音楽備忘録1578 サチュレーションの話し➐
ここ迄の記述からサチュレーション概念は、苦肉の末に生まれたのが少しは分かっただろうか。
って事ぁとても残念だが、劣化レスで得るのはほぼ不可能なのだ。
近年の大レベル部にだけ掛る発想なら劣化は部分的になるが、サチュレーションは単なる頭打ちでは無いから似て非なるもの。
現況では何処迄妥協出来るかの問題となってるが、やはりなるべく劣化は減らしたいよね。
ここで紛らわしいのが物理的単体スペックで、大体は「単体聴き比べ」だとスペックの優れる方が聴感も良い。
しかしこれに大きな落し穴があって、アンサンブルや楽曲として聴くと↑なんて幾らも効果が無かったのを思い知るんだ。
私体験ではデジタル化黎明期に曇りの無い音色は素晴らしかったが、後からそんなのには弱点があるのに気付いたんだ。
一定水準以上の装置・環境ではその魅力が発揮されたが、どれかが一寸劣ると途端に唯のハッキリしない音になっててさ。(つまりとっても打たれ弱い)
サウンドとしては相変らず「綺麗っぽい」んだが、音楽の内容を聴こうとするとパーでんねんに。
杜撰大王自身も音響技師兼任なんでついオーディオ的美麗さに惑わされるが、先にアンサンブルとして成立してなきゃ何の意味もないんすよ。
そこで杜撰流では常に他パートと併鳴させて判定する事にしてて、そうすると事前予測はかなり裏切られるケースが多いんだな。
のがサチュレーション案件には特に重要で、言うなれば音の第一印象と聴き込み後印象のせめぎ合いってなもんよ。
生楽器なら電気楽器程元からオーディオ的にチープじゃないけれど、現実的には環境の影響を最も受けてるんだ。
故に日常平均聴取環境だと、楽器から出てる音からは一定程度劣化したのを皆は聴いてるのよ。
つまり音響技師>音楽家>一般聴者の順にオーディオ的音質が気になってんで、その様な専門家の偏寄を先ずキャンセルしないと仕方ねえんだわ。
因みに一般聴者だってオーディオ的高水準を好む者も少なくないが、彼等は楽曲(少なくともアンサンブル)が完成してからのしか弄れんでしょ。
のがこっちはなまじ先に弄れちゃうもんだから、雰囲気をスポイルしちゃいないか元から余程気を付けにゃイカンのにさ。
そうしてみると幾ら目立たなかろうと、無歪みからどっかで歪みアリに変質する様なのはとっても扱い辛い。
要するに両立させられる調整ポイントが無くなって、最高音質を目指したつもりが局所的大胆な妥協を結局は強いられてんだ。(普通サチュレーション擬きの常時発動はレアケースだろうから)
もし無理に抗おうとすればどっかの一部劣化Popsみたいに、ほぼ全てに歪みを付加しとくなんて愚策も…。
等とド真ん中直球でディスるのは盛り上がり方向はまだ許せるんだが、大人しくする方に何時も変な濁りが付き纏ってどうもスッキリしなくなるからだ。
なるべく露骨な圧縮感や歪み感を排除する為のサチュレーションなのに、それじゃあ正反対にしとるやんけ。
しかもそれでいて大胆にDistortionやFuzzを通したのより刺激に劣るんだから、どっち方向から眺めても中途半端でいけねえよ。
-つづく-
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