音楽

2019年8月22日 (木)

音楽備忘録⑮ Mixer卓の話しⅠ:入力Jackの実態とGainツマミ

今回からとある事情でクソガキに教えるニーズが生じたが、口頭だけでは忘れられるだろうし個人宛だけに綴るのも億劫ってんでこうする事にした。
また普通の説明書的なものならそれ自体を読めば済むので、書いて無いけど知らんと不便なのをなるべく取上げてくつもりだ。

普通なら信号経路の概略としてチャート図等から行くべきだがそれは取説に載ってるのもあるので、最初は入力Jackの実態辺りから始めよう。
その1は間違えて挿し込めちゃうヤツで、MicシールドからのPlugがPhoneタイプ(標準プラグ)の場合等。

昔は一般用のだとCannon ConectorなんてMicにも卓(ミキサー)にも付いて無かったが、最近は音楽用のとなるとPhoneの方が珍しくなった。
が完全に無くなっては居ない様でそうすると、現行卓ではLineレベル専用のPhone Jackに挿さってしまう。

他に電気楽器でもシンセみたいに出力がLineレベルになってればバッチリだが、PreampレスのエレキGuitar・BassのシールドでもPlugは全く同じのだから挿さっちまう。
が、それだと信号レベルのミスマッチ等で必要な音量迄上げられなかったり雑音がとても増えてしまう。

しかも近年は知ってる人には草臥れて知らん人にはより分り難くなったのが、CannonとPhoneの兼用Jackだ。
1つで両方扱えるのは場所を取らなくて良いけれど、Plugの抜き差しがかなり固いのが多い。

もし親切設計でどっちのPlugを挿してもMicとLineの感度切替が可能なら平気だが、誤った接続をしててもそれがとても視認し辛くなってしまった。
因みにPlug・Jackは抜挿しの固い方が接触不良が起こり難そうに思えるが必ずしもそうでも無く、固くて助かるのは間違ってケーブルが引っ張れても抜け難いのだけだ。

信号レベルミスマッチも含めその2のGainツマミへ入るが、そもそも卓にはFader(直線的に動かせるボリウム) って音量調節ツマミがあるのに何で2重装備されてるかだ。
これの意義は現代では「歪ませる心配無く音量調節が出来る」事で、完全では無いものの有無で結構な違いが出て来る。

理屈的にはGain(時々Trimとも表記・呼称)ツマミは入力感度最適化用で、Faderが音量調節用だ。
なのでどっちのツマミでも音量を変えられはするが決定的な違いがあって、Faderなら音量ゼロに出来るがGainではそれが出来ない。

この分業制度はその昔なら雑音低減にも大いに効力があったがデジタルではそれよりも、例えばソロの時に大きくして元へまた戻す場合を想像しとくれ。
音量ツマミが1つだけでも出来るけれどその場合一定値より大きくすると歪み始めるが、他の沢山のと一緒に聴いてると僅かなオーバーで僅かに歪み出しても感知し難い。

だが単独で目一杯弾いて貰って歪まない処へGAINを設定しとけば、その時Faderをフルアップにしといたなら後で歪む心配を無くせるのだ。
またこれにはもう1つ意味があって、Mixingのやり方を示唆してくれる。

もしソロパートのFaderをフルアップにしても音量不足だったらどうするか?、でも上記設定済みだったらそれ以上大きくしたらもう歪んじゃうから出来ないよね。
すると他のをバランスが取れる処迄下げる事となるが、それこそが正にMixingなのである。

この手の音処理作業では人は増やすとか加える方だけに意識が向きがちだが、機械には明確な限界があるからインフレ一辺倒なんて不可能なのだ。
必要次第で抑えるとか控えるって意識も大切で、実際の作業では盛るのと削ぐのの両方への意識が同等なのが一番好結果が得られるのだ。

因みに近年のPC USB接続オーディオインターフェイスだと、本体にはMic入力にGainツマミしか付いて無いのもあると思う。
これFaderはPC内のソフト(アプリ)に付いてるからで、ツマミの場所が実機Mixer卓とは分離しちゃってるが内容には違いは無いですから。

<つづく>

2019年8月21日 (水)

音楽備忘録⑭ Funkってどうすりゃ演れる

音楽の多くには感情表現が含まれてたりするもんだが、個人的にはFunkは自然とつい浮かれた場合のひとつの表現と思っている。
それも隠し切れぬ喜びが漏れるみたいな感じでいて他人へ特に強要するでもなく 、もし参加したければご自由にってな感じだ。

喜び表現でもBeethovenの第9なんかは世界にアピールしまくりパターンで、こう云うのだったら多少不自然でも強引な勧誘をしようとも極力大袈裟な方が適してそうだ。
何が何でも全員に分かって欲しいってんだから例え迷惑になっても、分かった分かったハイハイあんたはそんなに嬉しかったのねと思って貰う必要があるからね。

だが「隠し切れず漏れ…」となると実際には盛り上がるにしても、形態的には通常運転じゃないと駄目だ。
これは技術・手法的に極端なのは使えぬのを意味してて、その気持ちの再現ってか奏者にとっては演り難さのある方だと考えられる。

但し形に関してはJazzに迫る程Funkは自由で、例えばアンサンブルに於ける各パートのタイミングで見て行こう。
上出第9等では荘厳さを損ねてはいけないから、大きい楽器や音程の低いのが先に鳴ってしまうと安っぽくなってアカン。
一面でRock系ならZEPなんかが近い処があり恐らく意図的にそうしてるんだろうけど、「ZepでのJimmy Page」は何時も突っ込み気味で浮足立った感じだ。

だがそんなZepですらアクセント部分では普段より太鼓が後出しにはなって無く、先頭のGuitarは割と不変でもそれ以外のは順番が固定ではない様だ。
それがFunkでは重くても軽くても場所に依って変化してもOKなんだから、何時誰が先頭になってもビリになっても構わない。

差し詰めはしゃぐのが力士でもマラソンランナーでも、Funkyでありさえするなら何でもアリOKなのよ。
依って科学的分析をして再現させるのも特定の1つのだけなら不可能じゃ無いかもだが、無限のData量を克服する覚悟でもあるならお好きにどうぞとなる。

また各自に好みや目標とする音があるだろうし追及して損は無いけど、かなり近付けてももしFunkyさが劣っていたりしたらそれは本案件では不合格だ。
寧ろ目指したのと全然違っちゃってもそれよりFunkyになってたら大成功で、更に他の誰とも似て無かったらもう神の思し召しレベルである。
少なくとも運良くブームに当たれば大儲け間違い無しってなもんで、例え不幸にも儲からなくても一生モノの財産だ。

最近じゃ真昼間でも近所の幼稚園児の遊ぶのがウルサイなんてとんでもない年寄りも居るご時勢だから、大きな声で歌う機会が何人にも著しく少なくなっている。
なので昔より分かり辛くなってると思うが、人の声ってかなり似てる人が居ても完全に一致する事は無いよね。

これ楽器でも同じでどんなに似せても演る人が違えば、「本当にそのまんまを演った」なら却って同じ音にはならないの。
けれど「聴いた感じ」を同等にするのなら幾らでも可能で、「感じ」であるから極端な場合フレーズが全く違っていてもバレ無かったなんて酷い話も…。

手前味噌ると俺がそのタイプの典型だったみたいで応用性に富むのは良かったが、後になって過去にやったコピーがまるっ切り紛い物だったのが判明なんて悲喜劇に。
例えばGuitarソロだとすると独りで弾いてる分には結構だったが、キチンとコピー出来てる人がハモりパートを弾いてくれたらとんでもない前衛作品化しちまったなんてのが。😓

もしやこんな所謂お約束が少ないからFunkが割と得意なんて勝手に誤認してるのかもだが、兎に角譜面での記録が難しい物程感性頼みで演った方が良い。
し他にどうしろってのよ???。

<一旦本項漸く終了>

2019年8月20日 (火)

音楽備忘録⑬ Funkってどうすりゃ演れる

前回の「奏者観点で恰好付けてばかり居るな」はFunkだけでは無いが、やはりジャンル次第でご法度度にはかなりの差があると思われる。
例えばヴィジュアルMetal系等では全体の景色的美しさが大事だから、姿だって崩れては不味い。

Funkだって恰好は決して不要じゃないが、少なくともどんなのが一番恰好良いのかの価値観が違ってると言え様。
一部のを除くと黒人発祥系のに共通してるのは、静止してる時のじゃなく動いてる時の美しさを追及してるとも看做せる。

音の話しなのに容姿ってのも繋がりがあるからで、シワの無い衣装でミストーンだらけだったら見掛け倒しの典型になるからね。
これの逆に個性的な民族衣装を纏って居乍ら幾ら正確無比でも、没個性で冷徹な音を奏でるのもミスマッチだ。

尤も本案件に関してはそれより更に踏み込んだ部分が問題で、恰好っても服装では無く演奏時の様子と考えて頂こう。
一面で白人的美徳を奏でる姿の美しさ重視とすれば黒人系はその反対と言え、白は姿を黒は音の方を最優先とした風潮が感じられる。

Michael Jackson以降は必ずしもそうでは無くなったが、非常に微妙な面も想定されるが全盛期のFrank Sinatra(飽く迄イメージですが)みたいにスカしたFunkの人ってのは思い当たらない。

誤解回避をしとくと白人だって音を軽視してなんかいないけれど、LiveではShowとしての要素を重視してるのはBroadwayからの流れもあるんだろうか。
その証拠ってのもなんだが演奏や音質の総体的な出来栄えとしては、Studio録音のが上回ってる場合が多かったと感じられる。

それが黒人系では特に昔のになる程Live録音の方が出来が良く、これには主に2つその原因が想定される。
1つ目は録音環境の悪さであるがこれはLive時の方がマシとは言い切れんので微妙で、2つ目のノリの良さとか盛り上がりの都合が考えられる。

特にFunkみたいにお祭り音楽は人数が多い程盛り上がりも大きくなる訳で、幾ら奏者本人達だけがその気になっても「大勢の楽し気な笑顔」にはとても敵わんぜよ。
これからすると客が喜んでくれる程奏者ももっとFunkyになれる寸法で、他ジャンルにも無くは無いがその度合いが一番顕著なのは間違いの無い処であろう。

こんな話を持出したのも全くの私感だが最近の連中ったら昔のより皆恰好良いのに、どうもヴィジュアルに音が付いて来てない様に感じられたからだ。
この辺は音楽を聴くのにラジオからでは無くいきなり動画から入るのもありそうだが、聴者は見てくれ最優先なら今だってミュージシャンよりももっと綺麗なアイドルやスターに目を向けるだろう。

それでどうしろってば「音の魔力で恰好良く見える様にしちまいやがれ」で、時代遅れも甚だしい坊主頭の兄ちゃんだって甲子園のヒーローだと途端に恰好良く見えるのが参考例だ。
なので何人にも容姿を放棄しろとは言わぬが外からだけ攻めても中身の向上は難しい、かなりの練度を要しはするが内から攻めれば外にも波及があるのは確かなのだ。

Funkってのは曖昧の権化みたいな処があるから「一寸の差」が大問題で、それがどんな原因だろうと案外成立させる条件がシビアだ。
けれどももし気持ちをドンピシャに持ってけたら、驚く程急に簡単で楽しいもんなんで御座居やす。

<つづく>

2019年8月19日 (月)

音楽備忘録⑫ Funkってどうすりゃ演れるⅫ

そもそも今更Funkりたい人がどんだけ居るのか分からんが、耳に触れる機会が減ってるだけに何とも言えないと思う。
打込み若しくはClickに縛られた演奏の比率が上がってしまった今こそ、若い人に程是非体験して貰いたいもんだ。
その上で嫌っても全然OK、それでもその手の類のは色々と肥やしになる筈だから。

例えば近年では伴奏と少しリズムがズレた歌唱は、一部の民謡・演歌系等でしかお耳に掛れなくなったと感じている。
が聴いて気に入って口ずさむのに打込み程の正確さが要るのかってば、別にそこ迄は要らんのですよ。
極論すれば常人が簡単に理解出来る状態さえ確保出来てれば、寧ろ恰好悪くたって変だって面白い方が印象には残るでしょうよ。

これって俺的には1に過度な商業主義の大手レーベル、2に奏者の無理なナルシズムが原因ではと訝っている。
特に音楽への理解が足りない人が無理するとそうなり、内容で攻めらんないからその分を体裁で補おうとしちゃったかな。

1については内容の可否が分からずに立派な作品を意識すれば、リズムや音程にズレが無いとか歌詞に間違いが無いとか「その程度」の処で小奇麗にするしかないからのう。
或はオーディオで名門のあの会社のがこんなに低音質かよなんて思われちゃ敵わんから、兎に角雑音や「そう思われる可能性のある音」は一切排除しとこうなんてね。

しかし音質は良いに越した事ぁないが音色が及第点に到達して無いのなら、オーディオ的にグッドでも音楽的にアウトなんすがねぇ。
しかもなまじ音質が良いお陰で余計に音色の貧相なのがハッキリ分かっちまうって、何で何時までも気付けないんだか…。

因みにあれですよクドイがオーディオ的高音質と音楽的好音色は不一致の場合も多く、強弱(音量)や絶妙なタイミングのせいでこの違いが出て来んのよ。
故に全く同一の音色でも機械と人の生のでは差が出る訳で、理屈だけの追及では音楽は手に負えませぬ。

2については俺だって少しでも恰好はつけたいしまあ人情ってもんざんしょが、SNSの盛り過ぎ画像と同じで度を越せば後で悲劇が待ってるだけで御座居ます。
これ皆さんはどれ位お気付きか存じませぬが、盛り過ぎ画像だって静止画だからあそこまでやれるし少しは誤魔化せるのでありんす。

そうなんですよ音楽には残念乍ら静止画に匹敵するのが無くて、視覚のでだと動画のしか無いんですわ。
つまり顔真似の瞬間芸みたいなのが出来なくて、時間的にある程度継続させんと中々分かっては貰えんのよ。

静止画であれば一番表現したい瞬間のみを記録出来るし、見る側がその見る時間等を自由選択出来るので理想状態を連続させるのはいとも簡単だ。
だが普通は「止めたら聴こえなくなる」音楽等では最低でもベターな状況を連続させねばならず、依って大幅な改変は困難なのだ。

これを極論すればどうしようもない物を無理に整えれば、もし欠点はある程度殺せても魅力の全く無い物となるのである。
結果欠点の少なさでは打込みに負け、魅力が無いから手弾きした価値すらも損ねてしまうだけなのである。

これが特にFunkみたいに感性・手加減頼みのものとなると影響最大で、変換すると奏者を恰好良く見せるのかお客さんを楽しませるのかの究極の選択とも看做せる。
勿論格好は悪いより良い方がお客にだって貢献するが、誤った縛りのせいで和ませ損ねたら始まらないのだ。

まとめるとこの手の味が命みたいなのになる程、上記の優先順位の尊守が鍵を握ってるんじゃないだろうか。
もしかしたら昔は恐ろしい達人の生演奏に触れる機会が多かったので、今よりも踏ん切りが付け易かったのかも知れんが。

<つづく>

2019年8月18日 (日)

音楽備忘録⑪ Funkってどうすりゃ演れるのⅪ

跳ねなきゃFunkyじゃないかってばそうとは限らんのだが、要所で適度に跳ねさせるのが一番効果的だと俺は感じている。
フレージングの影響だって大きいし大事だけれど、真のFunkyは何物にも左右されない自由さが根幹にあるとも考えられるからだ。

これ演ってる側の意識には少なくとも俺は、跳ねさせようなんて一々思っていない。
単にもっと調子良く囃し立ててやろうなんて気持ちなだけで、それを後で分析してみたら多くは故意に少し跳ねさせていたってな按配だ。

こう云うのはある意味ひとつの自然現象で、生身の肉体を駆使して演奏してると発生するもの。
そこで過去体験の中からBandアンサンブルでの練習のひとコマを披露すると、唯の8Beatの全パートユニゾンで次の様な実験をした事があった。

フレーズと
テンポは固定しといて最初は目一杯軽くとか重く、果ては生真面目or超いい加減とかの感じを極力出してみようってなもんだった。
工夫を凝らさんと効果の程は定かじゃないが、誰でも少しは演ろうと思えばそんな真似が出来るのだけは確かなのだ。

その狙いはポピュラー系歌物グループの特に歌の伴奏時、余計な物を加えられないのでベーシックだけで表現しなきゃなんないからだ。
上記のを厳密に分析すると表情変化の主因がリズムタイミング以外の方が大きい場合だってままみられるが、この手のになると打込みで再現するのはとてつもない膨大な作業量になるだろう。

本項Ⅶで演り始め時期に打込み音楽が既に普及してたかどうかを問題視したのもこの辺で、頑張れば同じ楽器・同じフレーズ等でもかなり音は変えられるもんなのの認識に影響しそうだからだ。
人力の生演奏だと常に音が変わって当り前、困る時もある代わりだったらせめてそれを活用してやろう等と思えるかどうかなのである。

では機械比だと融通・応用は効いても著しく不安定な人力なのに、下手に安定を求め過ぎるとどうなるか。
訓練次第でかなり安定度を上げられるっても、肉体の構造自体を変えるなんてのは無理だ。
すると体で出来ない分恐らく頭の中を不要に「固める」事となり、発想や思考の時点で「変えられない回路」が構築されてしまいそうだ。

本項Ⅷの楽器のセッティング案件も同じで、演り始めにどうにも上手く出来ないなんて時は演り易い環境が必要だ。
それが将来的な各自の理想とは掛離れてても先ずそこからスタートしないと、上手く行かぬ主因が人なのか道具なのか等がサッパリ分からなくなったりするからねぇ。

これ等の発想時点からの相違をFunkじゃないけど例示するとして、今日はBeatles-Helter SkelterのGuitarにスポットを当てよう。
ヘビーにするのを最優先した点でMetal系の元祖と思しき曲だが、そのヘビーさの表現手段は近年のよりかなり多岐に渡っていた。

Guitarの歪み具合だけなら近年のに完敗だが、それとは違う部分で無茶な弾き方をしてるのが否応なしに分かる音とされていた。
それは弾く時に弦を無暗に引っ張ってからはじいてる事で、それに依って音の鳴り始めの音程が本来のより上ずってしまっている処だ。

普段エレキしか弾かない現代人は大抵は音量や歪みの増加だけで対処しようとするだろうが、アコギ等生楽器だと最大音量を何倍にもなんてのは不可能だ。
だがアコギ体験が一定以上あると音量がもう上がらなくなっても強く弾いたりすると、上出の俺言い「ピッキングチョーキング」現象が起こるのを知ってる者も居そうだ。

良し悪しや好みは別として昔は今みたいに1ヵ所を極端にするなんて無理だったから、今よりもあの手この手とあらゆる方法を駆使して賄っていたのである。
今だってこんなの知りさえすれば即使える技なんだが、先ずは気付けなけりゃ知るのも難しいからね。

<続>

2019年8月17日 (土)

音楽備忘録⑩ Funkってどうすりゃ演れるのⅩ

前回はそもそも普段から「ちゃんと跳ねられてるか」の問題提起をしたつもりだが、最初はこれの誤認し易いケースを例示しよう。
その1はシャッフルのジャァーカ・ジャァーカとジャッカ・ジャッカで御座居。

ジャッカと演らずジャァーカはそれより粘っこいのを狙ってるんだから、それだったら少し位跳ね損ねても平気そうに思えるだろう。
だがもしジャァーカ…の伴奏にタッタターなんてメロが乗るとどうなるかで、メロも極力だるそうに弾くとしても基本3拍子なので跳ね具合は幾らも減らせない。

伴奏はずっと1拍3拍しか鳴らさなくても、メロは2拍目だけ鳴らす様な場合も考えられるからねぇ。
これからすると跳ね自体をあまり劣化させるのは得策じゃ無く、跳ねてるのを目立ち難くするのが無難と考えられる。
しかし原因が何だろうと聴いた感じが似てると一々普段は誰も気にせんから、自分がどの程度ちゃんと跳ねられてるかを案外分かって無いままで居たりするもんなのだ。

因みに余韻の短い楽器ではジャァーカとジャッカの違いが殆ど出せなかったりもするが、曲の伴奏フレーズがいたずらに楽器の都合に左右されるのは感心しない。
例えば太鼓でClosed Hi-Hatの閉じ具合をわざと緩めたりした時に、他パートと音の伸びが逆になったりし兼ねんからねぇ。

次2(に)Guitarカッティングをしてる姿を想像して貰うとして、4拍子系はジャカジャカの腕(若しくは手首)の振りは上下等速だ。
それがシャッフルだとダウンから弾き始めた場合、アップの時だけ高速化しているだろう。

せめて逆順なら引力は何時も「下向き」だからまだマシだが、1拍目しか弾かない場合等も考えるとダウンスタートの方が演り易い。
その結果慣れて来るとダウン時はほぼ脱力のみでアップ時だけ急いで力を入れる様な感じになって来るが、それでも慣性と引力の両方と喧嘩するんだから最初からそれなりに労力を要すだろう。

これが人差し指と中指で弾く(ここでは主にBassを想定)のであれば、太鼓の両手Hi-Hatに近似なので出来栄えは兎も角労力は本来は少なくなる。
対して鍵盤系でコード弾きとなると達人だとダブルストロークを使うかも知れんが、多分一番労力も要して只刻むだけでも中々大変だ。

それで左手と右手に分割してブンガブンガなんて演るので良く代用されてたりもするが、実は疲れて面倒な弾き方に慣れてる人程跳ねさせるのが上手になってる場合が多いのだ。
っつうかそれ位大変でも最初から頑張ってないと足りるだけ跳ねさせらんない訳で、嫌が応にも自然と注意力が働いている事だろう。

太鼓や指弾きBassだって楽と迄は言えぬが、他の絶対にシングルストロークしか使えない楽器よりはかなり負担が少ない。
因みにⅡで是迄に登場させた4種の楽器をどれも扱った経験からすると、太鼓が一番この盲点ってか落し穴に嵌り易かった。

俺の中では太鼓が一番歴が浅いのもあるとは思うが、Hi-Hat若しくはRideのチッキだけに注意を払ってられんのもあるかも知んない。
それ以外の全てでも太鼓は僅かでも気が緩むとそれが現われ易いものの様で、実は肉体より精神エネルギーを膨大に要求される感じを受けている。

尤も他楽器でも目一杯の歯切れやノリの良さを追及してる時は、殆ど全精力をそこへ注ぎ込んでいたみたいだ。
もし精神異常等が無かったらとても悲しくて凹んでたら元気一杯の音にならないのは当たり前だから、少々厳しくても気持ちのままの音が出てくれてた方が正常だしちゃんと表現力も持ててる訳だ。

単に4拍子かシャッフル系かだけだったらテキトーに演ってもどうにか手に負えるが、跳ね難いのを跳ねさせるだとか標準以上のが欲しいとなると理屈や技術だけでは不充分な場合がとても多い。
変なアドバイスだがとても浮かれてる様な時に、先ず試してそれを記録しといてみては如何だろうか。
誰だって凹んでる時のよりは、きっともっと跳ねてると思うんだけどな。

<つづく>

2019年8月16日 (金)

音楽備忘録⑨ Funkってどうすりゃ演れるのⅨ

これだけ耳タコに唱えたので読者の皆さんの心の準備は整ったと仮定して、俺的に山場と思われそうな処を記して行こう。
やはり決め手は「跳ね加減」だと考えているが、自由に加減するには跳ねさせるの自体がある程度上手くなれないと思うに任せない。

これには勿論技術的な問題も含まれちゃいるが、それ以前に精神力とでも言うか「意志の持続」が結構難物と感じている。
速いシャッフル等でもしばしば遭遇するのであるが、僅かな気の緩みでたちまち跳ね足りなくなったりしちまうもんなのだ。

猛特訓でもすれば改善は見込めるけれどスウィング度の件と同様最適値は変動するので、実際に演奏してる最中に微調整が常に必定と感じられる。
そしてその度合いが限界速シャッフル等と殆ど同じ位で、これには以下の理由が想定される。

1.跳ねなくても演れてしまうものを跳ねさせ様とするから
2.カウントを常に全部を跳ねたものには出来ないから
3.加減出来る余地がとても狭いから

では順に内容詳説へ進めるが1と2には相関関係もあるが、スウィングみたいに必ず決まった拍で跳ねるとは限らないのが挙げられる。
スウィングのチィンチッキならキのタイミングは基本的に、曲やテンポ毎にほぼ一定で途中で変わる事は殆ど無い。

故に脳内カウントをそうセットしといて、それに基づいてせいぜい微調節を加えればもうバッチリだ。
だがFunkでは4Beatじゃ無く多くは「8」や「非3拍子系」のニュアンスを上回らせたいので、カウント自体は普通の8Beatであるのが望ましいしその必要性だって大いにあるのだ。

これでは「あしたのジョー」のノーガード戦法みたいな状態であるから極めて危険で、わざわざ必要時のみカウントとは違うタイミングで鳴らせってな最早拷問並なのである。
演奏はその多くが奏者の肉体的には往復運動となっているからリズムも普通なら表裏一体で、その為にカウントは大きな効力を発揮してるのだ。

ずっと同じ刻みならその丁度真ん中が裏となり、それが息を吸ったりバチを振り上げたりするタイミングとなる。
特に連続させる時はテンポと腕等の往復を一度上手く一致させてしまえば、ヨレ無い限りはズレる心配をほぼ無くせる。
無意識にそれをこなしてる事の方が多そうだが、それがFunkではある意味使えなくなるのだから一大事なのだ。

3については3拍子系でもテンポが速いと片手では3つ全部の音を鳴らせなくなったりするが、それでは2つで構わなきゃ余裕は大きく拡大するのかが問題点だ。
両手でやって良いなら左右を1拍だけズラすと片方につき休みが常に2拍入るから随分楽になるが、片手だと休みの入らない部分が出て来るよね。

無論限界速は数が減る程上りはするが上述の様な状況となるので、連続させる部分の精度が余程意識しないとどんどん落ちてしまうもんだ。
なのでタタタを無理無くこなせるテンポならこの問題は生じないが、それ以上の場合は本人に自覚が無くても大抵跳ね具合が劣化しているもんなのだ。

それが3拍子系なら他パートもある程度刻んでるだろうからまだ助けられるし、幾ら跳ね具合が悪くても拍子自体が違ってしまう恐れは無い。
つまり論理的思考だけに絞るとFunkは技術的にはかなり高難度と云え、それだけに数値的思考に基づいてやろうとするのは苦しいし向いていないのである。

例えば0.007%なんてのは桁数も多いから複雑化するが、感性を主軸にすれば何%だろうと「気持ち○○」とかもうちょい○○で済んでしまう。
只でさえそれなりのテクが要るんだから加減を「計る」の位は、つまりせめて頭だけでもなるべく単純化しておきたいとそう云う按配で御座候。

<続>

2019年8月15日 (木)

音楽備忘録⑧ Funkってどうすりゃ演れるのⅧ

今回はFunk以外にも大いに影響する「リズムの捉え方」についてで、近年は基本的に何でもピッタリ合わせるのが常識みたいになってるが…。
ポピュラー系では聴者の慣れも意識してかかなり一致一辺倒だが、民謡系や古典大編成オケなんかじゃ今だって結構鷹揚でも許されてるがどうなのよっと


今回案件は俺的には例え全く打込まぬ人でも打込みからの悪影響に流されちゃった感があるが、確かに露骨にズレてるよりゃピッタリしてる方が整った感じを受けるのは分かる。
けれどもそりゃどっちかってば「分析耳」的判断をした場合の話しで、単純に音楽とか曲を聴こうとしたらやってる事が分かる範囲でならズレの有無等大した問題でも無いのでは。

僅かでもズレるとヤバそうなのの筆頭ってば軍楽隊辺りが思い浮かぶが、それだって行進の足並みを乱さないなら上官に殴られはしなさそうである。
無論「合ったら駄目」とは言わぬが、さりとて常に何でも機械のみたいに一致してる必要性があるとは思えんのよ。

またリズムのみならず音程の正確性でも同様で、今でもClassic Guitarには普通はオクターヴ調整機能は非搭載のままじゃんか。
実用上取り立てて差し支え無いのもあるんだろうけど、それよりも微妙に音程に依ってズレ方が違うのがその楽器の特徴ってのの方が大きいと考えられる。

Acoustic Guitarでも金属弦のには一部で少し配慮されたのもあるが、何時まで経ってもちっとも主流にはならぬままである。
これ等は物理理論的にだと旧時代的でしかないが、音楽理論的には迂闊に排除・修正するとどえらい問題となり得る。

奏者の訓練段階で正確性を求めるのは自然だが、特例以外でまさか機械の音を目指しては居るまいね。
そっちの路線にもそっち用のスキルがあり対称的な部分が多いので、だったら今時楽器なんか弄ってる場合じゃない。

尤もより動物的にするにしろ機械的にするにしろ表現力が必要で、味方と敵の両方をある程度以上知っとかなきゃどっちだって不完全になる。
自分では機械っぽいと勝手に思い込んでても、皆の同意が得られねば下手すりゃ逆行させてんだからさ。

何気に精神論・観念論的に寄ってると思われそうだが、一旦無用な縛りを解かないと核心には到達出来ない。
そこで別視点から考察願いたいのが時代性で望んで無かった加齢を痛感させられるのは辛いが、Funkなんてもう50年も昔の古いものなのが厳然たる事実なのだ。

例えば物理量の基準変遷等にそれが現われてるが、本日の生贄はエンジン等の「馬力」でありんす。
俺が無垢な子供の頃はPS基準・生意気になり出した頃はPH基準、近年は電動物が増えたからか電気モータでも無いのにkWが基準と変化した。
これを意地悪解釈すると同一のパワーが、上記の順で段々小さい数値となっている。

これが又昔からkWがデフォだった電車なんかのモータだと逆行してて、昔の表記の方が様々な点から随分と控え目であった。
例えば昔は今以上に消費電流の増加に依って電源電圧の降下が著しかったので、その分を差し引いた値とされていた。
なので大昔の電車を今走らせると古くなってヨレた筈なのに、昔より妙に走りが元気になったりした様に勘違いし易い。

この様に背景ってか環境差等にも充分な配慮が必要で、全くの現代感覚のままで処理するとそれだけでもう再現性を悪くしてしまう。
しかしもし妙にFunkに心奪われるってんならそれって侍に憧れるのなんかと似た様なもんで、どうでも良い場面で拙者とかカタジケナイとかほざいて「なったつもり」から入れば良いのだ。

尤も受け身で良いなら本邦には得意な人の多そうな「形から入る」で構わんが、楽器を実際演奏したいとなると流石に外見の格好だけでは苦しい。
そこで上記例に従えば歩く時今の普通は手足の左右は互い違いに動かすが、侍は右手右足・左手左足を一緒に動かすなんてのがヒントとなる。

これは演奏のフォームなんかだって含まれるが、先ず第一に配慮して頂きたいのが楽器のセッティングだ。
一度マスター出来て慣れてしまえば殆ど影響は無くなるが本項ⅥでBassで触れた如く、あまりにもやり辛い状況ではまともな練習にすら中々入れないだろうから。

<つづく>

2019年8月14日 (水)

音楽備忘録⑦ Funkってどうすりゃ演れるのⅦ

ここ迄の俺の視点だと現代には少々感覚的に過ぎると思われるだろうが、しつこく感覚優先を唱えるのにはとても合理的な理屈があるからなのだ。
感性と理論はどっちかだけで成立しなくて常に両方あるんだが、状況や目的に応じて適した比率があると思うのだ。

以前スウィングもある程度数値化可能と書いたが別に俺が独力でやった訳じゃ無く、単に買ったドラムマシンにそう云うパラメータが用意されてたのが発端だ。
近年のとかPCでならビット数単位で微調節可能となってるが、件のは3%刻みって代物だった。

それでもあると無いとじゃ大違いで、それより以前のリズムボックスでは全くJazzっぽい刻ませ方が出来なかったんだから効果は認められた。
だが厄介だったのはテンポを大きく変えると同一スウィング率では駄目で、刻みが3%なのも
災いしてちっとも万能とは行かなかった。

その後従兄の処で教わったりプチ研究したりしてみればそんなの至極当然だったんだが、数量的に調節するにしても結局は耳で判断するしかないのに変わりは無かった。
この辺りが本日の要点なんであるが、打込むにしてもその人間の方が結局「分かって」無いと仕方無い処がミソなのだ。

これに関して俺が気になるのが打楽器を始める前から打込みが普及してたかどうかで、それ次第でリズムの基本的な捉え方に相違がある可能性が考えられる。
元の質問者は我々より大体20才位は若いので、感覚すら何となく数値変換して記憶してるのではって疑念が湧いた。

昭和の昔にだって博士チックとかアカデミックなのが一々好きな奴も居たが、普通Band内でテンポを示唆するには誰それの○曲より気持ち速い位とかそんな言い方じゃないと通じなかった。
最近では俺等も誰かさんの要望でClick使用・打込み併用だから♩=123でとかになってるが、少なくとも俺自身は未だに数値指定出来るメトロノームは不所持である。(スマホも無いので大😓…)

なので帰宅すればドラムマシンでもPCででも正確なテンポは把握出来るが、出先で個人ではその手の物差しは無い。
だが「幾つが曲に最適か」の判断が付いてからじゃないと、数値化しても全く無意味なのである。

感覚を磨くのにメトロノームはとても有意義で、誰それさんの場合興奮すると凡そ♩=5とか速まるなんてのは知っとくべきであろう。
しかし順番を間違えたらいかんぜよで、上記のも人が刻んだのを計測してるだけなんだよねぇ。

んで又ベーシックなのだと只打込んだだけじゃ4拍子系は跳ねたりうねったりはしないから、幾らそんなの聴いて練習したって跳ね・うねらせ系だと絶対ゴールになんか到達せんのじゃ。
加えて近年本邦の俺言い「無駄なハイテンポ」にも触れとくが、体験からはこれを含め過去に2度程そう云う時期があったのが思い起こされる。

1回目は’60代アメリカンPopsやロカビリー系の全盛時で、2回目がJ-POP台頭から今日辺りだ。
前者はJazzやCountryを極度に単純化したのが恐らく原因で、例えばRideからレガートを排除すると只の4つ打ちとなって隙間だらけになるからよ。

後者の場合もフレージングバリエーションが極端に狭く少なく、やはり隙間がとても生じ易くなっている。
本日の暴言1と先に予防線を張っちまうが、ローテクでアホでもシャカリキに速くすりゃ何とか間延びは誤魔化せるとな。
暴言2としてそれ故近年J-POPの全てに違和感を全く感じられぬのなら、どうせ無理だからもうFunkなんて諦めちまえってね。

飽く迄誇張した暴論ですので真に受けて落ち込む必要は御座居ませんが、それ位意識とか方向性が反対向きなのにお気付き頂きたいのでありんす。
万一Funkには適正に恵まれて無くても他にも面白いのが一杯あるし、どんなのが好きでも全然OKね。
けれどどうしてもFunkりたいってんなら、それにマイナスな感覚からは一旦離れないと厳しそうですぜ。

<続々>

2019年8月13日 (火)

音楽備忘録⑥ Funkってどうすりゃ演れるのⅥ

所謂Funkとは少し違うIsley Brothersも引き合いに出したが、変な誤解を与えてもいけないのでもう少し加えさせとくれ。
その訳をこれから暫し記すが他のと比べて一番ドラムに依存せずにうねっているからで、その原因の俺分析ではどうやらBassのノリが鍵を握っている様だった。

これを演ってるMarvin Isleyも時間の経過に沿って段々スラップを多用する様になってたが、スラップを不使用でもFunky度に何の差も無かった処が注目点だ。
イメージ的に近年だとFunk≒スラップな気配を感じるが、Funkの全盛期のBassには思いの外スラップは少なかった。

ちょっと意地悪になるやも知れんが非スラップでFunkyにするには、ある意味非スラップを感じさせぬ様なフレージングとタイミングが要る分高度とも考えられる。
それとそんなのを演ったFunkyな連中は余計な拘りとかが無かったからか、スラップも上手い癖に指弾きはおろか平然とピック弾きすら持ち出す始末であった。

かなりマイナーでコアヲタな例になって済まんがInstant Funkってグループのデビューアルバム、Get Down with the Philly Jump(’76)の1曲目が中々に凄い。
これIt Ain’t Reggae(But It’s Funky)ってのだが、オートワウの効果を最大限に引出す為かピック弾きになってるのだ。

俺みたいに古いのを聴き慣れていてもこいつ等以外でFunk Bassのピック弾きはAverage White Band位しか思い浮かばんが、内容充分ももしやサムピングが苦手なのかと一瞬過った。
何せ10曲中9曲目迄典型的なスラッピングが出て来なかったからなんだが、最後の最後に至って高速サムピングが炸裂し寧ろ一番得意だったのねとなった。

当時は他のでも今より曲中全部をスラップで通す方が少なかったが、その辺も含めてスラップに頼り過ぎる危険みたいなのを感じている。
スラップは効果を最大化しようとすると自然と跳ね気味になる事も多いが、それは必ずしも曲のリズムの完全把握とかノリに完全に嵌れてたから跳ねたとは言い難いのだ。

また全く個人的な掟!?だが俺はピックも指もスラップも何時も使いたいから、極度に奏法に特化した様な弾き方やセッティングは敢えて避けている。
高速スラップは軽く小さく弾かないと苦しいがその為に細い弦を低く張ったりしてると、今度は指やピックで太く重い音が出せなくなってしまったりする。

曲単位での変更なら楽器を持ち替えたりする手はあるが、それでは1曲の中で自由に適した奏法を選択するのが無理となってしまう。
現実的には普通のピックでは一旦意図的でも落してしまうと、休符が無ければ即持ち直したりは出来ない。
なのでどう頑張った処で完全に制約を無くせはしないが、曲事情では無く奏法都合でAmpの設定を毎回変えるの等は配慮さえしとけば回避出来るのだ。

この様に何時でも何処でも使える様にするには悪い意味での最適化が為されてては不都合で、それはリズムのタイミング等の件でも同様だ。
今回案件では編成・奏法に頼り過ぎていたら危険かもって事で、初期のChuck Berryみたいにバックが全員JazzでもしっかりRock出来ればもう無敵だ。

そして奏者がそう云う状態になれた時、何時でも何処でも必要とあらば必要なだけ跳ねさせられる様になれると思うのだ。
取組み始めは分かり易いのからの方が断然良いが、本質をマスターするには「見付け難いが跳ねてたじゃん」みたいなのが最高のお手本となるもんなのだ。

<つづく>

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