経済・政治・国際

2023年11月15日 (水)

音楽備忘録1552 低知名度アーティスト㉖

パッと想い付くのを一通り提示したんで、ひとまず本項閉店に際し今劣化本邦へ大苦言をさせて頂きま。
重複・概述覚悟で、洋楽そのものの低知名度が今日のお題だ。

流行り廃りはあるにせよ今劣化本邦の洋楽ほぼ無視は全く異常で、特にこれは悪政の影響が大きいのだ。
壺擁護や違憲・違法の正当化の為に電通が暗躍してるが、今劣化本邦では敵無しの電通も井の中の蛙の典型なんだ。

こないだBBCにジャニーズの大罪を指摘されて久しい
が、つまり海外に対しては電通は何の効力も持ってねえんだ。
それ故プロパガンダ広報で多忙なだけじゃなく、外タレには奴等にとっちゃリスクがある訳よ。

まさかとは思うがもし外人がやろうとしたら、何時でも「くたばれ壺」とか平気で叫べるじゃん。
つまり下手すりゃ報道規制や言論統制より、ある合わせ技も駆使して遥かに芸術統制されてるも同然なんだよ。

そのある…っつうのは偽のグローバリズムを唱えつつ、裏で堅実にナショナリズム洗脳を強引に推進してる処ね。
ご近所国の幾つかみたいに露骨な禁止をするとバレ易いが、強力に国産に興味を誘導しといて多数派化
し相手の威力を相対的に貶めようって作戦なのだ。

すると同調圧力国家日本では多数派意見への興味が中心なんで、少数派のは「一部の変わり者」として処理すりゃ世論の敵も同然に出来る訳だ。
杜撰大王みたいな生来の変わり者からしたら余計迷惑な話しだが、普通なのに変人側に編入された人はもっとやり切れないだろうな。

仮に↑を我関せずとしても何が万人に損失になるかったら、学びの質を著しく低下させちゃうんだよ。
ご都合日本史修悪等でもそうだが、失敗しなかったから凄いだなんて随分とまあ自信の無い事った。

杜撰大王は特に自国に関しちゃディスって愚痴ってばかりに思えるだろうが、仮に王座から陥落してても治安の良さ等はちゃんと評価してるのよ。(日に日に悪化してってるが…)
尚且つ闇雲に主義の違う人を否定はしてないが、今の軍拡は唯のアホだから卑下してんだわ。

形落ちミサイルを買い増しした処で、それを扱う人間が弱ってたら実戦じゃ使い物にならんやろ。
先の大戦時もそうだったが幾ら精神力・知恵とうたったって、無補給で必要最低限の健康が保てなきゃ一気に全部が無効化でんがな。

だから自衛隊の待遇だけでも武器増量と併せて…いや寧ろ先んじて、大巾改善しなきゃ戦力向上には繋がんないのにさ。
こんな簡単なロジックで躓く根底には、誤った知識この場合は主に歴史観があるだよ。

本来の凄さはあんな大間違いしたのに、それに気付いて素直に認めつつ飛躍的な経済発展を遂げた処なんだ。
それと同じ様に物事の道筋に欠損があると、あらゆる分野で停滞を必ず招くんすよ。

特に大元が外来のでそれやっちゃうと、砂上の楼閣現象勃発が避けて通れなくなってくんだ。
先ずPresleyとかが居てBeatles…と来てるのを、もし唐突にMichael Jacksonからとしちゃったらどうなるかだわさ。

元手を変形させて編出そうとしたのが、実はBeatlesがとっくにやってても気が付けないじゃん。
一通りを知った上で変形させたなら、少なくとも被る相手を劇的に減らせるぞ。

例えば世界の大多数が一定以上知ってるBeatles、日本の子供達だけ疎かったら世界からはそれだけで非常識人認定される可能性が上がっちゃうんだよ。
教育用途でも著作権使用料を巻き上げる愚等と同様で、そんなの定規の目盛の方をご都合で動かしてる様なもんやんけ。

そんなじゃ良い悪い以前になっちまうの必定なので、せめて学びたい人の邪魔はするなって寸法で御座居。
利権尊守派の皆さん仕方無いじゃん、Rockは外国で先に生まれちゃったんだから。

=了=

2023年10月17日 (火)

音楽備忘録1523 Rockは反体制について⑥

今回は政治と音楽の深い繋がりをも論じるが、決して堅い話しでも何でもないから単語アレルギーとかで引かないどくれやす。
さてRock勃興の原動力には当時欧米白人の鬱憤があったと既に記したが、宮廷Classic等一部のを除くと大抵は何らかの苦悩等が根底にはあったんだ。

Bluesなら決して恵まれない境遇・Soulなら苛烈な人種差別…、少なくとも大衆からムーブメントが発祥したヤツは大抵ね。
お気楽そうなDiscoでさえ裏にせめて今だけは思いっ切り楽しもうとか、ヲタの自己満っぽいテクノにも当時の引籠りの承認欲求か何かがさ。

コレとってもシンプルなメカニズムで、庶民には何等かの大儀が生じなきゃ貴族みたいに趣味を楽しむ時間や資金に余裕があんまり無いでしょ。
ほいで誰かがこのまま黙ってられるかよからスタートして、その人達にしてみりゃ死活案件を吠えてたから説得力だって生じてたんだ。

この大衆音楽勃発構造からしたら高度成長期に始めた俺等なんかより、今の人の方が重くなる筈だったんだけどねえ。
事務所・評論家はこぞって駄目と言ってるし、作られたプロパガンダインフルエンサはそんなのカッコ悪いなんて吹聴するもんだからよぉ。

だいいち学校でも壺洗脳された政権の事実をほぼ教えねえもんだから、忌避事項だとスッカリ思い込ませられてんだ。
この弊害は底なしで何時迄もそんなで居たら、例えばあの名曲Summer Time Bluesみたいな歌詞が書けねんだ。

その当時は少年への人権だの労働環境等ロクに考えられても居なく、イチャ付きたいだけの坊主が何と国連や議員にチクったって文言があったの知ってまっか?。
なんて杜撰大王ですから俺は何十年も前から歌ってた癖に、今調べて初めて知ったんだけどな。😵

ゴホンっそこは見なかった事にして貰うとして、どうやら八方手を尽くしたが環境改善に失敗したのを訴えたかったんじゃないかな。
普通ならしない事迄やったのを表すのに、畑違いの単語を「狙って」いきなり登場させてみた訳だ。

この様に所謂政治的意図等微塵も無くても、全く別理由でニーズが生じるケースが幾らでもあるんだよ。
これを知りも分りもせず音楽家如きが政治を口にするななんてのは、傲慢独裁主義以外の何物でも無いのだ。

酷暑が酷いから夏休みを延長してって要望も最終決定権は文科省(国)だから、より政治と関係してるのにこっちはあまりケチが付かないってのは何とも不可解な了見ではないか。
それ処か今劣化本邦政府には良い処なんてほぼ皆無なんだから、単に見下す以外にそもそも歌詞のネタにさえなりゃしねえってのにな。

だから特に若い方はもし一定以上の権威の持ち主がそんなの嘯いても、決して心の底から信じちゃいけねえよ。
食う為に従ったフリをするのはある程度仕方無いが、向うは要らなくなった途端にお前らなんかポイ捨てする気しかないんだからね。

<了>

2023年10月13日 (金)

音楽備忘録1519 Rockは反体制について➄

今日は「Rockは反体制」の自然衰退について探求するが、これには個人的特殊事情が明確化の助けになった。
そもそも俺は自我が芽生えてからは、Rockに無関係に反体制寄りではあったんだ。

の理由は1に当時の虚弱体質・2に今生の人生が終る迄続くチビ…、等のお陰で到底普通にしてたら主流派には入れて貰えなかったからなんよ。
とうに諦めては居るもののこんな資質は全く望んで無くて、せめて平均的体力と身長があったならどんなに暮らし易いだろうと勝手に思ってた
んだ。

これについては敢えて強硬に他言無用で、実体験しないとそれ等のハンデを中々理解し切れないですので。
勿論誰にでも微細なハンデは必ずあるだろうし、現実には↑が充足したからって生活が向上するとは全然限らないんだけどさ。

で思うにかつてのRockってのは、何某か標準規格から外れた者の1つの受け皿的側面があったんだ。
それが大きな儲けに繋がると知れ渡った途端、標準規格を満たした奴等も迎え入れる様になっちまった。

演ってる或は演ろうとしてる者の方も、イケメンだからもしかそこそこ行けるもなんて野心に駆られる奴が増えてさ。
ここ迄なら自然現象で寧ろ歓迎すべきだったんだが、まるで無難な大企業よろしく本来は支流派だった規格外を排斥し出しやがったのよ。

その流れは1980年頃には顕在化して、俺の世代は見事にその煽りを受けただよ。
タイミングに恵まれんかったってばそれ迄だが、子供の内はずっと夢を見させられていざ大人になって社会へ出てこうとしたらあーだからなあ。

個人事情は兎も角として、それに依って反骨精神に長けた連中が離散する事態を招いたんだ。
結果ちゃんとスピリットを持ってる奴は地下化し、業界例えばあの忌まわしきジャニーズを容認する様な金の亡者だけがメジャーに居座り続ける事にさ。

そうして無理矢理爪を切られ牙を抜かれた中には、諦めて人生自体を自ら投げ捨てたのも居りゃスッカリ封印して大人しくなっちまったのも居るけどな。
その後は実態として自主休眠させてるだけで、外には全くそのそぶりが見られなくてもスピリットを持ち続けてる奴の方が多いんだ。

にも拘わらず後から出て来る(正確には業界が供給)して来る連中は失礼乍らこの観点だと腑抜けばかりとあっちゃ、そりゃマーケット自体がどんどん縮小するのは至極当然なんですわ。
又当初は弱小だったRock系雇用者も儲かって規模拡大すると、反体制≒一々反抗・云う事訊かないのイメージ危惧から面倒な奴は敬遠と。

ってホントは必ずしもそうでは無いんだが、儲かるとその資産を今度は守るのに必死になったりするからね。
加えてそれで大金持ってるのが分かると、政治屋等が目を付けて幾らくれれば代わりに1つ我儘訊いてやるなんて持ち掛けて来る。

実際現況だと壺→自民→パソナ→電通→吉本興業・ジャニーズetcと、経路こそ少し長いが末端に至る迄関係者は壺の思う壺と化してるでないかい。
売れてる歌手が生活風景の一端でしかないからガソリン安くしてと歌ったつもりが、本来厳禁の税の2重搾取等が周知徹底したら不都合と僅かでも政治臭がしたら是又徹底排除…。

個人的にはRockと反体制はセットと考えてるが、これ等の事情もあって表舞台から勝手に排除されてるだけなんだよ。
税もガソリンも値上がりして仕方無いから歩いて行くかって、誰だって嫌だし不満≒プチ反体制が芽生えても
不自然じゃないんだけどねえ。

=つづく=

2023年8月15日 (火)

音楽備忘録1460 低知名度アーティスト③

ではAtlanta Rhytme Sectionの負の側面を中心に進めるが、先に影響度の小さかった本人達の事情を綴っとこう。
そう書くからには末期所属レーベルこそ真犯人なのだが、一般民衆にはそれすら所詮は内部事情なのが悲しい。

さてこの人達の出自が方針にも影響してた様で、おバカヒットシングル的な曲を1曲たりとも出さなかったのは真の意味での自己責任だ。
全員スタジオマンや著名人のバックを務めてたんで、自分達名義の時はその手を避けようと職人魂が熱を帯びちまったかね。

要するに安易比喩したら「Love Me Do抜きのBeatles」ってなもんで、知名度の為には決定打になり得る一発ギャグ位は必要だったんだけどね。
昭和の頃迄表向きには「人間中身で勝負」等と真顔で言ってたものの、昔だって内実は容姿の影響が絶大だ。

のであまり恵まれてなさそうならせめて面白路線に一旦振っとくとか、不足分を補う工夫がね。
実は彼等だってほぼオリジナルメンバーの最後には、そう云う曲も録ってたんだけどね。

そのアルバムが中々の出来栄えにも拘わらずレーベルの意向にそぐわないってんで出して貰えず、ずっと後年になってやっと非公式でリリースされたんだ。
その他にはSouthern Rockでは同門のLynyrd Synyrdとの対比で、不幸な事故で伝説化した様な話題が何も無かった事だろうか。

でここからは他にも影響を与えた忌まわしいのを一発行くが、かつて洋楽ヲタ界隈ではCBSに移籍すると終わりを迎えるなんてまことしやかに言われててね。
CBSがSONY傘下に入ってからはだいぶ収まったみたいだが、上記の非リリースは正にCBSの決定だったんだ。

聴いてみて決して爆売れはしそうもなかったが、それ迄の彼等の作品とは何の遜色も無かったんだよ。
その時点で本国では小ヒットと知名度を少しは得てたんで、大して儲からずとも赤字になる心配は皆無だったんだけどねえ。

まあどんな経緯であれ所詮は芸能界ですから、商業面の都合で内容に伴わない動きは色々ありますわな。
けれど趣味で良い物を探してたり自分も参加しようと思って参考を探してたりしたら、儲け第一義の業者みたいに見逃したり忘れたりしてたらアカンがな。

今劣化本邦では趣味ですら業者の言いなりのが多い様だが、だからやたら熱を上げた割に醒めて飽きて止めるのも増えたのかな。
それすら自由にしても警戒しとくべきはどっかの政教分離の原則を完全失念した壺政党じゃないが、趣味と業務の無意識下での混同だ。

大して面白いと感じてなかったのを皆も買ってるからと購入してく内、自身の感性のピュアな部分は段々失われて行く。
そうしてる間に売れたが正義で塗り固められ、かつて片鱗位はあった尺度がスッカリ変形しちまって駄目になる。

爆売れと内容に直リンクが無いのは確かだが、どやっても今一売れないと内容不足は少しリンクしてるんすよ。
他人にはOKでも自分には一寸なんてのを、少しは大事にしとのくも独自感性温存の内なんざます。

-つづく-

2023年8月 3日 (木)

音楽備忘録1448 音環境の変遷⑦

最近つとに政治色が濃くなるのはRockの古典スタイル、反体制だからじゃねえんだ。
かつては与党が与党である為の野党の存在、善良市民が善良である為のヤクザの存在を認めてたのを否定したからだよ。

ゲームと現実は違うからあんまり酷いのだと困るけど、ライバルの存在を大事にしないと残った方も価値が薄れるん。
世の中では定量的に判別可能な物の方が遥かに少ないんで、比較対象がゼロになると長所も欠点も良く分からなくなるんだよ。

音楽を売上額や販量で分別して駄目って事ぁ無いが、現行の単細胞分別には色々重要素が欠落してんだ。
自動車と限らずいや音楽や絵画みたいなの
こそ用途が無限だから、「その土俵でどれだけ評価されたか」に着目しないと全く実効性が無いんだわ。

これは音楽聴取目的の再生装置なら更により一層で、マイナーなオーディオメーカを一掃したのは不味かったんだ。
事の発端は大手量販メーカが身の程わきまえず寡占しようとした事で、以前は棲み分けしてたからラインナップが充実してたんだけどなぁ。

最初は棲み分け次段階では強制下請けと来て、下請けに払うの嫌ってとうとう単一化させやがった。
に関しては例の師匠社長の経営の悪さが主因も、実際その様を見せつけられたからね。

一寸ここで考えてみて欲しいのが資本主義と言い乍ら、単一化させたんじゃ独裁共産主義とやってる事が一緒になっちまってる処。
今劣化本邦じゃ中国を揶揄する人が少なくないが、そんな非民主主義の資本主義を殆ど世界初で大々的にやっちまったのは30年前位の日本なんすよ。

日本があんな馬鹿な真似しなかったら相手は基本パクリオンリーなんで、現在とは全然別の世界地図になってたかも知れねんだ。
そんな中唯一の成果の頑なに戦争を回避してた点すらいよいよ怪しくなって来たのは、結局は民度や文化程度を経済に見合うレベル迄押し上げられなかったからだろう。

教育の不備その他俺言い「与えられし物」に期待出来なくとも、色々なデザインや音色(特に柔らかさ)等は影響は受けつつも自由になる筈だ。
改めて語っとくが杜撰大王の’70年代好きは当時からの事で、現時点迄では単純に他より色・音・デザイン等が最も優れてると感じただけなんだ。

今日本のそれを顧みると色んな製作技術が向上して、それ迄作りたくても作れなかったのが可能化したからじゃないかな。
そんな状況下で相変らず民度や文化程度は低かっても、デザイナーが夢見て欲出して最大限に張り切っちゃったからだと思うんだ。

このデザイナーには音響や音楽の製作者も含まれてて、昨今はそんな自負が欠落してるんじゃないのかな。
音楽って他の仕事に比べ直接的に作用させられないからこそ、背景環境つまりムード作りが最重要だと思うんだけどな。

>完<

2023年7月30日 (日)

音楽備忘録1444 音環境の変遷⑥

今劣化本邦の「敗因」は先の大戦に負けたのもあろうが、中途半端にリッチになってそこから衰退したからかも知れない。
特に上級国民様の文化程度が上がるはおろか低下したのが最悪で、政治・経済とともに世界から見れば真に不可解な中途半端になってるよ。

今回はそれを真空管の製造中止とささやかな再開で示してくが、かつてはそこそこ世界に通用したブランドが日本にはあったんだ。
今更それを持出すのは世界の何処にでもスキルがあった訳じゃなく、要するに当座の経済と云う「甘い言葉」に負けて技術流出と伝承に失敗したんすよ。

恐らくその移転先に中国があると思われ、年寄りタイムで少し昔だと中国にはそんな技術も商売も皆無だったん。
近年では当時の川崎重工が新幹線の件でやらかしたのも酷かったが、自分が不要になったからって拙速に他人にやっちゃうのはこの国の悪癖だな。

国内では条件面で合意に至らなかったか知らんが、未来永劫不要になるか迄そんなにすぐに分かるかってんでい。
狭い日本そんなに何でもとっとけやしないが、自然と生えて来る木とは違うんだからさ。

近年では半導体メーカやLCD迄売却の嵐で、それで最も被害を被るのが表現なんすよ。
日本って世界比だと「薄味の魅力」が売りだと思うんだが、それには繊細微妙な味付けが不可避だ。

にも拘わらずそれが可能な素子の自前が無くなれば、海外の大雑把なのでなんとかしなきゃならなくなる。
すると少なくとも「やり難くなった」のは確実で、初見では目立たないが地味系の魅力発揮に困窮するん。

今振り返ると高度成長期の国産自動車に、現行GTRみたいな世界最速称号を持つのなんて全然無かったよ。
なのに販量が多かったっつうのは、No.2以降のだけどどれも売れてたって事なんだ。

あのFerrari擁するイタリアは国としての経済は四苦八苦で、量が売れなくなったからせめてブランド価値だけでもってのも分ん無かないけどさ。
実際下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式オンリーってんじゃ一寸情けないが、それが概所持個性である以上大きくシフトするのは無理に等しかったんだよ。

結果値段の割には得なレクサス程度が関の山で、ハイエンドを猛指向した処で成果はGTRだけやんけ。
でそのイタリア経済では不評な反面、デザインやアパレルでは相変らず好調を維持してんのよね。

料理でも世界での席巻度は中華や和食に勝るとも劣らず、資本主義が主流だからってそう云う真の文化価値を見落しちゃ駄目なんだ。
そんな流れを反省したでも無かろうが、今頃になってNutubeなんてのを出す位なら球技術を手放さなきゃ良かったんじゃね。

↑は球でも蛍光表示管の派生形だが、亜流の球(かつては大本命)つまりTVのブラウン管技術とかも製造機器諸共全部売っぱらったかんね。
蛍光管表示のだけがたまたま残存してたのを魔用したのは秀逸だが、他の各1つづつだけでも残存してたら或はもう少し安く作れたんじゃないかな。

>つづく<

2023年7月22日 (土)

音楽備忘録1436 音環境の変遷④

さて雑音が低減すれば聴取必要最低音量も昔より小さくて済むが、それは単に聴き取れるならなんざます。
今劣化本邦では久々の鶏玉子話しで歌声すら平均値が小さくなってるから、伴奏だって音楽全体だって小音量で聴けるって?。

ってつい思い込んでる人も居るだろうけど、無駄爆音が不要になったとかPianissimoが聴き取れる為の静寂だった筈なんよ。
特殊用途やジャンルを除いては’70年頃の音圧で既に大体足りてて、けれどすぐに歪みっぽくなったり周囲が喧しくて一寸上げたら更に険しい音色になったりしてたからそれに困ってたんだ。

けれどリスニングと称する状況では昔の方が平均音量は高く、只音色が今みたいに不要にキツく無かったからあまり知られてない気付けない人が多いみたいだ。
今劣化本邦のポピュラー系では高密度が大流行中だが、昔の理想は真逆だったん。

何せ実音より遥かに狭隘なダイナミックレンジだったから、一部の強コンプはAMラジオのシミュレーションみたいなもんでしかなかったんだ。
今なら最低でもmp3が基準だから昔のFM放送位でも少しはLo-Fiが演出可能だが、AMラジオとかアマチュア無線や果ては電池駆動メガホン位迄落さないと当時は明確な差別化が図れなかったん。

だがオーディオ以外各システム毎の基本的音質に未だ大差は無く、要するに普段耳にする頻度が稀になったからあんなのでつい喜んじゃってんじゃね。
良い方が増えただけで依然悪い音質のも残存してるんで、わざとじゃない限り落すなんてアホちゃうかいっての。

これも残念な文化程度状況とリンクしてて機器性能は上がったが、庶民の耳レベルが向上しない処か下手すりゃ劣化してんだろうな。
その根源は幼児の音楽教育にあると思え、ガキだからこれ位で充分なんて舐め切った対応してっからだ。

その時期人は知能的には殆ど未開発でも感性的には大変豊かなんで、極力最高峰のモノホンを先ず聴かせてやらんとイカンのだ。(万人に必要な基礎的英才教育か)
それを原体験しとくと後で何か聴かされた際、「確かもっと○○な感じだった」等と少し違えば瞬時に察知可能になる。

一般的にはClassicオケの楽器よりかつては童謡が先だったろうが、それよりアニソンの音質等が大変重要な鍵を握ってるんよ。
上記前者は教育現場でのだが教育は何も幼稚園・保育園や学校に限らず、後者の場合「大人から勝手に与えられた物」では無く大抵は初期段階の「自分で選んだ物」だからね。

かつてポケモンで強く発光する画面だとかにはクレーム付けた癖に、行き過ぎた残虐シーンもだが音や音楽の方には無頓着って視覚だけしか気にして無いんだね。
それも表面的な見た目重視で、現代の大人にはマッチしてるか知らんけど。

幼児の初期段階には流行なんて無関係で、唯々興味の湧いた対象が全てなんざます。
何処に目を付けるか耳を向けるか全く決まって無いんだから、全体にそれ相当の配慮が必要なんだよなぁ。

かと言ってこの少子化では商業的に旨味に乏しいんで、直接的に要望するには難がある。
けれどそもそも世間全体が音色にもう少し拘りがあったなら、ある程度こんなのは自然と解消してるかも知れないんだよね。

>つづく<

2023年7月18日 (火)

音楽備忘録1432 音環境の変遷③

私感では快適さが段違いになった乗物へ進むと、やはり窓の開閉状態に最大の相違がある。
直近の数年はコロナの影響で隙間は作られたが、特に自家用車でのオールシーズン密閉・空調使用が目立ってるかな。

電車の場合これと併せて様々な騒音対策が進んでて、警笛の使用頻度から発車ベル(昔はメロじゃ無かった)に至る迄豹変した。
それで駅から走行中の内外殆どが言わば静音化してるが、一部他人の迷惑顧みない同乗者だけはちっとも静かになっていない。

そこへ格段に増えた自動放送ってのが私的には相性が今一と感じられ、非リアルが細かな状況変化に対応し切れない点では却ってうるさかったり聴き取りが悪くなったりしてる気がする。
こうなった発端の1つに大昔山手線の線路端に住んでた事があったが、その時の深夜保線工事はとても害悪だった。

何が酷いって照明も声も全く沿線民を無視した状態で、単に眩しいうるさいより配慮の無さに閉口させられたんだ。
ので本当はやたらビビりになる必要は無かったんだが、某王手鉄道会社みたいに統一の図れない組織で事なかれ主義に陥ったんだろう。

屋内の話しと同様コロナなんかが無くても俺には車内空気の鮮度が気になるが、一時期よりはマシになるも詰込み客室で開口部が少なきゃ期待出来なくて当り前だわさ。
それ以上に気になるのが「雑音の音色」で、音量が下がったからってどんなに気色悪い音色でも放置される様になったのは最悪だ。

駅の発車ベルやブザーがメロになったのや警笛に気付かせるのが追加されるは良かったが、制御装置(VVVFインバータ)の変態音には一時期存在した「歌う電車」以外は全く放置されている。
加えて某大手系では無駄に音の大きいモータが未だ使われてて、旧態依然な是又某メーカーのだけ何時迄経っても改善が見られない。

これ他メーカーでは60年以上前から静音化してるんだから、政治的悪意等しか採用を継続する理由が無いからひでえ。
そう云うやマイナカード関連で確定申告の官製PCソフトが似た感じで、土台が98SE時代のソフトなのが見え見えだったねえ。

車の方も一点を除いては静音化が進んだのは結構だが、ロードノイズ(タイヤと道路の接触音)は寧ろ増加した。
こっちはラジアルタイヤが主因なので今更グリップに劣るバイアスタイヤへ戻れないが、エンジン音が静になったから目立つって主張を何時までも繰り返すのは聞苦しい。

結局折角雑音量を低下出来ても音色調整を放棄しては不快度はあまり変わらず、何かしらの音が出ちまう以上は音色とセットで考えてかなきゃ意味が薄いと思うんだ。
そしてここ迄で済みゃまだ容認したかも知れないが、暫く雑音の音色を放置してると思わぬ副作用があったのよ。

それが一般人を音量には敏感になるも、「音色には鈍感」にしちまった処だ。
小ちゃくなって悪目立ちしなくなったから音色ばどうでも…って、確かに普段の平均値はそうなってるんだろうね。

でも無音にならない限り出てる物は何処かで聴こえたり、やたらと気になったりする事が排除出来ないんだよ。
こんなのこそ文化程度の問題で、日本の凋落が露呈してる部分なんじゃないかな。

俺は悲観論者じゃ無いんで悲嘆やディスりが目的じゃなく、強力にあらゆる物の音色を気にして良くしろって吠えたいんだ。

>つづく<

2023年7月14日 (金)

音楽備忘録1428 音環境の変遷②

続いては屋内について綴ってくが、私的に過去との最大差は窓の開口率を指摘しときたい。
杜撰大王だって若かりし頃には怪しいプライバシー等の事情では閉め切ってたけど、隙間風が入り難くなった今では開放感の方が恋しくなってるよ。

訊く処に依れば未だ日本家屋は密閉度が世界標準より低目だそうだが、昭和40年以前と比べたらかなり変ったよ。
高湿度な関係から通気性の方が重視されて来てて、そうしとくと筒抜けと迄は行かなくても音の透過は随分自由だったさ。

但し遮音性が上がったっつっても何分狭小で隣との距離が大抵は幾らも取れてねえんで、多少静かにはなっても換気低下で空気が悪くなる方が問題だと思うんだけどな。
私的にⅡでそれが行き過ぎた嫌煙権とも密接な関係があると見てて、誰も吸わなくったって空気の鮮度は過去比だと低いままなんだがね。

尤も喫煙者の俺だって狭小閉塞空間で煙が充満してたら不快で、即換気をしちゃうんだけどね。
わ兎も角TV等を小音量で流しとくには今の静かな部屋の方が良いが、それ以外の場面で特に日中に過度な静寂を
求める気にはあまりなれない。

音に関しての諸問題は一般人には主観メインなんで、自分の出したのは不問で他人の出したのだけ問題視するのも仕方無いんだけどさ。
けど音圧に依る疲労は何が誰が出したのかなんて無関係で、自ら爆音を散々出し続けてるとそれが良く分かっちゃうん。

端的に言うと気持ちや心理状態がどうであれ、限界を越えれば言い知れない苦痛に襲われたりするんだ。
最初の内はこんなに疲れる程はまだ演ってないのにとか、原因不明で疲労感だけが分かる感じで。

わ兎も角Ⅱで一般人は一旦静かなのに慣れると前よりにぎやかなのが鬱陶しく感じられたりして、主観自体が変容するから少し難しい。
それでも1つだけ断言出来るのはうるさいよりゃ静かな方が良いってので、寝る時ゃうるさかったら辛いよね。

そんじゃあ賑々しかった昔は皆今より寝不足だったのかったら否で、一部特殊環境を除けば夜はずっと暗目で静かだったんだ。
メリハリって点では昔の方が良好で、まあ睡眠に関しては今より平均運動量が多かったから眠れてただけってのもあったんだろうがね。

昼夜の区別については街灯の普及率もあるが、やはり絶対的な生活雑音に差があった。
特にかつては夜中大好き人間で、静まり返った中で自分だけ起きてるのが如何にも人知れず感があってね。

尤も24時間化が進んで気楽になったら、かつてあったプレミアム感はスッカリ失せて普通になっちった。
わ兎も角Ⅲで1つだけ(と言い乍ら2つ目だが😅)是又断言出来るのは、音的動静にも明確なコントラストがあったのは良かったかなあ。

今みたいにコントラストが弱くなると俺言い「リセットタイム」が得難くなってて、「静かな方の基準」がかなり曖昧化してる気がするんだ。
誰もが活動してたらあんなに賑やかだったのが、大人しくしたらこんなにも静かになるんだみたいなのがさ。

>つづく<

2023年7月10日 (月)

音楽備忘録1424 音環境の変遷①

手を変え品を変え音の硬過ぎ包囲網を忌避してるのは齢のせい?、幾らかはそれがあるのは否定出来まへん。
けど近年により頑強に抵抗心が芽生えたのは何故、ったら生活環境音が昔とは随分違ってるじゃないの。

どうやらそれに依っても音楽に求める物が変化したらしく、このシリーズでは外堀を徹底的に埋めてご覧に入れやしょう。
最近人生がハッキリ後半に入って、過去記憶の再確認がしたくなってね。

そんでYoutubeで色々古いのを漁ってんだけど、そしたら工事の騒音っつうのがまるっきり変ったのが印象に残った。
昔ってのは昭和の事でそれが’80年代以前なんだが、今みたいな騒音規制等が無かったからそらぁもう酷いもんだったんだ。

今より音量的にかなり大きかったのもだが、それ以上に音質が過酷だったのよ。
先ず典型が所謂「杭打機」で、巨大ハンマーでガツン カツンとやってたんだ。

今は恐らく油圧とかでじわじわ押込んでるんだろうが、当時のハンマーは当然人力なんかじゃ持上げられないから機械で引っ張り上げて。
で所定の高さ迄上がったら、後は引力で自然落下させてホントに杭を叩く。(しかも殆どカバーとかが無く剥き出し!)

から振動だって半端無いけど主に金属同士のぶつかり合いだから、そん時凄い衝撃音が爆音で出てたんだ。
他にも道路工事等で地面を叩く機械のが凄く、近付けば会話不能な爆音でそれ等の不快音が至る所でこだましてたん。

それをキッカケに少し拡げてってみると、花火以外で小学生とかが火薬の爆裂音に触れる機会が何時の間にか無くなってるな。
当時の世間の安全基準はバカやれば被害があっても当然ってな具合で、悪戯坊主は幾らも気にせずかなり危ない橋を渡ってた。

つまり耳の側で爆発させりゃ無事では済まず、俺自身も耳の安全回路が作動して数分位何も聴こえなくなった経験はあった。
そんな風に生活雑音で望まぬストレスに晒される日常だったから、幾らワイルドな爆音でもそれが楽しみ目的のだったら今みたいな硬いのは誰も欲しがらなかったんだよ。(技術的にも不可能ではあったけど…)

色んな再生機器でも音量の定義が今とは違うのが多く、どれも今比じゃすぐに歪み出して喧しくなるから歪む手前に留めるのが常識だったかな。
絶対的音量では工事騒音等以外は今よりかなり控え目も、音色が凄い事になって堪らんからそんなにしてたんだよ。

それも嫌でも音量不足から歪みに堪えなきゃならない場面が多数あり、そう云う意味では世間一般人が皆Metal Guitaristみたいな歪みの洗礼を受けてたんすわ。
この観点からしたら実は今の爆音マニアの方が、歪みを聴くトータル時間はきっと全然短いよ。

そんな世界が嫌で音響屋は出力余裕や歪み率低減に腐心して、折角クリーンな音世界が獲得出来たのにね。
したっけ一部の者が刺激不足を感じたか知らんが、わざわざ過硬音質や過圧縮音圧にするんだから馬鹿としか言い様が御座居ません。

-続-

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