芸能・アイドル

2020年5月21日 (木)

音楽備忘録288 音楽も含めたテレワーク③

本項もこの辺で一旦終結させようと思うがテレワークは可能なら、結構誰にでも必要な処迄話は来た。
以前一部の音大では学校主導の動画アップがなされてるのに言及したが、正味な処それで表立った効果が出てるとは今の処は言い難い。

又既に一定以上の実績を持ってたりすると、高評価確実じゃ無いと出すのを躊躇してる人も結構居そうだ。
がそんなのは最早夢か幻かで、今となってはもうちっとも珍しくも何ともない動画発信等である。

結局多くの支持を得られるかどうかは内容次第なのは不変で、メディアの種類に依って多少優先事項が変動してるだけだ。
現実的に過去の名声!?を否定しちまう様な駄作をおいそれとは出すべきじゃ無いが、だからって構想を温めてるだけで上手くなれる物では無い。

最低限「傷が付かない」様にする配慮は要るが、本当に自発信出来ないとしたらそれは機材等の事情の方だ。
これすらスマホの普及で俺みたいな例外以外は障壁は無くなってるから、それなりに発表可能な手持ち作がある者は今すぐ録って上げとくのがお薦めだ。

特にアマチュアの方がこの影響は大きいと思われ、昔みたいに直接出向かないと聴けなかったのが変ったからだ。
有名人やプロのは殆どの場合レコードなりテープなりが売られてたし、大手系のならラジオやTVでチラ見する程度ならそこそこチャンスがあった。

一方数少なかった独立系の方は客には手間を要したが、Liveの一部を無料化したり意識的にテープの無償配布等も行っていた。
のに加え最大の相違は定点・定時的出演場所を設けたりして、そこへ行けば「取敢えず繋がれる」様な状況を用意していた処だ。

これは今だって完全に無くなっては居ないけれど、過去比では拠点数が増え過ぎたり○○専門の店みたいなのが減って探し当てるのが難しくなっている。
年寄りの戯言丸出しになるが活動時期の新しい人へ参考にボヤいとくと、昔はLivehouseに出演するの自体がかなり高いハードルであった。

初心者や下手クソが出させて貰えるのは特定のコンテスト程度で、例えアマ主体のLivehouseでもどの店もそれなりの品格を堅持していたのだ。
品格ったって相撲の横綱じゃないからお下品だったり態度の良くないのの方が多かったが、少なくとも趣味の合ってる人にはお金を払って損させる様な事は皆無だった。

例えば渋谷の木造3階時代の「屋根裏」って店ならPunkの殿堂として君臨してて、取敢えず何時行っても本格的なPunkを必ず体験出来ると云った具合だ。
つまりお客から見てある程度「アテに出来た」から、お目当てや知ってるのが出て無くても試しに行ってみるべかが成立してた訳ね。

今はこれは昔比では殆ど崩壊したと云え手間暇費用も掛かるから、余程の物好きかスカウティング以外でアテも無く足を運ぶ人は居なくなった。
多様化と量的膨張のせいで「拠点」が無くなったのは厳しいが、これからすりゃ何か1つでもネット上に上げとかないと「入口」が無いのと同じと思われる。

そうして入口を整備した処でこんなに大量に氾濫してると幾らもアクセスは期待出来ぬが、だからって無い入口からは絶対に入れない。
インターネット利用歴の長い従兄曰くブレイク迄に幾らでも時間が掛る覚悟が必要だそうで、この点では一面で「待つのが仕事」と言えそうだ。

勿論少しでも興味を持って貰う為の努力に休みは無いが、予測時期迄に想定通りの評価が得られなかったからって手を緩めるのが一番無駄なそうな。
現実的には労力と効果のバランスで先を決めるんだろうが、短期効率のみに目を奪われてあちこちを転々としちまってはいけない。

それではお客さん側から見て「アテに」なる場所が無くなってしまい、あんなのが聴きたくなったらあそこへみたいなのだけでも定着させるのが大変重要だ。
そんな受け身がもし嫌だったら受注生産とすれば良いが、盛んに「御用聞き」をして回るにしてもニーズのタイミングが合致するのは天文学的低確率だ。

それをするにしても結局「アテになる受付窓口」が必要で、どんな仕事が出来るのかもある程度知れる様でないと魅力も足りない。
でも考え様にに依っちゃ昔みたいに電柱に貼り紙したり外に看板を出すのしか無理だったのと比べると、お客さんが店員に接見せずに様子を知れるのは消極姿勢のお客さんには効果絶大だと思うんだけよね。

<この項一旦終了>

2020年5月19日 (火)

音楽備忘録286 音楽も含めたテレワーク②

前回最後で「肝心な処が捗らない」がビジネスであればそれは=仕事であるが、今の内閣なんか態度迄不遜とは救い様が無い。
Rock系って元々反体制側だけど、それでも露骨に批判するのは好きじゃないけどこの有様ではね。

毎度の私的ではあるがこんなのがまかり通る様になった根源を探ると、労働実態より「態度を優先」させる様な風潮が蔓延したのがいけないと思っている。
どっちも悪くて良い事は1つも無いけれど、真の意味での優先順位を忘れちゃったら駄目だよね。

或は見栄え≒第一印象は良いに越した事ぁねぇが、猫も杓子もは一寸行き過ぎだったとね。
ヴィジュアルが売りの根幹ならそれで正道だけど、中身の方に比重のあるの迄そっちへ振り過ぎちゃしょーもねーや。

本邦首相の給料は多分他国比だと廉価だろうが、どんなに雀の涙でもそのまま溝に流すのと同じ様では無駄な出費だ。
この不景気に「働かない・働けない」奴なんかに払う余裕は皆無で、割高割安より兎に角仕事が進む方が先ず大事だ。

こないだかの「暴言市長」に関する記事を読んで納得したんだが、口は最悪でもちゃんとしっかり市の為に仕事はしてるんだそうな。
勿論口の悪過ぎにはそこの市民は恥ずかしくて仕方無いだろうが、市長の仕事の本質はナレーターとかアナウンサーじゃ無い。

それと似た感じでテレワーク案件についても所謂一般的なデスクワークでは、無理が生じるのは僅少なのでもっと平時から推進すべきだろう。
対して音楽等のリアルタイム合奏等では現行回線やシステムでは不可能に等しいので、こっちこそがわざわざもっと出向いて行うべきと考えられる。

それからすると正しい!?ラッシュアワーには背広野郎なんて殆ど居なくて、上から眺めたらきっともっとカラフルである筈だ。
しかも他にも訳ありで一般ビジネスより創作をする者の方が道具も多く、例え大柄屈強で担げたとしてもケース入りのコントラバス背負って自転車に乗れても今ある専用レーンじゃ狭くて走れないだろうからね。

と何時迄言ってても当分はどうにもならなさそうだから各自で工夫を凝らすしか無いが、この面でも本邦ミュージシャンはより逆境に置かれてる前提は認めとくしか無い。
無理な箇所へ執着してそれだけで諦めてしまうか、可能な処だけでも手を打って行ってみるかである。

私的には後者推奨で、それは後に環境改善が進んだりした時にも役立つからだ。
変な例えだが俺は現況携帯電話不所持なので積極的には学んで無いが、偶然遭遇したそれ用のコツ等は頭の片隅に留める様に心掛けている。

最初は遅れて持っても割と直に使える様にって腹だったが、その後は大分様相が変化して来た。
こっちは無くても相手は持ってたりそれでコンタクトして来る事が増えたので、多少なりとも相手の置かれてる状況は分からんより分かった方が何かと良いかと。

正社員の方には耳に痛くて済まぬが、無駄な通勤費用を払える会社に居る事は一面で誇って良い。
ホントに台所事情が厳しければそんな悠長な真似は出来ないだろうし、時間的にも通勤に取られる分は無効となるからね。

第1段階では残業を増やしてって・第2段階になると泊まり込んで、それでも駄目なら同僚等へ託してってのも人員が潤沢だったらの話しだ。
小説家等にだってスタッフや協力者は勿論付いちゃ居るが、完全に同じ分野を共同で担うのは不可能だ。

個人事業主ってな仲間に左右される度合いが少ない代わり、環境に無関係に元から真の意味での自己責任状態にある。
グループを組んでても自担当がたった1人だったらそこは個人でやってるのと全く同じで、代役を求めるのも自由だがそれをし過ぎれば失業なんですね。

それからすると別にコロナ禍とかテレワークがどうのとは無関係に、本質的には当初から工夫必須の業界若しくは世界と考えられる。
中でも映像系や音楽系は確認するだけで一々一通り頭からお尻迄再生してみなきゃなんなくて、その面で最低必要時間の短縮が不可能だ。

さすれば出向くの必須のリアルタイム合奏は仕方無いとして、在宅で可能なのは全てそうでもしとかないととてもじゃ無いが時間が不足する。
のに気付けないで居るのが身近にも散見されるが、恐らく全体像が今一見えて無いのがその原因だろう。

<つづく>

2020年5月18日 (月)

音楽備忘録285 音楽も含めたテレワーク①

前回にそもそも個人宅でのテレワーク環境不備へ成行きで到達したので、一応お題もそれに合わせて修正してみた。
んだけんどもテレワークは愚か自宅での楽器練習等、今本邦では基本的に家では何かの作業をするとか出来るってのが不足し過ぎてるのが厳しい。

限られた空間で快適性を追及したり在宅時間とそれに掛るコスト等の都合でよりこうなったんだろうが、私的には幾ら何でもカプセルホテル化させ過ぎじゃん
と思っている。
その根底には是又政策の不備があるとしか考えられんが、それは「寝蔵」に対する考え方の中途半端過ぎが不味かったと思われる。

今は台所より風呂・トイレの方が必須とされててそれは間違っちゃ居ないが、真に「帰って寝るだけ」の空間とするなら最早個人所有・占有の必要なんてあるのかどうかだ。
それに加え自宅で不可能となった作業をしたい時の施設はもっと潤沢に用意しとくべきで、しかもこの方向性で行くなら頻度差はあれ誰でも必ず必要とするのだから無料若しくは低廉でなくちゃ嘘になる。

多様な思考の人が混在してるから完全統一を目指しては旧共産主義みたいになって駄目だけど、自粛要請と補償はセットなのと同じでちゃんとセットになってないと機能しないのが無視されている。
とは言え何時迄も無能政府に文句を付けて待ってても世界から取り残されちゃ敵わんから、本来はNot My Businessでも自前で進めなくては埒が開かない。

低レベルで悲しいもある意味こんな処も「出し抜く」キッカケにもなり得る訳で、少なくとも非リア充だったら直ちに取り掛かるのがお薦めだ。
事前準備されてる資金も無く個人って小規模では出来る事はささやかではあるが、塵も積もれば山となるで放っとくと後で追い付けなくなる危惧がある。

音楽に携わってる場合特に気にすべきが技量・奏力・経験値で、やり方さえ分かれば直に実用に供すとは行かないのが多いからだ。
ここでの鍵は費用対効果の継続性で、具体的には毎回他所の設備を借りるのと自前で徐々に設備を整えた場合の「後での違い」だ。

外に求めた場合の損得は維持管理不要だが「その場限り」な処で、滅多に起きないけど今回みたいな事態に遭遇すると何も出来なくなる。
ここで通常時の人の生活実態も加味してくと今回みたいなのは無くても、予想外の休日が手に入るなんてのならそこそこあり得るだろう。

宅外でしか活動しない想定で暮らしてても急遽相手の都合で予定が流れ、そんな時に常に個人練習でもStudioに空きがあるとは限らない。
それと賃貸料も単位あたりは廉価で直に払えても、積算したらどの位膨らんでるのかを注視しとかないとならない。

元から閑古鳥とは云え流石に今は非営業にしてるが、個人宅で一応録音Studioをやってる者の観点ででもだ。
余計な事を暴露して更に儲けが減るのも苦しいが、商業目的で始めたんでは無く空き時間の有効活用や維持費の調達を目論んだ結果だ。

又借りる場合に考慮の要るのが「借りる道具」のコンディションで、運悪く寸前に借りた奴が人でなしだったりするとそれだけで正規の状態が得られなかったりする。
これを気にすると賃料は一気に跳ね上がり、選択肢数もかなり限られてしまう。

軽い練習に大したコンディションも不要かもだが、だからって何時も酷過ぎるのばかりしか体験出来ないでいるとこっちの感覚が狂わされる事だってある。
これが厄介を孕んでるのは人に依って何処がどれ位じゃないと困るかがかなり違ってるからで、パーソナルな行為なだけに○○様専用的要求が強い。

更に付記しとくと業者側のスキルの低下が顕著で、完全な専門家じゃないと扱えない機材しか無かった時代と比べると仕方無い現象かも知れない。
昔のStudioだってしょーも無いオヤジは勿論居たが、今とは「駄目な場所」は明らかに違っていた。

他の処でだってそうだろうが昔のは最低限の仕事はこなせるが、呑んだくれてたりセクハラ大王だったり…。
実際それにも困らされたけど費用をつぎ込んでて一番困るのは、どんなに態度その他が良かろうと肝心な部分がちっとも捗らない場合だ。

<つづく>

2020年4月 5日 (日)

音楽備忘録242 「一億総ベーシック失念化」現象!?①

派手なお題目なんか唱えちゃって随分音楽から遠そうかもだが、かなり深い関連性を孕んでるから俺なんかが提唱してるのだ。
俺自身だって気付けてないだけで怪しい処が多分沢山あるだろうが、極限に少しは近い環境に居るせいで否応なしに正解を得られてる側面もある。

生命維持の原理からは苦しい奴程正しきを知るのは理に適ってるが、こう云う末端のマイナーな存在は社会的影響力に乏しいのが皮肉っちゃ皮肉か。
自覚が無くてもそれなりに恵まれてたり幸せだと余裕も出て来て、しかしなまじ余裕があるが為に大事な処を見落したり忘れたりし易くなる。

これは今はボヤいてる俺だって状況次第で陥りそうで、故にマトモに暮らせてると普段の生活の中からこう云うのを学んだり知ったりするのは難しそうだ。
だが音楽やスポーツ等で「意のままになるかならんか」へ着目すれば、境遇からの相違はかなり縮小されるし減らせるのだ。

この面で普段は社会的な実用性の低い所謂文化的なものの存在価値は侮れず、かつての上級国民が率先して勤しんだ理由と思われる。
人間偉くなる程叱られなくなって普段はその方が快適だが、大きな過ちに気付き損ねた際の外部からの通知はどんどん無くなってしまう。

利口な偉人がやたらと妙に低姿勢だったりするのはこれを熟知してるからで、しかし余程「もっと知りたい」欲が強くでも無いと中々そうはなれないもんだ。
それと私的にこの件で注視してるのは態度より内部心理で、形から入るタイプの人には大変だろうが本音のみとしないと実現が困難だ。

気持ち的に横柄であるより真摯な方が好ましくはあるが、どんな悪態を付き捲って様と唯一点の真実さえ理解出来りゃこの件では良いしそこが核心なのだ。
幾ら丁寧に相手の意見を訊いても本件で問題なのはそれをどう評価・判定するかの部分で、ここに余計な偏向があったりすると「しっかり訊き入れたつもりが充分な反映が為されて無い」となったりするのだ。

さて最近頻出の「偏向」だなんてブラウン管の角度じゃあるまいし、何故そんな語を用いてるかってば本人無意識下になってしまってる部分に限定したかったからだ。
例えば俺はRockだから丁寧語なんて使うかよなんて、自覚があって演出してるなら根っこは案外ニュートラルを維持出来る。

恐いのは例え軽度でも全く気付かず知らずに寄ってたり曲がっちゃってたりする場合で、それが原理原則等の基準点だったら影響範囲は計り知れない程広いのだ。
この辺から参考実例へ進んでくが、最初は建設関係等での水平だとか一直線を確実にゲットする方法だ。

水平に関しては水準器若しくは水平器を用いるのが今は一般的だが、多少精度は落ちても転がり易い球体(液体の滴含む)で代用するのも可能だ。
直線に関しては平民では長い定規等だが古典的な墨壺+凧糸の如く、紐に張力を与えると直線が得られる。

この内後者は定規が届かない長さでは第一候補で、更に遠く(長く)なれば測量の基本の遠くから眺めて3点が一直線上に並ぶ様にする等だ。
「届く限り」は何かを単にあてるだけの方が簡単だが、単一平面じゃ無い場合は垂直方向の高低差の影響が出てしまう。

職人さんが色んな物を銃で狙いを定めるみたいにして眺めて確かめるのはこのせいで、半端に道具を使うより僅かな歪みも簡単に見つけられるらだ。
大掛かりな最新計測装置でも使う以外では未だにこんなのが最も精度を得易いのは少し意外かもだが、こっちの「視点次第」で手ぶらな方が高精度ってのが現実だ。

道具に依存し過ぎると恐いのの1例だが、では音楽ではこれは何に値するか。
を次回に記すとしよう。

<つづく>

2020年4月 4日 (土)

音楽備忘録241 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑯

こっちのお題もコロナみたいにしつこいってんでも無いが、従兄のTwitterで知って「♯SaveOurSpace」に珍しく署名なんかした。
サラリーマンに対し音楽家等は数的比率が低いのと票田に結びつかんからの暴挙だろうが、やはり客商売だからと大人し過ぎたのも一因にあろう。

ここで非音楽家諸君に再確認願いたいのは例え低頻度でも、自分達が何らかの宣伝をぶつ際に音楽のお世話になってる処だ。
音楽が民衆にとって必ずしも常時必須じゃ無いのは論を待たぬが、だったらコマソンなんて絶対に使うなよである。
更にタレントを起用してしゃべらせるのも無しで、宣伝文句も文筆家等に依頼したらアカンでえ。

対してこっち芸術系
サイドとしても若干の手緩さを覚えるのは、「自粛と補償セットじゃなくちゃ」だ。
俺的にはこの際一歩踏み込んでコロナ終息迄は「禁止期間中の分は補償しろ」であるのが望ましいと考えていて、政府の負担は増えるがもっと良いのは例えば全員に金出してやるからその間は閉じ籠ってろだ。

芸能界にも最近の狂った大手の暴挙みたいなしょーもない輩も混在してるので、ルールが自粛だと抜け駆けする奴が出る可能性があるしそれを罰せない。
万一そんなウツケ者のせいで大流行しちまえば共倒れし兼ねず、皆死んじまえば補償が保障された処で何の役にも立たないのでね。

私的にはどちらさんも何とも緩すぎて歯痒くて仕方無いが、だからと言って俺は何でも辛口志向ってんでも決して無いのだ。
初期段階で一寸大胆なのは「もし足りなかったらどーすんの」と思ってるからで、充分足りてるのが確認取れ次第順次緩めて行けば良いのだ。

例えば6万円ありゃ足りると思ってて5万5千円だったら、5千円のお釣りを貰うだけだ。
それがもし5万円と予測してたら不足分は借金となるが、そうなると利子の分余計に費用が掛かり借金割合が多い程コストは割高となる。

誰だって初期投資額を抑えたいし用意するのも大変なのは分かるが、短期視点を優先すりゃトータル拠出額は際限無く膨らんじまうケースも多い。
そりゃ中には借入れなけりゃ買えない物だってあるけれど、だからって利子に無頓着ではいられない。

本邦政府の負債がここ迄になった原因が正にこれで、それこそ正に「人の振り見て我が振り直せ」であるぞなもし。
それでも政府なら人がしょっちゅうコロコロ変わるし、勝手に新法をこしらえて抜け道が作れる。

が責任が唯一の個人のみにある場合、最低でも死ぬ迄に全て清算出来る範囲に収めとかないとならない。
そうしとかないと後の世代にツケが回り俺自身不幸にもこれを体験しちまったが、それを許せてもある意味先祖の面目は丸潰れだ。

人の場合評価や倫理を無視するなら迷惑でもそれもあり得る道だが、音楽等芸術系だと作品は作者死後以降も残る物だからそんな道は無い。
因みにここでの作品の負債とは製作費等では無く、作品自体の内部に残留してるものを指している。

追求し過ぎて身動き取れなくなっても駄目だからそんなに神経質に拘る必要は無いが、方法論の時点で大巾な間違いがあってはその後の苦労は水の泡。
それ故必定では無い場合の録音時Click使用等におもむろに抵抗・反対を唱えてる訳で、この手の件に危機感が薄い様ならそれは危険な兆候なのだ。

仮にClick無しでは上手く録れなかったとしてもキチンと試して於けば、その時点では無いと無理なのがハッキリ分かるとある種のDataが確実に採取出来る。
そうして明確化が図れて無いと「この曲だけは絶対の自信があるから」なんて欲が出たりして、大事な局面で気紛れで使わずに失敗する可能性が残ってしまう。

なので一寸シュールだが例え悪結果が出たとしても、実証実験は怠ら無い方が後に差が出る可能性がとても高いのよ。
私的には現況本邦は俺言い「一億総ベーシック失念化」現象に蝕まれてると痛感してるが、次回からそれを色々例示して行こう。

<つづく>

2020年4月 1日 (水)

音楽備忘録238 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑬

音楽も密やかな個人の趣味だけに限定して携われば、変な戒厳令みたいなのが発令されぬ限り政治からそんなに大きな影響は受けないかも知れない。
けどアマであってもLivehouseのチケ代とか、僅かでも商業等と関りが出てくれば世情からの影響は必ずあるのだ。

それ処か金銭授受をしない路上Liveを演るにしても、場所や時間帯等が各自治体の条例に依ってコントロールされている。
最近になって本邦でも利口な音楽家の一部は政治的発言が復活してるのは良い傾向だが、末端の者がどんな箇所で影響を受けてるかの記述は僅少だった。

本シリーズはなるべくそれを提示したいと思って書いてるが、俺の浅学と能力不足でどうも中々上手く記せてない気がして来た。
そこで悪戯に回を重ねるよりも外堀から埋めてみるのを思い付き、非音楽家の正規雇用者なら影響を回避出来てる可能性のある部分について見て行こう。

本邦での正規雇用の代表格として所謂サラリーマンを例示してくと、先ず年金と健康保険の負担割合の違い等が誰にでも認知されてるだろう。
正規雇用組は厚生年金・社会保険なので給与から天引きされてるから、悪く言や払いたく無くてもむしられてるが良く言や納入漏れの心配は無い。

しかし非正規組の国民年金・国民健康保険は自主納付で、期限に遅れれば延滞割増しまで請求される。
失念回避の為だけなら自動引き落としにしとく手もあるが、残高不足でアウトってケースも出て来る。

そして最大の違いは月給制と違って生活費等が足りなくても払わなきゃなんない処で、生活費等の方を優先すりゃ今度は延滞割増しの洗礼を浴びちまう。
正規組も実際には会社が半分負担してるとは云え、非正規の「多く払ってる」側にペナルティが大きいのは経済理念からしたら異常だ。

特に経営規模が小さい場合事業資金の運用事情に依っては、年単位では収められる様にしていても時間的な融通巾が現状ではとても充分とは言い難いのにも拘らずだ。
最近みたいに終身雇用が崩壊しては会社の庇護も期間限定だが、少なくとも正規雇用契約締結中はこの件に対して無配慮・無関心でも督促状なんかが普通は来ないのだけは確かだ。

自営の方が自由が多いんだからなんてのは全くの詭弁で、それなら望む者にはどんな低待遇でも非ブラックな正規雇用先が用意されてる前提条件が無いとね。
こんなのは誤った数の倫理が作用して正論みたいに見えてるだけで、サラリーマンの悲哀の愚痴として受け止めてあげるならだけ微笑ましい。

が道徳観念としてまで真に受ければ「間違ってる」んだからロクな事は無く、多数派の心証を是認するのと現実の構造を理解・把握するのは分離しとく必要がある。
職業音楽家としては個人事業主が多数派を占めるかと思われるが、それは経営から絶対に逃れられないのも意味している。

企業であれば社長であっても「雇われ」の場合もあり、クビになったりはしても問題解決を完遂する義務は負っていない。
しかし自身が唯一の経営者であれば大きな失敗は少なくとも一旦廃業程度は必至だが、大企業になる程経営に携わる人数割合は通常少ないしその経営サイドですら各人担当箇所は限定的なのが多い。

なので他意でサラリーマンを卑下するつもりは毛頭無いが、立場上彼等は事業の全貌把握は個人事業主よりし辛い状況下にある。
専門外があるのとその認識がちゃんとあれば無問題だが、長年知らなくても暮らして来れちゃったりするとスッカリ忘れちまってる輩も多い。

これは本来は存亡問題にも繋がってるから重要だがここでは敢えてそれは置いといて、兎に角こっちはそんなお目出たい連中を相手にしてられる様な余裕は無いのだ。
そしてこれ等の影響で最も懸念されるのは、どっちの立場でも含まれるが「感覚のブレやズレ」なのである。

概述だが例えば必須じゃ無くても何の疑問も持たずに録音=Click使用とか、選択や判断に余計な偏りが無意識の内に生じたりしている。
ミスやヨレ等に依る出来栄え次第とは言え、経済理論からだと必須じゃ無いのを用いるのは浪費に他ならない。

これが自腹経費でなんて言われりゃ何でも目一杯ケチろうとする癖に、音楽と言われた途端に浪費と感じないなんて全く滑稽だ。
柔軟性やマージンを取っとくのは勿論大事だが、何らかの実質的な基準に基づけてれば変テコな判断ミスは減らせてクウォリティアップに繋がるの請合いだ。

<つづく>

2020年3月30日 (月)

音楽備忘録236 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑪

こんなテーマをまだ続けてるのにプロパガンダどうのこうの以外にも、政治と音楽には似た特殊性があるからだ。
この2業種に限った事っちゃ無いが、基本的に他よりローリスク・ローリターンが無いのが近似と思われる。

それとここでは音楽と芸能を敢えて別けているが音楽でも高い専門性が無いと無理なのと、それをを持たずに成立してるのの違いをハッキリさせときたいからだ。
極論すればブームが去った後もミュージシャンのままで居続けられるかどうかみたいな処で、但しこれには経済面を含めると判断を誤り易い。

元から生活必須では無い業種なので「音楽だけで食えてない=非音楽家」なんて見方が、真の実情にそもそも合って無いのだ。
だが少し掘り下げて行くと確かな実力を持ってた者の多くは、少なくとも本人が望めば関連業種へ就けてるケースがとても多かった。

俺の師匠はJazz Big Bandからスピーカ屋のオヤジへ、知人のドラムメーカの開発者はプロは未経験でもれっきとしたDrummerだったり等々。
そして該当者には一寸失礼だが実はこうしたある種グレーゾーンの存在こそが、社会的には大変重要且つ有益なのだ。

自分が「音を出さない」者より「俺はこう鳴らしたのに何故そうならない!?」、があると格段に優れた製品を生み出せるからだ。
音以外にも使い易さ等の面で大きな差が出易く、自分で懲りてる人の方が見落す心配が無いのだ。

更に最近私的に気になってる中に、生演奏用と打込み用機器の乖離・分断がある。
特に打込み用の方に楽器成分が不足してて、音楽を作る道具な部分は弾かなくても楽器の一形態なのにそれが何処かへ行っちまってる。

これの余波が電子鍵盤楽器にも及んでるのか、見掛けに反して近年のは俺言い「楽器力」がかなり低下しちまった。
皮肉な話しで大昔の「壁シンセ」はちっとも楽器に見えなかったが、面倒でも不充分でも弄りたい場所が出て来た時全く弄れないなんて事は無かったんだよね。

バーチャルの特技たる生楽器だったらサイズ依存の音程範囲は絶対変えられないのとかが自由になったは良いが、それを意のままに操れないのでは只の高級オーディオだ。
これもデジタルが高度化・複雑化したお陰で、メーカがより理論に詳しい人しか取らなくなったのが仇になってると思われる。

実際新規開発するには理論に明るい程良いけれどどんなに高級な電子機器が作れたって、買ってくれるのは「使おうと思ってる人」だから楽器機能として低性能だったら無駄な開発なんだよね。
それには開発側に一定以上の本気度で演奏しようとしてる奴が必要で、さもなくば絶対的に信頼出来る専門家をお抱えにして「言いなり」になるしか無い。

この部分が政治と音楽でそっくりさんな処で、規模拡大に伴って前述グレーゾーンマンが業界内に減ったと感じられる。
楽器は登場最初期段階では使いたい人が僅少なので、弾く気が無い人にとっちゃ儲からんから作ろうとしない。

必然的に使いたい人が自分でこしらえるしか無くなるが、その場合機械的にはチープでも道具としては自動的に合格ラインを上回る。
これが政治でも過去には自分のビジネスの都合を兼ねて政界進出したのが多かったから、田中角栄やもっと古くは強盗慶太(五島慶太)みたいに無理矢理でも実務的ではあった。

しかしどちらも規模が大きくなり過ぎて余計な体裁を気にし出したからか分断が進み、「自分の立場しか分からん」了見の狭い奴等の温床と化した。
それでも専門外に対して正しい認識が持ててれば良かったが、分断が酷いだけに気付け難くなったか一段と「裸の王様」度が上がって行っている。

分かってる人の提言を経済性を理由に否定されれば、その手の真理を知ってるお利口さんは皆何処か他所へ行ってしまう。
幾ら経済が大事でも各分野の純粋な専門家を排除すると、当初は儲け率が上がっても暫くすればジリ貧へ転換する。

これを経済軽視と誤解する者が本邦では多い様だが、俺的には寧ろ勉強不足のせいだと考えている。
真に経済主観で考察するには普通は金額に換算しない物迄も何等かの方法に依って含めるべきで、全てのDataを言わば同じ単位に変換しないから「比較ミス」が発生してるのだ。

そう云や何かの落語で合理主義を徹底し過ぎて使用人を解雇の上離婚迄した挙句、最後は店の主人たる自分の人件費をケチろうとして閉店しちゃったとか何とかシュールなのがあったっけか。
省けない或は省かない方が得な部分が各分野毎に異なってるのが普通なのに、時代遅れの一辺倒な(不適合な)メソッドだけで何でも削りゃ最後は「無」になるのは目に見えてるんだけどねぇ。

<つづく>

2020年3月29日 (日)

音楽備忘録235 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑩

誇りを堅持しろったって誇りで飯が食えるかってば、そうは問屋が卸さない自体はご尤もで御座居ます。
ビジネスとなれば合理に従って割切りの要る部分は必ずあり、収益を確保するにゃ何人たりとも逃れられないのは確かだす。

けれど行き過ぎてしまうとどんな分野でも本質が損われ、商売をする根源にあった「飯の種」を喪失しちまうんざんす。
ここで敢えてかつて欧米から揶揄された「エコノミックアニマル」に触れてみるが、メガネを掛けスーツを纏い乍ら首からカメラをぶら下げてるって構図でやんした。

そしてその生物は自らの生命の危機や災害等に遭遇してすら、常に飽く迄仕事最優先ってキャラでした。
それじゃあマシンで血の通った心が無いみたいで…と、勤勉さへの妬みへ容姿の悪さを加味したネガキャンってな感じだったかな。

実際俺の親父も含め幾ら何だってもう少し恰好良くオサレに出来んもんかと、家族であるのが恥ずかしく思った事も多々あったわ。
只ダサくて仕事優先なのは真実でも冷血とか冷静とは無縁で、今比だと「無駄に暑苦しいオッサン」ばっかりだった。

外人に対してはコンプレックスも大きかったから下手に出てて見逃されたんだろうが、寧ろ濃厚な誇りを抱いてたからこそあんなに仕事に馬車馬出来てたんだろうと思う。
もっと客観的に言っちゃえば当時の日本製はハイエンド領域では欧米製の足元にも及べてなかったから、安さがあるにしても熱意が伴って無けりゃ売り様が無かったってのが真実だ。

今ネット通販で近隣国製の廉価品に対して我々が不安に感じるのは、不良品だった場合や不具合発生時の面倒見の悪さじゃないかな。
それを本邦昭和の熱血漢は何処迄も面倒を見てたから、あそこ迄の成長に繋がったんだよね。

尤も人生は仕事だけではやって行かれないから無理があり過ぎて長続きさせられなかったけど、「飯の種」を考えるには格好の材料かと思ったのよ。
んで売るのが工業製品等だったらまだ直に影響は出ないからマシだが、芸術系みたいに気持ちや心が直結してるヤツだと誇りの有無は露骨に現われる。

しかも厄介なのは才能がある程それが顕著で甲子園じゃとかアマ時代はあんなに良かったのに、メジャー系のプロになった途端にサッパリなんてのに特に音楽とかだとこれが原因な場合が多い。
マーケッティング理論に依ればこう改変した方がなんてのに潰されるのが多いが、本邦レーベルのマーケッティングの偏りと範囲の狭さや適用の下手さがその元凶だ。

これって今のコロナや放射能汚染の対外公表の杜撰さとそっくりで、オリンピック開催等へ影響するのを怖がり過ぎてるのと一緒だ。
これが間抜けなのは国内にしか目が向いて無い処で、仮に日本が無事でも参加国の多くが「それどころじゃ無い状況」だったらどの道予定通りの開催なんて不可能なんだから。

顧客ファーストとかお客様は神様と盲信するのは勝手だが、それならその神様にもっと詳しくなんなきゃ駄目じゃないのさ。
それには不特定多数の意見の他、併せて対象アーティストのファンは何処に価値を見出してるか等のDataをもっとしっかり取らないとね。

そうした後正確な状況把握が出来ると部分的に理屈に合わなくても変えちゃ駄目な場所が分かる様になり、芸術には理論に反する部分も多いのを改めて思い知るであろう。
つまり元々ホントに「売れそう」と思って雇ったんなら、余計なお世話を焼き過ぎ無きゃ良いだけの事なんですわ。

俺的にはそんな基礎レベルのお間抜けにどうして誰も気付けんのか不思議でしゃーないが、スタッフもアーティストも貧乏への逆戻りが怖すぎて耳が眩むんだろう。
但しこの先で道は担当部署次第で二手に別れてて、感性が主商品の場合は何れ路頭に投げ出される事となる。

要は世相や評判がとうあろうと感性保持の為にはある種の誇りみたいなのを保たなきゃなんないのは、単に業種固有の必然なだけなのよ。
でこれは同じ立場に立たないと分かりっこ無いから、大多数の世間一般からはお目出たい事ってと勘違いされたって仕方無いんでがす。

<つづく>

2020年3月28日 (土)

音楽備忘録234 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑨

何だか一般職と音楽家の対立みたいな様相を呈してるが、これもその根底には社会制度での相違が発端と思われる。
ミュージシャンに限らず会社員と自営業者では、例えば健康保険の負担率からしてずっと非適正な差が与えられたままだ。

社会学の勉強不足で頼り無げだが多分元は第二次大戦後の経済政策として、欧米先進国に追付く為にサラリーマンを増産しようとした名残だろう。
当時としては必要な施策だったのは認められるが、これだけ大企業の継続と終身雇用が頼り無くなれば焼け石に水の無駄な優遇だ。

つまり助かる奴が殆ど居なくなってて、折角高い身分が手に入っても元気にちっとも繋がらんと云う…。
現政権の一番間抜けな処がこれで、自分さえ良ければも度を越せば無効化するのに未だ気付けない処だ。

しかし貧すれば鈍すも加勢してか苦しいだけに、既得権益や現状死守に走ろうとする者も多い。
何とか非正規労働者を増やして少なくなったパイを確保しようと躍起になりつつ、会社と違って自営は個人で自由に経費の割り当てが出来るから等とうそぶいている。

そりゃ総理が率先して狡したりしなきゃ少しはマシになるかもだが、三人寄れば文殊の知恵は善悪に関係無く効力を発揮するんだからねぇ。
頑固で真面目な堅物が組織に一定以上の割合で存在すれば未だしも、今時自分達の集団の儲けが減っても正義を貫ける様なのは稀だ。

折角たまにその手合いが居てもその集団の大多数には経済的に不都合な存在なので、左遷したり肩叩いたり寄ってたかって追出し・潰しに掛る有様だ。
私的には法で無理にヤクザが居ないものとした結果、実際には怪しい連中が一般社会に潜り込んでしまっただけと感じている。

悪い奴等に少々恩を着せた処で感謝の気持ちなんて微塵も無いから、他所より恵まれてるのにちっともハッピーな気持ちになんかなって貰えんとね。
どうせ何処かに必ずブラックが残るのが現生ってんなら、せめてなるべく有難がってくれる奴等にサービスするがいい。

そうすりゃそれで浮かれた分少しは消費拡大に貢献するだろうて、払わん奴に払う程無駄な投資は無いってのが資本の原理なんだけどなぁ。
こうした悪政正しくは俺的には「誤政」の結果世相が変容し、経済より文化や芸術等「実」に重きを置いてる者達の資金を一層減らしてしまった。

又非正規雇用=必ず低賃金ってのも誤った観念で、世間の多くは困った時だけのお助けマンの存在を忘れ過ぎている。
つまり凡庸社員だけでは手に負えなくなった非常時だけ、ギャラは高いが問題を一発解決してくれる人を雇うニーズの方がホントは多い筈なのだ。

時代劇に出て来る用心棒なんかがその典型で、仕事内容が他よりハイリスク・ハイリターンだから払う側にとって別に損は無い。
寧ろ高学歴でもビジネス的には低能力の者へそこそこの賃金を払ってるのこそ完全な無駄で、月当たりの負担額が大した事無くてもずっと継続するからボディブロウはかなりのもんだ。

教育関係の職場なら学歴を気にするのも経験値と直結してるからまだ分かるが、ビジネスの場で直接は無関係な学歴だけに何時迄も翻弄されててはそれこそ「マトモに仕事にならない」のも至極当然だ。
この点で現状本邦の芸術系の単価はそもそも低過ぎで、芸能系のそれは高過ぎだ。

例えば¥100万の高価な名画ったって毎日量産するのなんて全然無理だから、月とか年単位で割ったら雀の涙だ。
人気を直に金額に換算すると仕方無い側面もあるが、「技術料の単価」を軽視すれば技の持ち主は減る一方でやがて皆が困るだけなのにね。

しかし禍を転じて福と為す発想からするとおいそれとは他人が出来ない技をもし持ってるなら、ライバルがどんどん減ってくと将来は必ず有利に働く。
間違ってても世間が多勢なので悪環境自体はすぐにはどうしようも無いが、個人としての誇り迄投げ出したら後で損するのは自分自身だ。

<つづく>

2020年3月25日 (水)

音楽備忘録231 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑥

警察と暴力団とか酒タバコに関する扱い等、政治とはそこ迄直結して無いイメージがあるかも知れない。
昭和の戦後みたいに大枠は政府が・運用や適用は現場に権限があった当時は実際そうだったが、平成の終り頃からのは時代劇風に言えば正にお上からのお触れそのものだ。

法の
規定に不備が多く実際の状況に不適切でも、状況を把握した者が幾らも適正化出来ぬシステムに改悪されている。
世界の潮流もあっての嫌煙推進は当然だとしても、どうでも何処でも吸えなくするなら喫煙を違法にしたのと一緒だ。

実害として火災・小児の火傷・ポイ捨て・煙害等があるのは分かるが、客観的に比較すると酒酔い運転や泥酔酩酊に依る死亡事故・殺人事件等の方が遥かに重大だ。
上記前者の内ポイ捨て以外は過失と見做せるが、制御喪失となる深酒は万一にもそうなる可能性を知ってての行為だから故意に当たる。

こんな麻薬と何の違いも無いのに後者だけ成人なら無規制とは、俺流暴言化すりゃ「ハタチになったら殺しOK」と認定してるも同然や。(どおりで善良市民のガラが悪くなる訳だ😅)
それは兎も角怖かったヤクザさんは居ないに越した事ぁ無いが、但しそれもヤクザ以外の一般市民がしばしば瑕疵があっても最終的には皆善良であったらの話しだ。

ほら見てご覧で上記「皆善良であったら」は、近年の無理くり音圧競争案件とそっくりじゃありませんか。
本来ならPOPSにそんな激しさは不要な筈なのに、周囲よりショボく聴こえたら敵わんと心配するあまり飽和状態に陥ってるざんす。

そしてこんな状況を招いた主犯は大手レーベルで、どっかのインディーズが悪戯するのとは訳が違う。
パフォーマーも機材も技師もせいぜい2流レベルのしか居らずとか、そのままだとどうにも売るに足りないから邪道だがなんてのなら分からなくも無い。(不利を逆手に取った成功例としては意図的Lo-Fi等)

それに対して1流を引っ張って来られるだけの分厚い札束があったり、1流のお抱え職人が居れば余計な加工なんかしなくたって充分リッチなサウンドが獲得出来る。
それを札束を下手にケチったら結局ロクなスタッフが残って無くて、恥も外聞も無くでは廃れるのも至極当然だ。

現状の大手作品をサラリーマンとすれば、エリートなのにホームレスの格好をしてる様なもんだ。
その根底にヤクザが居なくなったのを敢えて指摘させて頂くが、要するに恐い元締めが居なくなって横暴が幾らでも出来る様になったと。

だからってヤクザ復活を望みはしないが、ある意味効き目の強い薬的要素もあったのを見過ごし過ぎたね。
強い薬品は副作用も強いし、使い方次第でそれは直ちに猛毒に変貌するよね。

益より害が多ければそれを廃そうとするのは当然だけど、それで無くなる益の部分に無配慮だった結果がコレだ。
残念だけど所謂業界さんがかつては今よりマシに見えてたのにはカラクリがあった様なもんで、すぐ隣に居たヤクザと比べてそう見えてただけだったのよ。

そんで統制が取れんくなっての劣化も相当だが、更に大きな能力を逸してしまった。
それは上級ヤクザの「人を見抜く目」で彼等にとってそれは死活問題だから、眼力の無い者は指導的立場には立てないのだ。

何とかして対抗勢力より戦闘力を高めねば、アッと言う間に組も命も無くなっちまうからね。
つまりその力を音楽業界へ応用すると、スカウティングに効力を発揮していた。

現にあの美空ひばりを幼少段階から支持して実質的に育て上げたのは高名組長で、眼力の磨き方に失敗しても即座に殺される心配は無いサラリーマンなんかと違ったのは至極当然だ。
しかも存在自体は辛うじて容認されてたとは云えヤクザは昔からマイノリティー、だから単純にみれば知ってる世界が平民の2倍広いとも看做せる。

なので今なら大手レーベルがせめてこの手の部門に「伝説のヲタ」でも採用すりゃ良いんだが、外部への体裁や従業員としての扱い易さを優先し過ぎてコケでいる。
そんなのを続けてる内にマイノリティー界に疎くなり過ぎて、最早マトモに探すのさえ出来なくなった様に伺える。

こんな間抜けな業者も業者だが、自浄・自活能力が無くても適正な外圧が掛ればまだ救いがあったろう。
しかし1億総政治無縁派では「怖がらなくて・上前撥ねられなくて済む」だけ等と誤認してるから、自分はちっとも悪くないが誰か知らん奴のせいで駄目になったと思い込んでるんだろう。

<つづく>

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