音楽備忘録1822 打倒閉塞感➋
杜撰大王は温故知新なんて年寄り臭いセリフだから昔から好きじゃなく、かつては別の言葉にすり替えて表現してたりした。
のでもっと新鮮な感じの言い回しが見つかると良いんだが、誤解を避けようとすると難しいや。
そんな訳だから内心は堅苦しいとか形式ばったとかとは無縁で、ただただイカシた真似する奴が居たぞなんて感覚なんだ。
以前述の如く心理にとっての新旧に実時間はあまり関係無く、自分が未体験だったらそれはどれも新なのよ。
画期的な発明をして大人気になった本人は、来る日も来る日も「それ」を世間の誰からも要求されるのでかなり早くに飽きてたりするやんか。
その側面からだと温故知新の真髄は、単に作られた時期で差別しないって事なんじゃないかな。
自身内の差別撤廃の工夫その①
一般的には録音された時代に依る音質差等につい気を取られるが、今だってやろうと思えばボロいラジカセでもBandの録音は出来る。
或は幾ら全体の音質が向上したとは言え、学校の校内やビル内の放送の音質は他のに比べりゃ大して向上してない。
のを魔用して実際にはオーディオで聴いてるのに、メガホンか何かから流れて来てると仮想するのだ。
その目的は音質と音楽内容の新旧は必ずしも一致してないんで、音質に釣られて古いと誤認するのを避ける為。
その②
こう動画での新作公開がデフォになると、実は色んな弊害も随分増えとんの。
先ず本人達作の動画が無いとそれだけで古いのかと思うし、あっても静止画やモノクロだとつい昔のかと感じちまう。
そもそも音楽の内容にしかこの件で用は無いので、視覚評価を混入させるのが間違いなんだ。
強いて言えば既にネタとしての利用者が多いと、類似の容姿的スタイルの動画が纏めて出て来るの位かな。
只この辺は難しい処で全く模倣なんてしてなくても、たまたま印象が似てたら勝手にパクリ判定されたりする事もあるからねえ。
その逆に酷いのになるとモロパクリしてたのに、著作権の有効期限内にそれに誰も気付かなかったとかさ。
結局は誰もやってなさそうな味に仕上げるのが肝要で、最初は容疑が掛けられてもいざ実比較してみて違ってりゃセーフなんだ。
但し差別化が不十分だと必然的に新鮮味も少なくなるんで、効果っつう点では最適では無いですぜ。
すぐに思い付くのだと杜撰大王なだけにこの程度だが、実質的な時代の影響を受けないのも音楽作品の特権なんだ。
乗り物であれば公害規制等に引っ掛かれば、どんな優れものでも封印を余儀なくされる。
茅葺き屋根等も職人が居なくなりゃ維持・更新が不能になるから、継続が日々刻々と困難化してる。
勿論音楽だって生演奏は本人没後は不可能だが、既に記録されててメディア革新等に対応済みの作品自体は殆ど影響を受けねんだ。
-つづく-
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