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2024年9月

2024年9月30日 (月)

音楽備忘録1871 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➑

大雑把に一通り出揃った処で、エレキBassの残りっつうか特殊性を披露しよう。
ウッド(アップライト)の場合Violin属の一部が、アコースティックでもフレット付きタイプはやはりアコギ技の一部がそのまま適用出来る。

但し弦が別物な程ヘヴィになる都合で一部が不可か効果希薄になり、これは生・電気仕掛け共通の弱点でもある。
のにエレキだけ特別視するのは、PUが付いてる事に依る特殊な反応が増えるからだ。

これはGuitarだってエレキにはあるんだけど、最大の差は普段はそんなに歪ませられない点だ。
理由はやはり低域を堅持する必要があるからで、深く歪ませると中高域と違って低域は音割れして音程感を曖昧にしちまう。

又奏でる上でもそちらを重視すると、歪ませ→感度が高まる→それに依って倍音で色々悪戯出来るの過半が使えなくなるんだよ。
それ処か杜撰大王は割と強引にハンマリングオン・プリングオフやベンド(チョーキング)も多用してっけど、かなり根性(強い意志)は要るし過去述の通りそんな真似ばっかしてるから肉体の消耗も激しい。

となるととても汎用技とは言えなくなるが、これより負荷の軽い中にも固有のがそこそこあるんだ。
を一言で言うなら「タッチ」で、指やピックの当たる角度が僅かに変わるだけでも大胆な音色変化を起こすんだ。

理論的にはGuitarでだって近似なんだが、こっちは低域重視なんで変化が拡大されるんすわ。
Guitarにもスラップ奏法はあるし何かが衝突したのはハッキリ分かるけど、Bassの低音弦でやるの程「振動音」は付加されない。

但しⅡでこの効果(擬似バスドラ)をしっかり得たい際は、一定以上ローエンドが出る楽器や設定になってないと駄目なんだけどね。
尤も今となっては始祖の様なニーズばかりじゃ無くなってんで、何時も気にしてる必要は無くなったけどさ。

↑と比べたら角度案件は劇的な効果じゃないが、多分一般的な想像より実践してみるとそこそこ大胆な変化があるよ。
それから太く長い弦になる程瞬時に鳴らしたり止めるのが困難化するが、それ故止める際の方法がガッツリ行くんで「止める都合で出た音」も使い方次第で結構色んな役目を果たす。

コレホントは全然出なくするのも必要なんだけど、他楽器より格段に困難なんで敢えて魔用する方が多い。
して指弾きのが最も多彩な音色を出せるが、殆どそれに負けない位実はピック弾きにもバリエーションがあるんだ。

単に前後位置だけでも前寄は極端例だともう指板の上だとか、後ろだとブリッジ駒スレスレだとか。
それを人次第じゃなく曲都合に応じてとか、勿論各人の標準は前寄・後寄とか色々で残ってる写真のせいでそれだけと思い込んじまってても仕方無いんだけどね。

尚且つ普段ピック弾きがデフォでも平気で指にスイッチしてたりした人も過去には普通だったんだけど、明確に記録に残ってるのが多くないからそれ等は忘れられてんのかな。
ほんでこれ等が重要なのは最新高性能なEffector等で加工したのとは性質が違う点で、重さ不足を解消しようとしたら余計な処迄肥満化したとかなるだよ。

結局EffctorやEQって所詮「補助輪」でしかなく、痒い所へ手を届かそうと思ったら手加減の方が遥かに有効なんだ。
この先は企業秘密ってよりゃやたら長くなるからここでは割愛するが、エレキBassって電気楽器の癖に場所に依っちゃ生楽器よりセンシティブな一面があるんだ。

-続く-

2024年9月29日 (日)

音楽備忘録1870 打倒閉塞感⓮

過去体験等から思い付くのは大体出尽くしたんで〆に進むが、杜撰大王の大きな山場は過去に数度あった。
その最中に居た時は毎度進展の無さに憤慨してたが、解消して過去になってみると小さい事の様に思えて来るから一寸不思議だ。

それで思ったのが責任若しくは原因の所在で、何でも自分以外のせいにしたり何もせず幸運を待つだけでは駄目だけどさ。
程度差こそあれ世情の影響ってのも必ずあるもんで、国王・大統領・首相でもない限りはそこはこっちじゃどうする事も出来ない点だ。

逆境にあっても何時もアクティブに伺える人も居るが、それと低迷しきりの自分とを悪い意味で比べてはいけない。
両方を知ってる外野は良かれと思って「アンタもあの人みたいに頑張れ」なんて言ったりするけど、深刻に受け止め過ぎて卑屈になる様じゃ困る。

今劣化本邦ではやたら強引に迫るかはたまた腫れ物に触れるが如くの両極端な対応が増えてるが、そのどちらもこっちの事より自己保身を優先した行為なんだ。
上記前者の昭和根性論的なのと比べると後者は優し気に感じたりしちまうが、問題点を唯の1つも指摘しないのって関わりを持つのを否定してるも同然なんよ。

と云う様に人間関係が希薄化してるのと相まって、真剣(真面目)な批判以外には気を取られる価値が消失しとりま。
だからって他人を完全無視して暴走するのはどうかと思うけど、自己優越感を得る為だけのマウント取りへはそれこそ仕分けして対応しないとね。

そんなのへ多少なりとも労力を使うのは馬鹿バカしいだろうけど、全く区別が出来ない訳でもない。
或は炎上を過度に嫌って全く表に出さずにいる人も居るんだろうが、それはそれで自身の欠陥・弱点を見過ごす危惧がある。

確かに2次災害防止には有効だろうけど迅速な自己解消未達なのを容認すれば、少なくとも信頼出来る相手位には多少は漏らすのがお勧めだす。
そりゃあ独力で解決出来たら環境その他の影響を受け難いからその方が良いけど、傍目に常に独力で歩んで来た様に伺える人でも大抵は他人力をキッカケ位には活用してるんだ。

達人の中にはそれが至極当然と思って一々個別に語ってないだけで、感謝を示す言葉の中などに含めちゃってんのよ。
確かに逐一個人案件を他人に投げつけたりしてたら周囲は迷惑で堪らんが、昨今流行りの「自己責任」ってワードやその本当の意味を理解せず惑わされるのも又愚なりだ。

ってか今のブームは悪政の責任転嫁が主目的での洗脳作戦で、バレたらわざと用法を間違えましたと言い訳するつもり満々なのだ。
一寸慌てて鵜呑みにせず考えたら自己責任なんだから、本当はこっちだけじゃなく相手にも等しく適用される筈じゃん。

それを昔なら「善処します」今なら「適切に対応します」の、口だけで片付けてんだから全く信用しちゃいけねんだ。
わ兎も角こっちからすぐにはどうにも出来ないからってこう云うのを諦めで処理し続けてると、何時しかモノの道理だとかの感覚も徐々に狂ってくんすよ。

お悩み抱え主の中の魂がまだ辛うじて正常だったら、上記みたいなトチ狂ったのとはしっかり独立性を保っとかんと。
と云う事で原因が自身内にあるのか外にあるのか仕分けするだけでも、少しは身軽になれるし打開の一端にはなると思うんだ。

-終り-

2024年9月28日 (土)

音楽備忘録1869 折角弾けるのに勿体無い①

流石にこの件では壺の分断工作が…とは言わないが、年々ジャンルの垣根が堤防みたいに嵩増ししてる気がしてのぉ。
もしかしたら民族的か何かでガラパゴスが好きなのか分からんが、今劣化本邦国内でこれ以上進んだらどれを演ってる人にも損じゃないかと思ってねえ。

最初に新ジャンルとかスタイルの勃興を歴史から紐解いて行くと、他の流行って王道化したジャンルに反抗したのなんかからが多いんだ。
歴史も精細に検証すれば大抵は上記以前に気配が既にあったんだけど、明確な区別がなされないとそんなに流行らないかんね。

中には多数の流行が拮抗しててそれ等とは一線を画してたのもあるが、何れにしても確かなのは無から有が生まれた訳じゃ無い処だ。
杜撰大王なんで面倒で不勉強だが、Bach以前にだって節々で同等かそれ以上の重要人物の登場を経てのものだった筈だ。

それが記録や人数の実用限界から例えばRockだったら、普段語られるのがその直接のルーツ迄に限定されてるに過ぎない。
それ故各ジャンル同士の距離感は様々になるとしても、全く共通項や接点の無いヤツはきっと凄く少ないんだよ。

そう云う音楽自体の相違と比べると楽器の方は相当なもんで、手だけ足だけで奏でるのもあれば息の吹き込み方だけでなんてのもあるやんけ。
自慢じゃねえが過去に暴露して以来それなりの時間が経ったが、杜撰君未だFluteはどう教わって頑張っても「スー」で「ピー」とは行ってくれやしない。

「スー」と云や口笛だって相変らず超苦手なままで、お陰でそれ以外はほぼ全てマスターしたのにBilly JoelのStrangerはごっこが楽しめない。
歌自体は模倣が一番得意で楽なJohn Lennonも、そのお陰で熟知した多数の曲を実演出来ないで今日も泣きを見てますがな。😢

他の人の例を眺めてみても体格事情とか、裏声が殆ど出せない等肉体的個人事情はホンマに容赦ないですわ。
因みに個人的に熱心なSlide Guitarには、口笛を吹けない
代替措置的意味合いもあるんすよ。

Guitarはベンドを使えば音階の間の音程は出せる分生鍵盤よりゃマシだけど、Tromboneやテルミンからオタマトーン程自由には出せないじゃん。
因みにBassではフレットレスは触れた途端から難なく弾けたが、使用頻度がそんなに高くないから貧により私現物を未所持なだけだ。

って事は皆さんのご想像通り、借りたり預かってたりした際はガンガンに弾き捲っとりまんがな。
尤も自分は○○以外弾かんってんならお呼びじゃない話しだが、音楽自体が好きか楽器と大体同等だったら万人共通の悩みでがんしょ。(悩むかどうかは人に依りそうだが…)

のでどんなに消極姿勢でも構わないから、ジャンルの好き嫌いだけで絶対弾かないなんて思ったらさぁ。
又それを聴く人の姿勢にも少し問題を感じてて、安易に達人と比べて劣るなんて態度を取っちゃうのもねえ。

もしか自身は下手な器楽演奏を泣く泣く封印して聴き専してるんだから、何でも好きに語らせろとでも思ってるか知らんがね。
まあそっちは向うの自由なんで度が過ぎない限りは弾劾なんてすべきじゃないが、批判に価しない批判を恐れて手を出さないってのも臆病過ぎるんじゃね。

-続く-

2024年9月27日 (金)

音楽備忘録1868 映画・TV等への専門家が作った音楽⑩

続いては万能だった米に比べると限定的だが、インパクトならそれをも凌駕する様な全盛期の欧州事情に触れとこう。
この件でややこしいのが欧映画であっても例えばSophia Lorenの「ひまわり」みたいに、合作で音楽は米在住者なんてのも少なくない処。(担当はHenry Mancini)

ので比較的各国純正率が高いのとなると007のJames Bond Theme作曲者Monty Normanとか、英ではJohn Barry・仏ではFrancis Laiか。
他にも大勢居た事は居たんだが従事作品や期間が限定的で、映画音楽の米の大御所と比肩するのは私感では?な感じ。

勿論曲数が少なくたって各自の思い入れが深かったり、大きな衝撃を受けた人が居るなら充分加えて構わない。
んだけど作曲者方向から探索しようとすると、それだとあんまり効率が良くないからね。

又米と欧で少し様相が異なった原因に、欧では非専業ミュージシャンの参加が多いのがあった。
この辺がまるで国の成立状況と似てて米は合衆国だが、欧は各自夫々ってのがこっちから見ると象徴的だ。

尤も集大成的米でも上記Henry Manciniはイタリア系だとか、個性は弱まるが集大成の中にも残存してるんだ。
ので好みの辿り易さ・見つけ易さの点で杜撰大王としては米からがお勧めだが、濃厚なテイストが気に入った場合Francis Lai等を掘り下げてみるのは大いにアリかな。(個人的には心酔してたりして😃)

っつう事って以前述と重複も含むとFrancis Laiで語るなら、技術的には恐らくLatinの影響が色濃いが完璧なフランス料理と云った感じだ。
まあそもそもLatinってかつて侵略政策の影響から、始祖は欧州発の要素も少なくないんだけどね。

だが料理と同様フランス式の独自性は強烈で、音楽の場合雰囲気一択へ大忖度する姿勢は清々しい程だ。
その様子は音楽家が評するとコードやその進行が奇異なだけになり勝ちだが、一般人或は感性のみで聴くと超絶だ。

これは一部のChansonにも通じてるが、感性に対しては普通思われてるより遥かにムードの影響が大きいんすよ。
特に最初から映像とセットで提供されるとなると尚更で、世界観の一致や増強が使命になってたりするからね。

その面でおフランスのムードを体感するのには独自ジャンルのChansonより、私的には映画音楽の方が向いてるんじゃと考えている。
勿論Chansonだってフランス文化・思想の上に作られてっけど、テーマに依っちゃ多少なりとも万国共通のがあったりするやん。

そんなのだとフランス臭さは弱目となり、全体像を把握してからじゃないとどれが典型的なのかの見極めが怪しくなる。
それ故映画とか単発のPopsの方が色濃く反映される様で、映画音楽の他にフランス音楽がどんなもんか知るのにも役立っちゃうのよ。

のですぼらな杜撰君はムードだけ欲しいのと相まって、Chansonの方は未だ殆ど手付かずのままざます。😓
わ兎も角ムードで特にロマンを徹底追求するなら、フランスの映画音楽は絶対外せないんじゃないかな。

-続く-

2024年9月26日 (木)

音楽備忘録1867 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➐

続いては鍵盤でのメカ低感高奏法だが、これは鍵盤自体の種類で大別2分して考えなきゃなんない。
近年は無駄にピアノタッチのばかりが横行してる様だけど、恐らくモノフォニックSynthe等で考案された技を使えないか失念されてるからだ。

そこへ至る途中経過では杜撰君等世代でペコ鍵から始めて、生ピになると途端に下手になる奴が居たからなのかな。
因みに「ペコ鍵」とは40年前に仲間だった当時現役の音大生が、その頃の廉価版エレクトーンや電子鍵盤楽器等の手応えの無いのをそう呼んでたん。

そんな状況からピアノ鍵盤でちゃんと弾けてこそなんて考えが生じ、実家にも当時借りてた部屋にも生ピの無かった自分に内心は少々劣等感なんか持ってたっけ。
のが所詮パートタイムでも鍵盤奏者歴が深くなってくと、↑は全く同じ技しか使わないならの限定的なもんだったんだ。

最初にその片鱗が見えたのがアナログ古典モノSyntheで、単音しか発音出来ないが故の独特な反応が持たせてあってね。
わ何かの事情で偶発的に2鍵が押された際、設計や設定次第で優先権を与えてあったんだ。

これを過去の達人は魔用して、片方を押鍵したままにしてもう片方をチョンチョン突くと…。
真面目に2本の指を交互動作させた時より、大部速いトレモロ表現が可能だとね。

今Syntheったら主流がポリフォニックなんで、付加表現手段としてはホイールやジョイスティック・アフタータッチ等にしか気が行かなくなってけどよぉ。
それだって巧く活用すれば有効ではあるけど、デジタルEffectの大発展した今では録った後の加工でもまあまあ賄える。

がほぼ忘れ去られた↑は実楽器でしかほぼ不可能だし、その知見と一定以上の訓練を経てないと演れないんだよ。
元ネタは恐らくアコーディオン等、タッチが軽く動作が迅速な楽器で開発された技なんだろうけどね。

過去述Hammondのパーカッシブ奏法と共に、近年はピアノ系ばかりでもう一方の雄オルガン系由来の技がほぼ死滅してるんだ。
何時迄もそんなじゃ鍵盤の人だけ、自らテクを半減させてるんだから勿体無いし損じゃねっと。

Synthe系等では杜撰君も含めつい新音色ばかりに気を取られるが、他のじゃ演れない技を捨てたり忘れたりしてちゃそりゃ王様の生ピに一矢を報いるのすら無理だよな。
実用上のニーズはそんなに多くないかも知れんが、安易に固有の特権を放棄したってしゃーないんとちゃうか。

それともう1つ考えとくべきが「両手で弾けない場合」で、ブレスコントローラがほぼ絶滅した今ホイ・ジョイを扱える手が空いてない時は何も小細工が出来なくなってるぞ。
片手だけで両方操作しようにもエレキGuitarのアームみたいに、常時弾く手の場所近くにホイ・ジョイ君があるでも着いて来る訳でもないからねえ。

以前にも吠えたと思うけどこう云う固有の奏法をマスターしてて自在に操れる人が、一定数を超えないからその楽器専門の奏者と呼ばれなかったり認識して貰えないんだよ。
新規奏法開発の余地がほぼ無くなってる生ピ由来の技にだけ頼ってちゃ、図抜けて上手な人以外もう打込みでいいやと他パートから思われても仕方無いんじゃない。

-続く-

2024年9月25日 (水)

音楽備忘録1866 打倒閉塞感⓭

家庭内格差も加わっての赤貧な杜撰大王は交際費にも厳しい制約があるし、特別社交的でも友人が多い訳でもない。
そんなでこんな風に言うのも何だけど、人との交流も多くの場合閉塞感の寛解には多分必要だ。

知りたいだけならリアルで人に会わなくても何とかなるが、独自提案を世間がどう思うか等はなるべくなら会ってみないとさ。
遠慮されたりマイナスな言葉は絶対口にしたくない相手だと、文章はおろか声で訊いてすら素人には本音が読めなかったりするじゃん。

そりゃ相手がその方面の訓練を重ねた鉄仮面氏とかだったら、それでもまだ足りないかも知れないけど。
ってそもそもナーバスになってる時は人に会いたくなかったりするけど、かと言って完全にシャットダウン出来るもんでも無い。

引き籠りも程度が酷いと同居人とさえ顔を合わせるのを
避けたりするが、本当に意図して孤立したいなら人里になんかに留まってる事自体に無理がある。
し今時一世帯の平均人数が2を割ってるから、腹が減れば近くのコンビニ位には仕方無く出向く事となる。

勿論人目を避けて深夜にしたりはするだろうが、そもそも店がやってる時点で店員氏や他の客に遭遇しちゃうんだよね。
病気で外出不可なら最低でもヘルパーさんの来訪は許すしかないし、もっと酷けりゃバレた時点で強制入院だ。

斯様に完璧な状態は不可となれば後はもう表面上だけでも図々しく振舞うしかなく、結局完全なお人払いは困難なのよ。(※この図々しくは他人からの不評に敢えて鈍くなる事)
寧ろそれが可能な人って山奥まで独力で辿りつけたり、山籠もり中の生活作業を全部個人で賄える程元気且つスキル持ち限定だしょ。

のでどんなに消極的でも構わないから日が昇って沈むみたいに、仕方無い事と早期に思えた方が得だし最終的には何人たりとも認めるしかない。
でそんな一種の最低限の覚悟が出来てると、誰かと遭遇して収穫ゼロなのは稀なのに気付くんすよ。

大抵は収穫はとても少なく、嫌とか辛い思いをする方が大部多いけどね。
でも全く理想の相手じゃないからこその、思ってもみなかった刺激を受けたりもあるんすわ。

今迄の環境を大きくは変えたくなかったり大変のキッカケが掴めぬ際、新しい出逢いや存在は低リスクな割に新鮮味が多い。
こっちに音楽への強い興味があると、時間経過と共に類は友を呼ぶ現象は少なからず起きている。

けどそれってリアル社会のバランスからしたらかなり偏ってて、思考・行動共に現実よりかなり選択肢や方法論を狭めとん。
要するに知らん間に自ら石頭化を促進しちゃってて、良かれと思って追及した一部が足枷になってるんすよ。

そんな時には望まずとも「会わなきゃならない人」の存在が結構大きく、例えば湯沸かし器がおかしくなって業者さんに来て貰う等だ。
少なくとも必要性が生じちまったからには、なるべく自然体で応対するしかないんじゃね。

-続く-

2024年9月24日 (火)

音楽備忘録1865 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓴

幾ら粘着気質だろうと老害だろうとキリが無いので〆に進めるが、音自体の良し悪しは好みもあるからそれ以外の問題点を提起して一旦幕引きとしよう。
既に触れては居るが極小音量での利便性については、杜撰大王だって深夜のPC等ではその手の機能を普段使いしてる。

その中で特定時以外操作不要なのは1台だけで、理由は狡してちゃんとしたスピーカに繋いでないからなんだ。
当該機はOSが我が家唯一のWin11にして、例の勝手にリミッティング問題と併せまともな音楽再生には向いてない。

安全に外部ネット接続するにはまだ先が長くて良いものの、これに対応してるサウンドカードの選択肢がとっても限られてるのも気に入らんしね。
懸案事項のまま存置しときたくは無いけれど音が及第点のは他の古いPCで間に合ってるし、音楽関係の作業するのに最近世間はスマホがメインで頼れるフリーソフトは全然出なくなったしで。

そこへたまたまケースに仮のスピーカが搭載されてたのを良い事に、Skype等をする時以外はそれで賄っちゃってんだ。
それが本件とどう関係してるかったら、出せる最大音量がかなり小さいのがね。

実は貰って来て暫くは正規化機能は使わず頑張ってたものの、室内暗騒音に最廉価ウィンドウ型クーラーの運転音が加わると聴き取りに難が生じて…って位非力な代物でさ。
それ故万一音関係で誤操作しても音質は精神に厳しくとも、物理的・肉体的には如何なる事故とも無縁なのよ。

の逆の状況を想像してみると最大音圧が一定以上の場合は、音自体の他にも色々と事故を巻き起こす確率を上昇させるリスクがあるんだ。
熟知した音響技師のみが取り扱う前提のPA等は別として、あらゆる状況のあり得る一般社会(機器最大音圧も含む)では正規化は何時でも簡単に外せる様にしとかないとねえ。

仮にスマホ聴取専用ソースとうたっといたって何の拘束力も無く、買った人の勝手でどう聴かれるか迄コントロール出来ないじゃん。
そう考えると平均高音圧化の許容限界は音色的面白味程度が限界で、それ以上は聴く段階で各自の好みでアレンジして貰うしかねんですよ。

それを押し切る罪には精神・肉体両面での健康被害があるが、不幸にして誰もが同じ様に感知出来るもんじゃないんだわさ。
エキサイトしてる時期にそのまま浴びてたら先に耳性能が劣化して、バイオリズムが低調期になる頃にはもう煩過ぎるのが分からなくなったり。

それってアル中やニコチン中毒と共通部分が多く、本人自覚が難しいだけに決して甘く考えちゃヤバいんだけどなぁ。
にも拘らずCDジャケに聴取音量注意なんて先ず書いても無いから、大昔ヒロポンが合法だったのと同じ様なもんなんすよ。

それ自体は何せ俺言い今劣化本邦なんで仕方無いとしても、こんなのばかり売る奴等にはどうしたってリスナー愛は全然感じらんないな。
杜撰大王ロジックに依れば、買って数日で音楽自体を嫌いになっても結構としか映らんのどす。

-終り-

2024年9月23日 (月)

音楽備忘録1864 映画・TV等への専門家が作った音楽⑨

一部ジャンルを除くとメジャーエンタメ市場の規模の大きさからして正に米が本場となるが、こちらですら近年は新自由主義経済誤理論のせいか残念乍ら凋落気味だ。
今劣化本邦程酷くは無いものの、やはり大規模市場は世相や政治の影響から逃れられない様だ。

と云う事から拙ブログでは1980年頃以前のを主に対象とするが、米固有の場合従前のが少々飽きられた面も否めない。
を裏読みすりゃそれだけ充実期があり出尽くし感があったと言え、エンタメ関係音楽では考え得るあらゆる挑戦があったんだ。

これは国固有の個性とも関係してて、私的にはClassicとJazzの橋渡し的第一人者はあのGeorge Gershwinだと思っている。
彼はそもそもミュージカル界への貢献が絶大だが、同時期以降のディズニー作品等への影響は小さくなかったんじゃないかな。

揺籃期のJazzって全然白人のもんじゃなく、穿った見方をすりゃホントはClassicを演りたかった黒人の代替措置とも解釈出来んじゃね?。
欧州起源の既存ジャンル枠では苛烈な人種差別で、黒いとそれだけでどうあっても門前払いされてたからね。

因みにGershwinは幼少期からずっと差別意識ゼロだったそうで、他の殆どの白人は黒人の引用はディスり目的のばかりだったよ。
その為本当に優れた部分はちっとも取り入れず、結果本来のハイブリッドとは程遠い駄作に終始していた。

さてこの件が広義の映画音楽とどう関係してるかったら、芝居の主題次第では既存の音楽カテゴライズじゃ当て嵌まらないのも当然出て来るからだ。
それを無理にどちらかで演ろうとすればもうその段階でベストフィットは望めず、芝居と音のリンクが脆弱化するから曲を聴くだけで想い出すなんてのが困難になるん。

個人的にはディズニー関連は諸問題からあまり快く思ってないが、アニソンなんて当時得体の知れないのをどうすりゃ良いかの点ではちゃんと評価してんのよ。
如何に万能タイプと言えど所詮はその時点で可能な事しか出来ないけど、だからこそジャンルやカテゴリにはなるべく縛られてない方が良い。

のを初期に皆に知らしめたんじゃないかと思え、実際今でもClassic系PianistがJazz寄りのに挑戦する格好の入り口になってたりするよ。
っつうか寧ろそんなのを目の当たりにして、杜撰君内では映画音楽へ貢献してたかもって発想が湧いたんだ。

何処の国だって新しいのは古いのから生まれるもんだが、米白人にだけ所謂ご当地古典が無かったのが遠因にあるのかな。
本当は米大陸ネイティブはあったんだが当分の間はほぼ全く参考にすらせず、Rock系だと漸く1970頃に至ってRedbone等の登場をみた。

それ故移転前の欧州と差別化を図るには新手法に頼るしかなく、卑下して言うならこんなの怪我の功名に過ぎない。
だからこそ躍起にもなりゃ、他に類がない程挑戦的にもなれたんだろうな。

-続く-

2024年9月22日 (日)

音楽備忘録1863 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➏

Drum系の3回目は補遺に留めて他所様や従兄等に深層は委ねるとして、Bassのも加えとこう。
Drum系でのメカ低感高奏法はもし向いてたり惚れたなら幾ら掘っても大いに結構だが、ポピュラー系での一般ニーズとしてはそこ迄は要らない。

なので自身の得手不得手と相まってシンプル&ストレートを持ち味とするのも悪かないが、野球の投手の様に直球だけで飯が食えるのはとても限られた才能の持ち主だけだ。
しかも加齢で衰えたり打者が慣れ切ってしまえばハイそれ迄よなのと、豪速球の特性をより活かすにも別の遅い球があると効果が何倍にも拡大する。

のと同様幾ら苦手でも完全にダブルストローク等から逃避しようってな虫の良すぎる相談で、そっち系が苦手な杜撰君だって難度の低いの迄演らないで居る訳やおまへんで。
で特に惜しいのが手ならバズ系足ならスライド系で、他楽器より格段にリバウンド(跳ね返り)があるからこその奏法なんざます。

精緻にやろうとしたら死ぬより難しいかもだが、脇役として一応それっぽく聴こえりゃ良いんならこれでも事足りるん。
因みにSnareのゴーストノートだって基本は皮に、バチ先か指か何かを唯触れさせるだけから始まっとん。

一方でBassとなると奏法を問わず表情を付けたり変えたりするには、比較的ダイレクトに奏で加減を変えてやんなきゃなんないのよ。
強いて太鼓より楽だとしたらエレキ使用で、物理的ダイナミックレンジが制限される事位かな。

処がそう云う一面的な理論値に惑わされては駄目で、音量こそ殆ど同じでも弾き方次第で極端に音色は変わったりするんだから。
この面からはDrumsetよりcongaやBongoに近く、使ってちっちゃなピックと使える武器の威力がDrumのバチやペダルみたいには無いからねえ。

この物理的事実は他楽器にも共通で、あれだけ破壊力のある武器を手にしててもOKなのは凄い特権だわさ。
ついでに私体験も添えとくと幾ら省エネ奏法をしてもスタミナを要求される筆頭は先ず歌で、次点にBassその次が生ピと太鼓は表彰台に乗ってまへん。(だからって常に楽なんかじゃないけど)

更に追い打ちの念押しをしとくと、下手な内や少しでも無理をすれば太鼓の独壇場だったけどね。
だから演り出して当分の間は、真実を知れなかったし分からなかったんだけどさ。

因みにエレキBass歴は今や45年を超え、プロになってからだってドマイナーとは言えこちとら40年は演ってんでい。
それで一寸エキサイトが続きゃ息は絶え絶え、筋肉痛や指先その他が擦り切れて痛くなるんだから。

Drumでは現況頻繁に腕向上も目論んで無理する事が多いんで、やはり息が上がったり肘から先や脛から先の筋肉を張らせたりしてるけどさ。
そんでも3時間も休みゃ元の状態に戻るのが、Bassでウッカリ指を摩耗させると回復に最低1週間以上掛かってん。

例えるなら野球の野手と先発投手みたいな感じで、そりゃ遠慮して弾きゃ↑になるのを回避出来っけど。
ニュアンスを重視するとそうとばかり言ってられず、差し詰め先発投手が9回を投げ切って完封を目指すみたいな感じかな。

無論肉体的負荷軽減の模索はずっと続けてるし、ピック弾きならそれは当座は回避出来るけどね。
要するにBassって負担の掛かる箇所が集中してっから、当事者以外の皆が思ってるより案外負荷が重いんだよ。

-続く-

2024年9月21日 (土)

音楽備忘録1862 打倒閉塞感⓬

杜撰大王って神経に図太い処があるから一般論でのコミュ障とは多分違うんだろうけど、今迄何も問題を感じなかったでもない。
相手の波長次第で明確に得意不得意があり、その相手タイプ自体は未だ上手く説明は出来ないままなんだけどね。

それ以外にもなまじ音楽でノリに拘ってるからか、会話や対話でも上手く乗れないと結構悲惨な結果になる事があるしあった。
人次第で程度こそ違え恐らく誰にでもありそうだが、そんなのが閉塞感へ繋がる事もありそうだし実際あったんだ。

その一例が過去述我儘で無責任な奏者で、その上不要にマウントを取りたがった奴だ。
今再考すれば何か何処かで散々な目に遭って、それで自己保身の為にスッカリそんな風になってたのかも知れない。

だからこそ普段割と強気な親友が匙を投げて、お前なら勝てるかもとお鉢が回って来たんだろうけどさ。
だが実際会って共同作業(デモテープ録り)をしてみたら、親友が想定してたのとは異なる処に原因があったんだ。

表面的には理論派の様だったんでプチ議論を試みてみたが、実際は情緒派とでも云うか正論が全く通じなかった。
主催の別の友人から何やら上下関係の都合で穏便にと乞われたが、友人の作品のだけに変なケチが付いて評価が下がっては元も子もない。

ってんでトボケてアホなフリをして何とか事態を収拾したけど、そのやり場の無いストレスは結構後を引いて参っただよ。
こう云うのも所謂「朱に交われば赤くなる」の1パターンみたいで、きっと過去に問題の主もそんな体験ばかりしてる内にイカレちまったんだろうね。

この様にチームで何か作業をしてたらトラブルは避けられないが、余程人間性にでも恵まれてない限り大巾に相手を良い方向へ導くのは至難だ。
が自身のトラブル耐性を上げたり対処法を増やしとくのだったら常時可能で、意見が食い違っても慌てないのが第一歩となる。

上述の主の振舞いで最も勘に触ったのは不適切な高圧姿勢で、下から乞われればアイデアには疑問があっても積極的に試す気になれただろう。
そして結果がチームにあまりウケてない様だったら一旦引けば、厳密には時間の浪費側面の方が大きいがミスマッチの実確認にはなったから全く無駄にはならなかったろう。

つまり彼は主に3つの失敗を重ねてしまってて、その根底には頭や姿勢の硬さがあったんじゃないかな。
そんな際に感情に依らず有効なのが「代案」で、幾ら個人的にはこれしかないと感じてても他を全く用意してなかったのが致命傷だ。

アマよりゃ結果の想像がし易いプロでも、最終的には実験して聴いてみないとどうなるか分からないんだからね。
せめて伴奏全部を個人で引受けてたなら未だしも、それですらありゃ何だか違っちゃったやってのが起きたりするんだから。

と同時に失敗を悲嘆し過ぎるのも又問題で、気持ちが下がり過ぎたらパフォーマンスが低下するし。
そこで露骨に表に出しては周囲を不安にさせたりするけど、内心は当りが出たら儲けものって位のスタンスが大事なんすよ。

=つづく=

2024年9月20日 (金)

音楽備忘録1861 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓳

今回はサウンドのリズムそれもタイミングについて悲嘆するが、パターンもだがこの要素を省略・排除した愚についてざんす。
一部ヲタ氏には無味乾燥が良くてもメジャー系で広く大衆を相手とするなら、本来は欠かせない要素だったんだけどね。

容姿や声質の好みが人夫々な様に、リズムにも人次第でしっくり来るのと来ないのがおまなしてな。
先ず論理的理由として考えられるのが心臓の鼓動で、体格・体質から果てはどんな状況の時に多く聴くかで多種多様になるだよ。

例えばブラックな勤め先からやっとの思いで帰宅して、就寝迄の僅かな時間に聴くなら多数派は癒しが筆頭ニーズになる。
するとテンポはゆっくり目が良いし、タイミングも安心感≒安定感に優れるのが良い。

方やスポーツや肉体トレーニングの最中に聴くなら鼓舞してくれる様なのが向いてっから、安定性が不要ではないが少し刺激要素が欲しくなったりする。
んで当然その時の鼓動速度は静止時とは普通かなり違うだろうが、単純に何でもやたら調子良く賑やかにすりゃ合うってもんじゃない。

そこで杜撰大王が思うのは異常な高平均音圧に憑りつかれてなかったら未だしも、その状態一択でリズム迄どれでもにぎにぎしくしちまったら「フィットしないシチュエーション」を無駄に増やしちまうだよ。
この合わないは売上減少に直結してて、単曲・単アーティスト単位なら兎も角全体では必ず儲けを減らしてんだよ。

にも拘らず破滅へと向かった原因は①録音でのClick常用化と、②度を越した経費削減が背景にあった。
更に背後でそれを邁進したのが音楽の専門知識不足で、本来なら分不相応な運営者の蔓延だ。

何時頃から電通の悪の支配が始まったかはワシャ知らんが、性急に米巨大市場で巨万の富を築く様に心酔してやらかしちまったかね。
米本土でのシェアを抜きにしても向うは最初から市場のグローバル化を企図してたし、その達成に長時間掛かってもギリギリ迄撤退なんかしてなかったんだけどさ。(猛者になると再上陸なんてのも幾らでもあるじゃん)

日本のメジャー系は’80年代半ばにはアッサリ本気でやるのから退散しちまって、事業・実業としてはあまりにも粘りが無かったな。
もしかしたらその裏にはバブル景気があったからで、それだけ国内消費が隆盛ではあったんだ。

冷静な経営判断をすれば長く続く訳無いと分かった筈だが、所詮は儲かってもタカが知れてる音楽産業に本物の実業家は見向きもしなかった。
結局経済的側面からも芸術産業的側面からも、一流にはなれなかったガラクタ野郎しか参画しなかったんじゃないかな。

こう云う事情にいとも簡単に左右されるから、音楽は実はかなり政治と近い距離にあるんだと随時頻吠えしてんだがねえ。
まあ誰だって少しでも楽な方へ行きたがるのは、俺だって大して他人の事は言えないけどさ。

=つづく=

2024年9月19日 (木)

音楽備忘録1860 映画・TV等への専門家が作った音楽⑧

あと1回だけ昭和その筋達人について語りたいが、ここが杜撰君意識では最重要ポイントになるんだ。
敢えて昭和と冠したのは世代の影響も大きそうだからで、守備範囲の広大さはその特異な環境事情もありそうだからだ。

それを感じ始めたのは概述前田憲男の愚息(おっと失礼)が、俺等の作品を大胆にも親父さんに聴かせちゃってたからだ。
それで結果的に俺等は間接的レクチャーを受けたの近似になったが、そのプチ感想の柔軟さに先ずは驚かされたのよ。

当時一般の音楽的前世代(Jazz等)のRock評ってば、他の大勢から煙たがられてて知ってたからね。
処がそんな素振りは微塵も見せず、こっちも見落としてた様なくすぐったい所を毎回突いて来るんだわ。

そこからどうやら知ってて偏見無しに捉えられてるらしいと伺え、当時の他のクソ親父やクソ婆とはエライ違いだった。
それが何でも聴いてみる事にとても意欲的で、息子が一方的に聴いてもらってた訳じゃ無かったそうで。

この裏付けとして凡そJazz Pianistとは畑違いの、初期Syntheに依る演奏作品(前回述クイズ番組のED)等も親父さん既に出してた。
で後にそれを演ったのがこれなんだが買わないかと言われ、貧には無理メンゴしたのがRoland中規模モジュールSynthe。

だったりある時彼宅でBand練習した際借りたエレピに、殆どMetalでしか使えそうにない激歪ませSWが追加されてて皆で一体何に使おうとしてたんだろうなんてプチミステリーも。
そんなこんなで当時その筋の職人さん方は、思考の広大さが無限なのを偶然知っちゃった訳さね。

後者2エピソードの真意は未だ未解明なままだが、親父さんとその家はその他珍しいUマチックビデオレコーダ等お宝コレクションの山だったなぁ。
わ兎も角僅かでも使う可能性のある物は全て網羅してたのからして、音楽自体全域に渡って常時チェックが入ってたらしい。

それでいて舞台用のオサレ靴はずっとたった1つしか無かったりしたのにはズッコケさせられるが、それ位今で言う最深度の音楽ヲタだったみたいだ。
そうして実態の一端が明らかになってみりゃ、どうりであんなに何でも作ったりどうとでも出来る訳だと合点が行っただよ。

要するに昔一寸ブームになった「柔らか頭」(思考)の極致で、これは単一ジャンルに従事する者にとっても無視出来ない好例なんすよ。
只どうやって近付くかの点で、耳の付け所みたいなのを学ぶには映画音楽が最も参考になり且つ適してると思うんだ。

闇雲アプローチじゃ膨大な時間を掛けても、偶然の出逢いをひたすら待つしかないしさ。
何等の指標やアイデアが先に欲しくなるが、かと言ってその適用範囲が限定的だと役立たない場合も多い。

そこで主題が常時流動するカテゴリが遡上に上がった、と云う訳で御座居る。
んが困った事に今劣化本邦では途絶気味なんで、次回から再度海外事情の続きへ回帰させるあるよ。

-続く-

2024年9月18日 (水)

音楽備忘録1859 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➎

Drum系での2回目は、メカ低感高奏法の使い方のコツざんす。
既に一部の方は頭では理解してても、近年作品には良いサンプルが極端に減ってるのが泣き処。

杜撰大王本人は依然バリ現役のつもりだけど、実際好きなのは昔のが圧倒的に多いし殆どだ。
からそこから知見も得られるが、必ずしもそうしなくても他にも方法が無い訳じゃねえんすよ。

今劣化本邦のDrum系ではほぼ絶滅してっけど、他の楽器の迄全部が消失しては居ない。
実際他所からヒントを貰っても変換の手間が増えてまうが、起源を深掘りすればこの系統の奏法だって全部が自前開発なんかじゃなかったん。

打楽器奏法の進化は元祖のアフリカなら兎も角、現行ポピュラーの祖は欧の鼓笛隊系のが根底にある。
それを近代と解釈するか古代と思うかは人夫々だが、Classicの偉人Bach等と比べるとちっとも先行なんかしてなかったよ。

短いのなら未だしも一定以上の長さを続け様としたら、打楽器にだって何らかの曲みたいなのが必要になって来るからね。
その意味で音楽的に一定以上の効果のあるヤツは、曲ファーストでしか生み出せないんだよ。

なので独自性(新規)も含めると音効果としての基本的な知見だけ抑えれば、後は何処からヒントを貰ったって構わないのさ。
で↑の具体的内容は各奏法の適性で、速度や強弱毎に最も演り易いのがある程度決まってるん。

尤も奏者の適性(個性)次第でその境界域はかなり変動するし、敢えて向かない方でチャレンジするのも又一興だけどね。
とは言え肉体的にも物理的にも限界があり、例え超人でもその限界値を少し拡大出来る程度なんだ。

過去の杜撰君みたいに体当たりオンリーってのも壁にぶち当たらなきゃ大いに意味もあるが、有事の際に解消可能なのは体じゃなくて頭だったよ。
前々回のGuitarと同じく速度優先の時はワンアクションが優勢で、音の粒揃え優先の時は所謂ダブルストローク等が有利になる。

その根源理由は各音事の調整が個別に可能かどうかで、バズ系やスライド系はこれがとっても高難度になっちゃうんだ。
杜撰君にとってのダブルの基本原理は未だ腕で1打目・手首で2打目を鳴らす程度だが、実際2打目を1打目より無制限に強く鳴らすのは不可能だ。

只それは腕対手首で後者の筋力が劣ってるからで、一般傾向は誰でも同じだろうが過去知り合いに1人だけリストの方が遥かに強靭なのがおったで。
でそんな特殊体質だと手首動作速度も常人を上回るのが常で、そう云った自身の体質を併せて把握しとけば場面毎の奏法選択は自動的に決まっちゃうん。

それ以前の低レベル事情では実体験として、過去にダブルアクション系が不器用で苦手だったから代用して誤魔化してたなんてのもあるけどな。😓
そんな紛い物にも一利はあって、他人と異なるニュアンスの方が要るレアケースでは役立ったかも。

なので絶対的では無いが先に試すべき指標としては、速度やニーズに合わせて選ぶ意味は充分あるんだ。
それとRockでは基本的にJazzみたいに頻用する必要もなく、今劣化本邦J-POPみたいに一々どれもをフルショットする必要が無いから楽なんだけどねえ。

-続く-

2024年9月17日 (火)

音楽備忘録1858 打倒閉塞感⓫

豊かな感情表現には怒りも欠かせないのは確かだが、実際上手に制御するのは中々に難しい。
けれどどんな感情も表裏一体となってるから、下手に拒否ると逆の方にも何等かの悪影響を及ぼす可能性が高いんだ。

現代人は昔の杜撰大王みたいに何でもすぐ噛み付いたりしなくなったは良いが、無意識下に他人に無関心になり過ぎたりしてやしませんかっと。
その一因に「無理に怒りを封殺してる」っつうのがあって、安易に怒りから逃れるのに無関心にしてたりするからだ。

聖者なら未だしも凡人にはそんなに御大層なメンダルなんて無いから、センサを鈍化させて怒る場面を減らそうって行動論に至ってるケースがとっても多い。
小市民如きが幾ら憤慨したって世の中ちっとも変わりゃしない…、少なくとも直ちにそうならないのは紛れもない現実だけどさ。

この一種の諦めを壺は狡猾にも分断工作に大活用してるが、対戦相手の戦意を喪失させるのはスポーツや色んな交渉事の場面でよく用いられる古くからの手法。
なので今劣化本邦でもビジネスとなるとプライベート時とは真逆になる人が多いが、本当に必要なのはプライベートの方なんすよ。

ビジネスでは例えば単に落札出来りゃ良いだけだが、本音の付合いではより深い相互信頼が必要だかんね。
その表れの一端と思しきが昔みたいにすぐ殴り合いになったりゃしてないのに、今のBandでもアッサリ解散しちまう処。

不要な揉め事を避けるのは悪かないが、心底同意なんて出来てないから簡単に袂を分かつだけ。
それでは一緒に居る時だって真の阿吽の呼吸なんか得られるべくも無く、パーマネントスタイルのBandとは名ばかりで最大限に肯定的に言って唯のセッションっすよ。

感覚の共有も聴者なら極一部だけでもOKだが、アンサンブルでは当初は大雑把でも良いから大体全域に渡ってないと困る。
何処かで盛上げ・盛下げ意識が真逆になってたりしたら、相殺されて上げにも下げにもならなくなったりして機能不全になるっしょ。

ので意見が衝突してその時点では紛糾しようと、取敢えず決め事をして仮でも意思統一してかなきゃ先進みしないやんか。
最初から気が合って快適なのがベストだけど、大いに議論(このケースではディスカッションと呼ぶ方が最適か)しとかないと何時か何処かでおやってな事態発生の可能性が高い。

そう分かっててもしばしば対人関係でナーバスになったりするもんで、そんな際は適度な冷却期間とかブランクも大切になって来る。
が「今はまだ無理」はアリでも投出したらお終いで、どんな相手にも未来永劫「意見・感覚の一致する可能性」だけは残しとかんとね。

過度な同調圧力の蔓延してる今劣化本邦では少々厄介だが、もっと議論と喧嘩の区別は明確にせんとアカンがな。
他人からどう見えようと、両者本来は全く別物なんざます。

前回からのは一見精神論とも思えるだろうし、現実にそう云う側面だって無視は出来ない。
けれど何かの気持ちで一杯一杯になる前に、考え方(概念)とかを先に良く再検討してみませう。

=つづく=

2024年9月16日 (月)

音楽備忘録1857 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓲

過去の失敗第2弾はソフト麺…じゃなかった面で、前回のハード面より更に罪深かったマネージメントだ。
一言で言うと売り上げに見合わない実力の持ち主を担いじゃったで、音楽の本質を理解不足な奴が仕切ったのが愚だった。

やり玉に挙げるべき筆頭が今や評価の大反転したジャニー喜多川等で、例え張りぼてアイドルでも歌手(音楽家の端くれ)って認識に誤りがあった。
声質の魅力が足りない・歌唱力が足りない等、歌の実力が足りてないなら役者やモデル等他分野で売れば良かったんだけどね。

確かに昭和以前にだって音楽的実力が疑問視され乍ら売れた事例はあったけど、それ等はどれも何曲も続けて売れた訳じゃ無かった。
メインはキャラクターでも声質にも一部ニッチ層に対して位はちゃんと魅力があって、ちゃんと歌えない→たどたどしい→却って声質が誇張されるってロジックが一応成立してたんだ。

プロとしてちゃんと歌える為にはある程度発声のしっかりしてるのが必要だが、そうすっとその分巷で訊ける可愛い声よりは大人びてしまう。
この懸案が解消され出したのはずっと後年になってからで、やくしまるえつこ辺りでウィスパーボイス唱法等の出来る人が登場してからだ。

それ以前では発音が舌足らず等一部の天然に依存する程度で、プロの舞台を成立させるには声量の絶対値がネックになってたんだ。
PAの発達度も然る事乍ら、大昔だと伴奏が生でしか無理だったからねえ。

それ故声優等他分野ではとっくに達成されてたんだが、眼前生歌唱が要求される立場では採用困難だったんだ。
でそんな状況で実力不足の奴に歌わせなきゃなんないとなれば、極力歌唱力以外へ聴衆の耳を向けさせなきゃなんなくなる。

そこから始まった誤魔化し手段の1つに歌詞、それも主に言い回しや奇抜ワード等がある。
近年なら「うっせーわ」等がその典型例で、彼女の場合は歌唱力も充分持ってるけどね。

だがそんなテクが実用化前夜だったんで歌詞の稚拙な小細工が始まり、こっちの方でも当時は裏方職人のオッサン・オバハンが担ってたから無理な注文に迷走が始まったんだ。
因みに今なら若く可愛いネーちゃんがヤバイと発しても平気だが、昭和の頃は輩は未だしも表社会の女性が使える単語じゃなかったんだ。

もし女声でそう聞こえたらすわ和田アキ子かってなもんで、差別だろうと何だろうと今みたいに誰もがどんな言葉を自由に使える状況に無かったの。
故に仮に作詞家が英断しても大衆にはその意図通りになんか捉えて貰えず、しかもアイドルか同等の存在だったら尚更だ。

結局当時時点では半端な挑戦に留まってたが、音の方での工夫が鈍化し出したのも同時期だ。
上手な奏者(つまり音でアピール可能)でアイドル並も少しは居たが、その殆どがメジャーウケには歌が強要されててね。

そりより前の時代だったらインストでもそこそこ売れたんだけど、冒頭出のジジイが悪巧みして見栄えの良い歌手こそがだけが至高なんて風潮を作りやがったもんだから…。
多忙な庶民が暇潰しに聴く音楽に手間なんか掛けてらんねえから、ジジイのお薦めで間が持つ間はと多くが騙されちまったんだよ。

=つづく=

2024年9月15日 (日)

音楽備忘録1856 映画・TV等への専門家が作った音楽⑦

恒例の前回流れで、今回は過去日本での映画・TV等所謂職業音楽家の大家を紹介して行こう。
と言っても洋楽ガチヲタにして邦楽非ヲタの杜撰大王だから、漏れや失念があっても勘弁よ。

又しても無責任になる自覚があり乍ら図々しくも書いちゃうのは、その筋のヲタと一般人の落差があまりにも巨大になっちまったからだ。
その具体的変容を私事で例示すると、以下の様な現象が近年ではとんとご無沙汰になったからなんよ。

過去述某著名音楽家の次男と仲良くなった際俺は当初知らなかったが、ウチの母親がその前田憲男氏の事をそこそこ知ってたんだ。
因みに母は音楽をたしなみはしてたが完全非ヲタだったし、特にドラマ等のクレジットに敏感だった訳でもない。

単に当時普段見てたクイズ番組のエンドロールに、毎回その名が登場してたからあ~あの人かと認識してただけだ。
しかも既にJazzブームは去って久しく、今なら個人的ネームバリューでやれ米津玄師か星野源かと認識してた訳じゃ無いんだ。

あまりにも多方面で名前が載ってたから、どうやらその筋の人だと思ってたらしい。
昭和当時はこれが至極当然の事でそれ故他にも宮川泰・小林亜星・大野雄二・冨田勲…、等を一般人もたまたま知り得る状況にあったんだ。

又当時はBandマンでも仕事への姿勢が柔軟な人も少なくなく、且つ芝居のイメージを強固にする為に登用されるケースが今より断然多かった。
因みに少々ゲスな話しだが当時Rock等の国内市場は今より遥かに限定的で、食い繫ぐにはあまり仕事を選んでられなかったっつう背景も。

加えてお前Guitar弾けるなら例え非専門ジャンルでもコード位押えられるだろって、世間の要求がもっと広範でその圧も高かったんだ。
当時はついRockじゃないからと断ろうもんなら、何だよ人付き合いの悪い奴で使えねえななんて平気で一般人からもディスられたもんだ。

今だと眉唾と思われるか知らんが、原理的思考ロジックを優先したらホントはその方が正論なんすよ。
そこそこ弾けてる人がジャンルが違うだけで全く弾けないって、楽器を弾けない人にしてみりゃ到底納得出来ない理屈じゃん。

彼等は別に超有名達人でもない奏者に超絶は求めてなく、知ってる曲らしきが聴けたらそれを喜びたいだけなんだよ。
そりゃ中にはミスや稚拙を突いて来る奴も居るだろうが、どうせそんなのは何をどう演ったってケチ付けるもんさね。

んっまだからって普段から密かに練習しようとは思わないが、その逆にわざわざ出来るかも知れない分まで演ってみないのはパフォーマーとしては致命的サービス不足じゃないかな。
演奏をカミングアウトしてるって事ぁ自身の承認欲求を肯定してて、ホントに個人の秘密の趣味なら他人に口外してないよね。

その意味でジャンル違いを頑なに拒否するのは無理があって、聴く前から否定する癖が付いてるとそんな風に陥り易そうなんだよ。
尤も自身のイメージ定着前だと誤認されるのを嫌って、つい尻込みしちゃったりしても仕方無いんだけどね。

-続く-

2024年9月14日 (土)

音楽備忘録1855 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➍

お次は話の流れから既にチラホラと出てた、Drum系でのこの奏法についてざんす。
私感ではポピュラー系のこれが最も衰退が著しく、こんなならホントもう機械で良いやとつい思わされるだよ。

さてこの件論じるにあたり先ずは一般認識の誤解を正すべく、細やかなポピュラー系でのDrum系の音・フレーズの効果をおさらいしてくべ。
杜撰流端的表現をするなら「未だJazzの亡霊に憑りつかれてる」ってなもんで、Jazz全盛時にやたらと使用されたもんだからーだ。

実際にはJazzでも超売れ線の歌物ではそこそこ控え目だったりしてたんだけど、過去述「難解だったらJazz」なんて印象を植え付け過ぎたのが不味かったか。
これには主に2つの原因が考えられ1つはエゴ、2つ目は基本リズムパターンに関する当時の認識だ。

前者は常に出没るもんなんで割愛するとして、後者実は今より大抵は簡単なのしか基本パターンとは思ってなかったんだ。
それ故他楽器やアンサンブルの事情もあって、基本パターンだけ演ってたんじゃどうにも間が持たなくて困ったらしい。

持続音系の楽器以外は’70に入る位迄は、今みたいに自由になんか伸ばせなかったし。
でも基本パターンはシンプルじゃなきゃ…となれば、隠し味→ゴーストノート的存在のフル活用となったと。

してこれにも明確な理由がかつては存在してて、ハッキリ聴き取れる音が今より格段に少なかったからなんよ。
そんな状況を散々苦労の挙句折角解消したのに、今劣化本邦じゃ平均高音圧化だのでフォルテもピアノも音色がほんの少し違うだけにしか録れなくなりやがってけつからに。(実際は録った後の超加工だが)

そんなじゃゴーストも実像化しちまうから、鳴らす鳴らさないを兎に角ハッキリしろとなって何の為に生身の職人が叩いてるのか分からん末期状態に…。
抑えて抑えてっとあのですなぁ上記にある様に、実は単純なパターンでこそこの手の小技はとっても重要な役割が出て来るんすよ。

当然そんなに頻繁に使うとは限らんのだが、比喩るなら軍服の階級章みたいなもんなんだよ。
旧日本軍なら階級が上がるにつれ、段々と☆や線の数が増えて行く。

流石に元帥・上級将校クラスになると軍服自体が異なったりもするけど、敵に対して誰が親分で何処に居るか分かり易過ぎたら防諜上ヤベーやん。
そこで音楽でも主役の邪魔を一切せずに微妙に雰囲気を変えるとか、元々は色々するのに編み出された技だったん。

突飛な例えだが「咲いた咲いたチューリップの花が」と演るとして、メロから何から基本パターンは極単純でそこへ下手に何か追加したらもう駄目だ。
仮に許容されるとしたらド演歌の大御所に歌わせたら、ついコブシが付いちゃった程度でしょうよ。

しかもそうなっちゃってたら子供や若者には、古臭と笑われて今一ウケねえなんてさ。
すべからくポピュラー系では複雑化する様なのはご法度で、弄れるのは伴奏とか主旋律等に影響しない箇所に絞られるの。

それ故聴き味がシンプルなものに程量こそ多くなくても、ホントは小技って欠かせない要素になるんだけどねえ。
特に日本の同調好きと今の猛烈な承認欲求を同時に満たすには、それこそお誂え向きだしこんなのしか無いと思うんだけどなぁ。

-続く-

2024年9月13日 (金)

音楽備忘録1854 打倒閉塞感➓

今ではスッカリいい加減なオッサンが板に付いた杜撰大王も、実は大昔は正直者が馬鹿を見る式で何時も怒ってばかりいたんだ。
やり場の無い怒り(実は自身の思考に問題アリ)に打ち震えるその様を冷静な他人は苦笑してて、こっちからしてみればその不謹慎(不真面目)な態度に更に又強烈な不快感を覚えたり…。

今振り返れば身勝手な正義感に支配されてたんだが、殻に閉じ籠るより外部へ発散したのだけはまだ良かったと思ってるよ。
ってそんなお騒がせ野郎は周囲には災難でしか無かったろうが、他人と衝突する事に依って色々な考えの違いは学べたかな。

この国と限らず不要な揉め事は当然嫌われるし、もう少しスマートにやる方法が他に幾らでもあったんだろうけど。
でも疑念を先送りにしたりその挙句、棚上げして保留にする内何時しか解消の意欲を失ったらもっと大変だ。

必ずしも表に出さなくても必要な怒りってのは実在し、非効率だからって封印なんかしちまうと感性をも鈍らせる。
実際怒りは精神も肉体も消耗させるには違いないし、相手が正面から受け止めてくれないと空砲にもなる。

それもあってか今は若い人程何でもなるべく衝突を避け、少なくとも表面的には随分と大人しくなってるね。
だが全てをかわせるもんでもないし、気持ちが堪えられても泣き寝入り不能な案件だってある。

ので幾ら面倒でも没交渉(対話)にしたら終いで…、って事の発端は高圧的な大人の方に原因はあったんだろうけどね。
とは言え若者程息苦しい世情と思うから対外部分は兎も角、自身の内面迄そんな思考に支配されては可能性があっても飛躍不能にしてしまう。

けしからん大人達にしても我が道を行く大多数は、旧時代の価値観で突っ走るばかりで謙虚さや反省が致命的に足りない。(恐らくその根底にはかつて抑圧されてた鬱憤があるんだが…)
少なくとも人目にそうは思われたくないと若者の猿真似する連中は、加齢等も相まって本家よりもっと後ろ向き。

であっても一応平穏な日々を過ごせるならまだ良かったんだが、創作の世界では虚像の癖に何か実体をでっち上げなきゃなんないんだよ。
言うなれば擦れ違い様に絶対殴って来る奴みたいなもんで、それも凄く強力だもんだからどんなにガードしてもこっちにだけ大きなダメージが残るみたいなさ。

そんで音楽の才能(適性)が皆無だったら見込薄だが、何処かに才能があったら自分内で巧くやれると寧ろストレスの捌け口にもなり得るんだ。
明らかな悪を除き他人を攻撃しなかったなら、音楽内容内ならどんなにエキサイトしても世間に不都合は生じない。

これはスポーツ界で切磋琢磨するのと共通箇所があり、自身の失策に自身で激昂する限りは幾ら怒ったってノープロブレムだ。
尤も近くに居る人には少々恐怖があったり、気を使わせちまったりはしばしばあるけどさ。

本当に達観したから下衆な怒りの感情が無くなったってんなら大変結構だが、一般で怒りにある問題点はその矛先が何処を向いてるかなんよ。
他人に対し冗談なら兎も角、怒りはしなくてもあから様に不機嫌な態度になったらそれはもうプチ攻撃なんだ。

ので仏門に本格的に入り特別厳しい修行を積んだとかじゃないと、怒りだけ封印した処で必ずしもこの人は絶対攻撃して来ない…とはならないんだよ。
怒らない努力をするより先に、激怒しても他人に被害が及ばないのを考えませう。

=つづく=

2024年9月12日 (木)

音楽備忘録1853 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓱

このまま続けると単なる老害の僻みと思われちゃ堪らんので、今に至る原因を作った年寄りの失敗もちゃんと晒しといてやろうじゃないの。
杜撰大王は昔から低音ヲタだった故偶然その兆候にとっくに気付いてたのが、日本で正規録音をするとバスドラが誰が演っても殆ど同じ音色ってのがあったんだよ。

そうなり出したのは1970年代中頃で、恐らく誰もが太鼓をそれ以前よりOn Mic収音にし出した頃だ。
当時厨二病の俺が感じたのが海外のも一聴似てはいたが、良く聴き込むと中高域と低音のバランスや低音自体の質にバリエーションがあった件だ。

On Mic+コンプで汎用に乗せるとなると、アタック部の処理はメディア等の都合もあって似るのは言わば必然だった。
要するにテープレコーダのダイナミックレンジ内に収めるには、到底低加工じゃテープで露骨に歪むかんね。

その上LPレコードでもメディアの都合から中心部へ進む程歪み率が悪化してて、実際手抜きレーベルとか低盤質のだとかなり酷くなってるのも多かった。
私的に最もそれを感じたのがCBS系ので、それ等は他に再生1〜10回目迄位とその後では露骨な音質劣化もしたりさ。

当時のCBSったら聴き専ヲタの親友氏に依りゃ音楽家の墓場みたいなもんとボヤいてて、そもそも作品のクウォリティより当座売れるかどうかだけでリリース可否を決定してる様な有様で…。
閑話休題 そんな事情に加えそれでももう明瞭度は問題になり始めてたんで、バスドラアタック部のサウンドには選択の余地があまり無くなってたんだ。

それでも非アタック部とペダルを含む楽器自体のアタック音質は、海外の殆どは何処でも個性を尊重してたんだ。
尤も誰もがRingo等を追っかけて向うじゃ録音時のSpeedkingシェアが高率だったんで、その意味では物真似芸人の大量出現だったがね。

が過去劣化本邦に至ってはそんな事情すら顧みず乱暴な事に、どうせアタックも同じなら他も一緒で構わんとか誰が思い始めたか知らんがね。
どのジャンルどのタイプの奏者でもUREI 1176を深めに掛け、ローエンドなんか全然気にしない様なサウンドばかりとなってたんよ。

その副作用は国内のシンプルだったりHard系スタイルの人程損してて、我師匠の独自称「トーン派」の存在を許さん状況だったんだ。
因みにトーン派とはバカテクとかより独自美麗音色をウリとした者の事だそうで、テクで天賦の才に恵まれなかったらそうでもせんと生き残れないしねえ。

わ兎も角私感では今ならクチバスドラの劣化版って感じで、あのみみっちさが聴こえるともうそれだけでガッカリ萎えたもんですわ。
その上当時国内高名Drummerで足が速いのはつのひろとポンタ位だったんで、今冷静に振り返ると不当に低く見てたかも知んない。

この様に音楽的に音色不足で供給されると只でさえ大した事ないのに、職人達の良さ凄さも伝わり難く二重の損失をしてた訳ですわ。
そして世界基準を獲得出来た一握りの連中が軽視され、挙句には継承困難となって国内だけでもウケりゃ良いやとイジケて…。

=つづく=

2024年9月11日 (水)

音楽備忘録1852 映画・TV等への専門家が作った音楽⑥

さて前回提示銭形平次OPは杜撰記憶に残ってる数少ない俺言い「若い和」なんだが、国産Rock等にとって本来そんなのがオリジナリティのネタになるべき筈だったんだ。
現時点でこれの成功例としてPink CloudのアルバムCloud Land~桃源郷~(’82)内の、数曲程度しか俺には例示出来ない。

オリジナリティとしての和の導入はこれ以前からとっくに始まってたが、Rockの体を全く崩さずにとなると杜撰君の選からは他のは脱落するのだ。
1曲目の宇治茶屋第5幕(Chorkin’ Down):変拍子ありのインストと7曲目の幕ノ内(Lizard Lunch):これもインストが該当し、私感に過ぎぬも内容は殆ど昭和の時代劇用音楽そのものだ。

例に依って杜撰妄想ではChar氏過去に一度だけ俳優として時代劇に出たからと思ってて、そうだとすればヒントを失敬した辻褄は一応合うんだよね。
この点に於いて映画音楽とRockの両方で日本人は過去に大怠慢を犯しちまったと考えてて、もしかするとそれがカンフー映画の音楽みたいにグローバルヒットするのを阻んでんじゃないのかな。

これ考え様に依っちゃ奇妙な現象で、カンフーより侍や忍者は外人にはもっと大人気なのにさ。
何故かそれをイメージさせる音楽だけが、ずっと空席のままなのよね。

21世紀にも至ってこの体たらくなのが本邦の情けない処で、文化発信がド下手且つちっとも進まない原因の1つだ。
加えて過度の民間依存の弱点で、何か1つ位典型的存在を確立するには官民総動員での開発が必要なんだよ。

特にこんな不景気下じゃ儲けのアテのあるのじゃないと、会社っつう営利追及組織は手を出さないじゃん。
そんな時でも国の将来に責任のある公共の立場だったら、大きな損失が出ないなら本来は予算が通るんだ。

故に百歩譲ってせめて上記曲に大々的に宣伝費を掛けるとか、幾ら何でもその位はやらんと道が開ける訳ゃねえっての。
わ兎も角彼等の曲に強いて難癖を付けるとしたら、外国から眺めた日本って視点かも知れない。

だからこそ外人には分かり易いんだろうが、内部視点の欠落が少しあるのは否めない。
理想としては誰か継承者が現れそれを改善すりゃ良かったんだが、未だ現れてないか大手が完全無視したかで一旦途絶えた状態だ。

因みにこんだけ吠えるなら自分で演れの声もありそうだが、悪いが杜撰君はそんなの求めてないんだわ。
と言うか現状ではまだ相応しい実力が備わって無く、それがネタ収集の段階での躓きにも現れてまんがな。😓

杜撰予測ではもう少し上の世代ならもっとリアルタイム体験量の多い人が居る筈で、露払い位しといて欲しかったんだけどなぁ。
尤も私説Rockの平均寿命は70歳からすれば最早風前の灯で、残念乍ら過大な期待をするのは酷ってもんだろう。

ので全責任を追えなくて済まないが、せめてあんなのやこんなのがあったってのを少しでも啓蒙しときたいんだ。
過去と比べると今は明らかに、この方面の大家と呼ぶべき人が思い浮かばない状況になってる。

そうなると一部ヲタが夫々の音楽を支持するだけで、僅かになったも実在するのに世間的には無きものと思われてるんじゃないかな。
この件では放送作家の著しい劣化にも表れてて、平気で原作を改悪する輩なんかもこないだ居ったやろ。

そう云う兆候は芝居にも音楽にもマイナスでしかなく、わざわざ自身で面白い作品を生み出せなくしてんだよ。
皆様是非ともアンテナの感度だけは落さないどいて、千載一隅のチャンス(アイデア)を掴んでやりませうじゃあ~りませんか。

-続く-

2024年9月10日 (火)

音楽備忘録1851 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➌

ほんだら楽器別の仕分け作業と参るが、初回はGuitar属だ。
メカ低感高奏法で最も影響の大きいのが発音方法で、ここでの発音とはどうやって音が出されるかざんす。

単音しか出せない楽器にも色んなのがあるにはあるけど、全く意図してないのに僅かでも勝手に起きてるのがGuitar属の特徴なんだ。
弦5本迄なら各々指を対応させて弾けば完全同時発音が可能だが、6本以上とかピック等の使用時には厳密にはこれが出来ない。

と言ってもそのタイムラグは極僅かなんで普段の使用では意識する必要も無いが、ある意味この弱点を逆用すると独特なタイミングで鳴らせるんすよ。
鍵盤その他でも近似なのは可能なんだけど、その難易度は格段に上がっちまう。

ってどんなのったら古くはThe Venturesのコードカッティング等で印象的なアルペジオとの合いの子みたいなヤツで、所謂「ウンガラチャッカ」とか「ボロリン」とかなるヤツだ。
これ比較的低速なら他楽器でも容易いが(唯のアルペジオだもんね)、ギリギリ分離して聴こえるかどうか位の高速域になると全く違って来るっしょ。

そんな応用の典型例として杜撰君的には、ドマイナーだがAtlanta Rhythm SectionのBarry Baileyを提示しときたい。
彼はソロプレイの節々に和音の極端に速いボロリンを挟むのが独特且つ象徴的で、結果的に音程もだがリズム面で大きな効果があるんだ。(具体的にはボロリンよりウッキャララッカなんて方が近いかな…何のこっちゃ???)

Drumで言えばFlam TapやRatamacue等と近似の効果があり、他楽器やGuitarでも他の方法では殆ど得られないニュアンスが出せるのよ。
と云う具合で専門的詳細分析すればどのタイミングでどんな音が鳴ってるか解析可能だが、普通に聴いてると正体不明になる速度域なんだ。

んでこの手のだけ何故「手加減」に有利かったら、動作がオルタネイトピッキング等不要なワンアクションだからだ。
各音の粒を揃えたい場合には不向きだが、その代わりもっと速く出来ましてね。(もっと速めりゃ唯のコード弾き)
Drumの超速シングルストロークと
バズ系(2連以上)か、バスドラで足首ダブルかスライドダブルのどっちを使うかなんてのと良く似てる。(詳しくは別稿参照:夫々に異なる適性速度がある)

強いて速さも粒揃いも欲しきゃ打込みが最善なのも付記しとくけど、一定速度以上になると段々「粒の比較」が無効化するのよね。
故に実際絶妙にするにはかなりの訓練が要るんだが、視覚的には全く簡単で楽そうにしか見えない。

それで今劣化本邦を中心につい蔑視されてるんだろうが、皆見た目よりもっと音を聴いて判断してけれよっての。
わ兎も角これの効果の中心はリズムに面白い変化を加えられる事だが、それに任意の音程を実音で同梱可能なのが他の技と大きく異なるんよ。

因みに数少ない過去国内文献では恐らくこれを「弾ける様な」一言で片付けられてて、間違いでは無いがどうやって得られてたかの言及が無かった。
技の源流はかなり古いのもあって現代での必要性には疑問符が付くだろうが、案外研究と派生形が遅れてるのも又事実。

視覚では目立たぬが音的には大きな効果があるんで、上手くアレンジ出来たらまだ発展の余地が結構残ってん。
ほぼGuitar固有の技法なのと相まって、この奏法の地位向上を切に願いたい。

-続く-

2024年9月 9日 (月)

音楽備忘録1850 打倒閉塞感➒

さて前回のは不要に深刻になって思考停止に陥ったりするのを避ける為だが、凡人が常に冷静さを保つのは中々に厳しいものがある。
音楽でも経験値が高まれば本番時の緊張等には対応可になって来るが、その分お客さん不在時の色々は却って訓練が遅れちまう様なんだ。

又ピンチに怒ったり不機嫌になるのは周囲に誰か居たら難儀だが、それを表に出さないとか出せない性分の人の方が事態は深刻になり勝ちだ。
何時だってよく考えるのは大事だが、脳内で行き詰ったら俺言い「脳外」に活路を見出すしかない。

処が試行錯誤をするにも何等のアイデアや意欲が必要で、頭が飽和してると手も止まりがちになってまう。
その打開策の1つとして「遊び」若しくはそんなマインドが好適で、決して最初からは成果を求めない処に鍵があるんだ。

普段は良い事尽くめの真面目思考も、時に軽薄さに屈する場合がこんな時。
目的に対して大抵は遊びは余計だが、あんまり石頭で徹底徹尾排除してると息詰りを招いたりするのさ。

かと言って心持ちが散漫になり過ぎたら非効率になるから、中々加減するのは難しいんだけどね。
そこで再考の余地の出て来るのが「真面目の内容」で、軽薄とか表面上の不真面目を先に否定しちまうとね。

実際他人からどう思われるか等も何かと気になるもんだが、ある程度の外野の初期誤解はスルーすべきなんだよ。
それが真の意味での目的へ一直線ってなもんで、嫌みになったらスマンがサラリーマン社会の一般認識とは大いに異なる点なんだ。

現行今劣化本邦の教育基本方針が↑なんで、亜流だろうと頑なに嫌って様と大抵ほぼ誰もが思考的には影響を受けちゃってんだ。
ので闇雲に何でも反体制だなんてのだったら取敢えずは回避出来るが、全共闘でもあるまいし今時そんなのは流行ってないからねえ。

つまり一面で真面目とか勉強熱心な人程↑の弊害も重く、東大生程壺に騙され易い傾向があったなんてのも既成の理屈で考えちゃうからだ。
そんな時独立性・一部客観性のあるのが感性や野生で、最初は違和感の有無に着目する。

勿論理論的裏付けの無いのが多いからハズレになる方が多いが、さりとて狭義の理論だけで思考する方が失敗時のリスクは全然大きいんすよ。
ってのも狭義の枠外に矛盾点があったら、考え方を変えない限りそこに到達出来ないでしょ。

別の言い方をすりゃ最初からスマートに行こうとし過ぎるのの弱点で、それは既存のマニュアルへの過依存にも通じるものがあるねん。
誰かの後追いしかしてない内なら既に充分なマニュアルも存在してる可能性が高いが、僅かでも前人未到の箇所があったらそこに限れば自身が成功してからじゃないとそもそもマニュアルなんて作れないじゃん。

結局は外面の真面目さと内面のそれは別物で、評価を急ぐのも又よろしくないんだ。
壺に従って滅亡するか多大なリスクがあっても正義を貫くか、なんつうと如何にも大袈裟だがこんなのでもその影響はしっかりあるんざます。

=つづく=

2024年9月 8日 (日)

音楽備忘録1849 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓰

不安症候群その3は、実体不肖なヘボマニュアルの盲信ざんす。
前回の言わば欲張り過ぎての失敗も、なるべく早期に素直にそれを認めないとド壺に嵌るがね。

↑とは比較にならん程情けないのが、初心者でもないのに全貌が明らかになってない慣習やマニュアルみたいなのに盲従してる処。
これが更に不味いのは殆ど新規の勉強にならず、自身で失敗を含む新体験の積算をしなくなるからなんだ。

幾らマニュアル高依存が流行ってるにしても、信頼性が充分確立したマニュアルが無きゃ御破算でごわす。
本来この場合個別のマニュアル制作からやらなきゃ駄目で、しかしそれに翻弄されたら現場仕事はどうしたって疎かになる。(几帳面な技師だと逐一メモ書きで残したり程度はあるが、それを系統立てて纏めるとなると…)

けどそれ位心血を注いで取組まないと、汎用なの(なるべく多くのケースでどれか当て嵌まる)なんて到底作れないよ。
そもそも音響技師ひいてはその中の録音技師人口の少なさを先ず事前了承すべきで、スポーツみたいな明快な結果とか記録データが音楽じゃ得られないのもね。

そう云う意味で機材こそ既製品があっても、実用上の加減等に関してはバラバラの部品がやっと売られてる程度のものと考えて頂きたいん。
差し詰め自製の手作りしか無い分野だったも同然で、仮にマトモなマニュアルがあっても助けになるのは個性以前の段階迄なんだ。

にも拘らず勘違い野郎を噴出させたのは、外野から眺めた打込みの簡便さなんじゃないかな。
真の打込みの意義って楽器は演れないが音楽センスなら持ってる人が、脳内イメージを例え擬似でも実音化可能になった事なんだ。

ちゃんとやろうとしたら弾けないのに各楽器固有の音域に始まって、得失とか色々を学ばなきゃなんない。
それもリアル楽器に触れても良く分からないんで(だって弾けないんだから
)、文献その他からのとっても地味で地道な努力を延々と。

それだと又隣のガキが下手クソな○○を演り出しやがったみたいにならないから、実際はどれ位努力をしてるのか他人にはとても分かり難いんだ。
そりゃ今みたいに猫も杓子もとなりゃ、無知なまま滅茶苦茶にやって自分が気に入ったからOKなんてアホも居るがね。

けどそれって非打込みでも中二病の自己満Bandとか、昔は特に凄く一杯居たんだよね。
強いて打込みとリアルでの本件の差ったら、丸パクリしてもそれが判然としない処かな。

ネタ元と同一音源・シーケンス・フレーズになると、誰がやろうと寸分違わぬ音しか出て来ない。
だったら即バレだろ…って必ずしもそうとは限らず、1からの自作でも偶然一致する可能性が
あるからね。

同じ値段で買ったウチの初音ミクだけ何かブス、なんてなったら最悪は訴訟もんだで。
って事ぁもし細かい部分でも歌詞とメロがたまたま同じだったらそこだけは全部同じに…、となるから引用と丸パクリの区別に鈍感なのが増えたか知らんが。

閑話休題大まかな目安こそ目的毎に存在するが、意図でもせん限りずっと同じ設定・調整で中々「同じに聴こえる音」になんかなってくれないんだ。
結局極力フラットな気持ちと耳で聴いて、調整しなきゃなんない部分は無くせないんだよ。

=つづく=

2024年9月 7日 (土)

音楽備忘録1848 映画・TV等への専門家が作った音楽⑤

前回述の如くそのものズバリのムードの為には、僅かに異なってもアウトな場合がある。
とは言えRock系や特にPops系では軽視されるのも少なくないが、諸事情や制約がキツくても妥協なんかするから音での訴求力を低下させてんだよ。

その意味で歌詞に頼れないインストにも耳をもっと傾けて欲しいが、今回は国内過去モノで未提示のを行かせて貰いま。
杜撰大王がこれに際し一番訴えたいのが「和風」の解釈とか、理解・表現の仕方ざんす。

駄目と迄は言わんが千本桜とか、近年のは悪い意味で想像上のファンタジーに寄せ過ぎてるんだ。
取敢えず和楽器を導入すればとか歌詞に古典的言い回しを用いればとか、過去名作と比べると随分安易で薄っぺらにしか聴こえねんだこれが。

何故又執拗に抵抗するのかってば、TV時代劇で大川橋蔵主演時代の銭形平次のなんかを聴いてたからだ。
クソガキ当時リアルタイム体験してた時ゃ所詮は年寄り向けとしか思ってなかったが、その割に結構ノセられちゃってたのも事実でね。

江戸文化や侍テイストを浴びつつも単なる古事ってよりゃ、ストーリー自体には現在進行形を感じさせる要素が「音や曲」にもふんだんに入れられてたんすよ。
何と言うか今のを干物とすればかつてのは刺身といった体で、曲・編曲共々もっと勇猛な攻めの姿勢が結構利いてたんだ。

具体的には非和楽器の扱いにこそ洋モノとの明確な差別化がなされてて、同じGuitar BandでもCountry・Rock・Metalでは夫々かなり異質になってるみたいなもんすわ。
それ故Big BandのもStringsやHornからエレキ系迄、和楽器以外は他のTVや映画のと編成はほぼ同じままなんだ。

ついこないだ迄全然調べないからあの舟木一夫が歌ってたのさえ知らない始末で、強いて言い訳すれば彼の代表曲高校三年生とは随分雰囲気が違ったからってのはあったけどさ。
要するに全ての面で「音楽の内容自体がそうしてあった」からああ聴こえてた訳で、この辺は冗談でも自分のジャンル以外はあまり演らなくなった弊害が大きいかもね。

要するに俺の過去の受け止め方は誤解してて、「若者向けの和」の要素もちゃんと入ってたんだな。
私事になるが杜撰君が和テイストを良く思えないひとつに、能動的・躍動的な和モノがとっても見つけ難いのもあって。

今旬の大谷翔平の二刀流ってそもそも元祖は宮本武蔵で、って事ぁ存命時の彼の世間イメージは今の大谷君みたいだったんじゃないのかな。
なので近年の劣化NHKの大河ドラマみたいのより、下手すりゃブルース・リーみたいなカンフー映画の音楽の方が本当はまだ合ってるかも知れねんだよ。

そう云や犬あっち行けぃの不始末ってば、その最初は人形劇の新八犬伝辺りが疑わしいぞ。
確かそこそこバトルシーンもあったのに、テーマ音楽は何とも舞台演芸一色だったのは今考えるとおかしかった。

ほんでRockにとってそんなじゃ不都合なのが、他の普通の曲の間にラインナップするのが厳しい点。
今主流の和テイストのって特化させてれば演れるけど、一般RockやPopsとは世界観が隔絶してて一緒には演れねんだよ。

-続く-

2024年9月 6日 (金)

音楽備忘録1847 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➋

続いてはメカ低感高奏法が音楽に、具体的にはどんな効果があるのかざんす。
歌で言うならコブシやそれに準ずるの等で、演歌や各国の民謡等では胸に付けた名札みたいなのに近い。

歌手の場合各人の声色だって当然個性と直結してはいるが、それだけで通用するのは「誰とも似てない声」の持ち主限定だ。
が現実には人間と犬の声ならハッキリ違う代わり、同族同士ならそんなに極端に異なるのはほぼ存在しない。

にも拘らず似てないと感じる例もあるのは、例えば声と体躯の組合せが正反対だったり片方は標準語・もう片方は方言でしかしゃべらなかったりするからだ。
前者は声量・息継ぎ間隔・強さ等に大抵は差異を生じるし、後者は外国語でも良いがそもそも発音が一々違ってたりするからね。

もしその方言さんが標準語もしゃべってくれたら、あら実はあの人と声がクリソツだったのねと分かるんだろうけどさ。
こんなの(使い方)が一般的には声色より音色巾の狭い楽器なんかじゃ、もっと重要な個人特定要素になって来るですよ。

でこの個人ってのは単にパーソナリティの特定なんかより、表現自体の特徴により影響があるねん。
全く同じ旋律でも何処にコブシ(装飾音)が入るかで、聴いた感じは時に別物になったりする。

因みに世間では常時・杜撰大王でも普段は装飾音と表現してるが、マクロ視点に立てば旋律自体が異なっている。
唯これ等は時間的に物凄く短いとか、同じ様に料理する人が少数か居ないので便宜上旋律と装飾音に分類してるに過ぎないんだ。

この辺がどの程度感覚で捉えるか理屈で捉えるかの差で、あらゆる聴き方されるのを優先するならどんな些細な相違もホントは許しちゃ駄目なのよ。
けれど必ずしも誰でもは真似出来なかったり、それが個人のアイデンティティだったりするから妥協してんの。

但しその「妥協の仕方」が凄く問題で、何処かに不足が生じたらそれを最善の方法で補っとかんとね。
それでも聴き専ヲタにしてみれば、実際気に入ったのとは違うんだから違うんだけどさ。

んで明白だから聴き専ヲタとしただけで、ド素人の一見さんだって敏感な人だと雰囲気の僅かな差を感知する人も居るんすよ。
そうして色々限定されると実数こそ小さくなるが、少なくとも雰囲気を最優先にするなら決して無視は出来ねんだ。

だが理屈を優先する世情もあってある程度迄は仕方無いものの、今劣化本邦みたいに流石にガン無視は無いと思うのよね。
しかもそれが奇妙なのは、過去にはほぼ雰囲気のみのなんかが地域的な独自主流だったからだ。

或は長らくそうして来たのが飽きられたのかも分からんが、西欧と比べると譜面で分かる様に向うの方が論理化は遥かに優性だったからねえ。
もしかしたら戦死で相対的にセンスの無い奴が増えて、って勝ちたきゃ能力・感覚共に優れる方から戦地へ送り出すべ。

今劣化本邦では敗戦の負の遺産についてちゃんと検証してないか、してても壺の都合でお蔵入りさせてるか知らんけど。
文化程度も戻らずこんなで平然としてたら、さぞかし外国から見たら蔑まれる材料になってんだろうよ。

-続く-

2024年9月 5日 (木)

音楽備忘録1846 打倒閉塞感➑

さて掲げた第3語を一旦休みにして、悪政に依る世相と私近況を鑑みて貧の苦悩についてひとくさりさせて頂きま。
経済問題自体は既に過去に言及してるが、今回はそれに伴う心情からの影響を取上げてみよう。

悲しいかな貧案件に関しては絶対的な自信のある杜撰大王だから、その体験時間の長さも筆舌に尽くし難い。
そこへ近年加齢も加わるとどうなって来るかってば、色々な事に対する意欲の減退が新たに問題化し始めてんだ。

それは主に手間作業から表面化して来てて、最初に実感したのは「お片付け」と自宅鉄部の再塗装だ。
明確な利益とかバラ色の将来像が想像出来ないと、別に貧じゃなくても元々面倒に感じる類なんだけどさ。

けど貧な程その影響は後で大きくなるもんで、今迄はそれを餌に長年思い腰を奮い立たせて来てたんだ。
概述の如く収入を増やせないなら経費圧縮が命綱で、人生を捨て去りたくないなら可能な限りDIYの一択だ。

幸いな事にたまたま元来DIYは好きな口だったからずっとそれで凌いで来たが、加齢はその根幹をも揺るがし始めたのよ。
誰かに乞われれば現時点ではまだ動く気になれるが、そんなに老い先長くなさそうな自身の事となるとねえ。

尤もスポーツや楽器演奏その他諸々は下手にサボると途端に低下するから、何でも投げ出そうって心境には至ってないが…。
そんな際に再度遡上に上がるのが生活リズムと世相案件で、前者は所謂昼型・夜型等で後者は無自覚に影響を受けてる分だ。

そもそも自宅外面鉄部での躓きは望まぬ夜型から始まってて、屋外作業に夜間は圧倒的に不向きだからね。
周囲への騒音の心配が少ない利点で強力な照明を用意すりゃ不可能じゃないが、余計な電気代が掛かるはその光に害虫が集まって来るはで損失が大き過ぎる。

で昼型転換を待つ内に段々暑くなってって、幾ら根性出した処で今の酷暑下では体力は持たんわ能率が著しく低下するわで先送りに。
とても身勝手な思考にしても自身が葛藤してる時は、外的不利要因はなるべく減らしたい。

その中で気付いてて動かせないものは兎も角、失念してて損してるのがあったら堪らんじゃないすか。
他力本願的発想なのは情けないが、自身が膠着状態にあるなら寛解のキッカケは外部に求めてみるしかないっしょ。

人次第でかなり差はあるも心境的に窮地になる程理性の働きが悪くなるのは一緒で、恐らく言語事情から文系人が多数派を占めるこの国だと世界レベルでは発想の転換の下手なのを先ず疑わないと。
苦境にあるのにお気楽過ぎて破綻しちゃ困るけど、あまりに負の感情を貯め込んだり四六時中暗い顔でばかりいるのはどうかと思うんだ。

壺が悪いのに巨悪を諦めるはまだ良いが、それでやり場を無くした鬱憤を冷笑コメで晴らすのこそ現実逃避やんか。
自覚不足でそんなになって恐ろしいのは、自身で浮上する機会をどんどん失ってく処なのよ。

しかも簡単に冷笑コメ野郎に転落するからには、自分で思ってるより遥かにきっと風見鶏君なんだ。
そんな奴は今は全然兆しが無くて不貞腐れてても、何か一寸でも好奇心を持ったら途端に調子良く変身するんだよ。

何を隠そう杜撰君自身がどっちかったらそっち寄りで、悪い方は兎も角楽器の新技のアイデアが浮かんだ位で直ちにもう浮かれてるもの。
どうせ諦める位なら、せめて自身が軽薄なのは先ず認めたいもんだ。

-つづく-

2024年9月 4日 (水)

音楽備忘録1845 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓯

俺言い「これで足りてるか不安症候群」その2は、サウンドに対する「悪慣れ」でやんす。
杜撰君の場合はこっちが主犯で苦闘が続いてて、もしかしたら感覚をその都度上手くリセット出来てないのがいけないのかもね。

美人も3日で飽きる…だったっけの如く、慣れは必要不可欠だが副作用も付いて回るん。
その典型が「もっと○○を」で、ファーストインプレッションでは良かったのが段々物足りなくなって来るヤツだ。

そしてそんな迷宮に誤進入し易くなるのがパート単体でばかりサウンド調整するのと、アンサンブル単位でやってはいるが周囲の誰にも負けるもんかみたいな下心が強く出た時。
だが最多層は↑を交互に続けて拗らせた場合みたいで、独奏なら未だしも音楽のサウンドには絶対的に「独り勝ち」が存在し得ないのを何時しか失念してるんだ。

音量や圧縮比(エンジンじゃあるまいしまさか音楽で用いる事になるとは😓)と同様、最初から「枠(わく)」ってのが常にあるのよねえ。
それ故引き分けこそあっても、相手が一切引かなかったら最初から勝ちは無い訳さ。

かと言って完全に埋没しては困るんでどうするのったら、他パートの弱い箇所に勝機を見出すしかないんだ。
周波数の低い順に行くとバスドラは大抵は音程感こそ不明瞭だが、振動に近い低周波をほぼ唯一生成可能な存在。

Bassもそれに続き今劣化本邦で幾ら明瞭度忖度が厳命でも、所詮Cymbalとかの高域アタックに挑むのは無謀なんすわ。
のでやはり各々最大の固有帯域をアピールするのが得策で、逆にそこに拘らないで他を何とかしようとすると実用上「使えない音」にしかならない。

っと言いつつ杜撰君かなりどんなのでも全帯域を目立たせ様としてるが、実際に必要なのは物理的じゃなく聴感上でのそれなんだな。
バスドラやBassの「らしい高域アタック」を求めてるのであって、Cymbalの高域アタックとは別物だ。

つまり明瞭な低音域楽器に求められる高域アタックって、物理的周波数を計測してみると中域若しくは中高域程度なん。
それ処かCymbalでもお気に入りのPaisteなんかだと、想像や印象
と違って実際アナライズしてみたら有効なのは可聴限界より大部「低い高域」だったんだ。(私感では何と10kにも届かず8kHz前後だった!!)

そんなのを過去に象徴的呼称として、勝手に俺言い「目立つ倍音」と命名して物理的なのと区別しとりゃあす。
因みに本来なら企業秘密の生ピその他のも出血大サービスしとけば、明瞭度に優れる生ピは私感4kHz前後で↑とは幸運にも被ってない。

バスドラ・Bassでは2kHz前後と、是又都合の良い事に↑どちらとも被ってない。
っつうか寧ろ一般的にアンサンブル内での使用が主な楽器は、開発初期段階から意図的にそうなる様に作ってんだよ。

だってそうしとかんと無加工リアル合奏で、敢え無く埋没しちまうざんしょ。
杜撰君がセオリなんて言うのは似合わんし好きじゃないが、サウンドを弄り倒しならこう云うのは基礎情報だし物理的理由なので誰も避けては通れんですから。

=つづく=

2024年9月 3日 (火)

音楽備忘録1844 映画・TV等への専門家が作った音楽④

広義の映画音楽には色々な分類方法が存在するが、独断と偏見でRock系の人が馴染めそうなのを提示して行きま。
実際過去にあったカテゴライズが杜撰君にはマッチせず、それもあって研究にだいぶ遅れを取っちまったからだ。

Classic系・吹部系・bigband Jazz系の人なら多分既存のどれかで大体当て嵌まるんだが、それだと映画音楽でR&B(FunkやDiscoも含む)・Country系含有量の大目のが何故か欠けがちになるんだよ。
又曲単位で探すのに既に名曲を知ってたら足掛かりにはなるが、1970年代前後の全盛期のをリアルで耳にしてないと洩れるのが多くなる。

例えばロッキーのテーマはお気に入りだが作者のBill Conti、私感的にはロッキーを超えるか比肩する程の曲が他に乏しい。
のは恐らく彼の活動時期と関係があるらしく、どうも’60年代中からの人と比べると競争の厳しさが足りなかったからなのかな。

TVドラマは未だしも映画全盛期からの経過時間は無視出来ず、この傾向は日本でも同じだ。
んでこれはBill ContiとLalo Schifrinを比べると明白で、後者は映画・TVを問わず超有名なのが目白押しなんざます。

ので1人を知って沢山のを聴こうと邪な魂胆があると、後者みたいなタイプじゃないと取れ高が良くないんよ。
無論既に気に入ってるのをピンポイントで攻めるなら別だが、全体の様子を掴んだりそんな奇抜なのもあるんかいを知りたければさ。

そこで登竜門の1策としてかつて日本でブームになった、イージーリスニング系の有名人を足場とするのもお薦めなんだ。
っと言っても保守本流ではなく当時FMでPaul Mauriat等と一緒に流されてた、Francis Lai・Henry Mancini・The Love Unlimited Orchestra(Barry White)辺りが狙い目ざます。

特に上記最後者は人種差別圧の強かった当時では異例で、単発なら黒でも他に達人・有名人は居たんだけどね。
そしてこんな経路を俺が辿った元にオーディオヲタだったのがあって、その頃に高音質に拘ると当時はこの系統のが最もリードしてたからなんだ。

当時映画館やTVのオーディオ水準は純粋オーディオには遅れを取ってて、それ故インストものをオーディオで聴かれる可能性の高いの程音質に神経が配られてたんだろう。
この関係で惜しいと思ったのが警部マクロードのOPとEDで、折角良い曲なのに真に正規と呼べるサントラが未だ出てないんだよ。

カバーとかバージョン違いで構わなきゃ、とっくの昔から幾つかはあるんだけどさ。
作品のオリジナルイメージで特にムードに拘ると、やっぱそのものズバリじゃないと何処かに違和感が拭えなくてね。

こんな処が歌物よりインスト物の難しさで、恐らく明確な主役が居ないケースも少なくないからだろうな。
っつうか主役を順に交代してくのが常套手段で、しかもそのタイミングが意図的に分かり難くしてある事が多い。

何分歌詞と云う漸次変化するのが不在なんで、1番と2番でも異ならせる様なのが必要なんだ。
故にこの手のに対してはオリジナル若しくは自身のイメージに忠実なのも重要で、曲が同じでもバージョン違いだったりすると記憶にある雰囲気が裏切られたりするんだよ。

-続く-

2024年9月 2日 (月)

音楽備忘録1843 メカニクス的に低難度だが感覚的に高難度な奏法への不等蔑視問題➊

拙ブログでは以前にも限定的に言及してるが、奏法に依る評価の不当な差異への問題提起でやんす。
その中で普段から杜撰大王が着目してるのが、音楽に対する効果は絶大で感覚的には高難度なのにメカニクス的に低難度なヤツの扱いざんす。

私感では昔から日本でだけ不当低評価されてる感じで、恐らくそれも表現巾等に悪影響を及ぼしてると思うんだ。
具体的には過去述重複もあるが俺言い「一筆弾き」やバスドラのSlide Double等がそれで、実際用途不一致だと不明瞭になったりするだけなんだけどね。

しかし何を置いても釘を刺しときたいのが、その楽器でしか不可能な表現・技のが結構含まれてる点なんだ。
理想は人力生だけど予算事情が許さん時ゃ打込みで、なんて邪な考えを持つとこんなのお邪魔かも知れんがね。

だが再三吠えも「今更生身の肉体で奏でる」なら、寧ろなるべくその特権を使わなきゃ意味ねんじゃねっとね。
是又頻吠え安定度・正確度では所詮人間如きは、チープな機械にすら完敗なのだよ。

と理屈はたいがいにしといて、先ずはもっとその利点を再検証しませう。
音楽表現で何に奏でさせるかを撤廃して最も肝要になるのは、ムード・ニュアンスなんかなんすよ。

作者・奏者が音楽にしようと思わなきゃ、音自体は音楽のだって唯の音に過ぎんのどす。
古い言葉では「作ってる物に職人が魂を入れる」なんてのがあるが、そう云う目に見えないけど必須のプロセスを経ないと音楽にはならない。

でその際最も扱いの面倒なのは、数値化とか出来ないヤツなんだ。
音階とリズムはもう譜面で明確化されて久しいが、「記譜するのに馴染まない」のは耳や想像で対処するしかない。

更に追い打ちを掛けるのが作者からの伝達すらままならん処で、該当するのがありゃ例示可能にしてもそのものズバリの音意外基本抽象的な言葉位しか手段が存在しないんすよ。
にも拘らず杜撰大王としてはそここそが核心だと考えてて、これは各自の個性面でもとっても大事な役割を担ってんだ。

肉声歌唱なら声色の違いがあれば自然と出てくれるけど、楽器は大抵は同じのを誰かが持ってて似たように奏でてたりするかんねえ。
折角エレキみたいに種類と組合せが無尽蔵に近く豊富でも、人気や好みの事情で限られた定番のどれかになってる事も多いじゃん。

そんな中でマトモな奏者同士ならそれなりの差異が出るのは、計測困難な程の音の強弱や発音タイミングの相違があるからだ。
本来芸術は創作者の加減がほぼ全てな物なんだが、近年は定量化→明確化→誰でも楽に確実に手に入れられるのばかりが脚光を浴びてる様だ。

んが大袈裟に言やこれ最早経済産業と芸術との戦いで、その首謀者は名ばかりの芸術擬きでボロ儲けしようだなんてなんと腹黒い。
ってかそんなの一時的にしか騙されて貰えないのは明白で、芸術産業自体の自殺行為なんだよね。

尤も従事者は生活が掛かってんで従うしかない側面もあるけど、本気でそうしちゃったらアーティスト寿命を無くしちゃうよ。
呉々もせめて
「フリ」をするに留めといて、裏ではしっかり修行しとかんとあきまへんで。

-続く-

2024年9月 1日 (日)

音楽備忘録1842 打倒閉塞感➐

サヴキーワードは温故知新でお送りしてるがその訳は、酷く単純に身近で簡単に聴ける音だけじゃ不足を感じてるならだからだ。
マクロ聴点に立ちゃどんどん新しいのが生まれてるが、音楽やサウンドの進歩はITとかと違って恐ろしくスローモーなもんなのだ。

誰も作らず誰も奏でずとも何処かから温泉みたいに勝手に新音が湧いてくれたら良かったが、誰かが作れる様になったり奏でられる様になってからじゃないと聴けないからねえ。
只その代わり温泉みたいに源泉が知らん間に枯渇するなんてのは無く、特に録音して残せる様になってからのは半永久寿命なんだ。

今日は視点を変えて人間側の先ずは肉体事情を考察してみるが、要するに昔と今の人の耳の進化具合だ。
ハッキリ言ってあっても計測不能な位の進化で、地球環境の劣化具合からしたら退化してる可能性の方が高い位だ。

実際先日メタラー様専用で高域を強調したヘッドホンが新登場なんてのを目にしちまったが、こりゃもう明らかに軽度の難聴になってしまった人向けのブラックな商品だわ。
まあこれで確実なのはせいぜい傾向位なんで推測に過ぎないが、もしかしたら昔の人の平均の方が可聴帯域が広かった可能性が考えられる。(但し罹患率の高さや健康体の維持期間の短さは除く)

オーディオについては長らく人耳に性能が追い付いて無かったからあれだけど、楽器に関しては現行標準品よりワイドレンジだった自説が濃厚なんざます。
もう少し詳述すると必ずしも出せる範囲が広いってんじゃなく、もし出てたら今のより隅々迄気を配られてた可能性があるんだ。

ほいで面白いのはワイドレンジだが基幹にならない箇所は、今のよりかなり控え目になってるのが殆どでね。
杜撰君が体感したのはDrumだとLudwigの3Ply Reinforcement以前の過去仕様ので、テキトーに聴いてるとナローなのがいざ録ってみたら超絶ワイドだったってヤツでさ。

それがより具体化したのが過去述100年Snareで、こっちは深胴でもないのにそれ迄に聴いた事の無い音の太さに圧倒されただよ。
例えるなら生なのにEQやコンプ等でフル加工済みってな感じで、今もそんなのが主流だったら録音で加工したい人が劇的に少なかったに違いねえってね。

最初従兄の親切若しくは悪戯でノーインフォで、突如叩かされたんで1㎜も期待なんかしてなかったんだ。
何せ木胴でも深胴でも無かったし、見た目も割かし平凡だったしさ。

その上状態も「普通の中古」にしか見えなかったのに、少なくともここ数十年の俺には正に劇的な出来事だったさね。
この体験をする迄はペダルの俺言い「Speedkingショック」の方が上だったけど、訊いた値段や経年も含めて青天の霹靂どした。

とは言えこんなのは一生に一度あるかのレアケースだと思うが、先に強く全否定なんかして身に沁みついてたら短時間の体験じゃ分からんかったかも知れん。
取り立てて期待してないのと高を括るでは、こういう処で違ってるのねと改めて思い知らされた次第で御座居。

-つづく-

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