音楽備忘録1907 人力生演奏のススメ➑
別稿で展開してる「弾けるのに勿体無い」と併せ、人力演奏を実現するには幾つかの欠かせない要項がある。
その中で最初に手掛けるべきが適性案件で、必ずしも希望と一致してくれないのが一寸非情な処だ。
尤も私体験からすれば絶望したり完全に挫折するのは一部だけで、時間を掛けて克服して行けば全く何も演奏出来ないなんて事ぁ先ず無い。
但し音楽自体のコツを早期に掴む為にもなるべく初期段階では、必ずしも一番好きなのじゃなくても各自にマッチしたのを見つけるのが肝要なのだ。
のわ演奏にはどんな楽器だろうと音楽自体のスキルと、楽器って脳内イメージを音に変換するツールに慣れる必要があるからだ。
数多のパターンの中で身を持って語れるのは例えばGuitarのフレージング、人生で3番目に挑戦してみたがGuitarだけではそれは杜撰君には無理だった。
因みに最初は正真正銘3日坊主で放置となったOrgan教室・2つ目はやはり何時しか飽きた我流のBongoで、後者はそこそこ熱中してたんだけどね。
杜撰君にとってそうなった最大理由は、当時時点ではダイレクトに演りたいRockを演れなかったからなんだ。
前者の場合もし自宅にHammondでも鎮座してたらきっと違ったんだろうが、当時の電動Organ如き(自宅では何と足踏みOrgan…😓)じゃ音色も反応も全然違う。
後者の方にしてももう少しローピッチなCongaなら良かったが、アホ小坊にはBongoとの違いなんて分かって無かったし。
もし知れてたとしてもお値段も最大音量も段違いだから、どうせ多分当時の環境下じゃ無理だっただろう。
にしても今振り返って妙なのはエレキへのチャレンジが完全に抜け落ちてた処で、Rockには先ずエレキって位はとっくに知ってたのにどうしてか全く分からない。
或は昔から音程よりリズムにより興味があったからなのか分からんが、それが中2でエレキGuitarを演り出してからも影響があったらしい。
それ故過去称リズムギターは早期に大得意になったものの、Rockでは肝心のソロパートの腕前に頭打ち感を覚えて暫くはそれが続いてたんだ。
転機が訪れたのは高1でBassも始めた事で、’70年代末に至っては最早リズムギターはアンサンブルに必須のパートじゃ無くなってたのも大きい。
’60年代のVenturesやYardbirdsスタイルだったら専門担当があったが、大して万能じゃないGuitaristを複数にする位ならSyntheも含め鍵盤奏者の増員を時代が求めてたかんね。
結果メインをBassistにスイッチした事でアンサンブル内に留まれて、そこうしてる内に停滞してた他楽器の腕も亀足乍ら徐々に上向き出したんすよ。
要するに杜撰君にとっちゃエレキBassってのが飛躍の足掛かりだった様で、米で子供の内はなるべく色々なスポーツを体験させてるのなんかもこう云う問題を考慮してなんだろうね。
なんてさも得意気に語ってる感があるが、実際には事後検証から浮かび上がって来ただけなんだ。
本当に実感出来たのは還暦を迎えた前後になってで、当時の本人としては溺れる者は藁をも掴むに近い感じだったかな。
強いて勝因を挙げるとすりゃ普段偏屈な杜撰大王の癖に、この件だけは周囲の評判を素直に受容れた事かねえ。
それも人に喜ばれないよりゃ喜ばれた方が自分も…、って位の安直な反応だったがね。
=つづく=
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