ギター

2025年5月 1日 (木)

音楽備忘録2083 音プロの音楽の聴き方⑰

周波数3回目は音楽的各周波数の特徴で、その中であまり世間に流通してない面に絞って進めるだす。
語学でも電子工学でもそうで弱っちゃうんだが、幾ら教科書を学んでも現場での具体的に迫られる対応について殆ど書かれてないんだよぉ。

青二才当時の杜撰君の考えが甘かったか知らんが、専門学校の専科ですら当時頻用されたOP AMPの型番とか終ぞ講師の口からは聴けんかった。
実際に作って使おうとして一番問題になるのは、当時なら4558ってので満足出来るか353ってのにしなきゃ駄目なのかとかそう云うのが真のポイントなのにさ。

設計ミスの駆逐に始まって組立ミス・半田付不良等数多の難関を克服して、やっとの思いで完成に漕ぎ着けたのにガッカリサウンドしか出せなかったら浮かばれねっての。
それと同様に各周波数毎に実用上特有の性質があるのに、そこには殆ど誰も触れてくれねえでやんの。

って事で先ずは150Hz以下の低音から参るが、そっから低くなってく程迂闊に盛り過ぎるとそれ以外の音が食われちまう現象がある。
特に60Hz以下になって来っと無倍音・残響多目環境下では、その音自体の音程も曖昧化するが他をマスクする威力が膨大化するんだ。

因みに大凡70Hzで、エレキGuitar開放6弦(E)の1音下げ(つまりD)だ。
故に↑なら盛大に盛って自滅気味になってもそんなに他パートは害さないけど、無神経にエレキBass等のローエンドを欲張り過ぎると他パートからひんしゅくを買っちまう。

悩ましい事に超低域って魅惑溢れる深い響きがするんだが、音程明瞭度と他パートに大迷惑を掛けない配慮をすると中々満足なだけ出せないもんだ。
もっと厳しいのがバスドラで、Classicオケのみたいに叩いた直後に手でミュート可能だと良かったんだけどね。

コレ直後っても欲しいローエンドが鳴り切る前に止めちゃうと駄目で、ペダル+脚では中々そこ迄精細にコントロールなんか出来ゃしない。
そこで大抵は次善策として倍音と抱き合わせにして凌いでるが、ポピュラー系用楽器ではそれでもチト苦しい。

のわ音程がオクターヴ下がってんのに、皮の直径や弦長が倍にはなってないっしょ。
そうすっとファンダメンタル(基音)量も減少するが、何よりの損失は明瞭度がそれだけでかなり低下する事なんだ。

不足気味だから盛りたいのに、盛る元が曖昧とは泣きっ面に蜂でんがな。
そんで意固地になってガンガン盛りゃ、大量のクレームを皆から頂戴するってな。

理論では大抵実過酷環境の影響を不問として書いてあるんで、専門書で知恵付けてその通りにやったのに何故に怒られるとなり易い訳ですわ。(確かに各環境を網羅しようとしたらキリが無いが)
この性質更には「低い音程になる程綺麗にハモらなくなってく」に繋がってて、オケなんかで低音パートが複数人居ても殆どユニゾンでしか演んないのはこのせいだ。

現実的には奏者にこそ大いに関係する案件なんだが、Classic時代は編曲者の仕事と考えてたのか楽器の○○教室で殆ど教えられる事が無い様で困る。
そんなこんなで150Hz以下ってぇのは、他とは別の独特な注意が要る。

-つづく-

2025年4月27日 (日)

音楽備忘録2079 音プロの音楽の聴き方⑯

だば低・中・高域等の分類の仕方だが、大枠でオーディオと楽器で異なる原因は既に綴った。
その具体的目安は主に中高域の相違にあるが、低音楽器は更にその枠とも違って来る。

してオーディオでは音楽的働きより再生装置等の都合が優先で、3Wayスピーカのウーハ・ミッドレンジ・ツィータ等の帯域分割と近似だ。
一般の音質調整にオーディオ用のグラフィックEQもあるにはあるが、非専門家が扱うにはあまり向いてないんだ。(但しスピーカ等の補正用途は除く)

のわ一般聴者の当座のニーズはもっと大雑把な方が多いからで、なるべくスキルレスで思った感じに近付けられるのが相応しいから。
で低中域の境界は凡そ300~400Hz・中高域の境界は2~4kHzとなってて、旧標準での各帯域中心周波数は低:100Hz・中:1kHz・高:10kHz程度だった。

のが近年はワイドレンジ化に呼応して夫々80Hz・1kHz・12kHz位がデフォとなってて、オーディオとしての中域の核なんで1kHzだけ不変になっている。
のわⅡでオーディオの場合あらゆる音源がある都合上、極力どんな音にも大抵は含まれてる箇所を中域の核と考えてんだ。

因みに人耳の最も高感度なのは2~4kHzなんで、それからすりゃそっちを核にしといた方が好都合な気がしないでもない。
だが目立つって事は過剰になりゃ煩いし他を侵食・マスクする欠点があるんで、全体を極端に変容させないのも配慮して↑より少し下に設定されてんすよ。

それより大事なのが比較的広範にじわ~っと効く性質で、弄れない帯域の発生防止とピンポイントで音源に含まれる何かだけを悪目立ちさせないのを兼ねてんだ。
まあ兎に角色々事情があって最大公約数としてんだが、楽器の方はその面からは全く別物と思った方が良い。

外見はオーディオAmpの3Tone仕様もGuitar Ampのも、呼称も含めほぼ同じなんでとても勘違いし易いがね。
基本的に扱う音源の性質が全く異なるから、楽器用のは各々の楽器に特化させてあるん。

そして最大の相違点はわざと弄れない帯域を設けたのも少なくない処で、Ampも楽器の半身との考えから自在な調整力より個性を重視した結果なんだ。
中にはオーディオライクな特性にしてあるのもあるが、基本的な仕事が修正より創作だからだ。

例えば伝統的Fender Ampはやたら低域の調整巾が広いが、楽器自体の低音量が乏しいのでも伴奏に使える様にそうしてある。(代用Bass)
のと比べると伝統的Marshallは歪ませと低域がやたら響く舞台(≒大ホール)に最適化したから、上記と比べたら最早低域を調節出来る気がしない程だ。

っとこんな具合だから音楽での周波数の知識は、録音やPA技師を除けば取敢えず自身の扱う楽器に必要なのだけなるべく詳しくなれりゃ良い。
唯HzとかkHzって何?でほっといては流石に苦しく(kHz=Hz×1000)、基本は感性重視も同業者との知識交換時の共通言語としてとても有益なん。

A君の言う煌びやかとBさんのそれでは各自の感性事情から、実際には異なる帯域を指すなんてケースがとても多い。
完全唯我独尊で行くなら未だしも、密かに他者からもアイデアを頂こうと思うなら周波数の最低限の理解は必要なん。

-続く-

2025年4月25日 (金)

音楽備忘録2077 ’70年代Rockの浦島太郎㊺

さてマニュアル執着の問題点は他にもあるが、その嚆矢は用途外活用じゃないかな。
メーカ側としては何されるか分からんから保証対象外になるし、成功率が低い割にハイリスクなのは間違いないんだけどね。

けれど従前の枠内でどう捏ねようと、それじゃあ結果もほぼ従前の範囲内に限定されちゃうんだ。
それがもし安全面に関わるなら変な冒険なんかすべきじゃないが、音楽なんて内容が空想の産物なんだから実害は遥かに少ねんですよ。

少なくとも生命の危機に瀕する機会は極小で、そりゃなるべく機器だって壊したか無いがね。
処が形ある物何れは崩れるで、寿命は様々も絶対に一生持ってくれるとは限らんのどす。

そこから見えて来るのが寿命間際と思われるので試す方法で、これ実際に鉄道車両等では古くから実施されてる手段なんだ。
廃車解体が決定しててどうせバラすんなら、その前に衝突事故の実体シミュレーションに利用したりさ。

実はマニュアルにも「質の差」っつうのがあって、今劣化本邦の電子機器には唯の1つも回路図が付いてるのにお目に掛からなくなっちまった。
と書くからには主に真空管全盛時代の頃のには、日本でだって巻末か別添付で付けられてたんだ。

折角だから一例を紹介しとくと一体型のステレオ再生装置やTVの裏蓋に封筒が背負わされて、その中に折りたたまれて回路図が入ってたん。
そりゃ信頼性が今より格段に低かったんだから、せめてものお慰みで…なんてケチ付けるのは何処のどいつだい?。

まあ確かに頻繁に不具合は起こしてたけど、滅多に不具合が出なきゃ修理の為の重要情報を非公開にして良いって事ぁ無かんべよ。
今劣化本邦で杜撰大王がこれを問題視するのは、メーカが面倒を見てくれる期間が短目だからだ。

家電標準寿命が6年だからって、本来より長く使って貰えたら喜ぶべき事象。
中々壊れないと次を勝って貰えんからは分からんでもないが、その際消費者が必ず同じメーカを選ぶ保証なんて無いのにさ。

結局自らブランドの誇りを捨て当座の売り上げに全振りしたんだから、低迷するのは至極当然だぁ。
わ兎も角万全なアフターとは到底言い難く、その面等では昔より購入者自身で色々考えとなきゃなんなくなってんすわ。

ので長期視野に立てばどんなにマニュアル尊守したって先は分からねんだから、もうちったぁ自分自身で考える癖を普段から養っとくのがお勧めなんだ。
そうしといて大損しないのは、考えた上でその時点ではマニュアルに従うって選択肢もあるからだよ。

のが逆は無いし万一マニュアル不記載の事例に出くわしたら、そこで一巻の終りが来ちゃうで。
しやしかし昭和の頃or世代にはこれっぽっちも取説に目もくれずやらかす奴が多かったのに、今度は読むばかりなんて逆へ振り過ぎだわさ。

何時の時代だろうと熟読せずとも一応全部目は通しといて、自身でもそれなりに考えなきゃ駄目に決まってんのに。
確かにケータイショップで列をなす昭和以上世代の汚客様逹の自助努力ゼロには呆れるが、幾ら反動とは言え間に平成が30年以上もあったんだから。

今マニュアル盲信に溺れてる人も後10年か20年後には、晴れて老害入りおめでとさんでんがな。
現在の老害とその場所は真逆に近いだろうけど、現役世代にとって話が通じない相手になるのは一緒だ。

-つづく-

2025年4月24日 (木)

音楽備忘録2076 今更米ポピュラー音楽から学べる事⑦

さて競争の苛烈さに加え米の他と違いに、やはり黒人系等の独自感覚の影響は大きい。
Michael JacksonやPrinceが爆売れする迄は商業的には主役を占めて無かったが、文化的にはそれ以前に既に何倍もの威力があった。

からと言って黒人系を手放しで称賛するではないが、白人の土俵で本気の勝負に挑んだのは過去にはほぼ米黒人だけだったん。
本人達には必ずしも露骨な対抗意識無かったかも知らんが、日常生活の節々で簡単に白人音楽が耳に入らざるを得ないのがね。

古くからってか多分音楽自体の原初が黒人なんだが、ずっと各民族の地元で夫々独自路線で演られていた。
今でも本当に好きならアフリカンローカル特有のに惹かれる人も居ようが、言葉ばかりかサウンドも完全に外国語では他国人には理解が難しい。

それとフォーマットが全然異なったら何処がどう違うのか釈然としなかったのが、楽器も含め汎用性の高い共通のを使用した事で中身の相違が明確化したん。
言うなれば黒人音楽初のグローバル化の試みってなもんで、尚且つ白人系ポピュラーフォーマットに載せるにゃ例えば5とか7拍子だと苦しい。

そこで感触・雰囲気は5とか7のを極力残しつつ3とか4拍子に纏めて、和声ばかりか音階もグローバルのを使いだしたのがミソなんだ。
彼等にとっちゃ単にアフリカの言葉を英語に訳したつもりだろうが、白人にとっては従来のとは色々異なるアプローチをしないとそこへは到達出来ないのがあった。

そこから白黒相互に影響し合うのが始まって、欧や亜でだって一部少数はやけに黒っぽいのが性に合うなんてのも居たけどさ。
やはり人数が少な過ぎるとその中での切磋琢磨は生まれ難く、その路線での更なる発展はし辛い。

わ兎も角そんな境遇から白人も含め奇特和音の扱いに変化の兆しが出て、従来ならノーマルとアブノーマルは明確に分かれてたのがその間の領域のが俄然増え出したのよ。
その発想はリズムや果てはアンサンブル編成にも波及し、超久々の鶏玉子話しになるが曲先行で作れたものばっかじゃないんだ。

メロにしてもリズムにしても予め学んどいてその中から選ぶんじゃなく、今欲しくなった響きの絶対外せない1音からアプローチしてくと前述5個はごく普通でたった1音だけアブノーマルなコードとかに至れ易いん。
正直今の杜撰君はよりお洒落なJazz系由来のコードにも興味深々だが、学ぶなら幾ら出来てもその手のだと自分で見つけたり新開発するのはとても困難だ。

ので欲しくなった響きにピッタリのを知ってたら利用もするが、僅かでも異なった際に独自性の足を引っ張られるんすよ。
それが作曲の段階では許容出来ても必ずしも作った通りに演奏可能とは限らねんで、そうこうしてる内にどんどん初期イメージから遠ざかる危険があるだよ。

のが逆アプローチしてれば少なくとも最も必要な1音は最後迄堅持出来る訳で、そうなると単に編曲の問題じゃ無く紡ぎ出せる曲の巾にモロに響くんすわ。
一聴他人には大した意味を為して無くても、積もり積もればそんな些末な要素だってオリジナリティには大きな意味があるんじゃね。

=つづく=

2025年4月21日 (月)

音楽備忘録2073 ’70年代Rockの浦島太郎㊹

続いてネック反り調整と関連のある話しを補遺として少し綴るが、正規音程で張りっ放しが苦手な機種・箇所は他にも幾つかあったでよぉ。
例えば大昔述リッケンBassの旧型テールピースの捲れ上がり現象、あれも数時間以上弾かない時に弦を少し弛めときゃ殆ど起らないんだ。

と云う様にやはり古い楽器程手放し放置は非対応で、それが近年ので減ったのは設計変更もあるが恐らくは材質の向上だろう。
但しここでの向上は扱い易さについてだけで、残念乍らサウンド面では利便性に負けて少し低下してるのが殆どだ。

尤も実用的にはどっちもどっちで、メンテが大の苦手とか演奏にだけ専念したい人にはね。
逐一手間掛けないと良い音出せないのは音楽ツールとしては最善では無く、少なくとも練習等には余計な手間は掛からない程良い。

だが機会はそんなに多く無くても、どんなに手間暇が掛かっても出せる最良の音を求めた時それじゃあ困る。
タイトル通りその辺の昔の常識を敢えて追加で綴ると、スナッピー以外にDrumsetにはまだ迷う事案があった。

のがHi-Hatスタンドで、フットボードとTop Hatを上昇させてるバネの事情だ。
今ではバネ材質の向上等でそんなに気にされてないみたいだが、実際昭和以前のでチープなヤツだと不使用時クラッチネジを緩めて重さが掛からん様にしとかんとバネのヘタるのがあった。

宅でもその頃の慣習からずっとそうしてたけど、バネには良くても他で不都合を生じるのに気付いたん。
他楽器の音とか過積載貨物自動車の振動で、要らん時にジジジと余計な雑音を発するだよ。

って後者は宅の特殊立地条件由来だが、残響率低・高遮音のハコだと妙に気になるんだよ。
そこから思うに過去のだろうと今のだろうと、業界の常識に従ってりゃ何時でも何処でも最良とは限らんって事。

本来は状況次第で最適対応を模索すべきなんだが、昨今の闇雲なマニュアル忖度の横行が自身で考えるのの敵になってやしないか。
で近年のマニュアル神論!?の大元を辿ってみると、恐らく欧米白人デジタル機器関係だと推察される。

して彼等を多少はディスるけど、それより考えるべきが奴等は夫々がかなり身勝手な民族だって点だ。
私感としちゃキリスト教カトリックで定めた厳しい戒律と同じで、それ等の解釈をこっちが勝手に誤認してる件ざんす。

中にはその戒律を死守してるのも居るがそんなの極少数派で、表面上は兎も角内実はかなり滅茶苦茶に乱れてたのが多い。
過去日本では正当化するのがもっと上手だったからか異端の方が少数派だったが、「なまくら坊主」なんてのがこっちにも古くからあったべさ。

で欧米白人の趣旨としてはどうやら訴訟対策と、従わないからこそ煩く書いとく式って事だと思うんだよ。
基本的に何でも自身で考え判断する大前提の上で、一応最大公約数的最善策は書いときましたからねって感じ。

無論さして問題無くばマニュアルに従うのが最短コースにはなるが、どんな事態になっても「お上が言うんだから」なんて自分で考えもせず盲信すべき対象なんかじゃちっともねんですよ。
もしマニュアル好きなんだったら結局は自身の使用状況・メンテ実態に合わせた、オリジナルカスタムマニュアルみたいなのを自作しとけって事なんじゃね?。

-つづく-

2025年4月17日 (木)

音楽備忘録2069 ’70年代Rockの浦島太郎㊸

話題は打って変わって楽器の調整は今だと専門店等に依頼するかYoutube等首っ引きで自分で頑張るかに2分化してるが、非デジタル系の場合本当に知っとくべきは「手加減」なんだ。
最終的には体験レクチャーを受けるしかないが、Pianoの調律以外は意外に中々そんな場が少ない。

拙ブログだって基本文章でしか伝えらんないけど、これを意識して何とか文面化してみっべ。
で最初はGuitar類のネック反り調整についてだが、今はトラスロッドとそれに付いてるナットの締め具合でするのが主流だ。(※Fender系の一部では工具としては⊕ドライバを使うのもあるが部品的にはナット)

実際のやり方は慎重に・徐々に・反りが一定以上だったら数回に分けて等と言われてるし、ナット締めのトルク(回転力)が急に重くなったら即座に一旦留め置けとも語られてる。
しかし現況自動車ホイール用のトルクレンチみたいなのは見掛けず、手加減の具体的数値は未発表だ。

って実はそれがあまり意味を為さないからなんだけど、せめて腕相撲とかで「こん位よ」と提示されなきゃ中々感覚実態が分からないよな。
そこで別角度から、基本理念を通じて解析してみませう。

それは色んな弦楽器の発展経緯から、各部がどんな働きを担わされてるかだ。
製作側で使用弦の指定をしときゃその張力の計算値は出せるものの、楽器より後から新しい弦が出たり言う事を訊きたくない奴も現れるのは想像に容易い。(制作社の所有じゃない等)

となると弦張力の分予めネックを逆反りに作っといても、フィットしない場合が多発するのは目に見えてる。
それ以前に昔の弦は切れ易かったし、毎日ずっと1日の半分以上弾かれ続けるなんて事ぁ滅多に無い。

これ等を総合的に鑑みて弦が張られてない時に、真っすぐになってる様に主に木でネックは作られてる。
そしてトラスロッドの方は基本「追加される弦張力」にだけ対応させる思想で、万一弦を外してもネックが反ってるのの修正なんかには元は非対応設定なんすよ。

のが何かの事情で長く調整を放棄されたりすると、木部に「反り癖」が付いちゃってたりするのよね。
その程度が軽い場合に限り本来の目的とは違うが、トラスロッドをたまたまその修正に魔用出来ちゃうケースがあるってだけなんすわ。

だからロッド本体は未だしもネックへの取付け部強度が、木部変形を全矯正出来る程は無いのも少なくないん。
実際治療可能な範囲で重症のには、リペアマンは「ネックアイロン」ってのと固定治具を使ってんだ。

因みに滅多にそこ迄酷くはならんが↑を超過したら、ネックだけ或はボディ毎(スルーネックの場合)交換となる。
そんでネックへは後年他の材料も用いられてるが基本思想は一緒で、Steinbergerのネックにトラスロッドが未搭載なのはClassic Guitarと同じ発想からだ。

木より遥かに強度の高いグラファイトを用いる事で、想定弦張力が追加されてもバランスを普通のロッド入りネックと同等にしてある訳だ。
現に長く預かり中のSteinberger Bassは弦が正規音程のまま何年も放置されてたからか順反りしてて、弦を緩めて1週間位放置しといたら何とか真っすぐに戻ったよ。

まあ他のエレキに慣れてると一々毎回チューニングし直すのが面倒になっちゃうし、数の売れるエレキではそんな扱われ方にもまあまあ対応されてんだけどね。
上記後者には旧型リッケンBass等が該当しててこっちはネックは平気だが、アルミダイキャスト製テールピースの捲れ上がり症状が出る。😢

要するに一定以上の反り修正にトラスロッドだけを使うのは、本質的には次善策のままなんすわ。
最適解じゃないからには多少の手間暇は惜しんじゃ駄目で、1回の修正量に制限が掛かるのと必要な回数だけ繰返さなきゃなんないのは仕方ねんですよ。

=つづく=

2025年4月12日 (土)

音楽備忘録2064 今更米ポピュラー音楽から学べる事④

前回の話しから今日は「米のGuitarは色々と一味違う」を副題に、その背景を考察てみよう。
発祥・普及自体は欧州の物で、それからしたら唯彼等が移住しただけなんだからそんなに差が生じる筈はないんだけどねえ。

だが実際Guitarメインの作編曲者のコードスキルでは、明らかに米が欧等を凌駕している。
尤もClassic界での名作は殆どが欧で、Latinも含めるとスペインを中心としたヒスパニックの活躍が著しい。

Countryにしても類似根源は欧のFolkが既にあったのに、独自進化と隆盛をみたのは米だ。
Guitar以外での作編曲例を見てみればHammondの源流はパイプオルガンだが、当初は教会の神聖な存在で庶民にはAccordionやその類型の方が身近な存在だった。

からこそ仏の大衆音楽Chanson等で大発展した訳だが、こちらは米ではマイナー寄りなままで推移している。
又教会ですら黒人の方では差別の影響もあって、Hammond系の方がデフォだ。

そして王道たるPianoについてはJazzでなら作編曲のレジェンドも枚挙に暇がないものの、ジャンル不問でとなるとGershwin等を除けば大きな成果を上げたのはずっと後年になってからだ。
それと黒人ではJazz全盛期以前GospelよりBluesの方がまだPiano作編曲者が多かったのも逆転現象な感じがするが、当分の間は自前で持てずしかし呑み屋常設のが使えた関係か。

そうなった背景にはやはり環境差を認めざるを得ず、結構長く掛かった開拓とそこから来てるFrontier Spiritがどうやら濃厚に関係してる様だ。
これ等から要するに「Guitarでも色々作れなきゃ困る」状況があった為、米でだけその意味でのGuitarの立ち位置が違ったんじゃないだろうか。

杜撰大王は育った家には足踏みOrganしか無かったが、それでもずっとGuitarで押え難いコードを使いたくなったらそそくさと鍵盤に逃避してたな。
元々は鍵盤なんて全然弾けなかったけど、何しろ隣り合わせの半音ですらいとも簡単に押鍵出来るからねえ。

それが覆ったのは折角マイスタジオにGrand Pianoを持てたってのに、家族に部屋毎占拠されてその間は触れられもしない時間が生じた事だった。
特に鍵盤で作りかけの曲の続きを思案するのにGuitarしか使えない瞬間が訪れて、以前より更に出せる和音を増やさざるを得なくなりましてん。

そんでフト想い出したのが、米ではGuitarでも平然とそんなんしてる人達が居たなってね。
それプラス近年は本格的に指弾きもやり始めた関係から、昔から好きだったEarl Klughにもプチ挑戦したくなって。

彼はメロと同時に随時オサレハーモニーを鳴らすのが最大の特徴と思ってるが、同時に弾くにはフルコードはかなり弾き難い。
のを絶対に必要な音だけに絞れば結構何とかなるもんで、少なくとも杜撰君の場合俗称省略コードに余計な嫌悪感か何かが以前はあったんだろうな。

けど慣れて来てみりゃ思った程ご大層なもんじゃなくて、よりやり易いのは鍵盤には違いないがそんなにGuitarでも無理じゃなかったん。
この事実を知らずに鍵盤でオサレコードを自由に使った作編曲家に、劣等感なんか抱いてたのは今にしてみりゃアホだったよねえ。

-続く-

2025年4月 9日 (水)

音楽備忘録2061 ’70年代Rockの浦島太郎㊶

かなり歌唱法に偏っちまったがそれは新設別項に移行させるとして、’70年代Rockに挑むにしてもリアルタイムの人と後追いの人のアプローチ差を今日は綴ろう。
冷静に考えりゃ近回の老愚痴も、もしかして下の世代になるとかなり違ってるんじゃないかって思ったのよ。

’80年代一杯位迄アマ及び貧プロにとって、正式な録音は非日常的なもんだった。
資金も然る事乍ら専門性の高いオペレートが必須だったから、今みたいに自宅で個人でなんて先ず出来なかったんだよ。

貧乍らもいち早くそれに気づいて杜撰大王は専門学校に行ったのと、元々オーディオヲタだったりがあったから当時としては急先鋒だったかも知れんがね。
ので音楽自体を重視してる連中は皆Liveが活動の中心で、音楽する≒リアルに奏でて歌う事だったんだ。

それが今みたいに変化する転換点となったのが様々なデジタル化で、登場から暫くは高価だったが原理的にはデジタルの方が低廉化が容易だったのよ。
故に今ボカロPなんかの人は年老いても加齢劣化の影響が断然少なくなってるし、あまり方法論を変えずにずっと行けるんじゃないかな。

けれど生リアル部が残ってる機械とのハイブリッドで演ってたら、必ず何れは訪れる俺言い「加齢の壁」なんや。
人生最終段階に至れば近年は頭より体の無効化する者が多いから、最後は誰でも機械力に頼らなきゃ続けらんなくなるんだろうけどね。

ので無用に機械で音楽するのを嫌ってては↑Xデーが来たら途方に暮れるだろうが、人力リアルの取り組み方が浅いと機械全移行への日が早くやって来るのは間違いないんだ。
そう最近実感したのが歌唱に纏わる加齢劣化の悲喜こもごもだった訳で、人力リアルの合格基準が低い程「聴覚の練度」も低く留まらせてる損失があるみたいなんだ。

その中で今回注目するのはハモるかどうかで、歌に限った事じゃねんですよ。
音的パラメータとしては主にビヴラートや調律等音程の問題とリズムタイミングがあるが、後者は既にある程度綴ってるから前者中心に話しを続けよう。

して具体例としちゃ「Chorus隊の一員」経験の有無等で、例えば3名の内1人だけが全然異なる震わせ方だったりすると今一美しくなくなっちゃうじゃん。
エレキGuitar等でも同様で常時自身で重ねてたら表面化しないが、他の誰かと演るとチョーキングのニュアンス差ですら問題になる場合がある。

ではそれが自意識にどう作用するのかったら、ビヴラート等の速度と深さを考える様になるっつうか必要に応じて調整しなきゃなんなくなってるですよ。
それが単独パートで孤塁奮闘してた場合の盲点で、誰でも副業に手を出すのが向いてる訳じゃ無いんだけどさ。

あまりに応用力が足りないままで居ると、加齢劣化等に遭遇した際パニックに繋がるんだ。
どんなに些細な劣化で辞めたって個人の自由だが、真の終幕にはまだかなり距離があったのに断念したら後に後悔する可能性が高い。

しかも音楽だけで済みゃ良いが色々な物事の考え方のズレにも繋がってて、面倒になったからって慌てて学びを放棄する癖が付いちまったら最悪だ。
ってのも興味自体が失せてくれりゃ良いが辞めただけで何か拘りが残ってると、それが悪化学合成されて無責任暴言を口走る基となってしまったりす
るからだ。

-つづく-

2025年4月 8日 (火)

音楽備忘録2060 今更米ポピュラー音楽から学べる事③

今日は正しく今更のAl Greenのコード案件と参るが、単に黒人系音楽ってだけなら影響を受けた白人も含め後年程幾らでも参考になる人は居る。
だがそれ等の多くは全体がほぼ完全なオサレ系となってて、素朴な普通のコードとか進行とは一寸距離が離れてん。

のでCity PopsとかAOR志向だと良いんだが、それ以外の路線では導入に難があるんだ。
のは純粋にJazz系からの派生が殆どで、非Jazz系なBlues等がルーツの者には親和性が低いんだよ。

尤もそのJazzですら勃興当初からオサレコード・進行のオンパレードだった訳じゃ無く、何処か途中から段々に増えてってたんだ。
だからJazzのその時期のに詳しかったら良かったが、日本では第2次大戦の影響もあってか今一マイナーで困る。

そこで浮上するのがAl Greenで、素朴とオサレの共存の他独自新解釈の進行迄学べるから引っ張り出してみたのさ。
さて彼の全盛時は日本でもかなり売れたし、リアルタイムで経験出来てたら有名外タレの欄に記載されただろう。

飽く迄私感だが職人界では初期のLupin Ⅲの音楽等に強い影響がみられたが、若者から子供にウケ過ぎたか残念乍ら日本国内ではその流れは途絶えて久しい。
恐らく該当職人とはそれ迄に聴いた物が違ったからなんだろうけど、日本のポピュラー系が飛躍するには全く惜しい機会を逃したもんだ。

わ兎も角例えば’76のアルバムFull of Fireの1曲目、Glory,GloryのIntroやサビ直前の繋ぎ箇所等に珍しいコードが使われている。
特筆すべきはそれが全く必然性を持って使われてるのと、更には「Guitar1本だけで再現可能」になってる処だ。

私的には後者が大変意義深く思ってて、手が小さいと押えるのが少々キツいかも知れない。
けど1つ目は普通の7thコードの・2つ目も普通の9thの夫々一番上の音が違うだけだけだから、慣れれば探し当てるのもそんなに大変じゃない。

未だ真剣に調べないから本人が鍵盤を弾けるのか分からんが、
舞台上では滅多に手にしなくあまり知られてないらしいが彼はGuitarが常用でその腕前もかなりのもんなんだ。
他にも多数明らかにGuitarで作った曲があって、’72のアルバムI’m Still in Love with Youは5曲目Simply Beautifulなんか鍵盤で作ろうとしたら滅茶苦茶大変だ。

って何の事は無いGuitar弾き語りBalladeだからだが、クレジットにないから真相不明も普段よりGuitarだけ微妙に拙い感じだから本人が当時の録音から弾いてた疑いが濃厚だ。
この所謂Jazz系出身では無いGuitarのシンガーソングライターで、コードスキルが独自且つ高いのって結構レアな存在なんすよ。

今劣化本邦じゃある程度纏めて参考になるのったらChar先生位(押え方が超奇抜!!)で、米でも高名なのはAl先生と活動時期の一部がダブるジミヘン位のもんだ。
そのジミヘンとて歌伴奏部で演ってたのは例のジミヘンコード位で、大いに攻めてたのは歌の無い箇所だ。

故にGuitarメインの歌物作曲者にとっちゃ彼は最重要人物なんだが、今劣化本邦じゃどうも忘れたとか知らん奴ばかりなのが悲しい。
と言いつつ具体的には未だ上手く引用なんて出来てないんだけど、だからこそ余計に知りもしないで過ぎるのは勿体ねえすよ。

-続く-

2025年4月 5日 (土)

音楽備忘録2057 ’70年代Rockの浦島太郎㊵

さて加齢に依る歌唱力の劣化には色々なパターンがあり且つ複数となる場合があるが、杜撰大王が考え得る範囲で先に羅列してみよう。
代表的には①音域の狭隘化②歌唱用肺活量の低下③音程維持力の低下若しくは喪失があるが、以下に夫々について詳説致しませう。

の前に何れにも共通な原因を挙げとくが、少なくとも気付いた当初は純粋な肉体劣化より久しく歌ってない事の方が遥かに大きいみたいだった。
個人差はかなりのもんだろうけど仮にカラオケ等で割と歌ってても、本格的爆音Bandで本格派シャウトをするのとは全然違う。

人に依っちゃ切捨て御免になるがそれ位の声量で歌えないと、正規の爆音系ではそもそも自分の声がコロガシ(モニタスピーカ)使わなきゃ全く聴こえんくなるんだ。
立ち位置不動で居るなら未だしもアチコチへうろついたり、客席を駆け回ったり観客にダイブする可能性があったらモニタなんてアテにしてらんない。

ならばとインナーイヤーを使えばそれは一応クリアされるが、狭隘Live Houseで同期物でも無いのに装着してたら聴覚障碍者と疑われるかもと毒づいとくかね。
いやコレ若かったら左程でもねえだろうが、体の動作に僅かでも心配な感じがする年寄りだとどうか分からんですぜ。

わ兎も角自分が日常的に爆叫びしてた当時は、徐々にそうなって行ってたからちっともその自覚なんて無かったのよ。
尤も私感でそんなのより深刻に感じてるのは③で、②については病気になってない限りある程度は訓練で戻せる見込みが立つ。

んが無意識下で歌って声に変な震えが何時も付いて来るとなると、別稿に綴った初期Beatles唱法でもしないとどれだけ「無駄に震えてるか」さえ把握し辛い。
杜撰大王はたまたま昔歌のビヴラートが大の不得意だったからかなり敏感になれてるが、心地良ければ最初からずっと歌声に震えは付いてても問題無い訳だからね。

但しそれが初期段階から不適切なものであれば、修正出来なきゃ歌手への道は閉ざされる。
と考えてくと全く揺すれなかった俺みたいなのかまるで常時極度に緊張してる体のブルブル声なら既に学んでるが、大した壁も無く歌える様になった者に指摘し自ら修正意欲を持って貰うのは中々に厄介なんだ。

又奇特な見解か分からんが杜撰君初めて録音された自分の声に即死んでやろうかと落胆したが、それから長い年月が経つと諦めが付いたか開き直ったか知らんがちっとも気になりもしなくなった。
俺よかマシな声の持ち主だったらもっと否定感は無いだろうから、好み完全無視で客観的に聴ける耳を持って無いと「そーかぁ?、前からこんなもんじゃねえの」となっちまいやがる。

つまりはそれなりに良かった若い頃の歌声を、そもそも自身が正確には把握出来てなかったんじゃないだろうか。
先ず「良かった」の判断基準からして、いたいけな少年と大ベテランに対しては異なってる公算大なんすよ。

この様な認識差は歌が一番顕著だが、それに続くリズム(ノリ)についても状態次第じゃ結構深刻なんだ。
例えばたまたまヘヴィーな仲間とそんなのばかり演ってたら、普通の人とは重過ぎて合わなくなってるとかね。

稀にトラで普段と正反対なのでも演らされてりゃその時点で気付けてたが、極端なので長年無事に済んでたら自身のノリは重いなりに普通の範囲に収まれてると思っちまう。
つまりⅡで加齢ブランクの克服には2つのポイントがあり、出す方(演奏)と同じ位入れる方(聴いて判断する)にも良く目を向けなきゃアカンのよ。

-続く、か-

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