音楽備忘録2094 爆音歌唱に纏わる色々➓
続いては俺言い「Overdriveシャウト」時の子音の明瞭さについてで、オペラ唱法で分かり易いが体の共鳴をフル活用するとこの面ではかなり不利になる件ざます。
又英語等と違って強弱のとても少ない日本語だと、ベテランの杜撰大王でさえ未だに悩みのタネなんだ。
最も簡単な方法は矢沢永吉みたいに強調するのだが、彼は元が不良風イメージを売りにしてただけにあまり違和感無く使えてる。
んが不良は不良でも’50’s派生俺言い「短髪族」なら未だしも、容姿的には風前の灯となったにしても’60’s以降をルーツの中心とした是又俺言い「長髪族」で同じ様にやっては何か違う感があるんだよね。
所詮はRockだから何系何族だろうと大人しFolk等と比べりゃ、何で何時も怒鳴ってんの怒ってんの吠えてんのな感じは拭えんけどさ。
改めてこの問題を再検討してみると、やはり対話平均距離の相違が鍵っぽい。
加えてコミュニケーション方法での言葉の比重にも差がある様で、近年はそんなでも無くなって来たけど昔はオーバーなゼスチャーをしてたら外人かなの認識があったん。
それを今劣化本邦では声量をセーブする事で代替手段としてるみたいだけど、それではグローバルスタンダード環境下では確実に困窮するん。
のが端的に表出してると思しきが狭隘舞台でのコロガシ(個別モニタ)の常用で、変な習慣或は舞台の定形に囚われてる日本人以外こんなに近きゃ聴こえるから良いやと全然必要性を感じてない処。
本来狭隘舞台で必須じゃないコロガシは場所塞ぎの方が損失が大きいのに、すっかりPAに飼い慣らされた生楽器や声量不足のせいで元に戻れなく(不要PAレス)なっちまったとは情けないったらありゃしない。
そんなじゃ万一折角グローバルウケしてもそのままの体制で海外展開が出来ず、って最もその可能性の低い杜撰大王が言ったってあまりにも説得力に欠けるだろうけどさ。
そんな私境遇でも最高でここ迄しか到達出来ませんとなるのと、運が向きさえすりゃ無限の可能性がありますでは夢の見られる次元が違うってんでぃ。
究極的にはこんな箇所に迄影響がある訳で、さりとて杜撰君まだ解決策の決定打は掴めてねんだけどな。😓
取敢えずの策としてはアナウンス等放送界の発音で、本来声と言葉で伝えるにはどんな用途のでもある程度必要なものだ。
永ちゃんの強調策にしても標準をロクに知らなかったら適確には出来ない訳で、先ず無知と演出が全く別物なのを理解しませう。
標準語圏で育ってそこそこ何時も気に掛けてでさえ、かつて杜撰君は動物の熊のイントネーションが↓↑では無く逆にしていた。
私感ではずっと正規の方にどうにも違和感があったからでもあるんだが、単語だけで熊(Bear)が誰にでも認識されるのは正規の方なんだよね。
たまたま今迄は自作詞等に出て来んかったから大怪我はしてないが、どんな理由であれ下手に定着しちまって修正するのが結構大変だっただよ。
言語って単純な発音だけで伝わるもんじゃ無く、全くそんな感じはしなくても一流の歌手は知らずに歌っちゃいねんですよ。
それを個人的には英語圏の歌手で認知したが訛りの強い昔の黒人でさえ、単語自体が違わん限りは予想外にちゃんとした発音・イントネーションに良く聴いてみたらなってたんよ。
感触は飽く迄癖最強でベタな話しなんだが、実際本気で物真似でもしようとしないと案外そんな処迄聴けちゃいねんですわ。
注意力って不明瞭な時は上昇するけど何不自由無く楽に聴けちゃうと、油断したつもりは更々無いのに何処か脇が甘くなっとん。(まさか杜撰君だけなのけ?)
=つづく=
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