音楽

2022年6月27日 (月)

音楽備忘録1047 バスドラ 足のダブル奏法書き漏らし④

この項は珍しく今回で一旦店仕舞いさせるが、充分なストロークにばかり拘ってたら速度を上げるのには向いて無いがの件を。
だからこそホントに自然体で上手に演れてる人の程「とっても小袈裟」に見えたりするんだが、根っこは速度に執着してるのが俺には裏目になってたらしいん。

足・脚の動作完成前に速度に気を取られると、要するに毎度の古っだが「慌てる乞食は貰いが少ない」になるんだねえ。
是又俺にはスピキンのご利益だってあったけどそれはキッカケがメインで、踏みの軽さのお陰で以前には無かった継続させる欲が湧いたのが
少しは効いたか。

それで少し挑戦し出してみると幾ら最大が強くても、より問題になるのは最弱っちまった箇所の弱さでしたん。
なまじまあまあパワフルに行けてると一寸の弱さが際立つもんで、先ずはそれを如何にして駆逐してくかが課題になったんだ。

速度と爆音に深入りしてく程継続力がものを言うのを痛感しちゃって、それは実際の楽曲中で好きな時に好きなだけ入れるのに必須でさ。
杜撰式の奇怪な視点かも知れんが高速化すると1回の時間ってどんどん短くなってって、幾ら凄くてもホントに一瞬だけで終っちゃうじゃん。

ゆっくりだったり1回りがそこそこ長いフレーズだったら良いんだが、幾ら手とのコンビネーションを交えてもバスドラって手みたいに音色のバリエーションは持たせらんないっしょ。
何しろ手と違ってぶつ場所は、一旦セットしたら途中ではほぼ変えられないんだから。

この面でフレーズ以外に際立ったインパクトを与えられんとなると、戦艦大和の主砲より機関銃的戦法を取らざるを得んのですよ。
実は杜撰と脚には絶大な自信の揺るがない拙者にもその筋ので苦手なのがあって、Philip Baileyは’84年のアルバムChinese Wallの8曲目Time Is a Womanの終りの方であのPhil Collinsが踏んでたヤツだ。

それが「(ドド)タドッドド タドッドド タドッドドタンド」でなってたので、技術的には超速ダブル裏拍入りの3連ちゃんって俺麻雀は全くわっかりっましぇーん○×△□。
じゃ無くってタドッドド1つだったら本家より全然速くても平気なんだけど、続くと2つ目の途中から怪しくなって3つ目には破綻してたっつう。

稚説明じゃする意義が怪しいが一応:冒頭の()は前の小節だが演奏技術上は連続してるので付記、タ=Snare,ド=バスドラ…のつもり。
今はもう1つから6つ位迄は連続しようとどうしようと随分自由になれてるのに、ちっさい「ッ」の給付が…なら入った方が良いが…休符が入るとどうも調子が狂うみたいでねえ。

もしかしたら従兄の苦悩を俺版にしたらそんな感じなのかなって思ってんだが、盲点っつうかピッチャーの球種次第で投球時に出ちゃう癖みたいなのか分からんが。
しかし非利き腕が表拍だと練度か足りる迄は少々違和感を覚えるとか、もっと典型的なのだとギターのカッティングで拍の表裏がダウン・アップになるのを逆にしようとしたら相当大変だってのはあるよね。

最近漸く克服の兆しが射し始めてるがここ迄の自己分析をしてみると、ダブルは並速のでも完全な連続か独立してるのが殆どになってた様でね。
その中間領域(少しだけ間が空いてる)のは幾らもやって無くて、それが「予備動作寸前」の状況不備に繋がってたみたいなんだ。

体質から来る癖としては個人のスタイルとも看做せなく無いが、もっとバリエーションを増やしたいとか先へ進みたいとなると取敢えず不慣れなアプロ―チも試しといた方が良いかなって。
そうした処で適性が無ければ頭打ちになろうし、出来る様になったからって日常的に活用する様になるかは分かんないけどさ。

只例えば「あのお方なら流石にこの程度のだったら朝飯前だろう」で依頼を受けたりした際、無自覚なままで居ると迷惑を掛けたり評判を不要に落す懸念はあるよね。
とかく音楽界ではメニューはシェフお任せみたいなのが多いが、出来るのと出来ないのが最初から分かる方が頼む方も頼まれる方も良いと思うんだ。(何でも出来ちゃうのがベストではありんすが…💦)

<おしまい>

2022年6月26日 (日)

音楽備忘録1046 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題➄

今回のでは又一段と前振りが重たくなっちまったが、ポピュ系でのプロデューサ・ディレクタの重要性を知って貰おうと思って。
どんなジャンルでだって有能な↑だったら居た方が有利だが、私的にはマイナスにならない限りポピュ系では居て貰った方がと考えている。

最も端的に云や1人でも多くにウケたいなら、作る時点で可否判定をする人だって多い方が良いでせう。
って余りにもバカっぽいけどコア系と違って、「価値観が特定範囲内のチーム」では見落とし聴き洩らしが避けられないだろうからね。

それに何たって配慮しとくべきなのは、一応俺言い「演り専と聴き専」の問題なのだす。
中には前回述の仙人達!?みたいに上手く両立出来てるのも居るが、沢山自演すればその分他人のを聴ける時間は必ず減るですからね。

とは言いつつプロですら最下層の俺みたいなのだと別途お雇いがほぼ不可だし、無名で低予算だとマトモな人にありつける可能性が限りなく低い。
に加え昨今の芸能界闇案件から世間的イメージは最悪で、人の作ったのにケチ付けるとか勝手に改竄するだけの人と思われがち。

けどポピュ系ではより多様な価値基準での可否判定に、コア系ではオリジナリティの確認には居て貰った方が明らかに有利なんだ。
コア系では専門には造詣深目な人が多く、それからしたら「これはまだ誰も演って無い」なんてのは分かる筈だ。

が特にテク寄りのだと関連性の弱いジャンルで既に演られてた際、当人達はキャッチし辛いっしょ。
それがヲタの中にはジャンル不問で演奏技術だけを追及してるなんてのも居るんで、そんな連中から知らん間にディスられたのが一般へも浸透した頃にはもう打つ手が無くなってるとな。

この件出版界なら校正・製造業なら完成検査とか、他分野では意識的に別人に委ねる方が普通なんだけどな。
と分かってたってそんな環境に縁遠い中からの体験を披露しとくと、独立プロデュ・ディレ不在だからって全くオリジナル開発が出来ないって訳じゃない。

けれど不確かなのの確認に割ける時間も限られたりするから、アイデアの内実施出来るのはかなり減ってるよ。
安全策で敢えて「既にどっかにある」つもりで採用するとか、一歩間違えりゃ卑屈臭を撒き散らすリスクと闘いながらね。

これが又結果的には並レベルになってるが、従兄みたいにバカ正直な人には余計難しいらしくてさ。
最初はかなり独特だったのが危険性排除が綿密過ぎたか、可も無く不可も無くとか毒にも薬にもならないなんてのが多くなってって。

しかも悲劇的なのが↑のストレスに耐えた弊害か、他人に指摘されるのをより嫌う傾向が芽生えちゃって。
音楽の作る人と確認する人を野球に置換すりゃ、作る人はバッター・確認者はキャッチャーみたいなもんじゃないかと思ってんだ。

得点の可能性を増すには失敗を恐れちゃ駄目で、けど失点を最小に抑えるには失敗こそがご法度と正反対。
単に激務だから捕手で打てる人が少ないってより、真相は培ってきた習性の切替えが簡単じゃないからなんじゃないかなぁ。

更にそんな環境下では作者・奏者が兼任も多く、作る方で高まったある種の保身傾向が演奏に迄及んでって…。
って誰でもなるもんじゃないだろうが現に従兄は、長年苦労して培養して来た「教えるスキル」から余計な影響を多大に受けてまだ苦しんでる様に俺にの目には映ってる。

って事って珍しく本日のマトメをしとくとポピュラリティとオリジナリティって一見表裏な様でいて、挑戦する上での根っこは同じだと思うんだ。
して次回は兼務の向き不向きに言及するつもりだが、どっちだったとしても落胆なんてしなくて良いとだけ吠えとこう。

<つづく>

2022年6月25日 (土)

音楽備忘録1045 定番と奇抜➋

どうせ12音階に始まって流行やら何やらに縛られるんだから、ジャンジャンパクったってどうって事ないっしょって!?。
本音だと俺はそんなの全否定だけど敢えてそこを不問としても、そんなに卑屈になる位なら今や作曲なんてAIにやらせちゃっても良んじゃねっと思うのよね。

近頃の日本の歌詞の文学的芸術度の高さには感服致しますが、前回のネタの件同様言葉に頼り過ぎですよそんなじゃ。
っつうか自分が国語とか文系が不得意だから良く分かっちゃうんだが、そんな風にされたら文学力の足りない俺の行き場が無くなるのどないしてくれはるん…。

なーんてーと老害の保身にしか聞こえなくなりそうだが、文学力のある人だけが面白いのに気付けたり浮かんだりする訳じゃないよね。
これを杜撰大王流に正しく表現させて頂くなら、折角文学力があるのに僅かな不足を汚音で補って誤魔化すのは勘弁しくとれやすとなる。

毎度乍ら他人の趣味にケチ付ける気は無いが、「音だけの価値」を損ねる様な部分があるならそりゃ立派な侵害にあたるからねえ。
何より劣化本邦の主流系に晴れない疑念は、言語主軸にしては伴奏が出しゃばり過ぎてるし無駄に長いIntroやOutroがやたらと付けられてる処。

いきなり歌から始まるとか演奏オンリー部が最低限になってるのの方が多かったらディスらんが、普通に作ろうとして物足りないのを後付けの奇抜センテンスでって舞台裏がダダ漏れも同然じゃあさ。
ってこっちが勝手に断定するのは失礼だろうが、未完成で提出して減点されるのは子供の夏休みの宿題だってそうなんだからね。

とは言え愚痴ってるだけじゃしょうがないから何故なったと掘ってくと、作詞者とプロデューサ・ディレクタの文学スキルに大差があるからなのかも知れない。
毎度の手前味噌だが30~35歳頃に居たBandが丁度そんな組合せになってて、東大出の作詞者と理系編曲者(俺)且つ俺以外は平均プラスαの国語力の持ち主で。

準屁理屈だろうが当時の関係者の中で俺だけ飛び抜けて低レベルだったから、一寸怪しくなれば誰かから助太刀があって事故には至らずに済んでたんだ。
それでも歌詞の読解に掛る時間に随分差があって、是又たまたま楽器や録音に関しては携われるのが俺だけでそれなりに時間が掛かっちゃってたから間に合ってたってな調子よ。(威張ってどうする…)

それが効率一辺倒の大手系では製作者に与えられる時間がもっと限られる上、体力的操作負担は減ったが格段に複雑化した機器操作に翻弄されてりゃ誤字脱字すら見逃しちまう位にもなり兼ねない。
↑の効率って真の意味では余裕の増加も含まれてて、無駄骨減った分を本業のミス駆逐へ回せるってのもあるんだけどさ。

雇う側がパープリンだと目先のお金でしか裁量出来んもんだから、とってもリンクの悪い分業にしちまってたりな。
プロ・ディレに歌詞読ませて中々分からんなら待ってらんないから、ほんじゃお前ら音だけさっさと仕上げろよ…なんてなってるかどうかはアタシャ全然存じませぬが。

でも命じてようとそうで無かろうと、そっちへしか行けないとか行き易い環境にしちゃってるのは確かだしょ。
んでそんなある種の内部分裂があると、夫々は自担当のだけで面白味が足りる様にとかってなり易い。

情けない話しだが双方相手の取れ高が良く分からんから、大事な一言の処でだけ刺激的な爆音を付けちゃったとか。
以上に勿体無いのが相乗効果の逸失で、俺が近年劣化J-POP系の人達にグループの魅力が殆ど感じられないのはこれもなんだ。

尤もそれでそこそこ距離を取ってるから辛うじて日常の平静が保ててる!?が、どうやら極最近はもっと状況が悪化してるらしい。
従前のはシレッとモロパクリみたいな犯罪のを除けば、間の悪さやミスマッチ程度で収まってたんだけどね。

<つづく>

2022年6月24日 (金)

音楽備忘録1044 音質の硬い柔らかいの真実➍

この辺で1回確認を入れとくがこのテーマを論じるに際しては、個人の好みはこう見えて完全に封印しとります。
もし簡単に異論が過ぎる様なら、大変失礼乍らそれは未体験で知らないからに違いないッス。

いきなりで気分を害されたら申し訳ないすが、殊日本に限ればそうなってしまった原因は殆どの貴方自身にはありませんからそこはご安心を。
何しろ本人の本物の音を聴きたくても、そんな場が今は99%用意されてねんだから。

只真実を知らないままでは作るのにはとても困るんで、自らの創意工夫で何とかして手繰り寄せなきゃなんないんだ。
って事って今日は生楽器で生音が爆音なのを中心にお送りしますが、喧しいヤツはやはり前回エレキの同様「距離」が焦点になるずら。

PianoでもGrandで奥行きが180cmを超えると、昭和の昼間の応接間でも窓を開けるとお隣から叱られる程度にはなる。
管楽器も教育用のリコーダ位でギリギリで、打楽器ではほんの極一部以外は爆音出るだす。

これ等で要注意なのは普段から奏者と聴者では聴こえてる音が「違ってる」点で、奏者へのそれは本来の理想とは異なった音色や硬さになってる処。
唯でさえ憧れのお方の音を奏でてる本人と同じ位置でなんか聴けないのに、録音やPAでも変わっちまってんだから。

んでそんな俺言い爆音系楽器の多くは当り前だが奏者耳破壊が目的じゃなく、その殆どは遠く迄聴こえる様にした結果なだけなのだ。
しかも楽器らしい音となるには離れたからってボケたりしちゃ駄目で、種類にも依るが設計提供エリアは数m以上のが多いと思うん。

特にプロの常用を狙った高級なのなら尚更で、例外があるとしたら録音専用等と銘打ってるの位じゃないかな。
にも拘らず「本来の聴取位置で狙った音色になる様修練を積みましょう」とか滅多にお目に掛れず、教える側(プロ)にしてみりゃ当然過ぎる最低条件だから却って盲点になってんのかな?。

何れにしても殊「硬さ」に関しては距離の影響は大きく、しかしBeatles後期以降のポピュラー系はOn Mic収録が主流になったから関係無い…と思うのは早計ってもんだ。
Ringoがやりだしたのにはステレオ効果の更なる活用意図も含まれてたが、主目的は当時の普通で録ると当時の普通で聴いた時に想定より「音が遠く」なってたりしたからなんだ。

その後の録音がデジタル化する迄のだって一部には盛り過ぎたのもあったが、やはり「録ると変わっちゃう」のを補おうとしてでね。
だから奏者に聴こえてたのが録れてた訳じゃなく、では奏者耳には記録されてるのよりもっと硬かったかったら否だ。

特に打楽器系ではアタック音がとても短く、かつてののろまな録音機材じゃそんな瞬間的なのは全然反応が追付かない。
ので「録れない」のにわざわざ苦痛に耐える理由は無いし、録れる範囲の音の何かで工夫するしか無かったん。

最近では著しい音響機器の性能向上とインナータイプでの聴取が増えたから昔とはかなり違って来てるが、それで聴こえる様になったっても瞬時の硬い音は鳴ったかどうかが分かる程度なのは一緒のまま。
んで上記をご理解頂けてれば俺言い「不要パルス攻撃」には遭い難くなるが、1970年代以降の楽器には一部にこの面で「裸の王様設計」されちゃった残念なのも散見される。

これについては次回に詳述するが、楽器自体が人耳に攻撃的過ぎたら別の手段を講じなくてはならない。
この手で厄介なのは俺からしたら選択ミスとは言え大抵は明快さを求めてだから、パルスを隠蔽しようとミュートしたり高域を削ると所期の要素が反故になっちまう処。

最悪耳を犠牲にしてでも苦痛を耐え抜くか望みとは正反対の寝ボケた音色を甘受するか、最も嫌なの2つから選べって訳だからかなり苦しいぞ。
何せ今は昔と打って変わって音はマイルドにするのがとっても大変になってっから、この面からも希望よりゃ柔らかいのを選んどいた方が無難だと思うんだけどな。

<つづく>

2022年6月23日 (木)

音楽備忘録1043 バスドラ 足のダブル奏法書き漏らし③

さて如何に無礼講不問に近い間柄のドラム講師の従兄と言えど、最初から生贄目的だけで終らせるつもりは無いんでその後の成長もちゃんと綴っときませう。
杜撰大王は雑で粗野だけど行為や錯誤には激怒しても、人自体を延々ネチネチ恨んだりするのは大嫌いなんすこれホント。

ってかどっちかったら自分がやらかし易い口なんで、仏の顔も三度が一度になっちゃったら困るだけって説も…。
さてさて要約すれば従兄の低迷は体調不良と「自分じゃなくて生徒にさせる」に特化し過ぎたせいだったみたいだが、結果的に何時の間にか実践不向きになってたそうだ。(それで今録り待ちさせられてる~ぅ)

だからこの件についてでも脚だけとか・前後にこれをやり難いシチュエーションの無い状態が多かって、学びたい人に分かり易い試技には最適でも実用に難だらけになっとったん。
低迷期の従兄がトゥ→ヒールで難があったのは、兎に角トゥ時の爪先の上りが不足気味且つ不安定だった処。

それでもプチ失礼乍らもっと昔みたいに単打でも非力だったら良かったんだが、そっちだけ先にパワーが出せる様になってたのがこの件では多分不味かった。
従兄は膝・腿・腰より俺言い足首優勢タイプだったんで、ベタ足とか他の方法でも可能な単打でも足首依存度が低くなかったらしいん。

しかも生来の左利きを親に矯正された(昭和頃迄日本じゃそれが常識だった!)せいで神経に無理が掛ったか、一般比(この場合は生来が右利きの人)だと一切合切が逆転してる傾向が未だ少なくないんだ。
なのでダブルもヒール→トゥの方が得意で、俺にしてみりゃ良くそれで2発目を大き目に出来るもんだと驚愕ものだったん。

尤も暫く経ってから分析したら「彼の出せる最大」を出して無かったから、そんなバランスも可能だったんだけどね

わ兎も角技も凄いがその使い方が更に上手なもんだから、最適じゃなくてもどうにか切り抜けられちゃってたんだろうな。

で大過去述だが脚だけ膝だけでも可能なのを殆どので足首主導で行く癖が付いちゃってたんで、バネ最弱スピキンみたいのになるとペダルの予備動作がかなり不足になっちゃってたんだ。
俺はゴリ脚が健在なのでずっと先にならないときっと体感不可能だろうが、筋肉のどれかへの最大負荷を抑制するには複合動作の方が明らかに良い。

具体的には爪先支点で足首に依る蹴りを脚上げの初動に利用してて、脚力に恵まれて無かったらそうでもしないとたちまち草臥れそうだからねえ。
従兄は必須な程弱脚では無いんだが、長く安定した演奏をするにはエコな方がそりゃ絶対良いからね。(達人限定)

けど「最初がトゥ」 じゃんけん…じゃ無くっ
て…に限っては、脚よりビータの返り(ペダルの予備動作)→フットボードの所要上昇を最優先にしなきゃ無理だべ。
原始的ベタ足(アシモ君のとかじゃ無く大昔の玩具のゼンマイロボットみたいな単動作)主体の俺ですらバネ力と音量のせめぎ合いで腐心させられたりしてたんだから、幾ら超絶達人従兄でも2つも不利があっちゃそりゃしゃーないって。

これで最近痛感したのは実際の動きの本人への見え難さで、ビータがバチ位の長さがあったらもう少しは視確認出来るんだろうけどねえ。
いやさバチだってBuddy Richみたいな超速になると、大昔の漫画表現みたいに1コマに1本が10本近くに増えたかの様になっちゃったりするけどさ。

なのでそりゃ音量も音色もどうでも良かないが、先ずはフルスイングを心掛けるのが大切なんじゃないかな。
最大ではどれ位足・脚のストロークが必要なのか、色々技に入るより先にしっかり体に覚えさせられてたらね。

そしたら文字通り「二の足を踏まされる」様なのは、かなり減らせると思うんだ。
それからすると習得にはフットボードの割に沢山ビータが動いてくれちゃう様なのは不向きで、欧米人よりゴツイペダルを好む人が多いってのも実にナンセンスでんな。

っと嫌味の1つも漏らしたくなる位、結構その筋のあちらの本家って案外今比じゃ華奢でちっこいの使てたんだ。
全くDrummerじゃ無かった頃は全然感じなかったのに、今はSpeedkingに狭っ苦しさを覚えてたりして。

<つづく>

2022年6月22日 (水)

音楽備忘録1042 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題④

字面だけだと前回迄のはどうも老害臭が強くていけねえが、唯長く虐げられて来た!?内に薄々気付かされちゃっただけで全く偉くも何とも無かったんで御座居。
それを何で上からっぽくなったかったらこんな杜撰君でも感知出来るのを、下手に同調圧力に屈したり迎合すると不感症になっちまうからなのよ。

必ずしも決まった形は無いけれどポピュラー系の人が常識人・コア系の人がヲタとは限らず、少なくとも本人の願望としては逆になってる方が多いんじゃないかな。
今劣化本邦迄来ると内容不問の強引な承認要求オンリーになってるのも散見するが、大元の構造は「隣の芝生は青く見える」だと思うんだよな。

それって「無い物ねだり」の一種かもだが、人間のバランス感覚としては寧ろ↑みたいな俺言い「逆追い」で正常だと思うんだ。
どんな小食家でも何十年も飲まず食わずは無理だし、どんな大食漢だって毎食大食い大会ってのは生きて行くには出来ない相談でしょ。

こんな人生を歩んで来た位だから俺の感覚なんて信用に足りんかもだが、周囲の人のポピュ系作品で長く印象に残ったのは作者が普段対外的にはヲタ系の人のに多かったな。
ポピュ系の人作のポピュ作品だって決して劣ってはいないんだけど、オリジナリティっつうか想い出させるキッカケみたいな部分が弱くてね。

一般の聴き易さに関しちゃポピュ系の方が専門なんだから勝るんだが、ヲタよりゃ他人の顔色伺いをし過ぎ易い。
それって基本的な方向性としては正しいんだが、どう頑張っても通用しない相手が一定数は出ちまうもんなのよ。

特に今劣化本邦って非共産主義では恐らく同調圧力最高点で、しかし案外建前だけで本音は仰天する様なのを秘めてる人も少なくないからねえ。
ので私的には今大手の顧客リサーチって最低で、本当は一々ケチ付けて来るのとか毛嫌いする様な連中をもっと分析しなきゃ駄目なんだ。

何等の価値観へ寄せたとしてそれがヲタ対象なら徹底出来るが、一般相手だと流行位はあっても決まった形ってのが存在しない。
つまりは「一般が許せるプチヲタ」を、制作側で先ずは編み出さなきゃ始まんないのよ。

BeatlesやStonesも当初は英白人なのに音は米黒っぽいを掴みにしてたし、Michael JacksonはSoloistとして最初のスタイルは↑の逆を採用してたっしょ。
彼等は自らのヲタ性を敢えて完封しないで、わざと少し漏洩させる事で他との差別化を図ってたんす。

その具体一例として今日はGeorge Harrisonのあるカバー曲を取上げるが、当時あちらでは大ヒットとなったGot My Mind Set On You(Cloud Nine)ね。
俺はかなり好きでも少なくとも当時は黒系ヲタじゃ無かったから気付かなかったが、親友のその方面の権威は完全に意表を突かれたと驚いてたんだ。

その権威ヲタ君自前の膨大なレコードライブラリ(杜撰の親友だから勿論中古中心!?)のお陰でそんな曲があったのは概知だったが、マイナーだったし全然パッとしなくて潜在的ヒットの可能性無しと判定してたんだって。
George先生は原版リリース時にリアルタイムだったにしても、先ずそんなのを知ってて覚えてて即座に演れたってのが尋常じゃない。

尚且つ曲自体は一切改竄せずに全米No.1に押し上げたって神業の極みだが、それ以上に原作者以外では恐らく地球上で唯一潜在ポテンシャルを見抜いてたって一体どんだけ―って。
この面に関して日本版にしたら山下達郎みたいなもんで、異常に詳しく且つ日常的に触れ続けてないと不可能な芸当やがな。

<つづく>

2022年6月20日 (月)

音楽備忘録1040 音質の硬い柔らかいの真実➌

今回は達人達の録音とTour Liveでの機材差を副題とするが、かつての洋楽では本国での録音時の情報が僅少だったのとも関係が深い。
それでも日本でエレキBandが珍しかった内は全て持込んでたのが、世界的時代傾向も伴って途中から徐々に違いが増えてったのがある悲劇の源となっとるん。

人に依っちゃ信じ難いだろうけど日本ではその幻影を未だ引き摺ってると思しきがそこここに見受けられ、奏者が創造した音色が欧米比だと極端に少ないのとも関係アリと踏んでんだ。
楽器メーカ側で創造した音色だって開発時期の関係なんかで、日本発は一時期の電子楽器系統のが主体になってけどさ。

そんでもRolandのTR-808みたいな世界標準になったのだってあったのからすると、エレキでは俺言い「音色創作での勘違い」が大きな影を落としてるとしか思えねんだ。
この件で体験から印象深いのは「音色的歪ませ」をする前迄は日本もそんなに遜色無かったのに、特にAmpでの歪ませがやたらと下手なのがね。

歴異的経緯では歪ませ音色の流行や市民権獲得が遅れ、国産Ampも過大入力させても平気な仕様になるのが遅れたのもあっただろうけど。
でも最大の原因は何たって著しい実体験不足と考えてて、過激発言しちゃえば「モノホン知らねんじゃしゃーねー」となる。

さて今回は単純な音色の良し悪しじゃないのに相変わらずのを吠えてんのは、爆音を出せる場所だと特に昔ならかなり広くなるのが当然だったからでね。
中には例外もあろうがそんな環境なら、音の出口から耳迄の距離だって大抵は遠目になるもんじゃん。

それへ手前味噌のも一寸加えさせて頂いとくと屈強なAmpってその多くは本番仕様だから、遠くで聴かないと本来の音色になってないん。
すると例え過去ゴリ押しした整流管仕様のじゃなくったって、間の空気が多くなるからその分必然的にマイルド化されたのが耳に入っとるん。

ここでは随時頻吠えの硬めだと耐えられる限界音量が下がるのと相まって、爆音時特有の現象や性質はリアル体験しないと中々理解が難しいん。
なので老害扱いされ兼ねないが先ずは元はどうだったとか、現場ではああのながレコードやCDになるとそう聴こえるをご理解願いたいん。

そして今のサウンド傾向に興味の強い人に最も関係してるのが、真の明瞭と単に無駄に硬いのの分別能力で御座居。
邪魔が入んなきゃどっちもそれなりに前へ出て来てくれるが、硬さ依存だと言うなれば内弁慶サウンドになってるんすよ。

又最近じゃ滅多に無くなってるだろうが、かなり低性能な再生装置で掛けると硬さなんて殺されちゃうからね。
何時如何なる時でも目立つ為に生耳には少々ウルサイのを我慢したのが、まったく無効化して無駄になっちゃうんだ。

まっ功罪の続きは又後でとして、どんな音がどんな箇所で変質されてたか本題の方へ戻ろう。
電気楽器のは上略述の如くAmpの増幅素子の影響が先ずあるが、昨今ではPAレスのLiveはほぼ皆無だからその方面でのも無視出来ない。

それ以上にRockに絞ると元は海外にしか無かったし、国内のでもベテランになるとメンバーも機材も変更が多く各自の象徴だったそのものズバリの音色をそもそももう出してなかったりする。
のでやはり「その時」の
録音物がより重要になって来るが、流通メディアがアナログ中心時代のでCD化されたのだと次の様な懸念が付き纏う。

オールアナログでの劣化補填を見込んだMixing・Masteringのを、当時の担当者若しくは関係者でデジタル向きに修正してあるか。
それが不可能なのを聴く際に極力当時同等のメディア・再生装置で聴けてるか等で、そうしないと製作者の意図した通りのは聴けて無いんだ。

<つづく>

2022年6月19日 (日)

音楽備忘録1039 バスドラ 足のダブル奏法書き漏らし②

今日はトゥ→ヒールのやり始めで気になったのを綴ってくが、俺の場合はSlideに対する足首のパワー不足が看過出来なかった。(筋力じゃなくて音よ)
これには個人的志向の伏線もあった様で、奏法不問で「聴こえる様に踏んだのは何時も同じ様に聴こえる」の拘りが強かったからなのかなぁ。

最近は16分音符のダブルが使われてる機会が減ったし、録音の向上もあってか昔みたいに「2つ鳴らしてるらしいのに1つしか聴こえない」ケースは激減したみたいだ。
でも’80年代途中頃迄のでは当り前な程頻繁にそんなのがあって、個人的にはそれがとっても嫌だったんだ。

意図的にアホっぽくしたのだったら別だが、俺言い「ドンパン節」(日本の曲じゃなくてDrumパターン)は単調さと知能レスっぽさがどうも…。
それが是又俺言い「大人っぽ系16」の基本パターンでは通常はバスドラパターンがシンプルなだけに、2回に1回しか出て来ないドドッがドッになっちゃうと唯一の特徴が無くなるじゃんか。

って時代も違うんで念の為に俺想定のパターン自体に触れとくと、Hi-Hat(稀にRide)は8部連打・Snareは在り来りの2拍4拍でバスドラがドッ・・・ドドッ・・・でありんす。
この手のって録音やPAより実音を重視すればドドッの1個目は小さ目な方が良い位で、もしピンと来ない様なら試しにわざとドドッ
ってしてみりゃよか。

ってもヒール→トゥが得意でもないと厳しいかも知れんで、そんな時こそドラムマシンや打込みでシミュレートするんでがんす。
言い出しっぺの癖に過去に↑を自ら試したかもう完全に記憶が無いが💦、何れにしても1つ目の方が大きくなると変だとは思うんだ。(但し強(表)拍の前に16分が追加の場合)

この様な用法ってSnareのゴーストノートと同系統で、本質的にはオプション・オマケ・隠し味的存在のケースが多いだろう。
から小さい分には確かに迷惑は掛けなくて済むけんだど、かと言ってあまりにたまにしか聴こえないってのもジャンルやパターン・フレーズ次第じゃどうかと思うんよ。

私的分別としては演られた過半数が聴こえりゃ可・それ以下なら否で、それは解釈次第じゃ基本パターンが違っちまうからだ。
前者に比し後者みたいになっちゃうとドッ・・・ドドッよりドンパン+遊びと捉えられるのが自然で、リズムの粗次第じゃ16Beat感が殆ど損なわれるんじゃないかな。

ので私的にはなるべく音量差の出難い方を夫々がデフォにしとくのがお勧めだが、かと言って何時迄もかつての俺みたいに避けて通ると苦手領域が出来ちゃうんだ。
それが昔だったらClassicやJazz畑出身なら足首踏み(今のトゥ)は最初から必須だったが、学園祭に一寸だけ出られればいい程度だと縁の無い方が多い奏法だかんね。

テクヲタ系の人だったら当初から挑み続けるだろうが、今度は単純な一発だけでお客さんを満足させるのがそっちへ寄り過ぎると遠くなる。
ある意味それの成れの果てがトリガー常用で、けど俺様にすりゃそんなんで構わんならもう足首じゃなく足の指だけでも良いじゃんなんてな。😅

わ兎も角奏者の脚が足首優勢か膝優勢かにも依ろうが、脚でも力じゃ大きく鳴らせず足首でも暫くは試し続けられるペダルに出逢って漸く道が開けたんだ。
尤もSpeedkingもL-201から20になって、付属のビータL-1286も世界情勢や為替の影響で超高価になっちゃったから微妙なんだけど。

けど俺みたいに脚が重目で膝優勢だとスピキンやPremier 250(S)みたいな、足首踏みするのも当り前時代の設計のか裏技を使ってでも現代平均よりかなりバネが弱められないと厳しか。
段々慣れて板に付いて来りゃ他のどんなのでも全く不可では無くなってくが、突詰めてくと最初と最後(多分大体体験済み)へ目を向けるとその方が明らかに好成績だす。

<つづく>

2022年6月18日 (土)

音楽備忘録1038 Rockでのポピュラリティとオリジナリティの問題③

さて根っこが水っぽいヤツでも事業化するには矛盾の処理が第一関門となるが、私的には楽器屋と同じく大規模ってのが馴染まないもんなんだと考えている。
流動性が高いとなるとその平均値で計算するのが相応しく、けれどバブルや一時的なブームに浮かれてつい堅実な業種の大企業と肩を並べたつもりにでもなっちゃったんだろう。

筆者は戦前(第二次大戦)の実情に暗いんで戦後ので記してくと、当初は敗残兵とかがヤクザに流れてそんなのが芸能界の裏側を取り仕切ってるのが多かったらしい。
最近話題になってる映画界の闇なんも多分↑からの負の遺産みたいなもんで、そんな部分は全く褒められたもんじゃない。

けれど流動性への対応力の点では学歴だけのサラリーマンとかより、ヤクザ上がりの方が遥かにマシだったんじゃないかな。
何せ何時殺られるか殺りに行かなきゃならんか、全く分からんのやさかいな。

その後は家電や音響メーカが言うなればパトロン状態となり、この時点でも経営決定権を持ってたのはまだ音楽が本業では無い
側だった。
恐らく感覚的には常設では無く仮設店舗に近く、無暗に成果なんて信用して無く言うなればⅡで半分は金持ちの道楽同然の扱いで。

それが本業が低迷して変に副業に依存し出した結果、商売的にも芸術的にも使い物にならない処迄堕ちちゃった。
本来なら初心に戻り固定店舗を売っ払って、また屋台からやり直しゃ済む話しだったんだけどね。

大会社になってから入って来た上級民からすりゃ、例えば頑張って東大出てこんなオヤジになってから屋台曳くのなんてまっぴらって…。
俺だってもし自分がそんな目に遭ったら敵わんが、実は↑の方々って新規社員の人選を誤ってたんとちゃうか。

東大出て博士になってたなら、デカい研究所クビになれば仕方無くだが小規模でも研究室位に移るしかない。
それを幾ら従順で立派だからって音楽のおの字もロクに分かって無いのなんか入れれば、いざって時にはアカンくなって当然なのにさ。

故に俺自身がジリ貧だからって珍しく僻み成分0%で、儲け率や安定収入が欲しいなら絶対来ちゃ駄目な業界なん。
等と何時にも増して随分政治色が濃くなってるが、如何にビジネスが絡んだとしても所詮は趣味系の分野なのに「余計な影響」を受けてるのが多過ぎるからじゃい。

政治はああで経済がヘッポコなんで大手の会社のはもう諦めるとしても、個人で自前でやってて不必要に迎合したら大損なのでありまする。
流石に大衆に認められるのを完全に捨てちゃ厳しいが、いきなりプロのポピュラリティスキルが獲得出来る訳ゃおまへん。

やはり身近な処とか同好の士にだけはある程度納得して貰えるのから始めて、レベルも範囲も「塵も積れば山となる」式でだうぞ。
俺自身がどっちかったら一発大逆転なんて方が好きだけど、それだと喉元過ぎれば熱さ忘れる式でどうも蓄積がいい加減になっちゃってね。

脳内保存データベースに欠損や錯誤が多目になって、折角得られてた筈のスキルの応用範囲が狭くなってさ。
これからすればポピュラリティを求めてるのにプチヲタに先になっとけってなもんで、至る処で「急がば回れ」が入用なんす。

王道とか売れ線に興味があると大抵はそれ中心に触れたくなるが、それって視点を変えりゃ単に歴深目の一素人さんと持てる知己は殆ど同じなんだよね。
活用頻度はすこぶる低いのにかなり周辺の広い範囲迄知ってるのが、こう云うお仕事には必要なの。

<つづく>

2022年6月17日 (金)

音楽備忘録1037 ギター・ベースのネックの話し➄

今度はBassの指板巾へ行った後総括へ進もうと思うが、近年は長さには敏感なのに巾には鈍感な風潮を感じるな。
音域の低さからすると長さの方が本来は妥協し難い処で、一寸スケールを綺麗に押えてなぞれるのだけに気を取られ過ぎちゃってんのかな?。

確かに若番フレットの辺りではスケールへの影響は小さく無いが、丈を詰めて解消するのは同一弦の場合だけなんす。
オクターブフレーズ等になると指間隔は三角関数状態になるんで、巾だって詰めたら結構貢献してくれるんだよ。

もしFender系原典音色じゃ無きゃ嫌なんなら、概述の如くPUの都合で受容れるしかないけどさ。
近年の主流タイプではコンストラクションはほぼそのまま踏襲してても、PUは新規独自のも少なくないよねえ。

となるとスラッププルの指入れさえクリアしてれば、もう少し狭巾に出来る筈なんだ。
これで検討すべきが是又概述だがGuitarだと弦の単独押えが不可だったStanley Clarkeですら、必ずしも特に広巾のなんか使ってないのにご注目。

私的には特に劣化本邦のが解せんのだが、道路が狭いままなのに広巾な車を皆平気で買っちゃうのとかと似てんじゃね。
つまり世界標準の「感覚」からしたら、Bassであっても「もっと狭い中で頑張る」もんなんじゃって思うんよ。

コントラバスがあんなサイズになってんのは1に共鳴だが、弦間隔は最も激しいbowing時に隣接弦に接触しない様にってのがある。
更に概述の久々再出になるがだからあっちじゃ「Bass Guitar」って呼称があって、用途はBassだが楽器自体は「Guitarのバリエーション」って認識がバカにならんのどす。

その観点からだと一般感覚からは外れてる様でいて、亡きLemmy Kilmisterの「4弦全使用のコード弾き」もGuitarだから出来たしアリだったんや。
試した事がねえから全く断言出来ねえが、コンバスのキツイRで果たして普通のコードフォームが使えるかってな。

並行別項で述べた想像よりSteinbergerが弾くの楽と感じたのって、指板巾が狭目なのが最大要因だったんじゃないかな。
そりゃ小柄な俺にはボディサイズだって影響はあるだろうが、これは楽器と体の位置関係の調節でもかなり賄えるんだ。

手だって指だって楽器との角度や距離でかなり状況変化はあるけれど、両者共絶対値の部分は補い切れんからのぉ。
ベテランだからか分からんが事情があってどうしようもない部分は受容する覚悟は出来てるも、簡単に解決出来るのにそうしてない・なってない部分には昔より腹立たしく感じる様になったかね。

漸くで総括だが音事情でそのものズバリじゃ無きゃ困る時はあるが、折角拘るなら楽器のみならずそれと「組み合わされる体とのコンビネーション」にもっと目を向けて頂きたいのでありんす。
実際に音楽演る上で楽器は所詮道具の域を脱しませぬので、そこだけ達成しても完成度は50%。

体が違う分楽器にその反対の性質があった時、ドンズバな音になるんじゃないでせうか。
それを見つけるのはとても骨が折れやすが、その根本原因は各自の体が千差万別なのだから仕方ありまへん。

それが本件では指板巾が広過ぎんじゃねで、道幅ギリギリの車じゃドリフト走行無理っってな按配でして…。
けれど似た体格の人の中で好みに近い音を出してるのってな結構参考になるもんで、全く手掛かり無しって訳でもないんどす。

<その内つづく、かも>

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