音楽備忘録1891 人力生演奏のススメ➍
前回末の俺言い「演る側のベーシックマーケティング」って何?、について順を追ってご説明。
色んな要素の振り巾だけ書いたけど、色んなは表現の強弱・速度の高低その他諸々の事だ。
決して誰かが既に実現したの以上を目指すなって訳じゃないけど、一応普通に出来る範囲ってのが知れる。
のは結構大事で皆はそうなのに自分は遠く及んでなかったなら、何か重大な誤解をしてたり手法に誤りのある可能性が濃厚になったり。
或は直に比べてほぼ人並みだったが不満足なら、あまり誰もやってなさそうなレアアイデアが先に要りそうだとかさ。
そして何より録音作品・動画等一方通行のと違って、任意の質疑応答がリアルタイムなら可能なんだ。
尤も必ず相手の誰もが正直に答えてくれるとは限らないんで、質疑応答なんて固い単語を使ったつもりなんだが…。
これには主に3つの原因があって①企業秘密にしときたい②不親切か唯の意地悪の他、本当に手強いのは③弾けてるのにその理由を本人が把握してないだ。
①については何処の記事にも記載の無いのが偶然でないのが分かり、誰かから教わるよりゃ面倒だが苦労の甲斐がある案件だとは分かる。
②については微妙だが全く重要じゃ無かったら意地悪する意味が無いのは確かで、昔の職人気質の人だったら真の意味の為にわざと黙してたり…これは③の後に綴ろう。
③の場合は腕利き音楽評論家にでもなったつもりでひたすら解明してくしかないが、それでも例えば速さを変えて貰ったり出来れば新発見はし易くなる。
因みに現代では記録された物でも再生速度は自在に変えられるが、速度次第で微妙に弾き方が変わってたりするとその境界域等迄はよく分からない。
で②の後述だが自身で解析出来る位じゃないと実演だけ出来ても効果が弱ったり、既に理解出来るだけの知識があるのに応用思考が出来てない等があったんだ。
私感で国内では主に戦中派以前の人にそんなのが多かったが、「芸は見て盗め」精神ってしゃべくり以外は今だって全貌の完全言語化が不可能だからなんよ。
プロセスやメカニクスのみならんな事ぁねえが、「演った結果」を重視すればさあ。
幾ら演り方が合ってても音や雰囲気がターゲットと違ってたら、聴いてるだけの人には何の意味も無いでしょ。
だってそもそもは「○○な音」を何とか出そうと腐心した、その結果の1つなだけなんだからさ。
極端な話し同じ音が得られるなら普通は弾いたり叩いたりするヤツを、擦って出したって構やしねんだから。
そりゃ一方通行の動画だってどんどん工夫されて、異なる視点のを2画面にして披露したりテロップを加えたり色々親切にはなってるけどね。
他人の知りたいを全数網羅するなんて到底無理な相談だし、人に依って10人中1人しかトラブらない処で躓いてたりがあるんだよ。
まあそうは言っても諸事情から動画依存度を高くせざるを得ない人も居るだろうが、そっちにはそっちなりの手間やコツってのが別に必要なんすよ。
それもリアルの対面より取れ高が悪いと分かっててもで、その一端を普段動画が見られなかった時代でワシャ散々体験しただよ。
-続く-
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