音楽備忘録2000 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑱
Karen Carpenterの4回目はテク面を更に掘ってみるが、ポイントは主に3つある。
Jazz出身且つCountry出身なのと、Rockにもそこそこ古くから親しんでた処だ。
Jazz経験の効能は彼女の場合ルーディメンツ等スティックワークに、Countryの経験は速いテンポへの対応力に現れている。
Rock系でも決して養われない訳じゃないが「叩く場所を見ないで叩く」は、インプロビゼーションやアドリブが多い程必須になって来る。(ノールックにはその為の余裕が余計に要る)
のわアイコンタクトの必要回数が格段に増えるからで、より良いタイミングを求めたりするのと次はどうすんのでは必要性に大きな差があるからねえ。
でこれは外見だけの様子で、奏者の内心ではそれだけ周囲を聴覚でも常時監視してるに他ならない。
そうすっと音量の点でも常に周囲へフィットさせる様な癖が付き、自身の音量が不足してたら直ちに上げる様になる。
今だと抑制する方ばかりが割と目立ってるが当時はまだJazzはジジイのジャンルになんかになって無く、エキサイトする頻度が格段に多かったんすよ。
してCountryについては今劣化本邦J-Popでこそ打込み対抗心からか無駄にテンポの速いのも増えたが、一切の音楽的要素を省かずに最速なのは未だCountryの独壇場だ。
しかも重要なのがどんなに速くても必ずしも強いだけじゃ済まなく、平然と演らなきゃならないのも多い処だ。
実際は高速化にもパワーは必要なんだが、それが音の何処かに表れては↑みたいなのは出来ない。
尤もそれが仇で凡人だと必死こいても追付けない速度で演ってるのが分かり難くなってて、Rock・Popsフィールドにも登場するCountryしか見ない人には直接の比較対処に乏しくなるから尚更だ。
そして単にRockやPopsを演りたいだけなら必須では無い、例の「閉じた柔らかい手」と「小指支点」がパワーに対しては決定打になるんすよ。
Rockで小指支点の典型はBONZOだが、素人目には「バチを短めに持ってる」だけにしか見えないアレっすよ。
最も普通のグリップは親指と人差し指で持つが、バチの持たれる位置をそのままで小指支点にしてるから他人より短く持ってる様に一見見えるだんだよ。
って何を隠そう従兄から教わるまでは杜撰君も勘違い野郎の典型で、剛力過ぎるから太鼓を壊さぬ様そんなにしてるのかななんて思い込んどりまつた。😓
今だって実践してる奴が居なくなった訳じゃねえが、コレ過去レジェンドの方が大勢居ってな。
今比で大人し目な衣装・容姿と相まって、昔の人は軽く演ってた人が多いなんて勘違いが横行しとんの。
客観的に考えりゃPA等の発達具合からしたらそれじゃあおかしいと気付くべきなんだが、きっと古いチープで非力なPAで酷い目に遭ったりしてないからなんだろうな。
こう云うのに限っちゃ幾ら老害扱いされようと、先輩供がもっと後輩達へちゃんと伝えなきゃね。
自分達世代の若い頃には極当り前だった色々が、今じゃ幾ら経験を積もうとしても中々習得し辛くなってんだから。
そしてそこのお若いの逹、別にまだ知らなかったからって何も恥じたり卑屈に感じたりしなくてエエねんで。
ホントに恥になるのは自己保身に走って伝授しなかったり、折角知己が得られたのに放置する様な奴なんだからな。
この面でも今時の一度でも間違えたら駄目って風潮は害悪でしかなく、謝れない・正せない事こそもっと忌み嫌わなきゃイカンよ。
わ兎も角表面的に軽いPops如きを叩くのに、必要性が無くばあんな持ち方叩き方をする必要は御座らんのだ。
特に別録りが必然だった映像でなら、可愛さアピールで違うフォームにしといた方が良かった位なんだから。
-その内つづく-
« 音楽備忘録1999 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓳ | トップページ | 音楽備忘録2001 ’70年代Rockの浦島太郎㉖ »
「文化・芸術」カテゴリの記事
「音楽」カテゴリの記事
「ドラム」カテゴリの記事
「奏法」カテゴリの記事
« 音楽備忘録1999 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓳ | トップページ | 音楽備忘録2001 ’70年代Rockの浦島太郎㉖ »
コメント