音楽備忘録1883 人力生演奏のススメ➋
幕開けに私的動機を綴った処で、このお題にも各自の腕前に即した段階っつうのがある。
それを知らずに挑戦すると真価を誤解する危惧があるから、先ずそれから行ってみよう。
何か奏でられるそれなりに熟達した楽器があったなら、私感では打込みより感性ダイレクトに演れるのが兎に角楽だ。
ってアンタ打込みの腕がまだまだだからじゃねと言われたら否定は出来んが、人間様はAD/DAコンバータじゃないから感性で出来上がってる物を一々数値変換するのは億劫だ。(実際は脳内で無意識に同様な事をしてるが)
その作業で私的に一番危惧してるのが源イメージの薄弱化や欠落で、返還に勤しんでる間にウッカリが起きるのがねえ。
その中での3つの私的懸案の最初がリズム(ノリ)面で、元が一択の感覚依存なだけにこいつは実に厄介だ。
のから逆算するとノリが自由にならない内は、それが人力でのメリットにはあんまなんない。
んがかと言ってそれだけで利ザヤが無いかってばまだあって、それが人の気紛れへの随時対応だ。
余程の打込み達人で無い限り気紛れの繁栄には時間が掛かり、特に奏でてその成否を見極めたい時なんかは判定する迄のプロセスが面倒過ぎる。
と言うのも成功率50%以上の見込がありゃまだ良いが、手当たり次第お試しするには駄目な分にまで掛かった手間暇は完全に無駄になるからね。
ほいでホントに怖いのがその先で、誰でも無駄や非効率が嫌な為にチャレンジ精神が減退する事だ。
特に自信が無い程演奏のせいで没になるのを気にすれば、打込んだ結果で判断したいとか思っちゃうじゃん。
そうこうしてる内に自信の無さが増大するは打込みの手間に耐え兼ねるはで、何時しか当初から確証のあるの以外試すのさえ躊躇う様になったりさ。
元来は自身にフィットしたのが足りないのが自信不足の一因になってるかも知れないのに、そんな境遇でチャレンジを減らしちゃったら光明が射す訳ゃねえっての。
ついでで俺知りを披露しとくと、打込みメインの所謂ボカロPで名を馳せた多くは弾けない人じゃ無かったんだよ。
夫々の事情で人力演奏の公開を遅れさせてただけで、って事ぁ完成品では打込みにしてても思案する段階では手弾きで色々試してた可能性が大いにあるんよ。
それと初期からじゃ無かったかも知れんが他人との合奏に割と積極的な様で、作曲自体は孤独な闘いに明け暮れてても決して他の存在を否定しては居なかった等ね。
なので必ずしも固定したBandでは無くても、この件に関しては全然OKなんだ。
最もそれを地で行ってるのがJazz系の人達で、インプロビゼーションが命脈なだけにかなり広範に積極性を持ってる様だ。
その意味で対照的なのがClassic系で、しかし必ずしも人嫌いな訳じゃ無く自身の追及で多忙なだけだ。
音楽やそのジャンルの成り立ちからしたら異常だが、今劣化本邦ではポピュラー系の人程結構頑なな印象を受ける。
確かに昔とは比べ物にならない程発展・細分化した都合も分かるが、どうせ本番時には他の人達と一緒になるんだよね。
底辺に居る場合は出られる場所は自ずと限られるし、天辺に居る場合なら紅白歌合戦で他の者とやはり同席させられる。
結局纏まってられるとしたらどっちでも無い中途半端な時期だけで、しかし「違う人」も居てくれると助かる面もあるんだなぁ。
-続く-
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