音楽備忘録1961 ’70年代Rockの浦島太郎⓰
普通の精神状態なら誰だって好き好んで貧しくなろうとは思わぬもんだが、それ位未だ続く世間のバブリー思想とは一旦決別しないと真の挑戦には厳しい。
かと言って完全に何かを諦めてはクリエイティブマインドの自死に繋がり、この並立が事をより困難にしている。
今劣化本邦の世相はそんなで大停滞を引き起してるが、昔だってそう云う面はちゃんとあったんだ。
では何処が最も異なってるかってば、妙な話しだが今より何もアテにならなかったんよ。
現代IT機器にだって確かにエラーは時々あるんだけど、ほぼアナログオンリー世界のエラー確率は桁が違ったんだ。
でどんな風に「普通」に差が生じるかってば、どんなに適性に長け堅実に事を遂行しても先ず何でも一筋縄には行かなかった処。
それが癌の手術なんかだとホトホト困ったんだが、いざなってみたら何でも大体計画通りに進めば楽勝じゃ無かったん。
実際損失とかは極力小さくなってくれないと厳しいが、儲けの方は本来儲からなくても大損しなきゃ害は無かったんだよ。
今日はより極端な2極化が進んだお陰で、本来は圧倒的多数例の中間層ってのが実感し辛くなった。
損しなきゃベターで充分な場面では助かる反面、ベストが出ないと無意味な場面でそんな風潮は障害にしかならんのどす。
直接影響を受けてないのはスポーツ記録やゲームの得点位で、それにしたって昔より数字ばかりで内容は寧ろ著しく低下したのが多い。
加えて時は金なりの精神が昔より重視されるのは結構だが、その内容の理解度に致命的な不足が増えたが為に本来の機能が働いてないんだ。
よく昔はのんびりしてたと語られるのは主に心理面であって、交通機関の所要時間を筆頭に何をするにも今より手間暇が掛かったもんだ。
から実は自由になる時間は今より全然少なく、その典型が買物可能な時間帯とかが全然違ったんすよ。
それで大きく左右されてたのが各種作業時間帯で、特に受け身で居られる物がさ。
例えば幼少時から好物のピーナツバター、当時地元駅前のスーパーにたまたま出てたSKIPPYがお気に入りになったが山梨の親戚に滞在中は当然の様に見つからない。
のを落花生と植物油と塩を摺漕ぎ・摺鉢で作ったが、俺を含め誰1人としてそれを手間となんか思って無かった。
が下手すりゃ今は直ちに思い付く人も減ってそうだし、買えば済む物にわざわざ手間暇掛けるなんてとしか思えないんじゃないかな。
実際には店が遠かったり悪天候だったりしたら却って面倒な気もするが、必要な道具と作業の種類は確かに買うだけの方に軍配が上がる。
因みにそこは本家だったから来訪者が絶えなく呑み客もあったから、ピーナツ程度は常にストックのある事が多かったん。
おっつ予防線を張らせて貰うが、DIYったって本格的なのは今回のケースには当て嵌まらないかんね。
寧ろ言われなきゃ気付かない位のプチDIYについてで、幼稚園を卒園してたら誰でも出来る位のヤツですぜ。
結局は今昔に関らずその時の条件次第で最適解は変わるもんなんだが、あまりにも普段自作に不慣れになってると作れる事すら忘れがちになるんじゃないかな。
世相はどうあれDIY精神が希薄になってれば、創作なんて困難化しても当然なのだ。
=つづく=
« 音楽備忘録1960 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑩ | トップページ | 音楽備忘録1962 音楽でのアイデアの実現方法⑥ »
「文化・芸術」カテゴリの記事
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
「趣味」カテゴリの記事
- 音楽備忘録2037 ’70年代Rockの浦島太郎㉟(2025.03.16)
- 音楽備忘録2033 ’70年代Rockの浦島太郎㉞(2025.03.12)
- 音楽備忘録2025 ’70年代Rockの浦島太郎㉜(2025.03.04)
- 音楽備忘録1997 ’70年代Rockの浦島太郎㉕(2025.02.03)
「音楽」カテゴリの記事
「奏法」カテゴリの記事
« 音楽備忘録1960 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ⑩ | トップページ | 音楽備忘録1962 音楽でのアイデアの実現方法⑥ »
コメント