音楽

2023年6月10日 (土)

音楽備忘録1394 歌のコーラス②

さてもう少しコーラスの優位性を掘ってくが、単独時等と色々比べてってみませう。
何れも歌のバリエーションの点で使った方が大抵有利で、単独じゃないと合わない曲もあるからこそ考えて欲しいんだよね。

したら最初は存在感について比べてくが、単独でも全編ユニゾンのと比べたら若干コーラス付きの方が弱くなる可能性もある。
曲次第じゃずっとハモりが付け続けられるとは限らないから、所々がぼっちになってまう。

だが大抵は強弱のある曲が多く、例外としては軍歌や労働歌等が考えられる。
軍歌は未だしも今劣化本邦じゃ労働歌と言っても不明な人も居るだろうから、プチ脱線させて少し掘っときやしょう。

かつて機械化率が低かった頃は複数人じゃないと不可能な作業が多く、タイミングを合わせたり各人が均等に力を発揮する必要があってさ。
今でも極短い「せ~の」位はたまに耳にするけど、何時もそればかりじゃ重労働なんか続けてられない。

軍歌も戦意高揚とかもあるが、遠距離行進を堪えさせるのが主目的で始まった。(要するに気を逸らす稚拙な作戦💧)
んで「せ~の」みたいな掛け声は一時的若しくはピンポイントで力の要る際用で、基本コンスタントに延々の用途が軍歌や労働歌なんすよ。

だから普通のポピュラー系曲にマッチするケースなんて
僅少で、まあアイドルの不眠不休の激黒待遇だと本人達には軍歌や労働歌の方が合ってる気も…。
何だか俺の中の悪い虫が騒ぎたがっていけねえが、ユニゾンは大所帯になればなるほど全世界的には贔屓目に見てせいぜい校歌か何かと思われるのがオチだって。

仮にそこ迄行かなくても大人数ユニゾンは、多様な表現をするのには全く向いてないんだ。
だからⅡで某○KB系等本家筋!?ではソリストが育って来れば、終始ユニゾンばかりじゃなくソロパート位は挟んで来てたよね。

正直上手い奴が不在なのをコーラスで誤魔化してるのだってあるし、私的にコーラス好きな側面があるのも否定はしないけどな。
只当初からコーラスを全否定したかの様な姿勢とか、裏でも全くチャレンジを放棄みたいな真似はご遠慮願いたいんすよ。

これは編曲の基本部への冒涜でもあって、テンポ・リズムパターン・コード等と同じ位選択の余地があって然るべきものですぜ。
歌が主役の曲の場合王道アレンジでは、先ずコーラス等の有無も含めた処から始めないとね。

それ次第でどの位装飾や間持たせの過不足が出るか、全然アウトラインが定められまへん。
又慣れの問題ってのも無視出来なくて、普段から歌わされる可能性があるのと無いのが将来に長く響くんだ。

その点でも昔のエンタテイナーを誰でも学ぶべきで、歌物曲を演るったら何時掛け声やコーラス位担わされても至極当然ってのをさ。
んでそれは想像するよりゃ随分容易くて、TVドラマや映画のエキストラ程度でも構わないんよ。

勿論そうじゃない曲だってあるけど、そう云う際は非歌手の人に歌ってとは端から思わないって。
それこそ脆弱な歌唱力しかないアイドルに全員一緒に歌わせるのと発想は同じで、但しメインとはラインを隔離しとかないと主役の邪魔するが可能性があるん。

-つづく-

2023年6月 9日 (金)

音楽備忘録1393 一寸変な歌の練習方法⓭

シャウトは太鼓の腱鞘炎と同じ位「間違えると危ない」から、掘れるだけ掘っとこう。
中にはハスキーヴォイスに憧れて、わざと喉を1回潰してみようなんて危険思想もあるがねえ。

実際ハスキーな本人にしてみりゃ、俺なんか寧ろ非ハスキーのイケボに憧れてるんだ。
又々変な言い方だが同じハスキーでも天然のは嫌味が無く、人工のはそれがあるって感じで似て非なるものなのよ。

昔のSyntheみたく最初から人工物だったら「そう云う物」として容認もされ易いが、無加工の肉声は今時貴重な純粋な天然物。
それを中途半端な小細工をしては、最早多彩な声優等を聞き慣れてる以上通用せんて。

彼等彼女等は声自体を弄るより先ずは話し方を色々に変えて、それに付随した声色の違いをアピールしてるね。
ので声色よりもトータルの結果に主眼を置いてて、まるで元祖Fuzz Faceを高度に扱う様な事をしてるんすよ。

近年のストンプには安定性95%応用性5%みたいなのが多く、誰がどう繋いでどう弾こうとそれらしい音が出てくれたりする。
だが手加減等が幾らも反映してくれなくて、けど色んなのを沢山用意しときゃピンポイントで切替えれば忙しないがどうにか楽曲に対応出来る。

のが太古のは逆の性質のが多く一寸でも扱いに瑕疵がありゃ所望から外れるが、敢えて意図的にそれを利用すれば万能に近いと言わば諸刃の剣状態だった。
声優に戻るとセリフが少なく使用語が限られてりゃ別も、この先何を喋らされるかは大抵キャラ構築時点では未明。

のでⅡで例えばピカチュウの声みたいなのを除くと、何でも喋れる声色じゃないと実用にならないん。
歌唱では声優と比べれば応用性ではかなり楽になるものの、先に声色を設定してから応用性を広げてくのはやっぱりあべこべなんざます。

健康の他こんな面でも喉声オンリーはとっても不利で、早々に破綻するのが目に見えてんすよ。
ってのも腹声ですらシャウトの種類次第で、色々と使用制限がありましてね。

総体的傾向としては声域に対し低い方でどれでも無効化し易く、肉体的負荷は低くてもノーマルヴォイスでも低音域を拡張するのが最も高音域より高難度なのだ。
人って大声を出そうとすると音程がデフォより上がり、小声を出そうとすると自然と低目になる声質があるじゃん。

そんな中でJohnny Winter等で有名な、俺言い「Blues系特有のコブシ」がほぼ唯一の救いなんだ。
これは高い音程で無効化するがもしオーバードライブシャウトとかつての😓Ian Gillanで有名な裏声シャウトとの3つを併用すれば、声色こそ変化があるが一応全声域で歪ませられる。

これが喉の負荷を最も下げられる方法で、それ以外は負荷が上がるので頻度・継続時間・有効声域とも減少する。
でもそれじゃあ誰でも似たような感じに…案ずる無かれ、肉声にはかなり強烈な個性があるんでシャウトしてもそれが反映されるんだ。

寧ろ歪み系ストンプと同様何を繋いでもデスメタルになる様なのが、歌の場合喉で無理に「作った」シャウトの方だ。
確かに第一印象ではその方がインパクトのある気がするが、喉の器用な人ならすぐ模倣出来たりするからオリジナリティに欠けるんよ。

私体験ではこの事をよくは知らなくても、歌の上手い奴には自然とそんな傾向があったよ。
後は曲と自身の声質を考慮してキーを上手に選べば、ベストフィットにはならなくても「歌えない曲」が無くせるんじゃないかな。

<つづく>

2023年6月 8日 (木)

音楽備忘録1392 適切な音楽の評価方法⑩

前回は芸術肌には文系が多そうな気がしたので心理面を綴ったが、もし理系で少しアカデミックに攻められたならそれに越した事は無いのだ。
俺がこれに典型的に該当するんだが、しかしかと言って迂闊に心理面を軽視してるとロクな事ぁ無かったよ。

その失敗談たるや質も量も多過ぎて想い出すのも困難なんで後回しにするとして、少なくとも「音楽の音」関係では比率は兎も角文理両方の要素が不可欠らしいよ。
概知の如く俺は純粋な音響技師・Rockを中心とした音楽音響技師・音楽家の三つ巴で、この件では最強も適用を誤るととてつもないバカをやらかす危険がある。

こんなのを読む大多数は純粋な音響技師は滅多に居ないつもりで筆を進めてるが、万一音楽音響技師や音楽家の要素を持ってなかったら最低限俄かでも良いからどっちかになってね。
自身で真剣に考えた事が無いのがなんとも杜撰大王だが、機械音の一部にはそれ自体のヲタには良音でも音楽には殆ど使えないのがあるですよ。

心細い記憶から何とか辿ってみて確実に候補に上がるのは、近年の電車の所謂「VVVFインバータ制御」の回路とモータが出す音ね。
いやまあ又しても社会性の低いコアなのでスマンが、昔の以上に奇々怪々な不協和音を出しやがるんでねえ。(ホントは通勤・通学でかなりの多数が日常的に浴びてんですが…)

昔の電車だってモータから不協和音のするのは幾らでもあったんだけど、それ等はアナログだから不協和音にも人が馴染める法則性があったのよ。
それが今のと来たらかつて京急とJRの一部にあった、俗称「ドレミファインバータ」or「歌う電車」
以外は絵の具の筆を洗う水の交換直前みたいにゴタ混ぜだもん。

前衛にするなら却って好都合かも知れんが、それ以外の音楽だと良くてSEとしての他に使い道が思い付かない。
この手のは他にもあるだろうが非音楽の○○ヲタだと、そんなでも気に入れば良い音と認知してまう。

ので幾ら客観視するにしても、「音楽に結び付けそうにない」のは除外すべきなんすよ。
それには音響技師なだけでは困難で、一定以上音楽にも詳しくなれてないと厳しい。

結局両方に才能が無いとそのハードルを越えるのは難しいんで、一般大多数は良否を問わず好き嫌いに徹するのがお勧めなのだ。
それであれば他人と価値観が異なってもお互いの領域を侵食し合う事が無く、副産物として自分と違う人を許容出来る様になる。

その体験が積算してくと世間の主流派には今はこんなのが好まれるらしい等と、個人の価値観とは別のでも理解可能になって来る。
好みと上記みたいな価値観の分離が図れる様になれば、それが普遍性のある良否判断の入口になる訳ね。

これって音楽内容でも同様なんだけど、私的にはサウンドの方で影響が絶大だと思っててさ。
内容を仮にメロとすればドレミは平気でドレファは駄目とかになるが、その際ドレ迄の内はどっちでも無い。

だから3音は「聴いてから」判定が下るがサウンドの場合1発目が受付けないのだと、少なくともその後のを平常心で聴き続けられなくなったりするやんか。
処が極端なのだと散々ゴミを聴かせといて、最後に最高のを出して来るのなんかもたまにある。

のを偶然エンディングだけ聴くとかしかない限り、誤審してそれに気づけないで居ると逃しちゃうのよね。
判定は「聴き終ってから」の癖が付けばそれ等を避けられて、一度だけ我慢して未来永劫以降は拒否する作戦!?をも可能にするだわさ。

<つづく>

2023年6月 7日 (水)

音楽備忘録1391 ノリを育む方法⓬

筆者は数種の楽器を並行してやっては来てるが、Bassその他でリズムが大丈夫なのがDrumだと何かおかしくなるのがあった。
それが単に楽器の腕とか慣れのせいじゃ無い感じだったんで、暫くは自身の中では一寸した怪現象だったん。

んで仕方無いから探求してったら、演奏中の「聴こえ方」が違ったのが問題だったんだ。
今は「合せた時」の話しなんで何かの音がある前提で、現状宅では太鼓の時だけ再生音量とか隔離が不充分な感じでね。

他の誰かが叩いたり聴いたりしたら違うかも知れないが、自分用の太鼓モニタシステムが未完なのかなぁ。
わ兎も角自分の演れる他楽器と比べると、狙った音色を出した際聴き取りに劣るのは確かだった。

つまりは太鼓の音がデカくて他が聴こえ辛くなるんだが、どうやらその間にガイド音源とズレて
んだねえ。
これは短期間聴こえなくなるだけでこっちがコケるケースでは、その聴こえなくなる際だけ太鼓を思いっきりぶっ叩いてるのも悪いらしい。

っても音色等の都合で少なくとも自分の場合だとそうするしかなく、エレキより生楽器の体験が少ないのが露呈したのかな。
よくよく思い返してみりゃ各楽器夫々に、最初はアレっと感じる部分があった様な気もする。

リズムを取るとかノルにしても楽器毎に異なるハードルがある訳で、そう云う意図したのと現実との差は合せて録って聴く事での修正が必要だ。
因みに「思って」ってのは脳内では既に鳴ってる音で、それは大体合ってる筈なのに外へ出すとズレるのの修正は第2段階に相当するざます。

因みにⅡで俺が絶対音感をある程度得たのは才能のみじゃなく、幼少時にそのものの音を再現したい渇望から来てたらしいんだ。
当初そのターゲットは音楽じゃなく乗り物の出す音とかで、それ等の違いを誰かに説明したり自分で好きな時に浸って酔う為に何時の間にか始めちゃってたんだ。

ほれ子供の中で未来のヲタ候補生みたいなのが、ブィーンとかウィーンとか恥ずかし気も無くやってるのって居るやんか。
殆どの大人は唯微笑ましくて好きなんだねえで終わらせるけど、そうじゃないんだもっとホントはこうでしょなんて今でも時々ツッコミたくなる衝動が内心はあるかも
😵

わ兎も角Ⅱで所謂「好きこそものの上手」っつうのはこんなのから発生するもんで、そこ迄じゃなくても人知れず密かにチャレンジするのは意外と価値があるんじゃないかな。
スポーツや音楽のコーチに長嶋茂雄とかみたいに、音の口真似とかで説明する人も居るじゃない。

アレって生徒のタイプ次第で合う合わんはあるが、ゴールをたった一言で説明するには他にそれより優れた方法が中々無いんだよね。
到達出来るかは神のみぞ知るなんだけど、何時の間にかイメージがボヤけたりズレてったりするのは防げる。

スポーツでもアリな位だから音楽にはホントは必須で、恐らくある程度以上のレベルの人は他人に悟られない様に乍らも内部ではやってるに違いないよ。(俺はアホなので堂々と…って子供鉄ヲタの前科もあるし…)
それでか「口で言えないのは弾けない」なんてのが、業界内ではまことしやかに語られてるんやで。

>つづく<

2023年6月 6日 (火)

音楽備忘録1390 歌のコーラス①

平成中盤以降軍歌みたいな大人数ユニゾンが巾を利かせてて、親父がかつて学徒出陣で招聘されてたのもあってこう多いと嫌んなっちゃう。
なぁんつうと老害臭ふんぷんかも知れないが、歌える人が複数居るのに何と勿体無いと思っちゃうんだよねえ。

多重録音が可能化する迄だったら、ぼっちじゃ絶対ハモれないじゃないさ。
しかし歌の主旋律が脆弱だとVocalダブルトラックも必要で、それをリアルタイム化すればユニゾンになる。

ではコーラスは付属物なんだから弱くても平気かってば、本当に背景音の以外やっぱり脆弱だと駄目なんだ。
どうも典型的日本人はメロっつうとすぐ単音の固定観念が強いみたいだが、「最初からハーモニーのメロ」ってのもあるんざます。

スタイル的に独唱を選択する以外でユニゾンばっかにしちまうと、実はもうそれだけで演れる楽曲が限定されるんだぜ。
それで勿体無いのが大所帯のグループで、↑の弱点って「ハモりもユニゾン」に出来るのになぁ。

等との私感は程々にしてコーラスも、ほぼメインVocalと肩を並べられる位じゃないとの説明へ進もう。
楽器も演る人には伴奏だったら弱過ぎたら困らんかいと問うが、通常メインより音量が低目になるから結構強くてもそれが目立たないだけなんすよ。

何せ音量と云う最大のファクタで譲歩してんだから音色位より太くしときたいが、それも主役より悪目立ちすれば認めて貰えない。
以前伴奏の項でも記したが、脇役こそしっかりしてないと駄目なのは芝居と同じなんだ。

通常コーラスの付く範囲・時間・頻度がメインより少ないんで、盛り返せる機会も少なくなるのさ。
結果ポピュラー系での過去例を見ると、最低メインもたまに取れる位の集団がコーラスも良い感じなんだわ。

グループに依ってはメインの人が録音で重ね録りしたのを、Liveではゲストに歌わせるなんつうのもあるがね。
元のは同じ声だから、それこそ上質な影武者でも見つけられないと再現し切れない。

ではそんなにハードルが高いのかったら否で、少なくともポピュラー系では声質や発声を大して揃える必要が無いからそこはかなり楽なんだ。
声量差にしてもホントは揃ってた方が良いけれど、Micを個別にしたり感度を変えたり出来るしね。

のでまあまあ全員が「ちゃんと歌え」さえすりゃOKで、声色なんかは寧ろ全員違った方が良い位なんだ。
Classic系の声楽だって人次第で少しは声色が違うけど、ポピュラー系みたいに何でもござれでは無いよね。

個性的な和声にしようとして難易度の高さも然る事乍ら、ポピュラー系小編成ではパート数を限定される場合も多い。
がその代わり声色とその組合せの個性はほぼ自由で、簡単な和声でも様々な表情や味わいを創出出来る可能性があるんだ。

のでその人なりに一応ちゃんと歌える様になれれば、後は他パートに釣られない様になるだけで良い。
ほいで俺言い「ちゃんと」が出来てると、ある程度の声量は得られてる筈。

すると同時に歌ってて自分の声が全然聴こえなくはなり難いから、ハモりもより付け易くなるんすよ。
これは相手にとっても同じだから、まあまあ全員がの主軸は声量になるんだす。

処でそれってRock等器楽音が大きいと、どうせその位は声が出てないと単独でも歌い辛いんだな。
PAがショボいなんて今の日本じゃ滅多に無くなったけど、例えば不意にコロガシが逝っても変な音程とかにならずに済むのさ。

-つづく-

2023年6月 5日 (月)

音楽備忘録1389 一寸変な歌の練習方法⓬

お次はRock系では必須のシャウトについて、俺が知る限りを綴っとこう。
一言で言ったら正解は無く、唯ある程度以上の頻度と継続性があればOKだ。

がマージン込みで取捨選択してくと、喉を通常より狭めて出す類のは落選なんだ。
少なくとも歪みの為に細らせるのは考えもので、それは高音を出す方に回したいん。

高い音程を出すには「小さくする」のが必須で、喉に限らずスピーカや管楽器を見りゃ一目瞭然。
ので本人無自覚・無意識だったとしても高音程を出してる際、メカニズム的には誰でもその人の喉なりに必ずそうなってんの。

のでⅡで声量をかなりセーブしてるとか、頻度や連続発声時間が相当に短くないと直ちに喉をやっちまう。
だいいち至近で聴いた時以外喉だけのは脆弱で、腹声(腹筋その他を有効活用)のと並べたら負けちまう。

一寸出戻り重複になるが声を遠鳴りさせるって、部分的には空気銃みたいなもんなんだ。
銃の場合飛距離アップ魔改造にはバネ強化したりするけど、人間のは体の何処かの筋肉を使う事になる。

実は喉声だって喉に「空気を押出す筋肉」なんて付いて無いから、結局は腹や肺(間接的には胸や背で大角膜)を使ってるんだけどね。
だからせめて腹声比率が過半数位にならんとって吠えてんだが、もしあまり喉を使わずにシャウト出来たら一挙両得だよねえ。

それが本日主役の、オーバードライブなんすよ。
恣意的に喉等に小細工してシャウト音色を捏造!?するんじゃなく、供給空気量を必要量より増やしてまさしく「喉をオーバードライブ」させるんでやんす。

別観点では空気供給を量でなく過速度にするとも見做せ、決して楽チンでは無いけれど他の方法で発声するより鍛える余地が最大になりやす。
何せ喉は受動的に歪むだけで、大角膜を中心にインナーマッスルとか諸々を強化すりゃ良いんだからさ。

でその声色を文字で表すとしたら、漫画の擬音表記に相応しいのがおま。
「あ゛」「ゔ」とかがそれで、普通には実在しない音なんだけどね。

言語解析だと「ば」とか「が」より明らかに「あ」の方が近いんだが、かなり濁音成分(その正体はほぼ歪み)が強かったからそれが伝わる様にと国語ルールを意図的に逸脱させてるアレですよ。
この方法の利点は多岐に渡るも一番は喉の局所的負荷が軽い事で、それは発声メカニズムの範囲が広いのともリンクしてるんよ。

そんで実用上の他との差は高頻度や長継続時間が可能であり、且つノーマルに戻した時のノーマル度に大差があるんだ。
絶対にシャウト声色しか使わないんなら良いけど、大抵は落差演出の為にも「普通の声」の部分が何処かしら残るじゃん。

或は「耳休め」に次曲を大人しいのにするとか、その効果を最大化するには非シャウトのは極力綺麗な声が出せないと不味い。
けれど喉シャウトで酷使してたら例え持ったとしても、声色の回復にある程度のインターバルが無いとどうしようもないやん。

>つづく<

2023年6月 4日 (日)

音楽備忘録1388 適切な音楽の評価方法⑨

今日は分別を明確化する目的で、正しいサウンド評価の仕方について言及しときまひょう。
ここ迄杜撰大王の癖に妙に自信あり気に綴れたのは、音響技師としてこっちをしっかり把握してたからなのもあるんだ。

音と音楽内容の評価には重複してるのも少なくなく、実際には相乗効果で成り立ってるののほうが断然多い。
けれど鍵を握ってるのが両方なのは極少数なんで、作る側としてはキッカケを見つける必要がある。

例に依ってゲス比喩するなら美人には甘くなっちまうみたいなもんで、相殺すのるのこそ可能でも人に心がある限り避けては通れない現象だ。
ここでの相殺とはサウンドの魅力を正当評価する事で、それが分ってこそ無効化するのも可能になって来るんすよ。

この力は上手く応用すれば腹黒美人の裏の顔を炙り出すのにも使え、美人局に引っ掛かり難くもなれるかもね。
わさて置き上述の如く密接な関係にあるから完全にフレーズと切り離すのは困難だが、単音単位で聴くのが最初の一歩だ。

誰でも思い当たるのは「あそこの一発だけは良かったんだが」みたいなので、皮肉だが音楽的に稚拙なのの中に程そんなのは見つけ易い。
何しろ曲もフレーズも最低なんだから、内容に惑わされる心配が最小な訳っすよ。

普通そんなの聴きたくないから脳の分析・記憶回路をシャットダウンしちゃうんだけど、音響技師だとそうは行かなくなってさ。
純粋に修理屋として請われた際個人の音楽性なんか出せないから、曲が嫌いだからって「うわっ酷え音」なんて間違っても口にも表情にも出せない。

だいいちそんな気持ちになり過ぎてると、心にバイアス掛かっちゃってサウンド評価をも左右し兼ねないですから。
ので所詮は瘦せ我慢に近くとも、なるべく音だけ聴いて内容は聴かない様に頑張るんよ。

ここ迄はより影響が分り難いし大きそうな心理面を来た処で、本来は真髄である筈の音響的音質面へ進めよう。
音色良し悪しの内音質に左右されない要素は限定的で、内容評価の時と反対に極力高音質な方が良い。

只それでも純然音響と異なるのは、主に数値化出来ないされてない部分のスペックの重要さなのだ。
その典型が過去に別項等で綴った「硬さ」で、綺麗汚いと気持ち良い悪いは必ずしも同期しない処にある。

美しいからこそ極悪に感じたり、みすぼらしいからこそ清貧とつい思ったりするヤツね。
この場合外面と内面のコントラストが最大になる事でそうなってて、音質だと外面が一般論の高音質で内面が非一般の方になる。

のからすれば両方を公平に公表しといて欲しい処だが、前者は誰にでも関係あるが後者は基本的に音楽ファンにしか用が無いからねえ。
そいで又音楽好きには理論より感性重視の方が多いんで、唯でさえ難しいのに数値化の研究や公表が遅れるん。

そんなだから俺みたいな両刀使いは一種のトランスジェンダー扱いされて
、音響仲間からは感情的・音楽仲間からは非情と実際よりも思われる事が多かったよ。
音って他の何より「その人にはどう聴こえてるか」が分らなく、それ以上にどう解釈してるかが様々だから難しい。

のからするとなるべく聴き手が無意識な時のが相応しく、好き嫌いや興味の無いのが流れて来て聴こえたなんて時が最良かも知れない。
それですら生理的に受付けないなんて部分が少しは残っちまうんだから、せめてそれ以外はオフにしとかんとどうにもならんですとばい。

<つづく>

2023年6月 3日 (土)

音楽備忘録1387 ノリを育む方法⓫

さて自分の感覚主導をマスターしたらいよいよノリ自体へ進める事となるが、それには多くの場合で直接的に比べる対象が必要だ。
稀には単独でも分かるケースもあるが、是又随時頻吠えの如く音楽の真髄たる比較芸術の言わば典型だからなんよ。

それを実感し易い現象として従前は一番重かったのに、合奏メンバーが変わったら一番軽かったなんてのがある。
その際特段望んで無くて皆から重いと言われてた人なら、驚いたり戸惑ったりしそうだ。

或は最重を標榜してたとして狭隘な人的アンサンブル経験しか無いと、対応し切れなくなってこんな筈じゃなかったのにとかさ。
のでどんなノリを求めてるか以前に、少しはノリの制御力が先ず誰にでも必要なんざます。

アナタの俺言い「地ノリ」が偶然ニュートラルに近きゃ不要かも知れないが、癖が強めだったら他と足並みを揃えるのにはね。
その優先度は地ノリの強制矯正よりお勧め且つ遥かに上回ってて、癖強は不便な時も少なくないが重要な個性でもあるんですよ。

ニュートラルで良いんなら打込みで多くが代用可能で、問題なのはその個性を活かすスキルなんだわ。
それが個性次第で色々異なるから、今劣化本邦なんかじゃ同調圧力に負け易いのかな。

それと従前は取り立てて重いとか軽いと他人から言われて無くても、たまたま合奏者のノリに偏りがあったなんて事も少なくないん。
のでⅡで現状如何に関わらず、全く重くも軽くも出来ないんじゃ何かと困るん不便なのだ。

その訓練で要るのが何等かのリズムガイドと録音で、唯ひたすら奏で乍ら合せるだけじゃ幾らやったって駄目なん。
これはガイドを使う使わないを並行してやってくのと同様で、聴く方も奏で乍らと自分の演奏でも聴くだけの両方を同時進行させるのが良いん。

そうすれば奏者と聴き専の立場の差も少しは埋めてくれるし、我々奏者としては各自の「演り乍らだと○□に聴こえ易い」なんてな傾向が判明するんすよ。
その詳細は長くなるから次回送りにするとして、その前にもう1つコツみたいなのがあるねん。

それはリズムガイドにはなるべく「無機質じゃないの」を選ぶ事で、露骨に相手は機械だぞと意識しちゃうと人間と演る時とはこっち自身が知らん間に別人に化けちゃってたりするからだ。
いやらしい中間管理職の奴が上と下では評価が正反対…と迄は行かなくても、それでは個人練習するのに常時誰か練習相手が必要になったりしちまうで。

のでⅢで少々稚拙な発想だが今は△ちゃんと合奏してるとか、所詮は想い込みでもそれ位の心境になり得る環境が欲しいんよ。
無論究極的にはリアルじゃ無きゃ分かんない部分が残っちゃうが、だからって相手が完全固定と思っちゃえば対応力不足になっちまう。

>つづく<

2023年6月 2日 (金)

音楽備忘録1386 リズム表現を手放しちゃうの?⓰

この辺で閉店セールと銘打ってなるべく網羅してくとして、リズム表現には独自分類だと3要素があると考えて居りま。
ご機嫌なグルーヴは複合で成立してるのが多いのに、リズムタイミングに固執したのは最近では固定気味になってるのが多いからだ。

無条件だと打込みかClick常用が当り前では、本当は個別箇所最適化がほぼスルーされるでよ。
結果全容を示すのがこっからになっちゃったけど、タイミングの他に音色とフレーズがある。

但し音色とフレーズはリズムに大きく影響するもの限定で、無関係のはその良否の影響を殆ど受けまへん。
なら関係あるのはっつうと、音色なら例えばDrumsetのミュート加減なんかだ。

大きい音符ならほぼ無関係になるが細かいの特に休符の入らないのだと、出音が著しく音符より長いとスラーっぽくなっちまう。
近年のフル加工録音なら多少の「継ぎ目」は残るかも知れんが、ロール奏法との区別が曖昧化する。

これを逆手にとって古来よりロールが綺麗に連続する様に、Snareの響線は通常は締め過ぎ厳禁だったりする。
わ極端としても16分音符の連続では「刻み明瞭度」には、確実に差が出るんで向き不向きは出て来るんだな。

そんでフレーズにも向き不向きとかが出る他に、言うなれば「リズムの為だけのフレーズ」ってのがあるんだ。
これがプチギミック奏法ヲタとしては瀕死の危機感があって、有名なのだとGuitarカッティング等で自然と登場してる所謂「空ピッキング」の類ですねん。

俺に縁の無い最新高級音源とかだったらそのものが入ってるか知らんが、打込みでシミュレートしようとしたらエライ大変でしたがな。
リアルのギターだったら寧ろ左手の押えがいい加減でもオッケーな位、普通に弾くより簡単で楽なのにさ。

更にもっと危機に瀕してるのが鍵盤ので、この件に関してはエレクトーンの罪は万死に値するやも知れんよ。
ってのはいにしえのHammond Organでだったら可能だった、ジャンルに依っちゃ大変重要な「パーカッシブ奏法」が出来なくなってるやんけ。

んでそれはオルガン系の専売特許では無くて、クラビネットでもかなり行けたんだ。
拙ブログでは馬鹿の一つ覚え並のStevie Wonderの迷信が典型で、結構後年迄俺は何が出してる音なのかサッパリ分らなかったよ。(実音の分は最初からハープシコードみたいなのと分かってた)

これに加えこちらは今でも出せるけど、Bassスラップなんかには近似効果と用法のサムピングがあるよね。
鍵盤が最ローテクな俺からすると、鍵盤の技を何でも打込みで済ませたかったのに…。(虫が良過ぎるかもがそれこそが打込みのご利益じゃない)

これも広義ではリズム表現の放棄と見做せ、まるで何処でもマスクしてないと駄目より息苦しい感じだ。
マスクの方は以前から無理な人はしなくて良かったが、こっちは付けたくてもマスクが無い様なもんだから丸腰怖しだ。

もっと受身になりゃ可能な範囲で表現しろよもあるけれど、楽器演奏に自信の無い人から選択肢を取上げるのは立派な差別だから大嫌いー。
不自由にはなっても、せめてそう云う手もあったのよだけはお伝えしときたいのでし。

>おわり<

2023年6月 1日 (木)

音楽備忘録1385 一寸変な歌の練習方法⓫

今回は「喉声の限界」をサブタイトルにお送りするが、この現代に最もポピュラーな発声方法は声量より何より連続稼働に向いてなかったのら。
だから大して大声とか出してなくても声が枯れたりする訳で、本来断続的な会話とかの専用なのだ。

こないだも書いた通り人間って息しなきゃなんないじゃん、そうすっと自然体で居れば絶対に喋りには休符が入るん。
マシンガントークされると疲れるにしてもずっと休符抜きにするのはとても困難で、あれは音より内容分析が追い付かなくて疲れるんだ。

その様な状況下では一々腹筋を使って疲れる方が割が悪く、人の語りで皆が記憶してるのは殆どが喉声になるんだ。
それで紛らわしいのがアナウンサーやキャスターの発声方法で、一聴喉声にしか聴こえなくてもマトモな奴の正式なのは皆喉声じゃないのよ。

過酷な時は1日中喋らされるし、尺(制限時間)内に収める都合で自然体の時よりブレス回数を減らさなきゃなんない時とか出て来る。
大昔だとそもそもMicの低感度事情もあったろうし、今だって収録スタジオが騒々しかったら会話の声量じゃ足りなくなったりする。

そう云や俺は虫が好かんが台風の現地中継なんつうのは最後は絶叫するしかないが、正確なレポをするのに私情を排そうと極力普通の声色を出そうとしてるやろ。
その時のがポピュラー系Vocalのに最も近く、少しは腹声を使わないとそんなの絶対出せないんよ。

腹声は本来の目的以外だと太い声色になり易いとかそういうのもあるが、案外知られてないのが「歪むのを遅らせる」のが最大の効能でしてね。
喉声オンリーだとシャウトになっちゃう声量でも従前と殆ど同じ声色が出せるから、喉の過負荷を回避出来るん。

チト逆攻めになっちゃったが、それ故喉声ってな音量を出すのに不向きな発声方法なんだな。
全然声量を出さなくてもふざけて変な潰れたとかしゃがれた声なんか出そうとすると、咳込んじまったりオエってなったりする時があるやん。

自然体でなすがままならそんなに害悪は無いけど、大巾に声色が変えらたりする代わり喉への負担は最大級なん。
確かに一般体感からしたら喉しか使わんから楽と誤認しちまうが、実際には慣れの問題もあって決して低負荷じゃないのよ。

実際は足の小指をタンスの角にぶつけるのと同じ様なもんで、たまたま足指は敏感で喉は割かし鈍感だからそう感じないと。
これには理由があってアレルギーかなんかで過敏にならない限り、無意識な呼吸とか自然に食べ物を通過させるのにある程度鈍感じゃないと困るからさ。

もし呼吸10回迄は平気だが11回目から喉痛いとかだったらどないする?、食べ物を飲み込むのにも同じく11回目から急激に痛んだりしたらまだ満腹じゃなくてももういいやってゆくゆくは栄養失調になるがね。
この際畳み掛けりゃ普段の暮らしでしょっちゅう「心臓の疲れ」なんか感じた日にゃ、しんどくてたまらんわい。

っとつまり喉にはそんな特殊性があるんで、痛みやだるさだけで疲労度を感知しようとしたら無理があるねん。
例外があるとすれば風邪とかでダイレクトに炎症が起きてる時で、しかし大抵は全体に及んでるんで表面に限定すると痛さの割にはそんなに傷んでない場合があるんだ。

>つづく<

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