ギター

2022年1月20日 (木)

音楽備忘録889 ケーブルの話し③

ケーブル接触に依る雑音混入の続きになるが、インピーダンス次第で影響度が変るのへフォーカスして行こう。
オーディオ系由来の高級ケーブルの俺的には失態、又しても「分断化」がその根底にあると考えられるのだ。

現代では電気楽器以外でハイインピーダンスのなんてほぼ絶滅してて、故にこれの実体験が無い≒ハイインピーダンスの使用実情を知れないにほぼ直結している。
その中でも特に「ハイインピーダンスのままじゃ無いと困る」理由が最大の焦点で、具体的にこの苦難に一定以上直面しないと脳内で理論を凌駕するのが困難な様だ。

何せあらゆる所で低雑音化と伝送の質を上げる為に、長年苦労してインピーダンスを下げて来た膨大な歴史があるんでね。
電気屋的にはわざわざ不利な旧式のを非推奨とするのは当然で、俺言い「電気楽器音響学」とか「電気楽器音響理論」ってカテゴリの概念すら日本じゃほぼ未普及だしさ。

だが本来なら汎用電気理論の他にどの分野でもそれ用のスキルがもっと要る筈なんだが、中身じゃ無く学歴だけで履歴書すら読み飛ばしてる有様だからな。
結果的に近年本邦ではどちらさんでも相応しい者が担当してなくなっちゃって、業績が振るわなくなるのも至極当然なんですがね。

だからってこちとら時には死活問題になるんで迎合なんてしてらんないが、音色が変わってもローインピーダンスにして構わんなら一気に解決しちまうだす。
管球式以外のオーディオ用のケーブルだったら、接触に依る雑音混入は末端順位の要件になってくれる。

但し例外が皆無な訳では無く、Micやヘッドホン・イヤホンでは例の俺言い「糸電話効果」が残存している。
つまり電気的に無関係になってても物理的な方が残ってて、これもハイインピの件と近い位そこそこ大事なのにアナウンスが僅少だ。

これも含めここからはパート別の必要条件へ進めてくが、楽器では系統次第で混在してる処が他と違っている。
先ずは条件の変動がほぼ無い方から行くが、歌・Drum・打込み等では殆どオーディオ用のと同じに考えて構わないから現代では楽ちんグループだ。

Drumには大枠で生のと電子式のがあるが、大昔の極一部の電子パーカッションを除けば方式が違ってもインピはローのばかりだ。
インピはほぼハイ側固定にはなるがGuitar・Bass類も、特殊なのを除けば楽器用Ampへ繋げられる都合でそう思っときゃ良い。

厄介なのは鍵盤系で、特に所謂マルチキーボーダーの方はロー・ハイ両方のの常備が必須だ。
奏者的には鍵盤のタッチとか機能の違い程度に感じられるが、機械的には異常に巾が広いんですよ。

中でも電気楽器系のがややこしく、設計時期等で「繋ぐ相手」の想定が違ってたりするからね。
例えばもう全く作られなくなって久しいけど、YAMAHAのCPシリーズ(エレアコ方式の)みたいなのはそんなにローインピにはなって無い癖に繋ぐ相手はハイのの想定になってない。

Fender Rhodes等の所謂エレピは真空管Guitar Ampに繋いだって何とかなるが、CPでそれをしちまうと本来の音色は殆ど得られなくなる。
要はエレアコタイプだからなんだろうが、エレアコでもGuitarのだったらGuitar Ampへ繋がれる想定が殆どので一応はされてるんだけどね。

音域の広大さや登場時期のPAの様式(鍵盤系はPA出し)もあって、そうしといた方が便利だったんだろう。
かなりカビ臭い余談になるがそんな中Nena(Band)のヒット曲のシンセが、Ampに繋いだ様な音にしてあったのがその当時は一寸斬新だった。

尤もかなりLo-Fiになっても珍しゃOKと考えての事かどうかは知らんが、鍵盤奏者の一存で選択出来る様な代物じゃ無かったよ。
今時先ずそんなお間抜けさんは居ないとは思うが、知らず考えずに不一致ケーブルを使ってるせいで「アイツはロクな音がしない」なんて思われてたら不幸ですわよ。

<つづく>

2022年1月17日 (月)

音楽備忘録886 纏めて録るかバラして録るか?⑩

何時迄続くか分からんコロナ禍では一発録り(纏めて録る)のはより困難化してるが、分割するにも色々と条件ってのがあるんで一部概述だが今回からこれに特化してこう。
比較的簡単に気付けるのは休み部分の多いのとか、途中から登場するパートを後回しにするのだが…。

私的にには丁度今直面してるのもあって、それ以外で気になるのがバランスの問題なんだ。
技術面だけなら後加工でも補えはするが、表現やらニュアンスやらも含めると演奏以外の他力本願にはかなりリスクがあるのよ。

それ何ってアンサンブルバランスのハーモニーや、曲のコード感の維持についてなんす。
その中で複数入ってて構わん物ならどうって事ぁ無いんだが、基本的には継続して同じのを入れとかないと変になるBassの扱いがさ。

過去’70年代の米作品のMixでは堂々とFaderでバランス変えちゃってるのがあって、例えば歌バックでは控えといたのを楽器Solo部ではガクンと大きくしちゃってたとかだ。
そうして録られた作品をLiveる際にもFader弄ってたかは様々だった様だが、BassだってSolo部とかLeadを取ってる部分でだけならまだ良かったんだけどね。

家で聴く分には兎も角、それをカーステで掛けると結構困らされたりするんだわ。
燃焼機関(エンジン)やロードノイズ(主にタイヤと道路の接触音)って低域が主体なんで、正規のオーディオ理念には反するが「聴こえる処迄音楽側の低域を増し盛り」しとかないと淋しくなるじゃない?。

これの面倒なのが大抵はずっと一定速で同一路面状況が続いてなんかくれんので、辛うじて聴き取れる⇔うるささや過多に耐えられるのの間を取る事となるす。
それには途中で急変されては迷惑ってもんで、録りや混ぜに関わらず再生装置・環境差に対しての究極の課題ではあるんだけども。

って随分お客さん忖度かったらそれも無か無いが、提供する側として↑の小さいサイドは最悪聴こえなくなっても構わんって覚悟をしとかなきゃなんないでしょ。
それもBassがお留守になっても和声に悪影響が無きゃの話しなんで、Rock系みたいにお留守厳禁の編曲のだとそれじゃあ不味いやね。

勿論編曲から予測して加減して弾いてはいるんだが、特にバスドラが大きく鳴る箇所で埋没するケースが後を絶たない。
って太鼓から先に録りゃ良いんだが、現況では従兄の意向でそう出来なくて。

尤もDrumファーストでも太鼓の広大なダイナミックレンジに、電楽器如きでは対応し切れない事もままあるがね。
Baasistとして努力の報われに欠損が出るのも惜しいが、それより問題になるのが和声の崩壊なのよ。

これに対する安全策はBassを大き目のMixにするのが一番だが、太鼓大き目バランスにしたいとなるとこの効力は弱体化しちまう。
故に不完全であろうと録るに際し予測精度を深めようとするんだが、リアル合奏体験抜きだとより厳しくなる。

とは言え無対策で只弾き易さにかまけててはもっと酷い事になるんで、無駄骨になるかもを覚悟してでも「曲としてのダイナミクス」は大いに意識しとかんとね。
これ確かに後加工で細工出来る様にはなったけど、「強い大きい箇所の方がヤワな音色」なんてなっちまうとやっぱ変だもん。

更に駄目押し付記しときゃ音色次第で認知度に差も出るんで、弱く弾いたのを基本的にレベルだけでバーチャルフォルテ化するには大巾な増し盛りが必要になる。
んでそんな真似すると今度は他パートを隠蔽する可能性が出て来たりするから、最低でも「弱くは弾いて無い音色」になってないとこの手は困難だ。

リアルアンサンブルで演り慣れてる曲だったら無意識でも自然とバランスさせられたりもすっけど、ホントの新曲だと非コロナ禍で頻繁に合奏出来ててもそこ迄には到達出来て無いケースも少なくないんでね。
この面からBassistは、最低でも「Band内のプチ編曲家」であるべきなのが要求されてるって寸法あるよ。

<つづく>

2022年1月15日 (土)

音楽備忘録884 録音でのプロとアマの違い⑧

オッサンしつこく球球言いはるけど明瞭度一択にそんなの要らへんなアナタ、結構そうでも無いから執拗に吠えてるのに気付いとくんなはれ。
これ確かにパート別単独で聴けばそう感じても仕方無いんだけど、アンサンブル全体で聴くと俺言い「忖度戦法」には絶大な副作用があるんでおま。

俺忌避「現代本邦劣化J-POP」で不毛の音圧競争に陥ったのにも大いに絡んでて、↑の忖度戦法は他の犠牲の上にしか成り立たない明瞭度だからなんス。
古い録音の程コピーとかの為に聴き取りするのには難儀させられがちだが、実は近年本邦のでも案外よく分からない箇所ってあったりするぞ。

ではこの件の分析を進めてくがそうなるのが昔のは主に記録洩れで、例えば非BrightなBassのローエンドがあまりにも生より拾えなかった等に起因してるのが多い。
コレ明瞭度の基準が現代と異なるのも要注意で、かつてはどのパートにも所謂「エッジ」が求められたりなんてして無かったんだ。(そもそも充分に記録・再生するのが不可能だった)

音響関係全般が未発達だとなりゃどの段階どの方法でも、先ず瞬間的な音はそのままは扱えない。
それが録音に限らず生演奏ではもっと顕著になってた訳だから、もしかしたら60年以上前の世界へタイムスリップしたら皆から「音のエッジって何?」って不思議がられるかも知れんよ。

特に生楽器では無響室で至近で耳にする以外、現代的な録音物でのエッジ音に近いのを聴くのすら不可能だから。
つまり極論しちまうと「現代的エッジ音」ってな一種の捏造物とも看做せ、今だってそれ用の少し特殊な手段を使わなければ実在しない存在なんすよ。

そりゃ「浮気は文化だ」みたいな観点に立ちゃ盛り文化の1つではあるんだが、デジタル合成等抜きだとアニメ化は可能でも実写化は無理な映像世界みたいなもんなんよ。
さてではこの時点で敢えて盛り文化発祥の謎!?へ迫ってみると、結局はリアルにだけあってバーチャルでは得られない弱点の補填なんだわ。

んわ兎も角ではエッジ以外に分別要素が無いのかったら全然で、寧ろエッジが提供出来る要素って殆ど発音タイミングだけなんだよねぇ。
共通最大の分別要素ったら何たって音域に敵う物は無く、しかし近接してたり被ってると効果が薄れたりするけどね。

キリが無くなるから本題へ戻すが、そんなだからBassだったら必然的に先ず低域の状態をコントロールしようと思う人が主流になんねん。
これへ人間味溢れるエゴ!?も追加してやりゃ、何しろBassでは低域に最も敵が少ないしね。

現実的には周囲音質の変化からも高域は無視出来難いが、優先順位は不変のままと感じている。
私感としては顔立ちみたいなのはエッジ音の方が貢献してくれるが、「居るか居ないか」では低域に支配されている。

「エレキBassはどれだ?」と探せばエッジ音が無いと見付けにくいが、「ルート音は何?」って聴き方をすると少なくとも「低域の予想が付く」音が入って無いと分からなくなる。
差し詰め個人の特定とアンサンブルとしての配役のどっちを優先するかみたいなもんで、最近のは誰が何を奏でてるかに拘り過ぎてるのかも知れない。

Cymbal等の元から高域主体系のと比べると、所詮Bassなんて音色的には目立ち難い存在なんだ。
だから個性も単体音色より先に内容に求めるのが相応しいし、その方が効果的なんすよ。

強いて他の解決策を挙げとくとすれば、他パートの低音過多を駆逐する事かな。
単体聴きするとローもハイも忌憚なくワイドレンジな方が美麗だが、実際にアンサンブルになるとその全部なんて聴こえなくなってんだ。

流石に私的には’70~’80年代のLAサウンドみたいに低域を必要最低限迄絞る気にはなれないけど、高域だってそうだが楽器が一定数を超えると全員常時主役ってのは無理がある。
こんなの他力本願みたいで情けなっぽいが、アンサンブル全体のバランスの為には元々必要且つ重要な視点なんすよ。

<つづく>

2022年1月13日 (木)

音楽備忘録882 ケーブルの話し②

さて前回の流れから今日は使用中に動く電気楽器に相応しい、ケーブルの要件を整理してみよう。
普通先ず気になるのは音質や耐久性だが、併せてワイヤレスにも少々触れとこう。

俺自身は表向きは望まぬインピーダンスの変化・内実は貧が為、幾らも大人しくしてられない癖にワイヤレス機器は未だ未所持が続いている。
一般的なストンプで歪ませてるならインピ案件はほぼ無関係になるが、録音で使えない(若しくは使わない)のより両方に使うのに予算を回さざるを得ないしね


それでいてある理由から自分からは所謂高級シールドを全く買わないんだが、これこそが今回の話しの核心なんだ。
前から薄々気付いてはいたが仲間の大盤振る舞いから、その類のを貰ってより確信が持ててしまった。(大変有難かったですが…💦)

頂いたのはどれも超高性能な優れ物で、誰にでも直にハッキリ分かる程音質の良い物だった。
だがフトしたキッカケが元である不都合が判明し、折角の優れ物も使用時を著しく限定する様になってんだ。

勿体付けずにそろそろそれを晒すと、接触時にそれが雑音として入ってしまうからなのだ。
当初は以前述「糸電話効果」でPUに伝わったのかと思ったが、試しにケーブルだけを繋いでそれを指先で弾いてみたらしっかり音が出ちまうじゃありませんか。

万一劣化が原因でそうなった可能性もあるんでネットを漁って調べてみると、この手のケーブルの開発経緯にある共通性があるのに気付いたんだす。
それは源泉がオーディオ系だった処で、あちらでは伝送特性に特化して磨きを掛けるだけでさして問題にならないんですがね。

人がぶら下げて使う楽器とかだと完全静止状態になんて滅多に無いんで、動いて音が出る可能性のあるのの方がもっと困るんすよ。
電気的に伝わりが良い材(ほぼ金属)って高純度高密度になるんで、そうすっとCymbalや音叉等それ自体からして「良く鳴る物」になっちまうだよ。

実際に曲げ強度も強めになりがちで、その面でも不自由を来す事もあるしね。
これって良く思い出してみればMic用のケーブルでも同傾向があって、置いとかないヤツにはケーブルの柔かさの方がもっと必須なんざんす。

ここで重要なのがケーブルの外装と芯材の両方が一定以上に柔軟である事で、主に外は俺言い「糸電話効果」への芯材(電線)は俺言い「接触鳴き」の耐性に寄与してる。
エレキみたいなハイインピーダンスだと接触音の根絶は原理的にどうせほぼ不可能ではあるが、どの程度伝えきれてるかよりコン・ポン・ボソみたいなのは誰にでも一発で分っちまうやん。

なので常時最良の環境下で演れる人なら兎も角、狭隘でゴチャ付いた所での方が多い俺みたいなのには伝送性能特化品はマッチしてくれへんのどす。
この件海外でだって一寸そんなだが、私的には日本で楽器音響界が不当に低く扱われてるのも大いに災いしてると感じられるよ。

かつて若い一時期にはカタログスペックの絶対値を盲信したりしちゃって、米のより日独ののほうがどれも優れてるじゃんなんて悦に入ったりもしてたがね。
想定範囲の広さみたいな点で多民族国家の強みが自然と出たのか、何故ずっと米が世界を席巻してるのかの一端が垣間見えた様な気もすんだ。

趣味性とか風情みたいな面では欧州やアジアののほうが味があって好ましいが、井の中の蛙になり過ぎるとそれすら活かせなくなるのでね。
只これにスポットを当て¥数万の高級品と一緒に公開実験するにはかなり勇気が要りそうなんで、弱小発信で広めるのも厳しそうだ。

なるべくなら暗黙の了解みたいに水面下の知識にはしたくないが、だからって購入者だけが不具合を負担するんじゃ癪に障るんだす。

<つづく>

2022年1月12日 (水)

音楽備忘録881 纏めて録るかバラして録るか?⑨

さて今回のは若干本項⑦の蒸し返しっぽくなっちまうが、グループ(若しくは録音時の人数)と必要パート数の問題についてだ。
少ない目なら補填に多い目ならお休みの宣告に苦慮させられたり、中々常にジャストフィットとは行かないもんだ。

俺は小編成の特に最小のトリオ体験が多かったからかはたまたコロナ禍のせいか、或は加齢でか分からんが最近は大編成に対する羨望が強まったりもしてる。
だがコロナ禍じゃ無くても資金も含めた運営が難関で、その中から私的気付きの幾つかを提示させて頂こう。

1.作編曲者が全員か否か
実際の負担割合は変動があって然りにしても、全員で作ってたなら単に演奏だけお休みって事で済む。
或は真逆に1人の天才を他の皆で支えようって趣旨なら、幾らも弾かなくて均等割りの経費を払う事となっても抵抗は無いかも知れない。

だが一定以上の人数でチームを組むと必然的に分担が細分化するんで、文句の出難い状態を維持し易いのは下世話だが結局は財力に帰結したりもしてしまう。
上記後者のも考え次第では才能を一種の財産とも看做せる訳で、打算的に過ぎるかもだが人の心の欲に自然に対応させるには必要な際も少なくないと思うんだ。

自称貧キングが突然妙なのを言い出してる様に思われるかもだが、急遽の出費が非対応だと先に考えとくしか解決策が無かったんよ。
この件本質は気持ちの問題であってお金じゃない筈だが、少なくとも資本主義社会では何を実行するにも先ずは「先立つもの」だし。

気持ち重視であればこそ飽く迄個人の見解やが、せめて金銭面での不平等感位は退治しときたいと思うんだ。
曲の出来栄えを最優先にすると出来た曲次第でパートや編成の人数の方は、弄れないし弄るべきじゃなくて融通が利かせらんないんだから。

2.本邦Rock系では編曲に対する認識が希薄
これは手前味噌でずっと虐げられて来た!?からちょいとナーバスにもなるが、演奏力と編曲力を分離して捉える力に劣った輩のなんと多い事か…。
小編成且つ低力量の内は演れる手段に乏しいんで気付け難くても仕方無い側面もあるが、カバーをする際にはとてつもなく大きな影響が露呈する。

近年本邦では不適切な著作権の事情もあって他人の曲を演るのが激減してるが、編曲を学んだりその力量を上げるには由々しき問題と考えている。
それ以前から概知の曲だと編曲や演奏のボロが露呈するのを嫌った面もあったかも知れんが、カバーから逃げ捲った処で「バレるタイミングを一寸遅らせる」効果しかおまへんでぇ。

悪い意味で自作曲に拘り過ぎてる方に是非お伝えしときたいのが、こんな一種の過剰保身って却ってブーメランになったりもする処でゲス。
実は曲はそこそこの出来なのに、劣編曲のせいで低評価されてたら勿体無いしね。

まあ曲自体への興味が強いとどうしたってそれ以外の部分のは薄くなるもんだけど、作曲・編曲・演奏と場合に依っちゃその録りってのは全部表裏一体でセットになってる物ですんでね。
不特定多数に対して最も有効なのは一点豪華主義では無く、各要素のレベルバランスの良い物の方だ。

上記2点の解決策の1つとして、不要人員の追放にバラ録りもある訳だ。
只弱点としては活動初期のLive時に苦労させられる処や、リアルのアンサンブル経験値が殆ど稼げなかったりする。

しかし又々私的ではあるがそもそもたった1つので、各スキルアップを賄おうってのも虫の良過ぎる話しなのよね。
上述の如く作品尊守にはバランス優先になるが、どれか1つだけを追及するにはそこのレベルは高い程良いやんか。

それからすっと録るののバラのみならず各分野のレベルアップの取り組みにも、ある程度バラして考えるのがどうせ要るんじゃないのかな。
大体に於いてどの世界でも兼業で失敗とか弱点が露呈するのって、本業じゃないんだからこの程度で良いやなんてするからだろうから。

<つづく>

2022年1月11日 (火)

音楽備忘録880 録音でのプロとアマの違い⑦

では研究価値のありそうなのをこれから提示してくが、今回は機材のセレクトをテーマとしよう。
何時まで経っても平民に手の届かないのも残っちゃ居るが、体験的にはやはり時代が下る程そんなのが減り続けてるのは確かだよ。

目的次第で様々ではあるし俺の趣味性も皆無じゃないが、先ずは真空管機器にもっと興味を持って頂きたいのでありんす。
貧なのでアイデアが浮かんでもどれもを即試出来ないのは苦しいが、例えばエレキGuitar内蔵のBooster兼用BufferをNutube化してみたいなんて野望もあったりする。

球ってどんなタイプのにせよ基本的に振動耐性に乏しく大飯喰らいだが、その中ではNutubeがもっともマシなんでね。
音的耐振動性の不利はPickupやエンクロージャの上へ直設置したAmp Headだって中々のもんだから、何とか同じ様に処理出来たらなぁなんてさ。

とは言え最大限に上手く行ってLiveでも使用可能となりゃそれ位で限界で、雑音源の少ない環境下だったら内蔵する程近付けられなくったってへっちゃらなのだ。
そうなると俄然選択肢が拡張し先ず増幅素子(ここでは真空管)本体の価格からして、
上記君だと¥5,500なのが最安¥1,000位からと⅕に低下する。

尚且つ↑は発端に過ぎないんで使用条件の厳しさが緩和するとかなり影響が大きく、Live使用を前提としなければ今だって誰にでも手が届く範囲の代物なんだ。
とは言え最新半導体機器の方が便利で用途も広いのに何故こんなに推すのかったら、録音物の方がLiveパフォーマンスより長く「そのままの状態」で残るからなんよ。

この先は実体験が無いと少々納得し辛さそうだが、例えば’70年代のLiveだったら当時として平均以上の音質だったら特に問題にはされない。
ってのは実はそうじゃ無かったとしても当時の録音機器のとか、PAの低性能のせいでそんな風に聴こえたのかもなんて逃げ道がLive記録にだったらあるからだ。

その反対にStudio録音では未だにBeatlesが使ってた、NeumannのMicが最高峰の座に君臨してたりする。
別分野で近似例を挙げるなら「時間外の外食の水準」だとコンビニやファミレス等のチェーン店普及前は、昼間なら町一番の不味いラーメン屋でも深夜には酷く有難く感じられたとかね。

或は電子レンジ普及前だと家庭の夕食時間に遅れて帰宅したら、冷や飯にしかありつけなくても全く普通だったとか。
要するに色んなのの進歩・進化がハイエンドでは無くローエンドの方が絶大なんで、Studio録音だと今から数年間なら大丈夫な音質・音色なんて妥協をしちまうと先々ロクでも無い目に遭う事必定なんす。

更に現代だと好み一切不問で誰にでも関わって来るのがデジタル音質の弱点で、極一部金満君若しくは大幸運君以外には業務用アナログ録音機を使えるチャンスなんておまへん。
のでデジタルの弱点補填に使えるのが、廉価版球機器位しか無いってのがこの件の真相なんでありんす。

何を隠そうアタシャ貧だからこそ当初はバーチャルシミュレーションにはかなり期待してたんだが、リアルの球の音を知ってる身からするとどっちでもいい部分は大巾な改善が見られたものの肝心な部分が全然でしてね。
特にFairchild 670についてはあっしの身分じゃモノホンは絶対無理なんで祈らんばかりの気持ちだったんだけど、俺言い「トランス柔軟剤」の部分がからっきしでねぇ。

ついでだからこれの次善策も披露しときゃトランスの代用になるのは、コンプリミッタ限定なら増幅素子よりアナログフォトカプラの威力の方が大きかっただす。
ったって掛けたくない分はそれじゃ困るんでどうにかしてトランス自体を探してみたっけ、絶滅こそして無かったが高価過ぎてお話しにならんかったとです。

けどこれにも裏技紛いのがあって楽器用真空管Ampに「入ってるの」だと大して割高で無く、Ampごと買わにゃならんがバラ買いするよりかなりリーズナブルなんす。
Mic Preの方では残念乍らトランスレスが多いんでこの手は無効化しちゃうけど、それに対しては球コンデンサが昔より普及版が売られる様になったし随分増えたんでそっちでとか。

<つづく>

2022年1月 9日 (日)

音楽備忘録878 ケーブルの話し①

ケーブルについては以前から極チラホラとは触れてたが、この機に少し纏めて記しとこう。
一般的には1に伝送性能2に純粋な耐久性が語られてるが、ここでは敢えてそれ以外のを中心にお贈りしよう。

実用上は用途次第で最重要ポイントは結構変動するもんで、↑の一般論には実使用状況の加味が以前から不足がちと感じてたんだ。
では規格や性能が最重要なのから始めるが、やはり電灯線電力供給や球などの高圧の場合は耐圧や電流容量が何より肝心だ。

近年だと例えば医療用グレード等のが持て囃されてるが、否定こそせぬがコレ真価を発揮させるにはGrand(アース)が独立した3極接続が必要なんだ。
しかも見えてる所だけがなってるんじゃ全然役不足で、Grandラインの末端はホントに地面に埋めてあるアースなのが望ましい。

なのでそれ以外の設備環境下では耐圧と耐電流容量に余裕を持たせる方が有力で、踏まれたりし易い場所ではそれ等への耐性に余裕のある方が実効性が高くなるんだ。
但し余裕があればどんなオーバースペックでも良いかっつうと確かに電気的だけならそれでOKだが、丈夫過ぎるケーブルがもたらす災厄もバカにならんのです。

電線は太くなる程普通は曲げ難くなるんで、狭い所で鋭角に曲げたい際は太過ぎると却って線にストレスを掛ける事になる。
高ストレス状態になると抵抗値が増加して通常使用時より発熱し易くなるし、屈曲部の内側と外側のR(曲率半径)差が大きくなるんで材自体の劣化も促進するんだす。

それに加えケーブル引っ張られ事故時に、最悪は機器本体が凄い勢いで飛んでったりもし兼ねないから危ないよ。
普通なら切れると困るし危険だけど他との優先度の問題で、どうあっても全く切れない抜けないのが常に良い訳じゃ御座んせんのどす。

比較的近年の体験実例で電源ケーブルでは無かったが、恐らく丈夫過ぎるケーブルのせいで破壊されたエレキのJackプレートの修理ってのがあったんだ。
物はGibson Les PaulのでJackプレートとかのネジ穴がバカになったのなら過去に幾らでもあったけど、木部から割れ欠けしてたのはかなり長く携わって来て全くのお初だっただす。

この手のは誰かにシールド踏まれてるor引っ掛ってる→気付かず動いて等で発症するが、その際ネジ穴と同時にプラグも折れ曲がったりするのが普通ね。(いみじくもついこないだやっちまった😢)
それが主さんは非常識な程の極太線+屈強Plugのシールドを繋いでたらしく、どうやら力の掛かった向きが不運でボディ破壊に至ったらしいんだ。

ほぼ無傷だったシールド!!の価格も¥数万だそうだが、本体が限定生産のだったからそっちの破壊の方が経済的にも大打撃。
大事な本番で抜けたり切れたりでのパフォーマンス中断は敵わんが、ケーブルだけで済む様にしてあればスペア交換で即復帰出来る。

だがこの様な破損はその場で必要なだけの応急措置を講じるのは困難なんで、要は乗り物の「クラッシャブルゾーン」の様な思想が必要って事なんす。
近年はこんなのも含めて制定したのか新規製品では、機器本体側にもPC電源ユニットに付いてるのと同じソケットのあるのが定番になってるよね。

収納時や搬送時のケーブル破損防止と、より本体を尊守するには適した方式だ。
けれど接触不良を起こす可能性のある個所を増やしてしまってはいるので、中々全部が都合良くとは行ってくれない。

がハンダや電気の専門スキル不要で、同一汎用規格のケーブルの予備さえ持っとけば交換するだけで多くのトラブルを一気に解消出来るだす。
今回の電力系では性能不足は即事故に繋がるからご法度だけど、つつがなく実用に供せなくてはどんな高性能も無効化しますん。

<つづく>

2021年12月24日 (金)

音楽備忘録862 纏めて録るかバラして録るか?⑧

毎度の不始末で前回のはあんな処で終らせると、纏めるかバラすかとの関係性があれだけで分かったなんて方が珍しいになっちった。
ので結論から申せば、ベーシックがシンプルな程纏めて録れる可能性が高くなるんす。

ここでのシンプルはフレージング等より編成が主ではあるが、小人数でも賄えるメリットを先ずは色々見てって頂きやしょう。
大別すると2種あるんでより重要と思われる作業内容の方から行くと、集まれる頻度が上がる→試す機会が増える→アンサンブルとしての完成度を高め易いとなる。

もう1つの方も俺みたいな貧にはもっと影響大となるが、広い場所要らん→費用もその分低廉→有り金が少なくても実行可能!?。
とは言えバラしちまえばこの限りでは無くなるし、俺の現状では最低必要数の誰かさんが休養中なお陰でベーシックトラックすらせーのは無理になっちゃってるけどさ。

けど引き算式で構築してくには超強力に不要なら切り捨て御免が出来なきゃ駄目で、無用な重複に対して非常に鋭敏に反応し非情な対応が要求されるんよ。
これがまだ奏者とMixer氏が別人でMixer氏の方が断然格上だったら未だしも、それなりに苦労して入れたのを切るのってどうしても惜しんじゃったりしがちじゃん。

なので特にプロデューサや作家になり切れない奏者だと、俺言い「簡単には足させて貰えない足し算式」ってのが最良だと思うんだ。
これは1パートへ織り込む要素数にも影響が出るもんで、パート単位でも「聴き飽きない演奏」とするのに力になるねん。

それを実行するに際しフレーズだって全く不変では無い方が多くはなるが、もっと基幹レベルで強さをどうしとくかなんてのから違いが出てくんだ。
例えば曲中でここは強拍Accentなんだが、他の誰も演ってねーぞなんてな箇所が出て来たりする。

いやいや普通に演っといて足りなきゃ足しゃええやんってご尤もやけど、もし足さんでもホントは足りさせられたんだとしたらどうなのよっと。
これでパート若しくはその奏者が聴き手にどう映るかってぇと、仲間が居ないと凡庸なのよりゃたった1人でも解決させちゃってた方が凄いし格好良く見えると思うのよねえ。

コレ奏者としては一面で死活問題に属するもんで、奏者としての立場が不要なら構わんがね。
高難度演奏技術に非依存で成立してる奏者の核心の1つで、特にプロの場合はそれが足りてないと何時誰に取って変わられるか分からん状態なんすよ。

この点現代では打込み苦手だから弾いといてみましたってのはもう通用しなくなって来てて、けどこれを軽視してるのが多いから近年本邦では業界全体の凋落に繋がってると思うんよ。
ボカロで作られた名曲も例えば小林幸子が歌ったりすると、世間全般に対してはやっぱ実演したのの方が広く評価され浸透しただしょ。

纏めて録るかバラして録るかは実際にはケースバイケースだけど、根底にある理想は聴く時のんまに録るってのが不変なんざんす。
その中でほぼ唯一例外となるのは音色の都合で、それって思ったよりゃ案外楽じゃ無かったりするんよ。

Drummerさんが最も知ってそうなんだがコンビネーションフレーズを全部分解して、単楽器単位で正確なタイミング録るのって不可能に近いですから。
楽器種次第で感覚的には随分差があるけど、大変に感じられなくてもそんな要素が無くなってはいないのよ。

<つづく>

2021年12月22日 (水)

音楽備忘録860 録音でのプロとアマの違い②

オーバーダヴの続きで「念の為に録っとく」の、プロでの実情に今回は迫ってみよう。
後で困らない様にニーズの可能性のあるのを録っとくだけならプロ・アマに大差は無いが、それをどの位どう活用するかにはかなり隔たりがあるんす。

1.スケジュールがタイトで録音機会が僅少
2.作・編曲の完成が録りに追付いてない
3.奏者と技師が一緒に居られる時間が少ない
等の場合に特に余裕を持たせるのにも多用されたりするが、グループ内に全権委任されてたり独立した編曲家が居なけりゃ否応無しに奏者も編曲に参加しなくてはならない。

アマだってベストを期してる方が多いだろうが、万一不足があっても基本的には内部案件で外部からのは評価が下がるだけでその他の問題に迄は殆ど至らない。
のがお仕事となると不備が確認されると責任の所在を追及され、例えば真犯人がグループ自体だったとしてもそれだけでは済まなくなるのだ。

編曲力の足りないタレントだってんなら、どうしてディレクタやプロデューサのお前は外注しなかったんだとかってね。
或はプロの仕事としてのクウォリティに満たないのに、社長アンタそんなのを売りつけちゃって罪悪感は無いのかとか。(どちらも近年本邦では恥知らずが増えたが…オッと失礼)

前回述の如くそもそも何をどう入れとくかから差はあるんだが、予防線の張り方からしてもかなり程度差があるんだ。
例えば昔のClick不使用のだと曲の最初から最後迄伴奏のだけで12パターンも入れさせられといて、その内のたった1トラックの冒頭数秒分しか完成作品には採用されてなかったとか。

その逆にStevie WonderのSuperstitionみたいに、Clavinetが聴こえた印象を遥かに上回って8つもテンコ盛りにされてたのなんかも。
この2つは採用割合も両極だが、編曲前から録り始めたのと編曲やMixが固まってから録ったらしきって違いもある。

要するにどっちになってたにしてもプロの世界では確固たる理由に基づいた結果であって、例え口では「気分で」なんて言ってても実音化する前だっただけで当事者の脳内にはそれなりに確証があっての事なんだ。
又その理由にも機材面の進化に伴ってかなり変化があって、近年はミスの撲滅やバリエーションが主だが昔のは音色や音質が原因だったのが格段に多い。

今と違ってトラック数が限られてたのに重ねたってのへ目を向けりゃ、少しは察しが付くと思うんだけどなぁ。
喉元過ぎれば熱さ忘れるで今だと大抵は直面してない案件だから、時代劇を主演中みたいな設定でもしてないと失念しても已む無しか。

ってそもそも時代劇を知らんとそれも出来ん訳で、僅かでも良いから作業プロセスのオール人力って体験がホントは必要なんじゃないかな。
只日本では新人研修でさせる昔体験が形骸化してるのも少なくなく、本来なら「脳内フローチャート生成」が目的なのに「昔は大変だったのが今はこんなに楽になったんだからせっせと働け」みたくになっちゃってると厳しいね。

因みに↑脳内フローチャート≒仕事の手順や相関関係の点では、デジタルバーチャル化してても打込みの方が端折れないからそっちから逆輸入するのも1つの手かも知れない。
一般的な打込みをしようとすれば編曲やMixから逃れるのが不可能で、適性ややる気の有無がどうだろうと少しは考えないとそもそも打込めないからね。

<つづく>

2021年12月20日 (月)

音楽備忘録858 纏めて録るかバラして録るか?⑦

多少興味はあるものの別段所謂ミニマルミュージック推奨者では無いと前置きをしといた上で、今日はアンサンブルを必要最低限から考えてくのをお薦めする話し。
アタシャ現況使える金管音源持てて無いんで、近年のそんなのがふんだんに使われてるのに対する妬み僻みは中々ではあるが…。

将来的に許容出来るのが手に入ったら少しは様相も変わるだろうが、究極を考えると最終的には「上手な生」じゃ無きゃ所詮は妥協の産物なんすよ。
もし世間に殆ど上手な生の入ってるのが無きゃどうか分からんが、Jazz寄りのをやるグループだとアマでもメンバーにラッパの人が居るのは珍しくないじゃん。

その点リアルとの混合では無く打込みオンリーだと気が楽にはなるが、今度は一面でリアルの訴求力が無いのを補うだけに終始したり
する。
さて↑の戯言は音の質に拘ると出て来る問題で、クウォリティを気にしなきゃそんなに神経質にならんでもええ。

俺の場合特に録音でこれがどうにも無視出来なくなったのは、Guitar類やDrumset等ではれっきとしたプロの音が出せて録れる様になってからだ。
又々大昔述の再記になるがLive時のChorusストンプに顧客からクレームが付いた如く、自称杜撰大王様ですから本人元々はそんなに気にして無かったんだけどね。

只「あ~何か一寸劣化するな」とは端から気付いては居て、聴き手次第じゃ一寸と思っても「最初から気付ける」程度のだったら放置すると駄目なんだと思い知らされたんだ。
因みに↑の旧聞はたった一度のLiveでの事で、故に録音作品で似た様な真似すりゃ本人の耳に届くかどうかを別とすればもっと色々言われるに違いない。

そこで色々思案・試行してってみると全体の為に敢えて一部の音質を抑える(落す)のも1つの手だが、やはり良い方を基準に構築する方が利口なんじゃないかと思ったんだ。
現時点ではそんな機会はまだ全く訪れて無いが、例えば腕利き金管奏者を勧誘するにはこっちの出来る事が高級な程良さそうだしさ。

しかしそれで使える楽器種が減るとなると、フルオケが最適な編曲は採用し難くなる。
編曲家の立場としてはお邪魔で仕方無いが一旦それを除けて純粋に作曲家の立場に立つと、シンプルでも表現し切れるならアンサンブルが必ずしもゴージャスである必要なんて無いんだよね。

歴史を振り返ってみるとフルオケより後になってシンプルなRockやPopsが台頭したのって、分かり易さだけが理由じゃ無かったと思うんだ。
確かに50人で盛大に演ったのも悪か無いが、何だこの曲上手に演りゃホントはたった4人でも出来るのだったんだみたいな…。

ここで止めちゃうと極一部のひね者にしか通用しない発想だが、大勢居なくても平気って日常的親和性では大きな差があるからね。
更に極力高度な技術を使わずにそれが成り立ってると尚更で、登場時のBeatlesがその典型実例だったんだよなぁ。

とは言え既に使い古された手法であるし、作者次第でシンプルへ振ったって程度差ってもんがある。
だから丸々真似てばかりは当然居られないが、必然性の足りない音は足しても実効性が幾らも無いのは全てに共通なのよ。

その面で引き算も駄目じゃあ無いが、必要最低限から足し算してく方が惑わされ難くはなるんじゃないかと思ったんだ。
車で行くのに慣れちゃったりしてると、あぁ今日から歩かなきゃなんないんだハァなんて思っちまったりもすらぁね。

実際は短距離なら混雑しても停止の少ない歩きの方が時間が安定してたりもするのに、何かあったのが無くなる方にだけ妙に敏感に反応しちゃったりしてさ。
もしかとても冷静で客観的な人だと違うか分からんが、人の欲に照し合せると貯金残高なら減るより増えてくみたいな方が精神的に宜しいと思うんですよね。

<つづく>

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