音楽備忘録1995 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓲
前回久々で登場した硬過ぎ警報と言えば一般聴者もだが、何と言ってもホントは演る側にとっちゃ死活問題なのだ。
Live等でのインナーイヤーモニタの使用是非と併せ、杜撰大王的に今劣化本邦の状況はかつてMLBで多くの選手がドーピングに陥ったのと同類と思っとん。
野球の場合は選手期間が他分野と比べたら短いので、弊害は主に引退後に集中してる様だがね。
ミュージシャンだと売れる・儲かる期間こそもっと短めでも、サラリーマンとも違い定年すら無いんだからそもそもこんな短期戦略は全く合ってねえんすよ。
しかも悲しいのはそんな「無理して明瞭度を稼ぐ」と、作品寿命も著しく故意に縮めてしまうん。
そこで今劣化本邦の現代サウンドが好きな人にゃ悪いが、早急に真の明瞭度とは何かを知るのを強力推奨するよ。
近年では悪い意味で生耳聴きの生楽器でもそんな誤った方向へ行っちゃってるのも散見されるが、防災アラートや救急車のサイレンじゃあるまいしそんなに痛い音にしてどうすんだってな。
と言う発想が大きなヒントで、音を楽しませる音楽と危機を知らしめるものでは目的が根底から違うんすよ。
そして杜撰君的には後者でさえあまり刺激が強いのは好ましくないと考えてて、それは聴いた者をパニック状態へ追いやり易くするからだ。
のキッカケは近所のマンションの火災報知器とか、駐車場の盗難防止アラートの誤作動時の対応なのだ。
今時緊急自動車以外でサイレンったら甲子園位になり、昔の大工場の始・終業や昼休みみたいなシチュエーションではスッカリ使われなくなって久しい。
けたたましいベル音にしても極一部の目覚まし時計に残存する程度で、昔だったら発車時に中規模以上の鉄道駅ホームでは至る所てジリリリ鳴ってたもんだ。
工事を始めとした騒音にも厳しくメスが入る等、これ等自体は誠に結構な傾向だ。
が世間の慣れと耐性については微妙な処で、普段聴き慣れなくなったが為に必要以上に皆をドキッとさせちゃうんだ。
そんな中で音楽だけより刺激的にしてしまったら、世間の潮流から置いてけぼりを喰らうのは必至なんすよ。
それでも確かに一部ヲタだけは留まるだろうが、それでは大ヒットは夢の又夢。
しかもアホなのはどうせヲタ向けで良いなら無理して明瞭度を稼いで、どんな環境下でも聴き取れる様にする必要なんか無くなるだよ。
高尚な趣味と少なくとも自負してる連中は、聴取環境の向上にも余念がないからね。
決して第1印象の大切さを軽視する訳じゃないが、折角気に入られたらそれが持続する事の方が音楽では遥かに重要なのだ。
のわ少なくとも大天才がカップヌードルみたいに3分で仕上げられるなら良いが、99%は曲の長さより時間が掛かる。
のでせめて作るのに要した時間位は聴き続けて貰えんと、もうその段階でタイパ的にマイナスになってんすよ。
と杜撰君が散々遠吠えしたって年寄りに冷や水現象が起きてると思われ、確かにそれもあるには違いないけどね。
だったら販売戦略として望むと望まざろうと超高齢化社会となったんだから、尚更俺言外のリッチな年寄りをターゲットに据えるべきなんじゃないかな。
振込め詐欺はバレたら捕まるが、ウケて儲けるなら散々財産をむしり取っても彼等から称賛されるんだからさ。
=続く=
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