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2024年8月19日 (月)

音楽備忘録1829 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓫

現行のJ-POPの歌詞過忖度案件を公平に検証すべく、分不相応だが逆側から考察してみよう。
それは文学的観点から価値・立ち位置等を審議するんだが、筆者が文才に乏しいのは大目にみとくれやす。

文学で最高級っつうと挿絵すら無しで誰もに同じ絵面が浮かぶ様なのとかと思うんだけど、細部迄指定しようとしたらどうしたって文はある程度長くなったりする。
勿論なるべく簡潔な文言で全貌を掴めるの良いが、例えば誰も実見した事が無い物なんかだと少なくとも字数制限は邪魔になる。

この点でポピュラーソングの歌詞如きの分量ではハンデがあり、もしそれに何の助力・加点も無いんだったら本格派小説には1㎜も勝ち目は無い。
最低でも口数多目のを延々続けられる全盛期のさだまさしみたいなFolkにするか、早口で捲し立てるRapにでもしないと厳しそうだ。

処がもし適切なBGM(歌曲の場合は伴奏等)を添えてやると、音の印象でイメージの絞り込みが俄然可能になって来んの。
実際文学でも朗読等では語り部の口調・声質やBGM等で、文作者の例えば大海原で読んで欲しい等の願望に近付ける試みがされたりしてるよね。

それを踏まえて今劣化本邦のJ-POPを眺めると、日本らしさの為に音に和テイストを加えるのは良い。
で従前の邦楽は演歌の段階で進化が一旦止まってたんで、そのまま加えたらテンポの遅さとかが今に合わない。

から今迄に無い速さにする迄は一興だったんだけど、喧しくしたりけたたましくしたらもう和を否定しちまうんだよ。
基本和って「抜きの美学」なんで、音の隙間がゼロになったりするのもムードぶち壊しに繋がる。(一例:庭園のししおどし)

と言うとミスマッチのあるのが今っぽいと反論が押し寄せそうだが、過半数がそうなったらもう俺言い「意図的ミスマッチ効果」は消滅してるんだよね。
ボカロ打込みで作ったら人力ではあり得ない煩さになっちゃったけど、何だか面白かったから出しちゃったも最初に見つけた作者には座布団一枚。

だが所詮↑は1000回に1回しか当たりの出ない超裏技みたいなもんなんで、無理に演ってもせいぜいアルバム単位で1曲だけとかに抑えとんかと意味を為さなくなるですよ。
つまり他人に依存せず最低でも自分達の作品で対極のも用意しとかんと、どっちが表か裏だかよく分からなくなるってな感じ。

わ兎も角歌詞を文学の一形態と考えれば音が付いてるから、皆迄綴らなくてもイメージを特定出来るのが歌詞の特権なんすよ。
他のだと必要な事細かな説明をかなり端折れる(音では精密に演る)んで、短く出来ると同時に余った字数が更なる心情描写等に回せる。

杜撰大王は雄弁だからこそ「口数の多い欠点」には精通してて💦、一度に沢山御託を並べるとそれだけで難解化するのをしばしば相手に叱られてる
んだから…。😞
それからすればシンプルで最も短文にするのが可能な事こそ、ポピュラーソング歌詞の特権なんだ。

=つづく=

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