音楽備忘録2011 楽器音色一般のイメージと実際の違い㉒
手漕ぎボート並に進捗の遅い拙ブログでも、いい加減で総括へ筆を進めよう。
のに際し近年では大きく2つの主因があって1つは従来からの奏者と聴者の環境差だが、2つ目の新参者の比率が高まりつつある。
一体それ何?ったら、奏者ですら完成作品の予測が困難化した事だ。
便利・簡便・経済性で旧来のアナログに圧倒的優位なデジタルなんだが、誘惑に負けてデジタル領域での強力な加工・修正に依存し過ぎになっちゃったんだよ。
その結果奏者は質より迅速な音源提供が求められ、言うなれば血統の悪さ等が最後迄足を引っ張ってる様なのばかりになっとん。
現況デジタルで補足不能な生や真空管にもっと目を付けるべきで、そこだけは音源の段階で施しときゃ良かったんだがね。
どうせ切り貼り編集を前提にすんなら、1曲通してノーミス遂行出来る迄待つ必要は無い。
ので何処かを借りて演るなら、タイムコストはかなり下げられる。
んがそればかりに走っては唯の粗製乱造となり兼ねんから、高品位な収録音の方へもう少し時間と予算を回しゃ良いんだよ。
っとここで遠吠えした処ですぐに状況が変わる訳じゃ無いからどうするかったら、自身にとって最低限必要な加工度の低い音が聴ける場を探すのだ。
創作に携わってて自己基準になる生音がもし無かったら、そのまま幾ら続けたってピントのズレが永久に埋められないから一大事なんだ。
実は身内に音楽家2世にも拘わらずここの怪しいのが居て、なまじ本物に何時でも触れられる環境に居たのが仇になったのかな。
或は本物とは似ても似つかぬ紛い物の洗礼が足りなかったのか、要点の解釈がどうも未だ甘いままなんだ。
テク・フレージングに加え容姿もあり余ってるから実に勿体無く、音色とリズムの鮮度さえ解決したら正に万能なんだけどねえ。
しかも不思議なのは杜撰君同様音響屋でもあり、耳も健全な筈なのに。
そうなると考えられる原因は唯1つ、自身の確固たる音の基準が未だ確立出来てないからなんじゃないかな。
ってのも育った音環境が杜撰君とは真逆に近く、球サウンドを除けばこっちは何時も何かしらの不満を抱えた状態が長く続いてたんだ。
飢えた処へ御馳走が登場すれば猛然と喰い付くし、その印象は深く恒久的に心に刻み込まれる。
のが大した不満も無く過ぎてれば一応記憶には残っても、一々詳細に分析したりあそこがああでここがこうだから素晴らしい等と固執したりしないんじゃないかな。
まあこれは例外的で普通はありつけなくて苦労するんだが、相応しい体験と素直な記憶が無いとこの件は正確に把握出来ねんだ。
それから個人の好みとは独立した感性が必要で、癪に障ろうと大嫌いだろうと美しい音が沢山あるなとか皆は好きになれそうにないけど自分はこんなのが好きとかあるじゃん。
こう云うのってどっちに転んでも得だけ損だけとはならず、唯一無二の独自性と受容れられ易さは反対側に位置する事が多い。
-もう1回つづく-
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