ドラム

2024年12月 9日 (月)

音楽備忘録1941 ’70年代Rockの浦島太郎⓫

今回は「標準的な楽器で色んな音色を奏でる」を副題に据えるが、私感ではコレ結構大事なのよね。
少なくともそれを経ないでジャンル特化させたつもりでも、ツールは兎も角奏者の方がそれじゃ成り切れてねんですよ。

’70年代当時だって最終的にはカスタマイズを加えて各ジャンルに特化させてってるけど、後にレジェンド奏者となった殆どは登場時点では殆どそんな真似してなかったのだ。
その意味する処が奏者にとっちゃ影響大で、楽器より主に扱い方で特徴的な音色を出してた訳さね。

さて実はもうこの時期楽器類はジャンル特化型が出始めてたのにどうして↑(人力依存)が断然主流だったかってば、スキル習得にはそれなりに時間が掛かるからだ。
つまりは取組み始めた時は特化型楽器未登場だったんで、求める音色は弾き方・扱い方で得るものって認識しか無かったんよ。

確かに一時的に○○風にしたい時ゃ特化型の他打込み音源なんて狡い位簡単で良いが、音色だけでジャンルが決定するなら大昔のFuzzだって全部Metalの先祖だ。
音色だって重要素にゃ違いねえが、少なくとも同等な位使い方や表現方法にも左右されんねん。

なのでリアルタイム体験不可の世代が後年聴いたら、何でこの程度の軽い歪みのがHard系なんてされてたんだろうと思っても不思議じゃない。
だがそれは表面的な事象だけで判断するからで、音楽的内容の過激さ等からしたら今のMetalの方が全然緩かったりするんすよ。

特に今劣化本邦じゃどんな音楽過激派でも、裏金議員を皆殺し血祭りに上げろなんてのが全然出て来やしてねえじゃん。
幾ら何とかコードがあるにしたって生活苦に我慢し切れなくなって、せめて罰が当たってざまあ見ろ程度のが1つ位は出そうなもんだがね。

まあそれは兎も角道具依存の音色って外す心配こそ無いけど、ジャンル特有の演奏力養成に大きな障害になってんすよ。
しっかり弾き切らなくても平気となると、肝心な時の音の存在感や通り・抜けが足りなくなるん。

差し詰め日米プロ野球の相違みたいなもんで、常に馬鹿力に頼るのはアホだが同じ位要領だけに頼るのも愚なんすわ。
野球に限らずパワーとテクは状況に応じて使い分けたり比率を変えるべきもんで、獲得可能な範囲のパワー迄放棄するなんてな愚の骨頂。

Classic系は未だしも今劣化本邦ポピュラー系では勘違いしてる奴がかなり多く、電気楽器も「半分は生」なのを忘れてるんだよ。
幾らエレキの威力が絶大に感じても、音量は兎も角音色の質には大きく影響があるのだ。

それで一寸罪なのが最初からフルに弾いた感じが出せるEffectorで、実際は似て非なる物なのに騙されてる人が多いん。
そりゃ背景が絶好の環境だったらそんなに差は出ないが、苦境になる程元が「どう弾いてるか」の差が拡大するねん。

の実用上の弊害としては最低限のバランス時に全部聴き取れるかとか、埋もれないで済んでるか等に現れるんよ。
つまり機器依存でエエ加減に弾いたのだと、そんな際レベルを大き目にしなきゃなんなくなるん。

それが単独主役時なら良いが、アンサンブル内では少々迷惑な存在に成り下がってしまうんだ。
或はちっともそんな意識は無いのに、ナルシスGuitaristと濡れ衣を着せられるかも知れねえよ。

=つづく=

2024年12月 7日 (土)

音楽備忘録1939 楽器音色一般のイメージと実際の違い➍

続いてはDrumsetの内先ずはCymbalについてだが、私的には録るのに悪戦苦闘がずっと継続している。
当初はマイキングにだって問題多々だったが、Micも含め何より貧機材との闘いだった。

厳密には高域だけ拾えりゃ良いってもんじゃないが、そこが必要なだけ拾えん事にゃ話が始まんない。
だがアナログテープ時代は何しろ高域が苦手で、録ると削れてそれを再生すると又削れてだから到底無補償なんかじゃやってけなかった。

そこから編み出されたのが過去述目立つ倍音の死守で、実際には守り切れなんかしないからEQで事前盛りをしてやる事となる。
んが上記2点が解消してもまだ問題があって、それが生耳聴きで最適化された音色や指向特性ざんす。

’70~’80年代の一時期にレコーディング専用と銘打ったモデルもあったが、当時の主流録音システムに合わせた物だから今じゃ大してそうなってくんない。
結局現時点迄で生耳聴きの音色を犠牲にしたのなんか出ておらず、PAを通したり録音を経ると違う音になってまうん。

まあ普段一般庶民にとっちゃそんなに詳しく知れる必要も無いのが救いではあるが、生演奏の盆踊り等の祭・チンドン屋等が生活から遠のいたのは残念だ。
ラッパにしたってそうなんだけどチャルメラを色んなシチュエーションでリアル体験してるかどうかって、基本楽器音色情報案件としてはかなり深刻化してんすよ。

その1は爆音に不慣れだと音色印象は音量次第で左右されるで、同じラッパでも豆腐屋のと屋台ラーメンのじゃだいぶ印象が違った。
昭和生活だと夕刻は干してた洗濯物や布団の取り込みをしてたから、家の開口部の何処かが開いてる場合が多かった。

のに対し夜間帯がメインのチャルメラの方は気密性が低かったにせよ、雨戸迄びっちり閉じられてたかんね。
それに対応させたか私感に過ぎんが、眼前だとチャルメラの方が倍位の音量を出してた覚えがあるねん。

尤も背景雑音が夜間の方が圧倒的に少ないんで定かじゃないが、これ等程度の最大音量なら聴く距離でそんなに音色印象は変わらない。
チンドン屋にしても同様だが、やぐらの上のデカい和太鼓となると俄然話しは違って来る。

適度に離れれば一部を除き全体の音色が把握可能だが、眼前でドォンと演られるとその音圧が一般人耳では飽和して今一釈然としなくなる。
但しローエンドに関しては逆で、物凄い振動としてその圧を嫌でも体感させられる。

でCymbalへ戻るとストリート用小径の以外常人には爆音のばかりなので、一定以上の距離が取れないと音色の素性が理解し辛い。
処が離れれば周囲雑音や残響の影響が大抵加わるから、昔じゃなくても元々正確に把握する機会は少なかったん。

それプラス生楽器は奏者の腕と楽器の質でも大きく左右されるんで、これ等が劣ると本来の音色が得られてないケースがあるん。
そこへデジタル音源なんかが普及してそっちの方が良さげに聴こえりゃ、そちらを基準としてしまうん。

更にはそれ等音源でさえウケ狙いで耳慣れた(完パケに入ってる加工済みの音)方を主に登用するもんだから、差し詰め無理が通れば道理が引っ込む状態に陥ってんすよ。
そうこうする内今度はリアルCymbal自体の音色味付けが変な方向へ行き出して、何が何だか訳が分からなくなってるのが現況なんじゃないかな。

=つづく=

2024年12月 6日 (金)

音楽備忘録1938 エレキBassのCreamyな音色の魅力⓱

この項ラストは、「エレキBassは誰にでも少しはCreamyさが要求される」をお送りしよう。
当節明瞭度と高音質は必須条件ではあるが、それだけに気を取られるとBassってロクな結果にならないんすよ。

さて現行音響システムでの各楽器の高音質化は、大凡1990年代には完了している。
但し↑はオーディオ的聴点からのであって、実際のアンサンブルでは却ってマイナスになったのも少なくなかった。

過去述重複も含めそれは単体音とアンサンブル内での相違に、配慮が足りなかったか或は単体音に過忖度したからざんす。
それをやってまあまあ成功した少数例もあるにはあって、一部FusionやSmooth Jazz等の作品だ。

その基本条件は既存の音色に全く拘らず、全パート音響聴点で最高音質を目指したもの。
を暴論気味端的表現をすれば変にケバくなろうと存在感が薄まろうと、一般聴者の典型的イメージから掛離れた音色になろうとお構いなしに徹底した感じ。

それであまりアンサンブルに違和感の出ないのが↑で、尚且つ肉声不在のインスト物であればどうにかって状況だった。
近年だとボカロ作品でオールバーチャル(つまり全打込み
)等が近似で、言うなれば全て2次元で統一されてるから「そう云うもん」として受容れられるっつう按配だ。

が生歌(肉声)が入るだけでもうそのバランスは崩壊が始まり、アンサンブルの何処かでオーソドックスな音色ニーズがあるとどうにも分離感が酷くなっちまう。
今では慣れや世相もあって違和感を覚える者が減った様だが、デジタルサンプリングの普及期にはそれ故わざとHi-Fiより存在感やアンサンブル内での馴染み良さを優先したのもあったでよお。

流石に当時よりPA音質が向上したから今じゃそれ等はニッチ用途にしか使えなくなったが、「音色の整合性」はほぼ永遠の課題なのだ。
手前味噌では過去にエレキGuitarのクリーンカッティングだけLine録りとか演ったが、極論するとアンサンブル内で別にエレキGuitarに聴こえなくても構わない等特定条件に恵まれてた場合に限る。

他の殆どの過去作でも斬新さだけが欲しい等で特定パート限定での利用に留まってて、それがBassの場合は最も希少例になる事が多いのよ。
以前述の如くエレキBassってContrabass+Celloの他兼務な立場のが多く、音域等の都合で両方の音色イメージを常に含ませとかんとならんのよ。

生ピだったら音色不変で途中での音楽内容的用途変更は幾らでもアリだけど、しかし実際には意図的に低音域だけ強目に弾く等で対処してるケースも少なくない。
が1ステージ通してずっとなんて事ぁ無く多くて数曲だけとか、主に録音時にMic位置をズラすのと併せて実施する等やはりこの手の裏技はたまにしか使えねんだ。

プチ余談としてあのHöfnerのバイオリンベースにはSolo/Rhythmなんてヘンテコな音色切替SWが付いてるが、少なくとも杜撰君には実用的じゃなかったよ。
又別の手にPUを切替えるなんてのもあるが、同じエレキでもGuitarとアンサンブル内での用途が違うんでそんなには使えない。

大体「伴奏の途中の任意の箇所」でニーズが生じるし、うわものと違い切替時に音が途切れたりするのも不味い。
これ等を総合するとより汎用性の高い音色設定が望まれ、特に音色都合でのフレーズの自由度も考慮するとね。

=終わり=

2024年11月30日 (土)

音楽備忘録1932 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ③

今回は例のBaker Gurvitz Armyで、語り残したそこでのGinger Bakerについてざんす。
このBandもしGinger Bakerが居なかったらもっと埋もれてた可能性は拭えないが、純粋に好みに合致する人にはもっとウケてたかも知れない。

残りの2人兄Paul弟AdrianのGurvitzの内、ヒット曲にしても後の弟の成功と比べたら売れたのは無い。
けれど音楽的冒険は中々にして意外にPopな歌曲が多かったり、全員腕達者でメンバーのバランスは絶妙だったりする。

まあ一般的にはそれより「Rockの」Ginger Baker、が堪能出来る割と数少ないのだったりの方が興味の対象になるだろうけど。
のでこっちの具体面に言及すると、先ず言えるのは今劣化本邦での一般想像よりかなりタイトで正確な演奏をしてる処だ。

彼自身はアフターCreamで多分そんなに腕前を上げたりゃしてないんだろうが、あっちは概述の通りJazz Bandだそうだからね。
Claptonが何時も通りで全員ラウドに演ったからHard Rockの先祖的扱いをされてて、そのお陰でRockへJazzのまんまの人が入ってる様に勘違いされがちらしいね。

って杜撰君自身もこの件では長らく怪しい口だったが、欧米での評価からしたら少し変だとは前々から察してたん。
特に大損したのがCreamの録音音質で、あんなじゃ実際のパワー感がちゃんとは伝わる訳が無いよ。

リマスター等されたのではどうなってるか知らないけど、元のではたったのアルバム1枚以外はRock系の普通の音じゃなかったからさぁ。
又フレージングにしても曲やコンセプトに合わなかったから古臭いのばっかだっただけで、こっちを聴けば全然時代に遅れてなんかなかったのが良く分かる。

ってかご自慢のアフリカンテイストはこっちでも健在だがその比率がかなり違ってて、普通にやたら上手い上にあの独自性を兼ね備えてたのが良く分かる。
のからすると彼の欧米評にはどうやらアフターCreamのも入ってる感じで、その後のも耳にしてたかどうかで日本とは評が割れた気がするねえ。

それ以上に興味深かったのが曲調で、これを聴く以前はてっきりJack Bruceの趣味だと思ってた幾つかがGingerか共通のだった事。
のがBGAでは作曲者としてのクレジットが明記されてる処からも伺え、売れるかどうかは別として世間が思ってるより「Drumを叩くのが上手いだけの人」じゃ無かったのもね。

演奏だけ上手な人が悪い訳じゃ無いけど、作れる位曲に明るくないと本当の名演をするのは難しいんすよ。
この辺大編成が常態のと違って、小編成ポピュラー系アンサンブルでは独立した編曲者は不在の方が多いからね。

中にはそんな能力を隠すか表に出す機会の無いのが居るだけで、名演は音楽力に含まれるもんだからすよ。
野球の打者で守備時は捕手や投手の方が読みでは有利なのと同様で、更にポピュラー音楽では超絶技巧より適切なフレージングの比重が増えるから尚更なんだ。

この側面でも国内外では認識差があるみたいで、向こうの人からしたらこんなのが極当たり前になってるのかな。
決して万人ウケしたり売れそうな感じでは無いけど特別ニッチなんかじゃ無く、そんなのも再認識させられる様な全3アルバムですわ。

-続く-

2024年11月26日 (火)

音楽備忘録1928 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ ②

続いては’76~’79年の「米の」BandのForeigner、それもアルバムだと僅か2枚についてずら。
これも当時は日本でもメジャーに乗ってたのに、何時しか肝心なポイントがほぼ忘れ去られてるヤツだ。

さて冒頭で「米の」なんてしたのは俺が今の今迄、ずっと英のグループだとちっとも調べもせずに勘違いしてた都合だ。(開き直ってどうする…💦)
これぞ杜撰大王の真骨頂が又出たが、こっちだってアホはアホでも只のアホとちゃうで。

当時活動拠点こそ米であってもメンバーは英米半々なのと、そのサウンドは強烈にそれ迄の英Rockの集大成になってたからだ。
と相変らず虚しい言い訳に終始してるが、↑集大成の内容が非本国人にはとても真似の出来そうな代物じゃなかったからだ。

因みに是又独断と偏見に過ぎないけど、欧州各国のRock系では中々その国らしさの集大成的存在を見つけるのが困難でして。
それがBritish Invasion等ブームにはなっても、米メジャー系みたいに大幹線とはなり得てない1つの原因じゃないかと思っててさ。

実際には米は合衆国故歴史こそ浅目でも徹底追及したら底知れぬ程奥深く巾も広大なんだが、一般大衆に認知されてる範囲だと大体網羅させてるのが沢山居るんだよ。
歴史ったら欧はかつての日本等と同様群雄割拠でしょっちゅう勢力地図の塗り替えがあったが、他の地域に比べて各民族の伝統に拘りがかなり強目だよね。

「我街・民族こそが世界一」みたいなそれって普段はあんま良い方に作用しない気がするも、独自文化を広めたり維持する面についてなら結構大事だったりする様で。
これ今劣化本邦だとJR東日本と小田急の駅舎更新みたいなもんで、前者は原宿駅を合理性一択で処理したが後者は片瀬江ノ島駅のアイデンティティをどうにか死守したみたいな。

これⅡで単に社風の差じゃ無くて、前者は盛況だが後者は近年乗降人員がかなり減っちまってんだよ。
それからしたらアホか余程余裕があったかと思うのが普通だろうが、決してそうじゃおまへんのや。

幾らケチっても建て替えには必ず費用が掛かるのは一緒、ならばブランドイメージのシンボル的価値も加えてやろうって発想なんだ。
こう云うのって一バンド如きでやるのは駅なんかより、もっととっても大変なんすよ。

ご多聞に洩れず当のForeignerだって、この時期以外のは俺にはそう感じられない。
散々触れて来てても今迄ブリティッシュRockの典型はと問われた際、最初はこれから聴いてってのが今一誰が相応しいかずっと釈然としなかったんだ。

長く遍歴を重ねてるから自身では感覚的には一応分かってんだけど、具体的にどれか1つでとなるとさ。
それが今頃になってブランクがあって無意識で聴いてたら、もしかしてと急に気付いたんだよ。

細部迄拘って箇所限定…つまり曲調・音色・編曲・演奏等々では夫々の最適解は既にあったが、トータルで全体がバランス良く英らしいとなるとコレ一択かなと。
と同時にもう1つ気に留まったのが、Hard系のVocalでPopな曲も自然に演ろうとするのにも好例だった。

そう云や何時の頃からか国内熱唱系の人は「力を抜く」のがド下手化してて、自らレパートリーを狭めてる感があったな。
メインの激しいのをより有効化するにも、敢えて弱いとか大人しいのも自己内比較対象として演っといた方が良いんだけどねえ。

-続く-

2024年11月22日 (金)

音楽備忘録1924 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ ①

〆て幾らも経たずに再開って何ていい加減なんでしょう、でも心が開放されたら途端に次のが浮かんじゃったんだよ。
そんな訳で恥を忍ばず図々しく進めてくとして、本日の対象は米のEaglesで御座居。

又しても過去の栄光とは言えちっともマイナーになってない彼等だが、どの曲に耳を付けるかが大問題なんざます。
彼等ったら名曲Hotel Californiaが先ず遡上に上るが、グループの多様性や器用さを堪能し尽すにはちょっち適切じゃねえんでがんす。

この件往々にして最大ヒットシングルとの両立に難が出るもんで、SouthernrockのLynyrd SkynyrdやAtlanta Ryhythm Section等さえ近似状況が見られるものだ。
けれど後2者は失礼乍ら前者程世界に知れ渡るヒットはしなかったから、夫々を象徴するFree BirdやAnother Man’s Womanもヲタ氏達には分隔て無く聴かれている。

こう云うのは古くから一般大衆を相手にすれば日常茶飯事で、日本でもChar先生真の代表曲はSmokyなのに歌謡ロックの方が当時は圧倒的に売れてましてん。
それでも先生の場合は程度が最も軽い方で、露骨に異質だったのは職業作詞家が書いた詞位じゃないかな。

処が世界一商魂逞しい米となると、簡略・省略・整理統合…と売る為に必要なら何でも平気で相当変えちまう。
と例に依って中々のディスりだが、良質なPopsって観点に立つならそれは間違いとは言い切れないのも事実。

曲の良さより誰がとかが前に出るのって、見方次第じゃ唯のエゴでもあるからねえ。
ので一見さんがお気楽に聴く分には何の問題もありゃしないけど、どんな連中かとか少しでも特徴を知りたくなったらもうそれじゃあきまへん。

皮肉なもんでそう云う配慮があまり要らないのは非メジャーなジャンルで、発展期のHard系Rock等でなら要らん心配なんだけどね。
万人ウケと独自個性はしばしば共存を否定される事があり、そんなアーティストに対しては聴く側に一寸したコツが必要なんすよ。

のにそれをしないで居て逸失するのが個性や実力評価で、時を経るにつれ「売れた実績」だけが実際の姿より巨大化しちまうんだ。
と語るからには飽く迄独断もヒットメーカーとそれ以外の箇所の評価を別と考えてて、彼等には大ヒットはしてない曲に見所があったと杜撰大王的には思ってるんだ。

彼等はその名が暗示する様に米では保守右派で、Country系からスタートした後大変貌したし活動期間が短かった割にメンバーの変動もあった。
がコーラスに重点を置いてたのはずっと変わらず、保守故それに底触しない部分では却って自由に振舞ってたのが興味深い。

でその「自由な部分の面白さ」が、有名大ヒット曲だけを辿ってたらあまり良くは分からないんだよ。
私的にはどっちかったら非好みな彼等だが、柔軟性の部分には一目置かざるを得なかった。

それ抜きの評価に終わったら大損と考えてて、だってそれならMadonnaとかもっとコマーシャルチックに演ってた他の誰でも良いじゃない。
斯様に今劣化本邦ではアルバム単位で掛けない・流さない・聴かんの弊害が、こう云う部分で計り知れんのどす。

-続く-

2024年11月21日 (木)

音楽備忘録1923 人力生演奏のススメ⓬

必要最低限の練習環境ってDrumならスティックワークだが、今時は過去のTVCMにあった様な「橋の欄干を叩く」なんてのはほぼ幻想となって久しい。
それだけかつては昼間の街には当然の如く存在した喧騒も、今ではご多聞に洩れず静音化したからねえ。

のでDrummerにはあまり役立たないが、合奏自体はかなり小音量にしても一応成立するのをご存知だろうか。
っつうか若き日の俺等のアプローチは逆方向からで、庶民の倅にとっちゃ楽器の他貸しスタジオ代だって気楽に払えたもんじゃ無かったん。

当時の趣味者の集いで問題なのが奏力で、今比だと弾けなくても曲は熟知してる人の割合が格段に高かった。
のわ恐らくネット不在の影響で、今みたいに会話に参加するのにその場でスマホを覗くなんてのは不可だったし。

結果ヲタ話しをするだけでも兎に角皆が知ってないと困るから、そんな状況の方が断然多かったん。
んで取敢えずが①でどうしたかってば、最低限の楽器と少しは遮音性のある部屋に集まって合奏擬きをしてたんすわ。

その中で音量が気になる深夜帯ではアコギは禁止とし、エレキはAmpに繋がずDrumは座布団等を「軽く」叩いて雰囲気を味わったん。
尤も厳しい音量規制で歌は高音域が出せないし、Ampに通せないソリッドボディのBassはほぼ聴こえず半エアー状態だ。

それが少し改善の兆しが見えたのが②のホロウボディ(セミアコ)のBass使用で、尤もそれでもかなり強目に弾かないとテープに録ると殆ど聴こえんかった。
全くの偶然だがそんな必要に迫られたのは、音楽仲間で集まってた深夜にその内の1人が曲アイデアを閃いたからなんだ。

その時点では海の物とも山の物とも不明だったから、後日スタジオを借りて試そうなんて思いもしなかったん。
しかしメンツは一応アンサンブルを組めるだけ揃ってたんで、何とか極小音量で合奏しカセットに試し録りしようとしたんだよ。

今なら安価な楽器用ヘッドホンAmpや配信Mixerなんかがあるから、無理に全部生だけでなんてあまりしないんだろうがね。
只全員被ってそこそこ満足な音量で演ると、歌がつい釣られて音量オーバーする危険があるのよね。

もし歌い手にクリソツな声質・唱法のボカロがあったならそっちで代用するか分からんが、そしたら歌は生合奏じゃなくなっちゃう。
ってかこの件そもそもの目的は初心者の生合奏体験で、ある程度以上達者になれてるなら手段を選ばなくても平気なのよ。

体験量が充分になれば少なくとも自身がどうしたらどうなるかが大体分かり、その頃にはほぼ基礎練は網羅されてるからどうとでもなる。
問題は如何にして不遇な環境でも、なるべく早期ににそこ迄到達出来るかなんだ。

今劣化本邦等の格差社会でそれを打破するには、こんな方法しかないんじゃないかな。
誰だって立派なのを見ちまえばついこんなショボい事してもって気分に苛まれっけど、選挙と近似で諦めたら例えば壺の思う壺に見事に嵌っちまうん。

現在好況にある者は出し抜きたい心理の強いのも少なくないから、本当は地味乍ら効果のある事を下々にやられるのを嫌がってんの。
あなたは苦境な上に騙されて、更にわざわざ損を選びますかってね。

-了-

2024年11月15日 (金)

音楽備忘録1917 ’70年代Rockの浦島太郎➎

何かに普通に挑戦しようと思えば、資本主義社会下でお金が掛かるの自体は至極当然にして已むを得ない。
何事にも必要経費っつうのはあるから例え出世払い等にしたとして、未来永劫タダで済まぬのは自明の理だ。

が上級国民しかマトモに手を出せないのが過半数になっては異常事態っつうもんで、そうなると例えばかつて著しく虐げられてた黒人がBluesを作るなんてのがナシになっちまう。
して前回からのこの問題提起は大人にもだが、より深刻な影響を及ぼすのは子供達なんだ。

ある程度の齢になれば自分の自由になる小遣い等があるも、それより幼い時ゃ親に頼んで許可の出たのしか試せない。
のが何で不味いかってば、そもそもどの程度興味が続くか分からないものへ触れる機会が無くなるからだ。

自身の方向性が定まったら親や大人に懇願するにしても粘り強くなれるが、その前の段階ではもしかしたら適性があってもすぐに諦めざるを得なくなっちまう。
杜撰大王的にはこれこそが今劣化本邦の低迷・膠着の元凶と考えてて、こんなケチなののせいで適材適所が上手く機能してないんじゃないかとね。

一時期よりゃクラウドファンディング等でちったぁ望みも見えて来たものの、それだってネット環境等とそれを実施するだけのスキル獲得後じゃないと実行に進めない。
では資本主義を初期に採用した国々はどうかっつうと、見所があると思ったら早々に誰かがパトロンになったりしてこの件が緩和されてたんだ。

んがそれには金持ちに常に余裕があって、且つ技術・文化・芸術・スポーツその他に強い興味が無くてはならない。
加えて育成に携わってるのを誇りに思ったり自慢するマインドも必須で、それが世間でも大いに称賛される様じゃないとね。

それには一定以上に全方面での社会の成熟が必須だが、実は日本だって物心両面で貧しいなりにそう云う気概がかつてはあったんだ。
それが前回語りの「現場でプチ育成」で、実際杜撰君世代では何等かの「Rockの学校」なんて無かったからそれしか選べなかっただよ。

のが今は色々出来たんだからそれだけで良い…と思ったら大間違いで、どんな僻地でも無償の教室がある位じゃないと他の選択肢も用意しとかんと。
まあ資本主義じゃなくたって地位とか身分での影響はあるだろうが、即大怪我に繋がるとか健全成長を阻むの以外登竜門の段階で何等の参加要項がある様じゃいけねえよ。

昔だってほぼ誤認からエレキ≒不良化とかバイクの3無い運動なんて酷い差別のがあったけど、大元は若者を心配しての事なかれ主義に傾倒したのだったからねえ。
飽く迄結果的にであっても今の経済力や年齢だけで、参加の可否が半ば強制的に分けられる様なのじゃなかったんだよ。

ほんで現世の大人共が経済過忖度に囚われるのは勝手にしても、子供から可能性の自由を剥奪してるのに気付けないのはやはりアホとしか言い様が無い。
そんな時にこそRockを始めとしたカウンターカルチャーなんかで、本来なら大いに疑問を呈して行くべきなんだけどねえ。

-続く-

2024年11月14日 (木)

音楽備忘録1916 映画・TV等への専門家が作った音楽㉒

当座思い当たる米のがひと段落したので又国内へ戻って、知られざる!?Rock系の映画・TV等への貢献について語ろう。
本日の生贄は井上堯之・大野克夫両氏で、世代的にはBeatlesに近い。

のっけから杜撰大王の底力が発揮されるが、上記後者の名前が大野雄二氏と似てたから長らく何となく混同してただよ。
この2人って名前ばかりか世代も担った仕事もほぼ同じだったのと、ビフォー映画・TV音楽業界時代が杜撰君世代には今一不鮮明なのもさ。

ってそんなのサッサとちゃんと調べりゃ良かったんだが、Rock屋にとっちゃ専門外だからどうしたって後手に…。
所詮は言い訳の上塗りに過ぎないが、当時一クソアホガキだった身にとっちゃビフォー期の彼等のリアル体験は先ず無理だったのは大きい。

TVやラジオで扱ってくれりゃ触れるチャンスもあったろうが、当時はニッチ若しくはヲタ系でしか殆ど扱われて無かったからねえ。
加えて所謂メジャーヒットも未出だったんで、一般認識でのRockの人ってのが無かったん。

更には昭和以前の日本の悪癖「レコードクレジットをいい加減に省略」ってのがあって、特に主演を兼ねない映画・TV音楽を誰が演ってたかなんて殆ど無視されてたんだ。
本来何がキッカケで付帯アイテムの売上げが向上するか分からんから、少しでも判明してる事は記載しとくべきなんだがね。

裏方を売る気が無かったか或は売りたくなかったか、それとも印刷技術やコスト圧縮の関係か知らんがネットも無かったわで当時は調べるのが一苦労だったんだ。
流石に非覆面扱なら映像のテロップに一度も登場しないのは稀だったけど、最初の数回のみとか再放送になると平気でカットされてるとかもかなりあったさね。

結果的にそんな振る舞いが今になって担当者を探すのに苦戦してる気がするが、今の各国映像作品のテロップの状況と映画・TV音楽制作者の質や量にリンクしてるかも知れないね。
わ兎も角聴いた感じから明らかなRockルーツはあまり感じられなかったが、逆に他ジャンル由来だと考えて探すとドンぴしゃりなのは見つからない事である程度理解出来るんすよ。

非Rockな人だとどうか分からんが、こちとらなまじRockが最も身近で普通・当たり前になってると一寸似てるだけじゃ一々ルーツを探ろうとはしないかんね。
特に今となってはRockもメジャー系音楽スタイルの、完全に1パターンになってるし。

何れにせよ現代認識のRockには満たないにしろ、他ジャンルだけを下敷きにしてたらあんな感じの作品はきっと作れなかったんじゃないかな。
と同時にRockが日本で市民権獲得迄はホンマもんですら、不純物や他の要素が多く混入してたから事をとても曖昧にしてんすよ。

だが日本のRockで現在認識されてるレジェンドは決して間違ってる訳じゃ無いけど、それだけと早計に思い込んでると他ジャンルへの貢献がほぼ無かった事になるのだ。
別観点からは何でもアリじゃないと困るこの業界だったからこそ、歌謡界と共に隠れRockerがそこに居られたのかもっつうか他に居場所がめっからなかったんだろう。

=つづく=

2024年11月11日 (月)

音楽備忘録1913 ’70年代Rockの浦島太郎➍

取敢えず今演れればOKな人に実体験迄しろとは言わぬが、そんななるべく簡単に楽に演りたい人にこそ最低限の知識は必須なのだ。
平均より楽をするには経験則由来のプチ知恵だけはケチれず、とは言え全部実体験するのと比べたら桁違いに省エネずら。

で過去述の如く本来なら初心者時代に最低限の実体験を得られるべきなんだが、教育面で今劣化本邦ではこんな趣味性の高いの迄その環境は最低に近い。
現況子供達の職業体験はキッザニア等で可能ではあるが、本格的なのは良いも入場料がとてもじゃないが対象年齢の子供の小遣いで気楽に賄えたもんじゃない。

ここで1つ大きな疑問なのが子供への責任問題で、巷ではやたらと何でも「自己責任」等と騒いでる癖に相手が子供の商売となると怪獣親を恐れてか急に正反対になる処。
確かに親主導のだったらそれで構わんが、そんなに縛りだらけじゃ子供自身が気紛れでプチチャレンジなんか出来ゃしねえっての。

それと近似であらゆるものが極端な2極化傾向にあり、大雑把で良いからほんの一寸だけ知りたい等の受け皿が無くなっちまいやがった。
一部の社会管理者的存在の奴等はネットで見られるからと思ってるか知らんが、それ等では何処迄行ってもバーチャルの弱点を完全払拭は出来ねんですよ。

Band関係初心者の中心世代は↑よりもう少し上だろうが、かつて或は過半の諸外国と比べるとやはり芳しいもんじゃない。
こういうのが「夢の無い時代」の一端で、その根底には大人に余裕が足りないのが原因じゃないかな。

時代も何も確かに昔とは異なるけど図々しい杜撰大王のみならず、昭和世代は楽器の知識は楽器屋等でPAの知識は主にPA屋等が拠り所だったんだ。
これは専門学校体験ともリンクしてて原理は学校の方が教えてくれたけど、電子回路や電子部品等の具体的な内容はほぼ現場でしか得られなかった。

今はどんな状況に変化したか大体そのままか知らんが、技術系の進歩の早い分野では一昨年迄現場に居た講師でももうアカン。
極論すれば↑は過去の人そのものでしかなく、逆に日々の体験量が僅かでも俺みたいに現場に辛うじてかすってる奴とは何処か何かで違うんだ。

現時点でウチでは前例がまだ無いが、超暇なスタジオのオッサン(俺😢)の愚痴を訊かされるだけでもその中に「現在のコツ」が含まれたりするかんね。
自動車好きの子が近所の修理工場へ大工好きの子が近所の家族経営の工務店へ入り浸る等する内、実情を知って続けるか方向転換するか決まったりしてたんよ。

私的にもっとそうだったのが鉄道会社の比較的「暇な職場」で、今みたく体験イベントなんて無かった代わり坊はそんなに好きならもう少し大きくなったら手始めに駅のバイトでもしてみっか?…なんて具合にね。
そう云うのが運命の出逢いとか、導きってもんなんじゃないのかなぁ。

-続く-

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