音楽備忘録1994 音楽でのアイデアの実現方法⑭
前回文系・理系等人の性質ワードが出て来たが、訓練して補填は可能でも得意を引っ繰り返す迄には先ず至れない。
もし自身のタイプが望みと逆だったら悲しいが、こればっかりは当座受容れるしかない。
んが自身の好みを除外した他人の観点に立つと、それこそが個性の源泉なんすよ。
前回両方ある程度のレベルに持ってかないと音楽するには厳しいと書いたのは事実だが、その一方で苦手克服ばかりに精を出すのも少々不自然な行為なのだ。
ってのも初動アプローチの仕方は本人のタイプにほぼ依存してて、特に閃き等のプロセス自体は自然発生的なもんだからね。
強引に変えられなくも無いんだろうが、この段階でそれをしては感情のダイレクトな吐露が阻害されちまう。
尤も行き過ぎると文系で独善的に閃いた文言だけをそのまま歌詞にしたりして、少なくとも理系人には完全に意味不になり通じなくなったりするがね。
只このケースは後の処理に問題があったからで、例えば日本語の歌詞を思案してのにたまたまロシア語が思い浮かんだ様なもんだ。
そんな際は1に翻訳2に補填をしてやりゃ良く、後者はよりキーワードの意味を特定する文言の追加とかだ。
自身のその時のフィーリングとして合致するのが都合の良い言語とは限らず、けれど唯それだけを言ったんじゃ意図通りに伝わらんなんてのはままある事。
実例としては電車の主電動機がぁなんて言うと鉄ヲタには好ましく思われても、今時一般人が訊いた途端にハッキリ理解出来るのは極少数じゃないかな。
コレ単に車を動かす為のモータの事なんだが詳細には他にもモータは使われてて、分かり易い処では電気式の自動ドアやエアコンなんかにも沢山使ってるんで区別として用いられるのが常套化したのかな。
のでこれを生贄にすれば駅に止まるとウィーンとならドアの、走り出すと唸りが上がりなら走行用と想像が容易く付く訳よ。
まさか今時モータって何か知らん奴は居ねえだろうが、上記例みたいにしときゃそれでも雰囲気とか環境設定は堅持される。
って何でこんな稚拙な話しをしてるかったら、まだ幼い子が乗り物に興味を深める段階では恐らく誰もが体験してる感覚だからなんすよ。
対象は乗り物に限らず少し風変りだったら何でも御座れで、個人的には名鉄パノラマカーの主電動機音は何とも未来感があって恰好良かったねえ。
これが印象深く残ったのはキモいと心地良いの境界線に近かったからで、自分内では大昔初めてエレキで歪んでるのに何故かとても美しいと感じたのと似てるよ。
是又の昔語りで今では想像し難くなってるだろうけど、杜撰君世代の幼少時は歪む=汚いって認識しか日本には存在しなかったんだ。
それ故誰が聴いたって美しさを感じられる筈が、俺より上の世代になる程、歪みを感知した途端あ〜これは駄目だ残念なんて受け止め方をされてたんだよ。
今からしたらそっちの方が異常だが、昔はずっと音関係では常時歪みに悩まされ続けてたからさ。
根拠こそあってもこうした既成概念には知らず知らず束縛されてるもんで、今劣化本邦では上記に変って俺随時頻言い「硬過ぎ警報」や「過圧縮警報」が絶賛発令中でんがな。😓
かつてはこの位平気だろうと油断してた人工着色料等が、何十年か経過後にヤバい代物だったと判明したみたいな事にならなきゃ良いがね。
-つづく-
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