日記・コラム・つぶやき

2026年1月28日 (水)

音楽備忘録2355 FM放送よもやま話➋

さて放送文化的側面から我が国FMステレオ放送の立場を見ると、ラジオDJ自体はもうAMオンリー時代に既に一応は確立していた。
が音楽番組の枠数の増加は、それ迄あまり人前に呼ばれなかった人達への出演機会増加に確実に貢献したん。

そんな中当時から賛否両論はあったものの、趣味誌関係者の声見せがエポックだった気がする。
又そんな以前より踏み込んだ論調の者が出て来れば、少なくともメディアでは専業DJの人達だって黙っちゃいない。

更に激変したのがアーティスト自身の出演で、今では全く珍しく無くなったがそれ迄は殆どTV・雑誌等のインタビューに応じるだけだったん。
尤も中にはそれが行き過ぎてX(旧Twitter)等での暴言に繋がったりゃしてっけど、どんな思いでパフォーマンスをしたか等以前はロクに知り様が無かったんだ。

杜撰大王は偶然世代的にFMステレオ実用放送開始期を経験して、洋楽の中でも死語称「外タレ」の情報量と親近感が一気に変貌した覚えがある。
これでも将来のグローバル化進展も意識してか幼稚園時代途中から英会話教室を少しはかじってみたが、主に実になったのは発音だけ。

のわ欧米との文化ギャップが今より当時は大きく、日本語すらあやふやだった杜撰君には今一言葉とのリンクが難しかったからだ。
又Ⅱで当時の写真は全てフィルム依存だったからか、現像や焼付けの味付けが海外と国内ではかなり異なっていた。

そのせいで同じ温帯地域であっても画像からの世界観がかなり異質にしか見えなくて、勝手に余計に考え込んじまってたかも。
そんな場面で強力な味方となるのがバイリンガルや通訳氏だが、そもそもRockに暗いと訳し方がヘンテコになってサッパリだったんだ。(名アナウンサーだが失礼乍ら故逸見政孝辺りがそんなのの最後と感じてる)

例えばBeatles来日当時時点で星加ルミ子と湯川れい子のはマシだったが、他の少ない理解者だった加山雄三や内田裕也の見識はずっと後になる迄封殺されちまってた。
要するに細かいニュアンス等パーソナリティの重要部が殆ど伝わって来なくて、令和感覚では信頼度の低い訳で恰も宇宙人はかく語りきみたいな状態が続いてたんよ。

のがFM放送開始で番組枠が増え、その中でも当時FMステレオ方式の利点を活かして特に洋楽枠が結構突然急増。
のに対し新人材の補充は従前の慣例を破りもっと広範な分野からとなり、新しい切り口・視点からの語りが登場した。

そんな潮流もあっての充実は、後に小林克也と云うモンスターを生む。
世間の一般認識ではTV番組で浸透したが、バイリンガル司会者が直にアーティストから逸話を訊き出すスタイルが定着するのに繋がった。

因みにTV出演以前の印象が今一薄いのは、先達名DJ諸氏の存在が大きかったからだと思っている。
本放送開始の1970前後以前から活躍してた糸井吾郎氏を始め、FMでは新参者でも他分野で既に知名度を持った連中も参画してたかんね。

加えて初期は音楽ファン中心に対してだったから、庶民に知れ渡るのにかなり時間を要したんじゃないかな。
浸透に時間が掛かると言や杜撰君ルパン三世は初回から大喝采だったが、世間的にはロクに広まらず普通に打ち切り扱いされてましたな。

ネットが無くYoutubeも無くまだ家庭用VTRも普及前となると、もしかして面白かったかと思っても即座の再確認が出来ない。
のが音だけならラジカセの普及でエアチェック(放送を録音)は割と簡単に出来たから、その面ではもっと早期にDJ氏も認知されて可笑しく無かった。

が杜撰君等一部の貧はテープの使用量を少しでも節約しようとして、アナウンス部分はリアルで聴いては居たが意図的にその間はテープを止めたりなんかしていた。
ので後になって誰さんだったっけと思っても、短い番組だと新聞の番組欄に一々出演者名が出て無かったりしたのよ。

放送局へ直電すれば教えては貰えるが、電話代と手間を掛けて迄知りたいとは思えなかったんだよね。
これを今再考してみると手間レス有償か手間だけ無償だったらやる気も湧いたのかなと思え、毎回ダブルパンチを喰らうのは勘弁と思ってたんだ。(我儘と言われれば反論の余地は微塵も無しだが)

=続く=

2025年8月11日 (月)

音楽備忘録2185 今更過ぎる話しⅡ➌

今日は別稿で気付いた最近杜撰大王が最も悩まされてる、慌てて勝手に読み違えてくれる人達をテーマにするざんす。
それが困った事に最も身近で会話頻度が高く、それでいて頻繁に会話を誤読してくれるから参っとん。

杜撰君程度の自他共に認めるコミュ力の低さでは上手に対応出来んのは仕方無いにしても、こっちが避けようとしてる言い合い状態に簡単に陥るのは堪え難い。
まあ最初の言い方の不味さが元原因にしても、そんなに誰もがコミュ力が高いもんでもない。

んだから一々一言の印象にだけ反応してくれちゃったら困るのに、理解力不足の露呈を過剰に嫌ってんのかな。
或は親切のつもりで想像で先読みしたのが外れたか、何れにしても言ってもいない部分についての批判が何と多い事か。

その背景には常に態度を白黒明確にしなきゃいかんみたいな強迫観念めいたものも感じられ、この部分についてはどうやら過去述デジタルに看過された様だ。
人間同士のコミュニケーションってアナログよりアナクロなものなのに、しょっちゅうスマホにYes or Noを問われてる内にきっと悪癖が付いたに違いない。

或はⅡでYoutube等に👍とその逆のボタンだけ付いてて、殆どのに「どちらでもない」が無いせいなのかな。
前者のはその目的故に良いか悪いの2択になってるだけで、見たのに押さない層の多くがどちらでもないに大体適合しそうだからなんだよ。

その他PCOS更新での再起動なんかも3択程度になってるのもあるが、やはり人間同士のセレクトよりは殆どのケースで選択肢は少な目だ。
けれど良く思い出してみるとファミレスで注文を訊かれる際に、セットのドリンクは3種類以上のどれかから選べなんてのは普通にある。

しPCの方でも階層ってのがあって全選択肢の一覧表示は珍しい方で、実際にはそんなに選択肢が減った訳でもねんですわ。
更に追い打ちを掛けりゃ現行システムはほぼ英語ベースで開発されてんで、英語圏文化で万能なYes or Noで要求されてるだけなんじゃないかな。

にも拘わらずその場その時点での2択だけで切り抜ける悪癖がすっかり根付いたからか、一般会話と云うとてもアバウトな状況にもそんな感覚を誤って持込んじまってるらしい。
必ずしも反応の早いのが悪か無いが、慌てる乞食は貰いが少ないで炎上騒動に頻繁に至っては疲れてしゃーない。

そもそもYes or Noを問われるのと他愛の無い会話の決定的な差、常時意見を求められては居ないっつうのをどうも忘れてるみたいなんだよ。
確かに返事が高頻度で「ふーん、へー、あーそう」みたいなのだけになったら、もっとちゃんと訊いとくれよって感じになるけどさ。

ふーんの後にそりゃたまげた・へーの後にそいつぁ凄い・あーそうの後にうわー困ったねえとか、リアルでは返答の言葉が1つ切りで終る方がレアケースなんじゃないかな。
それが杜撰君みたいなせっかちなら未だしも、どうもそうじゃないタイプの者が無理して急くから余計不味いみたいなんよ。

雑に急げばミス頻発は付き物みたいなもんで、普段やらかしが多きゃその分即座に謝れる癖も付いて来る。
けど本来は慎重派でミスを殆どしないでいると↑よりゃ謝り慣れてないからか、謝罪・訂正がワンテンポ遅れる内に相手と感情的論争に発展し易いらしい。

斯様に匿名でのディスりからの頻繁炎上程アホらしいもんは無く、最も時間浪費な行為なんじゃない?。
クソ忙しくて判断を急いたのに、それで激論を延々続けたら何にもならないのでは。

-つづく-

2025年7月 6日 (日)

音楽備忘録2149 今更過ぎる話し⓮

今回は「プロとは何?」について考察してくが、今日の資本主義社会下では一定以上の安定した儲けが基準になっている。
だが経済さえ一応成立してたらどんなに内容が酷くても、一端のプロと平気で認定する感覚には危機感しか募らない。

なぁ~んて語り出すとすぐお前食えてないからだろうなんてのが噴出するが、確かに食えるだけ稼ぐってのは大事には変わり無いよ。
けど幾らでも騙したり嘘ついたり果ては盗んでも食えるが勝ちみたいに思ってて、本当にそんなので大丈夫なのか。

杜撰大王のみすぼらしい現実は無視するとして、一定以上コンスタント収入=プロって思想は経済最優先の社会でしか成立しないもんなんじゃねえの?。
仮に貨幣の無い世界だったとしたら、対価は仕事内容に見合った物や労力・行為等で支払われる事となる。

その場合仕事内容がチープだったら貰いはその分順当に減る訳だが、欧米白人主導で悪の契約社会が波及したお陰で内容では無く契約事項さえ表面上クリアされればお金になってしまう。
大昔にだって身勝手な気分屋で内容に大きな問題が無くても、ケチ付けたり払い渋る様な者もある程度は居ただろう。

だが今みたいな荒唐無稽なクレーマーやカスハラの大量発生は、社会がまあまあ安定してて出たのは今が初めてなんじゃないかな。
流行りの新自由主義ってほぼ経済観点だけの代物なんで、杜撰大王に言わせりゃ己は食事迄お札とか硬貨を食えって感じですわ。

特に趣味や文化等非生活必需分野の類では魅力こそ存在価値の根幹なんで、元来経済性とは対極に近い存在なんだ。
また公共福祉や教育等は到底金儲けだけの道具とするのは不相応で、そんな過ちを許せば一般社会が地獄じゃあるまいし正に沙汰も金次第オンリーになっちまうんだよ。

それ故経済が最重要な職種以外を儲けだけで計るの自体が愚かなんだが、どうやら敗戦後の米の占領政策にその端緒があった様だ。
日本語では一口に専門家・職業従事者にも様々な単語・呼称が古くからあったのに、怪しい商売を正当化するのに英語を略したプロってのがきっと便利だったんだろう。

杜撰君はちっともその方面に詳しか無いが英語では共通のProfessionalって単語を使ってても、前後の単語等次第で内容や意味合いは変化する仕様なんだよね。(つまり単体では何のどう云うのかは含まれてない)
その面で微かに日本で正攻法となってるのがレッスンプロとかで、しかし恐らく現地と比べたら素人に教えるのが普通より上手な講師って意味は入ってない。

英語圏並びに欧米白人って差別意識自体は最も高いが、だからこそなるべく隠蔽したかったからかスラングを除くと言語自体はかなりフラットなんだ。
そもそも基本の意志表現がYes or Noの2択で、理由より先にそっちを知りたがるっつうか必要としてる。

つまりは分類の仕方がこっちみたいに複雑じゃないヤツを、準日本語化する際に実質的には魔用・悪用同然にしてんすわ。
ので本来は楽器奏者なら演奏職人とかそんなのが最適表現で、しかし職人級の腕前を持ってたからって必ずしも生業にしてるとは限らない。

にも拘わらずメジャー系所属でそれで生活の糧をギリギリでも賄えてたなら、押しも押されもせぬ立派なプロだなんて誤認してるんだから恥ずかしいったらありゃしねえ。
って大多数は内心はそう思ってないか分からんが、実態に大きな差異があっても呼び名が同じなのはどうもねえ。

-ホントのつづく-

2025年6月28日 (土)

音楽備忘録2141 今更過ぎる話し⓬

杜撰大王≒暴言若しくは放言大王でもあるんで摩擦係数が高目になるのは自明の理だが、今旧知の間柄でプロジェクト遂行の為の議論に差し障りが出たんで困ってる。
自慢じゃないがこちとら本質が直情暴走タイプなのは痛い程自認してて、冷静な議論や判断が求めらる場面では流石にそれじゃ不味いから感情を強制シャットダウンさせて望んでるってのに。

処が迂闊だったのは提案内容自体に沸騰するタイプも居て、どうやらその認識が甘かったらしいんだ。
そこは大いに反省し今後のバージョンアップが望まれるが、議論や判断等ロジカルに熟すべき処へ簡単に感情を持込まれるのはどういうそれこそロジックなのか推察してみたん。

今考えらる筆頭はそもそも議論の準備が全く出来て無いとか、判断は依頼時以外は恰も自身に決定権があると思い込んでたんじゃないだろうか。
その傾向は担当種の少ない者程多い様で、野球なら孤高のエースピッチャー等の一部にその典型が見られた。

過去形なのは近年はそんなじゃ勝てなくなったから、過去レジェンドみたいに荒唐無稽なキャラは流石に死滅してる。
しかしそんな老害の回顧に依れば、チーム内での特殊な立場故の不理解や共感レスも裏にあったそうだ。

自身でも振り返ってみればいい加減な作曲作品を出鱈目な奏者で奏でといて、後はプロデューサー宜しくと丸投げされ嫌な思いと孤独な闘いを強いられた事があったっけか。
そんな場面が多いと余程人間力に溢れてない限りは、どうしたって心中少しは卑屈になったり負の感情に支配され易くなる。

これは職業上の仕方無い負の側面ではあるが、問題はそれに依って悪い癖や変な癖が付いてやしないかなんすよ。
これの自己診断を長期に渡りサボってて加齢で固着化して行くと、最終的にはもう後戻り不可になって社会から脱落してくんでせう。

ので先ずは自己診断が必須だが、中には悪結果の出るのが怖くて敢えてスルーする奴も居そうだ。
そんな時もし欠点を自虐ネタにでも変換出来たら、少しは勇気も湧いて来るってもんだ。

のでⅡで傲慢さを謙虚さに変えろなんて無理強いする前に、水面下で少しづつ俺言い「変換スキル」を身に付けてくのが有望なんじゃないかな。
杜撰君だって年の功もあって黙ってりゃ平穏を維持可能だが、口を開けば元が元なだけに絶対どっかでボロが出るんだ。

そんなのの中で近年印象深かったのが大谷翔平を筆頭に、語尾に「○○なんじゃないかな」と付けるヤツだ。
定期読者諸君なら百も承知だろうが、杜撰君も知った気付いたその日から早速恥も外聞も無くしれっと引用させて頂いとりま。

こう云うのは単語・文言・発言と限らず、きっとあらゆる処にあるんだろうな。
かつて愚痴を名物化した故野村克也氏にしても、生来のマイナス思考や悪い口癖に少し手を加えて他人にはブラックジョークに変換してたよね。

無論最良は人間性自体の改善なのに違いは無いが、元から苦手なのをそう簡単に改善出来ると考えるのはそれこそ傲慢なんじゃないだろうか。
理想より遥かにみすぼらしくても、昨日より今日がたった1つだけでもマシになれる方が意義があるさ。

だってもしそのままにしといたら、ずっとろくでなしのままなんだから。

-つづく-

2025年1月20日 (月)

音楽備忘録1983 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓯

実際影響は小さくないし必須だが又抽象方向へ行き過ぎたんで、例示を含めた具体的な方へ回帰させよう。
そもそも一般と実際の差が生じる原因に限度は無いが、幾つかは起き易い現象に左右されてんだ。

1.マスキング
端的にはチビがノッポのガリがデブの後ろに回り見えなくなる系統だが、俺言い「目立つ倍音」が半分以上重複しても並立・併存は困難化する。
Guitarも鍵盤も煌びやかに行きたいが、精細にバランスを加減してもずくにどっちかが埋没するなんてケースだ。

尤もアナログ録音時代だとこれを魔用して、エレキGuitarとクラビをわざと紛らわしく使ったなんてのもあった。
今だとクラビの超ハイインピーダンスでの早期高域頭打ちを解消させたら、良くも悪くも相違は分かり易くなるかなぁ。

尤もⅡでハイインピに依る変容が大きいからこそ、あああの聴き慣れたクラビだと感じられてるんだけどね。
俺の杜撰な私記憶ではStratoハーフトーンのクリーンとクラビの競演してるのが思い出せず、自身も含めクラビっぽいのの代用に前者を用いる事も少なくないな。

2.違うジャンルで常用されてる楽器の併存
ポピュラー系でもClassic由来のStrings等は良く導入されてるが、本当にClassicのままのダイナミックレンジで演られたらとっても整合性が悪くなる。
音色・表現にはらしさ全開でも演奏自体からダイナミクスはかなり圧縮しないと、出過ぎたり聴こえなくなったりするだよ。

今では極気楽に演られてる様に感じられるが、Rock系での成功にはあのGeorge Martinの築いた方法論や加減のお陰か大きい。
時にはBeatlesの誰か自身がタクトを振ったりしてて、纏まる迄には両者でプチ論議なんかもしてた様だ。

こればっかりは主役と脇役の立場をハッキリさせて、どちらかがどちらかへ全面的に寄り添う姿勢を作らないと厳しい様だ。
のでゲストで呼ぶ場合最高の腕の持ち主より、最高の「協力者」を求めなくてはならない。

3.意図的じゃない音質的時代性の不一致
私感では近年になる程熟慮が要る処で、何故なら大昔はどれも分け隔てなく超Lo-Hiになってたかんね。
これは高音質とか現代性とかの定義にも左右され、幾ら単曲単位で聴かれる事が多くなっても整合性の問題が残ってん。

極論すりゃ全然サウンドが違ったら別人の作品と思われたりするからで、そこ迄差を出すとAが好きな人はBを・Bが好きな人は頑なにAを拒絶なんてのが起きる。
結局は高音質化一辺倒に走らず、自身の曲に合うサウンドを選び抜くのが大切なんじゃないかな。

だがそれこそ
が現実には中々難しく、なまじ何でもアリなだけに全数選んで決定するのがねえ。
サウンドを音色と捉えれば新旧融合は有効だが、音質と解釈すると例えば1発録りなのに期せずしてリモートみたいな感じを与えたりするだよ。

Guitarはひなびた三畳間で弾いてる感じがOrganは大教会堂でみたいな、同一アンサンブルなのにまるで時空が歪んだ様な異空間が…。
更に厄介なのはそれをワープ中の宇宙戦艦ヤマトの船内みたいと容認するのも居りゃ、出入り口が崩落した洞窟様で受容れ難いとかさぁ。

=つづく=

2024年8月23日 (金)

音楽備忘録1833 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓬

前回の続き「最も短文に出来る」にはやはりそれなりの知恵も要るんでそれについてだが、簡単な処では歌詞中に登場するアイテムの名称だ。
ポピュラー系でその典型っつうと、流行・地域・時代性等の色濃いやつだ。

タイトルにもなってるのだとBlue Suede Shoes、今でも絶滅した訳じゃ無いが「他なら何でも許せるがそれだけは踏むな」だとさ。
作者は当時は単に流行を取り入れたつもりだったが、過ぎてみれば主に米での’50’s若者文化の象徴のひとつだ。

これは商業面(つまりコマソン
)でも有用だから、大元は商品名そのものズバリを濁したりぼやかすのから始まったのかな。
お次は踊りで’70年代に入ると先ずはGo-go、その後はやたらと誰もがDiscoでFeverとか言ってみたもんだ。

そこから絞り込みたいならフリフリモンキーだのからあのMoonwalk、パラパラだのと振付けに言及する手もある。
その効果を最大にするには時代や流行に敏感じゃないとならないんで、杜撰君みたいに鈍い奴には残念乍ら向いてないけどな。

それから表現にも時代の流行はあって過去に皆無では無いだろうが、「抗う」なんかは俺は20世紀中には歌詞で耳にした記憶が無い。
精細に拾ってったらキリが無いから先へ進めるが、そうまでして文章を凝縮する意味にも重要な使命がある。

音の方でClassicからJazzとどんどん複雑化したのが、’60’sPopsやRockのシンプルさは当初退化とも誤認されてたんだよ。
日本の小説でも芥川龍之介みたいな立派なのが既にあったのに、赤川次郎やラノベ(ライトノベル)の方が一般庶民には身近な存在だったりとかね。

要は特殊スキル持ち以外触れる1度目での理解度に大巾な差を生じるのがミソで、見たり読んだり聴いたりの負担を軽くする上でこれは欠かせない。
この件今劣化本邦では固有と思しき誤認があって、ClassicやJazzの他どんな時代でも分かり易くシンプルで大流行りしたのもあったのよねえ。

只「広義のポピュラー系」だとそれ等も含まれてちゃうんで、聴き方次第じゃ「ジャンルの固有性」が弱いのは確かだ。
それで
大事にしない内に省かれてったか知らんが、行き過ぎると時代や文化の誤認を招くからワシャ好かん。

杜撰君人一倍文系能力に恵まれてないから痛切に感じるんだが、絶対的に必要ではない何かが高度化してるとそれはもう立派な差別なんだよ。
10人中9人に通じたからハイこれ常識ってするの、日本のとっても悪い癖あるよ。

特定層をターゲットにしてるなら幾らヲタ度が高くても一向に構わないけど、そうじゃない場合は少なくとも10人全員に理解されるのを目指すべき。
これは客層の拡大に直結する利点もあるんだから、苦労はしても必ず報われるんだがねえ。

=つづく=

2024年8月19日 (月)

音楽備忘録1829 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓫

現行のJ-POPの歌詞過忖度案件を公平に検証すべく、分不相応だが逆側から考察してみよう。
それは文学的観点から価値・立ち位置等を審議するんだが、筆者が文才に乏しいのは大目にみとくれやす。

文学で最高級っつうと挿絵すら無しで誰もに同じ絵面が浮かぶ様なのとかと思うんだけど、細部迄指定しようとしたらどうしたって文はある程度長くなったりする。
勿論なるべく簡潔な文言で全貌を掴めるの良いが、例えば誰も実見した事が無い物なんかだと少なくとも字数制限は邪魔になる。

この点でポピュラーソングの歌詞如きの分量ではハンデがあり、もしそれに何の助力・加点も無いんだったら本格派小説には1㎜も勝ち目は無い。
最低でも口数多目のを延々続けられる全盛期のさだまさしみたいなFolkにするか、早口で捲し立てるRapにでもしないと厳しそうだ。

処がもし適切なBGM(歌曲の場合は伴奏等)を添えてやると、音の印象でイメージの絞り込みが俄然可能になって来んの。
実際文学でも朗読等では語り部の口調・声質やBGM等で、文作者の例えば大海原で読んで欲しい等の願望に近付ける試みがされたりしてるよね。

それを踏まえて今劣化本邦のJ-POPを眺めると、日本らしさの為に音に和テイストを加えるのは良い。
で従前の邦楽は演歌の段階で進化が一旦止まってたんで、そのまま加えたらテンポの遅さとかが今に合わない。

から今迄に無い速さにする迄は一興だったんだけど、喧しくしたりけたたましくしたらもう和を否定しちまうんだよ。
基本和って「抜きの美学」なんで、音の隙間がゼロになったりするのもムードぶち壊しに繋がる。(一例:庭園のししおどし)

と言うとミスマッチのあるのが今っぽいと反論が押し寄せそうだが、過半数がそうなったらもう俺言い「意図的ミスマッチ効果」は消滅してるんだよね。
ボカロ打込みで作ったら人力ではあり得ない煩さになっちゃったけど、何だか面白かったから出しちゃったも最初に見つけた作者には座布団一枚。

だが所詮↑は1000回に1回しか当たりの出ない超裏技みたいなもんなんで、無理に演ってもせいぜいアルバム単位で1曲だけとかに抑えとんかと意味を為さなくなるですよ。
つまり他人に依存せず最低でも自分達の作品で対極のも用意しとかんと、どっちが表か裏だかよく分からなくなるってな感じ。

わ兎も角歌詞を文学の一形態と考えれば音が付いてるから、皆迄綴らなくてもイメージを特定出来るのが歌詞の特権なんすよ。
他のだと必要な事細かな説明をかなり端折れる(音では精密に演る)んで、短く出来ると同時に余った字数が更なる心情描写等に回せる。

杜撰大王は雄弁だからこそ「口数の多い欠点」には精通してて💦、一度に沢山御託を並べるとそれだけで難解化するのをしばしば相手に叱られてる
んだから…。😞
それからすればシンプルで最も短文にするのが可能な事こそ、ポピュラーソング歌詞の特権なんだ。

=つづく=

2023年12月30日 (土)

音楽備忘録1597 何はともあれ本物に触れる必然性Ⅰ➍

プチ工夫&手間を掛けたネット検索が可能化すると、フィルタの掛かって無い世界の情報が得られる。
っと言っても情報の真偽判断は自分でしなきゃなんないが、ある程度賛否両論を見れば両方の共通事項だけが確定要素として分かるんだ。

杜撰大王20代半ば迄は英語はまあまあ得意だったが、今は発音以外は全く自信が無い。
にも拘らず電子部品・回路等工業系情報をネットで漁ってると、すぐさま英語のページへ飛ばされちまう。

横文字アレルギーの人だとそれだけでも苦しいかも知れないけど、元々単位や数値果ては回路名称等の多くは英語だよね。
そこで唐突にプチ質問、あなたは開閉器って何だか分かりまっか?。

これ今の日本じゃ電力関係者等以外はほぼ不明だと思うんだが、英語にしたら知らない奴は日本人だっておまへん。
正解は「スイッチ」で、英語苦手・日本語得意な人だってこう云うのは英語の方が断然簡単なんだ。

唯原語とは発音が少し改変されてるから、普段英語と意識してないだけなんだよ。
言葉の音を知ってたら今はググる際に英語の候補も出たりするんで、初期段階ではアルファベットのスペルすら覚えなくてもコピペで行けちゃうさね。

これを外国有名人の話しを書くのにスペル確認に魔用してて、超有名だと英語で間違ったスペルを途中まで打っても正解が出て来るよ。
それに関し今劣化本邦で気になるのが、英語の得意な人と苦手な人の歴然としたアプローチ差だ。

俺の大正生まれの親父は発音が典型的な旧日本人(つまり超ダサダサ)だったが、そんなままで図々しくも米を一人旅しちまった。
それを恥ずかしいと思いつつも今振り返ってそこから感じられたのは、情報に対する素直な貪欲さだ。

微かにでもとっかかりがあれば、惜しげもなくそれを基に調査する。
昔の人は平均英語力が遥かに低かっただろうに、平気で海外進出する人が居た理由でんがな。

今はなまじちゃんと学べばほぼネイティブ並に至れるんで、その気力が無い人は端っから横文字ってだけで避けてやしないかな。
リアルで外国人と会話するのは無理でもネット上で人知れず探す分には、通常「恥をかく相手が居ない」からね。

杜撰大王世代前後の坊ちゃん嬢ちゃんの幼少時は、応接間に並んでた百科事典が影の情報源だったなぁ。
今はネットが差し詰めその置き換わりで、対象年齢に不一致なのとか専門外の本は大抵家に無いしね。

それと求める物がレアだったりすると、出て来ないよりゃマシだが圧倒的に海外のが多い。
しかもルーツが海外のだったら一定以上古い情報は海外にしか元から無い訳で、変に日本語に拘るのは無駄でしかないよ。

J-POPには長年培った独自の要素も少なくはないが、基本形がBandスタイルである限りは洋楽の亜流でしかない。
本当に日本のオリジナルと言うなら、第一歩はBassレスじゃないとあきまへん。

その証拠に舶来を真似る迄は、Bass音域で音程をハッキリ出せる楽器はこっちに無かったじゃん。
今迄日本はそこそこの人口があったから国内専門でもやって来れたが、少子化が続く限りどんどん人口は減ってくから何時迄安穏としてられるやら。

-続々々々-

2023年2月28日 (火)

音楽備忘録1292 伴奏の重要性⑫

前回を承けて今日は番外編として、洋楽を聴かなくなった件に触れとこう。
勿論主題を忘れた訳じゃないんで、その中でも伴奏と関係の深い部分を中心にね。

さてこれは「起源は海外」なのだから、現地の人と我々では解釈が異なる可能性を考えなくてはならない。
っと言ってもそんなに難しい深い部分では無く、例えばRockだったらその直前のをどれだけ知ってるかとかよ。

否応なしに熟知してる向うの人は土台になるのから何を加え何を省いたとかすぐに気付くが、我々の多くは単に「そういう物」として捉えてしまう。
ので例えばその実態が「スイングしないJazz」であったとしても、それに気付き結び付きを認知するのにこっちは酷く時間が掛かったりする。

後発で輸入から始めたのだからある程度は仕方無いが、もし何時までも分からないままで居る様なら未来永劫追付けはしなくなる。
取敢えず仮定「スイングしないJazz」に沿って進めてくと、日本で一般的なClassic由来のネタはそのままじゃ上手く乗せられなさそうなのは分かるだろう。

だってCountryやBluesの源は、宮廷音楽なんかじゃなくもっと庶民派の民謡とかから来てっからねえ。
そりゃ凄く上手い事やりゃ全く乗らなかねえが、気楽に安易に持込んで無事なのは必然的に後者の方やろ。

ではRockを知りたきゃCountryやBluesから知らなきゃ駄目なのかってば、その方が良いけどさ。
少々狡賢く行かないと遅れは取り戻せないんで、部分的だが伝統がそのまま継承されてるのなんかを聴くと効率が良いのよ。

日本でもたまに演歌じゃなくても、歌の特定箇所にコブシが入ってるとかあったじゃん。
実はそれって意図的に取り入れるのより、自然とついウッカリそうなっちゃった方が大抵は先なのを知っとるけ?。

どんなジャンルでも出来立てホヤホヤの頃は、バンドメンバー全員が本職の人を集めるのは困難だ。
だからRockのつもりで1人演歌出身のが混入したりも良くあった事で、その1人が失敗した時に演歌要素が滲み出たりするっすよ。

なるべく早く馴染もうとはするんだけど、人間そう簡単に長年培ったのからは離れられないからね。
そんなのがあちらでも特に黎明期のには、寧ろ露骨に「まんまやんけ」がぎょうさん転がっとったん。

「Rockに必要なJazz・Country・Blues」のエッセンスを頂くには、バラバラに古いのをあたるよりその方が断然手っ取り早いんだ。
先にそれを知ってから各自が掘りたい処だけ掘れば良くて、けどそれをするのにはどんなに古くても日本のだけじゃ駄目なんだ。

例えば黒人教会でだけ演ってる音楽とかを、日本人の殆どは全然知らないやん。
白人が1人でも居たら不味いからと神経使われると地下化するんで、「黒人じゃない人」には縁遠くなり易い。

日本でだって外人が来たら最近は勇者以外、あっちの方がきっと馴染み易からとなかなか伝統の土着のなんか演らないじゃん。
ってか瀕死の民謡を地元民でも知らない方が多くなって、若い誰でもがとなるとせいぜい変なアレンジを加えたソーラン節程度が関の山だ。

っとつまり今の我々は自国のだって過去のには疎い訳で、その上向うのも聴かないとなるとガラパゴスここに極まれりなんだよ。
処で最近若者には和テイストが流行りみたいだけど、じーちゃんばーちゃん達なら誰でも知ってる民謡位全部抑えてからにしたらどうなんだいってな。(少しは居るだろうけど…by老害)

<つづく>

2021年9月17日 (金)

音楽備忘録764 ジャンク部品の話しⅧ

ジャンクの最大の利点は¥0なのと入手難のが得られる場合もあるのは概述だが、丁度その実例に遭遇したからそれから行っとこう。
尤もブツに依っちゃリサイクルとの兼合いも出て来っから、併せてそれも。

リサイクル若しくはゴミ問題に関しては地域差も結構あるが、電気製品は家電リサイクル法以降他のよりゃパターンが限定されている。
それだって部分的に拝借するのには昔より随分不便になって、真の意味でのリサイクルには寧ろ逆行しちゃってんだけどね。

世間知らず過ぎる上級国民(親方日の丸系)が考え足らずで作ったんだろうが、処分費が最安になるのは壊れて無いとかそんなに古くなって無い内のってどうなのよ。
そんなの立法以前からリサイクルショップが喜んで引取ってくれる訳で、単にゴミ処理代を値上げしただけじゃんか。

それだって消費税の新設や増加が無しでだったら分かるけど、無茶な注文付けて来られりゃ余計に不法投棄したくなる人が増えるだけだっての。
わ兎も角そんなのでもメルカリとかTSUYAYAとかに出さないならそこそこ取られて、上手に探せば非稼働状態のでも大して料金に差はないみたいだ。

只受け身で居ると無料引取りと謳いつつ何らかの経費をボラれるのが殆どで、なるべくなら自ら持込める方が良い様だが。
でそれが分かったんで先日壊れたウィンド型クーラーから生存部の取出しに掛かってるが、最近は知恵が付いた!?から「セットで取出す」様になっている。

市販されて無い若しくは入手難の物ってそれに関連するのも近似のが多いんで、今回のだとラインフローファンのブレード(羽根)・モータ・駆動回路辺りがこれに該当する。
かつては場所を取られるのを嫌っていきなりバラせるだけバラしてたんだが、それで後で資料が見つからなかって上手く動かせなくなったりしてたっけ。

電子制御が当り前になる以前ならコンデンサの付いてるモータなら、その部分だけ元がどうなってたか分かる様にしときゃ良かったんだけどね。
その代り最も転用が上手く行った過去例だと回路基板は弄らずに、不要部のコネクタを外しただけで使えたのもあった。

それより今昔に関わらず当初から施しといた方が良いのは清掃で、経年で汚れが落ちなくなったり保存場所の汚損を防ぐのにも必要だ。
まあそもそも昔より電圧が低くなり電流も少なくなれば接触不良に弱くなってっから、汚れだけで壊れたかの様になってるケースも少なくないんだけどさ。

時には綺麗にしてみたらこんな処が壊れてたかなんてなる事もあり、苦労して綺麗にして駄目なのは敵わんがずっと気付かずとっとくよりはマシだわね。
お金が余ってんなら「掃除をしない自由」へ対価を払うのもアリだけど、「駄目になった証拠」を確かめるにもある程度以上は綺麗にしないと分からないんだ。

因みに今回のご臨終クーラーのだと、コンプレッサ周囲の防音・断熱材に正体不明の油汚れが付いてたよ。
これは緩衝ゴム修理時には付着して無かって、面倒だから発生源の特定迄はして無いけど「その辺に変容」があったのは間違い御座居ません。

実際には動作不良の他これを確認してから正規の分解!?と清掃に着手してて、ファンブレードは取外した上で石鹸に依る水洗いでゲした。
かつてはそれ用っぽい洗剤なんかも色々使ってみてたけど、汚れの正体が余程ハッキリしてないと何かが残り易かっただす。

何れにしても「濡らしても平気」とかそんな状態に出来る物だったら水若しくはお湯と石鹸、後は根気で洗うのが一番成果が得られてるでし。
加齢と共に年々こんなのは億劫で仕方無くなってっけど、それだってプラスチックのが殆どだから可能な芸当ね。

<つづく>