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2024年11月

2024年11月30日 (土)

音楽備忘録1932 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ③

今回は例のBaker Gurvitz Armyで、語り残したそこでのGinger Bakerについてざんす。
このBandもしGinger Bakerが居なかったらもっと埋もれてた可能性は拭えないが、純粋に好みに合致する人にはもっとウケてたかも知れない。

残りの2人兄Paul弟AdrianのGurvitzの内、ヒット曲にしても後の弟の成功と比べたら売れたのは無い。
けれど音楽的冒険は中々にして意外にPopな歌曲が多かったり、全員腕達者でメンバーのバランスは絶妙だったりする。

まあ一般的にはそれより「Rockの」Ginger Baker、が堪能出来る割と数少ないのだったりの方が興味の対象になるだろうけど。
のでこっちの具体面に言及すると、先ず言えるのは今劣化本邦での一般想像よりかなりタイトで正確な演奏をしてる処だ。

彼自身はアフターCreamで多分そんなに腕前を上げたりゃしてないんだろうが、あっちは概述の通りJazz Bandだそうだからね。
Claptonが何時も通りで全員ラウドに演ったからHard Rockの先祖的扱いをされてて、そのお陰でRockへJazzのまんまの人が入ってる様に勘違いされがちらしいね。

って杜撰君自身もこの件では長らく怪しい口だったが、欧米での評価からしたら少し変だとは前々から察してたん。
特に大損したのがCreamの録音音質で、あんなじゃ実際のパワー感がちゃんとは伝わる訳が無いよ。

リマスター等されたのではどうなってるか知らないけど、元のではたったのアルバム1枚以外はRock系の普通の音じゃなかったからさぁ。
又フレージングにしても曲やコンセプトに合わなかったから古臭いのばっかだっただけで、こっちを聴けば全然時代に遅れてなんかなかったのが良く分かる。

ってかご自慢のアフリカンテイストはこっちでも健在だがその比率がかなり違ってて、普通にやたら上手い上にあの独自性を兼ね備えてたのが良く分かる。
のからすると彼の欧米評にはどうやらアフターCreamのも入ってる感じで、その後のも耳にしてたかどうかで日本とは評が割れた気がするねえ。

それ以上に興味深かったのが曲調で、これを聴く以前はてっきりJack Bruceの趣味だと思ってた幾つかがGingerか共通のだった事。
のがBGAでは作曲者としてのクレジットが明記されてる処からも伺え、売れるかどうかは別として世間が思ってるより「Drumを叩くのが上手いだけの人」じゃ無かったのもね。

演奏だけ上手な人が悪い訳じゃ無いけど、作れる位曲に明るくないと本当の名演をするのは難しいんすよ。
この辺大編成が常態のと違って、小編成ポピュラー系アンサンブルでは独立した編曲者は不在の方が多いからね。

中にはそんな能力を隠すか表に出す機会の無いのが居るだけで、名演は音楽力に含まれるもんだからすよ。
野球の打者で守備時は捕手や投手の方が読みでは有利なのと同様で、更にポピュラー音楽では超絶技巧より適切なフレージングの比重が増えるから尚更なんだ。

この側面でも国内外では認識差があるみたいで、向こうの人からしたらこんなのが極当たり前になってるのかな。
決して万人ウケしたり売れそうな感じでは無いけど特別ニッチなんかじゃ無く、そんなのも再認識させられる様な全3アルバムですわ。

-続く-

2024年11月29日 (金)

音楽備忘録1931 楽器音色一般のイメージと実際の違い➋

ほいじゃま先ずは最もポピュラーであろうピアノの音色から始めるが、今劣化本邦庶民が思ってるのは恐らくデジタルPianoの方なんじゃないかな。
確かにPA経由後や完パケメディアのとはそっちが近いが、それ現物のとはちょいと違っとん。

実は杜撰大王も縁あって宅にGrandが入る迄はそう感じてて、かつて直に触れた殆どは普及品のアップライトだから少し籠ってたんだとばかりずっと思ってたのよ。
で実際宅で色んなシチュエーションで触れてみたら(試し録り含む)、確かに煌びやかさはあったけどデジピその他のみたいな恣意的なのじゃなかったん。

具体的には次回以降取上げるPaiste cymbalと近似で、Mic2本程度じゃその豊富で際限が無い感じの倍音は全然拾い切れて無いんだ。
因みにハイスペックコンデンサを用いてもで、基本的に正当な生楽器は人耳で直に聴いた際最良になる様に設計されてるかんね。

超高性能バイノーラルで拾えば少しは改善しそうだが、リアルの人間って平気で頭とか動かすやんか。
のでそもそも固定位置で拾ってるのに限界があるらしく、かと言って録ってる最中に移動させたら変な感じになるからアウトでんがな。

リアル耳で聴いてて↑の任意移動が不問になるのは自身に「動いた意識」なりがあるからで、その時だけ聴こえた倍音も楽器からずっと出てるなんて認識しちゃうんだ。
いや実際そうなってる方が多いんだが、持続的には耳に届いてなくても「届いた時の音色」の方を印象としてきっと記憶に残してんのよ。

まっ要するに未だに純生で一定以上の奏者が奏でないと、本当の楽器の音色は聴けてねんですよ。
過去には機器音質ももっと低かったからジャンルニーズ等に合わせて音色も取捨選択してたんだけど、近年は明瞭度忖度で大体一辺倒になっちまいやがった。

と同時にClassic系奏者ですらBrightなのを好んでそう出る様に弾いてるが、極論すりゃそんなのSyntheでMozartを弾いてるのと同じよ。
俺知りでは知り合いでかつて弱視だった女性唯1人がそうしてないが、視覚より聴力依存度が高まっててきっとそんなじゃ変とって思ってたんだろうね。

それ故デジピを使ってさえ今迄他で聴いた事が無いマイルドな音色を醸し出してて、それが音色選択とかじゃなく神懸り的な繊細な弾き加減だけでやってたんだ。
それから記憶イメージでは明瞭な録音・演奏のBilly Joelを改めて再聴してみたっけ、出るべき処は確かにBrightだったけど不要な箇所では思いの外丸っこい音になってたんすよ。

Rockですらそんななんだから現行の潮流は、特にClassic系でそんなのは全く異常としか言えねんですわ。
木と金属で構成されてるのは弦楽器と一緒だが、ハンマーが本来は木で表面がフェルトなのが他のと違う。

弦のBrightさだけでは↑で作られた音の成分が欠けてて、近代On Mic収音のでは目立たぬがマトモなのなら入って無い訳じゃ無いんだよ。
これへ杜撰流屁理屈で捏ねればアコギの弦を指の腹で叩けばメカニズム的にはほぼ同等だが、多少は似せられたって実際そんな音を出すのは至難じゃないすか。

=つづく=

2024年11月28日 (木)

音楽備忘録1930 エレキBassのCreamyな音色の魅力⓯

続いてCreamyにする為の歪みと歪ませについてだが、そう云う目的だから少しGuitarの所謂リッチクリーンに近いものがある。
がGuitar程普通高域の割合が多くないんで、中低域で聴感上の歪みが感じられる手前で止めとかなきゃいけない。

歪みで少し汚した方がCreamyになるとは何だか妙だが、それは強く弾いた際の中高域のピークが頭打ちされて抑制出来るからなんだ。
直接比較で聴いたら確かに少し汚れは認められるが、アンサンブル内の実用性では少しでも綺麗でありさえすりゃ良いってもんじゃ御座んせん。

そりゃ楽器なんだから音色が美しいに越した事ぁねえが、美しいの基準が問題なのよ。
楽器の音色と意識すりゃつい単体聴きで判断しちまうが、ある程度整えられて以降は他と併せて聴いてどうかなんよ。

それは美しくしてる要素が弱目だったり他パートにマスクされ易いのだと、アンサンブルに入れたら無効化するからだ。
厳密にはマスクされない箇所でだけ聴こえりゃ良い場合もあるが、マスクの有無で極端に異なる音色に聴こえたりする様だと都合が悪い。

のは例えばワンセットになってるフレーズの途中で発症すると、フレーズが分断されてそう弾いた意味が薄れたりするからだ。
それがこのテーマの核心で、↑を巧く回避出来るなら別にCreamyな音色じゃ無くたって構わないんだけどね。

Bass音域の場合音程の下の方はどう料理しても音程感等がそれより上に負けてて、高域の出せる量にしたってそうだ。
因みに印象はかなりBrightでも、低い音程のは良く聴き込んでみるとそうなっとるでぇ。

是又個別楽器の音色はと問われると普通はあまり音程毎の様子より、全体の中で目立った箇所だけで考えちまうでしょ。
普段はそれで無問題だし、低い方の明瞭度を上げ損ねてる奏者にとっては却って助かるけどさ。😞

広義のフレーズ自由度(如何なる音程域・箇所等も含めて)を確保しとこうと思ったら、Bassの音域ではCreamyってのが最適解の1つなんだ。
それプラス他の生系楽器では高域をある程度稼ごうとしたら音色はどうしたって少しギスギスしちまうから、ある意味エレキの特権なんよ。

関連するドマイナープチ余談としてリッケンベースのリアPUローカットコンデンサ、隠れた!?その意味を再発見させられた。
その昔は低音死守の為エレキBassの実使用PUは真ん中から前寄りだけで、それに飽きが来て一時期PUではカリカリに拾ったのをAmpでボコボコに盛るのが流行ってた。

のに合わせリッケンではユーザー・本家共々何時しか省略する様になってて、上記に気付く迄は大して疑問に感じてなかったんだ。
それなりに音色差はあるもののずっと同じ車の色違い程度と思ってたのが、Creamyに出来るかどうかでは大違いだったんだよ。

今になってよく思い出してみればどうもその影響が、リッケンベース奏者のフレーズの変容に繋がってたらしいんだ。
厚みその他ではFender系に圧勝のリッケンも、高音弦音色の太さだけは完敗だったからねえ。

=つづく=

2024年11月27日 (水)

音楽備忘録1929 ’70年代Rockの浦島太郎➑

続いては楽器の差について論じるが、確かに後年出た俺言い「ジャンル特化型」はそれしか演らないなら楽チンだ。
だがそれに依る副作用として①自身での独自カスタマイズや、②一寸気紛れを起こしても他ジャンルに非対応になってもうた。

先ず①の件だがその影響は多岐に渡ってるが、何と言っても最大の罪は俺言いジャンル特化型奏法の衰退だ。
今でこそデジタルの力も借りた変態Effectorのお陰でGuitarの歪み深度は全く自由化したが、音波原理的には限度がありそれは既にVan Halen辺りでもう天井に届いてたん。

その証拠の一端としてその後のは楽器本体とAmpのみとは行かず、必ず何かしらのEffectorに依存してるんだ。
恥かし乍ら杜撰大王は近年迄コンプ使用でどう歪みが変化するか試してなかって、それをした事で今迄想定してなかった現象が起きてたのに気づいたんだ。

それも歪ませてからコンプじゃなく、コンプだけ通して後はAmpのみで歪ませるってのをさ。
歪みにコンプを併用すりゃ歪み度の減衰が緩慢になるって頭では分かってたけど、音圧のピークとアベレージみたく歪み度が大胆に違って聴こえるとは思ってなかったん。

結局の処近年のEffectorでも露骨なコンプこそ使って無くても、今迄のより深く歪んでますはこの現象を利用してるに過ぎないんだ。
利便性やコスパも込みにすると平民なとっちゃ確かにEffectorだけで解決出来ると楽だが、例えば他人と違う独自の組合せなんてのが不可になる。

その総合結果は酷い音色は減ったけどその人固有の至高な音色が反故になり、自前での新規音色開発が困難化しただけだ。
しかもより深刻なのは色んな歪みを得るプロセスが、企業秘密以外の面でも半ばブラックボックス化した事。

この手の感性に従わせる作業では頭で理屈だけ分かったって、自分の望むモノになるかどうか分からねんだ。
Drumでもそうだが予めミュートが施されたヘッド(皮)を使うだけじゃ、自分にとっての倍音不要ポイントの把握が難しいん。

ってのも奏者の皆が音響理論に詳しくは無いし、更には理論に基づいた実際の音がどんなのか熟知してる訳やおまへんやろ。
運にかなり左右されるものの体当たりで試した方が早い場合はあるし、大雑把でも例えば自分はここやあそこをミュートしたのは駄目なんてのが掴めたりする。

尤もDrumではミュート未施工のヘッドが売られてるから、学ぼうと思った時の選択肢がちゃんと残されている。
のにGuitarとなると特に普及価格帯で選択肢が激減してて、初心者が知る買える範囲のそんなのが殆ど無くなってるんだよ。

そうすっと知識の方は未だしも、音色構築の実践とか体感を学ぶのにも大きな影響があるんすよ。
飽く迄私感だが創作の世界でも頭は使うし大事だけど、学校の一般教科を学ぶのとは明らかな相違があるん。

スポーツとは少し似てるがそれ以上に、実際出た音と感覚とメカニズムのリンクが必要なのよ。
寧ろこれさえしっかりしてりゃ無敵で、っても他人に教えるにはそれだけじゃかなり足りないけどさ。

たまに従兄に辛辣な苦言を呈しても居て、模範演奏の重要性を何より優先させた方が良いと言ってんだ。
既にターゲットの音色を知っててでさえ、実際眼前で演られると記憶とは次元が異なってたりするんすよ。

=つづく=

2024年11月26日 (火)

音楽備忘録1928 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ ②

続いては’76~’79年の「米の」BandのForeigner、それもアルバムだと僅か2枚についてずら。
これも当時は日本でもメジャーに乗ってたのに、何時しか肝心なポイントがほぼ忘れ去られてるヤツだ。

さて冒頭で「米の」なんてしたのは俺が今の今迄、ずっと英のグループだとちっとも調べもせずに勘違いしてた都合だ。(開き直ってどうする…💦)
これぞ杜撰大王の真骨頂が又出たが、こっちだってアホはアホでも只のアホとちゃうで。

当時活動拠点こそ米であってもメンバーは英米半々なのと、そのサウンドは強烈にそれ迄の英Rockの集大成になってたからだ。
と相変らず虚しい言い訳に終始してるが、↑集大成の内容が非本国人にはとても真似の出来そうな代物じゃなかったからだ。

因みに是又独断と偏見に過ぎないけど、欧州各国のRock系では中々その国らしさの集大成的存在を見つけるのが困難でして。
それがBritish Invasion等ブームにはなっても、米メジャー系みたいに大幹線とはなり得てない1つの原因じゃないかと思っててさ。

実際には米は合衆国故歴史こそ浅目でも徹底追及したら底知れぬ程奥深く巾も広大なんだが、一般大衆に認知されてる範囲だと大体網羅させてるのが沢山居るんだよ。
歴史ったら欧はかつての日本等と同様群雄割拠でしょっちゅう勢力地図の塗り替えがあったが、他の地域に比べて各民族の伝統に拘りがかなり強目だよね。

「我街・民族こそが世界一」みたいなそれって普段はあんま良い方に作用しない気がするも、独自文化を広めたり維持する面についてなら結構大事だったりする様で。
これ今劣化本邦だとJR東日本と小田急の駅舎更新みたいなもんで、前者は原宿駅を合理性一択で処理したが後者は片瀬江ノ島駅のアイデンティティをどうにか死守したみたいな。

これⅡで単に社風の差じゃ無くて、前者は盛況だが後者は近年乗降人員がかなり減っちまってんだよ。
それからしたらアホか余程余裕があったかと思うのが普通だろうが、決してそうじゃおまへんのや。

幾らケチっても建て替えには必ず費用が掛かるのは一緒、ならばブランドイメージのシンボル的価値も加えてやろうって発想なんだ。
こう云うのって一バンド如きでやるのは駅なんかより、もっととっても大変なんすよ。

ご多聞に洩れず当のForeignerだって、この時期以外のは俺にはそう感じられない。
散々触れて来てても今迄ブリティッシュRockの典型はと問われた際、最初はこれから聴いてってのが今一誰が相応しいかずっと釈然としなかったんだ。

長く遍歴を重ねてるから自身では感覚的には一応分かってんだけど、具体的にどれか1つでとなるとさ。
それが今頃になってブランクがあって無意識で聴いてたら、もしかしてと急に気付いたんだよ。

細部迄拘って箇所限定…つまり曲調・音色・編曲・演奏等々では夫々の最適解は既にあったが、トータルで全体がバランス良く英らしいとなるとコレ一択かなと。
と同時にもう1つ気に留まったのが、Hard系のVocalでPopな曲も自然に演ろうとするのにも好例だった。

そう云や何時の頃からか国内熱唱系の人は「力を抜く」のがド下手化してて、自らレパートリーを狭めてる感があったな。
メインの激しいのをより有効化するにも、敢えて弱いとか大人しいのも自己内比較対象として演っといた方が良いんだけどねえ。

-続く-

2024年11月25日 (月)

音楽備忘録1927 楽器音色一般のイメージと実際の違い➊

このお題は昔からの事ではあるけんど、近年程多分酷くは無かったんだ。
っつう事ってもしか業界さんにはネタバラしすなと嫌われるか分からんが、杜撰大王としちゃメディアで気に入って生で聴いたらガッカリになる方を阻止したいのだ。

この件が悪化した裏に杜撰大王は「売れりゃ良い」があると踏んでて、大多数の一般庶民は音源を買ってもそんなにLiveにゃ来ないとタカを括ってんじゃねえかとかね。
実際「聴ける事が当座の目的」だった場合、過去とは格段にメディアの音質が向上はしたよな。

手前味噌で例示すると中学に上がる迄家にマトモな再生装置が無かったから、モノホン聴きたきゃ高級オーディオショップの試聴室へ高盤質のを持込むとかしかLive以外の方法が無かったわ。
だからその変化の影響は分かるんだが、今度は完パケメディア比でPA音質の相対的な低下がホントは目立つ筈なんよ。

何しろSNSの投稿画像から俺言い「盛り文化」が絶頂期を迎えた煽りで、音の方も日生のオバチャンみたく過度な圧化粧が常態化しちまってなぁ。(保険営業の方済みませぬ)
それが現況Live環境下だとそこ迄やれねんで…、これには仕方無いのと仕方無くないのと2つの理由はあるがね。

何れにしても総合的な儲けやイメージの確立を考えりゃ、極力盛らないで最高音質・最高音色を目指さないと少なくとも長持ちさせられねんですよ。
今だってそれを分かってる奴が減りはしてても居なくなっちゃいないんだろうけど、機器の向上のお陰で昔より誤魔化しが効く様にはなってるからねえ。

のを超低域や超高域で比較してみるとデジタルが普及する迄のは、殆ど全部俺言い「嘘の音」だったんよ。
何しろ扱える周波数帯域が健康な人耳のより狭かったんだから、そりゃそうするしかないわな。

但しここからがこのお題の真髄になるんだけど、上記は飽く迄「物理的に」であって感覚的には寧ろ今のより正しい選択だったんすよ。
実は高音質化したっても今劣化本邦の平均的PAの性能は、まだまだ可聴帯域より結構狭いんだ。

そこに拘ると先ずは飛躍的に金は掛かるし場所を取るからだが、それ以外に費用対効果に疑問があるのも又事実なんだ。
それは舞台での各種雑音や残響特性が、どちらかったら高音質化には逆に作用してるからだ。

例えば比較的近距離で爆音PAをするとなると、ハウリングポイントを削るのは必須だ。
勿論極力「聴いた感じ」が変わらぬ様に配慮してっけど、元のと寸分違わぬかと言われりゃ特定のを除きそうは出来てない。

杜撰大王は生耳の音を知ってっから不要PAは害と、随時頻吠えしてる大きな理由のこれが1つなん。
確かに第1印象はほぼ盛られてるのの方が勝るが、俺言い「第2印象」の時点でもうアカンのがホンマ増えたわ。

そこで盛りニーズの生じた原因から次回は掘ってくが、始まりは飽く迄次善策・代替手段だったんだよ。
本来必要性が無くなったら盛るにしても箇所やなんかもシフトしなきゃいけないのに、何時迄も昔のを踏襲してるなんて本当にダセー行為なんじゃね。

尤もこんな世相じゃ当分は改善しねんだろうけど、それならそれで少なくとも覚悟だけはしといて貰いたいもんだわさ。
メディアと現物に例え致命的な落差があって、全く別物だったとしても一切文句言うんじゃねえってな。

=つづく=

2024年11月24日 (日)

音楽備忘録1926 エレキBassのCreamyな音色の魅力⓮

エレキBassで無歪みっぽく聴こえる歪ませはかなり条件が限定される都合から、この機会にオーディオとエレキの周波数の低域・中域・高域の認識差をおさらいしときませう。
昨今は打込み主体の人も多くその場合はある程度オーディオでの分類が通用するが、エレキで音色の作り込みをしたいなら必要なスキルなんじゃないかな。

オーディオだろうと電気楽器だろうと夫々の区別理由の有無、正規の明確な理由はあっても杜撰大王だから知らんがな。
けど大まかにはどっちも音楽で担ってる役割で大体分けてて、オーディオでは凡その肉声やPiano等の中心周波数帯域を中域としている。

のわ音程をそこが司ってるからで、低域だって上の方は近似だがあらゆる環境下で誰もでにすぐ分かるもんじゃ無くなってるよ。
そして低域の下の方と高域は特殊能力に恵まれてないと音程が分からないんで、低・高域に分類してるんだ。

但しアンサンブル全体での事だから個別楽器のそれとは異なり、楽器でも厳密には楽器毎に分類の仕方が違ってるのだ。
取敢えずエレキGuitarとBassの中域を披露しとくと、Guitarは下から順に300Hz前後と2kHz前後・Bassのそれは250Hz前後と900Hz前後だ。

因みに同族内でもタイプ違いもありゃ人次第で感覚差もあるから、誰もが納得出来る分類の仕方は無きに等しい。
それと大事なのは低域と中域の分け方が実際のファンダメンタル(基音にして非倍音:強弁すれはゼロ次倍音とでも!?)
より概ね1オクターヴ位高くなってるのは、アンサンブル内や他の音にマスクされ難い方を取ったからだ。

それだからContrabassの低音程域は音程が不明瞭で、生成されてる周波数帯域はエレキよりかなり広いが所謂整数次倍音(直接音程に関係してる部分)の割合が少ないからだ。
一面で音色の深み・渋さ・味わい深さと音程の明瞭度はトレードオフの関係にあって、一概に優劣を付けるべきじゃないが適正使用法と用途が若干異なっている。

してエレキの歪ませでクリーンと同感覚のまま聴かせるには、基本的に各々の高域を中心に歪ませるのが良い。
って事ぁ裏を返せば中域以下をあまり歪ませると具合が悪く、下手をすれば全体の明瞭度を悪化させちまう。

のわ音波の原理に基づいててオクターヴ下がると波高が倍になるからで、しかしそれで同じ音量に聴こえるのはちょいと変な感じがするだろうね。
処がどっこい一般認識の音量って一定時間平均のなんで、オクターヴ下がると波の数が半減してる事でそう聴こえてんのさ。

それ故上では高域中心と書いてるが、それ位にしといて実際舞台裏では低音だけ深く歪むのを防いでんだ。
その典型例がかつてMaestroのBass Brassmasterを駆使した時期のChris Squireで、中低域は殆ど弄らずに高域だけFuzzが掛かってたものだ。

歪ませ音色的に対極にあるのはJack BruceやTim Bogertで、聴いた印象は中低域中心な印象の音色だけどさ。
実際には前者全盛期は常にMarshallで、後者にしてもプレベと指弾きのせいでかなりハイ上がりにしてたのが目立たなかっただけだ。

そんな音色も嫌いじゃねえがこのテーマには今一フィットせず共通項は半分位かな、何せ歪んでる印象を与えずにだからねえ。
ので少し籠って構わないなら石でも偽装出来っけど、そう云う目的なら球好きじゃなくても極力真空管を使って欲しいのよ。

=つづく=

2024年11月23日 (土)

音楽備忘録1925 ’70年代Rockの浦島太郎➐

近年はアイドル系の若いネーちゃんでターゲットをオジ専に据えてるのも居るが、どんどん進む少子化停滞社会情勢が根底原因なんだろう。
上がり続ける酷税に対し収入はロクに上がらんとなりゃ、小遣いに困らんのは資産持ち(過去に稼いだ)しかねえもんな。

でそんな風に本来の王道から外れるのもアリってんなら、かつて学生運動に従事した世代向けには敢えて政治や社会問題を多く取り上げるのも一興なんじゃないかねえ。
ってのも不幸にして容姿に恵まれなきゃアイドル路線は無理だし、しゃべりが苦手だと普通の配信も厳しい。

今流行りの路線がどれも不適合だからって、じゃあそんな者は唯黙して大人しくしてろってのも立派な差別で忌々しいぞ。
現実は厳しいって言葉は昔からあったが、近年になる程その「何処が」ってのがどんどんおかしくなってんのよ。

ウケなくても我慢しろでは本当は言葉足らずで、その前に「簡単には」って付くんすよ。
幾ら時流と偶然合致したにせよプロテストソングとかパンクは突然変異でも何でも無く、誰にも相手にされなくてもずっと以前からその方面で頑張ってた奴等が居たんだ。

私感で’70年代Rockに政治・社会問題色のが登場したのって、まだBluesに根差したままでもあったからなんじゃないかな。
色恋沙汰だって歌われては居たけど、反リア充の者達には夢に近かったりする。

プチ遠距離恋愛になったとして足代を払えなきゃデートは出来ないし、ネットが無かったから通信するのにもその都度お金が掛かる。
つまり恋愛ひとつとってもその自由度を上げるには先ず生活の向上が必要で、しかし苛烈な差別からスキルアップもままならずじゃ理想の恋愛≒今なら宇宙旅行みたいなもんだったんじゃね。

その様な状況下では不謹慎白人みたいに「今晩お前の体が欲しい」等とは到底歌えず、夢を抱くにしても全然違うのよ。
現況今劣化本邦のメジャー系では相変らずのしか出さないが、こう不景気が続き過酷な若い世代には安易な絵空事は全く日常じゃ無くなってんだ。

けれど恐らく’70年代の手法にあんまり馴染みが無いから、燻った状態が続いてるんじゃないかな。
’70年代って漸く戦禍から復興が完成し物理面が充足したのに対し、心理面が著しく遅れててそれへ当時の若者が反発してたんだ。

杜撰君自身戦時中よりゃマシと思ったが、何か上の世代が説く理想とは自分達の置かれた環境はかなり違うじゃんって感じてたよ。
にも拘らず周囲の同世代は団塊世代みたいな熱意も萎えちゃってて、アウトローに落ちてしか抵抗出来なかったんだ。

リッチなのは何等かで壺と繋がりある者のみで、他は虐げられてるなんてまるでかつての米の白人支配者vs奴隷黒人と同じ構図やんか。
ので形式・形態は兎も角、スピリットや遡上に上る題材等は全くBluesなんだよね。

一見何の関係も無さそうなヒッピー文化やフラワー・サイケ等、殆ど見えない深層部ではBluesから受け継いでた箇所があるんすよ。
勿論自分が好きだから巷で話題にならなくなったのも惜しんじゃいるが、作詞技術面でも実害が出てるのが見過ごせねんだ。

-続く-

2024年11月22日 (金)

音楽備忘録1924 過小評価で忘れられつつある人々Ⅱ ①

〆て幾らも経たずに再開って何ていい加減なんでしょう、でも心が開放されたら途端に次のが浮かんじゃったんだよ。
そんな訳で恥を忍ばず図々しく進めてくとして、本日の対象は米のEaglesで御座居。

又しても過去の栄光とは言えちっともマイナーになってない彼等だが、どの曲に耳を付けるかが大問題なんざます。
彼等ったら名曲Hotel Californiaが先ず遡上に上るが、グループの多様性や器用さを堪能し尽すにはちょっち適切じゃねえんでがんす。

この件往々にして最大ヒットシングルとの両立に難が出るもんで、SouthernrockのLynyrd SkynyrdやAtlanta Ryhythm Section等さえ近似状況が見られるものだ。
けれど後2者は失礼乍ら前者程世界に知れ渡るヒットはしなかったから、夫々を象徴するFree BirdやAnother Man’s Womanもヲタ氏達には分隔て無く聴かれている。

こう云うのは古くから一般大衆を相手にすれば日常茶飯事で、日本でもChar先生真の代表曲はSmokyなのに歌謡ロックの方が当時は圧倒的に売れてましてん。
それでも先生の場合は程度が最も軽い方で、露骨に異質だったのは職業作詞家が書いた詞位じゃないかな。

処が世界一商魂逞しい米となると、簡略・省略・整理統合…と売る為に必要なら何でも平気で相当変えちまう。
と例に依って中々のディスりだが、良質なPopsって観点に立つならそれは間違いとは言い切れないのも事実。

曲の良さより誰がとかが前に出るのって、見方次第じゃ唯のエゴでもあるからねえ。
ので一見さんがお気楽に聴く分には何の問題もありゃしないけど、どんな連中かとか少しでも特徴を知りたくなったらもうそれじゃあきまへん。

皮肉なもんでそう云う配慮があまり要らないのは非メジャーなジャンルで、発展期のHard系Rock等でなら要らん心配なんだけどね。
万人ウケと独自個性はしばしば共存を否定される事があり、そんなアーティストに対しては聴く側に一寸したコツが必要なんすよ。

のにそれをしないで居て逸失するのが個性や実力評価で、時を経るにつれ「売れた実績」だけが実際の姿より巨大化しちまうんだ。
と語るからには飽く迄独断もヒットメーカーとそれ以外の箇所の評価を別と考えてて、彼等には大ヒットはしてない曲に見所があったと杜撰大王的には思ってるんだ。

彼等はその名が暗示する様に米では保守右派で、Country系からスタートした後大変貌したし活動期間が短かった割にメンバーの変動もあった。
がコーラスに重点を置いてたのはずっと変わらず、保守故それに底触しない部分では却って自由に振舞ってたのが興味深い。

でその「自由な部分の面白さ」が、有名大ヒット曲だけを辿ってたらあまり良くは分からないんだよ。
私的にはどっちかったら非好みな彼等だが、柔軟性の部分には一目置かざるを得なかった。

それ抜きの評価に終わったら大損と考えてて、だってそれならMadonnaとかもっとコマーシャルチックに演ってた他の誰でも良いじゃない。
斯様に今劣化本邦ではアルバム単位で掛けない・流さない・聴かんの弊害が、こう云う部分で計り知れんのどす。

-続く-

2024年11月21日 (木)

音楽備忘録1923 人力生演奏のススメ⓬

必要最低限の練習環境ってDrumならスティックワークだが、今時は過去のTVCMにあった様な「橋の欄干を叩く」なんてのはほぼ幻想となって久しい。
それだけかつては昼間の街には当然の如く存在した喧騒も、今ではご多聞に洩れず静音化したからねえ。

のでDrummerにはあまり役立たないが、合奏自体はかなり小音量にしても一応成立するのをご存知だろうか。
っつうか若き日の俺等のアプローチは逆方向からで、庶民の倅にとっちゃ楽器の他貸しスタジオ代だって気楽に払えたもんじゃ無かったん。

当時の趣味者の集いで問題なのが奏力で、今比だと弾けなくても曲は熟知してる人の割合が格段に高かった。
のわ恐らくネット不在の影響で、今みたいに会話に参加するのにその場でスマホを覗くなんてのは不可だったし。

結果ヲタ話しをするだけでも兎に角皆が知ってないと困るから、そんな状況の方が断然多かったん。
んで取敢えずが①でどうしたかってば、最低限の楽器と少しは遮音性のある部屋に集まって合奏擬きをしてたんすわ。

その中で音量が気になる深夜帯ではアコギは禁止とし、エレキはAmpに繋がずDrumは座布団等を「軽く」叩いて雰囲気を味わったん。
尤も厳しい音量規制で歌は高音域が出せないし、Ampに通せないソリッドボディのBassはほぼ聴こえず半エアー状態だ。

それが少し改善の兆しが見えたのが②のホロウボディ(セミアコ)のBass使用で、尤もそれでもかなり強目に弾かないとテープに録ると殆ど聴こえんかった。
全くの偶然だがそんな必要に迫られたのは、音楽仲間で集まってた深夜にその内の1人が曲アイデアを閃いたからなんだ。

その時点では海の物とも山の物とも不明だったから、後日スタジオを借りて試そうなんて思いもしなかったん。
しかしメンツは一応アンサンブルを組めるだけ揃ってたんで、何とか極小音量で合奏しカセットに試し録りしようとしたんだよ。

今なら安価な楽器用ヘッドホンAmpや配信Mixerなんかがあるから、無理に全部生だけでなんてあまりしないんだろうがね。
只全員被ってそこそこ満足な音量で演ると、歌がつい釣られて音量オーバーする危険があるのよね。

もし歌い手にクリソツな声質・唱法のボカロがあったならそっちで代用するか分からんが、そしたら歌は生合奏じゃなくなっちゃう。
ってかこの件そもそもの目的は初心者の生合奏体験で、ある程度以上達者になれてるなら手段を選ばなくても平気なのよ。

体験量が充分になれば少なくとも自身がどうしたらどうなるかが大体分かり、その頃にはほぼ基礎練は網羅されてるからどうとでもなる。
問題は如何にして不遇な環境でも、なるべく早期ににそこ迄到達出来るかなんだ。

今劣化本邦等の格差社会でそれを打破するには、こんな方法しかないんじゃないかな。
誰だって立派なのを見ちまえばついこんなショボい事してもって気分に苛まれっけど、選挙と近似で諦めたら例えば壺の思う壺に見事に嵌っちまうん。

現在好況にある者は出し抜きたい心理の強いのも少なくないから、本当は地味乍ら効果のある事を下々にやられるのを嫌がってんの。
あなたは苦境な上に騙されて、更にわざわざ損を選びますかってね。

-了-

2024年11月20日 (水)

音楽備忘録1922 エレキBassのCreamyな音色の魅力⓭

本題もだがこの件を通じて一番勉強になったのは、楽器で求めるべきHi-Fiってオーディオとはかなり別物だったって事った。
かくなる上は物理的歪み率について大いに再考せざるを得ず、それが自身の過去比での低迷解消にも役立ったんだ。

昔から音響屋でもありながら楽器系では歪み率はロクに計測もせず、聴感のみに頼って来た。
のわ特にエレキのはオーディオと意味が異なるからで、しかし自称鍛え抜かれた耳での歪みは長らく嫌って来た。

明瞭度や安定度となるとやはり歪みは大敵なんでそうなってたが、こんな題材を書いてる割に何時の間にかフレーズの種類が減ってたんよ。
純粋に良い旋律は何物にも替え難いが、ややもすれば地味目だったりそのクウォリティを保つのが至難だ。

何しろBassフレーズ限定とは云え、その箇所に限れば一大作曲家にならなきゃなんないんだからね。
負担って観点からは報われるか不明な箇所で労するより、安易だがどうせならある程度成果の確約がある箇所に労力を注ぎたい。

等々から上記傾向に寄り過ぎてたらしく、時流も災いして持ちネタを減らすも同然になってたって訳だ。
杜撰君古物好きだから過去名作は熟知してたけど、自身で演る時はそのままじゃ唯の物真似になっちまう。

そこで内容はあまり変えず過去作より音色・音質面で凌駕させる作戦に出たが、歪み率に過敏になってたのが裏目に出た。
’70年代末から’80年代初頭に掛けてBassの録りはLine収録がデフォになってったが、その時期の作品にヒントがあったんだ。

過去述の如く録音Studioの使用機材って案外古典物が多かって、当時最新のLine収録だとうたっててもDirect BoxやPreampは結構古いのが多かったらしい。
前者だと石の半導体のアクティブ回路よりパッシブ回路でそれもトランス式がメインで、COUNTRYMANの特定機種等はかなりの名声を馳せたもんだ。

音響的には明らかにアクティブ優性だが、少しでも旧来のAmpに「反応」を近付け様としたら後者一択なのだ。
でそうしてて特に劣化するのが歪み率で、中でも周波数帯域の上限と下限でより劣化してる。

からこそ楽器本体だけの音をなるべくピュアに拾うなら前者となるが、エレキは楽器本体だけでその音色が完結してなんかおまへんのどす。
確かに原点は最大音量を増す目的だったんだけど、完成期には音色等を色々弄るのも込みになってたんだよ。

ので’70年代前半迄のと比べりゃ意図的に歪ませたの以外歪みは全然目立たなくなってたけど、実際にはその多くが目立たずとも決して歪みフリーになんかなって無かったのさ。
さて目立たぬならどっちでも良いと思ったら浅はかっつうもんで、コイツが盛大に俺言い「太さ感」に影響を及ぼしてたんだよ。

但し歪ませ方に少々コツが要り、全域を歪ませたりGuitarみたいに比較的単純にハイ上がりを喰らわせてやればとは行かない。
基本感覚的には歪ませる歪ませないってより、好ましい音色に調整した結果僅かな歪みを伴っても目を瞑るって感じ。

=つづく=

2024年11月19日 (火)

音楽備忘録1921 ’70年代Rockの浦島太郎➏

’70年代と比べると驚く程夢の無い時代に成り下がっちまったが、色々事情があるからとか単なる爺の憧憬とか様々な意見があるだろう。
その中で生活に直結してる物ならコスパその他は重要だが、儲かってもタカが知れてる音楽で悪影響を受けたままにしてるのってどうなのよだ。

近年の傾向で目立つのが自分主導だと流行追従で、ドラマやアニソン等請負い仕事だとその呪縛から解放されてる処でね。
後者こそ映像作品の都合次第で、流行の最先端を狙わなきゃいけない筈なんだけどなぁ。

この逆転現象はゲーム音楽でも似たり寄ったりで、酷いのになると最新のバトル物のが大日本帝国当時の軍歌みたいになってるのも…。
まあそりゃ見方次第じゃわざと音を古くして、少しでもゲーム自体の新しさを強調したつもりか知らんがね。

でもそれって不釣り合いなラフな格好で出社しといて、アフター5の庶民派呑み屋へ行く時だけフォーマルなスーツに着替えるみたいでおかしかと。
勿論何時でも何処でも例外は存在して良いんだが、それすら定番・王道の方が主流じゃないと効果を逸するんだよね。

なぁ~んて言うとジジイ頭固いとか古いとか思われるんだろうが、古くからあった物でも「新しい人」が演るとあんまりそうは聴こえないもんなのよ。
逆に年寄りが安易に最新流行に乗ったつもりで、細かい解釈・表現がモノホンとは微妙に違っちゃったりして却ってボロが盛大に目立ってるっしょ。

観客の誰か1人でもそれ昔聴いた事があったなんてなると、そこから拡散したりしてどうにも年寄りは新鮮味って点では不利なんだ。
の裏を返せばそれだけ若いだけでも有利なんだが、その際新参者が古いのを演るのに1つだけ注意点がある。

それは要点については決して「中途半端な状態で導入しない」で、恐らく環境等からこれが困難化したり下手になったからなんじゃないかな。
Rockと異なりJazzの方では元が何でもアリなだけに分断化には至ってないが、近年若手の例えばRockよりRockっぽいのなんかは杜撰君的には痛々しい。

Jazzは何でもアリっつっても実は無条件ではなく、「Swing出来れば」の前置詞こそが命脈なんすよ。
だからテクや変態度なんかよりBeat(基本リズム)の心地良さが何より大事で、単体では全く跳ねて無い様に聴こえても跳ね捲りの人と無理なく合奏出来ねえとホントはアカンの。

Rockではそこ迄じゃないものの、ジャストでもテクノとかとは一味違う躍動感が出せないと意味が失せるだよ。
それがあってあんなにシンプルに演っても間が持ってた訳で、どんなに昔の人だって「味無し」が平気だった訳じゃねんだ。

味無しと言えば寧ろ現代人の方がミネラルウォータの普及からして耐性がある様で、それもあって爺は飲めなか無いが未だコーヒーの方が好きだ。
個人嗜好全開でRockをコーヒーに例えるなら砂糖やミルクの有無は不問、豆や原材料のグレードも不問だがどんなに薄いインスタントでもフレーバーや味のみではアウトなのよ。

-続く-

2024年11月18日 (月)

音楽備忘録1920 映画・TV等への専門家が作った音楽㉓

今迄紹介した他にも色んな人が居たが、杜撰大王がパッと思い付く範囲ではざっとこんな様相だ。
んで〆にあたり大して詳しくもないのに取上げた訳と、総括行ってみよう。

映画・TV等への専門家が作った音楽に触れた際、割と何時も感じるのは職人技も勿論あるがその柔軟性なんだ。
そして時代が進むにつれ閉塞感つうか分断感つうか、何だか夢が減ったとか面白味が少なくなってる気がしたんだ。

で杜撰大王なりに考察してみると世間一般論の「やり尽された」のも確かにあるとは思うが、それより何より硬直化とか石頭化してるのではってのが杜撰流の回答なんだ。
それで思うのの1つ目はジャンルで、本来こんなものは好みを探す時の便宜上の仮分類に過ぎないって事った。

ってのもClassic全盛当時、それをクラシックだなんて多分誰も呼んで無かったっしょ。
だって幾ら将来大スタンダードになる予感がしたって、その時点では「最新の」なんだからさ。

その次にJazzが生まれた時点にしたって、もしかしたらたった1人位はそれよりRockぽいのもあったかも知れねんだ。
が当然Rockなんて名称は生まれて無いし、流行の主流からはかなり外れてるだろうからせいぜい変態Jazz程度の扱いをされた事だろう。

ほんでジャンル名称はあっても現時点で最も内容の巾が広いのの1つに、杜撰君としてはBluesを挙げときたい。
これが分かり易いのが歌謡曲や演歌ですら、曲タイトルが「○○ブルース」なんてのが一杯あったべ。

つまりジャンルでもあり乍らTango・Waltz・Balladeその他みたく、リズムだの曲のスタイルだのとしても存在してんのよね。
この件過去にも述べたが長らくJohnny WinterがガチのBluesとは思えなくて、名曲スタンダードのドブロでのカバーは未だしもエレキで当時時点では超絶速弾きなんかしてたからさ。

のが今になってみっとHard系やRock好きに親近感が高いってだけで、スピリットは骨の髄までドBluesだったんだよなぁ。
別物で比喩るなら屈強な青年が軍服着てるから兵隊だと思ったら、古着で買っただけで全然軟弱温厚な一般庶民だったみたいなね。

典型的存在になりたいなら外見と内容は一致してるべきだろうが、フォーマルパーティーでのドレスコード程の縛りのあるのは極少ないんだよ。
かつてサイケやGSでミリタリールックが流行ったが、その殆どは多分兵隊になんか行った事の無い奴等だ。

寧ろ軍隊上がりってばジミヘンは羽で飾り付けたり、Southern系では海兵隊上がりなのに典型的カウボーイの恰好しかしない奴が居たりね。
Latinイメージでリゾート感の強いSteve Gaddが、実は軍楽隊上がりでしかもかなりその方面で実績を上げてたなんてのも。

それが俺言い「1億総マニュアル化」以降、育った家庭の社会的地位や経済で進路コースがかなり限定されて。
それにつられたか音楽でも裏道・抜け道がどんどん消失したみたいに、目的地への到達ルートが凄く少なくなってんよ。

そんな状況に一矢報いてると思われるのが、音楽ジャンルより芝居のテーマや環境に沿ったこの手の音楽っつう訳さね。
だからその筋の職人を目指してる者以外こそ、ふーんそんな方法もあった程度で良いから一応耳にするとお得なんじゃねって話しどした。

~わをん~

2024年11月17日 (日)

音楽備忘録1919 人力生演奏のススメ⓫

さて狭小高人口密度では人力演奏最大の障害の、騒音案件に何時の間にか筆が進んだ。
その考察からすれば実はClassic系の方が演り難い筈だが、今劣化本邦の不適切状況下では杜撰大王の大嫌いな差別に触れねばならぬ。

まあ確かに杜撰君は第2次反抗期にかなり傍若無人をしてたけんど、非心理面では伝統的ジャンルの連中の方が遥かに迷惑掛けてたんだよ。
当時は学校の昼間の喧騒は殆ど問題視されてなかったが、庶民感覚の主流がたまたま気にしてなかっただけ。

雨戸迄びっちり締め切った部屋で叩く非力な従兄のDrumに眉を顰め、教室の窓全開で一寸音痴な吹部のそれは微笑ましく受け止めてたんだから。
当時の庶民の神経を逆撫でたのは前者とは言え、物理的には後者の方が圧倒的に煩いんだけどな。

それが今ではかなりマシになったもやはり子供や俺言い「中供」に対して、Rock系に勤しむのは親的にあまり歓迎されてない。
これに対し史実に基づきつつ徹底抗戦を試みれば、アル中・薬中その他諸々実は古いジャンル程多かったん。

っと言いつつ最近迄はなまじ悪態フルの自分がRockだったからそりゃ最悪だろうと思ってたが、ネット経由で深掘りしたらカワイイもんだったんだよ。
まあ時代や従事者の数も昔は違ったから一概には言えんが、少なくともヤバそうな雰囲気のジャンルだから素行が悪かったって事ぁ全然無かったん。

但し今劣化本邦で現状残存してる老害の殆どは、きっと当人達に差別意識は無いだろうがれっきとした忖度や蔑視がある。
因みにここでの老害とは刷り込み教育の結果のも含まれ、必ずしも世代・年齢だけで特定出来るものではない。

そんなで欧米と比べると遅れてるのは、過去に実体験した者が少ないからなんじゃないかな。
加えて重要なのが演歌や歌謡曲「専門の演奏家」が不在な処で、米のSouthern Rockを聴くとCountryとRockのボーダーレスな奴等が居た。

少々詭弁気味だが都会の若者に対してはRockを名乗り、田舎の年寄りにはCountryを名乗ればそれで通用してた節がある。
処が上記のせいか演歌・歌謡曲には専門って歌手だけと思い込まれてて、それが何処にでもあるカラオケとそれより遥かに少ない器楽練習場となって表れている。

何れにしても電子楽器と妥協した電気楽器の方が、練習環境は比較的選ばねんですよ。
↑の妥協とはエレキ固有箇所の事で本来は大変重要なんだが、半分は生楽器だかんね。

で日常的な訓練を要すのは主に後者の方で、エレキには恐らく過去に存在したSyntheの「マニピュレータ」みたいなのは席が無い。
となりゃ音創りの為にも先ずそこそこ弾けるのが必須で、実演するには非エレキ固有箇所の比率がもっと高くなるんじゃないかな。

尤も家から楽器を持ち出すのが少ないとRock系やエレキは、低騒音故に周囲に気付かれない隠れ奏者が案外多いのかも知れない。
その段階では正直「本物の状態や音量」では無く何時迄も続いたら気になるが、超低騒音を標榜したらClassic系の方が余程過酷な状況下にあるのだ。

そこで今更参考になるか分からんが、次回はかつて杜撰大王逹一味が演ってたSessionを披露して〆にしよう。
その実態をプリプチ露出させとけば、アコギ使用のFolkコーラスグループより静音なんすよ。

=つづく=

2024年11月16日 (土)

音楽備忘録1918 エレキBassのCreamyな音色の魅力⓬

この目的には敢えて不純物も混じったCreamyが必要と説いたが、それには単純な高域カット以外の方法を探らねばならない。
杜撰大王は過去に別楽器で類似案件の対策を見たが、それはSynthesizerのFilterでだった。

簡単に言うとマイルドにはしたいが露骨に籠るのは嫌な際、Filterの所謂Cut Off特性っつうのを選択出来る様にしてあった。
それ迄のSyntheのFilterって多分どれも1オクターヴあたりー24db高域を減衰させてたんだけど、↑にはー12dBのモードが追加されてたんだ。

使用実態としては選べるだけ良くなりはしたが、想像したより大きな成果は得られなかった。
のわこっちの真のニーズが量的操作だけじゃなく、高域の質の問題だったからなんだ。

って杜撰大王はすぐには分からず、そこそこ後になってから気付いたんだけどさ。
そのヒントの中に前回述の件も含まれてて、気付いて以降は別手段の先ずは発掘に躍起になったんだ。

ほいで方法論は一応出揃ったものの、現代環境ではあまり使えないのの多いのが判明してね。
一旦は保留気味にしてたんだけど、フレージングに影響する分は後に看過出来なくなって来ただよ。

今回はBassで語ってるけど、そもそも問題になったのは打込みや電子楽器が先だったんだ。
生楽器ならMicやそのPreamp・電気楽器ならAmp等で調整可能だが、電子楽器や打込みだとその手が無くなるじゃん。

苦肉の策で敢えて球プリを通して加工を試みても、音源本体から出てる高域が既に削られてると唯籠らせて誤魔化すしか無くてさ。
そこで球を使えばマイルドになる要因を整理してみると、確かに少しは量的にも減ってるけど中高域の質がかなり違うのが主因なんよ。

してそれが顕著になるのがハイインピーダンス接続で、石のAmpだと入ってすぐにインピーダンスが落されるからその効果がかなり衰弱してるんだ。
のわ前述ハイインピ固有の共振現象が作用してたのが、楽器-Amp間だけじゃないからだ。

オーディオ的側面からだと悪でしかないか無いんだが、典型的エレキらしさはそんな処から紡ぎ出されててねえ。
この老害君だって伝統だけに縛られちゃいねえが打込みが普通になると、音色もより差別化を図れるならと思ってな。

リアルでもバーチャルでも音色に大差無かったら、上手く綺麗に弾けた分はどっちで演ったのか判然としねえべ。
それじゃあ何だか汗水垂らして人力実演したのがアホらしいし、フレーズだけリアルを踏襲しようにも今一ピッタリとは嵌ってくんないし。

更には歪み率の問題も遡上して来てその詳細は次回送りにするが、歪んでるのが目立たぬ範囲で歪ませといた方が高域の悪目立ちを防いでくれるんだ。
のに気付いてから色んなこの件での名作を再試聴してみると、従前はそんな感じはしなかったけど完全無歪みのは皆無だったんよ。

状況にも依るがなるべくクリアでHi-Fiな音色にしたいんだけど、どうもエレキでは単純にそれを追求したらヤバいらしいんだ。
他楽器に類例が無くは無いが、私感では悲しいかな最もその影響程度の高いのがエレキですわ。

=つづく=

2024年11月15日 (金)

音楽備忘録1917 ’70年代Rockの浦島太郎➎

何かに普通に挑戦しようと思えば、資本主義社会下でお金が掛かるの自体は至極当然にして已むを得ない。
何事にも必要経費っつうのはあるから例え出世払い等にしたとして、未来永劫タダで済まぬのは自明の理だ。

が上級国民しかマトモに手を出せないのが過半数になっては異常事態っつうもんで、そうなると例えばかつて著しく虐げられてた黒人がBluesを作るなんてのがナシになっちまう。
して前回からのこの問題提起は大人にもだが、より深刻な影響を及ぼすのは子供達なんだ。

ある程度の齢になれば自分の自由になる小遣い等があるも、それより幼い時ゃ親に頼んで許可の出たのしか試せない。
のが何で不味いかってば、そもそもどの程度興味が続くか分からないものへ触れる機会が無くなるからだ。

自身の方向性が定まったら親や大人に懇願するにしても粘り強くなれるが、その前の段階ではもしかしたら適性があってもすぐに諦めざるを得なくなっちまう。
杜撰大王的にはこれこそが今劣化本邦の低迷・膠着の元凶と考えてて、こんなケチなののせいで適材適所が上手く機能してないんじゃないかとね。

一時期よりゃクラウドファンディング等でちったぁ望みも見えて来たものの、それだってネット環境等とそれを実施するだけのスキル獲得後じゃないと実行に進めない。
では資本主義を初期に採用した国々はどうかっつうと、見所があると思ったら早々に誰かがパトロンになったりしてこの件が緩和されてたんだ。

んがそれには金持ちに常に余裕があって、且つ技術・文化・芸術・スポーツその他に強い興味が無くてはならない。
加えて育成に携わってるのを誇りに思ったり自慢するマインドも必須で、それが世間でも大いに称賛される様じゃないとね。

それには一定以上に全方面での社会の成熟が必須だが、実は日本だって物心両面で貧しいなりにそう云う気概がかつてはあったんだ。
それが前回語りの「現場でプチ育成」で、実際杜撰君世代では何等かの「Rockの学校」なんて無かったからそれしか選べなかっただよ。

のが今は色々出来たんだからそれだけで良い…と思ったら大間違いで、どんな僻地でも無償の教室がある位じゃないと他の選択肢も用意しとかんと。
まあ資本主義じゃなくたって地位とか身分での影響はあるだろうが、即大怪我に繋がるとか健全成長を阻むの以外登竜門の段階で何等の参加要項がある様じゃいけねえよ。

昔だってほぼ誤認からエレキ≒不良化とかバイクの3無い運動なんて酷い差別のがあったけど、大元は若者を心配しての事なかれ主義に傾倒したのだったからねえ。
飽く迄結果的にであっても今の経済力や年齢だけで、参加の可否が半ば強制的に分けられる様なのじゃなかったんだよ。

ほんで現世の大人共が経済過忖度に囚われるのは勝手にしても、子供から可能性の自由を剥奪してるのに気付けないのはやはりアホとしか言い様が無い。
そんな時にこそRockを始めとしたカウンターカルチャーなんかで、本来なら大いに疑問を呈して行くべきなんだけどねえ。

-続く-

2024年11月14日 (木)

音楽備忘録1916 映画・TV等への専門家が作った音楽㉒

当座思い当たる米のがひと段落したので又国内へ戻って、知られざる!?Rock系の映画・TV等への貢献について語ろう。
本日の生贄は井上堯之・大野克夫両氏で、世代的にはBeatlesに近い。

のっけから杜撰大王の底力が発揮されるが、上記後者の名前が大野雄二氏と似てたから長らく何となく混同してただよ。
この2人って名前ばかりか世代も担った仕事もほぼ同じだったのと、ビフォー映画・TV音楽業界時代が杜撰君世代には今一不鮮明なのもさ。

ってそんなのサッサとちゃんと調べりゃ良かったんだが、Rock屋にとっちゃ専門外だからどうしたって後手に…。
所詮は言い訳の上塗りに過ぎないが、当時一クソアホガキだった身にとっちゃビフォー期の彼等のリアル体験は先ず無理だったのは大きい。

TVやラジオで扱ってくれりゃ触れるチャンスもあったろうが、当時はニッチ若しくはヲタ系でしか殆ど扱われて無かったからねえ。
加えて所謂メジャーヒットも未出だったんで、一般認識でのRockの人ってのが無かったん。

更には昭和以前の日本の悪癖「レコードクレジットをいい加減に省略」ってのがあって、特に主演を兼ねない映画・TV音楽を誰が演ってたかなんて殆ど無視されてたんだ。
本来何がキッカケで付帯アイテムの売上げが向上するか分からんから、少しでも判明してる事は記載しとくべきなんだがね。

裏方を売る気が無かったか或は売りたくなかったか、それとも印刷技術やコスト圧縮の関係か知らんがネットも無かったわで当時は調べるのが一苦労だったんだ。
流石に非覆面扱なら映像のテロップに一度も登場しないのは稀だったけど、最初の数回のみとか再放送になると平気でカットされてるとかもかなりあったさね。

結果的にそんな振る舞いが今になって担当者を探すのに苦戦してる気がするが、今の各国映像作品のテロップの状況と映画・TV音楽制作者の質や量にリンクしてるかも知れないね。
わ兎も角聴いた感じから明らかなRockルーツはあまり感じられなかったが、逆に他ジャンル由来だと考えて探すとドンぴしゃりなのは見つからない事である程度理解出来るんすよ。

非Rockな人だとどうか分からんが、こちとらなまじRockが最も身近で普通・当たり前になってると一寸似てるだけじゃ一々ルーツを探ろうとはしないかんね。
特に今となってはRockもメジャー系音楽スタイルの、完全に1パターンになってるし。

何れにせよ現代認識のRockには満たないにしろ、他ジャンルだけを下敷きにしてたらあんな感じの作品はきっと作れなかったんじゃないかな。
と同時にRockが日本で市民権獲得迄はホンマもんですら、不純物や他の要素が多く混入してたから事をとても曖昧にしてんすよ。

だが日本のRockで現在認識されてるレジェンドは決して間違ってる訳じゃ無いけど、それだけと早計に思い込んでると他ジャンルへの貢献がほぼ無かった事になるのだ。
別観点からは何でもアリじゃないと困るこの業界だったからこそ、歌謡界と共に隠れRockerがそこに居られたのかもっつうか他に居場所がめっからなかったんだろう。

=つづく=

2024年11月13日 (水)

音楽備忘録1915 人力生演奏のススメ➓

前回は原理的な機械に対する人力の優位点を挙げたが、どちらも詰まらん諸事情から理想には程遠い。
その中で最大の障壁は商売の都合で、この件に必要な色んな開発が遅々としてる処。

だが社会と関連性の強い部分は個人ではどうしようもなく、現実的には今やれる範囲で対処してくしかない。
只何も光明が射さぬでも無く現状は玩具レベルだが、オタマトーンみたいな音程が無段階に近い物も現れている。

尤も打込みの方ではこの件に充分に配慮されたソフト(アプリ)が未だ未登場で、一部ヲタ氏は頑張ってるものの音楽自体の量産が不可能に近い。
一方人力での今劣化本邦最大懸案は、何と言っても防音・遮音ざます。

当然簡単には解決しないんで次善策へ進めると、普段本格的な音色を体感するのを諦めればエレキは最も有利なのだ。
但しピアノ鍵盤や電子Drumは除いてで、本格的な鍵盤ってその打鍵時の衝撃音はそこそこあるんすよ。

同じ叩くのでもエレキBassの場合は「通常楽器本体は床に接してない」んで、ド派手なスラップでもその衝撃が直には伝わらねんだ。
現行庶民感情・嗜好としてはデジタルPianoが巾を利かせてるが、殆どの場合稼働時間やその時間帯のお陰もあって周囲が我慢してるだけなんだよ。

ピアノ鍵盤に比べるとPCのキーボードは幾らか大人しいが、相対的にヤワなキーだって激しく連打が続くと結構響くのだ。
因みに杜撰君が常用してるのだと下に用済みになった梱包材のウレタンシートを敷いてて、もしこれをしてなかったらカキコ時間帯制限が発生し恐らくこんな頻度で記事を出せてないっすわ。

好みや流行りもあるんで下手に誘導すべきじゃないが、意外と傍迷惑なデジピ・PCキーボードってのだけはもっと周知を徹底したいもんだ。
ほんで一考すべきが好みと演奏の自由のバランスで、絶対これしか演りたくないとなればどんな苦境も甘んじて受入れるがよろし。

だが好みは2番手以降でも今劣化本邦環境にマッチしてると、実際は思い立ったら何時でも弾けるのよ。
これは日本で妙に打込みやボカロが発達したのと大いに関係アリで、サイレント仕様の生楽器が普及するより先でしてん。

楽器より音楽を演りたい・作りたい人にとって、演れる時間が充分取れないのは何より苦痛だ。
から打込み・ボカロ普及当時時点ではそれが最善と思ってただけで、元来エレキ本体のみの方が静がなんすよ。

って昔だってAmpに繋がなきゃエレキは静かだったんだけど、ヘッドホンAmpが余りにも未完成でね。
スピーカ付きの方も極小音量Ampも未出で、全くAmpを使わずに我慢する者が殆ど居なかっただけなんだ。

因みにⅡで音量的には煩く無くても振動・衝撃っつうのは曲者で、本格的な防音・遮音が施されてない限り鉄筋コンクリートの建物でも結構隣室等へは殆どそのまま伝わってしまう。
勿論音だって遮る物が何も無けりゃ届くが、周波数が高い程「空気が遮断」出来てりゃ伝わらない。

それ故不幸にもDrum等が一番大変だが、「置いてある物を上から押す→激しくなれば叩くと同じ」は注意が必要なのだ。
押すだけ触れるだけ(音が鳴る範囲で)にすると、デジタルPianoより本当はDrumの方が静かなのご存じでっか?。

=つづく=

2024年11月12日 (火)

音楽備忘録1914 エレキBassのCreamyな音色の魅力⓫

勘の良い人は既に気付いてる可能性があるが、ここで杜撰大王が言うCreamyを再確認・念押ししとこう。
やれインピーダンスがどうの音色差がどうのと色々注文付けるのは、物理的に高域がカットされたりしてるからマイルドで滑らかなのとは一味違うからだ。

推定近似例としてCream時代のEric Claptonの、俗称ウーマントーンの詳細をば。
雰囲気だけ真似るなら唯楽器本体のToneツマミをゼロにすりゃ良いが、本家の方は時代や環境もあってかもう少し複雑でRecordingとLiveでは異なるメソッドが使われてたん。

どっちにも共通なのは単純に全部高域を下げるんじゃなく、楽器本体かAmpの何れかでは高域をカットしてなかった処だ。
その内Recordingの方で楽器本体Toneツマミを絞り切ったら、Ampの方では無制限でもどうせ楽器から高域が来てないのに不可解感はある。

だが彼は当時としては最も歪ませてたのと併せて考えると、別稿概述の如くそうした方が「歪み成分」は温存されるんすよ。
実は杜撰君若い頃はその意味が分かってなくて、Claptonでも全部正論じゃなく気休めもあったかなんてアホな勘違いしとったで。

Live時のセッティング「AmpのTrebleだけ上げない」は筋が通ってるが、Recording時のセッティングは筋も通ってなきゃAmpの高域をとうしようと実際試して顕著な音色差は無かったからねえ。

けどアンサンブル内で試しては居なかったのが見落しの原因で、電子楽器で単体では音色が少し汚い位の方がアンサンブル内では色々良好なんてのと同じだ。
その様子を杜撰式変態比喩をするなら高域ガチカットのは隙間の広目の点線、そうじゃないのは波の小さ目な波線っと。

近くで見ればどっちも1本の直線には見えないが、離れて眺めてみたらどうでせう。
後者は波が視認不可になり、ちっよっち呆けた直線に見えやしませんかっと。

しかも音だと前者Lch・後者Rchとかにして直接比較すれば左の方が籠ってるかなと気付いても、それ以外のシチュエーションで一言で音色を問われたら同じ答えになっちゃわない?。
んでそれがBassの音色だとどう呼応してるかったら、前者と後者では使える曲・アンサンブルの範囲が極端に違うんだよ。

前者の場合は埋もれ易いばかりか、そのお陰で俺言い「オクターヴ上フレーズ」をわざわざ導入する意味まで希薄化しちまうんよ。
何演ってるか良く分からないなら、他楽器と被る音域へはみ出しても唯お邪魔虫になるだけじゃん。

Bass単体ではオクターヴ上がりゃかなり音程感が明瞭化するが、所詮は低域忖度から逃れられないBassの音色だかんね。
依って適性音色は中低域が前面に居て芳醇な印象を受けるが、物理的には案外高域も結構出てないと駄目なんよ。

かと言ってペキパキガリゴリ鳴ったんじゃこの目的には使えず、特にRound弦だとその加減が凄く難しくなるん。
それには量的バランス以上に「質」っつうのが問題で、効果大のFlat弦を使わないなら1つ1つに大きな効果が得られなくても複合技での対処が要求されるん。

=つづく=

2024年11月11日 (月)

音楽備忘録1913 ’70年代Rockの浦島太郎➍

取敢えず今演れればOKな人に実体験迄しろとは言わぬが、そんななるべく簡単に楽に演りたい人にこそ最低限の知識は必須なのだ。
平均より楽をするには経験則由来のプチ知恵だけはケチれず、とは言え全部実体験するのと比べたら桁違いに省エネずら。

で過去述の如く本来なら初心者時代に最低限の実体験を得られるべきなんだが、教育面で今劣化本邦ではこんな趣味性の高いの迄その環境は最低に近い。
現況子供達の職業体験はキッザニア等で可能ではあるが、本格的なのは良いも入場料がとてもじゃないが対象年齢の子供の小遣いで気楽に賄えたもんじゃない。

ここで1つ大きな疑問なのが子供への責任問題で、巷ではやたらと何でも「自己責任」等と騒いでる癖に相手が子供の商売となると怪獣親を恐れてか急に正反対になる処。
確かに親主導のだったらそれで構わんが、そんなに縛りだらけじゃ子供自身が気紛れでプチチャレンジなんか出来ゃしねえっての。

それと近似であらゆるものが極端な2極化傾向にあり、大雑把で良いからほんの一寸だけ知りたい等の受け皿が無くなっちまいやがった。
一部の社会管理者的存在の奴等はネットで見られるからと思ってるか知らんが、それ等では何処迄行ってもバーチャルの弱点を完全払拭は出来ねんですよ。

Band関係初心者の中心世代は↑よりもう少し上だろうが、かつて或は過半の諸外国と比べるとやはり芳しいもんじゃない。
こういうのが「夢の無い時代」の一端で、その根底には大人に余裕が足りないのが原因じゃないかな。

時代も何も確かに昔とは異なるけど図々しい杜撰大王のみならず、昭和世代は楽器の知識は楽器屋等でPAの知識は主にPA屋等が拠り所だったんだ。
これは専門学校体験ともリンクしてて原理は学校の方が教えてくれたけど、電子回路や電子部品等の具体的な内容はほぼ現場でしか得られなかった。

今はどんな状況に変化したか大体そのままか知らんが、技術系の進歩の早い分野では一昨年迄現場に居た講師でももうアカン。
極論すれば↑は過去の人そのものでしかなく、逆に日々の体験量が僅かでも俺みたいに現場に辛うじてかすってる奴とは何処か何かで違うんだ。

現時点でウチでは前例がまだ無いが、超暇なスタジオのオッサン(俺😢)の愚痴を訊かされるだけでもその中に「現在のコツ」が含まれたりするかんね。
自動車好きの子が近所の修理工場へ大工好きの子が近所の家族経営の工務店へ入り浸る等する内、実情を知って続けるか方向転換するか決まったりしてたんよ。

私的にもっとそうだったのが鉄道会社の比較的「暇な職場」で、今みたく体験イベントなんて無かった代わり坊はそんなに好きならもう少し大きくなったら手始めに駅のバイトでもしてみっか?…なんて具合にね。
そう云うのが運命の出逢いとか、導きってもんなんじゃないのかなぁ。

-続く-

2024年11月10日 (日)

音楽備忘録1912 映画・TV等への専門家が作った音楽㉑

既にチラホラ名前の出てたHenry Manciniだが、杜撰大王世代の一般認識では「イージーリスニングの人」の印象が強かった。
その頃だって超有名な映画やTVドラマの音楽に深く携わってたんだけど、自身の楽団でのパフォーマンスも中々盛んだったもんでね。

それが本稿を書く都合で再度調べてみると、Lalo Schifrinと双璧と言えるのは彼しか居なかったのよでの再登場ざんす。
量に拘らなきゃ他にもレジェンドは大勢居るが、実働全盛期間とか汎用性も考慮に加えるとさ。

米って合衆国なだけに登用人選はホントに多士済々だったんだけど、映画ならHollywoodとか強力な元締めのせいで最終的には狭い範囲のタイプに絞られてんだ。
尤も絶対的安心の娯楽としては一択で、好きな人には気楽に楽しめてとても良いんだろうけどね。

けど杜撰君としては古い白人固有の価値観に縛られてて、解釈が違ってこっちじゃ変なのとかがほっぱらかされてるのがどうも喰えんのよ。
それだからか一寸攻めてるレジェンドだと再登用が極めて少なく、特に1980年代以降のは古き良き時代を知る者には壊滅的なんすよ。

そんな忌々しくも結構厳しい俺言い「Hollywoodコード」を巧みにかわし乍ら、長きに渡って携わったのの片割れが彼だったらしいんだ。
実際彼のって穏やかさやおおらかさでは白眉も、刺激・斬新・独創性等では俺には若干物足りなさを覚えるのもある。

強いて分類してLalo Schifrinをタカ派とすりゃHenry Manciniはハト派ってなもんで、作品毎の相違が目立たないが実に色々なのをやってんだ。
有名処で「刑事コロンボのテーマ」(原題:Mystery Movie Theme)だと全体はオーソドックスなオケだが、1番の主旋律は深いReverbとポルタメントの効いた電子鍵盤(wikiに依ればYAMAHA YC-30)で奏でられてる。

コレあたしゃアナログモノSyntheかテルミンかと思ってたが、実質的にはほぼ同じ音だ。
昔の高級業務用Organって音源を殆ど選べず弄れない代わりに内蔵Effectを充実させてて、それも定量的なコーラスとかじゃなく任意で捻じ曲げられる様になってたらしい。

現代では標準装備のデジタルコーラスやReverbが不可だった代わり、任意に伸縮させる・音程を上下させる等がかなり大胆な設定になってた様だ。
って何故それなりに詳しい筈の昔の事を知らないかったら、当時あまり↑の機能をフル活用してた作品が無かったからだ。

この件エレキはStratoのアーム等と同様で、ジミヘンがフル活用する迄登場から10年程のインターバルを要してる。
加えて担当奏者が意欲的でも親分が承認しなきゃ不可能で、全体の音の感じや本人の風貌に反し彼って何気に攻めの気持ちに満ちてたのの証拠ですわ。

そのせいか表面的に聴いてると「普通っぽさ」だけが目立って、おまけに冒頭の如くイージーリスニングで一世を風靡しちまったもんだからかなりあった独自性を皆に忘れられてるのかな。
原因はともあれ大して得にならなかったとしても、絶対に聴いといて損する事は無いと思いまっせ。

=つづく=

2024年11月 9日 (土)

音楽備忘録1911 人力生演奏のススメ➒

自身にマッチした楽器を探すプロセスは打込みなら不要、だから人力生演奏って面倒臭いんだねってか?。
そうかも知れないけど、打込みだって色々「合う・合わない」はあるんすよ。

最近は激減してるらしいが元々はリアルタイムインプットっつうのも結構大きな一手段で、諸悪の根源「レイテンシ」のせいで困難化しちったのかねえ。
ってな処から手段は何にせよ、
音を出すプロセスを今一度復習してみまひょ。

本質的に音楽って感性由来なんで探して見つけてそれを繋げて奏でりゃ良いんだが、中にはそこそこ覚えとき乍ら奏でる作業をするのが苦手な者も居る。
そこで楽譜なるアイテムを利用する事で、苦手な記憶を大巾に楽にする手がある。

んがしかし初見でなくても今度はそっちが苦手だとか、誰かさんみたいに億劫且つ感性に没頭するのに邪魔になる人が居る。
これが打込み方法にも大いに関係してて、通常俺言い読譜派はスコアロール・非読譜派ならピアノロールを選択してる。

因みに前者は所謂CG等と近似でデジタルIT機器の画面上で譜面を書き、そうするとその譜面通りに自動演奏してくれる。
して後者は画面上の鍵盤の画の任意の位置に(音程指定)横棒グラフ様に書き込む(発音タイミングと長さ≒リズム)と、描かれた通りに鳴ってくれるって寸法ざんす。

実際杜撰君は譜面は得意じゃないが、仮に得意だったとしてもノリに拘ると譜面通りじゃ十中八九は使い物になりゃしまへん。
するとスコアロールで打込んどいても一々「修正」が必要で、それで余計に譜面が得意になれないんだ等と溢したら嘘臭いかねえ。

だからこそかつての独立機でのリアルタイムライトもとっても重要な手段の筈なんだが、ノリ(リズム)の良い奴が減ったから多勢に無勢でシカトされてんのかってな。
まあ恐らくは製造販売者側の一方的都合で洗脳誘導されたのが真相だと思うが、商売野郎に屈服しない為には幾ら不便になろうともスコアロールで地道に微調整してくしかない。

特にクリエイタの長所が発音タイミングと長さの絶妙さにしか無かった場合は、最低限の自分らしさを保つのにこんな面倒なやり方をしなくちゃならねんだ。
結局リアル楽器演奏で挫折気味の連中が、打込みの方が整ってミスレスに出来るから楽だなんて勘違いしてるのが真相なんすよ。

本来人力生演奏と打込みを客観比較するには、両者に同程度詳しくなってからじゃないと駄目じゃん。
或は俺言い「自パートナルシズム」が発動して、自分以外の人又は機械が担当するのについては無関心だとかさ。

因みにⅡで↑の新造語は悪い意味で拘りに大差のある人を指し、自パートの為なら他にはどんな犠牲も厭わない様な奴っちゃ。
尤も本当に拘れば他パートがどうでも良い筈は無く、寧ろやたらと逐一注文が多くなる筈なんだけどな。😵

この様に同じ完成度・精度のを得ようとしたら、場所が異なるだけでどっちで演ろうと大して労力は変わらねんですよ。
唯限界迄手抜きしたりド下手でも打込みだと一応形が整うってだけで、結局今劣化本邦の現状は「機械だったら単調・無変化でも許してる」ってだけなんじゃね。

故に断じてお薦めは出来んけど、人力生演奏でだって物凄く大雑把で良きゃ簡単・楽チンになるですよ。
それにしても酷い差別・蔑視だよなぁ打込みだってちゃんと演ったら、リアルよか苦労するかも知れんが
大体人力に遜色無いのが作れるのにさ。

-続く-

2024年11月 8日 (金)

音楽備忘録1910 エレキBassのCreamyな音色の魅力➓

今度はインピーダンスのローとハイでのこの件の影響箇所で、なるべく具体的な記述を目指そう。
っと言ってもミスマッチ共振の仕業なんで、特性が随時変動するから定量的には語れないんだけどね。

先ず↑でミスマッチと言ったのは電気的整合が少々不完全で、それが為に特性が安定させられてねんだ。
普通スマホのボリウムを変えたって音質・音色その他諸々音量以外は不変(意図的変化や耳の聴こえの変動等は除く)だが、ハイインピ接続のエレキでは殆ど全てが道連れになって変化しちまうだ。

それってどうなのったら間違い無く不便で、もし頑なに音量のみを変えたかったら迷惑千万だ。
んだが本当にそうなっても実際のアンサンブル内に入ると、他パートととの関係から必ずしも音量だけ変わった様には聴こえなかったりする。

のわ一部周波数帯域がマスクされるかされないかとか、そもそも人耳感度が音量に対してリニアじゃないからだ。
ハイ接続での変容はどっちかってば有難く無い方向ではあるが、実用上は目立ったり目立たなくなったりしてくれれば良い。

それより遥かに気にすべきは弦毎の音色差等で、手加減等で揃えられない程バラけると使えるフリージング等がモロに影響を受けるんだ。
大元は偶然も入ってるんだろうが、エレキってハイインピーダンス接続でなるべく実用に困らない様に開発されてるかんね。

現況本当に丸々ローインピーダンス仕様で完璧な設計をされてるのは存在せず、従来のハイインピ仕様のみたいに熟成が進んでない。(音響的には秀逸でも音楽的に難あり)
因みに現行モデルの殆どはロー仕様と呼ばれてても実態は一部だけで、PUか何処かにハイインピが残存したまま。

↑等からスラップしかしない奏者程度にしか充足してなく、1,2弦と3,4弦の音色差は奏法やフレージングに対し汎用とは言い難い。
音質的にはノイズ耐性が脆弱でf特もプアなハイインピも弦毎の音色差に関しては及第点で、音響的には怪我の功名みたいなもんなんだけどね。

ここから独断と偏見も入るもののどうも楽器としては電磁Pickupって方式との相性があるみたいで、磁気ってのが元々電気・電子より不安定な代物だからなんじゃないかな。
又音色的に好ましいってもその理由が後ろ向きで、恐らく理論的には痩せないんじゃなく中域に高域がしばしば負けてるからだろう。

けれどアンサンブル内で比較的安定して聴き取れるか、音程感が何処かで弱体化してないかとなるとトータルでは現況ハイインピ接続に軍配が上がるんすよ。
そりぁ汎用性より好みの音色に忖度すりゃローだってある程度は行けるけど、音色とセットで加減せんと○さんが弾いたら☐君と同じフレーズでも一味違うなんてのが反故になるべ。

これでもう1つ考慮すべきが音色の自由度で、Pianoを筆頭に生楽器じゃそこ迄「色を付けられない」のをさ。
それを特権とだけ認識したら一寸狡いが、電気楽器には他に生楽器には無い弱点があるからねえ。

その特権の1つに「Creamyな音色」があって、生楽器だと幾ら奮闘したって差し詰め泡立たない洗剤って感じかな。
又電子楽器ではガッツリ高域を遮断しないと苦しく、滑らかだが完全には籠って無いっつうのが無理だ。

=つづく=

2024年11月 7日 (木)

音楽備忘録1909 ’70年代Rockの浦島太郎➌

んだば前回の話しの流れを発展させ、今回は「環境」面を考察して行まひょか。
そこでしつこくも杜撰持論の再登場となるが、それは「PAの必然性」と利用の功罪だ。

舞台の規模が一定を超えたなら必要なのは当然だが、キャパ極小でも使うのが常識なんてのは全く間違っとるわい。
のわ不適切に使用すると混変調等の影響で、音質・音色を劣化させたりもしてるからなんだ。

最も被害の大きいのが爆音奏者で必ずしも無駄にそうしてるんじゃなく、求める音色の都合で演ってる場合もあるねん。
この件今迄に散々吠えたんでここでは内容は割愛するが、先ずセミプロへ到達する段階で自らが創造した音色が直に聴者に伝わらなくなる大きな欠点がある。

特に俺言い「体当たり派」には成長を阻害し、少なくとも音色に関して「観客が育てる」のが困難になるんだよ。
そりゃPA自体に異常に詳しくなりゃ逆算したりトータルで考えるのも不可能じゃねえが、何処迄行っても基本は楽器若しくは楽器Ampからの直接音が水準を上回らんと話が始まんないべ。

或はLiveでは音色よりパフォーマンスに重きを置くスタイルにして、録音の成否はネットでの反応を主とするんなら何とかなるか知らんがね。
だがそんな対案で行くにしてもリアルタイムの反応っつうのが得られないし、観客からアイデアを貰う機会もきっと激減するんだよ。

又各パートのバランス案件が自分達のみとは異なってしまい、演る側で出来る範囲ってのがちゃんとは掴めなくなってまう。
のが問題なのは練習時と本番では豹変する奴も居て、事前想定をし切れなかったり簡単に凌駕する様なのが居るん。

そんなの常に一定で演れと命じれば良いと思うかも知れねえが、本番になる程エキサイトするのが悪い訳じゃ無いし寧ろ貴重な才能でもあるんだよ。
たまたま全員が常に冷静安定してるのを魅力とかスタイルに出来りゃ良いが、対バン皆がエキサイトしてる中でそれで行ける様にするのはかなり困難だよ。

Liveと録音が全く同じ連中って確かに本当に弾けるんだって証明にはなるけど、それだったら毎週なんか演らないで各地域毎に1回演りゃ充分だ。
ってつまりは「Liveの付加価値」を自ら大巾に削ぐ事となり、衣装や演出ではまだ色々余地があっても音楽の内容で出来る事はとても限られちまう。

時代の流れやそれに依る変化は付き物ではあるが、経験値の浅い人達が知らずに上記のリスクに晒される現状はどうかと思うよ。
杜撰君みたいに偶然音響技師を先に目指してたら未だしも、唯音楽やBandを演りたいだけで先にPAの勉強なんてしないし普通は出来んやろ。

但しLivehouse側だけが改善すりゃ済む訳じゃ無く、初心者がいきなり大規模PAを使いたいなんて思ってるのも修正しなきゃ改善は望めない。
PAって悪用・乱用すると非力なBandでも爆音が出せたりまあまあバランスさせられたりすっけど、それって本来歌や非爆音生楽器以外は自分達でどうにかするもんなのよ。

-続く-

2024年11月 6日 (水)

音楽備忘録1908 映画・TV等への専門家が作った音楽⑳

この手の作曲家は相手が映像なだけに音だけの程量産出来ず、大抵は何か別分野との兼業状態にある。
米の先頭で提示したBarry WhiteはMoodsoulやイージーリスニングだったが、本日の生贄は更にこっち寄りなPopsざんす。

しかもその人’63年から’73年に掛けてPopsで大ヒット作を連発してたもんだから、この方面から眺めてると意外と選から洩れ易いんだ。
時の流れって残酷なもんで間違い無く巨匠なBurt Bacharach(バート・バカラック)が、近年では殆ど語られなくなったのは誠に遺憾で御座居ますぅだ。

彼ので最も有名なのは恐らく映画「明日に向って撃て!」(原題:Butch Cassidy and the Sundance Kid)の主題歌、「雨にぬれても」(原題:Raindrops Keep Fallin' on My Head)だろう。
流石に令和の若者ともなれば未聴な人も居そうだが、元来はBeatlesの有名曲と同等な位のスタンダードでっせ。

古い方では’61年SoulのThe ShirellesはBaby It’s Youなんてのを作曲してて、杜撰君世代ではBeatlesのカバーで親しんだもんだ。
彼の真骨頂はその流麗なムードにあったが決して甘ったるいのばかりじゃなく、仏等の欧州系より更にシンプルなのが特徴かな。

同じレジェンドメロディメーカーでも失礼乍らNeil Sedakaなんかが甘口オンリーで、私的には敬愛こそしてるんだけどさ。
Rock屋にとっちゃ取り入れ可能な範囲が一寸狭く、そんな観点からも誰でも一度は触れておくべき存在なんじゃないかな。

ってのも上記シンプルっつうのがコードや進行その他で、前衛みたいな奇抜な事を殆どしてないんだよ。
如何にレアコード(進行・展開含む)好きの杜撰大王だって、Rockの枠内に収めようとしたら俺言い「攻めたJazz」程小細工は出来ませぬ。

聴者側では理解困難でダイレクトに感性に訴え難くなるし、何より小編成Guitar Bandだと鍵盤とかオケみたいに凝った和声を奏でる限界が低いかんね。
その点彼のって程度に個人差があれど即座に共感出来るのが多く、それでいてもし作れと命じられたら七転八倒する様なののオンパレードなんよ。

ので一般リスナーなら心地良い名曲で片付けて無問題だが、多少なりとも創作に携わってたらそこを見逃しちゃアカンがな。
まあ確かに唯のPopsとは一味異なるジャンルのを演ってると、自然に聴けるのより何か尖ってたり引掛りのある方へつい興味が偏るのは仕方無いんだけどさ。

けど仮に偏狭を目指したとしても少しは「普通の箇所」を残しとかんと、何処がどんだけ風変りなのかが分かり難くなっちまうだよ。
のでⅡで結局は普通の箇所(に聴こえる)へどんだけ独自性を付与出来るかが腕の見せ所で、そんな点で恐らく彼こそがキングなんじゃないかな。

=つづく=

2024年11月 5日 (火)

音楽備忘録1907 人力生演奏のススメ➑

別稿で展開してる「弾けるのに勿体無い」と併せ、人力演奏を実現するには幾つかの欠かせない要項がある。
その中で最初に手掛けるべきが適性案件で、必ずしも希望と一致してくれないのが一寸非情な処だ。

尤も私体験からすれば絶望したり完全に挫折するのは一部だけで、時間を掛けて克服して行けば全く何も演奏出来ないなんて事ぁ先ず無い。
但し音楽自体のコツを早期に掴む為にもなるべく初期段階では、必ずしも一番好きなのじゃなくても
各自にマッチしたのを見つけるのが肝要なのだ。

のわ演奏にはどんな楽器だろうと音楽自体のスキルと、楽器って脳内イメージを音に変換するツールに慣れる必要があるからだ。
数多のパターンの中で身を持って語れるのは例えばGuitarのフレージング、人生で3番目に挑戦してみたがGuitarだけではそれは杜撰君には無理だった。

因みに最初は正真正銘3日坊主で放置となったOrgan教室・2つ目はやはり何時しか飽きた我流のBongoで、後者はそこそこ熱中してたんだけどね。
杜撰君にとってそうなった最大理由は、当時時点ではダイレクトに演りたいRockを演れなかったからなんだ。

前者の場合もし自宅にHammondでも鎮座してたらきっと違ったんだろうが、当時の電動Organ如き(自宅では何と足踏みOrgan…😓)じゃ音色も反応も全然違う。
後者の方にしてももう少しローピッチなCongaなら良かったが、アホ小坊にはBongoとの違いなんて分かって無かったし。

もし知れてたとしてもお値段も最大音量も段違いだから、どうせ多分当時の環境下じゃ無理だっただろう。
にしても今振り返って妙なのはエレキへのチャレンジが完全に抜け落ちてた処で、Rockには先ずエレキって位はとっくに知ってたのにどうしてか全く分からない。

或は昔から音程よりリズムにより興味があったからなのか分からんが、それが中2でエレキGuitarを演り出してからも影響があったらしい。
それ故過去称リズムギターは早期に大得意になったものの、Rockでは肝心のソロパートの腕前に頭打ち感を覚えて暫くはそれが続いてたんだ。

転機が訪れたのは高1でBassも始めた事で、’70年代末に至っては最早リズムギターはアンサンブルに必須のパートじゃ無くなってたのも大きい。
’60年代のVenturesやYardbirdsスタイルだったら専門担当があったが、大して万能じゃないGuitaristを複数にする位ならSyntheも含め鍵盤奏者の増員を時代が求めてたかんね。

結果メインをBassistにスイッチした事でアンサンブル内に留まれて、そこうしてる内に停滞してた他楽器の腕も亀足乍ら徐々に上向き出したんすよ。
要するに杜撰君にとっちゃエレキBassってのが飛躍の足掛かりだった様で、米で子供の内はなるべく色々なスポーツを体験させてるのなんかもこう云う問題を考慮してなんだろうね。

なんてさも得意気に語ってる感があるが、実際には事後検証から浮かび上がって来ただけなんだ。
本当に実感出来たのは還暦を迎えた前後になってで、当時の本人としては溺れる者は藁をも掴むに近い感じだったかな。

強いて勝因を挙げるとすりゃ普段偏屈な杜撰大王の癖に、この件だけは周囲の評判を素直に受容れた事かねえ。
それも人に喜ばれないよりゃ喜ばれた方が自分も…、って位の安直な反応だったがね。

=つづく=

2024年11月 4日 (月)

音楽備忘録1906 エレキBassのCreamyな音色の魅力➒

続いてはこのテーマとハイインピーダンスの具体的な関係性と、内容に今回は駒を進めよう。
私感ではアンサンブル内で従来の使い方をする限り未だハイインピーダンスがデフォと考えてるが、理由はひたすらに音楽上の都合だ。

音響的にだったら真空管関係を除き杜撰君は40年以上前からインピーダンスはもっと下げろ派だが、世の中の殆どの機器の
が下がった今余計にエレキ関係のはと痛感してんだ。
パッと聴きの明瞭度等で明らかに勝るから世相は楽器でもどっちらけなものの、こんな時代になったからこそその特異性が却って際立つんすよ。

今劣化本邦では打込み全盛で、サンプリング音源であっても基本電子生成に依るサウンドだ。
過去述の如く相も変らぬ貧故最新高級音源はどうなってるか知らんが、概知の限り「同じ音程を異なる弦で弾いた音」なんてなお目に掛かった覚えが無い。

その他弦の太さだけ・弦高だけ・本体のToneツマミの位置だけ…異なるのなんてやっぱり入って無く、それ以上に各音程での反応差がリアルとバーチャルでは最も違う。
他機器の多くやローインピーダンスなら色々調整したのが割とリニアに反映するが、ハイだと共振現象等のせいで殆ど設定値通りの反応にはなんない。

のわ誰だって不便だからロー志向にもなるんだろうけど、前回迄述の様にそうすると単一楽器としての纏まりが相当無くなっちゃうんだよ。
ほいで最も当惑させられるのがお題の奏でる音域やフレーズの案件で、それでなくても杜撰君Bassでは同音異ポジションのをどっちにするかでずっと腐心してるっつうのに…。

例えば一番低いAを鳴らすのに4弦の5フレットと3弦の開放の2つあり、楽なのは当然左手で押えなくて良い後者だ。
が前後に鳴らす音次第じゃ音色的に過剰Bright・太さ不足・他の殆どのは押えて出してるからAだけ何か異質とか、選択を誤ると悪目立ちしたり逆に埋もれ気味になったりするんすよ。

楽器・音色等の選択次第ではあまり気にしなくても平気なケースもあるが、だったら何故フレット数が1.5倍あって弦は1本減らして3本なんてのがちっとも出て来ないかってな。
音階が上昇下降し続ける長目のフレーズの都合もあるからってんなら、上の逆パターンのが出たって良いじゃん。

勿論過去には少しは出てたんだけど奏者の慣れ問題もあれど、私的にはBass固有の音色が最大のネックになってたんじゃないかと考えてんだ。
これにはサスティン(どんだけ長く鳴ってるか)も関係してる可能性が高く、単純思考では長~ぁく鳴る程好感があるものの実際のアンサンブル内ではちょいと事情が異なるん。

特に開放弦で一旦鳴らすと瞬時に鳴り止ませるのが一苦労で、構造的には当然の結果でしかないんだけどさ。
一般論としてエレキにした分鳴るとハッキリしてるんで止める方もそれに合わせないと、何だかアコースティックよりだらしない感じがするんだよ。

のが単体だけで済みゃまだ良かったが、アンサンブル全体のキレやリズムにもモロに響いちゃうんだ。
結果即ミュートの為だけにわざわざ「押える方」にするケースもある位で、鍵盤みたいに唯手を離すだけでビチッと止まってくれりゃどんなに楽か…。

おっつ何だか又脱線しちゃったがそんなこんなで開放弦の使い所が、GuitarよりBassの方がシビアでんねん。
元々鳴り方止まり方にかなり相違があるのに更に音色迄盛大に違ったんじゃ、コンバスより守備範囲が広い筈のBass Guitarでそんなになっちゃ敵わんよ。

=つづく=

2024年11月 3日 (日)

音楽備忘録1905 ’70年代Rockの浦島太郎➋

長く携わってれば思わぬ変遷に遭遇するのは珍しく無いが、基礎的な知見がこうもマイナー化するとは正直思わなかった。
取敢えずは前回の体格案件の続編をやるとして、スポーツよりゃ音楽は影響を受けない。

が楽器がグローバル基準のサイズだと、決して皆無とは言えねんだ。
それで議題に遡上するのが先ず手の大きさとリーチで、弦以上に鍵盤は結構残酷なのだ。

杜撰君はFranz Lisztに挑戦する気は無いからギリギリ難を逃れられてるけど、欧州起源の鍵盤サイズは私感では奏者の身長は170㎝以上と想定されてる様にしか思えない。
難を逃れられたと言ってもGrandタイプの譜面台の位置(高さ)は少々気になり、たまたま杜撰君が普段譜面を使わないスタイルだから問題化してないだけだ。

つまり手やリーチはセーフでも座高の不足が無事では済まず、個人的にはDrumセッティングの自由度が大巾に削がれてましてん。
腕長・背骨短って腰掛けてると肘が膝に干渉し易く、元々は椅子は低いのが好きだったがそれを諦めさせられた。

ほんでこの件今なら過去程音的に支障しなくなったから楽器サイズの方を小さくも出来っけど、PAレスの方が多かった時代は必ずしもそう云う訳には行かなかってん。
昔になる程音量・ピッチ・音色がダイレクトに反映してたから、あっそう云や未だに吹部でパート分けする時体格次第で強制指名されるのなんかに残ってたね。

これを完全に排除可能としたら打込みで、けれど現時点では打込みの複数人のBandってぇのは思い当たらない。
辛うじて少しは肉体的ハンデを覆せるとしたら、成長期が終る前に無理矢理ど根性で手や腕を大きくするか。

因みに手前味噌だが遺伝的素養や運もあったかも知れんが、杜撰君自身は実際それでギリでデフォサイズのエレキBassが手に負える様になっとりま。
そんなのが当時必須条項だったのも、Rock系では必要最大音量の問題が厳然と存在してたからだ。

生楽器の平均的鳴りは今よりかなり劣ってる上、明瞭度等だって大した事無かった。
そこへ持って来てVocal Amp(基本的に歌専用のPA)かそれに毛の生えた程度のPAしか普段はありつけず、元の出音が足りないのは致命傷だった。

歌やDrumに比べればだいぶマシも、エレキその他でも俺言い「しっかり音を出す」のが今より格段に重要且つ必須だったんだ。
テク難度やスペックを不問にして聴くと、古物な程得体の知れない説得力があったりするのはこの為なんだ。

これを別の言い方に換言するなら基本がしっかりしてたと捉えられ、その最大の効能は悪環境等への耐性が高い事。
単に音や内容が確認可能っつうだけなら今のの方が或は勝るも、イメージ等感覚に大きな差を生じないんすよ。

杜撰君は’70年代突入の少し前からずっとリアルタイム体験してるんで、概知の作品に特に新鮮味は無いしそれだけを聴いてるとつい普通に思っちゃうけどさ。
ひょんなキッカケでその後の色々と聴き比べる事になると、想定を遥かに凌ぐ「地力の差」を毎度痛感させられるん。

野球でNPBで神ってたのにMLBじゃ通用しない選手とか居るが、爺は今劣化本邦でJ-POPに内包されてるRockerがそうなりそうで心配なんだ。
今の日本の平均的Live環境だと大して人力で出せる最大音圧は不問だけど、多くの外国じゃ今でも妙に懇切丁寧なPAなんか無いのが極普通だ。

-続く-

2024年11月 2日 (土)

音楽備忘録1904 映画・TV等への専門家が作った音楽⑲

続いての米シリーズは前回とは対極にありそうで、映画・TVの両方で揺るがぬ実績を上げたLalo Schifrin(ラロ・シフリン)だ。
家族が映画非ヲタだった当時杜撰大王が出逢ったのは、当時そこそこ盛んだったTVの輸入海外ドラマだ。

尤もずっと後年迄作曲者名その他にはとんと疎かって、けれどまだあまり汚れてない少年の心には深い印象が刻まれた。
にも拘らず認知が遅れたのはズボラだったのも間違いないが、あまりにも色んなタイプの違うのを手掛けてたからでもあるん。

私的には映画なら燃えよドラゴン・TVならMannixが入口で、ネット環境にありついてwikiる迄同じ作曲家の作品とは全然知らなかったし思えなかったよ。
前者はグローバルレベルで初のカンフー映画と思ってて、それ故その音楽も基本スタイルこそフルオケでも中華だしを袋毎全部入れちまった様な感じ。

に対し後者は如何にもアメリカンなゴージャスJazz Bigbandスタイルで、未だに曲頭のHi-Hatのフレーズや拍がどうなってるのかサッパリ分からんヤツだ。
スタイルだけならスパイ大作戦も彼の作だがこっちは躍動感はあっても暗く重く、Mannixの快適な豪華ディナーショーみたいなのとはかなり違う。

その他私的にはあまり曲には興味が湧かなかったが映画のシリーズ物だと、古くはダーティーハリー新しい方だとジャッキー・チェンのラッシュアワーなんかも彼なんだってね。(何か無責任?)
他は沢山あるから各自でwikiって貰うとして、作品経歴からしたら典型的米白人…だと思ったらコレが違った。

28で移住して来た南米の人(アルゼンチン)だそうで、更に風変りなのが元はJazz屋の癖に何故かフランスに留学経験があるそうだ。
その縁か生粋フランス映画はアラン・ドロンの危険がいっぱいにも携わってて、かなり早期からグローバル感覚が養われてたのかな。

巾の広さは想像を絶する感じで杜撰君の相も変らぬ不勉強ぶりもあるだろうが、こちとらベテランなのに彼作の共通事項ってのが未だ見つけられない程だ。
又出自はJazz屋にしてもそれを全く感じさせないのも多く、この辺はどうやら今劣化本邦のイメージと本場リアルタイムでの王道Jazzの認識差があるんじゃないかな。

確かに国・地域次第で一番ウケるのの差があるのは分かるが、誰かさんの昔みたいに難解なのがJazzなんて何時迄も決め付けてたらヤバし。
一般ウケしてたからにはJazzにもふんだんにPopsの要素が含まれてて当然で、しかし他ジャンルと比べると聴くに易し創るに難しのが一番多目。

それでか杜撰君齢のせいか分からんが尖鋭・前衛が無価値とは思わんが、気持ち的に残るのはJazzでも案外オーソドックスなのが多い。
処がその手のは保守的傾向が強くならざるを得ないんで、普段がRockの者には少々古臭過ぎるのが多くていけねえ。

加えて大ヒットはしなかったが個人的に嵌るのを探すのが、遺産が膨大なだけに一苦労なのだ。
のがこの分野のになると↑よりゃ時期・時代に捉われてないのが多く、聴き専には馴染み易く自ら演ってる者には好サンプルになり易いんじゃないかな。

-続く-

2024年11月 1日 (金)

音楽備忘録1903 人力生演奏のススメ➐

続いてはこの件でのニュートラルな状態での厳しさに触れとくが、音楽や演奏で他人にウケたり評価されるのは元々レアケースなんだって事を。
学業であれば今劣化本邦でなら偏差値とか、スポーツであれば記録とかで明確な数値化が可能。

なのに対しこっちだと数字で比較する意味が元来希薄で、あるとしたら余程売れてる奴のチャート順位とか売上金額程度だ。
しそれですら真のレベルとの関係性はかなり弱く、他の多くと比べると売れてる=良い作品の公式は成り立ってない。

そんな中多少なりとも証拠を提示出来るのが「実演」で、この面では可哀想だが打込み氏ではリアルタイムの実演ってカードは持ち得ないんだ。
昨日迄出来てたのを今失敗する事が無い代わり、どんなに素早く完璧に打込めても演奏する迄のタイムラグを無くせはしない。

尤も非力な一奏者が他人に公表するのが動画主体の近頃じゃ、以前よりこの事実は実感し辛くなってるがね。
↑の夫々の長所に鑑みると今後は正規作品は打込みで、自身のアイデンティティの実証には実演を使うのも1つの方法かも知れない。

ちょくちょく吠えてるが全く何も弾けずに音楽を作るのってとっても難しいもんで、何と言っても感情等をダイレクトに音に変換出来ないのが厳しいんだ。
加えてその加減を習得するのが又大変で、下手でも弾けたらそこから少しは拾えるんだけどさ。

強弱や音色その他全てが知識頼みになる上、選択や構築も全て脳内処理だけで実施しなきゃなんない。
それって一面で大作曲家がレストランのナプキンに譜面のメモ書きする様なもんで、余程音楽自体に精通してないと後で見ても一体何の事やらになるっしょ。

途方も無い修練を積んだ挙句なら凡人にも不可能って訳じゃねえが、恐らく普通は自身にフィットとした楽器の演奏を取敢えず習得する方が断然早いよ。
ここで皮肉なのが弾きたいだけなら未だしも、作曲したいだけの者にとってもそうなってる処ですわ。

過去体験でイメージの方を段違いに奏力より持ってる人が、協力者に恵まれないが為に凄く憂き目を見てたケースがあったな。
その協力者達はプチ編曲はおろか殆ど奏でる事にしか興味が無いもんだから、具体的な音で提示されないとちっとも意図が汲取れない感じどした。

それでも過去なら完璧なスコアを書き上げられれば、今なら打込んじゃえばどうにか形に出来る様になったから随分マシになってんだけどね。
っう感じで他人とのコミュニケーションのみならず、自身の作家活動にも実は人力演奏って大いに関係があったんすよ。

そりゃ正規の本番が最も経験値を上げてくれるけど、全くの臨時で相手のニーズに応えようとするのには量こそ少ないが別のメリットがあるんだ。
自分って個性の持ち主だと、どんなのを他人は喜ぶかなんてのがさ。

これは実践を伴わない机上マーケッティングでは幾ら掘ってもハッキリしない処で、きっとまだ自覚してない世間からのイメージなんかがあるんじゃないかな。
一面で商品開発でモニターさんからの意見を加味するみたいなもんで、音楽には所謂既製品が存在しないだけにとっても貴重なんじゃないかな。

=つづく=

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