音楽備忘録1818 打倒閉塞感➊
ベテランになれば既に試したのが貯まって来るし、感覚が時代から遅れて行くからある程度はやむを得ない。
がアベシの頃から若者のでも停滞感が拭えなくなったのは、一体どういう事だろう。
少子化&世代間距離が遠のいたにしても、おっやるなぁお若いのってのに全然出くわさなくなって久しい。
老害杜撰大王は世間に疎いのは百も承知だが、これって最近始まったんじゃ全然ねえんだ。
自世代で青春期に流行ってた邦楽ならニューミュージック・ニューウェーブ等、当時も殆ど興味が無かったし。
洋楽系でもテクノやMetal系には薄く、仕方無いから自虐表現でこちとらオールドウェイブだ文句あるかなんてイキってたっけ。
諸手を上げて賛意を示せた時代は、自身で音楽を演り始めた頃にはとっくに過去形だったのさ。
のでその時々の今の流行のが耳に入ったなら、好み度外視で一応把握だけしとく癖みたいなのが付いててね。
その感想が冒頭ので、そんなでホントに楽しめてるんかなんて老婆心すら発動してるんだ。
ジジイ余計なお世話って人が居たらゴメンよだが、歌詞だけに凝るのもポピュラー系としてはそろそろ限界に達してんじゃないかな。
幾ら膨大な表現を擁す日本語と言えど、一般庶民の誰にも同等の理解度・感覚が得られる言葉は無限じゃない。
となると音楽にだけ備わる強み「音」の方へ、遅かれ早かれ何れはポイントをシフトしてみるしかない。
尤も既に気付いてたり杜撰大王みたいに模索してても苦しいのが、ボカロ登場で途絶えた「新登場サウンド」だ。
それ迄は新ジャンルの開拓と並行して、新楽器・新音質・新音色等の登場もほぼあったのよ。
そんなのが10年以上も途絶えりゃ厳しいのも然りで、キッカケレスではそう簡単に新規オリジナルサウンドは構築出来ない。
んが歴史を特に空白期・停滞期が過去にあったか洗い出すと、実は20世紀の進歩速度だけ例外的だったのが分かるよ。
無論そんな時期は大きなトピックが無かったから、史実の記録には幾らも残ってないけどさ。
かと言って完全に衰退してたならその後の大変革の、起る確率が格段に下がってた筈なんだ。
今後は不明も恐らく地味に継続してたり、誰かが継続させてたからチャンスが到来したら割とすぐに対応出来てたんじゃないかな。
と考えてくと今みたいな時期に最適なのは、温故知新や過去の堀残しの再発掘でやんすよ。
今劣化本邦でも和テイストや和と西洋楽器のコラボなんかは一応やってるが、これって実は日本の時代劇等では昔からずっとあった手法なんだ。
のがZ世代以降の若者には契約有料TV等に縁が無いと、触れる機会が極度に少ないからそんなの知らんし分かり様がない。
演歌にしても聴こえては来てるだろうが、1960年代迄の民謡等の要素がそのまま入ってるのなんかだと滅多にマスメディアには流れてない。
でそんな中にかなり今でも充分通じそうなのがあって、多分そんなのに疎いから思ってたより早期に行き詰ってるんじゃないだろうか。
-つづく-
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