文化・芸術

2024年6月25日 (火)

音楽備忘録1775 過小評価で忘れられつつある人々⑰

本シリーズでの前提条件「グループ主軸で外部でも同等の活躍」から一寸逸脱になっちゃうけど、エレキGuitar演奏での現時点迄の最大貢献者はJeff Beckの自説を語らせて貰おう。
同意しない人が居ても全く無問題だし、各自の目標は誰だって一向に構わないんだけどさ。

他から圧倒的に掛離れたテク(表現力含む)があれば先ず目立つし、唯一実現可能な人としての価値は大きいよ。
けれども↑には奇抜さも付いて回ったりするんで、どんな曲・シチュエーションでも何時も使えるとは限らないんだ。

プチミスマッチ例としてMichael JacksonのBeat Itを再利用しちまうが、一度は良い方で取り上げたばかりなのにこれ如何に。
とまたもや矛盾の嵐が吹き荒ぶかの
様だが、厳密には「ハードさ」で若干難があったんだ。

Michaelは目一杯激しくと思ってVan Halen達に頼んだんだろうが、ソロと歌以外の全てがそれにしては妙に冷静っつうかスッキリしててさ。
もしかしたら人選よりMixやMasteringがタコだったか知らんけど、サウンドの流れを意識して聴くと一寸無理してる感が否めないんだよ。

こう云う風な状況は昔程大人数が携わらざるを得なかったのに、Jeff Beckの参加したのにはそんなのが一切見当らないんだよ。
今劣化本邦の世間一般評だと好みじゃないと奇抜な箇所とかだけの評価に留まってる様だが、その逆の部分でこそ彼は真価を発揮してたと思うんだ。

グループに関してはYardbirdsも長くないしその後はメンバーが流動的で、一般にはソロになってから才能開花みたいに感じられても仕方無かろう。
その上Y在籍当時は殆ど専念してたしで、それ故この項の前提条件からは外れてる。

けれど存在と名前は以前から知ってても、完全な後追いで初めて興味が湧いた杜撰大王みたいなケースも稀にあるんだ。
その立場からすると本質的な資質は殆ど変わっておらず、一面で周囲がシンプルだからより分かり易かったんだ。

何しろ後年になる程周囲がとんでもない凄腕ばかりになった結果、伴奏が高級じゃないと合わないと勘違いする人が多いんじゃないかな。
盟友Clapton等とコラボった時ゃ遠慮して弾いてるとか、良く聴き込むとそんな事は全然無いんだなぁ。

どうやら本人はまだ演ってない方をアルバムでは優先してただけで、変えた変わったつもりはサラサラ無さそうなんだよ。
唯オーソドックスなRockスタイルの人のオファーが少な目だっただけで、Mick jaguarのソロアルバムShe’s The Bossとかを聴きゃ分かると思うんだが…。

それと今の感覚じゃRock系は特に今劣化本邦のは寸分違わずが主流になってっけど、Jazzよりシンプルなだけで毎回何処かが違うって方が本来はよりRock的なのよぉ。
そうじゃなかったらあーた俺みたいな「地の人気」がほぼゼロの奴は、ノーチャンスになるからとっくにRockなんか辞めてらぁっての。

-つづく-

2024年6月24日 (月)

音楽備忘録1774 杜撰流不景気対策➓

誤認回避で久々に前回末部補遺で念押ししとくが、当時親友が求めたスタイルの都合で鍵盤からGuitarにシフトしたのは百も承知で御座居。
けれど彼が行き詰った原因に、この件が少しでも関係してたとしたら悔やみきれねんだ。

実利的な弦・皮の寿命は時間だけで計れないのと同様、憧れたスタイルと違っても却ってそれがオリジナルスタイルの構築にもなるざんしょ。
我々周辺では彼はオンリーワンでGuitarもかなり個性があったが、かと言ってそれだけで飯が食えそうと俺には思えなかったかな。

さて本題に戻って弦や皮だって音や見た目でもし判断か付かない時なら、経過時間を目安に交換するのはやぶさかじゃないよ。
それから一部お拘り氏の中には球の出力管を割と頻繁に交換する者もあるが、その行為が全て無駄っつう訳でもおまへんで。

が新品卸たての球の音が好きなんだとしたら、その過半はAmpのタイプがマッチしてない可能性が濃厚なんだ。
これは弦・皮も同様で、自身の理想より鮮度が低かったりBrightさが不足してるのかも知れない。

楽器の設計は極少数の例外を除き、消耗部のコンディションは一般平均に基づいている。
ので基本的に弦・皮は少なくとも慣らし完了以降を基準に音色調整がされており、新鮮さだけに忖度して他の部分を聴き洩らすと別の損失が少なくないんだ。

ので新品の初々しさを利用して無傷で居られるのは、せいぜい録音の一部に留めとくのが賢明なんす。
楽器以外に今劣化本邦では服飾・マイカー等で私的には行き過ぎ事例が多数散見されるが、確かに新品同様は美しいけどね。

僅かな曇りや傷程度で見劣りするってんなら、本来はデザインに問題があったんじゃね?。
直に触れないお飾りのと違って、実用品は多少消耗した状態の時間の方が新品より遥かに長い。

これ等は一面で刺身文化の弊害とも考えられ、グローバル観点に立てば常時刺身が可能な鮮度ってな特例なんよ。
故に少なくとも西洋文化発祥の実用品に、それを求めるのは厳しいだろうし一寸非現実的な訳さ。

杜撰君刺身は嫌い処か好物な方だけど、サラリーマンのスーツスタイルとか日本はちゃっかり借用してるでねえの。
体形のだらしなさを誤魔化すのにスーツは最適で、実用・常用品のデザイン例として秀逸な典型だからっしょ。

全てが美しくありたいと思う向きには一寸不都合かも知れんが、試合中のスポーツ選手だったらユニホームの汚れは寧ろ格好良く映ったりもする訳で。
要するに実用楽器をたった1枚の画像で捉えるのが間違いで、動画みたいに良い音を出してる時にどれ位映えるかが本当の勝負なんすわ。

本人の志向次第じゃ忌避事項って程にはならないけど、この件所詮はオプションレベルの域を逃れられないんだ。
ので特に予算が限られたならそんなのより悪評高い最廉価新品を、例え中古でも1つだけアップグレードする方が実益は遥かに大きいんだ。

=つづく=

2024年6月23日 (日)

音楽備忘録1773 肉体的グルーヴ考⓬

もっと気持ち良いノリをリズムをの追及心が足りなきゃオワコンだが、それを最終的に具現化してくれるのは奏者自身の肉体だ。
これで当初重要なのが体裁・映えより音で、両立させるのは音の後なのだ。

完成形では音と見た目は強力にリンクしてるし、その姿も表現したい音に対しては大体最適になるんだけどさ。
只「良い音が付いてて格好良く見える」ってぇのは、場合に依っちゃ音に依る絶大な釣り効果みたいなのもあるねん。

今劣化本邦では踊り(アクション)が妙に偏重されてて、先に見た目を整えようとする輩が横行しとる様だがね。
杜撰大王に言わせればそんなの音でグルーヴは出せませんと公言してるってなもんで、先にノレてなきゃ永遠に音自体には貢献してくれんのどす。

さてこの件で皆に再考して欲しいのが、過去達人達に居た所謂「踊り」は伴わないで極上グルーヴを紡いでた事例だ。
彼等の体の動きは俺言い「映え踊り」と比べると少々ぎこちなさがあったり、典型的な格好良いのとは少し異なる。

それで過去に疎い今劣化本邦では勘違いの元となってる様だが、本人にとっては全く無理なんかしてないし自然にそんなになってしまったもんなんだ。
確かに「奏でる作業」を抜きにしたらとても最善の動きじゃないが、それこそが踊れれば良いだけとは大違いなんすよ。

踊らされる人つまりお客さんと違って、奏者は「躍らせる音」を提供せなならんやろ。
理想としては奏者も含めそれでは皆さんご一緒にと行けりゃ尚良いが、こっち(奏者)は必要な作業が1つ多い。

その立場でもし優先しなきゃなんないとしたら、少なくとも休符時以外は「音の方」なんだよね。
そりゃ万に1つも踊りが超絶に上手きゃロクでもない音でも乗せられるかも知れんが、幾ら派手なパフォーマンスしたって「乗れない音」では今一お客はんは盛り上がれんの。

ダンサーじゃない大多数の聴衆が踊るにはその動機が必須で、それが心理的高揚とかなんすわ。
その高揚を導くのが乗れる音で、その気になれて無いのに煽られたって面倒がられるのが関の山。

因みに今だと演奏より踊りが上手な人もそこそこ居るんだろうけど、普段他人の曲で踊る時とは状況が違っとりゃあす。
その音源が劣悪だったら未だしも大抵は失点はしてないが、自らが出してる酷い音のタイミング分の損失があるからねえ。

踊りでそれを帳消しにしてお釣りが出るレベルに持ってけんと、お客はんには例えば良さげな踊りっぽいが何だかよくは分からんみたいな状態になってる訳だ。
百歩譲って踊りに自信があるなら下手な演奏を加えるのは無粋で、何の為にわざわざ無理して奏でてんのってな。😵

まあ今の流行じゃ視覚的映えが第一だし、ライバルが皆踊ってたりするとこっちもやんなきゃって強迫観念めいたのが湧いたりするだろうけどさ。
被せて効果があるのは同じ位の力量があったらで、それよか各自が自分達の最大の売りにもっと着目して磨くべきなんじゃないかな。

ひいてはそれがオリジナリティにも繋がるんだし。

=続く=

2024年6月22日 (土)

音楽備忘録1772 楽器業界の行く末③

トップバッターはエレキで、当時の人気ブランド順で提示してこう。
当時っつうからには今と勢力分布は大部違い、厳密には部分継承されてるがなんと最大ブランドが
消失してんのよ。

ここでは私感で全盛期を中心に語るんで、それ以前は極簡単に触れるに留めよう。
この私感とは一般的量産体制に入ったのが1970年代中頃で、乱立した弱小ブランドがある程度整理統合された時期だったんだ。

実際にはまだ廉価版分野では残っていたものの、それらは廉価版専門店等入手性が限られてたんだ。
その実態は雑誌にはたまに広告が出てても、大手楽器店へ行っても見当たらないって具合でね。

それ以前はメーカ直営店以外では、何処のでもそれ以降みたいに簡単に見かけたり試奏する事が一寸難しかったんだ。
で本題を続けると大体何処ででも見かける様になった中で、当時最も高頻度でモデルバリエーションも充実してたのがGreco(グレコ)ざんす。

尤もそのバリエーションの8〜9割はコピーモデルだったが、「GOシリーズ」ってオリジナルが登場したのよ。
当時の流行を大いに取り入れつつ海外名門よりは安く、出来栄え自体は中々頑張ってたんだけどさ。

だがデザインにしても音色にしても「ウチのサウンドはコレ」って個性が希薄で、良く言や簡単にFenderやGibsonの代用にはなったがね。
当時はまだ楽曲の新作が必ずしも動画じゃなかったんで、音だけ聴こえて「あっアレだ」みたいにならなかったのは中途半端っつうか消極的でビビりブランドな印象しか持てなかったな。

ブランドサイドでは最大公約数が量的に売れると思ったんだろうが、コピーモデルのせいぜい1/10でも売れたのかねって結果ですわ。
因みに当時は海外向けがあのIbanezとしてたが、そっちは形や色等にもう少し独自性を持たせられててさ。

結果的に輸出は成功して今の地位を築けたものの、国内向けはスッテンコロリンで知らん間に消失ですわ。
そうなった原因の内部事情はワシャ知らんが、国内だけ捕らぬ狸の皮算用したのがいけなかったんじゃないかな。

Beatlesの使用で世界的に有名になったって、Rickenbckerとかそれで消滅は免れたが昔も今も販量はたかが知れてるずら。
実際FenderやGibsonにしても長い年月を掛けて浸透してってて、レジェンド達のビンテージは今のリッケンより更に売れてなかった頃のヤツなんだぜ。

ってオッサン時代が違うったらそりゃまあそうだが、Piano系と比べたら絶対数では売れてねんだわ。
当りが出れば爆売れするには違いないが、売れても絶対数に限りがあるんだよ。

一般の多くの人には生活必需品なんかじゃないし、楽器の中でそれに近いのは教育や欧米では宗教現場でのニーズがある鍵盤。
にも拘らず高度成長期でイケイケどんどんだったが為に、つい甘い夢を見過ぎたんだろう。

ニッチ業界から脱却したいのは分かるが、決して必要とはしない人の方が多いのは普遍的なんだ。
で量販っても限りがあるならモノを言うのは、代替え不可な個性なんだ。

それが1つでも無い事には、楽器としての存在意義が損なわれるんすよ。
もう1つの誤算はコピーモデルが爆売れしたので、その主因が当時の庶民には本物が買えず仕方無くってのを忘れてたんだ。

-続く-

2024年6月21日 (金)

音楽備忘録1771 過小評価で忘れられつつある人々⑯

純粋な前回の続きとなるが、先ずは歴史背景の重要性について少し考えて貰おう。
例えば高速道路の時速100㎞走行、昭和40年頃と今じゃ殆ど別物なんだ。

現行モデルなら特殊用途に特化でもしてなきゃ軽でも出せないのは先ず無いが、当時は格上のファミリーカークラスでも際どいのがあったん。
そうでなくてもとても現代レベルの巡航とは程遠く、騒音・振動もとより安定性が歴然と劣ってたから出すのにかなり勇気が要ったんだ。

時速100㎞ったらその頃と今の新幹線の最高速のほぼ差で、 要するに比べる基準の他範囲迄全然違ったん。
それを加味すると今だと大した事無くなったClaptonの速弾きは、今以上に他の人と差があった事となる。

JazzやCountryでなら少し上回るのも既にあったが、単なる速度以上にRockの速弾きって定義すら定まって無かったんだからね。
これがどう云う意味かったら速弾き自体は出来ても、従前のJazz・Country等のとは明らかな違いが出せなかったら存在意義不足になり兼ねないんだ。


折角速く弾いてもそれでは他人にRockのと思われなかったり、音楽的効能も無くなるから新流行もしなくなる。
それじゃあ困るから速弾きと同時かそれ以上に、先ず使い所のアイデアが必須なんざます。

こうしたら絶対面白い→ほら見た事かの成立が先決で、変な話し物理的速度は必ずしもNo.1じゃなくても構わないんだ。
実際Van Halenの超速タッピングはエレキGuitarとしては当時絶句ものだったけど、ChopinのPiano曲とかで大昔から聴けた速度を凌駕する程じゃないでっせ。(フレーズも含め)

彼はPianoを習ってたからこそ、音的に(つまり聴者の耳が追従可能)実現性大いにありと思えたんだろうけどね。
無論最低限は実際弾けないと個人単独では提示出来ないが、それ位アイデアや概念の言わば「発明」がルネッサンスなんすよ。

となると現状からの距離感等が大きく響き、歪んでるのに美しいとか演奏内容が全て分かるとかが鍵だったん。
何しろエレキの意図的歪ませはFuzzから始まったんで、畳掛けて弾けば当初は混沌を表現するのにしか役立たなかったんだ。(何なのか分からんが何か凄そう程度)

もっと具体的に言やオモロイけどバッチイ感じで、1回聴いただけじゃほぼ同業者じゃないとちんぷんかんぷんでのぉ。
私的にはジミヘンの段階ではその域に留まってて(出現順では逆だが)、Fuzz利用で常時Claptonと同程度の明快度になったのはErnie Isley以降じゃないかな。

因みにジミヘンはワンランク上の奏力とアイデアがあったから何とかなってただけで、それも凄いけど少なくとも当時の素人や一見さんが楽に聴けた代物とはとても言えなかったで。
無論単に奏者力量としてはジミヘンの方が一枚上手と思ってるけど、それより彼は歌唱力・作編曲力等が過小評価されてるよ。

目立ったのはFuzzやアーミングだが、真に凄かったのはFuzz非依存の伴奏なんかじゃないかな。
Little Wingでは音色自体も大変美麗だが、普段よりかなり控え目な演奏で事足りたのはそもそも作曲・編曲レベルの恩恵なんだよね。

=つづく=

2024年6月20日 (木)

音楽備忘録1770 杜撰流不景気対策➒

ケチケチ作戦を2つ提示した処で、新品とノーマルと無理くり延命したのの得失に言及しときま。
所詮亜流でも意図的Lo-Fi(仕方無く必然なのもあるが💦)も表現手段の1つであり、それが成立するのは普通誰でも少しは高音質にしようとするからだ。

同様に特殊ニーズ無くば弦も皮もなるべく新しいとか、状態が良いのを使おうとするっしょ。
全てはニーズに左右されるが慣らしをしてない新品以外、一定範囲の状態がなるべく長く続く様に作られている。

けれど一般聴者には弦ならLine録り・皮なら超On Micの時位しか、新旧の明確な差は分からない事が多いん。
ってのはエレキだと前々回述!?その音色は弦のせいなのか、Ampその他のせいなのか中々釈然としないかんね。

しアコギにしてもPAを通さぬ本当の生音じゃないと、聴こえた音色の原因に他の
が増えちゃうからね。
そう云う「実質的」な面で弦や皮に新品若しくは好状態を必要とするのは、Ampその他では不足が出た場合限定なんすよ。

奏者の実感や意欲等には明らかに好状態の方が好ましいけど、例えばそのせいでLiveチケが¥500高くなったりするなら過半のお客さんは喜ばないさね。
とは言え限度ってのもあって切れてなきゃ破れてなきゃ良いってんでもねえが、比較的新しくったってコンディションが低下し過ぎてたらアウトっすわ。

それが奏者のせいで劣化が早かろうと製品不良か何かだろうと、理由不問で音が水準を下回れば駄目だよね。
なので楽器の交換可能な箇所って他分野の多くのと違って、期間とかより現時点の音で判断しないとサウンドクォリティが維持出来ないんだ。

故に他からの要望無くば自身の楽器の弦や皮の交換は、自身で設定したサウンドクォリティに従うのが何より正解なんすよ。
勿論設定が確定する迄は色んな事例を参考に試すべきだが、事故率等以外では時間はあんまり関係無いん。

プチ余談且つ大昔概述になるが今は亡き手脂が膨大だった親友は、新品に張替えて30分も経たない内に音が籠り出しててさ。
巻弦の隙間と巻弦と芯線の隙間に手脂がみっちり充満しちまうから、良く言って忽ちフラットワンドみたいになっちまう。

特例ではあるがその様なケースで音色を安定させ様とするなら、籠ってからを普通とするか超頻繁に手脂をアルコール等で除去し続けるしかない。
どっちも妥協を強いられる方策だが、手の皮膚の健康を保つには後者は少々リスキーだ。

し他人の楽器を借りて奏でる際に段々と音色が変わって困り…、こっちはそれが為だけで弦が新しい時ゃなるべく内心は貸したくなかった位だ。😓
体質の不利のせいとは可哀想なんで、流石に最後迄本当の理由は言わず隠し通したけどね。

そんな奴が18〜19の頃そこそこ頻繁に張替えてたのは、その当時録音もLiveも目白押しだったから結果的に唯々事故率低減だけの為に実施してたんだ。
この不利からすれば奴は鍵盤の方が上手い位だったから、そっちメインで行ってたら余計な苦労が無くてって今更乍らに思うよ。

=つづく=

2024年6月19日 (水)

音楽備忘録1769 肉体的グルーヴ考⓫

人が演るのに厳しい程速いのがグルーヴじゃないとは何ともご都合主義みたいだが、物理的速度だけに囚われて偏屈思考するからそうなるんだ。
やたら早いと人の鼓動との整合性や著しい聴き取り負担が生じるのが不味く、要するにそんなだと良い気分に水を差されるからなんだよ。

いきなりお下劣だがカレー好きがそれを堪能してる最中に、下痢の音なんかが聞えたらつい変にイメージがリンクしちゃってオエッってなったりするやんか。
或はレアステーキか中トロを食してる際に出血を伴う傷が目に入るとか…、悪趣味に過ぎるからもう止そう。

悪意皆無な偶然でも両者に何処か共通項が容易く見つかると、つい望まぬ想像力が勝手に発動して悩まされるパターンですわ。
テンポやリズムでこんなのを回避するには、何処かに安心出来る要素を常駐させとく必要がおま。

それにはせいぜい鼓動の½〜2,3倍速程度に抑えとかんと、自然体のままカウントするのが難しくなるさね。
さて打込み等完全機械生成の音楽では、恐らく当初はローテクのままで速度感を演出するのにテンポを極端に上げたのかな。(レコードやテープで間違えて早回した時の滑稽さとかも)

次には生演奏では不可そうな速さにして、機械の特質を使って非日常感を狙ったとか。
それも一利あったのは確かなんだが、飽く迄他の多くにそんなの無いって前提が必須なんすよ。

感覚・比較芸術たる音楽では物理速度なんて屁の河童…って程無力じゃないにしても、リスナーが楽に聴けて物理的に高速な領域はとっても限られてる。
それは大多数が遅さを感じなくなると追従困難な人が現れ、今度は充分余裕を与えりゃ全く速さを感じなくなる人が噴出するってな具合でね。

だいいち一番最初に演った人は良いが、次からはああアレと同じ速さねと慣れのせいで速度感はもう感じて貰えない。
残念乍ら21世紀以降今劣化本邦では歌詞に注力し過ぎたか生演奏を舐め過ぎたか、テンポを変えずに速度感を変えられるのを忘れた輩が多いらしいんだ。

これで一等問題なのは「肉体のテンポ」との乖離で、自然体でつい乗せられてまうリズムってのが失われた事だろう。
仮に脳内では爆速にどうにか追付けても、リアルの肉体の方はそうは行っとらんがね。

仮にⅡでそれが成立するとしたら幼稚園の掛けっこで、園児の平均速度がオリンピックメダリスト並に進化してるのが必要じゃないの。
でも現実はったら最速記録ですら、何十年経っても倍に伸びたりゃしとらんやんか。

不慣れだとコツを掴むのにそこそこ苦労させられるだろうが、先ずは「全く普通のテンポ」(♩=120)とかで速度感を可変出来るように目指すん。
或は言い換えれば「特に遅さは感じない」とか、退屈で飽きはしなそうを目指すだけでも良いんだ。

今後絶対生演奏をしないと決めたなら良いが、そうでないならこんなのが人力演奏の特権なんだ。
どんなに上手く行かなくても少しは違いを出せる筈で、万一全く同じだったらそれはそれで特殊能力保持者なのが判明したってもんよ。

=続く-

2024年6月18日 (火)

音楽備忘録1768 楽器業界の行く末②

ここから個別に論じるがその前に、恒例の前回補遺ざんす。
愚政府は言うまでも無いが近年子供と縁の無い人が増えたせいか、子供を産み育てる意義とか必要性を忘れた連中が多い様だ。

生物の種の保存・継承の原理に従えば、余程人余りにならない限り放棄したら大変だ。
今劣化本邦では既に老々介護等問題が噴出してるが、たまたま自分が今直面してないからって他人事にし過ぎてんだよ。

歩けなくなるとか起き上がれなくなるのって健康なら滅多にならないけど、一寸間違えりゃ誰でも明日はおろか今晩にもそうなる可能性が誰にでもあるんだ。
今はどんどん機械やAI等で代替えが可能化して来てるけど、もし遊んで暮らせたら親しい身内をホントに皆そんのなに任せたいんだろうか?。

年老いてより面倒になった老害君(俺なのけ?😢)なら兎も角、熱愛真っ最中のうら若き恋人なら出来る限り自身でケアしたいんじゃね。
でこの件との関係はったら子供に本物に触れさせ世界の一端を知らせるだが、日本の過去ではずっと民間の善意に丸投げ依存して来てたんだ。

昔語りで小僧を内緒で映画館の裏口からただで入れてやったなんてのがあるが如く、各分野が夫々自前で後進の育成をしてたんだ。
が世の中が世知辛くなったりコンプライアンスがどうのこうの、万一でも事故や怪我のリスクがあったら駄目等でそれが出来なくなっちまった。

ならば纏めて公共でそれを補填しなきゃいかんのだが、何しろ最悪の政府と金の亡者が威張れる有様じゃあね。
経済を中心に西欧の模倣をするなら、金持ち程真剣に社会貢献に精を出さなきゃ完コピじゃねえっての。

幾ら売れ行きが悪化したってったって有名メーカは俺より潤ってんだから、せめてその分は啓蒙活動をしなきゃドン詰まりになるんだよ。
にも拘わらず一般経済理論ばかりに媚びて、当座の自己の利益だけに走っては明日は来ねんだな。

さてこんな風になった経緯は割と他分野と似てはいるが、同じ轍を踏まぬ為にも何処で道を外れたかおさらいしときまひょ。
敗戦でそれ迄の歴史が一旦潰えた日本は、先ず兎に角諸外国へ追付こうと必死になりどうにか達成された。

があまりに猪突猛進で一部以外の者は考えが浅くなってしまった為、1980年代に入った処で油断しちゃったんだ。
電車では折角2軸台車連接車を成功させてたのに、それを軽視した挙句半ば放棄した。

後発の仏TGV等ではデフォルトスタンダード化してるが、源はと言えば国鉄→小田急の山本利三郎ってエンジニアが実用化したもんなんだよ。
その小田急すら一番人気のフラッグシップロマンスカーを引退させるんだから、本当に皆に乗って貰いたい気が失せたと俺は断定させて貰ってる。

では楽器業界はったらオリジナルモデルの普及・確立に失敗してて、巾広いユーザーの声に深く耳を傾けなかったからだ。
折角だから次回からこれについて少し深く掘ってくが、惜しい処まで行ってたのに粘りが足りなかったんだよなぁ。

-続く-

2024年6月17日 (月)

音楽備忘録1767 過小評価で忘れられつつある人々⑮

気になる音は絶対逃さない代わり人名・曲名確認は絶望的に甘い杜撰大王、こんな悪癖から抜け切れないのは当初聴ければ良い専だったから。
それもヲタが芽生えたのが幼児期だった等でより言葉・理屈不要、そんな暇あるならもっと音よこせだったからかなぁ。

昭和の幼児にとってソースはラジオかTVのみ、仮に大人にレコードをねだろうにも難しい名称や内容の説明なんて殆ど出来なかったからねえ。
それ故音としての記憶が記録として残せる迄にタイムラグを要し、未だエアチェックしたのに未解明のがそこそこある有様。

なので即座に提示出来る人は一通りとなった処で、普通の情報収集では解明出来なかった場合の方法を少し綴ってみよう。
ここでの普通情報収集とは個人単独の範囲を指し、やはり王道は時代無関係でヲタ氏を頼る事だ。

但しかつての俺みたいに未成熟だったりすると期待薄で、学問・文化・歴史等に興味の強い人が良い。
前者は興味の対象は掘れるだけ掘るが、僅かでも外れると途端に興味喪失となって見えててすら覚え様としない。

実際過去にこれでやらかしたのが数知れず、せめてメモだけでもしとけばと後悔先に立たずでがんす。
のが後者の場合ゴールへは辿り着けなくても、今後調べるべき領域が絞り込めたりするんだ。

のはターゲットの最低でも隣接してるの程度は記憶に留めてるからで、特に遡って掘ってるとその当時の普通からどの位革新的だったかも見えて来るん。
わ一旦置いといて調査領域が縮小するっつうのは、例えばA〜Cの内AとBはハッキリ違う等と判明するからだ。
違った以外のにしか可能性は残ってないから、完全なしらみつぶし捜索から逃れられる。(無論例外はあるが)

加えてある程度以上の範囲を概知の人って特に古いの程レーベルの個性を知ってて、この手があるとしたら多分○と△位しか無いなんて示唆を得られるんだ。
処がとても残念なのが今劣化本邦のベテラン聴き専の状況で、何処かの恥知らずと違い古い知識を晒けて加齢臭を漂わせるのを嫌い過ぎててね。

本当は貴重な情報を誰にも伝えないのが多く、どうせ新しぶったってすぐバレるのにさ。
ので洋楽に関しては英語圏の情報アクセスが欠かせなく面倒だが、それより深刻なのが自国の過去逸話等だ。

この事を分かって乍ら誠に申し訳ないが国産洋楽に当時は失望(今の方がもっとだが💦)してて、ネットが無くより入手困難な本国の情報収集に全集中してたんだ。
実は後から良いのもあったのを知ったんだけど、当時それ等はヲタ専用的扱いでクソガキには縁遠かったん。

その理由の1つにその類のは当時レベルでは過激な歌詞等が障害となって、日本語なだけに子供に迂闊に訊かせられなかったんだろう。
今再考すれば英詞の方がより露骨でダイレクトなのがあったんだが、何故か外国語だと刺激が緩和されるって誤認が世間にあったのよ。

=つづく=

2024年6月15日 (土)

音楽備忘録1765 肉体的グルーヴ考➓

多少脈動感は残ってもなるべく滑らかにならなきゃ駄目…、なんてまたぞろ揺り戻しみたいな事吠える杜撰大王。
その心は電気モータとかじゃないけど、生身のグルーヴはロボットダンスとちゃうからだ。

最初の比喩SLで考えてみると良く分かり、牽引力にムラがあってもずっとガクガクし乍ら走ったりしてないでしょ。
寧ろ昔電車が抵抗制御だった頃の加速中に、制御段数が少な目だとクックックッと注意するとかなり僅かだがショックがあったんだ。

SLの速度調節メカは全てバルブとかレバーでアナクロで曖昧だが、調整に段階は無かった。(つまり無段変速)
のが昔電車は少なくとも低速の内はハッキリ○△段と決まってたから、その間の加減が欲しくなっても無理だったんよ。

因みに鉄ヲタ布教側面からは○は直列・並列・界磁等で、△は数字が入る。
要はモータと電気回路の接続方法を変えたり、抵抗器を何個挿入するかを選べるだけだったん。(界磁はコイルタップと同等)

そう云や宅で未だ常用中の60年物の扇風機が2速しか選べなくて、低速だと一寸弱っちいが高速だと喧しくてどっちにするかで何時も悩まされてる…のはどうでも良いか。
無段階調節がお得意な今全盛のインバータならいざ知らず、昔の電気を伴う機械は折角どアナログの癖に人間より微調整は苦手で。

機械にしても反応のタイムラグがあったから、よっぽどその性質に熟達しないと中々制御し切れなかった。
人体でだって訓練が要るのは一緒なんだが今よりゃ程度差があったのと、曖昧な代わり感性を反映するのも不可じゃないんすよ。

但しそれには条件もあって、前述の如く心臓の鼓動と極端に乖離した速度域では難しくなる。
のわ感覚の段階で分析し切れなくなってるからで、やたら高速だとカウントするだけで精一杯でタイミング調整の余裕なんて消滅する。

だけどそれで良いのだ、実速が限定されるのを補うべくしてグルーヴがあるんだから。
音楽を聴く≒体感であるから、体感が遅きゃ幾ら実速が速くったってスピード感はにゃー。

全球160㎞超が放れてもその内慣れられちゃうが、70㎞の次にいきなり140㎞と倍速になったら中々感覚が追い付けない。
打者だったらそれで打ち辛くなるがリスナーは別に打ち返せる必要はなく、速さだけ感じられれば良い。

そのテンポやリズムでの緩急技の1つにグルーヴはあり、タイミングをリニアから意図的微妙に早めたり遅めたりして得てるんだ。
但しⅡで小節単位のテンポが変わったのが分かる程とか、曲全体の長さが明らかに変わるのはグルーヴでは無く楽譜にそれ用の記号・固有単語とかあるよね。

これは主にClassic時代迄に用いられた手法で時に大袈裟に聴こえたり、気楽に耳で音を追えなくなったりする弱点があった。
わ兎も角野球の「打てそうで打てない」に価するのがグルーヴで、テンポの早さだけで勢いを感じる程のはグルーヴとは別物なんだ。

-続く=

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