ベース

2019年8月19日 (月)

音楽備忘録⑫ Funkってどうすりゃ演れるⅫ

そもそも今更Funkりたい人がどんだけ居るのか分からんが、耳に触れる機会が減ってるだけに何とも言えないと思う。
打込み若しくはClickに縛られた演奏の比率が上がってしまった今こそ、若い人に程是非体験して貰いたいもんだ。
その上で嫌っても全然OK、それでもその手の類のは色々と肥やしになる筈だから。

例えば近年では伴奏と少しリズムがズレた歌唱は、一部の民謡・演歌系等でしかお耳に掛れなくなったと感じている。
が聴いて気に入って口ずさむのに打込み程の正確さが要るのかってば、別にそこ迄は要らんのですよ。
極論すれば常人が簡単に理解出来る状態さえ確保出来てれば、寧ろ恰好悪くたって変だって面白い方が印象には残るでしょうよ。

これって俺的には1に過度な商業主義の大手レーベル、2に奏者の無理なナルシズムが原因ではと訝っている。
特に音楽への理解が足りない人が無理するとそうなり、内容で攻めらんないからその分を体裁で補おうとしちゃったかな。

1については内容の可否が分からずに立派な作品を意識すれば、リズムや音程にズレが無いとか歌詞に間違いが無いとか「その程度」の処で小奇麗にするしかないからのう。
或はオーディオで名門のあの会社のがこんなに低音質かよなんて思われちゃ敵わんから、兎に角雑音や「そう思われる可能性のある音」は一切排除しとこうなんてね。

しかし音質は良いに越した事ぁないが音色が及第点に到達して無いのなら、オーディオ的にグッドでも音楽的にアウトなんすがねぇ。
しかもなまじ音質が良いお陰で余計に音色の貧相なのがハッキリ分かっちまうって、何で何時までも気付けないんだか…。

因みにあれですよクドイがオーディオ的高音質と音楽的好音色は不一致の場合も多く、強弱(音量)や絶妙なタイミングのせいでこの違いが出て来んのよ。
故に全く同一の音色でも機械と人の生のでは差が出る訳で、理屈だけの追及では音楽は手に負えませぬ。

2については俺だって少しでも恰好はつけたいしまあ人情ってもんざんしょが、SNSの盛り過ぎ画像と同じで度を越せば後で悲劇が待ってるだけで御座居ます。
これ皆さんはどれ位お気付きか存じませぬが、盛り過ぎ画像だって静止画だからあそこまでやれるし少しは誤魔化せるのでありんす。

そうなんですよ音楽には残念乍ら静止画に匹敵するのが無くて、視覚のでだと動画のしか無いんですわ。
つまり顔真似の瞬間芸みたいなのが出来なくて、時間的にある程度継続させんと中々分かっては貰えんのよ。

静止画であれば一番表現したい瞬間のみを記録出来るし、見る側がその見る時間等を自由選択出来るので理想状態を連続させるのはいとも簡単だ。
だが普通は「止めたら聴こえなくなる」音楽等では最低でもベターな状況を連続させねばならず、依って大幅な改変は困難なのだ。

これを極論すればどうしようもない物を無理に整えれば、もし欠点はある程度殺せても魅力の全く無い物となるのである。
結果欠点の少なさでは打込みに負け、魅力が無いから手弾きした価値すらも損ねてしまうだけなのである。

これが特にFunkみたいに感性・手加減頼みのものとなると影響最大で、変換すると奏者を恰好良く見せるのかお客さんを楽しませるのかの究極の選択とも看做せる。
勿論格好は悪いより良い方がお客にだって貢献するが、誤った縛りのせいで和ませ損ねたら始まらないのだ。

まとめるとこの手の味が命みたいなのになる程、上記の優先順位の尊守が鍵を握ってるんじゃないだろうか。
もしかしたら昔は恐ろしい達人の生演奏に触れる機会が多かったので、今よりも踏ん切りが付け易かったのかも知れんが。

<つづく>

2019年8月18日 (日)

音楽備忘録⑪ Funkってどうすりゃ演れるのⅪ

跳ねなきゃFunkyじゃないかってばそうとは限らんのだが、要所で適度に跳ねさせるのが一番効果的だと俺は感じている。
フレージングの影響だって大きいし大事だけれど、真のFunkyは何物にも左右されない自由さが根幹にあるとも考えられるからだ。

これ演ってる側の意識には少なくとも俺は、跳ねさせようなんて一々思っていない。
単にもっと調子良く囃し立ててやろうなんて気持ちなだけで、それを後で分析してみたら多くは故意に少し跳ねさせていたってな按配だ。

こう云うのはある意味ひとつの自然現象で、生身の肉体を駆使して演奏してると発生するもの。
そこで過去体験の中からBandアンサンブルでの練習のひとコマを披露すると、唯の8Beatの全パートユニゾンで次の様な実験をした事があった。

フレーズと
テンポは固定しといて最初は目一杯軽くとか重く、果ては生真面目or超いい加減とかの感じを極力出してみようってなもんだった。
工夫を凝らさんと効果の程は定かじゃないが、誰でも少しは演ろうと思えばそんな真似が出来るのだけは確かなのだ。

その狙いはポピュラー系歌物グループの特に歌の伴奏時、余計な物を加えられないのでベーシックだけで表現しなきゃなんないからだ。
上記のを厳密に分析すると表情変化の主因がリズムタイミング以外の方が大きい場合だってままみられるが、この手のになると打込みで再現するのはとてつもない膨大な作業量になるだろう。

本項Ⅶで演り始め時期に打込み音楽が既に普及してたかどうかを問題視したのもこの辺で、頑張れば同じ楽器・同じフレーズ等でもかなり音は変えられるもんなのの認識に影響しそうだからだ。
人力の生演奏だと常に音が変わって当り前、困る時もある代わりだったらせめてそれを活用してやろう等と思えるかどうかなのである。

では機械比だと融通・応用は効いても著しく不安定な人力なのに、下手に安定を求め過ぎるとどうなるか。
訓練次第でかなり安定度を上げられるっても、肉体の構造自体を変えるなんてのは無理だ。
すると体で出来ない分恐らく頭の中を不要に「固める」事となり、発想や思考の時点で「変えられない回路」が構築されてしまいそうだ。

本項Ⅷの楽器のセッティング案件も同じで、演り始めにどうにも上手く出来ないなんて時は演り易い環境が必要だ。
それが将来的な各自の理想とは掛離れてても先ずそこからスタートしないと、上手く行かぬ主因が人なのか道具なのか等がサッパリ分からなくなったりするからねぇ。

これ等の発想時点からの相違をFunkじゃないけど例示するとして、今日はBeatles-Helter SkelterのGuitarにスポットを当てよう。
ヘビーにするのを最優先した点でMetal系の元祖と思しき曲だが、そのヘビーさの表現手段は近年のよりかなり多岐に渡っていた。

Guitarの歪み具合だけなら近年のに完敗だが、それとは違う部分で無茶な弾き方をしてるのが否応なしに分かる音とされていた。
それは弾く時に弦を無暗に引っ張ってからはじいてる事で、それに依って音の鳴り始めの音程が本来のより上ずってしまっている処だ。

普段エレキしか弾かない現代人は大抵は音量や歪みの増加だけで対処しようとするだろうが、アコギ等生楽器だと最大音量を何倍にもなんてのは不可能だ。
だがアコギ体験が一定以上あると音量がもう上がらなくなっても強く弾いたりすると、上出の俺言い「ピッキングチョーキング」現象が起こるのを知ってる者も居そうだ。

良し悪しや好みは別として昔は今みたいに1ヵ所を極端にするなんて無理だったから、今よりもあの手この手とあらゆる方法を駆使して賄っていたのである。
今だってこんなの知りさえすれば即使える技なんだが、先ずは気付けなけりゃ知るのも難しいからね。

<続>

2019年8月17日 (土)

音楽備忘録⑩ Funkってどうすりゃ演れるのⅩ

前回はそもそも普段から「ちゃんと跳ねられてるか」の問題提起をしたつもりだが、最初はこれの誤認し易いケースを例示しよう。
その1はシャッフルのジャァーカ・ジャァーカとジャッカ・ジャッカで御座居。

ジャッカと演らずジャァーカはそれより粘っこいのを狙ってるんだから、それだったら少し位跳ね損ねても平気そうに思えるだろう。
だがもしジャァーカ…の伴奏にタッタターなんてメロが乗るとどうなるかで、メロも極力だるそうに弾くとしても基本3拍子なので跳ね具合は幾らも減らせない。

伴奏はずっと1拍3拍しか鳴らさなくても、メロは2拍目だけ鳴らす様な場合も考えられるからねぇ。
これからすると跳ね自体をあまり劣化させるのは得策じゃ無く、跳ねてるのを目立ち難くするのが無難と考えられる。
しかし原因が何だろうと聴いた感じが似てると一々普段は誰も気にせんから、自分がどの程度ちゃんと跳ねられてるかを案外分かって無いままで居たりするもんなのだ。

因みに余韻の短い楽器ではジャァーカとジャッカの違いが殆ど出せなかったりもするが、曲の伴奏フレーズがいたずらに楽器の都合に左右されるのは感心しない。
例えば太鼓でClosed Hi-Hatの閉じ具合をわざと緩めたりした時に、他パートと音の伸びが逆になったりし兼ねんからねぇ。

次2(に)Guitarカッティングをしてる姿を想像して貰うとして、4拍子系はジャカジャカの腕(若しくは手首)の振りは上下等速だ。
それがシャッフルだとダウンから弾き始めた場合、アップの時だけ高速化しているだろう。

せめて逆順なら引力は何時も「下向き」だからまだマシだが、1拍目しか弾かない場合等も考えるとダウンスタートの方が演り易い。
その結果慣れて来るとダウン時はほぼ脱力のみでアップ時だけ急いで力を入れる様な感じになって来るが、それでも慣性と引力の両方と喧嘩するんだから最初からそれなりに労力を要すだろう。

これが人差し指と中指で弾く(ここでは主にBassを想定)のであれば、太鼓の両手Hi-Hatに近似なので出来栄えは兎も角労力は本来は少なくなる。
対して鍵盤系でコード弾きとなると達人だとダブルストロークを使うかも知れんが、多分一番労力も要して只刻むだけでも中々大変だ。

それで左手と右手に分割してブンガブンガなんて演るので良く代用されてたりもするが、実は疲れて面倒な弾き方に慣れてる人程跳ねさせるのが上手になってる場合が多いのだ。
っつうかそれ位大変でも最初から頑張ってないと足りるだけ跳ねさせらんない訳で、嫌が応にも自然と注意力が働いている事だろう。

太鼓や指弾きBassだって楽と迄は言えぬが、他の絶対にシングルストロークしか使えない楽器よりはかなり負担が少ない。
因みにⅡで是迄に登場させた4種の楽器をどれも扱った経験からすると、太鼓が一番この盲点ってか落し穴に嵌り易かった。

俺の中では太鼓が一番歴が浅いのもあるとは思うが、Hi-Hat若しくはRideのチッキだけに注意を払ってられんのもあるかも知んない。
それ以外の全てでも太鼓は僅かでも気が緩むとそれが現われ易いものの様で、実は肉体より精神エネルギーを膨大に要求される感じを受けている。

尤も他楽器でも目一杯の歯切れやノリの良さを追及してる時は、殆ど全精力をそこへ注ぎ込んでいたみたいだ。
もし精神異常等が無かったらとても悲しくて凹んでたら元気一杯の音にならないのは当たり前だから、少々厳しくても気持ちのままの音が出てくれてた方が正常だしちゃんと表現力も持ててる訳だ。

単に4拍子かシャッフル系かだけだったらテキトーに演ってもどうにか手に負えるが、跳ね難いのを跳ねさせるだとか標準以上のが欲しいとなると理屈や技術だけでは不充分な場合がとても多い。
変なアドバイスだがとても浮かれてる様な時に、先ず試してそれを記録しといてみては如何だろうか。
誰だって凹んでる時のよりは、きっともっと跳ねてると思うんだけどな。

<つづく>

2019年8月16日 (金)

音楽備忘録⑨ Funkってどうすりゃ演れるのⅨ

これだけ耳タコに唱えたので読者の皆さんの心の準備は整ったと仮定して、俺的に山場と思われそうな処を記して行こう。
やはり決め手は「跳ね加減」だと考えているが、自由に加減するには跳ねさせるの自体がある程度上手くなれないと思うに任せない。

これには勿論技術的な問題も含まれちゃいるが、それ以前に精神力とでも言うか「意志の持続」が結構難物と感じている。
速いシャッフル等でもしばしば遭遇するのであるが、僅かな気の緩みでたちまち跳ね足りなくなったりしちまうもんなのだ。

猛特訓でもすれば改善は見込めるけれどスウィング度の件と同様最適値は変動するので、実際に演奏してる最中に微調整が常に必定と感じられる。
そしてその度合いが限界速シャッフル等と殆ど同じ位で、これには以下の理由が想定される。

1.跳ねなくても演れてしまうものを跳ねさせ様とするから
2.カウントを常に全部を跳ねたものには出来ないから
3.加減出来る余地がとても狭いから

では順に内容詳説へ進めるが1と2には相関関係もあるが、スウィングみたいに必ず決まった拍で跳ねるとは限らないのが挙げられる。
スウィングのチィンチッキならキのタイミングは基本的に、曲やテンポ毎にほぼ一定で途中で変わる事は殆ど無い。

故に脳内カウントをそうセットしといて、それに基づいてせいぜい微調節を加えればもうバッチリだ。
だがFunkでは4Beatじゃ無く多くは「8」や「非3拍子系」のニュアンスを上回らせたいので、カウント自体は普通の8Beatであるのが望ましいしその必要性だって大いにあるのだ。

これでは「あしたのジョー」のノーガード戦法みたいな状態であるから極めて危険で、わざわざ必要時のみカウントとは違うタイミングで鳴らせってな最早拷問並なのである。
演奏はその多くが奏者の肉体的には往復運動となっているからリズムも普通なら表裏一体で、その為にカウントは大きな効力を発揮してるのだ。

ずっと同じ刻みならその丁度真ん中が裏となり、それが息を吸ったりバチを振り上げたりするタイミングとなる。
特に連続させる時はテンポと腕等の往復を一度上手く一致させてしまえば、ヨレ無い限りはズレる心配をほぼ無くせる。
無意識にそれをこなしてる事の方が多そうだが、それがFunkではある意味使えなくなるのだから一大事なのだ。

3については3拍子系でもテンポが速いと片手では3つ全部の音を鳴らせなくなったりするが、それでは2つで構わなきゃ余裕は大きく拡大するのかが問題点だ。
両手でやって良いなら左右を1拍だけズラすと片方につき休みが常に2拍入るから随分楽になるが、片手だと休みの入らない部分が出て来るよね。

無論限界速は数が減る程上りはするが上述の様な状況となるので、連続させる部分の精度が余程意識しないとどんどん落ちてしまうもんだ。
なのでタタタを無理無くこなせるテンポならこの問題は生じないが、それ以上の場合は本人に自覚が無くても大抵跳ね具合が劣化しているもんなのだ。

それが3拍子系なら他パートもある程度刻んでるだろうからまだ助けられるし、幾ら跳ね具合が悪くても拍子自体が違ってしまう恐れは無い。
つまり論理的思考だけに絞るとFunkは技術的にはかなり高難度と云え、それだけに数値的思考に基づいてやろうとするのは苦しいし向いていないのである。

例えば0.007%なんてのは桁数も多いから複雑化するが、感性を主軸にすれば何%だろうと「気持ち○○」とかもうちょい○○で済んでしまう。
只でさえそれなりのテクが要るんだから加減を「計る」の位は、つまりせめて頭だけでもなるべく単純化しておきたいとそう云う按配で御座候。

<続>

2019年8月15日 (木)

音楽備忘録⑧ Funkってどうすりゃ演れるのⅧ

今回はFunk以外にも大いに影響する「リズムの捉え方」についてで、近年は基本的に何でもピッタリ合わせるのが常識みたいになってるが…。
ポピュラー系では聴者の慣れも意識してかかなり一致一辺倒だが、民謡系や古典大編成オケなんかじゃ今だって結構鷹揚でも許されてるがどうなのよっと


今回案件は俺的には例え全く打込まぬ人でも打込みからの悪影響に流されちゃった感があるが、確かに露骨にズレてるよりゃピッタリしてる方が整った感じを受けるのは分かる。
けれどもそりゃどっちかってば「分析耳」的判断をした場合の話しで、単純に音楽とか曲を聴こうとしたらやってる事が分かる範囲でならズレの有無等大した問題でも無いのでは。

僅かでもズレるとヤバそうなのの筆頭ってば軍楽隊辺りが思い浮かぶが、それだって行進の足並みを乱さないなら上官に殴られはしなさそうである。
無論「合ったら駄目」とは言わぬが、さりとて常に何でも機械のみたいに一致してる必要性があるとは思えんのよ。

またリズムのみならず音程の正確性でも同様で、今でもClassic Guitarには普通はオクターヴ調整機能は非搭載のままじゃんか。
実用上取り立てて差し支え無いのもあるんだろうけど、それよりも微妙に音程に依ってズレ方が違うのがその楽器の特徴ってのの方が大きいと考えられる。

Acoustic Guitarでも金属弦のには一部で少し配慮されたのもあるが、何時まで経ってもちっとも主流にはならぬままである。
これ等は物理理論的にだと旧時代的でしかないが、音楽理論的には迂闊に排除・修正するとどえらい問題となり得る。

奏者の訓練段階で正確性を求めるのは自然だが、特例以外でまさか機械の音を目指しては居るまいね。
そっちの路線にもそっち用のスキルがあり対称的な部分が多いので、だったら今時楽器なんか弄ってる場合じゃない。

尤もより動物的にするにしろ機械的にするにしろ表現力が必要で、味方と敵の両方をある程度以上知っとかなきゃどっちだって不完全になる。
自分では機械っぽいと勝手に思い込んでても、皆の同意が得られねば下手すりゃ逆行させてんだからさ。

何気に精神論・観念論的に寄ってると思われそうだが、一旦無用な縛りを解かないと核心には到達出来ない。
そこで別視点から考察願いたいのが時代性で望んで無かった加齢を痛感させられるのは辛いが、Funkなんてもう50年も昔の古いものなのが厳然たる事実なのだ。

例えば物理量の基準変遷等にそれが現われてるが、本日の生贄はエンジン等の「馬力」でありんす。
俺が無垢な子供の頃はPS基準・生意気になり出した頃はPH基準、近年は電動物が増えたからか電気モータでも無いのにkWが基準と変化した。
これを意地悪解釈すると同一のパワーが、上記の順で段々小さい数値となっている。

これが又昔からkWがデフォだった電車なんかのモータだと逆行してて、昔の表記の方が様々な点から随分と控え目であった。
例えば昔は今以上に消費電流の増加に依って電源電圧の降下が著しかったので、その分を差し引いた値とされていた。
なので大昔の電車を今走らせると古くなってヨレた筈なのに、昔より妙に走りが元気になったりした様に勘違いし易い。

この様に背景ってか環境差等にも充分な配慮が必要で、全くの現代感覚のままで処理するとそれだけでもう再現性を悪くしてしまう。
しかしもし妙にFunkに心奪われるってんならそれって侍に憧れるのなんかと似た様なもんで、どうでも良い場面で拙者とかカタジケナイとかほざいて「なったつもり」から入れば良いのだ。

尤も受け身で良いなら本邦には得意な人の多そうな「形から入る」で構わんが、楽器を実際演奏したいとなると流石に外見の格好だけでは苦しい。
そこで上記例に従えば歩く時今の普通は手足の左右は互い違いに動かすが、侍は右手右足・左手左足を一緒に動かすなんてのがヒントとなる。

これは演奏のフォームなんかだって含まれるが、先ず第一に配慮して頂きたいのが楽器のセッティングだ。
一度マスター出来て慣れてしまえば殆ど影響は無くなるが本項ⅥでBassで触れた如く、あまりにもやり辛い状況ではまともな練習にすら中々入れないだろうから。

<つづく>

2019年8月13日 (火)

音楽備忘録⑥ Funkってどうすりゃ演れるのⅥ

所謂Funkとは少し違うIsley Brothersも引き合いに出したが、変な誤解を与えてもいけないのでもう少し加えさせとくれ。
その訳をこれから暫し記すが他のと比べて一番ドラムに依存せずにうねっているからで、その原因の俺分析ではどうやらBassのノリが鍵を握っている様だった。

これを演ってるMarvin Isleyも時間の経過に沿って段々スラップを多用する様になってたが、スラップを不使用でもFunky度に何の差も無かった処が注目点だ。
イメージ的に近年だとFunk≒スラップな気配を感じるが、Funkの全盛期のBassには思いの外スラップは少なかった。

ちょっと意地悪になるやも知れんが非スラップでFunkyにするには、ある意味非スラップを感じさせぬ様なフレージングとタイミングが要る分高度とも考えられる。
それとそんなのを演ったFunkyな連中は余計な拘りとかが無かったからか、スラップも上手い癖に指弾きはおろか平然とピック弾きすら持ち出す始末であった。

かなりマイナーでコアヲタな例になって済まんがInstant Funkってグループのデビューアルバム、Get Down with the Philly Jump(’76)の1曲目が中々に凄い。
これIt Ain’t Reggae(But It’s Funky)ってのだが、オートワウの効果を最大限に引出す為かピック弾きになってるのだ。

俺みたいに古いのを聴き慣れていてもこいつ等以外でFunk Bassのピック弾きはAverage White Band位しか思い浮かばんが、内容充分ももしやサムピングが苦手なのかと一瞬過った。
何せ10曲中9曲目迄典型的なスラッピングが出て来なかったからなんだが、最後の最後に至って高速サムピングが炸裂し寧ろ一番得意だったのねとなった。

当時は他のでも今より曲中全部をスラップで通す方が少なかったが、その辺も含めてスラップに頼り過ぎる危険みたいなのを感じている。
スラップは効果を最大化しようとすると自然と跳ね気味になる事も多いが、それは必ずしも曲のリズムの完全把握とかノリに完全に嵌れてたから跳ねたとは言い難いのだ。

また全く個人的な掟!?だが俺はピックも指もスラップも何時も使いたいから、極度に奏法に特化した様な弾き方やセッティングは敢えて避けている。
高速スラップは軽く小さく弾かないと苦しいがその為に細い弦を低く張ったりしてると、今度は指やピックで太く重い音が出せなくなってしまったりする。

曲単位での変更なら楽器を持ち替えたりする手はあるが、それでは1曲の中で自由に適した奏法を選択するのが無理となってしまう。
現実的には普通のピックでは一旦意図的でも落してしまうと、休符が無ければ即持ち直したりは出来ない。
なのでどう頑張った処で完全に制約を無くせはしないが、曲事情では無く奏法都合でAmpの設定を毎回変えるの等は配慮さえしとけば回避出来るのだ。

この様に何時でも何処でも使える様にするには悪い意味での最適化が為されてては不都合で、それはリズムのタイミング等の件でも同様だ。
今回案件では編成・奏法に頼り過ぎていたら危険かもって事で、初期のChuck Berryみたいにバックが全員JazzでもしっかりRock出来ればもう無敵だ。

そして奏者がそう云う状態になれた時、何時でも何処でも必要とあらば必要なだけ跳ねさせられる様になれると思うのだ。
取組み始めは分かり易いのからの方が断然良いが、本質をマスターするには「見付け難いが跳ねてたじゃん」みたいなのが最高のお手本となるもんなのだ。

<つづく>

2019年8月12日 (月)

音楽備忘録➄ Funkってどうすりゃ演れるのⅤ

前回具体的にはAl Jackson Jr.とRingo Starr辺りから始まってると書いたが、それでは彼等は一体何を参考に思い付いたんであろうか。
それで思い出したのがChuck Berryで、Guitarはジャジャじゃジャ…のRockの典型的8Beatなのに、太鼓のRideが只の4Beatのレガートになってたあれだ。

曲としてはJohnny B. Goodeなんだがレコードではそうなってたのが、発売後のLiveではThe Venturesみたいな叩き方へ変わっていた。
何でそうなったかホントは調べるべきだろうが今回趣旨から若干ズレてるし、調べなくても察しは付くのである。

何しろ当時Rock’n’Rollを演ってた人なんて数名しか居なかったんだから、発明者以外つまりバックの伴奏者はプロとなると大方はJazz系等の人しか居なかった訳だ。
8Beatとしては太鼓が跳ねない方がらしさってか疾走感には優れるのでより適しているが、ミスマッチな筈のレガートの方にも独特な魅力があったのも確かだ。

Bassは4分音符主体なので除外するにしてもPianoもスウィングで弾いていて、これも理論的にはGuitarとズレて当たってる筈だが何故か気にならなかった。
Rideのスウィングしちゃってる処は当然Guitarと譜割り的にはミスマッチなんだけど、完全一致してなくても一々気にし無けりゃ問題無く聴けちゃう不思議があった。

全部がユニゾンだと明確・強力にはなるけれど、リズムパターンに対してアンサンブルのバリエーションが基本的には無くなってしまう。
そこへ配慮すれば聴ける範囲内なら全部を一致させなくったって構わなく、しかし一部のJazzみたいに全く各々が自由に振舞っているのとも一味違う。

これと質問者がホーンに拘ったのは薄々気付きかけてた可能性が高いが、当時の管楽器奏者となればよりJazz系の人しか居なかった処だ。
白人系のPopsではホーン不要なのが大多数だったから近年なら未だしも、Jazzが吹けないと食べて行けるだけの仕事量が無かったのはもう明白だ。

’60年代末になってグループの固定メンバーって席を獲得出来る迄は疑いの余地が無い話しで、それ位普段がJazz寄りだったのだから余計跳ねるなってのは無理だったと考えられる。
また聴き手にとってのFunkyホーンはとてもリズミカルで歯切れが良いが、管楽器自体は決して出音のタイミングを加減するのが楽な方では無い。

出そうとしてから管の長さ分だけ必ず音は遅れて出て来てて、素手で叩く太鼓や弦楽器みたいに触れたらその瞬間に音が鳴るのとはかなり違う。
しかも吹くには予め先に息を吸っとかなきゃなんなくて、かなり予測してタイミングを図らないと合せられない。

それを少ない体験で完全に8Beatにしろったて当分時間が掛った筈で、しかも上述の如くでそこ迄そんなニーズも恐らく余り無かったと思われる。
これからするとホーンは一番遅い時期までスウィングしてた事となり、音色も明瞭なのでリズムタイミングのサンプルとしても分かり易いだろう。

だがRock系にホーンは必須でも無いし、ホーンがRockらしさの部分を担うのは今だって少ない。
なので「Funkのホーン」と思うよりそれなら入門レベル程度でも充分なので、回りくどい事を言うよりJazz自体を少しかじっちまった方が手っ取り早いと俺は思う。

それより今回例示した初期のChuck Berryみたいなのの方が、これはJazzと名乗ってたのには無かったパターンだから重要だと思われるのだ。
加えてBooker T. & the M.G.’sは至極当然の如くJazzも難なくこなせる連中ではあるが、太鼓だけがスウィングなんてケースも見受けられる。

なので少々厳しいがドラマーが訓練見本とするのには、却って最適なのではと考えられるのだ。
場合に依っちゃ他パートには一切頼れず、ドラマーがそれを出来ない限り「あの感じ」が得られないんだからねぇ。
分かり易さでは彼等のでもSam & Daveのなんかが良いが、自分達だけの以外だとホーン等が入っちゃってるのが多いので。

<つづく>

2019年8月11日 (日)

音楽備忘録④ Funkってどうすりゃ演れるのⅣ

さて本項執筆のキッカケだった「ファンクにホーンセクションの入ったバンドって、最初にやったのは誰」、随分経ったのに結局答えんのかと思った貴方。
この後に一応記しとくけどあまり効果的では無いとの判断からここ迄引っ張らせて頂きやした、無論従兄には即答したけれどやはりしっかり但し書きは付けてね。

まだまだ全体説明の途上ですが兎に角Disco等の様な定型がFunkにゃ無いのを先ずご理解頂きたかったからで、Funkyさは共通でもかなり多岐に渡るテイストのがあるんでやんす。
もし具体的にJB(James Brown)のあの曲みたいにしたいとか明確なヴィジョンがあれば適したのも紹介可能ですけど、所望次第でバイブルは全く違うのなんてのが大いにあるからなんス。

取敢えず上記告知に従って例示へ行きやすが、一応基準としては’70に入る前から演ってた人達はこんな具合。
1.意図的にJazz Big Bandの流れも取り込んだもの:ChicagoとBlood, Sweat & Tears
2.ジャンルとして意図したもの:James Brown
3.スラップBass入りのもの:Sly & The Family Stone

しかし全面的では無く部分的Funkyでも構わんとなるとBooker T. & the M.G.’sが絡んでた人達のが非常に印象的で、もう彼等のデビュー曲Green Onionsに既に片鱗が隠され!?ておったのじゃ。
これの太鼓ってRideが基本4つ打ちなので良く誤解されんだけど、実際にはスウィングさせてるのでありんす。

だがRideをチィンチッキしちゃうと唯のJazzと一緒だし4Beatだと誤認されてもつまらんからか、ドラマーのAl Jackson Jr.氏は一捻りしよりました。
それは右手足のフレージングを入れ替えていて、手は4つでも実は足(バスドラ)の方で音符で言えば16分を踏んでるんでゲス。
但し手のチィンチキチィンチキ…をそのまま足にしたんじゃ喧しいし芸が無いので、ドンタンドンタァドドンと半分に減らしてみましただと。

当時の音響のプアさにこの回数の少なさも相まってとても気付き難い仕上がりになっちゃってるけど、もし無スウィングで叩いてたらオカズなんかを入れた時に他パートとズレる筈でありんす。
もしそうしてたら16分音符の時にズレる分却って聴き取り易くなって、最初から誰でも気付く按配で御座居ます。

これ以前のJazz界にも一部のキチガイBuddy Richなんかは、曲毎のバスドラフレージング何ぞをとうにやらかして居った様です。
しかしウッドBassではフルに踏まれてはBassパートが聴こえなくなっちゃうから、世間一般の人々には中々気付いて貰えず仕舞いだった様だす。

この点で相方がエレキBassの特有のドラムパターン(特にバスドラ)を開発したのがほぼ同時期に2名、それがAl Jackson Jr.とRingo Starrだったんですわ。
エレキBassならバスドラをフルに踏んでも聴こえる様になったじゃん、を活用し出したんですな。

Booker T. & the M.G.’sはRyhthm & Bluesのそれこそ核心ですから、例えスウィングしてても基本的には4Beatじゃ無く8Beat。
跳ねる8BeatってそれFunkの源泉じゃ御座んせんか、ねぇ。

因みに初期Beatlesは優等生ぶってたが内実はとんでもない曲者で、それを最後に例示しときやしょう。
All My Lovingってリズムパターン的には何Beat!?、Bassを聴くと4分音符のランニングしてるけど…。
太鼓もツッタッタツッタって演ってからやっぱ4Beat!?、の筈がハイパーキチガイJohn Lennonの異常なカッティングのせいで全くの別物になっちまったねぇ。

普通の歌のバックで3連符を全部掻き鳴らしちまったもんだから、スウィングより跳ねさせなきゃ合わなくなっちまたぞい。
だどもこう云う変なハイブリッドこそが跳ねない筈のリズムで跳ねちゃう訳で、一旦理屈を封印して感覚だけの発想をしないと到達出来ないんだよね多分。

<つづく>

2019年8月 5日 (月)

多重録音備忘録Ⅱ㉑ 楽器の構造とらしさⅡ

今回は俺言い「アクティブ過ぎるエレキBass」を生贄とするが、厳しく捉えるとそんなのを作るのは最早楽器屋の恥である。
これ大いに訳ありでかなり楽器にハイスキルな奏者でも、最初からじゃないと変更・改良出来ない部分を疎かにしているからなのだ。

部品を交換すれば達成される物なら後からでも出来るが、本体部分に関しては作る時点で考えなけりゃどうにも出来ない。
そんな製造者じゃないと手に負えん場所こそが作り手の腕の見せ所である筈で、材料入手等も素人では中々手に負えぬ部分なのだ。

この面で個人的に敬意を払ってるのがRickenbacker等で、失礼乍ら現代レベルでは搭載部品はBestには届いて無いとも思える。
それでもある程度使えてしまうのは本体部が良く創り込まれてるのと、本体材質のあらゆる面をずっと好評時のに近く維持させてるからだ。

Fender系の大多数みたいにネックとボディがネジで分離可能なら未だしも、スルーネックでは取替えるとしたら木部は全替えしか道が無い。
尤も過去に目にした文献では「交換用ボディ(無論ネック部含む)」すら用意があるらしいが、そこ迄に至ると楽器自体が別物になるに等しい。

どんなに高度なエレクトロニクスを搭載しようが所詮エレキは「半生楽器」、その事をあまりにも皆忘れ過ぎているのでありんす。
この件も御多分に漏れず基本的な歴史認識が足りてると回避出来るので、僭越乍ら少しそれを記しとこう。

そもそも弦楽器のエレキ化(電気武装)は音量不足が発端で、所謂エレキサウンドを得る目的では全く無かった。
近年ではより見掛なくなったが日本式にはフォークギター(ドレッドノートタイプ)と少し風貌は異なったが、ホントに只のアコギに電磁Pickupを追加しただけのが原形だ。

その格好は今でならフルアコから電気系統を取り去った様な物で、大昔はGibson等から実際に「そんなアコギ」が売られていたから興味のある人はググってみ
るべし。
Bassの場合も世間ではOld Fender Precisionが原典と誤認されてる様だが、実際はロクに流行らなかったがRickenbackerから第二次大戦前に既に売られてたのの方が本家本元だ。

Precisionを原典と看做せるのは「現代標準の」の但し書きを付けた場合のみであって、それにも大いに意義はあるが元祖なのはエレキじゃなく「フレット付きBass」の処だ。
俺的に今回案件ではこの差は大問題で、それはAmpに繋がずに使えるか使えないかの大きな違いがあるからだ。

誤認の原因は恐らくその風貌がPickup付きのコントラバスそのものだったからで、これにはシリーズ化されててViolinやViolaもあった。
肝心の!?Guitarの方は上記のと時期的には一緒だったが、当時のジャンルニーズと工作技術等の関係でラップスティール型のしか作られていなかった。

それが有名なFlying  Panであるが、恐るべきは最初なのに全アルミ製だった処か。
しかしその後リイシューがロクに登場しない処をみると、駄目では無いがわざわざ再生産させる程の魅力が無かったと考えられる。

特にオケ弦楽器のPickup付きと同時に並んでたんだから、前出Ampの有無で使える使えないに音量の他音色的にも大差があっただろうからねえ。
阿保臭いから試しゃせんけど金属胴のSnareへアルミホイルかなんかを革にして、鉄の菜箸かなかんで叩いて頂きましょう。

そんなんしたら良くてスチールドラムの出来損ないみたいにしかならんで、きっとSnareにはもう聴こえんくなりそうだし。
でもこれFlying  Panは殆どそれに近い事になってた訳で、スライドバーはガラスの他金属製もデフォだからその場合非金属はピックだけだったんだよなぁ。

今はエレキ系を本番でAmpレスになんか誰もしないだろうから無関係だけど、音色の源は電気系統より先に木部(一部金属)が司ってるんだよねぇ。
故にアクティブ(Preamp等が内臓されてる物)なだけで罪にはならんが、そこへ頼って木部(必ずしも木に限定はされんが)を疎かにしてるモデルにお金を払うのは勿体のう御座んス。

<つづく>

2019年8月 4日 (日)

多重録音備忘録Ⅱ⑳ 楽器の構造とらしさⅠ

技術は低いより高い方が良いし、脆弱より強固な方が楽器だって良い。
ばってん闇雲にそれをしちまうとその楽器固有の特性はどんどん損なわれ、最終的には超高級な音響発振器となってしまう。

1.丈夫過ぎる胴の太鼓
理想の皮振動特性だけを追及すると、太鼓の胴はどう叩かれたりしても微動だにしないのが宜しい。
胴が皮と共鳴した方が「良く鳴る」場合も
出て来るが、共鳴が何時も都合の良い方向に作用するとは限らない。

だから理屈だけならそれぞれが個別に黙々と仕事してくれるのが最良となるが、これが実現される程「太鼓らしくない」音に実際にはなってしまう。
これ極端に言うと「胴の音」が無いも同然になるからで、胴の材質や構造の違いがお留守となってしまうのだ。

最近は少し持ち直した感があるが、それでも俺的にはまだ丈夫過ぎる物が多過ぎると痛感させられている。
思想や実用的強度にも依るとは云え、「胴が出す音」が余りにも軽視されていると思っている。
そんなら胴なんて無くしたって大差無いじゃん、乱暴だがそれが本音だ。

2.丈夫過ぎる電気弦楽器の各部
こっちは太鼓よりは近年はマシになったが、一頃の国産の勘違いした豪華競争は最悪だった。
重くて高価の泣きっ面に蜂もだが、それより何より丈夫過ぎるボディでは弦に対する反応が減り過ぎていたからだ。

部品でもStratのブリッジの駒等が典型例で性能面では丈夫に越した事ぁ無いが、それでは変な癖を伴ってたが独自の個性が弱まってしまう。
元は鉄板を折り曲げただけだったのが立派な鋳物が主流となり、確かに音色の安定度は上がり余韻も長くはなった。

けれど使い易くはなっただろうが響きは単調になり反応の癖も弱まり、個性は大巾に減ったからそれなら他のでも構わんじゃんってね。
相手に依っちゃかなりの失礼となるが「チャラいからこそStrat」で、ろくでなしと知ってても優しいイケメンが人気なのと同じ事なのだ。

ここから後半は上記への反対意見を(あった場合)勝手に喝破させて頂くが、最初は変な正義感による公平性維持の為に上記の欠点を挙げて行こう。

1.についてはそれを避けると耐久性を気にしなきゃなんなくなったり、余韻長さが縮まったり鳴るポイントが限定される弱点が強まる。
なので楽器固有の反応や音色を無視すりゃ使い勝手が悪化するが、それでも平気な皆さんにはもっと安価に提供すべきだと考えている。

現にConga等パーカッション系では樹脂系胴を用いてそれが常套化してるが、本来ならドラムセットの方が悪影響が少ないんだが。
ドラマーに偏屈が多いのか妙な事にアクリルは残ったがファイバーは壊滅的で、木で分厚く作って機械的なのは許すってあべこべちぐはぐとは恥ずかしい限りだ。

2.についてはソリッドボディの変遷を追うと良く分るんだが、初期の物程分厚かったり削り込みやザグリが少なかった。
材質にしても後年のになる程柔らかいのの方が増えていて、硬いのを使ったのだと薄かったり極端に小さくしてあったりだ。

それでも使用弦の特殊性もあったにせよ一時結構なブームになったSteinberger等、現在本邦では入手が酷く面倒になった位廃れている。
所謂変形Guitarは元からニーズは少ないが加工性の良さとそんなに大きな材が要らないのもあってか、デザインは奇抜でも材質はオーソドックスが主流の様だ。

弦系はその揺さぶるエネルギーが太鼓等よりかなり小さいんだから、共鳴側がヘヴィ過ぎちゃ厳しいのだ。
機械の権化の様なアナログシンセを自在に操る様な達人も居るけれど、だからって楽器が機械っぽ過ぎても良い訳じゃない。
特に近年では「現物の苦労」等を避けたけりゃ、打込んじまえば済む話しなんだからさ。

<続>

より以前の記事一覧

フォト
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

最近のコメント

最近のトラックバック