音楽備忘録2278 杜撰大王の怪しい作曲法㉝
自分以外からのインスパイアは何も即興だけじゃないが、最大の相違はこっち次第で相手も逐次変化してく処だ。
この辺がどんなに工夫しても個人レベルの苦しい部分で、勿論それでも手前味噌の独り擬似Bandみたいな工夫は欠かせない。
尤も杜撰大王の擬似Bandは演奏訓練の為だけで、後は編曲に少しプラスになるかどうかだ。
即興演奏自体の訓練なら相手が固定でも何にでも合わせようとすりゃOKだが、相乗効果ってのがリアルセッションじゃないと得られない。(こっちの出方次第で相手も逐次変化する)
但し作曲の足し目的だったらほぼテクも要らないし、合奏相手の腕もほぼ不問で構わない。
確かに作編曲力に長けた相手の方が色々刺激を多く頂戴するだろうけど、基本的なフレーズの意外な展開や変遷には寧ろ下手にテクなんか無い方が適してるかも知んない。
ってのもなまじ色んな技を知ってると、フレーズ基本ラインは変えずに小技で幾らでも感じが変えられるからだ。
無論それだって勉強になるには違いないが、それだと主に貢献するのは演奏力になっちまう。
この辺が紛らわしいのは例えばドミソの次がド・ミ・ソの何れかであれば通常コードやその進行を大胆に変えなくても行けるが、それ以外の音を選んだ場合従前のコードや進行では合わなくなる場合が出て来る。
そうなって来っと単なる次の音では無くなるから、装飾やバリエーション以外の意味を持つ様になる。
ので曲調を左右する音となっててそうでない5音,6音より、たった1音でも大きな責務を担う事となるんだ。
言うなれば筋肉や脂肪の量より骨の長さってなもんで、仮にマッチョでノッポには見えなかったとしても鴨居におでこをぶつかぶたないかの差となって表れるん。
そうは言うてもコロナ禍+悪政のお陰でリアルで他人とのコラボ機会は減少気味だから、中々難しい処ではあろう。
けれどコラボれる機会が訪れたらみすみす逃す手は無く、未経験或は体験不充分でメリットが良くは分からないからって軽視しちゃいかんぜよ。
結局の処「人が演る音楽」には人間界特有の性質がそのまま出るもんで、人間関係から得た感覚が最後は物を言うんだ。
但し一般人間関係と音楽で異なるのが、一般論でのコミュ障がそんなに障壁にならない処。
なまじ一般論でのコミュ力が高いとすぐに迎合したりとか、相手の意見を否定したくないが為に持論を曲げたりする事もある。
他愛もない不特定多数との会話ならそれは好ましいも、音楽ではマイナスに作用する方が多いから欠点になるだよ。
最上位の腕を持つ職人は朴訥とした人の方が多いみたいに、会話その他で上手く繋がれなくても音で共感が得られりゃ良いんだ。
のでⅡで極端な話し鼻歌の掛け合い程度のコラボでも構わなく、楽器が弾けるか弾けたら腕がどうかすら関係ねんですよ。
それに相手に上手下手の拘りが無かったり自身のレベルに釣り合いそうな人に申し出りゃ良い訳で、但し目的が目的なだけにこっちは上手下手不問かそれに近いスタンスで臨まないといけない。
又そんな覚悟を決めて望めば演奏自体はド下手でも、少し良いメロ・フレーズを相手が投げて来た際にそれを逃し難くなる。
それが妙なもんで人次第で差異は出るが期待して無い相手が出したプチ良いのなら肯定する癖に、何故か期待値が高いとついその程度かよなんて感じちゃったりするもんだ。
んがこの手の言うなればサンプル採集では、感情は置いといて客観的に集めないと取れ高が悪いのだ。
-続く-





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