音楽備忘録1826 打倒閉塞感➌
音楽作品は経年劣化が殆ど無いを続けて補強しとくが、これは文学等でも同傾向にある。
尤も勘違いし易いのが流行等で、作られた時代特有のだと確かにその部分はマッチしなくなったりする。
だがそれはディテールであって内容の骨格では無く、どうせ丸パクリはご法度でしないんだからさして深刻な問題じゃないんだ。
それが最も分かり易いのがネタ元は男性で、引用するのは女性なんて場合だ。
今劣化本邦では女の子が自称を俺とか僕なんて呼ぶのもプチ流行してるけど、それは飽く迄例外で性不一致の人以外本気で男になったつもりで歌う奴人なんてあんまり居ないでしょ。
音の方でも同様かそれ以上に、表面的スタイルより内容に注聴すればね。
これはバーチャルな存在にだけ与えられてて、幾らミントコンディションなんて言っても現物だと経年劣化から完全に開放されるのは無理ってもんだ。
近頃一部で昭和ヲタが流行ってて、彼彼女等はリアル昭和アイテムに細心の注意を払って愛用している。
がしかし実際の昭和では今よりゃ物は何でも大事にしてたけど、↑みたいに後生大事になんか全然してなかったんだよ。
例の過去述俺言い「真空管爆弾遊び」とかが典型の一部で、実際に電気ヲタの俺以上に悪友は全く罪の意識皆無で平然とガシャンバァンとやってたんだから。
すべからくその時どう思ってるかで、人間の反応や行動なんて簡単に変わるもんなのよ。
さてここからは若者はもし分からなくても当然で、ある程度齢取ると無意識でも皆なってしまうお話しだ。
自分の知己に現在進行形が多く過去のが少ない内は、昔のの存在は何でもちょっちレアだ。
のが概所持知己が逆転すれば印象もアッサリ翻るもんで、それでも残るのはリアル体験の有無だ。
から50位迄はそれが強く作用してたんだが、過去には体験可でも不可能になって久しくなって来ると未体験ののと差が縮まる。
特に体験機会が少なかったのとか当時あまり興味が無かったのだと、想い出だって段々希薄になって行くんだ。
そうなって初めて人の時代感覚のいい加減さを思い知り、つまりは喉元過ぎれば熱さを忘れると似た様なものと悟らされるの。
で今どう感じるかもどうでも良か無いが、今どれを選ぶかみたいな直接的なものじゃなきゃ時間軸は大した意味なんて持ってねんだ。
但し私体験で影響を感じるのが若くから過去モノに触れてたか否かで、触れてない人程どうも心情変化が大きいみたいだ。
杜撰君音楽のフェイバリットに出逢ってから10年以上聴き専だったんで、いざや演ろうとした頃には周りと合わないし今更とか言われて当時は辛酸を舐めさせられた。
これがClassicとかJazzだったら、もう現在進行形の方が少なくなってたからきっと違ってたんだろうけどね。
当時Rockは日進月歩の時期だったから、変な話し今より好みの古さで年寄り呼ばわりされたりしてたんだわ。
その意味で「古っ」と言われて、今の方が全然嫌な思いをしなくなったんだから奇妙なもんだよねえ。
誰かとの共感目的なら流行の踏襲にも意味があるけど、各個人内レベルではそんなもんなんすよ。
-つづく-
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