音楽備忘録2045 ’70年代Rockの浦島太郎㊲
今日は長く続けてると生じるブランクについて綴るが、若い時には例え不慮の怪我で強制的に休みになっても回復が早い。
のが齢を重ねるにつれ肉体の回復は遅くなるし、それ以上に生活に関わる諸々に忙殺されての復帰機会逸失等色々な障害が立ちはだかって来る。
不慮の事故に次いで意識不足の不摂生での肉体故障に襲われたら諦めるか新手段に打って出るしかないが、それで無くても老化補填対応等に追われて中々しんどい思いをさせられたりするもんだ。
この面での最高幸運は気付いたら続けてしまってたになるんだろうが、厳しい現実は滅多にそんなの許しちゃくれない。
肉体面も然る事乍ら気力や意欲の継続が更に至難で、逆にそれに浮沈が無ければ盲目的に有効度の著しく低い努力を続けてたりするんすよ。
あとほんの僅かで何かが出来そうな時、人は自然と追い続けたい心境になる。
が当分続けて何の成果の片鱗も見えて来なきゃ先ず萎えるし、そこでへこたれなかったらそれは素晴らしいが何か大事な要素を忘れたままの徒労を知らずに続ける事となってたりする。
のを思えば壁にブチ当たる実感が無いっつうのも考えもので、唯の夢ならそれもアリかも知らんがリアルで実現させたいならそんなマインドじゃ困る。
私感では10万か100万人に1人位なら才能や勢いだけで進化し続けられる者も居ようが、それですら大きな挫折無しでは進化時期の終焉が定かじゃないし何時訪れるか不確定だ。
演ってる間中僅かでも進歩し続けられる為には立ち止まる機会も必須のもので、従前以上に自然と深く考えてしまう時間が大切なのだ。
普段ロクに考えず行動する感性派の杜撰大王だからじゃねって、それでより痛感させられたのは確かだろうけどね。
どんなに普段から全方位に熟慮してても、想定外の壁にブチ当たりゃその解決には新発想が必要な場合が多い。
加えて頭でっかちになってると他人に示唆するには足りても、自身で実現するには練習や実験が必須だ。
編み物とか・絵画・小説から工作や電子回路趣味では未完に終わるのも少なくないとは言え、全く作ってみようともしないなら収集ヲタなだけ。
音楽でも演るのは僅かで満足出来るなら良いが、かなり自身で演ってみないと実際には満足感を得難い。
その意味では一般屋内系趣味より、遥かに屋外系のスポーツなんかに近いんですよ。
それが昭和の頃迄は世の中何でも「手動」の方が多かったから、特に↑みたいな意識をせずとも多分当然の様に出来てたんだがね。
只でさえ加齢で億劫になってる処へ、昔と比べたら今は何でも「自動」の世の中だ。
から昔はリアル楽器で実演したが今は打込み専ってんなら上記みたいな葛藤をせずに居られるが、時代は令和でもエレキだのBandだの昭和以前に登場してたのをやろうとすりゃ「今普段はしなくなった手間」が付き纏って来るのは至極当然なのよ。
そしてかつて実行出来た者には多少の劣化はあれ演れてた保証がある訳だから、やたら急いだりしないで調子がある程度戻って来りゃそんなに苦にはならないん。
と分かってても腰の重いのが加齢のなせる業だが、最初から欲張るのがもっといけねんですよ。
-続く-
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