ギター

2024年2月22日 (木)

音楽備忘録1651 ドラム「手足一緒私論」②

この私論従兄との奏法技術交流に必要になって始まったが、自分内でも苦手の手の改善に少しはヒントになってんだ。
誰にでも即効性があるもんじゃなさそうな発想だけど、パニックに陥って困窮しない限り思考の視野を広げるには有効手段の1つなんじゃないかな。

そこで範囲を一気に広げて考察してみると、異なる楽器同士の間にある程度相対応したのがあるですよ。
Guitar系のハンドミュートなら古いJazzでは本当にHi-Hatを手で抑えるのなんかもあったけど、そこ迄しなくても大略3種類あるよね。

所謂Closed・Half Open・Openに対し、強ミュート・弱ミュート・ハンドミュート無しって按配にさ。
因みにここで強としてるのは例えば音程感や余韻を最小にした様なので、弱は音色だけ少しマイルドにさせた様なヤツ。

これが生ピになるとGrandでは弱める方が減るが、打弦される本数を減らすシフトペダルとかアップライトならマフラーペダルがある。
後者は人間の手こそ使わんが、代わりにハンマーフェルトと弦の間に追加フェルトが入ってアタックを弱める仕組みになっている。

楽器種次第じゃそんなの採用不可のもあるが、「同じフレーズを違う楽器で奏でる」際などに重宝するんだ。
インプロビゼーションで最も素人に分かり易いのがこれで、誰かが提示したプチメロをアンサンブルで共有してるのが楽しめる。

わ遊びの範疇かも知れんが、曲全体で強弱を表現するのに音量でしか出来ないと何かと不便でね。
ポピュラー音楽みたいにあまり音量が大胆に上下しては不都合なのだってあって、その際は音色変化に強弱を担わせるのにトーンバリエーションが最低3つ位は欲しいべさ。

この件電気楽器奏者には結構重要で、生楽器程音量大小の範囲が広くないかんね。
初期の電子楽器みたいにタッチレスポンス無し(つまり鍵盤では音量を全く変えられない)程じゃないが、Fuzzを充分掛けてて楽器ボリウムを弄る暇が無い際は他の手段しか選べない。

と来てドラムへ戻ると近年は今劣化本邦の例えばHi-HatのClose・Openが、ほぼ極端な2択化してるのなんかがオッサンはとっても障るぞ。
確かに活字表示では大凡どっちかに分類してるが、実際にはCloseでもガチガチに踏んだのからゆるゆるの迄無限のバリエーションがあるし比較的簡単に誰でも出来るんだけどなぁ。

それも打込みじゃないからその場その時の、気分・雰囲気次第で相当自由が与えられてるんだけどねえ。
Hi-Hatの「閉じ具合」1つでフォーマル版とお祭り版の演出も可能で、20世紀中はジャンル不問で誰もが当たり前の様に活用してたんだがね。(段々不機嫌になって来た?)

いや別にポリシーとかスタイル都合で固定してるんなら注文は付けないけど、エレキGuitarだったらハンドミュートが出来ない奴に果たして誰も文句は言わないで居られるのかな。
普段滅多に要求されない・使わないだったら上手くは無いにしても、こんなのが障害になってドラムが叩けるのに擬きですら非専門ジャンルのは一切演れないとかなったらそりゃおかしいって。

-続々-

2024年2月20日 (火)

音楽備忘録1649 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➓

パートⅡの最後を飾るのは、培って来た個人感性の上手な処遇の仕方ざます。
人間は容易に勘違いもするけれど、だからって独自の感性を自らゆがめるのはお止しなせー。

誰かと見解の相違が発生した際、その過半数は認定と表現違いが原因なんだ。
これは食べ物の味が一番分かり易そうだが、絶妙に美味しいのって大抵は各要素が複雑に絡んでるよね。

甘さが際立つ印象が客観視したら塩味の方が強いだとか、そのどっちを先に取り上げて語るか次第で言葉は正反対に近くさえなる。
身内で共通認識を持ちたい時は条件設定を明確にして、時間を掛けて整合性を見出さねばならない。

が特にそんなニーズの無い殆どの場合は、○君のは○語・□さんのは□語なんて風に捉えた方が手っ取り早いん。
或はもっと範囲を拡大して、○国文化・□地域文化ではそう云う解釈になるなんて仮定をしてみたり。(自論の正当化に悪用しちゃあきまへんで)

その真相可能性として前々回リッケンベースがデカいと言った人、もしかしたらその人だと体の何処かが支障してたのかも知れないんだ。
それか既体験のは軽目のばかりで、リッ君の割と角ばってて少し重いのが堪えたのかも知れない。

俺は筋肉マンの方だからあまり食い込みは気にならないが、もっと体表が柔らかかったら角が当たると痛そうだ。
この面で万能プロデューサを目指すなら、俺言い「感性の翻訳力」が必要だしモノを言うんすわ。

↑例の様に100人中99人が不細工っつうのを、ある誰かが見たら最高の美形って事は水面下では案外頻繁に起きてる筈だ。
のがちっとも表に出て来ないのは同調圧力大国だからで、独自性を最高と考えるフランス等なんかじゃ寧ろ必死に探して語ろうとしてんじゃないかな。

但しどちらの両極でも求められて無いのに発揮したら、唯の迷惑か我儘なのは一緒。
この点寧ろ今劣化本邦の泥酔者等、特に白昼だったらEU圏なら即逮捕・連行される。

つまり自説を他人に強要しないのなら、心でどう感じてどう思ってても何も問題は無いのだよ。
寧ろ自分は常識的だから大きな問題は無い等と浅はかに考えるのこそ害で、酔っぱらえば無礼講が大抵は許されると思ってるのなんか酷い勘違いだ。

しかし同じ勘違いでも個人で勝手に思い込んでて、他人に一切害を及ぼさないなら後は羞恥心だけの問題だ。
実は勘違いにも少しは効能があって、創作の分野ではそれで盗作疑惑から逃れられる事だってあるのだ。

馬鹿と鋏は使いようの一種で、手前味噌ではSnareのゴーストノートを間違えてバスドラの3連打と思い込んでたのなんかがさ。
スピキンに慣れる迄そんなイカレたのは実現こそしなかったが、結果的に3連打の使い方の源になってるんだよ。

してこんな柔か頭に一役買ってくれるのが、本物に触れた経験なんだ。
ほら「想像の斜め上を行ってた」なんて語句があるじゃん、その「上」次第じゃ程度差っつうより次元が違ったって方がマッチしたりするっしょ。

一口に良い・凄いと言ってもその内容は様々だし、本物は大抵何処か予測不能箇所に余力を持ってたりもするんだ。
世界観が広がる・刷新される等、実利以上に思考の範囲拡大が最も重要なんすよ。

-続-

2024年2月16日 (金)

音楽備忘録1645 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➒

百聞は一見に如かずって言葉は今も死んじゃいないが、杜撰大王自身段々と自分から見分しに行く足は遠のいている。
学生時代迄と違って年々どんどんニッチな仕事になってってんで、ついでに寄るってのが困難になっちゃったんだ。

しかし探索の門は依然として全開のままで、そんな意識を持ってると感覚の鈍化を多少なりとも防げるんだ。
従兄宅での100年Snareの一件では見事に計られてしまったが、それもこっちの行動予測が明確だったからだろう。

俺が叩く方のDrumsetに無造作にセットされてて、最初は又何か変なのが置いてあるなとしか思わなかった。
どれどれと叩いた瞬間に何だか楽で具合が良いだけは即座に分かったが、名前は2の次で普段から感性重視になってるからだろう。

本当の真価を知ったのはその日後で正体を明かされてから、2回目の訪問時だった。
もしかしたら初回の反応が従兄に物足りなかったのか、深胴じゃないのに大胆にピッチを下げてあったんだ。

そして出て来た音が、杜撰大王が人生で初めて深胴じゃなくても良いやと思う程のものだったん。
具体的には中低域が、今迄体験したどんなSnareより芳醇だったのよ。

で俄然興味が沸騰した処で値段を訊いて他人事となるオチが付いたが、知識としてはあの世迄持って行く事にしましたわ。
実は今迄に入手出来た本物も、貧には当然乍らすぐにゲット出来たのは殆ど無いんだよ。

何気ない日常ですれ違った絶世の美女と、忘れた頃になって何かの縁で同席した際に猛アタックしたみたいなのに近いんだ。
今Ludwig 3ply ReinforcementとSpeedking常用の伏線として、杜撰大王版ドラム三つ子の魂百迄となる体験が遠い遠い昔にあったんだ。

正に中二病の真っただ中の頃に、友人宅で弄らせて貰った最初のDrumsetがそれだったんよ。
自分で叩くのは全くのお初だから、その時点では予習ゼロにつき感性だけの想い出だ。

だからそんなに詳細には分からなきゃ覚えても居なく、写真等で見てて好きそうな音なのが当りだったのと稀に上手くぶてるとRingoみたいな音が出るんだな程度だったよ。
その後ずっと経って他のどれもであまり似た様な音が出ないなってのと、今一痛快じゃないなっつうのが十数年続いた。

が獲得チャンスが巡って来た際先ず安かったからが主因にしても、そんな古くて大丈夫かの自問に↑体験から何とかなるだろうと答えを出したんだ。
でⅡで真価を理解したのはセットで常用15年後、ペダルでは5年後だったんだ。

要はそこ迄を理解出来る奏力がまだ無かったらしく、ほぼ同じ物なんだから人の方さえ頑張ってスキルアップすりゃ似た様な音が出る筈と思ってずうっと暗中模索を続けてたんだ。
これを他人目線では所謂「勘が良いね」と思って貰えると嬉しいが、その根底には恐らく感覚体験を風化させなかったからだと思うんだ。

でも特段注意をしてたでもなく、唯理屈で駆逐せず存置しといただけなんだ。
確定する迄途中経過では数多の俺言い「屁理屈攻撃」を内外共に喰らったが、そうかなぁ何か違うんじゃないかなぁそんな音じゃなかったけどなあってのをね。

-続-

2024年2月12日 (月)

音楽備忘録1641 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➑

続いては基準たり得るブランドか、若しくはそれに準ずるのでも内包してる弱点行っときま。
但しその弱点の殆どは、モデルタイプ固有の事情に依ってるんだ。

最初は簡単に予測が付きそうなのから軽く噛ましとくと、弦楽器でブリッジ溝の浅いのは激しいプレイにゃ向いてない。
これはブリッジ以降の弦の角度とも関係してて、物に依っちゃそれがナット側ですら稀に逸脱が起きるのもあった。

全体的な傾向は見た目通りだったが、実際に試奏してみると結構程度の開きはあったで。
杜撰大王の場合色々試奏後に気付いたのが第3の要素、弦の太さや張力だ。

普通に弾いてる分にはこの差は現れ難いのに、一定以上激しくするとセーフとアウトに結構ハッキリ分かれるん。
Fender系で古典テレキャスはブリッジ駒が溝無しのでも平気なのに、プレべ・ジャズベでは溝が浅いと予想外に外れ易かった。

Rickenbackerでは真逆傾向があり、4000シリーズBassでは今迄唯の一度もどんなにワイルドに演っても外れた試しが無い。
その一因はスケールとテンション差にあって、同一ゲージだとリッ君はF君より少しヘビーで大変だ。😅

但しプチ余談で日本で世間的にはF君よりR君の方が大柄イメージがあるみたいで、チビの俺がそんなの常用するのに否定的な意見すら昔はあった。
だが実際にはネックは細く・ボディも薄く、スケール(弦長)もたった½inchだがR君の方がコンパクトなんよ。

日本語カタログにスケール数値が記載される様になったのが、一寸遅くなってからだったのも誤解の一因になってるかも知れんね。
流石に36inchになると苦しそうだが、伊達にベテランやってないから今は30位~35inch程度迄はどれでもそんなに滞りなく扱えてる。

エレキGuitarって以前は大抵俗称Fenderスケール(25½inch)とGibsonrスケール(24¾inch)のどっちかと思ってたっけ、この2大ブランドですら結構例外が沢山ありやんの。
コレ興味ある全モデルのスペックを事前学習出来たら別だが、それだってカタログより現物に先に遭遇したら無効化すんねん。

又近年はコンピュータや機械力等を駆使して仕上がり寸法が均一化傾向にあるが、それでも実際に握ってみるとかなり俺言い「握り径」は様々だったよ。
それがグリップシェイプ次第で随分印象が異なったりして、受注生産の以外はやはり現物に触れてみないと詳細は良く分からんよ。

そんな具合で現行品はビンテージよりゃ手に取らなきゃ不明な点は少ないが、熟練職人の感覚で微妙に仕上られた状態等はどんなにネットが発達しようと全貌把握は出来ねんだ。
制作側の意識としては例えば仕上げに使用したサンドペーパーの番数とか、沢山作れば全部は一々覚えてられまへん。

ってのも俺言い「感覚上のスペック」の方を物理的数値より優先しないと、妙な感触の楽器が出来上がったりしちまうからねえ。
過去述重複だが杜撰大王が最も印象に残ってるのは、当時はレジェンド認定前だった’50年代後半製のStratoとLes Paulだ。

訊いてた以上に音が元気で弾き易く、何より断然軽かったんだよ。
実測しなかったから全重量はどの程度軽いか分からんが、少なくとも持った時のバランスが未体験ゾーンだったのは間違いないよ。

-続々々々-

2024年2月 9日 (金)

音楽備忘録1638 行き過ぎた自作自演➎

今度はコピーとカバーでの功罪について論じてくとして、その最大差は頭をどれ位使うだ。
何言ってんのコピーだって難曲だったら分析に四苦八苦…そりゃそうだが、その殆どは受け身に過ぎないのよ。

それがオリジナリティ構築にどう影響するかったら、スピリットより形態模写になり易いん。
コピーならなるべくモノホンクリソツなのが目指す先だが、楽器その他も完璧に同じのを揃えた処で奏者が別人なのはどうしようもない。

折角苦労して同じ様に奏でても他人が見れば容姿等の差異のせいで、音の印象も少し釣られて違った印象になったりするん。
ではどうゆうのが最高級かってばオリジナルとは「殆ど全てが違ってる」のに、印象が「正にあの感じ」になる事なんじゃないかな。

要は外国語の翻訳の要領と近似で、状況次第で意訳が必要になるって事。
個別フレーズを単語に見立てると元ので頻発するのの中に、普段自分では全く使わないのなんかがあったりすらぁね。

それは差し詰めこっちの言語には存在しない単語同然だから、急に無理して演った処で手慣れた感じは到底出せない。
ので学習目的での完全トレースは別として、別人コピー奏者が演って同等印象になるのを選択すべきなのよ。

演奏ヲタには完全トレースが称賛されるが、それ以外の膨大な一般聴者には印象の同一性が全てなんすわ。
純粋な好きなだけの人ってフレーズ全把握なんかより、「印象の全把握」の方が多いし大切やんか。

そうしとかないと好きなレジェンドのでも、新曲に敏感に反応・察知する事が出来なくなるからねえ。
奴等は顧客を飽きさせない為に、いい意味で裏切って来たりするからさ。

その一部に普段の癖の完全封印があり、過去に奏でたフレーズは一切不使用にしたりする。
けどどんなにそうしたって音色かタッチか盛り上げ方か、何処かにその人の志向がかいま洩れるもんだ。

この志向は指向や思考にも深く関係してるから、侍や職人の世界で言えば「流儀」に精通するのこそ登り詰められる唯一の道なんだ。
そのポイントを獲得し易いのはコピーよりカバーの方で、わざとじゃない限り悲しい曲なら悲しさだけは残すじゃん。

これを言い換えるなら「曲を学ぶ」で、曲の理解度が低いままだと幾ら超絶な演奏をしても唯のナルシス君認定されて盛りを過ぎると散るんだよ。
演奏以外一切しませんと宣言した処で、結局は曲を理解する程度の「曲に対するセンス」は必須なんざます。

奏者専業でも本当のレジェンドならそれが作曲にも実際現れてて、数こそ少なくても皆無って奴はとっても少ないから調べてみそ。
まあコピーとカバーの境界なんてあって無い様なもんで、強いて挙げるなら誰かがオリジナルと全然違うのを奏でてもそのまま合奏を続行可能なのがカバーかな。

前述の通り今劣化本邦のカバー忌避は全く下らん理由に基づいてるんで、そんな幼稚な商業施策なんかに惑わされたら一生の不覚でんがな。
少なくとも悪辣プロデューサの感知が及ばん処で、こっそりやっちまえば良いのさ。

=終わり=

2024年2月 8日 (木)

音楽備忘録1637 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➐

続いては年代及びFender・Gibson以外のブランドについてだが、私感では原設計が凡そ’80年以降のにはトキメかされたのが無い。
印象としては優等生になったは良いが、反面どうも俺言い「
鬼の対応力」が失せてしまった感じなんだ。

最大公約数的にジャンルにフィットしてりゃ、
新しいのの方が当初は音色も含め扱いが楽なんだけどさ。
メタラーだったら□しか弾かんから、こんなで良いべみたいな何か奏者をナメてる感じがするんだよん。

杜撰大王世代でRock系だとエレキGuitarはピックで弾くのか当り前で、ってゆう風にずっと見えてたんだ。
それは間違いじゃ無かったけど一寸視野を広げてみれば、王道ではあっても常識という程じゃなかったんだ。

私推察では楽器に関しちゃ俺も中の人側なんで、↑位から以降は殆ど皆ピックで弾くと想定して作る様になってたんじゃないかな。
弦のゲージ(太さ)についても↑以前の多くは、今の感覚じゃ異常な位太いのが張られる想定もされてたんだよ。

太鼓でも上下が一体になったラグって、分厚いのをパンパンに張っても持つ様に開発されたもんだしね。
ってSnareでは昔からあったが、Tomやバスドラに登場したのはさ。

実際色々な奏法への汎用性も含めりゃそんなに太い弦は適してないけど、ボディやハードウェアと違って張替えでの手間ったらブリッジのオクターヴ調整位で済むやんか。(厳密にはナット溝も要調整だが)
しかし最初から全体をゴツく作っちまうと、か細い弦を張ったってなんかメタボな感じが音に残るさね。

この様な傾向がどうしてもあるんで’70年代位迄に登場したブランドしか、私的には全幅の信頼を寄せるには厳しいんだ。
用途限定ならそんな事は無いが、基準とすべきスタンダードとなるとね。

さて例外的な存在としてはH.S.Anderson MAD CAT(Prince:HOHNERブランド)みたいな、俺言い「部分オリジナル」タイプのはあった。
だが似てるとか共通部品を除き基本コンストラクションがオリジナルとなると、新材質や形態に活路を見出した程度で音色的に本当に新規なのは大凡’70年代でほぼ出尽くしている。

今ではいや昔から知ってる人は少なかっただろうが、あのALEMBICですら開発者談に依るとサウンドは超Hi-FiなFender系を標榜したんだそうだ。
どうせ貧には無縁とは言え、どうりで杜撰大王にはあまり興味が湧かなかった訳だとそれを知って勝手に納得?。

更に別観点からの例外と言えばGuildで、中々しっかりしてるがどれも全てデカくてゴツイんだ。
系統的には私分類ではGretschに近いと思うが、それ以上にネックが太く指板が幅広い。

ピッコロBass登場前は巨体氏には一縷の望みだったかも知れないけど、日本人では特別大柄な人以外にはとてもフィットしそうにないよ。
って処で一寸脱線させるが昔の俺なら「ギリでも届けばOK」と考えてたが、今は寧ろこんな狭っ苦しい場所で如何に上手く演ったかの方がとっても気になってるんだ。

俺程じゃないにしても日本人の大多数は肉体が楽器にオーバーサイズで悩まされるのは稀だが、向うの奴等は兎小屋の狭小車庫へ軽を押込む様な思いも同じ位してんじゃねっとね。
ので大体普通の成人なら誰でも扱える程度のが標準と考えといた方が良く、その意味でもデカいのに憧れるばかりではよろしくないんすわ。

-続々々-

2024年2月 7日 (水)

音楽備忘録1636 杜撰大王が過去モノに拘る訳②

どうせ杜撰大王の事だからこの件でも心臓強く図々しく…も少しはあるが、決して歴女とかじゃないが今に始まったんじゃないんだ。
自分内では音楽みたいに人生途中から興味が出たのと、最初からヲタだった鉄道では追及の仕方に違いがあったん。

鉄道は文字通り当時最新のに惹かれて、過去モノはそれ等の網羅がひと段落した後と至って普通の進捗を遂げた。
鉄道に限らずメカや乗り物全般に対してそんなだったのに、ある条件の差が音楽にはあったんだ。

鉄道→殆どのは公共交通だと昔は博物館等極限られてたから、過去モノは国鉄の有名なのの一部を除いて現物を拝むのすら不可能だった。
写真にしてもネットが無かったから、今みたいに個人が趣味で撮っといたのの公開なんて極めて少なかった。

乗り物で最大の実感が得られるのは試乗だが、そんなの更に限られてたしさ。
ので風貌と伝説だけで途端に興味が湧くの以外、そもそも興味の対象となり難かったんだ。

処が音楽作品だと当時は昔のも平然と普通にラジオで流れてたんで、その面ではずっと現役継続同然だったのよ。
中には聴いただけで古そうなのもあったが、当初はこっちも詳しくないから良く分からない。

尚且つなまじ英語がロクに分からないのに洋楽に惹かれたんで、当時日本が欧米より遅れてたのと相まって時系列が半ば無効化してたん。
なので自分内では不明な新旧は他所に、単純に興味が湧くか好みかだけでマイリストが形成されてったんだ。

その結果まだ最新ジャンルではあったがRockが自分向きなのと、Rockの勃興期のが興味の対象として定着。
例えばChuck Berryに関し俺の世代は普通はBeatlesやStonesのカバーから入るが、俺はラジオから直で始まってるんだ。

当時ガキの確実にありつける良い洋楽ったら家族にヲタでも居ない限り、FEN(AFN)ほぼ一択でさ。
あとはせいぜいTVの輸入番組程度で、これも時系列を無効化させるのに一役買ってたさね。

これ等の環境が自分では得したと考えてて、お陰で新旧不問で純粋に面白さで選別可能になったと自負してんの。
そして俺の場合自分に最もインパクトを覚えたのが、たまたま1955年頃のから1980年位のだったって。

故に今でこそ「古い」って意識もあるけど、昔のだから評価してるって訳じゃ全然ねえんだ。
流石に近年は新規への興味が少しは衰えてるだろうが、本質的には女性と一緒で!?何でも若いのが大好物なままでっせ。😖

ついでだから女性に対する興味の本音を曝露しとくと、かつて若い時分には齢と共に変化すると思ってたんだけどね。
少なくとも俺の場合齢を重ねる程若さの価値が高まって、昔なら圏外だったコでも若いだけで興味を持つ様に変化してるよ。(でも小児性愛とかでは御座んせん、念の為)

但し理性も分別も弁えてるつもりなんで、余程金満に恵まれでもしない限りパパ活すらする気にはならないがね。
だが音楽作品だったらメディアのデジタル化以降、それ自体の劣化や老化とは無縁だ。

生身の人間だと加齢でしわやたるみが避けられんが、元から「聴くだけしか出来ない」相手で一切老けないんだからさ。
結果個人にとっての真の新旧って、本当は聴いた事の有無とか順番とか
なんじゃないのかな。

-つづく-

2024年2月 5日 (月)

音楽備忘録1634 行き過ぎた自作自演➍

又もや今更で決定打を噛ましとくと、自前曲だって仲間の自分以外の作品を演る時ゃ実質カバー状態なのだ。
その中の特異例を挙げるとしたら、録った時とその後の生演奏では違う人が演るケースざます。

これは多忙な連中に比較的多く生じてて、やっと曲が出来た→一刻も早く出したい→でも直ちには全員揃えられないなんて状況だとね。
アマの場合上記とは異なる理由のが多いけど、例えばメンバー募集中に作った曲なんかでは新加入の人にとっちゃ「既に誰かが演った曲」でしかないんだよ。

或は今劣化本邦で恐らく多数派の歌手+歌詞・奏者+メロ・編曲なんてコンビの場合、前者は常時メロは実質カバーで後者は何時もカバーされてるのと同じ状態だ。
ので単独シンガーソングライターで自作品しか演らない以外は、仮にカバーを嫌った処でどうせ避けて通れてはいねんですわ。

その意味で少しでもグループ体制で演ってるなら、結局作曲者を良く知ってるか全然知らないか程度の差でしかないんだよん。
寧ろ最初は全く未知の作者でも、何曲も取り上げてくと曲を通じて少しはどんな奴か見えて来たりするじゃん。

逆に旧知の人のだって数が少ない内は不明点も少なくなく、増えてく過程で多かれ少なかれ予想外の一面とかが大抵は出て来るで。
その意味でⅡでは外面からは窺い知れない箇所に限定すれば、誰の曲でも何の差も無いんすわ。

では翻ってカバーを回避したくなる理由も考察しとくと、ビジネス面からは作曲の著作権料が目減りするからだ。
尤もそれはプロダクションと作曲を手掛ける者限定で、ユニット内の作曲者数が少ない場合は他の大勢にとっちゃどうでもエエ話しやがな。

せいぜい「俺たちの歌」と気分的優越感を少し味わえる程度で、杜撰大王が問題視してる本命はズバリ「ボロ隠し」だ。
他の作家と自作品のレベル差がバレると不利だから、危ない橋は渡りたくないんだろうさ。

これマネージメント側・本人側両方共にカバーを避けるって事ぁ、余程自信が足りないまま出しちゃったんだと裏読みも可能ですなぁ。😵
最初は不完全なコピーから誰でも入るだろうが、自作曲が出来出したからってカバーを拙速に全面撤退なんかするからそうなるんだよ。

ずっと続けてりゃ曲レベルは向上してくし、カバーの解釈面でも秀逸さが得られるかも知れないのにね。
↑の後者って編曲も大いに関わって来るから、もしメロ作るのが無理でも編曲家への道が開けるかも知れないんだよ。

それを他人に気付いて貰うのに常にオリジナル曲だけだと、他の編曲家との比較が困難だから中々知って貰えない。
のが皆が知ってる曲で良い感じになってたら、忽ちオファーがガンガン来る…可能性が出て来る。

曲の水準についてカバーは残酷な位丸裸にしてくれるが、自身で回避したつもりでもラジオやYoutubeで直後に流れりゃアッサリパーになるんだよねえ。
今劣化本邦でのカバー忌避って結局は脆弱なもんで、思考の視野狭窄に陥ってるのに気付いて無いも同然でんがな。

=つづく=

2024年2月 4日 (日)

音楽備忘録1633 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅱ➏

前回の残りに続いて、海外と国産ブランドについても言及しとこう。
各人の所持スキルに依って臨時カスタマイズにも違いは出て来るが、余程の事情無くばメインの楽器は比較的簡単に原型復元可能な範囲に留めるのがお薦めだす。

そしてもし大胆な実験をしたいなら、最初は失敗しても痛くも痒くも無い別器でお試しあそばせ。
この方法にはもう1つ裏の意義みたいなのがあって、改造結果の良否判定等がリアルで比べられるんだ。

余程百選練磨にでもなってないと、分かってたつもりでも何か忘れたりするもんでね。
と言われたって人間は失敗したり忘れたりする生き物なので、新実験に集中するにもなるべく考える事を減らせた方が楽だし確実なんだ。

明日の朝は絶対○時に起きるぞって数回位心の内で唱えるのは悪くないが、あんまりずっと気にしてたらリラックスして熟睡出来なくなったりするやん。
要するにPCや電卓のメモリ機能を、原型器で代用しよっうて事っすわ。

だば話は変わって海外と国産ブランドについてだが、正直に吐露すると極一部を除くと未だに格差が残っとりゃあす。
全体の仕上げ等は廉価品でも、国産の方が全体平均は既に20世紀中に上回ったがね。

前述の如く苦境での演奏性・信頼性とか、アブノーマル奏法への対応力で結構問題を抱えたままなんよ。
楽器でも弱小規模でならイケてるのも散見されるけど、企業が作るには経済の倫理に背くのはとっても困難だ。

実は欧米由来のこの企業経済観念、本国では悪く言や二枚舌な処があったんだよ。
多分最も分かり易いのがRickenbackerみたいなので、形態的には会社の体をなしてるけど向うの大多数はそんなの企業じゃなくてデッカイ個人商店か何かだと思ってるんだよ。

こっちで例えるなら古くから家族経営で続いてる、町の食堂とかそんな感じね。
今辛うじて残存出来てるのの殆どは、とっくに子育ては終って第二の人生(職場)みたいな状況のさ。

つまり老夫婦2人が殆ど生きがいの為に続けてる様なので、普通の企業で他人を雇ってたら絶対給与額等でクレームが付く様なね。
その位儲けに対して鷹揚じゃないと、中々挑戦的だったり奇抜なモデルなんて確実には売れないから作れない。

だからって革新性ゼロでも不味いってんで、理屈頼みの新技術しか導入しないんだよ。
尚且つそう云った会社には例の100年Snareみたいなサンプルは殆ど無く、仮に折角あったとしても真の価値を読み取れる人材が先ず居ない。

更には居たとしてもそいつを合理性を欠いた偏屈扱いして、何せ同調圧力最高峰国家だからねえ。
それもこれも愚政のせいで誇りを無くしたのが不味く、↑の100年君だって出来立てホヤホヤ当時はどんな評価だったか怪しいよ。

金属加工に関して全然途上期だったから、酷い話しだが当時の中では一番駄目なヤツだった可能性すらあんねん。
木製のは経年劣化や状態維持が難しく、今残ってるのの状態が製造時点のどの程度か確実には分からない。

更に追い打ち駄目押しとなるのが、マトモな録音って出来なかったし無かったからねえ。
ほいでもって「稀代の名工」の作品なら未だしも、一町工場で無名に等しい職人が作ったのだったらノウハウが洩れ無く正確な伝承は恐らくされてない。

個人レベルの骨董品としてなら僅かに残ってても、企業が業界の歴史をつぶさに学ぶ努力も全然足りてない。
それが証拠に以前述の如くOEM主体とは言え全盛期にはそこそこのシェアがあった、我が師匠の経営してたANSWER ACOUSTIC LABの情報は「正体不明の中古」が2つ3つしか出て来なかったで。

-続々-

2024年2月 3日 (土)

音楽備忘録1632 杜撰大王が過去モノに拘る訳①

齢食ったから遠い過去のになっただけで、出逢った当初は最新のだったんだ。(これだけなら完全な過去の栄光!?)
っても今は大昔何時迄も執着してたら、他人はきっと唯の老害認定するだろう。

ってのは重々承知なんだが、内心は単純に凄いと思えるのが古いだけなのだ。
流石に還暦ともなればノスタルジー0%では無いんだろうが、無理に若ぶったり新しぶる気にはなれないんすよ。

それは大袈裟に云や近年の殆どのは、「感動量」が足りないからなんだ。
例えばこないだ家族の都合で紅白歌合戦の最初の方だけ見させられたが、非ベテランは唯の1つを除いて歌詞の聴き取りに聞き耳を強要
された。

そんなに良くは知らないが、彼彼女等の録音物ではそこ迄聴き取りが悪くなかった。
根底には歌唱力(発声や声量)不足が原因だろうが、私的には取敢えずMic選択ミスと感じられたんだ。

大定番のShure SM58系って原設計がそれこそ大昔なんで、歌唱法も含め今劣化本邦の若者にベストフィットなんかする訳ゃねーっての。
これが又妙なもんで20世紀末頃迄の歌謡番組では、もっと歌手次第で色んなMicを夫々が使ってたんだよ。

PAのショボかった昔は歌唱力の水準が必然的に高かったのに、Micの相性にも皆が注意してたのかな。
実際現況は58のLiveでの定番度合はより高くなってっけど、録音物より数段歌詞聴き取りが悪くなってるのに…。

そんな箇所だけを注視しても、実は新しい人程目立たない処にカビ臭いのが多いんだわ。
そりゃ商業的観点からしたらコスパは問題だが、良い部分の良さのピークが↑等で昔より落ちちゃってんじゃないかな?。

例えばそのⅡで電気楽器での真空管の使用・不使用、エレピやHammondのリアル・バーチャルの差。
普段曲全体を気楽に聴いてれば、大差が無さげに聴こえる。

リアルを用いた処で特別上手く行かなけりゃ、手間暇掛かるだけ面倒だ。
んが幸運に良い感じになった際、リアルでなければ得られない特別固有な雰囲気ってのがあるんだよ。

確かに昔の機材って大失敗した時は目も当てられぬ状況に陥るから、大事故だけは避けたいならド素人にも親切な感じの今のの方が良いかも知れない。
けれど音楽なんて一般にとって非生活必需品には、失点が○点迄なら合格って事ぁねえんだわ。

昔でもスポーツに興味の無い人でも大体皆知ってたのって、野球なら王・長嶋とか相撲なら大鵬とか。
今なら大谷翔平の様にバカみたいに突出してると、無興味でも無視出来ないじゃん。

つまり失点より得点が毎回2桁越えとか、そっちの方が遥かに必要なんだよ。
特別音楽好きでも無い一般人ってシビアなもんで、悪くないじゃなく飛び抜けて良いじゃないと興味なんか持って貰えないんだ。

だから伝説の超人でも今がパットしなきゃ興味喪失だし、機材環境が劣化したと感じられたら以前通りの評価なんて俺には無理なのさ。
っと多小理屈武装はしてみたが、内実は年寄りだから古いのが好きと思われるのを気にしてないだけ。

-つづく-

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