音楽

2024年5月30日 (木)

音楽備忘録1749 肉体的グルーヴ考➏

ここ迄良い意味で意志を持って体を駆使する意義を語って来たが、その先はどうするかが今日のお題だ。
今度は打って変わってフォーム(姿勢)でおじゃるが、これにだってスピリットは大きく影響があるねん。

初期の打開策としては本家の模倣で、この段階で真似る
のは主に楽器と人体の位置関係だ。
んだばDrumから参るが歴の古いグルーヴには、半ば俺言い旧標準の椅子高さが出発点になるん。

その傾向としては現代の主流より椅子は高めだが近目となってて、それに依って手脚のストロークに多少違いが生じてしまうからだ。
太鼓が高く遠いと上から遠回りに叩かねばならず、細かいタイミング制御の精度が落ちる。

かと言ってそのまま近付けば今度は
手脚の可動可能範囲が狭くなり過ぎ、パワーは勿論おおらかなグルーヴは醸し出し難くなる。
セッティングの制約があるから必ずしも理想通りとは行かないだろうが、何かと打面が肘より高いと副作用が大きくなるん。

速い小技は近い程楽だけど、脱力状態(必要最低限の無意識に近い力)で安定して刻むにはねえ。
パワーの為では無くタイミングを図るのに、適度な振り上げ距離が取れると良いんだよ。

地面に垂直に立てられた撓る棒が揺れる時って、振り巾の大きい時は周期が長目で小さくなってく程周期が短くなるじゃん。
因みにグルーヴを習得するには他要素は一旦置いといて、求めるタイミングを先にマスターせなアカンよ。

無論充分タイミングをマスター後は理想に向かって、パワーやスピードだって求めて良いけどね。
鍵盤の場合もDrum程じゃないけど、やっぱり多少なりとも影響はあるよ。

距離関係もだがそれより胴体の緊張状態が問題で、グルーヴタイプに合わない姿勢だと良い感じが得られない。
但し特定時を除き背を一杯に丸めたり反り返らせては、万一反対方向に調整したい際不可になるから背骨に反対方向への一定のマージンは必要でっせ。

次にストラップで吊り下げる楽器では特定のを除き、高過ぎても低過ぎてもグルーヴ習得には障害になる。
ここで厄介なのが体格・体系の個人差で、胴・手・脚の長さとバランスは正に千差万別だ。

なのでZEP時代のJimmy Pageみたいなのが欲しいからって、何も考えずGuitarを下げたらさ。
音やグルーヴ抜きで姿だけ真似たいなら構わんけど、腕の長さや胴体の厚みとか良く照らし合わせんと。

尚且つこれはかなりグルーヴ的にも特殊なタイプで、わざと大雑把・軽薄でいて浮足立った感じを求めてたらしくてさ。
ZEP以外の時期・メンツのではあそこ迄下げてもいなきゃノリももっとタイトで、歴戦のスタジオミュージシャン出身なのが納得出来る感じのばかりだった。

俺はそれが暫くは分からなくて勝手に低く見ちゃってたんだけど、「抑えきれぬ衝動・欲望」みたいなのを表現するのには絶好の手段の1つだわさ。
裏付けとしては通常ストラップで低く出来ないアコギ(座って抱えて弾く)だと、ZEP時代のでもカッチリしてたから疑問の向きは聴いてみそ。

エレキGuitarの高さだけでこんなに変われますの一例で、他でも色々工夫はしてるだろうが映え以外に音的にも必然性がちゃんとあったのさ。
①グルーヴ習得②そこから意図的に変えるのは超人レベルに到達してないと無理っぽいんで、先ずはしっかり①段階を目指して頂きませう。

-続く=

2024年5月29日 (水)

音楽備忘録1748 音楽に於けるテクニックの意味⑰

ここ迄続けたBassパートの話しは一応今回で締め次へと進めるが、歌物ポピュラー系では一番曲に対する影響が大きいと考えてるからなんだ。
Guitar・Drum・Keyboardだってちっともどうでもよかないが、歌のバックで演れる事に違いがあるのさ。

それが伺える例示曲としてWingsのSilly Love Songで説明すると、歌バックで特徴的な仕事をしてるのはBassリフ(パターン)だけだ。
だからBassが偉い…ってんじゃなく、気持ち良いリズムを維持するには太鼓は余計な真似はしない方が良い。

GuitarやKeyboardはコード(和声)の確定がプチフレーズより優先されるし、下手をすると歌から聴者の集中を奪ってしまう。
そして複数の音を鳴らすのが要求され続ける中で、単音でも構わないのはBassだけ。

寧ろBassが無神経に和音なんか鳴らしたら、爽やかな曲がむさ苦しくなっちまうかも知れない。
その代わり単音であるならどうするかは割と自由で、だからこそお暇な伴奏でもBassだけは居眠りなんかしてらんないんだ。

傍目には難しい事をしてるでも無いし、これと云って特別な事をしてる様にも見えないんだけどさ。
だから作曲法としてのBass・Vocalも薦めたんだが、アコギの弾き語りでも作れるならそれでも良いんだよ。

けど過半数の曲では歌より伴奏の方が先に始まるんで、Bassパート(リフやパターン)を先に作る位の方が上手く行くんじゃないのかな。
その意味でVocalistがメロを作る場合でも、鼻歌とかでも良いから↑にしないとその手の曲は生まれ難いかも知れないよ。

長補遺を終えて続いてはDrumの問題だが、概述の如く歌バックの普通の箇所で手に許されるのはゴーストノート程度が限度ですよ。
Bassが自由に振舞っても事故り難いのは、単音の他に音域が歌から離れ気味なのも大きい。

同じ様に太鼓でも通常手で扱うのは音域が歌と被ったりするから、気兼ねなく弄れるのはバスドラなんだ。
一方Keyboardの最大の武器は所謂「白玉」で、一々弾き直す事無く望んだだけ音を伸ばせる。

これの利点はBand系アンサンブルでは他のでは不可能な芸当なのと、リズムに影響を与えないで済む処。
Guitar等で余韻不足で弾き加えるとなると、その刻みを曲リズムに合わせなくてはならない。

押えさえすればOKで楽な白玉、でも侮れない部分があるのだ。
多くの奏者は割と安易に演っちゃってるけど、長く鳴り続けるって事ぁそのハーモニーを聴者に良く知られちゃう。

ので曲やその場面に最適な和声を選ぶのは、決して簡単じゃないし甘く見ちゃイカンのよ。
調が目立って芳しくない様なら3度を抜くべきだったり、逆にBassがルート以外を沢山辿る様なのだったらルートをしっかりフォローしとくとかさ。

上出Silly Love Songで控え目にコードを司ってるのがPianoなのは、ルート音とコードを常時同時に鳴らせるのもあったんじゃないかな。
Guitarだと「出せるルートの最低音」が、コードフォーム等の都合で鳴らしたいのが鳴らせない時があるからねえ。

=続=

2024年5月28日 (火)

音楽備忘録1747 過小評価で忘れられつつある人々⑩

グループのBassist第3弾は過去重複して来るが、主に活躍がグループ内外両方に及んでた人達おば。
その様な達人だと固有の現象が起こるもんで、過去にグループで有名だったのに後の独立後に惹かれて知るケースだ。

と言うとそらオッサンが齢だからで今まだ若けりゃ…、ってそうでもないんだなあ。
確かにリアルタイム世代の方が後追いにはなり難いが、全世界の全新作を個人でくまなくチェック出来るのかよってね。

たまたま運とタイミングが悪きゃ何等の洩らし逃しは、酷く簡単に起きてるもんなんだ。
その際今で云や複数のチャンネルを持ってたりすると引っ掛かる確率が上がり、ネットの無い時代のも含めれば活躍の場が複数以上だとって事になるんだ。

但しここでは失礼乍らガクトみたいに、グループより圧倒的に個人が有名なのは除くよ。
そういう分類だと今に至ってはDonald Duck Dunnは選外で、杜撰大王にとってはMG’sの名声も同等なんだけどさ。

あのグループは少なくとも日本では売れ線の王道ではなかったんで、Al Jackson Jr.の早すぎた逝去の影響は小さくない。
D氏は単独参加でだってノリへかなり貢献はしてるけど、やっぱり相棒のA君が居ないと本来のグルーヴは出し切れてない感じ。

私的にその典型と思しきがEric ClaptonのアルバムMoney And Cigarettes(’83)で、周囲がD氏に追従し切れてないが為に少々浮き気味に聴こえてねえ。
本来曲に対してはD氏のタイミングの方がより良く合ってるんだが、或はアンサンブル全員が顔を合わせて録ってなかったのかも知れないな。

そう云う余計な詮索をせずに聴けるのったら、Kate Bush初期作品のBassだ。
恥ずかし乍らBassistの正体を把握したのはかなり後年になってからで、当時ギリギリ少年だった身にはあの声と容姿と曲 に瞬殺されてた故勘弁でごわす。

尤も後でそれがDavid Patonと知ってみりゃ、名前はおぼろげでもPilot(一寸前迄在籍したBand)の曲はずっと前から知ってた体たらくで。(但し当時名前は曲もBandもノーチェック😵)
しかも趣味性全開でスマンが使用楽器もまだRickenbackerのまま、音色も録音の進化で向上した程度でグループ在籍時と違わぬプレイでさ。

因みに当時日本でのKate Bush人気はほぼ声と容姿だったから、音楽内容だけの評価だと日本じゃ今一マイナーなPilotとどっこいどっこいだと思うんだけどどうだろう。
↑と直接関係あるか分かんないが私的にはKBさんその後奇特路線に行き過ぎと感じてて、少なくともサウンド面での興味は後年の作品になる程どんどん薄れて行ってま。

色々挑戦してった勇気には敬服するが、全替えしちまったら作品内で何が新しいか比べる基準が無くなってもうた。
所詮持論に過ぎんが歌だけ良い人には独唱を願うってなもんで、入ってる音は大体全部聴こえてまう体質には全体がどうしても気になっちゃうのさ。

強いて屁理屈捏ねるなら、だって何処か1つだけ優れてりゃ構わないんなら全然もっと沢山あるやんか。
もしそれだけが正解なら何で今でもBassに魅せられるのか、楽器は全て趣味にでもして歌だけ頑張ればどうにかなる…とは限らないじゃない。

=つづく=

2024年5月27日 (月)

音楽備忘録1746 杜撰流不景気対策➌

必要な物を買うのは当たり前しかもなるべく早く手にしたい、誰だってそう思うだろうしそれだけなら間違ってない。
でも本当に「必要に足りてるか」が問題で、惜しいのを買っちまったら早期の買い直しがやって来ちゃうんだ。

っと言いつつ毎度の杜撰ぶりから失敗も少なくねえんだが、単用途だけの想定でミスると潰しが利かんくて困るん。
既に使用体験が一定を超えてれば大巾な想定外は起こり難いが、1〜数回程度の体験じゃ中々そいつの全貌が
把握し切れないのもあるんだ。

先ずは打者の選球眼の如く選択スキルに磨きを掛けるのが一番だが、打者よりゃ遥かにマシでも打率10割になんてこっち分野でだって到底望めねんだ。
その際役立つのが複数用途想定で、寧ろ3つ以上の用途に叶いそうじゃなきゃ買うのを保留にするって手もあるんだ。

例えばMicで汎用だったら何処かに適合する可能性が残るが、専用ので外したら売って買い替えるしかない。
そうなると資産自体が僅かでも目減りするのが必定で、そのせいで次の候補の選択肢に新たな制限が生じる。

んだけど人間心理の事情でついこれ位安いなら、万一ドブに捨てる事になってもなんて思っちゃって誘惑に負けたりすんのよね。
その際助力になる発想が↑で、例えコスパは少し劣っても何かの足しになるかざます。

要するに基本は一発ドデカイのを狙う迄は一緒だが、三振はせず最悪でも犠牲フライにしようってね。
面白いもんで少し謙虚になれると、判断の確率は上がるし思考が柔軟になるんすよ。

丁度この「気分は高揚させつつも何処かに冷静さを残す」のって、元々盛り上がる音楽を演るには必須なスキルなんだよね。
手前味噌の一例として球コンデンサMic購入の経緯を晒せば、幾ら球好きでもそのコストにはかなり逡巡したんだ。

何しろ同一ブランド比で、石なら半分以下の価格で同等品が出てたからさ。
けど候補1を石にして駄目で少し高額の候補2の石に買い替えて、それでもアカンかったら結局…ってなるやんか。

しかも耐音圧では石の最高のと球のでは10dB以上の差があって、過去述の如く専用電源から高圧供給を受けられる球に対してどうしたって石のは不利なんすよ。(現在耐圧50V以上で適したFETがディスコンになって久しい)
流石に自称爆音自慢でもそこ迄必要そうじゃないんだけど、万一ヘッドマージン不足が何処かで出たらそれには使えなくなる。

因みに現代での球コンデンサのニーズって非爆音の生楽器や歌唱が多いが、¥1万を割込むなら未だしもそれでデカい音には使えないとなるとコスパ・汎用性が悪過ぎるぜよ。
例えば¥2万で歌やアコギにしか使えないのだとRockのDrumは当然無理だとしても、最悪は剛腕が弾くGrand Pianoなんかも駄目かも知んない。

尤も宅みたいに録音Studioもやってたりすると絶対数が要るんで、そっちも考えなきゃなんないから理想通りには中々行かなかったけどな。
ので先ずは必要最低限の本数を揃えるしかなかったが、取敢えず耐音圧が理由で用途制限が掛かるのだけは回避したよ。

実際には音色や周波数帯域の都合で全部汎用でも無いんだけど、一応どんな想定外な楽器を持込まれても困る心配はそれで無くなせたよ。
こんなのは元来不景気対策では無いんだが、今迄は考慮してなくて苦境迎えたんだったら誰にでも必要となって来るんだ。

=つづく=

2024年5月26日 (日)

音楽備忘録1745 肉体的グルーヴ考➎

グルーヴって捉え様に依っちゃ臭かったりするんだと晒した処で、それが肉体とどう関係してるかざます。
生身の肉体って機械とは対極に近い位置にもあるから、体質次第じゃかなり癖強で臭かったりするんだ。(体臭じゃないよ)

杜撰大王自身剥き出しの自分の個性を初めて思い知った時ゃ、えーこんなにダセーのかよって暫くは呆然自失になっただよ。
その頃はまだ感覚と実出音にギャップがあったんだが、それにしてもひでぇ困ったもんだってさ。

その後機械等との同期に慣れても、傾向自体はちっとも変わらんかってな。
けれど変な癖強でも音楽的理想のタイミングとしては、この変態タイミングの方がどうにも正解としか思えなかったんだ。

癖を殺せば確実に無難にはなるが、あのフレーズこのオカズとかがピッタリとは決まらなくなるん。
個性って使い方次第で毒にも薬にもなるもんで、特効薬が欲しかったら癖は取敢えず容認するべきなんよ。

望むと望まざろうとその様な存在を認める処からスタートせんと、その先になんか行ける訳ゃねえっての。
この段階でのコレは機械不所持の物であり、感覚的に微妙なタイミング差での表情変化を掴む糸口なんすよ。

機械不在の大昔の人か、或は現代でも拒否してる人だったらそんな注意は要らんかも知れんがね。
そんな連中はオリジナリティは堅持出来てる代わり、ポピュラー系の一定リズムの続く楽曲では妙なギクシャク感が拭えないよ。

その典型がClassic系のナルシスソリスト等で、やたらと上手い癖にBeatのレベルだけ低くて違和感ありありなんだ。
唯そこから追加で勉強しようと思わん奴も居るのは、合わないジャンルは演らなくしちまえば大怪我はしないで済むからね。

わ兎にも角にも微細なタイミングとなると感覚としてしかほぼ体感不可なんで、脳内だけで理解するのは無理がある。
ここも含め色々語られてるのはどれも事後分析なのと、視覚に一切惑わされず音だけで違いが分かる様になるのが先決だ。

唯何となく捉えようとすれば視覚誘導が避けられず、例えばドレッドヘアにしてかっぺっぽく演りゃReggaeになると思ってたらそりゃ完全な幻想だ。
前回綴った通りその筋の大家は演じてるだけで、風貌とは裏腹に商魂逞しいは大の新し物好きだったぜ。

ので誰にも見えない録音等では、ちっとも何時ものスタイルをしないで奏でてたかも知れんよ。
だいいちその容姿にしたって流行って以降は誰もがReggaeのオッサンと認識しちまうんで、今度は音のイメージに視覚がかなり引っ張られてる可能性すらあるぞ。

確かに実力不足(グルーヴ)の段階でそれらしく演れってオファーが来ちゃったら、その場は雰囲気で凌ぐしかねえけどな。😵
自身が持ってる天然グルーヴはそれ迄の体験等に依って醸成されてるんで、その意味ではReggaeな毎日を過ごしてみたりするのは悪くないがね。

-続く-

2024年5月25日 (土)

音楽備忘録1744 音楽に於けるテクニックの意味⑯

拙ブログではお馴染み前回補遺からで、何処をどう思っての例示かから行ってみよう。
併せてガチのRock好きにしてはFusionテイストが強いのに、何故受け入れに抵抗が無かったのかもね。

実はその原因を近年になる迄は把握し切れてなかったんだが、Fusion形態のでもRock技で演ってるのだったら平気だと気付いてん。
Classic・Jazz由来ので構成されてるのと何が違うってば、それは形態的に留まらない内容的なBluesフレイバーがするかどうかだ。

Bluesは性に合ってて好きでも非ヲタを自認してるんだが、それはゴリゴリのだとリズムが俺には物足りなかったからだ。
けれどそれ以外はGuitarやHammondの奏法も含めしっくり来てて、どうやらそんな要素の無いのだと興味が向かないらしい。

それがLarry CarltonはYesでLee RitenourはNoに現れてる様で、私感では技術や知識を優先するか感性や表現を優先するかの如くに感じてるんだ。(勿論後者のは飽く迄感性の為の技術と知識なんだが)
実際には多分必ずしもそうとは限らないんだろうけど、杜撰君にはそんな風に聴こえててさ。

その関連か分からんがBassパートではそんなに色んな事を盛込めないだけに、フレーズの一寸した工夫の影響が大きいんだよ。
Jan Hammer達みたいなの以外だとJoystickは、比較的お約束箇所みたいなのでしか使われない。

のを彼はニュアンス拡張或は明示の方で多く用いてて、そのせいで音源自体は無機質なSyntheに奏者固有の人格みたいなのが付与されてるんだ。(奏者固有の癖)
いやガチのテクノとかだったら機械的な方が好ましい位だが、それしか出来ないと「普通のポピュラー曲」では使えなくなっちゃうじゃん。

日本でなら近年は失念されがちな富田勲なんかも、あれだけ昔から演れたのは機械度の高い楽器でも生楽器等と渡り合えるだけの表現巾があったからなんだよ。
何しろSynthe黎明期にはボカロはおろかテクノさえまだ無く、電気楽器でさえ今みたいな市民権なんか得られてなかったんだから。

この面で今劣化本邦みたいにボカロが珍しく無くなったのは罪なもんで、機械でも楽器として使う際のコツみたいなのが希薄化した気がするんだよ。
この事ってPianoならそうでもないけど、パーカッションとかにはそれらしく奏でないと全然それと聴こえないのが未だそこそこあるんですわ。(音色より奏法に固有性がある)

皮肉なもんでロクでもない使い方をすると大凡楽器とは思えない音がする様なの程、適切に扱えると表現力MAXだったりするもんで。
Syntheやドラムマシンで言えば音色のプリセットとマニュアルの差みたいなもんで、何でも自由には本当の意味での自己責任が必ず付いて来るとな。

=続=

2024年5月24日 (金)

音楽備忘録1743 過小評価で忘れられつつある人々⑨

グループのBassist第2弾は、杜撰大王のセンサーに引っ掛かった人の網羅と行こう。
所詮私感なんで異論も出るだろうけど、少なくとも自身のBass演奏には多大な貢献があるんだ。

当初から誰と明確に分かってて参考にしたのはご存知Paul McCartneyだが、Bassを気に入ってグループ名や奏者名・担当パートを調べて知った人の方が俺は圧倒的多数なんざます。
ので曲だけお気に入りの方々は未だにその先は掘ってなくて、ライトな聴き専の人達と殆ど一緒のままなんだ。

と言いつつ名演が1曲だけだったりすると、放置プレイしてるのもあるんだけどね。
わさて置き取敢えず兼業の他の方が高名で、今劣化本邦の世間一般ではBassistとしての評価洩れしてるのから参るぞなもし。

自分史最古では調査や結果判明はかなり後年と遅れたが、Bee GeesのMaurice Gibbざんす。
時期的にはアイドルコーラス期より後で、Saturday Night Feverの頃迄のRickenbackerを使用した物だ。

ってオイオイいきなりニッチ趣味かよかも知れないが、R君以外の使用時は実際かなり演奏内容も違ったんだよ。
恐らく歌が裏声が多く曲も甘ちゃんな中で唯の甘味とは差別化したくて、音色都合でR君を使ってたからなんじゃないかな。

だからか最有名なSaturday Night FeverではFender系使用な上、曲には良く合ってるけど独自性は少し成り下がっちまってる。
私的に↑の対極と思しきはRun To Meって曲で、Flat弦でのアタック音が妙に目立ってる。

因みにAnita BakerのSweet Loveがそうである様に、歌物伴奏でのBassはフレーズより音色とアンサンブルバランスの影響が大きいんだ。
歌に注聴しててバックで明確に認識可能なのは異なる音域の、低音ならブーンな響きだけとかになるでしょ。

当該曲は本国ではBassも名演の評価があるが、今劣化本邦では特にテクを要する様なのじゃないからか無視され気味だね。
んが真のレジェンドは少し聴いただけで違いが分かるってもんで、音色や何気無い箇所の出来栄えにこそ最大差があるんだよ。

処が↑を重々承知しててもエゴや見栄がすぐに邪魔して来て、Bassしか演ってないのが多いとついつい余計な真似をしがちなんだ。
曲やアンサンブルに悪影響の無い範囲で演出したつもりでも、なまじ腕が有り余ってると最適解から逸脱してたりしててな。

それ故理論的には不利な筈の兼業の方が、歌物の比較的シンプルな伴奏では却って好結果をもたらすケースが案外多いんですわ。
ド下手でも不要でもMicが立ってなくても、口ずさみ乍ら奏でてる奴が居るのはこの対策でもあったりするん。

でその手の過半は編曲はおろか作曲にも関与してるのが多く、それだけBassパートって曲やアンサンブルから独立するのが困難って事った。
もしBee Geesに彼が不在だったら曲もBassも何も、Hard目なのが好きな人には到底聴けない代物になってたかもね。

-つづく-

2024年5月23日 (木)

音楽備忘録1742 杜撰流不景気対策➋

世情に拘らず経費圧縮には無駄な出費をしないのが鉄板だが、何を無駄と考えるのかは変動するのだ。
あまりに保守的になっては必要な変革が遅れたりするし、かと言って流行を追い過ぎても想定より早期終息すると無駄になる。

これの解消には手持ちで流行に乗る知恵がものを言い、そもそも流行の発端をどうやって作ったかを考察してみると良いんだ。
流行後であればそれ用が色々売られる様になるが、誰か1番乗りした時点では○○用なんてまだ未出なんすよ。

ので殆どの場合始祖は使い方の工夫で編み出してて、ツールが新しいから出来た訳じゃねえんだ

因みにボーカロイドに関して、今では恐らく忘れられた情報を参考に披露しませう。

電子技術的には音声合成半導体が出発点となってて、杜撰大王がそのテクを最初に知ったのは1980年代中頃でPC師匠からだった。
当時師匠はまだ俺が逃げた代わりに紹介した音響の会社に在籍してて、業界内速報でYAMAHAでそんなのが出来上がったってのだった。

それから制御部や価格等で難儀してたのか次が聞えたのは2000年代になってからで、名称が単なる音声合成LSIからPCソフトのボーカロイドに変わってたんだ。
それでも当時試聴してこんな不自然じゃ使えるかよと感じたから、所謂ボカロPが台頭する迄杜撰君内ではずっとお蔵入り情報になってたんだ。

新技術の使い熟しには早期新機器の導入が有利ではあるけど、音楽での実用上は必ずしも成功する保証の無いギャンブルでもあるんだ。
だから趣味として失敗しても学費だと思えるなら良いけど、必須ツールが揃わぬ内にホイホイと触手を伸ばすのはどっちらけなんすわ。

俺の場合音楽を趣味としたPC師匠とコンビを組んでたのは幸運で、師匠の方にしても実用性は俺の状況からと相互に知己を得てたんだ。
何でも直接自身で試せないと気の済まない性分にはこれは厳しいが、全数を賄おうとするのは一面で無理がある。

楽器パート事情にしても当初自身ではGuitar・Bassだけ専門で、鍵盤や太鼓等他のは「パートの違う親しい人」から知恵その他を導入してたんだ。
ロクに弾けなかった鍵盤や叩けなかった太鼓等、仮に所持してたってその時点では充分には試せないやんか。

とは言え周囲の誰かが先に購入すりゃ、羨んだりと葛藤は今も常にあるがね。
でも誘惑に弱過ぎるといけないのは何でも同じで、只音楽関係固有のでは難聴とか腱鞘炎とか被害が他のに比べりゃ軽いんだけどさ。

が少なくとも確実に懐には影響してて、それが赤貧ででもないと自覚し辛いだけなんだよ。
初心の内は何が必要か間違えて、杜撰君なんかロスは多い方だったかも知れない。

ミスは悔しいが仕方無い授業料と諦めて、その後に似た様な失敗をしないのが肝心でっせ。
けど芸術関係は気分に左右され易く、如何に別観点を醸成して行けるかが案外簡単じゃないんだよなぁ。

=つづく=

2024年5月22日 (水)

音楽備忘録1741 肉体的グルーヴ考➍

今回は個性の強いグルーヴの実例行っちゃうが、多分現代一般に想像されるのとはだいぶ違うんじゃないかな。
主流になるのは良い塩梅のだけど、典型のとなると一部はドン引きする位濃厚な癖があるんだ。

杜撰大王が最初にグルーヴの種類として認識したのはReggaeで、そのずっと前から日本の伝統的なのにだって固有のグルーヴはあったんだけどね。
古典って万国共通なのか一定Beatの継続がほぼ無く、表現の都合でリズムを幾らでも平気で捻じ曲げちゃうから圏外判定してたんだ。

でReggaeは一応一定が続いてるらしいんだが、味わいと来たら↑の民謡等にも負けない位田舎臭かってん。
それが普及し出した1970年代って斬新さが渇望されると同時に、所謂レイドバックって正反対の流れも流行った時期でさ。(真の発祥は1950年代末、但し未普及)

レイドバックのそれ迄のノスタルジーとかとの違いは、現代訳するなら「キモカッコ良い」の走りですわ。
要するに一周回ったらキモい・ダサい・臭いにも、独特な格好良さを内包してるのに皆が気付き出したんだ。

でⅡでReggae自体はホントは新様式だったんだけど、やたらと味は古臭かって。
典型例としてBob Marley & The Wailersを引合いにすれば、味は古くても当時最新の機材や技術をしれっと駆使しててのう。

その端的例として宅の防音ドアにずっと貼りっ放しの’70年代末のポスターでは、彼は当時最新のYAMAHA SGをぶら下げSONYのMicに向かって歌ってる。
前者は高中正義等当時のFusionブームでの鉄板アイテムだし、後者だって新人アイドル歌手なんかがこぞって使ってた代物だで。

そんなので固めてても誰より味が古臭いのが稀有で、音色の加減も然る事乍らノリ(リズム)のせいでそんな風に聴かせてたんだ。
因みに日本でReggaeが市民権を得たのはこの頃で、ポピュラーに都合の良い一部を取出して皆がこぞってごっこったのは’80年代になってから。

でⅢでその対極にあったのがYMOので、実は当時はまだ人力演奏率が格段に高かったが如何にも機械が演った様な感じにしてあった

今バーチャルってばリアルのを機械とかで真似るもんだが、当時は機械だけじゃ全然無理で人間がロボットを演じてたんよ。

尤もこの演技は古くから映画や芝居にはあって、神仏や妖怪・幽霊・宇宙人等一応架空の存在では用いられてたんだ。
わ今日の本題じゃないからたいがいにしとくとして、それ位リズムタイミングやリズム表現には底知れぬ力のあるのが表に出た訳っすよ。

でⅣでそこ迄強烈に○○臭を漂わせると、他の要素はマスクされるん。
つまり使い方の妙で悪臭(おっつ失礼)も芳香となる訳で、グルーヴ単体は必ずしも格好良い物なんかじゃねんですよ。

かつてソリッドなRockを標榜しとき乍ら、もう古臭くなったSwingしか出来てないのなんかもあったでよ。
それすら今では時代を特定する特徴として、ヲタが喜ぶ様な変な市民権を得てるけどな。

=続く=

2024年5月21日 (火)

音楽備忘録1740 音楽に於けるテクニックの意味⑮

っつう事って今回はSynthe Bassでの名演や、記憶に残ってるものについて綴ってこう。
尚カテゴリにずっとパソコン・インターネットを加えてるのは、例に依って打込みでも前回述要素を欠かせないと考えてるからだ。

恒例の冒頭寄り道談で、打込みでリアルに近づけるにはリズムタイミングも含め「手加減要素」を盛込むのが最適。
概述の如く打込みの真価は「弾けない人が音楽を演れる」で、それがSynthe BassではJoystick等で付与した変化じゃないかな。

そんなシミュレートの中でSynthe Bassは最もハードルの低いのの1つなんで、それ位は挑戦しないと勿体無いですぜ。
因みに更なる余談として今日のデジタル録音だと、録る時弾いてJoystick利用効果は録ってからなんて分割も可能になってんだよ。

過去実例として山下達郎がエレキGuitarでペダルワウを思ったように踏めなくて、録った後に手で操縦したなんてのがありましたで。
さて本題へ進むとして近年のから昔のへと、時系列逆順で例示して行きまひょか。

こんなんするのは杜撰君が現代に疎いのも無かないが、奏者を特定する必要が殆ど感じられないからだ。
1990年位から一部Rapで異常な重低音のリズム隊が聴かれる様になったが、Rap自体にゃ興味は湧かなかったのにこれには未だ少しばかり魅力を感じてる。

のはそれ以前では聴けるのが稀だったからで、仮に録音では可能でも一般再生時にロクに再現出来なかったからだ。
杜撰君はどうやら生来の重低音ヲタだったらしく、音楽としては破綻しても音として暴力的な迄の重低音にずっと恋い焦がれてん。

でRapのシンプルでミニマムなアンサンブルなら、多少乱暴者が居ても他を侵食しないしさ。
但しそれも電子楽器・オーディオの実用再生帯域が拡大あって成立するもんで、アナログSyntheで演ったにしてもEQや配布メディアはデジタルじゃないと困難な音だ。

因みにアナログレコードで仮にそんな深溝を掘っといたとしても、大抵はカートリッジ(針)かPreampがキャパオーバーして盛大に歪んじまっただろう。
普段古いのばかり好む様に見えても、本当に新しい音だったらオッサンも直ちに喰い付くのだ。

只惜しむらくも↑の音色ではフレーズの自由度にかなり制限が掛かるんで、やるとしてもローエンド以外は肥満な音色にならないのじゃないと汎用にはならない。
ほんで汎用性の担保されたのとなるとグッと遡り、印象深いのはJeff BeckのアルバムThere & BackでのJan Hammerに依るYou Never Knowでのだ。

Jan HammerってばSyntheでGuitar系フレーズを連発した開祖的存在だが、それとは別でBassパートらしいのを演れたのはDrummerでもあったからなのかな。
元々編曲家でもあったから知識はあったにせよ、Bassistマインドをくすぐる様なのは知識だけじゃ難しい。

-続-

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