音楽備忘録1856 映画・TV等への専門家が作った音楽⑦
恒例の前回流れで、今回は過去日本での映画・TV等所謂職業音楽家の大家を紹介して行こう。
と言っても洋楽ガチヲタにして邦楽非ヲタの杜撰大王だから、漏れや失念があっても勘弁よ。
又しても無責任になる自覚があり乍ら図々しくも書いちゃうのは、その筋のヲタと一般人の落差があまりにも巨大になっちまったからだ。
その具体的変容を私事で例示すると、以下の様な現象が近年ではとんとご無沙汰になったからなんよ。
過去述某著名音楽家の次男と仲良くなった際俺は当初知らなかったが、ウチの母親がその前田憲男氏の事をそこそこ知ってたんだ。
因みに母は音楽をたしなみはしてたが完全非ヲタだったし、特にドラマ等のクレジットに敏感だった訳でもない。
単に当時普段見てたクイズ番組のエンドロールに、毎回その名が登場してたからあ~あの人かと認識してただけだ。
しかも既にJazzブームは去って久しく、今なら個人的ネームバリューでやれ米津玄師か星野源かと認識してた訳じゃ無いんだ。
あまりにも多方面で名前が載ってたから、どうやらその筋の人だと思ってたらしい。
昭和当時はこれが至極当然の事でそれ故他にも宮川泰・小林亜星・大野雄二・冨田勲…、等を一般人もたまたま知り得る状況にあったんだ。
又当時はBandマンでも仕事への姿勢が柔軟な人も少なくなく、且つ芝居のイメージを強固にする為に登用されるケースが今より断然多かった。
因みに少々ゲスな話しだが当時Rock等の国内市場は今より遥かに限定的で、食い繫ぐにはあまり仕事を選んでられなかったっつう背景も。
加えてお前Guitar弾けるなら例え非専門ジャンルでもコード位押えられるだろって、世間の要求がもっと広範でその圧も高かったんだ。
当時はついRockじゃないからと断ろうもんなら、何だよ人付き合いの悪い奴で使えねえななんて平気で一般人からもディスられたもんだ。
今だと眉唾と思われるか知らんが、原理的思考ロジックを優先したらホントはその方が正論なんすよ。
そこそこ弾けてる人がジャンルが違うだけで全く弾けないって、楽器を弾けない人にしてみりゃ到底納得出来ない理屈じゃん。
彼等は別に超有名達人でもない奏者に超絶は求めてなく、知ってる曲らしきが聴けたらそれを喜びたいだけなんだよ。
そりゃ中にはミスや稚拙を突いて来る奴も居るだろうが、どうせそんなのは何をどう演ったってケチ付けるもんさね。
んっまだからって普段から密かに練習しようとは思わないが、その逆にわざわざ出来るかも知れない分まで演ってみないのはパフォーマーとしては致命的サービス不足じゃないかな。
演奏をカミングアウトしてるって事ぁ自身の承認欲求を肯定してて、ホントに個人の秘密の趣味なら他人に口外してないよね。
その意味でジャンル違いを頑なに拒否するのは無理があって、聴く前から否定する癖が付いてるとそんな風に陥り易そうなんだよ。
尤も自身のイメージ定着前だと誤認されるのを嫌って、つい尻込みしちゃったりしても仕方無いんだけどね。
-続く-
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