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2024年10月

2024年10月31日 (木)

音楽備忘録1902 エレキBassのCreamyな音色の魅力➑

通過列車待ちが終ったから又本線を走り出すが、前回述みたいなのがエレキBassでは音色太さにかなり大きく影響してんだ。
電気楽器でGuitarや鍵盤の音域なら「高域のニュアンス・質」に差異が生じるが、私的にはこちらの方が適した代替手段が他に無いと感じてま。

数回前述の通りローエンド近くなら厚みで太さを補填可能だが、中域ではそれが出来ねえから問題なんよ。
インピーダンスの高低はパッと聴きには上下帯域の出具合だとか、均一な明瞭度とかが先ず大抵は耳に付く。

加えてオーディオ的Hi-Fi感が増すんでそれだけだったらまあ良いが、アンサンブル内での各音の存在感には案外ムラが増えちゃってるんだよ。
その一因にしゃべりの肉声だけを扱うなら、案外メガホンみたいな狭帯域なのの方が聴き取りが良いっつうのがある。

大昔ラジオがAMだけだった処へFMが登場して、イケボDJの声の低域が豊かになっておぉぉと思った。
が騒音が多い環境で聴いたら、AMの時よりボリウムを上げても何言ってるかまだ聴き取り難かって。

のが杜撰大王にとっての原体験で、音響的高音質と音楽的高音質には相反する箇所があったんすよ。
圧倒的な制圧感のあるSyntheの超低音や他を凌駕する高域持ち主のcymbal、そのどららも音程感の明瞭さでは下位に沈んでるよねえ。

そんでも↑みたいなのは音楽内でのお仕事に音程感をあんま求められてないから良いが、音域や用途上エレキBassではそれじゃ困る事の方が多い。
のは1本でContrabassとCelloの領域を賄いたいからで、音域限定的Hi-Fiさならこの2つの方が元々勝ってるんだ。

コンバスでのローエンドの重厚感等エレキBass如きじゃ中々太刀打ち出来ないが、音程感に限ればその深い音色が仇になってる。
エレキBass出力をハイインピーダンスを一切経ないでローインピーダンス化した場合、一般の想像に反しSynthe等電子楽器より実はコンバス等アコースティック楽器の方へ近付いてんすよ。

ので大編成とかで用途が限られてたらローインピの高音質も結構だが、小編成で色んな要素兼任となると却って不都合なんだ。
特に高音域での太さや低音弦との性質差が懸案事項で、極端な話し音域次第でまるで別の楽器みたいになるのがね。

ノーマルピッチの4弦の場合最低音から1オクターヴ上がれば、音域としてはGuitar等ともう同じ。
そこへ持って来て音色もオクターヴ下のと乖離すれば差別化は矮小するわ、オクターヴ的に跨るフレーズを弾けば余計な俺言い「上下分離感」を発症するわで…。

しかもこれはGuitarだけ歪ませてたりした場合で、Jazzみたいな太い音色を使ってたら区別も何もあったもんじゃねえ。
近年そんな音色ニーズはかなり減ったけれど、これってエレキGuitarじゃないと出し難い音色でもあるん。

アコースティック楽器の多くはマイルドな音色にしようとすると、その殆どはノーマル時より音量がかなり制限されちまう。
一般印象ではより煌びやかとか派手な音色なのがエレキやけど、実は無制限のマイルド音色の方こそエレキの特権なんすわ。

因みに生GrandだってEQ等で大胆に高域を持ち上げりゃ↑に充分対抗出来るけど、そうした場合音程感に関してはかなり劣化してんでっせ。
エレキでハイインピーダンスにも限界はあるけど、基本的な音色とはある程度分けて調整出来るんだ。

=つづく=

2024年10月30日 (水)

音楽備忘録1901 ’70年代Rockの浦島太郎➊

冒頭にお断りしとくけどこれから綴るのは、飽く迄一老害の記憶と感覚に基づくから正確性に自信は無い。
にも拘わらず近年闊歩してる情報にいちゃもん付けたくなったのは、どう譲歩してもヘンテコなのが罷り通ってたりするからだ。

元来芸能関係の情報に「盛り」は付き物でそもそもの信憑性が怪しいものの、一応プロだから整合性だけは考慮してあったのよ。
かつての日本のタレントのサバ読みは常態化も同然だったけど、今以上に何かのTV番組とかで並び立つ機会は断然多かった。

からその際にサバ読みの凸凹具合が合わんといかんから、誰か最初の人が5cm盛ったなら後に続く人も皆大凡同じだけ盛っとくって具合にね。
現在ネット上で割と↑な証拠の残ってるのがプロレスラーで、杜撰君みたいなチビにとっちゃ実際は5cm位高かろうと低かろうと皆巨大なだけだから殆ど無影響なんだけどね。😖

わ兎も角近年ネット上を賑わすRockレジェンドの身長で、明らかにおかしなのを発見してちょっくら驚いてんだ。
時が経ち本人が亡くなって実見不能になった結果ではあるだろうが、Brian Jonesが何処を覗いても168㎝ってのは爺にはどうもねえ。

ってのもそれでBill Wymanと同じっつうのが変で、もしかしたら写真に残ってるBrianが何時も背を丸めてた可能性は僅かにはあるけどさ。
Guitar等の楽器からの比率からすると誰かさん(俺)とやたら近似で、その飽きる程見慣れた景色からしたらあって165㎝止まりじゃないとああなんねーっつの。

ってのもⅡで過去の全員健在当時の横並び画像を見進めてけば、各人の身長はバラけてたのが分かりそうなもんだがね。
特に今劣化本邦での情報が怪しく、恐らくフィート・インチからメートル・センチに換算する辺りから誤差を生じたんだろう。

誤差のある数値へ実見した感覚を加味する等する内、実数からどんどん拡大・乖離してったんじゃないかな。
又相応な加齢後には背の縮む人も珍しく無く、特に60歳以降のだと最高で-7㎝位迄は考えられるんだ。

それでも海外レジェンドのはまだマシな方で、国内のが何か別の意図があるか知らんが尚酷い。
これ等時間が経っての誤差は何故か国内-欧州-米の順に酷く、米は歴史が浅い故に史実に執着した研究や記録が多いからなのかな。

或は凄く小さいのから大きいの迄色々混在してるからか分からんが、「差別をしない人」のレベルがとうやら米が最も高いらしきは皮肉な現象だ。
何れにしてもMichael Jackson以降のは大体一定してるし情報の新旧での差が見られないが、それ以前のだとかなりリアルタイムとは様相を異にしてる様だ。

でこんなのが背丈だけの話しなら一部ヲタ以外にはそんなに副作用は無いが、少しでも音に関するのだととても深刻なんだよ。
絶対にそんな奏法じゃ出せない音が、出せる事になってたりするからねえ。

結局根底には近年になる程、取敢えずなら原理に疎くても演れちゃうのが原因なんじゃないかな。
表面上どんなに簡便になっても「唯の音」を音楽にするには、才能もだが先ず努力と感性が必要なんだよなぁ。

=つづく=

2024年10月29日 (火)

音楽備忘録1900 映画・TV等への専門家が作った音楽⑱

Rock専攻!?な上杜撰大王なんで完全網羅には程遠いが、今回は今ではかなりニッチになっちまったヤツを1つくれてやろうかねっと。
っと言いつつ本来は米西部劇のスタンダード、真昼の決闘(1952年 原題:High Noon)の主題歌ざんす。

さて現代で西部劇っぽい音楽っつうと煙草のMarlboroのコマソンみたいな、荒野を馬が疾駆する様なのなのかな。(ってもせていぜい2010頃でオワコンか💦)
それすら嫌煙権の猛威で昔程耳に出来なくなってるが、何れにしてもアップテンポで勇ましいのが王道じゃないかな。

そんな中この映画のは一寸風変りな口で、ミディアムテンポのガレージCountryとでも言えば良いのかな。
にも拘わらず妙に味があったんでずっと憑りつかれたみたいになってて久しく、けれど長~い事その原因を掘って無かったんだ。

のに重い腰が上がったキッカケは、Drumパート(多分実際には太鼓なんかじゃない!)のアナライズを従兄に依頼してみた件だったん。(今一番近いのはカホンか?)
現時点では残念乍らさしもの従兄でも不明との回答しか得られなかったが、そこからリズム(ノリ)の変な癖にも独特な雰囲気の醸成に一役買ってるのに気付いたん。

それプラス今調べてみたっけ作曲者のDimitri Tiomkinがロシアからの移民だとかで、却ってミステリーが増幅しちまったい。
尤も当時の西部劇には一般的には縁遠そうな人が結構携わってたそうで、まあ良く考えてみりゃ居住区に半隔離されたインディアン(ネイティブ ・アメリカン)以外は全員どっかからの移民だわな。

わ兎も角この作曲者は映画以外にそこそこTVドラマのも扱ってて、ロシアっぽさがすぐに感じられるのはあの名作Rawhide位でそれより晩年はClassic調のが多かったそうだ。
それにしても歌い手が何故俳優なのに多分出演してないTex Ritterなのかも不可解だが、今様のオンBeatで歌ってないのが却って功を奏してるみたいだ。

アコギは彼が弾いてるのか歌と大体合ってるが、この2つ伴奏とは微妙にズレてんだよねえ。
っても決してアンサンブルが破綻してる訳じゃ無く、何つうかズレてるのに合ってるとでも言うか…。

それを「昔の人だから」で片付けちまえばそれでも良いんだろうが、昔のアメリカンイングリッシュの歌詞の内容からすると寧ろ当時の口調には彼の方がドンぴしゃりなんすよ。
今劣化本邦じゃこの手が残存してるのは民謡程度で、せいぜい演歌レジェンドの所謂歌のリズムフェイク位にしか聴かれなくなって久しいがね。

1960年代頃迄のには「ズレてるのに合ってる」のが普通に結構あって、私感では森繁久彌の歌唱が印象深かったかな。
Popsでは打込み普及以前から現時点迄、年々ジャストなリズムタイミングやノリの方が好まれて来た。

杜撰大王自身もかつては古臭い曖昧なのよりカッチリしたのを好んで来たけど、メロ・リズム・編曲等を一切弄らずとも変化や独自性を付与可能なんだよねえ。
強いて難点を挙げるとしたら再現性で、程良く微妙なズレっつうのにはそれなりに熟達を要する処か。

だがこう云うのは半ば人力演奏の特権でもあり、完全に一掃するには惜しい手法なんじゃないかな。
わ兎も角今回提示曲ではそれ以外にも、シンプル乍ら数学的には均等割じゃない第3のパターンがあったりする。

全般のコード進行も極簡単だがプチ転調みたいなのがあったりで、たった1箇所変えるだけで在り来りとは一線を画すのの好例だ。
パッと聴きには今となっては古臭くも至って普通なのに、音楽的に内容をアナライズすると…こんなのが正に職人芸なんじゃないかな。

=つづく=

2024年10月28日 (月)

音楽備忘録1899 人力生演奏のススメ➏

即興演奏って慣れる迄大変だし、その先だって良い感じ迄持ってくのは決して楽じゃない。
でも譜面に縛られなくても構わないジャンルで、それをしなかったら価値・意義は半減するんざんす。

Jazzじゃねんだからそんなの要らんと思ってるあーた、PopsやRockでもLive時に普段より引っ張ったり観客の様子に合わせたりするには即興から得たスキルを普通に使ってんのよ。
そりゃ単純理論では曲構成や編曲を弄っただけだから、それ自体は事前に準備はしとけるけどさ。

でも予定通りにしか演らない・演れないと、もしウケなくてもそのまま続けて大丈夫なのかな。
あと単なるバージョン違いならシングルとアルバムで変えてあるのとか、別にリアルLiveじゃなくても出来るよね。

っと考えてみるとLiveでの即興って、必ずしも曲構成や編曲を変える事じゃないんすよ。
例えば観客の手拍子の方が先走りたがってるなら、普段より少しテンポを速めるだけでもプチ即興なのさ。

テンポ以外にも基本的な構成・編曲は一切弄らずに、観客の様子に応じて強弱の巾を増やす・減らすなんてのも。
それ以外で最も典型例と思しきは、シチュエーションに合わせて歌詞の名称・日時等を随意でカスタマイズするのなんて常套手段じゃないかな。

勿論より良く出来るなら構成・編曲に手を付けたって構わんが、上記最後の例で当該箇所が単独歌唱だったら他のメンバーは何もしなくても良いし一切迷惑も掛からない。
そして録音本番中やゲネプロなら未だしも、それ以外の状況では無問題なら少し変えたって良いんだよ。

大袈裟に考え過ぎたり欲を出し過ぎるから即興のハードルを高く感じるだけで、最初の内は気楽にやって良いんだ。
その時期には当然失敗してひんしゅくを買う事もあろうが、悪いがその程度の腕前だと多分何時も決められた通り寸分違わずになんか弾けてねんじゃね?。

今となっては完全ノーミスは機械様の独壇場、生身の人間はミスる代わりに気紛れでもたまに出るアタリをよりウリにしないとさ。
杜撰大王が今劣化本邦のJ-POP等を執拗にディスり続けるのも、部分打込みやClickに唯情けなく従ってばかり居るからだ。

旧世代だから未だにボカロに違和感はあるけれど、それなりに評価してるのは↑みたいなのよりゃマシだから。
折角生身で演ってても独自の魅力とか良い処があんまり無いんなら、無理な切り貼り編集とかしてない分聴き易くはあるからね。

但し随時頻吠えの如くボカロや打込みが真価を発揮するのは咽頭癌でとか、決定的な声域不一致等でどう頑張っても歌えない人のモノなんじゃね。
で少し上で「たまに出るアタリ」なんて書いてるが、その当確率を向上させてくれるのが即興合奏なのよ。

実際達人級の多くは外野には想定外な程持ってる引出しが膨大で、終ぞ正式には全部は披露しなかったなんてのも山程あるでよぉ。
特に編曲それより作曲を手掛けてる人にその傾向は顕著で、杜撰君的には作曲の母は即興だと考えてんだ。

あっ尤も近年一部に潜航しとる、俺言い「パクリパズル」君は少々毛色が違うで。
けどそんな違法スレスレのですらパズルをAIに委ねてないなら、その組み合わせ方とかネタからどれを選ぶかは結局その人の気紛れでしかないよね。

-続く-

2024年10月27日 (日)

音楽備忘録1898 エレキBassのCreamyな音色の魅力➐

たった6回でもう主題から逸れるのはお家芸として容赦して貰うとして、今回は前回末告知!?の電気楽器の非効率な面についてざんす。
杜撰大王は音響や電気関係の技師でもあるんで以前は忌み嫌ってたが、未完成で不安定なハイインピーダンスで音色を色々弄ろうとすると避けて通るべきじゃなかったんだ。

1.中期以降のVan Halen仕様のスピーカユニットの変態周波数特性
ある時サウンドハウスのサイトで偶然知ったんだが、↑は何故か高域の有効帯域
が4kHz迄と書かれてた。
普通エレキGuitar用は殆どとれも8kHz前後になってるのに、一体どうした事か。

現時点で明確な本人証言を得てないから推測の域を脱せぬが、どうやらAmp回路では高域と美味しい歪みの生成に専念させスピーカには低域の生成と分業をさせてたらしいんだ。
これは磁気PUの原理に由来し、Ampで何もしなかったらまるで昔の磁気テープみたいに高域不足低域過多になってるからだ。

それプラスエレキの歪みで欲しいのが主に高域で、低域迄飽和(歪み)させると籠ったFuzzみたいな音色にしかなってくんない。
その度合いが想像より遥かに上に行ってたのを魔改造等で思い知って、しかし歪みが良い感じに回路定数を調整するとどうもローエンドがお留守になっていけねえ。

その現代主流の対処法はAmpプリ段だけで歪み生成を完結させるだが、それだとパワー段の歪み(俗称:パワーコンプレッション)が得られなくなる。
ので恐らく師はAmp回路部で補うのを諦め、後段のスピーカユニットでの改善を目論んだんじゃないかな。

私的には彼だと初期の音色の方がダイレクト感に勝って好きだが、かと言って晩年の音色が特に籠った感じはしなかったのが一応の証拠か。
コレそもそもはMarshallが発展期に既に大雑把にはやってた手法で、深度をもう1段深めただけではあるんだけどね。

2.やたらHI上がりなAmpに繋いどいてわざわざGuitar本体のToneツマミを適宜絞って使う
今ではあまり多分やらなくなってるだろうけど、昔はかなり当たり前の音色生成手法でしてん。
これの真相は音色調整箇所が今より少なくその効き方も自由にならなかったからだが、歪み生成がAmp主体の場合は今でも音楽的にはちゃんと意義がある方法なんだ。

1.で指摘した通り美味しい歪みにはその歪ませ度に応じた極端なHI上がりが必須だが、そのままだと超高域も必要以上になっちゃうんだ。
それで杜撰君自身も含めAmp回路で超高域をカットしたら、折角深めた歪みの歪み成分(高域になる程顕著)が何だが妙に大人しくなってもうた。

のはGuitar自体の音はもう少し普通で、歪み成分だけワイルドなままにしときたい場合が少なくないからだ。
のを単純直結思考で対処したのがコレで、理論的には理不尽でノイズを目立たせるだけなんだけどね。

今では利便性優先で何でもEffectorで処理するのがデフォ化しちゃったから、やってる人は多分相当減ってるんだろうけどさ。
レコーディングで少しでも良い音をとなったら、ベテランを中心にまだ達人達は少しは用いてると思うんだけどね。

何れにしてもエレキにはこんな現象が少なくないから、SynthesizerやPCでの音色生成みたいに中々素直には行ってくれないんだ。
只個人的には理不尽を超越してるからこそ、↑とは一味も二味も違ったのが色々発見出来てる気がするよ。

=つづく=

2024年10月26日 (土)

音楽備忘録1897 折角弾けるのに勿体無い⑧

前回のだけだと悲観論と勘違いの恐れありで、泣きのもう1回ざます。
現実的に適度な妥協・諦めは確かに必要なんだけど、一時的なら兎も角不貞腐れたり絶望する様な御大層な話しじゃねえんで御座居。

多くの場合その根底っつうか裏側には過度な期待が潜んでて、各自の甘い或は都合の良い想定と現実が違った際に起きてんじゃねっとね。
相手に興味が無いか薄い事はこっちでどうにもならず、冷静な判断をするとそう云う時の評価ってノーカウントにしとくべきなのよ。

勿論誰か1人から始まってなるべく大勢に喜ばれたいけど、狭い日本じゃうるせーと怒られなきゃ取敢えずは御の字なんだ。
言うなればコンスタントに宝くじを買う人と似た様なもんで、彼・彼女等は先ず当たりゃしないのを承知の上でプチ冒険してる訳なのさ。

人次第だが最高の理想像ってBeatlesやMichael Jacksonみたいに成れる事で、そう思えば宝くじの方が格段に当選率が高いんだよね。
殆どの当座のケースじゃそこ迄の目標は無いけれど、性質的には殆ど変わってないんすよ。

それ故外した・ウケなかったには内心ガッカリこそすれ、上記の如く怒られたり叱られたりしないで済んだら決してマイナスではないのだ。
単に得点・加点が出来なかったってだけで、次の機会を虎視眈々と狙ってりゃ良いんだ。

本当に減点になるのは上記のせいで2度とその場所では演れなくなったとか、Livehouseを出禁になるとかってヤツだわさ。
自身の不注意或は配慮不足での粗相って、他人に聴いて貰える機会・場所を減らす訳だかんね。

因みに今劣化本邦の音楽環境ってそんなに良いとは言えないが、政治的理由で禁止なんかされてるよりゃマシっすよ。
だからって昨今蔓延中の不幸王は誰だみたいな潮流にはホトホト呆れてるが、↑のは誰かの身勝手や理不尽が原因じゃないもんね。

寧ろ悪意レスだろうと加害者側に回る方をよっぽど心配しといた方が良い位で、世間の過半の人達は自身でDrumを奏でる様な爆音に晒され続けるなんて皆無なんだから。
それだけで「煩い」の基準や概念の段階からして、普段から演ってる我々とは大きな相違があるんすよ。

万一その手の段階で不手際をやらかしてたら、どんなに伝説の名演をしたって立場の異なる人には大迷惑でしかないんだ。
って是又毎度の杜撰大王ならではのパターンで、過去にやらかしが少なくなかったからこそ変に実感があるですよ。

確かに最初のウケが来るのが早期な程意欲が湧くし、あまりに時間が掛かると意気消沈したりはするけどね。
けどそんなに落込む位ならその前に、客観分析して改善してくのがとっても大切。

自己の気持ちばかりに神経を取られると、大抵は何かニーズにそぐわない事をしてても気付けなくなったりしてるん。
真にウケを最優先とするならお笑い芸人より厳しく、こっちは一発芸だろうと言葉だろうとそれを全部演奏と紐付けしなきゃなんないんだから。

=終り=

2024年10月25日 (金)

音楽備忘録1896 映画・TV等への専門家が作った音楽⑰

今日はアニソンの始祖は誰なのかをテーマに掲げるが、不勉強な杜撰大王だから真の始祖迄の追及は勘弁で御座る。
ってのも長らくアニメは子供向け漫画映画として他より低く扱われてたし、黎明期の作品は恐らく今以上に売れてなかっただろうしね。

っつう事って本人生存時には今程の評価はされてなかっただろうが、一応メジャーな開祖として、初期Disneyお抱えのFrank Churchillを提示しとこう。
日本だと昭和ヒトケタの大昔で世界的にも前例がほぼ無く、強いて助けになったとしたら映画自体がミュージカルを2次元化した感じだった位か。

そもそもJazz Bigbandでさえ円熟期より全然前だから、童謡しかも正規のばかりじゃなく子供達の自然発生的なのも色々研究してたのかな。
その他軍靴の響きが高まる中40歳で拳銃自殺する等、今日のDisneyの隆盛からは想像も付かない様な本人としては不遇をかこってたらしい。

正直長生きしたらその分必ず得する等とは今に至っても全く思えないけど、それは早死にの方だって同じ事なんじゃないのかなぁ。
そして恐らく懸案が音楽だったら自身の音楽でどうにかして解決せん限り、あの世へ行ってでさえ〆切に追われる漫画家みたいな状況はずっと続くんじゃね?…少なくとも杜撰君にはこれを明確に否定出来る材料が見つからんわ。

そもそも作者亡き後に大ウケするのってBeethoven等昔からあった話しで、不慮の大怪我で競技断念を余儀無くされるスポーツ選手とは真逆に近いかも知れない。
杜撰君の立ち位置でも早逝した親友が居り、もっとこの事は若年層に周知徹底してかなきゃいけないな。

ってこのまま続けたら暗くなり過ぎるからこの辺で止すとして、米でホピュラー系に属してた訳だからやはりJazzの香りはそこそこある。
但しこっからが重要なんだが近年の世間が想像するJazzとは一味違ってて、過去にも述べた如くJazzがヒット曲の中心にあった頃のはかなりシンプルなんすよ。

アニソン特に昔のになる程子供をターゲットにはしてたけど、そうでなくても万人ウケ流行歌を狙うならシンプルさって必要不可欠なんざます。
ジャンル特定要素を全破棄こそしないにしても、聴いてて心地良さや面白さの邪魔になる様なら躊躇無く断捨離しないとね。

その意味で童謡を始めとする子供向けの歌とか、黎明期のDisney音楽はPopsの先祖とも
言えそうだ。
時代と地域の事情でこしらえたのがたまたまJazzの人だっただけで、例えば王道Popsの1つCarpentersなら土台はCountryやJazz等の上に建っている。

又彼の前半期とGeorge Gershwinの生存末期がダブってて、考え様に依っちゃ後者の方がよっぽどJazzっぽい気がするのは杜撰君だけだろうか?。
全くの想像だけど童謡やその類のって何時の時代のにも共通で、一般的なジャンルの枠にあまり捉われてないんじゃないかな。

随時で流行を取り入れるのはしばしばあるものの、Disneyの場合「唯画に合わせただけ」でもしアニメのコンセプトが違ってたらきっとああなってないんだよ。
もしWalt Disneyが日本人でコンセプトが違ったら、その曲も「桃太郎さん 桃太郎さん…」みたいなのだったりして…んな訳ゃねえか。

-続く-

2024年10月24日 (木)

音楽備忘録1895 人力生演奏のススメ➎

今回は得意の逆説論法で、動画等一方通行素材からの情報最大獲得方法でっせ。
現実に「生の触れ合い」が不可能な際は今でも有用だが、知れば知る程リアルセッショッンの真価を思い知るんじゃないかな。

1.昔は不明で今は解消した点
複数台カメラで録ったり分割画面にする技術自体は古くからあったものの、かつては何と言っても低解像度なのが仇だった。
その擬似体験が今でも低解像度の動画なら体験可能で、再生時に幾ら大画面にしようと拡大しようと細部の見えは殆ど改善しないでしょ。

音に関しても近似で全体の雰囲気はアナログオンリー時代の方が若干勝ってたが、小さい音が大きい音にマスクされる度合いは中々酷かったよ。
してそれ以上に酷かったのが「速い動作の全貌」で、最も皆が知りたいBuddy Ritchの爆速だと肝心のバチの振り巾なんかが全然ちゃんと映ってねえでやんの。

2.今も変わらず解消してない点
一部の講師等がなるべくマクロ観点が分かる動画作りに精を出してるが、少数派や独特な観点のニーズを全数網羅するのはどだい無理な話しだ。
懇切丁寧に教え様とすればレッスン時間は長目となるが、そうなるとどう頑張っても1日当たりの生徒数は少な目になっちまう。

だが色んな?をなるべく多く知るには膨大な人数との接触が不可欠で、どちらを優先しても何かが欠けてしまう。
加えて難題なのが見た目と奏者自身の意識・感覚との差で、これってロボットやアンドロイドと生身の肉体の典型的相違点なんだ。

指先の第一関節だけを曲げろと言われて、常人に可能なのはせいぜい親指位じゃないかな。
人体は構造的に各部専用のアクチュエータなんか備わってないから、不要な時でも多くの場合他部も連鎖反応で動いちまう。

結果例えば本当に当該奏者は指しか意識してないのに、肩肘手首等の方が大胆に動いたり他人にはそう見えたりするのがさ。
しかもそんなのが人次第でその組合せが全く違う事も多々なんで、リアル眼前で手本を見せて貰って質疑応答を重ねてもまだ釈然としない場合すら多い。

更には曲中で演るのと単独で演るので微妙に違ったり、曲中でも前後がどうなってるかで又違っちまったりしてんだわ。
故に通信教育よりリアル対面レッスンの方がマシだが、望む物だけ次々見られなくてもリアル合奏の方が理論上は高効率になるのよ。

但しリアルにも弱点があり、常時一定以上の取れ高を期待する事が出来ねんだ。
合奏する曲の選択次第でそこそこ確率を上げられるけど、喫緊の課題が3つ以内位に絞られてる場合はレッスンを受ける方が好成績になったりする。

けれど↑みたいな特定の時を除くと、そんなに明確なクエスチョンを常に継続的に抱えてるケースはきっと多くない筈だ。
そんな日常の中でお得情報が最大になる可能性の、最も高いのがリアル合奏(セッション)なんだよ。

-続く-

2024年10月23日 (水)

音楽備忘録1894 エレキBassのCreamyな音色の魅力➏

今更になっちゃうけどそもそもFlat弦と、その具体的な使用例に言及しとこう。
っと思ったのはムードや記憶の印象より、案外高域が持ち上げられ低域が絞られてるのも耳にしたからだ。

過去述容姿に反しエレキのホロウボディ(中に明確な空洞がある)って意外とBrightだと綴ったが、これも少しおさらいしときまひょ。
詳細には高域を大体低中高の3つに分けて考察すると、確かに空洞君はハイエンドはソリッドより落ちている。

んが後の2つは寧ろ増え気味で、トータルでは太く感じるのにローエンドが結構削れてる。
のわ恰も5・6弦は倍音(第2次高調波)を主に聴かせてる感じで、倍音でも元の音程が低いから中低域が膨らんだ感じになってんすよ。

これには過去程Ampやスピーカが高域が出したくても充分には出せなかった事情もあり、その時代の録音作品では空洞君の音色素性が全部は現れてなかったすわ。
何しろBigbandの古典には、cymbalですらオーディオでの高域が皆無で録れてるのなんかもあったからねえ。

でそんな頃にFlat弦が流行したのって、中高域は出したいが下品な感じにはしたくなかったり音程感を堅持したかったってのもあったんじゃないかな。
アーほらStratoの所謂ハーフトーンで音色調整で下手を打つと、アタックばっかで音程が不明瞭になったりするやんか。

この推測がもし合ってたらハイエンドはどのみち無理だったが、結構高域を盛った時の使い出事情でFlatを選んでた事になる。
っつう考えに至ったのも手持ちのソリッド+Round弦で、気紛れ起こして典型的なJazzっぽい音色を出そうとして無残に挫折ったからだ。😢

何とかビンビンキンキンシャリシャリを隠蔽しようと、先ずはTrebleは0(Guitar本体のToneツマミも)Middleは10にしてみたんだけどね。
それでも微かな↑の漏れが気になったからBassツマミを少し上げたっけ、音色的には一応及第点になったは良いが1・2弦の音量だけ極端に小さくなっちゃってこれじゃ全然使えねえやってな。

そんなこんなで真実の意外性と真実の非効率を痛感し、後者はちゃんと説明したいから次回送りにするけどさ。
高域をそこそこ出しててもあまりそう感じさせない目的にこそ、Flat弦は真価を発揮してたのよ。

それがBassになると少し下がって中高域になってる様で、最も影響の出るのがオクターヴ上フレーズや高音弦の太さ感なんだ。
因みに低音弦だって同じ傾向はあるけど、中低域が肥満になると4弦より3弦から上の音量だけ大きくなって不都合。

純粋な太さとは違うけど4弦はローエンドが上がるとダイレクトに影響を受けて、厚みがバーチャル太さとして代用可能なのだ。
因みにⅡでこれが関係してるのか前回出Entwistle先生曰く、今のゲージは4弦が太過ぎると溢してたのが今になってみると何となく分かった気がするな。

=つづく=

2024年10月22日 (火)

音楽備忘録1893 折角弾けるのに勿体無い⑦

体毛は薄目でも心臓だけは未だに剛毛生い茂る杜撰大王だって、ちったあ人目は気になるしわざわざ劣って見られたくはない。
から〜ぁので今回は自意識と第三者からの視点とその差について、表面上の言葉は同じでもその内容は全然違う事も…迄掘り下げてみよう。

真っ先に取上げたいのは「上手さ」で、誰だって少しでも上手いとは思われたい。
特に相手が全く弾けない人だったら最低限のリスペクトは欲しい処だが、その考えが通用するのは相手が「弾きたいのに弾けない」場合限定なのだ。

しかもフルに通用するのは相手の憧れの対象そのものか、それに近かった場合に限る。
これのマッチング度は限りなく低く、何処か1つ欠けててももう感動は半減したりするんだ。

普通に考えて何も出来ないより何か出来る方が良いのは確かだが、例えば兎に角彼女を欲しがってる処へはした金程度貰えたって有難くはあっても喜べないよね。
そりゃ金額がもし10億円位になりゃ、出逢いの機会を増やせたりするから違って来るだろうけどさ。

それだけ人の評価を得るのは大変なもんで、特別な興味を持って無い相手だったら最低でも次元が違う位じゃないと難しい。
ので自身の身勝手な好みで確実に評価されるには、相手がそこを求めてる場合しか元々あり得ねんですよ。

この大前提を踏まえある程度上手だと思われるのは、超絶なテクなんかより何かしら僅かでも相手へ歩み寄れたらなんだな。
満腹な処へこれ美味しいから如何と言われて、もし無理して食べるとしたら前々から興味深々で流行ってるお菓子やスナック程度が関の山。

レベルを下げて相手が満腹じゃなかったとしても、空腹なら腹に溜るもの・甘いのか辛いのを欲しがってたら該当するのじゃないとさ。
この事は音楽でも大差無いかもっとシビアなんだから、例え不充分でも相手のリクエストやニーズに少しでも応えられなかったらその時点でご破算なのだ。

故に自身の奏力をそこへ活かせてなんぼで、実は奏者特有の考えなんて殆ど世間には通用してねんだ。
で相手の予想通りかそれを上回れたらベストだが、音楽の好みは実に多種多様だから滅多にドンズバなんて起り得ない。

ではどうするのったら極力相手の好みに寄り添った上で、他人が持ってなさそうな独自性を添加してやるんだ。
当然安全策を優先すれば余計な追加は無い方が好ましいが、そればかりに終始してると今度は万に1つも独自性を気に入って貰える機会を失ってまう。

これ等を併せて考察すると、我流で可能な範囲でその場の期待に応えるのが最善なんじゃないかな。
演る側・聴く側が最初から合致してる保証があったらいきなり取って置きを披露するのもアリだが、何処かで世界一にでも成れて無きゃそれでKOを目論むってな虫が良過ぎ。

先ずは演る側から聴き手に歩み寄るべきで、先方だって意図無くばわざわざこっちの不得意を要求なんかして来ないよ。
最悪出来そうに無いものを要求して来るのって、ほんの僅かも聴きたく無いって意思表示の代わりかも知れないしねえ…。😵

=あと1回だけ続く=

2024年10月21日 (月)

音楽備忘録1892 映画・TV等への専門家が作った音楽⑯

前回はRock系への頂戴し易さから先ずはBarry Whiteを提示したが、って事ぁそれに拘らないなら全盛期の米は大御所の宝庫だ。
流石に今となっては当時とのタイムラグは気にせざるを得なくなってて、わざとじゃないとそのまま引用するのは無理になってもうた。

だが杜撰大王としては単に流行のとか典型的な何かだったら幾らでも他に例があるが、新旧とか明確に○○ジャンル風では足りない時のこそ懸案なんすよ。
米での全盛期って確かに編成的には殆どBigband Jazzのままだったけど、使われるフレーズや編曲はその範疇を大巾に逸脱してるのがあったんだ。

そもそもBigbandスタイルって唯のオケの米版的意味もある様で、今だと確かにその編成だとJazzかせいぜい吹部みたいなのを演るのかなって思っちゃうけどさ。
ここからは独断と偏見になるが欧のClassicオケって、一面で演奏会場の豊かな残響があって成り立ってるよね。

のでもし残響不足だと結構ショボくなりそうで、その点Bigbandスタイルはそこ迄の影響は受けんとな。
無論Rockや俺言いプライベートFolkとかBluesに比べたら、残響ゼロでもOKじゃないけどさ。

それプラス当時の米では何にでも意欲的で凄腕な人にJazz系(何せこっちも全盛期ですから)が多かっただけで、案外気持ちはClassicオケに入った様なつもりだったかも知れない。
そもそもⅡでゴージャスアンサンブルの原典は恐らくBeethoven辺りで、今の一般認識のゴージャス≒Bigband Jazzってのがどっちらけざんすわ。

なんてほざいといて真っ先にすわBigbandかと思ってる杜撰君だが、そこで止めないで由来がClassicか民族系かはたまた宗教音楽か何かなのかその先へも目を向けてるだけなんだけどね。
けれどちょっち聴き込んでみるとClassicやJazzネタは当然乍ら、それ以上に耳に付くのが所謂前衛の要素だ。

そして特筆すべきがその按配が実に巧妙で、中にはニーズに応じて訳分からんのもあるけどさ。
大半はまあまあ普通のポピュラー音楽として聴ける処で、普通露骨に前衛を取り入れると殆どの場合ついやり過ぎてるのが多い。

順然たる一部Jazzは勿論、他のポピュラー系でもFusionを筆頭にプログレだのサイケだの…。
のが映画音楽となると一部ヲタにだけ理解される程度じゃ全然足りなかったり、多数派のミュージカルみたいに歌だけ追えれば良い訳じゃないもんね。

中でも’70年代中頃迄のTVの連続ドラマや、当時そんな呼称は無かったがアニソンにその傾向が最も強い。
何しろ尺(時間的許容長さ)が近年より格段に短く設定されてたんで、迂闊に行き過ぎれば戻って来られない危惧があった。

故に盲目に崇拝してるんじゃなくて、苛烈な条件下でそれをクリアしてたのが凄いんよ。
因みにその対極にあるのが今劣化本邦のアニソンで、その多くOPは1分半が常套手段化しとるがな。

それだけ尺がありゃだらだら進む凡庸な曲だって、一回りは完遂出来るから楽っつうか怠慢っつうか…。
映画ではタイトルロール等の関係からそこ迄短いのは少数派だったけど、今平均より短い中で密度が濃かったのは確かなんじゃないかな。

=つづく=

2024年10月20日 (日)

音楽備忘録1891 人力生演奏のススメ➍

前回末の俺言い「演る側のベーシックマーケティング」って何?、について順を追ってご説明。
色んな要素の振り巾だけ書いたけど、色んなは表現の強弱・速度の高低その他諸々の事だ。

決して誰かが既に実現したの以上を目指すなって訳じゃないけど、一応普通に出来る範囲ってのが知れる。
のは結構大事で皆はそうなのに自分は遠く及んでなかったなら、何か重大な誤解をしてたり手法に誤りのある可能性が濃厚になったり。

或は直に比べてほぼ人並みだったが不満足なら、あまり誰もやってなさそうなレアアイデアが先に要りそうだとかさ。
そして何より録音作品・動画等一方通行のと違って、任意の質疑応答がリアルタイムなら可能なんだ。

尤も必ず相手の誰もが正直に答えてくれるとは限らないんで、質疑応答なんて固い単語を使ったつもりなんだが…。
これには主に3つの原因があって①企業秘密にしときたい②不親切か唯の意地悪の他、本当に手強いのは③弾けてるのにその理由を本人が把握してないだ。

①については何処の記事にも記載の無いのが偶然でないのが分かり、誰かから教わるよりゃ面倒だが苦労の甲斐がある案件だとは分かる。
②については微妙だが全く重要じゃ無かったら意地悪する意味が無いのは確かで、昔の職人気質の人だったら真の意味の為にわざと黙してたり…これは③の後に綴ろう。

③の場合は腕利き音楽評論家にでもなったつもりでひたすら解明してくしかないが、それでも例えば速さを変えて貰ったり出来れば新発見はし易くなる。
因みに現代では記録された物でも再生速度は自在に変えられるが、速度次第で微妙に弾き方が変わってたりするとその境界域等迄はよく分からない。

で②の後述だが自身で解析出来る位じゃないと実演だけ出来ても効果が弱ったり、既に理解出来るだけの知識があるのに応用思考が出来てない等があったんだ。
私感で国内では主に戦中派以前の人にそんなのが多かったが、「芸は見て盗め」精神ってしゃべくり以外は今だって全貌の完全言語化が不可能だからなんよ。

プロセスやメカニクスのみならんな事ぁねえが、「演った結果」を重視すればさあ。
幾ら演り方が合ってても音や雰囲気がターゲットと違ってたら、聴いてるだけの人には何の意味も無いでしょ。

だってそもそもは「○○な音」を何とか出そうと腐心した、その結果の1つなだけなんだからさ。
極端な話し同じ音が得られるなら普通は弾いたり叩いたりするヤツを、擦って出したって構やしねんだから。

そりゃ一方通行の動画だってどんどん工夫されて、異なる視点のを2画面にして披露したりテロップを加えたり色々親切にはなってるけどね。
他人の知りたいを全数網羅するなんて到底無理な相談だし、人に依って10人中1人しかトラブらない処で躓いてたりがあるんだよ。

まあそうは言っても諸事情から動画依存度を高くせざるを得ない人も居るだろうが、そっちにはそっちなりの手間やコツってのが別に必要なんすよ。
それもリアルの対面より取れ高が悪いと分かっててもで、その一端を普段動画が見られなかった時代でワシャ散々体験しただよ。

-続く-

2024年10月19日 (土)

音楽備忘録1890 エレキBassのCreamyな音色の魅力➎

ちょっちお久で球なる文言が出て来たが、楽器用途に関しては実はこれが杜撰大王が奉る最大の理由なのだ。
一般用途でなら今や石(半導体)もデジタルも殆ど遜色無い処迄来たが、原音に逆らった倍音構成や時間で区切られた不連続性はやはり僅かでも元の状態を変質させてんだ。

よく石鹸や生クリームで丹念に泡立ててよりきめ細かく等の表現があるが如く、滑らかさやCreamyには連続性が大きく影響してんのよ。
上記の「原音に逆らった…」も、量的には少なくても連続性を阻害する
倍音構成になるケースが多いからだ。

っと言いつつそもそもフレットのあるBassでそんな微細なのに拘っても…も分かるけど、寧ろフレットレスじゃないからこそそんな僅かな相違が勝敗を分かつ事もあるんすよ。
この類のでの典型例としてはSnareの上等なバズロールがあり、厳密には細かい粒の集合体だが普通はそんな聴こえ方はしてないでしょ。

のわ響線がほんの僅かに遅れて且つ長く鳴ってくれて隙間を埋める効果があるからだが、それに少し近い効能が電気楽器では球にはある訳さね。
っと言ってもそんな微妙なのを何故今更力説し出したったら、自然な残響を録音に用いる事がどんどん減ったからなんだ。

これにはデジリバ・On Mic・Line収録が影響してて、余程上手くやらない限りリアル楽器の設計想定とは違った音になっちゃってんだよ。
アプリ内のなら兎も角3次元世界に実在する楽器って、Ampその他も要すにしても所詮は「生で聴こえる音」を前提にしなきゃなんないじゃん。

勿論リアル楽器としては存在し得ない「嘘の音」にも良いのはあるけど、それが出せるのは今度はバーチャル楽器じゃないと難しい。
等から過去に一定の成果のあった音色を現代で再使用しようとするには、過去にあって現代に無くなってる部分へ留意するのが効果大なんすよ。

けれどJazz系やCountry系なら未だしもRock系でFlat弦を使うのは、今となっては制約が多過ぎて勧められたもんじゃない。
それでも一部機種では許容されてるが、既に確立された王道音色にRound弦のがあるとねえ。

ついでで過去事例にも触れとけば、アルバム単位・1Stage単位で両方の弦を使い分けたケースが殆ど見られない。
のは逐一アンサンブル全体の音色調整を要求されるからで、そこに生楽器が入ってると奏者側だけでの調整では済まないかんね。

そこで好サンプルになりそうなのがあのJohn Entwistleの「音色加減」で、非主催Liveの一部を除き比較的Brightなのにオクターヴ上フレーズが常時使える按配になってた件だ。
彼はThe Who中期以降殆ど指でしか弾かなくなってたものの、ワイドレンジ志向としては先頭グループの一員だ。

にも拘らず秀逸だったのが、ワイドレンジ化させても音色の基本バランスは堅持した処。
これって別観点では損な方法で、ワイドになった部分が真っ先には目立たないんだよ。

損して得取れの典型で、そのお陰で彼が長年育んで来たオクターヴ上フレーズを放棄しないで済んでるんだ。
のからしたら現時点では、最後のそんな奏者だったかも知れないね。

=つづく=

2024年10月18日 (金)

音楽備忘録1889 折角弾けるのに勿体無い⑥

勿体無い事になってる原因にもう1つのネックが考えられ、それが演奏力だ。
但し現在一般的な観念とは異なり、難度の高いのとか速弾きが出来るのとは違う。

これって理論的には応用力・対応力とも呼べるが、根幹的には表現力の一部だし核心だ。
のが何かと言えば単純でシンプルなプチフレーズでも、喜び・悲しみ等どれだけ異なった印象を与えられるかだ。

近年はClassicでさえ今劣化本邦の主流の学校やコンクールの弊害で、↑の様な表現面が殆どフレーズに依存すると云う情けない有様だ。
それでもそんな俺言い偽物が間違って通用するのは音楽位で、パントマイムだったら全く考えられない異常現象だ。

パントマイムって簡略思考でゼスチャーの集合体とすると、事前知見レスのズブの素人の多くに同じ解釈されないと成立しない。
一面でその特化型たるお笑いでの動きにしても、今劣化本邦のは過去のと比べ無用に過激化してる気がするな。

笑かそうとした奇特な動きも過激過ぎると恐怖心が上回り、滑稽さより怪我してないかとか余計な方に神経が行っちまう。
それ故思い切り叩くにしてもハリセンとかならセーフ、本気で鉄パイプで打ち付けたりするのは先ず無いでしょ。

って今や音は大きくても痛みの少ないこれですら禁止されたが、行き過ぎた暴言が横行してる中にはもしかしたらそんなのの反動もあるのかな。
わ兎も角本来は同じフレーズでも色々に聴かせるのこそ、本当の演奏技術なんだけどねえ。

その出音が水準未満な際他人は視覚効果に判断を委ねるからか、顔芸や演出的動作に大差が無いと軽視或は無視されがち。
外野にしてみれば明らかに出音がそれらしくならないと分かって貰えなくても仕方無く、そんな音が出せる迄奏者はじっと我慢の子であるべきなんだがね。

つい余計な色気に惑わされ表層的なポーズでウケ狙いしたくなるのは分かるけど、ぬるま湯に慣れる内に表現力向上が止まっちゃっても平気なのかな。
各々「今出したい音」があったり私的にそれへ没頭するのは良いけれど、相手が居る時それだけを押し通したらコミュ障の一種だで。

例えば自分発信でHardなのばっかはアリだけど、どんなに他人から乞われても全くメロウにはしないってなどうもねえ。
人には得手不得手もあるし苦手で絶品にならなきゃ絶賛される事だって無いが、その代わりチャレンジすればたどたどしくなっても鬼の涙みたいな別の効果位はあるんだよ。

他人を飽きさせない基本手段の1つに目先を変えるってのがあるのと、ずっとHardが続く途中ならちょっぴりメロウになるだけでも落差は大きいかんね。
こんなケースでは相手は専門家のメロウなんて期待して無く、だから取敢えずは各自がその場で出来る範囲で良いんすよ。

ってな事ってこの手のささやかな歩み寄りをするのって、親近感や共感を呼び込む準備みたいなのもあるんだ。
それ故頑に拒否ってると相手との壁を作るばかりか、実像よりつまらん奴とかケチな奴とか思われ兼ねないから百害あって一利無しな行動なんじゃないかな。

=もうちょい続く=

2024年10月17日 (木)

音楽備忘録1888 映画・TV等への専門家が作った音楽⑮

さて前回持ち上げたBarry Whiteにも弱点はあり、本人だけのせいでは無いがそれで主流派になり損ねた感がある。
彼の台頭と並行してDiscoも大流行したのはとても有利に働いたが、その代わりLove Unlimited Orchestraの方はブーム終焉の影響も最も大きく受けちまった。

結果他の楽団に比し実質10年の実働期間はやはり格段に短く、しかしオケでClassic・Jazzベースの次としたら彼等の延長線上にしかないと杜撰大王は未だ考えている。
イージーリスニングブームにも相乗りして盛り上がった映画音楽が、凋落気味となったのは新規の後継者が現れてないのもあるのかな。

一面で↑のDisco大流行は罪作りなもんで、オケでの悪い意味での簡略化を邁進させちまった。
中でも杜撰大王的にはリズムパターンの簡略化・少数化が癌で、これは他ジャンルや特に今劣化本邦での無用テンポ高速化と併せ自分で自分の首を絞める行為に他ならない。

初聴でのウケは誰だって少しでも良い方が望ましいが、飽きられない事等としっかり天秤に位は掛けてみないとね。
その点で映画音楽なんて飽く迄映画が主役なんだから、勘違いして前へしゃしゃり出るのは見苦しい。

のを加味すると一般Popsよりは多少初聴での理解度が少なくてもセーフで、ましてやいきなり視聴者の大多数が手拍子出来るなんて必要性はあまり無いんすよ。
実はBarry先生のも他よりはキャッチ—だったけど、一般Popsとはリズムでも違う処があったんだ。

っと言うからには他にも目立たぬ箇所で意外なのが色々あったんだが、分かり易いのが曲自体にFront Beatのがあった処かな。
以前からR&BやSoulにはそんなのはあったがそのほぼ全数が部分的活用で、最多のパターンはサビになるとBack Beatだったのが引っ繰り返るってパターン。

これ聴いた感じはドンタンが唯タンドンになるだけだからさして気にはならないが、旋律や曲に与える影響は一面で最大級なのだ。
又Islesys等と同様あまりにもシンプルだから大抵はスルーされてるが、ほぼリズムのみのリフというのも音楽表現の一手段としてかなり有用なんだ。

他の映画音楽の大御所でこれを決して活用してない訳じゃねえが、明確なニーズ無き場合は殆どルーツの定番刻みに支配され気味でね。
主旋律が常時主役のだったらそれであんま問題にならないが、映画音楽は基本脇役であり映像に対しての伴奏とも看做せるかんね。

視覚で比喩るならなんかさっきより明るくなったぞとか、目立たずに変化を演出したりする必要が生じるのよ。
尤もとてもシビアに舞台裏を暴露すると、その方面の才能に恵まれてないとそう易々とは自在に使えないんだ。

オケの主導或は主催してる人ってスコア(譜面)の関係上普通は演るとしたらPianoか管の担当が多く、DrummerやBassistの少ないのもこの弱点を出易くしてるんじゃないかな。
処がBarry先生ってこの手の人では特に珍しく、Drummerでもあったのよ。

=続く=

2024年10月16日 (水)

音楽備忘録1887 人力生演奏のススメ➌

何かに集中してる時の他人の干渉は鬱陶しいけど、一定時間以上個の世界に留まってると色んなズレが生じる。
それが自分以外の誰かに聴かせる予定があるなら世間との窓口位は残しとく必要があるのに、何時の間にか扉が閉じちまったり施錠したりしちまうんだ。

自身のスタイル確立や追及期にはなるべく邪魔が入って欲しくないもんだが、かと言って途中で他との比較が入らないのも考えものなのだ。
自分で設定した目標の達成率が100%になる迄客観的な確認を怠ると、目標設定自体の問題が発覚するのは全てが終わった後になる。

ので要はバランスの問題で適度なら、時々茶々が入った時についでで比べといたりすりゃ良いんだ。
のがこのテーマとどう繋がってるかったら、自分とは何処かが多分違う他の人は考えも行動も微妙に予測と異なる事が多いからだ。

例えばHeavy世界一を目指してVan Halenを指標とするのは間違いじゃないが、人に依っちゃテンポがやたら遅いとかノリがやたらに重い方が勝ると感じる人だって居る。
杜撰大王感覚だと現時点で色んな意味で最Heavyと感じたのはKing Crimsonで、悪く云や徹底的に何もかもが鬱陶しいからだ。(お好きな向きには大変失礼)

恐らく私的には明るい・躍動的・元気とかが感じられなかったからなんだろうが、それ以前に世代等の事情でそれに纏わる色々を全然知らなかったら分かる訳無いよね。
リアルタイムでそれ等は主にプログレにカテゴライズされてたけど、当時は他にもHeavy Rockなんて分類の仕方もあったのよ。

それが昔の事だから今より大雑把且つ曖昧だったんで、聴いてみてそんな雰囲気と感じたら加える奴も一杯居てね。
今に通じるHard・Metal…等が整理統合されたのって1970年代中盤になってからで、それ以前は厳格なスペックなんかより「聴いた感じ」主導だったんだ。

彼等もレジェンドだったから少しは興味も持って聴きはしたけど、大半はもっと過激なのとか風変りなのを欲しい時に杜撰君としては間違って耳に入っちゃった情報なんだ。😠
けれどそれでやたら重苦しい奴が居るんやなってのを知って、気紛れでウッカリ一枚だけ買った1960年代の彼等のアルバムが…。

って本来のHeavyとは一寸違うとは俺だって思ってっけど、あんなに心の底からズーンと持ってかれちまうとねえ。
でこう云うのが歴が長くなれば何れは何処かで出逢えるかも知れんが、もし合奏する相手にそんな傾向の人が居たらもっと簡単に早く知れちゃうんだ。

自分のノリはジャストのつもりで今迄人と演っても実際そうだったのに、↑の人が加わった途端どうもこっちが浮き足立ってる様に聴こえたりとかさ。
のを違うメンバーので聴くとそんな感じは微塵もしなかったりがあって、事後検証可能なら恐らくノリの重い者ばかりが集ってたんだろうけどね。

コレ差し詰め百聞は一見に如かずの音楽版で、自身で直接対決した方が手っ取り早いんだ。
言うなれば演る側のベーシックマーケティングみたいなもんで、良し悪しや売れる売れない以前にどれ位ノリには振り巾があるもんなのかの下調べにもなってるんだ。

-続く-

2024年10月15日 (火)

音楽備忘録1886 エレキBassのCreamyな音色の魅力➍

前3回で大凡の意味と葛藤を綴ってみたが、そうこうしてる内に進んじまった状況の変化も考えなきゃいけなくなった。
ノスタルジーやトリビュート以外で、Flat弦デフォ当時みたいなアンサンブルが死滅してたんだ。

その筆頭はRock系小編成アンサンブルでの、Off Mic収録がほぼ無くなった件ざんす。
こればっかりは已むを得ぬ事情があって、毎回曲・アルバム毎にマッチした良好な残響を得られる場所の選択と確保はとても困難だもんね。

昔みたくMicの本数が足りない・レコーダのトラック数がぁからほぼ開放されたとなりゃ、一部のヲタやニッチを除けば取敢えずOn Mic収音を選ぶのは至極当然の成り行きだ。
だがそれに依って不要なケースでも妙に明瞭度が与えられ、生でなら今でも充分通用する音色の幾つかが合わなくなっただよ。

杜撰君世代にしてみれば過去には全く予想出来なかった状況で、過半数は録音作品より生の方が良いってのが覆りやがってん。
かくなる上は音色で削るとか制限する方法では駄目で、新たな何かを加える方向で解決を図らねばならない。

そこから考えられるのが各帯域の質とバランスで、低音の量が一定値を超えると高音が駆逐される現象の魔用とかだ。
平均的音色の際どれにしといても低い音程だとザラついたりは稀になってて、そりゃかなり思い切って中低域をケチれば低音程でも硬質な音は出せるけどさ。

でも一般認識のエレキBassの典型的な範囲に留めてたら、最低でも4弦か3弦迄は自動的に丸みのある音色になってまう。
だからこそ1・2弦が異なる性質の音色となり易く、DrumsetのTomとFloor Tomの関係なんかと同列だ。

両者で異なるのは通常後者は違うものとしての存在意義が高く、物理的仕様差よりその殆どはチューニング等を変える事で差別化が図られてる。
のがBassではそれが色々と困る方が多くて、先ずピッチが自由にならないかんね。

故にスラップ専業奏者で1・2弦ではプルしか演んないなんて人以外は、多くのBassistは程度差こそあれもし自覚が無くても直面してる懸念なんすよ。
それもあって過去に数度意図して中域を増量したら、「君の音色じゃない」と糾弾される事故なんかが起きちまった。

こっちとしちゃタッチ感の増量とオクターヴ上フレーズを使い易くする為で、敢えて妥協したつもりだったんだけどね。
音色的な重厚感とかエッジが従となったせいかけんもほろろの塩対応、説明する意欲さえ萎える有様どした。

事後分析すれば少々安直のそしりを逃れないかも知れんが、誰にも一番敏感な中域は実際弄り難いとは思ったさね。
かくなる上は前述低域と高域の内容で、バーチャル中域増量を試みるしかないと。

のだけだったら現代的なグライコとかが搭載されてるAmpなら比較的簡単だろうが、その部分迄真空管で回路構成されてるのは過去を全て含めてもとっても希少。
幸運にもそんなのが手に入らない限り中域の押し出し感の強い球を、わざわざ妥協してもこの件では本末転倒なのだ。

=つづく=

2024年10月14日 (月)

音楽備忘録1885 折角弾けるのに勿体無い⑤

さてこの案件誤った羞恥心の訂正と柔軟な対応力を持つのが鍵の様だが、杜撰大王的にはそれ以上にサービス精神の問題なのではと思ってるんだ。
本当に暇潰しだけが目的の個人趣味なら兎も角、突如他人を楽しませる事の難かしさと天秤に掛けてご覧あれ。

誰かと暫く同席する事になった際、相手が飽きずに会話が途切れないならそれも良い。(トイレ休憩等は除く)
だが凡人でそれがある程度有効化するのは豊富な体験・知見を得てからで、それも少しでも話し方を誤ると忽ち老害認定を喰らったりする。

低音質な音通信だと会話位しかマトモに出来ないが、アマチュア無線が過去帳入りした今では滅多にそんな場面は無い。
又今劣化本邦では在留外国人が少数な上、愚民レベルでは過度同調圧力のせいか日本語以外には反応しなかったりしてるべ。

けど大陸みたいに地続きだったら、日常的に前例の無い国からの来訪者があるかも知れない。
真のグローバルを標榜するなら文章や会話だけのコミュニケーションに依存するのはお門違いで、他にももっと様々色々な方法があるじゃん。

日本視点で西欧だとゼスチャーの多いのが目立つかと思うんだけど、アレって必ずしも文盲率が高いからとかじゃねえでっせ。
もっと単純な動機の方が優勢で、要するに人と人の平均距離が遠目になり声より大袈裟な動作の方が確実だからなんだよん。

他にも大規模建築はほぼ石製オンリーでやたら残響が多かったりするから、その点でも肉声のみ依存はこっよりかなり不利なんじゃないかな。
日本式だからとか固有文化を大切にするのと、状況に応じた最善コミュニケーション手段を選ぶのは全く別の話しっしょ。

ので例えばある程度弾ける人がド下手な口真似をするよりか、現物があったら直接弾いた方が相手に分かり易い。
って処で半恒例のプチ余談で人次第で絶対音感優勢なのと相対音感優勢なのがあるが如く、音の敏感度でもニュアンス・表情・音程・テンポ等かなり色々おま。

最終的には↑次第で伝わり易い方法が変わるが、それだからこそ一応でも「弾けるという特権」にも固有の価値が御座居。
発音が悪いから少し知ってても絶対に英語では言わないなんてのも普段は良いが、万策尽きて迄頑なにそうするのって考え様に依っちゃ悪い意味でのこっちの我儘だ。

その様な状況下で相手は発音の良し悪しなんて眼中に無く、唯々こっちの一挙手一投足から何か分からないかと観察してるだけ。
無論発音が悲惨過ぎたり基本条件を間違えてたら通じない場合もあるが、変な話し通じなかったら英語とすら相手は思ってないから恥をかく心配はご無用なのだ。😵

音楽なら異言語でも通じるったって該当する程世界的に有名な曲・メロはかなり絞られるし、ジャンル的に好みから外れてたら全然知らなかったりする。
から失敗しても減点は無く、唯残念乍ら加点にならないで終るだけなんだ。

=つづく=

2024年10月13日 (日)

音楽備忘録1884 映画・TV等への専門家が作った音楽⑭

忘れた頃に出現する前回補遺から参るがドキュメンタリーや史実ネタなら兎も角、空想のだと場合に依ってはその不正確さが却って功を奏すケースもあった。
のが過去述Patrick Williamsに依るThe MagicianのOP曲で、ラッパだけなんちゃって中近東風なのが絶妙だった。

一方でQuincy Jones等はなまじ本格派Jazzの偉人であるが為、この方面の限るとIronside以外は杜撰大王的には突出してるとは言い難い。
尤もこの辺は従事開始時期も関係してそうで、本職だったJazzは’50年代から活動してたがこっちも手掛ける様になったのは’60中頃からと時差がある。

映画音楽スタートじゃない人では私的にはLove Unlimited Orchestraを率いて登場したBarry Whiteが極上で、他に関与した達人・名曲もそこそこあったがどれも短期間とか単発のケースが多かった。
個人的趣味の影響も否定こそ出来ないが、このオケだけ他の有名処に無かった特異点があった。

のは当時映画音楽に従事してたのはClassicかJazzに基づいてた人ばかりで、欧ではFrancis Laiそれより段違いで米のBarry Whiteはそこが異なった稀有なケースでね。
と言いつつ例に依って比較的最近迄はちっとも気にしてなかったんだけど、杜撰君が妙に惹かれる原因がココにあった様なんだ。

前者はChansonやFrench Popsだからまだ地域的にも理解し易いが、後者はなんとFunkルーツの上にあんなのを築いてたんだよ。
確かにCurtis Mayfieldとかもそっち系出身だけど、彼等は殆どそのままでイージーリスニングになんか変換してなかったからねえ。

で具体的には何処が異なってたかってば、より感性主導のアプローチが為されてた処なんだ。
この辺はその後に一時期ブームになったSmooth Jazzに近い物があり、良い意味で幼児やド素もメインターゲットとしてた処にその真髄があるねん。

確かにⅡでPaul Mauriat・Raymond Lefèvre・Henry Mancini・John Barry等その筋の達人の方が若干格調の高さこそ感じられるが、映画音楽としてそれ等は常時必要な物じゃないんだよ。
ってかそこに拘るならベルリンフィルや米でもフィラデルフィア管弦楽団にこそ求めりゃ大満足出来る訳で、だからって決して無用と云う訳じゃ無いがね。

けれど対極にある直観的共感力とかそっちの方で、White先生の手法には圧倒的優位性があったんだ。
アイデアを具体化する際概知既存の手法が適合しそうだとつい選択だけに陥り易いが、真のベストフィットを目指すにはそれでは最善とは限らないんだ。

勿論それにはより鋭敏な感性を必要とするが、形や枠に捉われず試行錯誤するにはさ。
白黒比だと元々感性主導は黒の方に分があるが、なまじ誰かさんみたいに知識量が多いと黒ですらそっちへ引き摺られたりするんすよ。

何より我々Rock系にとって有難いのは、あまりJazz固有の手法を使わないで賄ってる処でんがな。
この時代のJazzルーツの人達は特にリズム隊がほぼJazzのままなんで、それが引用等にそこそこ障害になる事が少なくないんだ。

=続く=

2024年10月12日 (土)

音楽備忘録1883 人力生演奏のススメ➋

幕開けに私的動機を綴った処で、このお題にも各自の腕前に即した段階っつうのがある。
それを知らずに挑戦すると真価を誤解する危惧があるから、先ずそれから行ってみよう。

何か奏でられるそれなりに熟達した楽器があったなら、私感では打込みより感性ダイレクトに演れるのが兎に角楽だ。
ってアンタ打込みの腕がまだまだだからじゃねと言われたら否定は出来んが、人間様はAD/DAコンバータじゃないから感性で出来上がってる物を一々数値変換するのは億劫だ。(実際は脳内で無意識に同様な事をしてるが)

その作業で私的に一番危惧してるのが源イメージの薄弱化や欠落で、返還に勤しんでる間にウッカリが起きるのがねえ。
その中での3つの私的懸案の最初がリズム(ノリ)面で、元が一択の感覚依存なだけにこいつは実に厄介だ。

のから逆算するとノリが自由にならない内は、それが人力でのメリットにはあんまなんない。
んがかと言ってそれだけで利ザヤが無いかってばまだあって、それが人の気紛れへの随時対応だ。

余程の打込み達人で無い限り気紛れの繁栄には時間が掛かり、特に奏でてその成否を見極めたい時なんかは判定する迄のプロセスが面倒過ぎる。
と言うのも成功率50%以上の見込がありゃまだ良いが、手当たり次第お試しするには駄目な分にまで掛かった手間暇は完全に無駄になるからね。

ほいでホントに怖いのがその先で、誰でも無駄や非効率が嫌な為にチャレンジ精神が減退する事だ。
特に自信が無い程演奏のせいで没になるのを気にすれば、打込んだ結果で判断したいとか思っちゃうじゃん。

そうこうしてる内に自信の無さが増大するは打込みの手間に耐え兼ねるはで、何時しか当初から確証のあるの以外試すのさえ躊躇う様になったりさ。
元来は自身にフィットしたのが足りないのが自信不足の一因になってるかも知れないのに、そんな境遇でチャレンジを減らしちゃったら光明が射す訳ゃねえっての。

ついでで俺知りを披露しとくと、打込みメインの所謂ボカロPで名を馳せた多くは弾けない人じゃ無かったんだよ。
夫々の事情で人力演奏の公開を遅れさせてただけで、って事ぁ完成品では打込みにしてても思案する段階では手弾きで色々試してた可能性が大いにあるんよ。

それと初期からじゃ無かったかも知れんが他人との合奏に割と積極的な様で、作曲自体は孤独な闘いに明け暮れてても決して他の存在を否定しては居なかった等ね。
なので必ずしも固定したBandでは無くても、この件に関しては全然OKなんだ。

最もそれを地で行ってるのがJazz系の人達で、インプロビゼーションが命脈なだけにかなり広範に積極性を持ってる様だ。
その意味で対照的なのがClassic系で、しかし必ずしも人嫌いな訳じゃ無く自身の追及で多忙なだけだ。

音楽やそのジャンルの成り立ちからしたら異常だが、今劣化本邦ではポピュラー系の人程結構頑なな印象を受ける。
確かに昔とは比べ物にならない程発展・細分化した都合も分かるが、どうせ本番時には他の人達と一緒になるんだよね。

底辺に居る場合は出られる場所は自ずと限られるし、天辺に居る場合なら紅白歌合戦で他の者とやはり同席させられる。
結局纏まってられるとしたらどっちでも無い中途半端な時期だけで、しかし「違う人」も居てくれると助かる面もあるんだなぁ。

-続く-

2024年10月11日 (金)

音楽備忘録1882 エレキBassのCreamyな音色の魅力➌

さてRound弦での代用方法だが、完璧にそうするのは無理だ。
ってそれなら不毛な議論の余地は消失するが、飽く迄「オクターヴ上のフレーズ」を有効化させるのが目的なら話しは別なのだ。

杜撰大王の理想では常用機種でFlatとRound張りの2本体制だが、使用頻度やコスト・維持費の都合で実現しそうに無い。
それでも完全に諦めてないのは常用機種の特異性があるからで、実はここにこそRickenbacker4000シリーズの存在意義があるんだけどね。

テーマから逸れるんで一言だけにしとくと、Flat弦でも並のRound張りに負けない明瞭度を出せるんだ。
現に過去名作でどちらの弦が張られてるか紛らわしいのが散見され、この方面での学習初期段階にはそこそこ惑わされたよ。

わ兎も角この件の根幹は各弦・音域での不要な音色差の生じる事で、それに依って音量や明瞭度果ては楽器種の固有性が損なわれる事なんだ。
これは音域の広さだって影響するが、経験的には低域になる程起き易くてねえ。

エレキの場合倍音とPUやAmpの帯域の関係で、高域は頭打ちするんでこの件ではまだ救われてる。
Bassは未だしもGuitarのハイポジションには典型的に表れてて、使用弦の相違等が殆ど分からなくなってるぞ。

の通りBassではそんなに顕著じゃないが少なくとも典型的なAmpスピーカ経由だと、変な話し低域を一切盛らなきゃそんなに高音程域で音痩せはしない。
のは高音程域ったってBassだからそれでも音程域が他と比べたら低く、ファンダメンタル(音程を司る成分)は余程無理して出したハーモニクス以外中域の上には出ないからだ。

その逆に低域の方は盛り方次第じゃ4弦だけとか3,4だけが肥満化し、2弦1弦には殆ど効かないケースがある。
これが少々厄介を招き、アンサンブル自体の低・高音のバランス次第で適・不適にかなり極端に割れちまうんだ。

音波の原理としてはオクターヴ下がると波形の間隔も山谷の高さも倍でイーヴンだが、数多の楽器の殆どはそう云うバランスにはなってない。
では該当するのはってば発振器とかSyntheの無加工正弦波とかで、実際そんなじゃ個性はおろか楽器の音色とは聴こえなくなってたりするやんか。

ので適宜妥協点を模索するが最適バランスを求めると、そのポイントはかなり変動しちゃうしさせなきゃなんないんだよ。
安易で単純な対策だと単に楽器のToneツマミを絞るになるが、似るのは瞬間的な音色だけで質は全くと言って良い程別物にしかなってくんない。

実際緊急時orその場の思い付き等ではそうした事もあるし、↑の電気的定数をかなり色々試してみたりしたんだけどね。
オクターヴ上フレーズが演り易くなる事は無く、残念乍ら弦のRound固有の成分は遮断し切れなかったよ。

Guitarなら弦の種類は無理でも、フレーズに関しては殆ど影響しないんだけどさ。
これからするとBassではToneツマミゼロにするのはかなりリスキーで、今迄そうしてる様に聴こえたのの大半がそうじゃないのかも知れぬぜよ。

=つづく=

2024年10月10日 (木)

音楽備忘録1881 折角弾けるのに勿体無い④

っつう事って現状不満な奏力での恥について掘ってみたけど、評価が相手の勝手なだけに色々腐心しても大した意味が無いのはご理解頂けたでせうか?。
あと1つだけこの件で追記しときたいのが、エゴやナルシズムの上手な処理の仕方ざんす。

生身の非聖人君主に熟練僧侶みたいなレベルの達観は無理ってもんで、けれど身勝手で過剰な期待を抱く等の手前なら誰でも手に負えるでよ。
こう云うのってエンターテインメントの基本条項で、どんなに狙ってて全くウケなくても平然と受け止めなきゃアカン。

その点お笑い芸人と比べるとミュージシャンって尊大なのが多く、尤もお笑い芸人だって舞台裏じゃ酷いのが結構居るけどな。
何故突然エンタ話しを持ち出したかってば、演じるのが何であれ必ずウケる保障なんて無いもんだからだ。

こちとら下品で低俗なギャグと違って…って崇高な意識で居たって、お客さんの趣味嗜好は千差万別な上随時流動性があっても不思議じゃない。
かと言って常時宝くじみたいにギャンブルフルでは弱っちゃうが、それを克服出来るとしたらその時のお客さん達の要望を少しでも読み取るのしか無いよ。

仮にバリバリ洋モノメタラーだったとしても顔立ちや容姿事情で和ぽかったら、相手は何処となく和の要素が出て来るのを期待するかも知れない。
その一具体例としては来日した外タレが開口一番下手クソでも日本語で挨拶してくれたりすると、たったそれだけで妙に観客が喜び興奮したりするアレだ。

のをベーシックなコミュニケーション視点で捉えれば、一方的になるのを半ば覚悟してたが相手からのささやかでも歩み寄りがあった事を喜んでる訳だよね。
のをもし自分のジャンルだけに頑なになってると、そんな場面では対応力を封殺してる事になるだよ。

先ずは挑戦してみるのがとっても大事で、上記例で言うと例え何と言ったか分からなくても決して減点にはならないでしょ。
何せ外人の発言なんだから分からないのが普通で、少しでも理解出来たら儲けもんなのさ。

そんなウケたら儲けもん・外しても損失無しのを見つけるのもコツの内で、相手にとってもこっちにとっても「偶然拾った宝くじ」みたいなもんなのさ。
一介のメタラーへの観客の例えば演歌期待値はゼロに等しく、最初からそれらしく奏でられる必要なんて全くおまへんと。

現実には専門のの方が少し怪しいだけでも大問題で、安易にひけらかすと事故の元だったりするけどな。😵
結局はまだ達人じゃねんだから下手だと思われたって当然、専門外のは上手く通じなくても是又当然とかって覚悟が最初に持ててないとさぁ。

ってかそもそも練習初期段階では出来ない方よりか、何か1つでも成功の片鱗が見えただけでも喜んでたんじゃない?。
杜撰大王流究極の体裁は呼吸で周囲の空気すら汚さないだが、生きてりゃ無理だし死んだら死んだで腐敗でもっと迷惑を掛けるんだってな。

=つづく=

2024年10月 9日 (水)

音楽備忘録1880 映画・TV等への専門家が作った音楽⑬

例に依って大回りになっちまうが前回後部述「名人と素人の距離感が近い」のって、どんな分野でも結構大事なんだよ。
無論名人の舞台裏ではかなり異なるものも多いだろうが、原点の感覚的共有がさ。

映画音楽っつう分野はこれが顕著に出る1つの典型で、技を見せたり論理で唸らせたりするのはずっと下位に位置してるからなんだ。
ってか一部ヲタ以外向けではそもそもそんなのが存在しないんだが、最大派閥の庶民感覚・感情に疎かったら世間の共感が得られないもの。

この部分ではJazzでもヲタ向けとは正反対の方向を向いていて、そこが担当分野に詳しくなってく程結構難しい。
今劣化本邦の悪政は根源こそ壺にあるも、政治屋二世三世が主流にあるのも又よろしくない。

一世の教育論が良好ならまだ二世には伝えるだけはするだろうが、世代が進むにつれその独特で世間から隔絶した感覚にどんどん蝕まれて行くからねえ。
要するにそんな裸の王様みたいなのが、映画音楽では最も全く通用してくれねんだ。

杜撰大王が米でも近年のHollywood物やDisney物音楽の評価が、一般世間に逆らって低いのはこれもあるんだ。
尤も初代だけが世間の認知を得る突破力を桁違いに必要とし、後発になる程踏襲するだけでセーフになったりするのはどちらさんでも同様ですがね。

で柔軟性・対応力に関して合衆国だとその多様性の点で明らかに有利で、しかし年々その効力が弱まったのは国としての米の権威が上がったり安定した仇だろう。
若者だと多分実感し辛いだろうが’60年代位迄、深層心理では米は欧に舐められてたんだよ。

米って第2次大戦前後から目覚ましい発展をしたものの、音楽界では誰かさん達のせいで起きたBritish Invasionのせいで欧覇権の寿命が延長されたんじゃないかな。
Rock自体の発明・発祥で米は折角リードしたのに、その後足踏みしてる内にBeatles等に根こそぎ持ってかれちゃってたからねえ。

と云う様なバックグラウンドがあっての米の台頭なんで、結果を素直に尊重してるだけで杜撰君は決して米至上主義等では無いんでやんす。
なので今更変な思い込みしてる人は殆ど居ないと思うけど、国が何処だからってのと映画音楽への杜撰流評価には一切関係はおまへん。

この件での好条件がたまたま揃ったかの地で、その有効活用が大成功を収めたに過ぎないと思っとりゃーす。
この現象は他にも色々実在してるが、要は強力なライバルが身近に常時存在してたからなんじゃないかな。

何より今では確固たるアメリカ風とか流が確率してっけど、当時は歴の浅さから100年物のスタンダードには至れてなかったからね。
それを成すのに旧来ネタの方が多かったりすると、新米流じゃなく欧とかアジアの焼き直しとか亜流と見下されちまう。

っつう事ってアイデアの拝借先も実に斬新且つ豊富で、とってもインスタントなのから本格的なの迄実に様々だ。
その結果現代グローバル感覚にはもうそぐわなくなっちまったのもあるが、異質な物の融合方法としては未だ有効なんじゃないかな。

=つづく=

2024年10月 8日 (火)

音楽備忘録1879 人力生演奏のススメ➊

以前から打込みの方法が進化しないならで述べて来たが、今回はある曲を聴いてまざまざと感じたのの件だ。
思っていたより遥かに躍動感に溢れてて、思っていたより遥かにRock色が強く時代の先端を行ってたんだ。

のは訊いてズッコケないでおくんなまし、科学忍者隊ガッチャマンのOPだ。
歌はFunkyな子門真人だからまだ分かるとして、作曲が小林亜星なのにどうしてああなったかは今の感覚だと一寸不思議。

日本でも’70年代の子供向けは斬新さや当時の最先端流行がふんだんに取り入れられてたんだが、その頃普段はAl Green等の黒系やGlam・Hard系等を愛聴してたもんだから取り立てて気にはならなかった。
大人向け王道作品だとそこ迄じゃなかったのは、もしコケたら困るから大胆な冒険がし辛かったのかな。

ってのも事後検証で炙り出されただけで、リアルタイムでは単に好き嫌いやカッコ良い悪いだのだけだったんだけどね。
そもそもたまたまその頃子供だったから身近だっただけで、今のアニソンヲタみたいなのは俺には欠片も無かったん。

何れにせよ上記の様な傾向・背景があった様なんで、当時のアニソンや子供向けは比較すれば元気なのとか挑戦的なのが多くはあった。
が録音やアンサンブルの編成等欧米比では明らかに古臭かったし、サウンドの個性・独自性でも劣るっつうか時代遅れな部分があったのは確かだった。

私的なその嚆矢はDrumサウンドで、例えばローピッチやハードミュートされたSnare等が用いられるのはもっとずっと後になってからだ。
Guitarにしてもワウペダルのチャカポコなんかは大流行で入ってるが、肝心の歪みは殆どがFuzz系依存で明確にAmpをOverdriveさせてたのはこの系統だと記憶に無い。

のに久々で耳にして一体何処にノックアウトを喰らったかったら、リズム・スピード感・躍動感でかなり秀でてたんすよ。
サウンドだって時代性を無視したらそんなに悪かねえんだが、アンサンブルの熱気(それは主にノリにハッキリ現れてる
)が現代作品だと到底比肩するのが見つからなかったんだよ。

正味な話し演奏の緻密さや精度では明らかに今に劣ってるけど、それだけが音楽・曲の優劣を付けるもんじゃないしトータルで魅力的か否かってったらさ。
繊細なBallade等なら未だしも、この手のは幾ら緻密・正確でもついつられる様な勢いが無かったら駄目じゃんか。

要するに少なくとも杜撰君内では欠点を魅力が遥かに上回ってて、それが曲や作品の好評価に直結してたん
だよ。
今時分だとバーチャルゲーム等の方が身近な人も増えたんで、ニーズとしては生の躍動感はそんなに求められてないかも知れないけどねえ。

だが同じ編曲同じフレーズだったら、この曲程度になると打込みじゃどう頑張ってもここ迄には出来ないんだよ。
処がそもそも生躍動感の典型的実演に触れた経験が
無いと、「何処迄盛り上がれるか」の限界点も分からない。

かく語る杜撰君でさえちゃんと聴くのは久々にして、あれこんなにイケイケだったかなあと思った始末で。
奏者の立場にある者が欠点極小化方向へだけ耳を傾けてると、偶然でもここ迄は多分演れない。

流石に普段の録音技師やプロデューサはそうは行けないが、彼等は彼等で魅力の創出は作者・奏者程には実行出来ない。
今劣化本邦の現況って差し詰め遅球投手と剛速球捕手のコンビみたいなもんで、やるべき仕事があべこべになっちゃってんじゃない?。

-続く-

2024年10月 7日 (月)

音楽備忘録1878 エレキBassのCreamyな音色の魅力➋

前回末尾の「オクターヴ上」とはエレキBassで出せる各音での最低音程の1つ上なんだが、アンサンブルでの最低限の使命「ルート明示」だけだったらそんなの使う義理は無い。
但しそれが成立するのは他の各パート全てが、「被らない音域」だけを使用してるのが条件だ。

鍵盤と違って弦は遠く離れた2つの音程を同時に鳴らすのが苦手だから、普段上へ寄せれば上・下へ寄せれば下の比較的狭い音域を使う事となるんだ。
ので鍵盤不在で例えばGuitarがGuitarとしての中音程域を使ってたら、Viola音域は賄えるがCello音域が出せなくなってる。

その時少し中抜けして構わないなら良いが、塊り感が要求されたらBassも上の方へ移行するのがベター。
等実際のアンサンブル内ではそんな事も起きるから、単純に楽器の音域だけで棲み分けさせりゃ大丈夫とは行かねんだ。

寧ろ音色差からの棲み分けの方が重要で、古くはClassicオケで既にその具体例が多数見られる。
それからするとGuitar系メインのアンサンブルで、エレキBassには差し詰めContrabassとCelloの両方の音色が初期段階では要求されてるって事った。

のがエレキBass黎明期に王座に付いたヤツがたまたま中域中心の音色だったが為に、Hi-Fi化し出す迄は注意する必要が無かったんだよ。
或はそれが分かってて音色形成されてた可能性もあるが、何れにせよ各方面とも熟成が未達だったから到底Contrabassのローエンド等には対抗出来てなかったと思うよ。

又アコースティック発音の金物系以外では高域量も出せる限界が低く、今ではより煌びやかなエレキも当時のは意図的に倍音を目立たせられる程度でさ。
実際には生楽器よりかなり所謂狭帯域で、その代わり纏まりって点では扱いが楽になったかな。

わ兎も角電気楽器でGuitarや鍵盤のデフォルトメロ音域の方がより高域が必要だからか、或は足りない低音を相対的に目立たせる為かBassは「ハイを出さない」音色が中心になっただよ。
のとJazzでより好ましい音色を求めてかFlat Wound弦がデフォになったが、恐らく技術的にはRoundより後発の進化形なんだ。

杜撰君は世代的にFlatデフォの末期世代だから意外だったが、製造技術難度を考えれば当然の結果だった。
断面が☐の線を巻くとか○線を巻いてから表面を平らに削るとかしなきゃ、表面ツルツルにはなってくんないかんね。

そうして初めて得られたCreamyな音色が、コンバス一択当時では選択肢に無かったフレージングを可能化したんすよ。
だからって今更高価なFlatを全推しはしないけど、それで成立するようになったフレーズは決して無視は出来ませんって。

明瞭度や現代ニーズ全体では勝るRoundも、この面でだけは代用するにはそこそこ音色の工夫が必要でさ。
直接中域を増やさない迄も、「中域を感じさせる」エレキBassでの高域の下の方とかで補填しないとならないんだ。

具体的側面は例に依って長くなるから次回送りとするが、かつて出せなかった・拾い切れなかった低域を特定中高域で感じさせるのなんかと大体同じだ。
最典型例としてはBeatles時代のRingoのDrumサウンドで、意図的に「皮が揺れてる」成分を前面に押し出してたよね。

=つづく=

2024年10月 6日 (日)

音楽備忘録1877 折角弾けるのに勿体無い③

現況の諸悪の根源は悪政なのにその理不尽をSNS等の暴言で発散するのが多いから、誰もが他人に隙を見せまいとなるのは仕方無い。
だがある程度は勇気を出してそんなのを打ち破らないと、自身に必要なプレゼンさえ出来なくしちまうよ。

いや飽く迄個人の秘密の趣味だからとか上手くなれなくても独学でやるからなんて思ってる人、どんなに慎重に事を進めても他人にバレたり関わりを途絶するのは無理でげすぜ。
を例に依って敢えて秘密主義肯定論から考察してみると、先ず楽器や関連道具の入手はネット通販にすればほぼ心配は無い。

但し大柄な生楽器は例外で生ピ等は専門の運送・設置を業者に依存しなきゃなんないし、運んだ時の振動等の悪影響から逃れられないから最低でも初回だけは調律師にも世話にならなきゃなんない。
仮にそれはクリアしたとして今回考えて欲しいのは、所謂「独学」の正体なのだ。

狭義の概念では個人だけで熟せるが、実際には様々な場面で他人の助力があって初めて成立するもんなのだ。
その1として教わるのを極力避ければ教師の世話にゃならずに済むが、間接的ではあってもマニュアルやテキストは誰か先人がこしらえた物。

それを幾ら読んでも分からなかった時一般学校受験のなら参考書等豊富だが、個別楽器の演奏のだと書籍だけに頼り切れないのがちょこちょこ出て来ちまう。
そうなると知識の段階で例えSNSを通してだろうと、質問する等誰かとのやり取りの必要性が生じる。

それ処か演奏って「実技」なんで全く実地訓練レスってのは厳し過ぎ、運転免許だったら教習所のコースも仮免での練習もせずに免許を与えて大丈夫なのかってなもんだ。
それ故結局趣味でも有意義なものにしようとしたり僅かでも向上させたいと思ってたら、独学だから講師不要なんて考えたら大違いなんだよ。

一般感覚的に先生居ませんと感じるのはアリでも、年下の友人からプチアドバイスを貰うだけだってミクロ先生が実際には居たも同然でっせ。
独学と習ってるの実際の差は特定の練習日時・場所・講師の有無程度で、俺言い活発な独学をしてたら寧ろ先生の人数は何時しか桁違いに膨大になってる筈だ。

なのでもう練習の時点から一定数の他人にネタバレしてる訳で、唯その各人に何度もは聴かれてないからきっとあまり自覚が残ってないんだよ。
それって思春期の男の子がエロ本を上手く隠し通せてると勝手に思ってて、狡猾な親は状況把握の為にとっくにバレてるのを黙ってるだけみたいなもんすよ。

ひた隠しにしようとするよりバレてる前提の対応を考えとくべきもので、それに有する勇気はほぼ初回1回のみ。
何より正式に習ってない人への期待度は低いから、よっぽと変態的な失態を演じない限り他人は逐一詳細になんか覚えてないさ。

を逆典型例の提示で補強しとくとある時桐朋音大現役生と知らされてそのViolinの腕前に期待したっけ、オタマトーンやテルミンより音程が曖昧で悪い意味で強烈に印象に残っとりま。(容姿端麗で音程以外は全てハイスペック!!)
肩書で勝手に想像するのは俺も含め今劣化本邦人の悪い癖だが、少なくとも音が良くは分かってない一般人がスペックを頼るのは仕方無いけど同時に「恥ずかしい音になる」のも仕方無いぞ。(現況はあまりに度が過ぎてるが…)

=つづく=

2024年10月 5日 (土)

音楽備忘録1876 映画・TV等への専門家が作った音楽⑫

さて絶妙なムードとか独自の雰囲気では一歩譲る米だが、それ以外や全体としての力はやはり上だ。
この辺は専門家以外で携わる人に違いのあるのも関係してそうで、又オケにしても長い伝統を持ち得なかった米ではJazz系等の方が質・量共に勝ってたのもね。

一面で映画音楽と最も結び付きのあったのがJazzとも看做せ、全盛時期的なものの他Jazzは「制約が最小」なのも大いにあったろう。
その時期毎に流行りや王道のスタイルっつうのはあったけど、ちゃっかりウケ狙いしてただけでJazzは本来全く自由なのよ。

寧ろ昔前衛音楽の存在を一般市民が非認知の方が多かった頃は、訳の分からん音楽は乱雑にも皆Jazzの括りに入れて片付けたりしてた位でね。
Rockでも発展途上期には同様に難解なヤツは、何でもプログレだなんて今からすりゃ何といい加減で雑な分類で。

こんなのは主に知識と経験の不足してたトウシロ中心の反応に過ぎないが、世の中時々そんなアホで単純なのが決め手になる事もあんの。
音楽のドキュメンタリー映画ならいざ知らず、それ以外の膨大な映画の音楽ってな基本音楽家や音楽ファン以外がメインターゲットになるよね。

その為自ずと理屈や技とその理解なんかより、圧倒的に雰囲気だの世界観だのが勝負の分かれ目になるですよ。
端的に言やドレミかシレソのどっちかより、怖いか抱腹絶倒か殺伐かハッピーか等の方がさ。

もしかムードだけの方が簡単と思うかもだが、実際寸分違わずのイメージを出そうとすると他の何より大変でっせ。
昨日と同じ量の塩をちゃんと計って入れたのに、食べる人の体調や気分次第で昨日は薄いと言ったのが今日は濃いなんてのが平気で起こる訳だからね。

そりゃなるべく大勢に認めて貰うのに音程やリズムは良い程良いけど、全く出鱈目でもイメージピッタリならどんなに酷い演奏だってその方がマシと。
まあ実際のアンサンブルの録り現場では譜面も指揮者も使ったりゃするが、Classicより遥かに目安でしかなく感性最優先なのは確かずら。

そんな情景で思い浮かぶのは例えば実際あったかどうかは知らんが、岡本太郎が「芸術は爆発だ」と吠えそれを受けた山下洋輔が訳の分からん変なのを即興で応じるみたいなね。
米Jazzの全盛期はエンタメの絶頂期とも重なってたんで、上手く実例は上げられないけど日常的にShowでそんな真似も演られてたんだ。

その残像?!が杜撰君世代では当時は知る由も無かったが、TVCMでも人気を博したSammy Davis Jr.ですわ。
後にJazz全盛時のミュージカル映画を覗いてみると、彼以外の超大物も次から次へと止めど無く出て来て色々やらかすは…。

これ実は日本でも’60年代を中心に、名優・名奏者から芸人・アイドル迄が混然一体となって出演してたんだよなぁ。
つまり現時点迄で雲の上の人と一般庶民の距離感が、実質無かったような状態で。

今で例えるなら日曜のローカルなリトルリーグの試合に突如大谷翔平が現れて、全く当然な顔と態度で試合に参加する様なもんすよ。
恐らくそんな調子だったから、素人(部外者)の無茶な注文に応えるのに今より全然慣れてたんじゃないかな。

=つづく=

2024年10月 4日 (金)

音楽備忘録1875 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➒

この項は久方ぶりでサクッとまとめに入って、ダラダラ続くのを防止する事にしよう。
何しろ小技で珍しいのも全部含めるとなるとキリが無いし、そもそも杜撰大王如きが全数を把握してるとはとても思えないしね。

けれど聴いた感じ・雰囲気を最重視すると、技使用の有無やそれが正統派か邪道のかなんて一切関係無いんだ。
大体に於いてその正統・邪道を誰がどんな基準で決めるのかってのと、それで最大公約数が得られたって全員が納得するとは限らない。

その上寧ろこう云うのは人次第で無限の判定がある方が自然で、感性へ訴えてる限り本当に完全一致なんかしたら気色悪いのだ。
天然状態では一卵性双生児でさえそれなりの相違が生じるんだから、近未来的思考をしたらそいつ等は最低どちらかがクローン(複製)なのを疑った方が良い位だ。

なんてのは飛躍し過ぎだとしても、言葉の上での完全一致も夫々の内面とのリンクの仕方迄明確に分かるもんじゃない。
しかし音楽での共感如きは極部分的なのでも全然OKで、たった1箇所でも「通じる」のが大切ですよ。

それは母国語の異なる同士が、数少ないごく限られた両者が知ってる単語を見つけて喜ぶ様なのが基本じゃないかな。
但し音楽でのそれは究極的には一瞬の雰囲気のみで、それが醸し出された理由すら一々知る必要が無い。

のって↑の単語共感では会話時だからスペル迄分からなくても平気なのと同様、誰がどうしたからそうなったかは不問なのだ。
そもそもある特定の雰囲気の得られる手段が唯一とは限らず、実体験過去例として一聴バスドラと思ったのがSnareのゴーストノートだったなんてのがあるでよぉ。

現行デフォルトの録音音質では滅多に幽霊は出なくなっちまったが、PA不使用の生アンサンブルならまだ守護霊は健在って感じだ。
チョイと脇道へ入るが著しく高音質化した裏で私的には、Snare音の内「ぶたれた成分」だけは年々悪化の一途を辿ってる気がするな。

物と物がぶつかりゃ高域が目立っても必ず中低域も出てる筈なんだが、どうも録るとそれがかなり削られてる様な。
それが物理的に事実だったら、そりゃ「バスドラの幽霊」(実際はSnareのゴーストノート)に聴こえなくなっても当然だからねえ。

この手の奏法にとっちゃ↑みたいな環境変化は逆境に違いないが、だからって殆どのの活用を放棄したらもっと苦境に陥るだけなんじゃないかな。
高音質化したって事ぁマイナスの方が大きいにしても、かつては効果が少なく使えなかったのが実用領域に入ってる可能性があるんだよ。

なので「んなアホな」「きっと駄目だろう」とか勝手に決め付けないで、どんなのでも実際に試してみなきゃ最終判定は下せないと思うんだけどなぁ。
そんなのこそが創作での、本当の勇気なんじゃないのかな。

-終り-

2024年10月 3日 (木)

音楽備忘録1874 エレキBassのCreamyな音色の魅力➊

個人的には昔から度々気になってた件だが、近年は随分とご無沙汰になって久しい。
取敢えずそうなった理由の考察から始めるが、Celloや鍵盤不在のアンサンブルでは大きな弱点を抱える事ともなるんすよ。

さて杜撰大王自身も含め音質向上は長年の懸案で、それが今では簡単に
実現したりより自由になったのは喜ばしい。
かつてハイエンドクラス以外のAmp使用時は、コントラバスの生での重低音には羨望しか無かったよ。

理論的にはもっとローエンドを出せる筈が、スピーカ等のせいで実際には出てくれなかったからねえ。
のが何時しか性能向上やLine収録で解消しつつある時期に、新たな問題となりそうな危惧を密かに発見したんだ。

杜撰君なまじ元オーディオヲタ且つ重低音ヲタで常用楽器の事情もあったもんだから、他人よりかなり早期に中域の質とか不足が気になり出してたんだ。
確かに主目的の暴君的重低音はどうにかなったものの、エレキBassの上半分の音域がどうも使い辛くなっちゃってさ。

同時進行で籠ってない音色が求められたり、弦のデフォルトがFlatからRound Woundへ移行したのもこの欠点をより助長してくれはりまつた。
っつうか本当はそれ以前が寧ろ普通じゃなかったんだが、昔は兎に角低域と高域をせっせと持ち上げりゃ良かったからねえ。

録音や再生の平均的音質との兼ね合いもあって、デジタル化以前は何しろ中域のオンパレードでしてな。
尤も当時リアルタイムでは殆ど誰もそうは感じて無かったが、他楽器の多くもそうだったからバランス的にさして問題にならなかったんでせう。

そんな時代がかなり続いたせいか多弦が普及する迄ローエンドの充実等はSynthe等に負けっ放しで、随分悔しい思いをしたもんだ。
から出せる様になったら即飛び付いたんだが、そしたら他の部分で思いも因らない弊害が色々噴出したんだよ。

演奏性が劣る点については音域とトレードオフの関係にあったし、それ以上に顕在化したのが弦毎の音色差の拡大だ。
これは単なる音色より音量の大小差でもあって、そうすると音域毎にフレーズの適性が違って来ちまった。

実はコントラバスでは元からあった弱点だが、従前はエレキならそんなに気にしなくて平気だったんだけどね。
JazzのウッドBassで伴奏は低域でソロになると高域へ移るのが常套手段だったのが、低音域での明瞭度がエレキで改善されてその縛りは解消された。

のも当初はエレキの高音域で音色太さと負けないか凌駕する音量があったからで、低音域の音量減少は私的には嫌だったが対抗馬不在に依って取敢えず事無きが得られてた訳っすよ。
なので上記の片方どっちかが維持されてれば良かったんだが、下がグッと出せる様になったら両方共そのままでは駆逐される様になっちまったんだ。

のを放置してると冒頭のCelloの代用が不可になり、実用的に使えるフレーズはほぼ半減するだよ。
結果的に非スラップ奏法での積極的な高音域利用が激減して、アンサンブルの汎用性にすら悪影響が及んでるのだ。

それが普段頭空っぽで演ってる杜撰大王だからこそ、本人無自覚な内に以前よりつまらないフレージングをする様になっててヤバかってん。
最初の内は他楽器と被らない音域をより重視してたのもあって、それ迄頻繁に使い分けてた「オクターヴ上」が何時の間にか殆どお留守に…。

=つづく=

2024年10月 2日 (水)

音楽備忘録1873 折角弾けるのに勿体無い②

初回はジャンルが異なるより楽器が異なる方が大変と綴ったが、この杜撰法則は打込みが市民権を得た今では必ずしも通用しなくなっちった。
が俺言い「嘘の音」を不許可としたらそんなには違わなく、幾ら音源がGuitarでも現実には押えられないコードなんかをウッカリ使っちまうとね。

最近の杜撰大王は主に作・編曲の構想を練るのに打込みを使ってるんで、実際にその楽器で弾けるかどうかの確認も併せて実施している。
決して純粋な打込みも嫌いじゃないが、中々実現困難な全部生の方に未だ興味が強いからだ。

なので嘘の音を生じさせる可能性はたまたまほぼ無いが、過去にはオーケストレーション等で危うくやらかしそうになった事もあった。
のは金管楽器の各音域の把握不足が原因で、初期にはSyntheだけで弾いてこれで良いかななんてしてたからだ。

これ等体験で思い知ったのが珍しい音の発見には打込みの方が有利だが、リアリティとかその楽器らしさでは現物を弄くった方が有利って事だった。
つまり楽器固有の音って先ずは音色だけど、負けず劣らずに出せる音域や和声等の影響も甚大だったんすよ。

近年は音楽の新作公開も動画がメインだから視覚要素も大きいけど、ずっとそれ以前から上記の条件みたいなので判別されてたんだ。
尤もどんな音がどんな楽器かを、予めある程度知ってる人限定だったけどね。

しかしこれ等と比べりゃ「弾けるのに弾けない」は些末な案件で、今迄に演った事が無いだけで尻込みなんかするのはビビりの極致でんがな。
理想としては知己があって既に試した事があるに越した事ぁねえが、例え偽物で変でもその場で試行錯誤すらしないよりゃマシだよ。

これって知己や技術よりホントは寧ろ人間性の問題で、聴いてやっても良いぞに対しどう応えるかなんじゃないかな。
確かにRockの奴が演歌趣味にウケたって仕方無いが、万一にもその人の家族・知人にRock好きが居るかも知んないんだよ。

純粋に秘密の個人で演ってるんなら別だけど、どんな引っ込み思案さんだって楽器演ってるのを他人にカミングアウトしてるんならさ。
中には口外する気は全く無かった、あんまり執拗に訊かれたからなんてケースもあるだろうけどね。

強いて言い訳で眼前実演を回避出来るとしたら、まだ練習中だから暫く待って位かなぁ。
尤もⅡでそれで引っ張れるのは相手が覚えてられる時間程度で、長く待たせ過ぎたらその話しはもういいやとなってまう。

これを避けるには案件が音なだけにわざわざ失態を晒すのもなんだが、「今だとどんだけ下手か」も実演してみせない事には証明にならんとな。
んがコレ楽器だからそう云う悩み方も可能で、例えばアウトドアスポーツとかじゃほぼ不可能なんだよね。

屋外で他人の目が一切届かないとなると究極は無人島とかだろうが、それだって船や航空機で出かける処を見られたら「あらどちらへ」なんてなるだよ。
こっちの目的が観光じゃなく運動なだけに大抵は景勝地なんかじゃねえから、余程の事が無い限り誤魔化したって勘繰られるって。

-続く-

2024年10月 1日 (火)

音楽備忘録1872 映画・TV等への専門家が作った音楽⑪

さて再確認で非専門家目線での映画音楽評と念押しした上で、仏の残りと英についての独断偏見感想ざんす。
ここでご注意頂きたいのが非専門っても音楽やRockには専門な処で、所謂一般聴者のとは多分相違点があると思うだす。

仏独特な美学に溢れたコードとその進行については残念乍ら、参考にこそ大いになるがおいそれと借用出来るもんじゃない。
確かに象徴的だしそこに最大の個性がある様に伺えるが、あのロマンティックなムードを成立させてるのは飽く迄総合力・複合技なんよ。

それを痛感させられたのをFrancis LaiのUn homme et une femme(A Man and a Woman)本人バージョンで例示すると、ホレあの有名なスキャット「ダバダバダバダ…」でがんすよ。
この曲にずっと入ってるエレクトーン(もしかしたらHammond)で主旋律への装飾音の付け方1つにしても、記憶や印象と実際に施されてた箇所が中々一致してくれなくてね。

Bass(この場合足鍵)のルートも摩訶不思議な辿り方をしてて、是又予測を鮮やかに裏切ってくれる場合の多い事。
こう云うのって遊びだから普通は唯の気紛れで随意なんだが、ムードに徹底的に拘ると何処か1つでもそのタイミングが違ったらああはならなさそうなんだよ。

なので当事者以外には源イメージが無いだけに、パクるより夫々が各自なりのイカした裏切りを見つける方がまだ近付けそうなんだ。
そもそも前回迄述の通りハーモニー自体はLatinと共通のも少なくなく、人に依っちゃ仏のつもりで演ったのに南米風が出来ちゃったなんて可能性も…。

では遅まき乍ら英の総評へ進めると実際にはJazz Big Bandの影響は大きいが
、米のみたいにそれ臭さを感じられないのが最大の特徴かな。
強いて言うならClassicオケをJazz・Pops・Rockへ寄せた体で、それが同じスパイ物にしても007とスパイ大作戦との差別化にも繋がってる。

関連性は恐らく皆無だろうがこう云う相違って、AerosmithのHornの付加の仕方なんかに通じるものを感じてねえ。
楽曲全体への効果は他のと左程違わねんだが、彼等は自身のスタイルとして頑なにHornはオクターヴしか使わないんだよ。

因みにサンプリングSynthe登場期だったら、生アンサンブル内に初期機器のチープ音質を増強する目的で珍しくなかったんだけどさ。
生Hornで地域的に良い奏者があり余ってたのに、最初から敢えてそうしてたんだから。

と云う様な部分で他ジャンルのモノにも原料が転がってそうで、杜撰大王の狙いもそこにある。
今となってはかなり忘却の彼方と化してるが、かつてはエレキGuitarとSaxでフレーズの相互パクリ合いとか常套手段だったっしょ。

夫々の楽器毎に制約もあるから何でもそのままとは行かないが、現時点で自分内に無い物は外から導入しなきゃさ。
苦し紛れで目先を逸らすのに人力で打込みに対抗とかって、賞味期限がとっても短いんだよ。

=つづく=

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