音楽備忘録1857 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓲
過去の失敗第2弾はソフト麺…じゃなかった面で、前回のハード面より更に罪深かったマネージメントだ。
一言で言うと売り上げに見合わない実力の持ち主を担いじゃったで、音楽の本質を理解不足な奴が仕切ったのが愚だった。
やり玉に挙げるべき筆頭が今や評価の大反転したジャニー喜多川等で、例え張りぼてアイドルでも歌手(音楽家の端くれ)って認識に誤りがあった。
声質の魅力が足りない・歌唱力が足りない等、歌の実力が足りてないなら役者やモデル等他分野で売れば良かったんだけどね。
確かに昭和以前にだって音楽的実力が疑問視され乍ら売れた事例はあったけど、それ等はどれも何曲も続けて売れた訳じゃ無かった。
メインはキャラクターでも声質にも一部ニッチ層に対して位はちゃんと魅力があって、ちゃんと歌えない→たどたどしい→却って声質が誇張されるってロジックが一応成立してたんだ。
プロとしてちゃんと歌える為にはある程度発声のしっかりしてるのが必要だが、そうすっとその分巷で訊ける可愛い声よりは大人びてしまう。
この懸案が解消され出したのはずっと後年になってからで、やくしまるえつこ辺りでウィスパーボイス唱法等の出来る人が登場してからだ。
それ以前では発音が舌足らず等一部の天然に依存する程度で、プロの舞台を成立させるには声量の絶対値がネックになってたんだ。
PAの発達度も然る事乍ら、大昔だと伴奏が生でしか無理だったからねえ。
それ故声優等他分野ではとっくに達成されてたんだが、眼前生歌唱が要求される立場では採用困難だったんだ。
でそんな状況で実力不足の奴に歌わせなきゃなんないとなれば、極力歌唱力以外へ聴衆の耳を向けさせなきゃなんなくなる。
そこから始まった誤魔化し手段の1つに歌詞、それも主に言い回しや奇抜ワード等がある。
近年なら「うっせーわ」等がその典型例で、彼女の場合は歌唱力も充分持ってるけどね。
だがそんなテクが実用化前夜だったんで歌詞の稚拙な小細工が始まり、こっちの方でも当時は裏方職人のオッサン・オバハンが担ってたから無理な注文に迷走が始まったんだ。
因みに今なら若く可愛いネーちゃんがヤバイと発しても平気だが、昭和の頃は輩は未だしも表社会の女性が使える単語じゃなかったんだ。
もし女声でそう聞こえたらすわ和田アキ子かってなもんで、差別だろうと何だろうと今みたいに誰もがどんな言葉を自由に使える状況に無かったの。
故に仮に作詞家が英断しても大衆にはその意図通りになんか捉えて貰えず、しかもアイドルか同等の存在だったら尚更だ。
結局当時時点では半端な挑戦に留まってたが、音の方での工夫が鈍化し出したのも同時期だ。
上手な奏者(つまり音でアピール可能)でアイドル並も少しは居たが、その殆どがメジャーウケには歌が強要されててね。
そりより前の時代だったらインストでもそこそこ売れたんだけど、冒頭出のジジイが悪巧みして見栄えの良い歌手こそがだけが至高なんて風潮を作りやがったもんだから…。
多忙な庶民が暇潰しに聴く音楽に手間なんか掛けてらんねえから、ジジイのお薦めで間が持つ間はと多くが騙されちまったんだよ。
=つづく=
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