音楽備忘録1840 映画・TV等への専門家が作った音楽③
毎度乍ら基本的に過去遺産中心になっちまうが、今回のばかりは今劣化本邦の情勢下では仕方無い。
超大規模編成も要求されるものは景気や経済の影響に敏感で、予算が回って来ない限りは再興の望みは無い。
がだからこそとても微力でも、その素晴らしさの一端でもなるべく周知させたいんだ。
と言うのも自身は貧から高品質音源等に無縁なんで困難だが、例えリアルには劣っても打込みでサウンドや編曲だけなら再現不可能じゃ無いんすよ。
苦境の時に一番ヤバイのが所謂「貧すれば鈍す」で、出来る事迄つい放棄しちまうヤツだ。
そもそも日本では本場米みたいなレベルには到達し損ねてて、その一因に昭和の絶好調景気でもまだ真にリッチにはなれてなかったっつうのがあった。
も少し掘り下げると↑には維持の関係もあり、折角良い仕事をしたのにそれをそんなに長くは続けられなかったりしたのよ。
他方ではその筋の名人達の伝承があまり上手く行かない内に亡くなったのもあろうが、これとて後継者が同程度の仕事に恵まれてないのも大きいんだ。
これを一流メンバーのオケで演ればバッチリと思っても、過去よりそんな機会は格段に疎遠になってるしねえ。
只過去遺産の残存はモノ次第でかなり難度に差があって当然で、例えばClassic Carなら可能でも新幹線の編成丸毎とっとくなんてのは狭い日本じゃ不可能に等しい。
では代替案は?ったら理想よりかなり落ちるが、模型等でサイズは縮小はしても形は死守したりなんてのがあるずら。
ってかそもそもスーパーカー所持だって庶民には夢に等しいのに、電車以上の高額な大物となるとそんな方法しか無かったやんか。
その面で他も含め音楽家ってのは少々贅沢に陥りがちで、オケのメンツが揃わんならワシ指揮棒振らないもんねなんて…。
こんなのは他業種では考えられない一種の横暴で、挙句の果てに聴き専さんより折角の過去遺産を無碍に扱うなんて愚の骨頂とちゃいまっか。
悪い意味で音楽をパーソナルなものにし過ぎた結果が、今劣化本邦の音楽界の衰退でもあるんじゃね。
ほんで少なくとも残り時間が限られて来た杜撰大王は、どうせ売れっこないのもあるからそんな閉塞状況には居続けたくないと。
今メジャー所属で爆売れしてるなら先送りもアリだろうけど、それ以外の方は誰でも新天地を求めない手はないっすよ。
別に広義の映画音楽に限らず何でも構わないが、今脚光を浴びてるのはあまりお薦め出来ませぬ。
自分内で消化して昇華して出て来る頃にゃ、きっとそのブームもう終わってますから。
っつうのも演るのもだが聴いて定着させるにも、人次第で長短あれどある程度の時間が掛かるんすわ。
本当に些細で簡単なアイデア1つだけを頂戴しようってんなら、確かに割とすぐ思い立っただけで導入出来るけどさ。
元ネタに何か加えるか引くかして、自分の新流儀にしようとしたらそんなにすぐには出来ねんだよ。
-続く-
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