ペダル

2025年1月 4日 (土)

音楽備忘録1967 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓫

Drumサウンドを筆頭に、1つ大切な事を書き洩らしてたんで早速それをば。
毎度段取りが悪くて済まぬが、具体内容へ突っ込んでからじゃないと巧く綴れないので御座居。

で今回話題の中心は所謂「胴鳴り」だが、この表現自体が器楽音のどれが何なのかを知ってる前提なのだ。
故に専門知識未所持の人達にとっちゃ、その様な半可視化イメージなんて湧いてねんですよ。

処か自身が携わってる楽器でさえ、物理音響的側面から正確に捉えられてるとは限らないんだ。
それが専門担当者だったら別だがそれ以外の誰がそうなってたとしても、それ自体はに全く罪は無いんざんす。

例えば純粋な奏者なら自身ではどう解釈して様と、実際良い音色が出せたりしてりゃ良いっつうかそっちの方が遥かに大切ですから。
でⅡでそうした場合AとBでは何かがだいぶ異なるのは分かっても、物理・音響的には誤った原因を思い浮かべたり信じ込んだりしてるケースがあるん。

にも拘らず変に長く携わってると信奉してる誰かが1は2だなんつうと、本当は違う原因のせいでも段々頑なになってたりするんだよ。
杜撰大王的典型例のとしてはLudwig Speedkingに関する色々が正にそうで、正直世間の8割はロクにじっくり体験もしてねえのにいい加減な事言うなって思うだよ。

つまり実害が無い分にはどう思ってても良いけど、他人に間違いを伝授したりするのはアカンでしょ。
ので例えば自身のサウンドに対してとか他人のに対しても単に好き嫌い迄だったら個人の自由だが、口出しするなら正確じゃないとね。

ってイメージ的には最も相応しくない奴が吠えてる体で、正直実際に過去にはそう云うやらしをしてまつた御免なさいまし。
なのにあまり人手を借りずに修正出来たのは、色んな録音や膨大なMicセッティングを試して来たからだ。

私感としてミュージシャン兼業の技師なら思春期から始めて、大凡50歳位の年月と体験を積まないと厳しいみたいだ。
大昔なら使用可能Mic本数・Mixer卓・トラック数等どれもに限りがあったんでそこ迄掛からなかったが、現在ではトライすべき事象が膨大となってもうた。

尚且つ現代一般環境的に試し辛いとか経験し難いのも少なくなく、それ等へは千載一遇の機会が訪れるのを待たなきゃなんない。
後者は技師専業でも何処かに所属してると、そこの流儀に反するのは中々試せんし。

かと言って個人や少人数集団ではそれに依る制約で、今度は別の箇所で不遇を容認せざるを得なかったりさ。
杜撰君自身は後者に属してるが、長年やってるとレアニーズ・ケースに遭遇する事で知己が得られたりしたんだ。

普通ならお断りするであろう和太鼓のボウヤとか、狭小LivehouseでコンデンサMicが無くダイナミックタイプで純和風の三味線のPAオペレートとかかなり奇想天外なのがね。
その時は心身共に大汗かいて腐心したが、ずっと後になってみると実に全く貴重で幸運な体験だったなって。

それからするともしか舞台関係等の下働きをしてみるのが、今劣化本邦では最も生耳聴きの機会が多いかも知れないな。
杜撰大王からしたら「誤った正義」だが今時お金を払ってくれた相手には、PAを通して整えた音じゃないと失礼と思ってるらしいからねえ。😵

-続く-

2024年12月14日 (土)

音楽備忘録1946 音楽でのアイデアの実現方法②

失念し易いレアフレーズって正統な理由はあるんだが、殊新規開拓を試みる際には放って置いたら結構障害になるん。
の最大要因は無理な領域に没頭しちまう事で、もっと簡単に料理出来る領域が疎かになるんだよ。

手前味噌の1足3連にしても当初は決してツーバスに対抗しようとした訳じゃ無く、もう1つだけどうにかリバウンドを活用出来ないもんかと思ったん。
っても発想としてはこんなの序の口で、誰だって追加は考える。

それより一段階上のは「何処かを思い切って抜く」で、これはポピュラー系には本来必定な手法なんだ。
Beatlesの正規メジャーデビュー寸前のとデビュー後の作風が正に典型的正反対で、必ずしも後から腕が上がって凝ったのを演り出してた訳じゃねえんすよ。

ビフォーアフターでの最大差ったらインスト曲の有無で、寸前迄は演奏力や編曲力のアピールになる様なのがあったん。
のを不採用に懲りて曲の良さだけに全振りしたのがアフター期で、Love Me Doなんか俺言い「極限のダイエット編曲」を施しとったん。

まあ象徴的とは言えこれは極端な例だが、もっと些末な領域でもこの本質は変わらない。
その例として拙ブログでは随時登場のPaul Humphreyを聴けば、曲調が許せばSnareとダブってモロ被りしてさえバスドラを全部裏拍でしか踏まなかったり。

彼はJazz出身でテクには余裕があったし、誕生1935年と戦前世代にも拘らずちゃっかりSlide Doubleなんかも頻用してたってのにさ。
’70年代の時点でバスドラが多い方ではBONZO等と拮抗してるが、少ない方では全く目立たないが一枚上手を行ってたんだ。

当然↑みたいな常識破りは請負い仕事では殆どせず、リーダーアルバムで実行してたんだけどね。
それにしたってソロ作も曲中心で自作してて、Drum自体に忖度したのはせいぜいアルバムに1曲あるかないか。

この様に見世物的目立ち度は限りなく低くても、音楽的には大きな影響を与える存在に先ずは気付くのが大切なんだ。
ってかそもそも目立つのばかりを参考にしてりゃ、そんなのとっくの昔にもう大勢がチャレンジしてるっての。

稀にはそんなのからだって奇特な着想を得る者も居るだろうけど、掘り尽された金脈から砂金を採掘するのは非効率には違いない。
加えて極めて重要なのが自己の俺言い「匠スピリットの養成」に響く事で、与えられた物に何の疑問も抱かぬ様では革新は行えない。

職人もレジェンドだろうと駆け出しだろうと概知定番の作業ならそんなに大差無く熟せるが、無理難題の解決を迫られた時には歴然の差が出る。
これはレジェンドスポーツ選手その他にも共通で、単なる体力や直接の才能差なんて人間如きではタカが知れてんの。

最後にその袂を分かつのは頭(知恵・発想の柔軟性)で、テコの原理よろしく同じ力でも何処へどう掛けるか次第で結果は大巾に変わるっしょ。
それには知識も助力にはなれど感性が大問題で、演奏アイデアだけにしてもその影響が絶大なんすよ。

実現に漕ぎ着けるには実行力も大事だが、そればかりを気にして夢と云う冒険心が希薄になってはねえ。
発想自体が徐々に貧困化して行き、既存の常識に何時しか縛られちゃうんだ。

各個人には元々素質とか性質がありそれを簡単に覆せはしないが、だからこそ不適切な習慣等の影響を受けて固まっちまったら大損じゃないさ。
何れにしても創作には訓練以外の目的で、トレースは不要なのだ。

=つづく=

2024年12月10日 (火)

音楽備忘録1942 音楽でのアイデアの実現方法①

何時にも増して身の程知らずの大胆なテーマだが、最終的には当たって砕けて花と散るしかない。
って言うと終わっちまうが、ギャンブル性を排除するのは不可能ざんす。

けれど世の中には俺言い「容認されたギャンブル」っつうのは沢山あって、依存症になっちゃ大変だがそれさえ避けられれば問題視されてないのも少なくない。
勿論その線引きは人次第で千差万別で、杜撰君は未だ愛煙家だがそれを否定する人も昨今は増えたね。

だが音楽で個人レベルでなら騒音公害とかにならない限りは、少なくとも他人に直接的な害は与えねんだ。
タバコだと期せずして煙があらぬ方向へ漂っちまったり、それより遥かに多数派にして深刻且つ最悪なのが泥酔だ。

呑んべえ殿に徹底的に釘を刺しときたいのは、感覚・神経・判断力とも酔うと無自覚で劣化するからだ。
いやこれだけ皆が呑んでるんだから…確かにそうだが、子供以外にもドクターストップで呑めない人だって幾らでも居るんだよ。

のでもし呑みたいなら最低でも嫌煙権ならぬ俺言い「嫌呑権」的発想を持てないと、必ず誰かに想定以上の害を与えるから十二分に気を付けておくんなまし。
音楽だって徒労とか時間を逸失する恐れはあるけど、他のに比べたら遥かにローリスク。

それ故取れ高にさえ固執しなきゃ善良なギャンブル!?なんだけど、そうは言っても何時も全く当てずっぽうじゃ幾ら何でも分が悪い。
アイデアは無尽蔵なだけにそれを可能化する方法もキリがないものの、だからって全く何の手掛かりも無いって訳じゃねえんすよ。

そこでその1は「既存のの発展形を模索する」で精査した事無いから正確性に自信は無いが、新案の大凡7~9割はルーツを辿ればこれなんじゃないかな。
それじゃあ今一つまらんと嘆く事なかれ、理屈では進歩が僅かでも用途・使用法を鑑みると革新的だったりするのだ。

今劣化本邦ではかなり下火な3拍子系のシャッフル、4拍子より1拍減っただけで従前若しくは杜撰大王様以外にはリズムバリエーションが一寸乏しかった。
のがお得意の1足3連が使えれば、劇的に選択肢が増えるんだよん。

今更だが例としてメリットを羅列してけば片足しか使わないから、バスドラの為に犠牲にしなきゃなんないのが格段に少ねんですよ。
これこそがツインペダルやツーバスの弱点でバスドラにかまけてる最中だと、例えたった1音だけHi-Hatのオープンを入れたくても入れらんない。

って事ぁ敢えて1足3連の欠点を暴露すれば、↑みたいなのを別にしたくない時ゃわざわざ苦労して片足で3つも鳴らなくたってエエねん。
これは片足で4つ以上鳴らすのも同様で、何かしらの必然性があるか持たせられなきゃ宝の持ち腐れになるだよ。

そう考えてくと意外や意外、然も無いフレーズを沢山知りその意義を先ず見いだせないとさ。
その内容は例に依って次回以降送りとするが、当初はアホみたいにシンプルな中からの考察がお勧めなんだ。

それと一旦リセットして既成概念を捨てるのもとても重要で、こっちはあまり使われてないが実現可能なフレーズがあったのを想い出させる。
これは無いから使えないとの思い込み原因の1つになってて、使用法自体の範囲をも狭めてんだ。

=つづく=

2024年11月 5日 (火)

音楽備忘録1907 人力生演奏のススメ➑

別稿で展開してる「弾けるのに勿体無い」と併せ、人力演奏を実現するには幾つかの欠かせない要項がある。
その中で最初に手掛けるべきが適性案件で、必ずしも希望と一致してくれないのが一寸非情な処だ。

尤も私体験からすれば絶望したり完全に挫折するのは一部だけで、時間を掛けて克服して行けば全く何も演奏出来ないなんて事ぁ先ず無い。
但し音楽自体のコツを早期に掴む為にもなるべく初期段階では、必ずしも一番好きなのじゃなくても
各自にマッチしたのを見つけるのが肝要なのだ。

のわ演奏にはどんな楽器だろうと音楽自体のスキルと、楽器って脳内イメージを音に変換するツールに慣れる必要があるからだ。
数多のパターンの中で身を持って語れるのは例えばGuitarのフレージング、人生で3番目に挑戦してみたがGuitarだけではそれは杜撰君には無理だった。

因みに最初は正真正銘3日坊主で放置となったOrgan教室・2つ目はやはり何時しか飽きた我流のBongoで、後者はそこそこ熱中してたんだけどね。
杜撰君にとってそうなった最大理由は、当時時点ではダイレクトに演りたいRockを演れなかったからなんだ。

前者の場合もし自宅にHammondでも鎮座してたらきっと違ったんだろうが、当時の電動Organ如き(自宅では何と足踏みOrgan…😓)じゃ音色も反応も全然違う。
後者の方にしてももう少しローピッチなCongaなら良かったが、アホ小坊にはBongoとの違いなんて分かって無かったし。

もし知れてたとしてもお値段も最大音量も段違いだから、どうせ多分当時の環境下じゃ無理だっただろう。
にしても今振り返って妙なのはエレキへのチャレンジが完全に抜け落ちてた処で、Rockには先ずエレキって位はとっくに知ってたのにどうしてか全く分からない。

或は昔から音程よりリズムにより興味があったからなのか分からんが、それが中2でエレキGuitarを演り出してからも影響があったらしい。
それ故過去称リズムギターは早期に大得意になったものの、Rockでは肝心のソロパートの腕前に頭打ち感を覚えて暫くはそれが続いてたんだ。

転機が訪れたのは高1でBassも始めた事で、’70年代末に至っては最早リズムギターはアンサンブルに必須のパートじゃ無くなってたのも大きい。
’60年代のVenturesやYardbirdsスタイルだったら専門担当があったが、大して万能じゃないGuitaristを複数にする位ならSyntheも含め鍵盤奏者の増員を時代が求めてたかんね。

結果メインをBassistにスイッチした事でアンサンブル内に留まれて、そこうしてる内に停滞してた他楽器の腕も亀足乍ら徐々に上向き出したんすよ。
要するに杜撰君にとっちゃエレキBassってのが飛躍の足掛かりだった様で、米で子供の内はなるべく色々なスポーツを体験させてるのなんかもこう云う問題を考慮してなんだろうね。

なんてさも得意気に語ってる感があるが、実際には事後検証から浮かび上がって来ただけなんだ。
本当に実感出来たのは還暦を迎えた前後になってで、当時の本人としては溺れる者は藁をも掴むに近い感じだったかな。

強いて勝因を挙げるとすりゃ普段偏屈な杜撰大王の癖に、この件だけは周囲の評判を素直に受容れた事かねえ。
それも人に喜ばれないよりゃ喜ばれた方が自分も…、って位の安直な反応だったがね。

=つづく=

2024年9月 1日 (日)

音楽備忘録1842 打倒閉塞感➐

サヴキーワードは温故知新でお送りしてるがその訳は、酷く単純に身近で簡単に聴ける音だけじゃ不足を感じてるならだからだ。
マクロ聴点に立ちゃどんどん新しいのが生まれてるが、音楽やサウンドの進歩はITとかと違って恐ろしくスローモーなもんなのだ。

誰も作らず誰も奏でずとも何処かから温泉みたいに勝手に新音が湧いてくれたら良かったが、誰かが作れる様になったり奏でられる様になってからじゃないと聴けないからねえ。
只その代わり温泉みたいに源泉が知らん間に枯渇するなんてのは無く、特に録音して残せる様になってからのは半永久寿命なんだ。

今日は視点を変えて人間側の先ずは肉体事情を考察してみるが、要するに昔と今の人の耳の進化具合だ。
ハッキリ言ってあっても計測不能な位の進化で、地球環境の劣化具合からしたら退化してる可能性の方が高い位だ。

実際先日メタラー様専用で高域を強調したヘッドホンが新登場なんてのを目にしちまったが、こりゃもう明らかに軽度の難聴になってしまった人向けのブラックな商品だわ。
まあこれで確実なのはせいぜい傾向位なんで推測に過ぎないが、もしかしたら昔の人の平均の方が可聴帯域が広かった可能性が考えられる。(但し罹患率の高さや健康体の維持期間の短さは除く)

オーディオについては長らく人耳に性能が追い付いて無かったからあれだけど、楽器に関しては現行標準品よりワイドレンジだった自説が濃厚なんざます。
もう少し詳述すると必ずしも出せる範囲が広いってんじゃなく、もし出てたら今のより隅々迄気を配られてた可能性があるんだ。

ほいで面白いのはワイドレンジだが基幹にならない箇所は、今のよりかなり控え目になってるのが殆どでね。
杜撰君が体感したのはDrumだとLudwigの3Ply Reinforcement以前の過去仕様ので、テキトーに聴いてるとナローなのがいざ録ってみたら超絶ワイドだったってヤツでさ。

それがより具体化したのが過去述100年Snareで、こっちは深胴でもないのにそれ迄に聴いた事の無い音の太さに圧倒されただよ。
例えるなら生なのにEQやコンプ等でフル加工済みってな感じで、今もそんなのが主流だったら録音で加工したい人が劇的に少なかったに違いねえってね。

最初従兄の親切若しくは悪戯でノーインフォで、突如叩かされたんで1㎜も期待なんかしてなかったんだ。
何せ木胴でも深胴でも無かったし、見た目も割かし平凡だったしさ。

その上状態も「普通の中古」にしか見えなかったのに、少なくともここ数十年の俺には正に劇的な出来事だったさね。
この体験をする迄はペダルの俺言い「Speedkingショック」の方が上だったけど、訊いた値段や経年も含めて青天の霹靂どした。

とは言えこんなのは一生に一度あるかのレアケースだと思うが、先に強く全否定なんかして身に沁みついてたら短時間の体験じゃ分からんかったかも知れん。
取り立てて期待してないのと高を括るでは、こういう処で違ってるのねと改めて思い知らされた次第で御座居。

-つづく-

2024年7月12日 (金)

音楽備忘録1792 楽器業界の行く末⑧

今度はGuitar・Bass等に比べ一小個人では製作困難な、Drumに焦点を当てて行こう。
国産楽器としてはPiano系の次に、世界での実績に一応の結果を残しては居るんだがね。

販売って点では確実にシェアを獲得したが、音に関して杜撰大王的には未だ歴史では海外に劣るしどうも感心しない。
’70年代で技術的にはほぼ追い付き、販量や知名度では’80年代に確立は出来たんだけどさ。

元々好み的にフェイバリットじゃなかったにしても、今になってみると○○サウンドの印象がとっても薄くて幾らも残ってないんだ。
そこでどうしてそんな事になったか考えてみると、音に兆しのあった頃は技術的稚拙が折角それが解消したら実用になる個性や独自性が損なわれた様なんだよ。

その証拠となるのが今は従兄宅へ出戻った、’70年代中期頃のPearlの最廉価モデルのセットだ。
過去述の通り従兄のファーストセットで彼が次へ移行した際譲受した物で、当初は活動拠点が従兄宅だけだったのがウチにも拡大したんで宅へ持込んだんだ。

その頃俺は殆ど叩けなく叩かなかったから2代目の感触はまだよく分からなかったが、録音に残った結果に依れば初代の方が従兄には名演が多かったんだ。
サイズが俺の好みでは初代20inch・2代目22inchだから、それからしたら従兄にだってジャンル的に後者の方が合った筈なんだけどね。

2代目はTAMAのImperial Star初期モデルで、折角標準サイズになったのに私的にはローエンドと中低域の拡充が得られなかったんだ。
その点を除けば歴代TAMAの中では音色が最も柔らかい口で、汎用性では秀でてるかも知れないんだけどさ。

かつては柔らかさが売りだったPearl、レンジが狭目なのと併せ埋もれ易くなったのを嫌ったか何時しかカチンコチンに。
TAMAとYAMAHAは元々硬質路線だったが、未だSONORやDWみたいな音色独自性を確立出来ず。

っと散々な評価になるのも作品録音の結果比較があるからで、かつてには「アッ○○だ」と分かるのがそこそこあったからなんだ。
楽器のみならず録音では録り方や機器の流行の影響も少なくないが、1980年前後の作品ではそれと分かる典型的なサウンドになってるのがあったのよ。

Toto等でのJeff Porcaro(Pearl)・Jeff Beck等でのSimon Phillips(TAMA)、YAMAHAのSteve Goddは業界様仕様で普通のとは違うから微妙だけどさ。
でもYAMAHA業界様仕様にしたってその後に比肩する様なのは出現してない訳で、要は音色を「八方美人」の方向へばかり進めたのが原因なんじゃないかな。

拙ブログでは随時頻吠えの如く、何とか「手に負える欠点は容認」する勇気がねえ。
唯ひたすらに欠点・弱点の駆逐を追求すれば、何れは長所・独自性・個性を阻害するのは目に見えとん。

更にクドく吠えるが幾ら欠点が許容範囲内に収まっても、非生活必需品にはどうしても買いたくなる魅力の方が先に必要ずら。
既に楽器や音楽を演ってる人ばかりじゃなく、あまりにも音に惚れちゃったから今から買って叩いてみようって位じゃないとね。

だってその位を目指さないと「楽器主導で音楽人口を増やす」≒更なる量販は、目指せないやんか。
過去の海外ブランドって↑の意味も含めて、市場拡大をしてたんだよ。

-続く-

2024年6月16日 (日)

音楽備忘録1766 杜撰流不景気対策➑

さてスピキンオリジナルビータってば格好の比較対象が居て、毎度お馴染みDrum講師の従兄ざんす。
ペダル本体の方は彼の場合レギュラー化してないが、ビータだけはほぼどのペダルでも継続使用中なんだ。

本人談に依れば音色の他素直な特性がレッスンに最適だそうで、数年前迄は俺からすればかなり頻繁に新品に交換してたよ。
それへ珍しくケチ付けなかったのはお下がりを頂戴してたからで、こっちにゃより
都合が良かったんだ。

んが増税や緊縮財政やらでか、1〜2年前から急に更新が止まってもうた。(当然お下がりも途絶😢)
変な自己弁護を喰らわすとスピキンでは速度反応型の最右翼なんで、摩耗の影響は小さ目なんだけどさ。

現代ペダルではあまり速度反応型じゃないから数倍の負の影響があり、以前のはやり過ぎとしてもスピキンよりゃビータ更新周期は短い方が良いんだけどね。
只強く押し付けて止めるのをしなければ、消耗も影響もそんなに酷くはならないんだ。

ここ迄既に2回出てる「速度反応型」ってのは、元々押し止め力があまり強くは出来ない構造でな。
それ故ビータ自体の仕様差を除けば、スピキンは打面皮もビータも消耗は遅い方なんだ。

貧な俺にはこれも最適なんだが、どうやら従兄は現代ペダルでも踏んだ結果をそれに近付けたらしくてね。
押し付け止めのタイトさでは元々スピキンオリジナルビータは不向きな方で、けれど真に瞬時に打面をミュートすると典型的なバスドラサウンドにはなり難い。

音色で選んだからには強烈押し付け止め奏法自体が奏者に合ってないから、交換周期延長はそれを改良した副産物だったのかも知れない。
但し比較的短期間で成立したのは従兄の豊富な経験と奏力あってこそなんで、ここからはビータだけでの総合コスパを掘ってみよう。

実は過去の修理でヒントは既に頂いてて、フェルトのみの交換可能な形状がこの点では有利だ。
それが古のSwiv-O-Maticのオリジナルビータで、角が丸められたプラの1面にだけフェルトが貼られてたアレだ。

今ではTAMAが全面的にその方向へシフトしてて、ビータヘッド(プラ製台座と打面フェルト部のみ)を交換部品として売ってるのは中々賢い商売の仕方だ。
音色案件をクリア可能なら家具用等の「唯のフェルト」って、入手性もコストも最も有利。

ので厚みが一様なフェルトを貼ってあるヤツでそこだけ貼り換えるのが、交換コストでもエコ観点でも恐らく最良だ。
それなりに理由はあっただろうが今迄のビータって、消耗・故障個所だけ取替えられない方が意地悪っつうか悪辣だったんだよ。

もしGuitar系の弦交換でブリッジとかナットを、
セットで交換を強要されたら皆黙ってらんないでしょ。
コレも北風と太陽話しの1つと数えられ、勇気を出して全部バラ売りした方がホントは将来のメーカの儲けだって増えるんじゃないかな。

=つづく=

2024年6月14日 (金)

音楽備忘録1764 楽器業界の行く末①

業界貢献度が限りなく低い杜撰大王だが作って売ると使うの両方を知ってる処から、将来展望を一寸想像してみたい。
私的には現況の停滞に危機感を
覚えてて、他分野で既に起きてしまった様にこの国から消失しやしないかと心配なのだ。

例に依って一般論では関係無さそうな安楽椅子を、敢えて例に挙げてみよう。
って何の事ぁない今普段最も座ってるのがイタリア製の安物で、こいつがどう考えても本国じゃ鉄パイプの耐荷重が足りなさそうな代物でね。

パッと見は国産や他国のと何も違わないし、設計アイデアとデザインはそこそこ良かったんだけどさ。
少し前迄人生で最も肥えた10年間に、何度も鉄パが曲がったり折損したりしてオシャカになったんだ。

折角ビニールレザーの摩耗や経年劣化を我慢してたのに、フレームに逝かれられちゃ万事休す。
で何時もの如く修理や再利用を狙って調べてみた処、どうやら「鉄の質」に難があったらしいん。

要するに劣化著しい今の日本でさえ信じられん位、外見・肉厚・重量からは想像を絶する位脆弱でさ。
最近で似たのってば中華製のに少しあって、きっと成分配合とか製鋼プロセスで劣ってるんだろう。

この件にはヲタ度全開も思い当たる節があり、鉄道用最新の80㎏レールっつうのは現在日本のたった2社だけで全世界のニーズに答えてるんだと。
因みに80㎏ってのは1mあたりの重量で、従来の標準は50㎏程度だ。

素人考えでは唯太く大きく重くすればと思われがちだが、カーブに合わせて曲げても折れない様にするのが難しいらしいん。
他でも宅の車は約15年落ちの中古だが、そう云や大昔と違って屋根無ガレージにも拘らず未だサビは殆ど出てなかったっけ。

その他木材の加工技術のみならずそもそもの質だとか、今迄は大して気にしてなかったけど外国とは何時の間にかかなりの差になってたらしいん。
にも拘らず新自由主義なんて幻想と今からすれば期間限定だった円高期に、中小企業を過剰に冷遇したりで材料製造業をかなり海外にくれてやりやがった。

その結果折角円安になってもレールみたいな特殊なの以外、普通の鉄鋼や普通の木材の輸出は大して増えてない。
っと随分又遠回りな話しだがそれと楽器の関係はったら、普及価格帯の海外製へ日本の得意があまり活かされないって事なのよ。

人件費の高騰でかつては盛んだった米等の下請け製造も中韓等へ移り、実質的な精度は低下したにも拘らず為替の事情で日本では昔みたいに捨て値にはならない。
流石にPiano世界シェア1,2のヤマハとカワイは余程経営をしくじらなきゃ何とか残るだろうが、他は特にRockやPops向けのメーカはねえ。

かつての隆盛を肌で知ってる身からしたら、もう何時無くなってもおかしくない位元気が無い。
そうなって最も被害を被るのが音楽をやってる人達で、更には子供達全てに損失が及ぶのだ。

我々年寄りは手持ち生残りに延命を施したり、いざって時は過去体験の記憶を辿る術がある。
が未体験の者との分断を促進するばかりか、本物はこんな感じってのの「知る権利」が強奪されちまうんだよ。

-続く-

2024年6月 8日 (土)

音楽備忘録1758 杜撰流不景気対策➏

本来は全然不景気対策案件じゃないけど、消耗品の交換頻度・期間・程度について潜ってってみよう。
その内今回は表に出てて直に触れられる物限定として、電子・IT方面はこれが終わってからにしませう。

上記前者と後者の相違は目視判定・状態等の確認がし易いかどうかで、それ次第では一般論の寿命とはかなり異なるケースも少なくないん。
尤も舞台や録音最中のリスクを低減するには、世間に流通してる常識に従う方が安全だがね。

けど製品ムラやアクシデント等予測不能な障害もあるんで、より安全なのは弦や皮じゃなく楽器自体のスペアを用意しとくのが望ましい。
貧故のケチで無神経に近い杜撰大王とて、かつて遠隔地へ出向いてのLive時にはスペア用Guitarを友人に借りて迄持参したさね。

その時は備え万全なのに何も起こらずだったが、地方の町の公民館で周辺に楽器屋なんて当然無かったんだよ。
又別の状況では複数の楽器が使える状態で舞台上に設置されてたら、弦が切れたら鍵盤に移動すりゃ良いやなんてのも…。

上記は極例として非本番の普段とか期限の切迫してない宅録だと、杜撰君近年は切れる迄無交換な方が多い。
奏者本人には弦の新旧が音でも触感でも明らかに分かるが、本人以外では詳しい人とか直近に体感してるの以外は案外良くは分からないもんなんだ。

同じパートの人でもないと一々本体やAmpのツマミ位置をつぶさに観察してなかって、アコギでさえ弾き手の位置が紛らわしいと微妙なハンドミュートみたいなのはやってるかどうかでさ。
強いて俺知りでバレ易いのったらリッケンBassで、バカ正直なのか弦の状態迄律儀にその程度差を露骨に出しやがる。

私感では弦より太鼓の皮の方が状態差が表出し易いが、まっさらな時と破れる寸前以外は本人以外にはそんなに分かるもんでもない。
それより桁違いに影響するのがピッチで、単なる音程以外にチューニングが悪いのは多方面に影響があるんだ。

Pianoでは大胆に音色と音量が変わり、太鼓では共鳴がまるで別物みたいになっちまう。
無論音が変で状態如何では要交換な時もあるが、9割方は調整や微調整の方がイニシアチブを握ってるんだ。

その他に新品でも張り方の良否の影響も中々で、これ等を妥協し過ぎてたり一部を省略してたら結局は自己満でしかなくなったりすんねん。
と言いつつ億劫になって重々承知でもサボったりもしてるし、実際に音を出して大きな問題がなきゃ一切不問の時もあるけどな。😵

まあでも杜撰大王程酷ずぼらじゃなくても、ホントに必要な以上に交換しても結果的にはほぼ気休めにしかならないんよ。
奏者次第で拘りや気になる箇所は色々だろうけど、最低限各要素のバランスは考慮しとかんと実効性は損なわれるさね。

次回は電方面へ行く前に、身近な処での実例を提示しときま。
併せて過去と近年の比較も。

=つづく=

2024年2月23日 (金)

音楽備忘録1652 従兄記事に勝手に便乗➍

このまま終ると不親切かと気を取り直して、フットボードガムテ貼り概知のメリットを付記しとこう。
私的には良い人と思われたい魂胆もあるが、もしあなが求めるのが含まれてなかったら無駄な寄り道をしないで済むかも知れない。

明言はしてなくても一部は既に記事中に漏らしてて、杜撰大王の最初の目論見は足指の引っ掛かり防止策だった。
ドラムペダルって洋楽のツールとして生まれ、近年迄はずっと西洋の生活様式を基準に作られてた処があるわな。

ので裸足で踏まれるなんて想定はされてなかって、古いのになればなる程今で言うローファみたいな革製の靴が基本となってるらしい。
これが日本発祥だったら草履や下駄に合わせてたかも知れんが、靴底の材質が当時のあっちじゃ革か木位しか無かった。

故にそれ等は割と硬くてツルツルなんで、車のタイヤならスタッドレスとかスノータイヤを作る感じだったんじゃないかな。
ちょっち又脱線するけど俺世代が子供の頃って、少し裏に入るとまだ未舗装の道路が結構多かったんだ。

ので所謂最低地上高ってのが全高の低いのでも結構高く取られてて、今のと比べると3〜5cmはどれも高かった。
のわ雨でぬかるんだり土が轍で掘れたりしてると、そうしとかないと亀の子状態になっちゃって走破出来なくなるん。

ってな感じで昔のフットボードの場合は、表面が細かろうと粗かろうと兎に角不要に滑るのを避けるの一択だったん。
古典器の中でSpeedkingのデザインは少し異質に凹凸が細かく、軽量化が至上命題だったからきっと深く出来なかったんだろう。

と言いつつ稀には今でも足指を時々は引っ掛けてたりするが、SWIV-O-MATICのは丁度良く使う使いたいポジションでそれが起き易かったんだ。
又FPの場合は露骨に横溝だけなんでSWIV-O程じゃないけど、やはり状況次第では縦方向の摩擦係数が過剰だ。

尤も俺の過去のは全く違う理由での対策だったが、スライド奏法かこれを使わなくても前後方向に抵抗があると困る向きには1つの救いではあるだろう。
但し気になるのは俺言い純スライドや複合スライドを不使用なのに違和感を覚える様なら、椅子の高さや位置関係の方を先に疑った方が良いんじゃないかな。

今従兄宅訪問時に持参スピキンを使う際、必要性がなかったり面倒だと廉価品ゴム底スニーカを履いたままで踏んでんだ。
足首ダブルを大体習得し終わってると、足とフットボードの位置は殆ど固定されてても無問題なんよ。

強いて言や長連続させる時だけフッボーの最奥へ移動するとか、力を使わずパワーが欲しい時は限り無く手前を踏むとかね。
この場合元からギリギリの位置を踏んでるんで、寧ろ僅かでもズレると途端に踏めなくなるんだわ。

量販品で意図的に滑りを意識したのってぇとAXSI辺り以降ので、高価で買えんからちっとも試奏すらしてないから良く分かんないけどさ。
恐らく現代ペダルの中ではスライド奏法へも配慮しての事だろうから、フットボード以外の色んな部分でハードグリップする様なのよりは演り易い可能性が高い。

現時点迄の体験に依れば古典タイプは一応奏法を選ぶ事は無く、’90年代から15年位の国産系が最も奏法をペダルから指定して来る様な感じだったな。
でとても微妙な力加減(方向や場所も含む)が可能になると、Buddy Richみたいに何時でも何処でも何でも行けそうな予感が微かにしてるよ。

-終り-

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