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2024年4月20日 (土)

音楽備忘録1709 心理的グルーヴ考➌

前回のは現代特有の事案とも看做せるが、体裁を気にするとグルーヴに大抵は悪影響しか及ぼさないのは不変。
そんで気にしてなくても体裁が崩れないのが打込みなんで、この点無加工だと最もグルーヴを出すのに向いてない。

にも拘らず今劣化本邦が唯の一定安定に走ったもう1つの原因として、昭和末期の若者が嫌うグルーヴなら沢山あったのが考えられる。
当時の俺自身民謡や演歌系とか大嫌いで、例え簡単に出せてもそんなグルーヴはお呼びじゃなかった。

だが今良く考察してみると癖が強過ぎたっつうか、リズムフェイクの登場頻度・箇所等がきっと気に入らないだけだったんだろう。(それ以外の音楽性や好みは別として)
こちとらノリはノリでも持続性のあるのを求めてたから、途中がダムだらけの川みたいなのは合わなかったんだ。

但し当時の新人類が求めてたのは物理的正確さじゃなくて、音楽的最適リズムでしたん。
何故って同じ符割やフレーズでも、そうなってると断然格好良く聴こえたからなんだよ。

言うなれば1960年代中頃から流行り出したBellbottom Jeansみたいなもんで、後年一時期に至っては恥ずかしさの象徴と化したけどな。😓
けど杜撰君昔から足太だったんでその方がまだ良くて、Slimとか履くと完全に岡っ引きの股引みたいで似合わないんだよん。😢

わ兎も角裾が広がってるかどうかだけの違いで、随分斬新で異なる印象を受けたもんだったん。
切り貼り修正でリニアに揃えるのを厚化粧とするならグルーヴはドヤ顔みたいなもんで、表情の工夫で映えUPをする様な作戦だ。

それ故単に良いグルーヴと言っても、中には癖強や下手すりゃ臭いのだってかなりあるんだよ。
上出民謡・演歌系の一部なんて正にこれで、通好みのクサヤ的存在だったんだ。

そう云った好み次第では合わん物も、自身では演らなくても全否定しちまうとグルーヴは半分死んじまうだよ。
何故なら大嫌いの対極に好きがある訳だから、望んでなくとも片方だけでもハッキリ分かる方がまだマシ。

最も致命的なのは不感症或は好き嫌いゼロの場合で、それは一種のリズム音痴なんじゃないかな。
けれど万一該当したからって、慌てて悲観する事なかれ。

その内の大多数は未体験が齎す無知って感じで、タイミング次第でどう違って聴こえるかに神経を向けりゃエエ。
今劣化本邦の昨今みたいに人力演奏でもClick強制矯正してっと、露骨に差の分かるのは僅少だ。

こればっかりは現時点では過去スタンダード名作のお世話にならざるを得ず、それがどうしても嫌ならグルーヴなんて概念から捨てちまえ。
少々投げ槍暴論だが、リズム無演出な打込みみたいなのがきっと体質に合ってるんだよ。

極論すりゃ「無いグルーヴ」もグルーヴの内で、色んなのがあるからどれもが活かされてるんよ。
杜撰君には有り難いBellbottomだって、腰に対して棒脚細さんにはそれしか無かったら不格好で地獄でんがな。

=つづく=

2024年4月18日 (木)

音楽備忘録1707 日常生活と音楽活動⑫

ここ迄様々な角度から日常生活と音楽活動を論じて来たが、知る限りの自体験以外も含めると誰にでも少なからず影響があると思われる。
人次第で度合いや箇所は千差万別だろうから断言は難しいけど、少なくともポピュラー系の範疇で居たいなら共存させるべきじゃないかな。

妄想や想像力に長けてる人でも最初の内は悪影響が無くても、長く続けてる内には僅かな綻びが全く気付かぬ内にほぼ全てを覆い尽くしてる可能性があるん。
まるでカルト洗脳に長年晒されて、正常な判断力を何時しか失くしてしまうみたいにさ。

杜撰大王は我儘だから普段の全てにはマイナスが大きいが、反面カルト耐性には優れてるらしいんだ。
モノホンカルト程じゃないけど新興宗教系の知人は古くから多い方で、中には俺様最大の弱点たるとんでもない美人から執拗な勧誘をされた事もあった。

でも結果は御覧の通りで…って見えないか、何等の特定宗教にも加わってないままだ。
その原因は上記の他に学位所持の研究者から、中高6年間「宗教学」を学問として叩き込まれたのも大きいかも。

今劣化本邦では親が何かの信者で無い限り、他国と比べると普段の生活と宗教の縁が弱過ぎる。
為に何教が以前に、そもそも宗教っつうのが何物なのか全然分かってない人が多いのよ。

幾ら私利私欲の塊でアホな壺議員共ってもある程度の学歴はある訳で、それなりにオツムが鍛えられてたのに何であんなに簡単に騙されて未だ気付けないか?。
杜撰君の上記への回答は宗教に無知過ぎたからで、内実はベタな美人局や枕営業にまんまと引っ掛かったのと同じですわ。

誰だって全然知らなきゃ初回は50%の確率で騙されるもんで、それと似た様な事が普通の日常生活と縁切りしてると起きる確率が爆上がりするねん。
当初呑んでも1日2本迄と決めてても、誰にも叱られないで居ると徐々に増えて来たりするのが人間の性。

或は叱られんでも一寸明日お米買いに行きたいから車出してよなんて乞われたら、少なくともその半日前位からは呑めやしなくなる。
呑みたい本人はその為に割高でも宅配にしようとしたりするが、同居人とかの全然呑めない奴からしたらそんなの容認しないからね。

こんな価値観の異なる人との共同作業って、アンサンブルを上手く導き纏めるスキルでもあるのさ。
何れにしても望まぬ価値観の変容を防ぐのに、必ずしもベストではなくても一般感覚を残し続けるのはとても重要なんだ。

例え全然優れてなく世俗的だったとしても、そんな普通も安定してたら比較時に何等かの基準にはなってくれる。
しかもそれが自分の中にあってありふれたものだったら、何時でも何処でも「あーそうだったな」と引き出せるから。

-おわり-

2024年4月16日 (火)

音楽備忘録1705 心理的グルーヴ考➋

今劣化本邦は何でもマニュアルに従え余計な事を勝手にすんなだが、殊グルーヴに関しちゃそんなの全く通用しねえ。
何故ならある程度傾向や法則性はあっても、グルーヴにはマニュアルなんて存在しないからだ。

以前述だがSteve GaddやBONZOでお馴染み太鼓のオカズ「タッタラコトン」、打込みで正確なリズムにすると本家みたいなキレが全然出せねんだ。
これは物理的(時隔)正確さと音楽的正確さが不一致だからで、音程の方でも平均律と純正律があるのと同様だ。

私感ではあるがかつて日本のDrummer正確さではかなり平均が低く、元はと言えばそのせいでClick過依存に陥ってるのかな。
これは昭和時代の事だけど、ウチの従兄は早期からタッタラコトンのキレが良かったからさ。

まだ本当には上手じゃなかった(スンズレイ)のに、ティーンの頃からかなりオファーが多かったんだ。
当時のアマの半分は手順・音源違いとかしてても平気で信じてたし、それは分かってても本家とは全く異なるニュアンスしか出せないのが残りの4割位。

つまりコンテストで何かしら入賞する位の連中じゃないと、それと分かる様な叩き方が出来てなかったんだ。
まあ今みたいにネットなんか無かったから、仕方無いっちゃ仕方無い現象だったんだろうけど。

ほいで結局↑の過半数が是正されぬ内に、Click信者だから正確って訳の分かんねぇ変な宗教信者みたいなのが蔓延しやんの。
確かにタッタラコトンの筈がオンポーロロロンみたいになってた奴等にとっちゃ、タータタトトンと聴こえてもその方がマシだったがね。

だけどなぁ↑フレーズの神髄は絶妙なタイミングで、それが非成立だったら殆ど意味の無いオカズなんすよ。
なので要するにこのオカズ自体を練習するのには、メトロノームやClickに過依存しちゃいけねんだわさ。

許容範囲はこのオカズ箇所の前後でテンポが変わってないかとか、小節の全長が不用意に変動してないか止まりなん。
具体的にはピポポポ・タッタラコトンポ・ピポポポ・ピ…、ってな聴き方とか意識じゃないとねえ。

最終的に達人領域に到達出来るとグルーヴとClickの両立は可能だが、その手前迄はグルーヴは非Clickで練習しないとどんどん遠のくんや。
だから最初の内は又ズレただの何だのと、すこぶる評判は悪いでっせ。

でもそれに負けずに「いい感じ」を徹底追及し乍ら、徐々に物理的安定度を高めて行くんだよ。
これグルーヴを得点とすればズレは失点で、ミスの有無を取るか魅力の強度を取るかみたいな話しなんだ。

正確性だけなら昔の電話のベル何かでも持ってて、しかしそれは所謂音楽的なものではない。
嗜好品の音楽には先に魅力が必須で、その上で杜撰大王みたいにミスだらけで魅力半減なんかしない方がマシなのさ。😓

つまりⅡで当初はミスより魅力的かだけに気持ちが向いてないと、中々近付けないんすわ。
現代に於いてはこの心理は最早アブノーマル且つ亜流と言え、他の多くの色々ではそんなんしてたらどうにも通用しなくなってっからねえ。

-つづく-

2024年4月14日 (日)

音楽備忘録1703 日常生活と音楽活動⑪

今回は慢性疾患や中毒に言及するが、かつては杜撰大王を筆頭に貧マイナーには殆ど無縁だと思ってた。
のがいざ40年後になってみると、判明してる範囲で今ん処無事なのは俺だけらしくて動揺が隠せない。

っつうのも気は最強でも肉体的には仲間内で、体力やスタミナ面ではずっと最弱と感じてたからなんだ。
普段は殆ど意識してないけど、何しろ小学校低学年迄は虚弱・病弱で散々だったからねえ。

なのでヤバさが到来するとしたら俺が先頭と予測してたのに、それとは真逆に近い現実が何ともやるせない。
病弱な奴程意外と長生きなんて囁かれてるのも知らなかないが、カウント開始時のHPは弱者程少ないんだから何か裏がありそうだ。

そんな思考で振り返ってみると、どうも危機感知に差があったのではと推測出来るん。
こっちは常時最低限の燃料しか入ってない車で、ガス欠に怯え乍らちょくちょく残量と燃費計算をしてる。

と例えれば満タンで出発してると問題になる事が少ない代わり、燃料残量が殆ど無視になっちゃってるのかな。
勿論不意の不具合が起こらなきゃそれで平気なんだけど、何処かに穴が開いて漏れてたりしたら発見が遅れる可能性がある。

しかも不測の事態が起きる迄何の心配も無かったから、多少の異変にも必要より軽く対応しちまうかも。
それプラス非赤貧だと余裕から加減が効くんで、悪状況を覆せる術は多くなる。

要するに過信してた訳じゃなくてもまだ大丈夫と先送りしてる内に、気付いたら手遅れになってたんじゃないかな。
これは癌等でありがちだが、初期症状の軽いの程陥り易いのは確かだ。

今身近な者に自覚があって手遅れのアル中も居るが、問題なのは本人は無自覚で他人目線で客観視すると疑惑濃厚な人がとっても心配だ。
今劣化本邦では麻薬には神経質でもアルコールには世間は驚く程鈍感で、昔から酒に溺れて自滅する奴は絶えなかったにしても一寸尋常じゃない。

明確に人生を捨てた者ならいざ知らず、いじけつつも明日を見据えてて簡単に嵌ったんじゃ堪ったもんじゃおまへんで。
全数統計を出せたならリスクが周知する程、○○中毒に陥る人は減ってく筈なんだ。

中には該当しない者も居るだろうが無理に路上喫煙するよか、今なら過去に存在しなかった何か新種のお菓子でも口にする手が増えてるじゃん。
喫煙者の俺がもしそんな気持ちになったとしたら、即座にタバコ辞めますよ。

只恐ろしいのは好みを変容させるだけじゃなく、「神経を歪曲させる」麻薬や酒の場合はそれだけじゃ済まない。
客観的判断力を段々と喪失してくんで、そもそもヤバいかもと思わなくなっちゃうんだよ。

この面からは常に嗜好が一致してる人だけで集うのは危険で、酒好きでも全く呑めない友人1人位は作っといて定期的に合うと良いんだ。
但し何時もそいつに車の運転を任せてる様じゃ駄目で、変わりばんこにハンドルを握らんとね。

-つづく-

2024年4月13日 (土)

音楽備忘録1702 今時真空管の得失⓫

今日はかなり大回りになっちまうが、音楽での人間の感覚について触れとこう。
オーディオがリニアに拘った源泉は、演奏されたままを再現しようとしたからだったよねえ。

それがかつては色々とあまりに足りなかったから、先ず物理的な損失を減らせば良くなるんじゃと考えたと。
実際途中迄はそれで行けてたんだが、一寸「機械だけの立場」に引き籠っちまったかな。

一定段階を超えたら従前より実在空間での音の振舞いとか、人耳の性質や感覚にももっと目を向けなきゃ意味無かったんだわさ。
処が人体や人間の感覚の研究がオーディオより遅れたか商魂に走った結果か、一体であるべきものが分離独立して勝手な進化をし出しちまった。

結果杜撰流論法では巷の人々が爆音御免で難聴も恐れないか、所謂○○警察ばりに昼間の幼稚園の子供の声さえやたら迷惑がる様なのに2極化しとる様だ。
この現象言わば爆音カルトに毒されたのと神経カルトに毒されたのの不毛の争いみたいなもんで、現イスラエル政権のパレスチナ侵略案件と同じで理由を誤認したままにしてるから何時迄も解決しねんだよ。

世界情勢の方はこないだ注文付けたばかりだからここでは割愛するが、私的には音の感覚的リニアと物理的リニアがかなりかけ離れてるのの周知が足りないからなんじゃねっと。
そこで肉声と電子音等の大体中間層として、生楽器の実態を挙げとこう。

人が操作はするが生楽器には機械的部分もあるから、人感覚とは少し違う反応をしてしまう。
なるべく近付けようとはしたものの、楽器種毎にどうにもならない部分ってのが残ってる。

けれどその不完全さが却って人間に似てもいるので、我儘な美人さんとどうにか仲良くなろうとする様な状況となる。
その際最もネックとなるのが、アベレージで奏でてる時の反応だ。

相手がリアルの人間なら懇意になれた後には、些細な失態はスルーしてくれたりもあるだろう。
この観点からするとあまりにバカ正直なのは扱い辛く、さりとてどう奏でても同じ音しか出て来ない程一点安定ってのも又同じ位困る。

つまり人だったら普段は大目にみてくれていざって時は叱ってくれるとか、楽器でもそんな程度が実用上は最もバディとして相応しいん。
基本そんなので音楽は構築されてるとなるとそれを再生する側も、過敏でも鈍感でも不都合が生じるんすよ。

人耳って可聴限界近くでは小さい方も大きい方も程度が分かり難くなってて、個人差こそあれどんなに訓練してもその性質を完全に克服するのは不可能だ。
のでそんな領域で物理リニアにした処で殆どご利益が無く、特に大きい方で過大になっても認識し辛いのが耳破壊の危惧に繋がってんだ。

極マゾ君だと危険に晒され乍らこのアタックは凄いなんて、悦に入る悪趣味な人も居るかも知れんがね。
個人の自己満としてはアリだとしても感覚が鈍ってるから、耐え忍んだ処で実際の程度をちゃんとは判別出来ねんだ。

これに対し球のパワーコンプレッションが何故最有効かったら、俺に言わせりゃハイパーインテリジェントリミッタ的役割をしてくれるからだ。
動作だけなら今や少しはシミュレートも可能だろうが、リアルだろうとバーチャルのだろうと殆どのコンプ・リミッタには球の電力増幅回路が実装されてない。

実はあのFairchildのコンプ・リミッタにはスピーカを駆動する意図も必要も無いのに電力増幅回路があって、殆ど語られてないが俺はそこがものを言うのではと睨んでんだ。
これには細やか乍ら一応根拠があって、かつて球オープンリールレコーダに搭載されてた自動録音レベル調整の音がこれ迄の人生で耳にした中じゃ一番似てたんだよ。

-つぅづぅくぅ-

2024年4月11日 (木)

音楽備忘録1700 音楽に於けるテクニックの意味⑤

今回はウケ度合と表面的凄さをガン無視して、Kieth Moonの特にツーバスを取上げよう。
正直聴き出してからかなり年月を経る迄は、杜撰大王には彼の真骨頂なんて分からなかったよ。

他にもそんな人が多そうで、何せ現役バリバリの当時でもちっとも速くなかったもん。
その上乱れ打ちの手や演奏以外のパフォーマンスもあんなド派手と来りゃ、遅く目立たない部分はそもそも印象に薄くなっても仕方無いよ。

尚且つ彼のフレージングってハチャメチャな様でいて、よくよく聴き込むとClassicオーケストラ的アプローチでさ。
結果バスドラに関しては人を食った様なフレーズも登場し難かったから、余計に印象が薄く感じられるんだ。

のがDrummerとしてちゃんと勉強しようとしてみたっけ、バスドラフレーズの柔軟性できっと2つの方が好都合だったんだ。
上述クラオケを土台に思案してくと、本家は独立した人が手で叩いてるよね。

殆ど片手だから速さは大した事ないにしても、セットDrummerみたく肉体コンビネーションには縛られない分随分自由になる。
それでか分からんがThe Whoでのバスドラには、任意タイミングの3連打がそこそこ多くあったんよ。

但し前述の如く飽く迄曲に添わせるアプローチだったから、全く目立たないし例えばRLRと踏んでるとさえ殆ど気付かれなかったんだ。
それでもかなり後年になって、手と足が完全に「シンクロしない」ドラムソロの音源が見つかってねえ。

これ比喩るなら歩き乍ら話してる状態に近く、普通話してると一々足を左右左右とやってる意識なんてしないっしょ。
のがリズム楽器となると元々合わせるのが使命なだけに、中々そう簡単にはいかねんですわ。

で実現可能性の高さでは、片足より両足の方が歩いてるつもりに自分を騙し切れれば光明が射して来るとな。
こんなの一般的音楽性には殆ど貢献してないけど、恐らく最も単純な疑問に対して答えられた唯一の存在なんじゃないかな。

前衛的な意味で2人居て夫々が勝手に叩いたのを、たった独りで実現可能にした価値は褪せないからさ。
それもこれも速さとか奏者ナルシズムじゃない理由で、ツーバスを選択してたからこそ湧いたアイデアだと思うんだ。

そんな価値観は一部黒人系で手で32分音符が叩けるより先に、片足バスドラで16分音符を制覇した人達と一寸似てる気がするん。
手の32は俺言い奏者ナルシズムには絶好の獲物だが、曲に対してのご利益はポピュラー系では皆無と言って良い。

しかし足なら16の方がフィットする箇所は幾らでも出て来ると、言うなれば曲盛り上げにはとっても実用性の高いテクなんじゃないかな。
所詮は後追い推察に過ぎないけど、こんな部分に俺様ありきなのか曲ありきと考えてるのかの差が漏洩してんじゃねっと。

-続-

2024年4月 6日 (土)

音楽備忘録1695 日常生活と音楽活動⑨

さてこのテーマを考察してくには原点とか、初期にはどうだったかも省くべきじゃない。
突飛な例えも敵弾雨あられの最中ではどんな音楽好きだって、小康状態時にせいぜい鼻歌を歌うのが精一杯だしょ。

最適環境とは掛け離れてても、楽器を始めて誰かとグループを組む辺り迄の状態を想い出してみよう。
恐らく多数派は10代位から始まってると思うんだけど、学校や親等の束縛を当時は殆どの人はとてもウザいと感じた事だろう。

でも特に日本ではその時期が最も熱くノリが良い様で、社会に出て数年経つと学生時代とは真逆にリズムの死んでる奴が随分多くなってた記憶がある。
Rockの場合俺が思う原因の1つに、「敵が見え難くなった」ってのがある気がするんだ。

幾つかのケースを半分は想像で挙げてくと、不満爆発方面では鬼親や鬼教師失墜しろとかとても具体的な対象があった。
人次第で名指しでクソヤローと絶叫出来たなら伴奏不要かも知れんが、心理の根底に何かしらその当時リアルで抱えてた問題はあったんじゃないかな。

夢を見る方面なら技も度胸も足りなくて、好きな人に告れない思いを密かに歌に託したとかさ。
こいつが一寸矛盾もあるんだが、自信家且つ強運なのは即告ってOK貰えるから音楽なんかに託すニーズが生じ難い。

音楽にしか僅かな取柄の無い誰かさんみたいなのが必死に絶叫するんで、内面外面共真のイケメンがバンドマンには滅多に居なくて残念ってか。
うぉっつ危うく脱線し掛けたが、そんな場合恋の歌のターゲットが心理内ではとても明確に具体的に居るからね。

そんな幾らでも夢を抱ける→夢見がち→典型的中二病であっても、実際就職先も伴侶も未定だから微かな希はまだ残ってたんだよ。
大体の合否結果が出揃った後と比べりゃ、どんなに低確率だろうと僅かな余地だけはあった訳だ。

創作に於いては例え0.
1%でも夢がリアルで見られるってぇのの重要性は、人生の終焉が近付く程実感が強まるもんでね。
その為なら唯の普通の学生という身分を、今になると引換に甘んじて受容れても良いと思うようになったな。

これは老害の後悔に近いかも知れないが、下手に身分が高くなると妙な制約が増えてったりするのは確かだろう。
実際どんな分野でも金満に溺れたら、行動や判断が可笑しくなって駄目になる人が後を絶たないよね。

甲子園で脚光を浴び過ぎてプロで泣かず飛ばずとか、世間では性格が原因と言うが俺はそうは思ってない。
実際性格の影響もありはするんだが、最大要因は「普通」を続けなく続けられなくなったからなんじゃね?。

どんなにスターになろうと凄く腹減りゃ何時もよりは上品に食べられなくなるだろうし、その後には下品だが必ず排泄っつうのがやって来る。
この様に変えられないとか変えるべきじゃない部分、生きてる上で不変で普遍な処が必ずあるんだ。

そんな箇所で自ら「普通じゃなくする」なんてのは自殺行為も同然で、少なくとも自らやってしまうのは知恵不足でんがな。
なるべく楽したいしサボりたかったりするけど、一般生活に必要な要素は最低限でも残しといた方が良いんじゃないかな。

-つづく-

2024年4月 4日 (木)

音楽備忘録1693 Guitarカッティングの重要性Ⅱ➏

んだば続いて今回は「カッティングに必要なテク」を連ねてくが、今時はなまじ指の回る人が多くなっただけにおざなりにされがちで悲しい。
弾く方の手でのハンドミュートは何とか存続って感じだが、反対側の押える方の手での状況が…。

これについてBassistの立場から苦言を呈すと、ホントにバッと音を止めたい際片手ミュートじゃ止め切れねんだ。
Bassの低音弦ともなりゃ振幅がデカいから、片手じゃ変な余韻が少し残ったりしちまうんだよ。

その点Guitarではどっちか片方だけで間に合う場合が多く、弾き手ミュートだけに慣れてるとカッティング中のミュートで困っちゃうんだ。
弾き手はずっと動かし放しになるケースが多々なんで、オープンコードですら押え手ミュートが自在に出来ないと障害になるのよ。

それがもし何時でも何処でも押え手ミュートが楽勝になれてると、カッティングでのリズムパターンを完全自由選択出来るだよ。
ハンマリングオン不使用時音を出す方は弾き手・止める方は押え手と、役割分担が単純化するんでさ。

又そのハンマリングオンにしても単音より同時に幾つかの音で演るケースが多いんで、つまり箇所は違うが案外押え手が達者じゃないと美味しいカッティングなんて出来ねんだなこれが。
タッピングや複雑なスケールみたいに目立たないからって、舐めてる奴が多いのかな。

あと弦を押え音を鳴らし乍らのスライド(グリッサンド)にしても、フルコードでどの音も均一に演ろうとすると中々難しいんだぜ。
人の手指は5本しかねえから全部指先で押えられても1本足りんし、コードフォームの都合で指の腹で押えなきゃなんないのも多い。

且つ厄介なのが例えば指先で2弦・指腹で3弦・第一関節の裏で4弦をなんてなっちまったりで、そうなると4弦グリスで音を弱めず切らさずなんて最高難度になるでよお。
コレそれを避けようと指3本にした処で弦間隔の狭さから同じ様には押えられなかったりするんで、押えるだけで精一杯で更にスライドしろなんて殺生で御座居。

杜撰大王の場合そんな壁を解決してるのが、指1本で纏めて弦3本を押えとくって方法だ。
これのネタ元が前出Char先生で、最大親指と人差し指だけで弦5本押える処まで行ってるし!!。

指1本・弦3本押えのままあろう事か、チョーキング迄やっとりまんがな。(3弦同時チョーキング)
まあ好みと違ったり不要だったらそこ迄演らんでもだが、少しはそういったアプローチがコードカッティングには必須なんざます。

そしてこんなのはJazzやソロプレイ等でも登場する物だが、オルタネイトピッキング等が不要な代わり押え自体の精度・安定度がこっちの方がより必要なんだ。
それ故杜撰大王は奏者の力量を測る際、ソロよりカッティングのレベルを見る(聴く)事もある位だ。

=続く=

2024年4月 2日 (火)

音楽備忘録1691 日常生活と音楽活動⑧

前回の迄で専門家程非専門家との共存が必要と指摘したんだけど、少しは分かって貰えただろうか。
一般日常生活には俺言いベーシック汎用スキルが要るのに、専門に特化してく程それ等には縁遠くなったり習熟する機会が減ってくん。

となれば身勝手な理想は音楽以外の全てをやってくれて、音楽や自分には一切干渉・妨害しないパートナーが得られると良い。
がそんな都合の良い話しなんて先ず無く、超高額報酬でも払わなきゃメイドさんだろうと執事だろうと彼女か奥さんだろうと決して誰も引受けてくんない。

となりゃ原資を効率良く稼がにゃならんが、拘束時間ゼロってのは存在しない。
ここでちょっち尺度を変えて一般日常生活の恩恵を考えてみたいが、直接的貢献はゼロでも間接的には本業にプチプラスになるのが案外多いんだ。

又もや遠回りになるが昨今の幼児の安全対策、家具とか何でも鋭利撲滅ってのがあるよね。
それ等へ触れても不用意な怪我をしないのは良いんだが、完全温室育ちになるといざって時の対処法は全く学べなくなっちまう。

これは肉体的損傷のみならず精神面の用心にも大きな影響が考えられ、要するにあまりにも痛い思いが少ないと慢心若しくは危機管理意識希薄になるやんか。
それの大人バージョンとして大谷翔平選手を例示すると、投手で下手に指を怪我したら命取りになるにも拘らず普段包丁を握ってるんだってね。

今の彼の立場からするとおっかない気もするけど、グラウンドにも色んな危険は一杯あるんだ。
注意しないと痛い目に遭うと常時思ってたらそんなに危なかねえが、あんまりボヤっとしてたら誰かの打ち損ねたボールとか飛んで来るじゃん。

俺的にはこれ系って程度の問題だと思ってて、裁断機とかは流石にヤバイが包丁とかカッター位なら許容しといた方がって思うんよ。
手前味噌例を1つ挙げとくと水洗いの仕方っつうのがあって、金属弦楽器奏者からするとなるべく指先は濡らしたくない。

がトイレに行って洗わん訳にも行かないんで、洗い物はなるべく手を洗う必然性が生じたら一緒に纏める様にしてんだ。
極度に溜めちゃうと長時間でふやけさせるのも困るけど、取敢えずそうしとくと濡れる回数を減らせる。

ってな風にやたら避ける事を考えるより、その人なりに上手に付き合おうとする方が現実的だし実現性も高いんだ。
尤も今一仲の良くない家族との怒鳴りあいは、ロクすっぽシャウトの練習にはなってくれんけどな。😓

それですら歌唱時以外ずっと大きな声を出さないよりゃ、幾らかはマシなのかも知れない。
こんなのは杜撰大王ならではの最低の例だろうが、何が刺激になってこっちに反映するか分からないのは確かですぜ。

-つづく-

2024年3月31日 (日)

音楽備忘録1689 Guitarカッティングの重要性Ⅱ➎

今ではCharヲタと呼ばれても平気になったが、世間主流派のヲタとは興味を持った経緯がだいぶ違った杜撰君。
普通は容姿や速弾き等から入ってただろうが、俺はカッティングの上質さにやられたんだ。

日本でも1970年代中盤迄は伴奏センスのイカした奴が散見されたが、’80年代に入ったらそんな奴が居なくなったんだ。
ここでのセンスってテクより曲に対して効果的かどうかで、自作曲なら勿論の事カバーでだって本当はこれが良否の根幹なんなんだけどなぁ。

確かに奏者としての平均テクレベルはこの時期に一気に上がったんだけど、音楽的には寧ろ劣化してっちゃったんだ。
恐らく周囲に負けじとテク自体を優先したから、曲に対して最適な選択かどうかが疎かになってったんだよ。

もっと正直に毒を吐けば所詮は欧米の追従から昇華出来なかったって処で、そこで音的オリジナリティを失って以降は歌詞の独自性へ向かっちまった。
その結果優れた歌詞が出たのは喜ばしいが、俺みたいな文学的興味が乏しい奴はまるで差別された気分だわさ。

わ兎も角Char氏で最初に「おっ」となったのは、歌謡曲時代の闘牛士のイントロカッティングだ。
この手のではThe Doobie BrothersのLong Train Runnin’ 等が既にあったが、私的にはそれ以上に聴こえたんだ。

具体的にはスライドイン・ハンマリングオン等かなり色んなてく小技が使われてるんだが、唯のコード弾きでここ迄多彩な表現をしてるのにノックアウトされたんだ。
1つ1つのテクレベルとしては難度低目も、実際「あの感じ」を出そうとすると下手な速弾きなんかより格段に難しかってん。

大袈裟に言や「何の為のテクか」を具現化した典型とも看做せ、どの部分にもかなり精度が要求される代物ですぜ。
俺的カッティング研究期は徐々に指が回りだしたんでその後小休止が長く続いたが、今度は作・編曲都合から再発掘が再開。

元から変態コードには目が無い口ではあったものの、過去に掘り切れなかったのへ漸く分析時間も取れてさ。
昔から独特な雰囲気が気に入ってたSun Goddess-Ramsey Lewis(with Earth Wind & Fire)等の他に、Char氏ソロアルバム3枚目と同タイトルのThrillって曲が俄かに浮上して来た。

彼の場合常に何かと独自アイデアをブッ込んで来るから、以前は半ば流してたんだけどさ。
コードに付加されてるテンションノートを繋げると、一寸した裏メロになってましてん。

要約するとRockらしさを全く損なわず導入出来るJazz的コードってなもんで、本当に曲の骨格を形成してるから押えるのにとっても難儀なテンションノートがほんの僅かも省けないんだ。
音楽的見地からすればこっちは和声だから、殆どのどんなそろ単音弾きよりもっと高度なんだよ。

杜撰大王がこんなのの方を速弾きより優先して苦心の末マスターしたのは、上述の如く作・編曲に大きく影響して来るからだ。
鼻歌思い付きをパーフェクト再現(つまり初期イメージを完全に残しときたい)するには、こんなのが必須になるからさ。

=続く=

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