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2018年10月 7日 (日)

J-POPサウンドの間違い探し①

J-POPが好きな方には悲報となり兼ねないので、冒頭にお詫びさせて頂きます。
また個人の好みに干渉する気は微塵も無いのと、必ずしも近年本邦の作品全部が該当するとは限らぬのもお断りしておきます。
俺が問題としてるのは主に録音上の音創りやミキシングについてで、画一的でつまらない他に難聴を誘発する心配もあるからだ。

どうしても記録されてる音の全てを漏れなく聴かせたいとなれば、
極力音量が一定で各パートの音量差は小さ目にすれば取敢えずは一応聴き取れる様にはなる。
これは小音量再生された場合でも全体が聴こえるので、音漏れ懸念等から解放される利点はある。
但し聴者が制作側の意図に沿った必要最低限の音量としたらの条件付きで、現実にはこれを守るのは容易でなかったりしている。

巷にある様々な音のどれもが
必要最低限とされてはいないし、聴者が周囲で次に何が起ころうと絶対聴こえなくならない様にすれば爆音へと向かいがち。
つまり悪環境対応性能は高いけれど、ある意味「好きな聴き方」をあたかも否定した音創りと云える。
同じ人ですら何回も聴く中で今は歌だけとか次はギターだけとかの、違った聴き方要望が出て来るのが当然の事なのにそっちはほぼ非対応ですわ。

因みに上記の一部聴きは歌唱や楽器練習の為の抜き出し分析等は例外扱いで
、飽く迄娯楽目的の場合を指すもの。
スマホアプリやPCソフトで今ではそれを簡単に実現出来るけど、それではこんな伴奏でそんな歌と云うのは味わえないですから。
一部のみと云っても背景次第で印象が異なるのは当然だし、それまで奪っては「その曲の時は」等の要素が欠落してしまう。

そもそもポピュラー音楽で歌物なんなら主役は常に不動で歌、例えその曲で如何に重要な任務を持ってても器楽音(伴奏)は脇役じゃないと意味をなさない。
逆にギターの伴奏が歌でも構わないがそれではある意味ポピュラーの範疇から逸脱するし、曲のタイトルから変更を考えた方が良いかも知れないのだ。
つまり主役の安定・固定が安心感等にも繋がり、それが親和性をもたらしてる訳ですな。

これを車に置換するとぶつかっても絶対壊れないとなってそれだけで済めば最高だが、相手が歩行者なら無用な大怪我を負わせてしまう。
誤って他所の家に突っ込んだ場合なら唯の解体重機となり被害拡大、では同じ車同士なら無事!?とならず乗客全滅だろう。
「人が」移動する為の道具なので壊れにくいのも大事だが、極力「人が無事」で済まないと一般的な道具として危険過ぎて成立しない。

目に見えない分分り難いが音にだって「無くせない背反条件」があって、これは原理的に解消不可能だ。
俺的には本邦では歌を聴くのがほぼ=歌詞を聴き取るになってる人が多数派に見えるが、そのお陰で悪運強く目立たない歌でも聴いて貰えてると感じる。
「ポップ」を重視したら「無意識」でも「楽に」「自然と」歌だけが先ず耳に届かないと変で、聴き取れるのとその手間不要で最初から簡単にもう楽しめるのの違いを忘れている。

誰が主役かサッパリ分からない劇を見てストーリーが分り辛くなるのと同じで、程良く分離が残ってるからこそ
却ってそれぞれの存在感が生まれるってもんだ。
もう1つこれの弊害なのか分からんが、インストゥルメンタル(歌無し)が異常に少なくなってるとも痛感してる。
ホントにギターならギターを前面に押出したいなら、必要最低限時のみゲストボーカルを参加させる等の編成の方が圧倒的に効果的だ。

ここも大した矛盾で売りたいから流行りの音ってのは分かるが、「合わない手法」をわざわざ採用固執してどーすんのよだ。
全部が一様に聴こえるってのはプチスターの集合体になる訳だが、それじゃどう頑張ったって唯一無二のスーパースターなんか絶対産めやしないのよ。
厳然とした主役・脇役があって尚且つその差が歴然としててこそ、スターの価値も分り易くなるんだからさ。


そして何より問題となりそうなのが冒頭の物騒な文言「難聴」で、耳馴染みや聴者の疲労にはとても厳しい音になってしまうのだ。
無理難題を無理矢理共存させたのでどうなってるかっつうと、どれもパワフル・明瞭・存在感抜群ってのは本来現実には存在し得ない音なのよ。
俺には各パートが全員で大喧嘩してる様にしか見えないし、幾らこっ酷く殴られても永遠に倒れないゾンビじゃあるまいしってね。

これに輪を掛けて不味いのが音量均一化の手段の選択ミスで、音色もデブって一石二鳥と安易にコンプレッサを乱用しちまった処。

日本人が古来より得意だった「間の文化」と正反対だからしくじったか、「詰込み文化」なら大陸系人の専売特許だろう。
量を揃えるは英語ならレベリングとかになるんじゃねで、
近年ではほぼ名称を耳にしなくなったが一応「レベラー」なるエフェクタもあったんだけどねぇ。

昭和の電気・音響に明るい人にしか通じないだろうけど、かつてのテープの自動録音の中にはオーディオ向けに言わば半自動のもあった。
SONYではそれをリミッタと称してて実際入力過大時に感度を下げるものだが、PA屋のそれとは少し違いがあった。
普通のリミッタは一度作動しても入力が下がるとすぐ感度が元へ戻るが、これは戻る迄の時間をわざと長くしていた。

その目的は電気的原理はリミッタもコンプもレベラーも同一なので、反応が良過ぎるとコンプみたいに音色をイジって変える危険があるからだ。
この際ついでで3者の相違を記しとくがその名称は主要用途を表してて、
①コンプレッサ:音色を変える(聴感上の音圧を上げる等)
②リミッタ:過大入力の制限(PAの故障・記録物の歪み回避等)
③レベラー:音量の均一化(聴き易さの向上等)
とそれぞれなっているからだ。

なので本来聴き取り目的ならレベラーが適してて、少なくとも上述みたいな「急な音量変化はしない設定」で用いないと中々所望の結果は得られない。
この錯誤は結果的に不自然に「隙間」無さ過ぎな満員電車痛勤サウンドになって、辛うじて聴き取れはするがとても疲れ負担の多い音になってしまう。
しかも大巾な音色改変を容認した割には荒く安っぽくなってしまい、俺みたいにある程度年取った者には「電池の減った安物AMラジオ」みたいに聴こえる。

昔の人には競馬・競艇・競輪場のヘベレケ迷惑オヤジのうるさいラジオで分りそうだが、今の若い人なら携帯電話の声に近付くとでも言えば少しはピンと来るのかなぁ。
折角スマホが高音質化されてもネタがこれでは全く無意味、日本では音楽関係の元締めは殆どがオーディオやってる会社なのにねぇ。
聴く人が各自の状況・好みに応じてアプリで加工してが出来る様になったんだから、
録音は素直にしといた方が何かと便利な筈なんだけど…。