音楽備忘録1996 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑰
Karen Carpenterの3回目、いよいよ訴えたい真髄核心のDrummerとしての腕前ざます。
近年は世間でのスターとしての賞味期限が漸く切れたお陰か、客観視点からの再評価が出だしたのは良い傾向だ。
のを要約するとClickレスで録音無理くり編集した際、編集した当事者さえその箇所が分からなくなった程タイムキープに秀でてたんだそうな。
その他フレージングの独創性等については以前から少し語られてたが、そこは偏屈拙ブログ!?Karen先生の パワーを中心にテクについても掘り下げて行きまひょか。
これは正直従兄からの入れ知恵が無きゃここまでやれなくて、前述の通り「目の付け所」を伝授されたのが大きい。
それは叩いてる姿と実出音の関係で、頻繁吠え「西洋太鼓は速度反応型」なのがキーワードなのだ。
しかも打撃の瞬間のバチやビータの速度が問題で、球速の割に何故か打たれ易い投手の件なんかと近似なん。
要するに皮にヒットする正にその瞬間の速度が肝で、そこさえ高速化出来るならストロークが異常に小さかろうと振り始めがどんなに遅かろうと殆ど関係無かったんすよ。
昔よりゃだいぶマシにはなったもBONZOのBackbeatのショートストローク、まだ剛力だからあれでもと勘違いしてる人が多い。
確かに速度の為のパワーは必要だが、腕が軽かったらその分絶対値は少なくなるっしょ。
ので各自の体格にとって速度が出せる筋力があれば事足りてて、だからこそ重い物を持てないのにDrumだとパワフルに豹変する人なんかが居るんすよ。
尤も筋力や体格の必要限界値が無い訳では無く、それを下回れば最大出力がそのせいで小さくはなる。
が彼女の場合白人で身長の割に手脚長目・大き目の163㎝だそうなんで、ギリギリで体格のハンデは回避可能なだけの肉体があるんだ。
尚且つ太鼓に熱中する迄はわんぱく野球少女だったそうだから、そこそこ鍛え上げられてたんすよ。
因みにこの事は歌唱での肺活量や耐久性にも貢献してて、野球みたいなチームスポーツでは声の連携が時には命取りになるやんか。
同当の体格の男性でも物静かな読書家等とは、その点正反対なんすよ。
直接脚力だけで賄えるの以外はスポーツが苦手な杜撰大王だって、若き日々をスポーツと全く無縁に過ごした訳やおまへん。
所詮は同好会レベルだったけど、ド下手なりに1年間だけは野球に触れた事はあったんだ。
因みにⅡで従兄だってパニック障害を発症してからはサッパリだが、小学生の頃は鉄棒を始めとした体操に夢中だったしフィギュアスケートはずっと習ってたさね。
それが後の体の使い方と太鼓の出音の研究に随分効果を発揮してて…、わ兎も角肉体と作業結果の関係に完全に疎いままではそうは行かんて。
っつう事ってパワーに対する肉体的条件は、これで晴れてクリアでごんす。
但し必要最低限レベルに近いから、従兄や杜撰君を含め知恵や技レスで演ったら大抵は並以下の音量しか出せない。
にも拘らず美しく歌い乍ら叩いてんだから叩く方をそれ相当に抑制して、別に多少非力でも困らなかっただろう…ってな低能な素人考えなんだけどなぁ。
もしそれが正解なら例の「閉じた柔らかい手」や「小指支点」なんて不要で、そんならなしてKaren先生は何時もそんなフォームで叩いてたのかだよ。
=続く=
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