音楽備忘録1877 折角弾けるのに勿体無い③
現況の諸悪の根源は悪政なのにその理不尽をSNS等の暴言で発散するのが多いから、誰もが他人に隙を見せまいとなるのは仕方無い。
だがある程度は勇気を出してそんなのを打ち破らないと、自身に必要なプレゼンさえ出来なくしちまうよ。
いや飽く迄個人の秘密の趣味だからとか上手くなれなくても独学でやるからなんて思ってる人、どんなに慎重に事を進めても他人にバレたり関わりを途絶するのは無理でげすぜ。
を例に依って敢えて秘密主義肯定論から考察してみると、先ず楽器や関連道具の入手はネット通販にすればほぼ心配は無い。
但し大柄な生楽器は例外で生ピ等は専門の運送・設置を業者に依存しなきゃなんないし、運んだ時の振動等の悪影響から逃れられないから最低でも初回だけは調律師にも世話にならなきゃなんない。
仮にそれはクリアしたとして今回考えて欲しいのは、所謂「独学」の正体なのだ。
狭義の概念では個人だけで熟せるが、実際には様々な場面で他人の助力があって初めて成立するもんなのだ。
その1として教わるのを極力避ければ教師の世話にゃならずに済むが、間接的ではあってもマニュアルやテキストは誰か先人がこしらえた物。
それを幾ら読んでも分からなかった時一般学校受験のなら参考書等豊富だが、個別楽器の演奏のだと書籍だけに頼り切れないのがちょこちょこ出て来ちまう。
そうなると知識の段階で例えSNSを通してだろうと、質問する等誰かとのやり取りの必要性が生じる。
それ処か演奏って「実技」なんで全く実地訓練レスってのは厳し過ぎ、運転免許だったら教習所のコースも仮免での練習もせずに免許を与えて大丈夫なのかってなもんだ。
それ故結局趣味でも有意義なものにしようとしたり僅かでも向上させたいと思ってたら、独学だから講師不要なんて考えたら大違いなんだよ。
一般感覚的に先生居ませんと感じるのはアリでも、年下の友人からプチアドバイスを貰うだけだってミクロ先生が実際には居たも同然でっせ。
独学と習ってるの実際の差は特定の練習日時・場所・講師の有無程度で、俺言い活発な独学をしてたら寧ろ先生の人数は何時しか桁違いに膨大になってる筈だ。
なのでもう練習の時点から一定数の他人にネタバレしてる訳で、唯その各人に何度もは聴かれてないからきっとあまり自覚が残ってないんだよ。
それって思春期の男の子がエロ本を上手く隠し通せてると勝手に思ってて、狡猾な親は状況把握の為にとっくにバレてるのを黙ってるだけみたいなもんすよ。
ひた隠しにしようとするよりバレてる前提の対応を考えとくべきもので、それに有する勇気はほぼ初回1回のみ。
何より正式に習ってない人への期待度は低いから、よっぽと変態的な失態を演じない限り他人は逐一詳細になんか覚えてないさ。
を逆典型例の提示で補強しとくとある時桐朋音大現役生と知らされてそのViolinの腕前に期待したっけ、オタマトーンやテルミンより音程が曖昧で悪い意味で強烈に印象に残っとりま。(容姿端麗で音程以外は全てハイスペック!!)
肩書で勝手に想像するのは俺も含め今劣化本邦人の悪い癖だが、少なくとも音が良くは分かってない一般人がスペックを頼るのは仕方無いけど同時に「恥ずかしい音になる」のも仕方無いぞ。(現況はあまりに度が過ぎてるが…)
=つづく=
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