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2025年3月

2025年3月31日 (月)

音楽備忘録2052 今更米ポピュラー音楽から学べる事①

近頃は従来のに加え新Bandの始動にあたって、友人作品のコードアナライズ要請が多い。
それに等に際しふと思ったのが、編曲でのドレスアップ方法だ。

これ迄だって何となくは感じてたんだけど、主に黒人系由来だが米独特なコード使いのムードがあるのをね。
それがどうやら今日に新し目のお洒落にしたいなら引用せんといかん様で、米津玄師や藤井 風等も積極的に取り入れてんだ。

杜撰大王は彼等よりどマイナーで古株だから単純な真似をする気は無いが、
米独特なコード使いや進行を避けててはやはり厳しいんじゃねと思ったのよ。
その背景にはどうやら今劣化本邦の洋楽は、欧州由来のが多いからみたいなんだよ。

ってかそもそも純然たるClassicの時代には、まだアメリカ合衆国なんて無かったのよねえ。
それ故米生まれで在住の者以外無意識に世界の名作を参考にすると、自然と欧由来のコードパターンが多くなってんじゃあるまいか。

尤も日本オリジナリティとしては邦楽や民謡からネタを頂戴したい処だが、歌詞・曲想の世界観は未だしもサウンド面では洋楽とはどうにも致命的に相性が悪くていけねえ。(徹底的に深掘りしたら何か見つかりそうな予感はするが)
端的に云や導入すると演歌の方に寄ってっちまって、特にハードボイルドなRockにはちっとも似合ってくれへん。

加えてPopsやFolkの要素が残ってる曲だと、欧由来のでドレスアップしても今一そこから抜け出し難いんだ。
それでか国内でニューミュージックとかFusionの全盛期には、主にLatinから拝借して凌いでたね。

Latinやそのフレイバー自体は今もしっかり残ってるけど、たった1つのジャンルからの引用だと限界が高くない。
特に小編成でGuitarメインのアンサンブルだと象徴的なコードを押えるのが高難度なんで、そう簡単に本格導入は出来ねんだ。

それと現代ワールドワイドで主流のLatinって既に白人Jazzからの影響も結構あるから、洒落てはいても新鮮味は元からそんなにあった訳じゃねんですよ。
に対し黒人由来のPopsではかつては差別で正規Classic教育等が受けられなかったからか、クラシカルなのでも勝手に想像してやってたのも少なくないん。

その「勝手」が見当外れのは滑稽だったけど、一部才能に溢れた者達のは恰もClassic巨匠を直接ライバル視した様なのもあったん。
Bachが上がるなら俺は下げてやるみたいな感じで、明らかに影響は受けてんだけど少し別物になってたんすわ。

そんな地点から音楽の俺言い「合衆国ネイティブ」は始まってるもんだから、拙い文章力に知力と相まって一言では説明出来なくて悪いんだけどさ。(北米大陸のネイティブはインディアンで一部含まれてはいるがそれとは別物)
でも長年色々幾ら聴いても従前に確立してるどのジャンルの引用とも、何処かが違ってんねん。

私感最大の独自点としてはキー(ルート)が少々ヘンテコな処で、普通そんな流れだったらあんなキーでは誰も演らんだろうってな感じで。
例えばLet It Beみたいなのが浮かんだら声域都合でハ長調にこそ出来なくても、E♭とかF#みたいな余計な調号が付いて安心感に劣るキーに普通はあんましようって気にはなれない。

のが然もそれしかマッチしないと言わんばかりの雰囲気で、平然と演っちまってるのよ米ではさ。
別比喩をするなら安売り量販店で売値を、¥9,899と定めてるみたいな。

大雑把に言やどうせ約1万円なんだが、今劣化本邦の消費税込みでも1万超えないぞとアピールしてるみたいなね。
効率的側面からは支払う側もレジのオバチャンも手間が増えるだけなんだが、1万円ポッキリしか持って無い人にはウチでなら買えちゃうよってか。

-続く-

2025年3月30日 (日)

音楽備忘録2051 音プロの音楽の聴き方⑨

前回は又悪い癖が出てつい遠出しちまったが、今と比べたら当時は割と色んなジャンルが併存してたんだ。
そんな背景があればスピーカの個性も全方位的に広がってて、全体像の把握にはお誂え向きだったん。

と同時に今より全然PAに頼って無かったり録音嫌いの達人演者なんかも結構居て、聴く手段としてのLiveと録音も今より拮抗してた気がする。
そんなのが合わさって硬い音が好きなのも居ったが、同じ位ひたすら柔らかい音を好む奴も居たん。

すると総合的論調は変な偏りを許さず、少なくとも「意味のある」硬さ・柔らかさじゃなかったら大勢には認められんかったん。
のわ個人の好みとは正反対な音も巷に溢れてて、それを支持する者も少なくなかったからだ。

それで何が一番違ったかったら、「目立たぬ箇所での不自然な音」が断然少なかった処。
技術レベルの稚拙さとかでの変な音なら昔の方が明らかに多かったものの、マトモな音が出せるのに変に捻くれたのは無かったっつうかコンセンサスを得られなかったん。

して少なくとも半数位の柔らか派に対しては、どんなに明瞭度を欲しても硬さでは代用不可だったんすよ。
寧ろ達人技師になればなる程、硬さ以外で明瞭度を上げられるのが腕の見せ所だったんだで。

爺さん今時そんなの流行って無いって…はご名答だろうが、曲やジャンルに全く合って無かったり聴者に過負担を掛けるのは筋違いとちゃうか?。
黒プロダクションから強要されてとても聴けない連中を無理盛りするニーズが絶えないのは分かるが、下手過ぎる奴等のを幾ら盛った処でせいぜいマシにするのが関の山なんだよ。

因みにここでの下手とは一般論のテクでは無く、PAレス生パフォーマンスで聴くに堪え得るかって事ですぜ。
要するに基礎レベルに問題が残ってたら、その上の階層のが幾ら凄くても最悪はご破算になるってな。

多分最も明快なのが声量不足なんかで、どんなに上手くったって全然聴こえなかったらおじゃんでおじゃるよ。
でそんなのが聴き分けられんと適した指示が出せず、録る前にもう1週間練習したら見違える様になりそうなのを慌てて無理盛りしちまうとかね。

この様な判断ミスを駆逐するにも、万人に受容れらる音の範囲や程度を知れてると差が出るんすよ。
又前回迄に綴った類のはどんなに個性的でも無理はしてねんで、説得力とか訴求力が近年の超高性能なゴミとは違うん。

と言われても体験困難なのが多いしでどうすんのってば、理想は不変だがせめて理論的に悪い癖を減らそうとね。
今感覚で初対面の聴感が凄く良い音と感じるスピーカでも、客観聴すると結構色々癖が付けられてん。

手前味噌では常用中のJBL Control 1 Plus、サイズと元の用途のせいもあるが随分中高域が持ち上げられてる。
当時の流行りに寄せたり店舗内で指向軸から外れても聴き取れる様にした結果だろうけど、記憶にあるJBL名器のサウンドとはそのままじゃあまりにも違い過ぎた。

サイズ制約から諦め掛けてたのを、試しに周波数特性を補正してみたら少しはブランド独自個性が残ってたんだ。
例えば派手に盛られた感じ(可能なら計測して確認するのがベスト)のAmpで駆動するのに、同傾向のスピーカを使ったら行き過ぎになるでしょ。

-続く-

2025年3月29日 (土)

音楽備忘録2050 今更Rolling Stonesから学べる事➒

前回Brian Jonesの続きで、客観視すると最大の罪は本人にあったのは功績と共に認めない訳には行かぬ。
何せ麻薬での自滅には一切酌量の余地は無いが、それとプロとしてBandを続ける運営面の絡みだってあった。

唯でさえ不安定な業界で継続を重んじりゃ、安定路線へ全振りしたってしゃーないわな。
けれど聴者だけの立場からすりゃ冒険しないStonesには、以前の様な存在意義はもうねんですよ。

まあ良く云や差し詰め現人神だった天皇が敗戦後人間宣言したみたいなもんだし、過労死するよか前程じゃなくても元気で居てくれた有難味ってのはある。
だが作品の存在意義としてヤバい感を喪失した影響は計り知れず、すっと後の世代が感覚で心を射抜かれるなんてのはもう無理になった。

今劣化本邦では歌詞だけで世代間ギャップをどうにか処理しようとしてる感じだが、ジーパンとか死語を一切口にしない老人ってのも却って老いだけが変に際立つ。
そう云う理屈的なのは動かし難いが、何か良く分からんがとってもヤバいムードとかそんなのたったら時代の影響は殆ど受ねんですよ。

大昔従兄が独自感性でプロパンガスボンベの頭頂カバーが不気味な感じがして怖いとか言ってたが、ジブリキャラの巨神兵の頭部なんかも近似な何となくグロいデザインだったよね。
そう云う存在って偶然だろうと意図した物だろうと何時の時代にも何処かにあるもんで、モノを特定し過ぎなきゃ誰にでも夫々に妄想が暴走する様なのが必ずあるじゃん。

歌詞=言葉にだって概念的なのがあるにはあるが選び方が難しく、人に依って解釈や印象が千差万別だかんね。
珍妙な例えだが夫婦喧嘩にしたってお元気なのねの健全なのから、関わりたくなくてもほっといたらどっちかが身投げしそうなんて危機的なの迄色々ある。

のに対しムードそのものをサウンドから紡ぎ出させるその凄さは、もう全然比べ物にならんですぜ。
所詮は外野の身勝手な意見だけど、折角出せてたモノをあっさり放棄するとは何とも勿体無いですわ。

その一因にどうやらヒット曲を作るコツの会得がある様で、運を除けばそれが最も浮沈を左右するだろう。
だがそれは作曲家の話しであってシンガーソングライター、増してやBandとしてのお仕事じゃないんじゃないかなぁ。

今劣化本邦ではⅡで捻くれた著作権法の施行から無暗なオリジナル曲偏重傾向が伺われ、作曲に携わらないミュージシャンにも独自の個性やそのメンツでしか醸し出せないムードを軽視し過ぎちゃいねえべか。

又現時点ではまだ人力チームに匹敵可能なムードが機械力では全然未達で、音楽では残りがかなり減って来た人間の仕事だと思うんだ。
と同時に名門オーケストラ等と比べてRock Bandのメンバー交代の影響は原理的に大きいにしても、文化維持の観点からは何でそんな人選んじゃったのが多い事。

今はまだ辛うじてジャンルとかスタイルとしては残せてるが、こんな調子じゃ崩壊寸前の日産自動車みたいな哀れな末路しかないんじゃない?。
何れにしても杜撰大王世代が体感したStonesのヤバい感は、今の若い世代で体感するのは微かに過去録音作品だけでもう無理になっちまっただよ。

-つづくかも-

2025年3月28日 (金)

音楽備忘録2049 ’70年代Rockの浦島太郎㊳

今回は根性か要領かを副題に綴ってみるが、どちらを中心に据えるかに時代・世代の隔たりが著しい。
従来は単なる流行・流儀の差と考えがちだが、客観視してみれば手動・自動と情報量の相違に支配されてるんだ。

杜撰大王にとっての典型例は張本勲の過去老害発言「大谷は走る練習が足りん!」で、未だそれ自体が間違ってるとは思ってない。
けれど明らかに適用は誤ってて、TV取材VTRに他の鍛錬ばかり映ってたのが恐らく真犯人だ。

もっと絞りゃ当時の派遣記者の見落しで、選手の誰もが当たり前にしてるランニングに全く意識が向いて無かったんだろうな。
他局を出し抜くには他人が見落としてたり、当該選手だけが実施してたトレーニングにだけ気が行き過ぎたか。

かつて報道が映像より活字主体だった張本の現役時代なら、箇条書き程度でも練習メニューは漏れなく取材されてた。
いや実際には多少の欠落はあったんだが、これを俺は鉄道趣味誌の時代に依る文書の差から痛感させられましてん。

何故そんな差が生じたかってば、昔になる程活字でも字数・頁数制限が厳しかったのよ。
伝えたい情報の字数に対し、場合に依っちゃ与えられてた量の方が少ない位。

仕方無く人力文章圧縮に出て、苦労して取材した全部を伝えられんかと腐心してたんだ。
又取材方法にも大きな変革がありメモ書きの束と自身の記憶を後で整理するのから、映像や音声を取敢えず延々記録しといて抜粋して編集したり書き起こしたり。

そうすっとスクープ要素は逃し難くなる代わり、全体像は古い手法より実は伝わり難くなるんすよ。
俺言い「1億総マニュアル忖度化」して久しい現代、書かれてれば理解するがたまたま書き洩らしがあってもそこへの意識が著しく希薄化しとん。

要するにどっちかに偏ると効率が低下するんだから、根性と要領のバランスこそが大事だと思うんだがね。
その証拠の一端になるのが昭和当時の野村克也で、闇雲根性当時にデータ≒客観的観点を進んで導入した。

今なら大谷翔平の「欠場しない根性」等、偏った風潮の逆側にも関心を寄せた者が成果を上げてんじゃね。
んで今更良い点だけについてでも時代錯誤な根性論なんかを説くのは、齢取って何もかもが昔より億劫になるとより必須になって来たからなんだよ。

頭で分かっても体が追い付いてないケースが↑に該当するが、ならば体が元気で頭が先に呆けた方がマシだったのかってばそうじゃない。
深夜の徘徊や食べたばかりで食べたがる等、逆の方が周囲への負担が段違いに大きい。

それでもし気分だけでもハッピーになれるんなら良いが、他人の迷惑顧みずとも自宅が分からなくなったり飢えた気分を味わわされる。
わ兎も角障害への見方を変えての心労軽減も大切なものの、最後の最後は根性で勢いを付けてやり始めるしかねんですよ。

この一面で究極の局面に立たされた時、無用に理性が勝ったりすると最終的には中止とか断念の一択しか残ってない。
体を壊したりしない範囲で、時にはある程度無理(主に心理面
)もしないと殻は破れないもんなんすよ。

-続く-

2025年3月27日 (木)

音楽備忘録2048 今更Beatlesから学べる事⓬

彼等はChorusを売りにしてたからそっちから綴ったが、実はLead Vocalも初期には一風変わってたんだ。
その歌唱法こそが実は上達へのショートカットなんだが、案外皆気が付いてねんですよ。

どんなのかってば敢えてシャウト以外の小技を殆ど封印して、作曲・作詞・編曲だけで勝負に挑んてたん。
多分半分は最後に落されたデッカのオーディションに原因があったんだろうけど、その時のデモテープでは演奏技も盛り沢山だったんだよ。

だが当時の彼等には後年のVan Halenみたいな革新的な演奏技は持合せて無かったのもあってか、恐らくは自分達最大の売り自作曲を中心に据えてみたんだ。
のわ当時の状況が大いに反映してて、歴浅若年世代は彼等を含む一部を除けば作曲面が弱かったんだ。

その意図的差別化は見事成功したが、それにしたって格別な美声揃いでも無いのに直球歌唱オンリーにするのはかなり勇気を要したんじゃないかな。
ってのも一般感覚で本職歌手と言えばビヴラートやコブシ等のテクが水準以上の印象があるが、それ等装飾技でホントは主役が決定されてる訳じゃないんだけどさ。

寧ろ一切の小技を封印して歌っても曲終わり迄聴けるかが最重要で、小技付きの方が味は出るものの曲自体(メロディ)は何もしない方が断然分かり易いんだ。
実際それを実行するにはメロ自体がかなり高水準な必要があるし、基礎力がかなり高くないとボロ隠しの小技レスでは厳しい。

んだが素人が軽く耳にした程度だとそれが全然分からず、唯メロを歌っただけの様に聴こえちまったりするかんね。
何せ表面的にはプロじゃないと出来ない技が全然出て来ねんだから、そう感じても何の不思議も無い。

加えて近年視覚面でも直立不動で歌うのは皆無に近いが如く、素人のカラオケですら小技を使える方が称賛されるしね。
これは野球界でも直球のみ・変化球を使ってもたった1種だけで勝負に挑む投手が居なくなったのと同様で、結局は直球を滅多に打たれないレベルへ磨くより目先・小手先でかわす方が早期に実現可能なのもあるからだろう。

しかし過去に変化球で有名を馳せた投手の多くは、直球の質も高かったから一寸曲げるだけでも打者を翻弄出来てたんすよ。
どちらさんでも大スターが現れ難くなったのはこのせいで、基礎力レベルがそこそこで止まっちゃってるからなん。

初期BeatlesのLead Vocalって確かに完成にはまだ遠いレベルだったけど、本当に大した事無かったなら小技レスで曲終わり迄なんか聴けない筈ね。
幾ら曲レベルに恵まれててもアルバム全般が殆どあんな唱法だけなんだから、基礎レベルに秀でて無きゃ最後迄聴くに堪えられる訳ゃねんですよ。

処が目立った技とか一切出て来んし音程感やリズムも別次元に凄かったでも無いから、上辺の巧さがちっともありゃしない。
結果大多数の聴者にはそれが盲点となってて…、まあ歌唱以外も全てがそんな感じなんだけどね。

のを覆せるとしたら自身で歌って本人に迫ろうとする事で、なまじ小技禁止なんで究極の茨の道が突如行く手を阻むのよ。
その対極にあるのが他の有名歌手の「1フレーズ物真似」で、例が古くてスマンが森進一の「お袋さんよぉおぉおぉ」とかは取敢えず大きなビヴラートさえ似せられれば他人に理解して貰える。

これだって実際にはそこだけが特別秀でてた訳じゃねえんだが、戦略的意図もあったか大衆には最も印象に深い。
けれど昭和世代でも門外漢の杜撰君なんかだと、彼のヒット曲は一杯あったのに他に数曲程度しか記憶に残って無い。

-一旦終了-

2025年3月26日 (水)

音楽備忘録2047 音プロの音楽の聴き方⑧

前回スタンダードの基となるスピーカブランド別の音個性を体験せよなんて語ったが、杜撰大王位が辛うじて普通にそれが出来た最後の世代だったかも知れませぬ。
私感ではCDの登場が境界線で、要はそれだけアナログの方が影響が大きかったからだろう。

デジタルオーディオ普及後に育った人に
は信じられんかも分からんが、CDであればどんなにチープなボロいので再生しても超高級機でも全体としては別物に聴こえたりなんかしない。
ぅんがぁレコードとそのプレーヤの場合はもうホント極端で、先ずレコード盤の種類・材質・グレードで全然違ったんすよ。

最下層のソノシートってのは書籍のオマケに付いて来る様なので、今だとクリアーホルダーには流石に負けるが下敷きより薄くペラッペラなビニールに溝を無理矢理掘ったヤツでなぁ。(視点を変えりゃ当時は革新技術だが💦)
安価でカラフルなのより多分そもそもは↑みたいな目的にはその薄さと、普通のレコードより割損しないのがメリットだったんでしょう。(実際は油断すれば紙みたいに折り目は付き易かった)

無論そんなんしたら溝が極浅くなっちゃうし材質が普通のより柔いから、単に低音質な他にかなり狭帯域になっとりゃーぁした。
盤が柔らかい→溝を精細には掘れない→高域になる程記録不可だし、下は低周波になる程溝の深さが必要になったからだ。

普通レベルの方でもCDと併売になると商業的黒意図があったか知らんが、外周は未だしもレーベル(中心)近くはかなり露骨に歪む様に改悪されてまつた。(CDの高音質をアピールする為わざと低音質化した?)
加えて再生装置も良くて針だけしか交換出来ないポータブルプレーヤから、常人では持ち上げらんない程重くて厳密な駆動装置・制御回路の載った是又常人には全く手が届かない超高額なの迄あったがね。

そんなだから極端比喩すりゃ玄関インターホンから金満ヲタ専用って位、出音にも広大な巾があったんだよ。
のを少しでも良くしたいのは山々だが、専門家推奨の各装置全体のグレードアップは金が掛かり過ぎて庶民にゃ無理。

となりゃせめて各自が一番ネックと感じる箇所だけでも出世を狙う訳だが、それには良い方での商業的差別化アピールが有効だったんだろうねえ。
のがスピーカでは現代のと比べたら明らかに物理性能的には殆どで劣るんだが、例えば全盛期のMiles Davisをそれで聴いたら他のに絶対負けないなんて個性が付与されてたん。

半分は偶然全盛期がダブっただけだが、高音用HornスピーカはJazzの管楽器再生には今でも今のよりゴキゲンなサウンドを出してる。
まあ確かに元がラッパなだけに出す方もラッパの方が合いそうだが、蓄音機の時代のはあんまそうじゃなかったもんね。

しかし期せずして今で言うヲタ専用として、ターゲットを絞って追及して最適なサウンドが得られてたんだ。
それ故21世紀頃以降はClassic録音スタジオのコントロールルームにYAHAHA MS-10があっても平気になったが、昔だったら「何でTANNOY無いの」であそこは使えませんなと即なってた事だろうよ。

わ兎も角昔日本でそんなのに皆が躍起になったのも、今より生で聴けなかったからなんじゃないかな。
ClassicやJazzはBeatles登場後に最新ジャンルから転落してたし、噂に名高い演奏家も徐々に減り始めてたしさ。

-続く-

2025年3月25日 (火)

音楽備忘録2046 今更Rolling Stonesから学べる事➑

アさてBrian Jonesの後任達の貢献も少なか無いが、彼の功績抜きにStonesを語ってたら杜撰大王にしてみりゃ一見さんかお上りさんみたいなもんなのだ。
単純に色々良いだけなら先発のBeatlesに対し唯少し若く後追いなだけで、唯一のライバル的地位になんか上れやしなかったん。

今となっては大昔のBeatles解散後は実質独り勝ち状態で、それが恐ろしく長く続いてっから分かり難いのも仕方ねっけどよ。
当時の英のアイドル的若者でBにさえ無く、彼等にだけあった個性こそが最重要なんだよ。

容姿は良い方だが普通・歌詞は多少のスリルこそ内包してたが、何と言ってもサウンドの俺言い「ヤバい感」が圧倒的だったんよ。
例に依って稚拙な文学力から最適表現になってない公算が高いが、独特な緊張感っつうかスリリングっつうかさ。

それが映画007みたいなフレーズやアンサンブルをほぼ使わずに達成してたのが新規で、Brian脱退以降どんどん弱まってるから聴いてみそっての。
技術的には編曲の影響が一番大きいが、あれは理屈や形だけ真似ても得られないもんだから一般には殆ど理解されてないんだろう。

のわ普通編曲っつうと楽器構成や仕掛けを先ず考えるもんだが、彼のはもっと根本レベルで尚且つ鋭敏な感性に従ってのものだったんだ。
その結果多くは特に目立つフレーズなんかでそれをしてなく、けど聴き込むとたった1発のアコギのカッティングなんかが雌雄を分けてたんだ。

それと奇抜な楽器登用は傍目には子供騙し感が残るが、本当はもっと全然深い処で意味のあったのよ。
例えばUnder My Thumbは今じゃ有名曲でMarimba(木琴)の入ってないLive Versionの方が恐らく耳慣れてる人多数だから気付き難いだろうが、どっちかったら硬派なRockへいきなり↑を入れるのってかなりリスキーよ。

今なら↑の前例があるからそんなに大変じゃないが、初めて導入して大成功させるってとんでもない離れ技っすよ。
木琴なんか入れて全体はメルヘンチックにならない様にするのって、自身で試してご覧あそばせ。

更に木琴系で苦労するのが余韻の短さで、殆どの場合それが原因で絶対何か裏メロ程度のは作らなきゃなんないん。
鉄琴系みたいに伸びてくれりゃちったぁ白玉も使えるんだが、特に昔の低音質録音じゃホントアタック音しか拾えねんだから。

っと言うからには杜撰君たった1度だけだが録音で演った事があって、カセットのピンポンに依る多重録音且つ昔の子供用の木琴だからボロい太鼓より遥かに余韻が短くて参ったで御座るよ。
何れにしても全ては「ヤバい感」の為に実施されてて、彼の脱退後に可能な範囲でこれを維持してたのはBill Wymanだけだったね。

そのBillすら抜けてからは少なくとも杜撰君には特別な興味が消え失せたが、どんなに格好良くても唯一無二のヤバい感が無くなったんなら他のBandでも良いからだ。
彼等程じゃ無いが日本の昔のRockにもそんな危険な匂はあって、もしそれが無かったらあんなに冷遇されてたんだから今はきっと微塵も残って無かったんじゃないかなって気がするね。

今は音楽界でも方法論が優先されてるが、本当のムードを醸し出すには全くそんなの向いてねんですよ。
個人のセンスへの依存度が高く確実性には↑より劣るが、人間独自の感性に磨きを掛けてそれを出さんと絶妙は得られないんだけどねえ。

=つづく=

2025年3月24日 (月)

音楽備忘録2045 ’70年代Rockの浦島太郎㊲

今日は長く続けてると生じるブランクについて綴るが、若い時には例え不慮の怪我で強制的に休みになっても回復が早い。
のが齢を重ねるにつれ肉体の回復は遅くなるし、それ以上に生活に関わる諸々に忙殺されての復帰機会逸失等色々な障害が立ちはだかって来る。

不慮の事故に次いで意識不足の不摂生での肉体故障に襲われたら諦めるか新手段に打って出るしかないが、それで無くても老化補填対応等に追われて中々しんどい思いをさせられたりするもんだ。
この面での最高幸運は気付いたら続けてしまってたになるんだろうが、厳しい現実は滅多にそんなの許しちゃくれない。

肉体面も然る事乍ら気力や意欲の継続が更に至難で、逆にそれに浮沈が無ければ盲目的に有効度の著しく低い努力を続けてたりするんすよ。
あとほんの僅かで何かが出来そうな時、人は自然と追い続けたい心境になる。

が当分続けて何の成果の片鱗も見えて来なきゃ先ず萎えるし、そこでへこたれなかったらそれは素晴らしいが何か大事な要素を忘れたままの徒労を知らずに続ける事となってたりする。
のを思えば壁にブチ当たる実感が無いっつうのも考えもので、唯の夢ならそれもアリかも知らんがリアルで実現させたいならそんなマインドじゃ困る。

私感では10万か100万人に1人位なら才能や勢いだけで進化し続けられる者も居ようが、それですら大きな挫折無しでは進化時期の終焉が定かじゃないし何時訪れるか不確定だ。
演ってる間中僅かでも進歩し続けられる為には立ち止まる機会も必須のもので、従前以上に自然と深く考えてしまう時間が大切なのだ。

普段ロクに考えず行動する感性派の杜撰大王だからじゃねって、それでより痛感させられたのは確かだろうけどね。
どんなに普段から全方位に熟慮してても、想定外の壁にブチ当たりゃその解決には新発想が必要な場合が多い。

加えて頭でっかちになってると他人に示唆するには足りても、自身で実現するには練習や実験が必須だ。
編み物とか・絵画・小説から工作や電子回路趣味では未完に終わるのも少なくないとは言え、全く作ってみようともしないなら収集ヲタなだけ。

音楽でも演るのは僅かで満足出来るなら良いが、かなり自身で演ってみないと実際には満足感を得難い。
その意味では一般屋内系趣味より、遥かに屋外系のスポーツなんかに近いんですよ。

それが昭和の頃迄は世の中何でも「手動」の方が多かったから、特に↑みたいな意識をせずとも多分当然の様に出来てたんだがね。
只でさえ加齢で億劫になってる処へ、昔と比べたら今は何でも「自動」の世の中だ。

から昔はリアル楽器で実演したが今は打込み専ってんなら上記みたいな葛藤をせずに居られるが、時代は令和でもエレキだのBandだの昭和以前に登場してたのをやろうとすりゃ「今普段はしなくなった手間」が付き纏って来るのは至極当然なのよ。

そしてかつて実行出来た者には多少の劣化はあれ演れてた保証がある訳だから、やたら急いだりしないで調子がある程度戻って来りゃそんなに苦にはならないん。
と分かってても腰の重いのが加齢のなせる業だが、最初から欲張るのがもっといけねんですよ。

-続く-

2025年3月23日 (日)

音楽備忘録2044 今更Beatlesから学べる事⓫

もしかしたらこれから暴露する真実はショッキングかも知れないけど、所謂ピンの歌手に確実になれるのは才能を偶然持ってた者に限られる。
特に今劣化本邦では容姿重視が凄く、相当実力があってもマトモに聴き込まない大衆も少なくない。

のでかつて以上に映え忖度が激しく、では持てない者は単に諦めろと言うかったらそうでもない。
その典型例が古くはジャニーズのグループ商法、その後は更に大量に増員したAKB商法等がある。

実はそのルーツは昔の日本のお家芸「人海戦術」にあると見てて、それを魔用比喩したのが「赤信号皆で渡れば怖くない」なのだ。
一般平均生活水準が欧米等他の先進国の比較対象になったのは平成以降で、栄養も環境も劣ってりゃ仮に同等の素質を持ってたって充分には育たない。

令和の今でこそ最も遠くへ沢山打てるのは大谷翔平だが、彼等以前は個人単独の力量では間違いなく劣勢を強いられてたんだ。
これには他にも寒冷地の狩猟民族と温暖地の農耕民族の差も加勢し、更には民族的な平均体格の優劣迄追加される。

ので個人単独での勝負となればダントツ1位は大谷でも、2~10位には実際日本人は先ず入れない。
只他の順位にも目を向けて例えば50〜100位となると恐らく日本人が最多になり、100位以下で日本人が居るとしたらノンプロなんじゃないかな。

非指令サイドの警官なんかも能力は高い程良いには違いないが、寧ろ1人でも駄目な奴が居たらそこから犯人は逃走するんすよ。
音楽でも最高だけがどんな箇所にも適してる訳じゃ無く、グループ内に1人かなり劣る者が居る方が全体のパフォーマンスは低下するん。

その者に絶対歌わせないってんならまだ話しは違って来るが、そんなに不要なら毎回誰かゲストを呼んで来た方が仕事が捗るさね。
まあBeatlesの場合は売れる程度こそ違えど全員がソロでも食って行けてるが、世間の他を見渡せばグループ時代しか活躍出来て無い方が多数派だ。

その中で歌も演ってる人でハモりの可否は半ば死活案件で、そこそこハモれるかどうかが運命の分かれ道と言ったら大袈裟かな?。
グループ脱退前に歌唱力以外でレジェンド化したなら未だしも、アンサンブル内で歌唱力が有効化させられなけりゃカリスマ的歌手からのオファーを指を咥えてひたすら待つしかなくなる。

ここでの有効とは全曲は無理でも合う曲ならLead Vocalが取れるとか、それ以外の曲で必要とあらば何時でもハモれるのを意味する。
運良く容姿に恵まれてて担当楽器を構える姿が誰にも絵になってるとか以外、突出したスキルが無くば総合得点が評価の対象になるんよ。

特に小編成アンサンブルではかなり決定打で、歌える者は何も弾けない弾ける者は一切歌えないとなると両方出来る集団に対しもうその段階で出音が半減する訳ですから。
実際The Jimi Hendrix ExperienceやVan Halenではあまり印象に無い人も居るか分からんが、Chorusレスのより付いてる作品の方が断然多いべ。

但しこの域に到達するのは想像するより簡単ではなく、なるべくならたった1曲だけでも構わないからLead Vocalを取れる腕前が要るんだ。
楽器でも同様に伴奏とメロの片方だけが極端に上手くなる事って無くて、そりゃあーた歌う・弾くの自体は同じだからだよ。

=つづく=

2025年3月22日 (土)

音楽備忘録2043 音プロの音楽の聴き方⑦

今の最先端にしか興味が無い人には価値は低いだろうが、敢えてかつてのスピーカブランド別の相違を綴っとこう。
その真意は同じ音源がスピーカタイプ差で、どの位違って聴こえる巾があり得るのを体感する為なんだ。

現代ではレアケースに遭遇しない限り昔より格段に差が減ったのは良いが、代わりに例えば音源を硬くしといたら硬い音になるスピーカでどんだけ悲惨な結果を招くかなんてのが見当が付き難くなったんすよ。
それがどう今に影響するかったら、どう云う好みだろうと安全限界はこの辺かなってのが実感確認が不能となった処。

具体的には数回元気な時に聴いて平気で気に入ったのが、病身になって唯一の娯楽と頼って聴いたら駄目でガッカリしたみたいのを防ごうと。
これは一例で殆どそうならないのと競合したりすると、長い時間や諸々の状況を経れば評価の差が拡大するからだ。

それも必ずしも作品寿命を長くしたいのと限らず、出してすぐ後にもっと良好な音質の近似作品を誰かに出されたら即オワコンになる事だってあるのよ。
この意味での音質って元来は音響技師にその責があるが、近年の打込みみたいに後から弄れる箇所が極端に少ない作品だと製作者にもその分責務は生じてんすよ。

考え方としちゃ作って録るのが楽になった分、抜かりの無い作者なら自然と前より音色や音質にも注力する余力があるだろうってな。
さて具体的な傾向としてはJBL:ドンシャリ・ALTEC:艶やか・Electro-Voice:生真面目、貴重な柔らかさを持つTANNOY等が代表的だった。

因みに日本勢を入れてないのは舶来趣味だからじゃなく、強いて言えば控え目の良さはあるがどの路線でも典型的では無かったからだ。
つまり優等生的で普段不特定の者が聴くなら好成績だが、個性がやや不明瞭だから大体どんな音質(音色)のがあるか知るのにはあまり向いてねんですよ。

具体的には低域がモヤってて他のどれでも聴き取り切れなかったのがJBLでだけは何とか分かったとか、高域が硬くてうるさくてどうしようもないと思ったのがTANNOYでなら何とか聴けたなんて具合でね。
それを趣味として活用するなら単に好みのを選びゃ満足感に浸れるが、制作提供側に立ったら逆算して調整しなきゃなんないんだ。

加えてこの位で良いだろうと思ったのが↑みたいなどれでも、本当にセーフかどうか良く考えんとね。
それには各傾向で極端なのはどの程度違うもんなのかを先ず体感しとくのが良く、要するに音聴取版火災訓練みたいなもんすわ。

厄災は最高運なら生涯唯の一度も遭わずに済むかも知れないけど、完全に想定外にして安穏としてるといざって時にパニック&思考飽和しちまうでしょ。
冷静に対処出来りゃ唯のボヤに留まり一寸びっくりで済む様なのでさえ、最悪の対処をしちまったら全焼・即死にすら被害拡大するかも知れない。

音楽でアマチュアだったらそんな酷い結末にはならないが、頭真っ白になったせいで解決出来なかった悔いは一生残るんじゃないかな。
だいいち上手くすれば越えられる壁に絶望して、趣味を1つ失うのもアホらしいやん。

無論追及すればほぼ永遠の課題にはなるが、大凡を知らなかったが為にそんなになったら大損でんがな。
そこで今から試聴するに際し留意点があって、全体としてはそんなに高音質じゃなく不完全でも他より突出した箇所だけなるべく正確に記憶しとく。

のは開発が進んだ代償に昔より個性が弱まったり曖昧化してるからで、なるべくなら各ブランドで最も個性が強烈だった時期のが聴けると良いんだけどさ。
残念乍らオーディオブームが遥か昔となった今、そんなのが聴ける機会が激減しちゃったん。

=つづく=

2025年3月21日 (金)

音楽備忘録2042 今更Rolling Stonesから学べる事➐

かなり本題より拡張になるが、前回の俺言い「安全シャウト唱法」案件の続きだす。
Mickにしても当時のお仲間にしても共通なのが、シャウト完成・常用より単になるべく大きな声で歌うのが先だったのがミソその1だ。

併せて「なるべく力強い声で歌う」のも目指してて、こちらは肉体の成長度・完成度の都合で一部の者は当時時点では未成だったけどね。
但し声色の小細工なんかでそう聴こえる様になんかせず、全身全霊でそれを出そうとしてたのは十中八九黒人唱法からの導入だ。

前回提示で最も歴の古いGospelって簡単に云や教会の聖歌隊で、しかしその頃は殆どの白人教会で差別から締め出されてた。
が故に独特な進化を遂げてっただけで、経済的にも極度な差別を受けてたから彼等はMicなんか全然使えなかった。

そこで人力で極力音量を稼ぐニーズが自然発生したんだが、上記事情から正規の声楽教育なんて受けられなかった。
その結果編み出されたモノでオペラと共通なのも含まれてたが、白人が発明したのとは異なる方法となったん。

それが俺言い「発声時の息の過給(ターボ)」で、それに依って今で言うシャウトの一種になるのを拒絶しなかったんだ。
人間心の底から助けてと叫ぶ際、声色を一々気になんかしてらんないべ。

但しⅡで誰かに届くのが第一目的だから、音量は決して下がっちゃ不味い。
ので喉の小細工は使えなくなり、他の部位で何とかしようとしたらああなった訳だ。

のが白人ではあったが社会から眉を潜められてた点で彼等は被差別サイドに位置してて、当時の権力者が好む様な連中と比べたら当初はかなり明確に虐げられてたん。
環境が悪くPAはあってもチープなVocal Amp程度でいてお客はエキサイトして煩いとなりゃ、大声で歌えなきゃそもそも誰にも聴いて貰えんかっただよ。

そんな状況では1に聴こえた2に強かったが先で、声色なんてその後になるのは必然。
その面では今劣化本邦の現況とは真逆で、声量が足らんかったら聴こえなくて漏れなく評価無しの烙印を押されたあるよ。

更にオペラ等より大抵はお客のお行儀が良くないとなりゃ、より歌詞の聴き取り易さに注力しなきゃなんない。
音楽性を損ねぬ範囲でそうしようとしたのが黒人系の発声方法で、様々なジャンルや唱法がある中でこの面では実はこれがニュートラルポジションなんだ。

あまりそう思われてないのは黒人固有の癖の強い発音や声色のせいで、聴き味とは裏腹にかなり丁寧に歌ってた人が多い。
そしてコレをある程度以上マスター出来ると、安易に喉で小細工に走る気が段々失せてくのよ。

更に続けてる内大声で歌っても余裕が出て来て、その余力を使ってOverdriveも段々出来る様になって来るんだ。
この方法で限界に一番近付けたのが意外にも非Metal系のMick Jaggerで、恐らくシャウトより兎に角継続的に大声を出すニーズに迫られてたからなんじゃないかな。

尤も近頃は加齢対策か延命策でこの頃の過激なのは全く演らなくなってて、そのせいで余計にまさかと思われてんだろうな。
何れにせよ昔の黒人歌手も含め歌以外のサウンドに判断が釣られてては、シャウトの真相や本質に迫れ
ないんじゃねえべか。

-続く-

2025年3月20日 (木)

音楽備忘録2041 ’70年代Rockの浦島太郎㊱

今日は又杜撰大王流の変態思考が始まるが、嫌が応にも痛感させられた「歌唱力」の劣化ざんす。
俺は現状ボーカロイド不所持だからまだ救われたか分からんが、ものの1ヶ月程全然歌わないで居たら恐ろしい劣化ぶりに冷や汗かかされましてん。

に懲りて気持ちだけはもう妥協やサボりは止そうと決心したんだが、単に齢取ったからで済ませたくないと何となく感じたんすよ。
で何が引っ掛かって納得行かなかったかったら、環境変化の影響も見逃せないと思ったん。

但しテクノ等が一般化する以前に音楽を始めた世代の話しで、要するに昔は自動演奏とか多重録音を利用した独りBandとかの実現ハードルがとっても高かったんだ。
今だって杜撰君は変わらず生演奏志向だが、作編曲の骨格を確認するのに今は打込みを利用するのが常態化しててね。

のは昔から機械に一切抵抗感が無かった他に、確実性・時短・省力化で勝るからなん。
上記を順に少し詳説してくと、先ず音色等のせいで本当は当たってる音程等を見逃さずに済む様になる。

時短は全パートの試奏が不要になるからだが少し難度の高い演奏なんかだと、僅かしか弾かない為でもウォームアップ等を省略出来ない。
で今日は何だか中々暖まらんなとかやってる内に、騒音防止条例(自主規制含む)の抵触時間帯になってパーとかさ。

これが演奏家だけに従事してたら違ったろうが、何か作らん事にゃ演奏材料が底触する訳やからね。
そうしてる内に結構毛だらけ猫灰だらけ心境になって、何時しかこの方法の副作用を失念しちゃってたんすわ。

中でも殆ど無意識にしょっちゅう歌ってたから、あの程度は何時も歌えてたんだってのをね。
これは音楽演奏の基礎や習慣が育まれた若い頃に打ち込みって手段は無かったんで、今からすればプチお試しですらどうも自然と練習の一端になってたらしいん。

ソリッドボディのエレキならAmpに繋がなきゃ深夜でも気楽に弾けるが、爆音ジャンルの歌や太鼓じゃそうは行かない。
そんでも専業演奏家だったりすりゃ現代でも隙あらば的に実演機会を狙ってるだろうが、必然性が低下すればその分無意識で居たら実奏機会が減ってたんだ。

又グループミュージックを好む場合、必然性の無い独奏意欲は合奏と比べると欲が弱い。
自他共に昔は誰かの協力が無いとハモりを試せなかったのが、今は機械力を借りれば単独で試せてしまう。

飽く迄私感に過ぎないが↑も合奏機会の減少の一因になって、逆につまらない単独練習(人次第じゃそうとは限らないが…)の機会が増えてんじゃないのかな。
珍しく!?他力本願な見立てだが実際に上手くハモった時の満足感って格別で、少なくとも歌ってる本人達にとっちゃ他で得難い満足感があるんだよ。

常時だと相手に呆れられるけど、たまにだったら失敗しても笑いを誘う等で気持ちは決して負の方向に向かわんし。
なんてぇのがかつては簡単に出来てて当り前な印象になってたが、今になってみるとたまたま運が良かっただけだったのかも知れない。

こんなのも無自覚で老害化する内の1つと思われ、環境対応の一部が旧態化してたとも言えそうだ。
かくなる上は取敢えず僅かでもその気になったら即実行する事で、例え成果が上がらなくてもそんなのもう気にしてる場合じゃない。

イチローや大谷みたいなストイックさは適性にも依るんで必定じゃないけど、普段は滅多に携わらない癖が付いたら後がもっと苦しくなる。
一度波に乗ったり習慣付いてしまえばきっとそんなに意識しなくて良いんだろうが、そこ迄持ってくのが齢取ると結構大変らしい。

-続く-

2025年3月19日 (水)

音楽備忘録2040 今更Beatlesから学べる事➓

続いてはメンバー全員に共通なChorusワークへ言及するが、私判定ではRock・Pops系では初めて黒人に拮抗した白人と思うがどうでせう。
それは幾つかの要素の上に成立したんだが、音楽理論的にはそのお陰でシンプルな演奏でもテンションコード等がふんだんに実現させてたのが嚆矢ざます。

アホな杜撰君だからご多聞に洩れず若く歴の浅い内は、凝ったコードなんか弾けなくてもオサレな曲を幾らでも作れると誤解してたわ。
確かに作曲者が奏でなくても誰か何かで必要な響きを加えられりゃ可能だが、ジミヘン逹と違って少なくとも表面的には誰も難しいコードなんて滅多に彼等は弾いてない。

その絡繰りの裏にはChorusの存在が重大で、半音だろうとテンションノートだろうと必要とあらばハモりで補ってたんすよ。
これを実現するにはどんなにLead Vocalが上手くても簡単に他パートに釣られたりしちゃ駄目だが、それにはグループ全体の歌唱スキルに何が要るかだ。

音域に目を向けると一応JohnとRingoが低目・PaulとGeorgeが高目に分類可能だが、Doo-wopの連中みたいに綺麗に音域がバラけてる訳じゃ無い。
それで色々歌おうとすると常に誰々さんは一番下にハモりを付けるとかが不可能で、大凡の振り分けは出来てもどのパートを歌うかを人次第で固定するのは無理だ。

そんな処から歌唱力でも汎用性が決め手で、全員がLeadも凝ったハモりも出来なきゃ成り立たないんですわ。
これが現代では中々厳しくなってて、悪い意味でChorusも分業化が進んでてさ。

っつうか今劣化本邦程じゃないにしても、声色や存在感を重視すれば例えハモれなくてもその持ち主を中心に据えた方が良い。
但しそれは純粋な歌手の場合で、作編曲や演奏がセットになって魅力を発揮する者達にはあまり適用されない。

これに関し「セーラー服と機関銃(夢の途中)」を生贄にすると、万人への心地良さでは美声の薬師丸ひろ子のバージョンの方が良かった。
ってか↑がヒットした時点では作者のバージョンを殆ど誰も知らなかった訳だが、後に来生たかお自身が披露すると少々古めかしく暗くはなるがかなり深い味わいを持つ曲なのが一目瞭然となる。

因みにこの時作者は薬師丸氏の事は存在すら未知で、幾らプロでも「誰々向け」って作り方は不可能だったで。
極端なケースだと名作が出来たは良いがフィットする歌手が中々見つけられず、渾身の作品が長らく公表出来ないなんて場合も。

わ兎も角偶然全員シンガーソングライターが集う事となったのが発端で、全員が主役と脇役を兼業しなきゃなんなくなりましてん。
のでもしか当初は不得手克服で夫々に苦労もあったか分からんが、後のお籠り時代にそれが功を奏す。

何でも歌えるのを活用して、人数分以上の多重録音Chorusの実現に発展したんだ。
一聴別物の様に聴こえるQueen等のChorusワークだって、Beatlesのがもし実在しなかったらもっと実用化に時間が掛かってたかも知れねんですよ。

他にも小編成の特にトリオだとか4人でも楽器は3人等の場合、Chorusが出来ると実質約2倍のパート数になるんだからその差は甚大だ。
そりゃある程度売れてからならChorus隊なんかも付けられるが、売れる為にこそChorus等は必要な場合が多いですから。

-つづく-

2025年3月18日 (火)

音楽備忘録2039 音プロの音楽の聴き方⑥

さて本項ここ迄は概念や意識の仕方を綴ったが、実用域ではその他にやはり知識が必要なのでそれへ言及してこう。
その1は音響機器への一般評で、私感とは別に把握するのが大切なのだ。

その副産物として私感を別とするのには、自身の感覚・好みが世間平均内で何処に位置するかが知れるから。
と同時に説明上手に直結してて、海外渡航に際し取敢えず簡単な英語だけでも習得しとくのなんかと同じだ。

聴くのとその判定を正確にするのが第一ではあるが、それを実際に反映させらんなきゃ殆ど意味が無くなっちまう。
この段階で問題になるのが意思の疎通で、最低でも標準と比べたらどこそこ寄りですよなんて表現が出来る様にならんと。

当然相手が感性が似てるとか共通項が多い程翻訳量が減って楽なんだけど、それに甘んじてるとそのタイプの人達の弱点を是正出来ない。
理想は万人夫々に最適な表現が可能な事だが、誰でもそこ迄上り詰められる訳じゃない。

からこそ最低限だけは死守しときたい処で、個性の強い者程残念乍ら苦労させられる。
だが苦心はしてもクリア出来た暁には、個性≒独自性はとても大きな武器になるんだ。

その2は機器等の差が再生音にどの程度どんな風に影響するのかで、なるべくなら各傾向で極端な例の代表的な処は実体験が望ましい。
のわ物理特性と感性の関係が大多数の者にとっちゃリニアには程遠いからで、悪い意味でスポンサー臭ふんぷんの専門誌記事なんかに騙されるのも防げんのよ。

一般心理として体験ハードルの高いヤツには、苦労して実体験する価値があるかどうか↑等で先に様子を伺いたくなるのが人情ってもんだ。
だが好みの他商売になれば儲けが絡んで来て、特に近年は各業界全体に効果が波及する様な論評は皆無になっちまった。

資本主義をやってる限りはこの傾向は避けられなく、本来ならそれを教育分野で補填しなきゃいけないんだけどね。
今劣化本邦では公的機関は増える手間暇を毛嫌いして、情けない事にボランティアに丸投げ状態だ。

まあ日本って昔から内実は中小下請け依存体質だったが、近年新自由主義に感化される迄はこんなに冷遇・切捨てはしてなかったん。
ので昔は売れない専門誌等には絶好の記事も散見されてたんだが、大企業だけが正義みたいな波に飲まれて散逸してもうた。

先頃惜しくも急逝した森永卓郎先生等は辛うじて世間への発言権が確保されてたが、それが可能だったのは一匹狼なのと先に既に知名度を持ててたからだ。
長らくはどっちかったら体制側に好都合な存在で、晩年に突如牙を剥いた様な状況だったかんね。

しかもそれが殆ど偶然のタイミングでの変身で、意図的に狙って猫被ろうと考えててもとっても難しい。
余程の人物でない限り人は良い思いをすると変わり易く、当初崇高な志を持ってても何時しか楽な低い方へ流されるもんだ。

こんな事を執念深く書いてる杜撰大王でも、歌や楽器の練習はいとも簡単に疎かになってるし。
って単にだらしないだけかも分からんが、だからこそ知性だけは劣化させない様に気をつけないとね。

感覚・運動能力・自身等と自ら特には望んでない習慣なんて、唯齢を取るだけであっさり想像以上に劣化しちまうんだからさ。
上記と比べたら聴くのは受け身で済み、最も楽なんだしね。

-つづく-

2025年3月17日 (月)

音楽備忘録2038 今更Rolling Stonesから学べる事➏

近年はいよいよMickのシャウトに言及する者が絶滅危惧に瀕してる様なので、杜撰大王如きだが知る範囲は書き残しとこう。
今だってやたら喉が丈夫なのとかシャウトの上手い奴は居なくは無いが、進境著しい喉関係の薬とか無い頃からずっと演れるとしたらその唱法の基本は唯1つなのだ。

その表れの1つにMickより年下なのに引退を強いられたSteven Tylerの存在があり、若い頃は無茶苦茶だったとは言え後年は全方位的に健康にも人一倍神経を使ってたんだけどね。
運以外で原因があるとしたら唱法の差と、素の声色のせいで異変や危険な兆候が捉え切れなかった事だろう。

Mickの場合のそれは少し高目なだけの普通の声色だから、僅かにすれたり荒れた位でも簡単に自認出来る。
とここ迄綴っててはたと思い出したのが、シャウターでロングライフな人って地声は結構綺麗目の人の方が多かったのを。

少なくとも’70年代迄にメジャーデビューした人にはほぼ当て嵌まり、最も汚い声になりつつも昔の曲を今も歌えるのが相棒のKiethですわ。
過酷な職場環境等で後年にはバッチイ声色に変化したのも↑みたいにそこそこ居るが、それにしたって喉に過負荷が掛かるシャウトをしてたら20年持てば上等なんすよ。

で安全なシャウト方法とは簡単に言えば大昔述の通り、エレキの歪みの原型と理屈的にはほぼ同じなん。
Ampを純粋にOverdriveされるのの方がシャウトでは安全唱法で、Effector等でこしらえる方が危険唱法。

なのは喉には電子部品みたいな働きが可能な機能は無いから、一時的なら兎も角継続的に歪ませ続けるのが無理なんだ。
一方俺言い「安全唱法」は単に息を余計に供給してるだけ、エンジンに詳しい人ならターボと近似な動作をしてんすよ。

それだって決して無限では無いが、その限界は歪ませずに大声で歌い続けられる時間とほぼ一致しとんの。
喉がもし皮膚や肉製で無かったらJazz Fluteでわざと尺八ぽい音色を出すのとほぼ同じで、後者をずっとやったからってFluteの音色が汚くなるなんて事は普通起きんやろ。

のは現行一般的なのは金属製なんで、息を吹き込む程度の力では直ちに変形したり劣化したりしないからだ。
この様に構造的事情から中々マスターし辛かったり呼吸器系を含む全身の鍛錬は要するが、他部位と比べたら脆弱な喉や声帯の負荷を極力軽減するのが唯一の道なんだ。

では何故それをHard系でもMetal系でも無いMickが早期にマスター出来たかったら、全く歪ませなくたってやたら大声でずっと歌い続けなきゃなんない環境に置かれてたからだよ。
私体験ではBeatles登場から’70年代一杯位がRockの全盛期だと感じてるが、その時期の大御所は観客数やそのエキサイト振りがホントに凄かった。

その割にPAが現代より脆弱だったから、実際に爆音を出さないと他のメンバーにすら聴き取れなかったん。
加えて舞台・Live規模の拡張も顕著だったんで、可能な限り前回より音量を上げてかないと不便で仕方無かったんだ。

ので聴感上は後年彼等を凌駕する音色・声色のパフォーマーが続出したが、純粋な爆音が最も要求されてたのはこの時期なんだ。
そんな背景で効力を発揮したのが黒人系由来の技で、歌唱ではGospel・Rhythm and Blues・Soul等で編み出された手法がね。

-続く-

2025年3月16日 (日)

音楽備忘録2037 ’70年代Rockの浦島太郎㉟

さて期せずして老害化・石頭化する経過が明らかになった処で、問題はどうやって対処してくかだ。
該当するか不明だが今杜撰大王が直面してる件を今日の生贄にして、参考方々話を進めてみませう。

云十年振りで昔の仲間から招集が掛かったその相手、30年以上振りで今はオンラインでやり取りしてる最中でね。
そしたらかつては爽やかで接し易いタイプだったのが、何時の間にか随分ノリが悪くなっててさ。

まるで長年柔軟運動をサボってたら、かつては体が柔らかい方だったのに硬い方に入っちゃってたみたいな感じで。
そんでもやり取りを続けると本質は驚く程ピュアなままなのが分かったんだが、どうも思考ロジックが硬直気味みたいなんだよ。

外見と中身のギャップも然る事乍らどうやらあまりその自覚が無いらしく、子供の理論で攻めても大人の理論で攻めてもどうも埒が開かない。
で普通だとこっちも齢取ってて色々面倒に思っちゃうんだけど、先ずは粘り強く急いで結果を求めない事にしましてん。

その根源は色んな自身の速度低下にあり、気が早っても全然体が追い付いて行きゃしなくなってっからね。
毎度お馴染み従兄の場合は凡そ5年前に気付いて3年前位に対処法を確立したのが、極力マルチタスクを避ける事だった。

どうやら本当は昔から苦手だったみたいだけど、上記以前は割と隠してたっつうか相手を気遣って表に出さない様にしてたらしいん。
カミングアウトしたみたいなその裏には結果的に責任を果たし損ねたってのがあるらしく、簡単に云や安請け合いを封印したって訳だ。

人間性質の改造が決して不可能な訳じゃねえが、生来得意な人みたいになるのは不可能に近い。
のが還暦を迎える頃になれば誰でもそれなりに社会での立ち位置が確立してたり、若くぺーぺーの頃程他人の顔色を窺わなくても済む様になってるかんね。

そんな処から素の性質が露呈し易くなるみたいで、本人の内心には大した変化は無いだけに新たな厄介事を生じさせるらしいんだ。
何事も慌てない方が良いには違いないが、かと言ってあまりにものんびりしてたら人生もう先が見えてる。

そこでもしかしたらそのせいで急いてるかも知れんと、心の片隅に何時も置いといたらどうだろう。
確かに実績を作るには期限があった方が良いし、幾ら趣味でも何の結果も残せず世を去る羽目になったら悔いが残る。

けれど急ごうにも若い頃のスピードを大抵は無くしてる関係もあって、以前より読みだけで対処しようとしてんだよね。
豊富となった体験を活用するのはベテランならではも、相談の段階で時間を取られ過ぎれば結局実際に動き出すのが遅くなっちゃうんだ。

のである程度苦言を呈してあまり理解が進まぬ様であれば、成功確率が低くてもお試しフェーズに進めるべき段階なんじゃないかな。
のが仲間で集まって何か企てる習慣って、大多数は学生時代のが根底にあるから中々スムーズに進行しないんだ。

その頃って時間や場所が半強制的に一緒とか近くが多いから、集まる為の労力がたまたま殆ど要らなかった。
のを手間も費用も掛けて出向くとなりゃ億劫に感じ、サッと集まって気楽に試す機会獲得のハードルが上がってん。

-つづく-

2025年3月15日 (土)

音楽備忘録2036 今更Beatlesから学べる事➒

今回は4人の中だと最も評価の難しいJohn Lennonだが、広大な視点で眺めれてみればその真価は案外単純で分かり易い。
ので誰でも真似出来る様な気がするが、参考にはなっても同等に演るのが実は最も困難な人だ。

そんなのがあったりするから正確な評価がされ難い様で、神と崇めるのも幸運なだけと評するのも居る。
杜撰君的には「損なタイプの人」と捉えてて、普段癖強なプレイが目立ってるもんだから真面目に大人しく演った分の多くは他の誰かのと思われてる節がある。

その一例でThe Long and Winding RoadのBassはJohnだが、浅はかな世間一般論では彼の演奏ミスだけが妙に強調され優れた点には一切触れられて居ない。
だがその時点でソロ作でのBass奏者の個人的好みのタイプが既に表出してて、音程の比較的離れた和音でのグリッサンド等が実演されてたんだ。

確かに不慣れに依る拙さは否定出来んがメンバーの誰かがそんなにショボいと思ってたんなら、スタジオ録音なだけに差し替えてた筈じゃんか。
少なくともこの曲にはそれで及第してたからそのままにしてあった訳で、言うなれば外野の身勝手な過大妄想の餌食になってたんすよ。

この点StonesのCharlieと少し似てるが、未だ曲や歌唱と比べると演奏や編曲力はとても正統評価されてるとは言い難い。
それ以上にトータルアーティストだったって論評が少な過ぎで、個別に重箱の隅突きだけで判定するから判断を間違ええるんだ。

又声色に恵まれたからと思ってるなら残念で、確かにそれはあったがBeatles初期に最もしっかり歌い切れてた歌唱力を失念しての評価が何とも下らない。
ソロになって以降少なくとも録音作品で↑の唱法をしなかったのも仇になってると思え、多分本人としては既に出来たものよりまだ演れてない唱法への挑戦を優先したんでせう。

その結果Beatles中期迄のが好きな人と後期からソロ期のを好む人で分断が生じてる様だが、同一人物が両方を演ってた事にこそ真の凄さがあったんじゃないかな。
そう力説する裏にどっちも後追いなのにその唱法をたまたま大体会得出来たってのがあって、是又たまたまほんの一寸後追い世代だったのも大いに関係してる。

聴く方ではBeatles末期頃からリアルタイムになったが、杜撰君聴いてすぐに自分で挑戦しようとは思わなかった。
それでソロ中期頃になって本気になったんで、古いのも新しいのもほぼ同時に挑戦する事になっただよ。

したっけ正統派なBeatles初期の歌唱法の方が難しかったり、本当に声が鳴らし切れないと駄目なんで攻略が後回しになったんよ。
のどんな箇所に苦戦したかってば、シャウトしなくても継続的に力強く歌わなきゃなんない処でさ。

これには体も喉もRock歌手として出来上がってる必要があったみたいで、技術的な面だけでは到達出来ずかなり歌い込みを続けてやっとどうにかって感じだったんだ。
その意味で中期迄の歌唱を聴かずにあーだこーだ語るのは愚ってもんで、後年はかなりアイデアだけを優先しつつもそれを着実に実現する地力があったのがほぼ無視されとりまんがな。

何れにしても生涯ずっと曲やコンセプトに不要な腕は表に出さず仕舞いで、少し残念な気はしなくもないけど真の実力を甘く見積もるのは大変危険だ。
そんな面はJazz等旧世代レジェンドに近い物があり、自身はピエロに見られても構わんからひたすらお客を楽しませたいとでも思ってたんじゃないかな。

-つづく-

2025年3月14日 (金)

音楽備忘録2035 音プロの音楽の聴き方⑤

さて次にAI等機械で分析困難なのが「硬さ柔らかさ」で、各要素の物理的総合特性と聴感が一致しない件ざんす。
前回から機械と人間夫々の得手不得手に言及してるのは、片方でしか殆ど判断出来ないのがあるからだ。

その内現状人間聴感依存のを一定以上聴き分けられなかったら、それじゃあ音プロの使命が果たせなくなる訳よ。
処がノリにしても今回の硬軟にしてもなまじ明確な指標とか基準が無いもんだから、それも意識した体験が足りんとどんどん廃れてくんすわ。

その意味で真空管とかかつてのTANNOY等の存在はとっても貴重で、各個人の好みとは無関係にそんなのがあり得るんだを知らしめてくれてたんだ。
それ等に共通なのが柔らかい割にさして明瞭度に劣らない点で、必ずしも高級品だからそうだったんじゃ無いんだよ。

そして録音等のモニタスピーカにも主に2つの役目があるんだが、近年は何時の間にか片方が軽視或は忘れられてるのがアウトなんだ。
今でも堅持されてるのがノイズ発見等の所謂「検聴」で、大多数が失念してるのが「実際の聴感」なのだ。

拙ブログでは随時警鐘を鳴らしてるが、どんなにノイズレスだってそれでは物理的欠点が無い証明しか出来んのどす。
えっ?欠点無いなら良かったじゃんなあなた、そりゃ唯の音だったらそれでも充分かも知れないけどさ。

音楽っつう嫌いな人には騒音になるかも知れない存在で、魅力や心地良さが足りなかったら本来は世に出せる代物じゃねえんすよ。
無論酷い雑音を放置するのは論外だが、欠点の有無より先に長所或は何等かの魅力が無きゃお話しにならんのどす。

だって上記した如くどんなに物理的ノイズレスにしといたって、耳にする人が生理的に嫌いだったらそれだけで騒音認定されちまうんだから。
そんで嫌いの中には聴くとすぐに疲れるとか堪えられないも含まれてて、機器や環境雑音等と違いこの箇所だったら出す側でかなりコントロール可能なんすよ。

こちらが干渉不可な部分があればこそ、可能な箇所はもっと配慮すべきと杜撰大王は思うんだがね。
それには散々聴き慣れて耐性が高くなってても、聴者に負荷が掛かりそうな音には常にアンテナ感度をMaxにしとく必要がある。

のを昭和感覚で例示するなら「子供には辛すぎるか」等、手始めに聴くのが自分以外の誰かと想像する等が良い。
但しそれも自身の現在の感覚が世間ではどんなか知っとく必要があり、最終的には無興味な人がどんな反応をするか等の実体験を積んだりしないと難しい。

ので他人が関る分は手間暇掛かってすぐには出来ないけど、自身で色んなタイプ違いのスピーカとかで聴くなら比較的すぐ取り掛かれてすぐ済ませられるん。
この面で何でも可能化した筈の現代は案外不便になってて、例えばFMトランスミッタ等が象徴的。

一時期は少し多機能なラジカセとかなら望んで無くても付いてて、所詮は擬似もラジオ放送で流れたらとかボロいラジオで聴いたらそんな感じになるのかが簡単に試せた。
因みに恐らく今ではかなり減ったろうが正にこの目的の為に、かつての録音スタジオのコントロールルームにはAURATONEの5C Super Sound Cubeってスピーカが常備されてたんよ。

アホな俺は当初はその意図をサッパリ知らなくて、何であんな低性能なのを一々備えてんのって思ってたわ。(救い難いアホ😢)
流石に現代レベルではあんなの殆ど例外的存在だろうけど、目先を変える宜しく耳先を変える効果は今でも無くなってねえぜ。

=つづく=

2025年3月13日 (木)

音楽備忘録2034 今更Rolling Stonesから学べる事➎

前回補遺でオンコードの件からMick Jaggerへと進んでくが、難しい或は使用頻度の低いコードフォームを一々覚えなくて済むのが利点1。
高度なコードスキルが無くても簡単に色々違う響きを探れるのが利点2で、多少編曲も含む作曲をしようとする人には絶大なご利益があるねん。

ここで云う編曲とはコード指定の事で、現代のポピュラー系作曲家の大半はこのタイプが要求されている。
ではそうじゃないのったら純粋にメロを紡ぐ職人の事で、このタイプは過去にだったらそこそこ大勢居たんだけどね。

打込み・ネット未登場の頃は作って録るのに必要な人員が今比では膨大で、何役でも熟せるマルチが居ない
限り中々少人数では作れなかったん。
そんな背景もあるから今よりずっと分業にするのにも抵抗が無かったし、作曲家・編曲家・作詞家夫々の人数も多かったからその中で趣味の合う者同士がチームを組んで仕事するのもそんなに大変じゃなかってん。

そんな事よりどんなに全知全能でも1曲仕上げる手間暇・労力が俄然多かったんで、ピンポイントで良いから一瞬で片付けてくれた方が他の皆が助かったのよ。
それがこっちじゃシンガーソングライター・あっちじゃSelf Contained Groupなんてのが流行ったもんだから、俺言い「ピンポイント職人」は激減の一途を辿ったんだ。

それプラスメロ作者の好みの響き(コード)を確実に与えるには、コードも一緒に作っとくニーズが高まった。
のがメロがポンポン想い付く人は大抵コードよりメロに興味が強い為、高度な編曲スキルが身に付くのは少なくとも編曲家タイプの人よりかなり後になってまう。

結果傲慢高名編曲家に勝手に嫌いな響きを付けられたりするのを、当分の間黙って指を咥えてるしか無くなると。
そんな「無理な我慢」を強いられるのを、この技が使えたらキャンセル出来るんすよ。

又だいぶ長くなったが本日のメインに進むと、数多の功績や魅力はあるが作曲力と歌唱ではファルセットとシャウトに特異性があったと考えている。
その内作曲力については証拠として爆売れがあるからここでは敢えて触れず、今劣化本邦では軽視され過ぎてる歌唱の方を取上げよう。

のを敢えて擁護しとけば歌唱で意欲的に様々な挑戦をしてたのが主に’70年代初頭頃なので、その時期の作品に疎いと凄さをまだ知らなくても仕方無い。
今ではメンバー交代にもスッカリ慣れた彼等だが、初回の交代にはかなり色々悩んで苦労したみたいだ。

のでヒットシングルは相変わらず出せてたものの、アルバムの他の曲は意外と知られて無いのが多いん。
しかし個人的には彼等の最も内容のが充実した時期で、多方面で彼等の力量の真価が表出してたんすよ。

んでMickのその頃の歌の何が凄かったかったら、シャウトの歪みが群を抜いてた事。
その声色ったら3分と持たず喉が壊れるんじゃって位刺激的でHard系よりHard、強いて対抗馬を挙げられるとしたら黒人のAl Greenか。

尤も2人共Soul系由来の手法だったからちっとも壊しゃしなかったが、激しさ表現に伴奏の助力を一切求めないのが稀有なのだ。
正反対の典型例としてはOzzy OsbourneのCrazy Trainがあり、高くか細く強力なシャウトが出来なくてもMetal系を演れる証拠になっている。

そんな事から私体験では上記2名を凌駕するシャウトには未だ出逢って居らず、尚且つ一般傾向とは逆を突き詰めてたのがミソだ。
しかも黒人系なら近似な者も多少見つかるが、当時の白人(しかも英)ではそんな奴は他に居なかったよ。(もしかしたら今も)

-続く-

2025年3月12日 (水)

音楽備忘録2033 ’70年代Rockの浦島太郎㉞

最近ネオ昭和なるサブカルが勃興し少し脚光を浴びるのは嬉しいけど、浅はかな年寄りが安易に乗っかろうとしないか心配だ。
実体験がある価値は揺るがないが、心身共に当時を維持・継続してる人は稀。

無論加齢や時間経過に依る必然性のある変容は仕方無いが、厄介なのは「変わった自覚が無い」若しくは実情より希薄なのがねえ。
そんなバイアスが無意識・無自覚の内に掛かる原因として、案外「強烈な原体験がある」事の副作用なのではと考えてんだ。

記憶に焼き付いた自分以外のもの全ては永遠に不変なんで、まさか自身が別人に見える程変化してるとは認め難いのだ。
特に昭和当時絶好調でその後に何のインパクトも無く過ごした場合が危険で、一般論では所謂「過去の栄光に依存」してるパターンだ。

杜撰大王は今も続く貧の数少ない利点で今現在を生きざるを得なくなってるが、若い頃の夢は沢山見てももっと年老いてからのは今ん処殆ど見ないから充分予備軍的資質は備わっちゃってんだ。
この様な現象は恐らく順当なもので、実際可能性は齢を取る程減ってる訳だからねえ。

けど最高潮の時期が昭和だったからって、何でもかんでもリンクさせて考えちゃ不味いんよ。
音楽その他の作品とかで想い出≒思い入れが他を上回り、それに愛着を持ち続けるだけなら罪にならんがね。

もしそれをそのまま他世代に分かれと言ったら典型的な暴言で、尚且つ理解不足の人に向かって残念なんて態度をしちゃうのも不遜すわ。
いや俺だって全く残念と思わん訳じゃねえんだが、それは飽く迄こっちの私的案件で世間全体の認識とは別物なんだよなぁ。

別表現をするなら好きと良いは独立させるべきもんで、その根底にもしか世間評価が低い物に対して個人的には好きなんだっつう勇気不足があるのかな。
日本って普段は体裁や見栄に不必要にうるさく、それでいて呑みの席になったら何でも無礼講が罷り通るみたいに皆で勘違いしてる国だよねえ。

そこから外れると「あいつは変わり者だ」なんてレッテル張られてたが、今生き残ってる昔の人は昭和の本音と建て前の真相理解が足りなくなってんだ。
人と違うのを変わってないと言うと認識が変と勘繰られるから取敢えず表面上そう言ってただけで、それだって少々無責任だが個人的にどう思ってるか迄は言及してねんですよ。

なんて今では杜撰君こんな風に語ってるが昭和当時には堅く考え過ぎてて、一方向から眺めた理不尽さに最大限反抗してた口ざんす。
のは周囲が感覚で掴めばかりで、誰一人としてそんなアルゴリズムを教えてくれなかったからなんよ。

その内自然と分かると言われたが、成人するのと昭和が終る迄には結局分からなかったやないかい。💢
こっちだってアホの自覚はあったが、お陰で酷く生き辛い思いを散々させられましてん。

まあ白人社会では相変らず差別が横行してるみたいで、何処にだって大きな欠点が残ったままだけどな。
只そんな昭和当時は少数派の苦体験をしたんで、時既に遅しだけど真相に辿り着けたんすよ。

これも失敗しなきゃ学べないのの1つで、つまり昭和当時にイケイケだった連中の方が老害化が進んでも自認出来難いんじゃないかな。
あと分かった処で直接即自分の得にはならないのもあって、中々一歩目を踏み出せないのかも知れないね。

=つづく=

2025年3月11日 (火)

音楽備忘録2032 今更Beatlesから学べる事➑

んだばGeorge HarrisonのGuitar奏法の特異点だが、一般的にはSlide奏法王辺りが代名詞だろう。
それは毎度の如く決して間違いじゃないんだけど、杜撰大王観点ではピック弾きメインにして必要に応じ独特な指弾きを追加した処なんじゃないかなぁ。

昔の人だから全部指でも支障無く弾けたんだろうけど、ピックにも指にも夫々弱点があるんすよ。
前者はアルペジオを一寸高速化させただけでもう鬼オルタネイトピッキングが要るし、指は指でチョイーンガチキチャーみたいな少し凝ったカッティングをしたくなったらもう絶望的だ。

それからすると指を使うにしても常にピックを「持ったまま」であれば、様々なフレーズに即応出来るって寸法だ。
そして奏法違いでの音色差を最小限にしようとなれば、足りない時だけ指で弾くのが最適解なんすよ。

で彼のが独特だったのは「追加の仕方」で、恐らくそのヒントは指弾き達人のをピック弾きに変換する過程にあったんだろう。
でその達人ってのがポピュラー系初代Guitarの神様Chet Atkinsで、その当時存在した音楽ならジャンル・奏法不問で何でも弾き熟しちまってたん。

因みに世間一般での評は2代目がEric Claptonだが万能ではあるが彼はほぼピック弾き専門だし、初代ですら曲毎に奏法を使い分けしてた。
のでその面も含めると本来はGeorge Harrisonであるべきなんだが、ここでは追及するのは止しとこう。

ほんで話の核心になるのが「どんな際に指を追加したか」で、常人が考えるより一歩も二歩も深い観点を持ってた処。
尤も曲に必要性を感じないと披露しなかったからそんなに多くはないが、Help!の歌に入る寸前のフレーズ等が典型例だ。

開放弦を2本含む弦4本での俺言い「一方通行アルペジオ」になってて、このフレーズ自体が他楽器で着想を得られるか既にGuitarで弾ける人じゃないと想い付きもしなさそうな代物で御座居。
要するにアプローチの方向性自体は後年のVan Halenと同じで、実演する為の追加策が違っただけなんだ。

そう云う脳内ロジックだからかSlide奏法の方でも一寸奇特な処があり、普通なら音程感の確実性から隣の弦に移動するのが意図的に最小限に留めてる。
って何だってば、かなり離れた音程へ移動する時も可能な限り1本の弦の移動だけで演ってんの。

それが大きい音符だったらそんなに大変じゃないんだけど、Slideバーを素早く遠くに動かして正確な位置で止めるのは中々難しいんすよ。
他楽器でそれを強要されるったらTrombone位で、でもよく考えてみるとSlide量は多い程その特徴の効果は大きいんだよね。(Synthe等でのポルタメントみたいになる)

現時点で特徴の為に苦難を克服したのは彼のみで、Slide奏法は誰にも分かり易いが本質的にはアプローチの相違から来てんですよ。
それを実現可能にしたスキルとして「カーレーサーヲタ」だったのもきっと小さく無く、3次元空間感覚が常人より磨かれてたからなんじゃないかな。

カーレースのサーキットって目印皆無じゃないけど、コース以外殆ど他の競技場みたいに等間隔で線なんか引かれてねんだ。
それ故毎回自分なりの指標を見つける必要があるし、それで得た感覚で更に肉体動作をシンクロさせなきゃなんないかんね。

=つづく=

2025年3月10日 (月)

音楽備忘録2031 音プロの音楽の聴き方④

さてさて何でも一々「ノリ」に拘る杜撰大王ではありまするが、聴くっつうテーマでも拘るのは近年の動向も大いに関係あるのよ。
打込み普及はとっくだがAIの台頭で拍車が掛かったのは、ほぼノリ(グルーヴ)以外なら最早コンピュータやAI様の分析力の方が人間を凌駕しつつあるからだ。

実はこんな旧式な杜撰君でも時々AIのお世話になってるのが、曲の検索なんすよ。
中でも完璧では無いにしても無意識パクリ危惧回避で、かつてみたいに新旧何でも知ってる人が身近に見つかり難くなったしね。

↑の該当者は街のレコード店とかオーディオショップの熟練店主とかで、現状最後の頼みの綱だったのがメディアヲタのレンタル店主だ。
それだって守備範囲を逸脱したら定かじゃ無かったのが、AIでは理論上守備範囲の限界ってのがそもそも無い。

そうなって来っと人に判断可能でAIにはまだ不能な、ノリの聴き分け等の重要度がホントは凄く高まってるんすよ。
今日は珍しくとっとと具体例へ進めると、例えば俺言い「非力なBONZO」。

えっ?何の事ってばリズムタイミングや強弱の感じはクリソツなのに、音色やパワーはまるで違うモノって意味な。
んでそんなのを「大失恋したばっかのBONZO」とか勝手に命名したりして、けどそう云う俗称で例えると少しは他人にきっと分かり易くなるやんか。

そう云や色んな物の説明をするのに、昔より↑みたいな別称を最近はあんま訊かなくなったなぁ。
わ兎も角そもそもノリ(グルーヴ)の理論解析が遅々として進んでねんで、AIを利用しようにも基礎データが全然足りてねんですよ。

もしかしたら世間全体での認知度が低いとかそんなので、研究に人員も予算もロクに与えられないで居るんかいな。
だがどんなアホや鈍感君でもやたらノリの良いのと悪いのが、全く同じに聴こえるって事ぁ先ず無いんじゃね。

それと個人的に今力を入れてるのがClick使用の是非とか、生演奏か打込みにするかとかだ。
古いジャンルでリズム変化の大きいのは未だ生演奏の方が好まれるし、料理の味でも絶妙なさじ加減となると機械製造食品はあまり見向きもされてねえじゃん。

その一因に今食べるのがどんな人(状態含む)か迄は確定してないのがあり、「美味しんぼ」の世界観宜しく百選練磨の料理人が食べる人と直接対峙でもしなきゃそんなのどうしようも無いよね。
黒人霊歌「聖者の行進」みたいな一種の泣き笑いとかのレベルになって来っと、人間独特の変な感情が現行AIじゃまだとても手に負えないべ。

人間だって予備知識ゼロ+英語力ゼロ+無解説で聴いたら、大抵は楽し気で調子の良い曲としか思わんだろうけどさ。
ほんの一寸重要情報を与えられれば、スーダラ節とは全く別物らしいとほぼ誰もが分かるっしょ。

そんな例外っつうか楽しい音でも悲しい曲ってのが、AIには通常論理に反してるから混乱するですよ。
これに似てリズムの微細なタイミング差も単純にほぼ一定で早い遅いなら判定出来るが、ランダムだと現行の内包データじゃ処理不能なんだ。

つまりは頑なに機械を否定してんじゃなくて、どう共存・分担するのが最適かって話しなんすわ。
もし夫々に苦手な箇所だけを担当させたら、時間や手間は膨大に掛かるしそれでいてロクな結果が得られないじゃん。

物理的特性計測には機械の全自動で、ってかなり昔からPCソフトにそう云うのがあって常用しとりま。
その分で生まれた時間で人間の方は、感性的にどうなのかの判定へ注ぎ込みませうとね。

-つづく-

2025年3月 9日 (日)

音楽備忘録2030 今更Rolling Stonesから学べる事➍

世間一般にはお待ちかね続くはKeith Richards回だが、作曲にも大いに関係する当時としては独自の奏法でがんす。
今巷では彼ってぇとオープンチューニングや6弦外しが有名だが、真髄であり誰でも直ぐに導入出来るのはそこじゃないんだよねえ。

但しほんの一寸だけ必須スキルがあって、最初に人差し指だけで弦3本が気楽に押えられる様になる必要があるねん。
この技術ってJazz系等を除くと大体'60年代~’80年代のホピュラー系ではそれこそポピュラーなプチテクで、これが出来ると伴奏でもリードでも飛躍的に巾が拡がるんだ。

その中でテク的に彼のは最もベーシックなもんで、
上記で2,3,4弦を押えそれへ中指と薬指を追加したりしなかったりする事で成立している。
こいつの最大の利点は鍵盤の右手だけを取出したも同然で、所謂オンコードが理論上2番目に簡単に操れる様になる事でしてな。

因みに1番目は全く普通のコードを押えてオンコードの成立するヤツだが、音の組合せがかなり限定される。
のが2番目の方法を選択すると一切制限が掛からず、Charやジミヘンみたいな奇特な押え方をせずに似た響きの得られるのがミソなん。

尤も少ない弱点としてアンサンブル内の誰か他の人がルートを鳴らしてくれんとアウトで、上出2人はトリオ編成で他に依存せず実現しようとしたからああなったん。
何れにしても奏力Upに直結してるのもあるが自在に使える様になる事で、「作曲で使えるコード」の範囲が大巾に拡大されるのが決定的に大きいん。

そしてこれこそが彼が生き残れた根源で今は知ってる者が少なくなったが、少なくとも元々はBrian Jonesの方がGuitarを含め全然上手だったんやで。
弾き乍らChorus付けるのだってそうだったし、編曲含め他楽器を操るのだって全然上手だったん。

尤もデビューから幾らも経たん内からヤクでどんどんラリってって、全く使い物にならなくなるのにそんなに時間は掛からず離脱しちまったんだけどさ。
それは兎も角作・編曲も含めての代表作を提示するとしたら、Start Me Upが杜撰大王の一推しだ。

初っ端の彼のGuitarだけ聴いてると曲のキーはCに聴こえるが、皆が入って来てみたら正解はFでしたってアレやがな。
これ鍵盤では勘の良い奴なら比較的初期に発見するヤツで、右手のフォームはほぼそのままに左手だけズラせば済むん。

それを見つけ易いのは例えば左手単音で右手指3本のAm7、左手はラだからAだが右手だけだとドミソ(順番は変わる場合あり)=完全なCになってるんだよ。
のがGuitarだと途端に演り難くなるのは、ルート音だけズラすのに向かないチューニングが一般化してるから。

のをStonesではBassももう1人のGuitarも居たから、思い切って鍵盤の左手分を省いてみたら至極簡単になる事に気付いちゃったって訳。
正規音楽理論やオケ系のアンサンブルでは昔から既にあった概念なんだが、Rock系の小編成でも不可能じゃ無いんだとね。

-続く-

2025年3月 8日 (土)

音楽備忘録2029 ’70年代Rockの浦島太郎㉝

引き続き音楽での第2の人生的活動論で、今日は作品内容の時代性に言及しよう。
大衆は懐かしむ等以外は新しい物≒今迄聴いた事が無い物へより興味を持つもんだが、独断だが現役のジャンルと過去形になった物では扱いが異なるん。

広義のRock・Pops系等が現役で無礼承知の上でClassic・Jazz系等は退役組とするが、これは現在大きな利益を生み出す可能性での分類ざます。(っと言っても最近は前者も厳しくなって来たが)
飽く迄現時点の状況であって将来的には過去組が電撃復帰を果たす可能性もかなりあるが、どちらにも夫々留意点があるの自体は一緒なんだ。

前者には僅かでも構わんから従前とは違う要素が要求され、後者では歴史・文化的特徴の維持とか再現が求められる。
その内年寄りが大冒険しないんなら上記後者を選ぶのが多くなると思うが、それなら下手に安易に当時は存在しなかった機材や手法を使うのが愚かなんすよ。

何故ならもうそれだけで本人以外には「違う景色」になっちまうからで、恐らく普段皆が思ってるより音楽って現実とか具体的な存在だからだ。
その一例として例えば「当時100年前の楽器で奏でるClassic」なんつうと、ある程度限定はされるにしても必ず興味津々になる者が居るやんか。

そしてもう1つの考慮点が大抵自分は過去奏者本人では無い点で、唯でさえ人が違うんだから楽器迄違ったら何処が本物なのか似ても似つかないのが出て来るんじゃないかと不安視させるんすよ。
特に今劣化本邦だと歴史・文化的側面への対応が粗雑且つ醜悪で、本人達は悦に入れても脳内イメージの異なる他人(親しい身内等も含む)のそれとは何処かが違うのを失念してるのだ。

どゆ事かってば本人達はイメージ+現実で満たせりゃ満足感が得られるが、他人にはイメージの差で多くの場合合格点には到達してねんですよ。
敢えて実力不問としても中身も外見も偶然そっくりだったりせん限り、他人には違う人が違う事を演ってる様にしか見えないやんか。

もし姿を見せず正体を明かさず音だけそっくりなのをネットのみで公開するなら未だしも、人前に公開したがるのは承認要求強目の人になるから難しい。
その上正体不明では世間に広めるのがより困難化するから、誰からも見向きもされないのに労を費やす人はほぼ居ない。

故に一般論での見掛け倒しとは異なる面で、最低でも何処か1箇所位には本物を携えとく必要があるんじゃないかな。
それが面白い事に完全自己満集団の自覚がある方が案外他人に通用する要素を持ってて、そうじゃない連中に限って何故か他人にも分かる要素が不足しちゃってるんだよなぁ。

どうやら自覚に問題があるらしくそんな独りよがり氏、実は若い頃から既にそうだった可能性がある。
それを若さや容姿その他で中和してたから事無きが得られてただけで、今だったらそこそこまだ若きゃパフォーマー情報一切を非公開でネットに上げてテスト出来る。

のが今の年寄りの若い頃は無理だったから、少なくともハッキリとNOを突き付けられた経験が誰にも無い。
せめてコンテストか何かに1つ位出て、落された経験があったら良かったんだけどね。

それと完全なブランクってのも怖いもんで演る方以上に、聴く方を暫く休んでると忽ちプチ浦島君位にはなってんだ。
さっき同世代の知人がマンモスうれびーは完全に死語化してても、チョベリグはまだ大丈夫とかトンチキな事抜かしててドン引きしたばっかだ。

確実に昭和は過去だが、昭和の戦後より平成の方が長かったのを忘れてまんがな。
恐らく平成の流行語には昭和の程興味が湧かなかったせいで、その人の中の時間軸が歪んじゃってんだろうな。

-つづく-

2025年3月 7日 (金)

音楽備忘録2028 今更Beatlesから学べる事➐

Ringoの残りを書いたらGeorge HarrisonのGuitarへいよいよ突入だ。
と言いつつ最初は全員に共通なのだが、真の百戦錬磨の腕前は殆ど誰にも追随不可能な程のもんなのだ。

単純なキャリアだったら彼等を上回る者多数だし、拙ブログで並行連載してるStonesの方がトータルLive数ではとっくに上回っている。
だが劣悪環境下での過酷体験値には結構差があり、彼等の前に近似な先輩が居なかったのに起因する。

杜撰流に言うなら「英のChuck Berry的存在」で、下手すりゃ米の←本家以上に誰も未遭遇の困難に対峙しなきゃなんなかったからだ。
中にはBeatlesが大嫌いとか無縁のつもりで居る人も居ようが、現行のRock系Bandスタイルを演ってたなら何処かに必ず彼ら由来の手法を日々利用してんすよ。

尤も今劣化本邦ではPA過依存から使わん奴も増えてるが、1に声量2に生楽器音量が必要に足りなきゃ余計な手間を要して何かと不便なのは保証しやすぜ旦那。
…からのRingoの声量実態へ進めると、とてもそんな感じはしないがモンスター級にデカいんだ。

未体験の方は自身で試すが良いが、Drumって隙間こそあれやっぱその爆音はハンパ無いで。
尚且つ多くの他楽器より不利なのがMicワークの難度で、特に俺みたいに背骨の短い奴にはホント容赦ねんですよ。

何故ったらSnareと口迄の距離が短くなって、Micに頼ろうにも幾らも出来ないかんね。
そりゃ外見は兎も角太鼓が蚊の鳴く様な音量なら別だが、幾らMic感度を上げてもSnareばっか音量UPしちまうだよ。

結局最低でもSnare平均音量の半分程度の声量が無いと、叩き乍ら歌うって聴こえなくなって無理なんだ。
ここで皆に再考して欲しいのが「歌の上手さ」で、声量や環境を無視すればそこそこ上手い奴って一杯居る。

けど色々厳しい条件が課されてそのままの者は稀有で、一体カラオケで満点の出した人の何人が叩き乍ら歌って同等の結果が得られるかだよ。
承服し兼ねるって人には取敢えず、強いて上手さにも種類みたいなのがあるんだと言っときますかね。

長年多くの歌手と接して来て言えるのは、声量がある人程将来性や発展性があるのは確かだって事。
例えば歌唱発声が及第してない人にもう少しだけ声を大きくとお願いしたら、声質が汚れ出した・音程が甘くなった・リズムや語句のキレが悪くなった等枚挙に暇がないで。

って事ってDrummerの他歌手としてもRingoは超一流で、その中には同時に演っても夫々を単独で演っても殆ど差が無いのも含まれてんだ。
ほいでこの点は他の3人にも共通してるが、その中で最も難しい挑戦になってるのが、多分George Harrisonなんじゃないかな。

他3人と比べると「自身の非定番スタイル」で演る事が最も多く、私感では伴奏がベストだからこそそれに更に色を付けるのは大変なんじゃね。
一寸やそっとのフレーズやアイデアじゃ、伴奏の独創性やアイデアには到底太刀打ち出来んからねえ。

-続く-

2025年3月 6日 (木)

音楽備忘録2027 音プロの音楽の聴き方③

サイコパス等でも無い限り血の通ってる人間なら、通常は如何なる場面でも少しは感情に左右されてまう。
沈着冷静で正確な判断が要求されると中々に厳しいが、向き不向きはあろうが杜撰大王は無理に封じ込む方法は好かん。

ってこんなだから↑には最も不向きだろうが、それだけで避けてる訳じゃないのよホント。(んーどうにも嘘臭くなるなぁ😓)
寧ろ恐らく人一倍無理してみた経験が豊富だから、正面突破だけを追い続けても駄目だと痛感してんすよ。

こん位激情家の側面があれば、平均的なタイプの人より我慢「し損ねる」ケースは当然多くなる。
もし聖職者かなんか目指してたらそれでも追及の手を緩めんだろうが、俺にはあまりに効率が悪いんだ。

そこで思案の挙句辿り着いたのが心はそのままに、聴くシチュエーションなら耳や聴神経だけ平静を保たせられないもんかとね。
当然そこそこの訓練は要したけど、全部じゃ無くて良いとなるとかなり負荷が軽減するんすよ。

近似イメージとしてはスポーツ選手が脚故障時に、なるべくそれを意識外に追いやって上半身のトレーニングに没入するみたいにさ。
これなら多分野に類例が幾らでもあるから、その面でも遥かに組し易い。

尤も欠点が無いでも無く聴き終わって寸評を述べる際、今度は冷静必須ポイントを会話に移さんとヤバい。
折角冷静に聴けてもコメントが暴言だらけじゃ、きっとそれすら相手には理解されないだろうからね。

差し詰め大昔のSynthe奏者なら音色を変えたきゃパッチケーブル挿し変えろってなもんで、今デジタルのたった1つボタンを押すだけよりゃ面倒だ。
が半分は負け惜しみも、もう半分は隠れた長所があるのだ。

例えば誤って知らずにボタンに触れてて、それを分からずパニクるなんて事は無くせる。
演奏中も冷静度が高い人なら未だしもと思いきや、そんな人でさえフル感情移入してる最中なら起き得るからねえ。

自前体験例では録音技師と奏者を兼ねる場合等にはこんな「頭の切替え」は必須スキルで、奏者オンリーだったら録り終えられたら集中から解放されるがこっちはそうは行かん。
かと言って奏でる時に技師側の懸案ばかり気にしてては、パフォーマンスの低下は避けられない。

切替の早さったら二刀流の大谷翔平が今浮かんだが、多分本人は↑みたいな意識でやってるんでせう。
そしてこれこそが二刀流に耐え得る体力が無くても誰もが導入可能な箇所で、寧ろ何某かで平均より劣ってる者こそこんな知恵を使わなきゃだよ。

このテーマの最後に無理に冷静になろうとした場合のリスクに触れとくと、キツさや表面的な冷血感より感性の鈍化が最も恐ろしいんだ。
一度そっち側へ行っちゃったら普段の負荷が軽減する代わりに、心躍って体迄盛り上がって良い場面で盛り上がり切れなくなるん。

それがノリ(グルーヴ)であれば死んだBeatしか出せなくなり、例え他人の足は引っ張らなくても「皆を乗せる」事は不可能になっちまう。
そうこうしてる内に以前より良いノリに普段ご無沙汰してるもんだから、徐々に聴く方でもその感度が低下してくんすわ。

=つづく=

2025年3月 5日 (水)

音楽備忘録2026 今更Rolling Stonesから学べる事➌

Bill Wymanから入るなんて如何にもBassist観点と思われ様が、0%じゃないにしても実際サウンドスタイルに及ぼす影響が最大だったからなのだ。
それに続くのが今回のCharlie Wattsで、これは彼らに限らずRockでは常識なのだと断言しときませう。

そのロジックたるや全く簡単でシンプルなジャンル故、少なくとも歌バックではあんまり楽器メロで凝ったのを演れないからだ。
近年はジミヘンやVan Halenの副作用のせいで忘れられがちだが、インスト物のClassic・Jazz系と比べりゃ一目瞭然だしょ。

それからすりゃRock Bandスタイルを選んだ時点で、リズム隊の影響力のより大きいのを選んだとも言える。
さてCharlie先生の場合あまり一般では思われてないが出自は生粋のJazzで、Stonesでの演奏だけ聴いてるとローテクな人と大誤認し易い。

のに何故そんな風にしたかってば、よりシンプルなのと何よりBeat自体を屈強にするのに専念したからだ。
ある程度以上複雑でも構わないならもう既にJazzで誰もが演っていて、けれどシンプルな方では当時ガチのアホや単細胞以外洗練≒スマートな演奏は極少数の一部以外誰も実現してなかったんよ。

永遠のライバルBeatlesのRingoですら、初期の演奏実態は移行期っつう感じだったしね。
この革命は地域を問わず大凡1963年前後にワールドワイドで勃興してて、米であればそれがAl Jackson Jr.だった訳。

その背景にRockabillyから完全なRock ’n’ Rollへの進化要求があり、成就するには更なる黒人的感覚の導入が必要だったんだ。
してRingoと比べるとパワーでこそ少しは矮小化されずに済んだが、テクの面ではもっと酷く誤認され続けてるわな。

それと現代では決定打になってるのが「レギュラーグリップ」だったので、確かに精細なスティックコントロールに最適なグリップには違いないんだけどさ。
その実Snare Backbeatに限れば、最も強く大きい音を出せる方法なんすよホントはね。

のが他のグリップより習得が難しいとか極端にSnareが低いと不向きとかの弱点のせいで、多くの先人が非選択にしただけなのが何時の間にかどっかに行っちゃってん。
その意味でCharlieやCozy Powellこそが真のパワー志向と言え、前者はその中でもアベレージ音のパワーチャンピオンになりたいが為の選択と看做せるんだ。

その動かぬ証拠として前2回のBillの常用Ampの件があり、同じAmpを大体同時期に他所で常用されてた典型がBuddy Rich Bigbandなん。
要するにやたらと太鼓の音量がデカかったから、そんな怪物Ampを持って来ても困る処か丁度良い具合になったってこった。

この点Beatlesの後輩だったのが大いに功を奏してて、過酷な人柱の前例のお陰でより迷わず行けたんだろうな。
唯一無二にして目立つ特徴のSnare Backbeatの時だけHi-Hatを休符にするのも、彼にとっちゃ「Beatのみを最大に強調」する為の手段に過ぎなかったんだろうね。

-つづく-

2025年3月 4日 (火)

音楽備忘録2025 ’70年代Rockの浦島太郎㉜

続いては同世代以上の主に拘り派男性へ絞ってくが、副題は「こっそり専業主婦のオバチャンから要領を盗んじゃおう」ざます。
っつうのも定年退職したオッサンが覇気を無くすのと比べると、その専業主婦は加齢の衰えは同様にある筈なのに却って元気になってるやん。

主因は間違いなく環境の急変にあるだろうが、折角痛勤や残業から解放されたにしては消沈し過ぎじゃない?。
そこで一寸した趣味とかのアプローチに着目したら、どうやらオバチャン逹とは真逆に近いのが不味いらしいんだよ。

音楽の場合大前提として提示出来る何かが必須なのは確かだけど、実はその視点って現実一般社会では狭隘過ぎたん。
部外者にとって重要なのは資金・日時や場所の方が先で、突如隣家の庭先なんかで演り出されたら敵わんやろ。

私的にその発端は仕事なら妙に許されるとか、泥酔者の粗相にだけ甘過ぎるのがある気がするが…。
実際裏金議員は逮捕・起訴はおろか議員資格停止や剥奪すらされんのに、一介の無職老人が菓子パンたった1つ失敬した程度でもまるで大悪党とさして変わらず厳しく扱われる。

更にその根底には国策でサラリーマンを優遇し過ぎたからと思ってるが、ここでの争点に経済や身分保障等は一切含まれてない。(生粋の反体制でもマトモなリーマンには決して敵視なんかしまへんで)
問題なのは他人に対するコミュ力不足・礼儀・思いやりの欠如を許し過ぎた処で、昭和の昔なら緑ナンバー(営業自動車)だとマッポ(警官の死俗称)の応対が露骨に違ったもんな。

特に有名企業やその名刺の威を借りてたからの待遇が、本来はフラットに戻っただけなのにそれが正確に捉え切れて無いんじゃないかな。(苦闘の挙句にやっと入手した気持ちは分かるが…)
社員時代は会社の若い女の子がお疲れ様とお茶を淹れてくれてた(本当は職務上のお義理)のが、退職した途端かあちゃんにオイお茶と言ったらドヤされるとかさ。

で長年お前らの為に苦労して来たのに…は事実なんだけど、向こうからすりゃ今の時点で淹れてやったら代わりにブランドバッグの1つも買ってくれる訳じゃ無いんだよ。
そんなに立派な企業戦士だったなら退社後は自身がミクロ雇い主と考えて、会社が出してた給料の代わりの何かをちゃんと出してやらなきゃ同じ待遇なんて端っから期待する方がおかしいん。

でⅡで社員時代に取締役(つまり経営に一部でも参画)してたなら未だしも、大多数は真に自己責任で主体性を持って事を運んだ経験は無い。
のに対し一介の主婦如きでも個人商店の経営に近い体験はベテラン級なんだから、他力本願と迄は言わずとも変な依存体質が染みついてるかも位はせめて気付かんとねえ。

これって言うなれば基準点自体がズレちゃってんだから、そのままで幾ら熟考したって実現度・有効度が下がっちゃってんすよ。
それと夢ばっか語ってる様で居て女ってな実にしたたかだから、腹の内では密かにもっと具体的に狙ってる事が多いんだ。

その意味で似た様な言葉を発してても男は唯の理想論で、女性のには裏に現実が内包されてると言え様。
但し強いて男性的思考の長所を挙げるとしたら、実現率こそかなり低いが成功した暁には成果が大きい。

それ故長期展望の方向性ならそのままで良いが、日常の些末な案件にはそんな大それた思考が多分合ってないんだ。
それにはメンタル的に小さな失敗を毛嫌いすると駄目で、変なプライドに縛られるのが最も枷になる。

のに対して加齢は絶好の逃げ口で、本当になっちゃヤバいがボケたり衰えたフリが出来るのよ。
これが一般論の現役世代だと単に信頼性を損ねるから長年不可能だったのが、定年退職すると一気に解禁になってんのよ。

普段はお前は定年無くて良いなと言われる杜撰君だが、こんな処はホンマ羨ましいで。

-つづく-

2025年3月 3日 (月)

音楽備忘録2024 今更Beatlesから学べる事➏

Ringoに関しちゃ拙ブログ他項でも再三綴ってる如く見落しからの過小評価が多いが、少し枠を広げてそれ等の全容を挙げてみよう。
彼は俺言い「サーカスハイテク」は殆ど使わんが、だからって技術に特筆点が無いと安請け合いするのはとんでもねえでごぜえやすよぉ。

幾ら今では当たり前になってるからって、バスドラなら16のダブルを初めて「非装飾音で普段使いした白人」だったりするんだけどねえ。
これについては音色やフレージングが際立ち過ぎたせいで、その陰に隠れたのかも知れんからまだ仕方無い。

が手の器用さや速さに関して実態と世間認識の乖離は酷いもんで、特に今劣化本邦では壊滅的と言って良いんよ。
その背景にはRockを理詰め分析する奴が日本じゃ当時未登場だったのもあろうが、欧米と違ってCountryやRhythm & Bluesを本気で演る奴が少ないから見間違えるんだ。

杜撰君の言う本気の中には激しいとか早いが含まれてて、テンポとか基本部分に関しちゃバカテクFusionすら太刀打ち出来ない様なのをとっくの昔から奴等は演ってたんすよ。
只飽く迄心地良さとか勢いの良さを優先したりしてたんで、自身で演ってみようとしないと中々気付けねんだ。

と言いつつ知っては居たのにちっとも自身ではずっと実現不能だったのは、従兄みたいに純粋にテク解析をしなかったからだ。
彼は生来手は速い体質な上そこそこ色んなテクも習得したのに、どうしてRingoの高速シャッフルだけ未だに出来ないままなのか大いに疑問に思って深掘りしたらしい。

その結果が近年一部で注目されてる「閉じた柔らかい手」(グリップ)や、今話題の「手のプッシュプル」を使わなきゃ実現不可能って結論なのだ。
この辺テク面ではBuddy Richとも少し共通してて、しかし彼より全くアピールせずさり気無く利用してたからとっても分かり難くなってたんよ。

一方パワー面ではJeff Porcaroと近似で、怪力・ワイルドアピールとか筋肉自慢とか一切してないからねえ。
その上決して体格にも迫力なんか無かったから…って、それで非力と決めつけるのは少なくともDrummerだったら浅はか過ぎて恥ずかしい行為なのだよ。

その誤解を解く一手段に、何時頃迄エレキAmpの最大音圧(出力)競争が盛んだったかがある。
象徴的な事例では真空管を14本も奢って300Wを叩き出したAmpeg SVTの登場経緯で、別稿で並筆してるStonesのLiveニーズが発端だ。

に対し世間が誤認してるのがMarshall=パワーの図式で、実際はパワーも然る事乍ら「美しくより歪ませられる」のが正解なんすよ。
あとちょいマイナー処では初期に400Wを実現したHi-Wattがあるが、こちらも発端はThe Whoざんす。

では何故所謂Hard系が隆盛になる前に終息したのかったら、楽器PAの常用と生太鼓の爆音限界が既に天井に達してたからだ。
そもそもその根源っつうのが最早悲惨ってもんで、普通に演ったんじゃお客が煩過ぎて奏者自身でさえ聴き取れなくなったりしてたからでな。

窮鼠猫を噛む式で極限状態に追いやられた結果身に付いたテクだから、一々アピールしたいなんて思わなくても至極当然なん。
を逆から眺めりゃ嫌が応にも体に根付いてる訳で、それ故幾らでも何度でも必要とあらば延々使えるのが他の人と彼等逹では全然違うんだ。

=続く=

2025年3月 2日 (日)

音楽備忘録2023 音プロの音楽の聴き方②

プロが仕事では常に冷静さを携えて聴いてるなら、聴き始めた途端ダメ出しするのは少し変だ。
それで一般からは上から目線の態度と誤解されたりするが、安易に既得権益保身野郎と思い込んだら少々違うんだ。

実際どうせ煙たがられるんだからと拗ねてるのも居るが、説明困難でそれを言わないケースの方が多いん。
これが音響の方だったら十中八九裸の王様だが、音楽には何らかの付加価値みたいなのが常に必要なんすよ。

聴き手の心に訴えるものが皆無だったら、どんなに良い音でも用途から外れてるからね。
ので感性・理性の両センサをOnにしてても、先に感性センサが何も感知しなかったら続きを聴く意味自体が殆ど消失してんすよ。

そんなソースはせいぜい音響機器の性能試験にしか使い道が無く、音響に無興味で音楽にだけ一寸興味のある聴者にはゴミ若しくは騒音でしかなくなってしまうん。
要するに最低限何が必要なのか分かって無い状態で、基本方針は既に示されてるだけにそれ以上の詳説をしようもんならやたらと時間が掛かる。

一体何処を誤認したのかから逐一検証しなければならず、専任担当で育成も兼ねてる場合以外面倒を見切れないので却って無責任となってしまう。
しかも厄介なのが人次第で無限の表現方法がある故、個性を尊重するにはそれを阻害する様な発言は憚られるんだよ。

しかも悪い事にアマチュアが気軽に参加可能なコンテスト等の審査員と来たら、そりゃもうスポンサー等でがんじがらめで暴言吐き放題だからなぁ。
同じ語句を頂戴しても不遜な奴等から無責任に蔑まれたんだなんて思っちゃうと、まあ良い想い出とかにはなんないわな。

それでも昭和末期と比べたら遥かにマシにはなってて、けれどどんなに善意に受け止めても今の方が情には薄いかな。
何れにせよそんなのに染まってったりすると最低で、真のレジェンドは一般の想像するより遥かに「素直」に耳を傾けてるん。

こっち(言われる側)で相手不問で予め出来る事としては、理性のみで発せられた部分を理性だけで捉える癖を付けとく事った。
処が感性豊か(本来は有望株)な人程感情も敏感で、理性・理性…と思ってても刺激的なワードを浴びせられるとつい感情が目を覚ましちまうん。

しかもⅡで厄介なのが豹変するタイプでハートは熱いが普段冷静な人物が、その人固有の限界を越すと完全に感情だけになっちまうパターンだ。
私体験では高校体育のサッカー試合で誤って強く体が当たった際その場では不機嫌な顔になっただけの友人が、次の交戦機会にわざと思いっきりぶつかって来たのにはホトホト参った。

大した人格者じゃないとは言えこっちの心根は普段の付合いから熟知してた筈なのに、幾らわざとじゃないと謝っても全く聴き入れて貰えなかった。
健脚だからって決してスポーツが得意じゃないのを、嘘ついてたとでも思い込まれたのかな。

この1件以降顔を合わせてもけんもほろろで、そうこうしてる内に爽やか青年が何時しかダーティに…。
もしかしたら遅れてやって来た彼の第二反抗期なのか分からんが、真剣勝負の場での事故を執拗に引き摺るとは情けねえよ。

でこの人以前は俺みたいなトラブルメーカタイプとは反対側に居たから、多分突然自分がそうなっても処理の仕方が分からなかったんだろうな。
この様に何かのキッカケで急に人格が変わったりすると、その変化すら自覚するのが当分は難しい。

聴くと云う行為でも本来はあまりに簡単で自然な行為なんで、尚更「無意識下の変化」は何もしないと全然感知出来ねんですよ。
かく言う杜撰大王はたまたま先に音響にのめり込んでたから助かったけど、それが無かったらもっと激情オンリーで今以上に暴言ばっか吐いてたに違いないわ。

-つづく-

2025年3月 1日 (土)

音楽備忘録2022 今更Rolling Stonesから学べる事➋

Stonesって他の大体同期で飛躍的な展開をした連中と比べたら、愚直で単細胞的なアプローチだった。
がそれで飽きられないだけの確かな力があったんだが、その中に僅かな変更だが他の人では思い付けない独創性がふんだんに含まれてたんすよ。

その1つに私感には過ぎんが従来のRock ’n’ Rollより、もっとソリッド感のある唯のRockと感じさせるのを始めて実現したのがある。
さて前回に続き生贄曲All Down the Lineの具体的な新採用点をバラすと、Bassの連続スタッカートを演った処だ。

スタッカート自体はずっと昔からあったし、多少訓練と体力は要すが技術的難度は大して高くないものだったんだけどね。
だが聴感や曲リズムの印象はするかしないかで別物近くに豹変し、シンプルなリズムパターンで程その威力は強大になるんすよ。

因みに1音毎の鳴らす長さで「止めるタイミング」に当初から拘りがあったのは黒人系で、彼等及び1970年以前にそれを意識してたのは殆どPaul McCartneyとか極少数でな。
Rockabilly黎明期にはBassはウッドが当たり前で、余韻が目立たない&エレキ程伸びないのもあってかそもそもあまり気にする必要は無かったんよ。

エレキがデフォ化してもそう云う経緯もあって、恐らくそれをブツ切りにするだけであんなに変わるとは誰も気付けなかったん。
かく言う杜撰大王自身も明確に意識を持ったのはキャリアがそこそこになってからで、その初期には気付いては居たものの疲れるとか面倒とかで必須じゃない限りはそんなに使わんかったのよ。😞

加えて1980年代って結構テクの躍進期だったのもあって、例えばバカテクプロをトレース出来たのは誰が一番乗りかなんてのが奏者評価に与える影響が今より遥かに大きかったんだ。
のでご多聞に洩れず式で、兎に角全く出来ない技の習得の方に殆どの人が全振りだったん。

少なくとも国内でのFusionブームはその具現化と大きく関係してて、90年代にグランジ等の台頭で俺言い「不要でもハイテクに猛進する病」から解放されてみると是又俺言い「効果絶大な小細工」が再脚光を浴び出したんだ。
それ以降方法だけは知ってたのを利して、単純な8分音符ルート弾きでもどの位スタッカートさせるかを先ず思案する様になったのよ。

さてこの生贄曲BassとVocal以外は’60からのStonesスタイルの踏襲で、歌はシャウト限界に挑戦って程攻め捲っては居たんだけどね。
けどGuitarがHard系みたいに深歪みさせてないし、Drumの音色も特にヘヴィに変わったりしてなかったからその面ではSoul系の方が遥かに近かった。

って程度でそこ迄だとそんなに印象は変えられないのが、ボッボッボッボッとBassが演っただけで劇的に新感覚になってたんよ。
唯のミディアムハイテンポの8Beatなのに、従前のとは一線を画すソリッド感が獲得出来てたん。

してなしてこれを今更取り上げるかったら、人力は勿論今の打込みで殆ど使われて無いからなんだ。
苦労して楽器を追加したりするより人力で弾かないから断然楽なのに、効果の割に簡単な技を使わないのは勿体無さ過ぎる。

&打込みの台頭とRockの衰退は本来無縁な筈だし、今は純粋なPops曲でも平気でMetalとかの技や音色を利用してんのにさ。
その結果この最も汎用性の高い伴奏法の1つを用いないもんだから、唯でさえ作者の個性反映が限定される打込みでより望まぬ画一化を促進しちゃってんじゃね。

-つづく-

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