音楽備忘録1964 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑪
賀正:今年も宜しくだうぞ…と挨拶も極小にしんがりは、独断と偏見Maxで英のThe Sweetをゴリ推しすっべ。
又々しつこく登場させるにはそれなりに理由があって、リアルタイムでの人気や曲や演奏の実力の割に余りにも今劣化本邦じゃスルーされてっからだ。
大体に於いて杜撰大王みたいな胡散臭い奴がクソガキ当時に知れたからには、FMラジオでそこそこ掛かってたからに他ならない。
のに強いて敗因を挙げるとすれば当時カテゴライズされたのにしては巾が広過ぎたのと、その後に目立った活躍が無かったからだろう。
で何処に入れられてたかったら当時全盛期のGlam Rockだったんだが、当初はアイドルコーラスの扱いだったのから本格派Hard系へ移行する途中でそう外野には判断されてたんだ。
尤もHardってもPower Pop的要素も解散迄維持してたから、後年のHard系からも洩れちまったんだろうな。
だがしかし当時の平凡な大衆の多くはいきなりZep等に入れ込めた訳じゃ無く、もう少し「聴くのが楽」(つまり曲がPops寄り)な存在があったからこそその多くが馴染めたんすよ。
杜撰君の場合当時10歳位上から同世代のプチヲタ迄付合いがあったから、Hard系の存在自体はリアルタイムで出た順番に知っては居たんだけどさ。
その頃悪戯盛りだったからより身近に感じられたのはGlamの方で、細部の精巧さよりサウンド全体の面白さの方がピンと来てたん。
ほいでこの件でチト興味深いのが、生粋のHard系だって少しはヒットしないと活動資金が枯渇する処でな。
或は俺の方が有名とか欲しかったのか知らんが、Hard系が普及してひと段落した辺りで「揺り戻し」のあった事だ。
つまりあれだけ名声が得られたZepやPurpleの実質的な後継Rainbowでさえ、Hard系第1次ブームが去りつつある頃になったらPopな歌物シングルなんて出してたのよ。
結局これって幾らガチのコアヲタ系を標榜してようと、ポピュラー系の1バリエーションに収める限りはある程度分かり易さと馴染み易さは堅持しなきゃなんないって現実からは逃れられんかったって訳だ。
Sweetと比べたら量的には少ないが、Zepは終始一貫して「シングルは意図してPop」にしてたやんか。
となればPopなままでヲタ要素も入れとけりゃその方が好都合で、体験的私感でそれが最も上手だったのがSweetなんだ。
純粋なHard系やPower Pop系にも良い線行ってたのが無くは無いんだが、Sweetと比べるとどうしても無理してる感があってねえ。
フル毒舌すりゃまるで今劣化本邦J-Popに似てて、サウンドと曲調が今一フィットしてねんだよ。
そう云や以前から最近の役者は、何でもすぐに怒鳴る演技に走るなんて従兄がディスってたっけ。
単純思考で怒りを演じろと命じられれば先ず大声出したり言葉遣いが荒くなるのが浮かぶが、頑固親父が不機嫌になると一切しゃべらず誰にも耳を貸さずひたすら憮然とするなんてのだって現実にあるやんか。
それと同じ様にサウンドだけ盛大に屈強にした処で、曲やメロがそれに相応しくなってないと単に大袈裟なだけと受け止められちまうん。
こう云う観点で作曲の抜きん出たサンプルなのがSweetで、サウンドに極端な変化は無いがつまりは曲自体のタイプの巾がとても広いんだ。
同じくそう云う意味での演奏力が突出してて、本当は純粋なテク観点でもDrummerのMick Tuckerは他の超人に全く遜色無いんだけどなぁ。
=つづく=
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