音楽備忘録2002 音楽でのアイデアの実現方法⑯
今回は番外編Ⅰとして残響と存在感の関係へ踏み込むが、本来なら平行執筆してる「楽器音色一般のイメージと実際の違い」で綴った方が相応しい位だ。
そこでここでは冒頭記の通り限定して話を進めるが、基本的な効果は端的にはVocalのダブルトラックとか複数人ユニゾンと近似だ。
杜撰大王らしく先ずは物理面から掘ってくと、音楽版分身の術と言っても良いかも知んない。
それを天然で演るのが複数人ユニゾンで同じ人が重ねるのがダブルトラック以上になるが、後者にはもう1つDelayを掛けるって手もある。
早出余談で俺は足脚では得意なダブルも歌には苦手意識があるが、それは歌った1回目と2回目の差がどうも少な過ぎるからなんだ。
ユニゾンでもそうだが人力の利点は「微妙に違う」点で、それに依って強すぎる箇所や弱過ぎる箇所が平準化するんすよ。
その為には寸分違わずでは却って効果が弱まり、Delay等より無効になっちまうん。
分身の術と似てても同じと書かなかったのはココで、実戦が3次元なのに対し音楽≒2次元だからかねえ。
より近いとしたらDelay等の方で、こっちには時間差攻撃や来る方向をランダムに選べる…っと言っても基本横方向だけだで縦方向は低い限度がある。
処で3声Chorusとかで塊りになって全く同じ位置から聴こえる様にしたのがあるが、あれは古典式バーチャルポリフォニックとでも言うべきか。
ダブルトラック・ユニゾンともその本来の目的を、最大に発揮させるには「同じ場所から聴こえる」様にするのが必須なんだ。
比喩るなら複弦楽器の1音(同時に2音出る)みたいなもんで、それが証拠にユニゾン歌唱の音だけ聴いて正確に何人なんて聴き取るのは極めて困難っしょ。
それに対し残響系は悪く云や「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ってなもんで、但し狙い付けは甘いが一斉射撃ででっせ。
無論レジェンドスナスイパー冴羽獠みたいに1発で仕留められるに越した事ぁねえが、どんな方法でも先ずは当たらないとお話しにならんからね。
音楽での音の存在感は上記だと「的に当たる」に相当し、それが腕の足りない奏者のをOn Micでなんか録ると1発じゃ射貫けないって訳。
そして俺も一寸余計な野心を出し過ぎてしくじったりしてるが、「重ねるならほぼ同じ音色・フレーズ」じゃないと駄目なんだよ。
折角足すなら少しでも色んな要素をとつい欲が出るが、それでは複雑化させるか散漫化するだけで存在感には貢献しねんですわ。
何れにしてもターゲット音だけに注聴するとつい失念がちになるが、天然世界では様々な要素の他の音が付随して来る。
そんな黒子逹が主役を確固たる地位に押し上げてて、存在感を創出してんですよ。
故に検聴的側面での明瞭度と存在感は相反し、少なくとも単純なロジックで並立させたいなんてのはどだい虫が良過ぎる相談なのさ。
この観点からは今劣化本邦J-Popは2つの誤りを犯してて、サウンドが今のままじゃ上手く行く訳ゃねえんすよ。
仮に今迄の粗相には眼を瞑ったとしても、何時までも間違え続けてたら衰退必死なんじゃないかな。
=続く=
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