音楽備忘録1892 映画・TV等への専門家が作った音楽⑯
前回はRock系への頂戴し易さから先ずはBarry Whiteを提示したが、って事ぁそれに拘らないなら全盛期の米は大御所の宝庫だ。
流石に今となっては当時とのタイムラグは気にせざるを得なくなってて、わざとじゃないとそのまま引用するのは無理になってもうた。
だが杜撰大王としては単に流行のとか典型的な何かだったら幾らでも他に例があるが、新旧とか明確に○○ジャンル風では足りない時のこそ懸案なんすよ。
米での全盛期って確かに編成的には殆どBigband Jazzのままだったけど、使われるフレーズや編曲はその範疇を大巾に逸脱してるのがあったんだ。
そもそもBigbandスタイルって唯のオケの米版的意味もある様で、今だと確かにその編成だとJazzかせいぜい吹部みたいなのを演るのかなって思っちゃうけどさ。
ここからは独断と偏見になるが欧のClassicオケって、一面で演奏会場の豊かな残響があって成り立ってるよね。
のでもし残響不足だと結構ショボくなりそうで、その点Bigbandスタイルはそこ迄の影響は受けんとな。
無論Rockや俺言いプライベートFolkとかBluesに比べたら、残響ゼロでもOKじゃないけどさ。
それプラス当時の米では何にでも意欲的で凄腕な人にJazz系(何せこっちも全盛期ですから)が多かっただけで、案外気持ちはClassicオケに入った様なつもりだったかも知れない。
そもそもⅡでゴージャスアンサンブルの原典は恐らくBeethoven辺りで、今の一般認識のゴージャス≒Bigband Jazzってのがどっちらけざんすわ。
なんてほざいといて真っ先にすわBigbandかと思ってる杜撰君だが、そこで止めないで由来がClassicか民族系かはたまた宗教音楽か何かなのかその先へも目を向けてるだけなんだけどね。
けれどちょっち聴き込んでみるとClassicやJazzネタは当然乍ら、それ以上に耳に付くのが所謂前衛の要素だ。
そして特筆すべきがその按配が実に巧妙で、中にはニーズに応じて訳分からんのもあるけどさ。
大半はまあまあ普通のポピュラー音楽として聴ける処で、普通露骨に前衛を取り入れると殆どの場合ついやり過ぎてるのが多い。
順然たる一部Jazzは勿論、他のポピュラー系でもFusionを筆頭にプログレだのサイケだの…。
のが映画音楽となると一部ヲタにだけ理解される程度じゃ全然足りなかったり、多数派のミュージカルみたいに歌だけ追えれば良い訳じゃないもんね。
中でも’70年代中頃迄のTVの連続ドラマや、当時そんな呼称は無かったがアニソンにその傾向が最も強い。
何しろ尺(時間的許容長さ)が近年より格段に短く設定されてたんで、迂闊に行き過ぎれば戻って来られない危惧があった。
故に盲目に崇拝してるんじゃなくて、苛烈な条件下でそれをクリアしてたのが凄いんよ。
因みにその対極にあるのが今劣化本邦のアニソンで、その多くOPは1分半が常套手段化しとるがな。
それだけ尺がありゃだらだら進む凡庸な曲だって、一回りは完遂出来るから楽っつうか怠慢っつうか…。
映画ではタイトルロール等の関係からそこ迄短いのは少数派だったけど、今平均より短い中で密度が濃かったのは確かなんじゃないかな。
=つづく=
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