音楽備忘録1819.5 過小評価で忘れられつつある人々㉘
※事故発生:拙ブログでは記事に通し番号を付けて整理してたんだけど、重複させたのに気付かず公開順が入れ替わってしまいまつた。
読者の皆様には大変お手間ですが、意味不等生じた際は併せてお読み下さいまし。
ついエキサイトしてグルーヴ以外具体内容を提示し損ねたんで、Earth,Wind & Fireの2回目だぁ。
さて概述の通り目立たないが良質なグルーヴが確かに入口にはなってる気がするが、メジャーの売れ線にアフリカ文化を上手に取り入れた事で色々な副産物を生んだんだ。
その中で私的最大のは曲自体・リズムパターン等で、当時は一部のコアヲタ系で微かにしか聴けなかったのが一杯出て来たんだ。
尤も唯聴くには楽でも分析しようとするとかなり面倒で、そのせいで後継者が現れず孤立した感は拭えない。
んがしかし日本人だと逐一正確に拾おうとするし、海外でも白人は理屈で理解しようとするからそうなるのかも知れない。
かなり大雑把に「○○な感じの曲」に留めて置けたら、細部ディテールより大枠に貴重なのが沢山あるのが俄然分かり易くなるんだ。
彼等はJazzや当時の映画音楽とも競ってた様だし、かなり今に近いダンスミュージックの意識も既にあった。
ので飽く迄雰囲気を堪能して貰うのが主目的で、演奏やディテールは飽きさせない為のオマケみたいなもんなのよ。
この感覚はかつては日本にも大勢居た職業作・編曲家とも似てて、そりゃあプロの職人だから仕上がれば色々と高度な技も入って来るけどね。
恐らく本人達は初期段階のイメージを音に変換する箇所に最も腐心してて、それだからこそ畑違いのニーズにも応えられてたんだよ。
そんな姿勢が根底にあるからかノリ以外のリズム面で際立つとしたら、シンコペーションを中心とした符割のずらし方が俺には耳に付く。
少なくともポピュラー系でここ迄大胆且つ頻繁にやった例は彼等より前には他に無く、来そうで来ない・来なさそうで来ると実害が無い範囲で意表を突くのが絶妙だ。
そして彼等のが頻度・箇所共に独創的なのは恐らくネタ元のせいで、アフリカ等では奇数拍子もこっちで一般的な偶数拍子と同等かそれ以上の地位と普及率に由来するのだろう。
一々カウントなんかしないで感覚で聴いてみると、↑の類もそんなに実際違和感は無かったりするんだ。
つまりココは食えねえだろうと思っても、勇気を出して試したら全然行けるなんてのが多かった訳よ。(※リズムでの「食い」とは前の小節・拍に越境させて「食い込む」事象の音楽用語!?)
だが西欧圏を中心とする従来の常識だけに捉われてると、まさか行けるとは中々気付けないもんでね。
これをアホな杜撰君は当初カリンバ使うとか、土人みたいな衣装をするとか表面的にしか分からんかって。
勿論その今で言うレイヤー並の異世界感は集団でやった分インパクトは象徴的だったが、個人でならStevie Wonder等の方が先だったんだよね。
結局彼等の派手な衣装や編成は掴み専用で、本質はとっても初歩的段階での意外性とかにあった様に思うよ。
かつて一大ムーブメントとなったストリート黒人系のRapが早期に沈静化しちまった(微妙にスマソ)のとか、アースみたいなのをもっと参考にしなかったからじゃないかな。
=つづく=
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