音楽備忘録1987 楽器音色一般のイメージと実際の違い⓰
前回末尾の繋がりで今回は過去作での、良く聴けば不自然・理屈に合わない例から行ってみよう。
流石は何でも大雑把な昔、低音質にかまけて随分といい加減なブレンドが結構されてたんだ。
その1は明らかに違う場所で録ったのを強引に混ぜるで、大ホールLiveでの粗相を後からちっこいスタジオで録ったのに部分的に差し替える等だ。
尤も最上位グレードのになると同じ場所・同じ機材で翌日録り直したのもあったが、如何せん観客の様子が「突如変わる」のを感知されたらバレバレだったけどね。
その2は一定以上に収音方法が異なるのを強引に纏めた代物で、マルチMic発展途上期にはかなり頻繁にみられたヤツ。
どゆ事かってば小柄な楽器や電気楽器は各パートワンポイント収音でも、近接可能な為周辺雑音や残響音は拾わない。
のに大柄な楽器はブースも↑よりゃ広くせざるを得ないのと、Micもそんなに接近させられぬ事からの音場差異が。
特にDrumset等に構えられる本数が少な目だったんで、無響室以外では結構それこそ場違い感があったのよ。
尤もⅡで極限迄各楽器毎に全部近接させると、今度はDrum全体の響きは奏者耳とは大抵掛離れる不自然さを生じるんだけどね。
これは中々デジリバ等でも補償困難で、Drummerと音響技師の両面で秀でてる上機材にも恵まれない限り違和感を払拭出来ない。
その3は繋がりをロクに審査せずの編集で、当時はアナログテープを文字通りホントに随意箇所で切断して繋いでたん。
後期Beatlesみたいに編集を予見して予め繋げ易い編曲・演奏をすれば寛解したが、収録後にプロデューサや技師が勝手に強引に施すと↑になるねん。
コレ専門学校の実習で経験したがそれよりずっと前から既に習得してたんだけど、個人のテープでは再利用時等に不利になるからやらなかった。
ってつまり他人のテープなら平然とバッサリ出来た訳で、場合に依っちゃ人間性や性格を疑われるんだろうけどね。
わ兎も角実習時はなるべく自然な繋がりを命題としてたが、それは主にサウンド面で音楽内容面は従となってたな。
で具体的にどんなのが切り貼りの枷になるかったら、切る寸前の箇所でだけ余韻の長いのが鳴ってたりするケースだ。
無加工であれば次の小節にも余韻は残るのが、突如鳴り止むからおかしくなるん。
別観点ではもうこの時代から音楽家には音響スキルの一部が必要だったとも言え、幾ら演奏だけが上手くても良い録音作品はそれだけじゃ作れなかったん。
ではどれもそんなに不自然さや違和感が目立ったのかってばそうでも無く、低音質にかなり助けられてたとは言え重箱の隅を突く様な真似をしなきゃ容認出来た。
ってか全楽器・全奏者の生音を熟知してる聴者なんて先ず居ないんで、一般的にあの人のはそう云うサウンドと認識してたんだよねえ。
そもそも杜撰大王にしても真のLudwigのサウンドが明確に記憶されたのは、自身で所持して数年経った後でしてん。
何しろ垂涎だが滅多にお目に掛かれなかったし、例え見掛けても昔はおいそれとは試奏なんて申し出られなかったから。
その意味でかつて一趣味者如きと達人プロとの機材差は、今では想像も出来ない位異なってた背景があったんすよ。
一概に甲乙付けられるもんでも無いが、何れにしても打込みオンリーでは発生しない案件だ。
今この件で問題となるのは加工済みのに憧れちゃって、それを知らず実演したくなった時だ。
っつう事って次回はアナログテープ録音専売特許的、サウンド変容について綴ってみっべ。
-つづぐ-
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