文化・芸術

2021年10月19日 (火)

796 消失した個人的史跡➎

鉄道もだがこう見えてって実際どう見えてるか知らんが、かつてはそれなりのカーマニアだったんで前回後部のデザインの話しの続きをば。
この件には自動車と限らずブランド名やそのロゴ等との関係も深く、ポッと出の得体の知れない会社じゃ無いのを示すには大事な部分だ。

DysonやTESLAみたいに掃除機や電気自動車の大ヒットで比較的短期に名声を轟かせるのは稀だし、今の処良くても数年後にそれを維持出来てるかはまだ分からない。
だとすると折角長く続いてたならそれも凄い武器の1つなのに、我が国の大多数は目新しさにばかり翻弄されて平気で歴史や伝統を簡単に破棄する悪癖が多々見られる。

車のデザインには機能やサイズからの制約は確かに何時だってあるけれど、それだけで簡単に「良い形」を作れるもんじゃ無いと考えてんだ。
どんなデザインにしても長所と短所は必ず混在するんだから、「短所の場所を移動させる」だけでは質の向上なんて望めない。

故に結局は方向性や一貫したコンセプトってのが大切で、特に近年本邦ではそれを放棄したのが多いから低迷してるんだと思うんだ。
丁度新型フェアレディZが発表されたからこれを生贄として進めてくと、私的ではあるが価格とサイズの大き過ぎるのがホントは不合格なんですよねえ。

昔比だと日本でもサイズや排気量での税負担格差は縮まったが、未だ5ナンバーと3ナンバーの区分けに変更は無い。
外国では全く同じ区分って無かったと思うし、片や日本の道路の規格自体に根本的な変更は無いしね。

それからすると5ナンバーサイズで最高峰を目指すのにも大きな意義があって、幾ら一番売れるのが米だからって3ナンバーサイズにしちゃったら国内でのヒットは遠のいて当然なんだ。
で「巾だけ3ナンバー」ってんなら外車にも沢山あるから、色々不利が少なく無かっても独自の個性でもあったと思うんだよね。

3ナンバーに関しては他の多くのも含めて無謀な変更だったと感じてて、宅の車庫の巾を拡張不可能なんでより実感させられてんだ。
その上安全・快適装備の充実が必至だったにしても売値も高くし過ぎたから、他所を借りなきゃなんないとなるとユーザーには二重の負担増となるんだぜ。

大元は為替レートのご利益から安さで勝負に出てたとは言え、それだけでずっと賄えてた訳でも無いんだ。
それがかつて為替の影響の小さい地域での英国製小型車等との競争に現れてて、まあ今じゃあ部品も作り方も何処でもほぼ一緒になっちゃったけどさ。

売れて調子に乗ったか知らんがホントはその時から今迄の間にデザイン面等の研究を、もっと深く掘っときゃ良かったんだがサボっちまったのかな。
いよいよ昔みたいにゃ売れなくなって慌てて付け焼刃で弄り回した挙句、本来のコンセプトを失くしちゃったんだろうね。

Zの場合原点は車体はコンパクトカーサイズなのにエンジンはセドリックサイズってのがミソで、酷く単細胞な発想だけどそれが案外色々良かったんだ。
これって庶民が買えるスポーツカーとしては稚拙だが重要な手法で、スポーツカーとGTの両方の要素を欲張り過ぎたら駄目なのよ。

決して絶対では無いにせよGTってな基本金持ち用の車で、今だってF1カーにはラジオやフォグランプすら付いて無いでしょ。
確かに値段が近似なら装備の充実してる方が喜ばれるけど、幾ら至れり尽くせりでもあんなに高きゃそんなの当然やんけ。

海外じゃ極一部以外軽は売れないってのも俺には眉唾で、大ヒットは難しいにしても他国に作れない小ささってホントは凄い武器なのにね。
高価格でも大きくても構わんのなら日本より米等の方がその道のプロ、寧ろ燃費と壊れ難さだけで今の量を売ってるのは立派ではあるが…。

<つづく>

2021年10月18日 (月)

音楽備忘録795 他を出し抜く音創り③

近年の俺言い盛り過ぎ君達を辛辣にディスっちゃいるが、俺自身実は加工は積極的なのも厭わない口だったりする。
にも拘らず何故目の敵にするかったら盛りの基本を理解不足か軽視してるのが、私は無罪判決でしたからなんて顔して闊歩してるからだ。

って事って早速具体的なメソッドみたいなのを羅列してくが、音源が実在の物の場合例外時以外は完全に別物になっては無意味ってのから始まっている。
先に↑の例外に触れとくが端的に云や効果音等で正体が不明でも構わない時等や、わざと幻惑させようなんて時だ。

1.どんな楽器か判別するのに要る部分を損ねては駄目
2.その楽器固有の個性を消しては駄目
3.演奏内容が分り難くなっては駄目

とダメダメのオンパレードで禁則事項でが
んじがらめなムードだが、実際には「元を忘れて無理し過ぎるな」ってだけだからちっとも大変じゃ無いんでっせ。
寧ろ変な処にだけ固執して実際にはエラク無理してる方が、その時熱くなってるせいで余計な苦労をしてるのに気付けないで居るだけなんですよ。

ケース1:ひ弱なのをどうにかして逞しくする
現代のデジタルバーチャルを魔用すりゃ表面的にはかなり行けちゃうが、元からもっと逞しいのに同じ加工をされたら必敗だ。
もしそうなっても生き残れるとしたら少し別の価値観の提示等が有効で、逞しいと一言で言っても細部には色んなパターンが内包されてる。

全体として逞しいアンサンブルも、その内部で比較すると程度差のあるのの方が圧倒的に多い。
仮にLed Zeppelinを逞しいと仮定するとBONZOは最強だが、少なくとも内部比較ではJimmy Pageは最弱になる(おっと失礼)。

これが不思議なのは彼等が別人と組んだ際どうなるかで、BONZOは何処に行ったって剛力なままだがPage氏は
他所でだと強くはなくとも決してひ弱ではなくなるっしょ。
これを野球のポジションに置換すりゃBONZOは投手・Page氏は捕手みたいなもんで、後者は自らは剛球は投げられないって感じだ。

けれどそのBONZOが全く遠慮無しに投げ込めるのはキャッチャーPage君の時だけで、チームとしても他よりZep球団の時の方が思いっ切り行けるってね。
つまりアンサンブルになると「個人的に全員が逞しい」ってより、組み合わさった時にどうなるかが全てでね。

足し算思考だけに捉われず引き算や果ては掛算割算したらどうなるか、なんて発想の転換が先ず重要になって来るん。
もし全員がジャイアンだったら一寸上手く行かなかったらすぐ揉め出し自滅みたく、「噛み合わない逞しさ」だったら寧ろあった方が「チームの時」(アンサンブル)だとマイナスにしか作用せんのよ。

野球の試合って投手が凄きゃ点取れない→負けないから、より剛球が欲しくはなる。
でもそれを捕れる捕手が居なかったら宝の持ち腐れで、試合で実用になるのは名捕手も帯同してたらでしょ。

更にその先唯捕れるだけと配球や刺殺スキルの有無次第で試合結果が大巾に変わるんで、主役より目立たないってだけで内容的にはアシストだって同列な価値があるんだす。

そこでもしその時のアンサンブル内で「たまたま」弱者サイドに回ってたら、スーパーアシスタントを目指せば良いんですよ。
ここでは随時頻吠え「音楽は比較芸術」ですんで逞しいも繊細も、何かそれをスポイルしない程度の「そうじゃないの」と共存させとくのが最も有効な手段なんで御座居ます。

なので全体が逞しさを維持出来るなら、1つ位普通な感じのが却ってあった方が助かるんだ。
足を引っ張るのさえ気を付けりゃそれで良く、わざわざそれ以上に弄るなんて勿体無いのよ。

<つづく>

2021年10月17日 (日)

音楽備忘録794 Rockのスタンダード➐

大変長らくお待たせ致しましたで徐々に曲名も挙げてくが、先ずは汎用性と独自性のバランスにご用心なのだ。
ってのもスタンダードともなれば本家でもバージョン違いもありそうだし、カバーだって膨大にありそうだからねぇ。

なので体験的にも私的にも事情の無いヤツは、なるべく「本家の最初の」ヤツから取組むのがお勧めだ。
処で「事情」って何ったら、ワイルドに云やその後の知名度を得るには未完成だったなんてのだ。

例えばGuitarがああの時Bassがこうだから最高なんてので、最初のバージョンのには片方がまだ入ってなかったとかそう云うの。
これの判断は若干厄介だが単純な売上げより、登場後暫くの期間でのインパクトに主眼を置けば何とかなるよ。

これをThe Rolling Stones-Jumpin’ Jack Flashと、Deep Purple-Highway Starでご説明致しませう。
では前者から行くが本家Studio版と俺知り唯一のカバー以外のでは、厳密には曲のコードが一寸変わっちゃってんのよ。

見かけ上の相違点は主にあのリフへBassがお付合いしてるかどうかだけなんだが、これ次第で和声的にはリフ部分の響きが別物になるからだ。
一緒に動くと只のユニゾン・付合わなかったら所謂「Onコード」になるが、どんな曲どんなリフでも使える手法じゃないんだよ。

せやからユニゾンるなら他に幾らでも候補曲はあるし、ムード的にもサンプル的にも勿体無いじゃありませんか。
因みに唯一のカバーってのは特に今本邦じゃドマイナー超ヲタの、Thelma Houstonって黒人女性歌手のだ。(個人的には曲想に基づくと最も正統な進化形と自負してるで)

俺もそれなりに長く深くやってっから一般人には程遠かろうが、1970年前後にラジオでFENを聴いてたら音は知ってる人が沢山いた筈だ。
1曲全部では無いが大昔のエアチェックしたカセットに残ってたのからすると、当時はそれなりの頻度で放送されてた証拠に繋がってるね。

続いて後者のはStudio版とLive版の相違の典型的なので、前者も少し含まれるが厳密には曲の構成が違ってるんだ。
と言ってもパット聴きではIntro・Endingが僅かにってだけなんだけど、Bassistにとってはこれがかなり大きく響くんだ。

具体的にはSの方ではちょっとしたオカズが入ってるのが、Lで演られるとどんなに無理してもそれをタイミング的に押込められなくなっちゃうのよ。
こっちこそ少しヲタ臭くはあるが、「選べなくする」ってのはその分汎用性を損ねてんの。

手前味噌体験では結構大事な部分に聴こえたから折角習得してったのに、上記のでパーにされちゃってね。
それだけだったら未だしも無理に押込もうとしたもんだから、ヨレたかミスったかと誤解されたんだから堪ったもんじゃなかったさ。

えーこの様な悲劇を未然に防ぐには「バージョン違い対応」をしとくのが最良だが、網羅するには手間暇掛かるから原版を優先しとくのが最初には向いてると思うんだ。
人夫々最も印象深いのが違ったりするのは当然だし分かるけど、冒頭に記した事情の無い限りは原版としといた方が食い違わないで済むですよ。

したら事情のあったのとしてThe Yardbirds-Train Kept a Rollin’で記しとくと、Rock用スタンダードとしてならこれが原版で差支えないと思うが曲としてなら何と3番煎じなのだ。
1951年にTiny Bradshawが歌物Jazzとして出し、 それを1956年にJohnny Burnette & the Rock & Roll Trioがロカビリー化してた様だ。

ロカビリーだって大枠ならRockなのに何で本件にはそぐわんかったら、2番目のまでは「リフが未開発」だったからだ。
この曲は他にも実に色々あるからそれは次回とするが、歌メロのポテンシャルがそこ迄高かった感じが俺にはしないからそこは一寸不思議。

<つづく>

2021年10月16日 (土)

793 消失した個人的史跡➍

評価も価値もあってもとっとと何でも全替えって、日本ってどうして何でもインスタント主流なのかって時々思うんだ。
台風や地震がジャンジャン来るから、欧米みたいに作っといたってってのはありそうだけどさ。

色々事情があるのは分かるが、共感するには共通アイテムは無いよりあった方が良い。
それはなるべく現物であるのも重要で、各人の受止め感性の相違を補うのには尚更だ。

この面では我が国の今の首都圏ってとても不利と感じてて、お里が地方の人が羨ましい。
今この国若しくはそこに居る大勢は新しいのばっか求めてるみたいだが、俺言い「比較芸術の音楽」に携わってると一辺倒の愚ってのを強烈に感じるんですよ。

認知的「新」って一度知ったらもうお終いで、もし比べる対象が無かったらホント一瞬で「新の価値」は消し飛ぶじゃない。
そりゃ新しいのが全く無かったら淋しいしつまんないけど、逆も又真なりだと思うのよ。

今回は大袈裟に云や「都市の景観」についてだが、駅等象徴的な建築物についてひとくさりさせて頂こう。
今でも東京や上野の駅舎は旧来からのも残ってるが、それがある事で「上野発の夜行列車~」なんて歌も少しは昔の人に近い解釈が出来てるんじゃないかな。

尤も夜行の方が壊滅状態だし、乗車時間も車両も別物化したからその分は駄目だけどさ。
これで快適度以上に私的に注目してるのは、乗ってて直面する「暇な時間」の多少の差だ。

仮に乗車時間が20時間だとすると、大抵の人は全部眠ってなんか居られないじゃない。
それが6時間未満とかだったら上手く調整しときゃ、眠るだけでやり過ごせる可能性があるでしょ。

っても従業員を始めとする諸問題もあるからこっちは今では特例として、状況次第ではあるが駅舎位はランドマークの部分を残せなくはないと思うんだ。
乗降人員の大巾変遷があると厳しいけど、都会でだってどの駅も全部じゃ無いからねえ。

但し列車編成は長くなったりしてるしバリアフリーの都合もあるから、元の設計に余裕があったのじゃないと全部は難しいしそれは承知してる。
只象徴的な一部分だけとか建直すにしても固有のデザインはキチンと継承させるとか、それだけだって街固有の風景としては大いに意味があるんだ。

中でも気になるのは以前地上にあったのが地下化された様なので、見える処が減る分余計に「印し」の責任は重くなるのだ。
もっと範囲を広げればブランドロゴとかコーポレートマークなんかも同様に、ミレニアムとかほざいて浮かれて安易に変えたのは大失敗だったと思う。

カビ臭く思われたくない気持ちは齢取って以前よりもっと分かる様になったけど、どうせ新登場でブームになってる様なのには新しさじゃ勝ち目は無いんだ。
けど古臭い代わり知名度と浸透度では圧倒的に有利なんだから、それを活かすにも余程大きな転機でも迎えん限り半端に変えちゃ駄目なんだよ。

その結果古いのに伝統が破棄され深みを損ねただけとか、新しいって言っても数年前迄はそっくりなのがあったとかって情けないのが横行しちゃってるぞ。
こんなのも含めて最近は何処でもデザイン力の劣化を感じてて、前出自動車のド下手なアニメメカ擬きには辟易させられてんだ。

そんなのを本気で目指すんならアニメのデザイナーを招請すべきで、どの世界にだってその道の専門ってのがあるんだからさ。
引篭りのヲタ連中にコンペかなんかで参加して貰うだけでも、高額な給料払ってあんなに気持ち悪いのになったりゃしねぇっての。

<つづく>

2021年10月14日 (木)

音楽備忘録791 Rockのスタンダード➏

今日はここ迄の補遺から入るが、その1はパートに依ってもルーツに時間差のある問題だ。
お次のその2は世代等に依る認知度の差で、この2つのどちらもクリアしてるのが生粋のスタンダード!?となる筈なんだが…。

概記の如く一度に全部の様式が固まったケースは少ないんで、集った全員に公平にとなるとジャンル的ルーツのよりは後年のの方が相応しくなる。
俺の場合は受け身の趣味となったのは1960年代終盤・自ら演り出したのは1970終盤だったんで、テクノやフュージョンにはまだ完全なスタンダードは存在しなかった。

たまたま当時その方面へは興味が無かったから苦労しなかったが、その代り自分の興味よりも古い方へ付合わされる事は少なく無かった。
世代的には聴き初めが早かったから趣味は古い方だったのに、相手が親に感化された様な連中だとロカビリーやGSもやりたがるからこっちは食傷気味なんて事も。

予め差別意識皆無なのをお断りの上で申せば、当時は正直な処地域的な時間軸のズレがかなり感じられたりもしたんだ。
これは主に供給側の事情に依るもので音楽と限らずドラマでも何でも、昔は全国同時配信出来るのはNHK位しか無かったからね。

そうなるとハスッパな新参物は取上げてくれても民放の方が先になるが、当時は首都圏と地方で局数(若しくはチャンネル数)からして違うんだからミュージシャン側は完全無罪なのだ。
これから何処のどなたとでも即Jamりたかったら、かなりレパートリーに巾を持たせとかないとって学ばされた。

今では全く状況が異なるからこれはもうチャラかと思いきや、よく良く考えるとスタンダードには別に重大な側面があったのよ。
例に依って馬鹿みたいに原始的レベルの話しだが、昔からあったの程知ってる人が多いってのは動かせない事実だわね。

なので演り出したばかりの若い人には一寸酷かも知れないけど、許容出来る範囲でなるべく古いのを知っとく程効果的なんだ。
近年のだって大流行したのだったら知れ渡るのはかなり早いけど、流行に興味の薄い人が居たって罪じゃ無いんだからさ。

続いて世代間等案件については無関心過ぎちゃ芳しく無いが、やたらと気にしても仕方が無いと最近腹をくくった。
又々とか言っといて30代40代の頃は結構悩んで無理し掛かったりしてた口なんだが、○○何年に○○歳なのが違うだけでも厳密には溝は埋めらんないだよなぁ。

これって年寄りにしか実感出来ないのの1つで、体験量が積もって来るとどうしたって新鮮に感じられる物は減ってっちゃうんだ。
どぅわがぁしか〜ぁし他の様々な分野での状況も見ておくんなまし、どんなに自分から遠くにあっても骨格を成してる部分を省いて先には進めないでしょ。

年上が年下に向けて提示するからとっても誤解され易いんだが、この件に限っては年寄りのご都合主義なんかじゃないんだすよ。
例えば自動車のタイヤってかなり進化して巾広にはなったけど、ゴムの代わりにウレタンとかに置換えられてるのはあってラジコンカーの一部とか位でしょ。

コンピュータですら本邦過去称では電子計算機とか電子頭脳とか言ってただけで、一般人が直接触れられる機会は皆無だったものの俺が生まれるよりずっと前からあった物だ。
大昔のビル丸毎1棟とスマホじゃ姿は似ても似付かないし主用途だって随分違うけど、今だってスパコンみたいに極限性能を求めりゃ広い部屋丸々位は場所取ってんのよ。

<つづく>

2021年10月13日 (水)

790 消失した個人的史跡➌

今回は無くなった贔屓の食べ物屋を挙げてくが、音楽備忘録の冠をタイトルから外したのはこんなのの為なんてね。
ここから益々ローカル度・ヲタ度共深くなっちゃうが、だからこそ好みの味を人に知って貰いたい時にとっても困ってんだ。

最初に只のノスタルジーとの区別例示に昭和40年代末頃京葉道路船橋インター近くにあった2店を挙げとくが、フナショクレストラン(元締めはパン屋)とワールドレストラン一条(こっちは元旅館)だ。
前者はメニュー豊富でリーズナブルだが、旨い食堂より俺には全然格下の味で差し詰め俺言い「灰歴史」。

片や後者は人生初の本格洋食・イタリアンで、それがキッカケで洋食ヲタに開眼した店だった。
のでここでは後者タイプのみ扱う事とするが、何れも是迄同様屋号はおろか建物の痕跡すら無くなったの限定とする。

取敢えずジャンジャン出してくが寿司であれば両国の緑4丁目交差点付近にあった緑寿司、あんなに「キレ抜群」なのには後にも先にもお目に掛って居ない。
日本的な洋食屋なら比較的近年迄千葉にあった「ほてい家」レストラン、これは珍しく無くなる前に一度だけ再訪している。

だがかつての全盛期にエレクトーンの生演奏のあった部分は、既に影も形も無くなってたし現時点で閲覧可能な口コミ等にも一切触れたのが無い。
現況は閉店理由が建物の老朽だったからか、やはり跡形も無くなってコインパーキングになってるみたいだ。

この第2弾の前者ので困ってるのは、キレキレだとお寿司ってどんな風に美味しいかの説明に窮してる処。
後者の方では味やメニューもだが食事の場で、BGMの「状況合致度」でどれだけ違って感じられるかを提示出来なくなった処だ。

おっと何気に音楽を外したのがこれでは無効化させちゃってるが、インテリア等半固定の物だけでは場の雰囲気の最適化が充分とは限らないんだ。
特に無意識で佇んでる際はこの影響って甚大で、しかしその時のそこの奏者が特別長けてたのかその後何処で体験しても全く足元にも及んでいない。

例に依って妙な発想だが当時の千葉って今よりずっと東京に遜色無く栄えてたが、田舎っぽさでは歴然だった。
そのお陰で履歴より音自体で奏者が選考された可能性が感じられ、場所・建物で銀座とかに完敗してる分を少しでも補おうとしてたんじゃないかなんてね。

都心より儲からない!?中から出費するんだから、よっぽどムードを作れる人ででも無いととかさ。
お客さんもカッペ主体(失礼)だから曲自体の洒落たののリクエストも期待薄で、ムーディー演奏力の必要性ではそんな環境が最も厳しそうだよね。

最良はそのまま継続ではあるけどこんなに年月が経ってりゃ仕方無いとして、痕跡の有無だけでも受け手の印象差がありそうで気になるんだ。
要するに時計での世界標準時みたいに確固たる基準があったなら、どれ位凄そうかだけでも少しはイメージ出来るのにね。

似た様なの近いのも全然見つからんとなると証明は勿論、程度や方向性も口頭でしか伝えられない。
中でも方向性で類例の無いのが厄介で、大昔とは言えたかだか数十年の経過で下手すりゃおとぎ話を上回るんじゃ敵わんじゃないですか。

それ以上に個人を度外視しても気になるのが、クウォリティの向上に関してだ。
何処迄行ける可能性があるかあったかって大変貴重な情報で、バブルの儲けがロクに有効活用出来なかったり幾らも残せて無いのにも繋がってると思うんだ。

良い方でなら「兎と亀」悪い方でなら「懲りる」って必要だと思うんだけど、その為のネタを逸失してたら上手く機能しなくなっちゃうじゃん。
ささやかな個人の記憶に過ぎなくても、忘れるべからずとか維持すべきのってあると思うんだな。

<つづく>

2021年10月11日 (月)

音楽備忘録788 Rockのスタンダード➎

今回はBANDセッション向け共通認識曲の概念に触れてこうと思うが、その分類がとっても大変だ。
そもそも一口にRockと言っても、ロカビリーやRock ’n’ Roll迄含めるのかがそれだけじゃ曖昧だ。

しかも普段どんなのを演ってたからって、気紛れで他ジャンルの曲で遊んだって構わないんだしね。
最終的にはジャンルも担当パートも無制限で何でも知ってりゃ最強で、だけどそんなの幾ら頑張ったってかなり時間を掛けなきゃちっとも近付けやしない。

そこで提案したいのは合奏専用のと各自の専門のを分けて考えとくってので、非専門のは滅多な事で本職さんには敵わないだろうしね。
それでも非専門曲でもエッセンスだけはなるべく押えられとくと、センスの良さはアピール出来るだろうしより合奏し易くなるんじゃないかな。

その際大切なのは細かいフレーズの正確さより全体のイメージとなるんで、取敢えず音を全体として覚えとければそれで良い。
たまたま興味が湧いたら少しだけコードを探すとかもアリだが、分析脳では無く飽く迄感覚中心としとくのがコツだ。

もっと凝縮表現にすりゃ「聞いた事あって知ってりゃOK」で、原版忠実へ拘るならアンタがそこで弾いて無い限り演っちゃ駄目ってなもんだ。
弾き手が違って「同じ雰囲気を得る」には調整が必須で、体も心も違ってんだからそのままトレースする方が元からは大抵却って遠のくでしょう。

奏法技術等の習得の為にならトレースだってアリだけど、原典の人は何の為にそんな技を駆使したのかよう考えてみなはれ。
例えばその曲のその部分に「甘じょっぱい」のが欲しいと感じたとして、理想に近い「味」を出す為に選んだり加減したに過ぎないんですよ。

合奏相手が自分以外皆本職だったら「良く拾ったね」と褒められるかもだが、門外漢の人には「聞こえた感じ」が違ったらそのせいで何の曲かすら分かって貰えん場合も少なくない。
持合せてる才能の如何に依ってはこの限りでは無いが、物真似上手とオリジナリティは共存させ難いもんだ。

それを可能化するにはアンサンブルのアプローチから変える位じゃないと厳しく、大昔の「のど自慢」で伴奏は全てアコーディオンの独奏みたいな切り口とかね。
なので私的にはJam Session(即席合奏)では、各自の個性がなるべく発揮された方が価値が高いと考えている。

加えて他流試合とか道場破り的要素も含まれりゃ、歴やスキル差が大きくても合奏出来た方が良い。
となるとそれ用の素材たるスタンダード曲はシンプルなの程相応しく、この面では「聴き専」の人達とは真逆の価値観が必要だとも思う。

高度な曲を難無くこなせると羨望を得られたりもするが、それで自慢出来るのは作れるかは不明なんでせいぜい技術面の一部のみだ。
勿論必要時になら演っても良いが、音楽で先に要るのはテクより個性や表現力とかだからねぇ。

然も無い曲を素晴らしく奏でられたりするのが「真の演奏力」で、他人が書いた曲を演るならチョイスやアレンジのセンス以外は意味を為さない。
弾かないんであれば寧ろ選択以外にやれる事が無くなるから、その凄さを誇示しても問題無いんだけどさ。

とは言えRock内でもジャンル次第じゃかなりテクの要る有名曲も少なくないが、一部例外を除くと曲自体をやるだけならハードルの高いのは少数派だ。
ここでの例外とはEdward Van Halenが独奏してる様なヤツで、尤もこの手の多くは合奏にはどうせ使えないよね。

そりゃ折角の見せ場ならどんなのでも期待通りかそれ以上に演れるに越した事ぁ無いが、殆どの場合今やってるセッションが「本家のオーディション」じゃ無いのを忘れん方がええで。
有料Liveでカバー曲やると著作権使用料が掛るし本家を凌ぐのも中々大変、それからすると他人の凄いのよか「自分独自の凄いの」の方が遥かに求められてるんでっせ。

おっとついプロ志向の前提で行っちゃったけど、至上のコピーを目指してるんなら上記とは当然真逆になるよ。
只これも上記に倣えば差し詰め「分家のオーディション」みたいなもんだから、本件だとレアな方に入るんじゃないかな。

アマだって決してオリジナリティが不要では無く、プロとの違いは腕不足でも活動が続けられるだけなんじゃない。
寧ろそんなに売れなくても構わんからこそ、とびっきりコアヲタなスタイルにも出来るんだら。

<つづく>

2021年10月10日 (日)

787 消失した個人的史跡➋

続いてその専門学校時代の下宿先をお題とするが、その建物も俺が離れて数年で消滅した。
せめて校舎かどっちかが残ってりゃ良かったが、両方無いとなると他人には無かった過去も同然ったら言い過ぎだろうか。

その建物はALC板(気泡コンクリート)で作られた4階建てで、その名は「代々木アビタシオン」だった。
そもそもはウチの親が近所迷惑解消を兼ねて俺を隔離するのに部屋を借りただけだったんだが、そこの大家さんの意向で下宿&強制弟子入りとなった過去プチ洩らしのアレだ。

この大家さんこそがスピーカ屋のオヤジ兼音楽業界師匠の大菅保氏(おおすがたもつ)で、ビル化以前は奥さんの両親が経営する下宿屋だったらしい。
それを先代の高齢引退と師匠の転職・企業を期に建替えたらしく、下半分は会社と大家さん達の住居となっていた。

そんな状況から生系楽器単体音程度迄なら、昼過ぎから午前0時迄は出してOKだったのは特筆ものか。
しかしその代りか強制的に入居者が学生なら下宿扱い、音楽に関係がある者なら弟子と勝手に定めてたんだろうか。

これが解体となった原因は師匠経営会社の倒産で、解体以前に負債返済の為に売却した様だ。
その会社ってのがスピーカを中心にMicやLM小物等を設計製造してた、ANSWER ACOUSTIC LABである。

本業はスピーカ・次点でMicだったがOEMが多目だったのと、エンクロージャも含めた完成品でのヒット商品に恵まれなかったからかフルの社名すらさっきググって出たのはたった1つキリだった。
画像も出て来るのとなると末期に出したエレキ用トレモロユニットのShift 2000っての位で、これに掛った膨大な開発費が回収出来ず終焉を迎えた。

社長(本人指定で普段は間借り人の俺もそう呼ばせられた)は早稲田理工学部卒の元はJazzのSax奏者で、今にしてみるとLM関係を扱うには一寸感覚がズレてたのが敗因だと思われる。
技術的には先進的且つ斬新で優れてたものの、今一見た目も音も「らしくならなかった」のが不味かった。

Jazz屋からすりゃRockにも手を出すしRock屋からすりゃらしくないしで、結果的に継続的愛用者を生めなかったのが俺言いググりハズレに繋がってるらしい。
けれども全盛期はかなりあちこちに出回ってて、輸出も隆盛だったのからするとあまりにも記録が残って無さ過ぎる。

因みにここのスピーカユニットの特徴を並べとくと、当時他社比では小型の割に高能率・広帯域・高耐音圧且つ低歪みだった。
但し一寸やり過ぎもあったか巨大な磁石の重量(主に慣性)に負けて、フレームが変形なんてのも時々あったが。💦

師匠のミュージシャンとしてのハイライトは本人談では水原弘Rock擬き(失礼)時代のバックのレギュラー、シャープス&フラッツのトラだそうだ。
だが団員だったビッグバンドのブルーコーツの過去在籍者名簿でしか、何処を探してもクレジットすら出て来ない。

俺個人は作品と生実演の比較で偽称や誇張でないのは確認が取れてるが、ネット時代前夜だったからか画像の類も一切見つからない。
で この件で俺にとって致命的なのは「3無い状態」な処で、人物・会社・建物のどれもが出て来ない処だ。

1980年代前半に楽器屋や問屋に居た者なら覚えてれば全員知ってる筈だが、今となってはこの有様。
どうせ大して有名じゃ無かったんだから同じと言われりゃそれ迄だが、幾ら俺が怪しい奴にしても詐称する様な奴と思われたら流石に悲しい。

関係者数も決して多く無いだろうから貢献度は僅少そうだが、今日もここで誰かの万一の為に証言を記しとこう。
昭和の末期15年間位代々木は山手線の線路っ傍にANSWER ACOUSTIC LAB社は実在し、’80年代中期以降は山梨県都留市に工場もあった。

因みにⅡで強制就職回避の為に身代わりで押付けた親友が工場の方へ数年常駐してて、お呼ばれした際田舎のオンボロの木造の広い借家?(工場)を案内された事もあった。
本社の方は俺は住んでた間は勿論当時極近所に住んでた従兄とか俺の身内は、割と頻繁に手伝いや実験に駆り出されてたよ。

音響と音楽で社長は先輩格に当たるとなると、昭和の序列では普通の理由じゃ断るなんて選択肢は無かったんだ。
でも今になればお陰で「本場の体験」が自動的に積めちゃってて、無形の財産としては大いに役立ってるんだけどね。

<つづく>

2021年10月 8日 (金)

音楽備忘録785 Rockのスタンダード➍

続いてはエレキGuitar以外のRock的始祖へ進めるが、肝心な歌唱法については敢えて後回しとさせて頂く。
人の肉体って楽器より進化がとても遅いのもあって、革新的なのが現われたのが大分後になってからだったんでね。

本日のトップバッターは生Pianoで、Jerry Lee Lewis,Little Richard,Fats Dominoの3名を提示しとこう。
記した順に奏法への影響が強くその逆がヒット曲の数となってるが、元はClassic用に作られた楽器をそのまま使ってるのにってのが凄かった。

但しRockルーツのや黒人系のジャンルでは既に近似なのは登場済みで、後の電気・電子鍵盤楽器みたいにサウンドからして別物って程の特異性には恵まれていない。
けれども弾き語り形式で演っても、ちゃんとRockに聴こえる点が看過出来んからの選出だ。

処で前回迄ちゃんとRollが付くのは選外にしてたのになしてったら、Rollが取れた後もPiano奏法には大した変化が無かったからだ。
確かにCombo Organのの多くやPianoでもBeatles位以降からもっとシンプルなのも増えたが、更に後のシンセみたいに鍵盤は片手でしか弾かないみたいな違いは基本部分には生じて無かったんでね。

さてここ迄が大凡1950年代スタートので残りのパートのは’60年代になってからのになるが、その訳は概述と上記等が原因だ。
この手の話しは基準の設定次第で様々な分類があるが、本項では「根本的な使い方」に着目している。

例に依って若干遠回りアプローチになるが、最近のJazzだと無遠慮にバスドラをドカドカ踏んでるのも散聴される。
Jazzは自由至上だから無しと迄は言えないが、俺にはそんなやり過ぎ君のは無粋な印象を受けてしまう。

Bassも含めたリズム隊で積極的にバスドラを鳴らした開祖のRingo Starr、彼等のは従前比だと数は増えてるが意味無く鳴らしてるのは皆無なのが違ってんだよ。
それ迄のとの最大差は「リフ化」させてた処で、しかもそのパターンが無尽蔵(実際は奏力その他で色々制約もあったが)だった処だ。

ClassicやJazzとRockや近代PopsでのBDの使われ方の違いって、前者はダイナミクス・後者はフレーズの変化に特徴がある。
Ringo以前のRock系ではこれが曖昧ってか定まっておらず、視点を変えりゃ脇役から主役級に昇格したとも看做せなく無い。

Drumパターンだけでどれくらい曲が特定出来るか、なんて聴き方をして貰うと理解し易いんじゃないかな。
そりゃ音程面で不利な分太鼓単体では他パートには及ばんのも少なくないが、Bassとセットで聴けば特定出来ないのの方が僅少だ。

んでそのBassの方もPaul McCartney以前にだってそれなりにパターンはあったが、Bassだけでこれはあの曲しかあり得ないなんてのは一寸思い当たらない。(リフやメロを弾かせてるのは除く)
杜撰大王だから失念がありそうな気もするが、同じ人が何曲もとか多彩なバリエーションってのは無かったのを保証出来る。(基本的な伴奏時に於いて)

このリズム隊の革命はRockよりPopsへの影響が大きかったとは思うが、Bassが何らかのメロディを担ってもOKって部分はRockにとっての方が一大事だったと思うんだ。
エレキでだって例えば可愛らしいリフを奏でられなくは無いが、それをオルゴールにやられたら勝ち目ゼロ。

その代りRockみたいにかなり歪ませるのも許して貰えれば、音色面でワイルド方向では圧倒的に有利だ。
但し歪ませればその分総体的には細部の聴き取りが悪化するから、比較的シンプルなリフでも構わないジャンルじゃ無いと活用し切れない。

現実的には上記事情からリズム隊の歪ませはRockでも少数派に留まってて、Guitarの歪ませ方の工夫でかなり聴き取り改善が図られてる様な訳にも行かない。
処で英ばかりじゃ無く米でも同時進行でThe Booker T & MG’s辺りからこれが顕在化し出してたが、Beatlesでのこの手法のルーツは米の黒人系のにあった。

だが上記2団体!?以前のは以前からの手法のと混在してたし、意図的にグループのアンサンブルのスタイルとして打ち出しては居なかった様だ。
なので深く追及したかったら例えばRay Charlesとか、昭和日本式ならソウル・今ならRhythm&Blues系等のを聴かなきゃ足りないが黒さ不問なら必須では無い。

但し近年本邦のR&B(アールアンドビー)は名称とは裏腹に内容差がかなりあるんで、教材としては個人的には非推奨だ。
単に聴いて楽しむのに問題がある程じゃ無いが、ルーツの継承とか伝統の維持等の面で重大な欠落が見られる。

かつてBlue-Eyed Soulなんて俗称があったのと似た様なもんで、この呼称が生まれたのも当事者の人種差のみならず違いが内容にも及んでたからだ。
なので俺言いに翻訳すりゃR&BよりYellow-Eyed Soulとでもしといて貰いたい処だが、英語圏に顧客が居ないから叱られずに済んでるのかな。😅

因みにどう考えたって俺じゃ非ウルサ型には入れて貰えんだろうが、こんな風に呼称へ少し拘るのは「ガッカリ防止」に繋がるからだ。
どうせ勝手に略す位なら前例に倣って頭に追加して、せめてJ-R&Bとかにしといてくれたら助かったのに。

<つづく>

2021年10月 6日 (水)

783 消失した個人的史跡➊

場所や建物の存在は俺言い「人生の証拠」になる事もあるので、実体が失われるとまるで証拠が隠滅された様な気持ちになったりしません?。
今は加齢でノスタルジーとか望郷の念もきっと強まってるだろうけど、私的には思いの外かなり若い頃からそんな思いをさせられて来てたんだ。

それが最近余計に気になり出したのは、ググってもほぼ何も出て来ないのが随分多かったからだ。
今調べてみたのだと出身の専門学校は移転こそすれまだ存続してるが、自分の居た科の情報が全く出て来なくなってたよ。

普段は殆どエゴサーチはしないんだが、近年はここへ書くのに間違いを避けたい時等に確認用に覗いたりしてたんだ。
何しろ音(中身)は全部覚えてても、曲名(名称・時期…)はサッパリなんて体質だからね。

わ兎も角出身校ので駄目なら他所様ではどうなってるかと調べてみたら、近隣の関東圏の専門学校で録音を工学として学べる処は何とたった1つになってて愕然とした。
一般的に専門学校ってかつての職業訓練校の成れの果てみたいな処があるから、その時代の募集人員の多い職種のが中心になるのは仕方無い。

とは言え社会から消失した業種では無いのからすると、これではロクな技師が育たないのも半ば当然の体だ。
実際どちらさんでも「ITやデジタルに詳しい人」が兎に角欲しいし、音より動画に明るい人材に飢えてるのは確かだけどさ。

だからってオッサンやジジイの疎い部分だけ若いのに助けて貰ってって発想、大いにどうなのよだ。
その時点では偏ってたから反対のだけってのは分かるが、それから数十年後に今度は逆に偏って又似た様な苦労を再現させるのは目に見えてるのにね。

専門性の低い形で社会に属してるなら儲け主体でも良いが、専門家不在になったらそれは成り立たたなくなるんだけどな。
しかも機器的に電子機器なら電子工学にだけ長けてりゃ手に負える程甘くは無く、内部はほぼデジタル演算回路だけになっても道具としてはかなり多様性に富んでるんだから。

これって一種のサプライヤとユーザーの乖離で、もしかして近年本邦の乗物の醜悪劣化デザインとかとして表出してるのかなって思うんだ。
煽り運転が社会問題化してる最中に、わざわざ挑発的なマスクのばっかり作るって…。

不況中のコロナ禍にとんでもない愚策のせいで鉄道への飛び込み自殺が増えるのも仕方無かろうが、大井川鐵道のトーマス号に飛び込んだって話しは訊かない。
昔のSL+ローカル単線で鈍足だからとは言え、実はそんなのの方が制動力は断然弱いのだ。

そんなの完全に非推奨なのをお断りした上での話しだが、重くて中々止まれなくて機械剥き出しで無防備な点からしたら鈍足でも致死率はよっぽど高いんだけどね。
列車本数の少なさからしても都会の電車より、遺族の賠償額も低く済ませられそうだしさ。

差し詰めこんな状況って現代版「北風と太陽」なのか知らんが、平和呆けの果ての「戦時中」なのかな。
って程かどうかは兎も角この件では科の他校舎も早期に解体されてて、実在した痕跡が見付けられなくなっちまった。

当時代々木駅前にあったその本館は元締めが当時の都知事(石原慎太郎)だったからか、大江戸線の駅出入口へ供出となったらしい。
途中から狭隘さの為線路の反対側のビルも借上げ第2校舎として使ってたが、外装をリニューアルしたか建替えたか不明だがそっちすらそれらしいのが見当たらなくなっている。

学歴としても学校としても全然大した事無いヤツだったから世間的には「知るか」だろうが、たればこそ物が残って無いとホントは高卒なんじゃねなんて疑われちゃ敵わんよ。
「残さず刷新」するのってこんな欠点もある訳で、想い出がどうのってより全然以前の話しになっちゃうんだ。

同校同科在籍者向けプチ擁護として、たった1人のだが証言をここに記しとこう。
昭和末期に東京工学院専門学校は代々木に本拠があって、そこには確かに音響芸術科とは別に音響工学科もあったと。

<つづく>

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