日記・コラム・つぶやき

2025年1月20日 (月)

音楽備忘録1983 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓯

実際影響は小さくないし必須だが又抽象方向へ行き過ぎたんで、例示を含めた具体的な方へ回帰させよう。
そもそも一般と実際の差が生じる原因に限度は無いが、幾つかは起き易い現象に左右されてんだ。

1.マスキング
端的にはチビがノッポのガリがデブの後ろに回り見えなくなる系統だが、俺言い「目立つ倍音」が半分以上重複しても並立・併存は困難化する。
Guitarも鍵盤も煌びやかに行きたいが、精細にバランスを加減してもずくにどっちかが埋没するなんてケースだ。

尤もアナログ録音時代だとこれを魔用して、エレキGuitarとクラビをわざと紛らわしく使ったなんてのもあった。
今だとクラビの超ハイインピーダンスでの早期高域頭打ちを解消させたら、良くも悪くも相違は分かり易くなるかなぁ。

尤もⅡでハイインピに依る変容が大きいからこそ、あああの聴き慣れたクラビだと感じられてるんだけどね。
俺の杜撰な私記憶ではStratoハーフトーンのクリーンとクラビの競演してるのが思い出せず、自身も含めクラビっぽいのの代用に前者を用いる事も少なくないな。

2.違うジャンルで常用されてる楽器の併存
ポピュラー系でもClassic由来のStrings等は良く導入されてるが、本当にClassicのままのダイナミックレンジで演られたらとっても整合性が悪くなる。
音色・表現にはらしさ全開でも演奏自体からダイナミクスはかなり圧縮しないと、出過ぎたり聴こえなくなったりするだよ。

今では極気楽に演られてる様に感じられるが、Rock系での成功にはあのGeorge Martinの築いた方法論や加減のお陰か大きい。
時にはBeatlesの誰か自身がタクトを振ったりしてて、纏まる迄には両者でプチ論議なんかもしてた様だ。

こればっかりは主役と脇役の立場をハッキリさせて、どちらかがどちらかへ全面的に寄り添う姿勢を作らないと厳しい様だ。
のでゲストで呼ぶ場合最高の腕の持ち主より、最高の「協力者」を求めなくてはならない。

3.意図的じゃない音質的時代性の不一致
私感では近年になる程熟慮が要る処で、何故なら大昔はどれも分け隔てなく超Lo-Hiになってたかんね。
これは高音質とか現代性とかの定義にも左右され、幾ら単曲単位で聴かれる事が多くなっても整合性の問題が残ってん。

極論すりゃ全然サウンドが違ったら別人の作品と思われたりするからで、そこ迄差を出すとAが好きな人はBを・Bが好きな人は頑なにAを拒絶なんてのが起きる。
結局は高音質化一辺倒に走らず、自身の曲に合うサウンドを選び抜くのが大切なんじゃないかな。

だがそれこそ
が現実には中々難しく、なまじ何でもアリなだけに全数選んで決定するのがねえ。
サウンドを音色と捉えれば新旧融合は有効だが、音質と解釈すると例えば1発録りなのに期せずしてリモートみたいな感じを与えたりするだよ。

Guitarはひなびた三畳間で弾いてる感じがOrganは大教会堂でみたいな、同一アンサンブルなのにまるで時空が歪んだ様な異空間が…。
更に厄介なのはそれをワープ中の宇宙戦艦ヤマトの船内みたいと容認するのも居りゃ、出入り口が崩落した洞窟様で受容れ難いとかさぁ。

=つづく=

2024年8月23日 (金)

音楽備忘録1833 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓬

前回の続き「最も短文に出来る」にはやはりそれなりの知恵も要るんでそれについてだが、簡単な処では歌詞中に登場するアイテムの名称だ。
ポピュラー系でその典型っつうと、流行・地域・時代性等の色濃いやつだ。

タイトルにもなってるのだとBlue Suede Shoes、今でも絶滅した訳じゃ無いが「他なら何でも許せるがそれだけは踏むな」だとさ。
作者は当時は単に流行を取り入れたつもりだったが、過ぎてみれば主に米での’50’s若者文化の象徴のひとつだ。

これは商業面(つまりコマソン
)でも有用だから、大元は商品名そのものズバリを濁したりぼやかすのから始まったのかな。
お次は踊りで’70年代に入ると先ずはGo-go、その後はやたらと誰もがDiscoでFeverとか言ってみたもんだ。

そこから絞り込みたいならフリフリモンキーだのからあのMoonwalk、パラパラだのと振付けに言及する手もある。
その効果を最大にするには時代や流行に敏感じゃないとならないんで、杜撰君みたいに鈍い奴には残念乍ら向いてないけどな。

それから表現にも時代の流行はあって過去に皆無では無いだろうが、「抗う」なんかは俺は20世紀中には歌詞で耳にした記憶が無い。
精細に拾ってったらキリが無いから先へ進めるが、そうまでして文章を凝縮する意味にも重要な使命がある。

音の方でClassicからJazzとどんどん複雑化したのが、’60’sPopsやRockのシンプルさは当初退化とも誤認されてたんだよ。
日本の小説でも芥川龍之介みたいな立派なのが既にあったのに、赤川次郎やラノベ(ライトノベル)の方が一般庶民には身近な存在だったりとかね。

要は特殊スキル持ち以外触れる1度目での理解度に大巾な差を生じるのがミソで、見たり読んだり聴いたりの負担を軽くする上でこれは欠かせない。
この件今劣化本邦では固有と思しき誤認があって、ClassicやJazzの他どんな時代でも分かり易くシンプルで大流行りしたのもあったのよねえ。

只「広義のポピュラー系」だとそれ等も含まれてちゃうんで、聴き方次第じゃ「ジャンルの固有性」が弱いのは確かだ。
それで
大事にしない内に省かれてったか知らんが、行き過ぎると時代や文化の誤認を招くからワシャ好かん。

杜撰君人一倍文系能力に恵まれてないから痛切に感じるんだが、絶対的に必要ではない何かが高度化してるとそれはもう立派な差別なんだよ。
10人中9人に通じたからハイこれ常識ってするの、日本のとっても悪い癖あるよ。

特定層をターゲットにしてるなら幾らヲタ度が高くても一向に構わないけど、そうじゃない場合は少なくとも10人全員に理解されるのを目指すべき。
これは客層の拡大に直結する利点もあるんだから、苦労はしても必ず報われるんだがねえ。

=つづく=

2024年8月19日 (月)

音楽備忘録1829 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓫

現行のJ-POPの歌詞過忖度案件を公平に検証すべく、分不相応だが逆側から考察してみよう。
それは文学的観点から価値・立ち位置等を審議するんだが、筆者が文才に乏しいのは大目にみとくれやす。

文学で最高級っつうと挿絵すら無しで誰もに同じ絵面が浮かぶ様なのとかと思うんだけど、細部迄指定しようとしたらどうしたって文はある程度長くなったりする。
勿論なるべく簡潔な文言で全貌を掴めるの良いが、例えば誰も実見した事が無い物なんかだと少なくとも字数制限は邪魔になる。

この点でポピュラーソングの歌詞如きの分量ではハンデがあり、もしそれに何の助力・加点も無いんだったら本格派小説には1㎜も勝ち目は無い。
最低でも口数多目のを延々続けられる全盛期のさだまさしみたいなFolkにするか、早口で捲し立てるRapにでもしないと厳しそうだ。

処がもし適切なBGM(歌曲の場合は伴奏等)を添えてやると、音の印象でイメージの絞り込みが俄然可能になって来んの。
実際文学でも朗読等では語り部の口調・声質やBGM等で、文作者の例えば大海原で読んで欲しい等の願望に近付ける試みがされたりしてるよね。

それを踏まえて今劣化本邦のJ-POPを眺めると、日本らしさの為に音に和テイストを加えるのは良い。
で従前の邦楽は演歌の段階で進化が一旦止まってたんで、そのまま加えたらテンポの遅さとかが今に合わない。

から今迄に無い速さにする迄は一興だったんだけど、喧しくしたりけたたましくしたらもう和を否定しちまうんだよ。
基本和って「抜きの美学」なんで、音の隙間がゼロになったりするのもムードぶち壊しに繋がる。(一例:庭園のししおどし)

と言うとミスマッチのあるのが今っぽいと反論が押し寄せそうだが、過半数がそうなったらもう俺言い「意図的ミスマッチ効果」は消滅してるんだよね。
ボカロ打込みで作ったら人力ではあり得ない煩さになっちゃったけど、何だか面白かったから出しちゃったも最初に見つけた作者には座布団一枚。

だが所詮↑は1000回に1回しか当たりの出ない超裏技みたいなもんなんで、無理に演ってもせいぜいアルバム単位で1曲だけとかに抑えとんかと意味を為さなくなるですよ。
つまり他人に依存せず最低でも自分達の作品で対極のも用意しとかんと、どっちが表か裏だかよく分からなくなるってな感じ。

わ兎も角歌詞を文学の一形態と考えれば音が付いてるから、皆迄綴らなくてもイメージを特定出来るのが歌詞の特権なんすよ。
他のだと必要な事細かな説明をかなり端折れる(音では精密に演る)んで、短く出来ると同時に余った字数が更なる心情描写等に回せる。

杜撰大王は雄弁だからこそ「口数の多い欠点」には精通してて💦、一度に沢山御託を並べるとそれだけで難解化するのをしばしば相手に叱られてる
んだから…。😞
それからすればシンプルで最も短文にするのが可能な事こそ、ポピュラーソング歌詞の特権なんだ。

=つづく=

2023年12月30日 (土)

音楽備忘録1597 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅰ➍

プチ工夫&手間を掛けたネット検索が可能化すると、フィルタの掛かって無い世界の情報が得られる。
っと言っても情報の真偽判断は自分でしなきゃなんないが、ある程度賛否両論を見れば両方の共通事項だけが確定要素として分かるんだ。

杜撰大王20代半ば迄は英語はまあまあ得意だったが、今は発音以外は全く自信が無い。
にも拘らず電子部品・回路等工業系情報をネットで漁ってると、すぐさま英語のページへ飛ばされちまう。

横文字アレルギーの人だとそれだけでも苦しいかも知れないけど、元々単位や数値果ては回路名称等の多くは英語だよね。
そこで唐突にプチ質問、あなたは開閉器って何だか分かりまっか?。

これ今の日本じゃ電力関係者等以外はほぼ不明だと思うんだが、英語にしたら知らない奴は日本人だっておまへん。
正解は「スイッチ」で、英語苦手・日本語得意な人だってこう云うのは英語の方が断然簡単なんだ。

唯原語とは発音が少し改変されてるから、普段英語と意識してないだけなんだよ。
言葉の音を知ってたら今はググる際に英語の候補も出たりするんで、初期段階ではアルファベットのスペルすら覚えなくてもコピペで行けちゃうさね。

これを外国有名人の話しを書くのにスペル確認に魔用してて、超有名だと英語で間違ったスペルを途中まで打っても正解が出て来るよ。
それに関し今劣化本邦で気になるのが、英語の得意な人と苦手な人の歴然としたアプローチ差だ。

俺の大正生まれの親父は発音が典型的な旧日本人(つまり超ダサダサ)だったが、そんなままで図々しくも米を一人旅しちまった。
それを恥ずかしいと思いつつも今振り返ってそこから感じられたのは、情報に対する素直な貪欲さだ。

微かにでもとっかかりがあれば、惜しげもなくそれを基に調査する。
昔の人は平均英語力が遥かに低かっただろうに、平気で海外進出する人が居た理由でんがな。

今はなまじちゃんと学べばほぼネイティブ並に至れるんで、その気力が無い人は端っから横文字ってだけで避けてやしないかな。
リアルで外国人と会話するのは無理でもネット上で人知れず探す分には、通常「恥をかく相手が居ない」からね。

杜撰大王世代前後の坊ちゃん嬢ちゃんの幼少時は、応接間に並んでた百科事典が影の情報源だったなぁ。
今はネットが差し詰めその置き換わりで、対象年齢に不一致なのとか専門外の本は大抵家に無いしね。

それと求める物がレアだったりすると、出て来ないよりゃマシだが圧倒的に海外のが多い。
しかもルーツが海外のだったら一定以上古い情報は海外にしか元から無い訳で、変に日本語に拘るのは無駄でしかないよ。

J-POPには長年培った独自の要素も少なくはないが、基本形がBandスタイルである限りは洋楽の亜流でしかない。
本当に日本のオリジナルと言うなら、第一歩はBassレスじゃないとあきまへん。

その証拠に舶来を真似る迄は、Bass音域で音程をハッキリ出せる楽器はこっちに無かったじゃん。
今迄日本はそこそこの人口があったから国内専門でもやって来れたが、少子化が続く限りどんどん人口は減ってくから何時迄安穏としてられるやら。

-続々々々-

2023年2月28日 (火)

音楽備忘録1292 伴奏の重要性⑫

前回を承けて今日は番外編として、洋楽を聴かなくなった件に触れとこう。
勿論主題を忘れた訳じゃないんで、その中でも伴奏と関係の深い部分を中心にね。

さてこれは「起源は海外」なのだから、現地の人と我々では解釈が異なる可能性を考えなくてはならない。
っと言ってもそんなに難しい深い部分では無く、例えばRockだったらその直前のをどれだけ知ってるかとかよ。

否応なしに熟知してる向うの人は土台になるのから何を加え何を省いたとかすぐに気付くが、我々の多くは単に「そういう物」として捉えてしまう。
ので例えばその実態が「スイングしないJazz」であったとしても、それに気付き結び付きを認知するのにこっちは酷く時間が掛かったりする。

後発で輸入から始めたのだからある程度は仕方無いが、もし何時までも分からないままで居る様なら未来永劫追付けはしなくなる。
取敢えず仮定「スイングしないJazz」に沿って進めてくと、日本で一般的なClassic由来のネタはそのままじゃ上手く乗せられなさそうなのは分かるだろう。

だってCountryやBluesの源は、宮廷音楽なんかじゃなくもっと庶民派の民謡とかから来てっからねえ。
そりゃ凄く上手い事やりゃ全く乗らなかねえが、気楽に安易に持込んで無事なのは必然的に後者の方やろ。

ではRockを知りたきゃCountryやBluesから知らなきゃ駄目なのかってば、その方が良いけどさ。
少々狡賢く行かないと遅れは取り戻せないんで、部分的だが伝統がそのまま継承されてるのなんかを聴くと効率が良いのよ。

日本でもたまに演歌じゃなくても、歌の特定箇所にコブシが入ってるとかあったじゃん。
実はそれって意図的に取り入れるのより、自然とついウッカリそうなっちゃった方が大抵は先なのを知っとるけ?。

どんなジャンルでも出来立てホヤホヤの頃は、バンドメンバー全員が本職の人を集めるのは困難だ。
だからRockのつもりで1人演歌出身のが混入したりも良くあった事で、その1人が失敗した時に演歌要素が滲み出たりするっすよ。

なるべく早く馴染もうとはするんだけど、人間そう簡単に長年培ったのからは離れられないからね。
そんなのがあちらでも特に黎明期のには、寧ろ露骨に「まんまやんけ」がぎょうさん転がっとったん。

「Rockに必要なJazz・Country・Blues」のエッセンスを頂くには、バラバラに古いのをあたるよりその方が断然手っ取り早いんだ。
先にそれを知ってから各自が掘りたい処だけ掘れば良くて、けどそれをするのにはどんなに古くても日本のだけじゃ駄目なんだ。

例えば黒人教会でだけ演ってる音楽とかを、日本人の殆どは全然知らないやん。
白人が1人でも居たら不味いからと神経使われると地下化するんで、「黒人じゃない人」には縁遠くなり易い。

日本でだって外人が来たら最近は勇者以外、あっちの方がきっと馴染み易からとなかなか伝統の土着のなんか演らないじゃん。
ってか瀕死の民謡を地元民でも知らない方が多くなって、若い誰でもがとなるとせいぜい変なアレンジを加えたソーラン節程度が関の山だ。

っとつまり今の我々は自国のだって過去のには疎い訳で、その上向うのも聴かないとなるとガラパゴスここに極まれりなんだよ。
処で最近若者には和テイストが流行りみたいだけど、じーちゃんばーちゃん達なら誰でも知ってる民謡位全部抑えてからにしたらどうなんだいってな。(少しは居るだろうけど…by老害)

<つづく>

2021年9月17日 (金)

音楽備忘録764 ジャンク部品の話しⅧ

ジャンクの最大の利点は¥0なのと入手難のが得られる場合もあるのは概述だが、丁度その実例に遭遇したからそれから行っとこう。
尤もブツに依っちゃリサイクルとの兼合いも出て来っから、併せてそれも。

リサイクル若しくはゴミ問題に関しては地域差も結構あるが、電気製品は家電リサイクル法以降他のよりゃパターンが限定されている。
それだって部分的に拝借するのには昔より随分不便になって、真の意味でのリサイクルには寧ろ逆行しちゃってんだけどね。

世間知らず過ぎる上級国民(親方日の丸系)が考え足らずで作ったんだろうが、処分費が最安になるのは壊れて無いとかそんなに古くなって無い内のってどうなのよ。
そんなの立法以前からリサイクルショップが喜んで引取ってくれる訳で、単にゴミ処理代を値上げしただけじゃんか。

それだって消費税の新設や増加が無しでだったら分かるけど、無茶な注文付けて来られりゃ余計に不法投棄したくなる人が増えるだけだっての。
わ兎も角そんなのでもメルカリとかTSUYAYAとかに出さないならそこそこ取られて、上手に探せば非稼働状態のでも大して料金に差はないみたいだ。

只受け身で居ると無料引取りと謳いつつ何らかの経費をボラれるのが殆どで、なるべくなら自ら持込める方が良い様だが。
でそれが分かったんで先日壊れたウィンド型クーラーから生存部の取出しに掛かってるが、最近は知恵が付いた!?から「セットで取出す」様になっている。

市販されて無い若しくは入手難の物ってそれに関連するのも近似のが多いんで、今回のだとラインフローファンのブレード(羽根)・モータ・駆動回路辺りがこれに該当する。
かつては場所を取られるのを嫌っていきなりバラせるだけバラしてたんだが、それで後で資料が見つからなかって上手く動かせなくなったりしてたっけ。

電子制御が当り前になる以前ならコンデンサの付いてるモータなら、その部分だけ元がどうなってたか分かる様にしときゃ良かったんだけどね。
その代り最も転用が上手く行った過去例だと回路基板は弄らずに、不要部のコネクタを外しただけで使えたのもあった。

それより今昔に関わらず当初から施しといた方が良いのは清掃で、経年で汚れが落ちなくなったり保存場所の汚損を防ぐのにも必要だ。
まあそもそも昔より電圧が低くなり電流も少なくなれば接触不良に弱くなってっから、汚れだけで壊れたかの様になってるケースも少なくないんだけどさ。

時には綺麗にしてみたらこんな処が壊れてたかなんてなる事もあり、苦労して綺麗にして駄目なのは敵わんがずっと気付かずとっとくよりはマシだわね。
お金が余ってんなら「掃除をしない自由」へ対価を払うのもアリだけど、「駄目になった証拠」を確かめるにもある程度以上は綺麗にしないと分からないんだ。

因みに今回のご臨終クーラーのだと、コンプレッサ周囲の防音・断熱材に正体不明の油汚れが付いてたよ。
これは緩衝ゴム修理時には付着して無かって、面倒だから発生源の特定迄はして無いけど「その辺に変容」があったのは間違い御座居ません。

実際には動作不良の他これを確認してから正規の分解!?と清掃に着手してて、ファンブレードは取外した上で石鹸に依る水洗いでゲした。
かつてはそれ用っぽい洗剤なんかも色々使ってみてたけど、汚れの正体が余程ハッキリしてないと何かが残り易かっただす。

何れにしても「濡らしても平気」とかそんな状態に出来る物だったら水若しくはお湯と石鹸、後は根気で洗うのが一番成果が得られてるでし。
加齢と共に年々こんなのは億劫で仕方無くなってっけど、それだってプラスチックのが殆どだから可能な芸当ね。

<つづく>

2021年1月27日 (水)

音楽備忘録531 パートのリズム調節⑰

前回何時にも増して意味不な長文になってしまった反省も込めて、補遺と整頓をさせておくんなまし。
苦しい言い訳やが今日日は何でもマニュアルに従わされてるから、その呪縛や習慣から一旦開放されて欲しかったのよ。

尤も平成以降は昭和みたいに感性だけじゃ世の中渡って行けなくなってて、音楽に触れるにも機器等のマニュアルは実際全く無視出来なくなったわね。
但し良く考えて頂きたいのはそれ等は既に完成してる物だって処で、不明点が残ってりゃその部分はマニュアル化出来ないんだすよ。

これを基に音楽を演るに際して頭脳や知識と感性や体験の適正順位を分類すると、誰が弾くにも「Cコードはドミソ」みたいなのは頭脳・知識主導のだ。
それに対しノリだとか独自表現等は感性主導が合ってて、オリジナリティが高かったり類例の少ないのになる程これでしか実現不可能だ。

なんて頭の使い方を俺みたいな単細胞じゃ、本来なら語るに値しないんだろうけど。
でも究極に至ると完全な利口か大馬鹿の方がまだマシで、中途半端な小利口が一等障害になるもんなんだ。

専門の馬鹿の道!?の方から攻めてくと幾ら天然では頭使うのが苦手でも、一定以上の領域へ到達するのに必要なのが段々と出て来る。
すると苦手でも逃げ道が無いから仕方無く頑張る訳だが、それが堆積してく内にどれとどれだけは頭も無いと無理なのかが自動的に知れてしまうって寸法だ。

頭脳派の方は専門外だが一寸した例を思い出したんで、悪いけど久々で従兄に生贄になって貰おう。
これ身内では「自動販売機迄俺をバカにしやがって事件」として有名なんだが、飲料自販機で¥100入れたのに買えず返却させたら¥50しか戻らなかったって話し。

今なら価格が¥100より高いのが殆どだからそりゃ買えないって?、昭和の昔はそれで殆どのが買えてたんだよ。
ほんでそう嘆く従兄に対し仲間達は従兄の勘違い(元々¥50しか入れて無い)を半ば信じ、俺は五分五分だったけどそれは本来2の次案件なんだよね。

その時喉が渇いて飲みたいのを何とかするには、犯人が誰だろうと何とか入手しなけりゃ潤せない。
のになまじ従兄は投入金額の印象が鮮明だったもんだから、そっちへ気を取られ過ぎてしまったんじゃないかな。

従兄が間違って無かったら酷い話しではあるが、まだその頃は即座にコンタクト可能な連絡先とかは掲示されてなかった。
それでは正規の次の手の打ち様が無い訳だから、取敢えず買って飲んでその後で思いっ切り自販機を蹴っ飛ばしてでもおく位しかやり様が無い。

或は異常に思われても執念深く追及・調査し、身の潔白を証明しても一向に構わんけどさ。
でも従兄は諸事情もあったにせよそうしようとするより、延々と後に至る迄嘆いて居た。

流石に今では本人も笑い話側へ一応加えてるけど、どうせそうなるならもっと早く切替えられてたら楽になれただろうに…。
これを頭主導が向かないののつもりで例示したんだけど、音楽でだったら次回じゃ無く今このLiveが終る迄に何とかしたいなんてのと似てるんじゃないかな。

本番中も幾ら頭使わんたって判断とかには必要だけど、のんびり考えるより他に優先すべきがテンコ盛りですんでね。
逆に個人での日常の練習って本番よりは良く云やリラックス、正直言ったらどうしたって漫然とし易いよね。

でもホントは練習時にこそ頭脳フル回転が必要で、一面で感性だけじゃ出来る様にならなかったのをなんとかする時間だかんね。
そのせいか分かんないけどどっちかってば俺の方が本番に強く、従兄の方が練習成果を上げるのが上手だったかな。

これが具体的にどう反映してたかったら、従兄の方が正規テクニックの習得は各段に早かった。
それに対し低テクレベルで構わないのだと、こっちの方が割とすぐに良い感じを出せてた…と思うんだけど。

結局は今になって録るのは早いが結果が雑な俺、録るのが異常に遅くなった従兄のどっちも実用的じゃ無い。😓
何十年も続けててそんな位だから中々旨い按配とはならなそうだが、各自夫々の弱点をちゃんと認識出来た分昔よりはマシになってる筈だ。

こんな時昔だったら俺は勝手に独りで全部録って出しちゃったり、従兄だったら散々待たせといてFade Outしたりしてたもんね。
今俺が延々と従兄を待ってられるのは、投げ出さなくなったのを知ってるから。

文句つけてる暇があったら溜まりに溜まってる宿題でも何とかせいってなもんで、やらなきゃイケナイのが沢山残ってるのに気付けると待つのもちっとも暇じゃ無くなるよ。
時々予測を誤ってまだ平気なんてのんびりしてると、待ってるこっちの方が大慌てになったりもあるからね。

<つづく>

2021年1月26日 (火)

音楽備忘録530 魔改造悲喜こもごもⅡ-㊴

現在苦悩中のLED照明電源案件、当初想定より大巾な苦戦を強いられている
Bass用ポータブル球プリAmpの方でも電源部で少しつまづいてるが、そっちの方が解決が早そうでも明るくなってからの方が良いしねえ…。

先ずはLEDの方での問題だが、故障機の素子要求電圧がDC100Vと一寸珍しいのが災いしている。
効率的には電源(電灯線AC:100V)からなるべく変える処が少ない程有利で、その方が回路もコンパクトに出来て良い。

だが基本的に一切何も買わずに手持ちジャンクで対応するには、そもそもそんな仕様で売られてた商品が希少なだけに何時になく厳しかった。
お得意の!?○倍圧整流回路を用いるには幾ら省エネLEDでも、照明用となると電流量の多さが懸案にもなる。

更に単に足りるだけ電力を喰らわしてやるだけでも大変だが、下手にそれをすれば過電流で折角生き残ってるLED素子を壊す危険があるのだ。
それにはどんなに効率や時代を無視して原始的になるのを許しても、何らかの電子回路を追加しないとならない。

数日色々調べたり考え続けてたりで面倒になって来て、いっその事市販のキットやスイッチングACアダプタの魔活用すら考えた。
その中で半分位の出力電圧のアダプタを、言うなれば「2階建て」にする裏技を見付ける事は出来た。

だがⅡで普段の印象では今や激安のアダプタも、48Vなんて一般的なのより高い奴はお値段も高いままだった。
高いったって2つで¥5~6,000程度だから大したもんじゃないんだけど、本体が送料も込みで¥2,000しないのを直すのにそれじゃあ何だしねぇ…。

なので普通なら殆どの人は諦めて買い直す処だろうが、まだ半壊なのと素子自体は全部生きてるのが引っ掛かる。
それに運が悪きゃってか誇れる様な過去を送って来ても居ないんで、又1年後に同じ目に遭うかも知れない。

今後も高級なのを買える見込みが無いのからもすると、この手のトラブルが今回が最後にはなりそうもない。
だとすれば一度自分なりの方策を考えとく必要もありそうなので、次善策で一時凌ぎするにしても撤退はさせて貰えなさそうなのだ。

さてLEDが長期戦になるなら球プリを先にすればと思うだろうが、状況次第じゃジャンク部品の「取り合い」になる可能性があるのだ。
どっちかを犠牲にするとか先送り出来るなら別だけど、「組合せの不味さ」で2つ出来上がるのが1つになってはたまらない。

その際たる要因は所望電圧が50Vより高いせいで、それより高耐圧なのとなるとジャンクの取れ高が極端に悪くなるからだ。
この面からすると例え電灯線を使うLED照明でも最適は内部DC12V仕様、高くても24V以下のだと部分転用等の点で遥かに有利だ。

そんなにすぐ壊れる様なもんじゃ無いし本体と電源を別にすると割高になるんで、その時はつい最安を選んじゃった。
けど今後はこれに懲りてたかだか一般照明器具如きでも、オールインワンタイプは避け気味になるだろうな。

って楽器やオーディオの方では散々遭遇してとっくにそうなってたのに、こんな風になっちゃうとは杜撰大王健在なりで参ったね。
只悩ましいのは年々コンポタイプのは減っていて、特に部屋のメインのみたいなのにも使える素材のがなぁ。

こうゆう貧富差を拡大する様な傾向は嫌なもんで、金持ちが企画して作るからそうなるんだろうか。
皆さん是非俺みたいに初期投資額に騙されないで、長期戦略を練って臨んでおくれやす。

只Ⅱでそう思ってても厄介のなのが、高価だからって必ずしも信頼性に繋がらない処。
最近じゃ商品レビューも益々さくらさん達の暗躍で、良くて話半分の信頼度だ。

もしレビューでアテになるとしたら選択肢は大分減りそうだが、買ってからかなり時間経過してからの投稿だろう。
発売後間もないとこの手は使えないが、実態が覗けるのはそう云う方だ。

例に依って全ては個人の考え次第だが、博打のつもりで行くかどうかだけは先にハッキリさせとく必要があるらしい。
覚悟不足で望むと、今回の俺みたいな事になる場合があるんだろうね。

<つづく>

2021年1月24日 (日)

音楽備忘録528 魔改造悲喜こもごもⅡ-㊳

先日新たなトラブル発生💦、今書いてる部屋のLED照明器具が突然半分消えてしまった。
まだせいぜい1年しか使ってないのに、最安品を選んだのが不味かったか。

又してもちっとも音楽では無いのになっちまったが、何をするにも真っ暗闇になっては困るからねえ。
元がオーバースペックつまり明る過ぎだっんで
、半減ならそんなに慌てる必要は無い。

とは言え何処が逝かれたのかは調べとかないと、最悪はそれこそ風前の灯状態に陥ってる可能性もある。
ので兎に角一旦少しバラして故障個所を探してみると、LED素子本体は幸い全て健全だった。

これには所謂スイッチング電源回路が2つ内蔵されてたが、その内の片方の制御ICがお亡くなりになっていた。
依ってそれさえ交換すれば元通りになるのが分り、手に入りさえすれば価格もせいぜい¥100程度なので少し安堵。

っと思ったのも束の間、何と売られて無い処かデータシートや画像すら全く見つからないやん。
それで修理は暗礁に乗り上げて、ちっとも望んで無かったが魔改造コースで解決してくしか無くなっちまった。

口惜しが丁度ギリギリで保証期限は超えちゃってるし、仮に昨今割高な修理費を甘受してもこの手の廉価品ではそもそもサービス体制なんて最初から無いだろうしね。
それでも宅内の他の多くのと違って程々に新しいのだから、まさか部品面で簡単に窮するとはなあ。

処で前出明る過ぎになった原因は、それ以前に買ったどれもが予想程の明るさが無かったからだ。
宅では割とLED照明装置が出てすぐから注視してたが、電気代は勿論の事ノイズ面でも蛍光灯より明らかに有利だからだ。

昔はエレキを録る時は蛍光灯はOffって白熱球スポットライトに切替えてたが、室温上昇が凄かった。
それに弾き終る度に再切換が要る事が多く、機器操作をするには全体の明るさが必要なんでね。

只黎明試行錯誤期の体験印象が強過ぎて、安定量産期に入ってからの性能を低く見積もり過ぎちゃってたんだろう。
それは兎も角全点灯ではちとオーバーでも、半減だとやはり明るさが足りない。

ってのも素子の載った基板が山形2列に配置されてる片方が点かなくなってるから、消えちゃった側半分が余計に暗くて苦しい。
そこで代用になるICを探そうかとも思ったが、ここで枷になったのがスイッチング周波数の不明だ。

周波数計測可能なデジタルテスタなんて持って無く、かと言って高電圧(この機種ではDC100Vだった)なので測る手段が宅には無い。
これが俺にとって何を意味するかったら、駄目になった方の電源回路は丸々諦めろって事なのだ。

割高な送料を圧縮する為に従兄に頼み込んで共同購入したから、元が合計¥1,000程度の代物だ。
もし電圧がもっと低かったら半完成品等で下回れる可能性も残るが、回路全体を刷新するとしたら元の価格より遥かに高価になってしまう。

この期に及んでこんな目に遭わされるから益々半導体不信が促進されるが、何時になったら俺言い「マージン不足」は是正されるんだろうか?。
ってのも最初天井から取り外した段階で、一寸した異変が見られたからだ。

本体は放熱ニーズもあってアルミの所謂型鋼になってるが、両端とカバーはプラ製だ。
そのカバーの片方に回路基板の入ってたが、カバー裏側に熱劣化の変色・変形が視認されたのだ。

これが某国の安物だったからったらさに非ずで、以前別の部屋で使ってた本邦一流メーカ製インバータ蛍光灯器具では割損迄行った位だ。
一部の業務用では平気らしいが、基本的に素人・ご家庭用の基準の甘さは何時まで経っても是正されんらしい。

最近は本邦以外のでも電子機器関係はどれもこの面が雑になって来てるが、物余りで壊れんと買って貰えんからって迷惑な話しだ。
コロナ自粛が無くても実売店舗や取付作業の人員も減り続けてて、幾ら安くなってワンクリックで買えるったって復旧までの「待ち時間」はどんどん長くなってとるがな。

それからすると魔改造なんかが無縁だったとしても、色んな機器の予備が昔より必要になってるのかも知れない。
尤も例えば使用数が10コとかだったらそれに対する予備の1コにそんなに負担感は無いが、1:1だったりすると保険措置でも一気に費用倍増だから二の足を踏みたくもなろう。

そんな場合仮設が可能なクリップライトと汎用LED電球とかだったら用途が広く、宅でも現に今それで暗闇を回避している。
宅の場合クリップライトに予備のつもりは無く、単に作業灯のニーズがあっただけだが…。

<つづく>

2020年11月28日 (土)

誤った合理性③

今回は最近の電車が昔より不便になった処へ言及するが、これも国の計画の杜撰さが響いている。
表面上の効率を追及したら、規模が大きくなり過ぎてそこが不便を生じてしまった。

鉄道はレールに縛られて自由に走れないんだから、その分駅構内でのアクセスの良し悪しは本来は大問題な筈だ。
混雑対策は必須だけれどそれにもやり方があり、先ずはプラットホームへの通路や改札口の数についてだ。

最大の理由はコストだろうが他にも管理や人手の都合があるが、それでも人数に対して数が足りないのが不味い。
少ない数で大人数に対応させるには、どうしたって大規模になる。

大規模は見掛けは立派で良いかも知れんが、実際にそこを縦横無尽に移動しようとしたら不便だ。
人1人分の巾しか無いエスカレータで追い抜きを考える人は殆ど居ないが如く、広い程経路の種類が人夫々で増える分だけ錯綜し易くなったりする。

何より規模の為の大きさのせいで、半強制的に距離が延びてしまうのを問題視すべきだ。
バリアフリー化で幾らエレベータが付いたって、足の悪い人に距離が延びるのはとても負担になるんだよね。

車内混雑にしても降車駅の階段位置に左右されたりしてるから、駅での経路がもっと多彩だったら程度は様々にせよ必ず緩和される。
と云っても今時儲からんのに金は出せんのだろうが、改札口箇所増加には新たな儲け話しがホントは付いて来るのだ。

極端なのだと駅の南にしか改札が無かったら、そのままでは北口には駅直結の商業施設は誘致出来ない。
それが今迄は超駅近では無かった処も新たに参入されるんだから、商圏が拡大されるのだ。

現実で例えば小田急とJR東の横浜線の町田駅を例にすると、元々は小田急の駅は低予算のせいで町外れの場所だった。
のが開通して割とすぐからずっと急行を走らせてたからかそっちが街の中心になり、横浜線の駅は改築時に少し近くへ寄せられた位だ。

線路より道路の方が交差する数が多いから鉄道側が高架・地下化されたりするが、これにももっと考えるべき点がある。
道路でも自動車専用の分は歩かないんだから、坂があってもへっちゃらだ。

それに対し鉄道で線路が地平じゃ無い駅だと、そこで乗降する人はプチ登山を強要されるのに軽視され過ぎだ。
現実的にはどれも全ての交通量が膨大では、どうやってもどれにも不便が生じるの自体は仕方無いけどね。

でも大会社になる程乗り換え利便性を低く見てるのは明らかで、気前の悪さがとっても目立つ。
そんなにデッカイの作れるんなら異常な光景になるけど、例えばエレベータを2~3台なんてケチらず思い切って10〜20台とか付けちゃったらどうなんだろう。

これ現時点では奇想天外だがこれから高齢化社会がそのまま進むと、それ位でも最低必要数になったりしそうだからね。
それが無理なら高架にしちゃった所は、これからとっても面倒を引き起こしそうだ。

年寄りの車の運転が危険と騒がれてるが、それを減らすにはもっと鉄道やバスだと楽にしないと片手落ちだ。
駅やバス停迄の近さもだが、これは住んでる場所に依っちゃどうにもならない。

だったらせめて駅の中の移動距離を、昔より増やすなんて言語道断じゃないですか。
って強く思うんだけどどうしたもんか、誰もこの点を大して気にして無いみたいなんだよねえ。

こんな無駄な大規模化の陰には未だ欧米への幻想も感じられるが、その欧米人からしたら旧来のアジアのコンパクトさに魅了されてたらしいんだけど。
俺的にまだ日本のは「下手な真似」なんで、結局は遠くなっただけで広さに依る余裕等の面で全然追付いて無い。

近年は巾の広い車しか売られて無いのにしたってそうで、基本的な道路巾は車社会になって以降幾らも拡大してないのにさ。
その一方で平成時代に小田急で導入した新車の巾、コストの為とは言えそれ迄のより狭くしたのなんかは全くちぐはぐだったな。

自動車の巾の件は次回に吠えるとして、2.9mのが通れる所へわざわざ2.8mのを作るのって…。
たかだか10cmの差ではあるが、お隣の京王なんかじゃ元が路面電車
だっただけに今でもそれが走らせられない。

しかも最高に格好悪かったのは複々線工事完了と少子化が進んだ今頃になって、新車を広巾のに戻した処。
間違いを認めず突き進むよりゃマシだけど、一番混んで困ってたのはこうなる前だったのにさ。

地下鉄の方もこの点おかしくて幾らコストがったって、相互乗り入れ前提で新設した路線でもこの10cmの差を放置しちまった。
そのせいで巾の限界の違う路線では、乗り入れるのだけ狭く作り続けて…。

<つづく>