音楽備忘録1998 音楽でのアイデアの実現方法⑮
まだ気付けない方法が他にもあるだろうが、一通り出尽くしたと思うんでこの項一旦幕引きへ向かおう。
それに際し今回皆に是非頼みたい事があって、それは過刺激の緩和・抑制で御座居まふ。
今劣化本邦の潮流ではかなり勇気を要すが、硬さ・明瞭さ信奉の大リスクを先ずは知って欲しいんだ。
度々吠えた如く初聴での明瞭度は確かに上記に依存する事が多いが、とっくに限界を超えてるのにひたすら求める事の無理・無駄をさ。
現況の新自由資本主義の飽和と同様、何時から「押して駄目なら引いてみろ」を失念したんだろう。
真に目立たせたいなら他所で皆がやってる方法に、執着するのこそ自らを凡庸に貶めてんだしね。
仮に勝れたとしてそんなのは言わば「10:9の勝利」ってなもんで、1つの勝利を誇示するにはそれより○:0の方が印象に残るんじゃね。
双方に得点があったっつうのは半ば運もあって勝てたと暴露してる様なもんに対し、後者は0封してるんだから1点でも取れたら勝てる状況を示唆してる。
のを今劣化本邦J-Popで考えれば、絶対必要では無い音をやたら入れてるからなんじゃないかな。
そして更にその裏には各パートの存在感の希薄化があり、1つの楽器での聴者充足度が下がったからなんじゃない?。
って持論を証明するのにDrumサウンドで例示すると、もし雷みたいに聴こえたら多分効果最強だ。
ある程度それを既に実現してたのが古くはBONZO等で、その後はNYのThe Power Stationスタジオ等敢えて勇猛な残響を得てたよね。
何れにしても盛大な残響は明瞭度に対しては露骨にマイナスで、だがその代わりたった1音だけでももう存在感満々だった訳だ。
そんなので自然環境で得られるのは 、源音(業界用語:ドライ)と残響音(同じくウッェト)のバランスは殆ど弄り様が無いののみだ。
それを覆せるとしたら例えばアンタの3畳間にレジェンド達が訪れて生演奏してくれるの位で、しかし当然迫力は完全に貧乏な部屋の音響に駆逐されっだろうけどな。😵
と言う様に明瞭度と存在感が併存出来たら良かったが、少なくとも3次元の現世では原理上無理な相談なのだ。
それ以外にもほぼノーミュートのSnareなんかも、厳密にはあまり混雑してないアンサンブル向きと杜撰大王は考えている。
これどゆ事かったらSnareバランスを小さ目にすりゃ他パートにマスクされて、折角伸びのある余韻が殆ど聴き取れなくなる。
逆も又真なりでそれを無理矢理常時聴こえる様にと大き目にすりゃ、他パートの多くが侵略されいい迷惑だ。
アナログ時代当時こんなのがあまり問題になって無かったのは、余韻や残響はかなり部分的にしか収録出来て無かったからだ。
ってかそもそも一定以上残響のある場所でOff Micにしたら、それだけでも残響に負けて余韻は短縮する。
その残響ですら高目のノイズにやられて、後部は聴こえなくなってたし。
要するに機器雑音であれ観客等の騒めきであれそう云うのがあると、無理に良く言や相対的に歯切れが良くなってた訳。
それが今ではMicはOn主流+デジタル記録だから、奏者側で気持ち良いからってそのままにしといたらアンサンブルがごちゃつくねん。
と源音段階でそんななんだから更に残響だってより混沌とするし、その長さも実質的に延長しちまうん。
それが困った事に現況「適度に自然な感じで短縮する術」が無く、そこへもっと思慮深くなる必要があるんだけどなぁ。
-続く-
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