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2024年9月 2日 (月)

音楽備忘録1843 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➊

拙ブログでは以前にも限定的に言及してるが、奏法に依る評価の不当な差異への問題提起でやんす。
その中で普段から杜撰大王が着目してるのが、音楽に対する効果は絶大で感覚的には高難度なのにメカニクス的に低難度なヤツの扱いざんす。

私感では昔から日本でだけ不当低評価されてる感じで、恐らくそれも表現巾等に悪影響を及ぼしてると思うんだ。
具体的には過去述重複もあるが俺言い「一筆弾き」やバスドラのSlide Double等がそれで、実際用途不一致だと不明瞭になったりするだけなんだけどね。

しかし何を置いても釘を刺しときたいのが、その楽器でしか不可能な表現・技のが結構含まれてる点なんだ。
理想は人力生だけど予算事情が許さん時ゃ打込みで、なんて邪な考えを持つとこんなのお邪魔かも知れんがね。

だが再三吠えも「今更生身の肉体で奏でる」なら、寧ろなるべくその特権を使わなきゃ意味ねんじゃねっとね。
是又頻吠え安定度・正確度では所詮人間如きは、チープな機械にすら完敗なのだよ。

と理屈はたいがいにしといて、先ずはもっとその利点を再検証しませう。
音楽表現で何に奏でさせるかを撤廃して最も肝要になるのは、ムード・ニュアンスなんかなんすよ。

作者・奏者が音楽にしようと思わなきゃ、音自体は音楽のだって唯の音に過ぎんのどす。
古い言葉では「作ってる物に職人が魂を入れる」なんてのがあるが、そう云う目に見えないけど必須のプロセスを経ないと音楽にはならない。

でその際最も扱いの面倒なのは、数値化とか出来ないヤツなんだ。
音階とリズムはもう譜面で明確化されて久しいが、「記譜するのに馴染まない」のは耳や想像で対処するしかない。

更に追い打ちを掛けるのが作者からの伝達すらままならん処で、該当するのがありゃ例示可能にしてもそのものズバリの音意外基本抽象的な言葉位しか手段が存在しないんすよ。
にも拘らず杜撰大王としてはそここそが核心だと考えてて、これは各自の個性面でもとっても大事な役割を担ってんだ。

肉声歌唱なら声色の違いがあれば自然と出てくれるけど、楽器は大抵は同じのを誰かが持ってて似たように奏でてたりするかんねえ。
折角エレキみたいに種類と組合せが無尽蔵に近く豊富でも、人気や好みの事情で限られた定番のどれかになってる事も多いじゃん。

そんな中でマトモな奏者同士ならそれなりの差異が出るのは、計測困難な程の音の強弱や発音タイミングの相違があるからだ。
本来芸術は創作者の加減がほぼ全てな物なんだが、近年は定量化→明確化→誰でも楽に確実に手に入れられるのばかりが脚光を浴びてる様だ。

んが大袈裟に言やこれ最早経済産業と芸術との戦いで、その首謀者は名ばかりの芸術擬きでボロ儲けしようだなんてなんと腹黒い。
ってかそんなの一時的にしか騙されて貰えないのは明白で、芸術産業自体の自殺行為なんだよね。

尤も従事者は生活が掛かってんで従うしかない側面もあるけど、本気でそうしちゃったらアーティスト寿命を無くしちゃうよ。
呉々もせめて
「フリ」をするに留めといて、裏ではしっかり修行しとかんとあきまへんで。

-続く-

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