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2025年2月

2025年2月28日 (金)

音楽備忘録2021 ’70年代Rockの浦島太郎㉛

今回から暫くはオジ以上世代専記事になるが、若い人も絶対損しないから目を通しといておくれやす。
その副題は壮年以降のRockで、’70年代当時には殆どの人がとっくに辞めてると考えてた件ざます。

何分当時はまだRockの派生形が全部は登場してなかったし、キャリアが20年を超える者も居なかったからねえ。
その時代の若者思考として特に音楽以外も含め殆どが発展期だったから、誰も先の事なんか知るかってムードだったんよ。

先の心配が要らんから冒険って面ではし易かったけど、詳細に見つめれば少しづつ自滅する者が出だしてたんだ。
けど今基準ジャンルより明らかに「Rockって振舞い」とかと認識されてたから、そんなもんと極一握りを除けば誰もが大して気に留めてなかったんだ。

我々世代では半数程度はヤクや呑み過ぎの損失には気付き始めてたものの、表に出すと意気地なしっぽく扱われるから流されて惜しくも早逝が出ちまってん。
それはそれとして今生き残ってるのはそう云う経緯を潜り抜けた連中なんで、どうも大人し過ぎていけねえ。

の何が問題かってば活きの良い音を醸し出すにも厳しいが、世代人数が上の団塊世代程多くは無い事なんだよ。
あれだけ大勢なら世代内趣味にしちまっても何とか回転してくれるが、同世代だけを相手にしてては継続すらままならないんだ。

しかも団塊の連中は学生運動末期にかつて参加してたり、Rockの方でも国内だと言わば第一世代だから熱量が段違いに凄い。
となると取敢えず少しでも上下の世代にもアピールしてかなきゃなんないが、そこで今回の話の核心たる「ノリの良さ」で躓いてんだわさ。

コピーしか演んないんだったらまだ良いけど、カバー以上だったらノリっつう基本中の基本が上げられないとどうしようもねえべ。
他世代には恐らくあんまり馴染みの無い曲とか音楽内容なんだから、せめてそう云う箇所で少しでも点数稼げないとさ。

で安定度とか組し易さでは落ち着きのある方が良いが、見世物としちゃ無駄に熱い奴とかやたらエキサイトしてる方が取敢えず目に付くでしょ。(エンタメでは基本年甲斐を気にするのはご法度)
そう云う意味で俺等は一面で内向的とも言え、折角過去に熱量の多さのリアル体験が出来てたのに現時点では活かせて無いん。

もしかしたらBand組むには同世代だけで間に合い、お客を呼ぶにはそれだけじゃ足りないってアンバランスが災いしてるのかな。
わ兎も角何故この件でも執拗にノリのり言うかったら確かに割と海苔は好きだが…じゃなくて、加齢に依るノリの劣化が米<欧<日と最も顕著な傾向にあるからだ。

基本的に溢れんばかりのエネルギー漲る若き日々にピークを迎えるのは共通だが、衰えの早さと程度の酷さが今劣化本邦が一歩抜きん出てんだよ。😢
各国の諸事情や人生観等もあってその点では仕方ねえが、自覚とニーズに対しての不足認識が決定的に足りてねんでやんす。

音楽の3要素「音階・音色・リズム」と私感に反し国内向け順で並べても、33%程度はリズムが支配してる訳だ。
そこを蔑ろ若しくは足りないまま放置してては、もうそれだけで対抗馬に対し早々白旗を揚げる様なもんなのに。

打込みオンリーにするならまだ誤魔化せるが、人力メインでどうしてそんなでも行けると思えるのかな。
まあ死んだリズムでノスタルジーにだけ浸るつもりならもう何も言わんけど、それじゃあせいぜい内輪ウケが限界で絶対儲からないギャンブルでっせ
。(ってもし儲かるとしたらそりゃイカサマだわ)

=続く=

2025年2月27日 (木)

音楽備忘録2020 今更Beatlesから学べる事➎

全員が俺言いリズム革命に大きく寄与してるが、録音方法の可能性を広げた点でもRingoの奏法やサウンドは大きな影響があったと言わざるを得ないのだ。
っつう事って彼のを続けるが、一般的にはマルチMic収音・意図的大胆コンプを皆は挙げるんだろうな。

決してそれは間違いじゃねえんだが、単純に今みたいなDrum録音スタイルにしてただけじゃ当時は済まなかったんだ。
現代との大きな相違点を提示してくと先ず①Drum専用Mic等存在せず、②その為当然Mic Pre以降の機器だって特に想定した作りになってない。

その結果例えばどの箇所でオーバーレブしたかは知らんが、ZEPのファーストアルバムでは太鼓がかなり歪みっぽくなってしまっている。
確かに今の大谷翔平のバカげたホームランみたくBONZOの強大なパワーは前例が無かったが、さりとてMicを直接ぶっ叩いてた訳でも無いからねえ。

予算事情や技師側が不慣れだったとは言え、トータルでの計算が不充分だったからああなっちまったんだろう。
その証拠にセカンドアルバムからはファーストみたいに歪んで無く、彼等は既に友人関係だったんでもしかしたらRingo達に色々訊いてみたのかも知れない。

さて何度もRingoは最低でも当時としてはパワーDrummerだったと釘を刺してるが、ならば何も考えずに録ってたらBONZOよりマシでもそこそこ歪んじまってた筈なんだ。
ってのもマルチトラック録音でピンポン(テープコピー)も使ってただろうから、その度に機器由来の歪みと相まって歪み率はどんどん悪化するからね。

その面で生楽器奏者だからこそ録音やEffectの関係個所には詳しくなっとく必要あったと言え、もし石頭の唐変木野郎だったらそれが枷になってあそこ迄多重録音を演れなかった可能性が否めないん。
因みにRingoと同等かそれ以上に世間に誤解されてるのがKieth Moonで、全く信じ難い感じだが同期演奏Drummerの元祖の1人なんだよ。

Peatが主に鍵盤も弾いてる動画でKiethはふざけ乍ら叩いてるだけだから彼のお陰と気付き辛いが、Drummerがシーケンスに合わせらんなきゃ他が色々演ろうと成立しねんですよ。
今日日は俺言い「変な公平」で何人たりともClickに合わせるのがデフォだが、昔はそれが要るのは「Drummer以外」だったんだから。

だいいちその頃じゃそんな用途は確立前夜だから、何たってシーケンスのモニタ自体が一苦労だ。
現代のインナーイヤーとかDrummer用ヘッドホンとか皆無で、遮音性能は低いはそれより何よりでっかくて酷く重いだけでもすぐ首に来るんだ。

今それを現行品で体感可能なのは多分唯1つ、俺言い「軍隊ヘッドホン」例のKOSS PRO/4AAしか残ってねえから。
彼はPIONEERの近似タイプを使用してた様だが、普段おふざけで自然と鍛えられた体力・筋力のお陰で堪えられたか。😃

まあ直接必要なのはたまたま↑だったが、テクノロジーに興味と挑戦意欲が無かったらあんな拷問には耐えられますまい。
この様にDrumをより良くしようとしたら意外な処でする変な苦労、全くの想定外だったろうけど録音現場ではしばしば起こり得る事象なんだ。

それからすると一面でRingoは最も「辛抱強い人」と言え、Johnを始めとした皆の無茶振りに応じるのは他の人じゃ無理だったかも。
自分でDrummerに本格参戦して痛感したんだけど、いやぁ肉体派に見えてその実法外に知力やメンタルも要求されるんだねっと。

-つづく-

2025年2月25日 (火)

音楽備忘録2019 音プロの音楽の聴き方①

仕事で真剣に聴いてると普段口には出さなくとも、音プロだったら感性と理性のバランスを保ち乍ら音楽を聴いている。
多少偏ったり1回目は感性中心で、2回目に今度は理性中心でなんて事はままあるけどね。

それが今劣化本邦ではどうも怪しく、特に流行に流され過ぎてバランスが崩れてるのに気付けない輩が多いみたいなんだよ。
その最たるのが過剰な硬さとかけたたましさで、やり過ぎりゃ最低でも何もしないのと同じになっちゃうのを完全に忘却しとん。

さてほぼ流行からは圏外に座す杜撰大王が語ると嘘臭くなるかもだが、自ら進んで聴きこそしてないけど流行してるのだったら嫌でも一応耳には届いちゃってん。
そう云う唯の日常時は感性センサだけをOnにしてて、逆に音響機器の修理等では当初は理性センサだけをOnにしてるんだ。

のは心に響かぬなら少なくとも自分にとっては音楽未満で、その段階でそれ以上聴くメリットが無いからだ。
但し飽く迄個人レベルでの話しで、誰かに強引に聴かされたりする時ゃ両センサOnだ。

殊音楽の好みには真っ正直にしてて(他人はこれを唯の我儘とも言う)、興味に満たないのを感性なんかで捉えたら俺には酷い拷問も同然なんで。
困った性分の持ち主なりに理性で長所を発掘して、なるべく優れてる処だけを口にする様にこれでも必死に気は使ってんの。

一方機器の場合好感の持てる音質だろうと否だろうと、それが真の威力を発揮出来るのは状態が健全な場合に限る。
少しレアなケースでは球が死ぬ寸前のマイルドなのがとか、太鼓は皮が破れる寸前の音色が一番良いとか感じちまう人も居るしそれで変でも無いんだけどね。

でも修理屋の立場になるとそれが安定して一定以上の期間保持してくんないと、何だよ直ったって言ったのに又すぐ変になったじゃないかと糾弾されてまう。
更には余計なお節介レベル(本来は専門家の示唆なんだが…)では、健全状態に戻ってあまり気に入らないならお客人機種選択を誤ったのではって事なんだけどね。

それすら説明するのにもあなたには価値が無くても、例えば高域が他のより素直に出てますよとかってのを分かって貰えるだけの証拠が要る。
そりゃあ人間だから好き嫌いで表情とか態度に多少出はしちゃうだろうけど、大抵はニーズの旺盛なラーメン屋の不遜な大将みたいに露骨では居られないのよ。

対象が料理と違い所詮は機械なんで、好きな人だけ又来てって訳に行かない。
寧ろ高熱が出て近所に他に医療機関が無かったら、何となく虫が好かなくてもその診療所へ駆け込むしか無いのの方が似てる。

そう云や他所で修理不能なのを直すって事で、玩具のドクターなんて俗称があったっけ。
医療の他にもインフラの修繕とか中には弱みに付け込むボッタクリ悪質業者も居るが、そっち方面のニーズでは現実の状況判断が必ず要求される。

音楽なんて大多数には趣味・嗜好の存在だけど、仕事となると私感95%では客観性を持てないと状況にマッチしねんですよ。
世間のイメージとして傲慢な大作曲家が気分だけで聴いてる様に見えても、本当に理性レスになんかなっちゃいなんだ。(但し肩書だけの似非もんは除く!)

-続く-

2025年2月24日 (月)

音楽備忘録2018 今更Rolling Stonesから学べる事➊

Rockも一般化・多様化してくのは嬉しいけれど、固有の特徴が薄れてくのは爺には淋しくてやり切れない。
な~んて程大袈裟でもねえが、折角簡単に格好良く出来る方法があるのに勿体無いなぁとは本心から思ってんだ。

RockはルーツのBluesなんかと同じ位シンプル化可能なのが利点だが、なまじ色々やり過ぎちゃいけないから案外味付けが難しい。
料理で言うと塩以外の調味料使用禁止みたいな感じで、Rock程では無いにせよBluesにも同様の難しさがホントはあるんだ。

その悪典型例が過去日本歌謡界の「しみったれBlues」の一群で、唯のお涙頂戴だったら別にBluesスタイルなんかにしなくても民謡その他にもっと前から色々あったのにさ。
だが当時は「塩しか使っちゃ駄目」が難しくて、それ以上は手に負えなかったに違いない。

実際にはBluesにだって先祖はありその先祖にもその又先祖があった訳だが、それを必要なだけ学べなきゃそりゃ良い塩梅なんてムズいわな。
現地で
外人用の作曲でもしてたなら未だしも、ネット未登場の頃には学びたくても情報が殆ど無かったからねえ。

わ現代では解消されてる筈が、今度は情報の取捨選択と正しい理解や分析に難が出て来てんじゃないかな。
膨大な情報過多の中から必要素を探すのって、砂金採りみたいな苦労を伴うもんね。

そこで僭越乍ら「年の功」由来のコツを、Beatles以外のも書き残しとこうと思ってん。
でThe Rolling Stonesについては今もバリ現役で好作品を出し続けちゃ居るが、先ず過去のと近年のを同列に捉えてたら埒が開かんのどす。

のには確固たる理由が存在し、その時点での独自新開発が過去名作には含まれてたからなんだ。
しかもどっちかっつうと大ヒット・超有名曲では無いのに多く、更には欧米より日本でその傾向が強いんだよ。

その一端が大昔のアホガキ杜撰君の反応に表れてて、ラジオ聴いてて「うわカッケ-」となったのは大抵FEN(現AFN:在留米軍向け放送局)だったん。
ストーンズはアホガキにも覚え易い名前だったんでそれより前から知ってたが、どんな曲があってそれが格好良いかは国内メディアだけじゃ良く分かんなかったん。

大ヒットした順に掛かるのは今にしてみりゃ当然なんだけど、万人受けを除外して格好良いで選曲してくと違いがあったんだよ。
大雑把に換言すりゃポピュラー好きとRock好きの嗜好差ってなもんで、当時の日本じゃRock専門番組はやっと誕生しても枠が極小で5~15分の番組なんてのが精一杯だったなぁ。

っと長い前振りを経て今日取上げるのはアルバムExile on Main St.(’72)に入ってた、All Down the Lineって曲ざます。
私感的には従来のRock ’N’ Rollから、いよいよよりソリッドなRockへ進化したと感じましたで。

これには補足説明が必要で、Rockの発展って意外と順番が万人の想像するのと実際が異なってたん。
RockabillyからRock ’N’ Rollになって普通ならその次がRockな筈が、Pop Rock・Folk RockはおろかサイケやHard系より実は後だったんだよ。

上記名称を眺めて分かる通り何かを追加してみる方が先で、正に「塩だけで美味しくする」方が偉大なレジェンド達でも難しかったんだろうね。
内容は次回に深掘りするとして複雑化するでも簡略化するでもなく、全く意外な処にその鍵は潜んでたんだ。

=つづく=

2025年2月23日 (日)

音楽備忘録2017 ’70年代Rockの浦島太郎㉚

さて前回述の如く普通の日々を過ごしてると、年寄りでさえ変な潮流に簡単に飲み込まれる現実を目の当たりにした。
それでも新たな問題を生じないなら結構なんだが、育った環境の相違等を充分考慮しないと年寄りの冷や水になり兼ねんのよ。

そこで敢えて最新スタイルでの音楽制作を考えてみると、神経を使うべき個所が旧態依然のままに存置されてるのがあるん。
音楽的才能やセンスを除くと打込み主体で鍵になるのは、①使用アイテムの新しさ②新機器・アプリへの対応の早さなんじゃね。

杜撰君の好みも封印して考察すると、腕次第で相当結果に差が出るのが①の中でも音源なんよ。
こ奴が悪い意味で時代遅れの陳腐化してると、幾ら後の作業を頑張った処でサウンドの悪さはどうしようもない。

現況杜撰君が音源に一切費用を掛けてないのは人力主体だからで、それなら古臭い音で構わん場合のみの選択肢で何とか乗り切れそうだからだ。
その代わりリアル音源(つまり楽器類
)は8割は偶然とは言え、一応音色にはかなり拘った逸品を揃えてんだ。

ってか音源の方もホントのゼロレイテンシで生演奏に堪える新機種が全然出て来んからほっぽってるだけで、サンプリングSyntheは早期に飛び付いてたんだ。
っと先ずここ迄で判明したのが「半端は駄目よ」で、どちらを優先するにせよハイブリッドで行くにせよ「その時点で事足りるコンビネーション」が構成されてないと使えねんですよ。

前回古くからの親密な仲間をバッサリやったのもここに瑕疵があったからで、Lineで各人の機材紹介をしあった中に音源自慢が全く出て来なかったんだよ。
って杜撰君はLineは事情ありで使えないから、従兄に中継して貰ったんだけどさ。

宅だって満足な1発録りが可能なのは現状3人迄で、今集った4人に対して不足があるから本当は偉そうに言えたもんじゃないんだけどね。😓
只音源の重要性について俺や若い世代よりその深刻さに鈍感なのは確かで、もしかしたらあまりに良い音のが出たから楽器・譜面はまるで駄目だけど音楽作ってみるかなんてのが昔はあり得なかったからねえ。

つまり音源を考える時ゃ実際は弾けてもそれを忘れる位じゃないと、本質理解が不充分になるんじゃないかな。
同じくリアル楽器の方でも代替手段があっても無いと仮定して、現状で行けるかどうかって想像しなせーと。

こんな初期段階で目測を誤ったままにしといちゃ先が思いやられるってもんで、やっぱ「プロサウンドの水準」ってこんな場面じゃ最重要っすよ。
余程下手を弾かなきゃ聴ける音のツールが揃ってるのってスコア止まりなら兎も角、音楽制作者には作業前に準備しとくべき案件なのだよ。

そうしといてグラ付かぬ足場が保証されてからこそが建築の本番で、それへ全集中するのにも大事なんじゃね。
但し「今でも充分使えるモノ」なら新旧は不問で、先に用途が明確化してるならどんなのでも平気なのだ。

これ等からするとヨレた年寄りに特権となるのは生もしくはリアル合奏のスキルと、忘れていた骨董楽器の発掘なんじゃないかな。
手前味噌一例ではかつては上手く使い熟せなかったエレピ、売るのも捨てるのも面倒で残ってたのが今頃になって暗躍重宝してるぞ。

こう云うのに限っちゃ入手難になる前、捨て値で買ったのなんかをよくよく想い出してみる価値あるあるよ。
本来の意味からはチト外れるが、こんなのも年の功に含めといて良いんじゃないかねえ。

-つづく-

2025年2月22日 (土)

音楽備忘録2016 今更Beatlesから学べる事➍

だばRingo Drumの続きだが、彼の思うハイテクが完全に封印されたのはアルバム数枚を出した後だ。
その上「当時の彼」が思ったのだから今皆が思うのとは多少異なってて、そこに絶好のヒントが潜んでんだけどね。

わ一旦後回しにして彼のリミッタが一部解除されたのは、Beatlesではスタジオお籠りさんになってからだ。
ベタなダジャレになるが丁度その時期にEffectorの方のリミッタ(世間の多くはコンプと認識)を利用し始めてるのは、何か関係がありそうな気がしないでも無い。

それが俺言いゲスト・ソロ期にも暫く続いたものの、大々的なツアーを再開したら又封印しちまったのは個人的にはちょっち残念。
わⅡで兎も角ダイエットに成功したのは既存のフレージング概念を捨てたからで、要約すると歌のバックで手で小細工するのを先ずは止めてみた。

のがコロンブスの卵で、メインストリームでの先輩Jazzではそこに最も力を入れてたからねえ。
Ringo程は黒人であるが為に目立たなかったが、同時進行で米ではAl Jackson Jr.が従来は手で鳴らしてたのを足にスイッチし始めてた。

のはⅡで従前はあまりバスドラにはフレージングを担当させて居らず、言うなれば未開の原野がかなり残ってたんすよ。
奏者次第じゃ西洋太鼓は今だってSnareが中心だが、歌バックでごちゃごちゃ演られるのは正直邪魔になり易いんだ。

特に歌詞の死因じゃねえや子音を駆逐するのが困り、実はJazz全盛期でもそれに気付いた者は徐々にBack Beatキープに移行しつつあったんだ。
んが日本でJazzっつうと歌物Jazzが一部にしか浸透してなく、恐らく歌詞が英語なので敬遠されたんだろうけどJazz≒インストの誤解は早く解消すると良いんだけどな。

っとここ迄の記述で勘の鋭い人なら気付きそうだが、全く何のヒントも無しにあんなバスドラフレーズパターンが出来た訳じゃねんですよ。
それの最も明快なのがAl Jackson Jr.で、MG’sのGreen Onionのバスドラ。

俺も最初聴いた時ゃ何せ杜撰君だから、Ride Cymbalが唯の4分音符になってて一瞬舐めてんのかなんて思っちゃった。
けど良く聴くとSwing Beat基本パターンの所謂チィーンチキが分割されてて、2番目のチの所を足で鳴らしてやがるじゃねーですか。

要するに偶発ばっかじゃなく、従前に確立してた色んなリズムパターンを「足も利用」して再現させてたんすよ。
それは奇跡に近い発想の転換なんだが、以後あまりにもスタンダードになったせいでこの部分が軽視されてるのは誠に遺憾で御座居ますぅだ。

真のRingoフォロワーを名乗る殆どが、「バスドラで大胆な冒険」をしないんじゃあねえ。
ひょんなキッカケでSpeedkingを買ったら大化けとなった張本人からして、手で色々高度な事演るより本質的にはこっちの方が全然簡単なのだと証言しときたい。

だって真因は何にせよローテクな杜撰大王に出来たんだから、そんなに難しいなんてある訳ないじゃん。
もし本当にそうでないなら幾ら何だって、手の方もせめてBuddy Richの半分位出来てなきゃ可笑しいよ。

故に上記の冒険不足が遡上した訳で、肉体や知能より発想をロクに取込んでないからこんなんなってるんだよ。
そう云う意味で外見は無難に見えるRingoって、一切保身に走って無かったのも見落とせないね。

-つづく-

2025年2月21日 (金)

音楽備忘録2015 楽器音色一般のイメージと実際の違い㉓

さてイメージと実際に差があっていけないかったら、必ずしもそうとは限らない。
のにうだうだグダグダ愚痴って来たのは、望まぬ軋轢を産んだりするからなん。

1.その楽器では出し難い音色を要望してしまう
例外的音色をそうとも知らずに、もっと傾向を強めて等と口走り嫌われる。
これには聴取体験や知識不足が考えられ、楽器種を特定しなけりゃセーフになる事が多いん。

2.音色に鈍感過ぎたが為に所謂「バッティングする音程」を誤指定してしまう
こちらには主に2つのケースがあり他パートにマスキングされて無効化するのと、編曲が即アウトになるのとがある。
ほぼ2次倍音以上しか聴き取れない音色だからセーフになってたってのが結構あって、その場合ですら事後EQで盛られたりすりゃすぐボロが出る。

ので上記後者の「マスキングでセーフ」の方が事故確立はかなり高く、純粋な音楽理論より音響理論を重視しないとやっちまい易いんだ。
特に巷で罷り通ってる現行の音楽理論はClassicのみ由来のが未だ多いんで、迂闊に電気・電子楽器が主役のアンサンブルに適用したらロクな事ぁねえんすよ。

生楽器の場合如何に倍音含有率が低かろうと結構含んでるのが、SyntheでFilter発振させない正弦波は文字通り倍音ゼロなんだから。
それ故ClassicのPiano曲ではダンパペダル踏みっぱでどんな低音程を鳴らしてもギリセーフになるのが多いが、例えばエレキBassとSyntheでそんなんしたら最悪なん。

杜撰大王にはダメダメ典型体験例としてアホガキのクソBandっつうのがあったが、その子達のコンセプトは歌手少女がニーハイをバッチリ決めて萌えだったらしい。
のがBassのチューニングが盛大にズレてただけで、もう全編オカルトワールドでしてん。

JCの学祭のだから粗相は幾らでも許されたんだが、演者の誰も疑問に思わず苦痛に耐え切っちゃったのが却って救い様が無かったのよ。(ので聴衆の苦痛は堪え難いものに😓)
その中の1人は当初音程の怪しいニコ動ラッパーから紅白出場に迄上り詰めたんだから、よっぽど黒歴史に懲りたんだろうな。

わ兎も角せめて吹部か何かで生楽器主体だったら、きっと被害は軽減してたと思うんだ。
エレキとウッドの違い以上にClassic系由来のアンサンブルと、ポピュラー系じゃ音量バランスもだいぶ違うしね。

あっだからって低評価なBassistしか居らんくても、事なかれ主義に走ってBassを小さくするのは止めとくんなはれ。
1回こっきりなら未だしもその後も暫く続くんなら、問題放置せず解決せなあきまへんで。

っと来た処ででは実害の無い勘違いはったら、それを出す物を特定しないアイデアだったら面白そうなら何でもOK。
その場合アイデア提供者と実現・実行者が同一である必要が無く、音色イメージの翻訳家こそ追加で要るけどね。

偶発非依存で珍しいの変なの新しいのとかを求めるなら、寧ろ必須のプロセスかも知れない。
こんな事が起きたりするから受け手と提供側の立場の違いで、演る側なのにイメージと実際の相違等を知らんままだと困るんすわ。

-終り-

2025年2月20日 (木)

音楽備忘録2014 音楽でのアイデアの実現方法⑲

この件さしあたって思い付くのが出尽くしたんで、ってよりこれ以上続けるとダレるから総括に行こう。
頭で熟考するのも大事だが、杜撰大王的にはやはり実験を重視したい。

感性のアウトプットには特に必要とは限らないが、意識的なインプットの方で実験は必要なのだ。
勿論色んなのを沢山聴く事等に依って無意識下でのインプットはあるが、そう都合良く今求めてるモノがそこに含まれてるとは限らんからね。

但し実験だけで満足してたら先進みせず、その按配が問題だ。
これに関し少し思う処があり、PC師匠の親友が音楽創作から徐々に離れて行った一因なんだ。

俺等には音響屋の性っつうのがあってそれには絶好の興味の持ち方なんだが、音色だけ作れても音楽は作れないのよ。
確かにマニュピュレータとしての腕はどんどん上がるが、冷静に対応出来るのは自分のじゃないからでもあんの。

募る思いの丈をダイレクトにぶつけようとすれば感情的になっても当然で、内面は上記とは対極に近いものがあるねん。
ので例えば心地良いBallade用のなんて、テーマを仮説したりして実験に入る等が有効なんだ。

想像力に長けたベテラン作編曲家だったらかなり脳内だけで読みも出来て来るが、それは既存のものの組合せが候補が多いから可能なんすよ。
ってのもフルオケ若しくはパート数の多いのだと、全部を新しいのにするなんて困難だからだ。

冨田勲の全Syntheのは当時はお初だったが、オケ自体の構成は大体Classicのそれを踏襲している。
構成がClassic系から離脱出来たのはYMO辺りからで、必ずしも不可能じゃないが恐らく全部新しいので固めたら追い付けない聴者を多数輩出しちゃうんじゃないかな。

しかも俺言い「音楽は比較芸術」である以上、対比相手が不在だと何処が本当に新しいのか釈然としなくなる。
コレちょっち幼稚だがCMなんかでも頻用される手法で、他社の某従来品A〜Cと自社新規D商品の比較を大袈裟に誇張したりしてるじゃん。

音楽じゃ無く唯の音だったら一部はスペック化も可能だが、雰囲気等「感性レベル」の問題となるとそうは行かない。
それ故所謂「現物比較」の重要度が高くなり、それには残酷だが「捨て駒」的存在が要るんすよ。

いや捨て駒ったってホントに不要な音なんか入れちゃったら駄目だけど、それ等には斬新さ等は敢えて封印しとかないとね。
処が新音に対する興味が強過ぎると俺言い「捨て駒」に気が行かなくなって、新開発のが既存のどんなのとならフィットするかが欠落しちゃうん。

そうしてる内に新ネタこそ溜ってっても、それを段々上手に使えなくなってくの。
一面でこれって今の日産自動車の凋落とダブってて、大衆が欲しがってるのじゃないと幾ら優れた新技術でも魅力に感じねんだ。

これがプロドライバ向けの車種だったら未だしも、その辺の普通のおっさんやおばはんに運用方法を自分で考えろなんて暖簾に腕押しやんか。
生業にしてなきゃ実害こそ少ないが、この先への道を自ら遮断してまうのは確かですよ。

ので守りと挑戦のバランスが大切で、ささやかな趣味レベルでさえ忌憚無く続けるにはこれは大事。
学園祭で友達に誘われたから一時参加なんてのは別として、適性故か多い様でいて案外長く続けられるのって少ないんじゃないかな。

音楽でも腱鞘炎になって撤退ってのがあるが、スポーツだとその比じゃない位惜しい事をした前例が沢山ある。
それで誰もが読書家にでも、すんなり転向出来たら良いんだけどさ。

=了=

2025年2月19日 (水)

音楽備忘録2013 ’70年代Rockの浦島太郎㉙

今回の副題は「ブルータスよお前もか」って突如哲学に目覚めたでも無く、少々身内同世代の仲間に呆れたからなんだ。
キッカケは30余年前にお蔵入りとなった過去親友作品の再登用で、当時の生残り関係者を集めたのに始まった。

早逝した作者からは生前従兄と俺が後の扱いを任されてて、長い間陰乍ら機会をずっと伺ってたんだ。
それを彼の最初の音楽パートナーがそろそろ皆ヤバいかも知れんからとお呼びが掛かった迄は良かったが、どうも何だか雲行きが怪しくなって来やがったんすよ。

その提唱者は芸能界に属して久しいんでそっち方面の怪しさは、理不尽にお金が掛かるとか無きゃとっくに容認してるんだ。
が再登用のコンセプトやアプローチに関しては、何せ本人直々に言い渡されてるから確かなものじゃないと承諾する訳には行かねんですよ。

実はこの件とは別に個人的には姿勢こそ齢もあって消極的だが、ずっと密かに1Band分のメンバーは集めようとしてて…。
けど1に人望2にそっち方面の運にあんま恵まれてないから、大昔述の休養君みたいな事態に陥って何時も最低限の人数が中々満たせんのですわ。

わ兎も角現時点で個人的にかなり重要な懸念となってるのが、全てが人力メインスタイルでは無さそうな処でしてん。
大抵の場合はそうだがメカ(特に音楽や音響)に関しちゃ集団中俺が一番詳しく、その身からして今更若者みたいに機械力に頼ったって勝負にすらならないのになと。

加えて不動の一家言として作者本人はどんな機械を利用しても、個性を全く損ねない稀有な存在だったってのがあるねん。
彼程では無いにせよ俺もタイプ的にはそっち側の人間で、強引だろうと非合理だろうと誤った使い方だろうと飽く迄求めるサウンドを優先するやり方でさ。

それを機械様に服従…と迄行かなくても、ガチのタイマン張る根性の無い奴が扱ったら結果は見る迄も無いっしょ。
だが年寄りのプチ特権としてオーバー還暦野郎共は、凡ミスこそ激増してても手動とかマニュアル操作には長けてんのよ。

そこへ持って来て作者の作品の殆どはノリも含め圧倒的なアクの強さ…おっつ個性的なんで、幾ら曲だけの生き返りをさせるにしても極力打込みとかClick使用は避けた方が断然有利なんすよ。
因みにClick使用の是非についての杜撰大王基準は、万一ズレた際は「機械の方にエラーが出た」様に聴こえるならOKなんだ。(現実にはあり得ないが感覚では聴者が一瞬騙されるみたいなね)

決してそんな意識は奏者自身には無いだろうが、要は自身のグルーヴが機械に支配される様じゃ不向きって事。
そいで今迄色々世間の様子を眺めてて気づいたのは、生まれた時からClickが当然の絶対基準だった連中は我々とは違ったって。

縛りがある分味はだいぶ薄くはなってるが、メトロノーム位しか無かった世代とは意識レベルが段違いなのよ。
ってか危うくならない限り彼等は全く無意識と言っても良く、対して年寄りでLiveでも昔っから常にメトロノームを使ってた人なんてまず居ねえ。

結局作品が作られた時代背景が色濃く反映されてたと考えてもで、そこを下手に弄ると作品の世界観を勝手に捻じ曲げる懸念が残っちまうだよ。
ポピュラー系と思うと今更感が湧くけれど、Classic系等では今現在だって弾く前に一々Enterキーなんか押してないっしょ。

=続く=

2025年2月18日 (火)

音楽備忘録2012 今更Beatlesから学べる事➌

3つ目はDrumを中心としたリズム案件で、次回以降執筆予定のコードと共にこれ見よがしに演ってるのが殆ど無いせいでかなり皆に聴き落されてる件ざんす。
これ等は奴等全般に及んでるんだけど、杜撰流キーワードは究極のダイエットだ。

変な話し今頃偉そうに語る背景に、杜撰大王が過去にした数多の勘違いってのがあるん。
その最大のはコピー演奏が可能化したから、近い感じ・近いレベルのフレーズや曲だって作れそうと思い上がっちまった件だ。

これを言い切っちまうのは時代背景や運があったにせよ、もしかしたら彼等以上のポテンシャルの持ち主達の誰1人として凌駕出来て無いからなん。
さて続きを語る前にキーワードのここでの意味合だが、本家はリズムやグルーヴを表現するのに必要最低限しか演ってねんですよ。

それをちゃんと理解したのは彼等メジャーデビュー寸前のと直後ので、全体のサウンドがどう変わってたかでしてな。
で自分勝手に「そうか普通にフルに演っといてから、どんどん断捨離してけば良いんだ」って。

でこれ自体はご名答だったものの、中々彼等程はダイエットし切れないのに暫くして気付いたんだ。
恐らく原因はどんなに作った曲が自他共に名作と思ってても、本家と比べたらかなり駄曲だからっすよ。

一目瞭然の好商品にならあまり説明は要らないが、微妙なのだと一々あーだからこーだから優れてるとか付け加えないと分かって貰えんべ。
一面でその説明が音楽では編曲が担ってて、一般的には駄曲程編曲で持ち上げてやらんと理解が進まない。

但しこれ等を除いても極力シンプルには大いに意味があり、聴いたモノがその分早く誰にでも内容把握が出来る処。
尤も駄曲で編曲に凝り過ぎると性格が最低な美人みたいになって、一度は凝視するが以降は誰も相手にしなくなったりしてな。

わ兎も角それなりに上手なダイエット方は、曲に集中して聴き込んでみる事ざます。
シンプルなのとせいぜい数か所だけ豪華にした演奏を聴き比べ、最低その場に居る誰もがほぼ同等と感じたらそれ等は加えた効果が無いんだ。

だけど無駄でも自分のアイデンティティ同然だから付加しときたいとか、曲に対しては無自覚のエゴが発動して捨てるのがつい惜しくなったりするんだよなぁ。
又別面では音楽的にはそこそこ高級な事演ってんのに、見掛け上に凄さが無い為にサルでも出来そうなんて思われ易くなる。

のがRingo逹一味は何故全く意に介さずに居られたかったら、我々凡人とは真の実力に計り知れない差があったからだ。
のを簡単に言や俺等はせいぜい10ある内の半分程度に抑えてたとして、奴等は1000以上も持ってるのに普段2か3の力しか出してねんですよ。

ジャンル不問でそこそこ本格的に演れたにも拘わらず、しれっとアホガキアイドルのフリみたいな真似をしてたんだ。
尤もⅡで決して自然に辿り着いた訳じゃ無く、絶対的な自信を携えて全力で臨んだデッカのオーディションであっさりハネられたからだろう。

で実はRingoがその意味での簡略化が最も遅れてて、今とはタイプが違うが初期の方が当時の高等テクなんかを使ってたんだ。
のわ恐らく前のBandより歌う頻度が減ってたからで、メジャーデビュー時他のメンバーより既に評価を獲得してた歌手でもあったからなんじゃないかねえ。

-続く-

2025年2月17日 (月)

音楽備忘録2011 楽器音色一般のイメージと実際の違い㉒

手漕ぎボート並に進捗の遅い拙ブログでも、いい加減で総括へ筆を進めよう。
のに際し近年では大きく2つの主因があって1つは従来からの奏者と聴者の環境差だが、2つ目の新参者の比率が高まりつつある。

一体それ何?ったら、奏者ですら完成作品の予測が困難化した事だ。
便利・簡便・経済性で旧来のアナログに圧倒的優位なデジタルなんだが、誘惑に負けてデジタル領域での強力な加工・修正に依存し過ぎになっちゃったんだよ。

その結果奏者は質より迅速な音源提供が求められ、言うなれば血統の悪さ等が最後迄足を引っ張ってる様なのばかりになっとん。
現況デジタルで補足不能な生や真空管にもっと目を付けるべきで、そこだけは音源の段階で施しときゃ良かったんだがね。

どうせ切り貼り編集を前提にすんなら、1曲通してノーミス遂行出来る迄待つ必要は無い。
ので何処かを借りて演るなら、タイムコストはかなり下げられる。

んがそればかりに走っては唯の粗製乱造となり兼ねんから、高品位な収録音の方へもう少し時間と予算を回しゃ良いんだよ。
っとここで遠吠えした処ですぐに状況が変わる訳じゃ無いからどうするかったら、自身にとって最低限必要な加工度の低い音が聴ける場を探すのだ。

創作に携わってて自己基準になる生音がもし無かったら、そのまま幾ら続けたってピントのズレが永久に埋められないから一大事なんだ。
実は身内に音楽家2世にも拘わらずここの怪しいのが居て、なまじ本物に何時でも触れられる環境に居たのが仇になったのかな。

或は本物とは似ても似つかぬ紛い物の洗礼が足りなかったのか、要点の解釈がどうも未だ甘いままなんだ。
テク・フレージングに加え容姿もあり余ってるから実に勿体無く、音色とリズムの鮮度さえ解決したら正に万能なんだけどねえ。

しかも不思議なのは杜撰君同様音響屋でもあり、耳も健全な筈なのに。
そうなると考えられる原因は唯1つ、自身の確固たる音の基準が未だ確立出来てないからなんじゃないかな。

ってのも育った音環境が杜撰君とは真逆に近く、球サウンドを除けばこっちは何時も何かしらの不満を抱えた状態が長く続いてたんだ。
飢えた処へ御馳走が登場すれば猛然と喰い付くし、その印象は深く恒久的に心に刻み込まれる。

のが大した不満も無く過ぎてれば一応記憶には残っても、一々詳細に分析したりあそこがああでここがこうだから素晴らしい等と固執したりしないんじゃないかな。
まあこれは例外的で普通はありつけなくて苦労するんだが、相応しい体験と素直な記憶が無いとこの件は正確に把握出来ねんだ。

それから個人の好みとは独立した感性が必要で、癪に障ろうと大嫌いだろうと美しい音が沢山あるなとか皆は好きになれそうにないけど自分はこんなのが好きとかあるじゃん。
こう云うのってどっちに転んでも得だけ損だけとはならず、唯一無二の独自性と受容れられ易さは反対側に位置する事が多い。

-もう1回つづく-

2025年2月16日 (日)

音楽備忘録2010 音楽でのアイデアの実現方法⑱

ここ数回のはアイデアの段階から「実用性への考慮」の重要性理解促進目的だったんだが、かと言って必ずしも常に意識するのが得策とは限らない。
今回は↑の分別の仕方に言及するが、なるべく無条件にしといた方がアイデアは湧き易い。

んが無理な組合せと分かってる音色等に関しては、無条件で編み出すと徒労に終る公算が高いんだ。
って事はそのままでは使えないアイデアに対し、どう料理すれば喰える様になるかも併せて発明すりゃエエん。

その具体一例を示せば例えば楽器種は敢えて不問とするとかで、これには元々各個人の想像する楽器音に現実にはあり得ないのが混入してたりするからだ。
長く一種の楽器だけに携わって来ると良い方では知見に満ちるが、悪い方では固定観念に囚われ過ぎちゃったりさ。

そんで例えば自身のGuitarは大体この範囲しかないと勝手に思込んで刷新が進まないのに、他パートへ無責任な要望を提案したりして疎まれたりなんでのが…。
決して悪意の無いのは分かってても自分を差し置いて厚かましい、そう受け止められるのが普通だよね。

ここでは上記自体をどうこうってんじゃなく、要するに第三者視点に立つと今迄見過ごしてたアイデアが出て来る処。
但し当然門外漢だから専門的に欠陥のあるのも少なくなく、それが楽器種に拘らなきゃ可能性が芽生えるケースがあるん。

杜撰君は電子楽器の無い時代に本格的な編曲に取り組めてないから想像の域を出んが、時にはオケの色んな楽器にあるフレーズを試奏させて模索したりしてたんじゃないかな。
演る側としてはどれで演るかに大抵はそりなりの理由があるんだけど、聴く側にとっちゃ実際の聴感が全てでそんなの知った事っちゃねえんすわ。

但しⅡでフレーズを優先するか音色を優先するかの、選択を迫られるケースは少なくないだろう。
なるべく理想に近く事が運ぶに越した事ぁないが、いきなり頂上を目指すのも確実性に乏しい。

この辺は正に登山と似てて、確かに今ならヘリか何かでいきなり頂上に降りる事自体は可能だ。
が非日常的な標高ともなると肉体の対応が追い付かず、全身に気圧服でも纏ってないと忽ち高山病になっちまう。

音楽の場合はそれをやらかしてもすぐに息苦しくなったりはしない方が多いが、そんな際こそ裏に重大な欠陥を抱え込んでしまうんだ。
最も愚かなのは周囲を無視する事で、自パートだけの独りよがりに染まるケース。

実アンサンブルって半分以上は組合せの結果「そう聴こえて」て、常に全体を意識しとかないと効能ゼロになったりするん。
夜間眩しいと思ったライトが昼間に見たら大した事無かった、なんてのが音楽では更に頻繁に起きてんすよ。

因みに楽器種に関して杜撰君にも苦い想い出があり、Guitarで頭打ちになったからBassを始めたのにそしたらGuitarが断然向上し出したなんてのが…。
だが界隈の前例をあたってみりゃ良くある事らしく、もしかしたらすぐムキになる性格の人はその方が視野が広がって良いのかな。

何れにしても上記以降マトモに想定するパートが1つ増えたのは間違い無く、想い付きが全然使えないってケースがかなり減っただよ。
何せもしGuitarに合わなかったら、即座にBassに持ち替えて試せるんだから。

-続く-

2025年2月15日 (土)

音楽備忘録2009 ’70年代Rockの浦島太郎㉘

今日は新楽器についてひとくさりと参るが、21世紀に入ってからは玩具と職人の道具の隔絶が気になるんだ。
そこで生贄にオタマトーンと古のリボンコントローラを取上げるが、後者の方は今となっては説明しないと全然分からない人も多いかも。

で早速説明だが杜撰大王も大昔一寸楽器屋店頭で弄っただけでちっとも詳しかないんだが💦、Synthesizerのコントローラとしてかつて存在したんだ。
残念乍らSynthe奏者って≒鍵盤奏者が主流だったから今一広まらずだったみたいだが、これはリリコンやGuitar Syntheも今の所は変わり者扱いだ。

でⅡでその正体はってばアナログのは完全に連続的に、音程その他をリボン状の位置で制御出来るっつう代物だす。
要するに現代のオタマトーンの先祖で、超簡単に言やリボさんは主に横方向だったのがオタちゃんは縦方向でコンパクトになっただけだ。

尤も形状とネーミングは新規独自のもんで、気楽さ手軽さに加え可愛さに萌て女子の方により人気がある。
操作(演奏方法)がGuitarなら通常奏法とSlide奏法みたいな関係で、もっと言や杜撰君的には自動車ギアシフトのマニュアルとオートマに近いと感じてる。

今の一般ドライバーはオートマの方が運転が簡単と思ってて、実際突き詰めなきゃそうだろうね。
けど例えば最速を叩き出してやろうなんて思うと、実は夫々に難しさが潜んでるん。(それ故近年の上級クラスのレースではハイブリッドシフトが主流)

実践的には奏者(ドライバー)の性質とか得意と合致してる方が好結果が得られるもんで、俺はGuitarだとSlideの方が性に合ってたな。
必ずしもテクレベル迄そうなる訳じゃねえんだが、直観的に奏でられるのは今でもSlideの方なんだ。

こう云う面で誰にでも適性があるから、理想的には両方が同じ様に発展してくれると良いんだけどねえ。
多数派が巾を利かせるのは已む無いが少数派にロクなのが無くなると、そのせいで万一にも貴重な才能の持ち主を埋もれさせるかも知れないん。

他分野でも同じく今劣化本邦ではそんな具合だから益々不景気になってて、ポテンシャルの大した事無いのへばかり予算を掛けてるな。
それでいてもっとギャンブル性MAXの投資には意欲があるってんだから、バカに点ける薬はにゃーでんがな。

わ兎も角音楽の方でこれの足枷となってるのが現行デジタルで、人間にバレない程度ではあっても真の連続制御が大の苦手なんす。
恐らくはこれが何時迄経ってもオタマトーンの本格版とかが出現しない理由で、かつて思ってたよりは音楽にデジタルは不向きだったって事った。

これを正直に認めない限りは先の展望は開けないんで、先ずは直ちに認める処から始めて貰いたいもんだ。
でⅢで今回言いたいのはちっとも近年のは「ロクにミュージシャンじゃ無い奴等」が作ってそうな処で、杜撰流の皮肉にすりゃ「痒い所にだけ手が届かない」ってなもんだ。

過去にだってその類が少しはあったが、許された・認められた原因ってのを全く考えてねえよ。
それ等の多くは既存のと「桁違いの高音質」だったりで、メロトロンが16bitサンプラーへ進化したみたいな差があってん。

そこ迄行ってると、電子回路をかじった程度のミュージシャンには到底作れないから。
しかも当時かなり詳しいってもアナログに対してで、デジタルが身近になったのはずっと後になってからだったし。

-つづく-

2025年2月14日 (金)

音楽備忘録2008 今更Beatlesから学べる事➋

続いてはPaulのBass全般についてだが、フレーズやテクの事は語り尽されている。
が取敢えずもう1つだけホントは着眼点があるんだが、今迄概知の範囲では誰1人触れてないので僭越乍ら筆を取らせて頂こう。

それは1音の長さで、細かく言えば彼はとっても休符が多いんだ。
実感的には上記より最適な長さを常に意識してると換言した方が適してて、ピック弾きメインでは指弾きのより気を付けるべきポイントなのだ。

さて今更ではあるがそもそも「Rock Bass」の特徴はったら、他ジャンルのよりリズム(ノリやグルーヴ)に優位があると俺は思うんだ。
その根源が「無駄にダラダラ鳴らしっ放しにしない」で、それに依って唯のルート連弾でも自在なバリエーションが得られんねん。

勿論止めないで鳴らし続けるのも曲次第では存在するが、それとて普段途切れさせてるからこそより差をアピール出来るのだ。
最適長さになったら必要でなきゃ常に止めてるのは、登場当時としてはかなり珍しかったんだよ。

尤も物凄く大雑把な解釈をすれば、Bassならサムピングとか鍵盤ならOrgan系以外はホントは不適切でもそんなに酷かならないけどな。
だがそれは他楽器のお陰でRockに聴こえてただけで、Bassだけを取出して聴いたら大抵はそこ迄じゃ無くなってる筈だ。

当時時点での従来奏法では開発元がウッドベース(コンバス)のピチカートだった為、相対的に余韻が目立たず短目だったから止める方は放置しててもそんなにだらしなくはならなかった。
のがエレキでは余韻が大して落ち込まない他、その次の音の頭がハッキリしなくなりBeatへの貢献度が極端に落ちちまうだよ。

そしてリズムでのバリエーションに大いに影響があり、鳴らすタイミングだけで作るとアイデアの半分位を損ねちゃうんだ。
単純な8分連弾を生贄に説明してくと鳴り止ます方を入れなきゃ、①適宜強弱やアクセントを加える②音色でスタッカートに寄せられる程度。

のが止める方も加えてそれを色々応用すると、一気にほぼ倍増するんすよ。
Guitarカッティングでは演奏上の都合からピックはずっと16分で動かしといて、押弦する指を緩めて俺言い「擬似休符」としてるのは常套手段だよね。

上記実際には所謂「空ピッキング」の音も付加されるが、余程でない限りGuitarらしいから許されてる。
その箇所を鼻歌でと問われたら多数派は空ピックは省くのが普通で、歌うのは実音が小節頭から鳴ってない時位じゃないかな。

他のレジェンドを蔑みはしないが、Bassが現行スタイルになると同時に本名がBass Guitarなったのを皆忘れてやしねが。
つまり折角Guitarでの奏法の多くが可能化したのに、それを使わんならウッドBassのままでも良いじゃん。

要するにエレキBass使用が最初にデフォになったRock当初には、この点でCarol Kaye共々Guitar経験者なのが有利に働いたんじゃないかな。
過去日本の悪しき誤伝統「Bassは指で弾く物」の残り香等のせいもあって、今回の件がロクに語られてないのかねえ。

=続く=

2025年2月13日 (木)

音楽備忘録2007 楽器音色一般のイメージと実際の違い㉑

相変らず文章が稚拙で済まんが、前回末尾の誤認対策で補遺から。
正確には誤認の他逃す可能性もあって、万一にも再生機器が記録されたローエンドに非対応等のケースだ。

今劣化本邦では共通条件で聴かれる率が飛躍的に低下してるし、それと同時に軽度の難聴とか聴感覚に変な癖が付いてても把握スルーされてる可能性大なのだ。
そしてその現状は到底個人や小さな集団では調査不可能なんで、昔みたいにこの手は主にラジカセで聴かれるからこんな按配になんてのが通用してくれへん。

音響ヲタ的には主用されるブランドタイプの混沌化したのがガンで、かつて日本では歌謡曲寄りなClarion等とオーディオライクなSONY(全機種じゃ無いが)みたいな棲み分けがあったんだ。
杜撰君はそれを魔用して歌はClarionで伴奏やインストはSONYでなんてやってたんだけど、いつの間にか何だか中途半端にごちゃ混ぜになってしもうてのう。

ほいで徐々に本題へ向かうが、上記等が新たに発生してっから聴取環境が以前よりバラバラになってんだ。
そんな中誰にでも「同じ感じ」に聴こえる様にするのが、却って昔より困難化を招いてんの。

大昔は雰囲気だけその後の昔は単純にHi-Fiにすりゃ及第点だったのが、今では両方をそこそこ以上のレベルにしとかないとならなくなったんすよ。
そんな中対策遅れと思しきが雰囲気の方なんだがここで扱うのは、例えば前述の通りそんなにローエンドが出てるならそれより上の帯域にも相違がある筈だみたいなヤツだ。

大柄な楽器若しくは発音体で生成された低音には、単に音程が低い他に色んな要素が実際は付帯して来る。
その①皮が大きかったり弦が長きゃアタック音を始めとした反応が鈍目になるとか、②そのエネルギーも大き目となるので他の物体等が揺すられて音を立てる等だ。

俺知りでの最好例が概述BeatlesはCome Togetherのバスドラで、①はOn Micの高域で②はスナッピーの共振音で現場の臨場感を俺達に伝えてくれる。
尤も②の方はバスドラよりBassのローエンドに貢献してるが、特別共鳴し易いチューニングにでもしてない限り流石にメロタム叩いてスナッピーの共鳴を感じる奴はあんま居ねえべ。

そう云や古代述だがDrumsetのバスドラって、人知れず単体の時とは少し異なるサウンドを皆は普通の音と認識してるんだよね。
そもそもバスドラの打面と響き線の付いてるSnare裏皮って至近距離にあるんで、仮に所謂共振・共鳴現象が起んなくてもその振動でザッってなっちゃうんだ。

粗雑な扱いのDrummerだったらセッティング時とかに何かにぶつけると、スナッピーSWがOnになってたらカン・コンとかじゃなくてザって云うの概知でんがな。(すんまへん、オラの事だす😓)
かつて一時期はモア明瞭度忖度の為↑を雑音とみなし忌避された時期もあったけど、打込み勢力が台頭して来ると生リアル固有の貴重な現象なんすわ。

因みに打込み音源にはわざと入れてあるのもありそうだが、Snare叩かないけど途中でスナッピーSWをOffにしたみたいなシミュレートは聴いた覚えが御座んせん。
生合奏してたらさして珍しい事じゃないんだけど、物知りベテランDrummerのバスドラサウンドは所望次第でこんなのを使い分けてんすよ。

別の言い方をするなら出てたのに重要じゃないと思って無視しちゃった音ってのが意外とあるもんで、普段はどっでも良い事が時には運命の鍵を握ってたなんてのがあるん。
スナッピーの伴鳴りの無いバスドラって、あるのよか何となくガッツがねえからお試しあれ。

-続く-

2025年2月12日 (水)

音楽備忘録2006 音楽でのアイデアの実現方法⑰

例に依って順番が逆みたいで何だが、番外編Ⅱは人造残響の秘密にもちょっち触れとこう。
人造残響だなんて変語にしたのはDelay・Reverbその他諸々全部纏めて扱いたいからで、更にはアナログもデジタルもね。

さてDelayの方はどんな人造のでも基本構造は天然のとそんなに違わないが、Reverbの方はアナログでも全電子回路生成以降の多くは構造が違うのにご注意なんす。
ビフォーアナログ全電子のは何かに響かせてそれを利用してたんだが、アフターのは動画と似ててその殆どは真の連続になってねんですよ。

私的にはそのせいで艶や雰囲気を劣化させてると考えてて、録音だって映画フィルムみたいに最初からコマの連続になってたら良かったんだがね。
コレ大元は苦肉の策か或は利便性やコスパの為かワシャ知らんが、人間の眼の錯覚を魔用する作戦なんだ。

動画をコマ送りしても超速記録のじゃないと、Buddy Richのバチの動きなんかだと間が欠落してたりするよね。
だと残念に思ったりすっけど肉眼で凝視してたって、とてもじゃないが凡人には全ての軌跡なんか見えてやしない。

全盛期のイチローだったら昔の漫画手法の1つよろしく、脚が描かれてた感じで軌道位は読めたか分からんがね。
それ故一般実用上は見分け限界を下回らなきゃ、コマ撮りされててもボロは出ねんですよ。

のが聴覚の方でも同様例えば凡そ間隔が20mSec以下になると、人間には音が2つあるのが判別不可になる。(少なくとも1つで無いらしきは分かっても何個あるかなんてのは)
しかし折角連続記録・加工出来てたのを捨てちまったせいで、音変化の途中経過情報が著しく減少してんすよ。

総体的には肉を切らせて骨を断ったつもりで大きな誤りでは無いけれど、音の存在感・艶・雰囲気やリアリティは結構減点になってんだ。
数年前から従兄とのユニットでは例外時以外リアル「階段バーブ」しか使ってねんだが、杜撰君の本音としては響き自体はギリ合格点って感じでしかない。

のになして執着してるかってば、残響音色以外の殆ど全てがその方がナチュラルでいられるからだ。
最適プログラムのデジリバの方が響き自体は遥かに美しいが、良く聴き込むと何か元音の方迄勝手に弄られてんすよ。

ノイズフリーで煌びやかさに限界が無い代わり、折角微妙なさじ加減が上手く行った演奏が何か単純化されるっつうかさ。
それだと楽器は現状殆どDrumしか演ない従兄の個性露出が減っちゃうし、従兄の所を一応活動拠点にしてるのにその場所固有の雰囲気も削がれちゃって。

この点だけは未だかつての「連続」式が圧倒的に勝ってて、特に生楽器にはより影響がある様なんだ。
最初から電気・電子の威を借りてるなら、既にその時点で固有の弱点もセットで入ってっから現行デジタルの御利益が勝ってはいるんだけどね。

従兄に忖度する気は皆無でもDrumサウンドに拘るのは、ポピュラー系では最もシンプルな演奏頻度が高いからなん。
弦や鍵盤なら物量作戦もし易いがそれが難しいんで(従兄の場合は叩けないんじゃ無く喧しくて邪魔???)、音色・表情・雰囲気等にそれ等以上に気を使わんとすぐ変質しちまうんだ。

個人的には担当の多いBassに矜持があるが、エレキの場合電子回路での小細工の余地が残ってる。
その余地が無い分Drumの方が条件的に厳しく、現実的には唯各パートの公平性を保ってバランスさせ易くしたいんすよ。

-続く-

2025年2月11日 (火)

音楽備忘録2005 ’70年代Rockの浦島太郎㉗

今日は副題「進化のバランス」を掲げて進めるが、私感ではあらゆる分野で今が最大かもと感じている。
多分世代的な影響もあるんだろうが、’70年代って未来予想図みたいのがかなり多かったんだ。

少なくとも表面上は敗戦禍から脱せたのと高度成長期で資金も意欲も豊富だから、次はアレを今度はそれをが決して単なる夢物語じゃ無かったん。
で当時のそれに依れば陸上の乗り物は少し地面から浮上可能になってたりして、実際リニアモーターカーやドローンとかで実現し掛かっちゃいるんだけどさ。

でも特に後者は過去予測のとはかなり別物で、現況のの実態は唯の4発ラジコンヘリに過ぎない。
空飛ぶ自動車にしたって過去予測のはもっとホバークラフトの小型版で、今のみたいな変形飛行機じゃ無かったんだ。

そして鉄ヲタとして執拗に吠えたいのが連接車で、原理的に乗り心地と曲線通過速度を向上させられるんだけどね。
確かに振子装置やアクティブダンパーを使えば補えはするが、付加機器を増やす点では非合理でしかないのよ。

そもそも未だにどちらさんでもレールと鉄輪に固執してるのが愚で、一番古典的な箇所を進化させなきゃ他をどんなに進化させた処で足枷になるのは明白なのに。
と言いつつ楽器みたいに下手に進化させたら固有の魅力が消失するのもあるから、何でも一概に進化させりゃ良いってもんでもない。

どんなに低性能で非効率でも現に相変らずSLは人気だが、本当に味わう為には変な所だけ刷新しちゃっちゃ駄目でしょ。
蒸気時代客車の扉は全て手動だったのが安全の為の自動化なら許したとして、流石に煙も水蒸気も全然出なくしたら最早デザインだけになっちゃうよな。

あと体験が目的なら本来は冷房もアウトなんだが、近年の異常酷暑では付けとかんと夏場に運航出来ない。
がホントに先に必要なのは機関車の運転室なのに、諸事情からとても困難とは言え放置してるのは明白な矛盾だ。

それなら客車冷房を止めて下手に儲けに走らずに、冷房が必要な時期は思い切って運休にすべきなんだけどなぁ。
その根拠の1つに「走行風を満喫」っつうのがあり、バイクやオープンカー同様風でスピード感をってのがあんのよ。

バイク・オープンカーは私有地内なら免許不要で運転出来るし、それよりゃハードルは上がるが肉体的障碍無くば免許を取れる可能性がある。
だが鉄道では素人には門戸が開かれて無いし、増してや自身の代わりに運転してくれる人を探すなんて夢物語に等しい。

そう云った意味で電気楽器から真空管を除外してては、こう云う物だと云う正しい体験が不可能になってんの。
誰もが一通り体験をした後だったら縛られなくても一向に構わんが、杜撰流に言や現状はまるで見合い結婚の大昔に戻った様なもんすわ。

それで昔みたいに離婚は恥みたいな認識も無くなってっから、安易に手を出してサッサと諦める人を増やしてんじゃね。
それの行き過ぎが又罪なのは、本当はどんな物かを知れずに止めてしまう事。

すると粘り強い性格とかたまたま一定以上続けられた者と、真実を知らされず即座に投げ出した者との体験の乖離が拡大して2極化・分断が促進される。
挙句には演っても演らなくても思考狭窄に陥り、やがては所詮は唯の楽器なのにナントカ族のアイテムへと逆行だ。

スポーツ界には未だ新参種で態度の悪い選手がいると慌てて蔑んでるが、高額年俸を貰ってるプロ野球選手の淫行の方が余程性質が悪いのにNPBでは何故か永久追放処分にならない。
かつての暴力団等確かに社会を害する部分は少なくなかったが、どう考えたって裏金議員が誰1人逮捕されない方がどうにもヤバイっしょ。

-つづく-

2025年2月10日 (月)

音楽備忘録2004 今更Beatlesから学べる事➊

今や音楽の大スタンダードになって久しく、データ・スペック・理論上の情報ならとっくに出尽くしてる。
んが近頃気になり出したのが本人達の真意の理解で、似た様なスタンスでこないだイチローが野球の将来へ苦言を呈してたんだよ。

彼はプロスポーツ界の住人なのに、「感性」と云う言葉を使ってたのが印象的だったん。
野村克也亡き今データの使い方自体に苦言を呈す人が希薄になり、門外漢ならノムさん=データのイメージでもまあしゃーないけどさ。

他分野の者が僅かでも引用・応用しようと思うなら、もっとそこ考えなきゃ駄目なのにね。
音楽で最も初歩レベルで言うなら、初音ミクのソフトだけ買ったって売れっ子になれないのは誰でも分かってるべ。

のに一寸レベルが上がったらもう皆忘れてて、イチローが語った如くどんな崇高なレベル迄行ったってこれは不変なんすよ。
でBeatlesだが今回はAll My Lovingでの、Johnのカッティングについてざます。

周知の通り4拍子の曲で3拍子の派生形で演った訳だが、リズムの正確さが今一なんてのだけ聴いてたらマヌケやで。(実際何となく危なっかしいが…)
何割そう思ってたかは分からんが、他の3人とは「絶対迎合しない」って意志を持ってたに違いないんだ。

1人だけ異なるリズムって彼のお家芸の様で、ソロになってからでも実はちょくちょくそんなのを演ってたんだ。
杜撰君的に最も印象に残ってる曲はRememberで、是又リズムの正確さより明らかな「ノリ・グルーヴの違い」にショックを受けたん
だよ。

要するに理論・技術的にも少し高度ではあったけど、真髄は異なるグルーヴの並立にあったんじゃないかな。
ってのもそれとは気付き難いスムーズな演奏なら、Jazz全盛期を始め他の多くのレジェンド達が目立たずもとっくにやってんですよ。

凡人としちゃPop系歌物での物珍しさには気付いてるらしいけど、もうちょい高級なヤツでは寧ろ編曲の常套手段の1つになっとりま。
処が普段からなまじ自在な演奏に慣れ切ってると、刻み(拍)固有の癖強なノリは汎用性が低いから消失気味になってくんだ。

演奏する側の都合としてはそれで正解なんだけど、ミスマッチ感がある程素人は聴いててオモロイやんか。
到底合いそうにないのに何故か大きくはズレたりしない、不思議だなってさ。

Jazz理論でリズムや和声の高度変換技術は、それに依って従来の使用法を打破した価値はある。
がその反面もっと基本レベルでの個性は少々邪魔になり、そうせんと随時で完全に自由な組合せには出来ないからね。

人間ってその方面で完璧なKYでも無いとリズム→ノリ→○○節で調子良く演られると、ついつられてそっちへ迎合しちゃうやん。
特に「合せられる限界近くの強烈な個性」だと、僅かでもつられたら途端に汎用性が落ちるから。

只それを嫌うと味(癖・個性)は当然どんどん薄まるから、感性だけで聴いてる人への面白味はどんどん減っちゃうんだ。
この辺も含めJazzがどっちかったら幼児にウケ難くしてて、かと言って変態レベルにすりゃ今度は紳士・淑女が顔をしかめると難しい処だ。

良い意味で本人達からアカデミックな言及が無いのは、感性の都合で高度とハイブリッドを利用する結果になったからじゃないかな。
もし他に同じ感じが得られるのがあったら、使わなかったとでも言いたげな…。

=続く=

2025年2月 9日 (日)

音楽備忘録2003 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓴

今回は杜撰大王自身未達の命題を副題に掲げて進めてくが、その名は「音色の肥満度」でゲス。
アチキは古くからワイドレンジでフルなサウンドが好みで目指して来てるが、ちゃんと検証してみると聴感や印象と物理特性の違ったのがかなり多かってん。

最初にあれっと思ったのはエレキGuitarをカリカリにしたつもりが、いざ録って混ぜてみたら案外普通っぽかった古事に依る。
但しAmpが伝統的オールチューブって条件付きで、石の回路やデジタルでやったら保証の限りじゃねっけどな。

まあしかし余程特殊なの以外エレキの音色は基本的には全球Ampで開発されてて、如何にもなLine収録のBassのはLiveになると殆どそのままなんて再現出来ゃしない。
っつう事って生再現不可な音色は一応除外しとくが、どうやら楽器の音色って想像するより物理的にはそんな大きくは変えられないらしい。

のを逆から考えりゃ、聴感・印象だけならかなり大胆に変えられるって事なんだよね。
それを確信したのが過去述杜撰君にとってのセカンドインパクトで、再検証してみたRingoのバスドラサウンドざます。

彼等のは奏者は言う迄も無く機材を始め全てが最高のだったから、純粋に当時の他のとはスペックが違ってたせいだとずっと思ってたんだ。
がかなり近似なDrumsetを入手して色々試す内、主因はスペックじゃないらしきを思い知ったん。

低域等をどう料理しても敵わなかったのが、皮の揺れ感どす。
聴取機材・環境次第で印象激変しても構わなきゃ、可聴限界の底迄拾ってローエンドを盛っといたって良いんだけどさ。

尤もそうしてると課題になるのがどの程度の盛りにしとくかで、万一個人嗜好で常時盛大にローブーストしてる人が居たらこっちの意図と異なって単に超低域が飽和するだけ。
逆にチープなのしか持たぬ人にはそもそも低域が芳醇なのが全く伝わらず、その為の苦労は水の泡になってまう。

この懸念を一気に吹き飛ばせるのが太鼓なら「皮の揺れ感」で、低音が豊富な音色の「低音以外での特徴」に目を付けたのは実に慧眼でしたわ。
コレ実は凄く昔の低音質な作品でも、流石に大太鼓と小太鼓を聴き違える奴なんて殆ど居ないのから来たんだろうな。

物理的には狭隘な中域を非リニアにしか拾えてなく、ほぼ全てのサウンドが盛大に削られて変容させられて記録されてんだよね。
にも拘わらずわざとや偶然以外、どの音が何かって皆割と苦も無く判別付いてるじゃん。

と言いつつ近年迄は音響に正直過ぎたかはたまたアホなだけか分からんが、杜撰大王もそんな面は殆ど意識に無かったんだ。
音響兼業の立場としては紛い物じゃ無く、そのものズバリを訴求してたからね。

でも今再考してみるとそれも1つのエゴとかナルシスの疑い大ありで、殆どの人は聴いた印象しか気にしてねんだよ。
深掘りしてみると聴者全員が録音現場に立ち会ってるなんてあり得ず、誰が何をどう奏てどう録ったかなんて知ったこっちゃない。

それより遥かに「きっと○○はバカデカいんだろうな」とか、「部屋が揺れる程凄いんだろうな」とかそれが分かるのが大事なんですわ。
悪詮索すりゃ俄かヲタが得意ぶって実際出てて拾えてるのに対し、あんなのはきっとEQとかで盛大に盛ったに違いあるまいとか逆もあるかも知れんしね。

-つづく-

2025年2月 8日 (土)

音楽備忘録2002 音楽でのアイデアの実現方法⑯

今回は番外編Ⅰとして残響と存在感の関係へ踏み込むが、本来なら平行執筆してる「楽器音色一般のイメージと実際の違い」で綴った方が相応しい位だ。
そこでここでは冒頭記の通り限定して話を進めるが、基本的な効果は端的にはVocalのダブルトラックとか複数人ユニゾンと近似だ。

杜撰大王らしく先ずは物理面から掘ってくと、音楽版分身の術と言っても良いかも知んない。
それを天然で演るのが複数人ユニゾンで同じ人が重ねるのがダブルトラック以上になるが、後者にはもう1つDelayを掛けるって手もある。

早出余談で俺は足脚では得意なダブルも歌には苦手意識があるが、それは歌った1回目と2回目の差がどうも少な過ぎるからなんだ。
ユニゾンでもそうだが人力の利点は「微妙に違う」点で、それに依って強すぎる箇所や弱過ぎる箇所が平準化するんすよ。

その為には寸分違わずでは却って効果が弱まり、Delay等より無効になっちまうん。
分身の術と似てても同じと書かなかったのはココで、実戦が3次元なのに対し音楽≒2次元だからかねえ。

より近いとしたらDelay等の方で、こっちには時間差攻撃や来る方向をランダムに選べる…っと言っても基本横方向だけだで縦方向は低い限度がある。
処で3声Chorusとかで塊りになって全く同じ位置から聴こえる様にしたのがあるが、あれは古典式バーチャルポリフォニックとでも言うべきか。

ダブルトラック・ユニゾンともその本来の目的を、最大に発揮させるには「同じ場所から聴こえる」様にするのが必須なんだ。
比喩るなら複弦楽器の1音(同時に2音出る)みたいなもんで、それが証拠にユニゾン歌唱の音だけ聴いて正確に何人なんて聴き取るのは極めて困難っしょ。

それに対し残響系は悪く云や「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ってなもんで、但し狙い付けは甘いが一斉射撃で
でっせ。
無論レジェンドスナスイパー冴羽獠みたいに1発で仕留められるに越した事ぁねえが、どんな方法でも先ずは当たらないとお話しにならんからね。

音楽での音の存在感は上記だと「的に当たる」に相当し、それが腕の足りない奏者のをOn Micでなんか録ると1発じゃ射貫けないって訳。
そして俺も一寸余計な野心を出し過ぎてしくじったりしてるが、「重ねるならほぼ同じ音色・フレーズ」じゃないと駄目なんだよ。

折角足すなら少しでも色んな要素をとつい欲が出るが、それでは複雑化させるか散漫化するだけで存在感には貢献しねんですわ。
何れにしてもターゲット音だけに注聴するとつい失念がちになるが、天然世界では様々な要素の他の音が付随して来る。

そんな黒子逹が主役を確固たる地位に押し上げてて、存在感を創出してんですよ。
故に検聴的側面での明瞭度と存在感は相反し、少なくとも単純なロジックで並立させたいなんてのはどだい虫が良過ぎる相談なのさ。

この観点からは今劣化本邦J-Popは2つの誤りを犯してて、サウンドが今のままじゃ上手く行く訳ゃねえんすよ。
仮に今迄の粗相には眼を瞑ったとしても、何時までも間違え続けてたら衰退必死なんじゃないかな。

=続く=

2025年2月 7日 (金)

音楽備忘録2001 ’70年代Rockの浦島太郎㉖

さてここ数回老害呼ばわりも厭わずRockはアウトローと吠えてるのは、分かっておくとあらゆる面でアプローチに違いを産むからでもあるんだ。
今時の若者でも何かしらマイナーコアヲタ体験を、一定以上してる人なら別なんだけどね。

基本的に余程特殊な情報以外はスマホでググるのが当たり前化してる故、特に初心者時代に大まかにと思うと他の調査手段なんか先ずやらんでしょ。
杜撰君半ば休業中の鉄ヲタでもあるから便利で助かるけど、ネットって思ったより当てにならないのを思い知らされちゃったんだ。

小坊の頃に極ライトな鉄道ファンですら誰でも知ってた様なのの一部が、今になるとネットの何処を探しても全然出て来ないなんてのがあったんだわ。
オーディオヲタからも例えばまだ現役のPrimoってブランド、あーたは何なのかご存知でっか?。

あと3文字Micと入れれば、検索結果の先頭に本家のホームページURLが出て来るんだけどね。
昔は少々オーディオとかに興味がある人なら誰でも知ってたんだが、今は各方面の雑誌等にも名前すら滅多に出て来ないからまだあるのに一般社会からは抹殺されとる。

まあ昔は割安だったのに何時の間にか高額にしてるのも悪いが、スポンサー忖度記事の横行で世間からは結果的にガン無視状態になってるんだ。
これってどうせ高額だから買う奴は少ないだろうけど、決めるのは買う奴なんだからこんなの余計なお世話だよね。

万に1つも世間お薦めのが自身の声質にどうも合わなくて悩んでる人からは、低確率とは言え可能性を勝手に奪っちゃってんだよ。
要するに密かにアウトローに追いやられてるのにそれに気付かないでままで居ると、「探すアテ」の段階から的外れになっちゃうんすよ。

Google検索エンジンだけが悪いんじゃねえが、単語検索と識者に伺うのでは埋められない差もあるん。
前者はおぼろげに存在するのは知ってても、名前が分からないと途端にポンコツ化する。

のが古株ヲタにでも訊きゃ割とすぐにアレじゃねとなる訳で、最大の差は相手から質問が可能かどうかだ。
ってのも例えばホントはブランドカラーが赤とかしっかりあっても、気付かない内は「赤い憎い奴」とか書込めないぜよ。

概知の側からしたら「ロゴは何色だった?」とも問えそれで即座に判明するけど、杜撰君みたいに名称記憶に疎いとそうは行かないじゃん。
それと瓢箪から駒機会がググりだけじゃかなり確率低下してて、以下の様なケースが訪れない。

クソオヤジにオレンジのロゴと答えて当初求めてた正解じゃなくても、例えばJBL以外にCerwin Vegaなんつう少々ニッチだがハイレベルなのへ辿り着ける事も。
検索が既に巧みだったらそんなでも無いか分からんが、ニッチなのでは工夫しないとすぐには辿り着けんのどす。

もう1つ注意すべきがWikipediaは必ずしも正確では無い以上に、最初は誰かが書き込まないとお目当ての項目が存在しない事。
普段は出典を要求するのも悪かないが元記事が消失したり、紛失したとか手元に無いだけで安易に嘘扱いされるのがゴミだ。

潰れた会社の元社員(つまりは当事者本人)のカキコでさえ、他人が閲覧可能な証拠が残ってないといけねってんだからクソだろ。
そんじゃ大昔のその人の名刺のコピーでも、事務局へ送り付けりゃエエのんか?。

=つづく=

2025年2月 6日 (木)

音楽備忘録2000 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑱

Karen Carpenterの4回目はテク面を更に掘ってみるが、ポイントは主に3つある。
Jazz出身且つCountry出身なのと、Rockにもそこそこ古くから親しんでた処だ。

Jazz経験の効能は彼女の場合ルーディメンツ等スティックワークに、Countryの経験は速いテンポへの対応力に現れている。
Rock系でも決して養われない訳じゃないが「叩く場所を見ないで叩く」は、インプロビゼーションやアドリブが多い程必須になって来る。(ノールックにはその為の余裕が余計に要る)

のわアイコンタクトの必要回数が格段に増えるからで、より良いタイミングを求めたりするのと次はどうすんのでは必要性に大きな差があるからねえ。
でこれは外見だけの様子で、奏者の内心ではそれだけ周囲を聴覚でも常時監視してるに他ならない。

そうすっと音量の点でも常に周囲へフィットさせる様な癖が付き、自身の音量が不足してたら直ちに上げる様になる。
今だと抑制する方ばかりが割と目立ってるが当時はまだJazzはジジイのジャンルになんかになって無く、エキサイトする頻度が格段に多かったんすよ。

してCountryについては今劣化本邦J-Popでこそ打込み対抗心からか無駄にテンポの速いのも増えたが、一切の音楽的要素を省かずに最速なのは未だCountryの独壇場だ。
しかも重要なのがどんなに速くても必ずしも強いだけじゃ済まなく、平然と演らなきゃならないのも多い処だ。

実際は高速化にもパワーは必要なんだが、それが音の何処かに表れては↑みたいなのは出来ない。
尤もそれが仇で凡人だと必死こいても追付けない速度で演ってるのが分かり難くなってて、Rock・Popsフィールドにも登場するCountryしか見ない人には直接の比較対処に乏しくなるから尚更だ。

そして単にRockやPopsを演りたいだけなら必須では無い、例の「閉じた柔らかい手」と「小指支点」がパワーに対しては決定打になるんすよ。
Rockで小指支点の典型はBONZOだが、素人目には「バチを短めに持ってる」だけにしか見えないアレっすよ。

最も普通のグリップは親指と人差し指で持つが、バチの持たれる位置をそのままで小指支点にしてるから他人より短く持ってる様に一見見えるだんだよ。
って何を隠そう従兄から教わるまでは杜撰君も勘違い野郎の典型で、剛力過ぎるから太鼓を壊さぬ様そんなにしてるのかななんて思い込んどりまつた。😓

今だって実践してる奴が居なくなった訳じゃねえが、コレ過去レジェンドの方が大勢居ってな。
今比で大人し目な衣装・容姿と相まって、昔の人は軽く演ってた人が多いなんて勘違いが横行しとんの。

客観的に考えりゃPA等の発達具合からしたらそれじゃあおかしいと気付くべきなんだが、きっと古いチープで非力なPAで酷い目に遭ったりしてないからなんだろうな。
こう云うのに限っちゃ幾ら老害扱いされようと、先輩供がもっと後輩達へちゃんと伝えなきゃね。

自分達世代の若い頃には極当り前だった色々が、今じゃ幾ら経験を積もうとしても中々習得し辛くなってんだから。
そしてそこのお若いの逹、別にまだ知らなかったからって何も恥じたり卑屈に感じたりしなくてエエねんで。

ホントに恥になるのは自己保身に走って伝授しなかったり、折角知己が得られたのに放置する様な奴なんだからな。
この面でも今時の一度でも間違えたら駄目って風潮は害悪でしかなく、謝れない・正せない事こそもっと忌み嫌わなきゃイカンよ。

わ兎も角表面的に軽いPops如きを叩くのに、必要性が無くばあんな持ち方叩き方をする必要は御座らんのだ。
特に別録りが必然だった映像でなら、可愛さアピールで違うフォームにしといた方が良かった位なんだから。

-その内つづく-

2025年2月 5日 (水)

音楽備忘録1999 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓳

俺言い「偽りの明瞭度」には少々粘着しちまうが、それ等の実際の寿命は劣悪聴取環境下のみで僅かに生き長らえられるだけなのだ。
コレ今とは比較にならん程軽度ではあったけど、昔のにでもそんなのは少しは入ってたんだ。

爺はその登場からその後の浮沈を体験したて来たからこそ力も入るんだが、登場時には若干のキツさは覚えたが特に問題視はしてなかったんだ。
が純粋に高音質とかより適した音色のが出て来てみれば、それ等は随分みすぼらしく聴こえる様になったんすよ。

杜撰君世代の体感で最も目立ったのはDrumサウンドで、私的第1波は1970年前後だった。
それ迄のはジャンルや収録環境次第の差こそあれ、どれも今一不明瞭で生耳比ではかなり遠くで鳴ってる様なのしか無かったん。

或はそんなに遠く無くても角度等が悪くて、何かの陰で鳴ってるような感じでね。
それがBeatles辺りを筆頭に、どれもが同じ部屋の眼前で演られてる様な風に激変し出したんだ。

っと言ってもまだこの時点では実際には今のOn Mic程近接させてないのが殆どで、且つ全部に構えられてた訳じゃ無かったんだけどね。
それでも従前のDrumを軽視したのなんかだと他は一応ステレオ感があるのに、何を叩いても丸っきり同じ位置から聴こえるのなんかが結構あったんだから。(つまりDrumset自体はモノラル)

こっちもその頃はまだDrumsetの知識なんてロクに無かったから、別のを叩いたらしきのは別の位置から聴こえてりゃそれだけでリアリティを感じてたん。
ここが今回の第1ポイントで、非専門家に聴かせるには今だってその程度でも及第点になる処ざます。

わざとでない場合生耳聴きでは視覚効果もおおいに加勢して、別の太鼓が全く同じ位置から聴こえて来ると流石に誰でも違和感を覚える。
尤もその具合はMixer卓のパンポットツマミでなら1目盛り行くかどうか程度の事が多いが、残響・反響・マスキングetcに関してはその程度のでも全体の差は拡大してんだ。

それとは逆にバスドラより他のにダイレクト感が強いのは実位置からしたら不自然で、深く傾けたTom以外は裏の皮すらあっち向けホイやんか。
そんな点からは一時期のバスドラだけOn Micで他のはOn Offの中間位ってのが、意外と理に適ってたんすよ。

でも何時迄もそんなのだけじゃつまんないから全部Micは近付けて、↑の代替策としてバスドラだけReverbを掛けないなんて真似をしてたっけか。
今の高音質じゃその変さが露呈する様になったが、昔の低音質ではトランジェントがトロかったからそれでまあまあ普通な感じに聴こえたんすよ。

Bassなんかもっと極端で、最新のでもReverbレスになってるのがあって…。
杜撰君はそれだと何か仲間外れ感が出ちゃって嫌だから、近年は工夫して控え目でも適切なのを掛けてんだけどね。

んが明瞭度だけに忖度すりゃ、実際Line収録Reverbレスの方が何してるかの聴き取りは断然良好だ。
この事が関係してるのか分からんが何か2010代以降の国産作品のBassは、どうも音色の流麗なのがご無沙汰になってて悲しいよ。

猛毒噴射すれば元からどうしようもない音色で演ってても、Line収録とおバカコンプ等のお陰でどうにか聴ける音になるからってサウンドメイキングをサボってんのかねえ。
故に奏者の音色面での成長には好環境は不向きでしかなく、それに甘んじなきゃもう少し良い音色を出せてる筈なんだけどな。

-続く-

2025年2月 4日 (火)

音楽備忘録1998 音楽でのアイデアの実現方法⑮

まだ気付けない方法が他にもあるだろうが、一通り出尽くしたと思うんでこの項一旦幕引きへ向かおう。
それに際し今回皆に是非頼みたい事があって、それは過刺激の緩和・抑制で御座居まふ。

今劣化本邦の潮流ではかなり勇気を要すが、硬さ・明瞭さ信奉の大リスクを先ずは知って欲しいんだ。
度々吠えた如く初聴での明瞭度は確かに上記に依存する事が多いが、とっくに限界を超えてるのにひたすら求める事の無理・無駄をさ。

現況の新自由資本主義の飽和と同様、何時から「押して駄目なら引いてみろ」を
失念したんだろう。
真に目立たせたいなら他所で皆がやってる方法に、執着するのこそ自らを凡庸に貶めてんだしね。

仮に勝れたとしてそんなのは言わば「10:9の勝利」ってなもんで、1つの勝利を誇示するにはそれより○:0の方が印象に残るんじゃね。
双方に得点があったっつうのは半ば運もあって勝てたと暴露してる様なもんに対し、後者は0封してるんだから1点でも取れたら勝てる状況を示唆してる。

のを今劣化本邦J-Popで考えれば、絶対必要では無い音をやたら入れてるからなんじゃないかな。
そして更にその裏には各パートの存在感の希薄化があり、1つの楽器での聴者充足度が下がったからなんじゃない?。

って持論を証明するのにDrumサウンドで例示すると、もし雷みたいに聴こえたら多分効果最強だ。
ある程度それを既に実現してたのが古くはBONZO等で、その後はNYのThe Power Stationスタジオ等敢えて勇猛な残響を得てたよね。

何れにしても盛大な残響は明瞭度に対しては露骨にマイナスで、だがその代わりたった1音だけでももう存在感満々だった訳だ。
そんなので自然環境で得られるのは 、源音(業界用語:ドライ)と残響音(同じくウッェト)のバランスは殆ど弄り様が無いの
のみだ。

それを覆せるとしたら例えばアンタの3畳間にレジェンド達が訪れて生演奏してくれるの位で、しかし当然迫力は完全に貧乏な部屋の音響に駆逐されっだろうけどな。😵
と言う様に明瞭度と存在感が併存出来たら良かったが、少なくとも3次元の現世では原理上無理な相談なのだ。

それ以外にもほぼノーミュートのSnareなんかも、厳密にはあまり混雑してないアンサンブル向きと杜撰大王は考えている。
これどゆ事かったらSnareバランスを小さ目にすりゃ他パートにマスクされて、折角伸びのある余韻が殆ど聴き取れなくなる。

逆も又真なりでそれを無理矢理常時聴こえる様にと大き目にすりゃ、他パートの多くが侵略されいい迷惑だ。
アナログ時代当時こんなのがあまり問題になって無かったのは、余韻や残響はかなり部分的にしか収録出来て無かったからだ。

ってかそもそも一定以上残響のある場所でOff Micにしたら、それだけでも残響に負けて余韻は短縮する。
その残響ですら高目のノイズにやられて、後部は聴こえなくなってたし。

要するに機器雑音であれ観客等の騒めきであれそう云うのがあると、無理に良く言や相対的に歯切れが良くなってた訳。
それが今ではMicはOn主流+デジタル記録だから、奏者側で気持ち良いからってそのままにしといたらアンサンブルがごちゃつくねん。

と源音段階でそんななんだから更に残響だってより混沌とするし、その長さも実質的に延長しちまうん。
それが困った事に現況「適度に自然な感じで短縮する術」が無く、そこへもっと思慮深くなる必要があるんだけどなぁ

-続く-

2025年2月 3日 (月)

音楽備忘録1997 ’70年代Rockの浦島太郎㉕

自説「Rockは未だアウトロー」の理解を深めて欲しく、もう少し掘らせて貰おう。
先ず考慮すべきは国に依る差で、やはり創出・発展に直接関与した国とそうじゃない国ではそれ相当な差が残存してる。

但しご注意頂きたいのが表の顔と裏の顔で、非共産・非社会主義国での共産党や社会党みたいなもんだ。
その党と評価する側がマトモなら普段は唯の政党として扱われるが、何か事が起これば途端に避難の槍玉にされたりするって感じ。

しかもPopsその他呼ばわりされても無抵抗なら容認され、いや違うRockだ等と宣言すれば上記みたいになったりする。
もしかしたらだからこそJ-Popがあって、本当はあってもJ-Rock呼称を耳にしないのか知らんがね。

そう云うのって麻薬をサプリと称して騙すのと同様、とっても稚拙な論法なんだからやんなっちゃう。
そんな庶民の無意識下の差別ってスポーツ界でも困った事に健在で、甲子園球児の加工細眉は黙認でスノボ選手の言動とかだと考えもせずすぐ叩く。

そんな現況でもしRock演ってて普段差別を感じないとしたら、差別が地下化してる証左だから寧ろ深刻で危険な兆候っすよ。
今劣化本邦のメジャーメディアではRockだとスタンダードすら滅多に掛からないのは、時代の趨勢だって当然あるだろう。

だが大して売れてないが既得権益野郎が売りたい曲は1時間と経たぬ内に掛かり、それが最短1週間位から最長数カ月続いてるのと比べるとどうよ。
これじゃまるで劣化国産品を無理矢理買わせ様としてるとしか見えず、幾らブラックなエンタメ界隈とは言え全く異常事態でしょ。

現状がとっても姑息っつうか油断ならんのは違法薬物等と正反対な処で、まるでマイナカードの実質強制移行みたいなんだよね。
特に知識ゼロ時点での若者や初心者に対して最悪で、普通に暮らしてる中で何も取っ掛りが無きゃ好き嫌いも良し悪しもへったくれも無い訳だかんね。

これを情報統制と言わないなら何と言うのか、杜撰大王に異論があったら是非ご教授願いたいもんだ。
等と吠えつつこんなんしなくても今更古臭いのなんかそんなに売れやしないだろうに、一体何を恐れて電通やマスゴミは余計な真似してんのかな。

幾ら上位互換を実質封殺したって、今の新作の魅力が足りなきゃどうせ儲からねえってんでい。
独裁の末路が決まって破綻しかないのは、特に日本式自由主義社会下では正規の競争原理を失うからなんだ。

これは如何なる分野に於いても共通で、幾ら独り勝ちしたくてもライバルの2つ3つ位は温存しとかんとアカンのや。
Rock以外にも今劣化本邦では無意識下差別が山程横行しとるが、悪辣な黒幕が主犯とは言え時が経ち単に廃れたと安易に容認する世間にも問題がある。

少なくとも当事者はそのせいのストレスもあるのだと分かって無いと、最悪心を壊しちゃうんじゃないかな。
構造としてはホストに入れ揚げて風俗に身を落す女性なんかと同じで、そうなるともういいやで方向転換すら困難化するだよ。

挙句には万一Rockに惚れ込んだら破滅の道しか無いなんて誤解されたら、好きになる自由さえ奪われるのだからね。
音楽は嗜好品の1つでもあるから実際中毒等で害を及ぼすリスクが無いとは言えないが、ジャンル自体にその差なんか殆ど無いんだけどな。

-続く-

2025年2月 2日 (日)

音楽備忘録1996 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑰

Karen Carpenterの3回目、いよいよ訴えたい真髄核心のDrummerとしての腕前ざます。
近年は世間でのスターとしての賞味期限が漸く切れたお陰か、客観視点からの再評価が出だしたのは良い傾向だ。

のを要約するとClickレスで録音無理くり編集した際、編集した当事者さえその箇所が分からなくなった程タイムキープに秀でてたんだそうな。
その他フレージングの独創性等については以前から少し語られてたが、そこは偏屈拙ブログ!?Karen先生の パワーを中心にテクについても掘り下げて行きまひょか。

これは正直従兄からの入れ知恵が無きゃここまでやれなくて、前述の通り「目の付け所」を伝授されたのが大きい。
それは叩いてる姿と実出音の関係で、頻繁吠え「西洋太鼓は速度反応型」なのがキーワードなのだ。

しかも打撃の瞬間のバチやビータの速度が問題で、球速の割に何故か打たれ易い投手の件
なんかと近似なん。
要するに皮にヒットする正にその瞬間の速度が肝で、そこさえ高速化出来るならストロークが異常に小さかろうと振り始めがどんなに遅かろうと殆ど関係無かったんすよ。

昔よりゃだいぶマシにはなったもBONZOのBackbeatのショートストローク、まだ剛力だからあれでもと勘違いしてる人が多い。
確かに速度の為のパワーは必要だが、腕が軽かったらその分絶対値は少なくなるっしょ。

ので各自の体格にとって速度が出せる筋力があれば事足りてて、だからこそ重い物を持てないのにDrumだとパワフルに豹変する人なんかが居るんすよ。
尤も筋力や体格の必要限界値が無い訳では無く、それを下回れば最大出力がそのせいで小さくはなる。

が彼女の場合白人で身長の割に手脚長目・大き目の163㎝だそうなんで、ギリギリで体格のハンデは回避可能なだけの肉体があるんだ。
尚且つ太鼓に熱中する迄はわんぱく野球少女だったそうだから、そこそこ鍛え上げられてたんすよ。

因みにこの事は歌唱での肺活量や耐久性にも貢献してて、野球みたいなチームスポーツでは声の連携が時には命取りになるやんか。
同当の体格の男性でも物静かな読書家等とは、その点正反対なんすよ。

直接脚力だけで賄えるの以外はスポーツが苦手な杜撰大王だって、若き日々をスポーツと全く無縁に過ごした訳やおまへん。
所詮は同好会レベルだったけど、ド下手なりに1年間だけは野球に触れた事はあったんだ。

因みにⅡで従兄だってパニック障害を発症してからはサッパリだが、小学生の頃は鉄棒を始めとした体操に夢中だったしフィギュアスケートはずっと習ってたさね。
それが後の体の使い方と太鼓の出音の研究に随分効果を発揮してて…、わ兎も角肉体と作業結果の関係に完全に疎いままではそうは行かんて。

っつう事ってパワーに対する肉体的条件は、これで晴れてクリアでごんす。
但し必要最低限レベルに近いから、従兄や杜撰君を含め知恵や技レスで演ったら大抵は並以下の音量しか出せない。

にも拘らず美しく歌い乍ら叩いてんだから叩く方をそれ相当に抑制して、別に多少非力でも困らなかっただろう…ってな低能な素人考えなんだけどなぁ。
もしそれが正解なら例の「閉じた柔らかい手」や「小指支点」なんて不要で、そんならなしてKaren先生は何時もそんなフォームで叩いてたのかだよ。

=続く=

2025年2月 1日 (土)

音楽備忘録1995 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓲

前回久々で登場した硬過ぎ警報と言えば一般聴者もだが、何と言ってもホントは演る側にとっちゃ死活問題なのだ。
Live等でのインナーイヤーモニタの使用是非と併せ、杜撰大王的に今劣化本邦の状況はかつてMLBで多くの選手がドーピングに陥ったのと同類と思っとん。

野球の場合は選手期間が他分野と比べたら短いので、弊害は主に引退後に集中してる様だがね。
ミュージシャンだと売れる・儲かる期間こそもっと短めでも、サラリーマンとも違い定年すら無いんだからそもそもこんな短期戦略は全く合ってねえんすよ。

しかも悲しいのはそんな「無理して明瞭度を稼ぐ」と、作品寿命も著しく故意に縮めてしまうん。
そこで今劣化本邦の現代サウンドが好きな人にゃ悪いが、早急に真の明瞭度とは何かを知るのを強力推奨するよ。

近年では悪い意味で生耳聴きの生楽器でもそんな誤った方向へ行っちゃってるのも散見されるが、防災アラートや救急車のサイレンじゃあるまいしそんなに痛い音にしてどうすんだってな。
と言う発想が大きなヒントで、音を楽しませる音楽と危機を知らしめるものでは目的が根底から違うんすよ。

そして杜撰君的には後者でさえあまり刺激が強いのは好ましくないと考えてて、それは聴いた者をパニック状態へ追いやり易くするからだ。
のキッカケは近所のマンションの火災報知器とか、駐車場の盗難防止アラートの誤作動時の対応なのだ。

今時緊急自動車以外でサイレンったら甲子園位になり、昔の大工場の始・終業や昼休みみたいなシチュエーションではスッカリ使われなくなって久しい。
けたたましいベル音にしても極一部の目覚まし時計に残存する程度で、昔だったら発車時に中規模以上の鉄道駅ホームでは至る所てジリリリ鳴ってたもんだ。

工事を始めとした騒音にも厳しくメスが入る等、これ等自体は誠に結構な傾向だ。
が世間の慣れと耐性については微妙な処で、普段聴き慣れなくなったが為に必要以上に皆をドキッとさせちゃうんだ。

そんな中で音楽だけより刺激的にしてしまったら、世間の潮流から置いてけぼりを喰らうのは必至なんすよ。
それでも確かに一部ヲタだけは留まるだろうが、それでは大ヒットは夢の又夢。

しかもアホなのはどうせヲタ向けで良いなら無理して明瞭度を稼いで、どんな環境下でも聴き取れる様にする必要なんか無くなるだよ。
高尚な趣味と少なくとも自負してる連中は、聴取環境の向上にも余念がないからね。

決して第1印象の大切さを軽視する訳じゃないが、折角気に入られたらそれが持続する事の方が音楽では遥かに重要なのだ。
のわ少なくとも大天才がカップヌードルみたいに3分で仕上げられるなら良いが、99%は曲の長さより時間が掛かる。

のでせめて作るのに要した時間位は聴き続けて貰えんと、もうその段階でタイパ的にマイナスになってんすよ。
と杜撰君が散々遠吠えしたって年寄りに冷や水現象が起きてると思われ、確かにそれもあるには違いないけどね。

だったら販売戦略として望むと望まざろうと超高齢化社会となったんだから、尚更俺言外のリッチな年寄りをターゲットに据えるべきなんじゃないかな。
振込め詐欺はバレたら捕まるが、ウケて儲けるなら散々財産をむしり取っても彼等から称賛されるんだからさ。

=続く=

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