ベース

2025年5月13日 (火)

音楽備忘録2095 音プロの音楽の聴き方⑳

周波数6回目は音楽ではきっと永遠に根幹を司る中域の核心に迫ってみるが、オーディオ的観点ではあまり含まれない重要素が幾つかあるんだ。
1つ目は音程感で、万人が即座に認識可能な範囲は低域や高域には及んでねんですよ。

杜撰大王みたいにベテランBassistだと無意識下に訓練されてんで、悪環境じゃなきゃ大まかになら割とすぐに分かるんだけどさ。
そんでも微妙なチューニングのズレなんかはホントは中域のより把握し辛く、和声全体の響きから推察する事の方が多い。

前述Piano88鍵最高音程以上ともなれば↑の方法を駆使しても中々厳しくて、聴き取り難いからと音量を上げりゃけたたましさが増してもっと訳が分かんなくなる。
2つ目は低音楽器の低次倍音が高域に到達してない件で、こればっかりは自然現象だからどうしようもない。

私的にはあんま好かんが不慣れな者に基音だけで音程分かれってのも無理な相談で、エレキBassの4弦の音程感は通常2次倍音以上で判別して貰ってる。
飽く迄私推察に過ぎんがフレット付けただけでLeo Fender先生はPrecisionと命名したんじゃなく、従来のコンバスよりエレキ化の御利益で倍音が豊富且つ必要なだけ調節可能になったからなんじゃないかな。

裏悪推察すりゃエレキ化したらそれだけで従来より音程がズレるとバレ易くなっちゃったから、フレット付けて誤魔化したのを誰でも正確な音程が得られますと換言したとも。😵
又アコースティックオンリー時代の対応策がCelloだと思ってて、それだって音程感は2次倍音依存が主体だがあれ位の弦長・音域にしてやれば倍音がそれこそ倍増って感じになるかんね。

しかし何れにしたって中域音域楽器とはダブるのが避けられず、Guitarが大き過ぎるから中域削ってやったらBassの音程感が曖昧化したなんて事が平気で起きちまうんだ。
そこでせめて存在証明は「目立つ倍音」でとなった様で、しかし相変らずほぼ中域の狭い範囲から抜け出せてはいない。

が比較的微小な相違でも判別を付け易くする方法が、無い訳じゃ無かった。
類例としてはタブで手帳等の端を突き出させて系統や分類などを記載する様に、一部だけ張り出させてアクセスし易くしてる様な方法だ。

最近は要所に付箋をはみ出させて貼っとく方が多いのかな、何れも夫々を出っ張らせた箇所以外は完全に同一形状をしてるよね。
もし全ページの形状を変えといたら判別性では良いか分からんがページをめくるのも一苦労な上、書類・書籍として鞄に入れたり書棚に保管するには不便でしかない。

音楽でもアンサンブルが1冊の本・各パートがページみたいなもん、と想像して貰ったら少しは通じるだろうか。
近年杜撰君がブチ当たった壁にエレキBassの音色案件があったが、以前より正直に中域を少し上げたらお前の音色じゃ無いと言われちまったい。

ほいで当初は悩んだがそこはいい加減なエレベAmp、BassツマミでもTrebleツマミでも弄れば中域も少しは変化する。
のを魔用して妥協点を探り当てたがきっと必要な中域に耳が行過ぎて、「不要な中域」の状況が疎かになってたんだろうな。

ので音楽や楽器関係で中域を増減したかったら、普通の3Toneのよりグライコ等帯域のもっと狭いのを優先した方が良い様だ。
んでその調整具合がアナログオンリー時代と今では真逆に近くなるケースが増えたが、これは次回送りの乞うご期待っと。

-続く-

2025年5月 1日 (木)

音楽備忘録2083 音プロの音楽の聴き方⑰

周波数3回目は音楽的各周波数の特徴で、その中であまり世間に流通してない面に絞って進めるだす。
語学でも電子工学でもそうで弱っちゃうんだが、幾ら教科書を学んでも現場での具体的に迫られる対応について殆ど書かれてないんだよぉ。

青二才当時の杜撰君の考えが甘かったか知らんが、専門学校の専科ですら当時頻用されたOP AMPの型番とか終ぞ講師の口からは聴けんかった。
実際に作って使おうとして一番問題になるのは、当時なら4558ってので満足出来るか353ってのにしなきゃ駄目なのかとかそう云うのが真のポイントなのにさ。

設計ミスの駆逐に始まって組立ミス・半田付不良等数多の難関を克服して、やっとの思いで完成に漕ぎ着けたのにガッカリサウンドしか出せなかったら浮かばれねっての。
それと同様に各周波数毎に実用上特有の性質があるのに、そこには殆ど誰も触れてくれねえでやんの。

って事で先ずは150Hz以下の低音から参るが、そっから低くなってく程迂闊に盛り過ぎるとそれ以外の音が食われちまう現象がある。
特に60Hz以下になって来っと無倍音・残響多目環境下では、その音自体の音程も曖昧化するが他をマスクする威力が膨大化するんだ。

因みに大凡70Hzで、エレキGuitar開放6弦(E)の1音下げ(つまりD)だ。
故に↑なら盛大に盛って自滅気味になってもそんなに他パートは害さないけど、無神経にエレキBass等のローエンドを欲張り過ぎると他パートからひんしゅくを買っちまう。

悩ましい事に超低域って魅惑溢れる深い響きがするんだが、音程明瞭度と他パートに大迷惑を掛けない配慮をすると中々満足なだけ出せないもんだ。
もっと厳しいのがバスドラで、Classicオケのみたいに叩いた直後に手でミュート可能だと良かったんだけどね。

コレ直後っても欲しいローエンドが鳴り切る前に止めちゃうと駄目で、ペダル+脚では中々そこ迄精細にコントロールなんか出来ゃしない。
そこで大抵は次善策として倍音と抱き合わせにして凌いでるが、ポピュラー系用楽器ではそれでもチト苦しい。

のわ音程がオクターヴ下がってんのに、皮の直径や弦長が倍にはなってないっしょ。
そうすっとファンダメンタル(基音)量も減少するが、何よりの損失は明瞭度がそれだけでかなり低下する事なんだ。

不足気味だから盛りたいのに、盛る元が曖昧とは泣きっ面に蜂でんがな。
そんで意固地になってガンガン盛りゃ、大量のクレームを皆から頂戴するってな。

理論では大抵実過酷環境の影響を不問として書いてあるんで、専門書で知恵付けてその通りにやったのに何故に怒られるとなり易い訳ですわ。(確かに各環境を網羅しようとしたらキリが無いが)
この性質更には「低い音程になる程綺麗にハモらなくなってく」に繋がってて、オケなんかで低音パートが複数人居ても殆どユニゾンでしか演んないのはこのせいだ。

現実的には奏者にこそ大いに関係する案件なんだが、Classic時代は編曲者の仕事と考えてたのか楽器の○○教室で殆ど教えられる事が無い様で困る。
そんなこんなで150Hz以下ってぇのは、他とは別の独特な注意が要る。

-つづく-

2025年4月27日 (日)

音楽備忘録2079 音プロの音楽の聴き方⑯

だば低・中・高域等の分類の仕方だが、大枠でオーディオと楽器で異なる原因は既に綴った。
その具体的目安は主に中高域の相違にあるが、低音楽器は更にその枠とも違って来る。

してオーディオでは音楽的働きより再生装置等の都合が優先で、3Wayスピーカのウーハ・ミッドレンジ・ツィータ等の帯域分割と近似だ。
一般の音質調整にオーディオ用のグラフィックEQもあるにはあるが、非専門家が扱うにはあまり向いてないんだ。(但しスピーカ等の補正用途は除く)

のわ一般聴者の当座のニーズはもっと大雑把な方が多いからで、なるべくスキルレスで思った感じに近付けられるのが相応しいから。
で低中域の境界は凡そ300~400Hz・中高域の境界は2~4kHzとなってて、旧標準での各帯域中心周波数は低:100Hz・中:1kHz・高:10kHz程度だった。

のが近年はワイドレンジ化に呼応して夫々80Hz・1kHz・12kHz位がデフォとなってて、オーディオとしての中域の核なんで1kHzだけ不変になっている。
のわⅡでオーディオの場合あらゆる音源がある都合上、極力どんな音にも大抵は含まれてる箇所を中域の核と考えてんだ。

因みに人耳の最も高感度なのは2~4kHzなんで、それからすりゃそっちを核にしといた方が好都合な気がしないでもない。
だが目立つって事は過剰になりゃ煩いし他を侵食・マスクする欠点があるんで、全体を極端に変容させないのも配慮して↑より少し下に設定されてんすよ。

それより大事なのが比較的広範にじわ~っと効く性質で、弄れない帯域の発生防止とピンポイントで音源に含まれる何かだけを悪目立ちさせないのを兼ねてんだ。
まあ兎に角色々事情があって最大公約数としてんだが、楽器の方はその面からは全く別物と思った方が良い。

外見はオーディオAmpの3Tone仕様もGuitar Ampのも、呼称も含めほぼ同じなんでとても勘違いし易いがね。
基本的に扱う音源の性質が全く異なるから、楽器用のは各々の楽器に特化させてあるん。

そして最大の相違点はわざと弄れない帯域を設けたのも少なくない処で、Ampも楽器の半身との考えから自在な調整力より個性を重視した結果なんだ。
中にはオーディオライクな特性にしてあるのもあるが、基本的な仕事が修正より創作だからだ。

例えば伝統的Fender Ampはやたら低域の調整巾が広いが、楽器自体の低音量が乏しいのでも伴奏に使える様にそうしてある。(代用Bass)
のと比べると伝統的Marshallは歪ませと低域がやたら響く舞台(≒大ホール)に最適化したから、上記と比べたら最早低域を調節出来る気がしない程だ。

っとこんな具合だから音楽での周波数の知識は、録音やPA技師を除けば取敢えず自身の扱う楽器に必要なのだけなるべく詳しくなれりゃ良い。
唯HzとかkHzって何?でほっといては流石に苦しく(kHz=Hz×1000)、基本は感性重視も同業者との知識交換時の共通言語としてとても有益なん。

A君の言う煌びやかとBさんのそれでは各自の感性事情から、実際には異なる帯域を指すなんてケースがとても多い。
完全唯我独尊で行くなら未だしも、密かに他者からもアイデアを頂こうと思うなら周波数の最低限の理解は必要なん。

-続く-

2025年4月25日 (金)

音楽備忘録2077 ’70年代Rockの浦島太郎㊺

さてマニュアル執着の問題点は他にもあるが、その嚆矢は用途外活用じゃないかな。
メーカ側としては何されるか分からんから保証対象外になるし、成功率が低い割にハイリスクなのは間違いないんだけどね。

けれど従前の枠内でどう捏ねようと、それじゃあ結果もほぼ従前の範囲内に限定されちゃうんだ。
それがもし安全面に関わるなら変な冒険なんかすべきじゃないが、音楽なんて内容が空想の産物なんだから実害は遥かに少ねんですよ。

少なくとも生命の危機に瀕する機会は極小で、そりゃなるべく機器だって壊したか無いがね。
処が形ある物何れは崩れるで、寿命は様々も絶対に一生持ってくれるとは限らんのどす。

そこから見えて来るのが寿命間際と思われるので試す方法で、これ実際に鉄道車両等では古くから実施されてる手段なんだ。
廃車解体が決定しててどうせバラすんなら、その前に衝突事故の実体シミュレーションに利用したりさ。

実はマニュアルにも「質の差」っつうのがあって、今劣化本邦の電子機器には唯の1つも回路図が付いてるのにお目に掛からなくなっちまった。
と書くからには主に真空管全盛時代の頃のには、日本でだって巻末か別添付で付けられてたんだ。

折角だから一例を紹介しとくと一体型のステレオ再生装置やTVの裏蓋に封筒が背負わされて、その中に折りたたまれて回路図が入ってたん。
そりゃ信頼性が今より格段に低かったんだから、せめてものお慰みで…なんてケチ付けるのは何処のどいつだい?。

まあ確かに頻繁に不具合は起こしてたけど、滅多に不具合が出なきゃ修理の為の重要情報を非公開にして良いって事ぁ無かんべよ。
今劣化本邦で杜撰大王がこれを問題視するのは、メーカが面倒を見てくれる期間が短目だからだ。

家電標準寿命が6年だからって、本来より長く使って貰えたら喜ぶべき事象。
中々壊れないと次を勝って貰えんからは分からんでもないが、その際消費者が必ず同じメーカを選ぶ保証なんて無いのにさ。

結局自らブランドの誇りを捨て当座の売り上げに全振りしたんだから、低迷するのは至極当然だぁ。
わ兎も角万全なアフターとは到底言い難く、その面等では昔より購入者自身で色々考えとなきゃなんなくなってんすわ。

ので長期視野に立てばどんなにマニュアル尊守したって先は分からねんだから、もうちったぁ自分自身で考える癖を普段から養っとくのがお勧めなんだ。
そうしといて大損しないのは、考えた上でその時点ではマニュアルに従うって選択肢もあるからだよ。

のが逆は無いし万一マニュアル不記載の事例に出くわしたら、そこで一巻の終りが来ちゃうで。
しやしかし昭和の頃or世代にはこれっぽっちも取説に目もくれずやらかす奴が多かったのに、今度は読むばかりなんて逆へ振り過ぎだわさ。

何時の時代だろうと熟読せずとも一応全部目は通しといて、自身でもそれなりに考えなきゃ駄目に決まってんのに。
確かにケータイショップで列をなす昭和以上世代の汚客様逹の自助努力ゼロには呆れるが、幾ら反動とは言え間に平成が30年以上もあったんだから。

今マニュアル盲信に溺れてる人も後10年か20年後には、晴れて老害入りおめでとさんでんがな。
現在の老害とその場所は真逆に近いだろうけど、現役世代にとって話が通じない相手になるのは一緒だ。

-つづく-

2025年4月23日 (水)

音楽備忘録2075 音プロの音楽の聴き方⑮

さて周波数で1つ大事なのが、各楽器のとオーディオでは低・中・高域が夫々別物である事で御座んす。
色んなのを同じ単位で扱えると覚えるには楽で良いが、電気関係のとリアル空間音波が一緒な上に更に↑とは何ともややこしい事ってすたい。

そこに惑わされずめげずに精進願いたいが、敢えてバラバラに覚えちまえばどうってもんでもないんすわ。
杜撰大王は学問としての音響も学んだからそうは行かんかったけど、技師なら未だしもミュージシャンなら他分野とリンクしなくたってへっちゃらなんだ。

それより楽器毎とオーディオでは分別が異なるのと、自担当楽器ではどんなのが低・中・高域なのか先ず知るのが大事。
性質が似てて音域が違う楽器で比較してみるのも良策で、基本的に楽器では音程や基本音色を司ってる周波数帯域が中域と扱われる。

但し楽器種次第で2次倍音の方を扱う場合もあり、その理由は聴き取り易さに依る。
どゆ事なのってば特に低音程は、余程好条件じゃないと正確な音程が把握し辛いかんね。

一定以上響いてそんなに広くない場所だとエレキBassの低い方が実際出てるのより高目に聴こえるとか、担当者以外にはバスドラにもちゃんと音程があるのに全然気にされなかったりとかするやんけ。
って一般ピーポーが気にならんのは仕方ねえが、過去の録音クウォリティでは出てた音全部を拾い切れなかったってのもあったべ。

その際の代案として倍音で実音の音程を想像させるって方策が取られてたのもあって、今でもローピッチのバスドラとか多弦Bassの普通より低い方ではルートを中域に含めない考え方が存在してんだ。
低音ヲタの杜撰君としちゃ可能な限り↑にゃ抗ってるが、アンサンブルバランスを保持する為にお邪魔になってたら降参だ。

閑話休題して高域の方も絶対的共通尺度がある訳じゃねえが、基本的には完全cutしても音程感に悪影響が無い高さと思えばよろし。
で大体は収まるし区別が付くんだが、Cymbalみたいなのになるとそのままじゃちんぷんかんぷんだ。

その手の楽器で迷わされるのは、そもそも楽器の象徴的音色に裏があるねん。
裏ったって所望音色を得ようとしたら偶然なったのが多いが、拙ブログでは毎度お馴染み「目立つ倍音」等を基本音色扱いしてるからなんだわ。

他にも楽器音と言うにはちょっち苦しいが、楽曲に必要だから意図的に入れたピンクやホワイト等のノイズも又厄介な存在だ。
このケースでは主に他楽器にマスクされない帯域が主戦場で、超低域や高域であってもその音に限って中域と同等扱いする場合がある。

こんな事情があるからにはそこそこ個人差が生じて当然で、分類の仕方が色々あっても間違いは少ない。
これも困惑させる原因になってはいるものの、下手に1つに拘ったり絞ろうとしなきゃどうって事ぁ無いんすよ。

次回参考に各帯域例を一応紹介するけど、概念的なもんの方がこの件ではずっと重要なのだ。
①聴き取り難易度と②音程支配にさえ注意してれば、未体験の楽器やサウンドに遭遇しても何とか手に負えるん。

但し経験値はそこそこ必要で、この件の場合簡単にはアナライズ出来ない音があるからだ。
そして結局は要Cut and Tryに至るが、その際目安値を知らなかったら労力が何倍にも増えるですよ。

-続く-

2025年4月21日 (月)

音楽備忘録2073 ’70年代Rockの浦島太郎㊹

続いてネック反り調整と関連のある話しを補遺として少し綴るが、正規音程で張りっ放しが苦手な機種・箇所は他にも幾つかあったでよぉ。
例えば大昔述リッケンBassの旧型テールピースの捲れ上がり現象、あれも数時間以上弾かない時に弦を少し弛めときゃ殆ど起らないんだ。

と云う様にやはり古い楽器程手放し放置は非対応で、それが近年ので減ったのは設計変更もあるが恐らくは材質の向上だろう。
但しここでの向上は扱い易さについてだけで、残念乍らサウンド面では利便性に負けて少し低下してるのが殆どだ。

尤も実用的にはどっちもどっちで、メンテが大の苦手とか演奏にだけ専念したい人にはね。
逐一手間掛けないと良い音出せないのは音楽ツールとしては最善では無く、少なくとも練習等には余計な手間は掛からない程良い。

だが機会はそんなに多く無くても、どんなに手間暇が掛かっても出せる最良の音を求めた時それじゃあ困る。
タイトル通りその辺の昔の常識を敢えて追加で綴ると、スナッピー以外にDrumsetにはまだ迷う事案があった。

のがHi-Hatスタンドで、フットボードとTop Hatを上昇させてるバネの事情だ。
今ではバネ材質の向上等でそんなに気にされてないみたいだが、実際昭和以前のでチープなヤツだと不使用時クラッチネジを緩めて重さが掛からん様にしとかんとバネのヘタるのがあった。

宅でもその頃の慣習からずっとそうしてたけど、バネには良くても他で不都合を生じるのに気付いたん。
他楽器の音とか過積載貨物自動車の振動で、要らん時にジジジと余計な雑音を発するだよ。

って後者は宅の特殊立地条件由来だが、残響率低・高遮音のハコだと妙に気になるんだよ。
そこから思うに過去のだろうと今のだろうと、業界の常識に従ってりゃ何時でも何処でも最良とは限らんって事。

本来は状況次第で最適対応を模索すべきなんだが、昨今の闇雲なマニュアル忖度の横行が自身で考えるのの敵になってやしないか。
で近年のマニュアル神論!?の大元を辿ってみると、恐らく欧米白人デジタル機器関係だと推察される。

して彼等を多少はディスるけど、それより考えるべきが奴等は夫々がかなり身勝手な民族だって点だ。
私感としちゃキリスト教カトリックで定めた厳しい戒律と同じで、それ等の解釈をこっちが勝手に誤認してる件ざんす。

中にはその戒律を死守してるのも居るがそんなの極少数派で、表面上は兎も角内実はかなり滅茶苦茶に乱れてたのが多い。
過去日本では正当化するのがもっと上手だったからか異端の方が少数派だったが、「なまくら坊主」なんてのがこっちにも古くからあったべさ。

で欧米白人の趣旨としてはどうやら訴訟対策と、従わないからこそ煩く書いとく式って事だと思うんだよ。
基本的に何でも自身で考え判断する大前提の上で、一応最大公約数的最善策は書いときましたからねって感じ。

無論さして問題無くばマニュアルに従うのが最短コースにはなるが、どんな事態になっても「お上が言うんだから」なんて自分で考えもせず盲信すべき対象なんかじゃちっともねんですよ。
もしマニュアル好きなんだったら結局は自身の使用状況・メンテ実態に合わせた、オリジナルカスタムマニュアルみたいなのを自作しとけって事なんじゃね?。

-つづく-

2025年4月17日 (木)

音楽備忘録2069 ’70年代Rockの浦島太郎㊸

話題は打って変わって楽器の調整は今だと専門店等に依頼するかYoutube等首っ引きで自分で頑張るかに2分化してるが、非デジタル系の場合本当に知っとくべきは「手加減」なんだ。
最終的には体験レクチャーを受けるしかないが、Pianoの調律以外は意外に中々そんな場が少ない。

拙ブログだって基本文章でしか伝えらんないけど、これを意識して何とか文面化してみっべ。
で最初はGuitar類のネック反り調整についてだが、今はトラスロッドとそれに付いてるナットの締め具合でするのが主流だ。(※Fender系の一部では工具としては⊕ドライバを使うのもあるが部品的にはナット)

実際のやり方は慎重に・徐々に・反りが一定以上だったら数回に分けて等と言われてるし、ナット締めのトルク(回転力)が急に重くなったら即座に一旦留め置けとも語られてる。
しかし現況自動車ホイール用のトルクレンチみたいなのは見掛けず、手加減の具体的数値は未発表だ。

って実はそれがあまり意味を為さないからなんだけど、せめて腕相撲とかで「こん位よ」と提示されなきゃ中々感覚実態が分からないよな。
そこで別角度から、基本理念を通じて解析してみませう。

それは色んな弦楽器の発展経緯から、各部がどんな働きを担わされてるかだ。
製作側で使用弦の指定をしときゃその張力の計算値は出せるものの、楽器より後から新しい弦が出たり言う事を訊きたくない奴も現れるのは想像に容易い。(制作社の所有じゃない等)

となると弦張力の分予めネックを逆反りに作っといても、フィットしない場合が多発するのは目に見えてる。
それ以前に昔の弦は切れ易かったし、毎日ずっと1日の半分以上弾かれ続けるなんて事ぁ滅多に無い。

これ等を総合的に鑑みて弦が張られてない時に、真っすぐになってる様に主に木でネックは作られてる。
そしてトラスロッドの方は基本「追加される弦張力」にだけ対応させる思想で、万一弦を外してもネックが反ってるのの修正なんかには元は非対応設定なんすよ。

のが何かの事情で長く調整を放棄されたりすると、木部に「反り癖」が付いちゃってたりするのよね。
その程度が軽い場合に限り本来の目的とは違うが、トラスロッドをたまたまその修正に魔用出来ちゃうケースがあるってだけなんすわ。

だからロッド本体は未だしもネックへの取付け部強度が、木部変形を全矯正出来る程は無いのも少なくないん。
実際治療可能な範囲で重症のには、リペアマンは「ネックアイロン」ってのと固定治具を使ってんだ。

因みに滅多にそこ迄酷くはならんが↑を超過したら、ネックだけ或はボディ毎(スルーネックの場合)交換となる。
そんでネックへは後年他の材料も用いられてるが基本思想は一緒で、Steinbergerのネックにトラスロッドが未搭載なのはClassic Guitarと同じ発想からだ。

木より遥かに強度の高いグラファイトを用いる事で、想定弦張力が追加されてもバランスを普通のロッド入りネックと同等にしてある訳だ。
現に長く預かり中のSteinberger Bassは弦が正規音程のまま何年も放置されてたからか順反りしてて、弦を緩めて1週間位放置しといたら何とか真っすぐに戻ったよ。

まあ他のエレキに慣れてると一々毎回チューニングし直すのが面倒になっちゃうし、数の売れるエレキではそんな扱われ方にもまあまあ対応されてんだけどね。
上記後者には旧型リッケンBass等が該当しててこっちはネックは平気だが、アルミダイキャスト製テールピースの捲れ上がり症状が出る。😢

要するに一定以上の反り修正にトラスロッドだけを使うのは、本質的には次善策のままなんすわ。
最適解じゃないからには多少の手間暇は惜しんじゃ駄目で、1回の修正量に制限が掛かるのと必要な回数だけ繰返さなきゃなんないのは仕方ねんですよ。

=つづく=

2025年4月 5日 (土)

音楽備忘録2057 ’70年代Rockの浦島太郎㊵

さて加齢に依る歌唱力の劣化には色々なパターンがあり且つ複数となる場合があるが、杜撰大王が考え得る範囲で先に羅列してみよう。
代表的には①音域の狭隘化②歌唱用肺活量の低下③音程維持力の低下若しくは喪失があるが、以下に夫々について詳説致しませう。

の前に何れにも共通な原因を挙げとくが、少なくとも気付いた当初は純粋な肉体劣化より久しく歌ってない事の方が遥かに大きいみたいだった。
個人差はかなりのもんだろうけど仮にカラオケ等で割と歌ってても、本格的爆音Bandで本格派シャウトをするのとは全然違う。

人に依っちゃ切捨て御免になるがそれ位の声量で歌えないと、正規の爆音系ではそもそも自分の声がコロガシ(モニタスピーカ)使わなきゃ全く聴こえんくなるんだ。
立ち位置不動で居るなら未だしもアチコチへうろついたり、客席を駆け回ったり観客にダイブする可能性があったらモニタなんてアテにしてらんない。

ならばとインナーイヤーを使えばそれは一応クリアされるが、狭隘Live Houseで同期物でも無いのに装着してたら聴覚障碍者と疑われるかもと毒づいとくかね。
いやコレ若かったら左程でもねえだろうが、体の動作に僅かでも心配な感じがする年寄りだとどうか分からんですぜ。

わ兎も角自分が日常的に爆叫びしてた当時は、徐々にそうなって行ってたからちっともその自覚なんて無かったのよ。
尤も私感でそんなのより深刻に感じてるのは③で、②については病気になってない限りある程度は訓練で戻せる見込みが立つ。

んが無意識下で歌って声に変な震えが何時も付いて来るとなると、別稿に綴った初期Beatles唱法でもしないとどれだけ「無駄に震えてるか」さえ把握し辛い。
杜撰大王はたまたま昔歌のビヴラートが大の不得意だったからかなり敏感になれてるが、心地良ければ最初からずっと歌声に震えは付いてても問題無い訳だからね。

但しそれが初期段階から不適切なものであれば、修正出来なきゃ歌手への道は閉ざされる。
と考えてくと全く揺すれなかった俺みたいなのかまるで常時極度に緊張してる体のブルブル声なら既に学んでるが、大した壁も無く歌える様になった者に指摘し自ら修正意欲を持って貰うのは中々に厄介なんだ。

又奇特な見解か分からんが杜撰君初めて録音された自分の声に即死んでやろうかと落胆したが、それから長い年月が経つと諦めが付いたか開き直ったか知らんがちっとも気になりもしなくなった。
俺よかマシな声の持ち主だったらもっと否定感は無いだろうから、好み完全無視で客観的に聴ける耳を持って無いと「そーかぁ?、前からこんなもんじゃねえの」となっちまいやがる。

つまりはそれなりに良かった若い頃の歌声を、そもそも自身が正確には把握出来てなかったんじゃないだろうか。
先ず「良かった」の判断基準からして、いたいけな少年と大ベテランに対しては異なってる公算大なんすよ。

この様な認識差は歌が一番顕著だが、それに続くリズム(ノリ)についても状態次第じゃ結構深刻なんだ。
例えばたまたまヘヴィーな仲間とそんなのばかり演ってたら、普通の人とは重過ぎて合わなくなってるとかね。

稀にトラで普段と正反対なのでも演らされてりゃその時点で気付けてたが、極端なので長年無事に済んでたら自身のノリは重いなりに普通の範囲に収まれてると思っちまう。
つまりⅡで加齢ブランクの克服には2つのポイントがあり、出す方(演奏)と同じ位入れる方(聴いて判断する)にも良く目を向けなきゃアカンのよ。

-続く、か-

2025年3月24日 (月)

音楽備忘録2045 ’70年代Rockの浦島太郎㊲

今日は長く続けてると生じるブランクについて綴るが、若い時には例え不慮の怪我で強制的に休みになっても回復が早い。
のが齢を重ねるにつれ肉体の回復は遅くなるし、それ以上に生活に関わる諸々に忙殺されての復帰機会逸失等色々な障害が立ちはだかって来る。

不慮の事故に次いで意識不足の不摂生での肉体故障に襲われたら諦めるか新手段に打って出るしかないが、それで無くても老化補填対応等に追われて中々しんどい思いをさせられたりするもんだ。
この面での最高幸運は気付いたら続けてしまってたになるんだろうが、厳しい現実は滅多にそんなの許しちゃくれない。

肉体面も然る事乍ら気力や意欲の継続が更に至難で、逆にそれに浮沈が無ければ盲目的に有効度の著しく低い努力を続けてたりするんすよ。
あとほんの僅かで何かが出来そうな時、人は自然と追い続けたい心境になる。

が当分続けて何の成果の片鱗も見えて来なきゃ先ず萎えるし、そこでへこたれなかったらそれは素晴らしいが何か大事な要素を忘れたままの徒労を知らずに続ける事となってたりする。
のを思えば壁にブチ当たる実感が無いっつうのも考えもので、唯の夢ならそれもアリかも知らんがリアルで実現させたいならそんなマインドじゃ困る。

私感では10万か100万人に1人位なら才能や勢いだけで進化し続けられる者も居ようが、それですら大きな挫折無しでは進化時期の終焉が定かじゃないし何時訪れるか不確定だ。
演ってる間中僅かでも進歩し続けられる為には立ち止まる機会も必須のもので、従前以上に自然と深く考えてしまう時間が大切なのだ。

普段ロクに考えず行動する感性派の杜撰大王だからじゃねって、それでより痛感させられたのは確かだろうけどね。
どんなに普段から全方位に熟慮してても、想定外の壁にブチ当たりゃその解決には新発想が必要な場合が多い。

加えて頭でっかちになってると他人に示唆するには足りても、自身で実現するには練習や実験が必須だ。
編み物とか・絵画・小説から工作や電子回路趣味では未完に終わるのも少なくないとは言え、全く作ってみようともしないなら収集ヲタなだけ。

音楽でも演るのは僅かで満足出来るなら良いが、かなり自身で演ってみないと実際には満足感を得難い。
その意味では一般屋内系趣味より、遥かに屋外系のスポーツなんかに近いんですよ。

それが昭和の頃迄は世の中何でも「手動」の方が多かったから、特に↑みたいな意識をせずとも多分当然の様に出来てたんだがね。
只でさえ加齢で億劫になってる処へ、昔と比べたら今は何でも「自動」の世の中だ。

から昔はリアル楽器で実演したが今は打込み専ってんなら上記みたいな葛藤をせずに居られるが、時代は令和でもエレキだのBandだの昭和以前に登場してたのをやろうとすりゃ「今普段はしなくなった手間」が付き纏って来るのは至極当然なのよ。

そしてかつて実行出来た者には多少の劣化はあれ演れてた保証がある訳だから、やたら急いだりしないで調子がある程度戻って来りゃそんなに苦にはならないん。
と分かってても腰の重いのが加齢のなせる業だが、最初から欲張るのがもっといけねんですよ。

-続く-

2025年3月15日 (土)

音楽備忘録2036 今更Beatlesから学べる事➒

今回は4人の中だと最も評価の難しいJohn Lennonだが、広大な視点で眺めれてみればその真価は案外単純で分かり易い。
ので誰でも真似出来る様な気がするが、参考にはなっても同等に演るのが実は最も困難な人だ。

そんなのがあったりするから正確な評価がされ難い様で、神と崇めるのも幸運なだけと評するのも居る。
杜撰君的には「損なタイプの人」と捉えてて、普段癖強なプレイが目立ってるもんだから真面目に大人しく演った分の多くは他の誰かのと思われてる節がある。

その一例でThe Long and Winding RoadのBassはJohnだが、浅はかな世間一般論では彼の演奏ミスだけが妙に強調され優れた点には一切触れられて居ない。
だがその時点でソロ作でのBass奏者の個人的好みのタイプが既に表出してて、音程の比較的離れた和音でのグリッサンド等が実演されてたんだ。

確かに不慣れに依る拙さは否定出来んがメンバーの誰かがそんなにショボいと思ってたんなら、スタジオ録音なだけに差し替えてた筈じゃんか。
少なくともこの曲にはそれで及第してたからそのままにしてあった訳で、言うなれば外野の身勝手な過大妄想の餌食になってたんすよ。

この点StonesのCharlieと少し似てるが、未だ曲や歌唱と比べると演奏や編曲力はとても正統評価されてるとは言い難い。
それ以上にトータルアーティストだったって論評が少な過ぎで、個別に重箱の隅突きだけで判定するから判断を間違ええるんだ。

又声色に恵まれたからと思ってるなら残念で、確かにそれはあったがBeatles初期に最もしっかり歌い切れてた歌唱力を失念しての評価が何とも下らない。
ソロになって以降少なくとも録音作品で↑の唱法をしなかったのも仇になってると思え、多分本人としては既に出来たものよりまだ演れてない唱法への挑戦を優先したんでせう。

その結果Beatles中期迄のが好きな人と後期からソロ期のを好む人で分断が生じてる様だが、同一人物が両方を演ってた事にこそ真の凄さがあったんじゃないかな。
そう力説する裏にどっちも後追いなのにその唱法をたまたま大体会得出来たってのがあって、是又たまたまほんの一寸後追い世代だったのも大いに関係してる。

聴く方ではBeatles末期頃からリアルタイムになったが、杜撰君聴いてすぐに自分で挑戦しようとは思わなかった。
それでソロ中期頃になって本気になったんで、古いのも新しいのもほぼ同時に挑戦する事になっただよ。

したっけ正統派なBeatles初期の歌唱法の方が難しかったり、本当に声が鳴らし切れないと駄目なんで攻略が後回しになったんよ。
のどんな箇所に苦戦したかってば、シャウトしなくても継続的に力強く歌わなきゃなんない処でさ。

これには体も喉もRock歌手として出来上がってる必要があったみたいで、技術的な面だけでは到達出来ずかなり歌い込みを続けてやっとどうにかって感じだったんだ。
その意味で中期迄の歌唱を聴かずにあーだこーだ語るのは愚ってもんで、後年はかなりアイデアだけを優先しつつもそれを着実に実現する地力があったのがほぼ無視されとりまんがな。

何れにしても生涯ずっと曲やコンセプトに不要な腕は表に出さず仕舞いで、少し残念な気はしなくもないけど真の実力を甘く見積もるのは大変危険だ。
そんな面はJazz等旧世代レジェンドに近い物があり、自身はピエロに見られても構わんからひたすらお客を楽しませたいとでも思ってたんじゃないかな。

-つづく-

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