音楽備忘録1854 打倒閉塞感➓
今ではスッカリいい加減なオッサンが板に付いた杜撰大王も、実は大昔は正直者が馬鹿を見る式で何時も怒ってばかりいたんだ。
やり場の無い怒り(実は自身の思考に問題アリ)に打ち震えるその様を冷静な他人は苦笑してて、こっちからしてみればその不謹慎(不真面目)な態度に更に又強烈な不快感を覚えたり…。
今振り返れば身勝手な正義感に支配されてたんだが、殻に閉じ籠るより外部へ発散したのだけはまだ良かったと思ってるよ。
ってそんなお騒がせ野郎は周囲には災難でしか無かったろうが、他人と衝突する事に依って色々な考えの違いは学べたかな。
この国と限らず不要な揉め事は当然嫌われるし、もう少しスマートにやる方法が他に幾らでもあったんだろうけど。
でも疑念を先送りにしたりその挙句、棚上げして保留にする内何時しか解消の意欲を失ったらもっと大変だ。
必ずしも表に出さなくても必要な怒りってのは実在し、非効率だからって封印なんかしちまうと感性をも鈍らせる。
実際怒りは精神も肉体も消耗させるには違いないし、相手が正面から受け止めてくれないと空砲にもなる。
それもあってか今は若い人程何でもなるべく衝突を避け、少なくとも表面的には随分と大人しくなってるね。
だが全てをかわせるもんでもないし、気持ちが堪えられても泣き寝入り不能な案件だってある。
ので幾ら面倒でも没交渉(対話)にしたら終いで…、って事の発端は高圧的な大人の方に原因はあったんだろうけどね。
とは言え若者程息苦しい世情と思うから対外部分は兎も角、自身の内面迄そんな思考に支配されては可能性があっても飛躍不能にしてしまう。
けしからん大人達にしても我が道を行く大多数は、旧時代の価値観で突っ走るばかりで謙虚さや反省が致命的に足りない。(恐らくその根底にはかつて抑圧されてた鬱憤があるんだが…)
少なくとも人目にそうは思われたくないと若者の猿真似する連中は、加齢等も相まって本家よりもっと後ろ向き。
であっても一応平穏な日々を過ごせるならまだ良かったんだが、創作の世界では虚像の癖に何か実体をでっち上げなきゃなんないんだよ。
言うなれば擦れ違い様に絶対殴って来る奴みたいなもんで、それも凄く強力だもんだからどんなにガードしてもこっちにだけ大きなダメージが残るみたいなさ。
そんで音楽の才能(適性)が皆無だったら見込薄だが、何処かに才能があったら自分内で巧くやれると寧ろストレスの捌け口にもなり得るんだ。
明らかな悪を除き他人を攻撃しなかったなら、音楽内容内ならどんなにエキサイトしても世間に不都合は生じない。
これはスポーツ界で切磋琢磨するのと共通箇所があり、自身の失策に自身で激昂する限りは幾ら怒ったってノープロブレムだ。
尤も近くに居る人には少々恐怖があったり、気を使わせちまったりはしばしばあるけどさ。
本当に達観したから下衆な怒りの感情が無くなったってんなら大変結構だが、一般で怒りにある問題点はその矛先が何処を向いてるかなんよ。
他人に対し冗談なら兎も角、怒りはしなくてもあから様に不機嫌な態度になったらそれはもうプチ攻撃なんだ。
ので仏門に本格的に入り特別厳しい修行を積んだとかじゃないと、怒りだけ封印した処で必ずしもこの人は絶対攻撃して来ない…とはならないんだよ。
怒らない努力をするより先に、激怒しても他人に被害が及ばないのを考えませう。
=つづく=
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