文化・芸術

2019年8月21日 (水)

音楽備忘録⑭ Funkってどうすりゃ演れる

音楽の多くには感情表現が含まれてたりするもんだが、個人的にはFunkは自然とつい浮かれた場合のひとつの表現と思っている。
それも隠し切れぬ喜びが漏れるみたいな感じでいて他人へ特に強要するでもなく 、もし参加したければご自由にってな感じだ。

喜び表現でもBeethovenの第9なんかは世界にアピールしまくりパターンで、こう云うのだったら多少不自然でも強引な勧誘をしようとも極力大袈裟な方が適してそうだ。
何が何でも全員に分かって欲しいってんだから例え迷惑になっても、分かった分かったハイハイあんたはそんなに嬉しかったのねと思って貰う必要があるからね。

だが「隠し切れず漏れ…」となると実際には盛り上がるにしても、形態的には通常運転じゃないと駄目だ。
これは技術・手法的に極端なのは使えぬのを意味してて、その気持ちの再現ってか奏者にとっては演り難さのある方だと考えられる。

但し形に関してはJazzに迫る程Funkは自由で、例えばアンサンブルに於ける各パートのタイミングで見て行こう。
上出第9等では荘厳さを損ねてはいけないから、大きい楽器や音程の低いのが先に鳴ってしまうと安っぽくなってアカン。
一面でRock系ならZEPなんかが近い処があり恐らく意図的にそうしてるんだろうけど、「ZepでのJimmy Page」は何時も突っ込み気味で浮足立った感じだ。

だがそんなZepですらアクセント部分では普段より太鼓が後出しにはなって無く、先頭のGuitarは割と不変でもそれ以外のは順番が固定ではない様だ。
それがFunkでは重くても軽くても場所に依って変化してもOKなんだから、何時誰が先頭になってもビリになっても構わない。

差し詰めはしゃぐのが力士でもマラソンランナーでも、Funkyでありさえするなら何でもアリOKなのよ。
依って科学的分析をして再現させるのも特定の1つのだけなら不可能じゃ無いかもだが、無限のData量を克服する覚悟でもあるならお好きにどうぞとなる。

また各自に好みや目標とする音があるだろうし追及して損は無いけど、かなり近付けてももしFunkyさが劣っていたりしたらそれは本案件では不合格だ。
寧ろ目指したのと全然違っちゃってもそれよりFunkyになってたら大成功で、更に他の誰とも似て無かったらもう神の思し召しレベルである。
少なくとも運良くブームに当たれば大儲け間違い無しってなもんで、例え不幸にも儲からなくても一生モノの財産だ。

最近じゃ真昼間でも近所の幼稚園児の遊ぶのがウルサイなんてとんでもない年寄りも居るご時勢だから、大きな声で歌う機会が何人にも著しく少なくなっている。
なので昔より分かり辛くなってると思うが、人の声ってかなり似てる人が居ても完全に一致する事は無いよね。

これ楽器でも同じでどんなに似せても演る人が違えば、「本当にそのまんまを演った」なら却って同じ音にはならないの。
けれど「聴いた感じ」を同等にするのなら幾らでも可能で、「感じ」であるから極端な場合フレーズが全く違っていてもバレ無かったなんて酷い話も…。

手前味噌ると俺がそのタイプの典型だったみたいで応用性に富むのは良かったが、後になって過去にやったコピーがまるっ切り紛い物だったのが判明なんて悲喜劇に。
例えばGuitarソロだとすると独りで弾いてる分には結構だったが、キチンとコピー出来てる人がハモりパートを弾いてくれたらとんでもない前衛作品化しちまったなんてのが。😓

もしやこんな所謂お約束が少ないからFunkが割と得意なんて勝手に誤認してるのかもだが、兎に角譜面での記録が難しい物程感性頼みで演った方が良い。
し他にどうしろってのよ???。

<一旦本項漸く終了>

2019年8月20日 (火)

音楽備忘録⑬ Funkってどうすりゃ演れる

前回の「奏者観点で恰好付けてばかり居るな」はFunkだけでは無いが、やはりジャンル次第でご法度度にはかなりの差があると思われる。
例えばヴィジュアルMetal系等では全体の景色的美しさが大事だから、姿だって崩れては不味い。

Funkだって恰好は決して不要じゃないが、少なくともどんなのが一番恰好良いのかの価値観が違ってると言え様。
一部のを除くと黒人発祥系のに共通してるのは、静止してる時のじゃなく動いてる時の美しさを追及してるとも看做せる。

音の話しなのに容姿ってのも繋がりがあるからで、シワの無い衣装でミストーンだらけだったら見掛け倒しの典型になるからね。
これの逆に個性的な民族衣装を纏って居乍ら幾ら正確無比でも、没個性で冷徹な音を奏でるのもミスマッチだ。

尤も本案件に関してはそれより更に踏み込んだ部分が問題で、恰好っても服装では無く演奏時の様子と考えて頂こう。
一面で白人的美徳を奏でる姿の美しさ重視とすれば黒人系はその反対と言え、白は姿を黒は音の方を最優先とした風潮が感じられる。

Michael Jackson以降は必ずしもそうでは無くなったが、非常に微妙な面も想定されるが全盛期のFrank Sinatra(飽く迄イメージですが)みたいにスカしたFunkの人ってのは思い当たらない。

誤解回避をしとくと白人だって音を軽視してなんかいないけれど、LiveではShowとしての要素を重視してるのはBroadwayからの流れもあるんだろうか。
その証拠ってのもなんだが演奏や音質の総体的な出来栄えとしては、Studio録音のが上回ってる場合が多かったと感じられる。

それが黒人系では特に昔のになる程Live録音の方が出来が良く、これには主に2つその原因が想定される。
1つ目は録音環境の悪さであるがこれはLive時の方がマシとは言い切れんので微妙で、2つ目のノリの良さとか盛り上がりの都合が考えられる。

特にFunkみたいにお祭り音楽は人数が多い程盛り上がりも大きくなる訳で、幾ら奏者本人達だけがその気になっても「大勢の楽し気な笑顔」にはとても敵わんぜよ。
これからすると客が喜んでくれる程奏者ももっとFunkyになれる寸法で、他ジャンルにも無くは無いがその度合いが一番顕著なのは間違いの無い処であろう。

こんな話を持出したのも全くの私感だが最近の連中ったら昔のより皆恰好良いのに、どうもヴィジュアルに音が付いて来てない様に感じられたからだ。
この辺は音楽を聴くのにラジオからでは無くいきなり動画から入るのもありそうだが、聴者は見てくれ最優先なら今だってミュージシャンよりももっと綺麗なアイドルやスターに目を向けるだろう。

それでどうしろってば「音の魔力で恰好良く見える様にしちまいやがれ」で、時代遅れも甚だしい坊主頭の兄ちゃんだって甲子園のヒーローだと途端に恰好良く見えるのが参考例だ。
なので何人にも容姿を放棄しろとは言わぬが外からだけ攻めても中身の向上は難しい、かなりの練度を要しはするが内から攻めれば外にも波及があるのは確かなのだ。

Funkってのは曖昧の権化みたいな処があるから「一寸の差」が大問題で、それがどんな原因だろうと案外成立させる条件がシビアだ。
けれどももし気持ちをドンピシャに持ってけたら、驚く程急に簡単で楽しいもんなんで御座居やす。

<つづく>

2019年8月 9日 (金)

音楽備忘録② Funkってどうすりゃ演れるのⅡ

さて前回気分の問題とブチ挙げてそこに間違いは微塵も無いが、実際演るには少なくとも体が気分にシンクロして上手く働いてくれなきゃ実現出来ない。
そこで先ずはFunkyさの根源となるリズムの違いへ焦点を当ててくが、簡単に言えばJazzのスウィングのバージョン違いとでも思うのが早そうだ。

打込みのJazzも一般化した今日では数量的解析も一応達成されてるが、スウィングは楽譜に正確に表示出来ないのは今でもちっとも変わっていない。
残念乍らFunkyなノリはこれよりも更に微妙なもので、打込みで再現させるにも計算では困難で人耳感性に頼って微修正する位で精一杯だ。

尤もこれは理屈に基づいた場合であって、完全では無いにしても感覚で追及すればそこ迄大変な物では無い。
一応その筋のベテランを自負する立場から申すと、先ずはリズムの勢いに執着して維持するのが第一歩と感じている。
これを全盛第2期Deep Purpleと’70年代のIsley Brothersを引き合いにして、リズムの違いをひとくさりして行こう。

正確さではDeep君達が圧倒的優位でスピード感だって抜群だが曲全体を通しての勢いとなると正反対で、一聴ルーズでテンポだって比べたら遅めのIsley君達の方が圧倒的に強力だ。
Deep君は超高速だが僅かな力で止められそうな高馬力、Isley君はそんなに速くは無いが簡単には止められそうに無い高トルク特性って感じか。

乗り物の馬力比較をするとディーゼル特急とF1が馬力だけなら同じ位だが、だからってF1のエンジンをディーゼルカーに付けたら恐らくピクリとも動かせないだろう。
馬力は速度に影響するが重さに対しては効力がとても弱く、これに有効なのがトルク(回転力)だからだ。

そやから馬力はやはり同等のフェラーリと観光バスのエンジンでもご同様で、速度は落ちても上の逆にバスのをフェラーリに載せるのなら走らせられる。
現実には用途最適化を図るのが良いからそんな真似はしないけれど、どちらでも動かせるのは強トルクのエンジンの方なのだ。

戻ってその原因を探って行くとあたかも数学的正確性と感覚的正確性の様な違いがあって、Isleyのは多少ヨレても曲の勢いには影響しない範囲に収められてるのが特筆される。
Deep君も太鼓はIan Paiceだから素晴らしい正確さだが、曲に対してってよりはパートとしての正確さが優勢な感じなのだ。

つまり曲に加勢不要な箇所では必ずしも引っ張ったり煽ったりはしておらず楽曲自体の指向性も違うからそれで全く問題は無いが、もし他の全メンバーがダレたりしたらそれだとどうなっちまうかだ。
恐らく聴者には一瞬流れが止まった様に感じられ、ある意味達人集団だからこそ成り立つリズムアンサンブルである。

これは意地悪な見方をすると聴く方もその正確性に着いて行けないと本質が味わえない可能性があり、万一リズムを一旦見失うとテンポの速さもあって復帰するのが少し大変そうだ。
それがIsleyの方はテンポは聴いた印象よりかなり遅いので直ちに何事も無く復帰出来そうで、乗り易いゆっくり目のスキー場のリフト(ずっと動きっ放しですから)みたいな感じだ。

誰でも参加容易で楽しめるリズム→タイミングを合せる猶予が広い→テンポ遅めが良いとなるが、今度はそれで勢いを出したり調子良く囃し立てるのはそのままだと困難になる。
これを補う手段として隠れた第2のBeatが想定されるが、今回案件でのそれはポリリズム等では無く「うねり」とか「跳ね」がそれに値している。

これの詳細は次回送りとするが要は気にする場所の違いで、瞬間的最高速を追い求めるのか平均速度の高さを求めるのかみたいな意識の違いがものを謂う。
速さを競うより「遅くならなさ」を競うって感じで、持続性のある勢いを得るには後者でないと不可能なのだ。

<続>

2019年8月 8日 (木)

音楽備忘録① Funkってどうすりゃ演れるのⅠ

こないだ従兄からちょっとした質問を受けての話しで、有名女流ドラマーさんからの質問の悪く言やたらい回しであった。
なんて意地悪を止すと少しでも正確な情報を提供しようとした結果みたいだが、俺的には質問自体が若干本質からズレてたのが気になっている。

その内容は「ファンクにホーンセクションの入ったバンドって、最初にやったのは誰」で、恐らくはルーツから新たに学びたかったのであろう。
最近の本邦では概述の如くラジオでスタンダードが掛らんのやさかい尤もな感じではあるが、Funkの場合はDisco等と違って少々特殊なのである。

音楽ジャンルの細かい部分の発症は大別すると2つのケースが想定されるが、自らが勝手に名乗り出して流行らせたのと聴者側から徐々に呼ばれたのがあると思っている。
前者は極端に言えば内容は従前のと僅かな差しか無くてもイメージの問題で、単に広く認知されれば出来上がりだ。

またある意味専門化が定義を考案してるのだから実際の効果の程はさて置き、分類したい時に判断が曖昧で困る様な事は起こり難い。
しかし後者のパターンはその頃の聴者の印象が主体であるから、厳密には実体験でしか判別感覚を獲得出来ないのだ。

この点でDisco等の様に特定のリズムパターン等があれば良いが、Funkは実に曖昧で理屈で考えるのは限り無く不可能に近いのである。
この際ってんで言語自体を生まれて初めて調べてみて、驚愕の事実を知っちまったい。

Funkの訳その1は臆病・憂鬱・その2は何と悪臭って、オッタマゲーのげーでやんす。
ここ迄だとちっともあの楽しい音とリンクせんでどないなっとんねんやが、どうも悪臭が事の発端だった模様だ。
全く嫌な気分にさせられるが当時の白人が黒人に対して勝手にでっち上げたイメージで体臭に対して使い出したらしく、体臭って実際は肌の色が薄い程強いもんなのにねえである。

こうして当初は悪意のみで使われ出して言葉に裏用途が生じ、それが段々と毒部分が時間経過で浄化され違う意味が主体へと変わって行ったらしい。
臭いは臭いでも泥が頭に付いて泥臭い、原始的或は根源的ってのが加わる。

これが黒人が奏でる音の特徴を象徴する様になって、第3の意味である奴等の音は「Funky」だってな具合だ。
因みに今でも上記1と2の訳も健在且つ順番もそのままなのだそうで、うっかり知らずに変な使い方をあっちでしたら撃ち殺されそうだ。

って何十年もどっぷり浸って演って来た癖に酷く杜撰であるが、苦し紛れの言い訳かもだが感覚だけで捉えてたからこそ何となくマスター出来ちゃってたと思えるのはある意味本質にはちゃんと沿っていたってか。
恥を忍んで(恥じらいがあるとは思えん俺だが)こんなのも掲出したのは、それだけ感覚的なだけのものなのを知って頂く趣旨で御座居。

感性の芸術たる音楽なんつったって実際演るには49%は頭を使った方が好結果が得られるが、もし理屈が感性を上回るとこう云う部分は手に負えなくなるのだ。
Funkであれば今では過去例が沢山あるから似てれば通用するかも知れないが、核心はFunkyかどうかであってこっちは形なんか存在しないのだ。

その昔ヤクザ映画を見終えた人達が映画館から出て来ると、入ってった時と違って皆ひっかしがった姿勢でゾロゾロ出て来たりしていた。
要するに強烈に看過されてすっかりその気になっちゃって、まだその白昼夢から覚めていなかったからの現象であろう。

例えばそんな風に完全だろうが不完全だろうが、先ずは気持ちだけはその気になってしまうのがこの手のには必須条項なのだ。
ヤクザ映画の場合は目付きが悪化したり猫背になったりと姿勢に一番出そうだが、Funkの場合はそこが「気分の問題」なのである。

<つづく>

2019年6月26日 (水)

プロの定義② 基準の内容編

前回は音楽を演る側にとっての相応しい自覚等で、世間の経済面だけの呼称に振り回されるなみたいなのを記した。
そして結局は当事者にとっては実力等の飽く迄「内容」が重要なのを少し示したつもりだが、その具体的な部分へ進めて行こう。

実際楽器演奏に必要な部分も目的次第で違いが色々あるが、プロ・アマで一番違うべきなのは上手さでは無い。
それよりもどれ位要望に応えられるかが本来の分水嶺で、リクエストに一切答えられない様ならどんな凄腕でもそれはアマチュアだ。
現実的にはどんな達人プロでも限界はあるけれど、スポーツの記録等と音楽の価値が違うのは明確な基準が音楽には無い処なのだ。

今では生演奏の仕事が激減したのとジャンルの多様化もあって、昔よりは何でも弾けるニーズは目に見え辛くなっている。
だがClassic系等より楽譜に頼れないRock系では、少なくとも世界標準のスタンダードも知らないのでは話しすら始められない。

どうした事か近年本邦でだけスタンダードナンバー軽視の傾向が見られるが、音楽だけの特権的共通言語でもあるのでこれは実に勿体無い。
山と言われたら川と答えるのと一緒なのでこれが駄目だと本来とても合う仲間と出逢えてても見分けが付けられず、仲間を作るのすら大変になっちゃうんだがね。

生楽器で基本的に楽器には音色加工をしない物なら、初見(しょけん:譜面を見ると同時に弾ける)が利けば何とか出来る。
だが旧来からの楽譜には電気楽器等の歪ませ具合等を定量的に表す規格が無く、どんなに譜面が得意でもそれだけでは音色を合せるのが不可能だ。

一方Classicやオケ系では譜面が全く読めないとアマ楽団にだって参加困難とかになるけれど、それだって「楽器が弾ける」のに「譜面が無いから弾けない」は非関係者には全く合点が行かない理由となる。
ジャンルや種類に無関係に音程が出せる楽器だったら、ドミソドミソって演ってとか言われて出来ない「奏者」は滅多に居ないんだからさ。

アマなら個人の密かな趣味だから弾ける弾けないに関わらず今ここでは嫌と言っても通るけど、プロの現場では後ででもお金を貰うんだからその分を弾かない訳には行かない。
そしてこう云う部分について近年本邦の呼称や雇用形態には、大きな瑕疵があるのが要警戒なのだ。

メジャー系のプロモータは今の流行りに合ってる連中を探して来て契約するが、ブームの続いてる間は稼ぐ面だけでは商売になるだろう。
しかし流行りが変わった時に着いて来れなかったりどこかしらが不適合になれば、アッと言う間に契約終了若しくは破棄される。

これは当初は雇う側が人権無視だっただけだが、最近では雇われる側にも大いに問題点が散見される様になって来た。
つまり余りにも演れる事が少な過ぎたのに、それを放置したり改善させる気を持ってなかったりしたからだ。
その一因にプロのプライドだとか自覚が大いに影響してるのは確かで、「稼げたからプロ」「稼げてるからこのままで構わん」って認識の過ちだ。

絶対評価基準が持てなく生活必需品でも無い音楽は、元来ロクに商売にならない分野なのは最初から判明してる事実だ。
普通に真面目にコツコツやってれば長く継続の保証がある分野とは違うんだから、同列視するのにそもそも無理があったのだ。

見掛け上一時的に巨大ビジネス化したからって、所詮は祭りの屋台が偶然大繁盛しちゃっただけなのよ。
祭りがあるよと訊いて売れる物があるのに屋台を出さん手は無いけれど、どう見たって「祭りをやってない日」の方が普通は圧倒的に多い。

そんな状況下では技術や知識等の専門性を堅持して、いつ祭りが開催されてもすぐに屋台を出せる様な継続性こそがプロなんじゃないかな。
それも将来開催される祭りがどんなのになるかはその時になってからじゃないと分からないんだから、ある程度近い未来の以外は予測して備えるのも無理になる。

それでも確実に力になるのはベーシックな実力で、それを突詰めれば簡単でも構わんから兎に角「弾けるか」が問題になるのでは。
これ等を敢えてシンプルにまとめると音楽のプロとは、何とか要望に対して納得してもらえる音を出せるかどうかって事に尽きるのでは。

<この項一旦終り>

2019年6月25日 (火)

プロの定義① 基準編

益々身分不相応拡張著しいが、一石を投じさせて頂きたい。
キッカケは認知度ではメジャー在籍経験がこれを支配するのは納得だが、専門的スキル不足のままでプロと呼んだりそう捉えて構わんとは思えない処だ。

免許証等がある分野だったら良し悪しは別として、兎に角分類は簡単だ。
だが芸術みたいに絶対評価が不可能なものだと、何らかの資格制度を設けた処で実質的にはそれすら曖昧なライセンスとなってしまう。

現代本邦は資本主義社会なのでそれに則れば収入面からの判別をするのが当然だし、英語のProfessionalを意味も含めてそのまま使ってるならこの話しはこれでお終いになる

だが日本語でのプロって言葉の中には専門家等の意味も大きく含まれてるので、幾ら儲かっててもスキル不足の者迄含めるのは本来お門違いってもんだろう。

英語を採り入れるなら知識や実力が達人ってのに対応するExpertとかSpecialistってのがあるが、現状の本邦でそれを簡略化したエキとかスぺなんてのは無いから使い辛い。
音楽でもそうだがコピーして勉強になるのは不都合でもそれも含めた場合で、都合の良い処だけ安易に失敬して来りゃこんなもんだわね。

「食えてるからプロ」で不味いのは音楽ビジネスとしてならとても立派でも、ミュージシャンや音楽家としてはアマチュアの足元にすら及ばない者迄含まれてしまうからだ。
売れたらプロの音楽家では無くそれだけだったらスターやタレントとかアイドルと呼ぶのが相応しく、全く売れて無くても人並み外れて専門性や技術力があってもそんなのはどうでも良い事になっちまう。

これは世間で職業を訊かれ会社員なんて答えるのが一般化してるのと同様で、うやむやに出来て都合が良いなんて面だけに気を取られてるのと一緒だ。
だがそれだとヤバイ会社で社名を言い辛い場合等も含まれてる訳で、相手はこっちが思ってる程何時も都合良く解釈してくれてるとは限らない。

またこれはプライド(誇り)の面でも顕著で、過去のとは違うが妙な職種差別もプンプン臭って来て臭くて堪らん。
音楽ビジネスのプロだってとても凄い事なのに、どうも音楽界だとミュージシャンの方が良く思われてる節がある。
ミュージシャンは自らが立ち上げた企業で大儲けとならん限り、世間一般で言う社長とか重役なんて呼び名とは本来無縁なものだ。

なので音楽ビジネスのプロならそう云うのを前面に出すのが本来一番恰好が付く筈で、無理して音楽家ぶる必要なんて無いんだけどねぇ。
一方プロミュージシャンの99%以上はもし晴れて社長と名乗れても、ビジネス界観点では零細企業主の域を脱し得ない。

それと現在はミュージシャンも経済活動の一種と認知されてるが何時の時代もそうだった訳じゃ無く、今でもマイナージャンルのみに携わってたらどんな凄腕・大天才でもそれだけからの収入では暮らせて無いだろう。
しかしそんじゃ専門家に足りないのかってばそんな苦境でも続けられてる位だから、超専門家である可能性が高い。

世間に悪影響の無い範囲でならどう称したって構わんけれど、そんなのでその立場の人が劣化する様なら考えなきゃいかん。
収入観点では本邦では役職名や企業名でもそれを表せるのでそっちにして貰って、こう云う業界のはスキルに対する呼称と是非して頂きたいもんだ。

例えば相撲とレスリングを比較すると近年劣勢のプロレスですら、実質的な業績ではレスリングの方が遥かに上を行っている。
伝統芸能などを社会で支援するのは良い事だけどこれや税制の優遇等をもし全部排除して比べたら、恐らく相撲も歌舞伎も廃線検討すべきローカル線並に成り下がると思う。

更に別視点からとするなら学校の公立・私立なんかの学費と上記を比べりゃ一目瞭然で、公立系の相撲の方が大抵観戦チケットが高額なんだから随分妙な話しだ。
俺的には国技を広め親しんで貰うには寧ろ大巾値下げして、子供が小遣いでも見られる様にする方が将来の繁栄に繋がると思うんだけどねえ。

角度を変えて格闘家としての「本質」で比較すれば相撲に他流試合が無いのもあって、現況だと恐らく相撲以外の方が平均スキルは高いだろう。
でもだからって相撲の価値が減るもんでもなく、減るとしたら今相撲をとってる力士や協会がだらしないだけだろう。

概吠えだが実際の仕事内容が何であれ就業形態のみで「会社員」って馬鹿かじゃないが、そんな呼称を最優先するのは「金持ちじゃなきゃ偉くない」とか「金持ちだったらどんなロクでなしでも偉い」と認めてる様なもんじゃんか。
それじゃあ幾ら暴対法でヤクザさんを居なくしたって、国民全員がコソ泥化しても無理無いでしょうよ。

ここで特技を持ってない只のサラリーマンでは難しいけれど、何か技的なものを持ってる人なら違う呼称が使える。
それは楽器が弾ける者だったら担当パートの呼称で、PianistだのGuitaristってのだ。
世間での呼称や認識はこちらで操縦不可だからそれは諦めたとして、上手くなりたいのに良い意味での自覚が持てる呼称を放棄するのは勿体無い。

どう名乗りどう呼ばれどう思ったとしても、それで実力が落ちなきゃ結構ですがね。
そして意識の持ち方次第でアプローチ等に後から違いが出て来るのも考え処で、少なくとも「実際にやって見せる」必要がある分野では「名実ともに」じゃないと無理みたいですけど…。

<続>

2018年12月25日 (火)

真実の音質とは⑭ 音量と音質の関係性 オマケ編

前回の今更Bee Geesもかなりだが、今はその呼称でなくなって久しいFEN等を出してしまった。
概知の方には退屈かもだがその場合懐かしんででも貰って、一応これらのプチ用語解説みたいなのを開催しますだ。

1.FEN(Far East Network)
現在はAFN(American Forces Network)と呼称が変わったが、要するにアメリカ進駐軍兵士向けに始められたAMラジオ放送だ。
俺が生まれた時点ではまだ
正規FM放送開始前で、幼少時にタダで日常的に洋楽を聴けるのはこれしか無かった。

俺の親父がセンスに乏しい大正生まれの軍隊上がりだったからか、舶来指向は無かったが本邦音楽にダサさを感じていた。
その当時の俺的にオシャレさと親近感を抱いたのはRock系だったが、本邦のラジオ・テレビでは取扱いがほぼ皆無。

本土在住の一定以上の世代で幼少時から洋楽に親しんでた者には、恐らく例外は無いと思われる。

2.ラジカセ(ラジオカセット)
名前の通りラジオとカセットテープレコーダが一緒になってるだけだが、これが出る前後で使われ方に結構違いが出たのだ。
オープンリール時代は取扱い難易度の他に高価なのもあって、一般人が使うのは必要時中心であった。
カセットテープが出て誰もが用いられる様になったが、録音には別の手間も掛ったのでまだ誰でもでは無かった。

自動録音レベルが付く様になるとこれもクリアされたが、チープ音質のラジオを同じく低性能の内臓Micで録れば音が悪いし周辺雑音も入る。
かと言って当時の素人に有線接続は困難かつ面倒だったのが、これの登場で簡単になったのだ。
個人的には幼少時よりヲタだったから手間や知識には困らなかったが、お金の掛かる接続ケーブル購入がネックだったのだ。

それにラジオは一方向通信で個人の都合に合わせて放送されてはいないので、聴いてて録りたくなってから線を繋いででは間に合わなかったりもしたのだ。
これを予め録っても良いテープを入れて置けば、ボタン一押しでいざ鎌倉が可能になった。
今なら無知の新曲はネット経由が多いから取敢えずブックマークしとけば済むが、昔はこんなのじゃないと一部概略保存すら出来なかった。

3.昔の一般向け音機器の性能実態
音響とかオーディオと呼ばないのは主に性能面からで、応接間に置かれてた管球式ステレオですらミニコンポに届くかどうかであった。
真空管物は人耳馴染みの良さ等では今よりずっと秀でてたが、シビアにだと良かったのは雰囲気だけとも言える。

石(半導体)物だと今の百均のにも負けそうに貧相で、今だったら音切れだけ起きない携帯電話とでも比喩出来るかだった。
そんな時代でも業務用や専門家向けオーディオならそれなりの性能を持ってたが、如何せん超高価でVIP専用状態だった。
レコードも洋物は高価且つ入手難だし、子供にとってはたまにのシングル程度で精一杯だった。

だがしかし平民が音楽を軽く楽しむって観点に立つと良い面もあって、頼れないだけにしても物理的音質以外がもっと重視されていたのだ。
音質は良いに越した事無いし、誰でも知ってしまって入手負担が軽ければそっちへ行きたがるだろう。
でもオーディオマニアじゃない人には、それよりホントは「感性的」性能の方が大切な筈なのだ。

幾ら高音質でも作品の持ってる雰囲気や世界観が、少しでも違って聴こえたら印象が違ってしまう。
音と云っても分析や解明では無く
食べ物じゃないのに味ってのも何だが、味だとか匂いだとかを連想したり出来る方が大切だ。

鉄道ファンなら電車を見てあれは強制空気圧振り子付の50000形VSEだのと認識するが、普通人は小田急の特急かとかせいぜいロマンスカーと思う位だろう。
でも実質的に乗り間違えせずに済むならその程度で充分事足りるし、それより忘れ物や食事等の心配の方が旅には大事だ。

嘆かわしき本邦現況に「雑音の気にし過ぎ」もある気がするが、そいつぁデジタルの奴隷になった様なもんだ。
誰にでも雑音が感知し易くなったのは確かだが、雑音皆無でも音楽自体が魅力不足ではちっとも楽しめないではないか。
乱暴に言ったらつまらん聴きたくならない物にだと、聴かないんだから雑音の有無等無関係となる。

音楽技術面でも現況の方向性は大きな誤りで、ありのままが記録出来る様になったからこそ加工は要らなくなった筈なのだ。
音質の問題で聴き取り補填がどうしても必要だったから、昔は弄らざるを得なかっただけ。
尤もかつては思った程は弄れなかったんだが、だからって猫も杓子もで弄り倒しても仕方無かろう。

そしてデジタルはそのまま記録の他に、音色加工機器の超小型化(低廉で)ってメリットがある。
よりもっと聴者の好みで弄れる様にするのが簡単に可能なので、元ソースに掛けとく必然と価値はもう無い。

後から出来るのに先にやっちゃって、聴者の弄る余地を無くすのに変な訳でもあんのかなぁ?。

もっと一般的なのに置換すれば、昨今では腕時計をしてる人が随分減ったのと類似例であるべき処なのだ。
ガラケーやスマホに時計が入ってるから腕時計をしなくても平気だが、だからと云って手首に何も付けられなくなっちゃいないよね。
何でJ-POPだけそうなってんのかなぁ、可笑しいなぁ、不思議だなぁ?。

2018年12月18日 (火)

日本のポピュラー音楽って何なのさ③ (歌唱力がヤバっ!?編)

以前従兄の太鼓の先生から訊いた、歌手の声量が落ちたから太鼓奏者が非力化したの独自考察だ。
POP好きの彼的には近年J-POPのは兎に角歌に魅力が感じられんそうで、声量のみならず歌自体が下手になったのではと勘ぐっている様だ。
そうだとした前提で、原因を考えてみた。

個人事情で大凡10〜20年前に偶然知った事だが、小中学生が学校の音楽で歌う際のある状況にとても驚愕させられた。
最近は若者の男女の声の音域差が縮まって来た様に感じてたが、それの元凶かもと思しき事態に遭遇したのだ。
女の子は今だって男よりは高い音程が出せるのに、教師の指導で基本的に歌の全部をファルセット(裏声)で歌ってるじゃありませんか!!!。


子供なんですよ、他の誰より地声で一番高い音が出る出せる時期にですぜ。
そんじゃもし大人になって少し声域が下がったら、高い所はマライア・キャリーみたく「裏の裏の声」で歌うんですかっての。
それ
幾ら頑張っても才能と適正無いと、誰にでも出せるもんじゃないんスけど。
出なくなったら歌うなとでも…!?。

一体何時頃からそう変ったのか目的も何もワシャ知らんし何となく知りたく無い気も湧いてるが、こんなの自動車教習所へ入って最初の練習がいきなりバックみたいなもんで絶対変でんがな。
素人向け歌唱の基本として先ずは地声で、それが高くなって出せなくなったら裏声でって順にやるのが理に適って居ります。
特にポピュラーではMiwa等表現上の理由での特例を除くと、地声で歌えなくなっては好きなのをカラオケで演れなくなっちゃうじゃんか。

も少し掘ってくと通常条件下では地声より裏声は声量が小さいもので、大きくなって超えるのはその人が出せる高域限界域に近付いてからだ。
特に低い側では極端な声量低下がみられるが、これは地声でも同様。
しかし幸いな事に裏にはまだ地が下にあるので、普通は同じ調子で歌ってデフォルト声量が出せる方へ切り替えれば解決だ。
そうすればこそ「楽に歌える」で、素人にこそ必要なものと思ってたがねぇ。

この文言はあるクイズの超サービスヒントとなるが、
ファルセット(裏声)の特技とは何ですかってのだ。
地声で出せる高い音程はギリギリに近付くと、かなり大声にしないと出せなくなる。
それをもし
ファルセット(裏声)にすると、大抵はかなり小さな声量で高さが出せちゃう。(息も断然楽)
って事はある意味小音量用の秘密兵器で、大きく出したい時に用いるのはあべこべのおバカさんなのです。

ここで歌声の正しい作り方とでも云うのを説明すると、最初は地声でなるべく大きな声を出すようにする。
但し不用意に喉を絞ったりして危険な負担は絶対に掛けず、普通にしゃべる時より少し綺麗目な声を目指してだ。
下手に体に見合った声量が得られる前に「声色」を加えると、物真似は得意になれてもそれで歌おうとした時に喉を壊す危険が生じる。

特に人に請われて調子付いたりして歌えば、ついもっと大きな声を出そうとしたりしちまうからだ。
地声でのシャウト唱法は普通に歌うより高負荷になるので、普通の声で大きくも出来ない内からやれば安全な加減が出来ない。
昔の野球部員等で張り切り過ぎて喉を潰したりしたのは、こう云う状態を無理に続けた結果なのだ。

もし上記の様なベーシック歌唱を入部迄に習得出来てたら、喉を潰す確率は激的に低下する。
大人つまり成長期が過ぎたって練習で歌唱力は上げられるが、声域や喉の強度は通常僅かな伸びしろしか無い。
この後者の部分は成長期に正しく取組めればかなりの向上が見込める上、喉が強くなれば風邪予防等にさえ効能をもたらす。

近年本邦では真昼間に子供が大きい声を出すのすら困難化しているが、健全成長の為にはとんでもない状況だ。
これが社会情勢で仕方無い面があるってんなら、せめて学校の音楽室等でだけでもやらせてあげないとイカンです。
特定の感情の時以外にそれなりの大きい声が出せなくなるとどうなるかっつうと、歌わせると蚊の鳴き声より小さく弱いのに友達とはしゃぐ時だけバカでかいなんてね。

昔よりそんな光景にしょっちゅう出くわすなと感じるのは、気のせいなんですかね?。
こっちからすると要は声の制御力が低下して声を出すのもだが、特に自分の出したのの大きさ判定が殆ど出来なくなってる様に伺えますな。
普段に気持ち以外で声量を加減する機会が普通orたまに内緒話し位しか経験出来ないんじゃ、感覚的に会得出来る訳無いんだわさ。

こんな処迄又2極化ですかいで問題になるのは、歌唱力の「中間層」が居なくなる処だ。
こんな不適切環境にめげずに抜群の歌唱力だったら凄いけれど、見方によってはそれだけ歌唱にしか興味が無いのかも知れない。
これが正統派オペラとかになら申し分無いんだが、ポピュラーとなると少し不都合も出て来るのだ。

音楽には違いないがそれ以外、流行・文化・趣味的要素等が不足だと音楽ヲタ専用と化す。
ポピュラーでは親しみ易さ第一なので下手過ぎては困るが、同程度の才能の持ち主でも「配分箇所」が増えれば単一能力は当然下がるからだ。
なのでポピュラー有望株になるのはちょっとオシャレで面白い奴で、普通より少し歌が上手なんてのが向いてる。
これを歌唱力のみで分類すると、中間層となるって寸法なのだ。

尤もそれが近年J-POPみたいに行き過ぎては、聴き取る段階でお客さんは疲れ切っちまうからOUT。
音程
・リズム・発音の正確さは大事だが、それは先ず歌声が「聴こえてから」の話しだ。
或は声量不足のまま無理に大声を出そうとすれば手一杯になって、普段の制御力が発揮出来なくなったりもするだろう。
全ては生演奏の前で普通に歌って「普通に聴こえる」様になってからなのだ。

2018年11月27日 (火)

Speedkingよもやま話⑬1足3連余談Ⅱ

前回の補足プラス図説主体になるが、その前に少々。
俺は割と強めの表現が多そうなので何だけど、実際誰がどうするかに対して固執はありませぬ。
少なくとも求める音に対して過不足等が無くて、結果が得られるなら一向に構わないと実は思っとりますです。

けれども只単に何でもOKって言っちまうと、時に「後で不具合」が出たりもするのを避けたいんですわ。

復唱になっけど太鼓は個人的には体格・体質差等からの影響大と感じてて、俺に良くても他人に駄目とかその逆があっても不思議じゃないと思うんです。
とは云えこの紙上では各個人の個性は不明なので、論理的観点からの優先順位で吠えてるのでありんす。
何せ外見と本人意識が正反対なんてのもあるんで、最適値を求めるにはマンツーマンじゃないと難しいと思います。

Photo
久々でいきなり出ましたが、題して「押出し踏み」と命名させて頂きやす。
先ず黄緑の線が膝より体側からの力の向きで、青線が
カカトを「支点」にした時の足首からの位置関係を示したつもりだす。
足各部の距離関係は人次第でまちまちだが、そこが正に個人差なので一例としての概念図と思われたしざんす。

で現実的な力には膝で前へ押す分もあるが、上から下へのそれと比べたらかなり非力だと思われる。
脚の重さは「作為的な動作」が無ければ近い方中心に掛り、つまりくるぶしから爪先・カカトそれぞれへの距離割合で大凡分配されるだろう。
加えて基本的にカカトは固定なので、他の奏法よりどうしても動作範囲は狭くなる。

だから俺的には絶対的必要性が無ければ用いて無いが、単純原始的な爪先踏みよりはパワーが出せるのも確かだ。
上図左は踏む直前で右は直後を描いたが、カカト固定の癖に足が何故か前へ少し移動してるのに着目されたしある。(描画は誇張気味)
これの度合いもまた人次第でまちまちだが、余程極端に「カカトが長い!?」主で無い限り押出さないと爪先へ重量モーメントを持って行けないからなのだ。

こんなんでどうして「
Slide」意識を持たぬかっつうと、それをすると「カカト支点」が機能し難くなり易いからだ。(移動しなけりゃSlideじゃないので)
それと「踏む前」に爪先がしっかり上がってないとビータストローク不足→パワー不足となって、唯の
慌てた爪先踏み」に成り下がっちまう。
よって目一杯勢いを付けようとはするが、
Slideと思わぬ方が大抵はベタ―なんじゃないかと思われる。
一番単純な思考では「目一杯威勢の良い爪先踏み」をしようとしたら、近い状況が得られる場合もありそうだ。

欠点は是迄に綴った通りだが、では利点は何か。
奏法的には大きな動作が不要なんで、「何か演った直後」に用いるのには有益だ。
それと他の奏法と足・脚の動作箇所と向きが少し異なるのも、複数ストローク用として有利だろう。

複数ストロークと称する多くは手足の基本の「振り」が一回で複数音を出すと解釈してるが、それを可能とするのは大抵は「違う場所を動かす」ので得ている。
だが増やせる数に限界と制約があり、パワーを要する場合個人的には3つ位が限度と感じられている。
工夫の余地は無限かも知れぬがそれ故、現状俺では4つは2+2で賄う等となっている。

基本手足一緒論の俺と云えどペダルとバチの相違を無視はせずで、ペダルは最低でもフットボードの分がバチより多いとなっている。
その影響はやはり応答性に現れてて、手より脚では複数ストロークの数的限界が下がってると感じられている。

またRock系では常時フルのバスドラサウンドが要求されがちなので、「パワーを伴わない速さ」だとご利益僅少だ。
こうなると手で言う処のバズ系の技法は、もし足で出来ても用途不一致だ。
もしツーバスとかでバズロールが出来たとして、使い道が少なそうなのも確かなのである。

これ等から俺言い「押出し踏み」の適正を考察すると、最適なのは「Slide Double直後」って判定になっている。(つまりSlide Triple)
個人差で極度に足首が非力とか遅いとか、何らかの事情で
Slideが不可な場合だったら採用に意義は出て来る。
けれども物理的に最適解で無いのが検証済みなので、特に「これから脚のDoubleに挑戦」ってんなら非推奨なのだ。

もし試すなら他の方法を暫く訓練した後、もし余りにも結果が芳しく無かったらそれからにするのが良いんじゃないかと思う。
尤も
高純度のSlide Tripleに挑戦するなら必須となるだろうけど、それはSlide Doubleを充分習得後での話し。
因みにこの高純度と称してるのは、速度・パワーが得やすいのが「全部違う動作」の組合せだからだ。

体自体もだがそれだけでは限界が近く、前に述べた通り「指令速度」も大事だ。
「頭を楽にする」のにも同じのを繰り返すより、
「全部違う動作」を順番にやるだけの方が普通は低負荷だと思うのだ。
既に目一杯押してるのに更にもっと押せったって無理な相談でしょ、でも「違う注文」だったり「前のは気にしなくて良い」となったら余地も出て来るんじゃない。

ドラムの神様ってばBuddy Richだと思ってるが、従兄の先生の分析では今のが違って聴こえても
技術面では越せてる者は見当たらないそうだ。
その
Buddy Rich実際に途方もないレベルだが案外「簡単な意識」で演奏してた様で、複雑なHi-Hatでのアクセント等を主にバチの「当てる角度」だけで実現していた様だ。
どうやら高度な演奏をしたい程、不要な際は「簡便化」が重要らしいのだ。

2018年11月15日 (木)

日本のRockって何だろう③暴言みたいでもホントマジな話し

今週は従兄が復活してツーバスの微細セッティングの研究をしたが、とある情報を伝えられ驚愕しちまった。
それは従兄も推してる新進女流ドラマー「ミカナベ」さんが、落されたコンテストの件だ。
てっきりとても厳しい審査で落されたのかと思いきや、審査員の模範演技動画の下手さ酷さ加減を見て「これはヤクザより悪い商売」だと痛感させられたのだ。

個人主観に過ぎんと仰せられるか知らんが、こっも伊達に長年音のプロを貫いて来ちゃ居らん。
それプラス誤認回避の前提として、俺はミカナベ氏を評価はしてるが特に好みでは無い。
だがミカナベ氏を3とすれば偽師範供のは1って位、力量差が明白だったから論を待つ迄も無いだろう。

またどう云う理由か不明だが偽連中の「録音された音」が妙で、使用楽器・叩き方等どれもが異なるのに同じ音になってたのがとうにも不可解だった。
しかも「出せそうに無い音」になってて、しかしミカナベ氏の方はちゃんと見た通りの音となっていた。
例えばブランドもサイズも(恐らくチューニングピッチも)違うバスドラで、低域のピークが同じ周波数になるなんてあり得ないからだ。

この時もし楽器のスイートスポットを犠牲にしてでも周波数(音程)を合せたら、今度は音色に大きな差が生じてしまうものだがそれも無い。
音量はマルチMic録りなら・周波数毎のバランス等なら矯正可能だが、ピークの出るタイミング迄弄るのは不可能なので何らかの相違は必ず残ってしまう。
であるからして偽連中のは「当て振り」の疑念すら拭えず、そこ迄で無いにしても無添加純正では得られない音であった。

加えて駄目押しになるのが定評のある録音屋が録ったのなのに、メモ録りでカメラ付きMicで拾ったのの方が良い音だったんだわ。
これは実は俺も経験してるんで分かるんだが、無理加工を施した場合に起きる現象なのだ。
かれこれ30年程前録音時に正規のバンドドラマーが不在になった時、今以上に大した腕でなかった俺が叩いたのでこれを施した事があった。

バンドの楽曲最優先で太鼓の瑕疵を半ば隠蔽しようとして、何とかそれだけはクリアさせた。
だがそれで全体としては聴ける状況になったものの、太鼓だけに耳を傾けたら何とも不自然で妙な音になってしまったのだ。
対して過去記事に記した従兄に叩いて貰ったコンプレス録音の如く、腕が良い程只叩いただけでもう完成品の音が出るものなを体験済みなのだ。

一部に立場上とても不都合になる犠牲者を出す事になるが、敢えて吠えよう「クソ野郎!!」。
この中身が伴ってない審査員供の何が問題かっつうと、バランス等が非現実的で滅茶苦茶なのである。
つまりPA無しでは他楽器との合奏に支障を来す様な有様で、自分より上手い奴を落しとき乍ら金を稼いでいるのが犯罪級なのだ。

単に趣味で演ってんならまだ只の偽物で済まされるが、嘘或は間違いを正当化した上それで金を取ろうってんだから許す訳には行かんぞなもし。
追求しても騙される方が悪い等と言い逃れしそうだが、好きな音楽に対してすら不誠実とはものの哀れの極致だ。
挙句の果てに自己保身の為に(悪・嘘を貫くのに)正しく出来てる方の人を排斥、つまり「わざと」不合格とする事で世間の無知な者へ対してアピールしている。

しかしそんなんでも間違ってでも一応成立してたって事は、かなり狭い世界だが「世論」が不足してるせいなのも否定出来ない処だろう。
現代本邦の異常環境即ち俺言い「不要PA」が、この「悪さ」の根源にある気がして止まない。
要するにそのせいで素人が生本に接する機会を損ねてて、実際はどんなもんかを知るのが困難になってるからだ。
もしやこの段階から悪意図的になされてでもいるのだろうか?。

で更に「不要PA」の源を辿ると、稚拙な西洋の模倣からの「恥ずかしい勘違い」があるとしか思えないのだ。
コンプで本家元祖はOn Mic録りの対生耳補正が主目的だったのが、J-POPでは異常音圧獲得の為だったり。
頑張れば奏法と楽器だけで得られる低音を、EQで持ち上げて誤魔化したり。

けどそれって保冷車をサブエンジンで走らそうとする様なもんで、どうにも無理があり過ぎる。
因みにこのサブエンジンってのは荷室を冷やす冷凍機の動力で、トラックが停車してメインエンジンがアイドリング(低回転)になったり止めたりしても温度を保つ為のもの。
わざわざ走るのの他に小さいエンジンを、追加搭載してるヤツだ。

日本古来の美学としては「自然をそのまま生かす」が得意な反面、考え様に依っちゃ西洋的演出は下手な部類だと思う。
しかし「ものの本質」に立ち返れば洋の東西なんて無関係で、結局は「源がどうか」が最終的に左右するもんだろう。
それを何時からか表面ディテールの模倣だけに走る様になってしまい、「見た目から入る」と「見た目だけ」の区別が出来なくなってる様に感じられる。

この恥ずべき勘違いからの脱却方法は、そもそも演出とは何かを正しく認識する処から始まる。
彼等西洋系の演出の豊富さを初めて知ると少しビックリさせられたれもするが、そこで盲目になると今みたいな不始末をやらかしちまう。
あたかも「今時やんなきゃ時代遅れ」的な焦燥感に駆られるが、ここで焦りが出るのは本邦じゃ「演出無し」がデフォルトだったり「一緒じゃないと不安心理」からだろう。

そこで本家たる西洋人達はどんな気持ちで演出を施してるのか、ここを観察熟考してみるのだ。
こっちと違ってするのが当たり前って事ぁ大凡平常心が保たれてそうで、焦って視野が狭まったりはしてないだろう。
そして肝心なのは当たり前だからやっただけで、こっちが勝手に想像する程別に演出になんか大して頼っていないのだ。

また演出ってのは本来強調等はするにしても、変身させる様な術では無いしそう云う効力を持合せていない。
ここら辺りを本家のご仁は皆熟知した上でやってるだけで、結局は「源が」を決して忘れちゃいないんですわ。
街では傍目にゃ化粧だけが目立ってても、家ではしっかり毎日美肌もやってましたってな具合だ。

機械文明の導入も早かったからどっかで既に経験済みなのか、自然を機械で置換える無意味を知ってるんだと思う。
かつてアメリカ車社会に我が国が不要に看過されたりしてたが、これも大幅な環境差を見逃しての失敗だ。
向うじゃ広くて遠距離で人口密度が桁違いに低くって、人に頼んで移動するのが困難なだけだ。

だから鉄道斜陽のあちらでも大都市の地下鉄等は健在な訳で、「違って見える気がした」のは実際には交通手段じゃ無く町の方なのだ。
地図を眺めて「ここは狭い路地」とどうして思えるかってば、他にそれより太く交差点間隔の広い道が
描かれてるのと比べたんじゃないのか。
つまり地図の「縮尺感」って普通は全然分かんないから、「対比」で想像してるに過ぎないと思うのだ。

その内試しにアメリカの田舎の人と北海道の郊外の人と、知らない所の距離が載って無い地図を眺めてその距離を当てっこでもしてみたい。
「次の角までの距離」の
推察は北海道の人は俺より一桁、アメリカの人はもしかしたら二桁多く見積もったりするかも知れない。
因みに現環境下の俺は10m以内を真っ先に主張するだろう。😓

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