音楽備忘録1889 折角弾けるのに勿体無い⑥
勿体無い事になってる原因にもう1つのネックが考えられ、それが演奏力だ。
但し現在一般的な観念とは異なり、難度の高いのとか速弾きが出来るのとは違う。
これって理論的には応用力・対応力とも呼べるが、根幹的には表現力の一部だし核心だ。
のが何かと言えば単純でシンプルなプチフレーズでも、喜び・悲しみ等どれだけ異なった印象を与えられるかだ。
近年はClassicでさえ今劣化本邦の主流の学校やコンクールの弊害で、↑の様な表現面が殆どフレーズに依存すると云う情けない有様だ。
それでもそんな俺言い偽物が間違って通用するのは音楽位で、パントマイムだったら全く考えられない異常現象だ。
パントマイムって簡略思考でゼスチャーの集合体とすると、事前知見レスのズブの素人の多くに同じ解釈されないと成立しない。
一面でその特化型たるお笑いでの動きにしても、今劣化本邦のは過去のと比べ無用に過激化してる気がするな。
笑かそうとした奇特な動きも過激過ぎると恐怖心が上回り、滑稽さより怪我してないかとか余計な方に神経が行っちまう。
それ故思い切り叩くにしてもハリセンとかならセーフ、本気で鉄パイプで打ち付けたりするのは先ず無いでしょ。
って今や音は大きくても痛みの少ないこれですら禁止されたが、行き過ぎた暴言が横行してる中にはもしかしたらそんなのの反動もあるのかな。
わ兎も角本来は同じフレーズでも色々に聴かせるのこそ、本当の演奏技術なんだけどねえ。
その出音が水準未満な際他人は視覚効果に判断を委ねるからか、顔芸や演出的動作に大差が無いと軽視或は無視されがち。
外野にしてみれば明らかに出音がそれらしくならないと分かって貰えなくても仕方無く、そんな音が出せる迄奏者はじっと我慢の子であるべきなんだがね。
つい余計な色気に惑わされ表層的なポーズでウケ狙いしたくなるのは分かるけど、ぬるま湯に慣れる内に表現力向上が止まっちゃっても平気なのかな。
各々「今出したい音」があったり私的にそれへ没頭するのは良いけれど、相手が居る時それだけを押し通したらコミュ障の一種だで。
例えば自分発信でHardなのばっかはアリだけど、どんなに他人から乞われても全くメロウにはしないってなどうもねえ。
人には得手不得手もあるし苦手で絶品にならなきゃ絶賛される事だって無いが、その代わりチャレンジすればたどたどしくなっても鬼の涙みたいな別の効果位はあるんだよ。
他人を飽きさせない基本手段の1つに目先を変えるってのがあるのと、ずっとHardが続く途中ならちょっぴりメロウになるだけでも落差は大きいかんね。
こんなケースでは相手は専門家のメロウなんて期待して無く、だから取敢えずは各自がその場で出来る範囲で良いんすよ。
ってな事ってこの手のささやかな歩み寄りをするのって、親近感や共感を呼び込む準備みたいなのもあるんだ。
それ故頑に拒否ってると相手との壁を作るばかりか、実像よりつまらん奴とかケチな奴とか思われ兼ねないから百害あって一利無しな行動なんじゃないかな。
=もうちょい続く=
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