音楽備忘録1941 ’70年代Rockの浦島太郎⓫
今回は「標準的な楽器で色んな音色を奏でる」を副題に据えるが、私感ではコレ結構大事なのよね。
少なくともそれを経ないでジャンル特化させたつもりでも、ツールは兎も角奏者の方がそれじゃ成り切れてねんですよ。
’70年代当時だって最終的にはカスタマイズを加えて各ジャンルに特化させてってるけど、後にレジェンド奏者となった殆どは登場時点では殆どそんな真似してなかったのだ。
その意味する処が奏者にとっちゃ影響大で、楽器より主に扱い方で特徴的な音色を出してた訳さね。
さて実はもうこの時期楽器類はジャンル特化型が出始めてたのにどうして↑(人力依存)が断然主流だったかってば、スキル習得にはそれなりに時間が掛かるからだ。
つまりは取組み始めた時は特化型楽器未登場だったんで、求める音色は弾き方・扱い方で得るものって認識しか無かったんよ。
確かに一時的に○○風にしたい時ゃ特化型の他打込み音源なんて狡い位簡単で良いが、音色だけでジャンルが決定するなら大昔のFuzzだって全部Metalの先祖だ。
音色だって重要素にゃ違いねえが、少なくとも同等な位使い方や表現方法にも左右されんねん。
なのでリアルタイム体験不可の世代が後年聴いたら、何でこの程度の軽い歪みのがHard系なんてされてたんだろうと思っても不思議じゃない。
だがそれは表面的な事象だけで判断するからで、音楽的内容の過激さ等からしたら今のMetalの方が全然緩かったりするんすよ。
特に今劣化本邦じゃどんな音楽過激派でも、裏金議員を皆殺し血祭りに上げろなんてのが全然出て来やしてねえじゃん。
幾ら何とかコードがあるにしたって生活苦に我慢し切れなくなって、せめて罰が当たってざまあ見ろ程度のが1つ位は出そうなもんだがね。
まあそれは兎も角道具依存の音色って外す心配こそ無いけど、ジャンル特有の演奏力養成に大きな障害になってんすよ。
しっかり弾き切らなくても平気となると、肝心な時の音の存在感や通り・抜けが足りなくなるん。
差し詰め日米プロ野球の相違みたいなもんで、常に馬鹿力に頼るのはアホだが同じ位要領だけに頼るのも愚なんすわ。
野球に限らずパワーとテクは状況に応じて使い分けたり比率を変えるべきもんで、獲得可能な範囲のパワー迄放棄するなんてな愚の骨頂。
Classic系は未だしも今劣化本邦ポピュラー系では勘違いしてる奴がかなり多く、電気楽器も「半分は生」なのを忘れてるんだよ。
幾らエレキの威力が絶大に感じても、音量は兎も角音色の質には大きく影響があるのだ。
それで一寸罪なのが最初からフルに弾いた感じが出せるEffectorで、実際は似て非なる物なのに騙されてる人が多いん。
そりゃ背景が絶好の環境だったらそんなに差は出ないが、苦境になる程元が「どう弾いてるか」の差が拡大するねん。
の実用上の弊害としては最低限のバランス時に全部聴き取れるかとか、埋もれないで済んでるか等に現れるんよ。
つまり機器依存でエエ加減に弾いたのだと、そんな際レベルを大き目にしなきゃなんなくなるん。
それが単独主役時なら良いが、アンサンブル内では少々迷惑な存在に成り下がってしまうんだ。
或はちっともそんな意識は無いのに、ナルシスGuitaristと濡れ衣を着せられるかも知れねえよ。
=つづく=
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