文化・芸術

2023年10月 1日 (日)

音楽備忘録1507 Rockは反体制について②

続いてRockは反体制の証拠パートⅡとして、俺との関わりを僭越乍ら語らせて貰おう。
杜撰大王のケースとしては、あまりそう言いたくはないが多分肉体的コンプレックスが端緒だわ。

幼少時ウルトラマンや仮面ライダーを見て皆と同じ様に憧れはするが、脆弱で小さい体では夢を見るだけだって平均的な人より遥かに厳しいんだ。
なので半ば必然的にデカいヒーローよりゃ、小柄なのが現れるとそっちへつい肩入れしたくなってたな。

それだけじゃなかったがマンよりセブン、1号より2号に親近感が湧いた背景には間違い無く小型って要素も入ってたよ。
加えて3等重役の坊ちゃんって境遇が何とも中途半端で、他人への振舞は坊ちゃん然が要求されるのに自身の境遇は庶民と何ら変わらんって矛盾が堪らなかったんだ。

確かにもっと貧しい人よりゃかなり恵まれてるのは分かるが、共感って部分では類似者が僅少だから心理的孤独はかなりのもんだったで。
それがRock自体が社会的最下層とは言い難いが、却って半端なせいで全く着目されない層ってのに合致しちゃってたんでせう。

今劣化本邦でそれに近い多数派としては、必然性のある承認欲求の強い人なんかが相当するのかな。
単なる目立ちたがり屋では無く、その場所でしか目立てる可能性が無くてやたら躍起になってるとかさ。

所謂右翼・左翼みたいな典型的一部分反社な人には、軍歌とかFolkなんかが以前からあった。
貴族には宮廷Classicが、庶民には歌謡や民謡がやはりあった。

だがそんなカテゴライズからは漏れる層も実社会には当然居て、要するに一種の隙間産業からスタートしてんねん。
それ故反体制と言っても一般典型論なのとは一寸毛色が違って、大儀の為には生活苦も辞さないなんてのは全然入ってねえんだ。

寧ろ並の生活を阻害する全てには超攻撃的で、従前の主義・思想の何処にも含まれて無かった視点に初めて焦点を当てたんだ。
一例としてElvis Presleyで有名なCarl PerkinsのBlue Suede Shoes、精一杯見栄張って買ったまだ新品の靴に傷付けるのだけは勘弁してって。

恐らく当時のチャラ男にとっちゃお洒落の象徴的存在だから、物より精神的ダメージが半端なかったんだろう。
こんなのくすぐるのはもう止めてなんてのと大差無い些細な事だが、実際腹筋が限界に達してたら誰だって堪えられないじゃん。

そんな風にイデオロギーとかとは掛け離れた箇所での反体制が中心なのと、まぐれだったのが当たっちゃって巨大産業化したから非認定されたりしてんだろうな。
何れにせよ何らかの不平不服や不満が原動力になってたのは確かで、本気で思ってる連中が叫んだり掻き鳴らしてたから大して上手くも無くても説得力が生じてたんすよ。

この気持ちを比較的ダイレクトに音に託す部分は、祖先のBluesから継承している。
一方でチャラい部分はCountryから継承してて、その軽薄さのせいで反体制色が後年は分かり辛くなってるんでせう。

+つづく+

2023年9月30日 (土)

音楽備忘録1506 デジタル音楽録音でのレイテンシ謎➒

さて「レイテンシの固定化」なんて誰も言いそうにない語句が出たが、呼称はどうでも良いが最低でも明確な法則性位持たせられなきゃ人力では対応し切れんのどす。
もし僅かなタイムラグが常に許容されるなら、瞬時反応で賄えなくないかも知れんがね。

どのパートが牽引役になるかは多少流動があろうが、誰かどれかが先んじられないと例えばテンポがどんどん遅くなってったりするですねん。
過去に一寸下らない挑戦だけど、誰が一番重いか選手権みたいなのをBand単位で試した事があってさ。

全員が先頭に出るのを嫌がったら、ホントに際限なく遅くなってったんだ。
そこから重いの真意は、先頭に出ても軽さを感じさせない事だってのを思い知ったんだよ。

ってのから逆算すると、やはり全部が遅れてては正常なノリやリズムを構築するには無理がある状態なんよ。
それも出来ればどの箇所で切り取っても、「誰か遅れて無い奴が居る」状態じゃないと流れがおかしくなると。

でその上で現状を客観視すればもしかしたら、ズレがバレ難くなるからやたらハイテンポになってってる恐れがあるんすわ。
以前述の如く限界迄テンポを高速化すると、終いにはノリがどうのはおろか追従させるだけで精一杯にっつうのがあったべ。

それを魔用すりゃノリ表現が出来ない瑕疵を、バーチャル正当化するってぇか一応誤魔化せるじゃん。
そう云う悪作用の可能性がある限りは、やっぱレイテンシをほっといて容認するのは非常に危険なのだよ。

特に原子力発電所みたいなのと違って(今劣化本邦のは全然制御し切れて無いが💦)、自由な芸術の世界じゃ比較にならないリスクにすらなり得るよ。
そこでせめて「付合える相手」とするのが第一歩で、1つの理想として1拍ズレなんてのが考えられる。

現実には曲テンポが異なる時点でもう無理だが、蛙の歌が…等輪唱みたいなのだと思えば何時迄経っても全く合せらんない奴なんて先ず居ないからね。
その観点に立つと下手に闇雲に短縮するより常に明解な方が助かる訳で、変動の無い方が大切な気がするんだよ。

例えば目盛やガイドが無いとかので合わせるのに、掛け声が付く事ぁあるが餅つきなんてのが昔からある。
それをこの国じゃ阿吽の呼吸なんて、妙に文学的に過ぎる表現ばかりしてるけどさ。

突き手が無理無く動作を繰り返せてるのは、一定のリズムに「乗って」やってるからってのもある訳じゃん。
それを証明するのにわざとノリの無いor悪いコンビにやらせて、いてててなんて一寸サディスティックな光景を見てみたい魔心もあったりして。😵

わ兎も角ランダムに不安定ではタイミングが何処でどうなるかは全く神頼みに等しくなりそうだから、それじゃあノリなんて追及するだけ無駄んなっちまうやんけ。
これを容認するなら一種の立派な差別で、ノリが売りの人だけが損するシステムかもよ。

<つづく>

2023年9月29日 (金)

音楽備忘録1505 跳ねるの薦め➑

今回は適性について考察してくが、やはり各ノリに対しての体質的一致・不一致の影響はかなり大きい。
のでそのノリの典型を標榜するなら、適性は決して無視出来ない。

運悪く体質と好みが合わなかったら諦めるのが近道だが、限度はあれど全く体質改善が不能って訳じゃないんざます。
例えばReggaeしか無い国で海外へ行けない事情があってそれでも音楽したいとしたら、非効率でもそんな方法を追及してくしかない。

そんな境遇に追い詰められたら凄く大変だとは思うけど、持病の都合で体質改善が必要になるケースとかあるからね。
既にここ迄で「非効率」「凄く大変」等ネガティブワードが連発してる様に、どんなに頑張ったってkingやAceには到底及べない。

だがそんな人達と問題無く合奏出来る程度になら、必ず誰でも何れは到達出来るのが疾患関係のより遥かに救いがある処なのだ。
跳ねを動的に可視化して最も身近なのは足でやるスキップ等で、これが苦手な人もそこそこ居るが慌てない慌てない。

杜撰大王ですから成果の程は知れぬが、きっと1回に限定したら全く出来る様にならない奴は居ないよ。
それをキッカケにして物凄くゆっくりとなら恐らく続けられる様になり、ってとてもそれだけじゃ跳ねてる実感は得られないだろうけど。

んがDrumでは定番練習法の「加減速」を使って行くと、少しは打開出来るんじゃないかな。
俺の場合太鼓では連続フィンガーリバウンドストロークが超昔から大の苦手で、両手シングルの連続が未だ覚束ない。

とは言えこないだたったの1回だけだったけど、もしかしてこの感触かってのがあって今はそれの再現に苦心してる。
先行き不透明も「指主導」の感覚らしきものは、以前よりはそれで体感出来たんだ。

Drum以外でも楽器の演奏って結局は体操等と近似の肉体労働なんで、なるべく体で感覚を掴めた方が早期に実用化に繋がるみたいだ。
ので跳ねに関しても一寸アホらしいかも知んないが、ホントにウキウキ浮れて奏でてみるのが杜撰大王的には第1推奨なんだ。

そもそも音楽って感性芸術なんでわざわざこんな事書く方が変なんだが、インスタント上達を狙い過ぎて表面的な技術だけ会得するのが悪流行りしてるんだよねえ。(マニュアル過依存の一種か)
私的にそれで最も犠牲となってるのがノリや音色で、フレーズのみ模倣してもノリや音色が足りないと殆ど無効化しちまってんだ。

音楽はノリや音色が一定水準を越すと興味を抱かれ、その先も聴こうとして貰えるって「構造」は変わってないし未来永劫変えられそうにないのにな。
結局そこに手を付けずに仮上達って、商業目的のみのコンテストや音楽教室に皆騙されてるだけなんじゃね?。

敢えてそこ迄言わず性善説を盲信しても、効率が悪くなるのだけは確かだ。
人次第じゃノリや音色の獲得の方が大変だったりもするだろうが、基本的なノリや音色はフレーズより格段に応用範囲っつうかほぼ何時も使うもんだからねえ。

=つづく=

2023年9月28日 (木)

音楽備忘録1504 低知名度アーティスト⑭

再び米に戻って今回は随時出のThe Isley Brothersへ行くが、日本ではDJやR&B関係以外の人には初期のTwist & Shout(純粋コーラスグループ時代)のイメージだろうか。
それ自体は間違っちゃいないんだが前出Neil Sedakaと同様、実際の全盛期は自前Rock Bandスタイルになってからだったんすよ。

初期ヒットのShoutとTwist & Shout、曲としては名作だしその頃だって中々良かったけどね。
しかし何分かなり若かったから独自性の追及がまだ本格化しておらず、所詮はドゥーワップを下敷きにしたコーラスグループの域を出てなかった。

のが変化し出したのは下の兄弟と従兄の参加で、彼等が楽器やサウンドにも強い興味を持ってたのが飛躍のキッカケになったんだ。
因みにJackson 5だって自前演奏のも増えてったし、こっちでも後年フィンガー5なんかが続いては居たけどさ。

雇用側もあらかたのファンもコーラスグループの位置付けのままだったし、本人達の編曲面等では目立った成果は出てなかった。
とある意味区別するからには明確な違いがIsleysにはあり、金管類不使用のグルーヴミュージックってのが独自新規開拓だったのよ。

しかも全盛初期にはBassのMarvinはスラップも抜きで、当時形から入る人だとさぞかし面食らった事でしょうな。
Funkって味的にはJazzと近くなさそうだけど、実際にはPop Jazzと呼んでも構わない位近かったんだ。

それが証拠ってんでもねえし親びんの趣味もあったろうが、あのBuddy Richなんかが随分積極的に取り入れてた位にさ。
それを最も体現してたのがTower of Power等で、要するに殆ど編成の規模が違うだけだから演り易いし似ても来るわな。

普通はそうなる処Isleysは従前は居た主役級の管を廃すわ、他のそっち系で使われてた奏法も殆ど不使用でご機嫌なグルーヴを実現しちゃったんだよ。
それに加え全盛中期からのChris Jasperに依るシンセ多用が当時としては異例で、多分今色んなジャンルでの使われ方の多くの源泉になってるよ。

そしてそれは歌物ポピュラー系での電子音楽のその後の発展の源でもあり、この点については本当に評価っつうか知ってる奴が少なくなって嘆かわしいわい。
オッサンがこれを敢えて力説するのは、1例を上げれば所謂シンセストリングスの音色をほぼ使って無い処等だ。

’74に当時超有名だったSolina String Ensembleが出る迄、電子鍵盤には今みたいなポリフォニックのはまだ殆ど無かったんだ。
それへBandじゃ鍵盤奏者は独りな方が圧倒的に多いんで、猫も杓子もSolinaに飛び付いたんすよ。

結果ソロやメロ時のモノシンセ(2,3音に増えるのはあったが)以外、入れるなら先ずはストリングスって状況を来してたんだ。
結果Ⅱでそんなに誰もが一斉にやったもんだからブームが去るのも比較的早く、サンプリングシンセが出る迄シンセを使用停止にする連中も少なくなかったん。

今ではノスタルジー以外でも少しは復活してるけど、白玉用だからストリングス系の音色って呪縛に嵌ると使える曲が限られて来る。
本当はそんな縛りは無用だったんだけど、俺もIsleysをちゃんと聴くのがだいぶ後年になったせいで色々と…。

-つづく-

2023年9月27日 (水)

音楽備忘録1503 Rockは反体制について①

暫く前に従兄のX(旧Twitter)で紹介されていた、現在は高校の音楽の教科書にロックヒストリーの樹形図が載ってるのを知った。
残念乍ら一部分類に誤りは見られたが、杜撰大王世代からしたら正に隔世の感であった。

だが市民権を認められて喜んでばかり居られなかったのは、文化的背景の説明がとっても薄弱だったからなんだ。
昔から少なくとも第2次大戦後の日本は何かとスペック偏重な処があったが、登場の必然性とか最も重要な部分に触れて無いんじゃ何も意味ねえんだよ。

物事へ内容から入るのと形から入るのの2種類あって、単純にどっちかを否定したり優劣を付けるもんじゃないけどさ。
只形から入るのがデフォな地域や民族性なら、その弱点特に教育の場では最大限の注意を払っとくべきなんじゃないかな。

もし学びの深度が浅い処で止まったら、登場必然性等は全くちんぷんかんぷんのままで終っちゃうもの。
そしたら例えばKISSの恐カッコ良いのとか、今だとゲームやアメリカンコミックスだけからの引用と誤信しそうだ。

等と偉そうに語りつつ俺自身当初は何も知らず分かってなかったが、でも唯者では無いその容姿・音等の雰囲気から何となく察してはいたんだよ。
勿論芸能界の代物には暗そうでホントは能天気に明るいとか、そう云うのはあるだろうけどね。

けど迫真の演技が真の説得力を得るには、何かしらの原体験みたいなのが必ずあった筈なんだ。
殆どはハッピーな人生でも、一度位もう死ぬかと本当に窮した事があったとかさ。

で実際には差別で虐げられてた黒人とか、白人でも貧困層や理不尽に晒され続けてたとかそんな連中から始まってたんだ。
黒人(主に米)は被差別や理不尽に対しBluesやSoulとしてその叫びを上げてたが、白人で社会から落ちこぼれた奴等にはそれに相当するのがまだ無かったんだ。

全く酷い目に遭わされてた黒人からすりゃそんなの序の口だったかも知れんが、共感者が殆ど居ない点では白人被差別者の方が救いが無かったかも知れない。
そんな中黒人差別を否定する白人被差別者と黒人との間で理解と共感が進み、Rockが一大潮流となったってのが深層だろう。

そんなだから少なくとも白人被差別者は反体制派だったのは、必然且つ大袈裟に言や踏み絵同然だったんだよ。
つまり手っ取り早く言や当時の白人は反体制派じゃなかったら、Rockなんて演るはおろか聴きたいとも思わなかったに違いないんだ。

これは当時夢はあったが全貧民だった日本でも似た様なもんで、外からは計り知れずとも何等かのハンデを抱えてる者を中心に飛び付いたのさ。
社会からの落ちこぼれ等≒反体制者とならざるを得ないから、平和な一般庶民今で言うリア充な奴等なんて当分の間は相手にもしなかったんだ。

それが証拠にRockだって登場時は得体の知れない新興ものだったにしても、現に日本の教科書で取り上げられる迄に約70年も掛ってるやんけ。
それもそうなった理由には一切触れず誤りを内包したスペックの羅列だけでさ、不都合な真実が皆無だったらこんな記述にはならんって

+つづく+

2023年9月26日 (火)

音楽備忘録1502 デジタル音楽録音でのレイテンシ謎➑

今回案件での調査中に「ゼロレイテンシー」なる詐称が目に余ったんで、それから糾弾致しませう。
まあ商売の都合からしたら既存のよりゃ、「まるで○○みたい」の大袈裟比喩をしただけのつもりなんだろうけどな。

しかし全くゼロじゃない物にそんな命名を許すのは、倫理が崩壊してるも同然ですわい。
それ以上に罪なのが意識下に無かろうと、どうしても存在してしまう存在を非専門家に過去物の印象を植え付けちまう処だ。(おんどれは新興宗教信者なのか)

一見クレーマーとか老害っぽいが、確かに世の中には問題にならなかったりするケースだってある。
だが実在するのを無きに等しいとしてしまうと、こないだ迄の従兄みたいに自分だけが悪いのかと深刻になる奴だって生んじまうんだ。

加えて根本的解決を試みようとする者を阻むのにも繋がったりするから、やはりこう云う一種の迷惑呼称はよろしくないざますよ。
と言っても時流がそっちってんなら、では奏者としてはどうどの程度対処出来るかだわな。

レイテンシって実演上は主にタイミングのズレとして表れる訳だが、その方面に関しちゃClassic系のオケの人が概スキル持ちだろう。
その次がMIDI接続や電子鍵盤を頻用してる人で、従兄に依れば昔常用してたKORG Poly61はかなり反応が遅かったそうだ。(鍵盤を押してから音が鳴る迄が)

但し前者と後者ではその内容が真逆に近く、次の様な事態には殆どその体感が貢献してくれない。
叩いた時ゃ突っ込み気味位だったのが、録って聴いたらモタリスレスレなんてのにはね。

俺は非Classic系ってか下手すりゃ仇みたいな存在だから内実は殆ど知らんが、舞台も客席もそれなり以上の広さになる状況では俺言い「観客ジャストタイミング」を狙う事もあるんじゃないのかな。
その際音のデカい打楽器類は、
 ①遠くても聴こえるから舞台の奥や隅に追いやられ
 ②指揮者からも既に他パートより距離が生じてるからその分モタるなと急き立てられ…
なんてな感じになってるんじゃなかろうか?。

で本人は突っ込み気味かもと思ったのをお客に問えば、凄い重かったよ…えっもっと先乗りさせなきゃ駄目なのかよみたいな葛藤が。
この真犯人は距離に依る到達遅延なんだが、こんなに早く出してて駄目ですかとなるのは録音レイテンシと近似だ。

この点ではClassic系出身者に多分有利になるが、ポピュラー系では大抵指揮者不在なのと俺変言い「レイテンシ指揮者」なんてのはもっと居ないだろうからね。
因みにこの俺変言いっつうのは、レイテンシ分を見越して指揮棒振れる超人の事よ。

過去にかの有名なヘルベルト・フォン・カラヤンが「デジタル録音仕様の指揮」ってやってたみたいだけど、実在する人としてはそんなのが近かったかも知れないねえ。
しかしポピュラー系多重録音の実現場では、それ処かBandメンバー全員の同席すら難しかったりするからねえ。

それと何より重要なのが「レイテンシの一定」で、この条件が成立せん事にゃどんな超人を呼んで来たって安パイにはならんですきに。
のでもし人側でクリアしてやろうってな勇者様でも、レイテンシの固定化を模索するだけは必要だ。

<つづく>

2023年9月25日 (月)

音楽備忘録1501 跳ねるの薦め➐

前回迄に個別に跳ねても平気の根拠を綴ったが、俺言い「跳ね恐怖症」(あるのか居るのか分からんが💧)の最大原因にリアルドラムのリズムは数学的リニアじゃ無かったが恐らく鍵になるんじゃないかな。
それと不適切タイミングになりゃ確かにアウトだが、注意すべきが跳ねて無くても合って無きゃ駄目って処なのだ。

機械はリニアだからの過信は過去に俺もやらかし掛かったが、それ以上に聴感上のリニアと理論的リニアの差を知らないのが恐らく敗因なのだ。
これが分り辛いのは真っ直ぐに聴こえてるのが実際は真っ直ぐじゃないなんて、譜面にも何処にも書いて無いからねえ。

しかもその箇所・状況次第ではほぼ直線な場合もあるんで、尚更事をややこしくしてるんだろう。
又ノリ不問にすれば譜面通りリニアに打込んどいて、特に問題にならない事すらある。

因みに杜撰大王はその様なスピリットレスな代物へはファッション○○(○はジャンル名等)の称号をくれてやってるが、聴いて楽しめるならそんな存在も必ずしも罪では無いでしょうな。
だが容姿・演奏内容スタイルetc共々元は何かの必然性からそうなって、受け手も概知か途中からでもそれを知って本来の説得力が有効化してるんすよ。

八方塞がりでヤケになってだからこの曲はPunkにしてやると絶叫したのと、リア充が表面だけ模倣したのには永遠の隔たりがあるんだ。
例えば歌詞一語の語尾等にそれは露呈したりするもんで、幾ら研究だけして似せても元の「そうしといた理由」が把握し切れんから何処かに及ばない箇所が残るんだ。

これはリズムの特に
ノリ等には更に露骨に現れ、時にそこが表現の根幹だったりするのだよ。
スペック的はどっちも4拍子だからハイ一緒ってんなら、JazzのSwingとRock・Popsの4拍子は全く違いの無い事になる。

のが本格的に演られたのだったら、とても同じ拍子だとは思えない程全然別個のになってるやん?。
要するに無礼な物言いをすりゃ感性レスか理解力に乏しい人が、仕方無くサルでも分かるスペック部分に頼って誤判断してるだけなんだわさ。

つまり実は拍子なんて何でも良くて、思ってたよりノリが物凄く重要だったってな。
だからって凄く不幸な境遇とかになりゃ良いってもんでもなく、スケール矮小化は避けられないが皆からリア充認定されてる人にだってそれなりの苦悩や困窮が大抵は何か1つ位ある筈でしょ。

それを元手にして叫べば、共感を体現するのにも繋がるんだよね。
この手の適性は典型例になるには全て揃ってる必要があるが、各自の持ちネタで適合部分を取り出し拡大してやりゃ全く出来ないって事はないんすよ。

だからリズム面で本来はスピリット主導で生まれたノリをそれにあまり依存せず寄せられるとしたら、跳ねる等タイミングを模倣する方法しかないんだ。
ノリっつうのは大抵元は天然発祥だが、それ故歴の浅い内は解析等進んじゃいない。

のがⅡでその筋の専門家は今なら解析が終了してるから、何時何処でどんな心境でも一定以上に再現が可能になってるのさ。
これを大いに活用しない限り、始祖には絶対並べもしないのが最初から明白なんざます。

=つづく=

2023年9月24日 (日)

音楽備忘録1500 低知名度アーティスト⑬

だばSweetの2回戦だが、表向き彼等のラインナップはThe Who等と同じLead Vocal+Guitarの3ピースだった。
がGuitarが鍵盤と兼任なのと、必要に応じてVocalがGuitarや鍵盤も奏でていた。

のはThe Who等
だって同じだがその頻度に大きな差があったし、Introや間奏部だけGuitarをぶら下げたままシンセをなんてのがかなりあったんよ。
鍵盤の腕前自体は恐らくVan Halenの方が一寸上っぽいけど、色んな曲の色んな場所で自在に入れてたのが他とは一味違うん。

Rock Band Drummerで唯一と言っても良いのがチューブベル(昔ののど自慢とかでお馴染みのアレ)の使用で、生Liveでも鳴らしてたからねえ。
BassistはBandでは違う楽器は殆どやってないが、女形と云う色物担当だったんだからこりゃ凄い。

尤もやり過ぎとも取れなくないから、そんな箇所で大減点になってたかも知れんがね。💦
けれど出自はアイドルコーラスグループにして、今のMetal系の原型を演ったりしてた程だから本当に多彩だったんだ。(そう云や日本にも昔レイジーなんてのがあったっけ…尤も時系列的にはそこそこ後年)

普通Metal系ったら所謂Hard系のグループが始祖と思うだろうが、その頃のHard系のはもっとJazz寄りな処があって整然とはしてなかった。
加えて彼等だってClassicからの引用は皆無じゃ無かったが、BluesやClassic以外からのインスピレーション(多分映画音楽)が当時で既に入ってたのは彼等以外に思い当らない。

典型的なテクの点ではPurple等に一歩譲ってたが、Popな聴き味とは裏腹に音楽的には他より高度な事をやってたんすよ。
ポピュラー系で許される為には曲に必須な要素以外複雑化は避けるべきで、この点でPurpleやZEPは一寸アウトだ。(歌は兎も角、伴奏が1番聴いたら2番から即鼻歌でなんてのが厳し)

それが最も実感出来るのが雑音の多い場所で小音量で聴いた時で、曲の骨格部分が全部は聴き取れなくなってしまう。
のは比較的シンプルな骨組みだが装飾も重視してた為で、これは作編曲をしてみると良く分かるだよ。

Sweetの場合装飾より遥かに骨格で味な真似をしてるので、聴くは容易いが作るのは至難な部分だけ高度な事をしてるんすよ。
曲だって時代と共に変化や流行り廃りはあるけれど、そんな風にも行けたのかってな参考例は多い程良いからね。

Southern Rockにも似た面があったんだが、ローカリティとか強個性で少しでも万人ウケを狙うにはこんな技術が大切なんだな。
言うなれば難解音楽の翻訳ってなもんで、この部分では過去のEasy Listeningや映画音楽は頭1つ以上抜け出してましたで。

近年は他ジャンルからの導入・引用はせいぜい定番のみになりつつあるが、ホントは音自体じゃなくて発想をパクんなきゃ駄目なんだなぁ。
定番を流用する都合で曲を改変したりしてたら本末転倒だし、誰かと似たり寄ったりのしか生み出せないじゃん。

-つづく-

2023年9月23日 (土)

音楽備忘録1499 代用出来るか否か⑱

暫くぶりで前回補遺になるが杜撰大王って、バーチャル音源たるサンプリングシンセの導入はまあまあ早目だったんだ。
これで色んな音を自由に入れられるぞと、当時’90年代前半には万感の期待を抱いてたんだ。

結果的には後年落胆させられたんだが、録音音質が今レベルになる迄は少しは使えてたんだけどね。
俺みたいなリアル演奏主体の者に悲報となったのが、進化がソフトシンセの方へほぼシフトしちまったのが尚痛かった。

それだけ打込み併用かClick常用者が増えたからなんだろうが、非生演奏者の方が生っぽい音源の恩恵に預かれるって捻れ現象なんじゃないの?。
強引に肯定すりゃ演奏水準の平均化に貢献とも取れなく無いけど、貧乏生演奏者にとっちゃ冷遇でしかないがな。

を敢えて不問としても金やコネは無いが才能のある人が、それを発揮する機会が減るんだから悪い傾向だと思うんすがね。
一方で何等かの事情で生演奏不可な人にはバーチャルの発達は重要で、その点では鍵盤型よりソフトシンセの方が入力手段が豊富になるから間違いでは無かろう。

けど「弾ける人」がそれを扱った際膨大な打込みの手間に嫌気がさしたり、段々億劫になって手抜きが常態化するのは目に見えてんだ。
そのせいかどうか分からんが今シンセと言えば、超高価なCLAVIA NORDシリーズの独り勝ち状態が続いてるみたいだね。

そのお陰で㊎君は充足するかも知れないけど、アナログシンセサウンドって引籠りやヲタ等どっちかったら非㊎の人の方が多く必要だと思うんだよねえ。
そんな人にはソフトの方へってのも分からなか無いが、インドアからアウトドアへの機会を間接的にだが益々奪っちゃいないですかのぉ。

バーチャルシンセって音程の安定度とか使い勝手には勝るけど、これも結局は作る側と売る側だけの都合で強行されてる気がするんだな。
深掘りすると↑が今一不安定なのもアナログシンセのキャラの内で、季節等次第で微妙に上がってったり下がってったりするから却ってリアルな感じがするんだよ。

等と綴ってたら従兄から緊急のメールが入ったが、薄々可能性は察してたもののその内容に愕然とした。
ベテラン講師ともあろうものがやたらに太鼓の録りに苦戦してたが、何と原因はデジタル録音のレイテンシでノリを可笑しくされてたっつうじゃありませんか。

まだ調査中で確かな事は不明だが、やはりデジタル化以降音楽に対して好ましくない進化が続いてるのだけは確信しちゃったよ。
なんとか腐心しつつ使いこなしてる人も居るけど、実際かつて程Grooveの良い作品が出なくなって久しい。

この様な弱点が残存する限りは、デジタルは打込みやClickレスはスタンドアローン機以外は使うのの不安が払拭されたとは言い難い。
例え全然気にならなかったとしても何かされてる可能性はあるから、演奏機能面では代用になってないかも知れないね。

=ひとまずおしまい=

2023年9月22日 (金)

音楽備忘録1498 デジタル音楽録音でのレイテンシ謎➐

さぁてWin vs Macざんすが、決定的実売価格差が縮まりそうにないと分かる迄は微かに探ってたんだ。
それを今回のレイテンシ案件に際し再吟味してたんだが、どっちでも良いが特にMacにする理由は個人事情以外には無かっただす。

その主軸になるのが前回後部述の極力マザボスロット利用で、どんな外部規格にするよかCPUへ「最短コース」にする方が効果的だからなんよ。
レイテンシ原因を潰してくと共に、その方が優先度も高く取れるからねえ。

この段階で考慮の要るのが各スロット規格対応の、サウンドカードの存在だ。
現況俺はアナログx2+デジタルx2の4chが最高体験に留まってるが、2ch,4chのですら最近は現行のPCI-ie規格の音楽系ブランドのが唯1つを残し消滅しちまった。

超高額を許せばマルチチャンネルのはREMってのだけが長く頑張ってたが、とうとうアナログ多chのモデルは息絶えた。
その生き残りのはESIのMAYA44eXって失礼乍ら凡庸な性能ので、為替レートの関係からかなり割高にもなってるからどっちらけだ。

但しだからって全く価値が失せた訳じゃ無く、大きな期待はお門違いだが「USBで気紛れ・不規則に遅れる」のは完全に解消するのよ。
尤も骨董的低スペックのPCだと全体がフリーズし掛かるとか、PCIスロットでさえ平気で遅延が出たりするから所詮は気休めとも看做せなくない。

因みにスロットに挿したサウンドカードだって経由しない方がと思うだろうが、その代りにマザボオンボードのサウンドチップを通るだけで大抵はPCIやPCI-ieスロットより優先度低目に固定されてるよ。
この音声信号が駅間無停車で直通してくれんってのは汎用機なら宿命みたいなもんだから、専用機(独立機)に寄せられるみたいな期待は厳しいのだ。

又PC内部はアナログ音声信号にとって雑音の宝庫だから、その点に限りゃ実際外付けインタフェイスの方がかなりマシだ。
但しⅡで是又レイテンシを問題視しないならの条件付きだから、多重録音(再生し乍ら録る)みたいに両方でレイテンシがあって増加が避けられない際は額面通りに受け取っては泣かされるだろう。

何れにしてもなるべく最低限のデータ変換回数で記録出来るのがベターで、価格や中古の色んな玉数からすると現状はMac優勢と言えそうだ。
但しⅢでFirewire(IEEE 1394)だってカード追設すれば現況でwin10迄なら、PCIだろうとPCI-ieだろうと容易く安価に入手可能だ。

因みにⅡで宅にも古典xp機のマザボがFirewire 400に対応してるのがあるんだが、インタフェイスの方を全然持って無いんで未だ試せてない。
のが暗示するが如くwinでも古典機にはIEEE 1394チップがマザボに載ってるのが幾らかあり、あまり知られて無いのはチップ止まりで端子がオプションで未搭載だったりするからだ。

強いて言やかつてFirewire全盛期のソフトがMac主軸で開発されてたんで、そんなのを使ってみたくなった時がハッキリMac優勢なんじゃないかな。
何れにしてもⅡでPC自体が音楽ツールとしての利用を軽視してくのにつれて、インタフェイスもレイテンシ短縮こそすれど撲滅から実際は遠のいて行ってるのは悲報でしかない。

<つづく>

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