趣味

2024年11月23日 (土)

音楽備忘録1925 ’70年代Rockの浦島太郎➐

近年はアイドル系の若いネーちゃんでターゲットをオジ専に据えてるのも居るが、どんどん進む少子化停滞社会情勢が根底原因なんだろう。
上がり続ける酷税に対し収入はロクに上がらんとなりゃ、小遣いに困らんのは資産持ち(過去に稼いだ)しかねえもんな。

でそんな風に本来の王道から外れるのもアリってんなら、かつて学生運動に従事した世代向けには敢えて政治や社会問題を多く取り上げるのも一興なんじゃないかねえ。
ってのも不幸にして容姿に恵まれなきゃアイドル路線は無理だし、しゃべりが苦手だと普通の配信も厳しい。

今流行りの路線がどれも不適合だからって、じゃあそんな者は唯黙して大人しくしてろってのも立派な差別で忌々しいぞ。
現実は厳しいって言葉は昔からあったが、近年になる程その「何処が」ってのがどんどんおかしくなってんのよ。

ウケなくても我慢しろでは本当は言葉足らずで、その前に「簡単には」って付くんすよ。
幾ら時流と偶然合致したにせよプロテストソングとかパンクは突然変異でも何でも無く、誰にも相手にされなくてもずっと以前からその方面で頑張ってた奴等が居たんだ。

私感で’70年代Rockに政治・社会問題色のが登場したのって、まだBluesに根差したままでもあったからなんじゃないかな。
色恋沙汰だって歌われては居たけど、反リア充の者達には夢に近かったりする。

プチ遠距離恋愛になったとして足代を払えなきゃデートは出来ないし、ネットが無かったから通信するのにもその都度お金が掛かる。
つまり恋愛ひとつとってもその自由度を上げるには先ず生活の向上が必要で、しかし苛烈な差別からスキルアップもままならずじゃ理想の恋愛≒今なら宇宙旅行みたいなもんだったんじゃね。

その様な状況下では不謹慎白人みたいに「今晩お前の体が欲しい」等とは到底歌えず、夢を抱くにしても全然違うのよ。
現況今劣化本邦のメジャー系では相変らずのしか出さないが、こう不景気が続き過酷な若い世代には安易な絵空事は全く日常じゃ無くなってんだ。

けれど恐らく’70年代の手法にあんまり馴染みが無いから、燻った状態が続いてるんじゃないかな。
’70年代って漸く戦禍から復興が完成し物理面が充足したのに対し、心理面が著しく遅れててそれへ当時の若者が反発してたんだ。

杜撰君自身戦時中よりゃマシと思ったが、何か上の世代が説く理想とは自分達の置かれた環境はかなり違うじゃんって感じてたよ。
にも拘らず周囲の同世代は団塊世代みたいな熱意も萎えちゃってて、アウトローに落ちてしか抵抗出来なかったんだ。

リッチなのは何等かで壺と繋がりある者のみで、他は虐げられてるなんてまるでかつての米の白人支配者vs奴隷黒人と同じ構図やんか。
ので形式・形態は兎も角、スピリットや遡上に上る題材等は全くBluesなんだよね。

一見何の関係も無さそうなヒッピー文化やフラワー・サイケ等、殆ど見えない深層部ではBluesから受け継いでた箇所があるんすよ。
勿論自分が好きだから巷で話題にならなくなったのも惜しんじゃいるが、作詞技術面でも実害が出てるのが見過ごせねんだ。

-続く-

2024年11月21日 (木)

音楽備忘録1923 人力生演奏のススメ⓬

必要最低限の練習環境ってDrumならスティックワークだが、今時は過去のTVCMにあった様な「橋の欄干を叩く」なんてのはほぼ幻想となって久しい。
それだけかつては昼間の街には当然の如く存在した喧騒も、今ではご多聞に洩れず静音化したからねえ。

のでDrummerにはあまり役立たないが、合奏自体はかなり小音量にしても一応成立するのをご存知だろうか。
っつうか若き日の俺等のアプローチは逆方向からで、庶民の倅にとっちゃ楽器の他貸しスタジオ代だって気楽に払えたもんじゃ無かったん。

当時の趣味者の集いで問題なのが奏力で、今比だと弾けなくても曲は熟知してる人の割合が格段に高かった。
のわ恐らくネット不在の影響で、今みたいに会話に参加するのにその場でスマホを覗くなんてのは不可だったし。

結果ヲタ話しをするだけでも兎に角皆が知ってないと困るから、そんな状況の方が断然多かったん。
んで取敢えずが①でどうしたかってば、最低限の楽器と少しは遮音性のある部屋に集まって合奏擬きをしてたんすわ。

その中で音量が気になる深夜帯ではアコギは禁止とし、エレキはAmpに繋がずDrumは座布団等を「軽く」叩いて雰囲気を味わったん。
尤も厳しい音量規制で歌は高音域が出せないし、Ampに通せないソリッドボディのBassはほぼ聴こえず半エアー状態だ。

それが少し改善の兆しが見えたのが②のホロウボディ(セミアコ)のBass使用で、尤もそれでもかなり強目に弾かないとテープに録ると殆ど聴こえんかった。
全くの偶然だがそんな必要に迫られたのは、音楽仲間で集まってた深夜にその内の1人が曲アイデアを閃いたからなんだ。

その時点では海の物とも山の物とも不明だったから、後日スタジオを借りて試そうなんて思いもしなかったん。
しかしメンツは一応アンサンブルを組めるだけ揃ってたんで、何とか極小音量で合奏しカセットに試し録りしようとしたんだよ。

今なら安価な楽器用ヘッドホンAmpや配信Mixerなんかがあるから、無理に全部生だけでなんてあまりしないんだろうがね。
只全員被ってそこそこ満足な音量で演ると、歌がつい釣られて音量オーバーする危険があるのよね。

もし歌い手にクリソツな声質・唱法のボカロがあったならそっちで代用するか分からんが、そしたら歌は生合奏じゃなくなっちゃう。
ってかこの件そもそもの目的は初心者の生合奏体験で、ある程度以上達者になれてるなら手段を選ばなくても平気なのよ。

体験量が充分になれば少なくとも自身がどうしたらどうなるかが大体分かり、その頃にはほぼ基礎練は網羅されてるからどうとでもなる。
問題は如何にして不遇な環境でも、なるべく早期ににそこ迄到達出来るかなんだ。

今劣化本邦等の格差社会でそれを打破するには、こんな方法しかないんじゃないかな。
誰だって立派なのを見ちまえばついこんなショボい事してもって気分に苛まれっけど、選挙と近似で諦めたら例えば壺の思う壺に見事に嵌っちまうん。

現在好況にある者は出し抜きたい心理の強いのも少なくないから、本当は地味乍ら効果のある事を下々にやられるのを嫌がってんの。
あなたは苦境な上に騙されて、更にわざわざ損を選びますかってね。

-了-

2024年11月17日 (日)

音楽備忘録1919 人力生演奏のススメ⓫

さて狭小高人口密度では人力演奏最大の障害の、騒音案件に何時の間にか筆が進んだ。
その考察からすれば実はClassic系の方が演り難い筈だが、今劣化本邦の不適切状況下では杜撰大王の大嫌いな差別に触れねばならぬ。

まあ確かに杜撰君は第2次反抗期にかなり傍若無人をしてたけんど、非心理面では伝統的ジャンルの連中の方が遥かに迷惑掛けてたんだよ。
当時は学校の昼間の喧騒は殆ど問題視されてなかったが、庶民感覚の主流がたまたま気にしてなかっただけ。

雨戸迄びっちり締め切った部屋で叩く非力な従兄のDrumに眉を顰め、教室の窓全開で一寸音痴な吹部のそれは微笑ましく受け止めてたんだから。
当時の庶民の神経を逆撫でたのは前者とは言え、物理的には後者の方が圧倒的に煩いんだけどな。

それが今ではかなりマシになったもやはり子供や俺言い「中供」に対して、Rock系に勤しむのは親的にあまり歓迎されてない。
これに対し史実に基づきつつ徹底抗戦を試みれば、アル中・薬中その他諸々実は古いジャンル程多かったん。

っと言いつつ最近迄はなまじ悪態フルの自分がRockだったからそりゃ最悪だろうと思ってたが、ネット経由で深掘りしたらカワイイもんだったんだよ。
まあ時代や従事者の数も昔は違ったから一概には言えんが、少なくともヤバそうな雰囲気のジャンルだから素行が悪かったって事ぁ全然無かったん。

但し今劣化本邦で現状残存してる老害の殆どは、きっと当人達に差別意識は無いだろうがれっきとした忖度や蔑視がある。
因みにここでの老害とは刷り込み教育の結果のも含まれ、必ずしも世代・年齢だけで特定出来るものではない。

そんなで欧米と比べると遅れてるのは、過去に実体験した者が少ないからなんじゃないかな。
加えて重要なのが演歌や歌謡曲「専門の演奏家」が不在な処で、米のSouthern Rockを聴くとCountryとRockのボーダーレスな奴等が居た。

少々詭弁気味だが都会の若者に対してはRockを名乗り、田舎の年寄りにはCountryを名乗ればそれで通用してた節がある。
処が上記のせいか演歌・歌謡曲には専門って歌手だけと思い込まれてて、それが何処にでもあるカラオケとそれより遥かに少ない器楽練習場となって表れている。

何れにしても電子楽器と妥協した電気楽器の方が、練習環境は比較的選ばねんですよ。
↑の妥協とはエレキ固有箇所の事で本来は大変重要なんだが、半分は生楽器だかんね。

で日常的な訓練を要すのは主に後者の方で、エレキには恐らく過去に存在したSyntheの「マニピュレータ」みたいなのは席が無い。
となりゃ音創りの為にも先ずそこそこ弾けるのが必須で、実演するには非エレキ固有箇所の比率がもっと高くなるんじゃないかな。

尤も家から楽器を持ち出すのが少ないとRock系やエレキは、低騒音故に周囲に気付かれない隠れ奏者が案外多いのかも知れない。
その段階では正直「本物の状態や音量」では無く何時迄も続いたら気になるが、超低騒音を標榜したらClassic系の方が余程過酷な状況下にあるのだ。

そこで今更参考になるか分からんが、次回はかつて杜撰大王逹一味が演ってたSessionを披露して〆にしよう。
その実態をプリプチ露出させとけば、アコギ使用のFolkコーラスグループより静音なんすよ。

=つづく=

2024年11月15日 (金)

音楽備忘録1917 ’70年代Rockの浦島太郎➎

何かに普通に挑戦しようと思えば、資本主義社会下でお金が掛かるの自体は至極当然にして已むを得ない。
何事にも必要経費っつうのはあるから例え出世払い等にしたとして、未来永劫タダで済まぬのは自明の理だ。

が上級国民しかマトモに手を出せないのが過半数になっては異常事態っつうもんで、そうなると例えばかつて著しく虐げられてた黒人がBluesを作るなんてのがナシになっちまう。
して前回からのこの問題提起は大人にもだが、より深刻な影響を及ぼすのは子供達なんだ。

ある程度の齢になれば自分の自由になる小遣い等があるも、それより幼い時ゃ親に頼んで許可の出たのしか試せない。
のが何で不味いかってば、そもそもどの程度興味が続くか分からないものへ触れる機会が無くなるからだ。

自身の方向性が定まったら親や大人に懇願するにしても粘り強くなれるが、その前の段階ではもしかしたら適性があってもすぐに諦めざるを得なくなっちまう。
杜撰大王的にはこれこそが今劣化本邦の低迷・膠着の元凶と考えてて、こんなケチなののせいで適材適所が上手く機能してないんじゃないかとね。

一時期よりゃクラウドファンディング等でちったぁ望みも見えて来たものの、それだってネット環境等とそれを実施するだけのスキル獲得後じゃないと実行に進めない。
では資本主義を初期に採用した国々はどうかっつうと、見所があると思ったら早々に誰かがパトロンになったりしてこの件が緩和されてたんだ。

んがそれには金持ちに常に余裕があって、且つ技術・文化・芸術・スポーツその他に強い興味が無くてはならない。
加えて育成に携わってるのを誇りに思ったり自慢するマインドも必須で、それが世間でも大いに称賛される様じゃないとね。

それには一定以上に全方面での社会の成熟が必須だが、実は日本だって物心両面で貧しいなりにそう云う気概がかつてはあったんだ。
それが前回語りの「現場でプチ育成」で、実際杜撰君世代では何等かの「Rockの学校」なんて無かったからそれしか選べなかっただよ。

のが今は色々出来たんだからそれだけで良い…と思ったら大間違いで、どんな僻地でも無償の教室がある位じゃないと他の選択肢も用意しとかんと。
まあ資本主義じゃなくたって地位とか身分での影響はあるだろうが、即大怪我に繋がるとか健全成長を阻むの以外登竜門の段階で何等の参加要項がある様じゃいけねえよ。

昔だってほぼ誤認からエレキ≒不良化とかバイクの3無い運動なんて酷い差別のがあったけど、大元は若者を心配しての事なかれ主義に傾倒したのだったからねえ。
飽く迄結果的にであっても今の経済力や年齢だけで、参加の可否が半ば強制的に分けられる様なのじゃなかったんだよ。

ほんで現世の大人共が経済過忖度に囚われるのは勝手にしても、子供から可能性の自由を剥奪してるのに気付けないのはやはりアホとしか言い様が無い。
そんな時にこそRockを始めとしたカウンターカルチャーなんかで、本来なら大いに疑問を呈して行くべきなんだけどねえ。

-続く-

2024年11月11日 (月)

音楽備忘録1913 ’70年代Rockの浦島太郎➍

取敢えず今演れればOKな人に実体験迄しろとは言わぬが、そんななるべく簡単に楽に演りたい人にこそ最低限の知識は必須なのだ。
平均より楽をするには経験則由来のプチ知恵だけはケチれず、とは言え全部実体験するのと比べたら桁違いに省エネずら。

で過去述の如く本来なら初心者時代に最低限の実体験を得られるべきなんだが、教育面で今劣化本邦ではこんな趣味性の高いの迄その環境は最低に近い。
現況子供達の職業体験はキッザニア等で可能ではあるが、本格的なのは良いも入場料がとてもじゃないが対象年齢の子供の小遣いで気楽に賄えたもんじゃない。

ここで1つ大きな疑問なのが子供への責任問題で、巷ではやたらと何でも「自己責任」等と騒いでる癖に相手が子供の商売となると怪獣親を恐れてか急に正反対になる処。
確かに親主導のだったらそれで構わんが、そんなに縛りだらけじゃ子供自身が気紛れでプチチャレンジなんか出来ゃしねえっての。

それと近似であらゆるものが極端な2極化傾向にあり、大雑把で良いからほんの一寸だけ知りたい等の受け皿が無くなっちまいやがった。
一部の社会管理者的存在の奴等はネットで見られるからと思ってるか知らんが、それ等では何処迄行ってもバーチャルの弱点を完全払拭は出来ねんですよ。

Band関係初心者の中心世代は↑よりもう少し上だろうが、かつて或は過半の諸外国と比べるとやはり芳しいもんじゃない。
こういうのが「夢の無い時代」の一端で、その根底には大人に余裕が足りないのが原因じゃないかな。

時代も何も確かに昔とは異なるけど図々しい杜撰大王のみならず、昭和世代は楽器の知識は楽器屋等でPAの知識は主にPA屋等が拠り所だったんだ。
これは専門学校体験ともリンクしてて原理は学校の方が教えてくれたけど、電子回路や電子部品等の具体的な内容はほぼ現場でしか得られなかった。

今はどんな状況に変化したか大体そのままか知らんが、技術系の進歩の早い分野では一昨年迄現場に居た講師でももうアカン。
極論すれば↑は過去の人そのものでしかなく、逆に日々の体験量が僅かでも俺みたいに現場に辛うじてかすってる奴とは何処か何かで違うんだ。

現時点でウチでは前例がまだ無いが、超暇なスタジオのオッサン(俺😢)の愚痴を訊かされるだけでもその中に「現在のコツ」が含まれたりするかんね。
自動車好きの子が近所の修理工場へ大工好きの子が近所の家族経営の工務店へ入り浸る等する内、実情を知って続けるか方向転換するか決まったりしてたんよ。

私的にもっとそうだったのが鉄道会社の比較的「暇な職場」で、今みたく体験イベントなんて無かった代わり坊はそんなに好きならもう少し大きくなったら手始めに駅のバイトでもしてみっか?…なんて具合にね。
そう云うのが運命の出逢いとか、導きってもんなんじゃないのかなぁ。

-続く-

2024年11月 6日 (水)

音楽備忘録1908 映画・TV等への専門家が作った音楽⑳

この手の作曲家は相手が映像なだけに音だけの程量産出来ず、大抵は何か別分野との兼業状態にある。
米の先頭で提示したBarry WhiteはMoodsoulやイージーリスニングだったが、本日の生贄は更にこっち寄りなPopsざんす。

しかもその人’63年から’73年に掛けてPopsで大ヒット作を連発してたもんだから、この方面から眺めてると意外と選から洩れ易いんだ。
時の流れって残酷なもんで間違い無く巨匠なBurt Bacharach(バート・バカラック)が、近年では殆ど語られなくなったのは誠に遺憾で御座居ますぅだ。

彼ので最も有名なのは恐らく映画「明日に向って撃て!」(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid)の主題歌、「雨にぬれても」(原題:Raindrops Keep Fallin' on My Head)だろう。
流石に令和の若者ともなれば未聴な人も居そうだが、元来はBeatlesの有名曲と同等な位のスタンダードでっせ。

古い方では’61年SoulのThe ShirellesはBaby It’s Youなんてのを作曲してて、杜撰君世代ではBeatlesのカバーで親しんだもんだ。
彼の真骨頂はその流麗なムードにあったが決して甘ったるいのばかりじゃなく、仏等の欧州系より更にシンプルなのが特徴かな。

同じレジェンドメロディメーカーでも失礼乍らNeil Sedakaなんかが甘口オンリーで、私的には敬愛こそしてるんだけどさ。
Rock屋にとっちゃ取り入れ可能な範囲が一寸狭く、そんな観点からも誰でも一度は触れておくべき存在なんじゃないかな。

ってのも上記シンプルっつうのがコードや進行その他で、前衛みたいな奇抜な事を殆どしてないんだよ。
如何にレアコード(進行・展開含む)好きの杜撰大王だって、Rockの枠内に収めようとしたら俺言い「攻めたJazz」程小細工は出来ませぬ。

聴者側では理解困難でダイレクトに感性に訴え難くなるし、何より小編成Guitar Bandだと鍵盤とかオケみたいに凝った和声を奏でる限界が低いかんね。
その点彼のって程度に個人差があれど即座に共感出来るのが多く、それでいてもし作れと命じられたら七転八倒する様なののオンパレードなんよ。

ので一般リスナーなら心地良い名曲で片付けて無問題だが、多少なりとも創作に携わってたらそこを見逃しちゃアカンがな。
まあ確かに唯のPopsとは一味異なるジャンルのを演ってると、自然に聴けるのより何か尖ってたり引掛りのある方へつい興味が偏るのは仕方無いんだけどさ。

けど仮に偏狭を目指したとしても少しは「普通の箇所」を残しとかんと、何処がどんだけ風変りなのかが分かり難くなっちまうだよ。
のでⅡで結局は普通の箇所(に聴こえる)へどんだけ独自性を付与出来るかが腕の見せ所で、そんな点で恐らく彼こそがキングなんじゃないかな。

=つづく=

2024年10月30日 (水)

音楽備忘録1901 ’70年代Rockの浦島太郎➊

冒頭にお断りしとくけどこれから綴るのは、飽く迄一老害の記憶と感覚に基づくから正確性に自信は無い。
にも拘わらず近年闊歩してる情報にいちゃもん付けたくなったのは、どう譲歩してもヘンテコなのが罷り通ってたりするからだ。

元来芸能関係の情報に「盛り」は付き物でそもそもの信憑性が怪しいものの、一応プロだから整合性だけは考慮してあったのよ。
かつての日本のタレントのサバ読みは常態化も同然だったけど、今以上に何かのTV番組とかで並び立つ機会は断然多かった。

からその際にサバ読みの凸凹具合が合わんといかんから、誰か最初の人が5cm盛ったなら後に続く人も皆大凡同じだけ盛っとくって具合にね。
現在ネット上で割と↑な証拠の残ってるのがプロレスラーで、杜撰君みたいなチビにとっちゃ実際は5cm位高かろうと低かろうと皆巨大なだけだから殆ど無影響なんだけどね。😖

わ兎も角近年ネット上を賑わすRockレジェンドの身長で、明らかにおかしなのを発見してちょっくら驚いてんだ。
時が経ち本人が亡くなって実見不能になった結果ではあるだろうが、Brian Jonesが何処を覗いても168㎝ってのは爺にはどうもねえ。

ってのもそれでBill Wymanと同じっつうのが変で、もしかしたら写真に残ってるBrianが何時も背を丸めてた可能性は僅かにはあるけどさ。
Guitar等の楽器からの比率からすると誰かさん(俺)とやたら近似で、その飽きる程見慣れた景色からしたらあって165㎝止まりじゃないとああなんねーっつの。

ってのもⅡで過去の全員健在当時の横並び画像を見進めてけば、各人の身長はバラけてたのが分かりそうなもんだがね。
特に今劣化本邦での情報が怪しく、恐らくフィート・インチからメートル・センチに換算する辺りから誤差を生じたんだろう。

誤差のある数値へ実見した感覚を加味する等する内、実数からどんどん拡大・乖離してったんじゃないかな。
又相応な加齢後には背の縮む人も珍しく無く、特に60歳以降のだと最高で-7㎝位迄は考えられるんだ。

それでも海外レジェンドのはまだマシな方で、国内のが何か別の意図があるか知らんが尚酷い。
これ等時間が経っての誤差は何故か国内-欧州-米の順に酷く、米は歴史が浅い故に史実に執着した研究や記録が多いからなのかな。

或は凄く小さいのから大きいの迄色々混在してるからか分からんが、「差別をしない人」のレベルがとうやら米が最も高いらしきは皮肉な現象だ。
何れにしてもMichael Jackson以降のは大体一定してるし情報の新旧での差が見られないが、それ以前のだとかなりリアルタイムとは様相を異にしてる様だ。

でこんなのが背丈だけの話しなら一部ヲタ以外にはそんなに副作用は無いが、少しでも音に関するのだととても深刻なんだよ。
絶対にそんな奏法じゃ出せない音が、出せる事になってたりするからねえ。

結局根底には近年になる程、取敢えずなら原理に疎くても演れちゃうのが原因なんじゃないかな。
表面上どんなに簡便になっても「唯の音」を音楽にするには、才能もだが先ず努力と感性が必要なんだよなぁ。

=つづく=

2024年10月14日 (月)

音楽備忘録1885 折角弾けるのに勿体無い⑤

さてこの案件誤った羞恥心の訂正と柔軟な対応力を持つのが鍵の様だが、杜撰大王的にはそれ以上にサービス精神の問題なのではと思ってるんだ。
本当に暇潰しだけが目的の個人趣味なら兎も角、突如他人を楽しませる事の難かしさと天秤に掛けてご覧あれ。

誰かと暫く同席する事になった際、相手が飽きずに会話が途切れないならそれも良い。(トイレ休憩等は除く)
だが凡人でそれがある程度有効化するのは豊富な体験・知見を得てからで、それも少しでも話し方を誤ると忽ち老害認定を喰らったりする。

低音質な音通信だと会話位しかマトモに出来ないが、アマチュア無線が過去帳入りした今では滅多にそんな場面は無い。
又今劣化本邦では在留外国人が少数な上、愚民レベルでは過度同調圧力のせいか日本語以外には反応しなかったりしてるべ。

けど大陸みたいに地続きだったら、日常的に前例の無い国からの来訪者があるかも知れない。
真のグローバルを標榜するなら文章や会話だけのコミュニケーションに依存するのはお門違いで、他にももっと様々色々な方法があるじゃん。

日本視点で西欧だとゼスチャーの多いのが目立つかと思うんだけど、アレって必ずしも文盲率が高いからとかじゃねえでっせ。
もっと単純な動機の方が優勢で、要するに人と人の平均距離が遠目になり声より大袈裟な動作の方が確実だからなんだよん。

他にも大規模建築はほぼ石製オンリーでやたら残響が多かったりするから、その点でも肉声のみ依存はこっよりかなり不利なんじゃないかな。
日本式だからとか固有文化を大切にするのと、状況に応じた最善コミュニケーション手段を選ぶのは全く別の話しっしょ。

ので例えばある程度弾ける人がド下手な口真似をするよりか、現物があったら直接弾いた方が相手に分かり易い。
って処で半恒例のプチ余談で人次第で絶対音感優勢なのと相対音感優勢なのがあるが如く、音の敏感度でもニュアンス・表情・音程・テンポ等かなり色々おま。

最終的には↑次第で伝わり易い方法が変わるが、それだからこそ一応でも「弾けるという特権」にも固有の価値が御座居。
発音が悪いから少し知ってても絶対に英語では言わないなんてのも普段は良いが、万策尽きて迄頑なにそうするのって考え様に依っちゃ悪い意味でのこっちの我儘だ。

その様な状況下で相手は発音の良し悪しなんて眼中に無く、唯々こっちの一挙手一投足から何か分からないかと観察してるだけ。
無論発音が悲惨過ぎたり基本条件を間違えてたら通じない場合もあるが、変な話し通じなかったら英語とすら相手は思ってないから恥をかく心配はご無用なのだ。😵

音楽なら異言語でも通じるったって該当する程世界的に有名な曲・メロはかなり絞られるし、ジャンル的に好みから外れてたら全然知らなかったりする。
から失敗しても減点は無く、唯残念乍ら加点にならないで終るだけなんだ。

=つづく=

2024年5月19日 (日)

音楽備忘録1738 杜撰流不景気対策➊

資金難は俺みたいな貧程大打撃には違いないが、世界から遅れをとって30年ともなると金満氏にだって影響が避けられてないんだよ。
ってな事って長年に蓄積された、ノウハウみたいなのを紹介する趣旨でありんす。

但し健康を害する様では医療費その他の増加を招くし、音が露骨に劣化すりゃその分上がりが減っちまう。
ので唯単にケチりゃ良いってもんじゃなく、長期トータルコストって概念が必要なんだ。

最新半導体のデジタル機器は今や完全回避等論外だが、進化・変貌の早さと短寿命若しくは少し古くなると途端に修理不可になるのは忘れちゃ駄目よ。
その上1980年代と違って海外依存率が飛躍的に高まってるから、だらしない円安是正が進まぬ内はとってもコスパが悪いんだ。

とは言え今や出来ればPC・最低でもスマホの力を借りないと、作品アップロードやSNSでの告知もままならない。
だが基本的なデジタル音響規格に原理的革新が訪れない内は、やれハイレゾだ何だと言った処で飛躍的な音質向上は期待すべきじゃない。

それに対し完全打込み以外は微量でも残存する旧来のアナログ箇所等は、より当分は大変革の見込みは薄い。
って事ぁそれだけ機器寿命(ここでは壊れなかったら使用に堪えるかの意)は長い訳で、この部分への投資は一時的なのとは違う考え方をするのが相応しいんじゃないかな。

又楽器等を使うとメンテや弦・皮等を含む消耗の問題が必ず付いて回るが、対処の仕方次第で末はかなり色々な差が生じる。
比較的入手性の良い物なら多少外しても被害が軽いが、本来なら10年以上交換不要な箇所だとダメージは快適性と費用対効果のダブルで打ちのめされる。

ので杜撰君今では弦や皮等の消耗品は殆どスピキン用ビータ以外は、最廉価品かそれに次ぐ程度のに何時の間にかなってもうた。
無論あまりに粗悪品だとGuitar系のフレットや、太鼓胴のエッジの消耗を早めたりするからご法度だけどね。

過去体験では確かに良い弦・皮のご利益は捨て難かったが、酷く劣化すると多くは最廉価の新品とどっこいどっこい位迄性能低下する。
使用頻度が低く消耗し難い使い方なら未だしも、遠慮なくガンガン演れば如何に負荷の掛らぬ奏で方をしようと相応の劣化は避けられない。

↑の奏法の件は後で纏めて綴るとして、心理的に惜しい物程状態が悪化しても使用を引き延ばす傾向があるよね。
加えて消耗品だと品質が若干劣るのが多くて、儲け率が低きゃメーカだってコストカットに邁進するのは当然だ。

ならばと最高級グレードを選択した処で、価格に見合うだけ信頼性が上がる事は滅多に無い。
無論限度のあるのは言わずもがなだが、最も困窮させられるのは予備の欠乏でんがな。

無い袖は振れぬ同様、無い弦は弾けんし無い皮は叩けないからね。
処がそんな時に限って奏力向上期だったり、新規アイデアを試す意欲が最高潮だったりすんのよ。

それを単なる巡り合わせとして済ます人も居ようが、客観分析すればある傾向のあるケースの方が多いんだ。
練習等が熱を帯びてて自身の感覚では普段通りのつもりでも、消耗品のそれこそ消耗が大抵は増加してるんだよ。

一般論としては気分より状況を優先すべきかも知れないけど、殊芸術方面の修練には気分の影響は絶大なものがある。
場合に依っちゃ気分が乗れないで無理に続けてると、思わぬ悪癖が付く事だってあるんだよ。

=つづく=

2024年4月17日 (水)

音楽備忘録1706 今時真空管の得失⓬

更なる余談の嵐で暴走しちまうが、意図的にパワーコンプを得る方法で1つ温めてる知遇があるんだ。
それが前回末筆の自動録音レベル調整(メーカ称ソニオマチック)で、良く考えてみたらFairchildのコンプ・リミッタと原理がほぼ同じだったんだ。

そこ迄分かってて何故まだ実現出来てないかってば、諸事情から部品が不揃いなんだよ。
取敢えずここ迄の顛末をまんまに綴ってみたいが、件の機種は1965年頃SONYから出てたTC-357だ。

後年電子回路部だけトランジスタ化され番号の後にAが付いたが、そっちは
強いて言やUrei 1176(Universal Audio)に似てるかな。
わ兎も角当時のカタログではご家庭用の上から2番目の位置付けで、世相を反映して所謂専用のリミッタ回路なんて採用されてねんだ。

高度成長期真っ只中の日本だと言っても、実際庶民はまだまだ貧しかったん。
って皆がそうだから当時全く実感は無かったが、家庭で冷房があるのは金持ちの応接間だけだったからね。(親父がまだ3等重役になる前なので当然我が家には未設)

って何か死語連発になってるが、専用回路を使わないでリミッタ動作させようと思うとそんな方法しか無かったんだ。
それは普通のテレコだからスピーカもその駆動Ampも内臓してて、出力トランスの2次側(出力側)で規定値を超えたら入力段の増幅率を下げるって仕組みでねえ。

因みに殆どどんなコンプ・リミッタでも音声出力は交流で増幅率制御には直流が要るが、当時コンデンサやダイオードが今とは比較にならない程高価だったから交直流変換が問題になってん。
結果どちらさんでも初期にはトランス次にアナログフォトカプラなんかを利用してて、専用のトランスなんぞコスト的に到底奢れんから元から付いてた出力トランスを利用してやんの。

因みにⅡで本家はスピーカを駆動しないのにトランスを使ってたのは、球の出力がハイインピーダンスでそれだけじゃ録音業界デフォのローインピ(600Ω平衡)に整合させられなかったから。
これ等には何れもキーワードとして球とトランスが遡上に上るが、世間の大半は出力管の事を忘れてるんだよ。

コレに着目したほぼ唯一の存在としてVOXのマルチEffectorがあったが、他社に波及しないのをみると球がパワー管じゃ無くて今一効果が弱かったのかな。(回路自体は電力増幅だがパワー不要だからと電圧増幅管で代用、当然コスト都合も)
何れにしてももっとこの部分に着目せん事にゃ、今以上の進展はリアルだろうとバーチャルだろうと難しいと思うな。

わ兎も角宅には1台しか無いからステレオ(2ch)で使えないが、伯母が偶然同一機を持ってて貰える事になった時はシメタと思ったんだ。
が製造ロットが違い出力トランスの仕様が違ってて、無残にも儚き夢と散っただよ。

未だ決して諦めちゃいねんだが、ある程度以上の性能と機能のトランスを買う予算が無くてさ。
ある程度以上の周波数特性と別巻き線が必須になるんだが、仕様は違えど提示2機にはどっちにもそれがあったんだ。

スピーカって当時もインピーダンスはもう8Ωが標準になってたから、そこからそのまま失敬すると電流は大量に余るが電圧がどうにも足りない。
電力=電圧×電流だから同じパワーなら、片方が増えりゃもう一方が減る。

そこで出力インピーダンス600Ωの別巻き線が追加されてて、そこから制御電圧を得てたんだ。
具体的な相違はその出力に倍の差があり、小さい方のリミッタの深さも半減してましてん。😢

-づづぐ-

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