音楽備忘録1815 過小評価で忘れられつつある人々㉗
今回はかつて一時期は大人気だったEarth,Wind & Fireについて、音楽的にはどんな意味のある存在なのかひとくさりさせて貰いまひょ。
身近な処では小学高学年当時の親友が心酔してて理解は出来たけど、杜撰君自身はそんなに好きでも高く評価もしていない。
な~んて又いきなり皮肉っぽい言い回しだが、当時の俺には完成度が高過ぎてそこが少しつまらなく感じてたんだ。
何か観客としての参加ならウェルカムだけど、演奏には入らんといて…と言われてる様な気がしてね。
けれどその成分を今になって再検討してみると、意外とコンプの掛かりが深かったりとか直接のパフォーマンス由来ではないみたいだね。
因みに↑の親友はその後東大を経て官僚になったらしく、黒人初の完璧な仕上がりに対しての評価もきっと高かったんだ。
こんな趣味の古い小坊でも当時はまだ過去追いオンリーになってなかったから、彼みたいに歴史的背景を加味するなんて高級な思考は持ち合わせて無かったんだ。
なんて言うよりラジオ等で頻繁に掛かったし親友が持ってたしで、単に無理して自分で買う必要が無かっただけなのかも知んない。
そんな風にかつては皆が聴き知ってたんで、旧世代の洋楽ファンなら影響皆無の人は居なかったんだ。
今でも一種の集大成としては揺るぎの無い存在なんだが、今劣化本邦じゃメジャーなメディアでは恐ろしく掛けなくなりやがったからねえ。
本来なら洋楽に興味を持った初期時点で出逢う筈のが、既に知ってて持ってる奴が自発的に取りに行かないとお目に掛かれないとはねえ。
完成度と書くからにはおいそれとトレースするのすら物心両面で困難だが、基礎知識として誰もが知れる状態に無いのは忌々しき事態であるぞなもし。
差し詰め普通科の学校で英数国のどれかが完全にレスみたいなもんで、アイデア・和声等の他グルーヴに関してとってもマイナスになるだよ。
彼等のノリって癖の強さからしたらBernard Purdieの対極に近いから、つい忘れられがちなんだけどさ。
俺言い「スマートグルーバー」としては第一人者的存在で、もし疑念が湧く様ならタイミング修正レスの打込みを試してみるがいい。
今迄拙ブログのノリ関連の記事で殆ど登場させなかったのは初心者には分かり難いかもと思ったのと、杜撰君自身は百も承知の基本だったからなんだ。
そんな態度が次世代伝達には支障してるなら猛省の至りなんだけど、自然体で居たら年寄りの多くはきっと皆そんな意識で逃しちゃってるに違いない。
そこでこんな損失や欠落を嫌うならボケ老人に頼るより、海外の放送等へのアクセスで情報収集するのが激奨ざんす。
悪政下では目立たなくても報道の公正さで日本は下位に沈んでるが、一見無縁そうで音楽に携わる人にもこんな処で多大な実害があるんすよ。
まだまだ今日本では音楽家が政治発言するな圧が強いけど、インボイス等でボコボコに殴られてるのに殴り返すはおろか文句1つ言うなって絶対おかしいやろ。
=つづく=
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