音楽備忘録1864 映画・TV等への専門家が作った音楽⑨
一部ジャンルを除くとメジャーエンタメ市場の規模の大きさからして正に米が本場となるが、こちらですら近年は新自由主義経済誤理論のせいか残念乍ら凋落気味だ。
今劣化本邦程酷くは無いものの、やはり大規模市場は世相や政治の影響から逃れられない様だ。
と云う事から拙ブログでは1980年頃以前のを主に対象とするが、米固有の場合従前のが少々飽きられた面も否めない。
を裏読みすりゃそれだけ充実期があり出尽くし感があったと言え、エンタメ関係音楽では考え得るあらゆる挑戦があったんだ。
これは国固有の個性とも関係してて、私的にはClassicとJazzの橋渡し的第一人者はあのGeorge Gershwinだと思っている。
彼はそもそもミュージカル界への貢献が絶大だが、同時期以降のディズニー作品等への影響は小さくなかったんじゃないかな。
揺籃期のJazzって全然白人のもんじゃなく、穿った見方をすりゃホントはClassicを演りたかった黒人の代替措置とも解釈出来んじゃね?。
欧州起源の既存ジャンル枠では苛烈な人種差別で、黒いとそれだけでどうあっても門前払いされてたからね。
因みにGershwinは幼少期からずっと差別意識ゼロだったそうで、他の殆どの白人は黒人の引用はディスり目的のばかりだったよ。
その為本当に優れた部分はちっとも取り入れず、結果本来のハイブリッドとは程遠い駄作に終始していた。
さてこの件が広義の映画音楽とどう関係してるかったら、芝居の主題次第では既存の音楽カテゴライズじゃ当て嵌まらないのも当然出て来るからだ。
それを無理にどちらかで演ろうとすればもうその段階でベストフィットは望めず、芝居と音のリンクが脆弱化するから曲を聴くだけで想い出すなんてのが困難になるん。
個人的にはディズニー関連は諸問題からあまり快く思ってないが、アニソンなんて当時得体の知れないのをどうすりゃ良いかの点ではちゃんと評価してんのよ。
如何に万能タイプと言えど所詮はその時点で可能な事しか出来ないけど、だからこそジャンルやカテゴリにはなるべく縛られてない方が良い。
のを初期に皆に知らしめたんじゃないかと思え、実際今でもClassic系PianistがJazz寄りのに挑戦する格好の入り口になってたりするよ。
っつうか寧ろそんなのを目の当たりにして、杜撰君内では映画音楽へ貢献してたかもって発想が湧いたんだ。
何処の国だって新しいのは古いのから生まれるもんだが、米白人にだけ所謂ご当地古典が無かったのが遠因にあるのかな。
本当は米大陸ネイティブはあったんだが当分の間はほぼ全く参考にすらせず、Rock系だと漸く1970頃に至ってRedbone等の登場をみた。
それ故移転前の欧州と差別化を図るには新手法に頼るしかなく、卑下して言うならこんなの怪我の功名に過ぎない。
だからこそ躍起にもなりゃ、他に類がない程挑戦的にもなれたんだろうな。
-続く-
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