文化・芸術

2022年9月26日 (月)

音楽備忘録1137 楽器Amp同士の組合せの話し④

いよいよ本項の核心スピーカユニットの数・エンクロージャのタイプへ突入するが、スマンけど正直コイツは中々ややこしい。
ので専門家が事前想定する以外は理論と計算より、実例や体験を優先した方が近道となり易いだろう。

ただ未体験規模の本番用等でレンタルする際等に、概算(ここでは費用じゃないよ)可能だと大外しを防止出来る。
さてユニット数での音圧増加割合は以前述も再掲しとくと、ユニット1個に対し2つになると能率は約1.5倍・4つになると約2倍ってのが目安だ。

但し単体時と同じユニットを増やした場合、
スピーカのトータルインピーダンスは倍増・半減等変化するケースが多い。
具体例として8Ωのを並列接続すれば4Ωに半減・直列接続すると16Ωになるが、4つの場合等特定の場合だけ直並列接続してやると元の8Ωが維持出来る。(この場合直列2群を並列と並列2群を直列のどちらでもトータルインピは同じになる)

尤も設計初期設定に含まれて無い組合せをする時以外は、予め考慮されてるのでそんなに心配は要らない。
んだがそれでもこっちが一々気にしなきゃなんないのが主に出力トランス非搭載のAmp Headで、載ってるのだと決まったスピーカしか繋がない独裁設計!?の以外は異なるインピーダンスのタップが大抵は用意されている。

これどうせ重く高価なトランスを付けるんなら出力側の巻線の途中に別線を付けとけば(これをタップと称す)、殆どコストアップせずに対応力が飛躍的に上がるからだ。
楽器用真空管電力増幅回路では先ず省略不可だった出力トランスが半導体回路だと可能化し、コスト・スペース・重量で有利になるから殆どが非搭載。

処がトランスレスの石のだと、繋ぐ相手のインピ次第で最大出力が変動しちまう。
尤もⅡでそれも上手く利用してやれば少ないユニット数で控え目音量、多いユニット数でフルパワーなんて事も出来るんだけどさ。

その典型例として前々回述Acoustic 320では4本入りの408(2Ω)を繋いだ時だけ最大出力の300Wになり、2本入りの406(4Ω)は繋いだだけで160Wに自動で低下してくれる。
Head側出力インピが2Ω設定なんで相手が同じならそのまま、インピ倍増すると流れる電流がほぼ半減するので他に何の操作もしないでそうなってくれる。

又半分は魔になるがトランスが間に挟まると緩衝作用が働くので、インピの倍から半分程度のミスマッチはトランスが忖度してくれてパワーに↑の様な増減は起らない。
但し負担が普段より掛かるので容量一杯で連続長時間稼働等させると、出力トランスの劣化や断線のリスクは高まる。

ここから漸く本題との関連性へ突入と相成るが、個人所持品だったり自分でこれから買うならどんな方法を使おうと目的が充足される様にするだろう。
元々オーバーパワーだったらある程度迄なら減っても却って良い位だし、ギリギリ足りるかだったら増える方に振っても減る様な真似はしないだろう。

しかし他所様のでこっちと実使用想定出力が違ってて一部のにだけ出力が余ってるのがあったりすると、プロが組み合わせた物にも拘わらずアンバランスを生じたりするんや。
元々日本ではGuitar忖度が激しくアンサンブルバランス的には相応しくないのが多かったが、最近ではGuitarはEffectorを使う方が多いから足りてさえいれば余ってても問題がより露呈し難くなった。

だがその様なセットアップのでAmp Overdriveさせたいとなると、Guitarの音量だけが大きくなってオーバーしてまう。
確かに最近はBassの方も滅多に球に巡り会えなくなった代わり、無駄に大出力の石のHeadが増えたからGuitarに対抗するだけなら行けるかも知れない。

けどPAやDrum等はハウリングマージンや奏者の肉体限界 の制約があるんで、Guitarに忖度しといたつもりが実は一部奏者(俺みたいなの)にとっちゃ大迷惑設定なんだ。😓
或は急な故障対応でスペック的には過大入力等で壊れる心配が無くても、出力音圧的には少し問題が残った臨時のになってる時とか。

<つづく>

2022年9月25日 (日)

音楽備忘録1136 不当低評価の是正⓯

今日は前回の流れから過去日本の、リズム隊の正しい評価について論じさせて頂きませう。
世代的にMetalやFusionの勃興期の渦中に居たんで、近年迄個人的には随分孤軍奮闘を強いられてずっと淋しい想いをさせられて来たから吠えたるでぇ。

その1:山下達郎の録音作品
一般認識だと青山純と伊藤広規だろうし誤りでは無いが、彼のスタイルの確立に貢献してたのは上原裕と田中章弘だった。
尤も杜撰大王やさかい比較的近年迄思い込み誤認をしてるは、今でも一々Wikiのお世話にならないとフルネームすら綴れない体たらくだが。😓

作品が最も売れた時期なら確かに青純・広規コンビのだったが、それはプロとしての存在が一応認知された後での事。
世代的にリアルタイムだったから耳には入ってたが、もっと聴きたいと思ったのの大部分は上記2人か本場米録音のだったんだ。

その2:オリジナルメンバー期の甲斐バンド
洋の東西問わず’70年代の内にデビューした人達はその後と比べると皆基礎が比較的しっかりしてたが、ここでは敢えて難度的には失礼乍ら最も低かった松藤英男+長岡和弘を取上げとこう。
最近頻吠えの如く所謂演奏技術はあるに越した事はないが、楽曲に対して有効なのはどんなに簡単でもどれだけフィットしてるかアシストになってるかだ。

ここに着目するとローテクなのに名演が出来てる程「音楽スキルは高い」訳で、演奏技術みたいに明確な判別が難しいだけにこんな捉え方もかなり重要なのよ。
そして次の例示ともリンクしてるがその差は俺言い「曲の寿命」に表れてて、かつてのハイテクが後の進化で普通になってから顕著になるんだ。

その3:日本での多弦Bass黎明期
ユーザーとしてはカシオペアの櫻井哲夫等が印象にあるが、正直米のNathan Eastの様にその拡大した音域を上手に使ってたとは俺には思えなかった。
これに関して日本は未だの感が強く、その根底には海外より弦楽器の調音は自由って発想が乏しいからなのかな。

所詮は大して広くも無い俺知り限定ではあるが、最低音弦の1音下げ(E→D)程度でも海外ではそこそこあったのに昔の日本の主流系ではお目に掛った記憶が殆ど無い。
確かに弦が増えれば可能性は広がるが、必然性が先に生じてから増やすのとではやはり違いが出ても仕方あるまい


その4:Drumサウンドの没個性な画一さ
これは何もDrumsetに限った話しじゃ無かったんだが、他パートと比べて大してHi-Fiでも無いのに特にバスドラが全部同じサウンドだったのは完全な汚点だわさ。
尤も少し掘るとそれはOn Micの限定で、私的には爆音耐入力を備えたStudio Condenserタイプが当時の国内には僅少だったのが不味かったのかな。

俺も後から知った事なんであまり上から語るとけしからんが、本家では時期的な関係もあってOn Mic黎明期はダイナミックタイプでやり始めちゃいなかったんだよ。
何でも録れちゃうStudio Condenserつまり当時だとほぼ球のNEUMANNのみだが、同じMicで様々な収録方法をあっちじゃ試せて聴けてた訳さ。

それを抜きでやっちまえば、要は「位置差だけの比較」が出来て無いからねえ。
その証拠ってのも何だがCongaとかは充分イケる音になってるのに、DrumsetのOn Micのだけがどうにもどれもパッとしくなっててよ。

これ杜撰流では「昭和の悪しき伝統」の一部で、音でも立場でも正にDrummer受難ってな感じだったよ。
日本じゃ長らく1に歌詞2にメロディが大忖度で、他は添え物って差別が根強いらしくてイケねえぜ。

只それも随時頻吠えの如く、だったら朗読とアカペラの方が邪魔が一切入らんからお得ずら。
「音楽にしか無い部分」って視点からすれば、実は伴奏やリズムこそが固有の存在なんだけどねえ。

ほんでそんな大忖度をして貰っても損するのが俺言い「声の弱っぽい歌手」で、控え目な伴奏しか許されないから激しいのとか強い曲を一切演れなくなってまう。
おまけに随時頻吠の比較芸術の真髄も利用不可になって、弱さをもっと強調しようにも比較対象(この場合は伴奏)との落差を大きく出来ないんだもん。

<つづく>

2022年9月24日 (土)

音楽備忘録1135 ネタ元⑧

毎度お馴染み前回補遺入りになるが、補記の内容は俺言い「正しい単純化」だ。
拙ブログでは以前繋ぎ不足だとか無理のあるコード進行への警鐘を鳴らしたが、それ等への感度を上げるのにも前回例示の脇役音楽は中々有効なのだ。

個人的には絶対視も価値観の多様化に対処すべく気持ちに無理に私的としとくが、米津玄師のパプリカの「スタート地点に戻って来られない展開」やレベッカの一部曲の「ら抜き言葉みたいなコード不足の進行」はプロの仕事としては完全アウト判定しとるがな。

そう断定した証拠の好例になりそうなんで蒸し返してんだが、○○さんの曲として聴いてればこそ辛うじてセーフだったりもしたんですよ。
上記前者ではリズムだけ残して強引に繋いでたが、脇役でその様な音楽的分断があると例えばCMだったらそこからもう次のCM
に移行したと思われたりする可能性がある。

仮に繋ぎ前に商品名を繋ぎ後に価格を提示してたとして、それが同一商品のとは思われなくなったりしてな。
或は番組テーマで仮に開始時と終了時に同一曲を用いてたとして、最悪は無理繋ぎ部以降を次の番組が始まったと誤認してああ見逃しちゃったなんてさ。

要するに各部の基準が脇役用途のの方が厳しくなってい易いんで、やって良い事・悪い事を学ぶのに最適なんすよ。
主役の場合はこれがワイの芸術だとうそぶいときゃ、あまり好まれなかったとしても排除迄はされない。

だが脇役用途では作った方は芸術のつもりでも受け手側には唯の目印になったりすっから、万人が同じ様に受け止められる状態になってないと通用しないんだ。
確かに時間の短いのが多いから、その点で必要素数が少なく済む楽さはあるけどね。(主役用途時それでは足りない)

のでこの手のだけを教科書にしてるとエッセイは書けても小説だとどれも未完になんて危惧はあるが、体裁では無く内容へ目を向ければゴール前にリタイアすれば順位もへったくれも無いでしょ。
のでⅡで私的には末は大作をと思ってても、「手前から順に1つづつクリア」してくのがお勧めなんだ。

それじゃあ地道過ぎて飛躍が無くて面白くないかも知れないが、一度マスターしといたのが後で無効化するのを避けられるのはとても重要。
さて唐突に次へ進むが今本邦一般傾向としては、ネタは鮮度が命的傾向が強過ぎると感じている。

心情的には今流行ってるのを真似てあやかろうとするのは半ば自然だが、真似するこっちが習得し終る頃には少し時代遅れになってるのが常だ。
ならばとタイムラグを最小に圧縮しようとすれば表層の模倣程度しか不可能で、しかし本家だってそこに至れる迄には相当な時間が掛かってる筈だ。

そんな背景がどうせあるんで、ここでは少々カビ臭くても臆せず古いのを平気で例示しちゃってんだ。
あまりネタが古いと現代に適応させる苦労は増えてしまうが、よっぽど「今迄の誰にも似て無い新規の」でも想い付けない限り世間の扱いは飽く迄「後発」。

けれど残り物には福があるじゃねえが、後発には後発の強みってのもあるのだ。
それは多様性とか集大成的な部分で、その原因は先発の時より歴史の積み重ねでサンプルが断然多くなってる処。

ここへ着目すると、何処迄古いのを知ってて活用してるかが勝負の分かれ目ってなもんなのよ。
現行のなら誰でも知ってて当り前、大古のとなると一般人ではコアヲタでも無い限りわざわざそんな処迄掘ったりゃしないじゃん。

とは言え総量的には各自の好みの時代性が反映するんで、現行の9に対し古サンプルは1とかってなるかも知れないけどね。
それと仲間との共有面で何しろ今劣化本邦は同調圧力最優先だから、折角見つけても当分の間は独り淋しくってなっちゃうかも。

けれど古いとかフォーマットが違ったってだけで、ネタ候補から外すのだけは止めて欲しいわ。
歴が浅い内は実体験出来なくて分からなくても仕方無いが、現行フォーマットだってあとどれだけ持つか明確には分からないんだからね。

そう云や昨日たまたま目にした情報でジブリの宮崎駿って、ネタは1000用意してそこから100画を描いて実際にはその中の3つ位しか作品に使わないんだってね。
何も直に真似してとは思わないけどネタって切れると困るだけでなんで、合わなきゃ使わん迄で集められるなら集めといた方がって思うだよ。

<わをん>

2022年9月23日 (金)

音楽備忘録1134 昔のRock系は大音量で聴くべきもの???➋

前回後部補遺に続き物理面の検証へ進むが、音楽の技師が音響に忖度するのはオーディオ技師への謁見行為でもある…なんちって。
いやさ俺みたいにその辺りが全部兼業だと、あんまり境界を曖昧にすると永遠に仕事が終わらなくなって困るだよ。

っつうかたまには少し真面目に言うと、音の問題解消や向上にも原因次第で何処でどう処理すべきかの適性がある程度決まってんだ。
もし1つの方法(例えばMixingだけ)しかやれないならそこで頑張るしか無いが、真因がMic選択ミスだったらそっちをやるべきだしじゃ無いと改善効果が足りんかも知れん。

なので今たまたま頼まれてやってるだけで私はオーディオ屋、ってんならバスレフスピーカの計算設計と製作位すぐやれるんだね!?。
その逆と言うなら(つまり音楽屋)機器製作は無理でも、楽器はそこそこ弾けるんだなっとな。

とかなり恫喝チックに吠えてるが、要は仕事の本質を甘く見てると最悪「全てがアマレベル止まり」になっちゃうんだ。
オマケにもしそんなのだけが集まっちゃってたらお互いを批難するばかりで、成果も上がらなきゃ延々嫌な思いをしつつ帰宅出来ないなんて事になる。

わこの辺で鞘に収めとくとして、昔の一般用再生装置の出力ってホントに今より一桁小さかったんだ。
以前術の通り一般各戸の電気容量が先ず少なくって例えばクーラー付けたくても、本体価格・工事費・運転費は未だしも電気使用契約の変更と配線やブレーカの交換工事だって必要な事が多かったんだ。

例えば1970当時の日本の普通の家と仮定して、中には新築ホヤホヤもあろうが平均を取れば築5~20年位経ってるのの方が多いでせう。
すると電気系統の設計は容量も含めその分「昔の」だし、特に高度成長期みたいに進歩が早いとそれだけ旧弊な設備になっとる訳ですよ。

更にそんな時代でも全ての機器更新サイクルが短く盛んだったんでもなく、まだ一応使えるのがあった家では旦那がオーディオヲタでても無い限りステレオ如きは継続使用があったり前。
俺の実家の新し物好き親父でもラジカセとかはすぐ買い込んだが、ステレオは遂に一度も更新せず一生を終えたわさ。

尤も親父はちっともHi-Fi趣味じゃ無かったんで、気楽に聴ける装置にしか興味が無くなって久しかったけどさ。
でこんな意外な真実みたいなのは今だってそこそこ隠れて存在してんだが、日本では1980年頃迄はある所には球機器って結構一杯残ってたんだ。

尤もⅡでそんな古臭いのが未更新ってのは普段殆ど使って無いからってのも大いにあったろうが、機器自体以上に使用者の常識はそれより更に遅れて後から着いて来る事となる。
なので俺の実家の球ステレオだったら7Wpeak/4Wrmsしか無かって、けど’65年当時だとそれで平均的なスペックどした。

まあ球のは高能率スピーカと抱き合わされてた分、1Wあたりの実効音圧は今の石のの2倍程度はあったけどね。
これプラス大変重要な今との相違はローエンドとかハイエンドなんて無きに等しかって、音色的には今よりふくよかでも中低域が豊富なのであって低域は今より全然出せて無かった処だ。

かなり以前述「音波は1オクターヴ下がると波高が2倍」の性質から、低音の出る装置程実効出力音圧は大きくなる。
のが↑みたいなのだとロクに出ねんだから、最大音量はその分更に抑えられちゃってたのよ。
そんな環境下で例外だったのはの喧しい食堂・工事現場等のTV・ラジオを除くと、大衆車内のカーステ位どす。

何の事は無い車内騒音が今のより10~20dBも大きかったから、自然発生的に大き目が許容されてたん。
さりとて近年のサブウーハ載せてて信号とかで横に並んで止まられるとこっちまで揺さぶられるなんてのは夢の又夢、唯でさえ喧しくて疲労が激しいんでお気に入りの1曲だけとかそんなで皆限界だったのよ。

故に当時リアルタイム人の感覚的記憶ではガンガン鳴らしてたっても、今平均と物理比較すると全然「大人しい音量」だったんだ。
強いて言い添えとくとすれば物理的不足を補う心理が働いたかは全く分からんが、気持ちの高揚は明らかに昔の方が高かったけどね。

<つづく>

2022年9月22日 (木)

音楽備忘録1133 楽器Amp同士の組合せの話し③

当記事の狙いからするとアカデミック偏寄気味なんで、これと次で理屈は一旦終止符を打って具体例へ進むべく奮闘中につきお赦しを
だばとっとと進めてくが、出力増幅素子差に依る実用上の音圧差の件だ。

同一出力値のでザックリ目安は、球に対し石のは70%前後。
但し歪みに対して一般よりシビアにすれば、80%前後と差は縮まる。(この場合球の最大音量が実質10%目減り)

尤も実際にはどっちの素子でも設計上の実用歪み率の解釈の違いの影響もあるので、出力数値より「増幅素子の容量と組合せ」から推測した方が当確率が高いんだ。
先により単純な石の方から行っとくと、こちらは無名劣悪品以外’80年代以降のであれば設計基準の差はほぼ無くなっている。

その由来はっつうと以前は今より、楽器Ampはすぐ歪む物みたいな通念があったからだろう。
これは球の方にだって影響を及ぼしちゃいるんだが、その方向性がどっちかったら逆に出たん。

このサンプルに過去定番のFender Twinreverbの変遷で例示してくと、原設計時点での公称平均出力は85Wだった。
のがバージョンアップ2で100W、3で135Wにアップしている。(後にver2に逆戻りさせてるが…)

でこの公表値物理的には一切盛りは無いんだが、Countryの主役等極限られた無歪みサウンド時以外実用上は出力面での差は無きに等しいん。
のは所謂6L6系パラレルプッシュプル構成ってのが、基本的には実用最大出力を支配してるからなんだ。

同等となる組合せは他にEL34系×4等で、どちらも本数の半分(唯のプッシュプルとなる)のは50Wクラスとなる。
では何故まるで盛り表示みたいな真似してたのかったら当然商売だからってのもあったろうが、当時米ではCountryの勢力が過半数を超えてたからだ。

その証拠ってんでもねえがAmpブランドのもう一方の雄たるMarshallの方は、この様な方向性のバージョンアップを一切していない。
実際にはTwin君が135W迄背伸びした処で、M君の100W 3段積みたいな音圧は稼げてねんだ。

それが前述エンクロージャの差に依るんだが他の面も含めると、回路側出力は90~135Wと45~75Wは夫々の該当クラスの100と50を実用上の容量と考えとくのが妥当なのだ。
又以前述だが50Wより小さい方ではその差が10W以上だと大体誰にでも感知出来るが、これを超えると「倍々ゲーム」にならないと専門家でも明確な判別が付かなくなる性質がある。

俺知りで印象にある例外ってぇと、上手く虚を突いた!?MESA/BOOGIEの6L6系×6位だ。
球の仕様上電気的には200Wにはギリギリ届かない位なんだが、歪む方が喜ばれるブランド!?の利を生かして200Wクラス扱いしちゃってやんの。

何れにしても4本の135Wや↑6本の200Wは用途限定がキツイんで、ドンズバ以外時は上出の「クラス」で扱う事になる。
因みにホントに球4本で実用出力200Wが稼げるのは6550とかKT88って形ので組まれたヤツで、Marshallの一部等回路全体は100Wのへ球だけ挿げ替えた様なのはそこ迄出せていない。

しかしディスる気は毛頭ないんで擁護しとくと、後者は出力では無く音色(特に歪みの質)の都合でそうしただけで主目的が違う例外的存在なのだ。
尤もそんな選択方法が楽器Ampでは少数派も、オーディオ用途では寧ろ王道なのだ。

オーディオでは素子的フル稼働はさせてないのが圧倒的多数派で、リライアビリティも勿論あるが根源は球の性質にある。
少しでもリニアに濁ったりくぐもったりせずにと思うと、「歪み率の増加が緩慢な領域」だけをなるべく利用したい。

そして楽器の方で重用される歪みの個性は無効化し、素子選択の優先事項が「歪んで無い時の音色の差」に取って代わってる訳。
歪み時の強烈な個性と比べると味差は薄くなるが、楽器をオカズとすればオーディオはご飯に値するから寧ろそれ位で丁度良いとな。

わ兎も角上記俺言い「50W超は倍々ゲーム」は球固有じゃ無く、トランジスタだろうとICだろうと果てはデジタルD級だろうと目安としては全てに適応ざんす。
それだからこそ電力出力無確認は流石にヤバイが、一応○○Wって表記を目にしてたなら後はスピーカがどうなってるかだけ気を付けりゃ大抵はオッケーなんだ。

<つづく>

2022年9月21日 (水)

音楽備忘録1132 不当低評価の是正⓮

近年の若い世代になる程自分達のルーツを正しく意識する様になってるのは立派だが、個人的には安易な和テイストに走ちゃうのが一寸残念だ。
ってのは現代日本の日常にはアニメやゲームに出て来る様な和装や刀なんてほぼレスで、象徴的ではあるが当該現役世代の固有性が無いからなんだ。

ってな事から今日は過去の日本の洋楽作品の、不当低評価にスポットを当ててみよう。
正直演奏・録音等の純粋な技術レベルは本家に負けてるのが多かったから、俺自身もその部分に関しては変なコンプレックスが結構最近迄続いてた。

けどここ10年間位で本家の過去作で良かったのでも、楽曲や作品の良いので技術水準が高いのって意外と少数派だったのを痛感させられちゃってね。
理想は常に曲も演奏も録音も全部良いのが良いが、熟考するとそうなり難いには訳があった。

特に俺みたいに全部自前でやってみれば嫌でも実感出来るんだが、100%迄なら未だしもどれかでそれ以上を狙えばどうしたって少しは他が疎かになるしせざるを得ない。
もしかもっと天才だったらこの難題もクリア出来るか分からんが、音として実在する名作とするには仮に各要素が200%の集合体でも未達になる場合が大いに考えられるのだ。

要は俺言い「不毛音圧競争」とかと同じで、常にどんな曲ででも全要素を世界一の美人とかイケメンで構成するなんて無理だし寧ろすべきじゃ無いんだ。
役回りを越えて良くしても曲に対しては負の作用となるだけで、水準さえ越せてれば丁度足りるだけあるの位が最適なんだろうね。

これを踏まえ本題を考察してくと、昔日本の拙録音でも実は本家のLo-Fiのよりゃ音響的音質は悪く無かった。
但しサウンドの個性では著しく凡庸なのが多いが必ずしも演奏や編曲はそうでも無いから、良い部分だけを参考にすれば良い。

一般的に耳に付くのはアクロバティックなのとか目立つヤツで、そのインパクトの強さからつい真似してみたくなったりする。
んが実際の楽曲の料理で迷ったりするのはそんなのじゃ無く、奇抜がもたらす効果はその範囲が結構狭いもんだ。

だいいちポピュラーでシンプルな売れそうなのとなれば奏法的離れ業はお邪魔となる事が多く、しかし誰でも弾けそうだが発案困難なバッキングフレーズには幾らでも改善の余地がホントはあるのだ。
自分が本職だからってのもあろうがこの点’70年代中頃迄のBassフレーズには目を見張るべきのが散見され、個人的に最も参考になったのは岸部一徳氏のポストGSプリ役者期の仕事だ。

当時自発的にはPYG請負い仕事では井上堯之バンド名義で色々携わってて、前者より後者のTVのテーマソング等に実に秀逸なのが盛り沢山だった。
Guitarに関しては洋楽系が基準になってると失礼乍らChar以前で印象深い人が俺には居ないが、コード使いやバッキングの仕方ではかまやつひろし氏の一部のに本国を凌ぐと感じられるのがあった。

何れにしても個人的に特に文化面で現代日本人はバカばっかと感じてて、教わった習ったものは忠実にこなせても応用力や柔軟性の乏しさが不当低評価の現況に繋がってると感じている。
奏者ってば高難度のが弾けるか等愚直な視点を持つのも間違いとは言い切れんが、劣化本邦じゃ音楽はスポーツ等とは違うってのが分って無い奴が多い。

スポーツ等なら新記録がキッカケで興味を持つのも意味があるが、音楽となると楽曲の良さ最優先で他は全て従となるのだ。
凄いイケメンでも演技が下手なら役者じゃ無くモデルの方が合ってるなんてのがあるが、音楽には残念だがサウンドだけ優れてりゃ良いってカテゴリーが無いんすよ。

なので如何に個別パートの優劣でも、飽く迄全体を聴いて判定しなきゃ無意味なんどす。
純粋なヲタとして高難度に強い興味を持ってもそれは無問題だけど、興味対象の異なる相手には一切通用しないのは忘れるべからず。

確かに高難度みたいなのはセンスレスでも明確に判別出来るけど、楽曲の必然性から生まれたの以外は実際に用いて効果が得られる場面が無いんどす。
なので評価ヲタさん達はもっと非ヲタの人と仲良くすべきで、それぞれが非リンクな劣化本邦はそれ故価値観もガラパゴス化しちゃっとんの。

<つづく>

2022年9月20日 (火)

音楽備忘録1131 ネタ元⑦

ここでの前述で番組テーマ曲も有力候補と書いたが、近年は低予算化の影響もあってかマイナー番組やB級アニメ等以外のクウォリティ低下が凄まじい。(普通に考えると変だがそれが実態)
ので昔より簡単に目立つ所から頂こうとすると失望し兼ねない面倒さが生じちまったが、ポピュラリティを追及する人にとってかなり重要な長所があるんだ。

音楽が主役の場合は、作者の都合で想定より多少小節が増えたり時間が伸びても構わない。
だが脇役の場合与えられた時間はほぼ絶対の存在なんで、例えば俺の文章みたいに説明に手間取ってたりする訳にはどうでも行かんのよ。😢

その点質的にはTVより期待出来る映画音楽も、TV映画(今はもう死語け?)の方が好材料が多かった。
尤も映画だってモノクロ時代のみたいなローテクのだと(半失礼)、恐ろしくアッという間に終わっちゃうのもあったわさ。

まっどれにせよそれ等は極力説明不要(ここでは音での説明)な纏め方を要し、そうしなきゃ曲の本編を流せる時間がどんどん減っちゃうかんね。
したっけどんな部分で一般用途!?の音楽と、違いがあるか列記しとこう。

その1:インスト若しくは歌より器楽の比重が重くなり目
番組の演出次第ではナレーションや挨拶が重なるケースもあり、歌が邪魔になる若しくは歌詞を全部聴き取れる状況では無くなる。
し下手に言葉に依る制約が付くと開始当初は良くても、後になって番組内容と合わなくなる事も。

その2:歌詞の量と使える言葉の制限が強い
テーマの趣旨縛りと時間枠からの語数制限もだが、それ以上に細かいのとか独特過ぎる表現がフィットしなくなる。
お客さんの興味対象は大抵は曲より番組自体へ向いてるから、聴く・考える労力ほぼレスの分しかその場では認知して貰えない。

その3:音の仕掛けでも一定以上の時間を要するものは全て使えなくなる
もしドラマチックとかワイドな表現をしたいなら、かなり次の展開を早くしなくてならない。
だがそれでいて如何にも急いた感じがしては駄目だし、聴ける頻度も少なくなるから例えば3回目で漸く理解出来る様なのは使えない。

これ等から必然的に受ける感覚が同等なら極力シンプルが求められ、秀逸なコピー(言葉)の様にたった一言で全てが伝わり意図した世界観に浸って貰えるようにしとかなきゃなんない。
んがそれってポピュラリティの根幹で、時間余裕があったり放送禁止用語不問の時だって無駄に難解にして得する事は先ず無いよね。

音楽が主役のでは番組テーマやCMの場合より大抵枠は緩く大きいけれど、例えば4小節のをホントは精製すりゃ2小節で表現可能となれば残り2小節には他の要素を入れられるっしょ。
ここでの精製とは必要度の低いのを省いて行くのが主で、必ずしも何でもかんでも最低容量に圧縮しなきゃなんない事ぁ無いけどさ。

けれど断捨離じゃねぇが音楽だって無駄・不必要にはかなり継続的に注意してないと、何時の間にか余計なのが溜ってっちゃってゴミ屋敷化したりするのよ。
なのでポピュラリティが少しでも気になる人にはほぼ絶対、コアヲタ道まっしぐらの人でも何か怪しさを感じたりしたら耳を傾けてみた方が良いんじゃないかな。

ニーズとは距離感が結構あったとしても、良い意味での極例は整理対象ポイントが最も分かり易いからねえ。
但しもっと奇抜にとか変態的にしたい際は、これ等のサンプルはあまり向いて無い。

つっうかそもそもそんな要望には音楽界内部から探そうってのが虫の良過ぎる話しで、なるべく無関係な処から引っ張って来ないとさ。
Jazz系での不協和音の活用は当時としては画期的だったけど、それ以上の発展を阻んだのは所詮は内輪ネタ(音楽理論限定)だったからだろう。

<つづく>

2022年9月19日 (月)

音楽備忘録1130 昔のRock系は大音量で聴くべきもの???➊

バカ丸出しをものともせずちゃっかりしたテーマを進むが、これでもその裏に誤認の解消って狙いはあるんだよん。
俺の記憶内にもRock系だと爆音で聴く人が多かった印象はあるが、その実は音量より音色や表現の影響の方が大きかったんだ。

歌の実再生で大きかったチャンピオンは演家系で、これには一寸した当時ならではの背景があった。
昭和の途中迄は家長が怒る場合は怒鳴るの容認だったりしたんで、特にオッサンの大声は皆が訊き慣れてたんだ。

又楽器の瞬間最大音と比べると流暢な歌だとピーク成分が少ないのと、息の関係で持続時間がブツ切りになるから堪え易い。😅
いや当時の子供(俺含む)にとっては例えばデカ過ぎる村田英雄とかって、ホントは拷問同然だったんだけどね。

不機嫌で一々細々叱られたり小突かれるよりゃ、暫くご機嫌で居て貰った方がマシなんてな調子でして。
それが自分がオヤジになった暁には最も家族忖度が強要されるなんて…、この理不尽どう落し前付けてくれるんや~あぁぁ…って最早叶わぬ夢同然か。

わ置いといて今よりもソースの内容次第で許容値にかなり差があったもんですから、アングラRock系だと極一部の人格者を除き米の黒人差別全盛期に勝るとも劣らない状況が御座居ました。
平成以降の日本しか知らなかったら眉唾と思うかも知れんが、エレキ=不良に始まりバイクを目の敵にした東関東中心の所謂「3無い運動」なんてのも今の壺案件並に理不尽でして…。

ぬぬっ今になってみりゃもしや↑の裏に既に壺力の働いた疑いもあるが、何れにしても当時の常識感覚と物理音量はソース次第で無茶苦茶ランダムで非リニアだったんす。
なので俺は強引な方だったけど子供が不良Rock(当時大人の主流派の勝手な決め付けだが)を聴こうとしたら、こっそりバレない様にが基本どした。

オマケに今と大違いなのが個人用再生装置なんてのは未普及も良い処で、オーディオ用のヘッドホンだって旦那がJazzファンででもないと一般家庭になんかありゃしない。
故に少なくとも小さくない音量で聴ける機会は極僅少で、耳の場所で計測したら平均値は恐らく今の通学生より遥かに蚊の鳴く様な状況だったのは間違い御座居ません。

そんなのもあったからか○○喫茶だのレコード屋の試聴室が大モテで、つまりこの方面での大音量って当時のは実質は適正音量なだけだったんよ。
これからすれば日常的には必要を下回る音量で、小音量忖度なんかしてないソースを聴いてたんだよねえ。

なので勿論時々残念感は覚えたけれど、今の違法・違憲国葬強行に対する腹の底からの恨みみたいなのはそこに一切存在しなかったなぁ。
結局今劣化本邦の不毛極小音量過忖度ってのは、闇雲にディテール掘りに執着した結果なんじゃないのかな。

確かにボケボケのを聴き取るのにそれなりの労力は使ってたが、劣化今本邦の聴き疲れ強要ソースよりは楽だった。
これ別観点では今の日本は音楽の楽しみ方がド下手になったとも考えられ、楽しむの基本は分析耳を最初から稼働させる様なもんじゃないんだよ。

確かにパフォーマー的には俺だって折角演ったのはなるべく聴き取り易い状態であって欲しいけど、曲全体やムードを犠牲にして迄そんなのは望んで無い。
これ俺が達観出来てるとかそんな高尚なのとは無縁で、先ず「良さげ」に感じて貰えないと聴こえる様にしてあったって聴いて貰えなくなるじゃん。

昔のは技術的限界からそもそも大体ですら全部聴き取れるが不可能だったから、黒観点では次善策で雰囲気だけでも尊守してた面も否定し切れないけどさ。
だが更に視点を変えると音響的には優秀で音楽的にはパーデンネンにしちゃうのって、制作スタッフの責任逃れにも見えなく無いぞ。

<つづく>

2022年9月18日 (日)

音楽備忘録1129 楽器Amp同士の組合せの話し②

初回は基本的な出力比の目安を述べたが、以前述の如くスピーカエンクロージャとその能率次第で実際に出て来る音圧にはかなりの差がある。
ので先ずは録音やAmpの最適設置が可能な状況限定で、スピーカの相違に依る影響を過去重複御免で綴ってこう。

これに際し条件を付けて限定した訳を先に話しとくと、指向性って別パラメータも影響力を持ってるからだ。
要するに設計次第で「音の拡がり方」が色々違うんで、同一距離・角度で聴いても実際に耳に届く音圧に相違があんねん。

せやけどオッサン正面で聴いとったら平気なんとちゃうなあんた、指向性の広いヤツになる程エネルギーが拡散するから狭いヤツより正面のは小さくなるん。
その代り指向性範囲内だったら音圧変化が僅少になり、これは狭い場所を最低数でカバーする目的のPAスピーカ等で既に採用されている。

残念だが宅のハコなんかが↑に見事合致してて、PAツィータの平均的指向角度30~90°に対し宅では100°もあるのを使ってるよ。
っても設置空間と予算がたった1つ分しか捻出出来ず、今時稀有なPAがモノラルって…。💦

それが楽器Ampでは構造と使用上の都合(隣接してる場合どっちからのか全然分からなくなったら大弱り)もあって、たまに店舖とかにある無指向性若しくは全指向性スピーカはおろか上述広角PAのみたいなのすら滅多に存在しない。
更に使用場所には無響室以外には様々な残響特性があって、これ次第でも最高だと天地が引っ繰り返る程の違い差が生じる。

のも後に筆者に余力が残ってたら掘ろうとは思うが、環境が千差万別過ぎるんで同時に扱っちゃうと訳分んなくなるだろうてのぉ。
そこで取り合えず音響スキルが無くても見分けられる箇所で行ってみるが、その1はスピーカの裏側が封鎖されてるかどうかだ。

空間的に開放されてても高域は後述の事情で裏面からだと得られないが、中域の拡散性はそうしとくと劇的に良くなる。
っても籠っちゃうんじゃしゃーないやんは確かだが、前面側でも高域は狭い指向軸から一寸でも外れれば忽ちその量が低下してるんでね。

観客優先時設置時の奏者耳への聴こえの平均は非指向軸上になる方が多く、それと比べてしまえば裏から音と大差無いのが実態なんだ。
ので観客のみならず合奏者にも配慮するには適した方法で、音響性能的には少し劣っても俺言い「音楽合奏性能」はかなり優秀となっとん。

尤も現代の録音水準だと録音時中低域の明瞭度やローエンドの性能に劣るんで、無観客でも後面開放型エンクロージャのは過去比だとあまり好かれなくなって来てる様だ。
只それも残響の極端に少ないハコやバラ録りも増えたからで、ほぼ単純に距離の遠近に応じた聴こえとなってくれる点で扱いは最も楽だ。

諸事情からBass用では絶滅し掛ってるので何だが、それ以外用途のでは後面開放型同士の組合せならスピーカの総合能率だけ気にしとけば大抵はバランスさせられる。
っても電力出力の値とそこの回路が球かそれ以外の素子かも無視出来んが、こちらの影響度はほぼ固定と考えて差し支えないから一度覚えてしまえば済む。

この件の内容は次回に譲るが、使用環境とスピーカエンクロージャの様々とその組合せはほぼ無限。
なのでこれへの対処の労に比すと、大雑把に覚えときゃ済むヤツなんて苦労の内には入んねんだ…と俺は思うんだけど。

<つづく>

2022年9月17日 (土)

音楽備忘録1128 不当低評価の是正⓭

今回は珍しく内輪ネタじゃ無いんだが、アニメの実写映画化の記事で違和感を覚えたのからの話しだ。
それはTake Me Home,Country Roads(曲)の件で、その記事としては必須じゃ無さそうもオリジナルが省かれてたのに引っ掛かったんよ。

当該曲が最初に世に出たのをリアルタイム体験してたからこそなのかもだが、恐らく海外でも有名なCountryの人John Denverの代表曲なのに一切触れられて無かったんだよ。
今劣化本邦ではジブリでの本名陽子さんのカバーの方が歌詞が日本語なのもあって馴染みがあるのも分からなくは無い。

が英語版でも日本ではしばしばOlivia Newton-Johnで止まっちゃう、ってのはどうにも頂けんがな。
この曲自体が出て直ぐにワールドスタンダードになってたし、本家John Denverに他にもそうなってる曲が幾つかあるのがそんなじゃきっと洩れちまう。

日本限定でも少なくとも当時の洋楽ファンには本家のイメージしか無く、尚且つそれでヒット歌謡曲と近似な捉え方がされてたんだけどねえ。
英詩ってもBeatlesとかと近似で外国人に最も親しみ易い部類で、近年なら英語圏の人にとってのBabymetalの日本語詞みたいな感じだったんだ。

それにOlivia Newton-Johnってったらなんてったって、そよ風の誘惑(Have You Never Been Mellow)の方が圧倒的に印象深い。
確かにDenver氏の様に程々の時点で早逝してると、本人不在なだけに多少なりとも存在感が薄れるのは仕方無いけどさ。

けどジブリアニメで「平成初期の団地住まいの庶民の娘」が関わって、全く違和感が無いものとして選曲された程スタンダードな訳っすよ。
尤もジブリので例え日本語詞で歌が変なリズムになったカバー(おっとスンズレイ)にせよ、それでリバイバルされなきゃ劣化本邦では曲自体が埋没してた可能性が否定出来んがね。

わ兎も角普段相当Rock系を標榜しといて何で持出したかっつうと、CountryがRockの直接のご先祖様だからなのだ。
無論Rhythm&Bluesと共にこれ等のみでは無いけれど、近年の日本人がRockを演ろうとして躓いた場合Countryに疎いのが原因多数派だからなん。

広義のRock内でもロカビリー系の人は大部マシだろうが、近年のサウンドやアンサンブルへ上手に取り込むには「Rock登場以降のCountry」の重要性は計り知れんのどす。
劣化近年本邦ではもしかCountry→田舎→長閑だけのイメージかもだが、暴れ馬や怒った牛を何とかするとか厳しい自然に対峙するなんてのも主要テーマになっとりゃあす。

静的とか非暴力的ってんなら心は激しくてもFolk系の方が上だしネタとしても向いてて、開拓時代の他人の迷惑顧みない粗野なカウボーイが馬でって今だと≒ルーレット族や暴走族同然だかんね。
ってJohn Denverにはそんな曲が殆ど無いのに語ってるのが、杜撰大王ならではになっちゃってっけどよ。😅

けどロカビリー黎明期って乗り物を馬からバイクや自動車に替えたも同然で、変な例えだが子供番組のヒーローで鞍馬天狗の後の月光仮面はとっちゃんバイク(ぉおっと失礼)ってのも同じ流れどした。
因みに’60年代当時は今のスポーツバイクみたいな容姿のはまだ無かったからそうなっただけで、然るに’70年代に入ると変身後のキカイダーのはレーシングタイプ・ワイルド7のは白バイと暴走族御用達魔改造の合の子みたいなのにちゃんと!?変化しとったよ。

とっとと戻ってスピードやパワー感ではこっちにはあまり参考にならんDenver氏のも、コード進行や伴奏の小技に関しちゃ結構秀逸なのが少なくない。
それとこれは彼に限定されないがChorus(歌)の音程間隔の取り方等で、Guitarのパワーコードみたくメジャーマイナー感を殺したのについてはCountryはその宝庫なのだ。

これでCountryがユニークなのは伴奏はメジャーマイナー感が明確にあって、Chorusのだけそれが無いのが頻出したりする処でさ。
強いて言うならこれに依ってFolkとの差別化を図ってるとも看做せ、RockでありながらPopさも併存させたいとかその逆にしたい時にとってもタメになるのよ。

<つづく>

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