文化・芸術

2020年8月 8日 (土)

音楽備忘録367 素人に可能な防音・遮音㉒

さて従兄現行レッスン室の低域漏洩問題であるが、設計とは用途違いな使い方をしてるとは云え無防音な訳でも無い。
裏口の階段通路を挟んだ向かいが丁度舞台裏なので、少なくともそこからの影響を回避させる程度の処置は十二分になされている。

これ迄徐々に調査を進めて来てるが、部屋自体の遮音性には大きな問題の無きらしきは既に確認出来た。
どうやら吸排気のダクトに問題がある様で、しかしこれも全く無策で筒抜けになってる訳では決して無い。

ダクトの途中には製品版の吸音箱が挿入されてるが、これの主目的は中高域の減衰だ。
だから肉声とかであれば中で絶叫したって外では全然分からなくなってるが、低音の方だとそうは行かない。

何が厳しそうかってばビルの耐火法の関係か、ダクトが金属パイプ且つ内面剥き出しの直管なのが災いしてるみたいだ。
地下室な上に吸排気口は駐車場屋根先端にあるので、距離減衰の為の長さとしては贅沢な位だ。

だが長さが効果を発揮するにはダクト内の反射が良くては元も子も無く、これでは昔売られてた有名な土管型!?のサブウーハの高性能版となってしまう。
しかし耐火建築の場合可燃性の木製階段がアウトなので、恐らくそれと同じで違うフロアに炎が伝わる仕様は無理だからか。

防音・遮音の都合としては吸音材無しは致命傷で、管内の反射が良いのは楽器用の音響管と化してしまう。
これを別角度から表現すれば空気の動きがほぼ無制限に伝わると云え、吸音材に依る撹乱作用が無いからだ。

因みに従兄宅の駐車場屋根部ダクトの長さは6m程度だが、この際なんでチト簡易計算をしてみた。※公式:λ[m](波長)=c[m/Sec](空気中の音速)÷f[Hz](音の周波数)
これで分るのは大凡どの周波数の音を露骨に出してしまうかで、音速を340m/Secで計算すると56.7Hzと出た。

実際の全長はもっと長いが途中で急角度の折れ曲がりがあると、少なくとも短波長の高域は影響を受けて減衰する。
なんで要するに現況では特に低域に関しては、あたかもパイプオルガンの低音域の音響管と化してるんだからそりゃ良く鳴る訳だ。

こうなるとダクトに入る前に低音を殺しとく他無く、低予算で自前でとなるとレッスン室の排気口の手前に吸音材貼り詰め迷路箱でも追設するしかない。
本来なら見栄えでは無く振動成分伝播を低減させる為に最低でも天井裏等へ隔離設置するもんだが、それでは天井を改築せねばならない。

どの道最終的にはこれは必須と考えられるが、手始めの段階として今は違う方策が練られている。
それは従兄の実験試聴に依れば多数あるダクト毎で洩れが異なるらしいので、一番洩れてる不要なのから閉鎖実験を示唆しておいた。

これにはダクト洩れが最大要因かの確認も兼ねていて、何も手を付けずに分かる範囲は既に網羅されたと考えられるからだ。
コロナ騒動が無くても俺が毎日出向ける程近所じゃ無いし、従兄もレッスンその他の合間を縫っての作業だから調査自体にもかなり時間を要した。

他にも並行しての懸案があるが、それはLANケーブルの敷設だ。
宅もそうだが昭和末期の建築物なので当然そんなのの想定・準備は無く、詳細は別項の新記事の方へ譲るが「線を通す」のに難儀している。

それでも宅は録音用だから現況は「要らんわい」と開き直っちゃってるが、隣室間に窓があるのでいざとなったら窓越しに電波(Wi-Fi等)を使う手が残っている。
従兄の方はオンラインレッスンをもう始めてるってのに、折角あるレッスン室からはまだ配信出来ないのは痛い。

今だと業者でも自前でも追加配線に対する配慮がされててもおかしく無いが、なまじフォーマットが長期安定期だとこんな不便に後から苛まれるもんだ。
こんな状況に限っては構造の理解度も含め自前施工の方が圧倒的に有利で、次回は内外配線での漏音を防止する方法について記すとしよう。

<つづく>

2020年8月 6日 (木)

音楽備忘録365 素人に可能な防音・遮音㉑

今回は一寸工作面から離れるが、本邦での騒音等に対する認識不足へ言及しときたい。
従兄の教室は長年特に問題無くやってて、今更それにケチを付けたの俺だ。

これの最大原因は設計用途とは異なる使い方をしたのに始まるが、概述の通り彼宅は元はLivehouseであった。
その店は表通りに面しちゃいるが典型的な繁華街とかでは無いので、防音に関しては結構な対策が当初から取られていた。

それでも実際やってみると想定外の騒音問題が発生したが、Live後に興奮したお客さんが店外の近隣で騒ぐのがウルサイって…。
それでもこれが原因で閉店した訳じゃ無く、店主(従兄)の健康状態の悪化が唯一って位演奏音の遮蔽は達成されていた。

にも拘らず現行ドラム教室の何が問題かってば、店では無く楽屋の方を専用化対策をせぬままレッスン室に転用してるからだ。
決して無防音では無いが店側とは遮音の設計グレードは違ってるし、表通り側で無く裏の住宅街の方へ面してるのも不利な処。

建設当時は表通りを大型ダンプカーが昼夜問わず爆走してたのが、何時の間にか車の交通量自体が激減。
しかも表通りと言っても駅前とかじゃないからか、かつては沢山あった個人商店が後継者難等もあって只の住居に変身等と色々な情勢変化もあった。

時々どうでも良い処で変態性を炸裂させたりするが基本的に従兄は生真面目な常識人で、決して近所を軽視したりはしていない。
しかし個人経営の教室で自分が叩いてると外で様子伺えないからか、当初はセーフでも今だとヤバイレベルになりつつあるのが気付けなかったみたいだ。

変な理屈だがこんなのに限っては傍若無人君の方がまだ救いがあって、普段無視してるだけで何かしらのヤバさがあるのを案外少しは察してたりするからだ。
普段欠点が無いと想定外のが自覚し辛い箇所で起きた時、それを把握するのにはどうしたって時間が掛る。

しかし加害者がどんな人格であろうと駄目なものは駄目なので、本来は人格等に無関係な方法で判断出来ると良い。
が現状過度な同調圧力に支配された本邦ではこの部分は軽視され気味で、近隣トラブルの大きな一翼を担ってるのは残念ではある。

本来なら住民民度に依存しないのが望ましいが、理論的に必要な最低限の隔離距離が取れて無いとなれば仕方無い側面もあるだろう。
それにしても幾ら低民度日本でも全く理不尽だが、近年のタバコの立場宜しく楽器音となれば途端に厳しくなる。

敢えて一寸不貞腐れれば、そんなに面倒ならもう楽器なんて止めちまえなんてのもありそうだ。
実際身近にも度重なる値上げと排斥圧力に屈してタバコを止めた人も多いが、その分のストレスを上手に転化出来てたり節約出来てたなら立派だ。

だが体裁優先で無理し過ぎれば他の多くの部分でそれ以上の負の作用が出るのが常で、私的には上手にお酒をたしなめられない人が増えた等の一因ではと訝っている。
煽り運転や自粛警察とかも似た様なもんで、何かを無理に我慢した裏返しだったとしたら迷惑千万だ。

変な例えだが合法的に煽れる場所!?として、レースなんかが考えられる。
勿論カテゴリー毎に様々な絶対的ルールはあるが、それを破った場合自粛警察なんて当てにしなくてもしっかり本人にペナルティーが与えられる。

その自粛警察にしたって無暗に正義感を振りかざせる場所!?として、戒律の厳しい新興宗教等が考えられる。
信者同士間限定なら一般社会より厳密にしてもお互い様で済ませられるし、万一暴走仕掛かっても偉い教祖様にちゃんと導いて頂ける。

上記が紛いなりにも一応成立してるのは、結局は事前の同意が確認されてるからだ。
それからすると弾かない人に弾く人の感覚を押付けたら無理なのは自明の理で、酔いどれの遠吠えは許して麗しい音色を否定されても仕方無い。

なんて若い頃はこう云う一種の差別には極限迄腹を立ててたし、今だってどんなのでも差別は大嫌いだ。
だが真剣に対峙するにはこっちに落ち度の無い証明が、先に要るんじゃないかと最近は思う様になった。

多くの場合音楽等をやらない人は失礼表現だが、正直吐露すりゃこっちより音に対してアホなんや。
分らん物を正しく判断なんて出来っこ無い訳で、それには例えばこんなにウルサイのをこんなに静かに迄しとるんやでみたいなのが相応しい。

実際に実現するとなると困難を極めるけれども、全くどうにもならんとは限らないし。
意外なキッカケが見つかる事だって挑戦さえ続けてれば必ず訪れる筈ってんで、只今二人三脚で泥沼を徘徊中だ。

<つづく>

2020年7月26日 (日)

音楽備忘録354 ヘッドホンと体格の関係Ⅰ

執筆に際し精査したでもないけれど、長年の体験事例だけでも記録しとこうってな魂胆だ。
家庭の事情でもう暫く前から休業を余儀なくされてるが、録音Studioをやってると実に色んな人がやって来ていた。

宅は当然乍らRock系を専門としてはいるが、駅近でもなけりゃ箱も人も完全無名の存在だ。
当初はネットなんて無普及だったのと無予算だったのもあって、そのままずっと広告は一切出していない。

尤も万一宣伝して上手く行って大勢押し掛けられた処で、1部屋しか無いわ狭いわで看板に偽りありと思われても困る。
又自分も過去に散々体験して困窮させられたが、少なくとも当時本邦身近では例えばFunk専門のスタジオなんてのにはお目に掛れなかった。

これ等から専門外でも手に負えるのなら何でも引受ける事にし、そうしてると普段音楽を演るのに全くヘッドホンなんて使わない方々もお越しになられた訳だ。
そうなるとこっちはオーダーメイドの仕立屋さん並のスキルが要求され、機種選択はおろか被り方や適正判定の仕方からのレクチャーも必須となった。

聴こえ方の不備のせいで録音が悪くなって、箱や俺の名声(あるのかよ???)に傷が付いては敵わんとな。
いやそれは言い過ぎとして色んなのに対する耐性は高目の俺でも、実際より相当悪く思われるのだけは流石に勘弁ですがな。

だいいち良い音を求めた挙句の果てなので、悪い音には一切加担したくのう御座居ます。
そうこうする内使用者の耳の形を観察する癖が付いて来て、改めて眺めてみると驚く程個性豊かなもんでやんした。

それも顔のパーツとしてなら普通は美人で酷い鼻なんてなあり得んのに、耳に限ると正反対なんてのも平気であるんですわねえ。(他意無し、失礼😓)
そんな「千差万別なの」が更に付いてる位置や、頭頂部からの距離だって千差万別なんだからねぇ。

すると単に頭でっかちでもヘッドホンは小型ので間に合う人も居りゃ、小顔だから余裕かと思ったらヘッドバンド最長にしても何だか苦しそうなんてのが…。
俺は後頭部絶壁野郎とののしられて研究心が芽生えたのか、大小に関わらず形は実に様々だった


個人的に理想に反してるのは何たって真上から見ると頭が平べったく扁平してるのが我慢ならず、頭の絶対的大きさ以上に顔が自動的に巾広になっちまう。
そんな事嘆いたって殆どどうにも出来ないし、頭でっかちか大顔連のどっちが先でそうなっちゃったのかすら不明だ。

せめて同じ大頭でも奥行きが深いタイプだったら少しは恰好良かったんだろうが、もしかしたら横から見られたら今度は顔巾の割に頭がより大きく見えて悩むかも知れん。
この際見栄えは完全放棄したとしてもまだまだ懸念は残ってて、サイズに見合ったお利口度が無いと努力の足りない人に見えたりしたら…閑話休題。

ヘッドホン的観点からの俺頭としては耳が割と低い位置に付いてるので、全体としての頭の大きさ以上にヘッドバンドの長さが無いと足りない。
とこんなのが沢山あるから誰でも合せられるにはインナーイヤーの方が簡単なんだろうけど、一定以上低域含有率が高い爆音に対しては被らず突っ込むだけではどうにも遮音性が足らない。

他にもインナーは発音源が鼓膜に近過ぎるのに俺は問題意識を持ってるが、普通はそんな短距離で何かを聴くなんて先ず無いからだ。
特に一定以上の大きさのある生楽器ではそこ迄近付くのは不可能なので、原理的には幾ら頑張っても絶対に似た様な音を聴く事が出来ない。

ヘッドホンだってかなり自然界には逆らった様な近距離になるけれど、発音体が体内エリアより必ず外部になるだけでもまだマシなんじゃないかな。
しかしそれもこれもちゃんと設計想定範囲内に装着出来たらの話しなので、そのフィッティングを制作・使用者の両サイド共もっと意を払うべきだと思うんだ。

<つづく>

2020年5月24日 (日)

音楽備忘録291 エレキGuitar歪ませない効能③

だがしかし単に歪ませないで弾けったって、Line録りが増えた近年では色々困難さも増してしまった。
特にEffectレスの場合がその筆頭と思われるが、その殆どは真空管Ampのスピーカから収音すれば解消する。

電気楽器でも近年のエレピや特にBassだとかなりLine録りを意識した作りになってるのもあるが、原典設計を考慮するとそれでも厳しい面が残る。
楽器用Preampを使わずに直接音響機器に繋ぐと本来的にはインピーダンスの不整合だってあるが、何より誰にでも分かるのは音色がとても淡泊でつまらなくなる処じゃないだろうか。

だがそうなるのも半ば必然で、エレキ開発当時の非リニアな増幅装置を通しても必要な明瞭度を確保する為にそうなっている。
この事実を現代的に「翻訳」するならば、歪ませないエレキにとっては「Ampが必須Effector」なんて風に捉えとけば済む話しなのだ。

今では音の数が弾いたのより増えるとか捻れるとか何とか、あからさまに普通じゃ無くなるのしかEffectと感じられない事だろう。
けれど登場当時だと「何でたかがGuitar如きでそんなに大きく鳴るんだよ」、もうそれ自体が一種の音の魔法みたいに感じられていたであろう。

近年乱用されてるCompressorだって「弾いたのとは違う音量やバランスになる」点では、実は上記のと大差無いんだけどね。
それと楽器とオーディオでは歪みに対する概念の違いも大きく、これの見落としも年々悪化してると感じられる。

エレキでは歪んで無い音色と言っても、それをオーディオ観点で見ればかなりの高歪み率が普通に大手を振ってまかり通っている。
オーディオ基準で歪み率で合格判定が可能なのったら、Line録りの極一部の位しか無い。

つまりオーディオ的には歪み率が悪くても、楽器音的には無歪みに聴こえる事が多いのが現実なのだ。
でもオーディオ的に歪んでるのが何に作用してるかってば、倍音成分の差等に表れている。

この時点で熟考願いたいのが音の透明度で、これに関してはやはり無歪みな程優れてはいる。
だから選べるなら「より綺麗な方」と思っちまうのは人間心理としては真っ当だが、この点を徹底追及するなら打込みが可能な現代に手弾きするの自体が間違いなのだ。

歌物の歌ですらボカロ一択とすべきな位で、生身で歌う時のブレス音(呼吸)だって邪魔者扱いして然るべきだろう。
実際そうすれば限りなく「透明な世界」が展開出来るんだが、だったら何故全てがローコストなボカロや打込みへシフトしてないのかだ。

これは端的に言えば普段誰も自分の呼吸音になんて意識や自覚が無いのが筆頭で、「してても当り前の音」に対しては心理的に他への影響が殆ど無いのに依っている。
寧ろGuitarだったら空Pickingを代表に、入ってても邪魔になるより助けになる方が多いのなんかもある。

近年本邦でだって上手に活用してる連中も居なくは無いが、過去比だと「お約束」でとか予め意図して等自然体で達成されてるのはかなり減ったと感じられる。
以前別項でドラムのTom系とバスドラの3連符フレーズを演る際、頭拍にフットHatを入れると演奏し易くなると書いた。

これは太鼓に限らず各楽器毎に「生身の人が弾こうとする」と、何某か「拍子を取った」方が楽だったり確度が上がるからとその様にされている事が多い。
そしてこう云うのは楽譜に「絶対出すな」と書かれて無い限り、譜面を書いた側だって音符が書いて無い所で「チャカッ」とか演られるのは想定済み案件となっていたりする。

んでこんな風な人が奏で様とすると出る音ってのも、誰かが実演してる証であったり演者の存在を意識させる元ともなっている。
それがお題の「歪ませない」案件でも近似で本件ではオーディオ的な完全無歪は、
原則的に対象外だしそれで良いのだ。

<つづく>

2020年5月22日 (金)

音楽備忘録289 エレキGuitar歪ませない効能①

前回迄ガラケーすら不所持の末端ブロガーにしては不似合なお題だったが、持って無いからこそやるには買わなきゃならないから熟考させられるのを逆手に取ったつもりでいる。
ネタ切れ!?に伴い今回からは専門の方へ戻ってくが、近年本邦では極一部の例外を除くと余りにも考えずに深く歪ませてるのばかりが耳に付く。

元はと云や存在感(迫力)と演奏の楽さが原因で氾濫状態に陥ったと思われるが、その他にもエレキ生音の音色バリエーションに疎い人が増えたからではと憶測している。
現代でも定番音色となってる代表格にStrat系ハーフトーンのがあるとは思うが、その多くはLine録り系のであろう。

その多くにはChorusと短めのReverbが併用され、確かに独特の美しさに疑念の余地は無い。
けれどもそれだけだと綺麗さ繊細さには秀でてても太さ等には縁遠く、使える場面は限られている。

加えてこれってGuitarの音色の美しさより、実はEffectorへの依存度が高いのが気になる処だ。
かく言う俺自身も過去に利用経験はあるが、モノホンのStrat不所持なのもあったりで最近はスッカリ使わなくなっている。

それは兎も角Strat系ハーフトーンには使用上の弱点があるが、それは音色バランス的に中低域を強めた
伴奏が苦手な処だ。
伴奏ではアンサンブル的に音色重心は低目が欲しくなるが、高域に最大の特徴を持ってるのでその含有量を一定以上に保たないと美味しい領域がスポイルされるからだ。

また歪ませるにしても深くなるとやはり同じ傾向が強まる為、らしさを維持するには歪みの深さと音色バランスに結構制約がある。
これが特にLine録りの場合に顕著に表れ、その面で楽曲に合せた微調整が苦手な音色と言えるだろう。

なのでもしStrat系ハーフトーン以外のエレキ生音に疎いと、たまたま嵌るの以外は直ちに歪ませてしまうのかも知れない。
こんな時にとても参考になるのが過去の黒人系の作品等で、それは歪ませる時には何を使うかの影響も大きいみたいだ。

エレキの歪ませサウンドは実際には黒人系発祥なんだが、過去述の通り白人系のみたいに意図・企図しての物では無かった。
そのせいかJimi Hendrixの衝撃が大き過ぎたからかは知らんが、黒人系の歪ませはFuzzって不文律みたいなのがある程度形成されていた様だった。

そうなると軽く歪ませた音色は得にくくなるが、もし歪んで無くても同等の存在感が出せれば補えてしまう。
これとSoul等Jazzからの影響を必ずしも隠さないのが手伝って、ハムバッキング系のフロント+リアPUに依る独特な音色を旨く活用してるのが多い。

この音色は少し後にBeatles初期のGeorge HarrisonやDoobie BrothersのTom Johnston等が活用していたが、白人でも黒人系のを音色的ルーツに持っていた連中だ。
それ以外だと今本邦では一寸接点が僅少だが白人系ではCountry系があり、何れも楽曲の上り下がりへの追従させ易さが考えられる。

特に一本調子では困る歌物にはおあつらえ向きで、安易に弾きムラが出易いからヤダなんて言ってるのは何処のどいつだいっとな。
そりゃずっと一定なのが適してたら変に出過ぎたり引っ込みすぎたりしたらそれがムラになるが、本来のムラとは小人口の自治体…じゃ無くって楽曲の強弱とズレてる物がそれに値してるのだ。

これは幾ら無理くりコンプで全てを平準化させたとしても、音色変化量が不足だったり不一致だったりすればもう立派な「ムラ」なのである。
例に依って毎度同じパターンで済まんが、もしそこ迄気にするなら今時打込み一択ですがね。

それよりも幾ら上手に弾けても不一致ににしかならない音色って方が、俺的にはもっと気にしといた方がお得と思いますねん。
そりゃ一々音色をEffectorで切替えちゃえば済みそうだけど、それにはそれで電気楽器特有の個性に対しての大きなマイナス作用があるんで御座居ます。

<つづく>

2020年5月21日 (木)

音楽備忘録288 音楽も含めたテレワーク③

本項もこの辺で一旦終結させようと思うがテレワークは可能なら、結構誰にでも必要な処迄話は来た。
以前一部の音大では学校主導の動画アップがなされてるのに言及したが、正味な処それで表立った効果が出てるとは今の処は言い難い。

又既に一定以上の実績を持ってたりすると、高評価確実じゃ無いと出すのを躊躇してる人も結構居そうだ。
がそんなのは最早夢か幻かで、今となってはもうちっとも珍しくも何ともない動画発信等である。

結局多くの支持を得られるかどうかは内容次第なのは不変で、メディアの種類に依って多少優先事項が変動してるだけだ。
現実的に過去の名声!?を否定しちまう様な駄作をおいそれとは出すべきじゃ無いが、だからって構想を温めてるだけで上手くなれる物では無い。

最低限「傷が付かない」様にする配慮は要るが、本当に自発信出来ないとしたらそれは機材等の事情の方だ。
これすらスマホの普及で俺みたいな例外以外は障壁は無くなってるから、それなりに発表可能な手持ち作がある者は今すぐ録って上げとくのがお薦めだ。

特にアマチュアの方がこの影響は大きいと思われ、昔みたいに直接出向かないと聴けなかったのが変ったからだ。
有名人やプロのは殆どの場合レコードなりテープなりが売られてたし、大手系のならラジオやTVでチラ見する程度ならそこそこチャンスがあった。

一方数少なかった独立系の方は客には手間を要したが、Liveの一部を無料化したり意識的にテープの無償配布等も行っていた。
のに加え最大の相違は定点・定時的出演場所を設けたりして、そこへ行けば「取敢えず繋がれる」様な状況を用意していた処だ。

これは今だって完全に無くなっては居ないけれど、過去比では拠点数が増え過ぎたり○○専門の店みたいなのが減って探し当てるのが難しくなっている。
年寄りの戯言丸出しになるが活動時期の新しい人へ参考にボヤいとくと、昔はLivehouseに出演するの自体がかなり高いハードルであった。

初心者や下手クソが出させて貰えるのは特定のコンテスト程度で、例えアマ主体のLivehouseでもどの店もそれなりの品格を堅持していたのだ。
品格ったって相撲の横綱じゃないからお下品だったり態度の良くないのの方が多かったが、少なくとも趣味の合ってる人にはお金を払って損させる様な事は皆無だった。

例えば渋谷の木造3階時代の「屋根裏」って店ならPunkの殿堂として君臨してて、取敢えず何時行っても本格的なPunkを必ず体験出来ると云った具合だ。
つまりお客から見てある程度「アテに出来た」から、お目当てや知ってるのが出て無くても試しに行ってみるべかが成立してた訳ね。

今はこれは昔比では殆ど崩壊したと云え手間暇費用も掛かるから、余程の物好きかスカウティング以外でアテも無く足を運ぶ人は居なくなった。
多様化と量的膨張のせいで「拠点」が無くなったのは厳しいが、これからすりゃ何か1つでもネット上に上げとかないと「入口」が無いのと同じと思われる。

そうして入口を整備した処でこんなに大量に氾濫してると幾らもアクセスは期待出来ぬが、だからって無い入口からは絶対に入れない。
インターネット利用歴の長い従兄曰くブレイク迄に幾らでも時間が掛る覚悟が必要だそうで、この点では一面で「待つのが仕事」と言えそうだ。

勿論少しでも興味を持って貰う為の努力に休みは無いが、予測時期迄に想定通りの評価が得られなかったからって手を緩めるのが一番無駄なそうな。
現実的には労力と効果のバランスで先を決めるんだろうが、短期効率のみに目を奪われてあちこちを転々としちまってはいけない。

それではお客さん側から見て「アテに」なる場所が無くなってしまい、あんなのが聴きたくなったらあそこへみたいなのだけでも定着させるのが大変重要だ。
そんな受け身がもし嫌だったら受注生産とすれば良いが、盛んに「御用聞き」をして回るにしてもニーズのタイミングが合致するのは天文学的低確率だ。

それをするにしても結局「アテになる受付窓口」が必要で、どんな仕事が出来るのかもある程度知れる様でないと魅力も足りない。
でも考え様にに依っちゃ昔みたいに電柱に貼り紙したり外に看板を出すのしか無理だったのと比べると、お客さんが店員に接見せずに様子を知れるのは消極姿勢のお客さんには効果絶大だと思うんだけよね。

<この項一旦終了>

2020年5月20日 (水)

音楽備忘録287 音楽のテレワーク④

前回「含めた」の後部で何やら雲行きが怪し気になってるが、Drum録音に関して少々「愚痴の元」を抱えてたりもしたからだ。
自粛要請のお陰で自動的にその厄からは離脱出来た様な格好になってるが、そもそもの発端は今や音楽は記録するのが当然の物になったからかも知れない。

オジサンの懐かしい記憶に依ればかつては奏者側が録れるのはせいぜい練習を簡便に程度で、設備・機材・操作スキル等の事情で本チャンは専門家任せにするのがデフォだった。
俺の場合は金無し技ありと特殊境遇だったから今と大差無かったが、それでも機材の高価格の影響は免れずにいた。

今だって「ちゃんと分かってる人」がそれなりの機材を使うとクウォリティに差が付くが、スマホのみでも一応鑑賞に耐えられる程度の動画が録れちゃうと時代は変わった。
こんな今の環境で苦しんでる!?筆頭が私見ではClassic系の方に散見されるが、弾くだけなら電気・電子機器の操作なんて不要だったからだろう。

従前のアマチュアならせいぜい防音室の照明と空調が、最低限弄れればそれで事足りてただろう。
稀にはご身分次第じゃそんなのは全て下僕が整えてて当り前だったりして、そうでなくても家のリビングで弾いたりするなら誰か先に居れば既に環境は整ってそうだ。

尤も近年では欧州では木の保護目的で紙の譜面の使用頻度が著しく低下し出してて、こっちでも若い目のプロでは荷物等の都合で電子化して持ち歩いてる人も増えつつある様だ。
それでもPC系でメールを打って送るのと、音や画をキチンと記録するのでは結構な違いはある。

楽器趣味人の中には個人でひっそり楽しみたい人もある程度は居そうだが、そうでも無い限りはアマチュアでも自らの無発信は色々と不遇を生む様になって来ている。
特にそれを顕著に受けてるのがClassic系の音大生等で、大衆には少し敷居が高いのとJ-POPみたいな人気は無いのが災いしている。

例えばアニソン・ボカロ・ゲーム音楽が好きな者は大抵ネットや電子機器にも明るいが、古典系ではお客さんの方もこれらに疎めな人が多いと2重苦だ。
尤も近年は一部音大等では学校側が率先して動画を上げたりもしてるが、沢山上がってるとか直に見つけられるとなればお客側の状況も徐々に変わって行くだろう。

まあこれもある意味どれだけ瀕してるかもあって、もしとても世間的にマイナーなのを演ってたら人気度不問で片っ端から動画や音声ファイルをネットへ上げようとしてるだろう。
又例えば打込みみたいにLiveパフォーマンスがほぼ皆無だったり無理だったりしたら、完成作品の露出以外に世間に音を直にお披露目する方法が無いんだからね。

こうした芸術系作家の中で今時自発信をしなくてもセーフなのは、コミケ等の趣味の大会が安定開催されてる様な類の限定と思われる。
それだって漫画も原作なら大丈夫でも画を描くだけの人だったら、個人だけで完成作品を作れないから無発信では埒が開かない。

これが音楽だと作曲家でも今は譜面だけの発表では読取りが限定されるし、不特定多数がそれを見にやって来る様なイベントも皆無に等しい。
となれば仮に楽譜だけだったとしてもせめて自分で誰でも見られる様にしとくべきで、そうしてすら音や姿の印象が残せないんだから動画全盛の中ではとても苦しい。

だがそんな手間を面倒だと一蹴しては怠慢で、それは過去と比べたら一目瞭然だ。
実際体験した期間割合が多かったが昔だったら多重録音や打込みは簡単には出来なかったから、メンバー不足の時は何も正規のお披露目は出来なかった。

だからって妥協して誰かに協力して貰っても、意図の反映が不充分でこっちのイメージが伝え切れない。
或は単独弾き語りにするにしてもそれが正規のスタイルの人じゃ無いと、例えばコーラスも売りの一部にしてたりするとそこが披露出来ない。

それである程度の規模が要る人から積極的に取り組みだしてるんだろうが、近年みたいに生のジャムセッションや飛び入りが減って来るとソリストだってもう他人事では無い。
場の問題だけじゃ無く年寄り観点からだと一番気になるのは所謂「スタンダードナンバー」の衰退で、知らなかったり弾けなかったり共通事項が不足し過ぎてるのが何よりヤバイ。

これは実は個人発信に限らんが、誰でも知ってるので誰も知らないのを披露出来てこそ真の個性と言えるのに繋がっているからだ。
仮にどんなに個性的な音が出せても素人や初見さんは、曲のせいか編曲のせいか演奏のせいでそうなってるのか直ちには判別出来ないからだ。

<つづく>

2020年5月19日 (火)

音楽備忘録286 音楽も含めたテレワーク②

前回最後で「肝心な処が捗らない」がビジネスであればそれは=仕事であるが、今の内閣なんか態度迄不遜とは救い様が無い。
Rock系って元々反体制側だけど、それでも露骨に批判するのは好きじゃないけどこの有様ではね。

毎度の私的ではあるがこんなのがまかり通る様になった根源を探ると、労働実態より「態度を優先」させる様な風潮が蔓延したのがいけないと思っている。
どっちも悪くて良い事は1つも無いけれど、真の意味での優先順位を忘れちゃったら駄目だよね。

或は見栄え≒第一印象は良いに越した事ぁねぇが、猫も杓子もは一寸行き過ぎだったとね。
ヴィジュアルが売りの根幹ならそれで正道だけど、中身の方に比重のあるの迄そっちへ振り過ぎちゃしょーもねーや。

本邦首相の給料は多分他国比だと廉価だろうが、どんなに雀の涙でもそのまま溝に流すのと同じ様では無駄な出費だ。
この不景気に「働かない・働けない」奴なんかに払う余裕は皆無で、割高割安より兎に角仕事が進む方が先ず大事だ。

こないだかの「暴言市長」に関する記事を読んで納得したんだが、口は最悪でもちゃんとしっかり市の為に仕事はしてるんだそうな。
勿論口の悪過ぎにはそこの市民は恥ずかしくて仕方無いだろうが、市長の仕事の本質はナレーターとかアナウンサーじゃ無い。

それと似た感じでテレワーク案件についても所謂一般的なデスクワークでは、無理が生じるのは僅少なのでもっと平時から推進すべきだろう。
対して音楽等のリアルタイム合奏等では現行回線やシステムでは不可能に等しいので、こっちこそがわざわざもっと出向いて行うべきと考えられる。

それからすると正しい!?ラッシュアワーには背広野郎なんて殆ど居なくて、上から眺めたらきっともっとカラフルである筈だ。
しかも他にも訳ありで一般ビジネスより創作をする者の方が道具も多く、例え大柄屈強で担げたとしてもケース入りのコントラバス背負って自転車に乗れても今ある専用レーンじゃ狭くて走れないだろうからね。

と何時迄言ってても当分はどうにもならなさそうだから各自で工夫を凝らすしか無いが、この面でも本邦ミュージシャンはより逆境に置かれてる前提は認めとくしか無い。
無理な箇所へ執着してそれだけで諦めてしまうか、可能な処だけでも手を打って行ってみるかである。

私的には後者推奨で、それは後に環境改善が進んだりした時にも役立つからだ。
変な例えだが俺は現況携帯電話不所持なので積極的には学んで無いが、偶然遭遇したそれ用のコツ等は頭の片隅に留める様に心掛けている。

最初は遅れて持っても割と直に使える様にって腹だったが、その後は大分様相が変化して来た。
こっちは無くても相手は持ってたりそれでコンタクトして来る事が増えたので、多少なりとも相手の置かれてる状況は分からんより分かった方が何かと良いかと。

正社員の方には耳に痛くて済まぬが、無駄な通勤費用を払える会社に居る事は一面で誇って良い。
ホントに台所事情が厳しければそんな悠長な真似は出来ないだろうし、時間的にも通勤に取られる分は無効となるからね。

第1段階では残業を増やしてって・第2段階になると泊まり込んで、それでも駄目なら同僚等へ託してってのも人員が潤沢だったらの話しだ。
小説家等にだってスタッフや協力者は勿論付いちゃ居るが、完全に同じ分野を共同で担うのは不可能だ。

個人事業主ってな仲間に左右される度合いが少ない代わり、環境に無関係に元から真の意味での自己責任状態にある。
グループを組んでても自担当がたった1人だったらそこは個人でやってるのと全く同じで、代役を求めるのも自由だがそれをし過ぎれば失業なんですね。

それからすると別にコロナ禍とかテレワークがどうのとは無関係に、本質的には当初から工夫必須の業界若しくは世界と考えられる。
中でも映像系や音楽系は確認するだけで一々一通り頭からお尻迄再生してみなきゃなんなくて、その面で最低必要時間の短縮が不可能だ。

さすれば出向くの必須のリアルタイム合奏は仕方無いとして、在宅で可能なのは全てそうでもしとかないととてもじゃ無いが時間が不足する。
のに気付けないで居るのが身近にも散見されるが、恐らく全体像が今一見えて無いのがその原因だろう。

<つづく>

2020年5月18日 (月)

音楽備忘録285 音楽も含めたテレワーク①

前回にそもそも個人宅でのテレワーク環境不備へ成行きで到達したので、一応お題もそれに合わせて修正してみた。
んだけんどもテレワークは愚か自宅での楽器練習等、今本邦では基本的に家では何かの作業をするとか出来るってのが不足し過ぎてるのが厳しい。

限られた空間で快適性を追及したり在宅時間とそれに掛るコスト等の都合でよりこうなったんだろうが、私的には幾ら何でもカプセルホテル化させ過ぎじゃん
と思っている。
その根底には是又政策の不備があるとしか考えられんが、それは「寝蔵」に対する考え方の中途半端過ぎが不味かったと思われる。

今は台所より風呂・トイレの方が必須とされててそれは間違っちゃ居ないが、真に「帰って寝るだけ」の空間とするなら最早個人所有・占有の必要なんてあるのかどうかだ。
それに加え自宅で不可能となった作業をしたい時の施設はもっと潤沢に用意しとくべきで、しかもこの方向性で行くなら頻度差はあれ誰でも必ず必要とするのだから無料若しくは低廉でなくちゃ嘘になる。

多様な思考の人が混在してるから完全統一を目指しては旧共産主義みたいになって駄目だけど、自粛要請と補償はセットなのと同じでちゃんとセットになってないと機能しないのが無視されている。
とは言え何時迄も無能政府に文句を付けて待ってても世界から取り残されちゃ敵わんから、本来はNot My Businessでも自前で進めなくては埒が開かない。

低レベルで悲しいもある意味こんな処も「出し抜く」キッカケにもなり得る訳で、少なくとも非リア充だったら直ちに取り掛かるのがお薦めだ。
事前準備されてる資金も無く個人って小規模では出来る事はささやかではあるが、塵も積もれば山となるで放っとくと後で追い付けなくなる危惧がある。

音楽に携わってる場合特に気にすべきが技量・奏力・経験値で、やり方さえ分かれば直に実用に供すとは行かないのが多いからだ。
ここでの鍵は費用対効果の継続性で、具体的には毎回他所の設備を借りるのと自前で徐々に設備を整えた場合の「後での違い」だ。

外に求めた場合の損得は維持管理不要だが「その場限り」な処で、滅多に起きないけど今回みたいな事態に遭遇すると何も出来なくなる。
ここで通常時の人の生活実態も加味してくと今回みたいなのは無くても、予想外の休日が手に入るなんてのならそこそこあり得るだろう。

宅外でしか活動しない想定で暮らしてても急遽相手の都合で予定が流れ、そんな時に常に個人練習でもStudioに空きがあるとは限らない。
それと賃貸料も単位あたりは廉価で直に払えても、積算したらどの位膨らんでるのかを注視しとかないとならない。

元から閑古鳥とは云え流石に今は非営業にしてるが、個人宅で一応録音Studioをやってる者の観点ででもだ。
余計な事を暴露して更に儲けが減るのも苦しいが、商業目的で始めたんでは無く空き時間の有効活用や維持費の調達を目論んだ結果だ。

又借りる場合に考慮の要るのが「借りる道具」のコンディションで、運悪く寸前に借りた奴が人でなしだったりするとそれだけで正規の状態が得られなかったりする。
これを気にすると賃料は一気に跳ね上がり、選択肢数もかなり限られてしまう。

軽い練習に大したコンディションも不要かもだが、だからって何時も酷過ぎるのばかりしか体験出来ないでいるとこっちの感覚が狂わされる事だってある。
これが厄介を孕んでるのは人に依って何処がどれ位じゃないと困るかがかなり違ってるからで、パーソナルな行為なだけに○○様専用的要求が強い。

更に付記しとくと業者側のスキルの低下が顕著で、完全な専門家じゃないと扱えない機材しか無かった時代と比べると仕方無い現象かも知れない。
昔のStudioだってしょーも無いオヤジは勿論居たが、今とは「駄目な場所」は明らかに違っていた。

他の処でだってそうだろうが昔のは最低限の仕事はこなせるが、呑んだくれてたりセクハラ大王だったり…。
実際それにも困らされたけど費用をつぎ込んでて一番困るのは、どんなに態度その他が良かろうと肝心な部分がちっとも捗らない場合だ。

<つづく>

2020年5月14日 (木)

音楽備忘録281 バスドラペダルとフレージング26

大分長く続いたんでそろそろ本項は一旦閉めようと思うけど、原典体験が有益且つ重要なのはドラムに限らない。
尤も現代ではPAその他の「補助機器」の発展・普及で知らなくたって音楽出来なくはならないが、それならそれでやり方を再考するのがお勧めだ。

打込みや電子楽器を利用すれば人力・天然だけでは不可能なのが色々演れるので、例えばバスドラにトリガーを常用する位ならわざわざ生のセットに固執するのは最早時代遅れだ。
ってのも生+トリガーで「出来る事」は既にかなり出尽くしてるから、もし今から始めて追付く頃には「懐かしいもの」になってるだろうからね。

単純にそれが好きなだけで周囲の評価を無視出来るならご自由にだけど、例えどんなに上達出来ても貴方が初めて触れた時の様なインパクトを他人は決して感じてくれない。
特別に興味を持ち続けてる人以外には、時間の経過やオリジナルじゃ無い事の影響は大きいもんだ。

俺が古典ペダルで新技開発に繋がったのは千載一遇の偶然でしか無かったが、僅かな色気はあったもののそれが目的でなった訳じゃありませぬ。
単に自分の求めるスタイルを追及しようとしただけで、ある意味ホントは残念だけど「自分の齢」を受け入れたからだ。

本邦では未だにベテラン達人の一部に所謂「齢甲斐の無い」真似をするみっともないのが居るが、それを見てああにだけはなりたくないと思ったのが本音だ。
その何が駄目って道具や新風貌が演ってる音楽とミスマッチだったからで、採り入れ方の勘違いの典型なのだ。

ブームはとうの昔に過ぎてジリ貧の辛苦を舐めた挙句なんだろうが、「不人気でも残ってた良さ」をスポイルしては本末転倒じゃないですか。
Rock系も歴史が積み重なって新しくは無くなった以上、以前よりどれだけ「それらしく」出来るかが鍵を握ってると思っている。

それへ「三つ子の魂百まで」を加味して考察すると、世代や時期を否定するのは決して利口じゃ無いのは気付けるだろうか。
例えば今聴いても素晴らしい過去作は幾らでもあるが、出た当時の衝撃はその時に既に生まれてた人にしか体感は持てない。

とすればそれは世代特有の武器でもあり、例え新規開発するにしてもその「感覚」を活用しない手は無いのだ。
ベテラン或は新鮮味は失せた者・物が何らかの新規を企てられるとしたらその源はコレしか無く、換言すれば「世間視点の新旧を下手に気にし過ぎない」のがコツであろう。

僭越だが一応体験者として提言させて貰っとくと、ネタとなり得るのは音楽でもその道具でもシンプルなのが決め手だ。
既に色々加えられてる物だとそれに依る制約が大きくなってて、それの除去作業をする位ならそれ自体の「元ネタ」へアクセスした方が手っ取り早い。

今回はその中でお題に従ってペダルのみに絞っとくが、付加機能等の多い物程この目的には合致しない。
これには物理的に以下の様な問題が考えられ、多機能を搭載する為の土台に不要部分が発生する可能性があるからだ。

中にはEdward Van Halenなんかみたいに自分で思い切ってボディを削っちゃう様な勇者も居そうだが、本人談に依れば自加工前より音色が劣化したんだそうな。
完成品になってる物から削るより足りないのを足したり強化する方が技術的にも楽だし、当初は仮設としとけば駄目だったら元に戻せば良いだけだからね。

それからすると現代的な高機能なヤツはこの手のネタには不適格で、知恵無しでの追設は不可能でも古典的でシンプルなの程発展性は高い。
そんなん語っといて実際俺は殆どは調整しかして無いけど、手持ちYAMAHA FPとか従兄所持のTAMAので「擬似ロングボード」実験ってのはやったことがある。

それはフットボードヒール部を固定させる為に本体と連結してる嵌め込み式の鉄棒を、本体側から敢えて不安定になるが一時的に外すってのだ。
これは従兄がご執心のヤヤンクちゃんの擬似体験を狙ったもので、もし好結果ならその連結棒部分だけを新規に捏造!?してやろうって魂胆だった。

結局現時点では作製要望は出て無いが無償のプチ体験としては一応アリで、もし立派なアンダープレート付きのだったら邪道だがこんな芸当は即座に簡単にとは行かなかっただろう。
素手で分解可能な構造のだったら取敢えず一寸だけ試したい時、簡単だし楽だしで例え不完全でも様子見位はもう思い立ったその場で試せるんですよね。

<つづく>

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