芸能・アイドル

2022年9月17日 (土)

音楽備忘録1128 不当低評価の是正⓭

今回は珍しく内輪ネタじゃ無いんだが、アニメの実写映画化の記事で違和感を覚えたのからの話しだ。
それはTake Me Home,Country Roads(曲)の件で、その記事としては必須じゃ無さそうもオリジナルが省かれてたのに引っ掛かったんよ。

当該曲が最初に世に出たのをリアルタイム体験してたからこそなのかもだが、恐らく海外でも有名なCountryの人John Denverの代表曲なのに一切触れられて無かったんだよ。
今劣化本邦ではジブリでの本名陽子さんのカバーの方が歌詞が日本語なのもあって馴染みがあるのも分からなくは無い。

が英語版でも日本ではしばしばOlivia Newton-Johnで止まっちゃう、ってのはどうにも頂けんがな。
この曲自体が出て直ぐにワールドスタンダードになってたし、本家John Denverに他にもそうなってる曲が幾つかあるのがそんなじゃきっと洩れちまう。

日本限定でも少なくとも当時の洋楽ファンには本家のイメージしか無く、尚且つそれでヒット歌謡曲と近似な捉え方がされてたんだけどねえ。
英詩ってもBeatlesとかと近似で外国人に最も親しみ易い部類で、近年なら英語圏の人にとってのBabymetalの日本語詞みたいな感じだったんだ。

それにOlivia Newton-Johnってったらなんてったって、そよ風の誘惑(Have You Never Been Mellow)の方が圧倒的に印象深い。
確かにDenver氏の様に程々の時点で早逝してると、本人不在なだけに多少なりとも存在感が薄れるのは仕方無いけどさ。

けどジブリアニメで「平成初期の団地住まいの庶民の娘」が関わって、全く違和感が無いものとして選曲された程スタンダードな訳っすよ。
尤もジブリので例え日本語詞で歌が変なリズムになったカバー(おっとスンズレイ)にせよ、それでリバイバルされなきゃ劣化本邦では曲自体が埋没してた可能性が否定出来んがね。

わ兎も角普段相当Rock系を標榜しといて何で持出したかっつうと、CountryがRockの直接のご先祖様だからなのだ。
無論Rhythm&Bluesと共にこれ等のみでは無いけれど、近年の日本人がRockを演ろうとして躓いた場合Countryに疎いのが原因多数派だからなん。

広義のRock内でもロカビリー系の人は大部マシだろうが、近年のサウンドやアンサンブルへ上手に取り込むには「Rock登場以降のCountry」の重要性は計り知れんのどす。
劣化近年本邦ではもしかCountry→田舎→長閑だけのイメージかもだが、暴れ馬や怒った牛を何とかするとか厳しい自然に対峙するなんてのも主要テーマになっとりゃあす。

静的とか非暴力的ってんなら心は激しくてもFolk系の方が上だしネタとしても向いてて、開拓時代の他人の迷惑顧みない粗野なカウボーイが馬でって今だと≒ルーレット族や暴走族同然だかんね。
ってJohn Denverにはそんな曲が殆ど無いのに語ってるのが、杜撰大王ならではになっちゃってっけどよ。😅

けどロカビリー黎明期って乗り物を馬からバイクや自動車に替えたも同然で、変な例えだが子供番組のヒーローで鞍馬天狗の後の月光仮面はとっちゃんバイク(ぉおっと失礼)ってのも同じ流れどした。
因みに’60年代当時は今のスポーツバイクみたいな容姿のはまだ無かったからそうなっただけで、然るに’70年代に入ると変身後のキカイダーのはレーシングタイプ・ワイルド7のは白バイと暴走族御用達魔改造の合の子みたいなのにちゃんと!?変化しとったよ。

とっとと戻ってスピードやパワー感ではこっちにはあまり参考にならんDenver氏のも、コード進行や伴奏の小技に関しちゃ結構秀逸なのが少なくない。
それとこれは彼に限定されないがChorus(歌)の音程間隔の取り方等で、Guitarのパワーコードみたくメジャーマイナー感を殺したのについてはCountryはその宝庫なのだ。

これでCountryがユニークなのは伴奏はメジャーマイナー感が明確にあって、Chorusのだけそれが無いのが頻出したりする処でさ。
強いて言うならこれに依ってFolkとの差別化を図ってるとも看做せ、RockでありながらPopさも併存させたいとかその逆にしたい時にとってもタメになるのよ。

<つづく>

2022年8月17日 (水)

音楽備忘録1097 不当低評価の是正❹

本邦の業界劣化は想像を絶する様相を呈して来ちまったが、それ等の根源の1つに本件も含まれてると考えている。
誰だって富も名声も得られるなら欲しいもんだが、魂を簡単に売ってしまえるのは本質の理解不足に他ならんのじゃ。

どうせ真面目に頑張っても収穫が少ないなら…俺だってそんな気持ちには常に苛まれてるが、中でも最もバカバカしいのが基礎レベルでの「あ~ぁ勘違い」なのよ。
努力の方向を誤ってりゃ運良く周りに金の亡者が居なくても高評価が得られぬのも当然で、教育の瑕疵責任はあるにしてもこっちも自分で学ばなきゃアカンよそりゃあ。

こんなに偏狭資本主義化しちまうと雇う側は金勘定しかせんが、雇われるこっちは実務遂行上真実を知らないままでは済ませられない。
要は「立場が違う」から世相がどうあれ理解出来て無いと、ある日突然首切りされてそれっきりに追いやられる訳ですよ。

貰いが少ないのに苦労が減らんとは理不尽そのものだが、「実際に演れる」為の代償みたいなもんだからしゃーないねん。
かなりワイドな脱線になるが亡き安倍元総理は最期迄自宅警備に数億をつぎ込んでたらしいが、嘘ばっか付いたのを本人は自覚があったからビビリ捲っとったんちゃう?。(そのお金すらも敢無く無効化しちまった)

一見突然こっちへ戻す呈だが、そんなのって音楽家でも役者でも経営者でも大泥棒でも基本構造は全部一緒なので御座居まし。
それが口だけ番長でも居られる現政治屋なら、失言が酷くなってってもスルーされるだけで今の処は済んでいる。(ホントはそんなじゃ実に困るがね)

だが作品なり本日の表現なりで内面を出さなきゃなんない職業だと、人が逝かれると仕事もイカレて段々お義理でしか使って貰えなくなる。
それを避けるには例え今は家族の膨大な療養費の為とかで悪の軍門に下ってたとしても、裏では日々修正・矯正をしとかんと後で困るんだ。(上記の可哀想なオジサンも利用したつもりが利用された挙句…)

とプチ久で長前置きになっちまったが、こう云う根源的誤認がRingo Starrみたいなベーシックな存在の誤評価に表出してると思うんよ。
無理に好きになる必要も無いし、興味を抱く必要は無いすよ。

けどだからって不当に低評価するってな、例えば「魚は畑で獲れるもの」なんて誤認するのと一緒でさぁ。
脳内物差しの目盛が1cmの次が10cmと記されてて、それでいてその次が2cmってなってる様なドエライ状況なのよ。

だから誰に心酔して誰に興味が薄かろうとそれだけなら構わないんだが、歴史や経緯を誤認して後で損するのは間違えた本人の被害が最大になるのを知っといて欲しいんだ。
決して最初から完璧を目指せとは思わないし、ちょくちょく間違えるのも仕方無いし杜撰大王ですから全く否定なんて出来ないっすよ。

只問題なのは概知のものへ一切の疑念を抱かず放置するとか、好みのへ忖度し過ぎて欠点まで丸々受け継いじゃうとかがやべえんだ。
Ringoに関して必要な予備知識としては当時の環境等も重要で、過酷な長時間演奏や劣悪なMic関係等現代では想像を絶する酷さだった処。

当時そこそのLive houseでレギュラーを張ろうとすれば、レパートリーは今の10倍は最低必要。
Jazz系ならまだ長い曲とかアドリブで引っ張れるけど、ホピュラー系はロカビリー・アメリカンポップスの全盛期だから1曲がどれもやたらとすぐに終わっちゃうし…。

Beatlesデビュー後ですら当初はブームスタンドも無かったりで、Snareの手前にストレートスタンドを立てて叩き乍ら歌うとか!。(当然の様にコロガシモニタとか一切無し)
必ずしも本人が偉い訳でも無いだろうが、恰も次元が異なる程の中で編み出し演り続けて来たのはどうにも外せないんじゃないかな。

<つづく>

2022年8月 6日 (土)

音楽備忘録1086 不当低評価の是正❶

好みや人気が反映する分野では、数字的絶対比較が出来ないからある程度は仕方無い。
だが表面上の印象のみとか商業性だけで芸術を勝手に判定しては、最終的には手放しで心の底から楽しむのを阻害するだけなのだ。

さて冒頭の「ある程度」とは積極的に売ろうとはしてないとか、販売より製造に注力してる様な作品の事だ。
そう云う姿勢だと万人に分かり易くはならなかったりするから、内容の割に今なら「いいね」が少なかったり定評を得るのに時間が長く掛ったりする。

この件で俺の近辺では最近の日本の稚拙さが嘆かれてて、その酷さが海外の比じゃ無いんで又吠えたくなった。
さてⅡで今たまたま個人的にRingo Starrのソロアルバムに一寸嵌ってたんで、先ずは彼のハイパー不当低評価に徹底的に抵抗してやろうじゃありませんの。

Beatlesのソロになってからので俺がリアルタイムで最初に気に留まったのは、彼のBack Off Boogalooって曲だった。
曲全体の音世界の格好良さと奇特性に惹かれたんだが、彼のソロの他のがラジオで掛かる事が殆ど無かったからずっとそこで停滞したままだった。

それが今頃になって漸く自分的には聴ける時間が訪れたんだが、やはりシングルのチャートでの受けとかRockとしてどうかってば他の3人よりは少し物足りなさがあった。
しかし歌物Popsとして聴くと最も捨て曲!?が少なく、聴き手の知識等に左右されない出来栄えなのには感服させられた。

最初に世間で有名になった当時はDrummerを最もやってたから、どうもそれに俺も含め皆縛られてる節があってね。
個人のアルバムを順に聴いてくと、本人はどうも外野が思ってるよりPops歌手に力を入れてる風なんだ。

Drummerとしては売れただけで駄目じゃ無いがまあまあ、歌手としては上手な人と一緒に歌って迷惑掛けない程度ってのが今本邦の世間認識かねえ。
実際は当初はそうでも沢山聴き続けて↑のままってのは、知能指数マイナスって位恥ずかしい事なんですがね。

正直俺だって真の実力よりは低めに捉えてたが、その訳が最近ハッキリ分かっちゃったんだ。
↑で「Pops歌手」としたのは超意味アリで、演る側からは聴き手を選ばないのを重視してるらしい。

先ずPop Musicに拘ると聴き易さ最優先になるから、不要なパーソナリティのアピール等は邪魔になってしまう。
歌に関してもタレント性を楽しむんなら、素人が真似出来ないのをやって見せ付けるのもアリだろう。

が聴き手が気楽に即座に参加出来るようにと思えば、意図して「誰でもすぐ歌える」様にしとくのも大切。
その様な姿勢で取り組むと「楽しいけど凄く無い」と感じられるのが大多数となるもんで、しかし飛び道具一切無しで勝つのってホントは最も困難なんだけどねえ。

俺の中にもある演奏ヲタ的には今1つ面白味に欠けはするが、音楽全体は常にハイエンドレベル且つ新規物の導入が異常に早い。
只ここ迄のほぼ全てには大変重大な「裏」があって、近代の「ポピュラー系の普通」ってそもそもは彼等(Beatles)が作り上げた物って処でさ。

Beatlesより少しでも後の人にとっては単なる普通だが、本家にとっては「自分達オリジナルの流儀で演ってる」だけなのよ。
これは他に類を見ない現象なので皆失念してる様だが、彼に限っては先ずこの特異性その1を含めないと正しい評価なんて出来っこないのよ。

<つづく>

2021年9月28日 (火)

音楽備忘録775 Rockのスタンダード➊

近年になる程所謂懐メロに洋楽ポピュラー系が無視されてるんで、ちっとも相応しそうでは無いがそれを体験から綴っとこうと思う。
個人的には地上波TVは元々期待薄だったが、それなりに頼りにしてたFMラジオ放送すら聴く頻度がほぼ皆無になったのに由来する。

確かに昔と違って自ら調べれば簡単に情報獲得が可能になってるが、それが出来るのは名前を知って興味が湧いてからの話しだ。
本来紹介が必要なのは僅かしか耳にした事が無くその名も当然未把握で、けれど何だか気に入ってる様な段階の人達だと思うんだけどねえ。

現に幼少期に耳にした中に未だ未解明のが残ったままで、長年探してても見つかっていない。
かつてはヲタ性の強い番組でそれが分かる事もあったのが、令和になって完全に途絶えたですわ。

実際どの程度政治とか業界の圧力等が作用してこんなになってるか俺は知らんが、アホガキだった俺が今に至れてるのはかつては「目立つ所に親切なオジサン」とかが居てくれたからだ。
具体的には海外ならWolfman Jack・国内なら糸居五郎から小林克也辺り迄が俺には先生で、これは音楽に限らず他に興味のあった分野でも同様だった。

鉄道なら小田急ロマンスカーを作り出した人達、自動車ならかつてテレビ神奈川(TVK)で「新車情報」って番組に出てた三本和彦氏なんて下手なお笑い番組より遥かに痛快だった。
これの前者は実務と平行しての趣味誌への寄稿で「現場の本人の声」そのものなのが貴重で、後者も開発者を呼び付けてユーザー目線で無遠慮に毒舌を浴びせてたのが特筆ものだった。

何れも単なる一方的な批判で無いのが近年のと大違いで、取敢えず不満はぶつけてみるがそうせざるを得なかった真相が明かされたりしてたからね。
案外出来るのに見落してたのに対しては素直に謝ったり、改善の約束をしたりと中々建設的だったな。

音楽の方は小林克也氏以外のは殆どがラジオだったが、何れも郵便投書に依って市民と直接繋がってたのも見過ごせない。
今だって無くなっちゃいないものの変な忖度や選別がどれも多過ぎで、ありのままに正直にやってるのったら俺知りだとダルビッシュ有のTwitter位しか無くなっちゃてるよ。

これについては是非皆にも猛烈に違和感を覚えて欲しいんだが、専門性が高いと最終的には当事者本人じゃ無きゃ無理故ド素人への対応こそメジャー系メディアが担うべきなのにさ。
そりゃ携帯ショップへ自らは学ぶ気が皆無の年配者が押し掛けて我儘放題なんてのが蔓延してると、「知らぬは罪」みたいな感じに見えて来ちゃうけどさ。

投稿だってネットが主流になって以降は全くイカレタのも増えちゃったから何だけと、おかしいのが多いからってマトモなの迄封殺するのはやり過ぎだしょ。
今試しに「洋楽スタンダード紹介」でググってみたら出て来るのは有料のの宣伝ばかりで、無負担で行けるのは個人ブログがちらほらってのはあべこべだと思うんだよねえ


初めの一歩を知るのすら有料にするってのは、新規顧客開拓を放棄するって事なんじゃない?。
幾らネット上に文字だけでご託を並べた処で、魅力的な音の一端すら聴けないんじゃ誰が分かるか気付けるかっての。

とひとしきりほざいといて何故俺じゃ相応しく無いと考えてるかったら、渡米経験も無きゃ昭和47年以前の沖縄出身者でも無いからだ。(第二次大戦後から上記の間は「沖縄はアメリカ」だった)
黎明期の色々がこっちじゃ既に伝説化し過ぎの状態になってから入って来てそうで、しかし時間の経過で原体験をお持ちの方々はどんどん減ってそうだ。

これに輪を掛けて末端ブログじゃ波及力が脆弱過ぎるんで、誰かたった1人にたった1つ役に立つ程度でも御の字と覚悟して乗り出すとしよう。
又世界と共通のの方が多いが、ここでは敢えて「日本でのスタンダード」にも少し拘ってみたい。

ってのは現地での黎明期の1950年代に活躍した言わば第一世代が、’60年代には死亡・引退・徴兵等で業界最前線に居なかったのに端を発する。
それへこっちでは敗戦や占領の影響も手伝って1970年頃迄は音楽ムーブメントは戦勝国より10年遅れが続いてたんで、一部で興味を持つ者が出だしても大物達となると幾らも呼んで来られなかったんだ。

俺の生まれるかなり前なんで何故ロカビリーだけはすぐに入ったのか分からんが、黒人系を中心としたそれ以外のはBeatlesの武道館迄だと有名処ではThe Ventures位。
結果的にRockってよりゃ「エレキブーム」の方が先みたいな事になってて、欧米の60’sはPops寄りのが中心になってたのがこっち固有の現象だった気がするな。

<つづく>

2020年5月21日 (木)

音楽備忘録288 音楽も含めたテレワーク③

本項もこの辺で一旦終結させようと思うがテレワークは可能なら、結構誰にでも必要な処迄話は来た。
以前一部の音大では学校主導の動画アップがなされてるのに言及したが、正味な処それで表立った効果が出てるとは今の処は言い難い。

又既に一定以上の実績を持ってたりすると、高評価確実じゃ無いと出すのを躊躇してる人も結構居そうだ。
がそんなのは最早夢か幻かで、今となってはもうちっとも珍しくも何ともない動画発信等である。

結局多くの支持を得られるかどうかは内容次第なのは不変で、メディアの種類に依って多少優先事項が変動してるだけだ。
現実的に過去の名声!?を否定しちまう様な駄作をおいそれとは出すべきじゃ無いが、だからって構想を温めてるだけで上手くなれる物では無い。

最低限「傷が付かない」様にする配慮は要るが、本当に自発信出来ないとしたらそれは機材等の事情の方だ。
これすらスマホの普及で俺みたいな例外以外は障壁は無くなってるから、それなりに発表可能な手持ち作がある者は今すぐ録って上げとくのがお薦めだ。

特にアマチュアの方がこの影響は大きいと思われ、昔みたいに直接出向かないと聴けなかったのが変ったからだ。
有名人やプロのは殆どの場合レコードなりテープなりが売られてたし、大手系のならラジオやTVでチラ見する程度ならそこそこチャンスがあった。

一方数少なかった独立系の方は客には手間を要したが、Liveの一部を無料化したり意識的にテープの無償配布等も行っていた。
のに加え最大の相違は定点・定時的出演場所を設けたりして、そこへ行けば「取敢えず繋がれる」様な状況を用意していた処だ。

これは今だって完全に無くなっては居ないけれど、過去比では拠点数が増え過ぎたり○○専門の店みたいなのが減って探し当てるのが難しくなっている。
年寄りの戯言丸出しになるが活動時期の新しい人へ参考にボヤいとくと、昔はLivehouseに出演するの自体がかなり高いハードルであった。

初心者や下手クソが出させて貰えるのは特定のコンテスト程度で、例えアマ主体のLivehouseでもどの店もそれなりの品格を堅持していたのだ。
品格ったって相撲の横綱じゃないからお下品だったり態度の良くないのの方が多かったが、少なくとも趣味の合ってる人にはお金を払って損させる様な事は皆無だった。

例えば渋谷の木造3階時代の「屋根裏」って店ならPunkの殿堂として君臨してて、取敢えず何時行っても本格的なPunkを必ず体験出来ると云った具合だ。
つまりお客から見てある程度「アテに出来た」から、お目当てや知ってるのが出て無くても試しに行ってみるべかが成立してた訳ね。

今はこれは昔比では殆ど崩壊したと云え手間暇費用も掛かるから、余程の物好きかスカウティング以外でアテも無く足を運ぶ人は居なくなった。
多様化と量的膨張のせいで「拠点」が無くなったのは厳しいが、これからすりゃ何か1つでもネット上に上げとかないと「入口」が無いのと同じと思われる。

そうして入口を整備した処でこんなに大量に氾濫してると幾らもアクセスは期待出来ぬが、だからって無い入口からは絶対に入れない。
インターネット利用歴の長い従兄曰くブレイク迄に幾らでも時間が掛る覚悟が必要だそうで、この点では一面で「待つのが仕事」と言えそうだ。

勿論少しでも興味を持って貰う為の努力に休みは無いが、予測時期迄に想定通りの評価が得られなかったからって手を緩めるのが一番無駄なそうな。
現実的には労力と効果のバランスで先を決めるんだろうが、短期効率のみに目を奪われてあちこちを転々としちまってはいけない。

それではお客さん側から見て「アテに」なる場所が無くなってしまい、あんなのが聴きたくなったらあそこへみたいなのだけでも定着させるのが大変重要だ。
そんな受け身がもし嫌だったら受注生産とすれば良いが、盛んに「御用聞き」をして回るにしてもニーズのタイミングが合致するのは天文学的低確率だ。

それをするにしても結局「アテになる受付窓口」が必要で、どんな仕事が出来るのかもある程度知れる様でないと魅力も足りない。
でも考え様にに依っちゃ昔みたいに電柱に貼り紙したり外に看板を出すのしか無理だったのと比べると、お客さんが店員に接見せずに様子を知れるのは消極姿勢のお客さんには効果絶大だと思うんだけよね。

<この項一旦終了>

2020年5月19日 (火)

音楽備忘録286 音楽も含めたテレワーク②

前回最後で「肝心な処が捗らない」がビジネスであればそれは=仕事であるが、今の内閣なんか態度迄不遜とは救い様が無い。
Rock系って元々反体制側だけど、それでも露骨に批判するのは好きじゃないけどこの有様ではね。

毎度の私的ではあるがこんなのがまかり通る様になった根源を探ると、労働実態より「態度を優先」させる様な風潮が蔓延したのがいけないと思っている。
どっちも悪くて良い事は1つも無いけれど、真の意味での優先順位を忘れちゃったら駄目だよね。

或は見栄え≒第一印象は良いに越した事ぁねぇが、猫も杓子もは一寸行き過ぎだったとね。
ヴィジュアルが売りの根幹ならそれで正道だけど、中身の方に比重のあるの迄そっちへ振り過ぎちゃしょーもねーや。

本邦首相の給料は多分他国比だと廉価だろうが、どんなに雀の涙でもそのまま溝に流すのと同じ様では無駄な出費だ。
この不景気に「働かない・働けない」奴なんかに払う余裕は皆無で、割高割安より兎に角仕事が進む方が先ず大事だ。

こないだかの「暴言市長」に関する記事を読んで納得したんだが、口は最悪でもちゃんとしっかり市の為に仕事はしてるんだそうな。
勿論口の悪過ぎにはそこの市民は恥ずかしくて仕方無いだろうが、市長の仕事の本質はナレーターとかアナウンサーじゃ無い。

それと似た感じでテレワーク案件についても所謂一般的なデスクワークでは、無理が生じるのは僅少なのでもっと平時から推進すべきだろう。
対して音楽等のリアルタイム合奏等では現行回線やシステムでは不可能に等しいので、こっちこそがわざわざもっと出向いて行うべきと考えられる。

それからすると正しい!?ラッシュアワーには背広野郎なんて殆ど居なくて、上から眺めたらきっともっとカラフルである筈だ。
しかも他にも訳ありで一般ビジネスより創作をする者の方が道具も多く、例え大柄屈強で担げたとしてもケース入りのコントラバス背負って自転車に乗れても今ある専用レーンじゃ狭くて走れないだろうからね。

と何時迄言ってても当分はどうにもならなさそうだから各自で工夫を凝らすしか無いが、この面でも本邦ミュージシャンはより逆境に置かれてる前提は認めとくしか無い。
無理な箇所へ執着してそれだけで諦めてしまうか、可能な処だけでも手を打って行ってみるかである。

私的には後者推奨で、それは後に環境改善が進んだりした時にも役立つからだ。
変な例えだが俺は現況携帯電話不所持なので積極的には学んで無いが、偶然遭遇したそれ用のコツ等は頭の片隅に留める様に心掛けている。

最初は遅れて持っても割と直に使える様にって腹だったが、その後は大分様相が変化して来た。
こっちは無くても相手は持ってたりそれでコンタクトして来る事が増えたので、多少なりとも相手の置かれてる状況は分からんより分かった方が何かと良いかと。

正社員の方には耳に痛くて済まぬが、無駄な通勤費用を払える会社に居る事は一面で誇って良い。
ホントに台所事情が厳しければそんな悠長な真似は出来ないだろうし、時間的にも通勤に取られる分は無効となるからね。

第1段階では残業を増やしてって・第2段階になると泊まり込んで、それでも駄目なら同僚等へ託してってのも人員が潤沢だったらの話しだ。
小説家等にだってスタッフや協力者は勿論付いちゃ居るが、完全に同じ分野を共同で担うのは不可能だ。

個人事業主ってな仲間に左右される度合いが少ない代わり、環境に無関係に元から真の意味での自己責任状態にある。
グループを組んでても自担当がたった1人だったらそこは個人でやってるのと全く同じで、代役を求めるのも自由だがそれをし過ぎれば失業なんですね。

それからすると別にコロナ禍とかテレワークがどうのとは無関係に、本質的には当初から工夫必須の業界若しくは世界と考えられる。
中でも映像系や音楽系は確認するだけで一々一通り頭からお尻迄再生してみなきゃなんなくて、その面で最低必要時間の短縮が不可能だ。

さすれば出向くの必須のリアルタイム合奏は仕方無いとして、在宅で可能なのは全てそうでもしとかないととてもじゃ無いが時間が不足する。
のに気付けないで居るのが身近にも散見されるが、恐らく全体像が今一見えて無いのがその原因だろう。

<つづく>

2020年5月18日 (月)

音楽備忘録285 音楽も含めたテレワーク①

前回にそもそも個人宅でのテレワーク環境不備へ成行きで到達したので、一応お題もそれに合わせて修正してみた。
んだけんどもテレワークは愚か自宅での楽器練習等、今本邦では基本的に家では何かの作業をするとか出来るってのが不足し過ぎてるのが厳しい。

限られた空間で快適性を追及したり在宅時間とそれに掛るコスト等の都合でよりこうなったんだろうが、私的には幾ら何でもカプセルホテル化させ過ぎじゃん
と思っている。
その根底には是又政策の不備があるとしか考えられんが、それは「寝蔵」に対する考え方の中途半端過ぎが不味かったと思われる。

今は台所より風呂・トイレの方が必須とされててそれは間違っちゃ居ないが、真に「帰って寝るだけ」の空間とするなら最早個人所有・占有の必要なんてあるのかどうかだ。
それに加え自宅で不可能となった作業をしたい時の施設はもっと潤沢に用意しとくべきで、しかもこの方向性で行くなら頻度差はあれ誰でも必ず必要とするのだから無料若しくは低廉でなくちゃ嘘になる。

多様な思考の人が混在してるから完全統一を目指しては旧共産主義みたいになって駄目だけど、自粛要請と補償はセットなのと同じでちゃんとセットになってないと機能しないのが無視されている。
とは言え何時迄も無能政府に文句を付けて待ってても世界から取り残されちゃ敵わんから、本来はNot My Businessでも自前で進めなくては埒が開かない。

低レベルで悲しいもある意味こんな処も「出し抜く」キッカケにもなり得る訳で、少なくとも非リア充だったら直ちに取り掛かるのがお薦めだ。
事前準備されてる資金も無く個人って小規模では出来る事はささやかではあるが、塵も積もれば山となるで放っとくと後で追い付けなくなる危惧がある。

音楽に携わってる場合特に気にすべきが技量・奏力・経験値で、やり方さえ分かれば直に実用に供すとは行かないのが多いからだ。
ここでの鍵は費用対効果の継続性で、具体的には毎回他所の設備を借りるのと自前で徐々に設備を整えた場合の「後での違い」だ。

外に求めた場合の損得は維持管理不要だが「その場限り」な処で、滅多に起きないけど今回みたいな事態に遭遇すると何も出来なくなる。
ここで通常時の人の生活実態も加味してくと今回みたいなのは無くても、予想外の休日が手に入るなんてのならそこそこあり得るだろう。

宅外でしか活動しない想定で暮らしてても急遽相手の都合で予定が流れ、そんな時に常に個人練習でもStudioに空きがあるとは限らない。
それと賃貸料も単位あたりは廉価で直に払えても、積算したらどの位膨らんでるのかを注視しとかないとならない。

元から閑古鳥とは云え流石に今は非営業にしてるが、個人宅で一応録音Studioをやってる者の観点ででもだ。
余計な事を暴露して更に儲けが減るのも苦しいが、商業目的で始めたんでは無く空き時間の有効活用や維持費の調達を目論んだ結果だ。

又借りる場合に考慮の要るのが「借りる道具」のコンディションで、運悪く寸前に借りた奴が人でなしだったりするとそれだけで正規の状態が得られなかったりする。
これを気にすると賃料は一気に跳ね上がり、選択肢数もかなり限られてしまう。

軽い練習に大したコンディションも不要かもだが、だからって何時も酷過ぎるのばかりしか体験出来ないでいるとこっちの感覚が狂わされる事だってある。
これが厄介を孕んでるのは人に依って何処がどれ位じゃないと困るかがかなり違ってるからで、パーソナルな行為なだけに○○様専用的要求が強い。

更に付記しとくと業者側のスキルの低下が顕著で、完全な専門家じゃないと扱えない機材しか無かった時代と比べると仕方無い現象かも知れない。
昔のStudioだってしょーも無いオヤジは勿論居たが、今とは「駄目な場所」は明らかに違っていた。

他の処でだってそうだろうが昔のは最低限の仕事はこなせるが、呑んだくれてたりセクハラ大王だったり…。
実際それにも困らされたけど費用をつぎ込んでて一番困るのは、どんなに態度その他が良かろうと肝心な部分がちっとも捗らない場合だ。

<つづく>

2020年4月 5日 (日)

音楽備忘録242 「一億総ベーシック失念化」現象!?①

派手なお題目なんか唱えちゃって随分音楽から遠そうかもだが、かなり深い関連性を孕んでるから俺なんかが提唱してるのだ。
俺自身だって気付けてないだけで怪しい処が多分沢山あるだろうが、極限に少しは近い環境に居るせいで否応なしに正解を得られてる側面もある。

生命維持の原理からは苦しい奴程正しきを知るのは理に適ってるが、こう云う末端のマイナーな存在は社会的影響力に乏しいのが皮肉っちゃ皮肉か。
自覚が無くてもそれなりに恵まれてたり幸せだと余裕も出て来て、しかしなまじ余裕があるが為に大事な処を見落したり忘れたりし易くなる。

これは今はボヤいてる俺だって状況次第で陥りそうで、故にマトモに暮らせてると普段の生活の中からこう云うのを学んだり知ったりするのは難しそうだ。
だが音楽やスポーツ等で「意のままになるかならんか」へ着目すれば、境遇からの相違はかなり縮小されるし減らせるのだ。

この面で普段は社会的な実用性の低い所謂文化的なものの存在価値は侮れず、かつての上級国民が率先して勤しんだ理由と思われる。
人間偉くなる程叱られなくなって普段はその方が快適だが、大きな過ちに気付き損ねた際の外部からの通知はどんどん無くなってしまう。

利口な偉人がやたらと妙に低姿勢だったりするのはこれを熟知してるからで、しかし余程「もっと知りたい」欲が強くでも無いと中々そうはなれないもんだ。
それと私的にこの件で注視してるのは態度より内部心理で、形から入るタイプの人には大変だろうが本音のみとしないと実現が困難だ。

気持ち的に横柄であるより真摯な方が好ましくはあるが、どんな悪態を付き捲って様と唯一点の真実さえ理解出来りゃこの件では良いしそこが核心なのだ。
幾ら丁寧に相手の意見を訊いても本件で問題なのはそれをどう評価・判定するかの部分で、ここに余計な偏向があったりすると「しっかり訊き入れたつもりが充分な反映が為されて無い」となったりするのだ。

さて最近頻出の「偏向」だなんてブラウン管の角度じゃあるまいし、何故そんな語を用いてるかってば本人無意識下になってしまってる部分に限定したかったからだ。
例えば俺はRockだから丁寧語なんて使うかよなんて、自覚があって演出してるなら根っこは案外ニュートラルを維持出来る。

恐いのは例え軽度でも全く気付かず知らずに寄ってたり曲がっちゃってたりする場合で、それが原理原則等の基準点だったら影響範囲は計り知れない程広いのだ。
この辺から参考実例へ進んでくが、最初は建設関係等での水平だとか一直線を確実にゲットする方法だ。

水平に関しては水準器若しくは水平器を用いるのが今は一般的だが、多少精度は落ちても転がり易い球体(液体の滴含む)で代用するのも可能だ。
直線に関しては平民では長い定規等だが古典的な墨壺+凧糸の如く、紐に張力を与えると直線が得られる。

この内後者は定規が届かない長さでは第一候補で、更に遠く(長く)なれば測量の基本の遠くから眺めて3点が一直線上に並ぶ様にする等だ。
「届く限り」は何かを単にあてるだけの方が簡単だが、単一平面じゃ無い場合は垂直方向の高低差の影響が出てしまう。

職人さんが色んな物を銃で狙いを定めるみたいにして眺めて確かめるのはこのせいで、半端に道具を使うより僅かな歪みも簡単に見つけられるらだ。
大掛かりな最新計測装置でも使う以外では未だにこんなのが最も精度を得易いのは少し意外かもだが、こっちの「視点次第」で手ぶらな方が高精度ってのが現実だ。

道具に依存し過ぎると恐いのの1例だが、では音楽ではこれは何に値するか。
を次回に記すとしよう。

<つづく>

2020年4月 4日 (土)

音楽備忘録241 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑯

こっちのお題もコロナみたいにしつこいってんでも無いが、従兄のTwitterで知って「♯SaveOurSpace」に珍しく署名なんかした。
サラリーマンに対し音楽家等は数的比率が低いのと票田に結びつかんからの暴挙だろうが、やはり客商売だからと大人し過ぎたのも一因にあろう。

ここで非音楽家諸君に再確認願いたいのは例え低頻度でも、自分達が何らかの宣伝をぶつ際に音楽のお世話になってる処だ。
音楽が民衆にとって必ずしも常時必須じゃ無いのは論を待たぬが、だったらコマソンなんて絶対に使うなよである。
更にタレントを起用してしゃべらせるのも無しで、宣伝文句も文筆家等に依頼したらアカンでえ。

対してこっち芸術系
サイドとしても若干の手緩さを覚えるのは、「自粛と補償セットじゃなくちゃ」だ。
俺的にはこの際一歩踏み込んでコロナ終息迄は「禁止期間中の分は補償しろ」であるのが望ましいと考えていて、政府の負担は増えるがもっと良いのは例えば全員に金出してやるからその間は閉じ籠ってろだ。

芸能界にも最近の狂った大手の暴挙みたいなしょーもない輩も混在してるので、ルールが自粛だと抜け駆けする奴が出る可能性があるしそれを罰せない。
万一そんなウツケ者のせいで大流行しちまえば共倒れし兼ねず、皆死んじまえば補償が保障された処で何の役にも立たないのでね。

私的にはどちらさんも何とも緩すぎて歯痒くて仕方無いが、だからと言って俺は何でも辛口志向ってんでも決して無いのだ。
初期段階で一寸大胆なのは「もし足りなかったらどーすんの」と思ってるからで、充分足りてるのが確認取れ次第順次緩めて行けば良いのだ。

例えば6万円ありゃ足りると思ってて5万5千円だったら、5千円のお釣りを貰うだけだ。
それがもし5万円と予測してたら不足分は借金となるが、そうなると利子の分余計に費用が掛かり借金割合が多い程コストは割高となる。

誰だって初期投資額を抑えたいし用意するのも大変なのは分かるが、短期視点を優先すりゃトータル拠出額は際限無く膨らんじまうケースも多い。
そりゃ中には借入れなけりゃ買えない物だってあるけれど、だからって利子に無頓着ではいられない。

本邦政府の負債がここ迄になった原因が正にこれで、それこそ正に「人の振り見て我が振り直せ」であるぞなもし。
それでも政府なら人がしょっちゅうコロコロ変わるし、勝手に新法をこしらえて抜け道が作れる。

が責任が唯一の個人のみにある場合、最低でも死ぬ迄に全て清算出来る範囲に収めとかないとならない。
そうしとかないと後の世代にツケが回り俺自身不幸にもこれを体験しちまったが、それを許せてもある意味先祖の面目は丸潰れだ。

人の場合評価や倫理を無視するなら迷惑でもそれもあり得る道だが、音楽等芸術系だと作品は作者死後以降も残る物だからそんな道は無い。
因みにここでの作品の負債とは製作費等では無く、作品自体の内部に残留してるものを指している。

追求し過ぎて身動き取れなくなっても駄目だからそんなに神経質に拘る必要は無いが、方法論の時点で大巾な間違いがあってはその後の苦労は水の泡。
それ故必定では無い場合の録音時Click使用等におもむろに抵抗・反対を唱えてる訳で、この手の件に危機感が薄い様ならそれは危険な兆候なのだ。

仮にClick無しでは上手く録れなかったとしてもキチンと試して於けば、その時点では無いと無理なのがハッキリ分かるとある種のDataが確実に採取出来る。
そうして明確化が図れて無いと「この曲だけは絶対の自信があるから」なんて欲が出たりして、大事な局面で気紛れで使わずに失敗する可能性が残ってしまう。

なので一寸シュールだが例え悪結果が出たとしても、実証実験は怠ら無い方が後に差が出る可能性がとても高いのよ。
私的には現況本邦は俺言い「一億総ベーシック失念化」現象に蝕まれてると痛感してるが、次回からそれを色々例示して行こう。

<つづく>

2020年4月 1日 (水)

音楽備忘録238 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑬

音楽も密やかな個人の趣味だけに限定して携われば、変な戒厳令みたいなのが発令されぬ限り政治からそんなに大きな影響は受けないかも知れない。
けどアマであってもLivehouseのチケ代とか、僅かでも商業等と関りが出てくれば世情からの影響は必ずあるのだ。

それ処か金銭授受をしない路上Liveを演るにしても、場所や時間帯等が各自治体の条例に依ってコントロールされている。
最近になって本邦でも利口な音楽家の一部は政治的発言が復活してるのは良い傾向だが、末端の者がどんな箇所で影響を受けてるかの記述は僅少だった。

本シリーズはなるべくそれを提示したいと思って書いてるが、俺の浅学と能力不足でどうも中々上手く記せてない気がして来た。
そこで悪戯に回を重ねるよりも外堀から埋めてみるのを思い付き、非音楽家の正規雇用者なら影響を回避出来てる可能性のある部分について見て行こう。

本邦での正規雇用の代表格として所謂サラリーマンを例示してくと、先ず年金と健康保険の負担割合の違い等が誰にでも認知されてるだろう。
正規雇用組は厚生年金・社会保険なので給与から天引きされてるから、悪く言や払いたく無くてもむしられてるが良く言や納入漏れの心配は無い。

しかし非正規組の国民年金・国民健康保険は自主納付で、期限に遅れれば延滞割増しまで請求される。
失念回避の為だけなら自動引き落としにしとく手もあるが、残高不足でアウトってケースも出て来る。

そして最大の違いは月給制と違って生活費等が足りなくても払わなきゃなんない処で、生活費等の方を優先すりゃ今度は延滞割増しの洗礼を浴びちまう。
正規組も実際には会社が半分負担してるとは云え、非正規の「多く払ってる」側にペナルティが大きいのは経済理念からしたら異常だ。

特に経営規模が小さい場合事業資金の運用事情に依っては、年単位では収められる様にしていても時間的な融通巾が現状ではとても充分とは言い難いのにも拘らずだ。
最近みたいに終身雇用が崩壊しては会社の庇護も期間限定だが、少なくとも正規雇用契約締結中はこの件に対して無配慮・無関心でも督促状なんかが普通は来ないのだけは確かだ。

自営の方が自由が多いんだからなんてのは全くの詭弁で、それなら望む者にはどんな低待遇でも非ブラックな正規雇用先が用意されてる前提条件が無いとね。
こんなのは誤った数の倫理が作用して正論みたいに見えてるだけで、サラリーマンの悲哀の愚痴として受け止めてあげるならだけ微笑ましい。

が道徳観念としてまで真に受ければ「間違ってる」んだからロクな事は無く、多数派の心証を是認するのと現実の構造を理解・把握するのは分離しとく必要がある。
職業音楽家としては個人事業主が多数派を占めるかと思われるが、それは経営から絶対に逃れられないのも意味している。

企業であれば社長であっても「雇われ」の場合もあり、クビになったりはしても問題解決を完遂する義務は負っていない。
しかし自身が唯一の経営者であれば大きな失敗は少なくとも一旦廃業程度は必至だが、大企業になる程経営に携わる人数割合は通常少ないしその経営サイドですら各人担当箇所は限定的なのが多い。

なので他意でサラリーマンを卑下するつもりは毛頭無いが、立場上彼等は事業の全貌把握は個人事業主よりし辛い状況下にある。
専門外があるのとその認識がちゃんとあれば無問題だが、長年知らなくても暮らして来れちゃったりするとスッカリ忘れちまってる輩も多い。

これは本来は存亡問題にも繋がってるから重要だがここでは敢えてそれは置いといて、兎に角こっちはそんなお目出たい連中を相手にしてられる様な余裕は無いのだ。
そしてこれ等の影響で最も懸念されるのは、どっちの立場でも含まれるが「感覚のブレやズレ」なのである。

概述だが例えば必須じゃ無くても何の疑問も持たずに録音=Click使用とか、選択や判断に余計な偏りが無意識の内に生じたりしている。
ミスやヨレ等に依る出来栄え次第とは言え、経済理論からだと必須じゃ無いのを用いるのは浪費に他ならない。

これが自腹経費でなんて言われりゃ何でも目一杯ケチろうとする癖に、音楽と言われた途端に浪費と感じないなんて全く滑稽だ。
柔軟性やマージンを取っとくのは勿論大事だが、何らかの実質的な基準に基づけてれば変テコな判断ミスは減らせてクウォリティアップに繋がるの請合いだ。

<つづく>

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