経済・政治・国際

2020年5月19日 (火)

音楽備忘録286 音楽も含めたテレワーク②

前回最後で「肝心な処が捗らない」がビジネスであればそれは=仕事であるが、今の内閣なんか態度迄不遜とは救い様が無い。
Rock系って元々反体制側だけど、それでも露骨に批判するのは好きじゃないけどこの有様ではね。

毎度の私的ではあるがこんなのがまかり通る様になった根源を探ると、労働実態より「態度を優先」させる様な風潮が蔓延したのがいけないと思っている。
どっちも悪くて良い事は1つも無いけれど、真の意味での優先順位を忘れちゃったら駄目だよね。

或は見栄え≒第一印象は良いに越した事ぁねぇが、猫も杓子もは一寸行き過ぎだったとね。
ヴィジュアルが売りの根幹ならそれで正道だけど、中身の方に比重のあるの迄そっちへ振り過ぎちゃしょーもねーや。

本邦首相の給料は多分他国比だと廉価だろうが、どんなに雀の涙でもそのまま溝に流すのと同じ様では無駄な出費だ。
この不景気に「働かない・働けない」奴なんかに払う余裕は皆無で、割高割安より兎に角仕事が進む方が先ず大事だ。

こないだかの「暴言市長」に関する記事を読んで納得したんだが、口は最悪でもちゃんとしっかり市の為に仕事はしてるんだそうな。
勿論口の悪過ぎにはそこの市民は恥ずかしくて仕方無いだろうが、市長の仕事の本質はナレーターとかアナウンサーじゃ無い。

それと似た感じでテレワーク案件についても所謂一般的なデスクワークでは、無理が生じるのは僅少なのでもっと平時から推進すべきだろう。
対して音楽等のリアルタイム合奏等では現行回線やシステムでは不可能に等しいので、こっちこそがわざわざもっと出向いて行うべきと考えられる。

それからすると正しい!?ラッシュアワーには背広野郎なんて殆ど居なくて、上から眺めたらきっともっとカラフルである筈だ。
しかも他にも訳ありで一般ビジネスより創作をする者の方が道具も多く、例え大柄屈強で担げたとしてもケース入りのコントラバス背負って自転車に乗れても今ある専用レーンじゃ狭くて走れないだろうからね。

と何時迄言ってても当分はどうにもならなさそうだから各自で工夫を凝らすしか無いが、この面でも本邦ミュージシャンはより逆境に置かれてる前提は認めとくしか無い。
無理な箇所へ執着してそれだけで諦めてしまうか、可能な処だけでも手を打って行ってみるかである。

私的には後者推奨で、それは後に環境改善が進んだりした時にも役立つからだ。
変な例えだが俺は現況携帯電話不所持なので積極的には学んで無いが、偶然遭遇したそれ用のコツ等は頭の片隅に留める様に心掛けている。

最初は遅れて持っても割と直に使える様にって腹だったが、その後は大分様相が変化して来た。
こっちは無くても相手は持ってたりそれでコンタクトして来る事が増えたので、多少なりとも相手の置かれてる状況は分からんより分かった方が何かと良いかと。

正社員の方には耳に痛くて済まぬが、無駄な通勤費用を払える会社に居る事は一面で誇って良い。
ホントに台所事情が厳しければそんな悠長な真似は出来ないだろうし、時間的にも通勤に取られる分は無効となるからね。

第1段階では残業を増やしてって・第2段階になると泊まり込んで、それでも駄目なら同僚等へ託してってのも人員が潤沢だったらの話しだ。
小説家等にだってスタッフや協力者は勿論付いちゃ居るが、完全に同じ分野を共同で担うのは不可能だ。

個人事業主ってな仲間に左右される度合いが少ない代わり、環境に無関係に元から真の意味での自己責任状態にある。
グループを組んでても自担当がたった1人だったらそこは個人でやってるのと全く同じで、代役を求めるのも自由だがそれをし過ぎれば失業なんですね。

それからすると別にコロナ禍とかテレワークがどうのとは無関係に、本質的には当初から工夫必須の業界若しくは世界と考えられる。
中でも映像系や音楽系は確認するだけで一々一通り頭からお尻迄再生してみなきゃなんなくて、その面で最低必要時間の短縮が不可能だ。

さすれば出向くの必須のリアルタイム合奏は仕方無いとして、在宅で可能なのは全てそうでもしとかないととてもじゃ無いが時間が不足する。
のに気付けないで居るのが身近にも散見されるが、恐らく全体像が今一見えて無いのがその原因だろう。

<つづく>

2020年5月18日 (月)

音楽備忘録285 音楽も含めたテレワーク①

前回にそもそも個人宅でのテレワーク環境不備へ成行きで到達したので、一応お題もそれに合わせて修正してみた。
んだけんどもテレワークは愚か自宅での楽器練習等、今本邦では基本的に家では何かの作業をするとか出来るってのが不足し過ぎてるのが厳しい。

限られた空間で快適性を追及したり在宅時間とそれに掛るコスト等の都合でよりこうなったんだろうが、私的には幾ら何でもカプセルホテル化させ過ぎじゃん
と思っている。
その根底には是又政策の不備があるとしか考えられんが、それは「寝蔵」に対する考え方の中途半端過ぎが不味かったと思われる。

今は台所より風呂・トイレの方が必須とされててそれは間違っちゃ居ないが、真に「帰って寝るだけ」の空間とするなら最早個人所有・占有の必要なんてあるのかどうかだ。
それに加え自宅で不可能となった作業をしたい時の施設はもっと潤沢に用意しとくべきで、しかもこの方向性で行くなら頻度差はあれ誰でも必ず必要とするのだから無料若しくは低廉でなくちゃ嘘になる。

多様な思考の人が混在してるから完全統一を目指しては旧共産主義みたいになって駄目だけど、自粛要請と補償はセットなのと同じでちゃんとセットになってないと機能しないのが無視されている。
とは言え何時迄も無能政府に文句を付けて待ってても世界から取り残されちゃ敵わんから、本来はNot My Businessでも自前で進めなくては埒が開かない。

低レベルで悲しいもある意味こんな処も「出し抜く」キッカケにもなり得る訳で、少なくとも非リア充だったら直ちに取り掛かるのがお薦めだ。
事前準備されてる資金も無く個人って小規模では出来る事はささやかではあるが、塵も積もれば山となるで放っとくと後で追い付けなくなる危惧がある。

音楽に携わってる場合特に気にすべきが技量・奏力・経験値で、やり方さえ分かれば直に実用に供すとは行かないのが多いからだ。
ここでの鍵は費用対効果の継続性で、具体的には毎回他所の設備を借りるのと自前で徐々に設備を整えた場合の「後での違い」だ。

外に求めた場合の損得は維持管理不要だが「その場限り」な処で、滅多に起きないけど今回みたいな事態に遭遇すると何も出来なくなる。
ここで通常時の人の生活実態も加味してくと今回みたいなのは無くても、予想外の休日が手に入るなんてのならそこそこあり得るだろう。

宅外でしか活動しない想定で暮らしてても急遽相手の都合で予定が流れ、そんな時に常に個人練習でもStudioに空きがあるとは限らない。
それと賃貸料も単位あたりは廉価で直に払えても、積算したらどの位膨らんでるのかを注視しとかないとならない。

元から閑古鳥とは云え流石に今は非営業にしてるが、個人宅で一応録音Studioをやってる者の観点ででもだ。
余計な事を暴露して更に儲けが減るのも苦しいが、商業目的で始めたんでは無く空き時間の有効活用や維持費の調達を目論んだ結果だ。

又借りる場合に考慮の要るのが「借りる道具」のコンディションで、運悪く寸前に借りた奴が人でなしだったりするとそれだけで正規の状態が得られなかったりする。
これを気にすると賃料は一気に跳ね上がり、選択肢数もかなり限られてしまう。

軽い練習に大したコンディションも不要かもだが、だからって何時も酷過ぎるのばかりしか体験出来ないでいるとこっちの感覚が狂わされる事だってある。
これが厄介を孕んでるのは人に依って何処がどれ位じゃないと困るかがかなり違ってるからで、パーソナルな行為なだけに○○様専用的要求が強い。

更に付記しとくと業者側のスキルの低下が顕著で、完全な専門家じゃないと扱えない機材しか無かった時代と比べると仕方無い現象かも知れない。
昔のStudioだってしょーも無いオヤジは勿論居たが、今とは「駄目な場所」は明らかに違っていた。

他の処でだってそうだろうが昔のは最低限の仕事はこなせるが、呑んだくれてたりセクハラ大王だったり…。
実際それにも困らされたけど費用をつぎ込んでて一番困るのは、どんなに態度その他が良かろうと肝心な部分がちっとも捗らない場合だ。

<つづく>

2020年4月18日 (土)

音楽備忘録255 「一億総ベーシック失念化」現象!?⑭

極最近の情勢じゃ一般市民よりも「内閣総ベーシック喪失化」と言うべき状況だが、それでも私的には小規模が生き残れるのが必定と考えている。
資本集中に依る高効率化は否定しないが、それだと最悪奇病に対する研究等が出来なくなる可能性がある。

この点に関して特に平成以降の日本は盲状態に近く、敗戦後アメリカ模倣を始めた当初は偶然弱小中心だったから無配慮でも事足りてたのを失念してたと言え様。
これは演奏技術向上・習得時にコピーしてみるのと近似で、自分自身だけでは巧くあしらえない内は完コピした方がってのと同じメカニズムだ。

経済政策ではずっとお間抜けなこんな日本でも技術面だと昭和迄の内は手に負えぬ物に対しては、所謂「デッドコピー」(演奏でなら完コピに相当)であるとか「ライセンス生産」等基本に忠実な施策が取られていた。
今だとそんなの何だか情けないとか、某国等のパクリみたいで格好悪いと内容差も見ずに嫌悪されてそうだ。

だがパクリとこれ等には地味でも大きな差があって例えばパクリをかっぱらいとするなら、欲しいのを盗ってその場をやり過ごせたならそれで達成だ。
それがデッド君の方では金庫に1000円でも残して来たら未達成で、差し詰めお札の連番で足が着いてずっと後になってから捕まっちまうみたいなもんだ。

この2つの例示での差は継続性で、泥棒を職業として成立させるにはかっぱらいでは苦しい。
某国のパクリは21世紀には全く不似合だがそれでも彼等だって延々パクリ続けてはいなく、実質的にはパクった自体よりもライセンス料踏み倒し事案と見るのがより相応しいだろう。

そしてスタートはパクリだったのに何らかの偶然上手く行った改良で、本家を僅かでも上回れたと認識したら打って変わってパクリ元には全く見向きもしなくなる。
この某国はそもそもが技術のパクリでも金儲けの材料としてしか扱って居らず、売れる限りは本質的なクウォリティになんて無興味なのだ。

音楽で云や音楽以外の知恵で大ヒットになった様なもんで、商業的に音楽家になれりゃ芸術的には別になりたいとは思わんってスタンスだ。
資本主義社会では芸術的価値より経済面が優先されるので、例え100年後迄残る佳曲を作った者より知名度や売り上げで評価しちまう。

そして現在は幾ら美人でもこんなに音がつまらないんじゃの段階へ来てて、あんなに犯罪紛いも厭わず猪突猛進して来たのに業界規模自体がどんどんしぼんでっている。
もしこれがそのまま進行したりすると、次は幾ら美人でもそんなに性格悪いとか面白みの無い人なんじゃへ至る。

結局美人の方は何処迄行っても大巾な価値観変動が無い限り、儲け率は動いてもご利益は無くならないだろう。
だが上記文面中に後者のはもう音って字が出て来なくなってるのにお気付きだろうか、業界的にはヴィジュアル専業系になってて音楽業界としては消滅となる。

ここで冒頭の「奇病」へ戻るっつうかリンクしてくんだが、要するに持続的消費規模を意識したら今のどの大企業も致死的なメタボ状態なのだ。
世の中が巧く回転してくには今は全国民規模の休業補償が必要だが、こう云うのなら確かに大金庫からじゃないと捻出出来ない。

だが極度に低頻度・少人数…且つ極稀にしか訪れなくても、無いととても困る需要も物凄く目立たないがかなり沢山あるもんなのだ。
突飛な比喩になるが今だともっと病院が一杯あったら安心だったのにとなってるが、事が起きて無い時は「あの歯医者ったらやたらと治療期間を長引かせやがる」なんて耳にしたりもしてるよねー。

そんなの有事の際だけ変身出来る様にしときゃええやんって、実際自衛隊なんかにはそう云う制度もあって実行されている。
でもそんな非常勤隊員に超高度な練度を要する作業は求められず、どんなヤブでも医師免許はモグリとか偽物じゃありませんに辿り着くには適性が備わってた上に最低でも6~7年はほぼそれに専従して無いと無理だ。

それでも非常時等にだけ必要な存在が医者等世間に広く認識されてるのばかりならまだ良いが、実際には殆ど全く知られず非効率で養成するにも自らがそれを担うにしてももっと困難面倒なのが更にテンコ盛りで存在してるのが現実だ。
俺的にはその手のが現代における忍者と位置付けてるが、これは例えばデスクトップ型パソコンの背面に付いてる電源スイッチなんかに近いだろうか。

普段はフロントパネルのボダンでしか操作しないが、フリーズからの回復時等にはあると助かる物だ。
デスクトップタイプで昔のとか自作系のにならフロントにリセットスイッチの付いてるのもあるが、固まり方やその原因次第ではそもそもフロントパネル自体が無反応になっちまう事だってあるからね。

<つづく>

2020年4月15日 (水)

音楽備忘録252 「一億総ベーシック失念化」現象!?⑪

今回は前回のピコ太郎からの流れで今話題のテレワークをお題とするが、何にでも適用出来るもんでも無いし平時に戻ったら改めて適正を考えるべきだろう。
リアル実施に問題が無いの迄バーチャル化しては益々本質を損ねるので、それには「何がリアル」かの再考が要る。

我!?音楽界ではLivehouse等の閉鎖は大問題となっちゃいるが、実は音楽界はテレワークに関してはかなり先端を行ってる方だ。
ここで現行本邦のLivehouseの業種について触れとくが、その殆どは法的には飲食業扱いとなっている。

アメリカ等と違って実際は演奏会場としての比重が重くても、劇場としての認可の大変さのせいでこんな事になっている。
それならもっと飲み物や料理が充実してて美味しく無きゃ可笑しいんだが、非実用的な法のせいで却って最低の状況を招いているのだ。

近似環境の一部を除くと諸外国より日本で不利なのが騒音問題等で、借りたビルの1室へ防音を施せばその分狭くなる。
隙間があったら音漏れするからそれを無くしと、コロナ禍が無くても元々良好な居住性とは縁遠い。

その一方で迷惑飲食店として酒場だとLivehouseより野放しなのも妙な具合で、しかし酒場も自前の建物の方が少ないのを考えると問題の根源は建築や環境基準の方にあるのが分ろう。
それでもこれ等の内極一部の性悪を除くと脆弱な規模で少しでも自前で改善しようとしてるからまだ良い方で、大企業や役所の無駄な旧態依然な接待や会議はもっと低次元だ。

その典型として今回案件での首相出席の会議が最悪の見本とは情けないが、やってますポーズの為だけにコロナが無くても会う必要も無いのをやってるのは愚の骨頂だ。
首相は医師でも宅配屋でも無いが社会運営の責任者なんだから、会議しても良い知恵が浮かばんなら寧ろ実地調査へ出向くべきだろう。

会議よりゃテレワークに不利な配信Liveを芸能者は既に演っていて、Lineすら使うのが勿体無い様な下らん会議は実際顔つき合わせてとは恥ずかしいったらありゃしない。
特に規模の大きい処程この不適切実行に依る損失は大きく、部屋・移動・スケジュール調整等と手間も経費も全くバカにならない。

何時迄もそんな非効率な事やってっから不景気から抜け出せないんだと思うが、不景気でもまだ余裕が残ってるのが災いしてる可能性大だ。
これじゃあ前回述「男子中学生のお母さん理論」のケースと完全に一致してて、それからすると無自覚でも実は引き籠りヲタより普通の正規雇用者の方が「中2病重傷者」と云う事らしいね。

残業代は出せないが会議で遅くなった分、残りの仕事を片付けてから帰ってねってか。
負の連鎖の結果なんだとしたら残業代支払いを厳正化すりゃ良いのに、それが困難なのは不要会議の無駄に何時までも気付かないで居るからか。

そんな「働いてるフリ」共に鉄槌を下したろうじゃないの、多忙は「見掛けじゃ無いのよ」ってな。
慌てて失敗したり本番前に力を浪費出来ないから、こっちは無理してでも外では割と大人しくしてるだけなんだって。

こうしてみると純粋な経済理論のみでは何でも大規模な程高効率ってぇけど、実はもうその理論が古くなってしまった可能性が高い。
昔は今みたいな世界規模の企業なんて皆無だったから小さくて大変な処へばかり目が向いてたが、いい加減で「大き過ぎる損失」ももっと考えて頂きたいもんだ。

大規模楽器メーカで辛うじて安泰だったのは最早YAMAHA位だけで、昔だとFender・最近ならGibsonがこれに依る憂き目を見ている。
自動車メーカにしても今は日産のゴーン騒動が悪目立ちしちまってるが、もうずっと昔にアメリカの所謂3大メーカが何度も破綻している。

結局一時の隆盛なんかにゃ合せず、長期視点の市場規模に合致してる範囲がその世界での最大規模だったんだよな。
偶然趣味的都合でVOXやRickenbackerみたいな怪しげな小規模の動向を知っちまったが、小さい癖にそんなに人気でも無い癖に何だか彼等は妙にしぶといお陰でこっちは助かっちゃったなもし。

<つづく>

2020年4月14日 (火)

音楽備忘録251 「一億総ベーシック失念化」現象!?⑩

今回は一面でこれぞプロと感じられたので暫く経っちまったが、PPAP-2020-/PIKOTARO(ピコ太郎)って動画を好例としておこう。
曲自体は焼き直し(原版とは主に歌詞違い)だが、手洗い奨励と平和祈念がテーマとなっている。

日本ではちょくちょくするのが当り前の手洗いも、世界全域で見るとそんなに一般的では無いんだそうだ。
習慣が無ければその分思い浮かぶ機会も減りそうだから、世間全般からしたらささやかなのでも結構効果的かも知れない。

習慣化してる日本だってクドイっちゃクドイかもだが、失念防止にはやはり多少なりとも効果がありそうだ。
尤も程度は軽重で休業補償が支給される様な効果は望めないだろうが、だからって逆効果になる心配は無い。

休業補償ってば4月も1週間が過ぎて漸く風俗業等の除外再検討が始まったが、未だに自分が払った税金をそんな処へ投入するのは嫌等とほざいてるウツケ者が居るのには呆れる。
敢えて該当者を名指しで記しとくが、高須クリニックの高須克弥院長やダウタウンの松本人志等がそう思ってる様だ。

高須先生はどうか知らんが松本人志なんてかつては常人より遥かに風俗のお世話になってたのに、その点でだけでも良く簡単に裏切れたもんだ。
彼がそんな事を言ったら敢えて真逆の行動をとって戦死した、志村けんの善意が無になっちゃうよ。

は置いといて冷静沈着に休業補償案件を考察してくと、先ずは主目的をもっと頭の中で精査すべきだ。
何の為に支給すべきかってば、何しろ少しでも家の外へ出て来て集まったりしないで済ませるのが理由だ。

それには収入が日割りだったり短期変動制な人や客商売等人出が無いと稼げない業種では死活直結で、現に無能政府がグズグズしてる間に既に破綻しちまった処も少なくない。
これからすれば政府や彼等の優先順位は真逆に誤ってて、風俗従事者等には真っ先のとっくに支給して無きゃいけない。

ひねて考えりゃそれやったって医療や物流関係等は外出も伴わざるを得んので、だったらケチった方が得だとか。
或は地道且つ血の滲む労力を注いで稼いだのを、少なくとも外面的にはボロい稼ぎ方してる連中に与えたくないとか。

ってこのブログじゃねんだから、そんな下らん処で脱線事故なんか起こしてんなよッてんだ。
結局は危機感希薄だったり世情実情に距離感があるせいで勘違いしてるんだろうが、物の本質を失念せずに居られたらあんな風にはならなかった筈だ。

ピコ太郎も高須先生も松本も公的タレントとしては共通だが、物の見事に正反対の発表をしちまったもんだ。
性格や人としての品格もあろうが俺的にはこんな結果になった原因に、どれだけ自分でやってるかが影響してる様にも思われた。

別の顔等も色々持ってるとしても3人は一応音楽家(現在世間の評価順では)・医師・お笑い芸人が本業なので、現況の本業実働時間とか割合を考えてみると良い。
後者2人は少なくとも過去比較だとこれがかなり減っていて、現場が遠目≒非現実的な日常に身を置いてると言える。

その最たるのは言語道断のコラボ動画を出しちまった救い様の無いのも居たが、見事な迄に間抜けな事に働かず自宅でくつろいでるのを拡散しやがった。
当の本人は皆の在宅を願ったつもりなんだろうが、相手の星野源は場所・機材・スタッフ等あらゆる面で限られた中でそれでも弾いて歌うとしっかり「働いている」ではないか!!。

同じ芸人でもコロナに負けず少しでも笑いを届け様とお笑いタレントらによる「#ギャグつなぎ」も話題になってるが、これからすりゃ松本は差し詰め働かずに文句だけ言ってる体って事になる。
高須先生も専門は違うけれど医師には違い無くこの日常時なんだから、せめてコロナ関係の手伝い位はしててからにして頂きたいもんだ。

そう云や男子中学生の母親達が夏休み中は部活で多忙なのが望ましいと語ってたのを思い出したが、下手に自由時間があると大抵はロクでも無い悪戯を仕出かすからなんだそうだ。
ロクでも無くても後で人生勉強として意義がある場合もあるので縛り過ぎると良くないが、余計な余裕があると思考がサボって無効時間が増え気味となるのは確かだ。

普段は絶対に○○しか飲まないなんて決めてても、ホントに喉が渇けば誰でも「水をくれ」となるロジックだ。
余裕の無い生活が良いとはちっとも思わんが、全く有効活用出来なけりゃ余裕が無いのと同じになっちゃうからね。

<つづく>

2020年4月13日 (月)

音楽備忘録250 「一億総ベーシック失念化」現象!?⑨

今回は自動車のアクセルとブレーキペダル踏み間違え案件を生贄とするが、私的には現行の教習システムは何とも半端になっちまったと痛感している。
私的改善案の鍵を握るのが所謂「ゴーカート」であるが、特に近年本邦の普通の子供には昔より随分と身近じゃ無くなってしまった。

それが全ての原因では無かろうが、正反対の作用をさせるペダルを踏むのが何時までも「同じ足」ってのがどうも気に入らない。
車の運転中は現存車のほぼ全てで足元は見えないし見られないしで、かなり色んな工夫がされてても今踏んだのどっちは踏んだ後にならないと間違えててもほぼ分からない。

従前の手動変速機ではペダルが3つ必要で並行して徐々に自動変速機も普及した都合で、アクセル・ブレーキの同扱い化の為かつては片足としてたのは理解出来なくは無い。
しかし自動車の自動変速機の普及としては、実は一般車よりもゴーカートの方が遥かに古かった。

それ処か目的的にも手動変速なんて考えられず、習熟を要するクラッチ操作があったら初心者が運転出来ないもんね。
それでか機械・乗り物ヲタの俺でもマニュアル車のカートには未だお目に掛れずで、これからすれば真のオートマ車の原点は乗用車じゃ無くカートなのである。

して核心としてはカートではどれもが恐らく無例外に、右足アクセル・左足ブレーキペダルと兎に角反対足になっている。
昔みたいに1つの免許で両変速機対応だったらなるべく共通性が高い方が良かったが、オートマ限定免許がこんなに多いなら安全性の為には最早マニュアル車との共通性は後回しでも良い筈なのだ。

もしオートマ限定免許がカートの練習から入ったとしたら、違う足で踏む物に対して違和感を抱く物は皆無となる。
つまりかつて当時の都合でそうしてたからって、オートマのベーシックが履き違えたままになってる様に思われるのだ。

パソコンが使える人がもっと欲しいから・英語がしゃべれる人がもっと欲しいからと、これ等はどんどん低年齢から仕込まれる様に変化して来ている。
それなのに何でもっと安全運転者を増やしたいから…にならないのか???、これじゃあアベノマスクみたいで可笑しか無いですかってな。

こんな旧態依然の横行を穿って見ると、毎度の既得権益問題が是又かなり疑わしい。
何かで後になってもっと良いのが見つかったとして、もし安全性や周囲の迷惑等に無問題なら個人の自由選択でも結構でしょう。

けれど原子力発電みたいに場合に依っちゃちっとも安上がりじゃ無いのが既に判明しちゃったのに、それだけへ妙に拘り続けるのはわざわざ新しく獲得出来た知恵を捨てるも同然だ。
もっと管理を徹底させれば平気とのたまうのも居るが、ではそれをどうやって絶対性を確保するのかの方法論が欠けたままだ。

今迄ある程度の期間無事に運用出来ちゃったからか、判定・選択基準に無意識下に偏向が生じてると考えられる。
常時と非常時の経済性は議論段階では最低でも同列であるべきで、仮に放射能汚染を無視しても現に壊れて発電出来て無いから正規の儲けは皆無になってるよね。

その分の「予定に無かった代替運用のコスト増」もほぼ論じられて無いし、こんな処にも非本気が露呈しちゃってるぞっと。
ついでだからこれももちっと掘っとくと、当初から予定して無い場合経費調達自体からして通常時より高コストとなるのが一般的だ。

真の低コストを狙ってそれを不動の物としたいならどんな低確率の事態にさえ備えといて、あり得ない程酷い目に遭ったってこの程度で済ませられるから素晴らしいとアピールすべきだ。
想定外だから仕方無いが通用するのはアマの世界の話しで、プロがそれをしちゃったら頼る処が無くなっちゃうよ。どっかの国の政府みたいにさ。

<つづく>

2020年4月 5日 (日)

音楽備忘録242 「一億総ベーシック失念化」現象!?①

派手なお題目なんか唱えちゃって随分音楽から遠そうかもだが、かなり深い関連性を孕んでるから俺なんかが提唱してるのだ。
俺自身だって気付けてないだけで怪しい処が多分沢山あるだろうが、極限に少しは近い環境に居るせいで否応なしに正解を得られてる側面もある。

生命維持の原理からは苦しい奴程正しきを知るのは理に適ってるが、こう云う末端のマイナーな存在は社会的影響力に乏しいのが皮肉っちゃ皮肉か。
自覚が無くてもそれなりに恵まれてたり幸せだと余裕も出て来て、しかしなまじ余裕があるが為に大事な処を見落したり忘れたりし易くなる。

これは今はボヤいてる俺だって状況次第で陥りそうで、故にマトモに暮らせてると普段の生活の中からこう云うのを学んだり知ったりするのは難しそうだ。
だが音楽やスポーツ等で「意のままになるかならんか」へ着目すれば、境遇からの相違はかなり縮小されるし減らせるのだ。

この面で普段は社会的な実用性の低い所謂文化的なものの存在価値は侮れず、かつての上級国民が率先して勤しんだ理由と思われる。
人間偉くなる程叱られなくなって普段はその方が快適だが、大きな過ちに気付き損ねた際の外部からの通知はどんどん無くなってしまう。

利口な偉人がやたらと妙に低姿勢だったりするのはこれを熟知してるからで、しかし余程「もっと知りたい」欲が強くでも無いと中々そうはなれないもんだ。
それと私的にこの件で注視してるのは態度より内部心理で、形から入るタイプの人には大変だろうが本音のみとしないと実現が困難だ。

気持ち的に横柄であるより真摯な方が好ましくはあるが、どんな悪態を付き捲って様と唯一点の真実さえ理解出来りゃこの件では良いしそこが核心なのだ。
幾ら丁寧に相手の意見を訊いても本件で問題なのはそれをどう評価・判定するかの部分で、ここに余計な偏向があったりすると「しっかり訊き入れたつもりが充分な反映が為されて無い」となったりするのだ。

さて最近頻出の「偏向」だなんてブラウン管の角度じゃあるまいし、何故そんな語を用いてるかってば本人無意識下になってしまってる部分に限定したかったからだ。
例えば俺はRockだから丁寧語なんて使うかよなんて、自覚があって演出してるなら根っこは案外ニュートラルを維持出来る。

恐いのは例え軽度でも全く気付かず知らずに寄ってたり曲がっちゃってたりする場合で、それが原理原則等の基準点だったら影響範囲は計り知れない程広いのだ。
この辺から参考実例へ進んでくが、最初は建設関係等での水平だとか一直線を確実にゲットする方法だ。

水平に関しては水準器若しくは水平器を用いるのが今は一般的だが、多少精度は落ちても転がり易い球体(液体の滴含む)で代用するのも可能だ。
直線に関しては平民では長い定規等だが古典的な墨壺+凧糸の如く、紐に張力を与えると直線が得られる。

この内後者は定規が届かない長さでは第一候補で、更に遠く(長く)なれば測量の基本の遠くから眺めて3点が一直線上に並ぶ様にする等だ。
「届く限り」は何かを単にあてるだけの方が簡単だが、単一平面じゃ無い場合は垂直方向の高低差の影響が出てしまう。

職人さんが色んな物を銃で狙いを定めるみたいにして眺めて確かめるのはこのせいで、半端に道具を使うより僅かな歪みも簡単に見つけられるらだ。
大掛かりな最新計測装置でも使う以外では未だにこんなのが最も精度を得易いのは少し意外かもだが、こっちの「視点次第」で手ぶらな方が高精度ってのが現実だ。

道具に依存し過ぎると恐いのの1例だが、では音楽ではこれは何に値するか。
を次回に記すとしよう。

<つづく>

2020年4月 4日 (土)

音楽備忘録241 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑯

こっちのお題もコロナみたいにしつこいってんでも無いが、従兄のTwitterで知って「♯SaveOurSpace」に珍しく署名なんかした。
サラリーマンに対し音楽家等は数的比率が低いのと票田に結びつかんからの暴挙だろうが、やはり客商売だからと大人し過ぎたのも一因にあろう。

ここで非音楽家諸君に再確認願いたいのは例え低頻度でも、自分達が何らかの宣伝をぶつ際に音楽のお世話になってる処だ。
音楽が民衆にとって必ずしも常時必須じゃ無いのは論を待たぬが、だったらコマソンなんて絶対に使うなよである。
更にタレントを起用してしゃべらせるのも無しで、宣伝文句も文筆家等に依頼したらアカンでえ。

対してこっち芸術系
サイドとしても若干の手緩さを覚えるのは、「自粛と補償セットじゃなくちゃ」だ。
俺的にはこの際一歩踏み込んでコロナ終息迄は「禁止期間中の分は補償しろ」であるのが望ましいと考えていて、政府の負担は増えるがもっと良いのは例えば全員に金出してやるからその間は閉じ籠ってろだ。

芸能界にも最近の狂った大手の暴挙みたいなしょーもない輩も混在してるので、ルールが自粛だと抜け駆けする奴が出る可能性があるしそれを罰せない。
万一そんなウツケ者のせいで大流行しちまえば共倒れし兼ねず、皆死んじまえば補償が保障された処で何の役にも立たないのでね。

私的にはどちらさんも何とも緩すぎて歯痒くて仕方無いが、だからと言って俺は何でも辛口志向ってんでも決して無いのだ。
初期段階で一寸大胆なのは「もし足りなかったらどーすんの」と思ってるからで、充分足りてるのが確認取れ次第順次緩めて行けば良いのだ。

例えば6万円ありゃ足りると思ってて5万5千円だったら、5千円のお釣りを貰うだけだ。
それがもし5万円と予測してたら不足分は借金となるが、そうなると利子の分余計に費用が掛かり借金割合が多い程コストは割高となる。

誰だって初期投資額を抑えたいし用意するのも大変なのは分かるが、短期視点を優先すりゃトータル拠出額は際限無く膨らんじまうケースも多い。
そりゃ中には借入れなけりゃ買えない物だってあるけれど、だからって利子に無頓着ではいられない。

本邦政府の負債がここ迄になった原因が正にこれで、それこそ正に「人の振り見て我が振り直せ」であるぞなもし。
それでも政府なら人がしょっちゅうコロコロ変わるし、勝手に新法をこしらえて抜け道が作れる。

が責任が唯一の個人のみにある場合、最低でも死ぬ迄に全て清算出来る範囲に収めとかないとならない。
そうしとかないと後の世代にツケが回り俺自身不幸にもこれを体験しちまったが、それを許せてもある意味先祖の面目は丸潰れだ。

人の場合評価や倫理を無視するなら迷惑でもそれもあり得る道だが、音楽等芸術系だと作品は作者死後以降も残る物だからそんな道は無い。
因みにここでの作品の負債とは製作費等では無く、作品自体の内部に残留してるものを指している。

追求し過ぎて身動き取れなくなっても駄目だからそんなに神経質に拘る必要は無いが、方法論の時点で大巾な間違いがあってはその後の苦労は水の泡。
それ故必定では無い場合の録音時Click使用等におもむろに抵抗・反対を唱えてる訳で、この手の件に危機感が薄い様ならそれは危険な兆候なのだ。

仮にClick無しでは上手く録れなかったとしてもキチンと試して於けば、その時点では無いと無理なのがハッキリ分かるとある種のDataが確実に採取出来る。
そうして明確化が図れて無いと「この曲だけは絶対の自信があるから」なんて欲が出たりして、大事な局面で気紛れで使わずに失敗する可能性が残ってしまう。

なので一寸シュールだが例え悪結果が出たとしても、実証実験は怠ら無い方が後に差が出る可能性がとても高いのよ。
私的には現況本邦は俺言い「一億総ベーシック失念化」現象に蝕まれてると痛感してるが、次回からそれを色々例示して行こう。

<つづく>

2020年4月 3日 (金)

音楽備忘録240 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑮

潜在意識を封印して他分野等と正直に比較するのは、勇気も要るし弱点や欠点も見せつけられたりするからちょいと厳しさも伴うかも。
なので差し迫ったニーズに駆られないと躊躇しがちだが、かと言って後回しにし過ぎればガラパゴス化必至だ。

本来なら規模の大きい処からとっとと何とかして頂きたいのは山々だが、大きい処の方がマージンも多く用意出来るもんだから遅くなる。
だから俺みたいな弱小は世間がどうあろうとそんなのに構ってる余裕は無く、苦しい代わりに早く真実を知れたり原理には詳しくなれてるのかも知れない。

俺は一部には徹底した拘りもあるものの全体に対しては、実は性格的にもそんなに普段は探求心に長けては居ない口だ。
しかしお尻に火が付いては直ちに消そうとする訳で、こんな余裕の少ない状況は決して他人に勧められたもんじゃ無い。

だが俺より余裕が大きい筈の大勢が嘆いているのを目にすると、もっと持ててる幸せを実感出来てたならと残念に感じられる。
それには数値的な比較が困難な物に対して、やはり実際に並べて比べて見る事は必要だと考えられる。

全くけしからんのは承知の上で例示すると、例えばかなり不謹慎な隣の芝生は青く見えるだ。
充分納得して結婚してても並の男なら、隣に我妻より美人の新婚さんが引っ越して来たら心穏やかでは居られなくなったりする。

実際には幾らそわそわしたって人妻で新婚さんなんだから、真っ当に行ったらチャンスゼロだ。
だいいち浮付いてるのが奥さんにバレればフライパンか何かが降って来るだけで、良い事なんて何ひとつ無いにも拘わらずである。

呉々も正当化論法では無いのを事前に念押ししとくが、要は美人と云う基準には絶対値を持たせ難いのが根底にあるからだろう。
人にも依るだろうが身近にどれ位の美人が現われる可能性があるか、それが熟知出来てたらそんなには心乱されずに済みそうだ。

しかし面食い男性でもそこ迄事前に徹底検証してる者は僅少なのが実情だから(そもそも困難だし限界もありそう…)、いざその時に後になってからみっともなく慌ててしまうのである。
男の夢的理想では離婚して略奪婚と云った処だろうが、現実には子供やその後の問題等で絵に描いた餅が関の山だ。

この様な低確率だとか予測困難なものに対して、大抵は準備不充分になるのは仕方無いだろう。
但し無準備で居るならそれに対する覚悟みたいなのが本当は必要で、具体的イメージが困難でももっと運が悪かったらどんだけ大変かも知れぬなんて心構えは必要だ。

現総理は仕事に対しては真に無責任極まりないが、家庭に対してはどうかを考えるとある構造的構図が見えて来る。
それは実質的には関係が破綻してる様にも伺える奥さんに対してで、こちらでは打って変わって過保護を続けている様だ。

死人が出たのに頑なに再調査を拒む裏に、自身の保身は勿論含まれてるが奥さんの立場がとても気になる処だ。
あんな思いやりが不足してるオッサンが何でとも思うが、要は他に責任担当者が居ないのが根底にある気がするのだ。

全く間違っちゃいるが仕事の方は現行法では、辞めてしまえば全責任は負わされない。
しかし奥さんにとっての旦那が他に現れぬ限り(つまり離婚して再婚等)、専業主婦かそれに近い奥さんに何か起きればその殆ど
は旦那のせいとなる。

我々みたいな個人事業主が参考にすべきはこの部分で、全体的にはほぼ反面教師でしか無い。
けれどそんなイカれた奴ですら条件・状況次第で自然と対応に差が出てる訳で、彼程の権力があっても時に権限が足を引っ張る事があるらしい。

最高責任者になると自由に判断・選択出来る代わり、間違えてもその時点でそれを教えてくれる者はもう居ないに等しい。
今回のマスク配布の件ではほぼ全員からバカにされて居り、それでも間違いを認めるのが後からじゃ恥ずかしくてもうどうにも出来ないと云う体たらくである。(それでも全ての面で恥を忍んで早期に修正すべきだが😓)

これが芸術系で個人の作品だったりすれば、基本的には常に作者個人の責任となる。
特に音楽では「そこだけ聴いたら間違い」に思えても、続きを聴いたら「それで良かった」とか「わざとだったのね」も多いから厄介だ。

<つづく>

2020年4月 2日 (木)

音楽備忘録239 この際だから政治と絡めて音楽を考察しちゃおう⑭

俺は新興宗教は嫌いだなぁ~んてったらいきなり喧嘩吹っ掛けるみたいで物騒だが、無条件で嫌っては居ない。
他人に対して余計なバイアス(偏向)が掛って無けりゃ一切不問だが、普通の話しが普通に通じなかったりすると疑惑をつい抱いてしまう。

これが政治に関しても同様でまだ世界最悪では無いが、現行本邦政府みたいに無理を通して道理を引込める様な事をしでかされると不信以外にも心理的実害が多い。
限度を越しても他政党よりゃマシそうって理由で信任するのは、既に正しい判断力を喪失してる表れなのだ。

ここ迄「程度が酷く」無けりゃそれも分かるしちったぁ許せるが、これでは殺されても過失(失敗しただけ)だから犯人は無罪放免と言われてるも同然だ。
そしてそうなっちまう原因として考えられるのは洗脳等しか無く、酒か薬か金かはたまた悪魔の誘惑か等は夫々様々だが感覚を狂わさせてる点では一緒だ。

これの音楽作品の具体極例としてオウム真理教で売られてたシンセミュージックを槍玉とするが、申し訳無いが音楽的には環境音楽を真似た「単なる音の羅列」で無価値であった。
俺はこれに興味がある処か忌避してたんだが、当時近所の電柱にやたらと無断でポスターが貼られてたので冷やかし半分で聴いてみたのだった。(決して購入した訳じゃ無いですぜ!!)

お経とか讃美歌みたいに、宗教由来でも音楽的にも優れた物は実在している。
なので全てに適用可能とは言い難いが音楽の出来栄えと宗教内でのその評価の正誤で、宗教自体がマトモかどうかの判断の一助にもなりそうと考えられる。

もし他人が聴いてちっとも素晴らしく無くても「好き」と言うなら無問題だが、何故この素晴らしさが分からないか等と言出す様だったらかなりの重症だ。
尤も音楽を好みとグレードを別々に判定出来るだけのスキルが無いと正しい判断は付けられないが、マトモな音楽家を目指すなら最低必須条項ではある。

今のJ-POPに「耳が飼い慣らされ」過ぎてたりすると「不要過音圧」に鈍感になったりするが、これは音楽が比較に依って成立してる部分が多いのに気付ければ明日の為のその1となる。
この件を政治で対比させると例えば貯金しても幾らも利息が付かない政策を延々押し進めてるのと同じで、ある程度やって効果が薄けりゃ本来なら「次の手」に移行するのが得策なのだ。

この様な過ちを何時までも続けられる無神経の原因は、どれだけ間違ってるかが認識出来ないからだろう。
今の時代は音楽でも国でも他所へ様子が簡単に知れる状況にあるから、内部だけを見て判断するのは正に井の中の蛙の極致となっている。

おバカな政権は情報操作や遮断に依って不都合の隠蔽を計ろうとしてるが、それがある程度機能するのは現代本邦のお人好しが多数派を占めてる場合位だ。
それだって端っからは疑わないってだけで、何時までもおかしいのが続けば何れメッキは剥がれる。

それでも政治家には任期があるのでその間誤魔化せりゃ良いのかも知れんが、音楽の方では任期だなんて期間限定が付いて来ちゃ困るのだ。
ほぼ全ての作品は聴くより作るのに何倍もの時間が掛るので、最低でも製作期間と同程度は評価が持続しないと成立しない。

もしこれが崩れるとお客にとって興味の対象となる物に「時間的ブランク」が発生し、その間に他のミュージシャンや楽曲へ浮気されたりこの人終了の烙印を押されるかも知んない。
又これが正規雇用者の場合期間が近年短縮傾向にあるとは云え、それなりの長さがあるせいで鈍化し過ぎてる様に感じられる。

これの最悪例としては全ての原因がこれにある訳じゃ無いが、定年退職したら途端に熟年離婚なんてのも…。
俺がそんな旦那衆に残念に思うのは、期限が当初から分かってるのにって処だ。

今日が不成立なら明日が来ないのは確かだが、何時頃から次の段階やシステムへの移行が必要かは既に分かってた。
厳しい環境下で今のじゃ無い分に割ける余裕は僅少だろうが、せめてある程度迄なら「先送りが出来る幸せ」をもっと噛締められてたならどうなんだろか。

水商売系等ホントのその日暮らしでは将来予測は困難で、仮に備えようとしてもやれる事はとても限定されている。
自営だったら自分以外の原因で運転資金が途絶しても、不足になったらその時点で即強制閉店なんだから。

<つづく>

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