経済・政治・国際

2024年10月 6日 (日)

音楽備忘録1877 折角弾けるのに勿体無い③

現況の諸悪の根源は悪政なのにその理不尽をSNS等の暴言で発散するのが多いから、誰もが他人に隙を見せまいとなるのは仕方無い。
だがある程度は勇気を出してそんなのを打ち破らないと、自身に必要なプレゼンさえ出来なくしちまうよ。

いや飽く迄個人の秘密の趣味だからとか上手くなれなくても独学でやるからなんて思ってる人、どんなに慎重に事を進めても他人にバレたり関わりを途絶するのは無理でげすぜ。
を例に依って敢えて秘密主義肯定論から考察してみると、先ず楽器や関連道具の入手はネット通販にすればほぼ心配は無い。

但し大柄な生楽器は例外で生ピ等は専門の運送・設置を業者に依存しなきゃなんないし、運んだ時の振動等の悪影響から逃れられないから最低でも初回だけは調律師にも世話にならなきゃなんない。
仮にそれはクリアしたとして今回考えて欲しいのは、所謂「独学」の正体なのだ。

狭義の概念では個人だけで熟せるが、実際には様々な場面で他人の助力があって初めて成立するもんなのだ。
その1として教わるのを極力避ければ教師の世話にゃならずに済むが、間接的ではあってもマニュアルやテキストは誰か先人がこしらえた物。

それを幾ら読んでも分からなかった時一般学校受験のなら参考書等豊富だが、個別楽器の演奏のだと書籍だけに頼り切れないのがちょこちょこ出て来ちまう。
そうなると知識の段階で例えSNSを通してだろうと、質問する等誰かとのやり取りの必要性が生じる。

それ処か演奏って「実技」なんで全く実地訓練レスってのは厳し過ぎ、運転免許だったら教習所のコースも仮免での練習もせずに免許を与えて大丈夫なのかってなもんだ。
それ故結局趣味でも有意義なものにしようとしたり僅かでも向上させたいと思ってたら、独学だから講師不要なんて考えたら大違いなんだよ。

一般感覚的に先生居ませんと感じるのはアリでも、年下の友人からプチアドバイスを貰うだけだってミクロ先生が実際には居たも同然でっせ。
独学と習ってるの実際の差は特定の練習日時・場所・講師の有無程度で、俺言い活発な独学をしてたら寧ろ先生の人数は何時しか桁違いに膨大になってる筈だ。

なのでもう練習の時点から一定数の他人にネタバレしてる訳で、唯その各人に何度もは聴かれてないからきっとあまり自覚が残ってないんだよ。
それって思春期の男の子がエロ本を上手く隠し通せてると勝手に思ってて、狡猾な親は状況把握の為にとっくにバレてるのを黙ってるだけみたいなもんすよ。

ひた隠しにしようとするよりバレてる前提の対応を考えとくべきもので、それに有する勇気はほぼ初回1回のみ。
何より正式に習ってない人への期待度は低いから、よっぽと変態的な失態を演じない限り他人は逐一詳細になんか覚えてないさ。

を逆典型例の提示で補強しとくとある時桐朋音大現役生と知らされてそのViolinの腕前に期待したっけ、オタマトーンやテルミンより音程が曖昧で悪い意味で強烈に印象に残っとりま。(容姿端麗で音程以外は全てハイスペック!!)
肩書で勝手に想像するのは俺も含め今劣化本邦人の悪い癖だが、少なくとも音が良くは分かってない一般人がスペックを頼るのは仕方無いけど同時に「恥ずかしい音になる」のも仕方無いぞ。(現況はあまりに度が過ぎてるが…)

=つづく=

2024年9月29日 (日)

音楽備忘録1870 打倒閉塞感⓮

過去体験等から思い付くのは大体出尽くしたんで〆に進むが、杜撰大王の大きな山場は過去に数度あった。
その最中に居た時は毎度進展の無さに憤慨してたが、解消して過去になってみると小さい事の様に思えて来るから一寸不思議だ。

それで思ったのが責任若しくは原因の所在で、何でも自分以外のせいにしたり何もせず幸運を待つだけでは駄目だけどさ。
程度差こそあれ世情の影響ってのも必ずあるもんで、国王・大統領・首相でもない限りはそこはこっちじゃどうする事も出来ない点だ。

逆境にあっても何時もアクティブに伺える人も居るが、それと低迷しきりの自分とを悪い意味で比べてはいけない。
両方を知ってる外野は良かれと思って「アンタもあの人みたいに頑張れ」なんて言ったりするけど、深刻に受け止め過ぎて卑屈になる様じゃ困る。

今劣化本邦ではやたら強引に迫るかはたまた腫れ物に触れるが如くの両極端な対応が増えてるが、そのどちらもこっちの事より自己保身を優先した行為なんだ。
上記前者の昭和根性論的なのと比べると後者は優し気に感じたりしちまうが、問題点を唯の1つも指摘しないのって関わりを持つのを否定してるも同然なんよ。

と云う様に人間関係が希薄化してるのと相まって、真剣(真面目)な批判以外には気を取られる価値が消失しとりま。
だからって他人を完全無視して暴走するのはどうかと思うけど、自己優越感を得る為だけのマウント取りへはそれこそ仕分けして対応しないとね。

そんなのへ多少なりとも労力を使うのは馬鹿バカしいだろうけど、全く区別が出来ない訳でもない。
或は炎上を過度に嫌って全く表に出さずにいる人も居るんだろうが、それはそれで自身の欠陥・弱点を見過ごす危惧がある。

確かに2次災害防止には有効だろうけど迅速な自己解消未達なのを容認すれば、少なくとも信頼出来る相手位には多少は漏らすのがお勧めだす。
そりゃあ独力で解決出来たら環境その他の影響を受け難いからその方が良いけど、傍目に常に独力で歩んで来た様に伺える人でも大抵は他人力をキッカケ位には活用してるんだ。

達人の中にはそれが至極当然と思って一々個別に語ってないだけで、感謝を示す言葉の中などに含めちゃってんのよ。
確かに逐一個人案件を他人に投げつけたりしてたら周囲は迷惑で堪らんが、昨今流行りの「自己責任」ってワードやその本当の意味を理解せず惑わされるのも又愚なりだ。

ってか今のブームは悪政の責任転嫁が主目的での洗脳作戦で、バレたらわざと用法を間違えましたと言い訳するつもり満々なのだ。
一寸慌てて鵜呑みにせず考えたら自己責任なんだから、本当はこっちだけじゃなく相手にも等しく適用される筈じゃん。

それを昔なら「善処します」今なら「適切に対応します」の、口だけで片付けてんだから全く信用しちゃいけねんだ。
わ兎も角こっちからすぐにはどうにも出来ないからってこう云うのを諦めで処理し続けてると、何時しかモノの道理だとかの感覚も徐々に狂ってくんすよ。

お悩み抱え主の中の魂がまだ辛うじて正常だったら、上記みたいなトチ狂ったのとはしっかり独立性を保っとかんと。
と云う事で原因が自身内にあるのか外にあるのか仕分けするだけでも、少しは身軽になれるし打開の一端にはなると思うんだ。

-終り-

2024年9月25日 (水)

音楽備忘録1866 打倒閉塞感⓭

家庭内格差も加わっての赤貧な杜撰大王は交際費にも厳しい制約があるし、特別社交的でも友人が多い訳でもない。
そんなでこんな風に言うのも何だけど、人との交流も多くの場合閉塞感の寛解には多分必要だ。

知りたいだけならリアルで人に会わなくても何とかなるが、独自提案を世間がどう思うか等はなるべくなら会ってみないとさ。
遠慮されたりマイナスな言葉は絶対口にしたくない相手だと、文章はおろか声で訊いてすら素人には本音が読めなかったりするじゃん。

そりゃ相手がその方面の訓練を重ねた鉄仮面氏とかだったら、それでもまだ足りないかも知れないけど。
ってそもそもナーバスになってる時は人に会いたくなかったりするけど、かと言って完全にシャットダウン出来るもんでも無い。

引き籠りも程度が酷いと同居人とさえ顔を合わせるのを
避けたりするが、本当に意図して孤立したいなら人里になんかに留まってる事自体に無理がある。
し今時一世帯の平均人数が2を割ってるから、腹が減れば近くのコンビニ位には仕方無く出向く事となる。

勿論人目を避けて深夜にしたりはするだろうが、そもそも店がやってる時点で店員氏や他の客に遭遇しちゃうんだよね。
病気で外出不可なら最低でもヘルパーさんの来訪は許すしかないし、もっと酷けりゃバレた時点で強制入院だ。

斯様に完璧な状態は不可となれば後はもう表面上だけでも図々しく振舞うしかなく、結局完全なお人払いは困難なのよ。(※この図々しくは他人からの不評に敢えて鈍くなる事)
寧ろそれが可能な人って山奥まで独力で辿りつけたり、山籠もり中の生活作業を全部個人で賄える程元気且つスキル持ち限定だしょ。

のでどんなに消極的でも構わないから日が昇って沈むみたいに、仕方無い事と早期に思えた方が得だし最終的には何人たりとも認めるしかない。
でそんな一種の最低限の覚悟が出来てると、誰かと遭遇して収穫ゼロなのは稀なのに気付くんすよ。

大抵は収穫はとても少なく、嫌とか辛い思いをする方が大部多いけどね。
でも全く理想の相手じゃないからこその、思ってもみなかった刺激を受けたりもあるんすわ。

今迄の環境を大きくは変えたくなかったり大変のキッカケが掴めぬ際、新しい出逢いや存在は低リスクな割に新鮮味が多い。
こっちに音楽への強い興味があると、時間経過と共に類は友を呼ぶ現象は少なからず起きている。

けどそれってリアル社会のバランスからしたらかなり偏ってて、思考・行動共に現実よりかなり選択肢や方法論を狭めとん。
要するに知らん間に自ら石頭化を促進しちゃってて、良かれと思って追及した一部が足枷になってるんすよ。

そんな時には望まずとも「会わなきゃならない人」の存在が結構大きく、例えば湯沸かし器がおかしくなって業者さんに来て貰う等だ。
少なくとも必要性が生じちまったからには、なるべく自然体で応対するしかないんじゃね。

-続く-

2024年9月23日 (月)

音楽備忘録1864 映画・TV等への専門家が作った音楽⑨

一部ジャンルを除くとメジャーエンタメ市場の規模の大きさからして正に米が本場となるが、こちらですら近年は新自由主義経済誤理論のせいか残念乍ら凋落気味だ。
今劣化本邦程酷くは無いものの、やはり大規模市場は世相や政治の影響から逃れられない様だ。

と云う事から拙ブログでは1980年頃以前のを主に対象とするが、米固有の場合従前のが少々飽きられた面も否めない。
を裏読みすりゃそれだけ充実期があり出尽くし感があったと言え、エンタメ関係音楽では考え得るあらゆる挑戦があったんだ。

これは国固有の個性とも関係してて、私的にはClassicとJazzの橋渡し的第一人者はあのGeorge Gershwinだと思っている。
彼はそもそもミュージカル界への貢献が絶大だが、同時期以降のディズニー作品等への影響は小さくなかったんじゃないかな。

揺籃期のJazzって全然白人のもんじゃなく、穿った見方をすりゃホントはClassicを演りたかった黒人の代替措置とも解釈出来んじゃね?。
欧州起源の既存ジャンル枠では苛烈な人種差別で、黒いとそれだけでどうあっても門前払いされてたからね。

因みにGershwinは幼少期からずっと差別意識ゼロだったそうで、他の殆どの白人は黒人の引用はディスり目的のばかりだったよ。
その為本当に優れた部分はちっとも取り入れず、結果本来のハイブリッドとは程遠い駄作に終始していた。

さてこの件が広義の映画音楽とどう関係してるかったら、芝居の主題次第では既存の音楽カテゴライズじゃ当て嵌まらないのも当然出て来るからだ。
それを無理にどちらかで演ろうとすればもうその段階でベストフィットは望めず、芝居と音のリンクが脆弱化するから曲を聴くだけで想い出すなんてのが困難になるん。

個人的にはディズニー関連は諸問題からあまり快く思ってないが、アニソンなんて当時得体の知れないのをどうすりゃ良いかの点ではちゃんと評価してんのよ。
如何に万能タイプと言えど所詮はその時点で可能な事しか出来ないけど、だからこそジャンルやカテゴリにはなるべく縛られてない方が良い。

のを初期に皆に知らしめたんじゃないかと思え、実際今でもClassic系PianistがJazz寄りのに挑戦する格好の入り口になってたりするよ。
っつうか寧ろそんなのを目の当たりにして、杜撰君内では映画音楽へ貢献してたかもって発想が湧いたんだ。

何処の国だって新しいのは古いのから生まれるもんだが、米白人にだけ所謂ご当地古典が無かったのが遠因にあるのかな。
本当は米大陸ネイティブはあったんだが当分の間はほぼ全く参考にすらせず、Rock系だと漸く1970頃に至ってRedbone等の登場をみた。

それ故移転前の欧州と差別化を図るには新手法に頼るしかなく、卑下して言うならこんなの怪我の功名に過ぎない。
だからこそ躍起にもなりゃ、他に類がない程挑戦的にもなれたんだろうな。

-続く-

2024年9月21日 (土)

音楽備忘録1862 打倒閉塞感⓬

杜撰大王って神経に図太い処があるから一般論でのコミュ障とは多分違うんだろうけど、今迄何も問題を感じなかったでもない。
相手の波長次第で明確に得意不得意があり、その相手タイプ自体は未だ上手く説明は出来ないままなんだけどね。

それ以外にもなまじ音楽でノリに拘ってるからか、会話や対話でも上手く乗れないと結構悲惨な結果になる事があるしあった。
人次第で程度こそ違え恐らく誰にでもありそうだが、そんなのが閉塞感へ繋がる事もありそうだし実際あったんだ。

その一例が過去述我儘で無責任な奏者で、その上不要にマウントを取りたがった奴だ。
今再考すれば何か何処かで散々な目に遭って、それで自己保身の為にスッカリそんな風になってたのかも知れない。

だからこそ普段割と強気な親友が匙を投げて、お前なら勝てるかもとお鉢が回って来たんだろうけどさ。
だが実際会って共同作業(デモテープ録り)をしてみたら、親友が想定してたのとは異なる処に原因があったんだ。

表面的には理論派の様だったんでプチ議論を試みてみたが、実際は情緒派とでも云うか正論が全く通じなかった。
主催の別の友人から何やら上下関係の都合で穏便にと乞われたが、友人の作品のだけに変なケチが付いて評価が下がっては元も子もない。

ってんでトボケてアホなフリをして何とか事態を収拾したけど、そのやり場の無いストレスは結構後を引いて参っただよ。
こう云うのも所謂「朱に交われば赤くなる」の1パターンみたいで、きっと過去に問題の主もそんな体験ばかりしてる内にイカレちまったんだろうね。

この様にチームで何か作業をしてたらトラブルは避けられないが、余程人間性にでも恵まれてない限り大巾に相手を良い方向へ導くのは至難だ。
が自身のトラブル耐性を上げたり対処法を増やしとくのだったら常時可能で、意見が食い違っても慌てないのが第一歩となる。

上述の主の振舞いで最も勘に触ったのは不適切な高圧姿勢で、下から乞われればアイデアには疑問があっても積極的に試す気になれただろう。
そして結果がチームにあまりウケてない様だったら一旦引けば、厳密には時間の浪費側面の方が大きいがミスマッチの実確認にはなったから全く無駄にはならなかったろう。

つまり彼は主に3つの失敗を重ねてしまってて、その根底には頭や姿勢の硬さがあったんじゃないかな。
そんな際に感情に依らず有効なのが「代案」で、幾ら個人的にはこれしかないと感じてても他を全く用意してなかったのが致命傷だ。

アマよりゃ結果の想像がし易いプロでも、最終的には実験して聴いてみないとどうなるか分からないんだからね。
せめて伴奏全部を個人で引受けてたなら未だしも、それですらありゃ何だか違っちゃったやってのが起きたりするんだから。

と同時に失敗を悲嘆し過ぎるのも又問題で、気持ちが下がり過ぎたらパフォーマンスが低下するし。
そこで露骨に表に出しては周囲を不安にさせたりするけど、内心は当りが出たら儲けものって位のスタンスが大事なんすよ。

=つづく=

2024年9月16日 (月)

音楽備忘録1857 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓲

過去の失敗第2弾はソフト麺…じゃなかった面で、前回のハード面より更に罪深かったマネージメントだ。
一言で言うと売り上げに見合わない実力の持ち主を担いじゃったで、音楽の本質を理解不足な奴が仕切ったのが愚だった。

やり玉に挙げるべき筆頭が今や評価の大反転したジャニー喜多川等で、例え張りぼてアイドルでも歌手(音楽家の端くれ)って認識に誤りがあった。
声質の魅力が足りない・歌唱力が足りない等、歌の実力が足りてないなら役者やモデル等他分野で売れば良かったんだけどね。

確かに昭和以前にだって音楽的実力が疑問視され乍ら売れた事例はあったけど、それ等はどれも何曲も続けて売れた訳じゃ無かった。
メインはキャラクターでも声質にも一部ニッチ層に対して位はちゃんと魅力があって、ちゃんと歌えない→たどたどしい→却って声質が誇張されるってロジックが一応成立してたんだ。

プロとしてちゃんと歌える為にはある程度発声のしっかりしてるのが必要だが、そうすっとその分巷で訊ける可愛い声よりは大人びてしまう。
この懸案が解消され出したのはずっと後年になってからで、やくしまるえつこ辺りでウィスパーボイス唱法等の出来る人が登場してからだ。

それ以前では発音が舌足らず等一部の天然に依存する程度で、プロの舞台を成立させるには声量の絶対値がネックになってたんだ。
PAの発達度も然る事乍ら、大昔だと伴奏が生でしか無理だったからねえ。

それ故声優等他分野ではとっくに達成されてたんだが、眼前生歌唱が要求される立場では採用困難だったんだ。
でそんな状況で実力不足の奴に歌わせなきゃなんないとなれば、極力歌唱力以外へ聴衆の耳を向けさせなきゃなんなくなる。

そこから始まった誤魔化し手段の1つに歌詞、それも主に言い回しや奇抜ワード等がある。
近年なら「うっせーわ」等がその典型例で、彼女の場合は歌唱力も充分持ってるけどね。

だがそんなテクが実用化前夜だったんで歌詞の稚拙な小細工が始まり、こっちの方でも当時は裏方職人のオッサン・オバハンが担ってたから無理な注文に迷走が始まったんだ。
因みに今なら若く可愛いネーちゃんがヤバイと発しても平気だが、昭和の頃は輩は未だしも表社会の女性が使える単語じゃなかったんだ。

もし女声でそう聞こえたらすわ和田アキ子かってなもんで、差別だろうと何だろうと今みたいに誰もがどんな言葉を自由に使える状況に無かったの。
故に仮に作詞家が英断しても大衆にはその意図通りになんか捉えて貰えず、しかもアイドルか同等の存在だったら尚更だ。

結局当時時点では半端な挑戦に留まってたが、音の方での工夫が鈍化し出したのも同時期だ。
上手な奏者(つまり音でアピール可能)でアイドル並も少しは居たが、その殆どがメジャーウケには歌が強要されててね。

そりより前の時代だったらインストでもそこそこ売れたんだけど、冒頭出のジジイが悪巧みして見栄えの良い歌手こそがだけが至高なんて風潮を作りやがったもんだから…。
多忙な庶民が暇潰しに聴く音楽に手間なんか掛けてらんねえから、ジジイのお薦めで間が持つ間はと多くが騙されちまったんだよ。

=つづく=

2024年9月11日 (水)

音楽備忘録1852 映画・TV等への専門家が作った音楽⑥

さて前回提示銭形平次OPは杜撰記憶に残ってる数少ない俺言い「若い和」なんだが、国産Rock等にとって本来そんなのがオリジナリティのネタになるべき筈だったんだ。
現時点でこれの成功例としてPink CloudのアルバムCloud Land~桃源郷~(’82)内の、数曲程度しか俺には例示出来ない。

オリジナリティとしての和の導入はこれ以前からとっくに始まってたが、Rockの体を全く崩さずにとなると杜撰君の選からは他のは脱落するのだ。
1曲目の宇治茶屋第5幕(Chorkin’ Down):変拍子ありのインストと7曲目の幕ノ内(Lizard Lunch):これもインストが該当し、私感に過ぎぬも内容は殆ど昭和の時代劇用音楽そのものだ。

例に依って杜撰妄想ではChar氏過去に一度だけ俳優として時代劇に出たからと思ってて、そうだとすればヒントを失敬した辻褄は一応合うんだよね。
この点に於いて映画音楽とRockの両方で日本人は過去に大怠慢を犯しちまったと考えてて、もしかするとそれがカンフー映画の音楽みたいにグローバルヒットするのを阻んでんじゃないのかな。

これ考え様に依っちゃ奇妙な現象で、カンフーより侍や忍者は外人にはもっと大人気なのにさ。
何故かそれをイメージさせる音楽だけが、ずっと空席のままなのよね。

21世紀にも至ってこの体たらくなのが本邦の情けない処で、文化発信がド下手且つちっとも進まない原因の1つだ。
加えて過度の民間依存の弱点で、何か1つ位典型的存在を確立するには官民総動員での開発が必要なんだよ。

特にこんな不景気下じゃ儲けのアテのあるのじゃないと、会社っつう営利追及組織は手を出さないじゃん。
そんな時でも国の将来に責任のある公共の立場だったら、大きな損失が出ないなら本来は予算が通るんだ。

故に百歩譲ってせめて上記曲に大々的に宣伝費を掛けるとか、幾ら何でもその位はやらんと道が開ける訳ゃねえっての。
わ兎も角彼等の曲に強いて難癖を付けるとしたら、外国から眺めた日本って視点かも知れない。

だからこそ外人には分かり易いんだろうが、内部視点の欠落が少しあるのは否めない。
理想としては誰か継承者が現れそれを改善すりゃ良かったんだが、未だ現れてないか大手が完全無視したかで一旦途絶えた状態だ。

因みにこんだけ吠えるなら自分で演れの声もありそうだが、悪いが杜撰君はそんなの求めてないんだわ。
と言うか現状ではまだ相応しい実力が備わって無く、それがネタ収集の段階での躓きにも現れてまんがな。😓

杜撰予測ではもう少し上の世代ならもっとリアルタイム体験量の多い人が居る筈で、露払い位しといて欲しかったんだけどなぁ。
尤も私説Rockの平均寿命は70歳からすれば最早風前の灯で、残念乍ら過大な期待をするのは酷ってもんだろう。

ので全責任を追えなくて済まないが、せめてあんなのやこんなのがあったってのを少しでも啓蒙しときたいんだ。
過去と比べると今は明らかに、この方面の大家と呼ぶべき人が思い浮かばない状況になってる。

そうなると一部ヲタが夫々の音楽を支持するだけで、僅かになったも実在するのに世間的には無きものと思われてるんじゃないかな。
この件では放送作家の著しい劣化にも表れてて、平気で原作を改悪する輩なんかもこないだ居ったやろ。

そう云う兆候は芝居にも音楽にもマイナスでしかなく、わざわざ自身で面白い作品を生み出せなくしてんだよ。
皆様是非ともアンテナの感度だけは落さないどいて、千載一隅のチャンス(アイデア)を掴んでやりませうじゃあ~りませんか。

-続く-

2024年9月 5日 (木)

音楽備忘録1846 打倒閉塞感➑

さて掲げた第3語を一旦休みにして、悪政に依る世相と私近況を鑑みて貧の苦悩についてひとくさりさせて頂きま。
経済問題自体は既に過去に言及してるが、今回はそれに伴う心情からの影響を取上げてみよう。

悲しいかな貧案件に関しては絶対的な自信のある杜撰大王だから、その体験時間の長さも筆舌に尽くし難い。
そこへ近年加齢も加わるとどうなって来るかってば、色々な事に対する意欲の減退が新たに問題化し始めてんだ。

それは主に手間作業から表面化して来てて、最初に実感したのは「お片付け」と自宅鉄部の再塗装だ。
明確な利益とかバラ色の将来像が想像出来ないと、別に貧じゃなくても元々面倒に感じる類なんだけどさ。

けど貧な程その影響は後で大きくなるもんで、今迄はそれを餌に長年思い腰を奮い立たせて来てたんだ。
概述の如く収入を増やせないなら経費圧縮が命綱で、人生を捨て去りたくないなら可能な限りDIYの一択だ。

幸いな事にたまたま元来DIYは好きな口だったからずっとそれで凌いで来たが、加齢はその根幹をも揺るがし始めたのよ。
誰かに乞われれば現時点ではまだ動く気になれるが、そんなに老い先長くなさそうな自身の事となるとねえ。

尤もスポーツや楽器演奏その他諸々は下手にサボると途端に低下するから、何でも投げ出そうって心境には至ってないが…。
そんな際に再度遡上に上がるのが生活リズムと世相案件で、前者は所謂昼型・夜型等で後者は無自覚に影響を受けてる分だ。

そもそも自宅外面鉄部での躓きは望まぬ夜型から始まってて、屋外作業に夜間は圧倒的に不向きだからね。
周囲への騒音の心配が少ない利点で強力な照明を用意すりゃ不可能じゃないが、余計な電気代が掛かるはその光に害虫が集まって来るはで損失が大き過ぎる。

で昼型転換を待つ内に段々暑くなってって、幾ら根性出した処で今の酷暑下では体力は持たんわ能率が著しく低下するわで先送りに。
とても身勝手な思考にしても自身が葛藤してる時は、外的不利要因はなるべく減らしたい。

その中で気付いてて動かせないものは兎も角、失念してて損してるのがあったら堪らんじゃないすか。
他力本願的発想なのは情けないが、自身が膠着状態にあるなら寛解のキッカケは外部に求めてみるしかないっしょ。

人次第でかなり差はあるも心境的に窮地になる程理性の働きが悪くなるのは一緒で、恐らく言語事情から文系人が多数派を占めるこの国だと世界レベルでは発想の転換の下手なのを先ず疑わないと。
苦境にあるのにお気楽過ぎて破綻しちゃ困るけど、あまりに負の感情を貯め込んだり四六時中暗い顔でばかりいるのはどうかと思うんだ。

壺が悪いのに巨悪を諦めるはまだ良いが、それでやり場を無くした鬱憤を冷笑コメで晴らすのこそ現実逃避やんか。
自覚不足でそんなになって恐ろしいのは、自身で浮上する機会をどんどん失ってく処なのよ。

しかも簡単に冷笑コメ野郎に転落するからには、自分で思ってるより遥かにきっと風見鶏君なんだ。
そんな奴は今は全然兆しが無くて不貞腐れてても、何か一寸でも好奇心を持ったら途端に調子良く変身するんだよ。

何を隠そう杜撰君自身がどっちかったらそっち寄りで、悪い方は兎も角楽器の新技のアイデアが浮かんだ位で直ちにもう浮かれてるもの。
どうせ諦める位なら、せめて自身が軽薄なのは先ず認めたいもんだ。

-つづく-

2024年8月29日 (木)

音楽備忘録1839 過小評価で忘れられつつある人々㉞

このテーマだらだらとかなり長く続けたんで一旦〆るとして、今回はスケールが巨大化するが’70年代全般の作品について論じさせて頂きま。
当然独断と偏見もテンコ盛りなのは認めるけれど、21世紀になってからの作品とは条件面で大きな相違があるんすよ。

それは何等かの理由・事情で作品の存在が当落線上にあるのが顕著で、主因はリリース時点でデジタルやネットがあったかどうかなんざんす。
先ずデジタルについては音源がそうなってると保持・残存が簡単だが、アナログのみの場合は現物が手元にあるか放送メディアで流れない限り一般庶民にゃ縁自体が持てない。

その先もたまたまレコードを持ってても盤の状態が悪かったら、著作権がOKでもついネット公開を躊躇したりするやんか。
そうすっとせいぜい身内レベルでしかありつけなく、かと言って主に強引に上げろと言うのも評判に関わったりするから酷だ。

ヲタ勇者であれば中古レコードのギャンブル買いをするかも知れんが、大多数の者にとって内容不明の物に手を出すのは特に今劣化本邦みたいな不景気下では出来ぬ相談だ。
のが理論的にほぼ劣化が無く記録形態も巾広く選べるデジタルだと、↑の様な制約は基本的に付かないんだよ。

ってかそもそもレコードプレーヤの所持からして、既に絶対聴きたいレコードを持ってなきゃ今更だんべ。
つまりこんなのに依って鉱脈の「お宝埋蔵量」自体に差がある訳で、より自ら獲得に乗り出さないと聴けない可能性が高くなるんだよ。

して大体に於いて逃がした魚は大きい現象がここでも起きてて、それと同時に’80年代以降の機械演奏とか昨今の切り貼り編集なんかが不可だったからねえ。(テープでの物理的切り貼りはあったがデジタルのとはクウォリティが段違い)
言っちゃ悪ぃが作品の作り自体が、どんなにものぐさしようと手抜限界が低かったのよ。

ので打込み専なら未だしもそうじゃない従事者にとって、割と直接的に参考にもなるんだ。
古さとか時代の隔たりとかの弱点は今を求めてたらどうしようもないが、そう云う不一致があるからって内容で評価せんのはどうなのかと。

実際音楽を「演ってない人」にとっちゃ音質の優劣も無視出来ないけど、ある程度以上の経験者なら良くも悪くも生と録った音が色々違うのは分かってる筈だからねえ。
尤もリアルはおろか体験の少ない若い世代では実感を持ち難くても当然なんで、ここは1つ老害呼ばわりを厭わず既に知ってる者がアピールしないと条件差を忘れられそう。

と言いつつ杜撰大王自身もこの事を普段は殆ど考えなかったり、忘れたも同然で過ごしてんだけどね。😓
けれどポピュラー音楽の全盛期・成熟期で今の基本であるのに、どうして今一低評価だったり幾らも放送で流れなかったりするんだろうって違和感はずっとあった。

野球では未だにベーブ・ルースやONの名前位は日常的に扱ってんのに、音楽だと半ば封印ってのは国内商売上の都合かとつい勘繰りたくなるぞ。
聴いてみて駄目でも一向に構わないから、聴くだけはもう少ししてみてちょ。

=おわり=

2024年8月18日 (日)

音楽備忘録1828 楽器業界の行く末⑰

遂にオーラスを迎えつつ、何だか又前回位から政治・経済色が濃くなってて嫌気がさしたかな。
老害とは言え杜撰君だって本来は↑なんかにゃ興味はホントに無いんだが、向こうが勝手に人の家(音楽等芸術界)に押入って来るから応戦せざるを得んのだよ。

主犯の消費税を始め経済を疲弊しかさせないのが近年は目白押しで、兎にも角にも早急に現悪政権を追放しないとどうしようもない。
がそれ以前に好況時は大目に見てられる粗相だって、既に堤防決壊が始まってる不況下ではより厳しく断罪せねばならんのだ。

イタチの最後っ屁みたいな真似する奴ってのは、内心既に廃業を決めたに等しいんだよ。
普通の神経の販売業だったら閉店セールで捨て値処分とか贔屓筋へ感謝還元する処なんだが、直接顧客と関わらないのを良い事に問屋は短期間なら非道な事が出来ちゃうんだ。

本来はそんな不遜なのは経産省が取り締まらなきゃなんないんだが、アベ以降省庁の方が先に腐っちまいやっがたかんね。
最早良心的な顧客(不正転売とかせん奴)位しかマトモなのは残ってないが、そんなのの最後の1人が居なくならない内は何処か誰かがフォローしなかったら業界自体が破綻するんだ。

愚問屋自身では商才に長けて見切りのタイミングが絶妙とか勘違いしてるか知らんが、値上げさせ過ぎて誰も買えなくなりゃそれだけで商売としちゃ破綻なんだよ。
黒商魂フルで言うても「ギリギリで買える」設定が必須で、非富裕層向け商品ではその対象が一般庶民じゃないとアカンの。

今では伝説の逸品扱いのスピキンだが、基本設計当時の状況もあって良い処せいぜい大衆車の最上位モデル程度なんだ。
せめてかつてはFerrariの次位だった伊のMaseratiやLanciaみたいに、「降りて来た」のならまだ理解が得られるかも知らんがね。

或は古くはSONYのESシリーズとかToyotaならLEXUS 、NissanならINFINITIみたいに上の階級を新設するならまだ分かるが。
昔から楽器界でも上位志向を打ち出してたブランドがあるんで、そうでもせん限り所詮改良品の域を出ないのを当初から首尾一貫して高級ブランドだったのに対抗させるなんてどだい無理筋なんや。

実は本家側はそんなの重々承知してるんで、本国では$200前後じゃないのさ!!。(数カ月前)
珍しくちゃんと米サイトで今確認して来たら案の定で、私的には日本での元締め野中貿易が傲慢なせいでずっとLudwig自体の普及を阻害して来てんだよ。

考えても見なはれ、もし海外でカローラがFerrariとかから売られてたら誰があんなに買うのかってさ。
大昔日本で定着するか分からない頃、恐らく当初はマトモに商談にも応じて貰えん中で契約を勝ち取った苦労は大いに認めるけどな。

状況が激変しとるのに何時迄も過去の栄光にすがってっと、じきに上野音大みたいに潰れても知らんぞってぇの。
のでまだ実行してないで吠えるのも何だが、皆が本国か別ルート経由のしか買わない事で誰でも抵抗・対抗は可能で全く何も出来ない訳じゃないんだよ。

=おわり=

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