芸能・アイドル

2022年11月 7日 (月)

音楽備忘録1179 Rockと政治➌

個人のポリシーとしては今だってRockは政治とは縁遠くあるべきと思ってて、題材にしてイケナカ無いが趣味性を堅持するにはその方がってね。
これって言うなれば同じ建物を何処から眺めるかみたいなもんで、折角Rockならなるべく「裏から」にしときたいってのがあんねん。

例えば敢えて趣味性全開で行っちゃうが、今日は東京駅丸の内の駅舎を生贄に話しを進めよう。
皇居側からの姿は最早名所旧跡並なんで、わざわざ出向かなくてもネットで簡単に画像が見られるだろう。

のが裏となると中央線のホームが高架化されて陰になったお陰で、少なくとも昔みたいに全景を見るのはもう不可能になった。
ので見えた当時の体験か画像が無いと、復元工事後にどう変化したかがとても分り難くなっちまった。

のの実態を先に無神経に暴露しとくと、裏側に関しては復元はおろか以前の簡易修理時よりかなり改悪されとるで。
んでこれが一般の人にとっちゃ目に入る部分が整ってた方が望ましいが、バリヲタにとっては張りぼてキャッスル状態で萎えるんどす。

なんてこんなのが正しい趣味性と言えるか微妙だが、正面外観だけならその容姿は2次元バーチャルでも一応可視化出来るやんけ。
寧ろ表が不完全でも裏に少しでも創建当時の部分が残っててこそ、今の建物との大きな違いを実感出来たりするんだよ。

もっと初歩的なのに置換すれば例えば角ばってて表面がコンクリートだったら、鉄筋コンクリートの建物だろうと普通は思うずら。
でも昭和の一部の商店なんかにゃ、昔の木造建物の表面だけそんなのにしてるのがそこそこあったんだ。(看板建築と言うんだそうだ)

これが気分とかだったら外面・余所行きか内心・本音みたいなもんで、後者の方により興味が湧いたら「裏からの景色」じゃないと物足りなかったりするじゃん。
それには間違いが許されない政治(現状は真逆で最恥辱的だが多大😓)とは縁遠い方が向いてて、根幹は政治問題でもそれをせめて「裏からの景色」で表現したい処。

のでⅡで表面的には全く政治色が感じられなくても、壺→電通→吉本etc.のバイアスが掛る迄のは関連案件がテーマにされてたのが一杯あったんよ。
又深層的には恋愛1つとったって世情の影響は当然あるし、寧ろ盛り込んだ方が良い事も少なくない。

私的にはほぼ無興味な四畳半Folkだが、神田川-かぐや姫での銭湯通いの描写は今風に言うならディテールの鍵を握ってた。
貧しい若いカップルの純情なんで、豪華絢爛なホテルのバスルームで汚い親父とケバイ姉ちゃんになっちゃ不味いもの。

尤も最近じゃ銭湯も温泉並に高額・豪華スッカリ綺麗になっちゃったんで、今同じ歌詞にした処で昭和リアルタイムの人じゃないと(しかも当時貧)全然意味が違っちゃうけどね。
差し当たり現代版なら流行って無いネカフェで目の下の隈が酷いとかにしなきゃなんだろうが、自然のは未だしも「人工の環境」(偽とかバーチャルと限らず誰かがこしらえた物)は政治の影響がかなりある。

これ等からすれば無理に政治を避ける方が不自然で、但しその描写や着眼点にRockらしさが要るだけなのだ。
尤もⅡでそれが結構簡単じゃ無いから敬遠されたりもしてるんだろうが、今の日本での政治認識自体が珍しい社会状況が暫く続いたせいで変になってんだ。

悪い意味で好景気期に儲けだけは減らぬ様にしてた為、政治がどうなろうと当初は庶民生活への影響が曖昧でよくは分かんなかったんよ。
けど後で蓋が開いてみれば、年金制度等が崩壊寸前だったりしたんだけどね。

<しまい>

2022年11月 4日 (金)

音楽備忘録1176 Rockと政治➋

少々話が大袈裟過ぎ感が拭えなくなってるが、悪政に依る環境破壊だってそれが漁師とかだったらもっと騒然となってて普通だ。
のに音楽だとそうならんのは、収穫量に応じた収益の相場みたいなのが無いからだろう。

最近は徐々に変化しつつあるものの、従来は作者が直接新曲を公開するのが少なかったのもある。
日本のアングラ時代のRockが売れなかった真因は確かに市場はささやかだったが、コンセプトが時期尚早とか技術が未熟だったからじゃない。

マスコミやプロダクション等「媒介者」が排斥してたからで、当時はアングラ君はホームページすら持てなかったんだから一般人にとっちゃコミュニケーション経路がほぼ無かった。
知り様が無い物は存在すら分からず、ましてや評価すら出来ない。

日本の悪しき伝統「村八分」(バンドじゃないよ)は益々健在でけしからんが、大昔とは全く世情が異なるのに機能不足の独占禁止法共々現況に対し手緩過ぎるのだ。
何時迄も欧米模倣ってのがそもそも情けないがそれで経済発展を試みるなら、例えば電通に最低でも同レベルの対抗馬が必須だ。

特に近年のグローバル化下で恐いのが国内無敵での油断で、今会社や不動産を筆頭に海外資本に乗っ取られ捲ってるのは知らん間に井の中の蛙化しちゃってたからでしょ。
ので例えば当時のアングラRockがA社では完全無視するがB社では歓迎される、本来はそうでなくてはいけなかった。

その様なシステムが構築されてるとRockが流行った場合拒否したA社は代わりの存在を求める様になったりするんで、テクノには積極的にとか要するに多様化と全体がスピードアップするんよ。
今Rockerには殆ど役立たなくなった国内メジャーの次善策ってばYoutubeや17live辺りだろうけど、国産がほぼ衰退著しいニコ動だけってのに危機感を覚えないなら鈍いにも程がある。

そんな状況って好戦的な外国から覗かれると、防衛ラインが穴だらけに見えると思うよ。
もっとシンプルに根源的観点で行けば、今劣化本邦とは言えまだある程度楽器等の供給があるから消滅はしないで済んでんだ。

今この国に生きてる殆どは戦後生まれなんで、俺自身他では色々疑念もあったりしたけどこんなに音楽環境と政治がリンクしてるとは中々気付けなかったよ。
何をしようにも何かケチ臭い国だとは感じてたが、プライベートな規模で演ろうとしてもこんな逆風に遭った事は今迄無かったさ。

一部には広報も得意で自前でバズってる人も見掛けるけど、本業を犠牲にしなきゃなんくなったら本末転倒よ。
再三吠えになるが生活必需品とかじゃ無く趣味性の高い分野では、どれだって長期戦を強いられるのが原理的に必然なんす。

例え運良く知って貰って気に入られたとしても、その人のとこっちのLiveのスケジュールが中々合わなかったりするっぺ。
そりゃ最初から超戦略でブームに乗れたりすりゃちったぁ時短も可能だけど、学校とかと違ってLive如きじゃ誰もが行って当り前の所じゃないからねえ。

それとチケット代を始めとする高額化も由々しき事態で、儲け率の少ない事業に賃貸料や税額がボロ儲けのと同等ってのも妙な按配だ。
そこへ不景気が重なれば不参加者が増え顧客減りするのも必然で、その売上げ減少対策で値上げの悪循環に甘んじてちゃお先真っ暗でんがな。

<つづく>

2022年11月 1日 (火)

音楽備忘録1173 Rockと政治➊

21世紀の日本の世情としては一部の差別や貧困以外では、Rockに政治的要素は好まれないし似合わなくなって来た。
そうで無くても活動家・Folk歌手みたいなのの印象が強かったんで、私的には音楽では比較的避け続けて来てた。

んが夢見がち永遠の中二病的恋愛を歌おうにも、不適切教育・経済下となるとそれすら自然なのは出来なくなりやがった。
話しが進む迄は少々独善的且つ世代特有の価値観と思うかも知れないが、恋や結婚をしたくなさ過ぎるってのは生物学的には殆ど病気なんすよ。

人の持つ色んな欲って根源的には種の保存・発展要求に由来するもんで、例えば老衰での死が迫って来ると皆一様に食欲が減退したりするじゃん。
それが成長期に不要になったりするのを拒食症とするのと同じで、近年劣化本邦の若年層の欲の不足は誤った壺教育等の影響なだけなんだよ。

そりゃ原発が被災して放射能をお漏らししたりとか色々あるから、環境ホルモン等の影響だって無視出来ないけどさ。
期末試験が迫って勉強しなきゃなんない時に限って、普段よりサボりたくなったり遊びたくなったり…。

真面目な席で誰かの表情にツボっちゃって笑いを必死に堪えたり、不謹慎なのは困るがどっちかってば人の内心理ってそっち方向の方が優勢なんじゃないかな。
これにだって本来はパニック自動回避の意味があり、脳が思考停止して危機離脱不可になるのを防止してんだ。

のでもしかしたら無理に抑圧して猛勉強した結果、超高学歴な程カルトなんかにコロッと騙されてるのかも知れない。
とは言え円滑な社会を構築するには本能は制御すべきだししなきゃいけないけど、気付かなきゃその方が楽だからって殺しちゃ絶対いけねんだ。(上手に付き合うのは死ぬ程大変だけど😓)

がこんな按配が蔓延した原因に、例えば理科や社会の授業の大巾削減なんかも超関係アリなんじゃね。
生物DNAからしたらヤリたくなるのが至極当然だし、単独では他の種より脆弱な人類は徒党を組みたがるのが自然。
で異現状でこれが矛盾した形で発揮されてるのが、勉強しない子程エロに素直な処。

深層では英雄色を好むは不変だとしても、セクハラでの解消が主軸になるのは完全に病的だしょ。
資本主義下で運良く財力を持ててるなら、権力なんかに頼る必要性は全く無いのにさ。

これって結局教育を受けなかった程本能が原型を保ててるも同然で、学問適性に恵まれない人がより何も学ぼうとしなくなる副作用も付いて来てるがね。
折角豊富な知己を持ててても使い方が成って無きゃ無知同然、その逆も然りになる様な教育をわざわざ推奨して施すのは愚の骨頂でんがな。

最近の与党議員は主要3教科忖度で得られた国語力を、嘘の為にしか使わないなんてのは道徳(倫理)や社会の学びが著しく足りてないんだろう。
ほんでこれは作詞したりそれを聴く人にも以下同文で、その様な使い方をすると体裁や単語選択に秀でてる割に説得力・共感力に乏しいのになっちまう。

仕事なんだからそんなのニーズに合せりゃはご尤もだが、そうした場合の難点がタイムラグと作品寿命だ。
インスタントにやりゃ世相反映自体は可能だけど、世間が「正常化」したらそんな変なのは「恥ずかしい過去」でしかなくなる。

政治自体を批判するのなら当時そんな酷かったんだと理解されるかも知れんが、プライベートな恋愛でそんな偏狂なのをやっちまうとねえ。
っつうかそもそも世代間断絶だの分断だの、共通の理想が持てなさ過ぎてるのが顧客減少に繋がってるんじゃないかな。

幾ら頑張って上手く行ってもメガヒットが期待出来ない環境って自体、全くふざけた話しじゃ御座んせんか。
こんなのちゃんと払って借りてるスタジオで、まだ時間になって無いのに変なのが乱入して来て強制中断させられるのと実質的には同じなんじゃないかな。

<つづく>

2022年9月17日 (土)

音楽備忘録1128 不当低評価の是正⓭

今回は珍しく内輪ネタじゃ無いんだが、アニメの実写映画化の記事で違和感を覚えたのからの話しだ。
それはTake Me Home,Country Roads(曲)の件で、その記事としては必須じゃ無さそうもオリジナルが省かれてたのに引っ掛かったんよ。

当該曲が最初に世に出たのをリアルタイム体験してたからこそなのかもだが、恐らく海外でも有名なCountryの人John Denverの代表曲なのに一切触れられて無かったんだよ。
今劣化本邦ではジブリでの本名陽子さんのカバーの方が歌詞が日本語なのもあって馴染みがあるのも分からなくは無い。

が英語版でも日本ではしばしばOlivia Newton-Johnで止まっちゃう、ってのはどうにも頂けんがな。
この曲自体が出て直ぐにワールドスタンダードになってたし、本家John Denverに他にもそうなってる曲が幾つかあるのがそんなじゃきっと洩れちまう。

日本限定でも少なくとも当時の洋楽ファンには本家のイメージしか無く、尚且つそれでヒット歌謡曲と近似な捉え方がされてたんだけどねえ。
英詩ってもBeatlesとかと近似で外国人に最も親しみ易い部類で、近年なら英語圏の人にとってのBabymetalの日本語詞みたいな感じだったんだ。

それにOlivia Newton-Johnってったらなんてったって、そよ風の誘惑(Have You Never Been Mellow)の方が圧倒的に印象深い。
確かにDenver氏の様に程々の時点で早逝してると、本人不在なだけに多少なりとも存在感が薄れるのは仕方無いけどさ。

けどジブリアニメで「平成初期の団地住まいの庶民の娘」が関わって、全く違和感が無いものとして選曲された程スタンダードな訳っすよ。
尤もジブリので例え日本語詞で歌が変なリズムになったカバー(おっとスンズレイ)にせよ、それでリバイバルされなきゃ劣化本邦では曲自体が埋没してた可能性が否定出来んがね。

わ兎も角普段相当Rock系を標榜しといて何で持出したかっつうと、CountryがRockの直接のご先祖様だからなのだ。
無論Rhythm&Bluesと共にこれ等のみでは無いけれど、近年の日本人がRockを演ろうとして躓いた場合Countryに疎いのが原因多数派だからなん。

広義のRock内でもロカビリー系の人は大部マシだろうが、近年のサウンドやアンサンブルへ上手に取り込むには「Rock登場以降のCountry」の重要性は計り知れんのどす。
劣化近年本邦ではもしかCountry→田舎→長閑だけのイメージかもだが、暴れ馬や怒った牛を何とかするとか厳しい自然に対峙するなんてのも主要テーマになっとりゃあす。

静的とか非暴力的ってんなら心は激しくてもFolk系の方が上だしネタとしても向いてて、開拓時代の他人の迷惑顧みない粗野なカウボーイが馬でって今だと≒ルーレット族や暴走族同然だかんね。
ってJohn Denverにはそんな曲が殆ど無いのに語ってるのが、杜撰大王ならではになっちゃってっけどよ。😅

けどロカビリー黎明期って乗り物を馬からバイクや自動車に替えたも同然で、変な例えだが子供番組のヒーローで鞍馬天狗の後の月光仮面はとっちゃんバイク(ぉおっと失礼)ってのも同じ流れどした。
因みに’60年代当時は今のスポーツバイクみたいな容姿のはまだ無かったからそうなっただけで、然るに’70年代に入ると変身後のキカイダーのはレーシングタイプ・ワイルド7のは白バイと暴走族御用達魔改造の合の子みたいなのにちゃんと!?変化しとったよ。

とっとと戻ってスピードやパワー感ではこっちにはあまり参考にならんDenver氏のも、コード進行や伴奏の小技に関しちゃ結構秀逸なのが少なくない。
それとこれは彼に限定されないがChorus(歌)の音程間隔の取り方等で、Guitarのパワーコードみたくメジャーマイナー感を殺したのについてはCountryはその宝庫なのだ。

これでCountryがユニークなのは伴奏はメジャーマイナー感が明確にあって、Chorusのだけそれが無いのが頻出したりする処でさ。
強いて言うならこれに依ってFolkとの差別化を図ってるとも看做せ、RockでありながらPopさも併存させたいとかその逆にしたい時にとってもタメになるのよ。

<つづく>

2022年8月17日 (水)

音楽備忘録1097 不当低評価の是正❹

本邦の業界劣化は想像を絶する様相を呈して来ちまったが、それ等の根源の1つに本件も含まれてると考えている。
誰だって富も名声も得られるなら欲しいもんだが、魂を簡単に売ってしまえるのは本質の理解不足に他ならんのじゃ。

どうせ真面目に頑張っても収穫が少ないなら…俺だってそんな気持ちには常に苛まれてるが、中でも最もバカバカしいのが基礎レベルでの「あ~ぁ勘違い」なのよ。
努力の方向を誤ってりゃ運良く周りに金の亡者が居なくても高評価が得られぬのも当然で、教育の瑕疵責任はあるにしてもこっちも自分で学ばなきゃアカンよそりゃあ。

こんなに偏狭資本主義化しちまうと雇う側は金勘定しかせんが、雇われるこっちは実務遂行上真実を知らないままでは済ませられない。
要は「立場が違う」から世相がどうあれ理解出来て無いと、ある日突然首切りされてそれっきりに追いやられる訳ですよ。

貰いが少ないのに苦労が減らんとは理不尽そのものだが、「実際に演れる」為の代償みたいなもんだからしゃーないねん。
かなりワイドな脱線になるが亡き安倍元総理は最期迄自宅警備に数億をつぎ込んでたらしいが、嘘ばっか付いたのを本人は自覚があったからビビリ捲っとったんちゃう?。(そのお金すらも敢無く無効化しちまった)

一見突然こっちへ戻す呈だが、そんなのって音楽家でも役者でも経営者でも大泥棒でも基本構造は全部一緒なので御座居まし。
それが口だけ番長でも居られる現政治屋なら、失言が酷くなってってもスルーされるだけで今の処は済んでいる。(ホントはそんなじゃ実に困るがね)

だが作品なり本日の表現なりで内面を出さなきゃなんない職業だと、人が逝かれると仕事もイカレて段々お義理でしか使って貰えなくなる。
それを避けるには例え今は家族の膨大な療養費の為とかで悪の軍門に下ってたとしても、裏では日々修正・矯正をしとかんと後で困るんだ。(上記の可哀想なオジサンも利用したつもりが利用された挙句…)

とプチ久で長前置きになっちまったが、こう云う根源的誤認がRingo Starrみたいなベーシックな存在の誤評価に表出してると思うんよ。
無理に好きになる必要も無いし、興味を抱く必要は無いすよ。

けどだからって不当に低評価するってな、例えば「魚は畑で獲れるもの」なんて誤認するのと一緒でさぁ。
脳内物差しの目盛が1cmの次が10cmと記されてて、それでいてその次が2cmってなってる様なドエライ状況なのよ。

だから誰に心酔して誰に興味が薄かろうとそれだけなら構わないんだが、歴史や経緯を誤認して後で損するのは間違えた本人の被害が最大になるのを知っといて欲しいんだ。
決して最初から完璧を目指せとは思わないし、ちょくちょく間違えるのも仕方無いし杜撰大王ですから全く否定なんて出来ないっすよ。

只問題なのは概知のものへ一切の疑念を抱かず放置するとか、好みのへ忖度し過ぎて欠点まで丸々受け継いじゃうとかがやべえんだ。
Ringoに関して必要な予備知識としては当時の環境等も重要で、過酷な長時間演奏や劣悪なMic関係等現代では想像を絶する酷さだった処。

当時そこそのLive houseでレギュラーを張ろうとすれば、レパートリーは今の10倍は最低必要。
Jazz系ならまだ長い曲とかアドリブで引っ張れるけど、ホピュラー系はロカビリー・アメリカンポップスの全盛期だから1曲がどれもやたらとすぐに終わっちゃうし…。

Beatlesデビュー後ですら当初はブームスタンドも無かったりで、Snareの手前にストレートスタンドを立てて叩き乍ら歌うとか!。(当然の様にコロガシモニタとか一切無し)
必ずしも本人が偉い訳でも無いだろうが、恰も次元が異なる程の中で編み出し演り続けて来たのはどうにも外せないんじゃないかな。

<つづく>

2022年8月 6日 (土)

音楽備忘録1086 不当低評価の是正❶

好みや人気が反映する分野では、数字的絶対比較が出来ないからある程度は仕方無い。
だが表面上の印象のみとか商業性だけで芸術を勝手に判定しては、最終的には手放しで心の底から楽しむのを阻害するだけなのだ。

さて冒頭の「ある程度」とは積極的に売ろうとはしてないとか、販売より製造に注力してる様な作品の事だ。
そう云う姿勢だと万人に分かり易くはならなかったりするから、内容の割に今なら「いいね」が少なかったり定評を得るのに時間が長く掛ったりする。

この件で俺の近辺では最近の日本の稚拙さが嘆かれてて、その酷さが海外の比じゃ無いんで又吠えたくなった。
さてⅡで今たまたま個人的にRingo Starrのソロアルバムに一寸嵌ってたんで、先ずは彼のハイパー不当低評価に徹底的に抵抗してやろうじゃありませんの。

Beatlesのソロになってからので俺がリアルタイムで最初に気に留まったのは、彼のBack Off Boogalooって曲だった。
曲全体の音世界の格好良さと奇特性に惹かれたんだが、彼のソロの他のがラジオで掛かる事が殆ど無かったからずっとそこで停滞したままだった。

それが今頃になって漸く自分的には聴ける時間が訪れたんだが、やはりシングルのチャートでの受けとかRockとしてどうかってば他の3人よりは少し物足りなさがあった。
しかし歌物Popsとして聴くと最も捨て曲!?が少なく、聴き手の知識等に左右されない出来栄えなのには感服させられた。

最初に世間で有名になった当時はDrummerを最もやってたから、どうもそれに俺も含め皆縛られてる節があってね。
個人のアルバムを順に聴いてくと、本人はどうも外野が思ってるよりPops歌手に力を入れてる風なんだ。

Drummerとしては売れただけで駄目じゃ無いがまあまあ、歌手としては上手な人と一緒に歌って迷惑掛けない程度ってのが今本邦の世間認識かねえ。
実際は当初はそうでも沢山聴き続けて↑のままってのは、知能指数マイナスって位恥ずかしい事なんですがね。

正直俺だって真の実力よりは低めに捉えてたが、その訳が最近ハッキリ分かっちゃったんだ。
↑で「Pops歌手」としたのは超意味アリで、演る側からは聴き手を選ばないのを重視してるらしい。

先ずPop Musicに拘ると聴き易さ最優先になるから、不要なパーソナリティのアピール等は邪魔になってしまう。
歌に関してもタレント性を楽しむんなら、素人が真似出来ないのをやって見せ付けるのもアリだろう。

が聴き手が気楽に即座に参加出来るようにと思えば、意図して「誰でもすぐ歌える」様にしとくのも大切。
その様な姿勢で取り組むと「楽しいけど凄く無い」と感じられるのが大多数となるもんで、しかし飛び道具一切無しで勝つのってホントは最も困難なんだけどねえ。

俺の中にもある演奏ヲタ的には今1つ面白味に欠けはするが、音楽全体は常にハイエンドレベル且つ新規物の導入が異常に早い。
只ここ迄のほぼ全てには大変重大な「裏」があって、近代の「ポピュラー系の普通」ってそもそもは彼等(Beatles)が作り上げた物って処でさ。

Beatlesより少しでも後の人にとっては単なる普通だが、本家にとっては「自分達オリジナルの流儀で演ってる」だけなのよ。
これは他に類を見ない現象なので皆失念してる様だが、彼に限っては先ずこの特異性その1を含めないと正しい評価なんて出来っこないのよ。

<つづく>

2021年9月28日 (火)

音楽備忘録775 Rockのスタンダード➊

近年になる程所謂懐メロに洋楽ポピュラー系が無視されてるんで、ちっとも相応しそうでは無いがそれを体験から綴っとこうと思う。
個人的には地上波TVは元々期待薄だったが、それなりに頼りにしてたFMラジオ放送すら聴く頻度がほぼ皆無になったのに由来する。

確かに昔と違って自ら調べれば簡単に情報獲得が可能になってるが、それが出来るのは名前を知って興味が湧いてからの話しだ。
本来紹介が必要なのは僅かしか耳にした事が無くその名も当然未把握で、けれど何だか気に入ってる様な段階の人達だと思うんだけどねえ。

現に幼少期に耳にした中に未だ未解明のが残ったままで、長年探してても見つかっていない。
かつてはヲタ性の強い番組でそれが分かる事もあったのが、令和になって完全に途絶えたですわ。

実際どの程度政治とか業界の圧力等が作用してこんなになってるか俺は知らんが、アホガキだった俺が今に至れてるのはかつては「目立つ所に親切なオジサン」とかが居てくれたからだ。
具体的には海外ならWolfman Jack・国内なら糸居五郎から小林克也辺り迄が俺には先生で、これは音楽に限らず他に興味のあった分野でも同様だった。

鉄道なら小田急ロマンスカーを作り出した人達、自動車ならかつてテレビ神奈川(TVK)で「新車情報」って番組に出てた三本和彦氏なんて下手なお笑い番組より遥かに痛快だった。
これの前者は実務と平行しての趣味誌への寄稿で「現場の本人の声」そのものなのが貴重で、後者も開発者を呼び付けてユーザー目線で無遠慮に毒舌を浴びせてたのが特筆ものだった。

何れも単なる一方的な批判で無いのが近年のと大違いで、取敢えず不満はぶつけてみるがそうせざるを得なかった真相が明かされたりしてたからね。
案外出来るのに見落してたのに対しては素直に謝ったり、改善の約束をしたりと中々建設的だったな。

音楽の方は小林克也氏以外のは殆どがラジオだったが、何れも郵便投書に依って市民と直接繋がってたのも見過ごせない。
今だって無くなっちゃいないものの変な忖度や選別がどれも多過ぎで、ありのままに正直にやってるのったら俺知りだとダルビッシュ有のTwitter位しか無くなっちゃてるよ。

これについては是非皆にも猛烈に違和感を覚えて欲しいんだが、専門性が高いと最終的には当事者本人じゃ無きゃ無理故ド素人への対応こそメジャー系メディアが担うべきなのにさ。
そりゃ携帯ショップへ自らは学ぶ気が皆無の年配者が押し掛けて我儘放題なんてのが蔓延してると、「知らぬは罪」みたいな感じに見えて来ちゃうけどさ。

投稿だってネットが主流になって以降は全くイカレタのも増えちゃったから何だけと、おかしいのが多いからってマトモなの迄封殺するのはやり過ぎだしょ。
今試しに「洋楽スタンダード紹介」でググってみたら出て来るのは有料のの宣伝ばかりで、無負担で行けるのは個人ブログがちらほらってのはあべこべだと思うんだよねえ


初めの一歩を知るのすら有料にするってのは、新規顧客開拓を放棄するって事なんじゃない?。
幾らネット上に文字だけでご託を並べた処で、魅力的な音の一端すら聴けないんじゃ誰が分かるか気付けるかっての。

とひとしきりほざいといて何故俺じゃ相応しく無いと考えてるかったら、渡米経験も無きゃ昭和47年以前の沖縄出身者でも無いからだ。(第二次大戦後から上記の間は「沖縄はアメリカ」だった)
黎明期の色々がこっちじゃ既に伝説化し過ぎの状態になってから入って来てそうで、しかし時間の経過で原体験をお持ちの方々はどんどん減ってそうだ。

これに輪を掛けて末端ブログじゃ波及力が脆弱過ぎるんで、誰かたった1人にたった1つ役に立つ程度でも御の字と覚悟して乗り出すとしよう。
又世界と共通のの方が多いが、ここでは敢えて「日本でのスタンダード」にも少し拘ってみたい。

ってのは現地での黎明期の1950年代に活躍した言わば第一世代が、’60年代には死亡・引退・徴兵等で業界最前線に居なかったのに端を発する。
それへこっちでは敗戦や占領の影響も手伝って1970年頃迄は音楽ムーブメントは戦勝国より10年遅れが続いてたんで、一部で興味を持つ者が出だしても大物達となると幾らも呼んで来られなかったんだ。

俺の生まれるかなり前なんで何故ロカビリーだけはすぐに入ったのか分からんが、黒人系を中心としたそれ以外のはBeatlesの武道館迄だと有名処ではThe Ventures位。
結果的にRockってよりゃ「エレキブーム」の方が先みたいな事になってて、欧米の60’sはPops寄りのが中心になってたのがこっち固有の現象だった気がするな。

<つづく>

2020年5月21日 (木)

音楽備忘録288 音楽も含めたテレワーク③

本項もこの辺で一旦終結させようと思うがテレワークは可能なら、結構誰にでも必要な処迄話は来た。
以前一部の音大では学校主導の動画アップがなされてるのに言及したが、正味な処それで表立った効果が出てるとは今の処は言い難い。

又既に一定以上の実績を持ってたりすると、高評価確実じゃ無いと出すのを躊躇してる人も結構居そうだ。
がそんなのは最早夢か幻かで、今となってはもうちっとも珍しくも何ともない動画発信等である。

結局多くの支持を得られるかどうかは内容次第なのは不変で、メディアの種類に依って多少優先事項が変動してるだけだ。
現実的に過去の名声!?を否定しちまう様な駄作をおいそれとは出すべきじゃ無いが、だからって構想を温めてるだけで上手くなれる物では無い。

最低限「傷が付かない」様にする配慮は要るが、本当に自発信出来ないとしたらそれは機材等の事情の方だ。
これすらスマホの普及で俺みたいな例外以外は障壁は無くなってるから、それなりに発表可能な手持ち作がある者は今すぐ録って上げとくのがお薦めだ。

特にアマチュアの方がこの影響は大きいと思われ、昔みたいに直接出向かないと聴けなかったのが変ったからだ。
有名人やプロのは殆どの場合レコードなりテープなりが売られてたし、大手系のならラジオやTVでチラ見する程度ならそこそこチャンスがあった。

一方数少なかった独立系の方は客には手間を要したが、Liveの一部を無料化したり意識的にテープの無償配布等も行っていた。
のに加え最大の相違は定点・定時的出演場所を設けたりして、そこへ行けば「取敢えず繋がれる」様な状況を用意していた処だ。

これは今だって完全に無くなっては居ないけれど、過去比では拠点数が増え過ぎたり○○専門の店みたいなのが減って探し当てるのが難しくなっている。
年寄りの戯言丸出しになるが活動時期の新しい人へ参考にボヤいとくと、昔はLivehouseに出演するの自体がかなり高いハードルであった。

初心者や下手クソが出させて貰えるのは特定のコンテスト程度で、例えアマ主体のLivehouseでもどの店もそれなりの品格を堅持していたのだ。
品格ったって相撲の横綱じゃないからお下品だったり態度の良くないのの方が多かったが、少なくとも趣味の合ってる人にはお金を払って損させる様な事は皆無だった。

例えば渋谷の木造3階時代の「屋根裏」って店ならPunkの殿堂として君臨してて、取敢えず何時行っても本格的なPunkを必ず体験出来ると云った具合だ。
つまりお客から見てある程度「アテに出来た」から、お目当てや知ってるのが出て無くても試しに行ってみるべかが成立してた訳ね。

今はこれは昔比では殆ど崩壊したと云え手間暇費用も掛かるから、余程の物好きかスカウティング以外でアテも無く足を運ぶ人は居なくなった。
多様化と量的膨張のせいで「拠点」が無くなったのは厳しいが、これからすりゃ何か1つでもネット上に上げとかないと「入口」が無いのと同じと思われる。

そうして入口を整備した処でこんなに大量に氾濫してると幾らもアクセスは期待出来ぬが、だからって無い入口からは絶対に入れない。
インターネット利用歴の長い従兄曰くブレイク迄に幾らでも時間が掛る覚悟が必要だそうで、この点では一面で「待つのが仕事」と言えそうだ。

勿論少しでも興味を持って貰う為の努力に休みは無いが、予測時期迄に想定通りの評価が得られなかったからって手を緩めるのが一番無駄なそうな。
現実的には労力と効果のバランスで先を決めるんだろうが、短期効率のみに目を奪われてあちこちを転々としちまってはいけない。

それではお客さん側から見て「アテに」なる場所が無くなってしまい、あんなのが聴きたくなったらあそこへみたいなのだけでも定着させるのが大変重要だ。
そんな受け身がもし嫌だったら受注生産とすれば良いが、盛んに「御用聞き」をして回るにしてもニーズのタイミングが合致するのは天文学的低確率だ。

それをするにしても結局「アテになる受付窓口」が必要で、どんな仕事が出来るのかもある程度知れる様でないと魅力も足りない。
でも考え様にに依っちゃ昔みたいに電柱に貼り紙したり外に看板を出すのしか無理だったのと比べると、お客さんが店員に接見せずに様子を知れるのは消極姿勢のお客さんには効果絶大だと思うんだけよね。

<この項一旦終了>

2020年5月19日 (火)

音楽備忘録286 音楽も含めたテレワーク②

前回最後で「肝心な処が捗らない」がビジネスであればそれは=仕事であるが、今の内閣なんか態度迄不遜とは救い様が無い。
Rock系って元々反体制側だけど、それでも露骨に批判するのは好きじゃないけどこの有様ではね。

毎度の私的ではあるがこんなのがまかり通る様になった根源を探ると、労働実態より「態度を優先」させる様な風潮が蔓延したのがいけないと思っている。
どっちも悪くて良い事は1つも無いけれど、真の意味での優先順位を忘れちゃったら駄目だよね。

或は見栄え≒第一印象は良いに越した事ぁねぇが、猫も杓子もは一寸行き過ぎだったとね。
ヴィジュアルが売りの根幹ならそれで正道だけど、中身の方に比重のあるの迄そっちへ振り過ぎちゃしょーもねーや。

本邦首相の給料は多分他国比だと廉価だろうが、どんなに雀の涙でもそのまま溝に流すのと同じ様では無駄な出費だ。
この不景気に「働かない・働けない」奴なんかに払う余裕は皆無で、割高割安より兎に角仕事が進む方が先ず大事だ。

こないだかの「暴言市長」に関する記事を読んで納得したんだが、口は最悪でもちゃんとしっかり市の為に仕事はしてるんだそうな。
勿論口の悪過ぎにはそこの市民は恥ずかしくて仕方無いだろうが、市長の仕事の本質はナレーターとかアナウンサーじゃ無い。

それと似た感じでテレワーク案件についても所謂一般的なデスクワークでは、無理が生じるのは僅少なのでもっと平時から推進すべきだろう。
対して音楽等のリアルタイム合奏等では現行回線やシステムでは不可能に等しいので、こっちこそがわざわざもっと出向いて行うべきと考えられる。

それからすると正しい!?ラッシュアワーには背広野郎なんて殆ど居なくて、上から眺めたらきっともっとカラフルである筈だ。
しかも他にも訳ありで一般ビジネスより創作をする者の方が道具も多く、例え大柄屈強で担げたとしてもケース入りのコントラバス背負って自転車に乗れても今ある専用レーンじゃ狭くて走れないだろうからね。

と何時迄言ってても当分はどうにもならなさそうだから各自で工夫を凝らすしか無いが、この面でも本邦ミュージシャンはより逆境に置かれてる前提は認めとくしか無い。
無理な箇所へ執着してそれだけで諦めてしまうか、可能な処だけでも手を打って行ってみるかである。

私的には後者推奨で、それは後に環境改善が進んだりした時にも役立つからだ。
変な例えだが俺は現況携帯電話不所持なので積極的には学んで無いが、偶然遭遇したそれ用のコツ等は頭の片隅に留める様に心掛けている。

最初は遅れて持っても割と直に使える様にって腹だったが、その後は大分様相が変化して来た。
こっちは無くても相手は持ってたりそれでコンタクトして来る事が増えたので、多少なりとも相手の置かれてる状況は分からんより分かった方が何かと良いかと。

正社員の方には耳に痛くて済まぬが、無駄な通勤費用を払える会社に居る事は一面で誇って良い。
ホントに台所事情が厳しければそんな悠長な真似は出来ないだろうし、時間的にも通勤に取られる分は無効となるからね。

第1段階では残業を増やしてって・第2段階になると泊まり込んで、それでも駄目なら同僚等へ託してってのも人員が潤沢だったらの話しだ。
小説家等にだってスタッフや協力者は勿論付いちゃ居るが、完全に同じ分野を共同で担うのは不可能だ。

個人事業主ってな仲間に左右される度合いが少ない代わり、環境に無関係に元から真の意味での自己責任状態にある。
グループを組んでても自担当がたった1人だったらそこは個人でやってるのと全く同じで、代役を求めるのも自由だがそれをし過ぎれば失業なんですね。

それからすると別にコロナ禍とかテレワークがどうのとは無関係に、本質的には当初から工夫必須の業界若しくは世界と考えられる。
中でも映像系や音楽系は確認するだけで一々一通り頭からお尻迄再生してみなきゃなんなくて、その面で最低必要時間の短縮が不可能だ。

さすれば出向くの必須のリアルタイム合奏は仕方無いとして、在宅で可能なのは全てそうでもしとかないととてもじゃ無いが時間が不足する。
のに気付けないで居るのが身近にも散見されるが、恐らく全体像が今一見えて無いのがその原因だろう。

<つづく>

2020年5月18日 (月)

音楽備忘録285 音楽も含めたテレワーク①

前回にそもそも個人宅でのテレワーク環境不備へ成行きで到達したので、一応お題もそれに合わせて修正してみた。
んだけんどもテレワークは愚か自宅での楽器練習等、今本邦では基本的に家では何かの作業をするとか出来るってのが不足し過ぎてるのが厳しい。

限られた空間で快適性を追及したり在宅時間とそれに掛るコスト等の都合でよりこうなったんだろうが、私的には幾ら何でもカプセルホテル化させ過ぎじゃん
と思っている。
その根底には是又政策の不備があるとしか考えられんが、それは「寝蔵」に対する考え方の中途半端過ぎが不味かったと思われる。

今は台所より風呂・トイレの方が必須とされててそれは間違っちゃ居ないが、真に「帰って寝るだけ」の空間とするなら最早個人所有・占有の必要なんてあるのかどうかだ。
それに加え自宅で不可能となった作業をしたい時の施設はもっと潤沢に用意しとくべきで、しかもこの方向性で行くなら頻度差はあれ誰でも必ず必要とするのだから無料若しくは低廉でなくちゃ嘘になる。

多様な思考の人が混在してるから完全統一を目指しては旧共産主義みたいになって駄目だけど、自粛要請と補償はセットなのと同じでちゃんとセットになってないと機能しないのが無視されている。
とは言え何時迄も無能政府に文句を付けて待ってても世界から取り残されちゃ敵わんから、本来はNot My Businessでも自前で進めなくては埒が開かない。

低レベルで悲しいもある意味こんな処も「出し抜く」キッカケにもなり得る訳で、少なくとも非リア充だったら直ちに取り掛かるのがお薦めだ。
事前準備されてる資金も無く個人って小規模では出来る事はささやかではあるが、塵も積もれば山となるで放っとくと後で追い付けなくなる危惧がある。

音楽に携わってる場合特に気にすべきが技量・奏力・経験値で、やり方さえ分かれば直に実用に供すとは行かないのが多いからだ。
ここでの鍵は費用対効果の継続性で、具体的には毎回他所の設備を借りるのと自前で徐々に設備を整えた場合の「後での違い」だ。

外に求めた場合の損得は維持管理不要だが「その場限り」な処で、滅多に起きないけど今回みたいな事態に遭遇すると何も出来なくなる。
ここで通常時の人の生活実態も加味してくと今回みたいなのは無くても、予想外の休日が手に入るなんてのならそこそこあり得るだろう。

宅外でしか活動しない想定で暮らしてても急遽相手の都合で予定が流れ、そんな時に常に個人練習でもStudioに空きがあるとは限らない。
それと賃貸料も単位あたりは廉価で直に払えても、積算したらどの位膨らんでるのかを注視しとかないとならない。

元から閑古鳥とは云え流石に今は非営業にしてるが、個人宅で一応録音Studioをやってる者の観点ででもだ。
余計な事を暴露して更に儲けが減るのも苦しいが、商業目的で始めたんでは無く空き時間の有効活用や維持費の調達を目論んだ結果だ。

又借りる場合に考慮の要るのが「借りる道具」のコンディションで、運悪く寸前に借りた奴が人でなしだったりするとそれだけで正規の状態が得られなかったりする。
これを気にすると賃料は一気に跳ね上がり、選択肢数もかなり限られてしまう。

軽い練習に大したコンディションも不要かもだが、だからって何時も酷過ぎるのばかりしか体験出来ないでいるとこっちの感覚が狂わされる事だってある。
これが厄介を孕んでるのは人に依って何処がどれ位じゃないと困るかがかなり違ってるからで、パーソナルな行為なだけに○○様専用的要求が強い。

更に付記しとくと業者側のスキルの低下が顕著で、完全な専門家じゃないと扱えない機材しか無かった時代と比べると仕方無い現象かも知れない。
昔のStudioだってしょーも無いオヤジは勿論居たが、今とは「駄目な場所」は明らかに違っていた。

他の処でだってそうだろうが昔のは最低限の仕事はこなせるが、呑んだくれてたりセクハラ大王だったり…。
実際それにも困らされたけど費用をつぎ込んでて一番困るのは、どんなに態度その他が良かろうと肝心な部分がちっとも捗らない場合だ。

<つづく>

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