音楽備忘録2355 FM放送よもやま話➋
さて放送文化的側面から我が国FMステレオ放送の立場を見ると、ラジオDJ自体はもうAMオンリー時代に既に一応は確立していた。
が音楽番組の枠数の増加は、それ迄あまり人前に呼ばれなかった人達への出演機会増加に確実に貢献したん。
そんな中当時から賛否両論はあったものの、趣味誌関係者の声見せがエポックだった気がする。
又そんな以前より踏み込んだ論調の者が出て来れば、少なくともメディアでは専業DJの人達だって黙っちゃいない。
更に激変したのがアーティスト自身の出演で、今では全く珍しく無くなったがそれ迄は殆どTV・雑誌等のインタビューに応じるだけだったん。
尤も中にはそれが行き過ぎてX(旧Twitter)等での暴言に繋がったりゃしてっけど、どんな思いでパフォーマンスをしたか等以前はロクに知り様が無かったんだ。
杜撰大王は偶然世代的にFMステレオ実用放送開始期を経験して、洋楽の中でも死語称「外タレ」の情報量と親近感が一気に変貌した覚えがある。
これでも将来のグローバル化進展も意識してか幼稚園時代途中から英会話教室を少しはかじってみたが、主に実になったのは発音だけ。
のわ欧米との文化ギャップが今より当時は大きく、日本語すらあやふやだった杜撰君には今一言葉とのリンクが難しかったからだ。
又Ⅱで当時の写真は全てフィルム依存だったからか、現像や焼付けの味付けが海外と国内ではかなり異なっていた。
そのせいで同じ温帯地域であっても画像からの世界観がかなり異質にしか見えなくて、勝手に余計に考え込んじまってたかも。
そんな場面で強力な味方となるのがバイリンガルや通訳氏だが、そもそもRockに暗いと訳し方がヘンテコになってサッパリだったんだ。(名アナウンサーだが失礼乍ら故逸見政孝辺りがそんなのの最後と感じてる)
例えばBeatles来日当時時点で星加ルミ子と湯川れい子のはマシだったが、他の少ない理解者だった加山雄三や内田裕也の見識はずっと後になる迄封殺されちまってた。
要するに細かいニュアンス等パーソナリティの重要部が殆ど伝わって来なくて、令和感覚では信頼度の低い訳で恰も宇宙人はかく語りきみたいな状態が続いてたんよ。
のがFM放送開始で番組枠が増え、その中でも当時FMステレオ方式の利点を活かして特に洋楽枠が結構突然急増。
のに対し新人材の補充は従前の慣例を破りもっと広範な分野からとなり、新しい切り口・視点からの語りが登場した。
そんな潮流もあっての充実は、後に小林克也と云うモンスターを生む。
世間の一般認識ではTV番組で浸透したが、バイリンガル司会者が直にアーティストから逸話を訊き出すスタイルが定着するのに繋がった。
因みにTV出演以前の印象が今一薄いのは、先達名DJ諸氏の存在が大きかったからだと思っている。
本放送開始の1970前後以前から活躍してた糸井吾郎氏を始め、FMでは新参者でも他分野で既に知名度を持った連中も参画してたかんね。
加えて初期は音楽ファン中心に対してだったから、庶民に知れ渡るのにかなり時間を要したんじゃないかな。
浸透に時間が掛かると言や杜撰君ルパン三世は初回から大喝采だったが、世間的にはロクに広まらず普通に打ち切り扱いされてましたな。
ネットが無くYoutubeも無くまだ家庭用VTRも普及前となると、もしかして面白かったかと思っても即座の再確認が出来ない。
のが音だけならラジカセの普及でエアチェック(放送を録音)は割と簡単に出来たから、その面ではもっと早期にDJ氏も認知されて可笑しく無かった。
が杜撰君等一部の貧はテープの使用量を少しでも節約しようとして、アナウンス部分はリアルで聴いては居たが意図的にその間はテープを止めたりなんかしていた。
ので後になって誰さんだったっけと思っても、短い番組だと新聞の番組欄に一々出演者名が出て無かったりしたのよ。
放送局へ直電すれば教えては貰えるが、電話代と手間を掛けて迄知りたいとは思えなかったんだよね。
これを今再考してみると手間レス有償か手間だけ無償だったらやる気も湧いたのかなと思え、毎回ダブルパンチを喰らうのは勘弁と思ってたんだ。(我儘と言われれば反論の余地は微塵も無しだが)
=続く=


最近のコメント