音楽備忘録2004 今更Beatlesから学べる事➊
今や音楽の大スタンダードになって久しく、データ・スペック・理論上の情報ならとっくに出尽くしてる。
んが近頃気になり出したのが本人達の真意の理解で、似た様なスタンスでこないだイチローが野球の将来へ苦言を呈してたんだよ。
彼はプロスポーツ界の住人なのに、「感性」と云う言葉を使ってたのが印象的だったん。
野村克也亡き今データの使い方自体に苦言を呈す人が希薄になり、門外漢ならノムさん=データのイメージでもまあしゃーないけどさ。
他分野の者が僅かでも引用・応用しようと思うなら、もっとそこ考えなきゃ駄目なのにね。
音楽で最も初歩レベルで言うなら、初音ミクのソフトだけ買ったって売れっ子になれないのは誰でも分かってるべ。
のに一寸レベルが上がったらもう皆忘れてて、イチローが語った如くどんな崇高なレベル迄行ったってこれは不変なんすよ。
でBeatlesだが今回はAll My Lovingでの、Johnのカッティングについてざます。
周知の通り4拍子の曲で3拍子の派生形で演った訳だが、リズムの正確さが今一なんてのだけ聴いてたらマヌケやで。(実際何となく危なっかしいが…)
何割そう思ってたかは分からんが、他の3人とは「絶対迎合しない」って意志を持ってたに違いないんだ。
1人だけ異なるリズムって彼のお家芸の様で、ソロになってからでも実はちょくちょくそんなのを演ってたんだ。
杜撰君的に最も印象に残ってる曲はRememberで、是又リズムの正確さより明らかな「ノリ・グルーヴの違い」にショックを受けたんだよ。
要するに理論・技術的にも少し高度ではあったけど、真髄は異なるグルーヴの並立にあったんじゃないかな。
ってのもそれとは気付き難いスムーズな演奏なら、Jazz全盛期を始め他の多くのレジェンド達が目立たずもとっくにやってんですよ。
凡人としちゃPop系歌物での物珍しさには気付いてるらしいけど、もうちょい高級なヤツでは寧ろ編曲の常套手段の1つになっとりま。
処が普段からなまじ自在な演奏に慣れ切ってると、刻み(拍)固有の癖強なノリは汎用性が低いから消失気味になってくんだ。
演奏する側の都合としてはそれで正解なんだけど、ミスマッチ感がある程素人は聴いててオモロイやんか。
到底合いそうにないのに何故か大きくはズレたりしない、不思議だなってさ。
Jazz理論でリズムや和声の高度変換技術は、それに依って従来の使用法を打破した価値はある。
がその反面もっと基本レベルでの個性は少々邪魔になり、そうせんと随時で完全に自由な組合せには出来ないからね。
人間ってその方面で完璧なKYでも無いとリズム→ノリ→○○節で調子良く演られると、ついつられてそっちへ迎合しちゃうやん。
特に「合せられる限界近くの強烈な個性」だと、僅かでもつられたら途端に汎用性が落ちるから。
只それを嫌うと味(癖・個性)は当然どんどん薄まるから、感性だけで聴いてる人への面白味はどんどん減っちゃうんだ。
この辺も含めJazzがどっちかったら幼児にウケ難くしてて、かと言って変態レベルにすりゃ今度は紳士・淑女が顔をしかめると難しい処だ。
良い意味で本人達からアカデミックな言及が無いのは、感性の都合で高度とハイブリッドを利用する結果になったからじゃないかな。
もし他に同じ感じが得られるのがあったら、使わなかったとでも言いたげな…。
=続く=
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