音楽備忘録2052 今更米ポピュラー音楽から学べる事①
近頃は従来のに加え新Bandの始動にあたって、友人作品のコードアナライズ要請が多い。
それに等に際しふと思ったのが、編曲でのドレスアップ方法だ。
これ迄だって何となくは感じてたんだけど、主に黒人系由来だが米独特なコード使いのムードがあるのをね。
それがどうやら今日に新し目のお洒落にしたいなら引用せんといかん様で、米津玄師や藤井 風等も積極的に取り入れてんだ。
杜撰大王は彼等よりどマイナーで古株だから単純な真似をする気は無いが、米独特なコード使いや進行を避けててはやはり厳しいんじゃねと思ったのよ。
その背景にはどうやら今劣化本邦の洋楽は、欧州由来のが多いからみたいなんだよ。
ってかそもそも純然たるClassicの時代には、まだアメリカ合衆国なんて無かったのよねえ。
それ故米生まれで在住の者以外無意識に世界の名作を参考にすると、自然と欧由来のコードパターンが多くなってんじゃあるまいか。
尤も日本オリジナリティとしては邦楽や民謡からネタを頂戴したい処だが、歌詞・曲想の世界観は未だしもサウンド面では洋楽とはどうにも致命的に相性が悪くていけねえ。(徹底的に深掘りしたら何か見つかりそうな予感はするが)
端的に云や導入すると演歌の方に寄ってっちまって、特にハードボイルドなRockにはちっとも似合ってくれへん。
加えてPopsやFolkの要素が残ってる曲だと、欧由来のでドレスアップしても今一そこから抜け出し難いんだ。
それでか国内でニューミュージックとかFusionの全盛期には、主にLatinから拝借して凌いでたね。
Latinやそのフレイバー自体は今もしっかり残ってるけど、たった1つのジャンルからの引用だと限界が高くない。
特に小編成でGuitarメインのアンサンブルだと象徴的なコードを押えるのが高難度なんで、そう簡単に本格導入は出来ねんだ。
それと現代ワールドワイドで主流のLatinって既に白人Jazzからの影響も結構あるから、洒落てはいても新鮮味は元からそんなにあった訳じゃねんですよ。
に対し黒人由来のPopsではかつては差別で正規Classic教育等が受けられなかったからか、クラシカルなのでも勝手に想像してやってたのも少なくないん。
その「勝手」が見当外れのは滑稽だったけど、一部才能に溢れた者達のは恰もClassic巨匠を直接ライバル視した様なのもあったん。
Bachが上がるなら俺は下げてやるみたいな感じで、明らかに影響は受けてんだけど少し別物になってたんすわ。
そんな地点から音楽の俺言い「合衆国ネイティブ」は始まってるもんだから、拙い文章力に知力と相まって一言では説明出来なくて悪いんだけどさ。(北米大陸のネイティブはインディアンで一部含まれてはいるがそれとは別物)
でも長年色々幾ら聴いても従前に確立してるどのジャンルの引用とも、何処かが違ってんねん。
私感最大の独自点としてはキー(ルート)が少々ヘンテコな処で、普通そんな流れだったらあんなキーでは誰も演らんだろうってな感じで。
例えばLet It Beみたいなのが浮かんだら声域都合でハ長調にこそ出来なくても、E♭とかF#みたいな余計な調号が付いて安心感に劣るキーに普通はあんましようって気にはなれない。
のが然もそれしかマッチしないと言わんばかりの雰囲気で、平然と演っちまってるのよ米ではさ。
別比喩をするなら安売り量販店で売値を、¥9,899と定めてるみたいな。
大雑把に言やどうせ約1万円なんだが、今劣化本邦の消費税込みでも1万超えないぞとアピールしてるみたいなね。
効率的側面からは支払う側もレジのオバチャンも手間が増えるだけなんだが、1万円ポッキリしか持って無い人にはウチでなら買えちゃうよってか。
-続く-


最近のコメント