ドラム

2022年9月26日 (月)

音楽備忘録1137 楽器Amp同士の組合せの話し④

いよいよ本項の核心スピーカユニットの数・エンクロージャのタイプへ突入するが、スマンけど正直コイツは中々ややこしい。
ので専門家が事前想定する以外は理論と計算より、実例や体験を優先した方が近道となり易いだろう。

ただ未体験規模の本番用等でレンタルする際等に、概算(ここでは費用じゃないよ)可能だと大外しを防止出来る。
さてユニット数での音圧増加割合は以前述も再掲しとくと、ユニット1個に対し2つになると能率は約1.5倍・4つになると約2倍ってのが目安だ。

但し単体時と同じユニットを増やした場合、
スピーカのトータルインピーダンスは倍増・半減等変化するケースが多い。
具体例として8Ωのを並列接続すれば4Ωに半減・直列接続すると16Ωになるが、4つの場合等特定の場合だけ直並列接続してやると元の8Ωが維持出来る。(この場合直列2群を並列と並列2群を直列のどちらでもトータルインピは同じになる)

尤も設計初期設定に含まれて無い組合せをする時以外は、予め考慮されてるのでそんなに心配は要らない。
んだがそれでもこっちが一々気にしなきゃなんないのが主に出力トランス非搭載のAmp Headで、載ってるのだと決まったスピーカしか繋がない独裁設計!?の以外は異なるインピーダンスのタップが大抵は用意されている。

これどうせ重く高価なトランスを付けるんなら出力側の巻線の途中に別線を付けとけば(これをタップと称す)、殆どコストアップせずに対応力が飛躍的に上がるからだ。
楽器用真空管電力増幅回路では先ず省略不可だった出力トランスが半導体回路だと可能化し、コスト・スペース・重量で有利になるから殆どが非搭載。

処がトランスレスの石のだと、繋ぐ相手のインピ次第で最大出力が変動しちまう。
尤もⅡでそれも上手く利用してやれば少ないユニット数で控え目音量、多いユニット数でフルパワーなんて事も出来るんだけどさ。

その典型例として前々回述Acoustic 320では4本入りの408(2Ω)を繋いだ時だけ最大出力の300Wになり、2本入りの406(4Ω)は繋いだだけで160Wに自動で低下してくれる。
Head側出力インピが2Ω設定なんで相手が同じならそのまま、インピ倍増すると流れる電流がほぼ半減するので他に何の操作もしないでそうなってくれる。

又半分は魔になるがトランスが間に挟まると緩衝作用が働くので、インピの倍から半分程度のミスマッチはトランスが忖度してくれてパワーに↑の様な増減は起らない。
但し負担が普段より掛かるので容量一杯で連続長時間稼働等させると、出力トランスの劣化や断線のリスクは高まる。

ここから漸く本題との関連性へ突入と相成るが、個人所持品だったり自分でこれから買うならどんな方法を使おうと目的が充足される様にするだろう。
元々オーバーパワーだったらある程度迄なら減っても却って良い位だし、ギリギリ足りるかだったら増える方に振っても減る様な真似はしないだろう。

しかし他所様のでこっちと実使用想定出力が違ってて一部のにだけ出力が余ってるのがあったりすると、プロが組み合わせた物にも拘わらずアンバランスを生じたりするんや。
元々日本ではGuitar忖度が激しくアンサンブルバランス的には相応しくないのが多かったが、最近ではGuitarはEffectorを使う方が多いから足りてさえいれば余ってても問題がより露呈し難くなった。

だがその様なセットアップのでAmp Overdriveさせたいとなると、Guitarの音量だけが大きくなってオーバーしてまう。
確かに最近はBassの方も滅多に球に巡り会えなくなった代わり、無駄に大出力の石のHeadが増えたからGuitarに対抗するだけなら行けるかも知れない。

けどPAやDrum等はハウリングマージンや奏者の肉体限界 の制約があるんで、Guitarに忖度しといたつもりが実は一部奏者(俺みたいなの)にとっちゃ大迷惑設定なんだ。😓
或は急な故障対応でスペック的には過大入力等で壊れる心配が無くても、出力音圧的には少し問題が残った臨時のになってる時とか。

<つづく>

2022年9月25日 (日)

音楽備忘録1136 不当低評価の是正⓯

今日は前回の流れから過去日本の、リズム隊の正しい評価について論じさせて頂きませう。
世代的にMetalやFusionの勃興期の渦中に居たんで、近年迄個人的には随分孤軍奮闘を強いられてずっと淋しい想いをさせられて来たから吠えたるでぇ。

その1:山下達郎の録音作品
一般認識だと青山純と伊藤広規だろうし誤りでは無いが、彼のスタイルの確立に貢献してたのは上原裕と田中章弘だった。
尤も杜撰大王やさかい比較的近年迄思い込み誤認をしてるは、今でも一々Wikiのお世話にならないとフルネームすら綴れない体たらくだが。😓

作品が最も売れた時期なら確かに青純・広規コンビのだったが、それはプロとしての存在が一応認知された後での事。
世代的にリアルタイムだったから耳には入ってたが、もっと聴きたいと思ったのの大部分は上記2人か本場米録音のだったんだ。

その2:オリジナルメンバー期の甲斐バンド
洋の東西問わず’70年代の内にデビューした人達はその後と比べると皆基礎が比較的しっかりしてたが、ここでは敢えて難度的には失礼乍ら最も低かった松藤英男+長岡和弘を取上げとこう。
最近頻吠えの如く所謂演奏技術はあるに越した事はないが、楽曲に対して有効なのはどんなに簡単でもどれだけフィットしてるかアシストになってるかだ。

ここに着目するとローテクなのに名演が出来てる程「音楽スキルは高い」訳で、演奏技術みたいに明確な判別が難しいだけにこんな捉え方もかなり重要なのよ。
そして次の例示ともリンクしてるがその差は俺言い「曲の寿命」に表れてて、かつてのハイテクが後の進化で普通になってから顕著になるんだ。

その3:日本での多弦Bass黎明期
ユーザーとしてはカシオペアの櫻井哲夫等が印象にあるが、正直米のNathan Eastの様にその拡大した音域を上手に使ってたとは俺には思えなかった。
これに関して日本は未だの感が強く、その根底には海外より弦楽器の調音は自由って発想が乏しいからなのかな。

所詮は大して広くも無い俺知り限定ではあるが、最低音弦の1音下げ(E→D)程度でも海外ではそこそこあったのに昔の日本の主流系ではお目に掛った記憶が殆ど無い。
確かに弦が増えれば可能性は広がるが、必然性が先に生じてから増やすのとではやはり違いが出ても仕方あるまい


その4:Drumサウンドの没個性な画一さ
これは何もDrumsetに限った話しじゃ無かったんだが、他パートと比べて大してHi-Fiでも無いのに特にバスドラが全部同じサウンドだったのは完全な汚点だわさ。
尤も少し掘るとそれはOn Micの限定で、私的には爆音耐入力を備えたStudio Condenserタイプが当時の国内には僅少だったのが不味かったのかな。

俺も後から知った事なんであまり上から語るとけしからんが、本家では時期的な関係もあってOn Mic黎明期はダイナミックタイプでやり始めちゃいなかったんだよ。
何でも録れちゃうStudio Condenserつまり当時だとほぼ球のNEUMANNのみだが、同じMicで様々な収録方法をあっちじゃ試せて聴けてた訳さ。

それを抜きでやっちまえば、要は「位置差だけの比較」が出来て無いからねえ。
その証拠ってのも何だがCongaとかは充分イケる音になってるのに、DrumsetのOn Micのだけがどうにもどれもパッとしくなっててよ。

これ杜撰流では「昭和の悪しき伝統」の一部で、音でも立場でも正にDrummer受難ってな感じだったよ。
日本じゃ長らく1に歌詞2にメロディが大忖度で、他は添え物って差別が根強いらしくてイケねえぜ。

只それも随時頻吠えの如く、だったら朗読とアカペラの方が邪魔が一切入らんからお得ずら。
「音楽にしか無い部分」って視点からすれば、実は伴奏やリズムこそが固有の存在なんだけどねえ。

ほんでそんな大忖度をして貰っても損するのが俺言い「声の弱っぽい歌手」で、控え目な伴奏しか許されないから激しいのとか強い曲を一切演れなくなってまう。
おまけに随時頻吠の比較芸術の真髄も利用不可になって、弱さをもっと強調しようにも比較対象(この場合は伴奏)との落差を大きく出来ないんだもん。

<つづく>

2022年9月15日 (木)

音楽備忘録1126 今のRock系は小音量で聴くべきもの???➎

今回は前回のの倫理面中心で続きをやるが、これにはこの方面全兼業者の威信を賭けて臨ませて頂きやしょう。
な~ぁんてその実は極限弱小がもたらした偶然の産物でしか無いんだが、人に頼めないのって逃げ場が無いだけに客観的にならざるを得ないのは確かなんす。

それなりに色々な方向性で取り組んでみたけど、意外にもクウォリティを絶対視するのと最も楽しようとしたのが結構作業内容的には近かったんだ。
 ①その時の自分なりにちゃんと弾ける状態にする
 ②なるべく本質的には不要な後加工をしなくて済む収音方法を選ぶ
 ③演奏よりも編曲段階で問題になりそうな箇所を駆逐しとく

ざっと列挙すると上記の様な感じで、劣化今本邦大手作品は素人の第一印象に反し実際にはちっともそうなってない。
これにどんな負の作用があるかってぇと、先ず不毛な作業量の増加から各担当者の誰もがパフォーマンスの低下を招く。

それでいて無理に急かされるから雑になるし、特に聴き洩らし気付き洩らしと云うミスを頻発させている。
とは言え周りが皆カッチリハッキリしてる中へそうじゃ無いのを放り込むのはかなりの勇気を要すし、特に若い人だと意図的な懐古趣味系以外は全部をマイルドにするのもキツイかも知れない。

だが相変らずの暴論寸前だろうが全曲一様に最大の自信があるとか、全曲シングルカットして同程度に売れる自信や予算が無かったら却って露出度の強弱みたいなのがあった方が良いんじゃないかなあ。
まあ最近はあまりアルバム主体で売ろうとはしないみたいだからどっちらけかもだが、注目した或は評判になったの以外は大した事無い曲の癖に聴き疲れするなんてならない方が良いのは変わんないっしょ。

ほいでチョイと脱線させるが「昔の達人程仕事が早い」印象が、当時の体験がある俺には未だ印象深くてさ。
今しか知らない人からしたら単に昔の方が、何でも大雑把で構わなかったからすぐ出来ただけなんじゃって思うかもね。

実際そう云う部分だって少しあったのは認めますけど、多方面で録る時点での完成度が高ったからそう出来たってのが真相で御座居。
例えば沢山重ねたくたってトラック数は限られてるし、ボケアナログだから予定通りそれが分かる様に聴こえてくれる保証が全然無い。

そうすっと反ポピュラー系ですら狙った音世界の構築を、なるべく必要最低限で賄うしか無いからそっち方面へ思考中心が向いて行く。
結果半自動的でそんなに大層な思想等も無いが、仕事の方法論が単純化してい易いのだ。

今昔問わず必ずしもどれもがシンプルに行かなきゃならなくは無いが、録る際のパフォーマンスへ全集中するにはなるべくプロセス数も脳内課題も少ない程有利だしょ。
のでもし昔の達人何するものぞとかで行きたいなら、そんな部分で負けると分かってる方法なんか選んじゃったら勝負にならんのどす。

はたまた僕等そんなご大層なの夢にも思って無いですってんならどうせ大して売れやしないんだら(大失礼)、売る為に劣化世間に迎合してわざわざ作品生命を縮めたり将来の評価を下げるのはアホらしいでぇ。
なので困難な部分は一旦は諦めとくにしても、少なくとも録りの実験時と本番はもっと明確に区別しといた方が良いと思うんだ。

このテーマへ最後に駄目押ししとくとってホントは真っ先に記すべきだったろうが、幾ら極小音量に忖度しといたってもしそれ以下に落されたら忽ち無効化すんねん。
どうしても今の主流の手法でやってみたいならもう止めはしないけど、割の悪い方法だってのだけは覚えといて損は無いぜ。

<おしまい>

2022年9月13日 (火)

音楽備忘録1124 不当低評価の是正⓬

さて近回は探索方法等へ偏り気味だったが、それが本件では露出の少なさ→認知度の低さが不当低評価とも大いに関係してると考えてるからだ。
これが又劣化本邦ともなると最悪に近い状況で、かつては美徳意識今は商業上の都合で実態隠蔽が甚だしい。

基本的に日本主導の国内録音作品は海外販売想定の無いのが多く、仮に売れたとしても世界規模観点では販量が桁違いに少ない。
のもあって元々追及要求が少ないにしても
、英米等と比べると職人集団の認知度は隠さなくても格段に低かった。

しかしだからってキーマンになる様な人が居なかった訳では無く、もっとそんな達人達へ良い意味での敬意を持ててたら海外稚拙パクリ依存から脱却出来てた可能性が拭えんから実に惜しいんすよ。
そう語っといて個人的には大して和のテイストを付加する気が無い杜撰大王だが、現況の狭い範囲からだけの引用が続くのはもう勘弁なんすよねえ。

では何故そうなるか私分析してみると、結局はネタがアニメやゲームを通じて知ったのしか無いからなんじゃないかな。
ではⅡでネタ元の作者達は何処から仕入れたか推察すると、古い文学や映画等もっと多岐に渡ってそうだ。

この面で一応私的としとくが激奨しときたいのがJohnny,Louis & Char(Pinkcloud)で、祭囃子その他歌物に執着せずエッセンスだけを巧妙に引用してるからなんだ。
前者つまり現行の和のは歌詞込みのが殆どで、それって実はとっくの昔から演家系では多用されてんだよね。

一方後者のは限られた一部の時代劇伴奏等に垣間見られただけで、歌詞に依るフォローが無い分音だけで成立させなきゃなんないから実際かなり難易度が低くない。
だが発展性へ目を向けるとかつてYMOがアジアンテイストで成功した様に、日本語で海外でも売れるとしたらBabymetalのみたいな流行り単語位で精一杯なんすよ。

そんな状況なんでほぼ誰の役に立ちそうに無くても以前記したThelma Houstonや、前回記載のJohnny Riversみたいなのをここでは今後忌憚無くジャンジャン書いて行きますわ。
処でここ迄は佳作が少数で低知名度とか作品名義が分散してて低知名度なのに触れて来たが、有名でもそれが仇になって不当低評価となってる人達も居たんだっけか。

今の日本じゃ想像すら困難化してるだろうがそもそもはあのBeatlesやStonesですら、登場は当初本国ですら一寸売れただけの若造扱いだったんだ。
誠に遺憾乍ら暗い現状に一筋の光明をってな感じで、拙日本にだって過去には幾つかは世界に誇れる「先見の明」になったのがあった。

それがQueen,Kiss,Deep Purple辺りで、前2つは残念乍ら見た目から入ったのではあったけどさ。
けどこの3つに共通してたのがLiveで観客がのっけからは乱知己騒ぎをしなかったってのがあって、結果的に皆の耳に音が聴こえてたのが大きかったんだろう。

Bandの通常のLiveって登場人物はほぼ固定とか映像作品より絵面の変更が少ないんで、幾ら見栄え最優先でも音でアシスト位しなきゃ瞬く間に夢の世界が醒めちまう。
特に昔のになればなる程レーザー光線も無きゃ巨大スクリーンも無いから尚更で、上記しんがりのはヲタアドリブ主体とは言え「サルにも分かる」のを中心にしてたのが功を奏したのかな。

当時でもPsyche・Progre・前衛等では誰にも訳が分からん程良ってのはあったが、分かる上で凄いってのは他ではBuddy Rich位だったかな。
この話しで俺が妙に自信が持てるのは、完全な偶然だが成長途上で出逢ったからでね。

自分の意思でRockを選択し出したのが小学校に上がる頃で、単細胞な杜撰大王様だから当時の選択基準に感性以外が入り込む余地は皆無だったん。
こんなのちっとも狙った訳じゃ無かったんだけど、今にしてみりゃ感性主体ってのがどんなもんなのかでこの過去体験は大いに役立ってるよ。

これ音楽じゃ無くても全然OKで、憧憬とか懐かしみ成分抜きで鮮明に残ってる印象のの出逢い時を思い出しても良い。
そんな感覚で選別してけば、少なくともその人自身にとっての不当評価は避けられるんじゃないかな。

<つづく>

2022年9月12日 (月)

音楽備忘録1123 ネタ元➄

って事って今日は面白和音のネタ元お勧めをテーマにするが、やはり取れ高としてはJazz系が圧倒的に有利だ。
掟を守った範囲での冒険って面でJazzは嚆矢で、ハーモニーに対する野心も凄かったからね。

だがそれをRock系やPops系へ持って来ようとすると、そのままじゃ複雑過ぎたり前後と上手く繋がらなくなる方が多い。
何せあちらは野心の為なら節操無くコードチェンジしたりするし、最初からそれ用の進行を苦心して編み出したりしてるからねえ。

それを杜撰流に換言すれば実音版コードブックってなもんで、どれ位どんな奇抜なのがあるか知るには博覧会状態は好都合。
けど楽曲自体を高める目的で引用するには、案外それ用の限られた進行じゃ無いと厳しいとか別面での制約がある。

ので妥協点っつうかこの目的に合いそうな頃合い加減をと探すと、Smooth JazzとかLatin Jazz等と少々冠を付けてやると結構行けそうなのが見つかり
易い。
実際全てでは無かったがあっち呼称Smooth Jazzのが、
昔の日本ではEasy ListeningとかAOR扱いされててね。

Fusionについて師匠はLatin Jazzの進化形と断言してて、その当時の俺はオッサン何言うとんねんと思ってたけどさ。
今になって使われてた和音・音列・リズムを少し真面目に検証してみると、確かに他のよりは被るのが多かった。

わ兎も角俺は今も基本杜撰大王らしくジャンルには鈍感!?なのを全く改める気が無いが、こう云うバリエーションって面では気に入りゃ何でもOKで助かってるのかな。
例えばどちらも時期限定ではあるが上記前者ならEarl Klughの初期、後者ではLarry CarltonのRoom 335(アルバム)は出現時からリアルタイムでお気に入りのままだ。

但し自分内部ではそうなった根拠ってのもちゃんとあって、どちらも意外とワイルドだったり大雑把な部分を残してあった感じでね。
それが当時本邦一般傾向でEarl KlughオッケーならGeorge Bensonも、 Larry CarltonオッケーならLee Ritenourもに俺は未だ全くなって無いのよ。

ここから自分にとってFusion系って特に嫌ってはいないが、そんなに趣味じゃ無いのの気付きにも繋がってるみたいだ。
この様な部分的にしか好めないのを探し出すのってあまり効率は良くないけど、好きと嫌いが同居してるからこそ自分の好みの絞り込みに意外と役に立つ部分はあるんだ。

とは言え限られた時間をそんなアテにならないのに浪費してもいられないんでどうするってば、こっちの意思に無関係に耳に入って来るものへも少しアンテナを立てとくのが最も現実的だろう。
俺の場合も↑例示前者はFM放送・後者は行き付けの喫茶店で流れてたのが出逢いで、前者は当時比較的頻繁に後者は音源がLPレコードだったから確認・認識する機会が充分にあったんだ。

現在は暮らしの変化からB級アニメのテーマ等がその座にあるが、短期的には効能僅かでも即実行可能な何気ない日常に流れる音をバカにしない方が良い。
勿論俺だって意識して調べる時は好みに近い所から始めるのが多いけど、音楽的ご近所情報なら時間経過さえ我慢しときゃ何れは大体勝手に揃って来る。

んが非専門且つ気になる箇所がピンポイント的なの程、ひたすら待ちの姿勢で居ると全然進展してくんないんだ。
とは言えそれなりに普段より労力を要す事が多いんで、取敢えずは書き留めるなり一部でも良いから記録に残しとくのがコツかな。

過去の俺の場合だと所謂断片エアチェックしたテープがそれに値し、最近は滅多に聴き返したりしなくなってるけどさ。
今に至る迄には何度も聴いてたお陰で何時でも即想い出せる位脳内に焼き付いてて、超低頻度だけど幸運な偶然に遭遇した際一瞬で「みぃ~けっ」になるんだわ

<つづく>

2022年9月 9日 (金)

音楽備忘録1120 不当低評価の是正⓫

本項数回前に「録音Studio」や「レーベル」からも昔のなら好みを手繰り寄せるられるのを記したが、前回提示のみたいに言うなれば「名のある伴奏プロ集団」の影響力も凄まじいものがあった。
っと振っといて最近迄幾らも気に留めて無かった杜撰大王様だが💦、単純に聴いて残った結果からも調べてみたら↑の傾向は想像以上に明確だったんだ。

所謂一発屋とは違うが良い作品が少ないアーティスト、っても所詮は私感に過ぎんがそんなのにもどうにも忘れられない程強く深く印象に残ってるのがそこそこあってね。
それ等に限れば劣化今本邦じゃ無くても評価は低目になりがちで、しかし人では無く音で優劣を付けるなら省いたら大変な存在だったりするん。

最近漸く入手出来たのにJohnny Riversって米の歌手件Guitaristが居るんだが、オリジナルヒットも僅かにはあるがカバーの方が圧倒的に多い人だ。
実はロカビリー系が根っこのPops系の人だったんだが、俺が気に入ってたのはFunkyなRockのでさ。

当初から分かってて探してた本命曲はRockin’ Pneumonia and the Boogie Woogie Fluってので、元は’50年代スキッフルのを’70年代Rockにアレンジしたヤツだ。
他に彼とは知らず昔からずっと知ってたのに自前売れのPoor Side of TownってのやMaybellineのカバーがあったが、前者はバリバリ’60年代米Pops・後者は俺言いアングラロカビリーってな感じで本命のとは全然違う。

そして上記2曲以外は駄目って程じゃないもあまり興味は持てず、俺本命路線では後はMemphis ’72っての位しか無かった。
んで同一人物でこんな極端な差が出た訳を探ってったら俺本命のには、Toto系以前にLAの録音界を牛耳ってた「The Wrecking Crew」って連中が絡んでたのが昨日判明。

聴き続けて丸々50年経たなきゃ調べないとは大したもんだが😓、敢えて言い訳すりゃホントに音を最優先で選んで無きゃ普通は起こり得ない事象であろ
う。
んでⅡで今更調べてから初めて知ったのが↑のWreckingは、他にも’70年代半ば頃迄の多数の名曲や好みのに携わっててさ。

私的近似例としてはKate Bushでは2枚目迄は伴奏も美味しかったのがそれ以降は一寸私的には落ちてて、その原因が英のPILOTってBandに居たDavid PatonってBassの参加の有無だった。
どうもKate Bush本人は3枚目以降のメンツ方がお気に入りらしいが、非ヲタの聴き易さの点や全体のバランスからすると私的には惜しく感じられる。

大失礼な比喩をするならJohn Lennonと一緒の時だけ辛うじて聴くに堪えるOno Yokoってなもんで、以前吠の奇抜と定番のコントラストは重要ですからねえ。
純粋に前衛とかに拘りゃ全部新規変態の方がピュアなんだが、誰にでも「どう変なのか」が分からんと折角編み出せて実行しても効果が薄いじゃん。

わ兎も角皆が皆常時固定メンバーで演る演れるとは限らないんで、こう云う着眼点も持って無いと俺言い「境界域の名演」が選外になっちゃったりするんですわ。
特にそんなのが目標のバイブルになりそうな場合なら死活問題も同然で、聴くだけだったら偶然見つかった都度喜んでりゃそれで良いんだけどね。

この件で今劣化本邦が致命的に駄目なのが「佳作でもほぼ放送しない」等で、同一人物の作品としてはタマが僅少なだけに出逢う機会が少ないと探してても見付けにくい点だ。
俺が知って興味を持てたのも当時リアルタイムでFMやFEN(AFN)で掛かってたからで、今よりずっと職人気質のディレクタやDJ氏が実際に聴いて選曲してたからだろう。

だが残念乍ら本邦では当分はマスコミに全く期待出来ないんで、そうなるとヲタ系Youtuberにでも期待するしかない。
んがそれすら本邦の著作権の誤った運用のせいで中々厳しいと、だから音楽関係者こそもっと盛大に政治に注文付けなきゃいけないんだけどね。

<つづく>

2022年9月 8日 (木)

音楽備忘録1119 ネタ元④

前回偶発した非効率をキーワードに据えると俺の実体験例の筆頭はコード(和声)で、初めてコードブックが手に入った時は大喜びで夢中になって一気に読破・試奏してみたんだ。
これでオイラもコードマスターなんて杜撰な事前想定してたっけ、確かに理屈は少しだけ進歩したが実用上はそれ以前とちっとも変りゃしねえでやんの。

ってこっちのその時の取組み方にも後から考えりゃ問題があったんだけど、俺にとっての難点は欲しい時に欲しい知識にはなってくれなかった処なんだ。
その問題とは特に経験値の少ない内は、好きな響きが何処にどうあってどうなってるかが未知に近い処。

今となれば結局はランダムに何にでも耳を通して、その中から地道に拾い集めるしか無いのが分かったけどさ。
その頃は少しでも早く掻き集めたかったもんだから、纏めて載ってる本って良いかと思ったんだ。

それが俺が手にした本が自分に合ってたかも疑わしいが、現実には楽器の音色や弾き方次第で各音の音量バランスとか色々変わるっしょ。
そうすると理論的には同じ和音でも響きはかなり多岐に渡り、つまり俺が求めてたのは「響き」(残響等は含まず)で理論的和声じゃ無かったんだ。

っても勿論音程の組合せでも響きは変わるんだが、要は優先順位が違ってたのよ。
この辺も無暗に譜面を嫌う!?一因で、そりゃ使用楽器やセッティングから各弦の弾く強さ迄完全に指定(つまりオタマジャクシが見えなくなる程書き込み)でもしときゃ少しはマシになるんだろうけど。

けどそんなんしたら幾ら初見が得意な人でも、流石に情報・パラメータ過多でリアルタイム処理は間に合わない。
それよりかあの曲の誰々の○○の処で鳴ってたヤツって、もし相手が知ってたらその方が遥かに簡単且つ近寄れる。

又この件で理論優先にすると問題になるのが、機材や各自の体格等だ。
その巾はかなりあるから狭隘な押えが要るのはデカいのが、広大なエリアを押えなきゃなんないのはチビには無理。

更に掘ると手の各指の長さ太さも千差万別なんで本人にすりゃ意外な盲点的に、微に入り細に入り適合・不適合がジャンジャン出て来る。
結果人に依って実用になるコードにかなり差が生じるんで、理論も不要じゃないけど実験の方が遥かに重要となっているのだ。

別面でって俺にとってより影響大だったのはこっちなんだが、○○な響き→□□コード→その和声の展開形は△△…ってプロセスの面倒さと当確率が。
音楽の他音響屋でもあるんで必要とあらば地道分析は辞さないけど、特に概知のじゃ無く新規の響きを探すのに理論主導だと遠回りになっていけねえ。

ってのもパート単体単位なら未だしも、実際の多くはアンサンブルでそう聴こえてるだからなのよ。
そんな体験からコードに関してはよりパート単体より編曲視点で考える様になったが、ミニマム編成での体験が多目だったのも影響してたかも知れない。

大体同じに聴こえたコードでも、構成人員が少ない程低ニーズの音が省かれてたりする。
それを逆手にとって考えれば仮にもっと人数が居る際に、普通だと付加し難い別の音を追加出来る可能性が上がる。

勿論無省略の良さってのもあるが、求める響きの中で最もシンプルに実現してるのを雛形にした方が応用範囲が断然広いんだ。
劣化近年本邦だと録音では昔よりかなり大した意味も無い「重ねとく」が増えてるが、独自の和声についてだと芳しくない状況とも言える。

録音音質の向上も1つの音の存在感に関しては現況負の作用の方が大きく、それで増えた隙間が気になって追加したくなるのは俺だって同じだよ。
けどそれって音響的には有効でも音楽的には殆ど無効なのと、ネタ元としては極力シンプルな方が分り易くて良いっしょ。

<つづく>

2022年9月 7日 (水)

音楽備忘録1118 今のRock系は小音量で聴くべきもの???➌

さあ困った今頃になってデジタル録音だとGuitar系(特にエレキ)が薄っぺらになると判然とした処で、環境全体がシフトしちゃってるから単純に戻せるもんでもない。
このデジタルに依る軽薄化案件、私的には太鼓や歌の方をもっと気にしてたのもあるんだけどさ。

実は太鼓では1に奏力2に楽器が俺の場合は主犯だったが、アナログテープ時代は明瞭度はおろか他パートを邪魔しない音にするのすらとっても困難だったんだ。
これが妙な話しだが要するに一面でそんな図々しい音だったから、存在感の弱体化を気にする必要が無かったんだろう。

歌にしても自分のじゃなく他人の図々しくない声質!?の場合限定で、こんな杜撰大王と組んでも平気な連中には弱体化の心配を要す人は少数派だった。
と色んな御託が一通り済んだ処で、個人的には今は大してGuitar音色に太さは求めて無いなんて言ったら大目玉喰らっちゃうかな?。

だが他人が聴いた際に自分の想定より存在感が弱過ぎたら色々副作用は少なく無さそうで、この手の問題にはやはりリアル合奏の日常的体験が不可欠だと思うんだ。
録音では一発録りじゃ無い限り、本来は音質の問題でも後からバランス補正で補えるでしょ。

それも箇所次第で増減させられるんだけど、リアル合奏で実用上許されるのは取り敢えず大体常時全部が聴こえる状態だよね。
それも観客(聴くだけの人)じゃ無く奏者同士の都合となるから、実音量よりも音楽的な過不足の方が絶対条件になる。

例えば大昔年長の知合いにやたらと無暗に超高域を盛りたがるGuitaristが居て、美しくないしウルサくて辛いしで周りは皆ホトホト参っててさ。
何がよりによって厳しいかって何せ中域すら極限迄削いじまうから、かなり大き目バランスを許さないと演奏内容(音程や和声)がサッパリ分からないんだ。

尤もかなり後になって熟考してみると当時彼は既にかなり難聴が進んでて、極端に劣化した本人の耳にはそうでもしないと全然聴こえなかった可能性が浮上したんだけどね。
これは相当特殊極例だがそんな風に、物理的音量と合奏適正音量ってかなり乖離するケースもままあるんすよ。

因みに↑極悪例では他パート侵食被害は最大級で、しかしLeadパートだったから辛うじて成立しただけでね。
そんでも元々アンサンブル限界を著しく超越してるから、例えばもっと音量を上げたいとかには全く非対応だった。

あな恐ろしや実際弾いてる最中のみギリギリセーフで、それ以外の時はハウリングしっ放しだったかんね。
技術面からの錯誤としては楽器倍音より高い帯域を盛大に盛ってたから、リズム的輪郭には多少貢献があっても真の明瞭度に効果が無いのも敗因だったろう。

って事ぁその逆を施せればもっと全然小音量でも良く聴こえる様になる筈で、それには俺言い「目立つ倍音」が鍵にはなるが周囲との連携はかなり流動的な面がある。
故にこの手の案件ではリアル合奏を連呼してるんだが、極小音量だけにフォーカスすると本来正しいバランスでは通用しなくなる。

しかし音楽自体が超ポピュラー系のでもある程度はダイナミックレンジの巾がある物なだけに、アナウンス等と違って適正より小音量で再生すれば聴こえない箇所が出て来るのは仕方無いもんなんすよ。
そのアナウンスですら俺言い「らしい米英語」だと実際には子音は殆ど聴こえて無かったりして、アクセントとの関係性で単語を想像してる事の方が多いって本国の人から訊いた事がある位だからねえ。

これも含めやはり悪環境対応にはシンプルなのが最適だが、デジタル由来の薄さ細さでこれが避けられちゃってんのかな。
いざちゃんとしようとしたら意外と困難だったからってのは分からなく無いが、ポピュラー系で聴き疲れするのを平気で作っちゃうなんて本末転倒だと思うんすがねえ。

<つづく>

2022年9月 5日 (月)

音楽備忘録1116 不当低評価の是正❿

ここから本邦マイナーの紹介も兼ねて広大に雑多に例示してくが、俺は正規の評論家とは程遠いから一応独断・偏見・その他諸々でとしておこう。
故に読者諸君には全く圏外のも顔を出すだろうが、好きだからブスが美人!?みたいなのは流石に掲載しないからそこは参考にして欲しい。

概述個人的に現在迄ではRock全盛期を1970年代と思ってるが、恐らく好み等の混入はあるにしても聴いて来た中で最も印象が深いし色褪せなかったのが原因なんだ。
その要素として録音音質の影響もかなり甚大で、明らかに現代より劣るのが多くても自然の範疇に収まってるのが殆どだからなんだ。

ここでの自然とは食品だったらレトルトや冷食じゃないみたいなもんで、一部Effectを除き生でも再現可能ってのがポイントだ。
少々クドくなるがその生ってのは純然たるLine収録等を除外した感じで、聴き手が聴き用アイテムほぼ不要って意味だ。

↑の純然たる…を実現するには聴取空間の響きが勝手に付加されたりしたら駄目で、楽器→メディア→ヘッドホンなんてのが実行出来た際Ampを使ったりスピーカから流したのと最大の差別化が図れるでしょ。
聴く時ヘッドホンを使ったって収録時がMicなら、その逆にLineで拾っててもスピーカ再生だと空間残響が必ず盛られちゃうじゃん。

尤も俺基準は全部がって程では無く多数派がそんなならまあOKで、しかし例えばSyntheとかBassだけでも露骨にLineのだったら圏外になり易いけどね。
でそう云う俺言い「普通の音」である方が、長く聴き続けた際の疲労や変なストレスが小さいからなん。

又その方が各自の個性や表現の反映率が高い様で、それは各音源の成立構成の関係が原因だ。
生楽器ならPhil Collinsみたいな手法となる以前は、奏者自身は電気系部分を直接は弄れなかった。

故に電気加工度が生のより高くなると、↑みたいな例外系以外奏者の個性は大抵薄れる方へ働く。
一方電気楽器等本体とAmpで成立してるのだと、Ampの調整等が奏者毎に微妙に違う方が多い。

その部分を省けばやはり薄まり方向へ行き易いのは至極当然で、これ等を鑑みると音質や面白味には劣っても「普通の方法」で作られた音の方が訴求力が強いと感じられたんだ。
俺自身俺にとっての普通じゃ無いのだって決して駄目じゃあ無いんだが、アブノーマルの個性はそれが日常的になったら損なわれるからねえ。

んで散々聴き続けて来たら「普通で面白い」とか「普通でも飽きない」のの方が、後々迄劣化せずにそのまま印象に残ってたんすよ。
それと聴き手の評価し易さとして、’70年代一杯迄のは「打込みで誤魔化し」が不可だったのも大きいのかな。

その後’90年代以降の俺言い「デジタル誤魔化し」が可能になると、音の素材さえ提供出来ればアルバムが作れる様になった。
のに対し’70年代は例えお飾りアイドルの宴会芸的歌唱だろうと、最低限の音程・リズム・合奏スキルが無ければ録れなかったからさぁ。

そんな状況だから伴奏の方ともなれば所謂職人が必要で、かと言ってRock系は当時まだ歴が浅かったから演れる人が少なく比較的「特定の集団」が担ったのが多かった。
特に少数派でも本業の自前グループなら未だしも、ポピュラー系やPops系でRockっぽいのなんてな境界線上のでそのニーズは甚大だったんよ。

↑の視点を変えると紛い物の入り込む余地がほぼ無かったとも看做せ、俺がその時期のの平均クウォリティが高いと感じる一因なんだろうね。
本業系の人達にしても今みたいにEffectorだけでそれらしい音色なんて作れなかったから、俺言い「素の音の逞しさ」の点でそれ以降のよりハズレが少なかった。

<つづく>

2022年9月 4日 (日)

音楽備忘録1115 ネタ元③

前回好みのネタにありつくには(全くその様な表現を使って無いが😓)、こっちの要件をなるべくハッキリさせとくのが大事なんて呟いた。
これって演る人より寧ろ聴き専の人にこそ重要なんだけど、誰だって最初から絞り込みなんて出来ないから何処から手を付けてくかですわねえ。

知人や専門家からの紹介はあると百人力だが、非リアル交流の比率が高まった今は昔よりは期待薄になったと感じてん。
相手の仕草・表情・その他諸々達人になる程そんな部分から、その人の波長みたいなのを察したりする方が高確率になり易いからなんだ。

今だって例えばドルヲタ系とかにだったら頭にうさ耳付けてる方へ興味が強くなったりするけど、当節何しろ変化球全盛で容姿と内容がストレートにリンクしてるのが少数派になっちゃったかんねえ。
いきなり飛躍比喩にはなるが昔より格段に「画付きニュース」が増えたにも拘らず、劣化今本邦の大多数は壺洗脳に引っ掛かっちゃってたじゃん。

けど視点を一寸変えてみれば情報が増えた分、受け手側の取捨選択スキルが昔より要求されてたのは自明の理なんすよ。
実際俺みたいな昭和生まれの大雑把なオッサンにとって、一々wiki通いするのは面倒だけどさ。

心理的には雰囲気伝わりゃ一寸位情報に錯誤があったってって気分になるが、確かめたい際はネットが24時間使えるのって有り難い事なんだよね。
尤もwikiって必ずしも本職や専門家が書いちゃいないから、昔からあった現物メディアに比べると若干粗相が多目だっりゃするがね。

それでも関係者の談話に辿り着くのにも多少の利はあるし、特に古目の洋楽の場合は英語のページへ行くのが有効なケースが多い。
俺自身英語は決して得意じゃ無いけど、録音に参加した人等の面で本家ページの方が大抵は詳しいんだ。

そんでこの差は単に本国の人の方が拘りが強そうだからってんじゃなく、どんな人・目的でWikiを見るのが多いかの違いがある様な気がするんだ。
日本では好きな人だと本人のは割と全て知りたがる傾向がある様だが、あっちじゃ唯のファンはそこ迄スペックに関心は無さそうで。

それが分析目的となると豹変して結果の可否は個人の完全自由な代わり、何時・誰が・何処でどうみたいなのには途端にウルサクなるらしい。
或は昔から近くに本屋やレコード屋・レンタル屋が無いからとかそんな環境差からも来てるのかも知れないが、類例を辿りたくなった時にそれ等の情報量の差は大きいんだ。

体験的にはかつてはレコードの山中で暮らしてた聴き専親友からしか、大体同じメンバーが録音に参加してたとかの情報は得られなかった。
ジャケットにメンバーが印刷されてたから、そりゃ少量なら買わないでも立ち読みで覚えて帰るのも不可能じゃ無かったけどさ。

手元に無いと随時確認は出来ないし、影響が低いと思ってた人が後からキーマンだったと判明したりしても非対応になるじゃん。
っとここ迄のは好みのを深掘りする際のプチ知恵みたいなもんだが、自分らしい個性の醸成にも好きを最優先するのは自然な事だろう。

けれど既にある物を既にある形で使う限り、既存品の劣化版の域を脱するのは困難だ。
そこで次回は普段あまり興味の無い中から好みのを抽出するのへ言及するが、私的にはアイデアより音楽技術面でその効果は絶大と考えている。

つまり好みへの影響率が低い部分でなら、その分こっちの個性への悪影響の心配も少ないからね。
その手のも完全網羅しときたいなら時間と労力を惜しまず専門的に学んだ方が良いけれど、欲しいのだけピックアップするにはあまりに非効率だ。

<つづく>

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