電気

2025年2月15日 (土)

音楽備忘録2009 ’70年代Rockの浦島太郎㉘

今日は新楽器についてひとくさりと参るが、21世紀に入ってからは玩具と職人の道具の隔絶が気になるんだ。
そこで生贄にオタマトーンと古のリボンコントローラを取上げるが、後者の方は今となっては説明しないと全然分からない人も多いかも。

で早速説明だが杜撰大王も大昔一寸楽器屋店頭で弄っただけでちっとも詳しかないんだが💦、Synthesizerのコントローラとしてかつて存在したんだ。
残念乍らSynthe奏者って≒鍵盤奏者が主流だったから今一広まらずだったみたいだが、これはリリコンやGuitar Syntheも今の所は変わり者扱いだ。

でⅡでその正体はってばアナログのは完全に連続的に、音程その他をリボン状の位置で制御出来るっつう代物だす。
要するに現代のオタマトーンの先祖で、超簡単に言やリボさんは主に横方向だったのがオタちゃんは縦方向でコンパクトになっただけだ。

尤も形状とネーミングは新規独自のもんで、気楽さ手軽さに加え可愛さに萌て女子の方により人気がある。
操作(演奏方法)がGuitarなら通常奏法とSlide奏法みたいな関係で、もっと言や杜撰君的には自動車ギアシフトのマニュアルとオートマに近いと感じてる。

今の一般ドライバーはオートマの方が運転が簡単と思ってて、実際突き詰めなきゃそうだろうね。
けど例えば最速を叩き出してやろうなんて思うと、実は夫々に難しさが潜んでるん。(それ故近年の上級クラスのレースではハイブリッドシフトが主流)

実践的には奏者(ドライバー)の性質とか得意と合致してる方が好結果が得られるもんで、俺はGuitarだとSlideの方が性に合ってたな。
必ずしもテクレベル迄そうなる訳じゃねえんだが、直観的に奏でられるのは今でもSlideの方なんだ。

こう云う面で誰にでも適性があるから、理想的には両方が同じ様に発展してくれると良いんだけどねえ。
多数派が巾を利かせるのは已む無いが少数派にロクなのが無くなると、そのせいで万一にも貴重な才能の持ち主を埋もれさせるかも知れないん。

他分野でも同じく今劣化本邦ではそんな具合だから益々不景気になってて、ポテンシャルの大した事無いのへばかり予算を掛けてるな。
それでいてもっとギャンブル性MAXの投資には意欲があるってんだから、バカに点ける薬はにゃーでんがな。

わ兎も角音楽の方でこれの足枷となってるのが現行デジタルで、人間にバレない程度ではあっても真の連続制御が大の苦手なんす。
恐らくはこれが何時迄経ってもオタマトーンの本格版とかが出現しない理由で、かつて思ってたよりは音楽にデジタルは不向きだったって事った。

これを正直に認めない限りは先の展望は開けないんで、先ずは直ちに認める処から始めて貰いたいもんだ。
でⅢで今回言いたいのはちっとも近年のは「ロクにミュージシャンじゃ無い奴等」が作ってそうな処で、杜撰流の皮肉にすりゃ「痒い所にだけ手が届かない」ってなもんだ。

過去にだってその類が少しはあったが、許された・認められた原因ってのを全く考えてねえよ。
それ等の多くは既存のと「桁違いの高音質」だったりで、メロトロンが16bitサンプラーへ進化したみたいな差があってん。

そこ迄行ってると、電子回路をかじった程度のミュージシャンには到底作れないから。
しかも当時かなり詳しいってもアナログに対してで、デジタルが身近になったのはずっと後になってからだったし。

-つづく-

2025年2月12日 (水)

音楽備忘録2006 音楽でのアイデアの実現方法⑰

例に依って順番が逆みたいで何だが、番外編Ⅱは人造残響の秘密にもちょっち触れとこう。
人造残響だなんて変語にしたのはDelay・Reverbその他諸々全部纏めて扱いたいからで、更にはアナログもデジタルもね。

さてDelayの方はどんな人造のでも基本構造は天然のとそんなに違わないが、Reverbの方はアナログでも全電子回路生成以降の多くは構造が違うのにご注意なんす。
ビフォーアナログ全電子のは何かに響かせてそれを利用してたんだが、アフターのは動画と似ててその殆どは真の連続になってねんですよ。

私的にはそのせいで艶や雰囲気を劣化させてると考えてて、録音だって映画フィルムみたいに最初からコマの連続になってたら良かったんだがね。
コレ大元は苦肉の策か或は利便性やコスパの為かワシャ知らんが、人間の眼の錯覚を魔用する作戦なんだ。

動画をコマ送りしても超速記録のじゃないと、Buddy Richのバチの動きなんかだと間が欠落してたりするよね。
だと残念に思ったりすっけど肉眼で凝視してたって、とてもじゃないが凡人には全ての軌跡なんか見えてやしない。

全盛期のイチローだったら昔の漫画手法の1つよろしく、脚が描かれてた感じで軌道位は読めたか分からんがね。
それ故一般実用上は見分け限界を下回らなきゃ、コマ撮りされててもボロは出ねんですよ。

のが聴覚の方でも同様例えば凡そ間隔が20mSec以下になると、人間には音が2つあるのが判別不可になる。(少なくとも1つで無いらしきは分かっても何個あるかなんてのは)
しかし折角連続記録・加工出来てたのを捨てちまったせいで、音変化の途中経過情報が著しく減少してんすよ。

総体的には肉を切らせて骨を断ったつもりで大きな誤りでは無いけれど、音の存在感・艶・雰囲気やリアリティは結構減点になってんだ。
数年前から従兄とのユニットでは例外時以外リアル「階段バーブ」しか使ってねんだが、杜撰君の本音としては響き自体はギリ合格点って感じでしかない。

のになして執着してるかってば、残響音色以外の殆ど全てがその方がナチュラルでいられるからだ。
最適プログラムのデジリバの方が響き自体は遥かに美しいが、良く聴き込むと何か元音の方迄勝手に弄られてんすよ。

ノイズフリーで煌びやかさに限界が無い代わり、折角微妙なさじ加減が上手く行った演奏が何か単純化されるっつうかさ。
それだと楽器は現状殆どDrumしか演ない従兄の個性露出が減っちゃうし、従兄の所を一応活動拠点にしてるのにその場所固有の雰囲気も削がれちゃって。

この点だけは未だかつての「連続」式が圧倒的に勝ってて、特に生楽器にはより影響がある様なんだ。
最初から電気・電子の威を借りてるなら、既にその時点で固有の弱点もセットで入ってっから現行デジタルの御利益が勝ってはいるんだけどね。

従兄に忖度する気は皆無でもDrumサウンドに拘るのは、ポピュラー系では最もシンプルな演奏頻度が高いからなん。
弦や鍵盤なら物量作戦もし易いがそれが難しいんで(従兄の場合は叩けないんじゃ無く喧しくて邪魔???)、音色・表情・雰囲気等にそれ等以上に気を使わんとすぐ変質しちまうんだ。

個人的には担当の多いBassに矜持があるが、エレキの場合電子回路での小細工の余地が残ってる。
その余地が無い分Drumの方が条件的に厳しく、現実的には唯各パートの公平性を保ってバランスさせ易くしたいんすよ。

-続く-

2025年2月11日 (火)

音楽備忘録2005 ’70年代Rockの浦島太郎㉗

今日は副題「進化のバランス」を掲げて進めるが、私感ではあらゆる分野で今が最大かもと感じている。
多分世代的な影響もあるんだろうが、’70年代って未来予想図みたいのがかなり多かったんだ。

少なくとも表面上は敗戦禍から脱せたのと高度成長期で資金も意欲も豊富だから、次はアレを今度はそれをが決して単なる夢物語じゃ無かったん。
で当時のそれに依れば陸上の乗り物は少し地面から浮上可能になってたりして、実際リニアモーターカーやドローンとかで実現し掛かっちゃいるんだけどさ。

でも特に後者は過去予測のとはかなり別物で、現況のの実態は唯の4発ラジコンヘリに過ぎない。
空飛ぶ自動車にしたって過去予測のはもっとホバークラフトの小型版で、今のみたいな変形飛行機じゃ無かったんだ。

そして鉄ヲタとして執拗に吠えたいのが連接車で、原理的に乗り心地と曲線通過速度を向上させられるんだけどね。
確かに振子装置やアクティブダンパーを使えば補えはするが、付加機器を増やす点では非合理でしかないのよ。

そもそも未だにどちらさんでもレールと鉄輪に固執してるのが愚で、一番古典的な箇所を進化させなきゃ他をどんなに進化させた処で足枷になるのは明白なのに。
と言いつつ楽器みたいに下手に進化させたら固有の魅力が消失するのもあるから、何でも一概に進化させりゃ良いってもんでもない。

どんなに低性能で非効率でも現に相変らずSLは人気だが、本当に味わう為には変な所だけ刷新しちゃっちゃ駄目でしょ。
蒸気時代客車の扉は全て手動だったのが安全の為の自動化なら許したとして、流石に煙も水蒸気も全然出なくしたら最早デザインだけになっちゃうよな。

あと体験が目的なら本来は冷房もアウトなんだが、近年の異常酷暑では付けとかんと夏場に運航出来ない。
がホントに先に必要なのは機関車の運転室なのに、諸事情からとても困難とは言え放置してるのは明白な矛盾だ。

それなら客車冷房を止めて下手に儲けに走らずに、冷房が必要な時期は思い切って運休にすべきなんだけどなぁ。
その根拠の1つに「走行風を満喫」っつうのがあり、バイクやオープンカー同様風でスピード感をってのがあんのよ。

バイク・オープンカーは私有地内なら免許不要で運転出来るし、それよりゃハードルは上がるが肉体的障碍無くば免許を取れる可能性がある。
だが鉄道では素人には門戸が開かれて無いし、増してや自身の代わりに運転してくれる人を探すなんて夢物語に等しい。

そう云った意味で電気楽器から真空管を除外してては、こう云う物だと云う正しい体験が不可能になってんの。
誰もが一通り体験をした後だったら縛られなくても一向に構わんが、杜撰流に言や現状はまるで見合い結婚の大昔に戻った様なもんすわ。

それで昔みたいに離婚は恥みたいな認識も無くなってっから、安易に手を出してサッサと諦める人を増やしてんじゃね。
それの行き過ぎが又罪なのは、本当はどんな物かを知れずに止めてしまう事。

すると粘り強い性格とかたまたま一定以上続けられた者と、真実を知らされず即座に投げ出した者との体験の乖離が拡大して2極化・分断が促進される。
挙句には演っても演らなくても思考狭窄に陥り、やがては所詮は唯の楽器なのにナントカ族のアイテムへと逆行だ。

スポーツ界には未だ新参種で態度の悪い選手がいると慌てて蔑んでるが、高額年俸を貰ってるプロ野球選手の淫行の方が余程性質が悪いのにNPBでは何故か永久追放処分にならない。
かつての暴力団等確かに社会を害する部分は少なくなかったが、どう考えたって裏金議員が誰1人逮捕されない方がどうにもヤバイっしょ。

-つづく-

2025年2月 8日 (土)

音楽備忘録2002 音楽でのアイデアの実現方法⑯

今回は番外編Ⅰとして残響と存在感の関係へ踏み込むが、本来なら平行執筆してる「楽器音色一般のイメージと実際の違い」で綴った方が相応しい位だ。
そこでここでは冒頭記の通り限定して話を進めるが、基本的な効果は端的にはVocalのダブルトラックとか複数人ユニゾンと近似だ。

杜撰大王らしく先ずは物理面から掘ってくと、音楽版分身の術と言っても良いかも知んない。
それを天然で演るのが複数人ユニゾンで同じ人が重ねるのがダブルトラック以上になるが、後者にはもう1つDelayを掛けるって手もある。

早出余談で俺は足脚では得意なダブルも歌には苦手意識があるが、それは歌った1回目と2回目の差がどうも少な過ぎるからなんだ。
ユニゾンでもそうだが人力の利点は「微妙に違う」点で、それに依って強すぎる箇所や弱過ぎる箇所が平準化するんすよ。

その為には寸分違わずでは却って効果が弱まり、Delay等より無効になっちまうん。
分身の術と似てても同じと書かなかったのはココで、実戦が3次元なのに対し音楽≒2次元だからかねえ。

より近いとしたらDelay等の方で、こっちには時間差攻撃や来る方向をランダムに選べる…っと言っても基本横方向だけだで縦方向は低い限度がある。
処で3声Chorusとかで塊りになって全く同じ位置から聴こえる様にしたのがあるが、あれは古典式バーチャルポリフォニックとでも言うべきか。

ダブルトラック・ユニゾンともその本来の目的を、最大に発揮させるには「同じ場所から聴こえる」様にするのが必須なんだ。
比喩るなら複弦楽器の1音(同時に2音出る)みたいなもんで、それが証拠にユニゾン歌唱の音だけ聴いて正確に何人なんて聴き取るのは極めて困難っしょ。

それに対し残響系は悪く云や「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ってなもんで、但し狙い付けは甘いが一斉射撃で
でっせ。
無論レジェンドスナスイパー冴羽獠みたいに1発で仕留められるに越した事ぁねえが、どんな方法でも先ずは当たらないとお話しにならんからね。

音楽での音の存在感は上記だと「的に当たる」に相当し、それが腕の足りない奏者のをOn Micでなんか録ると1発じゃ射貫けないって訳。
そして俺も一寸余計な野心を出し過ぎてしくじったりしてるが、「重ねるならほぼ同じ音色・フレーズ」じゃないと駄目なんだよ。

折角足すなら少しでも色んな要素をとつい欲が出るが、それでは複雑化させるか散漫化するだけで存在感には貢献しねんですわ。
何れにしてもターゲット音だけに注聴するとつい失念がちになるが、天然世界では様々な要素の他の音が付随して来る。

そんな黒子逹が主役を確固たる地位に押し上げてて、存在感を創出してんですよ。
故に検聴的側面での明瞭度と存在感は相反し、少なくとも単純なロジックで並立させたいなんてのはどだい虫が良過ぎる相談なのさ。

この観点からは今劣化本邦J-Popは2つの誤りを犯してて、サウンドが今のままじゃ上手く行く訳ゃねえんすよ。
仮に今迄の粗相には眼を瞑ったとしても、何時までも間違え続けてたら衰退必死なんじゃないかな。

=続く=

2025年2月 7日 (金)

音楽備忘録2001 ’70年代Rockの浦島太郎㉖

さてここ数回老害呼ばわりも厭わずRockはアウトローと吠えてるのは、分かっておくとあらゆる面でアプローチに違いを産むからでもあるんだ。
今時の若者でも何かしらマイナーコアヲタ体験を、一定以上してる人なら別なんだけどね。

基本的に余程特殊な情報以外はスマホでググるのが当たり前化してる故、特に初心者時代に大まかにと思うと他の調査手段なんか先ずやらんでしょ。
杜撰君半ば休業中の鉄ヲタでもあるから便利で助かるけど、ネットって思ったより当てにならないのを思い知らされちゃったんだ。

小坊の頃に極ライトな鉄道ファンですら誰でも知ってた様なのの一部が、今になるとネットの何処を探しても全然出て来ないなんてのがあったんだわ。
オーディオヲタからも例えばまだ現役のPrimoってブランド、あーたは何なのかご存知でっか?。

あと3文字Micと入れれば、検索結果の先頭に本家のホームページURLが出て来るんだけどね。
昔は少々オーディオとかに興味がある人なら誰でも知ってたんだが、今は各方面の雑誌等にも名前すら滅多に出て来ないからまだあるのに一般社会からは抹殺されとる。

まあ昔は割安だったのに何時の間にか高額にしてるのも悪いが、スポンサー忖度記事の横行で世間からは結果的にガン無視状態になってるんだ。
これってどうせ高額だから買う奴は少ないだろうけど、決めるのは買う奴なんだからこんなの余計なお世話だよね。

万に1つも世間お薦めのが自身の声質にどうも合わなくて悩んでる人からは、低確率とは言え可能性を勝手に奪っちゃってんだよ。
要するに密かにアウトローに追いやられてるのにそれに気付かないでままで居ると、「探すアテ」の段階から的外れになっちゃうんすよ。

Google検索エンジンだけが悪いんじゃねえが、単語検索と識者に伺うのでは埋められない差もあるん。
前者はおぼろげに存在するのは知ってても、名前が分からないと途端にポンコツ化する。

のが古株ヲタにでも訊きゃ割とすぐにアレじゃねとなる訳で、最大の差は相手から質問が可能かどうかだ。
ってのも例えばホントはブランドカラーが赤とかしっかりあっても、気付かない内は「赤い憎い奴」とか書込めないぜよ。

概知の側からしたら「ロゴは何色だった?」とも問えそれで即座に判明するけど、杜撰君みたいに名称記憶に疎いとそうは行かないじゃん。
それと瓢箪から駒機会がググりだけじゃかなり確率低下してて、以下の様なケースが訪れない。

クソオヤジにオレンジのロゴと答えて当初求めてた正解じゃなくても、例えばJBL以外にCerwin Vegaなんつう少々ニッチだがハイレベルなのへ辿り着ける事も。
検索が既に巧みだったらそんなでも無いか分からんが、ニッチなのでは工夫しないとすぐには辿り着けんのどす。

もう1つ注意すべきがWikipediaは必ずしも正確では無い以上に、最初は誰かが書き込まないとお目当ての項目が存在しない事。
普段は出典を要求するのも悪かないが元記事が消失したり、紛失したとか手元に無いだけで安易に嘘扱いされるのがゴミだ。

潰れた会社の元社員(つまりは当事者本人)のカキコでさえ、他人が閲覧可能な証拠が残ってないといけねってんだからクソだろ。
そんじゃ大昔のその人の名刺のコピーでも、事務局へ送り付けりゃエエのんか?。

=つづく=

2025年2月 5日 (水)

音楽備忘録1999 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓳

俺言い「偽りの明瞭度」には少々粘着しちまうが、それ等の実際の寿命は劣悪聴取環境下のみで僅かに生き長らえられるだけなのだ。
コレ今とは比較にならん程軽度ではあったけど、昔のにでもそんなのは少しは入ってたんだ。

爺はその登場からその後の浮沈を体験したて来たからこそ力も入るんだが、登場時には若干のキツさは覚えたが特に問題視はしてなかったんだ。
が純粋に高音質とかより適した音色のが出て来てみれば、それ等は随分みすぼらしく聴こえる様になったんすよ。

杜撰君世代の体感で最も目立ったのはDrumサウンドで、私的第1波は1970年前後だった。
それ迄のはジャンルや収録環境次第の差こそあれ、どれも今一不明瞭で生耳比ではかなり遠くで鳴ってる様なのしか無かったん。

或はそんなに遠く無くても角度等が悪くて、何かの陰で鳴ってるような感じでね。
それがBeatles辺りを筆頭に、どれもが同じ部屋の眼前で演られてる様な風に激変し出したんだ。

っと言ってもまだこの時点では実際には今のOn Mic程近接させてないのが殆どで、且つ全部に構えられてた訳じゃ無かったんだけどね。
それでも従前のDrumを軽視したのなんかだと他は一応ステレオ感があるのに、何を叩いても丸っきり同じ位置から聴こえるのなんかが結構あったんだから。(つまりDrumset自体はモノラル)

こっちもその頃はまだDrumsetの知識なんてロクに無かったから、別のを叩いたらしきのは別の位置から聴こえてりゃそれだけでリアリティを感じてたん。
ここが今回の第1ポイントで、非専門家に聴かせるには今だってその程度でも及第点になる処ざます。

わざとでない場合生耳聴きでは視覚効果もおおいに加勢して、別の太鼓が全く同じ位置から聴こえて来ると流石に誰でも違和感を覚える。
尤もその具合はMixer卓のパンポットツマミでなら1目盛り行くかどうか程度の事が多いが、残響・反響・マスキングetcに関してはその程度のでも全体の差は拡大してんだ。

それとは逆にバスドラより他のにダイレクト感が強いのは実位置からしたら不自然で、深く傾けたTom以外は裏の皮すらあっち向けホイやんか。
そんな点からは一時期のバスドラだけOn Micで他のはOn Offの中間位ってのが、意外と理に適ってたんすよ。

でも何時迄もそんなのだけじゃつまんないから全部Micは近付けて、↑の代替策としてバスドラだけReverbを掛けないなんて真似をしてたっけか。
今の高音質じゃその変さが露呈する様になったが、昔の低音質ではトランジェントがトロかったからそれでまあまあ普通な感じに聴こえたんすよ。

Bassなんかもっと極端で、最新のでもReverbレスになってるのがあって…。
杜撰君はそれだと何か仲間外れ感が出ちゃって嫌だから、近年は工夫して控え目でも適切なのを掛けてんだけどね。

んが明瞭度だけに忖度すりゃ、実際Line収録Reverbレスの方が何してるかの聴き取りは断然良好だ。
この事が関係してるのか分からんが何か2010代以降の国産作品のBassは、どうも音色の流麗なのがご無沙汰になってて悲しいよ。

猛毒噴射すれば元からどうしようもない音色で演ってても、Line収録とおバカコンプ等のお陰でどうにか聴ける音になるからってサウンドメイキングをサボってんのかねえ。
故に奏者の音色面での成長には好環境は不向きでしかなく、それに甘んじなきゃもう少し良い音色を出せてる筈なんだけどな。

-続く-

2025年2月 4日 (火)

音楽備忘録1998 音楽でのアイデアの実現方法⑮

まだ気付けない方法が他にもあるだろうが、一通り出尽くしたと思うんでこの項一旦幕引きへ向かおう。
それに際し今回皆に是非頼みたい事があって、それは過刺激の緩和・抑制で御座居まふ。

今劣化本邦の潮流ではかなり勇気を要すが、硬さ・明瞭さ信奉の大リスクを先ずは知って欲しいんだ。
度々吠えた如く初聴での明瞭度は確かに上記に依存する事が多いが、とっくに限界を超えてるのにひたすら求める事の無理・無駄をさ。

現況の新自由資本主義の飽和と同様、何時から「押して駄目なら引いてみろ」を
失念したんだろう。
真に目立たせたいなら他所で皆がやってる方法に、執着するのこそ自らを凡庸に貶めてんだしね。

仮に勝れたとしてそんなのは言わば「10:9の勝利」ってなもんで、1つの勝利を誇示するにはそれより○:0の方が印象に残るんじゃね。
双方に得点があったっつうのは半ば運もあって勝てたと暴露してる様なもんに対し、後者は0封してるんだから1点でも取れたら勝てる状況を示唆してる。

のを今劣化本邦J-Popで考えれば、絶対必要では無い音をやたら入れてるからなんじゃないかな。
そして更にその裏には各パートの存在感の希薄化があり、1つの楽器での聴者充足度が下がったからなんじゃない?。

って持論を証明するのにDrumサウンドで例示すると、もし雷みたいに聴こえたら多分効果最強だ。
ある程度それを既に実現してたのが古くはBONZO等で、その後はNYのThe Power Stationスタジオ等敢えて勇猛な残響を得てたよね。

何れにしても盛大な残響は明瞭度に対しては露骨にマイナスで、だがその代わりたった1音だけでももう存在感満々だった訳だ。
そんなので自然環境で得られるのは 、源音(業界用語:ドライ)と残響音(同じくウッェト)のバランスは殆ど弄り様が無いの
のみだ。

それを覆せるとしたら例えばアンタの3畳間にレジェンド達が訪れて生演奏してくれるの位で、しかし当然迫力は完全に貧乏な部屋の音響に駆逐されっだろうけどな。😵
と言う様に明瞭度と存在感が併存出来たら良かったが、少なくとも3次元の現世では原理上無理な相談なのだ。

それ以外にもほぼノーミュートのSnareなんかも、厳密にはあまり混雑してないアンサンブル向きと杜撰大王は考えている。
これどゆ事かったらSnareバランスを小さ目にすりゃ他パートにマスクされて、折角伸びのある余韻が殆ど聴き取れなくなる。

逆も又真なりでそれを無理矢理常時聴こえる様にと大き目にすりゃ、他パートの多くが侵略されいい迷惑だ。
アナログ時代当時こんなのがあまり問題になって無かったのは、余韻や残響はかなり部分的にしか収録出来て無かったからだ。

ってかそもそも一定以上残響のある場所でOff Micにしたら、それだけでも残響に負けて余韻は短縮する。
その残響ですら高目のノイズにやられて、後部は聴こえなくなってたし。

要するに機器雑音であれ観客等の騒めきであれそう云うのがあると、無理に良く言や相対的に歯切れが良くなってた訳。
それが今ではMicはOn主流+デジタル記録だから、奏者側で気持ち良いからってそのままにしといたらアンサンブルがごちゃつくねん。

と源音段階でそんななんだから更に残響だってより混沌とするし、その長さも実質的に延長しちまうん。
それが困った事に現況「適度に自然な感じで短縮する術」が無く、そこへもっと思慮深くなる必要があるんだけどなぁ

-続く-

2025年1月30日 (木)

音楽備忘録1993 ’70年代Rockの浦島太郎㉔

さてさて強いだけじゃ駄目ってんならどうやってバランスを取ってくかだが、覚悟さえ決めてしまえば方法は無限に近くあるんだ。
強い音と言えば生古典楽器を始めリアルに強く奏でるのが先ず思い浮かぶが、電気・電子楽器以降のでは過激な音色ってのもありまんねん。

それは一聴とても音楽には使えそうに無い類ので、しかし上手く用いるとそんな雑音とか騒音みたいなのでも嵌る場所ってのがあるんだ。
その一典型例がFuzzで、当初暫くはずっとトランプのJoker的役割しかしてなかったん。

俺知りでその常識を覆したのはErnie Isleyで、やっと普通の音色の選択肢になったんだ。
尤もジミヘンの愛弟子たる彼ですら安定してそう出来たのは1970頃になってからで、その方面では致命的に遅れてた日本では1980年頃迄Rock以外では恥ずかし乍らずっとキワモノ扱いでしてん。

それより下手を打っても幾らか綺麗なAmp歪ませでさえ、今では信じられんだろうがBeatlesでやっと市民権を得るキッカケになった程度だ。
これはテルミンなんかもっと酷くて今はオタマトーンがその初心者モデルみたいになってるが、世間一般認識としては幽霊サウンドとしてしか殆ど認知されてない。

テルミンの実態は単に音程に縛られないSynthe(唯の発振器の方が近いか?)なだけなんだけど、性質的にはTromboneとかと一緒なだけなんすよ。
登場時電気を使って電子合成するのが奇異だったからか、それを使って普通に奏でる気にはなれなかったのかな。

非音楽音(今迄は使えると思えなかった)の近年の利用ったら杜撰君的には、Metal系での「明確な音程のない怒鳴った様な声」が印象にある。
俺は古い奴だから全面使用には否定的だが、あらゆるシャウトの出尽くした感のある中で人耳を惹くには効果的には違いない。

現時点では完成形には至れてない気もするが、Rapからヒントを貰ったか歌で明確な音程に一々依存しなくしたのはプチ革命とも言える。
唯の先祖返りじゃんと言われればそうかもだが、歌以外は音程・和声・リズム共太古の昔のみたいに曖昧じゃない。

少なくとも従前には未登場なコンビネーションな訳で、但し’70年代よりアホなのは上手なブレンドが出来て無い処だ。
これの発案・実行者にも疑念が無くは無いが、杜撰大王的には周囲環境の影響の方が大きい気がするんだ。

多方面の大勢が冒険心に満ち溢れ様々な挑戦をしてるのと、近年みたいに悪く云や守勢に回ってるのは正反対だかんね。
そんな空気が充満してりゃ、どうしたって攻めに集中し難いじゃん。

社会的にも突飛なのは今一理解されず受容れられずで、それでいて攻めが足りなきゃつまんないなんて無責任な反応をしやがる。
そんな1つの逆境ではより認められる迄しつこく続ける必要があるが、実はそれって本当は’70年代の方が桁違いに苛烈だったのよね。

Rock系の場合当時はまだまだホントに新参者で、「Rock演ってます」→「何それやたら煩いだけでそれでも音楽なん?」なんて反応も珍しくなかったかんね。
要は実情に見合ったアウトローの意識があるかどうかで、かなり緩和したと言え貴族系Classicと比べたら今だって盛大にアウトローなままなんだよ。

-続く-

2025年1月28日 (火)

音楽備忘録1991 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓱

さてアナログテープでのギミックには必然と意図的なのの2手に大別され、前者はテープコンプ等・後者は前回述切り貼りの他逆回転等が有名だ。
現代ではそれ等のデジタルシミュレートも大部進んで、テープだったら出来たのにはそこそこ解消されつつある。

だが全数同列に扱えるには未だ至って居らず、そのせいで無精な杜撰君なんかは使用を憚られる事もあるのが現状だ。
最初は逆回転Reverbを取上げるが、テープの場合その多くは残響なんかじゃなくて正体は実音の残響だ。

言うなれば唯の逆回転再生の1つ上級技で、アタック音部を除外した逆回転を正回転アタックの前に追加してんだ。
そすうっと明確なアタックが無いが為に、日常感覚的には残響っぽく認識されるってヤツだ。

劣化必然のアナログテープ時代にはほ最小劣化に実施可能なほぼ唯一の方法で、但しLiveでテープを回しといてタイミングを図って実演し出すのは音質的にも厳しかった。
のが無劣化デジタルの登場で潮目が変わるかと思ったっけ、ちっともそうは行かなかったのは残念だ。

まあ良く考えりゃ必ず鳴らしたからプロセスは開始されるんだから、そんなの虫の良過ぎる稚拙な発想なんだけどね。
わ兎も角案外録音でも昔程用いられなくなったのは、恐らくあまりにも無劣化過ぎて却って残響っぽく聴こえなくなったからなんじゃないかな。

Delayと考えればそれで良いんだが、Reverbだと単に無劣化なだけじゃ駄目なんだ。
最も典型的なのだと源音より少し籠らせるのなんかで、それは天然状態では実音と一緒に響いてるから最低限の区別を付けたかったからだ。

それを逆手に取ったか偶然かはワシャ良くは知らんが、デジリバ普及期にはわざと残響の方をBrightにしてたのなんかもそこそこあったっけか。
のは当時はプロでもその他大勢側に属してたら、デジリバはあってもデジタル録音機は未導入だったんよ。

加えて生楽器奏者が従前のアナログとはニュアンスの変わるのを嫌って抵抗したとか、そんな事情もあったかも知れない。
それがココでは2番手になったが、本当は最大の長所かも知れない所謂テープコンプだ。

これって音響物理的にはちっとも褒められた性質じゃねんだが、生耳に聴こえた感じには最新のデジタルプロセスより全然近似だったんすよ。
勿論詳細に聴き込めば変ってる箇所もあるんだけど、全体の感じでだと現時点では他に明らかに優れたのは未登場なんだわ。

その核心は以前述「音の硬さ」で、自然空間では間に介在する空気に依る緩和作用が必ず働いとん。
でひねた発想だが人耳ってヘッドホンやインナーイヤー用になんか至極当然の如くなっちゃ居らんから、近年のはまるで専門外の仕事を無理に押し付けられてる様なもんすよ。

にも拘らず悪流行り等で現実生音より明瞭度に勝るのが売られてるが、聴くのが短時間なら良くても一定時間を越したらそんなのやたら疲れさせられるだけなんだよね。
のが音色の場合早期に飽きられるとか、好感からすぐさま苦痛に変わったりするんすよ。

-続く-

2025年1月26日 (日)

音楽備忘録1989 ’70年代Rockの浦島太郎㉓

次なる愚痴!?はテンポと平均音圧についてだが、今迄にも拙ブログでは散々嘆いて来た。
んでまだ語ってない面を綴るとして、強弱バランスに関してざんす。

音楽は比較芸術の側面が強い以上全部フォルテで押し通すのは愚の骨頂で、その根底には人の「慣れ」と疲労がある。
前者は俗に言う「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、耳にだって近似傾向があるんすよ。

但し一部が異なってて喉の過高温には飲むのを止めたり吐き出す手があるものの、耳ではせいぜい手で塞ぐ位しか代替手段が無い。
さりとてそのままじゃ即難聴を発症するんで、大した威力は持たぬも聴神経を無意識下で意図的に鈍化させるのがあるねん。

すると幾ら強さや爆音アピールをしたくとも、聴者に上記を発動させちゃったら無効化しちゃうんすよ。
そこで考慮すべきが隙間が充分あるなら一時的爆音があっても良いが、一瞬の休みも無かったら別の方法で攻めなきゃアカンの。

そのベーシックとしては絶え間ない感じになる程テンポを速くするなら軽く、逆にスカスカになる程遅けりゃ部分的にガツンと入れとかんと意図しなくても退屈な子守歌様になっちまうだよ。
これの前者を体現したのがCountryで、後者はMetalの祖たるHeavy Rockなのだ。

要するに音楽的100%は物理的100%になって無いと思や良く、これを承服出来ない奴は「聴き方」に問題があるんだわ。
自分が関る作品には愛着等が自然と生じるが、音圧や密度の検聴には僅かでもそれが残存してると判断をゆがめちまうの。

もしかしたら若干喧騒かも知れんけど、他がこんなに良い出来栄えなんだから大丈夫だろう。
とか検聴では神経Maxに使ってっから疲れるだけで、気楽に聴けば過負担程には行かんだろうとかさ。

百歩譲ってそう云う側面で補えるとしても、一般聴者は常に好環境下で聴けるとは限らんのどす。
作品のせいじゃなくてもちょっち歪むとかノイジー(背景雑音含む)だとか、作る側では想定し切れない何かしらのお邪魔要素が加わんねん。

この事実が機材各部等殆どの信頼性が低く気紛れ要素のあった内は、特に意識しなくても自然とマージンを配慮出来てたんだけどね。
例えばあそこはリミットにはまだ達してないが聴く際盛大に歪むと嫌だから、少し遠慮しとくかなんてな。

実際レコードの盤質とプレスその他が劣悪だと、テープより更に簡単に音がどんどんバリバリ割れたもんでしてな。
かつて従兄が自作品をシングル1枚だけレコード化した事があったんだが、感覚的にはマスターテープより数倍は歪んだ音になっちまってただよ。

そんな事から数多の障害を受けてもなるべく「心地良さ」が保てるのを第1として、細部の前に骨格を重視した作りになってたんだ。
すると稀な好環境下で聴かれたらポテンシャルが最大には発揮出来んけど、その代わり聴く環境差程音の印象変化はせずに済ませられる訳ですわ。

昔程劣悪環境なのは殆ど無くなったが、近年は良い方がかなり向上してる。
だからってこう云う配慮はまだまだ全く不要にはなって無く、もう少し良い意味での最大公約数を目指せないもんだろうか。

=つづく=

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