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2025年11月17日 (月)

音楽備忘録2283 テープレコーダのよもやま話⑨

さてテープコンプレッションの具体的な効能より先に、その正体の詳細について掘ってみよう。
かつてみたいに仮に要らなくても何処ででも掛かってりゃ未だしも、今現実的に必要時は殆どデジタルシミュレートをしてくしかないかんね。

処がドッコイどうも原理の周知徹底が甘いせいか、はたまた現行音声デジタル規格や回路方式では厳しいか「それじゃないんだよなぁ」ばかりが蔓延しとるんだ

概述の如く空気干渉や磁気飽和歪みに依る音の変容も一般には十羽一絡げに「歪み」と解釈されてるが、非音響専門家に対して相応しい呼称は「ゆがみ」なのだ。

つまり根本的な性質が電気的クリッピング(昔称:音が割れる)とは全く別物で、その根源は柔軟性にあると考えれば良い。
因みにクリッピングとはある一定値を越すと途端に歪むタイプので、車輪に例えるなら肉眼では変形が殆ど分からない鉄道のタイヤだ。

又ちびっととヲタって専門用語では輪軸と呼ぶが、車軸と輪っかは今も別々に作って合体させたのが多い。
が輪の方は一体成型の他に自動車のホイールとタイヤの様に、是又別々に作って焼嵌めや圧入で合体させてるのもある。

上記後者の場合軸を除けば部品構成自体は自動車と同じで、新交通システムやモノレールの(こっちは細部を除き自動車と一緒)を除けば材質が違うだけだ。
して鉄タイヤの方でもし視認可能な程の変形が起れば、その時はほぼ大抵割損してるか最低でも既にヒビ入りしてる。

要するに硬いから変形する程の力が加われば、或はその手前でもう割れてまうんだ。
だが「ゆがみ」の方は正に空気入りゴムタイヤとクリソツで、簡単に変形はするがそう簡単に割れ(パンク)たりゃしないでしょ。

してⅡでこれが音や音楽で歪みは内容を別物に変身させるから意図したの以外迷惑千万だが、ゆがみの方だったら神経質にならなきゃ内容自体には左程影響を与えねんですよ。
上出ヲタ比喩で表せば鉄輪割損→即脱線と事故に繋がるんで運転不能となるのが、ゴムタイヤがボヨンボヨンした処でせいぜいレース時等のコーナリング限界が一寸下がるだけで普通に走れる。

もう1つ現代人が誤認してるのがゆがみ方で確かに過大入力時のテープコンプはそこそこ目立つが、実際は変形量が異なるだけで最初から既に僅かにはゆがんでんすよ。
そんなじゃちっとも原音忠実再生じゃないから歪み・ゆがみの排除や、その為にデジタルオーディオシステムだって苦労して開発しはしたんだけどね。

けど天然状態で発音して天然状態で音を聴く行為自体が、音源-人耳間の空気性質干渉で元々理論的リニア状態になんか全然なって無いのを皆忘れてんすわ。
ならばもう耳道の中で鳴らせば影響は劇的に減らせるけど、そうして聴こえたピアノだともう皆が知ってるあの音じゃ全然無くなるのだ。

ってかそもそも仮にあれだけのガタイのを耳道に収まる程ミクロ化出来たとして、そしたらダニみたいなちっさい奴にでも弾いて貰いますかっての。
まさかそう云う訳にも行かねえから「ゆがみ」の全てを悪認定した時点が間違いの源で、ゆがみとの共生をもっと模索しねえのがいけねんだ。

又音楽内容に依って歪み・ゆがみの影響にかなり差があり、Classic系等では歪みはホントに邪魔者だ。
がRock系で歪みを忌避事項にしたらもう死活問題で、但しそれが「美味しい歪み・ゆがみ」であるのは重要だがね。

=続く=

2025年11月15日 (土)

音楽備忘録2281 未だスピーカの重要性➌

今回はテーマ別にスピーカの有用性を挙げてくが、周辺雑音を遮断するにはヘッドホン等の方が有利なのは確かだ。
では被る・突っ込む等の身体的負荷を無視すれば、本当にヘッドホン等の方が優勢なのかざます。

杜撰大王内ではもう正解が出てるからそれから行っとけば、却って体内雑音が目立つから常に優勢とは言えないだ。
日常の普通の暮らしではやたら周辺雑音の邪魔が多いのと、若く健康体であれば体内雑音なんて余程意識しないとあるかすら分からない。

のが有線式のだったら振り返って首が動く等した際、ケーブルが何かに接触すれば思いの外大きな音となって聴こえたりするもんだ。
要するに糸電話の原理が発動してて、ならばBluetooth等ワイヤレスにすりゃ解決する筈。

と思ったら必ずしもそうは行かず、今度は電波状態に依る雑音発生の可能性が生まれてしまう。
っと言っても大体一応聴けりゃ良い時なら、それ等の便利さは確かに有難いんだけどさ。

して体内雑音に関して影響してるのが耳穴の開閉で、人間の場合は常時開放がデフォでそれになら誰でも慣れている。
のに加え耳道至近で発生した雑音の半分は外部に向かうから、鼓膜に向かうのは凡そ半分程度に減少してくれる。

のが被るなり突っ込むなりして閉塞空間になるとほぼ全部が鼓膜に到達しちまうんで、何も外部雑音のマスクが無くなるから大き目に聴こえる訳じゃねんですよ。
結局被る・突っ込む式に備わるのは外部雑音排除のみで、しかもそれには天然状態とは異なる耳環境を我慢しなきゃなんないんだ。

これ等からすると屋外等以外で絶対的優位性があるとは認められず、今劣化本邦の場合は迷惑が掛かる音量以上で聴きたい時限定のアイテムって事った。
加えて音に依る危険察知や自身が騒音源になっててもそれが分からず、そんなに他人の干渉を避けたいならいっそ山籠もりでもしてみればってのが杜撰君の見解だ。(最近は熊の邪魔が入りそうだからご用心)

厳しさの一途を辿る今劣化本邦の住宅事情からすれば少し厳しい意見かも知れんが、山籠もり以外の方法として防音・遮音を怠ったままで求めるのはお門違いってもんだ。
だいいち真の爆音に触れたければ最終的に自らアマでも構わんから演者側に回るべきで、何処迄も受け身で何もせずに爆音だけ手に入れようってなチト虫が良過ぎるん。

この際だからもっと掘っとけばサラウンドとかマルチチャンネル音響再生装置について、例えば左後方にDrum・右後方にBassがあったりしたらそっちの方のスピーカの方が低音再生に優れてないといけない。
因みにこれは自身がLead Vocalになったシミュレーションだが、あらゆるシチュエーションに万能化させるには音の代表的な方向性に着目しただけじゃまだ全然足りない。

映画サウンドの臨場感だけに限りゃある程度は満足感が得られるが、それすら正規音響装置の備わった映画館にロクにあり付けてないからな可能性がある。
知らぬ者に幾ら説明しても所詮は暖簾に腕押しになろうが、大多数の映画館に振動するシート等は備わっていない。

21世紀の作品なら兎も角それ迄そんな装置は普及して無かったから、ワイルドな話しだがスピーカの爆音に伴う振動でずっと代用して来てたんだ。
つまり全盛期の直営映画館ではそんな想定も含めた音響システムが組まれてて、そのサウンドを聴いた事もないまま四の五の語るべきじゃねんですよ。

って杜撰君でも世代的にちゃんと体験出来てるか怪しいが、それだからこそもっとスピーカの存在をリスペクトしといた方がエエんちゃうやろか。
打込みで作ってインナーイヤーで聴くパターンもかなり増えてるが、飽く迄理想は生演奏を直に聴く事に変わりはないんじゃない?。

-つづく-

2025年11月13日 (木)

音楽備忘録2279 テープレコーダのよもやま話⑧

今日のお題はアナログテープが音楽に最大独自の貢献をしてた、テープコンプレッションの話しでやんす。
これはカセットよりオープンリールで先に発見されたのと併せ、徐々にデカいヤツの方へ進めてこう。

今アナログでしかもテープったらデジタルに比しダイナミックレンジの狭さとノイジーさから、主に電気的な歪みをイメージするかも知れない。
が純粋なテープコンプはそんなのじゃ無く、歪みは歪みでも記録メディアの磁気飽和歪みってのが真の正体なんだ。

テープ以外で多少似てるのってば真空管やMic・スピーカのだが、厳密には歪みってより音波をゆがめてんの。
漢字だと読みが違うだけで全く同じ字の歪み(ひずみ)とゆがみだが、音色的に原型を大きく変えるのは前者のみ。

のわ普段耳にしてる音って、音源と耳の間にある空気の影響を必ず受けてっからだ。
固体と違い気体や流体の多くは境界域ですぐ混ざるんで、その輪郭がクッキリした線にならずボヤけんの。

これが聴感だと音を軟化させ、音源が発してるのより柔らかい感じになる。
ので近年でこそ明瞭度だけが気になる者が盛大に増殖中だが、天然界で聴ける音に一定以上親しんでたら硬過ぎ=不自然な感覚を受けるん。

ならばインナーイヤーモニタみたいに極限迄音源と鼓膜の距離を近付けたらどうかってば、間の空気量が減るから平均的距離の時よりゃ幾らか硬くなる。
だが間に介在する空気に依る緩和効果をゼロにするのは無理な相談で、何故なら空気レスではもう音が耳迄届かなくなるからだ。(人に聴こえる音=空気振動なので)

モロにスピーカ記事と重複してるのに長説明になっちまったが、それ故特定条件下に於いてはゆがみは悪処か善にもなり得るん。
ほいで↑の特定とは過去アナログオンリー時代だとOn Mic収録が筆頭で、しかし実情は生よりボケる為の補填策として始まったもんだった。

当時新参者Rock黎明期のDrum大音圧は非常識レベルだった為と、Mixer卓の入力chその他の影響でOff Mic収録が常識。
けどそのままだとテープに録ると音がボケて困るから、徐々にそれを改善する方法が模索された。

その過程でOn Micを始めるとテープの顕著な磁気飽和歪みを皆体感する事となったが、その際新たな発見があったんだ。
のがRock系等パワフルさが重要なジャンルのでは、案外↑が出てもそんなに気にならない処か却って好ましいかもなサウンドになってくれるのが。

生演奏での聴者って99%は奏者耳より聴く距離が遠いので、間の空気のピークリミッティング作用は自然と強くなってた。(通常大きな風船程弾力に富み伸縮量は増加)
その状況に最も似た性質をたまたま磁気飽和歪みが持ってたんで、歪みほぼゼロを求めない限りは生に一番近いサウンドだったんすよ。

因みに音響側だけで歪みゼロにした処で、個人差の大きい人耳での歪みを考慮に入れないと元も子も無いのだよ。
それが生で爆音・録音された物でも比較的爆音再生の機会が多いとなりゃ、その時の歪み感を下げるのこそ実用的なん。

但し杜撰君以上世代にはテープコンプの掛かってるのが当たり前だったから、当時時点では杜撰君を筆頭に大して有難いとも思わぬ者が多かった。
将来デジタルが普及したらその暁にはさぞかしなんて期待してたんだけど、実際なってみたら少なくとも杜撰君にはテープコンプが無くなったお陰で肩透かしを喰らった感じがしたよん。

=続く=

2025年11月12日 (水)

音楽備忘録2278 杜撰大王の怪しい作曲法㉝

自分以外からのインスパイアは何も即興だけじゃないが、最大の相違はこっち次第で相手も逐次変化してく処だ。
この辺がどんなに工夫しても個人レベルの苦しい部分で、勿論それでも手前味噌の独り擬似Bandみたいな工夫は欠かせない。

尤も杜撰大王の擬似Bandは演奏訓練の為だけで、後は編曲に少しプラスになるかどうかだ。
即興演奏自体の訓練なら相手が固定でも何にでも合わせようとすりゃOKだが、相乗効果ってのがリアルセッションじゃないと得られない。(こっちの出方次第で相手も逐次変化する)

但し作曲の足し目的だったらほぼテクも要らないし、合奏相手の腕もほぼ不問で構わない。
確かに作編曲力に長けた相手の方が色々刺激を多く頂戴するだろうけど、基本的なフレーズの意外な展開や変遷には寧ろ下手にテクなんか無い方が適してるかも知んない。

ってのもなまじ色んな技を知ってると、フレーズ基本ラインは変えずに小技で幾らでも感じが変えられるからだ。
無論それだって勉強になるには違いないが、それだと主に貢献するのは演奏力になっちまう。

この辺が紛らわしいのは例えばドミソの次がド・ミ・ソの何れかであれば通常コードやその進行を大胆に変えなくても行けるが、それ以外の音を選んだ場合従前のコードや進行では合わなくなる場合が出て来る。
そうなって来っと単なる次の音では無くなるから、装飾やバリエーション以外の意味を持つ様になる。

ので曲調を左右する音となっててそうでない5音,6音より、たった1音でも大きな責務を担う事となるんだ。
言うなれば筋肉や脂肪の量より骨の長さってなもんで、仮にマッチョでノッポには見えなかったとしても鴨居におでこをぶつかぶたないかの差となって表れるん。

そうは言うてもコロナ禍+悪政のお陰でリアルで他人とのコラボ機会は減少気味だから、中々難しい処ではあろう。
けれどコラボれる機会が訪れたらみすみす逃す手は無く、未経験或は体験不充分でメリットが良くは分からないからって軽視しちゃいかんぜよ。

結局の処「人が演る音楽」には人間界特有の性質がそのまま出るもんで、人間関係から得た感覚が最後は物を言うんだ。
但し一般人間関係と音楽で異なるのが、一般論でのコミュ障がそんなに障壁にならない処。

なまじ一般論でのコミュ力が高いとすぐに迎合したりとか、相手の意見を否定したくないが為に持論を曲げたりする事もある。
他愛もない不特定多数との会話ならそれは好ましいも、音楽ではマイナスに作用する方が多いから欠点になるだよ。

最上位の腕を持つ職人は朴訥とした人の方が多いみたいに、会話その他で上手く繋がれなくても音で共感が得られりゃ良いんだ。
のでⅡで極端な話し鼻歌の掛け合い程度のコラボでも構わなく、楽器が弾けるか弾けたら腕がどうかすら関係ねんですよ。

それに相手に上手下手の拘りが無かったり自身のレベルに釣り合いそうな人に申し出りゃ良い訳で、但し目的が目的なだけにこっちは上手下手不問かそれに近いスタンスで臨まないといけない。
又そんな覚悟を決めて望めば演奏自体はド下手でも、少し良いメロ・フレーズを相手が投げて来た際にそれを逃し難くなる。

それが妙なもんで人次第で差異は出るが期待して無い相手が出したプチ良いのなら肯定する癖に、何故か期待値が高いとついその程度かよなんて感じちゃったりするもんだ。
んがこの手の言うなればサンプル採集では、感情は置いといて客観的に集めないと取れ高が悪いのだ。

-続く-

2025年11月 7日 (金)

音楽備忘録2273 未だスピーカの重要性➊

一旦「今更過ぎる話しⅢ」は又何か思い付いた時迄中断して、今劣化本邦世間で誤って解像度・明瞭度だけに忖度してるのを成敗してくれよう。
いや現代一般環境ではそこそこ場所を取られるスピーカなんて厳しいだろうけど、本当は画面サイズ同様スピーカにだって音的に適性サイズがあるんすよ。

最近の高音質・高出力スマホだともうかなり過去一時期に持て囃されたミニコンポ並の音を聴ける様にはなってっけど、コスト・寿命・エネルギー効率その他で実は大きな代償を払わされてんですぜ。
そこで今一度オーディオに於けるスピーカの影響の大きさから先ずは参るが、最初の着目点は根本的な技術変革が未だ未達な点だ。

これは他にMicも同様で他全部はとっくにデジタル化したってのに、この2つだけモロにどアナログのまま取り残されてんだ。
なしてそんなかったら空気中に実在する音を直接扱わなきゃならないからで、この手のインタフェースはデジタル化が最も困難なのだ。

それと少し横道に逸れるが未だ一部でテープ・レコード・真空管等、デジタルでも行けるのに拘る人達にもちゃんと致命的な訳があるんだよ。
それがクド頻吠の現行ほぼ唯一のデジタルオーディオフォーマット、時分割方式による原理的な弱点。

確かにビット数を増し盛りする等色々対策は施されてるが、それに大した欠点が無いならどうして数多のYoutube動画をヘッドホンで聴くとぎこちない音がするのか。(アナログならどんなにケチってもガクガクはしない)
同じ動画のスピーカ聴取では殆ど気にならなくなるが、それはスピーカから音が放たれた後空気の恩恵で緩和されてるに過ぎねんですよ。

つまりデジタル領域では信じられん程情けなくほぼ何も出来ず、アナログですら電子回路領域では大した補填が出来てねんだ。
又時分割方式には大ビット数だとやたらデータ量が大きくなる副作用が顕著で、こんなのアナログ時代だとテープスピード以外では殆ど起り得ないものだった。

要するにある程度迄なら補えはするものの、その為の代償はかなり大きなままなん。
その中で杜撰大王が重視してるのは寿命で、Micやスピーカの用途特殊性に皆もっと目を向けるべきなんよ。

平均的一般環境下で当りでもハズレでも無いヤツだと、メカニズムや回路がシンプルなだけに10年以上は壊れない。
この2つ以外の音響機器って今はほぼ全部電子機器で、今劣化本邦での法律的耐用年数は6年程度に設定されている。

のからも知れる様に完全な業務用以外技術進化の速さ等からも、私的には大不満だがその程度と見積もっても間違いじゃないし一応妥当性はある。
そしてユーザー側重要案件としては音源が一緒なら出音も何時も大体同じになる、ってのが特に音響技師や音楽家にとっちゃ基準点として大変重要なのだ。

更に少し神経質になれば極一般的な人でも、過負担や加齢その他で聴力が
普通は時間経過と共に劣化してくもんだ。
その劣化の程度を最も把握し易いのが自室の「何時ものスピーカ」で、一部乗り物ヲタ氏等を除けば他に比較基準になり得る適当な存在がねえんすよ。

それも原体験で微妙な雰囲気迄覚えてたらの話しで、初めて耳にした時点で既に少し耳が劣化してればその時以降の比較しか出来ない。
ほいでこんなの言い出すと子供の記憶なんてアテにならない処もあると糾弾されそうだが、感性が無垢で敏感な時に知覚した雰囲気って僅かでも何処かが違えば忽ち分かるもんなんよ。

理屈としても理解出来るとより良いんだろうけど、残念乍らもうその頃になると無垢な感性は大抵幾らか失われてんだ。
無論なるべく色んなちゃんとした楽器の生音に触れられてたらそれが最善だが、それが庶民には困難な以上スピーカに望みを託すしかねんですわ。

-つづく-

2025年11月 5日 (水)

音楽備忘録2271 テープレコーダのよもやま話⑥

続いてはカセット最大の弱点の音質と雑音低減に進むが、やはりアナログなのに記憶容量が限られる原理面はある程度我慢するしかなかった。
がメタルテープとdolby-C登場に依る助力はかなり大きく、当時の体感では普通鉄道が新幹線になった位の朗報だった。

さて今からしたら幾らノイジーにしても1回録って聴くだけなら、カセットはおろか更に性能の劣るマイクロカセットでも会話記録程度なら充分に役立ってた。
何せカセットの約¼迄小型化されたから所謂文屋さんやインタビュアーには、本体も初めて真のポケットサイズが可能化したんでさ。

後年CFやSDカード等の半導体メモリが出る迄は、録音機本体を含めコンパクトさでは一択だった。
ってか移行期には録音機サイズはさして小型化出来て無かったし、メディア価格と記憶容量の面でもマイクロ君を凌駕し切れなかった位だ。

わさて置き多重録音と云うカセット開発時点では全く想定外の使用法となると、やはり倍々ゲームで雑音(ヒスノイズ)が増加してくのが最大の難点だ。
それ故従兄等は音質・過渡特性の今一だった唯のdolby(後の正式分類ではtype B)の段階から、NR(ノイズリダクション)は常にフルに使ってた。

又一部では既に登場してたdbx使用者も居た筈だが、オープンリール用と違って所謂「息づき現象」が特に酷かったんで多くの者はコストに見合わないのと汎用性の低さから144が出る迄あまり使おうとしなかった様だ。
因みにここでの息づき現象とは記録音量に対し雑音量がしつこく追従するもので、まるで演奏空間の広さがが随時変化したかの様に聴こえてしまう。

今より格段に低音質だった当時は誰もが雰囲気には遥かに敏感だったから、唯一の拠り所を勝手に改変するんじゃ受容れ難かったって側面も。
因みに宅ではオープン4tr中古の導入迄dbxとは無縁なままで、是又縁あって入手した中古の後付けユニットもカセットには未使用なまま。

上記中古の後者って実は開発当初から用意されてたdbx Type Ⅱってので、オープンなら速度19㎝以下とカセットに対応した規格のだったんだけどさ。
わ兎も角dolbyも後年呼称Bの段階では多少息づきは気になるレベルで、しかしリダクション量が相対的に少な目だったから許容出来る人も居たってのが実状だった。

欠点と長所を比べて誰もが掛けようとなったのがC以降で、杜撰君の場合元はたまたま手持ちデッキが寿命を迎えて買換えの際出たてのdolby-C搭載機を買ってただけだ。
っと言っても杜撰大王君のカセット2台多重期には片方だけC搭載機で、ポータブル用途が必要なもう1台はまだB搭載機しか出て無かった。

そんでも感覚的にはBで半分程度の雑音低減がCでは¼程度に感じられたんだから、片方だけでもそのご利益は計り知れない程と感じた。
っと言ってもⅡで所詮カセットの限界はタカが知れてたが、オープンリールMTRより取り扱いが簡便で楽だったメリットは見逃せない。

急遽何か思い付いてすぐ録りたい時、やはりなるべく素早く録れるのは結構重要ポイントだ。
と言ってもⅢと怒涛の連続で僅かでも良い音で録れる様に、半ば神頼みに近いが毎回アルコールと綿棒を使ったヘッド・キャプスタン・ピンチローラ等の清掃はしてたんだけどね。

ってのも出来上がったばかりの曲を録る時って、大抵は十二分に練習なんかしとけねんですよ。
するとオイラ美空ひばりじゃねえから録り直しの頻度と回数が多目になって、作業開始から終了迄全く清掃レスでは流石に誰の耳にも音質低下があったんよ。

-つづく-

2025年11月 4日 (火)

音楽備忘録2270 杜撰大王の怪しい作曲法㉛

この項も大詰めを迎えつつあるが、今回は即興演奏と作曲の関係についてだす。
今劣化本邦等では即興演奏と作曲は比較的別物視されてっけど、オリジナリティを含む即興は広義の作曲に他ならねんですよ。

飽く迄私感に過ぎないも近年器楽奏者から優秀な作曲家が出難くなったのって、あまり即興を演ないからなんじないかと考えてん。
そこで作曲の起源について再考察してみると、そもそも作曲とか編曲の概念が生まれたのは音よりずっと後なんだよ。

先ずは声を出さないと歌になんないし、楽器若しくはそれらしき物だって奏でない事にはフレーズもへったくれもありゃしない。
そうして歌手や器楽奏者と認識される存在が誕生した後、彼・彼女等が何時も演るのなんかを指して作曲だの編曲だのと誰かが呼び出したんじゃね。

今でこそIT機器の発達のお陰でデジタルバーチャルでいきなり音を鳴らせる様になったけど、譜面登場以前は脳内に浮かんだフレーズを他人に伝えるには鼻歌なり何なりで自身が実音を出すしか方法は無かった。(録音なんてもっと後)
この事を現代に当て嵌めると極例ではあるが、平均律12音階に縛られない音楽のコミュニティがかなり衰退してるんじゃなかろうか。

無論不慣れな音律は理解に時間が掛かるから滅多に流行りゃしないだろうが、本人の脳内イメージを無改変でアウトプットしようとしたらそんなになっちまう可能性は誰でも持ってるに違いない。
その端的例が従兄から過去に依頼されたギターリフイメージに漏れ出てて、音階的には絶対同じ音にしか出来ないのに鼻歌を聴いた限りでは別の音としか感じられなかったなんてのがあった。

尤も上記は本人のイメージが曖昧な段階だったからその後そんなに追及して無いが、厳密に分析したら本当は⅜音だとかだったのかも知れない。
別有名例では映画に残されたBeatles I’ve Got a Feelingの創作シーンで、歌間のエレキチョーキングの加減を手の高さでPaulが指示してたのが印象深い。

8分音符で2個目から10個目進む間に連続的且つ滑らかに半音だけ下降させたかったらしく、こう云う欲が出ちゃうとPianoなんかじゃ到底表現し切れない。
現代の打込みですらそんな欲が出た際は、音階じゃ無く一定時間でのピッチベンドを線でマウス手書きするか数値入力したりする必要がある。

んだけどなまじ楽器が弾けると実演より感覚ダイレクトの手加減が出来ねえのが億劫で、杜撰君今迄殆ど打込みでは実践していない。
おっと横道に逸れたから元に戻すが上記みたいなレアケースも、即興を沢山演ってるとあんまレアじゃ無くなって来るんだよん。

Paulみたいにエレキギターならではの音を出そうとなんかしてなくても、即興での合奏時には共感の一手段としてこれみよがしに出音に合わせた態度となるケースがしばしばある。
例えばある箇所のチョーキングをアピールしたくて実際は大した負荷も掛かってないのに、凄い形相をしたりとかままあるじゃんか。

AIとの合奏だと普通相手の表情なんて無いけれど、人間対人間の合奏では表情等と云う視覚情報が実際は伴ってる。
そんな相乗効果とプレッシャーに晒されると、全く普段はしない演奏方法を試みるニーズが突発的に生じたりするん。

或は正反対に自分のソロの番が来るまでやたらと影を潜めといて、いざソロが来た際のコントラストを最強にしてやろうかとかさ。
但しこれが有効化するのは自分以外の他パートが伴奏に必要な要素を奏でてる場合で、極例では殆どソロしか担えない楽器は全休符になるなんてのがあるやん。

これ等意表を突くアイデアや不要なら思い切って排除する勇気って、作曲でもかなり大事なスキルなんだ。
だが編曲スキルレスの人だと実合奏しないと不安感が拭いきれず、つい余計なのを曲に最初から入れちまったりするんだよなぁ。

=つづく=

2025年11月 3日 (月)

音楽備忘録2269 今更過ぎる話しⅢ➑

だば一旦レコードから離れてFM放送の昔語りと参るが、ネットが普及した今となっては残ったメリットはかなり少なくなった。
だがネットでも光通信がデフォ化する迄は速度や安定性に問題があったし、ネット普及前夜ともなりゃ音楽にはかなり重要な方式だったんだ。

所詮各番組の何処かで掛からない曲は聴けない弱点はあったが、デジタル前夜当時最もローコスト且つ日常的な手間レスで高音質に触れられたのはFM放送だけだったんよ。
と言っても相手が電波だから色々環境次第で綺麗に受信するのは結構難しかったが、盤質今一のチリパチやテープのサ―と比べたらノイズ面では一番我慢出来た。

物理特性的にはレコードやアッパークラスのテープの方が周波数特性自体は広かったが、雑音や歪み等のお陰で大して健全とは言えなかった。
のがFMは30~15,000Hzとスペック上は狭帯域も、マトモに受信出来てたらその範囲内に変な雑音はあまり混入してなかったんだ。

今では可聴帯域全域の20~20,000Hzが聴こえないと何処かが削れてると認識されるが、大昔にはその基準が一時期40~16,000Hzとされてた時もあった。
のわ16kHz以上だと例え録れて再生出来てもノイズレベルが高く、折角ソースに入っててもマスクされる事が多く結果的にノイズだけを増し盛りしたみたいに聴こえたりしてたから。

差し詰め上記前者を汚れて不調のロールスロイスと例えるなら後者は新車のカローラってなもんで、服が汚れたり途中でエンコする心配の無い分後者の方が安心して気楽に乗れそうって感じなん。
もう少し後の時代ならCDとMDの関係に似てて、今はそんな事は殆ど無くなってるだろうがその頃CDは車載や携帯ではMDより音飛びし易かった印象があった。

日本で一般向けFM放送開始当時TVの方はモノラルオンリーで、Walkman登場迄ポータブルのカセットでステレオで聴きたいと思えばデンスケ位しか無かった。
近年めっきり死語化したデンスケってのはSONYが最初は業務用で出したオープンリールポータブルテープコーダの愛称で、カセットとメディアが格段に小型化しても生録ブーム時に爆売れした奴はラジカセ並のサイズと重量があった。

半ば当然の様に柄のデカさと価格が比例してた他、屋外使用で問題になるのは何たって電池の持ちだ。
その次に無視出来なかったのがメンテの必要性で、当時の有形メディアでは必須だったのが電波と云う無形メディアではほぼ不要だった事。

これ等が当時はミニマムコストでオーディオを楽しむにはほぼ一択となってて、杜撰君もしこたまお世話になって助かった口だ。
又文化面では上記背景があったからか、TVより一歩踏み込んだ並ヲタ程度迄なら納得出来るような番組の存在も小さく無い。

現世に置換すりゃ地上波全滅若しくはアホな年寄り専用と化し、BS・CSやネトフリ等の方が内容充実度が遥かに高くなったのと似てる。
実際はTVなら画質(過去FMでは音質)の向上だけでも恩恵はあるんだが、それを大して求めてない層には他に新たな付加価値が必須なんだ。

新参者がシャカリキになるのは世の常で、偶然良い時期に出逢っただけとも言えるかも知れんがね。
けれどその頃は今より活字アレルギー気味だった杜撰君にとって、雑誌とレコードの2刀流よりラジオを聴くだけで一応知識と音の両方が手に入った面でも貢献してくれたん。

=つづく=

2025年11月 1日 (土)

音楽備忘録2267 テープレコーダのよもやま話⑤

カセットデッキ2台多重、続いてはMixingの過去実態だ。
ラジカセ2台であればほぼ人力になるのが必定な代わり、オーディオの知識はほぼ不要なのが少ない利点だったが。

さてデッキ2台多重のMixingでは段階ってのがあるのと、通常内蔵Micなんて非搭載だからミニマムでもMixerの必要が生じる。
では最低限どんなのが要るかったら、歌や生楽器の入る可能性の有無で大きく別れてたんだ。

入る方でLine録り独奏なら最低の1・歌付き複数演者なら最大が人数の倍となるんで、前者の場合ならMic入力すら不要になるのが特権かも知れない。
又プチ裏技として当時のデッキには殆どのにレベル調整付きMic入力が備わってたんで、ノイズ的には若干不利になるも敢えてLineレベルの信号を減衰させられりゃデッキのMic入力で一応受けられる。

となると余程低出力のMicを使わん限りMixerのMic入力は不要となり、もしハンダ付と簡単な工作が出来たならかなりのコスト抑制が可能だったんすよ。
特に最大限ジャンク活用出来たなら出費はハンダとコテの電気代迄圧縮出来っから、極論生活保護受給者ですら実施可能だ。

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回路図にすると電子回路学的にゃ若干不備はあるものの、参考掲載の上図みたいなエレキギター内部のに勝るとも劣らない簡単なので一応は実用に足りちまう。
無論既にニーズを満たしてるのを持ってたらその方が良いし、当時は購入するにしても廉価でシンプルなのが結構色々売られてたよ。

尤もどんなMixerを用いようと最大の欠点は、その都度施したMixバランスが最終決定になり後での微調整等全く無効な処。
要するに一寸Bassが小さかったかもとなったとしたら、そこで事後も逆算の上熟慮再録しない限りミスを諦めて容認しなきゃなんなかったん。

但し多ch MTRでもトラック数が全音源個別分に満たなく、1度でもピンポンをすると同じ悩みは付いて回ったん。
PC内でMTRが可能化する迄一般人は最大24tr迄しかありつけなかったし、今でもスマホ利用では最大8tr程度迄のアプリしか出てないみたいだからその意味では未だ完全寛解してはいないとも看做せる。

因みに後で綴るオープンリールの場合俺知りでMic入力付きデッキは4tr迄だったから、カセットデッキ2台多重が可能だとオープンでも8tr未満のはマスター用としてしかあまり効力が発揮されなかった。
確かに音質向上は確実にするんだが、カセット4trMTR登場後は微妙な存在に。

=つづく=

2025年10月31日 (金)

音楽備忘録2266 杜撰大王の怪しい作曲法㉚

あなたがなりたい作曲家像とは異なってしまうかも知れないが、一般的認識の主旋律がこしらえられないと作曲とは呼べないのかが本日のお題。
現況王道の形は昔とそんなに変わっちゃ居ないが、形態に拘り過ぎるのは考えものなのだ。

歌物を作りたいのにヒーリングミュージックみたいなインストが出来ちゃったとして、当分は一般公開こそ控えるにしても誰にも聴かせない程頑なに否定拒絶すんのもねえ。
その逆に遅々として進まず公開出来て無いが直近の自作インストのサビ部、実は思い付いた当初は丸っきり歌物だったなんて例がある。

それが曲構成や編曲を思案した最終段階で初めてインストにするかと決まったもので、それ迄はちっともインストで出す気なんか無かったんだ。
しかも見方に依っちゃ作詞に苦手意識があってまだ手付かずだったのが、たまたま怪我の功名になったと言っても過言ではない。

こんな経緯を辿ったのやそれを作者が一々種明かししてるのは少なそうだけど、作曲プロセスに公開義務なんかねえから本当の処どれ位どうだったのかは当事者のみぞ知るなのだ。
その意味で好きなのが作れるのと曲を作れるのってかなり別物で、たまたま一致してたらラッキー・不一致だったらガッカリなのは確かだ。

けどそこで完全に諦めたり捨ててしまっては、万一将来ニーズが発生した時に大損するんだ。
なしてってば音楽だと全てのジャンル・新旧に、必ず何処かしら繋がりがあって成立してるから。

聴いた感じがとても似ててジャンルも時代も果てはメロも全く違うのがありゃその逆のもと、何処かが少し変わるだけ異なるだけでガラっと印象が変わっちゃうポイントがあるねん。
あまりにもベタだけどほぼ同じメロでPops・Rock・Bluesにしたい時、Pops以外ではなるべくマイナーコードを使わずその上で可能箇所を所謂ブルーノートにすれば取敢えずはBlues擬きに聴こえてくれる。

実際は伝統とか典型的スタイルにするにはもっと色んな要素があるが、普段気付かないだけでニアミスはしょっちゅう起きてんだ。
杜撰君100%では無いにしても今迄歌物かインストかはある程度先に決めてたんだけど、歌・楽器夫々で余程奏で難いの以外メロに一々○○様専用なんてねんですよ。

そんで自身初の上記を演ってみたんだが、意識したってだけで多分今までのだって似た様な状況のはきっとあったんだ。
相棒の従兄ですらこっちが言う迄想定外だったみたいだし、少しは驚かれると思ったっけ「ふーんそうなんだ」で見事に憤死。

で改めて歌かインストか何より、コンセプトとかテーマの方が断然大事だと思ったんよ。
今回のでは元は黒人コーラスグループの曲で出て来そうなのを一寸意識して、その流れからサビ部を近年では珍しくリアル鼻歌で創作したん。

相変らず黒っぽい曲は歌なり楽器なりの実演で作ってっけど、それ以外のは脳内イメージからの打込みが中心になっててさ。
のわ何か無理があったりした際打込みの方が即座に不具合が分かるからなんだが、歌ならコブシの癖っつうかメロに少し遊びや装飾をする際に自分の個性が漏れ出易いらしい。

のわⅡで最早廃業寸前迄劣化してるが一応唯の歌手としてもそこそこ演って来た内に、歌い回し等での杜撰大王節みたいなのが何時の間にか構築されてたらしいんだ。
桑田佳祐氏の独特のなんて彼が歌って作んなきゃあんなの出来そうに無く、結局最初は望んで無かった癖(個性)も馬鹿と鋏は使いようみたいなもんなんじゃね?。

-つづく-

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