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2020年5月30日 (土)

音楽備忘録297 エレキのPU選択とToneのセッティング②

Single Coilでもフロント+Toneセッティングの工夫で、一定以上に歪ませた時の使える範囲の拡大が可能な処迄来た。
だが良い事尽くめかってばそんな虫の良い話はやはり無く、パワーコードのバッキングに使える様にするには更なる工夫が要った。

ソロとメロの両方を1つで行けるToneセッティングにしてると、低い音域の方で伴奏するには大人し過ぎとなり易かった。
それで何が困るかってば、伴奏のリズムが埋もれ易くなってしまうのだ。

ここで厄介なのは伴奏パワーコードを異音色2本にしたい様な場合で、元が悪く言やおデブのハムバッキングのフロントは幾らToneを弄ったって流石に使い辛いのもあるからだ。
なるべく差を大きくしたいとなるとそれだからSingle Coilの方をフロントとするしかないが、Toneセッティングで高域を控えたり中域を多目にするとどうにも切れ目がボヤけてアカンがな。

そこで本家Char氏がどうしてるか聴いてみれば、Toneセッティング自体は殆ど高域全開な感じとなっていた。
尤もそれもJohnny,Louis&Char(Pink Cloud)時代のの話しで、3ピース故普段のLiveでは他にGuitarの音は入って無いって条件下での話しだ。

何れにしてもPUのタイプに拘わらず各位置のに対して最適Toneセッティングにしちまうと、そのままではもう片方の方は最悪許容範囲から逸脱してまう。
そのせいでも無いだろうが各位置共通セッティングで両方使えるとしたら、半ば低音域がしっかり聴こえるのを放棄しちまう手もある様だ。

実例としては’70~’80年代の所謂LAサウンドってのがそんなMixバランスとなってて、ドラム以外は低域の量を必要最低限度に抑え込んどくって方法だ。
瞬時に鳴り止まないのの低音が全て控え目になってればそれにマスクされる心配も激減するし、フロントPUでしか出せない低域も非扱いにすれば自動的にリアとの差も縮小されるって構造だ。

低域は必要以上に含有量が多いとむさ苦しくて聴き疲れし易くなったり、他パートを侵食し易いから少な目で良い程安全だし全体が爽やかになって宜しい。
けれど曲や演者のコンセプト次第では軽薄過ぎになったり、厚みに乏しいって欠点もある。

聴くだけなら嫌いじゃ無いこのサウンドも、Bassに暴力的な低音をなるべく出させたい俺には不都合だった。
だって電気の助力無しではそんな量的バランスの音は出せないもん、折角の特権ならなるべくそこはしっかり出しときたいかなってね。

それとGuitar単独でも問題化するのがAmpで歪ませる場合で、足りなきゃ困る低域も過多となれば歪み音色自体にも悪さしてしまう。
今だとPUと同時にEffector等でセッティングも変えちゃえば済みそうではあるが、2度手間を要すのには違いない。

それでも常時低域減らしをせずにフロントPU使用を放棄したくないのは、Bass音色の他にも生楽器に負けたくないのもある。
エレキの都合だけでMixの音質バランスを変えるには、時にそのままでOKの生楽器の音質バランス迄改変しなきゃなんない事も出て来て勿体無い。

もっと突っ込みゃこれ次第では各パートの低域が、どれも聴き取れる状態になる音量バランスが実演奏時と違ってしまう事すら起き得る。
Liveと録音で違う趣向を2倍楽しめますなんて言い逃れするのも手かも知れんが、録音物を耳にした時点で頼り無げだからLive行くの止そうなんて思われちゃっても嫌だしねぇ。

<つづく>

2020年5月29日 (金)

音楽備忘録296 エレキのPU選択とToneのセッティング①

前回迄の「歪ませない効能」を仮に敢えて否定するなら、今回のお題はクリア必至の案件となるのでそれを。
俺がこれを気にし出したのはフロントPUの有効化と、アンサンブル内での音域バランスだった。

耳タコ念押しになっちまうが俺がほぼ常時「アンサンブル男!?」となったのは、きっと全パートを担当する事が多いからだろう。
それは単にどれも弾くだけじゃ無く、どのパートにも自分のサウンドを堅持させたかったのが原因だ。

少し回りくどくなるがPickupの歴史から始めとくが、お題に直接関係する「数と付けられてる場所」限定だから暫しの我慢だ。
電磁Pickupの登場当初は先ずリアへの単独搭載から始まってるが、Rickenbacker独自の弦の上側にも磁石が被さるタイプのだった。

この構造では「弾かれる場所」の真ん中にあっては邪魔で困るから、弾く領域の前後どっちかへ寄せとくしか無い。
音色や拾える倍音へどれ位配慮してたかは不明だが、取敢えず弾ける場所を広く取れるせいかリアへ付けられていた。

そこから電気楽器固有の利点活用として、段々搭載PUの数が増えて行く。
っても大抵はどう頑張っても空間制約で凡そ4基程度で限界だが、多数派は2基搭載に落ち着いている。

これはネック寄りとブリッジ寄りのが音色差が最大となるのと、その間が空けてあると弾くのに邪魔にならんからと推察される。
かつてはHöfner 500/1 ’61 CavernみたいにBassで低音が必需だからと前と真ん中みたいなのも一部にあったが、上記理由が元で今では復刻版以外は両端寄せが普通だ。

因みに今でも2コ付いてて前後どっちかへ寄ったままなのもFender系Bassでは普通だが、そのお陰でどちらも極限用途には不向きになってるとも言えなく無い。
これが俺的に不思議に感じられるのはFenderは、前・中・後とStratcasterみたいに3基搭載のも出してるからだ。

閑話休題してそれを歪ませなかったその昔は単にフロント・リアと呼ぶより、Ryhthm・Lead等と用途別呼称してるのもかなり浸透していた様だ。
今じゃ滅多にそうは呼ばなくなってるが、GibsonのトグルSWのネームプレートには未だにそう刻印されたままだったりする。

実際はどっちを何へ使ったって悪か無いがEffectorやCh切替機能非搭載のAmpしか無かった当時は、PUを切替えて使うのが伴奏とソロの適正化に一番有効な手段だったのだ。
これの訳は担当相違時に求められる適正音量と音質があり、先ず伴奏時は極力聴こえる範囲で低音の量が要求されるのに由来している。

小さくないと困るけど伴奏であるから音域次第で聴こえ難い帯域があっては不味いのと、低目の音域程多用されがちなので下がしっかり出てる必要がある。
片やソロ時は華やかに目立つ程良いのと、弾いたの全部が楽に聴こえる迄音量を大きくして構わない。

それをたった1つのAmp Toneセッティングで賄える様にしてある為、特に深く歪ませるとそのまでは不具合が出てしまった。
要はリアPUに最適なセッティングにしてるとフロント使用には低音過多で、その逆も又しかりとなってしまう処。

それで私的にはソロ時の音色が固定されるのに飽き出した頃、Johnny WinterとCharがどうしてるかが大いに参考になった。
バリエーションとしてだけなら上述前者のハムバッキングのフロントもだが、特筆すべきは後者のSingle Coilのケースだ。

歪みが浅い内はSingle Coilのリアでもそんなに問題にならないが、深まるにつれ曲に依ってはどうにも音色が刺激的過ぎる弱みについてだ。
オマケにFuzz系じゃないとその割に音が細過ぎで、音色的に最前面の癖にメロディラインは大して前に出て来ない感じになる。

こっからは半分私的だがそのせいかMustangでは何時の間にか、リア単独の使用頻度が極端に少なくなっていた。
続きは次回へ譲るとして兎に角歪ませるとませないではかなり条件が逆転したりもするもんで、電気楽器特有の現象であらう。

<つづく>

2020年5月28日 (木)

音楽備忘録295 エレキGuitar歪ませない効能⑦

折角なので(何が???)俺言い「擬似Band」式の録音方法の実態を、もう少し追記させて貰っとこう。
これを書いとかないと録音時が只のLine録りと一緒にになっちまって、手間を掛けたご利益が半減しますんで。

宅ではマトモ且つ純然たるGuitar Ampが1台っきゃ無いから半分偶然だけど、録る時は録音機の出力をAmpに繋げて弾いてるんでごわす。
普通のLine録りならマルチEffectorかPreamp、じゃないとしてもAmpのLine出力から録音機へ入力させるもんだよね。

それをわざとGuitarとAmpの「間に録音機を挟んじまうのさ」で、つまりAmpスピーカからのを録ってるつもりに自分を騙す。
こうして奏者脳内だけバーチャル化しとくと、弾き加減はほぼ普段普通にAmpから鳴らしてる時のままにな
るだろうって寸法。

余計な物を経由して無い方が音はピュアだけど、実質的には内蔵か追設かは不問でGuitarとAmpの間に所謂Buffer Ampが入ったのと似た様なもんだって発想。
厳密には先ず入力側でインピーダンスのミスマッチを起こしてるんだが、完全な結果オーイラだがこれが却って功を奏する面もあった。

それは典型的なアクティブサウンドを求めて無い場合オーディオでだったら理想的な所謂「ロー出し・ハイ受け」が、録音機の出力インピーダンスも楽器Ampには低過ぎる。
電気的に不完全でも元々の楽器Amp入力が「ハイ落ち」前提設計となってるので、どっかで適当にハイが落ちてくれないと音質が変化しちまうからよ。

この手法をそのまま本チャン録音に持込めとは思わんが、記録されるのが生音だけでもしっかり弾けてりゃ歪み加減は100%再現可能だ。
これは又以前述だがエレキ奏者が近年本邦ではあまりにもアコギを触らないのにも通じてて、どんな風に何で歪ませたとしてもその「元になる音」は「常に生音」なのは不変なのですよ。

「アコギもちゃんと弾けるエレキ奏者」とそうじゃ無い人の最大差の典型としては、必要な歪ませの「深さ」の差となって現れたりする。
その訳は「意思に反して無駄に弱くなったりしない」からで、一般的に歪ませの深さは「弾きが弱っちゃった時でも足りてるか」で調節する事が多いからだ。

そんで住環境に依っちゃアコギだってウルサくて駄目って時でも、流石に窓・扉とかが全開とか直側で誰かが寝てたりでもしなきゃ「Ampに繋がないソリッドボディのエレキ」なら文句を言われる心配は全く無い。
AmpやEffectorを上手に操縦するには実際繋いでの練習も必須だけど、只「弾くのだけ」を上達させるのには楽器本体だけでももう十二分。

録音時の音色案件も結構上記と共通部分が多く、特に音色等に関しては必ず要るのが決定してるの以外は未加工としとくのが賢明なのだ。
歪んで無くてマトモに聴けるのを歪ませてNGになる事は先ず無いし、全く未経験だと当初は難儀するだろうが慣れちまえば全くどうって事は無い。

誰かさんみたくもっとベテランになって来ると、最終的には「何か弦の張ってあるの」があれば最低限の確認にはそれで十二分となる。
因みに宅ではそんな際小音量なのの方が思い立った瞬間に弾けるので、防音室の外で今これを書いてる席から手の届く処に何時も偽物Stratが立て掛けたままになっている。

こんな風な方向へ慣れて来るともし弾けなきゃ音色をどうするもへったくれも無いんだから、ひたすら弾けそうかどうかの確認の嵐となっている。
それでちゃんと弾ける様になってると演出面等以外では、歪みは無関係なのが自動的により理解出来る。

もう1つ不要深歪ませには欠点があるが、それは和音を弾くのが音色的に苦手となる点だ。
歪ませない時には無かった倍音が出たり増えたりして、本来ハモる音程同士に不協部分が生じ使える和声に著しい制限が掛る。

これは和声を単音パートに分解して重ね録りすればほぼ解決可能なものの、人員補充が出来ないとLive時の再現性を損ねる。
それ以前に当初から「オーケストレーションするんだ」って意思を余程強く持ってでもいないと、使っても淡泊な和声を優先的に選択するのを助長し兼ねないですから。

<つづく>

2020年5月27日 (水)

音楽備忘録294 エレキGuitar歪ませない効能⑥

前回は忘れ掛けてたののせいで失礼仕ったが、今回こそ予告してた聴こえの違いの実態へ具体的に参りまする。
若干クドくも念の為
ここでの前提条件を再掲させといて頂くが、楽器単独では無くアンサンブルした場合についてを中心としている。

録音がアナログテープからデジタルになって一番神経を使わされるのが混在させる時だが、これは歪ませない音色の録音や音源の方式の違いも大きいのは既に述べた。
ここで本来のスピーカ収音とLine録り各々の得失を、整理して纏めとこう。

1.スピーカ収音
①周辺雑音等に対してと、演奏環境の制限の厳しさでは不利
②音色の自由度(加減巾)は機材に依る制限もあってそんなに広く無い
③特に生楽器も含めた他楽器との整合性では有利若しくは安全

2.Line録り
①電磁気雑音等にさえ気を付ければ演奏環境はほぼ無制限
②使用機材次第で音色は自由になるが、その楽器らしさを損ねる危険も高い
③Mic収音された音との整合性に劣り、多くはそれ等より存在感で負ける

Line録りがマトモに出来なかった昔と比べると、昔じゃ不可能だった場所でも録れる様になったの自体は大きな進歩に違いない。
これも爆音系生楽器なら今だって無理なままで、電気楽器ならではの利点ではある。

けれども生楽器比で実際に空間へ音を出す部分をAmpへ移行してるので、この部分を無くしてしまうと「半人前」となってしまう。
そして歪ませるのに当初はAmpだけでは不足する事もあったせいか、歪ませない時の補填機器が現況では不充分に留まってるのが実情だ。

漸く本筋へ入ってくがLine録りや打込みのを生系へ混在させて苦労させられるのは、音量バランスの割に聴こえ難かったり埋もれ気味になる処だ。
加えて厄介なのが再生装置や再生環境に依ってもそれが大きく左右される処で、これ位にしときゃ誰が何処でどう聴いても大体同じに聴こえるMixってのが存在しない処なのだ。

ここで注目すべきがBassでならGuitarよりLine録りが許容される点で、滅多に歪ませないのも大いに関係している。
そう言うとああ確かにMarshallの歪みを欲しがるとか少ないもんねとなりそうだが、本件に関してはそこが理由では無い。

電気楽器の「音色的歪み」は概述の如くオーディオ的には既に結構歪んでいて、けれど低音になる程歪んだのが分り難い性質がある。
「歪んだのが分り難い」ってのは境界領域が広いとも看做せ、これは更に楽器Ampの特に真空管式の出力段も似た性質を持っている。

Ampの方がそうなったのは意図的と偶然の半々だが、この境界領域こそが器楽音としてはとても「使える」性質に富んでいるのだ。
近年はモノホンの球のでもシミュレートのでも「真空管サチュレーション」等と呼ばれるEffectがあるが、音色的には無歪でオーディオ的にはプチ歪み状態を意図的に作り出そうとする機器だ。

しかし現況存在するのではスピーカに依る作用の分がまだ全然不足してて、作者や愛用者には申し訳無いが正直に吐露すれば「無いよりマシ」と云う状態だ。
追加でこれを用いても残りそうな問題点もあって、それは録った後でこれを掛ける場合だ。

仮にとても良くシミュレートされてても、その音を聴いて弾きに加減が加わる事が無いからだ。
Ampで鳴らして録る際は殆どは誰も無意識だが、聴こえた音に対してより所望へ近付く様に自然と手が動いちまうもんだからねえ。

そこで俺推奨としては低出力でも全然OKなので、スピーカの大きさだけなるべく本格的なのに近いAmpで鳴らして録るのだ。
それだってそれなりの音量は出ちまうから無防音では、夜中の住宅街ではとても無理だ。

けれど歌やタンバリン・マラカス程度とか生のUplight Piano位なら、昼間なら弾ける場所はそこそこあるでしょう。
少なくとも音響技師の立場からするとこれ位は頑張って欲しい処で、それだけそうじゃ無い録り方をされてる上打込みのなんかと上手く混ぜろと言われるとしたくても中々そう出来ないのよ。

ってか、どう頑張っても完全には混ざってってくれんのよ。
因みに後からもし必要性が出て歪ませるのに、必ずしもEffectorだけが候補じゃ無いのよ。
以前お薦めした「擬似Band」よろしく記録されてるのはGuitar出力だけで、鳴らす時に楽器Ampへなんてのもアブノーマルでも不可能じゃ無いんだからね。

<つづく>

2020年5月26日 (火)

音楽備忘録293 エレキGuitar歪ませない効能➄

それでは予告通り聴こえの違いの実態から…と、その前に1つ大事なのを危うく忘れる処だった。
打込み及びLine録りされたのと、Ampスピーカから収音したのの聴こえ差があっ
たわ。

オーディオ的美しさでは特に歪ませない場合は上記前者の方が有利だが、存在感や認識し易さについては飽く迄「単独で鳴ってる」場合限定となっている。
忖度表現すりゃ差し詰め「花の命は短くて」じゃ一寸違うけど、要するに他の音に対して存在堅持力がかなり弱いのである。

特にアンサンブル内に近い周波数帯域・バランスのとか近似音色のあると顕著に出て、分析耳で聴くと確かに入ってるのに無意識に聴いてると最悪は入ってるのすら気付かずに過ぎてくなんて按配だ。
この辺は打込みと手弾きのハイブリッドにしたい時なんかは何時も注意事項ではあるが、その中でも「手弾きのLine録り」は一番紛らわしい存在だ。

音色だけに耳を向けると打込みのと近いのに、安定度や確度へ耳を向けると間違い無く人の体温みたいなムラが感じられる。
Guitar程では無いがBassでも実はこの弱点はあって、Line録りはか弱い美人・スピーカ録りはガサツな猛者と結構両極端。

但しそれは飽く迄「単独で鳴ってる」場合の話しで、現実的には「聴こえる範囲でなるべく綺麗」を目指してく事となる。
但しⅡでそうは言ってもEffector等で加工して対処するんじゃ役不足で、「全体の質・太さ」を適正化させないと足りるだけの効果が無い。

体験的にこれが昔より今の方が大問題になったと感じられるが、その原因は昔との「録音音質」の違いにある。
簡単に纏めると過去のアナログテープ録音のは、良く言や逞しいが悪く言や全然荒かった。

加えて元がどんな太さや細やかさの音であろうと、「聴こえる様に録る」と必ず一定以上に太く荒く変身していた。
ある意味録音機自体に強烈な音色個性があったも同然で、けれどその代り入れてく音の整合性に対しては今より遥かに鷹揚だったのだ。

音響機器なのにリニアじゃ無いのは困ったもんだったが、しかし音楽制作の道具としてなら一面では扱い易かったのだ。
私的にはGuitarの歪ませない音色のLine録りを許容してた時期と見事に合致してて、この件は全然意識して無かったのに結果にハッキリ現われていた。

又この案件はパーカッシブな音色な程差が出易く、Strings等の持続音系では殆ど問題にならない。
この現象を分析すると今の環境下では「歯切れが良過ぎる」のが駄目で、自然界(大気中)に存在し得る音質との乖離が認められるからだ。

実在空間での実音は例え思い切りパルシブに鳴らしても、空気のクッションのせいで鳴らしたのよりゃかなりマイルドにしか耳に届かないからだ。
加えてスピーカって実在の物理装置を動かすのにちっとも電気信号通りとは行かず、空気の他スピーカダイアフラム(空気を揺さぶる為に動く箇所)を支える物の抵抗等のせいで「必ず鈍って」しまっている。

このままにすると「じゃあスピーカから聴こえたのは嘘の音か」と誤認され兼ねんが、そうならない様に楽器側等で予めその分を「先回り」させる様な設計が為されている。
この問題はCompressorのAttack Timeの絶妙な設定等で少しは補えるが、現況で完全補填はまだ不可能だ。

デジタルEffectorに入ってる○○シミューレトプログラムも聴いた印象だけならかなり近付けて来てるが、これも単独で聴いた場合の話しで様々な部分の「性質」が本物とはまだかなり異なっている。
それがアンサンブル内での埋もれ難さにはこれらの相違点こそが問題になるので、妥協してMixingしても大抵は何処かが不自然になったり少し他の音の邪魔になったりしてしまう。

極端な話し単独聴きでは少し変だったとしても、「適度な存在主張」さえ得られれば実用的になる。
けれど常にアンサンブルと一緒に鳴らして音色選択・設定出来るとも限らんし、録音は「生演奏の一発録り」でしかしませんっての以外「相手の変動」に対処し切れない。

<つづく>

2020年5月24日 (日)

音楽備忘録291 エレキGuitar歪ませない効能③

だがしかし単に歪ませないで弾けったって、Line録りが増えた近年では色々困難さも増してしまった。
特にEffectレスの場合がその筆頭と思われるが、その殆どは真空管Ampのスピーカから収音すれば解消する。

電気楽器でも近年のエレピや特にBassだとかなりLine録りを意識した作りになってるのもあるが、原典設計を考慮するとそれでも厳しい面が残る。
楽器用Preampを使わずに直接音響機器に繋ぐと本来的にはインピーダンスの不整合だってあるが、何より誰にでも分かるのは音色がとても淡泊でつまらなくなる処じゃないだろうか。

だがそうなるのも半ば必然で、エレキ開発当時の非リニアな増幅装置を通しても必要な明瞭度を確保する為にそうなっている。
この事実を現代的に「翻訳」するならば、歪ませないエレキにとっては「Ampが必須Effector」なんて風に捉えとけば済む話しなのだ。

今では音の数が弾いたのより増えるとか捻れるとか何とか、あからさまに普通じゃ無くなるのしかEffectと感じられない事だろう。
けれど登場当時だと「何でたかがGuitar如きでそんなに大きく鳴るんだよ」、もうそれ自体が一種の音の魔法みたいに感じられていたであろう。

近年乱用されてるCompressorだって「弾いたのとは違う音量やバランスになる」点では、実は上記のと大差無いんだけどね。
それと楽器とオーディオでは歪みに対する概念の違いも大きく、これの見落としも年々悪化してると感じられる。

エレキでは歪んで無い音色と言っても、それをオーディオ観点で見ればかなりの高歪み率が普通に大手を振ってまかり通っている。
オーディオ基準で歪み率で合格判定が可能なのったら、Line録りの極一部の位しか無い。

つまりオーディオ的には歪み率が悪くても、楽器音的には無歪みに聴こえる事が多いのが現実なのだ。
でもオーディオ的に歪んでるのが何に作用してるかってば、倍音成分の差等に表れている。

この時点で熟考願いたいのが音の透明度で、これに関してはやはり無歪みな程優れてはいる。
だから選べるなら「より綺麗な方」と思っちまうのは人間心理としては真っ当だが、この点を徹底追及するなら打込みが可能な現代に手弾きするの自体が間違いなのだ。

歌物の歌ですらボカロ一択とすべきな位で、生身で歌う時のブレス音(呼吸)だって邪魔者扱いして然るべきだろう。
実際そうすれば限りなく「透明な世界」が展開出来るんだが、だったら何故全てがローコストなボカロや打込みへシフトしてないのかだ。

これは端的に言えば普段誰も自分の呼吸音になんて意識や自覚が無いのが筆頭で、「してても当り前の音」に対しては心理的に他への影響が殆ど無いのに依っている。
寧ろGuitarだったら空Pickingを代表に、入ってても邪魔になるより助けになる方が多いのなんかもある。

近年本邦でだって上手に活用してる連中も居なくは無いが、過去比だと「お約束」でとか予め意図して等自然体で達成されてるのはかなり減ったと感じられる。
以前別項でドラムのTom系とバスドラの3連符フレーズを演る際、頭拍にフットHatを入れると演奏し易くなると書いた。

これは太鼓に限らず各楽器毎に「生身の人が弾こうとする」と、何某か「拍子を取った」方が楽だったり確度が上がるからとその様にされている事が多い。
そしてこう云うのは楽譜に「絶対出すな」と書かれて無い限り、譜面を書いた側だって音符が書いて無い所で「チャカッ」とか演られるのは想定済み案件となっていたりする。

んでこんな風な人が奏で様とすると出る音ってのも、誰かが実演してる証であったり演者の存在を意識させる元ともなっている。
それがお題の「歪ませない」案件でも近似で本件ではオーディオ的な完全無歪は、
原則的に対象外だしそれで良いのだ。

<つづく>

2020年5月23日 (土)

音楽備忘録290 エレキGuitar歪ませない効能②

先ずは歪ませた場合の弱点詳細へと進んでくが、当然乍ら歪ませなけりゃ弱点が無いでも無い。
論点は楽曲や使用箇所次第でどっちの弱点が困るかって部分で、流行にも左右されるものの一寸本邦の現状は偏り気味と思われてならない。

楽曲と音色とか演者のキャラと歌詞のミスマッチも今では殆ど誰も気にしなくなってるが、毎度でしつこいが本流がしっかりあってこそ成り立つ亜流なのである。
事の始まりはアニメやゲームの世界で新鮮味や非日常感を得る目的で始まった様だが、行き過ぎて本流が何処かへ半ば消えちまっては元も子もない。

そして何が不利益に働いてるかってば、わざとであるかどうかはとても重要だったのだ。
わざとだったら最悪は歌詞の聴き取りを阻害してでも、「良く聴こえなかったからもう1回」なんて思わせるのも作戦の内だった。

只その為には意図した該当箇所意外は「楽に良く聴こえ」てたりしないと駄目で、ついでにそこの歌詞が倫理的にギリギリのになってたりとか良い意味で裏があったりする。
そうして計算尽くでやっても何時も成功するとは限らんけれど、それでも滅多に単なるお邪魔になったりはしない。

処がそうこうしてる内に打込みの安定度への対抗心や演奏技量不足を誤魔化せると誤認したせいか、要求されねば「歪ませとく」のが何時の間にか普通みたいになっちまった。
確かになぞるだけで精一杯の奏者に「加減しろ」ったって幾らも上手くなんて演れず、物凄く手間は掛るし音楽的スキルも要すが「分かってるMixer氏」にお任せしたらボーダーラインはクリア出来るだろう。

但しそこ迄するなら打込んだ方が大抵は好結果が得られるし、各音色の「中間領域」は使用不可となってしまう。
してこの音色中間領域こそが楽器が電気式か電子式かの大きな相違点で、物理的に実在の音源を持ってるかどうかの差から発生しているのだ。

音源実在はそれに縛られる弱点はあるが、それで出せる範囲の音ならどんな中途状態のでも途切れる事は無い。
だが電子式のは数は膨大でも「特定の状況下で鳴った」のへ後加工が可能なだけで、サンプリングされてないとかストックされてないのは基本的に出せないのだ。

それでも現代本邦の一般環境からすると爆音必須なのとかは使い辛くて仕方無いから、自宅では電子楽器でってのもそれ自体は大いにアリだ。
しかし何式であろうと例えばそれがドラムなら「バチで叩く」って操縦方法の大枠は全く一緒なので、音源を鳴らす指令を出すには何かの楽器が弾けなければ打込むしか無い。

近年の一般的用途では生或は電気式のより電子式の方がご利益の多い場合が常かもだが、それだってマトモに弾け無きゃ結局マトモには鳴らせないのである。
んでもしある程度以上にマトモに鳴らせるのなら、様々な点でバーチャルは必要最低限に抑えといた方が何かと後で助かるのだ。

端的に例示するなら歪ませないで録っといたのを後から歪ませたりは可能だが、逆は不可能でげしょ。
そりゃ幾らでも録り直しが可能で弾く度に必ず前回のを上回れる自信があるってんなら別だが、そんな達人なら端っから最適音色と歪ませ度を把握してる事だろうさ。

尤もこれにも条件があって、全体の基本線が最後迄不変であればの話しなのよ。
例えば録ってる最中にもっと良い歌詞が浮かんだりして、それにサウンドも急遽合せたいなんてケースもある。

しかも明らかに改良後の歌詞の方が良いのに何らかの事情でGuitarを録り直す暇が無いからって、明らかに良い方を断念するってのも勿体無い。
そんな時に限界はあるけれど加工自由度の余地が大きく残されてると、助かる確率がグンと高まるのだ。

それと近年の多数がかなり勘違いしてるのが、歪みが深けりゃ迫力や存在感の足しになると盲信してる類。
近年みたいに幾らでも深く歪ませられる様になるとそれ自体は今風の象徴かも知れんが、それは割と誰にでも買えるEffectorを買うだけで済む。

持ってた方が流行の端っこ位には掴まってられそうだが、他の皆とほぼ一緒では埋もれるの必至だ。
もし過去の名作としか張り合わんしそれに絶対の自信でもあるならワシャ知らんが、普通直接のライバルになるのは時代も世代も何も似通った相手になるよね。

本人が幾らJimi Hendrixの倍歪ませたヤツと思ってても、世間はそれより先にBABYMETALのファンとかじゃね位に捉えるかもな。
本家がFuzzを多用した当時似た様な使い方をしてる奴は皆無で、それからしたら今は逆をするのこそ美しき抜け駆けって事になるね。

<つづく>

2020年5月21日 (木)

音楽備忘録288 音楽も含めたテレワーク③

本項もこの辺で一旦終結させようと思うがテレワークは可能なら、結構誰にでも必要な処迄話は来た。
以前一部の音大では学校主導の動画アップがなされてるのに言及したが、正味な処それで表立った効果が出てるとは今の処は言い難い。

又既に一定以上の実績を持ってたりすると、高評価確実じゃ無いと出すのを躊躇してる人も結構居そうだ。
がそんなのは最早夢か幻かで、今となってはもうちっとも珍しくも何ともない動画発信等である。

結局多くの支持を得られるかどうかは内容次第なのは不変で、メディアの種類に依って多少優先事項が変動してるだけだ。
現実的に過去の名声!?を否定しちまう様な駄作をおいそれとは出すべきじゃ無いが、だからって構想を温めてるだけで上手くなれる物では無い。

最低限「傷が付かない」様にする配慮は要るが、本当に自発信出来ないとしたらそれは機材等の事情の方だ。
これすらスマホの普及で俺みたいな例外以外は障壁は無くなってるから、それなりに発表可能な手持ち作がある者は今すぐ録って上げとくのがお薦めだ。

特にアマチュアの方がこの影響は大きいと思われ、昔みたいに直接出向かないと聴けなかったのが変ったからだ。
有名人やプロのは殆どの場合レコードなりテープなりが売られてたし、大手系のならラジオやTVでチラ見する程度ならそこそこチャンスがあった。

一方数少なかった独立系の方は客には手間を要したが、Liveの一部を無料化したり意識的にテープの無償配布等も行っていた。
のに加え最大の相違は定点・定時的出演場所を設けたりして、そこへ行けば「取敢えず繋がれる」様な状況を用意していた処だ。

これは今だって完全に無くなっては居ないけれど、過去比では拠点数が増え過ぎたり○○専門の店みたいなのが減って探し当てるのが難しくなっている。
年寄りの戯言丸出しになるが活動時期の新しい人へ参考にボヤいとくと、昔はLivehouseに出演するの自体がかなり高いハードルであった。

初心者や下手クソが出させて貰えるのは特定のコンテスト程度で、例えアマ主体のLivehouseでもどの店もそれなりの品格を堅持していたのだ。
品格ったって相撲の横綱じゃないからお下品だったり態度の良くないのの方が多かったが、少なくとも趣味の合ってる人にはお金を払って損させる様な事は皆無だった。

例えば渋谷の木造3階時代の「屋根裏」って店ならPunkの殿堂として君臨してて、取敢えず何時行っても本格的なPunkを必ず体験出来ると云った具合だ。
つまりお客から見てある程度「アテに出来た」から、お目当てや知ってるのが出て無くても試しに行ってみるべかが成立してた訳ね。

今はこれは昔比では殆ど崩壊したと云え手間暇費用も掛かるから、余程の物好きかスカウティング以外でアテも無く足を運ぶ人は居なくなった。
多様化と量的膨張のせいで「拠点」が無くなったのは厳しいが、これからすりゃ何か1つでもネット上に上げとかないと「入口」が無いのと同じと思われる。

そうして入口を整備した処でこんなに大量に氾濫してると幾らもアクセスは期待出来ぬが、だからって無い入口からは絶対に入れない。
インターネット利用歴の長い従兄曰くブレイク迄に幾らでも時間が掛る覚悟が必要だそうで、この点では一面で「待つのが仕事」と言えそうだ。

勿論少しでも興味を持って貰う為の努力に休みは無いが、予測時期迄に想定通りの評価が得られなかったからって手を緩めるのが一番無駄なそうな。
現実的には労力と効果のバランスで先を決めるんだろうが、短期効率のみに目を奪われてあちこちを転々としちまってはいけない。

それではお客さん側から見て「アテに」なる場所が無くなってしまい、あんなのが聴きたくなったらあそこへみたいなのだけでも定着させるのが大変重要だ。
そんな受け身がもし嫌だったら受注生産とすれば良いが、盛んに「御用聞き」をして回るにしてもニーズのタイミングが合致するのは天文学的低確率だ。

それをするにしても結局「アテになる受付窓口」が必要で、どんな仕事が出来るのかもある程度知れる様でないと魅力も足りない。
でも考え様にに依っちゃ昔みたいに電柱に貼り紙したり外に看板を出すのしか無理だったのと比べると、お客さんが店員に接見せずに様子を知れるのは消極姿勢のお客さんには効果絶大だと思うんだけよね。

<この項一旦終了>

2020年5月20日 (水)

音楽備忘録287 音楽のテレワーク④

前回「含めた」の後部で何やら雲行きが怪し気になってるが、Drum録音に関して少々「愚痴の元」を抱えてたりもしたからだ。
自粛要請のお陰で自動的にその厄からは離脱出来た様な格好になってるが、そもそもの発端は今や音楽は記録するのが当然の物になったからかも知れない。

オジサンの懐かしい記憶に依ればかつては奏者側が録れるのはせいぜい練習を簡便に程度で、設備・機材・操作スキル等の事情で本チャンは専門家任せにするのがデフォだった。
俺の場合は金無し技ありと特殊境遇だったから今と大差無かったが、それでも機材の高価格の影響は免れずにいた。

今だって「ちゃんと分かってる人」がそれなりの機材を使うとクウォリティに差が付くが、スマホのみでも一応鑑賞に耐えられる程度の動画が録れちゃうと時代は変わった。
こんな今の環境で苦しんでる!?筆頭が私見ではClassic系の方に散見されるが、弾くだけなら電気・電子機器の操作なんて不要だったからだろう。

従前のアマチュアならせいぜい防音室の照明と空調が、最低限弄れればそれで事足りてただろう。
稀にはご身分次第じゃそんなのは全て下僕が整えてて当り前だったりして、そうでなくても家のリビングで弾いたりするなら誰か先に居れば既に環境は整ってそうだ。

尤も近年では欧州では木の保護目的で紙の譜面の使用頻度が著しく低下し出してて、こっちでも若い目のプロでは荷物等の都合で電子化して持ち歩いてる人も増えつつある様だ。
それでもPC系でメールを打って送るのと、音や画をキチンと記録するのでは結構な違いはある。

楽器趣味人の中には個人でひっそり楽しみたい人もある程度は居そうだが、そうでも無い限りはアマチュアでも自らの無発信は色々と不遇を生む様になって来ている。
特にそれを顕著に受けてるのがClassic系の音大生等で、大衆には少し敷居が高いのとJ-POPみたいな人気は無いのが災いしている。

例えばアニソン・ボカロ・ゲーム音楽が好きな者は大抵ネットや電子機器にも明るいが、古典系ではお客さんの方もこれらに疎めな人が多いと2重苦だ。
尤も近年は一部音大等では学校側が率先して動画を上げたりもしてるが、沢山上がってるとか直に見つけられるとなればお客側の状況も徐々に変わって行くだろう。

まあこれもある意味どれだけ瀕してるかもあって、もしとても世間的にマイナーなのを演ってたら人気度不問で片っ端から動画や音声ファイルをネットへ上げようとしてるだろう。
又例えば打込みみたいにLiveパフォーマンスがほぼ皆無だったり無理だったりしたら、完成作品の露出以外に世間に音を直にお披露目する方法が無いんだからね。

こうした芸術系作家の中で今時自発信をしなくてもセーフなのは、コミケ等の趣味の大会が安定開催されてる様な類の限定と思われる。
それだって漫画も原作なら大丈夫でも画を描くだけの人だったら、個人だけで完成作品を作れないから無発信では埒が開かない。

これが音楽だと作曲家でも今は譜面だけの発表では読取りが限定されるし、不特定多数がそれを見にやって来る様なイベントも皆無に等しい。
となれば仮に楽譜だけだったとしてもせめて自分で誰でも見られる様にしとくべきで、そうしてすら音や姿の印象が残せないんだから動画全盛の中ではとても苦しい。

だがそんな手間を面倒だと一蹴しては怠慢で、それは過去と比べたら一目瞭然だ。
実際体験した期間割合が多かったが昔だったら多重録音や打込みは簡単には出来なかったから、メンバー不足の時は何も正規のお披露目は出来なかった。

だからって妥協して誰かに協力して貰っても、意図の反映が不充分でこっちのイメージが伝え切れない。
或は単独弾き語りにするにしてもそれが正規のスタイルの人じゃ無いと、例えばコーラスも売りの一部にしてたりするとそこが披露出来ない。

それである程度の規模が要る人から積極的に取り組みだしてるんだろうが、近年みたいに生のジャムセッションや飛び入りが減って来るとソリストだってもう他人事では無い。
場の問題だけじゃ無く年寄り観点からだと一番気になるのは所謂「スタンダードナンバー」の衰退で、知らなかったり弾けなかったり共通事項が不足し過ぎてるのが何よりヤバイ。

これは実は個人発信に限らんが、誰でも知ってるので誰も知らないのを披露出来てこそ真の個性と言えるのに繋がっているからだ。
仮にどんなに個性的な音が出せても素人や初見さんは、曲のせいか編曲のせいか演奏のせいでそうなってるのか直ちには判別出来ないからだ。

<つづく>

2020年5月19日 (火)

音楽備忘録286 音楽も含めたテレワーク②

前回最後で「肝心な処が捗らない」がビジネスであればそれは=仕事であるが、今の内閣なんか態度迄不遜とは救い様が無い。
Rock系って元々反体制側だけど、それでも露骨に批判するのは好きじゃないけどこの有様ではね。

毎度の私的ではあるがこんなのがまかり通る様になった根源を探ると、労働実態より「態度を優先」させる様な風潮が蔓延したのがいけないと思っている。
どっちも悪くて良い事は1つも無いけれど、真の意味での優先順位を忘れちゃったら駄目だよね。

或は見栄え≒第一印象は良いに越した事ぁねぇが、猫も杓子もは一寸行き過ぎだったとね。
ヴィジュアルが売りの根幹ならそれで正道だけど、中身の方に比重のあるの迄そっちへ振り過ぎちゃしょーもねーや。

本邦首相の給料は多分他国比だと廉価だろうが、どんなに雀の涙でもそのまま溝に流すのと同じ様では無駄な出費だ。
この不景気に「働かない・働けない」奴なんかに払う余裕は皆無で、割高割安より兎に角仕事が進む方が先ず大事だ。

こないだかの「暴言市長」に関する記事を読んで納得したんだが、口は最悪でもちゃんとしっかり市の為に仕事はしてるんだそうな。
勿論口の悪過ぎにはそこの市民は恥ずかしくて仕方無いだろうが、市長の仕事の本質はナレーターとかアナウンサーじゃ無い。

それと似た感じでテレワーク案件についても所謂一般的なデスクワークでは、無理が生じるのは僅少なのでもっと平時から推進すべきだろう。
対して音楽等のリアルタイム合奏等では現行回線やシステムでは不可能に等しいので、こっちこそがわざわざもっと出向いて行うべきと考えられる。

それからすると正しい!?ラッシュアワーには背広野郎なんて殆ど居なくて、上から眺めたらきっともっとカラフルである筈だ。
しかも他にも訳ありで一般ビジネスより創作をする者の方が道具も多く、例え大柄屈強で担げたとしてもケース入りのコントラバス背負って自転車に乗れても今ある専用レーンじゃ狭くて走れないだろうからね。

と何時迄言ってても当分はどうにもならなさそうだから各自で工夫を凝らすしか無いが、この面でも本邦ミュージシャンはより逆境に置かれてる前提は認めとくしか無い。
無理な箇所へ執着してそれだけで諦めてしまうか、可能な処だけでも手を打って行ってみるかである。

私的には後者推奨で、それは後に環境改善が進んだりした時にも役立つからだ。
変な例えだが俺は現況携帯電話不所持なので積極的には学んで無いが、偶然遭遇したそれ用のコツ等は頭の片隅に留める様に心掛けている。

最初は遅れて持っても割と直に使える様にって腹だったが、その後は大分様相が変化して来た。
こっちは無くても相手は持ってたりそれでコンタクトして来る事が増えたので、多少なりとも相手の置かれてる状況は分からんより分かった方が何かと良いかと。

正社員の方には耳に痛くて済まぬが、無駄な通勤費用を払える会社に居る事は一面で誇って良い。
ホントに台所事情が厳しければそんな悠長な真似は出来ないだろうし、時間的にも通勤に取られる分は無効となるからね。

第1段階では残業を増やしてって・第2段階になると泊まり込んで、それでも駄目なら同僚等へ託してってのも人員が潤沢だったらの話しだ。
小説家等にだってスタッフや協力者は勿論付いちゃ居るが、完全に同じ分野を共同で担うのは不可能だ。

個人事業主ってな仲間に左右される度合いが少ない代わり、環境に無関係に元から真の意味での自己責任状態にある。
グループを組んでても自担当がたった1人だったらそこは個人でやってるのと全く同じで、代役を求めるのも自由だがそれをし過ぎれば失業なんですね。

それからすると別にコロナ禍とかテレワークがどうのとは無関係に、本質的には当初から工夫必須の業界若しくは世界と考えられる。
中でも映像系や音楽系は確認するだけで一々一通り頭からお尻迄再生してみなきゃなんなくて、その面で最低必要時間の短縮が不可能だ。

さすれば出向くの必須のリアルタイム合奏は仕方無いとして、在宅で可能なのは全てそうでもしとかないととてもじゃ無いが時間が不足する。
のに気付けないで居るのが身近にも散見されるが、恐らく全体像が今一見えて無いのがその原因だろう。

<つづく>

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