要望が無かったのもあっただろう。

実際使用開始から1年間程はピークは未だしもアベレージ音量は低下してたが、力では言う事を訊いてくれないペダルなのが分り出してからは情勢が逆転した。
それでも暫くの間は「何か今無造作にしてたら一寸大きかったかな」と思っても、音色のせいもあって録音してみる迄は半信半疑だった。

ペダルだけじゃ無くドラムセット自体も古典的薄胴タイプのは、印象だけだと良く言やけたたましく無い悪く言や非力に感じられる。
特に叩いてる本人にはそう感じられるが、いざ録ってみたり遠くから聴いてみると正反対な事が多い。

これはSpeedkingがある程度手に負え出してから従兄の処へ自慢しにお邪魔してハッキリしたが、この件にはおあつらえ向きな事に彼の処のセットは厚胴及び一部深胴のでペダル共々現代系のだったのだ。
そこで普段自宅で演ってるままに叩いた処、無駄な爆音になって驚くやら草臥れるやら。

当初は部屋の残響が正反対なせいと思ってたが、その後毎週通い出して1年位経過する迄俺の耳は慣れられなかった。
ってより必要性が無い限りセーブする様に自然となってったみたいだが、どうやら自宅での練習の仕方がこんなのを引き起こしてたらしい。

ペダルがSpeedkingになるよりかなり前から、ドラムセットはレインフォースメント仕様のLudwigとなっていた。
このセットで良い音色が出る様にしようとすると、少なくともRock系では手抜きせず「ちゃんと叩かないと」駄目だった。

これはどんなセットでだって本来は共通事項なんだが、現代系厚深胴のになる程「ボロが出難くなる」のは確かだ。
手抜きで音量は落ちても音色はそんなに変わらなくて、単独演奏時だと殆ど気にならない。

これは後に今も休業中の別の仲間と3人で合奏する様になったらひっくり返っちまったが、従兄が単独演奏してる音は当時病み上がりなのにこんな音が出せるとは流石は先生だなんて思ってたもんだ。
実際叩き方の上手下手でかなり音色にも差は付くもんだが、それだって最低限音量が足りてて初めて有効化するのだ。

ペダルでもセット新旧の違いと同傾向で、誤魔化しが許されない点で古典系は厳しいとは言える。
が、どうせ本番が無忖度爆音楽隊なんだったら正直な方が却って親切なのである。

特にこれが真面目で練習熱心な人には影響大で、散々個人で温めといたのが無駄になる心配を排除出来るのだ。
敢えて音響の専門家として偉そうに!?指摘させといて頂くが聴力が健常であれば、Rock系等のドラムセットの至近音量はマトモな音量判定は人には不可能な領域だ。

でも達人達は現場で音を出し乍らバランスを取れるのはどうしてかってば、近い大きさのと「比べる」事は出来るからだ。
もっと原点的に言えば例えばDrummerとBassistが人も楽器も隣合わせに並んでて、バスドラとBassを同時に鳴らした時どっちかが小さいとか聴こえないとか…。

これがコロナ禍が無くったって日本じゃ環境等的に体験頻度を多くは持てないのと、過剰PA依存のお陰で極めて不利な条件下に置かれている。
今時生より練習環境を得易い電子ドラムがあるってのにわざわざ生で行くのなら、独りで演ったら凄い音・皆と演ったら聴こえなかったなんてんじゃ悲しいよね。

<つづく>

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