ペダル

2020年5月14日 (木)

音楽備忘録281 バスドラペダルとフレージング26

大分長く続いたんでそろそろ本項は一旦閉めようと思うけど、原典体験が有益且つ重要なのはドラムに限らない。
尤も現代ではPAその他の「補助機器」の発展・普及で知らなくたって音楽出来なくはならないが、それならそれでやり方を再考するのがお勧めだ。

打込みや電子楽器を利用すれば人力・天然だけでは不可能なのが色々演れるので、例えばバスドラにトリガーを常用する位ならわざわざ生のセットに固執するのは最早時代遅れだ。
ってのも生+トリガーで「出来る事」は既にかなり出尽くしてるから、もし今から始めて追付く頃には「懐かしいもの」になってるだろうからね。

単純にそれが好きなだけで周囲の評価を無視出来るならご自由にだけど、例えどんなに上達出来ても貴方が初めて触れた時の様なインパクトを他人は決して感じてくれない。
特別に興味を持ち続けてる人以外には、時間の経過やオリジナルじゃ無い事の影響は大きいもんだ。

俺が古典ペダルで新技開発に繋がったのは千載一遇の偶然でしか無かったが、僅かな色気はあったもののそれが目的でなった訳じゃありませぬ。
単に自分の求めるスタイルを追及しようとしただけで、ある意味ホントは残念だけど「自分の齢」を受け入れたからだ。

本邦では未だにベテラン達人の一部に所謂「齢甲斐の無い」真似をするみっともないのが居るが、それを見てああにだけはなりたくないと思ったのが本音だ。
その何が駄目って道具や新風貌が演ってる音楽とミスマッチだったからで、採り入れ方の勘違いの典型なのだ。

ブームはとうの昔に過ぎてジリ貧の辛苦を舐めた挙句なんだろうが、「不人気でも残ってた良さ」をスポイルしては本末転倒じゃないですか。
Rock系も歴史が積み重なって新しくは無くなった以上、以前よりどれだけ「それらしく」出来るかが鍵を握ってると思っている。

それへ「三つ子の魂百まで」を加味して考察すると、世代や時期を否定するのは決して利口じゃ無いのは気付けるだろうか。
例えば今聴いても素晴らしい過去作は幾らでもあるが、出た当時の衝撃はその時に既に生まれてた人にしか体感は持てない。

とすればそれは世代特有の武器でもあり、例え新規開発するにしてもその「感覚」を活用しない手は無いのだ。
ベテラン或は新鮮味は失せた者・物が何らかの新規を企てられるとしたらその源はコレしか無く、換言すれば「世間視点の新旧を下手に気にし過ぎない」のがコツであろう。

僭越だが一応体験者として提言させて貰っとくと、ネタとなり得るのは音楽でもその道具でもシンプルなのが決め手だ。
既に色々加えられてる物だとそれに依る制約が大きくなってて、それの除去作業をする位ならそれ自体の「元ネタ」へアクセスした方が手っ取り早い。

今回はその中でお題に従ってペダルのみに絞っとくが、付加機能等の多い物程この目的には合致しない。
これには物理的に以下の様な問題が考えられ、多機能を搭載する為の土台に不要部分が発生する可能性があるからだ。

中にはEdward Van Halenなんかみたいに自分で思い切ってボディを削っちゃう様な勇者も居そうだが、本人談に依れば自加工前より音色が劣化したんだそうな。
完成品になってる物から削るより足りないのを足したり強化する方が技術的にも楽だし、当初は仮設としとけば駄目だったら元に戻せば良いだけだからね。

それからすると現代的な高機能なヤツはこの手のネタには不適格で、知恵無しでの追設は不可能でも古典的でシンプルなの程発展性は高い。
そんなん語っといて実際俺は殆どは調整しかして無いけど、手持ちYAMAHA FPとか従兄所持のTAMAので「擬似ロングボード」実験ってのはやったことがある。

それはフットボードヒール部を固定させる為に本体と連結してる嵌め込み式の鉄棒を、本体側から敢えて不安定になるが一時的に外すってのだ。
これは従兄がご執心のヤヤンクちゃんの擬似体験を狙ったもので、もし好結果ならその連結棒部分だけを新規に捏造!?してやろうって魂胆だった。

結局現時点では作製要望は出て無いが無償のプチ体験としては一応アリで、もし立派なアンダープレート付きのだったら邪道だがこんな芸当は即座に簡単にとは行かなかっただろう。
素手で分解可能な構造のだったら取敢えず一寸だけ試したい時、簡単だし楽だしで例え不完全でも様子見位はもう思い立ったその場で試せるんですよね。

<つづく>

2020年5月13日 (水)

音楽備忘録280 バスドラペダルとフレージング25

Drummerは副業でも昔からバスドラは猛ヲタで、その中でもかつては専門!?だったパワー案件を今日のお題にしよう。
当然の如くペダルの古典系・現代系とも絡めて行くが、ペダルの風貌のせいでどうしても古典系が非力に見えてる人も多いだろう。

既に正規の踏み方を会得済みじゃ無けりゃ少し試した程度では分からないが、体験からすると例えばSpeedkingは全く底知れぬ感じなのだ。
他の現代系ペダルだったら大体これが最大だなってのは直に掴めたんだが、もしかしたらSpeedkingでは未だに出せる最大迄到達出来てないかも知れない。

俺自身も知ってる分野以外では凡人そのものなので、見た目から購入当初はパワーは全く期待して無かった。
尤も元々足は強いが手は弱かったのもあって、モアパワーの要望が無かったのもあっただろう。

実際使用開始から1年間程はピークは未だしもアベレージ音量は低下してたが、力では言う事を訊いてくれないペダルなのが分り出してからは情勢が逆転した。
それでも暫くの間は「何か今無造作にしてたら一寸大きかったかな」と思っても、音色のせいもあって録音してみる迄は半信半疑だった。

ペダルだけじゃ無くドラムセット自体も古典的薄胴タイプのは、印象だけだと良く言やけたたましく無い悪く言や非力に感じられる。
特に叩いてる本人にはそう感じられるが、いざ録ってみたり遠くから聴いてみると正反対な事が多い。

これはSpeedkingがある程度手に負え出してから従兄の処へ自慢しにお邪魔してハッキリしたが、この件にはおあつらえ向きな事に彼の処のセットは厚胴及び一部深胴のでペダル共々現代系のだったのだ。
そこで普段自宅で演ってるままに叩いた処、無駄な爆音になって驚くやら草臥れるやら。

当初は部屋の残響が正反対なせいと思ってたが、その後毎週通い出して1年位経過する迄俺の耳は慣れられなかった。
ってより必要性が無い限りセーブする様に自然となってったみたいだが、どうやら自宅での練習の仕方がこんなのを引き起こしてたらしい。

ペダルがSpeedkingになるよりかなり前から、ドラムセットはレインフォースメント仕様のLudwigとなっていた。
このセットで良い音色が出る様にしようとすると、少なくともRock系では手抜きせず「ちゃんと叩かないと」駄目だった。

これはどんなセットでだって本来は共通事項なんだが、現代系厚深胴のになる程「ボロが出難くなる」のは確かだ。
手抜きで音量は落ちても音色はそんなに変わらなくて、単独演奏時だと殆ど気にならない。

これは後に今も休業中の別の仲間と3人で合奏する様になったらひっくり返っちまったが、従兄が単独演奏してる音は当時病み上がりなのにこんな音が出せるとは流石は先生だなんて思ってたもんだ。
実際叩き方の上手下手でかなり音色にも差は付くもんだが、それだって最低限音量が足りてて初めて有効化するのだ。

ペダルでもセット新旧の違いと同傾向で、誤魔化しが許されない点で古典系は厳しいとは言える。
が、どうせ本番が無忖度爆音楽隊なんだったら正直な方が却って親切なのである。

特にこれが真面目で練習熱心な人には影響大で、散々個人で温めといたのが無駄になる心配を排除出来るのだ。
敢えて音響の専門家として偉そうに!?指摘させといて頂くが聴力が健常であれば、Rock系等のドラムセットの至近音量はマトモな音量判定は人には不可能な領域だ。

でも達人達は現場で音を出し乍らバランスを取れるのはどうしてかってば、近い大きさのと「比べる」事は出来るからだ。
もっと原点的に言えば例えばDrummerとBassistが人も楽器も隣合わせに並んでて、バスドラとBassを同時に鳴らした時どっちかが小さいとか聴こえないとか…。

これがコロナ禍が無くったって日本じゃ環境等的に体験頻度を多くは持てないのと、過剰PA依存のお陰で極めて不利な条件下に置かれている。
今時生より練習環境を得易い電子ドラムがあるってのにわざわざ生で行くのなら、独りで演ったら凄い音・皆と演ったら聴こえなかったなんてんじゃ悲しいよね。

<つづく>

2020年5月12日 (火)

音楽備忘録279 バスドラペダルとフレージング24

今回は「ペダルが足に追付かない」なんてエキセントリックなのを掲げてスタートするが、普通は手だって足だって奏者の方が追付かなくなってるが…。
俺自身にしても手は基本的に全部😓・足だって殆どは何時も人の方が後れを取ってるが、Speedkingだと割と普通に出来るのが現代系ペダルだとそう行ってくれないのが1つ見つかったんだ。

それは俺言い「1足3連」(詳細は過去記事参照願)ってのとか、足首→脚の連続Doubleを演ろうとした際だ。
その主因を探るとビータ戻りの速さも少しはありそうだが、兎に角フットボードに爪先がヒットしてから音の出るのが遅過ぎだったからの様だ。

極端表現すると3連続だし速さも出そうとしてるんで、爪先が当たったらそれで音が鳴るより先にもう次を鳴らす準備態勢へ向かう様な足・脚動作をさせてる感じ。
でこれがSpeedkingなら爪先の接触感がOKなら想定通りに音が出てくれるのに、現代系では最悪時は足は3つつっ突いてるのに何と音はたったの1つしかなんて悲劇に見舞われるのである。

これの連打間隔を提示しとくと俺現状では、テンポは160位迄で4拍子系の6連符の半分分と云った処。
勿論バネ強もバネ凶だろうがこんな短時間になって来ると、どうも可動部全体の質量過大が不味いみたいなのだ。

重いとその分力が要るのもご苦労さんだが、これはまだ馬鹿力でも発揮させりゃちったあ補えるだろう。
どんな怪力でも通用しないのは「動き始める迄」の時間と、所謂「初速」の遅さと加速度の小ささだ。

例の如く交通系ので比喩してくが状況設定は、ヨーイドンでバスと人間で競争するとする。
スタート直後はどんな鈍足でも恐らく大抵何歩目か迄は人の方が先行して、その後はバスの圧勝となるだろう。

これで言えばこの奏法は「初めの一歩」で鳴らす仕組みなので、そこが速められなければ救いは無いのである。
しかも困るのはこっちがペダル君に最大忖度して速度を落そうもんなら、勢いに依るパワーが低下して足りるだけ鳴らせなくなっちまうからたちが悪い。

とは言えこんなフレーズは俺知りでは世界でもせいぜい10人位しか使ってないみたいだから何だが、鳴らせはしたとしてもこれより遅くて間に合うフレーズでも労力に差があるのは間違い無いと考えられる。
では足首→脚の連続Doubleの方ではってぇと、こっちはバネ凶の影響の方が大きい。

がそれ以上に響くのが「どれだけフットボードの奥で踏めるか」で、半分位はイメージだけにせよ「カカトで踏もうとする」からだ。
非連続であれば爪先がフットボードの後ろヒンジより前で踏めればOKなんで、フットボードの長さや使える範囲は大した問題とならない。

のが長く継続させたけりゃカカトもヒンジ前に入れられないと困難で、概述の俺言い「お邪魔プーリー仕様」なんかだとロングボードでも使える範囲が限定されてて無理だったりする。
これが平気だったとしてもロングボードでは踏み位置に依る負荷差が大きくなるので、バネが余程弱められないとやはり継続困難に至ってしまう。

これ等からすると現代系ペダルは古典必要最低限系のより、少なくともDoubleは演り難い物との答えになる。
ここで皆さんに問いたいのは「Single Stroke専用バチ」ってあるのかよで、あたかもペダルではそれが現代は許されてる様なもんじゃないかと。

俺は現代ペダルの方が悪癖を持ってるんだと吠え続けてるのは、こう云うのが原因なのだ。
今時はそんなに誰もがあらゆる奏法を駆使しようとはしてないみたいだから、大変気付き難いだろうがこれが真実だ。

「なるべく早期に皆さんSpeedking体験を」と連呼してるのはこれもあるからで、理想としては最初に踏むのがSpeedkingであると好ましい。
概述かも分からなくなっちゃってるけど実は筆者、生まれて初めてマトモにドラムセットを弄らせて貰った時のペダルが全くの偶然だがSpeedkingだった。

その後40年以上もずっとご無沙汰続きで意識としての記憶は無くなってたが、もしかしたらこの体験が三つ子の魂百迄となって何処かに残ってたのかも知れない。
この体験は従兄と共通の友人宅での事で当然従兄も同伴してたが、当時従兄はVocalistでまだ太鼓への興味は芽生えて無かったので殆ど触れていなかった。

もしタイムマシンが使えたらこの時へ戻って、無理矢理にでも従兄にSpeedkingを踏ませてみたい。
従兄とは従兄って位だから体の¼は「同じ部品」で出来てる訳で、得手不得手等の個人差があるにしても達人級でそこ迄Speedkingに違和感を覚えたって方が俺にはよっぽど違和感があるからだ。

最近は益々偏向報道も酷くなってるが、後で困るのは騙された方なのだ。
偏向現代ペダルでは足技育成に不具合が出ると思われるが、それをペダルメーカは一切補償なんてしてくないんだよ。

<つづく>

2020年5月11日 (月)

音楽備忘録278 バスドラペダルとフレージング23

前回提示した「古典ペダルに挑戦せよ」には他意もあって、これは今迄はどうも駄目だったからの前提も含めてみている。
何の事は無い現代一般環境から、一歩だけ踏み込ませてみただけの事だ。

俺はグズグズしてるのは好きじゃ無いからか単細胞だからか、従前はずっと効果の片鱗がすぐに見えない物には興味が無かった。
しかし従兄に依れば特にドラムでパワーやスピードを求める場合、急がず気長に構えないと他のより上手く行かないんだそうだ。

それがこんな俺でも実感出来る様になったのは極最近だが😓、出来ない内は全く想像が付かない様な処から出来る様になるからなのかも知れない。
体質次第で変わる可能性も大だが私体験では、速度を意識してたら何故か何時の間にかパワフルになってた等逆が結構多かった。

Speedking使用開始当初は実例があるにも拘らずパワーには期待してなくて、やはり現代比だと華奢なのがその理由だ。
何しろ体格も腕も本家達人には相当劣ってるんだから半ば当然の覚悟でもあるが、買ってすぐに壊したくないなんてのも正直あった。

それでいて色々捏ね繰り回した結果かから見えたのは、今更下らん話しだが楽器演奏と土木工事は別物でしたってな按配だ。
土木の方だって達人は最小の労力で最大の仕事を達成してるが、それ以上にこっちはホントに「コントロール命の世界」なんだなあと感じさせられた。

体験的に古典ペダルでパワーもスピードも一番上手く行ってしまったのは完全無意識の時で、全く予定も
無かったのに何となくサッと踏んじまった様な時だった。
ペダルで気付いてそれを手の方でも注意してみたらやはり一緒で、達人になる程何処の世界でも基礎練を重視するのはコレかぁなんて勝手に納得している。

尤もよくよく色々観察してみればよよかちゃんみたいな子供でもドラムでなら並み居る屈強な大人より爆音が出せてて、それからすると鍵を握ってるのはある意味すばしっこさらしい。
ここで速さと表現しなかったのはその質に条件があるみたいだからで、どんなに速くても速度の為以外の力が入ってたら駄目なのである。

それからすれば勢いだけ凄くて大人よりは大抵非力な子供の方が向いていて、体の軽さを補って余りあると考えられる。
重い程動かすのに力が要るし、どんな怪力でもどうしたって動き始めは軽いのよりは遅めになる。

但し一度動き出すと慣性モーメントが大きいので、どんどん加速して行き易い。
何れにしても簡単に動かせればそもそも力は少なくて済むし、そうじゃ無い方だとその代り今度は止めるのも大変な位となっている。

これらを総合するとどんな体の持ち主だろうと、必要最低限の力しか込めないのが瞬速には相応しい様だ。
これに対して道具側で重要となるのが動かす為のパワーの程度で、極力「自分の体を動かすだけ」以上の力が要求されぬ事であろう。

この条件を満たすにはバネ強さ・可動部の重量等が小さいのが先ず向いてるが、その他にも与えた力と勢いをそのままの形で皮をぶつ所迄伝えてくれるかどうかだ。
手の方ならバチは手で直に持ってるからその反応は手応えとして伝わって来るが、バスドラペダルの場合はビータと足の間にメカが介在している。

ここで余計なお世話を焼いてくれると、例えば初めの内は踏んだのよりパワフルで快適なんて思うかも知れない。
しかしそれでは反応がリニアじゃ無いから、何時まで経ったって「正しい足加減」ってのを知る事すら出来ないのだ。

せめて手の方も同じタイプのペダルでも使って叩いてるんなら良いが、手は分かり易過ぎで足は分かり難過ぎじゃシュール過ぎやしませんかねえ。
古典ペダルを体との一体感がみたいに語られてるのは多分この事で、素手でだったら自分で動かせる限りはそのフレーズって全部出来るんだからさ。

<つづく>

2020年5月10日 (日)

音楽備忘録277 バスドラペダルとフレージング22

もし俺がヴィジュアル系を目指したかったりしたらってそう云うニーズは偶然生じなかったけど、チビなのにゴツくて…だから今よりもっと苦しい事になってただろう。
でも殆どのケースって希望と理想は先ず一致してくれないし、どっちかってば正反対な位のが多かったりするよね。

これが商業的に成立させようってんなら無理な注文で即終了だけど、私的な趣味に留める場合に却って微妙な状況を生んじまったりするもんだ。
上手く行かなさそうでも体感したいとかそう云うのだったら絶対否定すべきじゃないけれど、上手く演れ無さ過ぎて全く楽しめなくてはそれも困る。

なのでプロじゃ無くたって工夫は必須で、でももし独自の秘策でも思い浮かんだらそれ自体も大いに楽しみの1つとなる。
そこで今回から「向いて無いけど何とかしたい」へ焦点を当ててくとするが、それにはやはり機材や奏法の選択は大変重要となって来る。

一参考例として俺のSpeedking使用前・使用後に出た相違を述べとくと、それ迄出来なかった思い付きもしなかった技が可能になったのは概述の如くだ。
がそれだけじゃなく嫌いなタイプの現代ペダル使用時にも結構な相違が出てて、無論ペダル違いに対する慣れは少し要ったがSpeedking使用時よりは大部落ちるも使える技がかなり増えてたのだ。

それからすればSpeedkingは随分第一印象の悪いペダルとも言え、古典ペダル未体験だとその期間も相当長く感じられてしまうらしい。
今はほぼ手放しで絶賛してるがここに至る迄は遠い道のりで、この方面ではヲタの俺を持ってして凡そ3年位掛っている。

生来の相性もありはするだろうが歴史的観点に立って分析すると、それでもSpeedkingかPremier 250系統のどちらかが大抵誰でも許容範囲に収まる筈だ。
この2つが特に現代ペダルと違うのは全てが「軽い」処で、恐らく必要最低限の抵抗勢力となってると思われる。

先ずバネが強過ぎたら腰・膝より非力な足首で踏む気が萎えるが、それにはどうしたら無理無くバネを弱められるかも影響して来る。
足が離れた状態でビータがペダルのニュートラルポジション迄戻せない程弱くは通常出来ず、それは主に可動部の重量に支配されている。

丈夫な程安心で良いには違いないがでは例えばエレキGuitarの1弦は、全力で引っ張っても絶対切れない程丈夫なのかだ。
それも演奏時のやり方と比較してでは無く、両手の全部の指を掛けても良いし軍手か何かを嵌めても良いとしてだ。

なんて試した事無いからどうなるか知らんとは無責任な話しだが、Bassの最低音の弦ですら登山用のザイルみたいに頑強な訳じゃ無いよね。
それがどうもイメージ先行でドラムのだけ変なドーピング信仰みたいになっちゃって、何でも演れるより先ず頑強みたいな悪い病が氾濫しちまった。

これとは逆にエレキ弦楽器の方では弦をどんどん細くしたり弦高をやたらと下げて、こんなに速く沢山弾けてどうだ凄いだろうって商業主義オリンピックやってどうすんのってね。
歪ませを無暗に深くするのなんかも稚拙さでは同様で、弾き損じて弱くなっても足りるだけ歪んでくれっから楽だなんて…。

これってどっちも「それしか演らない」「そっちしか気にしない」ならそれでアリに思えるだろうけど、潜在意識が植え付けられてない人が聴けばそれ以外も気にされるんだからさ。
そこで敢えて世に問いたいのがJohn Bonhamより強い爆音が出せる人教えてで、同じ位の人なら居ても誰が聴いても明らかに上回ってる人は居ないと思うんだけどねえ。

でそんなのへ初めて到達した人達は当然てば当然だけど、現代比だと遥かに軟弱な機材で皆それを達成してたんだよね。
専用じゃ無いし特化してないからそこ迄持ってくのは中々大変だけど、道具に色が無いって事ぁそれって全て「奏者の色」だったって事なんだけどどうすかねぇ。

故に古典ペダルは根気の要る事おびただしいのが現世相にはマッチしないけど、私的には最低5年は継続挑戦してからダメ出して頂きたい。
しかも得手不得手無関係に何でも試してみて貰って、けどその代りそれにある程度慣れて来たら必ず奏法が増えてたりするの請合いですから。

<つづく>

2020年5月 9日 (土)

音楽備忘録276 バスドラペダルとフレージング21

一旦火が付くと消え難い燃料ってんでも無いだろうが、重心話しの続きで又もやスローン話しの再登場だ。
けど流石にしつこ過ぎて嫌われたくは無いから、どうやって適正を確かめるかについてからとしよう。

最近みたいにドラムスローンの居住性だけが良くなって来ると、座り心地の良さに負けて昔みたいな適正判定は著しく困難化したと感じている。
そこで先ず演奏姿勢面(主に体の重心)と掛け心地を分けて確認するのがお勧めで、前者の方は思い切ってスローンとは「全然別の物」で試してみるのだ。

尤も別物ではそう都合良く高さが合ってはくれないから工夫が要るが、基本条件としては座ってられる限りでなるべくクッション性の無いのが宜しい。
且つ座面が広過ぎ無いのも重要で、真に腰だけが掛る状態を作れる様な物だ。

クッション性については概述従兄宅の快適過ぎてのの類で、弾力あり過ぎで尻が弾かれては位置が随時ズレちまったりするから駄目。
座面については腿も少し支えてしまったり、極端に上体を後ろのめりの猫背にしても尾骶骨周辺が支えられちゃったり出来ちゃうから駄目なのだ。

んじゃ背もたれ付きのスローンってあるけどもたれちゃいけないのってば、スローンの背もたれの高さにご注目下され。
少なくともヘッドレスト迄付いてる様な高いのって確か無かったよねえ、スローンでは演奏中はもたれるってより「腰の後ろへのずり落ち防止ストッパー」と思っといてくんなはれ。

それは兎も角今のお題は確認試験であるから、もたれられなくても平気な姿勢とか座り位置・高さを探したいのよ。
理想イメージとしたら近年電車の駅の腰が浅く乗せるしか出来ないベンチとか、公園の入り口とかで乗り物の侵入防止に立ってる角が曲げられた鉄パイプみたいなのが良いねえ。

そうは言っても屋外じゃ何かと不便だし今はコロナで無理だから、パイプ製の折り畳み式とか丸イスやダイニングのイス等へ適宣何か積み増し等して試してみるのだ。
他に問題点が皆無なら単にこれをスローンと交換しても良いがセッティングやペダル調整が誤った方向へ偏寄してる可能性もあるので、初期時点ではエアー状態の方が却って良いかも知れない。

それで各自のベストポジションが見つかったら、それからセッティングやペダルの再調整に初めて入れるって寸法だ。
ドラムセットの功罪として他楽器より自由度が高いのがあると思ってるが、Pianoだと楽器側は奏者の体格等へ合せられる調整箇所なんて無い。

これだけだと不親切とか威張った楽器となってしまうがそうとも限らず、誤って鍵盤のサイズを変にしたりする心配からは開放されている。
ある程度以上の歴史のある楽器は、その間にあらゆる人が演奏した実績からの改良がなされている。

すると人間は個体差がとても大きい方なので所詮は最大公約数的になっちまってるが、これだけは困るとか駄目なのは絶対にそうならない様には既にしてあるのだ。
この点自由度の高い楽器はその分もっと「こっちで何とかする」必要が増えてて、独学主義でもセットドラマーを目指すなら本件だけ従兄みたいな信用のおける人に手伝って貰うのもより安心だ。

今の世の中義務教育がある以上、どんなに独学と言っても大昔みたいな完全なのは望めない。
機材の取説を読めるのも読むのを習わされてたからで、相手がニュートラルなのさえ確認出来れば誰から幾ら訊いたってこっちの個性は阻害されない。

音楽ってのはどんな非合理な手段を使おうと不適切な奏で方をしようと、それ自体が成立してれば何でもアリではある。
なので現代本邦の主流手法がどんなに問題だらけでも、それ自体は否定出来ないし批難する気は毛頭無い。

けれど難聴を促進したり腱鞘炎等になったり、そう云う危険を孕んだ部分は決して看過出来ないのだ。
海外比だと日本は音楽以外の何か別のを本業にすると、余暇が極度に少なくて演り続けるのがとても困難だ。

その為長期間継続してコンスタントに活動してる一般人は少ないし、低頻度なお蔭でホントはヤバイのに辛うじて難を逃れてると考えられるケースが非常に多い。
世情的環境面の悪影響で投げ出さざるを得なかった仲間も気になるが、それ以上にお楽しみで健康を害しては悲劇だしそれは生活全般に波及するから深刻なのだ。

<つづく>

2020年5月 8日 (金)

音楽備忘録275 バスドラペダルとフレージング20

ここへ来て今更の「重心話し」の再燃になるが、何でもやろうとする程それに依る踏み方やその楽さには密接な関係があるでし
なので普段の頻度がどうだろうとやはり四肢は、使いたくなったら何時でも使える体制が必要ですわ。(自戒を込めて…😓)

これの今のテーマとの接点が踏み易さにあってもし座り方や姿勢に問題が残ったままだったら、今平気でもきっと将来あまり役立たない踏み方になる公算大なのだ。
俺の場合は何とかしてSpeedkingを足・脚懐け様としてと一寸邪道なスタートだったけど、知り得る物は全て一応は試してみたのが良かったらしい。

とは言えあらゆる状況を日常的に体験してはいないので、まだ分かったってだけでそんなに成功率は高く無い。
齢取っちゃって尻火事状態だから先進みするにはどの道必須だが、従前より無益な練習を排除出来たのは確かだ。

俺は元々はその時試して楽と感じたから低く遠く座ってて、脚にも常時上体重量の分散荷重が掛ってる状態だった。
要は腰と両足の3点で支える事になるから、慣れも何の意識も無くても姿勢が保持出来たって寸法だ。

但しホントにそうなってたのは「何もして無い」時だけで、実際には支えに使ってる脚を動かせば支えが減っていた事になる。
多分このせいで両足共動かすのに抵抗感があったんだろうが、脚動作が上体の不要姿勢変化をさせるのでこの点でも問題があっただろう。

具体的には正しいリズムは分かってて他楽器ではそれを実現出来てたのに、ドラムだと慣れや感覚掌握不足でそれが上手く行って無いのかと思ったりもしていた。
後になって検証すると常に同じ様な意識とのズレがあったなら慣れのせいかもだが、フレーズやパターン次第では全く無事な箇所もあった。

今になって総合判断すると当時までのは、ゴリ脚の筋力に頼って理論的には不適切な姿勢で演奏してた様だ。
その後近年になってから手の都合で従兄からスローン高さを上げてみるのを進言されて試したが、実際には演奏全体と脚の方への改善の方が大きかったと目的に対しては微妙な結果となっている。

その割と直後にSpeedkingと遭遇して色々捏ね繰り回してみたところ、手にとっても脚にとっても姿勢はニュートラルなのが最善と知った。
フレーズや奏法次第で前のめり或は反り返り気味な方が楽に感じるのも多いが、終始一貫ずっとそれでは色々と制約が出来てしまう。

特に姿勢が真逆のが好都合な奏法へ瞬時に切替えたくなったりすると、姿勢変更が間に合わなかったりその変更=変動のせいでリズムに乱れを生じたりするから不便だ。
そんな経緯もあったから今更の爆弾発言になりそうだが、実はSpeedkingを通じて学べる迄はバネの強さには無頓着だったし幾ら強くても全然苦になってなかった。

ここで姿勢に関して改めて考察しとくが、セットドラムの演奏では通常は横より後ろを踏んだり叩いたりする事は無い。
それからすれば奏者の重心は後ろ寄り以外はセーフになりそうな気がするが、激しく叩いたり踏んだりした時に後ろへ落ちなきゃ良いだろうとね。

しかし叩いたり踏んだり特にそれを大きく強くしようとした場合は、鳴らす前に先ずバチや脚を盛大に持ち上げなくてはならない。
姿勢の不適切があると一番不都合なのはこんな鳴らす寸前の瞬間で、これから前方へ重さを掛けたいのに後ろへ重心を引っ張っていないと手足が持ち上げられんとな。

んでもしそうなっちゃってたら大抵は体重を乗せるのが鳴らす瞬間には間に合わなくって、力を使った割には強い音が出せない。
し自然と体重が乗ってはくれないってのは、その後は今度は又自力で意識的に姿勢も戻さなきゃなんないのを意味してる訳だ。

そんな事っちゃ余程単純で間がスカスカなパターンしか叩かないならまだ良いが、その場の思い付きで何か足したり引いたりしようと思ったらもうぐちゃぐちゃになって不便極まりない。
故にフレーズ的にも演り難いのが多く出て来てるから、昔の俺は本当に演りたい様に出来てたかも疑わしいのである。

どうやら楽器がセットになってると、演奏する側の姿勢や何やらももっとセットで考えとかないと駄目って事らしい。
人情的には問題になる弱点を補う為に余裕のある得意は多少犠牲にしてもなんて思いがちだが、相手はそう云う思想は一切受付ちゃくれんのね。

<つづく>

2020年5月 7日 (木)

音楽備忘録274 バスドラペダルとフレージング19

前回演奏にも使う脚で拍子を取る件が出て来たので、今回はそれにまつわる話しを少ししてみたい。
最初に迷わず断言出来るのは動かしても動かさなくても、全く同じ様にリズムを取れるのが好ましいだ。

個人のブログなんで体験をふんだんに披露してくが、俺はDrummerとしては当初はどっちかってば「無駄な動作はしない」タイプだった。
首尾一貫してRockの人だがこの面ではClassic系のPianistに近く、連続動作が困難な拍であるとか短い音符等に対してはこの方が有利だ。

例えばそこそこ以上のテンポで16分の裏拍なんてニーズの時、常に8分の表て動かしてると片脚では間に合わなくなったりするからね。
或はClassic系ではよくあるテンポが常に流動的な曲なんかだと、常に動かしてるとそれ迄の流れに左右され過ぎ易くなったりもする。

一方で動かしてる事から来るその人独自の「流れ的ノリ」等を出すには、体格差が直結するのもあって止めない方が有利なケースもある。
近年では見栄えの都合で「やってます感」の視認し易さから、「非音の都合」で動きっ放しの微妙な方々も散見されるがデメリットばかりでは無いのも確かだ。

普段どうであれ動かさないと厳しいフレーズの代表格としては、連続した裏拍を鳴らす時の安定度だろう。
その時もし手がずっと表を鳴らせるなら手:表・足:裏と交互使用が可能だが、そうじゃない場合は反対足(つまりフットHat)で表を踏んどけると俄然安定するし楽になる。

具体例としてはかつてIan Paiceが恐ろしい高速でしょっちゅう演ってた、Tom系2つとバスドラの3つを順番に鳴らすヤツなんかだ。
バリエーションは色々あるがこれの基本形は音程の高い順に鳴らすパターンで右利きなら左手:Tom・右手:Floor Tom・右足:バスドラと表拍が非利き手の方になる3連を繰り返すアレ。

俺初期はフットHat抜きでやろうとして半ば挫折、従兄の指導で踏める様にしてってから何とか実用化となった。
そんな具合で元はバラード等でそれしか無理な時以外はフットHatは踏まない派に属してて、今以上に足はテク・慣れ共に左右差が大きい状態であった。

それが一転して最近は「常時踏もうとしてる派!?」へ移籍したが、転機となったのは例のJohnny吉長のHi-Hat「踏み叩き」だ。
全く趣味的な動機で挑戦したもののいざやり出すと他の発見も多く、その最たるのが2つ程出て来た。

1つはこれ次第で右足(バスドラ)の自由度に支障を生じたのと、もう1つはオカズを叩いてる間のテンポの安定度の違いだった。
前者は元が片方だけで出来てただけと無訓練なので当然としても、後者の効能がかなり自分としては意外だった。

フレーズにも依るけど元々右足と比べると他は余裕僅少だからか、オカズフレーズとその表現にばかりつい気が行き過ぎてテンポヨレが出易くなっていた。
のが左足を一定に動かし続ける事に依って、先ず例えば「あっホントはここって前から突っ込み過ぎてたんだ」とか自分で叩きながら把握出来る様になった。

フレーズ的に許される場合はこの自己メトロノームを右足バスドラでやっても良いが、ワンバスだからって左足は一切無視出来る様なもんじゃ無いってのは動かす迄は理解が充分では無かった様だ。
これに限ってはツーバスやツインペダルを常用してたらセーフになるが、裏を返せば普段ワンバスでも所謂「手足の4Way」が出来上がってる人だといきなりツー系へ行っても直にそこそこやれちまう訳だ。

俺知りでは昔の方がそう云う万能タイプが多かった気がするが、端的には恐らくJazzの4BeatでのフットHatに馴染みが深かったりしてたからだろう。
それ故アップヒールの功罪なんかでも反対足の動静不問で出来てるのが出発点と云え、もし両足を動かすとどうにもならない様なら踏み方自体に何らかの瑕疵のある可能性が高い。

さて最後にプチ余談をしとくが俺に左も踏めと言った従兄、案外オカズを叩く時に彼自身はフットHatは入れて無かった。
無論必須フレーズの時は使っちゃいるが、両利きの分簡単に出来る筈なのに一寸意外。

んがしかしそんなのは外野の勝手な想像で、そう云や足ではどっちの方がまだ得意なんてのは訊いた覚えがなかったっけ。(奏法別の得手不得手はある模様)
只普段から両方を動かしてる機会が多かったなら、もしかしてもう録れてたりして…。

因みに単なる偶然の可能性もあるが、俺の右足がハイパー化したのはHatコンスタント踏みが出来る様になった後だった。
手旗上げ下げ体操みたいな運動神経面ではまだしも、実感として体の重心位置の適正化にはこれの明白な貢献があった。

<つづく>

2020年5月 6日 (水)

音楽備忘録273 バスドラペダルとフレージング18

半分私的で半分理論からOpen踏みを強力に推してはいるけど、それでもな人向けで行ってみませう。
では改めてClosed踏み向きのペダル紹介から行っとくけど、バネが強くて弱められないのは先ず不向きだかんね。

俺みたいなゴリ脚だったり労力を厭わねば確かに止めらんなくは無いが、無造作に止められないと止めるのに時間が余計に掛る処は見逃さんといてーな。
その適正分岐点ってか基準としては、脱力出来てたら自分の脚の重さだけで止まってくれる様なのが理想的だ。

尤もこのケースではカカトは高く上がっててもOKだし、爪先位置がフットボード深くであってもそれはお構い無しだ。
とは云え速いDoubleも使いたいとなるとSlide成分ゼロでは達成困難なので、場合に依っちゃその分の余地だけ奥を残しとく必要もありそうだ。

ノーマルなら足首→脚の順で2つ踏むので、寧ろDouble時の足首のだけ手前から踏み始めりゃ余地は不要になる。
だが純Slide若しくは膝主導Slideと違って必ず単打より手前から始めなきゃいけない理由も無いので、却ってこう云うのを事前に配慮しといた方が良いだろう。

勿論達人級等になれると使い分けたり何処で踏んでも殆ど同じ音が出せる様になったりもするが、「何時も通りに止める」を最優先させるには位置変化は無い程良い。
特に止めるの自体には力を使わないなら(それが激奨だが)、脚・ペダルの重さやバネ強さが一定である限り最良バランスポイントも固定となってるからだ。

又「奥目で良い」っても脛がビータStrokeに干渉しちゃって邪魔をする様では困るので、フットボードは所謂ロングタイプの方が有利となる。
或はフットボードがペダル全体として手前目になってるのとも言い換えられ、一見踏めそうでもチェーンやベルトのホイール等が無駄にデカくて実際にはちっとも奥で踏めないなんてのは最低だ。

ここでも過バネ強は不動の諸悪の根源で、脚上げアシストと押え付けて止めてる時間の差に依る得失を考えたら言わずもがなだ。
後今時Closed踏みしたい人には先ず居ないとは思うが、高目のチューニングも不向きになる。

低音の量的問題もあるがそれ以上に、皮の張力=反発力が強いと止めようとしてもバウンドし易くなってしまうからだ。
そしてこれ等条件から鑑みると比較的明瞭なアタック音は得られても、パワーの絶対値としては制限が掛ってると考えとくべきだろう。

これにはClosedにより適した踏み方も関係してて、Strokeは小さくても構わんから極力「瞬間移動」な踏み方が向いている。
下手に遅くなったり大振りになったりすると、折角の音量控え目なのに明瞭ってメリットが出せなくなってしまう。

してお気に入りの方には申し訳ないがホントのアタック明瞭化には一定以上のパワーも必要で、これは楽器のサイズ由来と理解されたい。
それを敢えて邪道でも他ので補おうってんだから、速さ≒パワーの部分には特に注意が必要だ。

そして一番誤認が多いと感じられるのは「踏んで無い時」の脚の動き(揺らぎ)で、タイミングを図りリズムへ乗り易くする為に静止しないでいるケースは多々ある。
この時ペダルへ余計な影響が無いならどうしてようと構わんが、往々にしてこのせいで「踏む速度」を不適切レベル迄低下させてるのが散見される。

アップヒールClosedは「踏む寸前だけなら止められなくても許す」って踏み方が最も特徴を活かせるものなので、俺言い「柔軟アップヒール」(別表現ならのんびり楽々アップ…なんかでも)はキッチリ止めるのには全向いてないのだ。
ツーバスやツインペダルだと厳しくなるが、少し前に紹介した達人達は1人を除いてバスドラ側の脚は鳴らさん時ゃ誰も動かしてない。

それでも揺らしときたい人はどうするかってば、Hi-Hat側だけで我慢しといてくれ。
Johnny吉長みたいに常に両足とも揺すっといてって例外的な超達人も稀に居るが、彼はそれをHatのニュアンス差やバスドラでのゴーストノートに意図的に活用している。

そんなど偉い真似が出来るのも、実は「揺らし」と「踏み」を完全に分離させられてる証拠なのだ。
さもなくば音符の大きさは一定にせよ、バスドラゴーストノートを自由に気の向くままに追加するなんざ絶対無理だからねぇ。

<つづく>

2020年5月 5日 (火)

音楽備忘録272 バスドラペダルとフレージング17

再三に渡ってここではアップヒールにしなくても踏めた方が良いのを力説してますが、奏法なんてな勝手好きずき趣味習慣なもんでがんす。
そこで今回はClosedにする方法について検証してきやすが、私的大失敗を基にカカト上げ以外にもやり様があったのに気付かされたですよ。

しかしその前に大変厳しいかもですが「適正」について注意喚起を図っときたいんだけど、正直「足の遅い人」には不向きなんでお止しになった方が賢明で御座居ます。
これは前回迄に記した様に単打時と連打時の音色乖離を招き易いからで、録音技師の立場からも意図無しで両極端な音色を出されるのは手に追い切れません。

こっから具体的に掘って行きますが超高速連打時はどんな韋駄天でも、1打目はそりゃあ全然止められまへん。
ですんで気にするなら全部止めないで何とかなる様にするのが良いって言ってんだけど、もしそんなに気にしないなら二手に道は別れとりゃす。

それは例えばテンポにも依るけどDoubleでも8分音符のか16分音符のか等で、もし極端に間隔が短ければ幾らも音色差の出様が無いのにご注目。
但し「止まり」が俺みたいに無駄に強過ぎればハッキリ差が出ちゃうので、程々に止められる人限定の現象だす。

その該当者の「脚の仕様」を想像すると、まあまあの速さはあっても力は並で重くは無いってな感じでしょうか。
それだと余韻の有無が誰にでも聴き取れる程度の間隔迄はDouble Strokeであっても、速さのお陰で止めてから次を踏めるってメカニズムで。

これは純Slideでは不可能だけど純足首Doubleでは、脚の速度が足りる内は不可能ではありませぬ。
しかし鈍足さんだとそんな暇はありせんから、見事に1打目オープン・2打目クローズな音色に仕上がっちゃいます。

個人的にはそうなるのを極度に嫌ってんだけど、それは一言で言ったら「損」だから!。
1打目が完全オープンになっちゃうと2打目との「切れ目」が曖昧化して、最悪は「ボヤケた」或は「ゴーストの付いた」「単打」に聴こえちゃうから。

因みにここでのゴーストは所謂ゴーストノートじゃ無くて、単語通りの幽霊若しくはそっち方面現象の事。
昔のアナログデレビ時代には日常的な景色で乱視の人みたいに、画像の輪郭が2重になって見える様のサウンドバージョンでげす。

しかも厄介なのはアタック音質とその明瞭度の為に止めてる人の場合で、明瞭度確保を「止め」だけに頼ってるだけにこうなると致命的で音響技師としては勘弁願いたいでありんす。
今回は「本」生贄となるが以前裏技EQとして紹介した従兄のケースが正にこれだったで、時間制限の無い環境だったからそれでも使えた裏技でした。

因みに太鼓単独のを生耳で聴いてた分にはヲタの俺でも気にならなかったけど、思い起こせばBassを一緒に鳴らしてた時はそこがDoubleになってたのが分からなかった事もあった。
従兄談に依れば俺みたく「鳴らしたのは全部聴こえる」のを目指してはいないんだそうで、ならいいやと録る前に注文を付けなかったら後になっておやおやで御座居ました。

Liveの場合はそんなの無理だし、生ドラムでPA必須ってのも不便で仕方無いしょっ。
ってな訳でClosed踏みも明瞭度目的で実行するにしても、飽く迄その目的に対しては次善策で万能では無いのを是非再認識願いたい。

この面で俺の推奨代案はバスドラやビータ等の組合せや設定で、現行ポピュラー系ではバスドラはハッキリしない音色が殆ど出せなくても構わないのへ特化させた結果だ。
勿論これも考えられる限り実施した上で更に止めたいなんてのには合致し無さそうだが、そこ迄拘るなら現代は電子ドラムかトリガー利用の方が有効策だからね。

踏み方のOpenとClosed自体の可否も是非再検討して欲しいんだが、慣れ等もあるにせよ無条件で実行可能なのは理論的にもOpenの方だ。
音色の安定とかその為の演奏中の負担からの開放を考慮すると、何とか工夫して基本的には常時Open踏みで賄える方が確実度では得策だ。

<つづく>

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