文化・芸術

2020年5月24日 (日)

音楽備忘録291 エレキGuitar歪ませない効能③

だがしかし単に歪ませないで弾けったって、Line録りが増えた近年では色々困難さも増してしまった。
特にEffectレスの場合がその筆頭と思われるが、その殆どは真空管Ampのスピーカから収音すれば解消する。

電気楽器でも近年のエレピや特にBassだとかなりLine録りを意識した作りになってるのもあるが、原典設計を考慮するとそれでも厳しい面が残る。
楽器用Preampを使わずに直接音響機器に繋ぐと本来的にはインピーダンスの不整合だってあるが、何より誰にでも分かるのは音色がとても淡泊でつまらなくなる処じゃないだろうか。

だがそうなるのも半ば必然で、エレキ開発当時の非リニアな増幅装置を通しても必要な明瞭度を確保する為にそうなっている。
この事実を現代的に「翻訳」するならば、歪ませないエレキにとっては「Ampが必須Effector」なんて風に捉えとけば済む話しなのだ。

今では音の数が弾いたのより増えるとか捻れるとか何とか、あからさまに普通じゃ無くなるのしかEffectと感じられない事だろう。
けれど登場当時だと「何でたかがGuitar如きでそんなに大きく鳴るんだよ」、もうそれ自体が一種の音の魔法みたいに感じられていたであろう。

近年乱用されてるCompressorだって「弾いたのとは違う音量やバランスになる」点では、実は上記のと大差無いんだけどね。
それと楽器とオーディオでは歪みに対する概念の違いも大きく、これの見落としも年々悪化してると感じられる。

エレキでは歪んで無い音色と言っても、それをオーディオ観点で見ればかなりの高歪み率が普通に大手を振ってまかり通っている。
オーディオ基準で歪み率で合格判定が可能なのったら、Line録りの極一部の位しか無い。

つまりオーディオ的には歪み率が悪くても、楽器音的には無歪みに聴こえる事が多いのが現実なのだ。
でもオーディオ的に歪んでるのが何に作用してるかってば、倍音成分の差等に表れている。

この時点で熟考願いたいのが音の透明度で、これに関してはやはり無歪みな程優れてはいる。
だから選べるなら「より綺麗な方」と思っちまうのは人間心理としては真っ当だが、この点を徹底追及するなら打込みが可能な現代に手弾きするの自体が間違いなのだ。

歌物の歌ですらボカロ一択とすべきな位で、生身で歌う時のブレス音(呼吸)だって邪魔者扱いして然るべきだろう。
実際そうすれば限りなく「透明な世界」が展開出来るんだが、だったら何故全てがローコストなボカロや打込みへシフトしてないのかだ。

これは端的に言えば普段誰も自分の呼吸音になんて意識や自覚が無いのが筆頭で、「してても当り前の音」に対しては心理的に他への影響が殆ど無いのに依っている。
寧ろGuitarだったら空Pickingを代表に、入ってても邪魔になるより助けになる方が多いのなんかもある。

近年本邦でだって上手に活用してる連中も居なくは無いが、過去比だと「お約束」でとか予め意図して等自然体で達成されてるのはかなり減ったと感じられる。
以前別項でドラムのTom系とバスドラの3連符フレーズを演る際、頭拍にフットHatを入れると演奏し易くなると書いた。

これは太鼓に限らず各楽器毎に「生身の人が弾こうとする」と、何某か「拍子を取った」方が楽だったり確度が上がるからとその様にされている事が多い。
そしてこう云うのは楽譜に「絶対出すな」と書かれて無い限り、譜面を書いた側だって音符が書いて無い所で「チャカッ」とか演られるのは想定済み案件となっていたりする。

んでこんな風な人が奏で様とすると出る音ってのも、誰かが実演してる証であったり演者の存在を意識させる元ともなっている。
それがお題の「歪ませない」案件でも近似で本件ではオーディオ的な完全無歪は、
原則的に対象外だしそれで良いのだ。

<つづく>

2020年5月22日 (金)

音楽備忘録289 エレキGuitar歪ませない効能①

前回迄ガラケーすら不所持の末端ブロガーにしては不似合なお題だったが、持って無いからこそやるには買わなきゃならないから熟考させられるのを逆手に取ったつもりでいる。
ネタ切れ!?に伴い今回からは専門の方へ戻ってくが、近年本邦では極一部の例外を除くと余りにも考えずに深く歪ませてるのばかりが耳に付く。

元はと云や存在感(迫力)と演奏の楽さが原因で氾濫状態に陥ったと思われるが、その他にもエレキ生音の音色バリエーションに疎い人が増えたからではと憶測している。
現代でも定番音色となってる代表格にStrat系ハーフトーンのがあるとは思うが、その多くはLine録り系のであろう。

その多くにはChorusと短めのReverbが併用され、確かに独特の美しさに疑念の余地は無い。
けれどもそれだけだと綺麗さ繊細さには秀でてても太さ等には縁遠く、使える場面は限られている。

加えてこれってGuitarの音色の美しさより、実はEffectorへの依存度が高いのが気になる処だ。
かく言う俺自身も過去に利用経験はあるが、モノホンのStrat不所持なのもあったりで最近はスッカリ使わなくなっている。

それは兎も角Strat系ハーフトーンには使用上の弱点があるが、それは音色バランス的に中低域を強めた
伴奏が苦手な処だ。
伴奏ではアンサンブル的に音色重心は低目が欲しくなるが、高域に最大の特徴を持ってるのでその含有量を一定以上に保たないと美味しい領域がスポイルされるからだ。

また歪ませるにしても深くなるとやはり同じ傾向が強まる為、らしさを維持するには歪みの深さと音色バランスに結構制約がある。
これが特にLine録りの場合に顕著に表れ、その面で楽曲に合せた微調整が苦手な音色と言えるだろう。

なのでもしStrat系ハーフトーン以外のエレキ生音に疎いと、たまたま嵌るの以外は直ちに歪ませてしまうのかも知れない。
こんな時にとても参考になるのが過去の黒人系の作品等で、それは歪ませる時には何を使うかの影響も大きいみたいだ。

エレキの歪ませサウンドは実際には黒人系発祥なんだが、過去述の通り白人系のみたいに意図・企図しての物では無かった。
そのせいかJimi Hendrixの衝撃が大き過ぎたからかは知らんが、黒人系の歪ませはFuzzって不文律みたいなのがある程度形成されていた様だった。

そうなると軽く歪ませた音色は得にくくなるが、もし歪んで無くても同等の存在感が出せれば補えてしまう。
これとSoul等Jazzからの影響を必ずしも隠さないのが手伝って、ハムバッキング系のフロント+リアPUに依る独特な音色を旨く活用してるのが多い。

この音色は少し後にBeatles初期のGeorge HarrisonやDoobie BrothersのTom Johnston等が活用していたが、白人でも黒人系のを音色的ルーツに持っていた連中だ。
それ以外だと今本邦では一寸接点が僅少だが白人系ではCountry系があり、何れも楽曲の上り下がりへの追従させ易さが考えられる。

特に一本調子では困る歌物にはおあつらえ向きで、安易に弾きムラが出易いからヤダなんて言ってるのは何処のどいつだいっとな。
そりゃずっと一定なのが適してたら変に出過ぎたり引っ込みすぎたりしたらそれがムラになるが、本来のムラとは小人口の自治体…じゃ無くって楽曲の強弱とズレてる物がそれに値してるのだ。

これは幾ら無理くりコンプで全てを平準化させたとしても、音色変化量が不足だったり不一致だったりすればもう立派な「ムラ」なのである。
例に依って毎度同じパターンで済まんが、もしそこ迄気にするなら今時打込み一択ですがね。

それよりも幾ら上手に弾けても不一致ににしかならない音色って方が、俺的にはもっと気にしといた方がお得と思いますねん。
そりゃ一々音色をEffectorで切替えちゃえば済みそうだけど、それにはそれで電気楽器特有の個性に対しての大きなマイナス作用があるんで御座居ます。

<つづく>

2020年5月21日 (木)

音楽備忘録288 音楽も含めたテレワーク③

本項もこの辺で一旦終結させようと思うがテレワークは可能なら、結構誰にでも必要な処迄話は来た。
以前一部の音大では学校主導の動画アップがなされてるのに言及したが、正味な処それで表立った効果が出てるとは今の処は言い難い。

又既に一定以上の実績を持ってたりすると、高評価確実じゃ無いと出すのを躊躇してる人も結構居そうだ。
がそんなのは最早夢か幻かで、今となってはもうちっとも珍しくも何ともない動画発信等である。

結局多くの支持を得られるかどうかは内容次第なのは不変で、メディアの種類に依って多少優先事項が変動してるだけだ。
現実的に過去の名声!?を否定しちまう様な駄作をおいそれとは出すべきじゃ無いが、だからって構想を温めてるだけで上手くなれる物では無い。

最低限「傷が付かない」様にする配慮は要るが、本当に自発信出来ないとしたらそれは機材等の事情の方だ。
これすらスマホの普及で俺みたいな例外以外は障壁は無くなってるから、それなりに発表可能な手持ち作がある者は今すぐ録って上げとくのがお薦めだ。

特にアマチュアの方がこの影響は大きいと思われ、昔みたいに直接出向かないと聴けなかったのが変ったからだ。
有名人やプロのは殆どの場合レコードなりテープなりが売られてたし、大手系のならラジオやTVでチラ見する程度ならそこそこチャンスがあった。

一方数少なかった独立系の方は客には手間を要したが、Liveの一部を無料化したり意識的にテープの無償配布等も行っていた。
のに加え最大の相違は定点・定時的出演場所を設けたりして、そこへ行けば「取敢えず繋がれる」様な状況を用意していた処だ。

これは今だって完全に無くなっては居ないけれど、過去比では拠点数が増え過ぎたり○○専門の店みたいなのが減って探し当てるのが難しくなっている。
年寄りの戯言丸出しになるが活動時期の新しい人へ参考にボヤいとくと、昔はLivehouseに出演するの自体がかなり高いハードルであった。

初心者や下手クソが出させて貰えるのは特定のコンテスト程度で、例えアマ主体のLivehouseでもどの店もそれなりの品格を堅持していたのだ。
品格ったって相撲の横綱じゃないからお下品だったり態度の良くないのの方が多かったが、少なくとも趣味の合ってる人にはお金を払って損させる様な事は皆無だった。

例えば渋谷の木造3階時代の「屋根裏」って店ならPunkの殿堂として君臨してて、取敢えず何時行っても本格的なPunkを必ず体験出来ると云った具合だ。
つまりお客から見てある程度「アテに出来た」から、お目当てや知ってるのが出て無くても試しに行ってみるべかが成立してた訳ね。

今はこれは昔比では殆ど崩壊したと云え手間暇費用も掛かるから、余程の物好きかスカウティング以外でアテも無く足を運ぶ人は居なくなった。
多様化と量的膨張のせいで「拠点」が無くなったのは厳しいが、これからすりゃ何か1つでもネット上に上げとかないと「入口」が無いのと同じと思われる。

そうして入口を整備した処でこんなに大量に氾濫してると幾らもアクセスは期待出来ぬが、だからって無い入口からは絶対に入れない。
インターネット利用歴の長い従兄曰くブレイク迄に幾らでも時間が掛る覚悟が必要だそうで、この点では一面で「待つのが仕事」と言えそうだ。

勿論少しでも興味を持って貰う為の努力に休みは無いが、予測時期迄に想定通りの評価が得られなかったからって手を緩めるのが一番無駄なそうな。
現実的には労力と効果のバランスで先を決めるんだろうが、短期効率のみに目を奪われてあちこちを転々としちまってはいけない。

それではお客さん側から見て「アテに」なる場所が無くなってしまい、あんなのが聴きたくなったらあそこへみたいなのだけでも定着させるのが大変重要だ。
そんな受け身がもし嫌だったら受注生産とすれば良いが、盛んに「御用聞き」をして回るにしてもニーズのタイミングが合致するのは天文学的低確率だ。

それをするにしても結局「アテになる受付窓口」が必要で、どんな仕事が出来るのかもある程度知れる様でないと魅力も足りない。
でも考え様にに依っちゃ昔みたいに電柱に貼り紙したり外に看板を出すのしか無理だったのと比べると、お客さんが店員に接見せずに様子を知れるのは消極姿勢のお客さんには効果絶大だと思うんだけよね。

<この項一旦終了>

2020年5月20日 (水)

音楽備忘録287 音楽のテレワーク④

前回「含めた」の後部で何やら雲行きが怪し気になってるが、Drum録音に関して少々「愚痴の元」を抱えてたりもしたからだ。
自粛要請のお陰で自動的にその厄からは離脱出来た様な格好になってるが、そもそもの発端は今や音楽は記録するのが当然の物になったからかも知れない。

オジサンの懐かしい記憶に依ればかつては奏者側が録れるのはせいぜい練習を簡便に程度で、設備・機材・操作スキル等の事情で本チャンは専門家任せにするのがデフォだった。
俺の場合は金無し技ありと特殊境遇だったから今と大差無かったが、それでも機材の高価格の影響は免れずにいた。

今だって「ちゃんと分かってる人」がそれなりの機材を使うとクウォリティに差が付くが、スマホのみでも一応鑑賞に耐えられる程度の動画が録れちゃうと時代は変わった。
こんな今の環境で苦しんでる!?筆頭が私見ではClassic系の方に散見されるが、弾くだけなら電気・電子機器の操作なんて不要だったからだろう。

従前のアマチュアならせいぜい防音室の照明と空調が、最低限弄れればそれで事足りてただろう。
稀にはご身分次第じゃそんなのは全て下僕が整えてて当り前だったりして、そうでなくても家のリビングで弾いたりするなら誰か先に居れば既に環境は整ってそうだ。

尤も近年では欧州では木の保護目的で紙の譜面の使用頻度が著しく低下し出してて、こっちでも若い目のプロでは荷物等の都合で電子化して持ち歩いてる人も増えつつある様だ。
それでもPC系でメールを打って送るのと、音や画をキチンと記録するのでは結構な違いはある。

楽器趣味人の中には個人でひっそり楽しみたい人もある程度は居そうだが、そうでも無い限りはアマチュアでも自らの無発信は色々と不遇を生む様になって来ている。
特にそれを顕著に受けてるのがClassic系の音大生等で、大衆には少し敷居が高いのとJ-POPみたいな人気は無いのが災いしている。

例えばアニソン・ボカロ・ゲーム音楽が好きな者は大抵ネットや電子機器にも明るいが、古典系ではお客さんの方もこれらに疎めな人が多いと2重苦だ。
尤も近年は一部音大等では学校側が率先して動画を上げたりもしてるが、沢山上がってるとか直に見つけられるとなればお客側の状況も徐々に変わって行くだろう。

まあこれもある意味どれだけ瀕してるかもあって、もしとても世間的にマイナーなのを演ってたら人気度不問で片っ端から動画や音声ファイルをネットへ上げようとしてるだろう。
又例えば打込みみたいにLiveパフォーマンスがほぼ皆無だったり無理だったりしたら、完成作品の露出以外に世間に音を直にお披露目する方法が無いんだからね。

こうした芸術系作家の中で今時自発信をしなくてもセーフなのは、コミケ等の趣味の大会が安定開催されてる様な類の限定と思われる。
それだって漫画も原作なら大丈夫でも画を描くだけの人だったら、個人だけで完成作品を作れないから無発信では埒が開かない。

これが音楽だと作曲家でも今は譜面だけの発表では読取りが限定されるし、不特定多数がそれを見にやって来る様なイベントも皆無に等しい。
となれば仮に楽譜だけだったとしてもせめて自分で誰でも見られる様にしとくべきで、そうしてすら音や姿の印象が残せないんだから動画全盛の中ではとても苦しい。

だがそんな手間を面倒だと一蹴しては怠慢で、それは過去と比べたら一目瞭然だ。
実際体験した期間割合が多かったが昔だったら多重録音や打込みは簡単には出来なかったから、メンバー不足の時は何も正規のお披露目は出来なかった。

だからって妥協して誰かに協力して貰っても、意図の反映が不充分でこっちのイメージが伝え切れない。
或は単独弾き語りにするにしてもそれが正規のスタイルの人じゃ無いと、例えばコーラスも売りの一部にしてたりするとそこが披露出来ない。

それである程度の規模が要る人から積極的に取り組みだしてるんだろうが、近年みたいに生のジャムセッションや飛び入りが減って来るとソリストだってもう他人事では無い。
場の問題だけじゃ無く年寄り観点からだと一番気になるのは所謂「スタンダードナンバー」の衰退で、知らなかったり弾けなかったり共通事項が不足し過ぎてるのが何よりヤバイ。

これは実は個人発信に限らんが、誰でも知ってるので誰も知らないのを披露出来てこそ真の個性と言えるのに繋がっているからだ。
仮にどんなに個性的な音が出せても素人や初見さんは、曲のせいか編曲のせいか演奏のせいでそうなってるのか直ちには判別出来ないからだ。

<つづく>

2020年5月19日 (火)

音楽備忘録286 音楽も含めたテレワーク②

前回最後で「肝心な処が捗らない」がビジネスであればそれは=仕事であるが、今の内閣なんか態度迄不遜とは救い様が無い。
Rock系って元々反体制側だけど、それでも露骨に批判するのは好きじゃないけどこの有様ではね。

毎度の私的ではあるがこんなのがまかり通る様になった根源を探ると、労働実態より「態度を優先」させる様な風潮が蔓延したのがいけないと思っている。
どっちも悪くて良い事は1つも無いけれど、真の意味での優先順位を忘れちゃったら駄目だよね。

或は見栄え≒第一印象は良いに越した事ぁねぇが、猫も杓子もは一寸行き過ぎだったとね。
ヴィジュアルが売りの根幹ならそれで正道だけど、中身の方に比重のあるの迄そっちへ振り過ぎちゃしょーもねーや。

本邦首相の給料は多分他国比だと廉価だろうが、どんなに雀の涙でもそのまま溝に流すのと同じ様では無駄な出費だ。
この不景気に「働かない・働けない」奴なんかに払う余裕は皆無で、割高割安より兎に角仕事が進む方が先ず大事だ。

こないだかの「暴言市長」に関する記事を読んで納得したんだが、口は最悪でもちゃんとしっかり市の為に仕事はしてるんだそうな。
勿論口の悪過ぎにはそこの市民は恥ずかしくて仕方無いだろうが、市長の仕事の本質はナレーターとかアナウンサーじゃ無い。

それと似た感じでテレワーク案件についても所謂一般的なデスクワークでは、無理が生じるのは僅少なのでもっと平時から推進すべきだろう。
対して音楽等のリアルタイム合奏等では現行回線やシステムでは不可能に等しいので、こっちこそがわざわざもっと出向いて行うべきと考えられる。

それからすると正しい!?ラッシュアワーには背広野郎なんて殆ど居なくて、上から眺めたらきっともっとカラフルである筈だ。
しかも他にも訳ありで一般ビジネスより創作をする者の方が道具も多く、例え大柄屈強で担げたとしてもケース入りのコントラバス背負って自転車に乗れても今ある専用レーンじゃ狭くて走れないだろうからね。

と何時迄言ってても当分はどうにもならなさそうだから各自で工夫を凝らすしか無いが、この面でも本邦ミュージシャンはより逆境に置かれてる前提は認めとくしか無い。
無理な箇所へ執着してそれだけで諦めてしまうか、可能な処だけでも手を打って行ってみるかである。

私的には後者推奨で、それは後に環境改善が進んだりした時にも役立つからだ。
変な例えだが俺は現況携帯電話不所持なので積極的には学んで無いが、偶然遭遇したそれ用のコツ等は頭の片隅に留める様に心掛けている。

最初は遅れて持っても割と直に使える様にって腹だったが、その後は大分様相が変化して来た。
こっちは無くても相手は持ってたりそれでコンタクトして来る事が増えたので、多少なりとも相手の置かれてる状況は分からんより分かった方が何かと良いかと。

正社員の方には耳に痛くて済まぬが、無駄な通勤費用を払える会社に居る事は一面で誇って良い。
ホントに台所事情が厳しければそんな悠長な真似は出来ないだろうし、時間的にも通勤に取られる分は無効となるからね。

第1段階では残業を増やしてって・第2段階になると泊まり込んで、それでも駄目なら同僚等へ託してってのも人員が潤沢だったらの話しだ。
小説家等にだってスタッフや協力者は勿論付いちゃ居るが、完全に同じ分野を共同で担うのは不可能だ。

個人事業主ってな仲間に左右される度合いが少ない代わり、環境に無関係に元から真の意味での自己責任状態にある。
グループを組んでても自担当がたった1人だったらそこは個人でやってるのと全く同じで、代役を求めるのも自由だがそれをし過ぎれば失業なんですね。

それからすると別にコロナ禍とかテレワークがどうのとは無関係に、本質的には当初から工夫必須の業界若しくは世界と考えられる。
中でも映像系や音楽系は確認するだけで一々一通り頭からお尻迄再生してみなきゃなんなくて、その面で最低必要時間の短縮が不可能だ。

さすれば出向くの必須のリアルタイム合奏は仕方無いとして、在宅で可能なのは全てそうでもしとかないととてもじゃ無いが時間が不足する。
のに気付けないで居るのが身近にも散見されるが、恐らく全体像が今一見えて無いのがその原因だろう。

<つづく>

2020年5月18日 (月)

音楽備忘録285 音楽も含めたテレワーク①

前回にそもそも個人宅でのテレワーク環境不備へ成行きで到達したので、一応お題もそれに合わせて修正してみた。
んだけんどもテレワークは愚か自宅での楽器練習等、今本邦では基本的に家では何かの作業をするとか出来るってのが不足し過ぎてるのが厳しい。

限られた空間で快適性を追及したり在宅時間とそれに掛るコスト等の都合でよりこうなったんだろうが、私的には幾ら何でもカプセルホテル化させ過ぎじゃん
と思っている。
その根底には是又政策の不備があるとしか考えられんが、それは「寝蔵」に対する考え方の中途半端過ぎが不味かったと思われる。

今は台所より風呂・トイレの方が必須とされててそれは間違っちゃ居ないが、真に「帰って寝るだけ」の空間とするなら最早個人所有・占有の必要なんてあるのかどうかだ。
それに加え自宅で不可能となった作業をしたい時の施設はもっと潤沢に用意しとくべきで、しかもこの方向性で行くなら頻度差はあれ誰でも必ず必要とするのだから無料若しくは低廉でなくちゃ嘘になる。

多様な思考の人が混在してるから完全統一を目指しては旧共産主義みたいになって駄目だけど、自粛要請と補償はセットなのと同じでちゃんとセットになってないと機能しないのが無視されている。
とは言え何時迄も無能政府に文句を付けて待ってても世界から取り残されちゃ敵わんから、本来はNot My Businessでも自前で進めなくては埒が開かない。

低レベルで悲しいもある意味こんな処も「出し抜く」キッカケにもなり得る訳で、少なくとも非リア充だったら直ちに取り掛かるのがお薦めだ。
事前準備されてる資金も無く個人って小規模では出来る事はささやかではあるが、塵も積もれば山となるで放っとくと後で追い付けなくなる危惧がある。

音楽に携わってる場合特に気にすべきが技量・奏力・経験値で、やり方さえ分かれば直に実用に供すとは行かないのが多いからだ。
ここでの鍵は費用対効果の継続性で、具体的には毎回他所の設備を借りるのと自前で徐々に設備を整えた場合の「後での違い」だ。

外に求めた場合の損得は維持管理不要だが「その場限り」な処で、滅多に起きないけど今回みたいな事態に遭遇すると何も出来なくなる。
ここで通常時の人の生活実態も加味してくと今回みたいなのは無くても、予想外の休日が手に入るなんてのならそこそこあり得るだろう。

宅外でしか活動しない想定で暮らしてても急遽相手の都合で予定が流れ、そんな時に常に個人練習でもStudioに空きがあるとは限らない。
それと賃貸料も単位あたりは廉価で直に払えても、積算したらどの位膨らんでるのかを注視しとかないとならない。

元から閑古鳥とは云え流石に今は非営業にしてるが、個人宅で一応録音Studioをやってる者の観点ででもだ。
余計な事を暴露して更に儲けが減るのも苦しいが、商業目的で始めたんでは無く空き時間の有効活用や維持費の調達を目論んだ結果だ。

又借りる場合に考慮の要るのが「借りる道具」のコンディションで、運悪く寸前に借りた奴が人でなしだったりするとそれだけで正規の状態が得られなかったりする。
これを気にすると賃料は一気に跳ね上がり、選択肢数もかなり限られてしまう。

軽い練習に大したコンディションも不要かもだが、だからって何時も酷過ぎるのばかりしか体験出来ないでいるとこっちの感覚が狂わされる事だってある。
これが厄介を孕んでるのは人に依って何処がどれ位じゃないと困るかがかなり違ってるからで、パーソナルな行為なだけに○○様専用的要求が強い。

更に付記しとくと業者側のスキルの低下が顕著で、完全な専門家じゃないと扱えない機材しか無かった時代と比べると仕方無い現象かも知れない。
昔のStudioだってしょーも無いオヤジは勿論居たが、今とは「駄目な場所」は明らかに違っていた。

他の処でだってそうだろうが昔のは最低限の仕事はこなせるが、呑んだくれてたりセクハラ大王だったり…。
実際それにも困らされたけど費用をつぎ込んでて一番困るのは、どんなに態度その他が良かろうと肝心な部分がちっとも捗らない場合だ。

<つづく>

2020年5月14日 (木)

音楽備忘録281 バスドラペダルとフレージング26

大分長く続いたんでそろそろ本項は一旦閉めようと思うけど、原典体験が有益且つ重要なのはドラムに限らない。
尤も現代ではPAその他の「補助機器」の発展・普及で知らなくたって音楽出来なくはならないが、それならそれでやり方を再考するのがお勧めだ。

打込みや電子楽器を利用すれば人力・天然だけでは不可能なのが色々演れるので、例えばバスドラにトリガーを常用する位ならわざわざ生のセットに固執するのは最早時代遅れだ。
ってのも生+トリガーで「出来る事」は既にかなり出尽くしてるから、もし今から始めて追付く頃には「懐かしいもの」になってるだろうからね。

単純にそれが好きなだけで周囲の評価を無視出来るならご自由にだけど、例えどんなに上達出来ても貴方が初めて触れた時の様なインパクトを他人は決して感じてくれない。
特別に興味を持ち続けてる人以外には、時間の経過やオリジナルじゃ無い事の影響は大きいもんだ。

俺が古典ペダルで新技開発に繋がったのは千載一遇の偶然でしか無かったが、僅かな色気はあったもののそれが目的でなった訳じゃありませぬ。
単に自分の求めるスタイルを追及しようとしただけで、ある意味ホントは残念だけど「自分の齢」を受け入れたからだ。

本邦では未だにベテラン達人の一部に所謂「齢甲斐の無い」真似をするみっともないのが居るが、それを見てああにだけはなりたくないと思ったのが本音だ。
その何が駄目って道具や新風貌が演ってる音楽とミスマッチだったからで、採り入れ方の勘違いの典型なのだ。

ブームはとうの昔に過ぎてジリ貧の辛苦を舐めた挙句なんだろうが、「不人気でも残ってた良さ」をスポイルしては本末転倒じゃないですか。
Rock系も歴史が積み重なって新しくは無くなった以上、以前よりどれだけ「それらしく」出来るかが鍵を握ってると思っている。

それへ「三つ子の魂百まで」を加味して考察すると、世代や時期を否定するのは決して利口じゃ無いのは気付けるだろうか。
例えば今聴いても素晴らしい過去作は幾らでもあるが、出た当時の衝撃はその時に既に生まれてた人にしか体感は持てない。

とすればそれは世代特有の武器でもあり、例え新規開発するにしてもその「感覚」を活用しない手は無いのだ。
ベテラン或は新鮮味は失せた者・物が何らかの新規を企てられるとしたらその源はコレしか無く、換言すれば「世間視点の新旧を下手に気にし過ぎない」のがコツであろう。

僭越だが一応体験者として提言させて貰っとくと、ネタとなり得るのは音楽でもその道具でもシンプルなのが決め手だ。
既に色々加えられてる物だとそれに依る制約が大きくなってて、それの除去作業をする位ならそれ自体の「元ネタ」へアクセスした方が手っ取り早い。

今回はその中でお題に従ってペダルのみに絞っとくが、付加機能等の多い物程この目的には合致しない。
これには物理的に以下の様な問題が考えられ、多機能を搭載する為の土台に不要部分が発生する可能性があるからだ。

中にはEdward Van Halenなんかみたいに自分で思い切ってボディを削っちゃう様な勇者も居そうだが、本人談に依れば自加工前より音色が劣化したんだそうな。
完成品になってる物から削るより足りないのを足したり強化する方が技術的にも楽だし、当初は仮設としとけば駄目だったら元に戻せば良いだけだからね。

それからすると現代的な高機能なヤツはこの手のネタには不適格で、知恵無しでの追設は不可能でも古典的でシンプルなの程発展性は高い。
そんなん語っといて実際俺は殆どは調整しかして無いけど、手持ちYAMAHA FPとか従兄所持のTAMAので「擬似ロングボード」実験ってのはやったことがある。

それはフットボードヒール部を固定させる為に本体と連結してる嵌め込み式の鉄棒を、本体側から敢えて不安定になるが一時的に外すってのだ。
これは従兄がご執心のヤヤンクちゃんの擬似体験を狙ったもので、もし好結果ならその連結棒部分だけを新規に捏造!?してやろうって魂胆だった。

結局現時点では作製要望は出て無いが無償のプチ体験としては一応アリで、もし立派なアンダープレート付きのだったら邪道だがこんな芸当は即座に簡単にとは行かなかっただろう。
素手で分解可能な構造のだったら取敢えず一寸だけ試したい時、簡単だし楽だしで例え不完全でも様子見位はもう思い立ったその場で試せるんですよね。

<つづく>

2020年5月13日 (水)

音楽備忘録280 バスドラペダルとフレージング25

Drummerは副業でも昔からバスドラは猛ヲタで、その中でもかつては専門!?だったパワー案件を今日のお題にしよう。
当然の如くペダルの古典系・現代系とも絡めて行くが、ペダルの風貌のせいでどうしても古典系が非力に見えてる人も多いだろう。

既に正規の踏み方を会得済みじゃ無けりゃ少し試した程度では分からないが、体験からすると例えばSpeedkingは全く底知れぬ感じなのだ。
他の現代系ペダルだったら大体これが最大だなってのは直に掴めたんだが、もしかしたらSpeedkingでは未だに出せる最大迄到達出来てないかも知れない。

俺自身も知ってる分野以外では凡人そのものなので、見た目から購入当初はパワーは全く期待して無かった。
尤も元々足は強いが手は弱かったのもあって、モアパワーの要望が無かったのもあっただろう。

実際使用開始から1年間程はピークは未だしもアベレージ音量は低下してたが、力では言う事を訊いてくれないペダルなのが分り出してからは情勢が逆転した。
それでも暫くの間は「何か今無造作にしてたら一寸大きかったかな」と思っても、音色のせいもあって録音してみる迄は半信半疑だった。

ペダルだけじゃ無くドラムセット自体も古典的薄胴タイプのは、印象だけだと良く言やけたたましく無い悪く言や非力に感じられる。
特に叩いてる本人にはそう感じられるが、いざ録ってみたり遠くから聴いてみると正反対な事が多い。

これはSpeedkingがある程度手に負え出してから従兄の処へ自慢しにお邪魔してハッキリしたが、この件にはおあつらえ向きな事に彼の処のセットは厚胴及び一部深胴のでペダル共々現代系のだったのだ。
そこで普段自宅で演ってるままに叩いた処、無駄な爆音になって驚くやら草臥れるやら。

当初は部屋の残響が正反対なせいと思ってたが、その後毎週通い出して1年位経過する迄俺の耳は慣れられなかった。
ってより必要性が無い限りセーブする様に自然となってったみたいだが、どうやら自宅での練習の仕方がこんなのを引き起こしてたらしい。

ペダルがSpeedkingになるよりかなり前から、ドラムセットはレインフォースメント仕様のLudwigとなっていた。
このセットで良い音色が出る様にしようとすると、少なくともRock系では手抜きせず「ちゃんと叩かないと」駄目だった。

これはどんなセットでだって本来は共通事項なんだが、現代系厚深胴のになる程「ボロが出難くなる」のは確かだ。
手抜きで音量は落ちても音色はそんなに変わらなくて、単独演奏時だと殆ど気にならない。

これは後に今も休業中の別の仲間と3人で合奏する様になったらひっくり返っちまったが、従兄が単独演奏してる音は当時病み上がりなのにこんな音が出せるとは流石は先生だなんて思ってたもんだ。
実際叩き方の上手下手でかなり音色にも差は付くもんだが、それだって最低限音量が足りてて初めて有効化するのだ。

ペダルでもセット新旧の違いと同傾向で、誤魔化しが許されない点で古典系は厳しいとは言える。
が、どうせ本番が無忖度爆音楽隊なんだったら正直な方が却って親切なのである。

特にこれが真面目で練習熱心な人には影響大で、散々個人で温めといたのが無駄になる心配を排除出来るのだ。
敢えて音響の専門家として偉そうに!?指摘させといて頂くが聴力が健常であれば、Rock系等のドラムセットの至近音量はマトモな音量判定は人には不可能な領域だ。

でも達人達は現場で音を出し乍らバランスを取れるのはどうしてかってば、近い大きさのと「比べる」事は出来るからだ。
もっと原点的に言えば例えばDrummerとBassistが人も楽器も隣合わせに並んでて、バスドラとBassを同時に鳴らした時どっちかが小さいとか聴こえないとか…。

これがコロナ禍が無くったって日本じゃ環境等的に体験頻度を多くは持てないのと、過剰PA依存のお陰で極めて不利な条件下に置かれている。
今時生より練習環境を得易い電子ドラムがあるってのにわざわざ生で行くのなら、独りで演ったら凄い音・皆と演ったら聴こえなかったなんてんじゃ悲しいよね。

<つづく>

2020年5月12日 (火)

音楽備忘録279 バスドラペダルとフレージング24

今回は「ペダルが足に追付かない」なんてエキセントリックなのを掲げてスタートするが、普通は手だって足だって奏者の方が追付かなくなってるが…。
俺自身にしても手は基本的に全部😓・足だって殆どは何時も人の方が後れを取ってるが、Speedkingだと割と普通に出来るのが現代系ペダルだとそう行ってくれないのが1つ見つかったんだ。

それは俺言い「1足3連」(詳細は過去記事参照願)ってのとか、足首→脚の連続Doubleを演ろうとした際だ。
その主因を探るとビータ戻りの速さも少しはありそうだが、兎に角フットボードに爪先がヒットしてから音の出るのが遅過ぎだったからの様だ。

極端表現すると3連続だし速さも出そうとしてるんで、爪先が当たったらそれで音が鳴るより先にもう次を鳴らす準備態勢へ向かう様な足・脚動作をさせてる感じ。
でこれがSpeedkingなら爪先の接触感がOKなら想定通りに音が出てくれるのに、現代系では最悪時は足は3つつっ突いてるのに何と音はたったの1つしかなんて悲劇に見舞われるのである。

これの連打間隔を提示しとくと俺現状では、テンポは160位迄で4拍子系の6連符の半分分と云った処。
勿論バネ強もバネ凶だろうがこんな短時間になって来ると、どうも可動部全体の質量過大が不味いみたいなのだ。

重いとその分力が要るのもご苦労さんだが、これはまだ馬鹿力でも発揮させりゃちったあ補えるだろう。
どんな怪力でも通用しないのは「動き始める迄」の時間と、所謂「初速」の遅さと加速度の小ささだ。

例の如く交通系ので比喩してくが状況設定は、ヨーイドンでバスと人間で競争するとする。
スタート直後はどんな鈍足でも恐らく大抵何歩目か迄は人の方が先行して、その後はバスの圧勝となるだろう。

これで言えばこの奏法は「初めの一歩」で鳴らす仕組みなので、そこが速められなければ救いは無いのである。
しかも困るのはこっちがペダル君に最大忖度して速度を落そうもんなら、勢いに依るパワーが低下して足りるだけ鳴らせなくなっちまうからたちが悪い。

とは言えこんなフレーズは俺知りでは世界でもせいぜい10人位しか使ってないみたいだから何だが、鳴らせはしたとしてもこれより遅くて間に合うフレーズでも労力に差があるのは間違い無いと考えられる。
では足首→脚の連続Doubleの方ではってぇと、こっちはバネ凶の影響の方が大きい。

がそれ以上に響くのが「どれだけフットボードの奥で踏めるか」で、半分位はイメージだけにせよ「カカトで踏もうとする」からだ。
非連続であれば爪先がフットボードの後ろヒンジより前で踏めればOKなんで、フットボードの長さや使える範囲は大した問題とならない。

のが長く継続させたけりゃカカトもヒンジ前に入れられないと困難で、概述の俺言い「お邪魔プーリー仕様」なんかだとロングボードでも使える範囲が限定されてて無理だったりする。
これが平気だったとしてもロングボードでは踏み位置に依る負荷差が大きくなるので、バネが余程弱められないとやはり継続困難に至ってしまう。

これ等からすると現代系ペダルは古典必要最低限系のより、少なくともDoubleは演り難い物との答えになる。
ここで皆さんに問いたいのは「Single Stroke専用バチ」ってあるのかよで、あたかもペダルではそれが現代は許されてる様なもんじゃないかと。

俺は現代ペダルの方が悪癖を持ってるんだと吠え続けてるのは、こう云うのが原因なのだ。
今時はそんなに誰もがあらゆる奏法を駆使しようとはしてないみたいだから、大変気付き難いだろうがこれが真実だ。

「なるべく早期に皆さんSpeedking体験を」と連呼してるのはこれもあるからで、理想としては最初に踏むのがSpeedkingであると好ましい。
概述かも分からなくなっちゃってるけど実は筆者、生まれて初めてマトモにドラムセットを弄らせて貰った時のペダルが全くの偶然だがSpeedkingだった。

その後40年以上もずっとご無沙汰続きで意識としての記憶は無くなってたが、もしかしたらこの体験が三つ子の魂百迄となって何処かに残ってたのかも知れない。
この体験は従兄と共通の友人宅での事で当然従兄も同伴してたが、当時従兄はVocalistでまだ太鼓への興味は芽生えて無かったので殆ど触れていなかった。

もしタイムマシンが使えたらこの時へ戻って、無理矢理にでも従兄にSpeedkingを踏ませてみたい。
従兄とは従兄って位だから体の¼は「同じ部品」で出来てる訳で、得手不得手等の個人差があるにしても達人級でそこ迄Speedkingに違和感を覚えたって方が俺にはよっぽど違和感があるからだ。

最近は益々偏向報道も酷くなってるが、後で困るのは騙された方なのだ。
偏向現代ペダルでは足技育成に不具合が出ると思われるが、それをペダルメーカは一切補償なんてしてくないんだよ。

<つづく>

2020年5月11日 (月)

音楽備忘録278 バスドラペダルとフレージング23

前回提示した「古典ペダルに挑戦せよ」には他意もあって、これは今迄はどうも駄目だったからの前提も含めてみている。
何の事は無い現代一般環境から、一歩だけ踏み込ませてみただけの事だ。

俺はグズグズしてるのは好きじゃ無いからか単細胞だからか、従前はずっと効果の片鱗がすぐに見えない物には興味が無かった。
しかし従兄に依れば特にドラムでパワーやスピードを求める場合、急がず気長に構えないと他のより上手く行かないんだそうだ。

それがこんな俺でも実感出来る様になったのは極最近だが😓、出来ない内は全く想像が付かない様な処から出来る様になるからなのかも知れない。
体質次第で変わる可能性も大だが私体験では、速度を意識してたら何故か何時の間にかパワフルになってた等逆が結構多かった。

Speedking使用開始当初は実例があるにも拘らずパワーには期待してなくて、やはり現代比だと華奢なのがその理由だ。
何しろ体格も腕も本家達人には相当劣ってるんだから半ば当然の覚悟でもあるが、買ってすぐに壊したくないなんてのも正直あった。

それでいて色々捏ね繰り回した結果かから見えたのは、今更下らん話しだが楽器演奏と土木工事は別物でしたってな按配だ。
土木の方だって達人は最小の労力で最大の仕事を達成してるが、それ以上にこっちはホントに「コントロール命の世界」なんだなあと感じさせられた。

体験的に古典ペダルでパワーもスピードも一番上手く行ってしまったのは完全無意識の時で、全く予定も
無かったのに何となくサッと踏んじまった様な時だった。
ペダルで気付いてそれを手の方でも注意してみたらやはり一緒で、達人になる程何処の世界でも基礎練を重視するのはコレかぁなんて勝手に納得している。

尤もよくよく色々観察してみればよよかちゃんみたいな子供でもドラムでなら並み居る屈強な大人より爆音が出せてて、それからすると鍵を握ってるのはある意味すばしっこさらしい。
ここで速さと表現しなかったのはその質に条件があるみたいだからで、どんなに速くても速度の為以外の力が入ってたら駄目なのである。

それからすれば勢いだけ凄くて大人よりは大抵非力な子供の方が向いていて、体の軽さを補って余りあると考えられる。
重い程動かすのに力が要るし、どんな怪力でもどうしたって動き始めは軽いのよりは遅めになる。

但し一度動き出すと慣性モーメントが大きいので、どんどん加速して行き易い。
何れにしても簡単に動かせればそもそも力は少なくて済むし、そうじゃ無い方だとその代り今度は止めるのも大変な位となっている。

これらを総合するとどんな体の持ち主だろうと、必要最低限の力しか込めないのが瞬速には相応しい様だ。
これに対して道具側で重要となるのが動かす為のパワーの程度で、極力「自分の体を動かすだけ」以上の力が要求されぬ事であろう。

この条件を満たすにはバネ強さ・可動部の重量等が小さいのが先ず向いてるが、その他にも与えた力と勢いをそのままの形で皮をぶつ所迄伝えてくれるかどうかだ。
手の方ならバチは手で直に持ってるからその反応は手応えとして伝わって来るが、バスドラペダルの場合はビータと足の間にメカが介在している。

ここで余計なお世話を焼いてくれると、例えば初めの内は踏んだのよりパワフルで快適なんて思うかも知れない。
しかしそれでは反応がリニアじゃ無いから、何時まで経ったって「正しい足加減」ってのを知る事すら出来ないのだ。

せめて手の方も同じタイプのペダルでも使って叩いてるんなら良いが、手は分かり易過ぎで足は分かり難過ぎじゃシュール過ぎやしませんかねえ。
古典ペダルを体との一体感がみたいに語られてるのは多分この事で、素手でだったら自分で動かせる限りはそのフレーズって全部出来るんだからさ。

<つづく>

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