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2024年8月

2024年8月31日 (土)

音楽備忘録1841 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓮

何でもやり過ぎなのを指摘するのがクドい杜撰大王とは皮肉でしかないが、未だに俺言い「これで足りてるか不安症候群」は自身も完全寛解には程遠い。
だからこんな老害でも気持ちだけは誰より知ってる自負があって、しかしどうやら主に2つの原因があるらしい。

その1は古い世代だとリアル人力音源の音が基準になってるせいで、Line録り以降デジタル音源も含め音の存在感に脆弱性を感じる処から始まっている。
旧来の録音ではほぼ必ずMicを使用してたんで、どんなにOnセッティングにしようと背景雑音を完全に無くす事は出来なかった。

その頃は他の録音関連機器も低性能だったから、もっと欲しい音だけクッキリ録れんもんかと何時も思ってた。
のがいざ可能になってみればクリアになったは良いが、どうもアッサリし過ぎてて何か物足りなく感じられたんよ。

のは意識外にあっても空間の残響音等も含めたのを「○○のサウンド」と認識してるからで、それは今でも楽器に疎い人だと姿で視認出来ないと何の音だか分からない時も少なくないだしょ。
私感では1980年頃がこの新懸案の発生境界で、レジェンドの模倣をしようにも金満プロじゃないと例えばデジリバを使えなかったのも一因してんのよ。

Line録りでもトランス入りダイレクトボックス等が同様で、昔からのスタンダードなAmpでは最低1回はトランスを経由してからの音だかんね。
確かに純音響的には省けた方が何かと有利なんだけど、あまりに経路が異なると楽器の音色形成を構成してる要素迄道連れでレスになるだよ。

かと言って何でもノイズ迄拾っといたんじゃ曇って濁ってでアカンしで、実は背景音の最適含有量は物凄くシビアで微妙なバランスを要求されるもんだったんだ。
録り場所が自由に選べない+あってもポンコツなデジリバで、尚且つ大抵は当然Mixで匠の技も持ってねえと来りゃそりゃあんまり上手く行く訳ゃねえっての。

ので却ってローテクで旧式な録音方法にした方がまだマシになる確率が高いんだが、自分達だけ望んでもないのに古臭い音じゃ
やだもんねえ。
ほいでアイテムやツールは兎に角揃えてみるんだが、昭和のサラリーマン父ちゃんの無駄に多いゴルフ用品みたいな事に。

母ちゃんにはほぼ例外なく叱られるが、それでも趣味だったら家庭内案件で収まるからまだ良いんだ。
素人相手でこれといった実績の無い録音屋がお客にアピールするには、一通り揃ってる方が安心感はあるでしょ。

けど同傾向になれば「高級な素人」は凌駕出来ても、「低級なプロ」にすらなれなくなるコースなんすよ。
一応頭じゃ分かっててもお客に来て貰わん事には商売が成り立たないからか、段々このウイルスみたいな奴が高級なプロの方まで感染してっちゃったのかな。

要するに木乃伊取りが木乃伊になるみたいなもんで、段々無垢な素人の時の感性を忘れてっちゃうんだ。
更に良くないのがそんな連中普段は仕事上で、ホントのズブの素人とは接点がねえべ。

そうしてる内にトウシロウは余計な口出すんじゃねえとなって、自分達の方がイカレてるのがもう分かんなくなる。
でその傾向が今劣化本邦でだけ強く出るのも、赤信号皆で渡れば怖くないなんて言葉が出る国だからなぁ。

=つづく=

2024年8月30日 (金)

音楽備忘録1840 映画・TV等への専門家が作った音楽③

毎度乍ら基本的に過去遺産中心になっちまうが、今回のばかりは今劣化本邦の情勢下では仕方無い。
超大規模編成も要求されるものは景気や経済の影響に敏感で、予算が回って来ない限りは再興の望みは無い。

がだからこそとても微力でも、その素晴らしさの一端でもなるべく周知させたいんだ。
と言うのも自身は貧から高品質音源等に無縁なんで困難だが、例えリアルには劣っても打込みでサウンドや編曲だけなら再現不可能じゃ無いんすよ。

苦境の時に一番ヤバイのが所謂「貧すれば鈍す」で、出来る事迄つい放棄しちまうヤツだ。
そもそも日本では本場米みたいなレベルには到達し損ねてて、その一因に昭和の絶好調景気でもまだ真にリッチにはなれてなかったっつうのがあった。

も少し掘り下げると↑には維持の関係もあり、折角良い仕事をしたのにそれをそんなに長くは続けられなかったりしたのよ。
他方ではその筋の名人達の伝承があまり上手く行かない内に亡くなったのもあろうが、これとて後継者が同程度の仕事に恵まれてないのも大きいんだ。

これを一流メンバーのオケで演ればバッチリと思っても、過去よりそんな機会は格段に疎遠になってるしねえ。
只過去遺産の残存はモノ次第でかなり難度に差があって当然で、例えばClassic Carなら可能でも新幹線の編成丸毎とっとくなんてのは狭い日本じゃ不可能に等しい。

では代替案は?ったら理想よりかなり落ちるが、模型等でサイズは縮小はしても形は死守したりなんてのがあるずら。
ってかそもそもスーパーカー所持だって庶民には夢に等しいのに、電車以上の高額な大物となるとそんな方法しか無かったやんか。

その面で他も含め音楽家ってのは少々贅沢に陥りがちで、オケのメンツが揃わんならワシ指揮棒振らないもんねなんて…。
こんなのは他業種では考えられない一種の横暴で、挙句の果てに聴き専さんより折角の過去遺産を無碍に扱うなんて愚の骨頂とちゃいまっか。

悪い意味で音楽をパーソナルなものにし過ぎた結果が、今劣化本邦の音楽界の衰退でもあるんじゃね。
ほんで少なくとも残り時間が限られて来た杜撰大王は、どうせ売れっこないのもあるからそんな閉塞状況には居続けたくないと。

今メジャー所属で爆売れしてるなら先送りもアリだろうけど、それ以外の方は誰でも新天地を求めない手はないっすよ。
別に広義の映画音楽に限らず何でも構わないが、今脚光を浴びてるのはあまりお薦め出来ませぬ。

自分内で消化して昇華して出て来る頃にゃ、きっとそのブームもう終わってますから。
っつうのも演るのもだが聴いて定着させるにも、人次第で長短あれどある程度の時間が掛かるんすわ。

本当に些細で簡単なアイデア1つだけを頂戴しようってんなら、確かに割とすぐ思い立っただけで導入出来るけどさ。
元ネタに何か加えるか引くかして、自分の新流儀にしようとしたらそんなにすぐには出来ねんだよ。

-続く-

2024年8月29日 (木)

音楽備忘録1839 過小評価で忘れられつつある人々㉞

このテーマだらだらとかなり長く続けたんで一旦〆るとして、今回はスケールが巨大化するが’70年代全般の作品について論じさせて頂きま。
当然独断と偏見もテンコ盛りなのは認めるけれど、21世紀になってからの作品とは条件面で大きな相違があるんすよ。

それは何等かの理由・事情で作品の存在が当落線上にあるのが顕著で、主因はリリース時点でデジタルやネットがあったかどうかなんざんす。
先ずデジタルについては音源がそうなってると保持・残存が簡単だが、アナログのみの場合は現物が手元にあるか放送メディアで流れない限り一般庶民にゃ縁自体が持てない。

その先もたまたまレコードを持ってても盤の状態が悪かったら、著作権がOKでもついネット公開を躊躇したりするやんか。
そうすっとせいぜい身内レベルでしかありつけなく、かと言って主に強引に上げろと言うのも評判に関わったりするから酷だ。

ヲタ勇者であれば中古レコードのギャンブル買いをするかも知れんが、大多数の者にとって内容不明の物に手を出すのは特に今劣化本邦みたいな不景気下では出来ぬ相談だ。
のが理論的にほぼ劣化が無く記録形態も巾広く選べるデジタルだと、↑の様な制約は基本的に付かないんだよ。

ってかそもそもレコードプレーヤの所持からして、既に絶対聴きたいレコードを持ってなきゃ今更だんべ。
つまりこんなのに依って鉱脈の「お宝埋蔵量」自体に差がある訳で、より自ら獲得に乗り出さないと聴けない可能性が高くなるんだよ。

して大体に於いて逃がした魚は大きい現象がここでも起きてて、それと同時に’80年代以降の機械演奏とか昨今の切り貼り編集なんかが不可だったからねえ。(テープでの物理的切り貼りはあったがデジタルのとはクウォリティが段違い)
言っちゃ悪ぃが作品の作り自体が、どんなにものぐさしようと手抜限界が低かったのよ。

ので打込み専なら未だしもそうじゃない従事者にとって、割と直接的に参考にもなるんだ。
古さとか時代の隔たりとかの弱点は今を求めてたらどうしようもないが、そう云う不一致があるからって内容で評価せんのはどうなのかと。

実際音楽を「演ってない人」にとっちゃ音質の優劣も無視出来ないけど、ある程度以上の経験者なら良くも悪くも生と録った音が色々違うのは分かってる筈だからねえ。
尤もリアルはおろか体験の少ない若い世代では実感を持ち難くても当然なんで、ここは1つ老害呼ばわりを厭わず既に知ってる者がアピールしないと条件差を忘れられそう。

と言いつつ杜撰大王自身もこの事を普段は殆ど考えなかったり、忘れたも同然で過ごしてんだけどね。😓
けれどポピュラー音楽の全盛期・成熟期で今の基本であるのに、どうして今一低評価だったり幾らも放送で流れなかったりするんだろうって違和感はずっとあった。

野球では未だにベーブ・ルースやONの名前位は日常的に扱ってんのに、音楽だと半ば封印ってのは国内商売上の都合かとつい勘繰りたくなるぞ。
聴いてみて駄目でも一向に構わないから、聴くだけはもう少ししてみてちょ。

=おわり=

2024年8月28日 (水)

音楽備忘録1838 打倒閉塞感➏

暫くぶりでの前回補遺入りは、前回後部述は飽く迄ヒントだから他のでも良いのよ。
もののついででもう1つ晒しとくと、ソフトシンセのデモ曲にも参考になるのがあったっけ。

尤もこれ等は普段耳をシャットダウンしてないってだけで、到底能動的とは言えない。
がそんな風に余計な意識がなるべく無い状態で聴くのはかなり重要で、理系思考が強かったり文系でも思い込みの激しい場合は要注意だ。

拘って探して引掛からなかったって事は、こっち(受け手側)に問題がある可能性もあるからね。
普段はそれも個性に繋がってるから気にしなくてOKだが、今迄の自分の普通で何か不足を感じたら何処かを少し変えてみないと埒が開かない。

ならば思い切って全替えするのも悪か無いけど、それで自身のアイデンティティに必須な箇所迄放棄するのも危険ざんす。
まあ人夫々性格・性質もあるから安心出来るけど新味に乏しいとか、何時も斬新だが折角良かったのにすぐ次へ行っちゃったとか何かしら傾向が出るのは仕方無い。

が過去事例を眺めてると他人が思う最大の魅力を迂闊に逸すると、後で挽回するのはとてつもなく困難みたいだ。
一度散々例えばAが100って魅力に晒されると維持出来てりゃ平気なのが、一旦他所へ行って戻った時だと大抵は100にしても復活と認識されねんだよ。

従前に無かった変更後のBってのに共通とか似てる箇所があると、そのせいでA100に聴こえてるのかもなんて疑念が新発生するんだわさ。
しかもこの現象は他人にばかりじゃなく、状況に依っちゃ本人だけが過敏になったりするケースもあってね。

杜撰君視点では今の相棒達が該当し、勝手に自身で神経質になり過ぎて自滅しててね。
そんな時は原点回帰が最適なんだけど齢取ってブランクが一定以上になると、過去に良かった時の記憶が曖昧化したり肉体的劣化で以前の方法では叶わなくなってたり…。

なんて他人事を言ってる余裕は無きゃ資格もあるか怪しいが、齢を取ったりブランクが長くなる程取り戻すのは想像以上に困難になるのだけは明白ざます。
ずっと不満足な状態を続けるのは色々辛いけれど、自身の最大のウリを破棄して何か獲得出来ても大抵取れ高はマイナスなんだ。

右も左も分からない中で最初に他人から得た評価って、その人の素であり持てる才能の萌芽でもあるんだわ。
故に原点維持+温故知新つうのが最有力なルートで、自分を見失う事がなければこその自由な冒険なんすよ。

別観点からだと改造箇所を誤ったとも看做せ、そうなると戻すのと変革を同時並行で進めなきゃなんないからえらいこっちゃで。
その様な地に足が着いてない状況へ自ら追い込んじまうと、冒険の方だってやったつもりでも思いっきりは多分出来てねんだ。

例えばGuitar(非Guitar Synthesizer)からSyntheみたいな音が出せたら凄いけど、それは見なくてもGuitarと分かればの話し。
つまり適度に古くからの部分を残しとかないと、何が何処が新しくなったのかが分かり難いんだ。

-つづく-

2024年8月27日 (火)

音楽備忘録1837 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓭

お次はテンポでオモロイからってどんどん速めた結果、歌詞が聴き取れなくなったから半速でなんてのばっかりな愚には誰も気付かないのかな。
これももしどうしてもやるなら、せめて真逆の歌だけ速くて伴奏が遅いのも入れといておくれよ。

幾ら大元は絶対的存在の電通の指示だろうと、その位の加減はしとかんと表現方法が狭隘になってアーティストとしては自殺行為になるでえ。
期間限定で荒稼ぎして、その後の長い人生は鞍替えしてビジョンが目白押しってんなら止めねえが。

この件も杜撰君想像ではボカロが発端だと思うんだけど、ボカロで打込みでは特有の弱点を補填しようとした側面を忘れるべからずよろし。
特に初期の音源で製作者も熟達してなかった頃、最大の問題は歌の強弱表現等だった。

Rock系本格派歌手ならシャウト等音色可変巾が大きく取れるが、↑では基本音量の上げ下げだけでやっとだったかんね。
今ならあるのか知らないのは毎度の杜撰振りだが、ボカロで王道Metalみたいな歌声聴いた事無いんですけど。

これも杜撰推定に依れば無名なのにリッチなシャウトが出来る歌手が中々居ないんで、音源サンプルの取得にきっと難があるんだな。
因みに何故無名が良いかってば、既に有名人だったらリアルバージョンに絶対負けて魅力的に思って貰えないからだ。

初音ミクがブレイクしてからならその俺言い声源主も有名を馳せて無問題だけど、逆になったらボカロソフトが全然売れんからねえ。
わ兎も角そんなこんなでどうしてもリアル歌手よりハンデがあるとなると、声以外の箇所で何とか増強して充足させるしかない。

そんな背景があって最初の人は知識不足でたまたま倍速に打ち込んだだけかも知らんが、ゴーサインを出したんじゃないかな。
もしやリアルでも歌唱力不足を誤魔化す目的で悪用してたら目も当てらんねえが、その場合「ボカロより脆弱な歌声」にも注意しないとロクな事にならんですぜ。

特殊用途を狙ったの以外先方は汎用性の為に「普通の声」にしただけで、決して弱くした声じゃねえんだわ。
ので貧弱歌手と違って、強くは無くても「弱くは無い」んだよ。

この差がどう影響するったら、派手な伴奏だとボカロよりリアルヘボのは余計に埋没するし聴き取りが困難化するん。
そいで仕方無く圧縮だの倍音付加だのと高加工した処で、完全に別音に挿げ替える訳にも行かんから何処かに弱さが残っちまうだよ。

この件も結局さじ加減案件で、要は音楽には物理的忌避組合せってのが厳然と存在してんの。
こればっかりは何しろ物理的限界なんで、幾ら聴き味不問にした処でどうしようもおまへんのや。

でも慌てる乞食は貰いが少ないが如く、簡単に無理して迄全部盛りしちゃうとその後に打てる手がどうせ無くなる。
から如何に微量の盛りで、惹き付けられるかへ視点を向けてくしかないんだ。

高圧縮感サウンドの始祖Beatlesはどんな曲・アンサンブルそして最大は目的で施したかが典型例で、今劣化本邦のJ-POP比だと全てが多くても⅓程度しか無い時にやってるよ。
一般聴者が一度に認識可能な音の量って制作側が思う程そんなに多くなく、足りるだけありゃ良いしそれ以上入れといたって聴いちゃくれないって。(意志があっても脳が追い付かない)

=つづく=

2024年8月26日 (月)

音楽備忘録1836 映画・TV等への専門家が作った音楽②

又してもつい後半でエキサイトしちまったが、今更乍ら何故Rock屋の杜撰大王がこんなのを図々しく語るのかざます。
を一言で申すなら、通常のRockの範疇では映画音楽(TV等含む)程巾広くは演れないからだ。

映画音楽ならシチュエーション次第で独奏から大々的なオケ迄何でもアリだが、RockでBand形態を維持するとなるとその段階でもう無理だ。
んで単に畑違いってんならFolkでもPopsでも参考にはなるが、それ等を逐一あたってその中から抽出するのはとっても大変だ。

しかもジャンル次第じゃ直接の接点の無いのもあって、聴いてみて幾ら良いと思ってもそれをこっちに添加するので又一苦労となってまう。
のが映画音楽だとJazz要素が一番濃い目だが、接点が完全にゼロってのは殆ど無いのだよ。

この点はかつてイージーリスニングと呼ばれたのと併せ、自身がどんな異なるジャンルの者でも大抵は何処かしらに当初から接点のあるのがこれ等の特権なのさ。
要するにいきなり演歌や民謡にワープするよりゃ楽なのと、元々集大成的な作りになってるから取敢えず理解するのも簡単なんだ。

と来た処で又遡るのも一々裏返し感が凄いが、杜撰大王が広義の映画音楽に興味を持ったのは幼少時の俺言い「Rockの供給不足」が一因だ。
出逢ってこれだと思った頃ってまだPurpleのMachineheadが世に出る前ってな按配で、その上旧態依然な昭和の街だったかんね。

とっくにあってもMG’sなんかほぼ何処にも流れてなくて、唯一AMラジオのFEN(AFN)では稀に掛かってたかも知らんけど。
聴ける時間帯とかの兼ね合いからか出逢える機会が無く、FM放送開始前夜だからアルバム単位で流れて来るなんてあり得なかったし。

で限られたソースの中から僅かな「Rock成分」を抽出して楽しもうとしたら、最初は子供向け(少し経ったら若者)のにそう云うのが入ってたんだよ。
若干安易な気もするけど当時高齢向けならお三味や笛を入れる処、若いのへだったらエレキ(鍵盤系も含む)だろうって感じになってたんだ。

それから少し経ってエレキは色々なのに加わる様になったけど、ターゲット次第でその音色や使われ方はそこそこ違ってて。
シニア対象ならJazzっぽく、ジュニア対象なら積極的にFuzzが多様されてたりさ。

尤も例外もあってシニア向けのでも気持ち悪い場面等には、それ迄封印しといたFuzzの小汚ねえのを意図的に登場させてたりしたがね。
何時もの如く偶然にしても当時の供給不足が、他ジャンルへも目を向けさせるキッカケになったんだ。

そんな具合に集大成的ジャンルには他ジャンルの要素が含まれてる場合が多く、各自の好みをちょっぴり広げるだけで大きく変えないで聴けるんだ。
そうしてってみると意外にもRockが本職じゃないからこそ、映画音楽にはRock的大胆不敵なアイデアを実現してるのがそこそこあったのよ。

-続く-

2024年8月25日 (日)

音楽備忘録1835 過小評価で忘れられつつある人々㉝

Adrian Gurvitzの2回目は、Baker Gurvitz Armyと彼の兄弟の話しだ。
BGAについては先ずよりRockでキレッキレなGinger先生が聴けて、Jazz出身でもちゃんとRock Drummerだったのが良く分かった。

概述の如くCreamのコンセプトはJazzなんで、かなりHardだが敢えて非Rock的な叩き方をしてたらしい。
のに皆が勘違いし易いのはBassがエレキで、Guitarの人はHard Bluesのまんまだったからだろう。

かく言う杜撰君自身かつてはそれが分かってなくて、Ginger Bakerって個性はお釣りが来るけど何かもっさりしてて音色もあんま恰好良く無いなと思ってたよ。
まあ音色の件はこれも概述友人のお陰で、割かし早期に録音のせいだと判明したけどね。

でもどうも欧米のと日本での評価が乖離気味で、長らくどっちが正解なのかと思ってたんだ。
髭爺の話しはこれ位にしてGurvitz兄弟のへ進めると、比較的常に同行してたPaul Gurvitz(Bass:他での本職はGuitar)の存在も結構耳に留まった。

この人詳細は情報が乏しくあまり分からないが、拙ブログではお馴染みオーソドックス弾きのみで何でも熟しちゃうタイプみたいでね。
因みに杜撰君は元来独自個性弾きしてるのの方が好きで、けどそんなのは自然と注聴を集めて少しは印象に残るもんだ。

それを無しに何かが残ってるのって、音楽内容がその分優れてる証拠なんじゃないかな。
BGAではちょっぴりアフリカンなRock系・兄弟のソロ作ではAOR路線と、だいぶ違うのに全くスムーズに対応しちゃってるんだよ。

今迄紹介して来たそれ系の人と同じくナルシステクには目もくれず、音楽理解の深さとセンスの良さに主軸を置いてないとそんな真似は出来ねんだ。
上記の通り杜撰大王は目立とう精神も旺盛なんで独自のプチナルシステクは放棄出来ないけど、それでもそれを噛ますのは曲が求めてると思った場合限定ですわ。

恐らく生きてる内に完全にエゴレスにはなれそうにないけど、感覚的な気持ち良さが絶対に優先すべきもんっしょ。
わ兎も角純粋に感覚リスナー耳で聴いた際に、彼のBassは最適解の1つになってたんだ。

この手は玄人好みの一種と言えなくはないが、楽しむだけならド素人にも充分行けるのが少しレアなんだ。
但しファーストインプレッションのインパクトは往々にして少々弱く、偶然何回か耳にする機会が無いとその魅力の分かり難いのが難点だ。

彼のソロ作についてだとその歌声が決して強くはないし特別個性的でもないから、我々外国人にとっては歌詞の理解が浅い分余計に気に留まり難いだろう。
普通歌物なら歌に耳が行くのは当然だからそうなっちまうが、歌も含めたサウンド全体へ耳を傾けると色んな加点ポイントが見つかったりするんだ。

時には歌ばかりを追わない聴き方をしてみるのも、埋もれた佳作の発掘・理解に対しては有効なんじゃないかな。
その場合は寧ろ外国語の方が有難い位で、たまたま歌詞に気に食わない箇所があってすぐ分かっちゃったらちょっち素直に聴けなくなったりしてな。

=つづく=

2024年8月24日 (土)

音楽備忘録1834 打倒閉塞感➎

さて仮に皆が新旧縛りから解放されたとして、それだけだと一寸非効率になっちまう。
昔みたいにポピュラー音楽が少数派の内だったら未だしも、今みたいに過去作が膨大になるとある程度の目星は付けたい処だ。

それをニーズ別に語ってみると、①大胆なアイデアが欲しい際は先に他ジャンルをあたるのがお勧めだ。
例えば自身がRockだったらRockに導入するのが難しいからこそ、そう云うのは避けられてたりするんだけどさ。

奇想天外を別意訳すればミスマッチでもあるんで、近場を探したんじゃそんなの見つかる訳がないのよ。
それと演奏中に思案するのと聴いてるだけで思案するのには違いがあって、演ってる最中はどうしたって慣れた方へ行き易い。

のが一旦手を止めて選んでみると、慣れてはいないがそんなに無茶じゃない存在があったのに気が付けるんすよ。
他人を出し抜くには何か何処かで「異なる行動・発想」が必要で、それはネタ探しの段階から既に始まってるのだ。

っつうか考え様に依っちゃ↑の目の付け所が最重要で、既に皆が掘り返してる所からはお宝は今更出て来んでしょ。
これのハードルに高さを感じるとしたら、興味が薄いからこそ今迄普段はあまり聴かない領域だったりしたからかな。

それ故探索が手薄になるのは仕方無いし、頻度を無理して上げるのも精神衛生上よろしくない。
が例えば週末限定で数曲づつ等、期限を設けないで続けて行けばそんなに負担にはならないよ。

因みに杜撰流では暇且つ他に今聴きたいのが無い時に実施してて、昔で言えば暇だからTVを点けっ放しにしてて眺めてたみたいなもんだ。(今ならスマホでショート動画か)
続いて②細やかなアイデアが欲しいケースでは、正統派の音楽作品よりコマソン等俺言いプチミュージックをあたるのがお勧め。

実は昔は結構これ実行されてたのに廃れ気味なのは、国内放送のコマソンの質が著しく低下したからずら。
著名とか流行りのコマソン作曲家を調べりゃ一目瞭然で、20世紀以前だったらとても知名度の高い人が簡単に出て来るがね。

辛うじて現代で代用になるとすりゃ、B級アニメ(作品の質ではなく売れ行きや人気)のアニソン辺りかなあ。
ちょい余談になるが最近の新作アニソンでは一部壺大手系の息が掛かってるの以外、もう今劣化本邦のJ-POP縛りからは解放されてるんだ。

色々と低待遇で売れるべくして売れるは望めないんで、何か僅かでも足跡を残してやろうとしてるからなんじゃないかな。
それ故このオジンがたまげる位のどノスタルジーとか平気で演ちゃってて、こっちは知ってるだけにその分インパクトは弱まるがね。

それでも聴いてて下手に流行を追っかけてるのよりゃ、苦痛に感じない差が確かにあっただよ。
今の俺にこれが向いてるのは「暇潰しに見るついで」だからで、意識レスで耳に入るから心理的負担ゼロなんだ。

-つづく-

2024年8月23日 (金)

音楽備忘録1833 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓬

前回の続き「最も短文に出来る」にはやはりそれなりの知恵も要るんでそれについてだが、簡単な処では歌詞中に登場するアイテムの名称だ。
ポピュラー系でその典型っつうと、流行・地域・時代性等の色濃いやつだ。

タイトルにもなってるのだとBlue Suede Shoes、今でも絶滅した訳じゃ無いが「他なら何でも許せるがそれだけは踏むな」だとさ。
作者は当時は単に流行を取り入れたつもりだったが、過ぎてみれば主に米での’50’s若者文化の象徴のひとつだ。

これは商業面(つまりコマソン
)でも有用だから、大元は商品名そのものズバリを濁したりぼやかすのから始まったのかな。
お次は踊りで’70年代に入ると先ずはGo-go、その後はやたらと誰もがDiscoでFeverとか言ってみたもんだ。

そこから絞り込みたいならフリフリモンキーだのからあのMoonwalk、パラパラだのと振付けに言及する手もある。
その効果を最大にするには時代や流行に敏感じゃないとならないんで、杜撰君みたいに鈍い奴には残念乍ら向いてないけどな。

それから表現にも時代の流行はあって過去に皆無では無いだろうが、「抗う」なんかは俺は20世紀中には歌詞で耳にした記憶が無い。
精細に拾ってったらキリが無いから先へ進めるが、そうまでして文章を凝縮する意味にも重要な使命がある。

音の方でClassicからJazzとどんどん複雑化したのが、’60’sPopsやRockのシンプルさは当初退化とも誤認されてたんだよ。
日本の小説でも芥川龍之介みたいな立派なのが既にあったのに、赤川次郎やラノベ(ライトノベル)の方が一般庶民には身近な存在だったりとかね。

要は特殊スキル持ち以外触れる1度目での理解度に大巾な差を生じるのがミソで、見たり読んだり聴いたりの負担を軽くする上でこれは欠かせない。
この件今劣化本邦では固有と思しき誤認があって、ClassicやJazzの他どんな時代でも分かり易くシンプルで大流行りしたのもあったのよねえ。

只「広義のポピュラー系」だとそれ等も含まれてちゃうんで、聴き方次第じゃ「ジャンルの固有性」が弱いのは確かだ。
それで
大事にしない内に省かれてったか知らんが、行き過ぎると時代や文化の誤認を招くからワシャ好かん。

杜撰君人一倍文系能力に恵まれてないから痛切に感じるんだが、絶対的に必要ではない何かが高度化してるとそれはもう立派な差別なんだよ。
10人中9人に通じたからハイこれ常識ってするの、日本のとっても悪い癖あるよ。

特定層をターゲットにしてるなら幾らヲタ度が高くても一向に構わないけど、そうじゃない場合は少なくとも10人全員に理解されるのを目指すべき。
これは客層の拡大に直結する利点もあるんだから、苦労はしても必ず報われるんだがねえ。

=つづく=

2024年8月22日 (木)

音楽備忘録1832 映画・TV等への専門家が作った音楽①

例に依って恒例の前記事から次のお題を得るスタイルで、そろそろ本腰を入れて語ってみよう。
等と若干及び腰だったのは、過去にはその筋に精通した
友人達が居たからなんだ。

もうだいぶ前からレコードやCD売り場で「映画音楽」なんて括りを見てないが、どうやらその系統の人達はスッカリ地下に潜っちまったらしい。
今劣化本邦に限定すると吉本が正直な処あまり映画に精通してないのが根底にある様で、だいいち大昔を除くとお笑い芸人ので曲が大ヒットしたのって近年は明日があるさ程度だもんな。(万人が分かるとなると)

って違ってたらゴメンな、けど門外漢の老害にも伝わる位じゃないと多分大した事無いのは事実でしょ。
ほいでこんな国が没落すれば少しは仕方無いにしても、↑はコストカットの鬼で到底添え物音楽なんかにゃ目一杯ケチるからねえ。

世間全般からするとアニメやゲームの音楽は未だ半地下ってなもんで、田舎農家の爺婆にはほぼ縁遠いままなのが現状だ。
無論例外はあろうが農協のカラオケ大会で残酷な天使のテーゼが歌われるか、もし歌ったら大ウケするか想像してみるがいい。

かと言って都会のJKに鶴田浩二って何の事やらだろうが、トトロやタイタニック辺りならどっちも大体分かるんじゃないかな。
ここで前者は久石譲先生だし後者にしても歌ったCeline Dionが有名も、作曲したのはJames Hornerでれっきとしたその筋の専門家だ。

ってな具合に実は今でも万人に通用する音楽にするには必須な人選なんだが、そう云う凄い仕事が出来る人は往々にしてギャラが高額。
となりゃ粗製濫造作品で確実に大売れする自信が持てないとなれば、テキトーに流行りか話題の若手アーティストでも連れて来て薄給で強引にこき使おうなんて羽目になる。

処で↑曲は特に好みではないけれど、エヴァンゲリオン自体は好きな方だし評価してるんだよ。
だが「迫るぅーショッカー」=1号ライダーとなる処が、残酷な…が聴こえても俺には直ちに綾波レイが思い浮かんでは来なかったんだよ。

サウンド全体のイメージに碇シンジは入ってるかも知れんが、ミステリアス感や繊細感がほぼ皆無なのが災いしてるのかなぁ。
私感では作編曲担当者には悪いがこう云う部分に残念ポイントがあって、視野が狭いっつうか視点が少ないっつうか。

その時点でどんだけ綾波レイがウケるか分からなかったか知らんが、惣流・アスカ・ラングレーと併せ3人居たからあの独特な世界観が描けた訳じゃん。
そもそもロボット操縦士は最初暫くはヒーローばっかだったのを、ファン層拡張を目論んで途中からヒロインも追加した経緯があるんだからねえ。

こんな差異はほんの一端に過ぎず、他にも僅かでも山程色んな共感差が後から次々と出て来ちまうもんなんよ。
まあそうは言っても今劣化本邦の状況下で新曲を期待するのは酷な相談だが、だからって音楽の内容迄劣化版・省略版で我慢してる義理は無いんじゃねっとな。

-続く-

2024年8月21日 (水)

音楽備忘録1831 過小評価で忘れられつつある人々㉜

今日紹介するのは今劣化本邦ではハイパーニッチと化した英のAdrian Gurvitz、もし良く知ってる人が居たらそりゃガチヲタ間違いなしだ。
って位の本人はレアな存在だろうが杜撰大王如きが知れたのは例の聴き専ヲタ親友のお陰も、あのGinger BakerがCream後にやってたBandに居たからなんだ。

そのグループ名はBaker Gurvitz Armyで、主に’70年代中期に何でもアリなRockを演ってて一寸気に入ったんだ。
DrummerとしてRockでのGinger Bakerってどんななのか知りたくてが発端で、ってのもCreamはJack Bruceに依れば「Jazz Band」だって言ったからだ。

Gingerの変態性は生来のものにしても、どの位普通な叩き方もするのかと思ってさ。
このBandの話しは次回以降に譲るとして、Guitar・VocalのAdrian Gurvitzって人も同じかそれ以上に気になったのよ。

結局現時点で気に入ってるのは’70年代末のソロ1,2作目だけなんだが、彼のジャンル遍歴が一寸面白くてね。
当初はPsychedelic Blues Rockからスタートしてサイケが取れて少しHardが付いた迄は分かるが、その後により歌がメインなAOR系に行ってるんだよ。

因みに表層的にはSteve Lukather等だって似てるか知らんが、彼の場合若い時の請負仕事のニーズの関係がとても大きかった。
本人自身は飽く迄Rockでも世はAOR全盛で、まだその頃は他の有名人みたいにHardとかMetalとかのイメージも付いてなかったからねえ。

処がAdrianの場合は自ら企図してAORに参戦した様で、そりゃ根底には売れたい願望もあったんだろうけど。
どうやら最大の理由はより巾広い曲調を扱えるからだったらしく、歌中心であり乍らしれっとインストも入ってるんだ。

それ迄の作品でも実は作曲能力が最も長けてるのではって兆候があったが、対外的には歌えるGuitaristの領域から脱せずに居たんだ。
但し意欲的だったソロ2作でプチブレークして以降は、守りの姿勢に転じた感じで杜撰君としてはもう興味を持てなくなってるがね。

わ兎も角玄人耳で聴くと音楽的に中々奥が深かって、聴くのは楽だが作るのは至難そうな処に一目置かざるを得ないんだ。
因みにⅡで杜撰君のAOR全体評は編曲が作曲に勝ってて、その予定調和的部分のせいで飽きの来るのが割と早い印象でね。

だからハーモニーの美麗さ等では秀逸さを感じたが、「汚いのに美しい」等の欠けてるのが物足りない。
のが彼の手に掛かると突如IsleyみたいなFuzz使用法も出て来たりで、他の凡庸なAORとは一味も二味も違って面白かったんだ。

故に若干邪道だが良質なPopsとかRockだと思って聴いてて、AORファンが期待して聴いたらもしかして肩透しを喰らうかも知れぬ。
のに日本語カテゴライズではAORに固執してるから、それで余計に
マイナー扱いされてるのかな。

=つづく=

2024年8月20日 (火)

音楽備忘録1830 打倒閉塞感➍

前2回で時間経過を気にするのはアホらしを綴ったが、更に駄目押しを喰らわせといてやんよっと。
今だと情報入手先はネットが最右翼だから、大抵はご丁寧にスペック表示が付いて来るだろうけども。

本当に耳だけを頼って探してたなら、音が来た段階では表示されてても恐らく「聴いただけで見る前」なんじゃね。
ってか先読みしといても音がつまらんかったら、読んどいたのが無駄になるし。

って事ぁ聴くと見る・読むのインターバルはどんなに短縮しても、聴こえて心にヒットした瞬間は他の情報はまだ入って来れないのさ。
これ以外にも新旧を感じさせる要素はあるけれど、杜撰大王としては自分にとって初体験がどうかが最大だと考えてるんだ。

誰かと比較したらこんなの傲慢の極みだが、個人の内面的感覚は各個人固有のもので誰かに左右されるべきじゃない。(自然と影響を受けたり自ら意識するのは除く)
心の中でもとんでもない趣味嗜好を持ってたら敬遠される場合もあるけど、何より最悪なのは普段思ってなくても突如奇行に走る奴だよ。

翻って誰にも絶対迷惑を掛けないならどう思って様と構わなく、けれど普通人間には絶対的な行動判断力なんて無いから極端な思考・思想にはならない方が安全ですがね。
極度のロリコン等万一暴発したら一大事で、しかし音楽だったらそんな心配は要らないんだ。

ここで注釈っとくが騒音公害等はイメージ的には過激なジャンルで起こり易いが、本質的には無関係でモラルの問題だ。
尤も低モラルの人が好むジャンルっつう傾向はある程度あるんで、勘違いされるケースは多いけどね。

そしてこの件で大切な別観点がもう1つあって、音楽で何かをマスターするのには結構時間が掛かる事。
しかも演者と求める何かとの相性やら色々あり、聴いたらその場で演れるのと理解してからやたらと時間を要す等あらゆるパターンがある。

最悪はバカテクみたいに適性が無かったら死ぬまでマスター不可になるのもありで、更には無理と自覚する期間さえ無限だ。
この事実と照らし合わせると本質的な部分の音楽で時間(新旧)を気にするなんて野暮で、急いては事をし損じるの典型でっせ。

だからって誰かさんの従兄みたいに先にブチ上げといて何時になるやらじゃ、それりゃ困るし傍迷惑だがね。💦
尤もⅡで親しい身内にだから本音心情をこぼしてるだけで、こっちが訊き流したり記憶しなきゃそれで済む話しだ。

が性格と立場的に旨い話しが耳に入ると、どうしても期待しちゃうんだな。
わ兎も角音楽作品では「古いのも普通」って感覚さえ養えれば、賞味期限切れの食品を食わされる様なリスクは一切御座居まへん。

せいぜい世間の流行知りません、今のマイブームはコレと嘯いとく程度で済ませられるだよ。
それより少しでも古いと他人に思われたくないなら、聴き専じゃねんだから「自分が出す方」を極力実用新案みたいなので揃えるのが唯一の有効手段なんじゃない?。

-つづく-

2024年8月19日 (月)

音楽備忘録1829 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり⓫

現行のJ-POPの歌詞過忖度案件を公平に検証すべく、分不相応だが逆側から考察してみよう。
それは文学的観点から価値・立ち位置等を審議するんだが、筆者が文才に乏しいのは大目にみとくれやす。

文学で最高級っつうと挿絵すら無しで誰もに同じ絵面が浮かぶ様なのとかと思うんだけど、細部迄指定しようとしたらどうしたって文はある程度長くなったりする。
勿論なるべく簡潔な文言で全貌を掴めるの良いが、例えば誰も実見した事が無い物なんかだと少なくとも字数制限は邪魔になる。

この点でポピュラーソングの歌詞如きの分量ではハンデがあり、もしそれに何の助力・加点も無いんだったら本格派小説には1㎜も勝ち目は無い。
最低でも口数多目のを延々続けられる全盛期のさだまさしみたいなFolkにするか、早口で捲し立てるRapにでもしないと厳しそうだ。

処がもし適切なBGM(歌曲の場合は伴奏等)を添えてやると、音の印象でイメージの絞り込みが俄然可能になって来んの。
実際文学でも朗読等では語り部の口調・声質やBGM等で、文作者の例えば大海原で読んで欲しい等の願望に近付ける試みがされたりしてるよね。

それを踏まえて今劣化本邦のJ-POPを眺めると、日本らしさの為に音に和テイストを加えるのは良い。
で従前の邦楽は演歌の段階で進化が一旦止まってたんで、そのまま加えたらテンポの遅さとかが今に合わない。

から今迄に無い速さにする迄は一興だったんだけど、喧しくしたりけたたましくしたらもう和を否定しちまうんだよ。
基本和って「抜きの美学」なんで、音の隙間がゼロになったりするのもムードぶち壊しに繋がる。(一例:庭園のししおどし)

と言うとミスマッチのあるのが今っぽいと反論が押し寄せそうだが、過半数がそうなったらもう俺言い「意図的ミスマッチ効果」は消滅してるんだよね。
ボカロ打込みで作ったら人力ではあり得ない煩さになっちゃったけど、何だか面白かったから出しちゃったも最初に見つけた作者には座布団一枚。

だが所詮↑は1000回に1回しか当たりの出ない超裏技みたいなもんなんで、無理に演ってもせいぜいアルバム単位で1曲だけとかに抑えとんかと意味を為さなくなるですよ。
つまり他人に依存せず最低でも自分達の作品で対極のも用意しとかんと、どっちが表か裏だかよく分からなくなるってな感じ。

わ兎も角歌詞を文学の一形態と考えれば音が付いてるから、皆迄綴らなくてもイメージを特定出来るのが歌詞の特権なんすよ。
他のだと必要な事細かな説明をかなり端折れる(音では精密に演る)んで、短く出来ると同時に余った字数が更なる心情描写等に回せる。

杜撰大王は雄弁だからこそ「口数の多い欠点」には精通してて💦、一度に沢山御託を並べるとそれだけで難解化するのをしばしば相手に叱られてる
んだから…。😞
それからすればシンプルで最も短文にするのが可能な事こそ、ポピュラーソング歌詞の特権なんだ。

=つづく=

2024年8月18日 (日)

音楽備忘録1828 楽器業界の行く末⑰

遂にオーラスを迎えつつ、何だか又前回位から政治・経済色が濃くなってて嫌気がさしたかな。
老害とは言え杜撰君だって本来は↑なんかにゃ興味はホントに無いんだが、向こうが勝手に人の家(音楽等芸術界)に押入って来るから応戦せざるを得んのだよ。

主犯の消費税を始め経済を疲弊しかさせないのが近年は目白押しで、兎にも角にも早急に現悪政権を追放しないとどうしようもない。
がそれ以前に好況時は大目に見てられる粗相だって、既に堤防決壊が始まってる不況下ではより厳しく断罪せねばならんのだ。

イタチの最後っ屁みたいな真似する奴ってのは、内心既に廃業を決めたに等しいんだよ。
普通の神経の販売業だったら閉店セールで捨て値処分とか贔屓筋へ感謝還元する処なんだが、直接顧客と関わらないのを良い事に問屋は短期間なら非道な事が出来ちゃうんだ。

本来はそんな不遜なのは経産省が取り締まらなきゃなんないんだが、アベ以降省庁の方が先に腐っちまいやっがたかんね。
最早良心的な顧客(不正転売とかせん奴)位しかマトモなのは残ってないが、そんなのの最後の1人が居なくならない内は何処か誰かがフォローしなかったら業界自体が破綻するんだ。

愚問屋自身では商才に長けて見切りのタイミングが絶妙とか勘違いしてるか知らんが、値上げさせ過ぎて誰も買えなくなりゃそれだけで商売としちゃ破綻なんだよ。
黒商魂フルで言うても「ギリギリで買える」設定が必須で、非富裕層向け商品ではその対象が一般庶民じゃないとアカンの。

今では伝説の逸品扱いのスピキンだが、基本設計当時の状況もあって良い処せいぜい大衆車の最上位モデル程度なんだ。
せめてかつてはFerrariの次位だった伊のMaseratiやLanciaみたいに、「降りて来た」のならまだ理解が得られるかも知らんがね。

或は古くはSONYのESシリーズとかToyotaならLEXUS 、NissanならINFINITIみたいに上の階級を新設するならまだ分かるが。
昔から楽器界でも上位志向を打ち出してたブランドがあるんで、そうでもせん限り所詮改良品の域を出ないのを当初から首尾一貫して高級ブランドだったのに対抗させるなんてどだい無理筋なんや。

実は本家側はそんなの重々承知してるんで、本国では$200前後じゃないのさ!!。(数カ月前)
珍しくちゃんと米サイトで今確認して来たら案の定で、私的には日本での元締め野中貿易が傲慢なせいでずっとLudwig自体の普及を阻害して来てんだよ。

考えても見なはれ、もし海外でカローラがFerrariとかから売られてたら誰があんなに買うのかってさ。
大昔日本で定着するか分からない頃、恐らく当初はマトモに商談にも応じて貰えん中で契約を勝ち取った苦労は大いに認めるけどな。

状況が激変しとるのに何時迄も過去の栄光にすがってっと、じきに上野音大みたいに潰れても知らんぞってぇの。
のでまだ実行してないで吠えるのも何だが、皆が本国か別ルート経由のしか買わない事で誰でも抵抗・対抗は可能で全く何も出来ない訳じゃないんだよ。

=おわり=

2024年8月17日 (土)

音楽備忘録1827 過小評価で忘れられつつある人々㉛

今回は人と言うよりカテゴリ全体に近くなるが、かつての映画・TV等で職人が手掛けた音楽の名作についてだ。
今でも皆無になったと迄は申さぬが、昔のと比べると本職とは到底呼べない物ばかりに変わっちまったんだ。

そう言うと編成等の規模差の事かと思われるだろうが、それ以上に曲のクウォリティ等に歴然の差が感じられるんだよ。
具体的には単に曲レベルの高低だけじゃなく編曲も含めた「巾の広さの相違」が、楽しむのみならず参考にする際のお役立ち度に雲泥の差を生じとん。

のをなるべく多角的に検証してくとして、本日の生贄は米のTVドラマThe Magician(’73)のOP曲ざます。
どうせ例示するならもっと知名度のあるのにすべきなのに↑なのは、他ので中々お目に掛かれない要素が入ってるからなんだ。

先に補足しとくと主演のBill Bixbyは数年後、変身前の超人ハルクを演じてた名優だ。
加えて当時アホガキの俺が知ってた位だから’74に日本でも放送されてて、只それが東京12チャンネル(テレビ東京)だったから今一知名度で損してるかも。


で全体としては’70年代のだからBig Bandの流れが濃厚だが、お題が奇術→魔法の親戚と考えたかでアラビアンテイストが加わってたんだ。
っつっても出だしの主旋律をTrumpetか何かで、一寸それっぽく吹いてるだけなんだけどね。

けどストーリーも登場人物も一切中近東レスなのに、それに依って醸し出される不思議感が妙に内容にマッチしてたん。
要するに本職の専門家が手掛けてると演奏・サウンド面では未だしも、音楽の内容の広大さとか節操無さの部分でおいそれとは太刀打ち出来ん違いがあったんだ。

今風に換言すりゃこれぞグローバルってなもんで、芝居なだけにあらゆるジャンルを1つも欠ける事無く熟さなきゃなんないっしょ。
魔法や怪獣・宇宙人とか空想のですら「実音化」する必要があり、寧ろ実音化出来てるからこそ視聴者があり得る話しかもと思えるんだからね。

その意味では純粋な名曲となったのとは差異が出るのも当然で、決して唯の名曲が参考にならない訳じゃないんだけどね。
既存のとは何処かが違う新表現・新感覚を求めてる際、ダイレクトに参考になるのはこっちなんだ。

でⅡで大して人気は得られずともこう云う独自性があるのは稀有なんで、今劣化本邦でももう少し大事にしたら良いんじゃないかと思うんだけどさ。
又こんな件では大胆不敵にも客に文句を付けるが、壺や電通に踊らされて「楽しみの種類や巾を狭めてる」のに悔しくないのかな。

もっと言うなら教育の場で少しは教えないと嘘で、やれベートーベンがモーツァルトがなんてのよりよっぽど一般人には必要不可欠なんだよ。
音楽の楽しみ方とか聴き方って自身が演る演らないに無関係に誰にも必要で、そうしとかんと趣味にするかしないかさえ
ちゃんと選べないんだから。

=つづく=

2024年8月16日 (金)

音楽備忘録1826 打倒閉塞感➌

音楽作品は経年劣化が殆ど無いを続けて補強しとくが、これは文学等でも同傾向にある。
尤も勘違いし易いのが流行等で、作られた時代特有のだと確かにその部分はマッチしなくなったりする。

だがそれはディテールであって内容の骨格では無く、どうせ丸パクリはご法度でしないんだからさして深刻な問題じゃないんだ。
それが最も分かり易いのがネタ元は男性で、引用するのは女性なんて場合だ。

今劣化本邦では女の子が自称を俺とか僕なんて呼ぶのもプチ流行してるけど、それは飽く迄例外で性不一致の人以外本気で男になったつもりで歌う奴人なんてあんまり居ないでしょ。
音の方でも同様かそれ以上に、表面的スタイルより内容に注聴すればね。

これはバーチャルな存在にだけ与えられてて、幾らミントコンディションなんて言っても現物だと経年劣化から完全に開放されるのは無理ってもんだ。
近頃一部で昭和ヲタが流行ってて、彼彼女等はリアル昭和アイテムに細心の注意を払って愛用している。

がしかし実際の昭和では今よりゃ物は何でも大事にしてたけど、↑みたいに後生大事になんか全然してなかったんだよ。
例の過去述俺言い「真空管爆弾遊び」とかが典型の一部で、実際に電気ヲタの俺以上に悪友は全く罪の意識皆無で平然とガシャンバァンとやってたんだから。

すべからくその時どう思ってるかで、人間の反応や行動なんて簡単に変わるもんなのよ。
さてここからは若者はもし分からなくても当然で、ある程度齢取ると無意識でも皆なってしまうお話しだ。

自分の知己に現在進行形が多く過去のが少ない内は、昔のの存在は何でもちょっちレアだ。
のが概所持知己が逆転すれば印象もアッサリ翻るもんで、それでも残るのはリアル体験の有無だ。

から50位迄はそれが強く作用してたんだが、過去には体験可でも不可能になって久しくなって来ると未体験ののと差が縮まる。
特に体験機会が少なかったのとか当時あまり興味が無かったのだと、想い出だって段々希薄になって行くんだ。

そうなって初めて人の時代感覚のいい加減さを思い知り、つまりは喉元過ぎれば熱さを忘れると似た様なものと悟らされるの。
で今どう感じるかもどうでも良か無いが、今どれを選ぶかみたいな直接的なものじゃなきゃ時間軸は大した意味なんて持ってねんだ。

但し私体験で影響を感じるのが若くから過去モノに触れてたか否かで、触れてない人程どうも心情変化が大きいみたいだ。
杜撰君音楽のフェイバリットに出逢ってから10年以上聴き専だったんで、いざや演ろうとした頃には周りと合わないし今更とか言われて当時は辛酸を舐めさせられた。

これがClassicとかJazzだったら、もう現在進行形の方が少なくなってたからきっと違ってたんだろうけどね。
当時Rockは日進月歩の時期だったから、変な話し今より好みの古さで年寄り呼ばわりされたりしてたんだわ。

その意味で「古っ」と言われて、今の方が全然嫌な思いをしなくなったんだから奇妙なもんだよねえ。
誰かとの共感目的なら流行の踏襲にも意味があるけど、各個人内レベルではそんなもんなんすよ。

-つづく-

2024年8月15日 (木)

音楽備忘録1825 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➓

前回他の軍艦マーチの件の補遺を加えとくと、他にも突撃ラッパなんかも場面演出としてそこそこ使われてたな。
まあ流石に今となっては戦中世代(主に戦時中生まれをそう呼んだ)が殆ど居なくなっちまったんで、イメージ呼び覚ましはほぼ無効化しててあまり採用する意味が無くなってるだろうけどさ。

けど今の映画やドラマでゴリゴリの昭和の場面で全く登場させないのは、実体から乖離してて不自然極まり無くなっちゃってるよ。
まるで新興宗教の強力な戒律か歴史改変でもしてるかの様な…、残念乍らそれは恐らく壺やそれに洗脳された手先共の仕業なんだろうけどね。

んが政治や宗教に直接は関係無く、文化的に省いたらストーリーが成立しなくなる処迄そんなんするのは明らかにやり過ぎだ。
仮にこの新作戦が成功したとして将来真実を誰も知らなくなれば、毒にならない代わり薬にも全くならない人ばかりになる。

そうなれば折角占領が完遂しても、不要なペットを飼ってるだけに等しくなる。
先ずあり得ないがそうして世界征服を成し遂げた処で、恐らく最大に膨張した無限に近いアホ人間のお陰でパラダイスになる予定だった宗主国自体も滅亡するのだ。

わ究極としても将来性皆無のコースだけは、誰も得しない事に大いに注意が必要なんざます。
現にかなり壺に飼いならされた若者を中心とする民衆は、本来基準に相応しいスタンダード曲サンプルを喪失してるっしょ。

元々これは島国固有の弱点だから幾らでも気を付けるべき点なんだが、今劣化本邦の場合日本語っつうレア言語も大いに悪貢献しちゃってるわ。
こんなにネットが発達したって日本語じゃないか
らと耳を傾けなきゃ、鎖国全盛の江戸時代の庶民と殆ど同程度かそれ以下の情報収集力になるんだよ。(その時期所謂瓦版が隆盛だったんで:スポーツ新聞系の元祖!?)

その意味では歌詞の高度化は音楽自体には害でしかなく、つまりそんなのは外人には中々手に負えんからねえ。
その証拠に現時点で日本語で海外進出するとBABY METALの歌詞程度が限界で、他国の他言語でもポピュラー音楽では今劣化本邦みたいな大小説家の文言みたいなのは意図して避けられてるのが世界の常識ざんす。

この国独自の言語を大切にするのは大いに素晴らしいが、他の何かを犠牲にするなら俺は全く賛成出来ない。
だいいちそんな今劣化本邦でさえニュースを新聞よりTV等動画で入手するのが主流で、もうこんな初歩段階から矛盾してるじゃないのさ。

それを鑑みると実は歌詞忖度をしてるんじゃなく、音楽の癖に音を不当に軽く扱ってるだけなんじゃないの?。
案の定国内音楽マーケットは過去比だと随分縮小してて、侮る無かれ一般大衆は歌詞だけの音楽にはそんなに興味を示してねんだよ。

にも拘わらずお上(この場合は雇用側)の強大な圧力で、窮したメジャー所属の連中は携帯小説からネタを漁る有様だ。
いやね参考に留めるなら全然悪かねんでっせ、けど元ネタを下手クソにパクって出涸らしを使うんじゃなぁ。

=つづく=

2024年8月14日 (水)

音楽備忘録1824 楽器業界の行く末⑯

さてさてこのお題も影響力のほぼ無い外野の戯言なんで〆に入るが、最後に言及しときたいのは巷で問題化してる「中抜き」ざんす。
楽器業界全体では今は過去のピーク時よりかなりマシになってっけど、極最近悪目立ちしてるのが輸入取扱いの元締めだ。

世相に興味も含め疎い杜撰大王が何処で気付いたかったら、Ludwig Speedking用ビータL-1286の価格異常高騰だ。
数年前迄¥2,500程度だったのが幾ら円安や増税があるっても、¥6〜7,000が相場ってのはどうにも承服し兼ねるわい。

更に不可解なのがサウンドハウスだと今迄普通は安い方になる筈なのに、他所で6があって7な処だ。
今時絶対数的にはとっくに主流では無くなってるだろうが、一定数の固定客は居るんで安定して売れてるのにさ。

確かに素の経済論理からすれば円安で値上げ→販量減少で追加値上げは、商業運営上の健全性には必要だ。
が実質賃金がずっとマイナス成長の異常下でそんなんしてれば、負のスパイラルに完墜ちまっしぐらなんだよ。

税の増加は売る側・買う側でイーヴンと考えられるから、為替変動分+αと見積もっても現時点では本来過去値の2倍が限界値なんじゃねの。
どんなに苦しくても↑に抑えんと、必ず顧客喪失に至るんだよ。

ここで改めて問屋のお仕事について考察すると、かつて日本には巨大販売チェーン等無かったから集積所は実際必要不可欠だったんだ。
各店舗がバラバラに色々な商品の仕入れをするのはかなり大変で、超大昔楽器個人商店でバイトさせてもらった際メーカに直で取りに行った覚えはおまへん。

お陰で流石に今となっては世代交代で旧知の方は居ないと思うけど、一通りの楽器問屋の名称と所在地が知れちまったよ。
それでかなり後年に以前数度お世話になったが、今はもう電車でも自動車でも足代の方が高くなるから訪れなくなって久しい。

で敢えてゴミ捨て場みたいな表現を用いたのは最も分かり易そうと思ったからで、日本ではタワマンや団地みたいな大規模集積住宅が増えて進化してもダストシュートみたいなのはほぼ無普及なまま。(中には使用停止と後退したのも)
結果一軒家じゃなくても建物内若しくは敷地内にせよ、ゴミ集積所の必要性がずっと続いてんだ。

楽器販売でも同様だったら未だしも今やネット通販の方が主流で、例えば注文時の音家アドレスは全員がたった1つのにアクセスするが如く売れる遥か前の時点で既に集積してんすよ。
自由競争の観点からはアドレス数は自由だが、アクセス集中でパンクしない様に出来るなら1商品に1アドレスあれば事足りるんだ。

真のコストカット(無駄経費を省く)ってなこう云うのにこそ実施すべきもんで、「顧客直に売らない問屋」なんかとうの昔に不要でお邪魔でしかない存在に成り下がっとん。
それ故「お前はもう死んでいる」を無理に気付かぬフリしたいなら、せめて既得権益価格なんかにしてちゃホントに終末を早めるだけなんだ。

-つづく-

2024年8月13日 (火)

音楽備忘録1823 過小評価で忘れられつつある人々㉚

ここで一寸恐らくそこそこ概知の人達を、今更取上げる意図に触れときたい。
杜撰大王の知識なんて聴き専ヲタ強者に劣るのは自覚してても、ベテランとなればそれなりにニッチな人達だって少しは知ってる。

ので何時か気が向いたら突然それも出すけど、可能ならその前に学ぶ為の聴き方をある程度マスターして欲しいん。
バカ犬的アホさの支配から中々逃れられない杜撰君は、情報からの習得率がかなり悪かったんだ。

のでⅡで一時期は異なるサンプルの量で補おうとしてたんだが、聴き方・分析の仕方が不適切なままでは穴(欠点)を無くせなかったんだ。
又最初から好みの以外ので集中力を保ったり、飽きずに続けるのも苦痛になって来たり。

そもそも貧に量的獲得限界は低い等色々から、聴き直しを考える様になってさ。
只元々苦手な聴点の変更は簡単じゃ無かったが、時間経過(ブランク)でこっちの状態が勝手に変わってるのが役に立ったのよ。

その間に担当パートが増えたり編曲家としての責任感等が芽生えてて、同じ自分勝手にするにしても以前よりは相手の事がちゃんと意識中に残る様になったんだ。
それが「立場の異なる人の聴点」の理解と実践に繋がり、自身は無意識下で勝手に育ってたって訳。

で具体的にはどんな変化があったかったら、前3回述迄のEarth,Wind & Fireのちゃんとコピーをし始めてたん。
って言ったって杜撰君の事だから、スイッと進まなきゃすぐ投げ出したり放置しちゃったりしてんだけどね。

けど以前だったら放置じゃなく放棄してたんだから、本人にとっちゃプチ革命なんざます。
そうなってみると以前の記憶や印象と異なる箇所が登場して、それが又結構あべこべになってるのが多くてさ。

尤もそんな各個人印象・記憶にもオリジナリティが含まれてるんで、全部書き換えたりゃしないで残しとくのも大事なんだ。
がそれだけをずっと優先してると巾とか可能な事の限界を低くしちまって、慣れない内は厳しいけど結局は両方から攻められないといけないみたいなんだ。

それが自然体の聴き専の人の方がタイミングさえ合えばフッとそうなれて、奏者の方が自身で築かれた何等の既成概念に翻弄されて壁になってるのは皮肉なもんだ。
これを克服する一手段としては「敢えて記憶を消す」のがあり、原理的にはPC・OSの再インスコでクリーンインストールをしてみるのなんかと近似ざます。

尤も人間だと僅かでも意識すると必ず弊害が出て来るんで、たまたま生じたブランク等を代わりに利用してみようって作戦だ。
それには名前位記憶に留めとかんと再聴時に手間取ると思うだろうが、自作リストを作っといて脳の記憶域を開放してやったりすりゃ良い。

って私体験では良さげだから一応落しといて、ずっと後になってこれ誰だけっけ何で落しといた?なんてなっただけなんだけどね。😓
忘却は困る方が多いけど、人間ってそうでもしないとリセット効かないから…。

=つづく=

2024年8月12日 (月)

音楽備忘録1822 打倒閉塞感➋

杜撰大王は温故知新なんて年寄り臭いセリフだから昔から好きじゃなく、かつては別の言葉にすり替えて表現してたりした。
のでもっと新鮮な感じの言い回しが見つかると良いんだが、誤解を避けようとすると難しいや。

そんな訳だから内心は堅苦しいとか形式ばったとかとは無縁で、ただただイカシた真似する奴が居たぞなんて感覚なんだ。
以前述の如く心理にとっての新旧に実時間はあまり関係無く、自分が未体験だったらそれはどれも新なのよ。

画期的な発明をして大人気になった本人は、来る日も来る日も「それ」を世間の誰からも要求されるのでかなり早くに飽きてたりするやんか。
その側面からだと温故知新の真髄は、単に作られた時期で差別しないって事なんじゃないかな。

自身内の差別撤廃の工夫その①
一般的には録音された時代に依る音質差等につい気を取られるが、今だってやろうと思えばボロいラジカセでもBandの録音は出来る。
或は幾ら全体の音質が向上したとは言え、学校の校内やビル内の放送の音質は他のに比べりゃ大して向上してない。

のを魔用して実際にはオーディオで聴いてるのに、メガホンか何かから流れて来てると仮想するのだ。
その目的は音質と音楽内容の新旧は必ずしも一致してないんで、音質に釣られて古いと誤認するのを避ける為。

その②
こう動画での新作公開がデフォになると、実は色んな弊害も随分増えとんの。
先ず本人達作の動画が無いとそれだけで古いのかと思うし、あっても静止画やモノクロだとつい昔のかと感じちまう。

そもそも音楽の内容にしかこの件で用は無いので、視覚評価を混入させるのが間違いなんだ。
強いて言えば既にネタとしての利用者が多いと、類似の容姿的スタイルの動画が纏めて出て来るの位かな。

只この辺は難しい処で全く模倣なんてしてなくても、たまたま印象が似てたら勝手にパクリ判定されたりする事もあるからねえ。
その逆に酷いのになるとモロパクリしてたのに、著作権の有効期限内にそれに誰も気付かなかったとかさ。

結局は誰もやってなさそうな味に仕上げるのが肝要で、最初は容疑が掛けられてもいざ実比較してみて違ってりゃセーフなんだ。
但し差別化が不十分だと必然的に新鮮味も少なくなるんで、効果っつう点では最適では無いですぜ。

すぐに思い付くのだと杜撰大王なだけにこの程度だが、実質的な時代の影響を受けないのも音楽作品の特権なんだ。
乗り物であれば公害規制等に引っ掛かれば、どんな優れものでも封印を余儀なくされる。

茅葺き屋根等も職人が居なくなりゃ維持・更新が不能になるから、継続が日々刻々と困難化してる。
勿論音楽だって生演奏は本人没後は不可能だが、既に記録されててメディア革新等に対応済みの作品自体は殆ど影響を受けねんだ。

-つづく-

2024年8月11日 (日)

音楽備忘録1821 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➒

2010年代に入って洋の東西を問わず、過去作が極端に放送されなくなって久しい劣化本邦。
単に時代の潮流と思う人も居るだろうが、杜撰大王にはどうにも作為的としか思えない。

杜撰君の場合自動反応として、ずっと聴いてたFM放送を全く聴かなくなったっつうのがある。
今でこそ妙に執着してやれ壺がぁだの何だのしきりに吠えてるけど、素の性格は普段殆ど何も考えてないタイプなのだ。

良く言や自身の感性に委ねて悪くってか単刀直入言や、少なくとも対外的には唯のアホだ。
気持ち的には時々もっとエエのは無いのんかとはなるものの、労力に対し取れ高が悪いと損な感じがするから余程必要にならない限り世間の様子を進んで伺ったりは滅多にしないん。

ので音楽ではどっちでも良いと思ってる中から好みのを見つけるのに、かつてのFMは好都合だったんだ。
処が上記の頃から何だか幾ら流し続けても段々当りが減ってって、何時しか忍耐力をハズレの確率が凌駕しちまってなぁ。

丁度常用してたチューナー(受信機)がヘバって来たのを境に、以降全然聴かなくなっただよ。
昔の放送の俺語りではもしかしたら如何にも当選確率が高かった様に感じたかも知れないけど、実際はRock全盛期の’70年代より’90年代の方が確率は良かったんだ。

只個人的に出逢いの大きさの点で’60〜70年代の方がインパクトが大きかっただけで、全日の放送時間帯での比率としてはかなり限られた特定の時間帯にしか所望のは掛かんなかった。
って位だから1曲丸毎全部掛かる事は滅多に無く、それが好転したのも’90年代になってからっすよ。

まあ日本のFM放送開始から普及定着する迄の時期も含まれるから、’80年頃迄の選曲が本当に自然だったとは限らないんだけどさ。
けど洋楽より邦楽(明治以前のじゃなく)・スタンダードより今流行りか売りたくて推しのばかりが、早朝から深夜まで頻繁にしつこく掛かりだしたのが上述だ。

尤もAMではFM開始頃にはもう新作演歌の押し売りは始まってて、深夜帯以外は店屋や運ちゃんの働くおじちゃんおばちゃんがメインターゲットらしかったけどね。
んが何れにしてもスタンダードが限られたそれ用の番組でしか掛からなくなり出して、元々の性格が異なりはするが米軍人向けのAFN(昔はFEN)より何やら偏向内容が比べ物にならん位酷くなって今日に至るとな。

この事実でさえ平成以降生まれだと余程のおマセさん以外自身だけじゃ感知し様が無く、それ迄には無かった「新手の洗脳作戦」ですわ。
その実例の一端として君が代以外のとっても有名な軍歌等が全く流れなくなり、極悪現政権の軍備増強に反するのは何とも皮肉としか言い様が無い。

ついでだから誤認是正をしとくと昭和でも戦後掛かった軍歌は、右翼の街宣車とかメモリアル番組以外では演出目的の利用が殆どだったで。
最有名だった「軍艦マーチ」が掛かったのは浮気がバレた親父が母ちゃんにコテンパンにやられる場面とか、パチンコ屋で景気付け目的で流したりと深く考えりゃ戦死した英霊にはとっても失礼な位にね。

=つづく=

2024年8月10日 (土)

音楽備忘録1820 楽器業界の行く末⑮

結局楽器は製造も販売も一般製造業の量産や量販には到底加われず、目先の利潤追求な経済アナリストなんかの妄言を訊き入れてちゃ食い物にされるだけなんだよ。
この辺が真の経済原理やビジネス原理の非情な処で、西洋白人由来の原理には東洋のと違って情や文学的要素なんか入れちゃ駄目なんだ。

一概にどっちが優れてるとは言えないが、米欧でマトモな所は学歴・経歴が立派なだけですぐ採ったりゃせんて。
2つ返事でGOが出るのは実績で、それ昨日も5台作ったのがコレなんて具体提示出来るのが最高評価だ。

尤も行き過ぎた成果主義のお陰で青田買いし、一寸想定と違ったら即ポイする処は頂けないがね。
まあ今はグローバルを標榜してる以上、西か東かなんて限定するのがもう時代に合わなくなったんだ。

学問としては偉い先生でも実際の商売で成果を出せたのは極少数で、今日本人で一番稼いでるのは大谷翔平やんか。
それこそが少々古いが「蛇の道は蛇」ってもんで、机上の学問と現実の商いとの違いだ。

外部から知己を得るのは有意義だし大切だが、Stonesのコピーが全く駄目なままレッチリのコピーが出来てもあんまり意味無いのよ。
これはあらゆる面で共通でヒールあってのヒーローとか、零細あっての大企業じゃないと真の存在価値は無くなるのさ。

具体的には大企業のウチでは出来ないが、他所の零細ならそれが出来るのを真摯に認めんと。
そもそもはそんな面から零細下請けをお願いし始めてて、自分のルールを勝手に相手に当て嵌めて足切りなんかするからこんな異常事態になるんだよ。

YAMAHAがPianoで木材加工に自信があるなら、Drumだからって最初からサカエになんか依頼したのは変だぜ。
巧く合法的に盗んだつもりか知らんが、案の定過去の栄光は地に落ちたずら。

元々評判を得たのは業界御用達特別選別のだけで、その上零細依存が欠かせないんだったら徹底的に厚遇すべきだったんだ。
にも拘わらず何を傲慢に勘違いしたか勝手に技の社内移転が成功したとか、企業成長の為なら血も涙も無く切り捨てを断行だなんて…。

壺の経済学者か何かに騙されたか或はアホの大株主の戯言に惑わされたか知らんが、非公開の株主総会でサッサと素直に実情を明かすべきだったよな。
確かに一時的な儲けでも稼げる時に稼ぎしっかり貯めといて、ほとぼりが冷めた暁にはそこから逃亡すれば損はしないだろう。

だがそれには眼鏡の曇り等が一切無けりゃの話しで、愚行をやらかした時点でもう既に眼鏡は曇ってた訳だからねえ。
或は資産家と企業家の区別が出来ないとも看做せ、それならそれでとっとと経営から退くのが利口ってもんだ。

結局良く理解しないまま金の亡者化してるもんだから、カルロス・ゴーンみたいな他所からやって来た奴に勝ち逃げされる始末だ。
杜撰君は日産の末端ユーザーなんで参っては居るが、ある意味経営者から資産家へシフトするサンプルとして奴は上等だよな。

-続く-

2024年8月 9日 (金)

音楽備忘録1819.5 過小評価で忘れられつつある人々㉘

※事故発生:拙ブログでは記事に通し番号を付けて整理してたんだけど、重複させたのに気付かず公開順が入れ替わってしまいまつた。
読者の皆様には大変お手間ですが、意味不等生じた際は併せてお読み下さいまし。

ついエキサイトしてグルーヴ以外具体内容を提示し損ねたんで、Earth,Wind & Fireの2回目だぁ。
さて概述の通り目立たないが良質なグルーヴが確かに入口にはなってる気がするが、メジャーの売れ線にアフリカ文化を上手に取り入れた事で色々な副産物を生んだんだ。

その中で私的最大のは曲自体・リズムパターン等で、当時は一部のコアヲタ系で微かにしか聴けなかったのが一杯出て来たんだ。
尤も唯聴くには楽でも分析しようとするとかなり面倒で、そのせいで後継者が現れず孤立した感は拭えない。

んがしかし日本人だと逐一正確に拾おうとするし、海外でも白人は理屈で理解しようとするからそうなるのかも知れない。
かなり大雑把に「○○な感じの曲」に留めて置けたら、細部ディテールより大枠に貴重なのが沢山あるのが俄然分かり易くなるんだ。

彼等はJazzや当時の映画音楽とも競ってた様だし、かなり今に近いダンスミュージックの意識も既にあった。
ので飽く迄雰囲気を堪能して貰うのが主目的で、演奏やディテールは飽きさせない為のオマケみたいなもんなのよ。

この感覚はかつては日本にも大勢居た職業作・編曲家とも似てて、そりゃあプロの職人だから仕上がれば色々と高度な技も入って来るけどね。
恐らく本人達は初期段階のイメージを音に変換する箇所に最も腐心してて、それだからこそ畑違いのニーズにも応えられてたんだよ。

そんな姿勢が根底にあるからかノリ以外のリズム面で際立つとしたら、シンコペーションを中心とした符割のずらし方が俺には耳に付く。
少なくともポピュラー系でここ迄大胆且つ頻繁にやった例は彼等より前には他に無く、来そうで来ない・来なさそうで来ると実害が無い範囲で意表を突くのが絶妙だ。

そして彼等のが頻度・箇所共に独創的なのは恐らくネタ元のせいで、アフリカ等では奇数拍子もこっちで一般的な偶数拍子と同等かそれ以上の地位と普及率に由来するのだろう。
一々カウントなんかしないで感覚で聴いてみると、↑の類もそんなに実際違和感は無かったりするんだ。

つまりココは食えねえだろうと思っても、勇気を出して試したら全然行けるなんてのが多かった訳よ。(※リズムでの「食い」とは前の小節・拍に越境させて「食い込む」事象の音楽用語!?)
だが西欧圏を中心とする従来の常識だけに捉われてると、まさか行けるとは中々気付けないもんでね。

これをアホな杜撰君は当初カリンバ使うとか、土人みたいな衣装をするとか表面的にしか分からんかって。
勿論その今で言うレイヤー並の異世界感は集団でやった分インパクトは象徴的だったが、個人でならStevie Wonder等の方が先だったんだよね。

結局彼等の派手な衣装や編成は掴み専用で、本質はとっても初歩的段階での意外性とかにあった様に思うよ。
かつて一大ムーブメントとなったストリート黒人系のRapが早期に沈静化しちまった(微妙にスマソ)のとか、アースみたいなのをもっと参考にしなかったからじゃないかな。

=つづく=

2024年8月 8日 (木)

音楽備忘録1819 過小評価で忘れられつつある人々㉙

Earth,Wind & Fireについて、一般評価の編曲にも触れときたいから3回目っと。
Horn Sectionの使用例として整理統合が進んでるんで、初心者が参考にするには分かり易い。

特に黒人系のでは夫々がなまじ独自スタイルを築いてた為、こういうのは有難い。
が杜撰君的にはそれ程お薦めしないのは、あまりにも典型的過ぎるからだ。

引用は容易いが応用するのが難しく、しかしHorn Sectionのみでないなら色んなヒントが内包されている。
つまり私分析ではHornは目立って象徴的だが、実は一聴地味なそれ以外のアンサンブルにこそ要点があると思ってんだ。

これの理解にはTower of PowerやChicagoと比べると良く、一般的傾向としてHornが主旋律を取るとJazz寄りな感じになり少し複雑な印象になり易いんだ。
それはそれで並のポピュラーよりゃゴージャス&大人テイストになって、魅力的ではあるんだけどさ。

けれど聴取負担は単純でも飽きないのより少し増してしまい、進んで聴きたいと思ってない人にはその程度でも問題になるんよ。
んで又そう云うのになると聴いてる内に勝手に覚えちまう領域が減って、他人に鼻歌でホレあの曲よなんて意識共有するのも少し難しくなるですよ。

ジャッチャッチャー・ジャッチャッチャチャー…つうと概知だったら、リズムだけでももしやDeep PupleのSmoke On the Water?って思ったりするじゃん。
結局世間への浸透・認知に拘るとシンプルなフレーズを単音かせめて単純和音でとなり、俄然音程よりリズムの比重が重くなるんすよ。

勿論リズムだって複雑なのが続いたらアウトだが、8拍ある内の1つだけ不意に休符になったとかタイミングが違ったなんてのならセーフなんだ。
のが特にRock系ではとても大切なシンコペーションで、↑モロベタリフ例でもしっかりシンコペが入ってるじゃん。

ほんでその入れ方には大別3種類で、①全体②リフ担当のパートだけ③リズム隊だけってのがありそれが様々に組み合わされて使われる。
この内Rock系では不慣れから③を上手くやってるのが少なく、組合せや入れ替わりでも自在なのが少ない。

のを多少JazzやFusion臭はあるにせよ、全く自在に操ってる稀有なのが彼等なんすよ。
では何故今劣化本邦では軽視・下手すりゃ無視されてるのかったら、恐らく理論上の技術レベルがほぼ初歩だからじゃないかな。

入れる場所・頻度・どれにするかの影響が極端に大きいんで、必然性希薄でやるとどっちでも良い様な感じしかしねんだわ。
ホントは絶妙だと物凄く効果があるんだけど、参考例を聴いた事が無いとキッカケすら掴むのが困難で。

それ故俺的には他の好例が見つかる迄は、スタンダードとして皆に耳に通しといて欲しいんだよ。
別に好きにならなくても興味深々にならなくったって全然構やしないんだが、一応そんなやり方があるのを知ってると誰にでも何時か何処かできっと御利益があるって。

=つづく=

2024年8月 7日 (水)

音楽備忘録1818 打倒閉塞感➊

ベテランになれば既に試したのが貯まって来るし、感覚が時代から遅れて行くからある程度はやむを得ない。
がアベシの頃から若者のでも停滞感が拭えなくなったのは、一体どういう事だろう。

少子化&世代間距離が遠のいたにしても、おっやるなぁお若いのってのに全然出くわさなくなって久しい。
老害杜撰大王は世間に疎いのは百も承知だが、これって最近始まったんじゃ全然ねえんだ。

自世代で青春期に流行ってた邦楽ならニューミュージック・ニューウェーブ等、当時も殆ど興味が無かったし。
洋楽系でもテクノやMetal系には薄く、仕方無いから自虐表現でこちとらオールドウェイブだ文句あるかなんてイキってたっけ。

諸手を上げて賛意を示せた時代は、自身で音楽を演り始めた頃にはとっくに過去形だったのさ。
のでその時々の今の流行のが耳に入ったなら、好み度外視で一応把握だけしとく癖みたいなのが付いててね。

その感想が冒頭ので、そんなでホントに楽しめてるんかなんて老婆心すら発動してるんだ。
ジジイ余計なお世話って人が居たらゴメンよだが、歌詞だけに凝るのもポピュラー系としてはそろそろ限界に達してんじゃないかな。

幾ら膨大な表現を擁す日本語と言えど、一般庶民の誰にも同等の理解度・感覚が得られる言葉は無限じゃない。
となると音楽にだけ備わる強み「音」の方へ、遅かれ早かれ何れはポイントをシフトしてみるしかない。

尤も既に気付いてたり杜撰大王みたいに模索してても苦しいのが、ボカロ登場で途絶えた「新登場サウンド」だ。
それ迄は新ジャンルの開拓と並行して、新楽器・新音質・新音色等の登場もほぼあったのよ。

そんなのが10年以上も途絶えりゃ厳しいのも然りで、キッカケレスではそう簡単に新規オリジナルサウンドは構築出来ない。
んが歴史を特に空白期・停滞期が過去にあったか洗い出すと、実は20世紀の進歩速度だけ例外的だったのが分かるよ。

無論そんな時期は大きなトピックが無かったから、史実の記録には幾らも残ってないけどさ。
かと言って完全に衰退してたならその後の大変革の、起る確率が格段に下がってた筈なんだ。

今後は不明も恐らく地味に継続してたり、誰かが継続させてたからチャンスが到来したら割とすぐに対応出来てたんじゃないかな。
と考えてくと今みたいな時期に最適なのは、温故知新や過去の堀残しの再発掘でやんすよ。

今劣化本邦でも和テイストや和と西洋楽器のコラボなんかは一応やってるが、これって実は日本の時代劇等では昔からずっとあった手法なんだ。
のがZ世代以降の若者には契約有料TV等に縁が無いと、触れる機会が極度に少ないからそんなの知らんし分かり様がない。

演歌にしても聴こえては来てるだろうが、1960年代迄の民謡等の要素がそのまま入ってるのなんかだと滅多にマスメディアには流れてない。
でそんな中にかなり今でも充分通じそうなのがあって、多分そんなのに疎いから思ってたより早期に行き詰ってるんじゃないだろうか。

-つづく-

2024年8月 6日 (火)

音楽備忘録1817 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➑

さて次なる新仮設はかなりハイリスクだが、今劣化本邦のJ-POPヘヴィーリスナーも大半は難聴なんじゃないかだ。
わ言い過ぎにしても本人無自覚の、何等かの劣化に見舞われてる疑いがとっても濃厚なのだ。

今の普及価格帯主流は音源も再生機器も基本は極小音量に主眼を置いてる様だが、もし音源に充分な事前補正が為されてるならその直後以降はもう不要なんすよ。
人耳の非リニアな周波数特性(音量次第で特性が変わる)の分を、最初の段階で補正してある訳だからね。

ので録る前になるMicで高域忖度してるのはまだ理解出来、今の流行りの音にするのにEQが不要かその負担を軽減させられるからさ。
けれどイヤモニやスピーカ等では既に「処理済み」なんだから、昔のと違ってもう無理にドンシャリになんかしとかなくても平気になったんだ。

にも拘わらずどいつもこいつも高域忖度する理由として、極小音量補正が施されてない昔の音源を聴く際はっつうのが考えられる。
だがそう云う事情で音の出口での補正が欠かせないってんなら、別に音源の方に施しとく必要は無いんだ。

一面で音楽制作と音響制作が夫々勝手に自己ナルシスを発動してるとも伺え、それじゃあグループ会社内で両方やってる意味が全く無くなっちまう。
各部門には各々の言い分はあろうが、音源と機器の両方共買ってくれた人程損させるのはどうにもイカレとるがね。

と誰も得しないのにスルー出来るとしたら、関係する人の過半数が既に耳に何らかの劣化・損傷を受けてるとしか考えられないんだよ。
こんなのを大胆に提唱出来るのは俺が老害だからこそで、但し単に好みに合わんから文句を付けてんじゃおまへんのや。

こごての老害とは正常・健康でも、加齢に依る逃れられない耳の性能低下があるからだ。
同世代の中では可聴高域限界の劣化は16kHzと現況少ない方だが、所謂モスキート音は全く聴こえなくなって久しい。

その上誰よりも爆音慣れしたこの耳で、今劣化本邦のJ-POPはどうにも喧しくて過刺激だと感じてるんだからな。
って事ぁ健康な耳の持ち主で俺より若きゃもっと煩く感じてる筈で、そうなってないのは耳自体が逝っちゃってる証拠でんがな。

では何故皆気付かない・気付けないのかったら、普段の日常に比較対象が存在せんからだ。
幼少時からずっと新旧交えて耳にしてれば、そうはならずに済むんだけどね。

因みにここでの新旧とは事前補正の少ない音源及び
、事前補正レスの生演奏ざます。
後者は近代のスピーカを使うともう補正が入るんで、主にPAや電気・電子楽器不使用の限定条件付きとなる。

故に厳密には近代のオーディオ機器で聴くとその補正が含まれ相応しくないが、だからこそせめて音源では補正レス時代のじゃないとね。
処が既に耳が劣化してたらそんなのの方が籠ってて変に聴こえて、タイミングを逸するともう聴き比べの効能さえ喪失しちゃうんだよ。

=つづく=

2024年8月 5日 (月)

音楽備忘録1816 楽器業界の行く末⑭

更なる大回りで大企業の劣化について語るが、一般庶民は「無くなったら困りそう」ロジックで騙されてんだ。
実際アフターサービスやメンテ等で「居なくなる恐怖」は確かだが、それが猛威を振るうのは「居る限りは面倒を見てくれる」って前提があったらずら。

この件で杜撰大王が悲哀を感じたのが家庭用ガスエアコンで、発売元の東京ガスが勝手に家庭用から撤退した件だ。
先方としては思った程売れなかったからだろうが、補修部品を強制的に途絶させたのは顧客切り捨てだ。

エネルギー源がガスの特殊性から安全認証を与えられる処が限られ、それを破棄すると挑戦したい者が現れても不可になる。
歴史や発展途上国の様子を俯瞰すると好景気なら廉価な新品に集中するが、不景気或は貧困時は本来「修理業」や「中古ディーラー」が活性化してるんだ。

修理業は半専門だからその内実を晒しとけば何処かを新品部品に交換すると、手間賃の他に部品レベルではプチ新品販売をしてるんすよ。
現代では部品交換を伴わない修理っつうのは稀なんで世間が修理を選択肢に含めれば、交換部品の新製と販売だけでも活性化するんすよ。

新品(価額100%)が誰も買えない→中古(価額50%)でも無理な人が多くなれば、それ以下の出費になる部品単位や修理等の選択肢を設定しなきゃお終いだ。
現在は大企業であってもほぼ例外無く草創期には超零細で、大きくなって潰れ難くなる(本人達だけのつもり)より前迄は↑もしっかり用意されてたんだよ。

それこそが全顧客を相手に出来た大企業の誇りってなもんで、弱小の内は購買対象を絞らざるを得なかったんだから。
尚且つ自社の名声をくまなく行き渡らせるには、大富豪でも乞食でも買った経験がある位にすると万人から等距離の存在感が初めて獲得可能になる。

その為には性善説の有無強弱に拘らず、システム的に大手の悪さには厳しくしとかなきゃ駄目なんだ。
自社にはニーズの無くなった儲からない部品でも赤字にさえならなかったら、それで取引相手に多大な貢献があるなら安易に廃盤なんかにしたらド阿呆や。

直接は儲からんったって皆が潤えば、タイムラグこそあっても将来自社の高額商品の顧客増に繋がるんだよ。(信頼の一部)
そして一番重要なのは何等かの社会情勢急変でピンチに陥った時で、例えば非スポーティーな軽自動車で¥200万〜なんて言ったら誰が買うかっての。(恐ろしい事にそれが今の現実!!!)

オイラの車の価格感覚なんて今は確かに形骸化してるだろうけど、60年一寸の人生で50年間はそれがずっと通用してたのは紛れもない事実だ。
それでもせめて段違いに便利になったとか高性能になったならまだ一考の余地もあろうが、実用上の実質価値が大して変わらずこんなじゃ誰が納得するかっての。

ほいでこれ等の現象でダメージが多大なのは弱小・零細で、楽器は産業界の中では世界一のYAMAHAですら超零細なんすよ。
量産車が月1,000台だったら何処からどう見ても販売不振だが、Pianoだからって100台で売れたなんてのは工業的量産の原理からは逸脱してるん。

-続く-

2024年8月 4日 (日)

音楽備忘録1815 過小評価で忘れられつつある人々㉗

今回はかつて一時期は大人気だったEarth,Wind & Fireについて、音楽的にはどんな意味のある存在なのかひとくさりさせて貰いまひょ。
身近な処では小学高学年当時の親友が心酔してて理解は出来たけど、杜撰君自身はそんなに好きでも高く評価もしていない。

な~んて又いきなり皮肉っぽい言い回しだが、当時の俺には完成度が高過ぎてそこが少しつまらなく感じてたんだ。
何か観客としての参加ならウェルカムだけど、演奏には入らんといて…と言われてる様な気がしてね。

けれどその成分を今になって再検討してみると、意外とコンプの掛かりが深かったりとか直接のパフォーマンス由来ではないみたいだね。
因みに↑の親友はその後東大を経て官僚になったらしく、黒人初の完璧な仕上がりに対しての評価もきっと高かったんだ。

こんな趣味の古い小坊でも当時はまだ過去追いオンリーになってなかったから、彼みたいに歴史的背景を加味するなんて高級な思考は持ち合わせて無かったんだ。
なんて言うよりラジオ等で頻繁に掛かったし親友が持ってたしで、単に無理して自分で買う必要が無かっただけなのかも知んない。

そんな風にかつては皆が聴き知ってたんで、旧世代の洋楽ファンなら影響皆無の人は居なかったんだ。
今でも一種の集大成としては揺るぎの無い存在なんだが、今劣化本邦じゃメジャーなメディアでは恐ろしく掛けなくなりやがったからねえ。

本来なら洋楽に興味を持った初期時点で出逢う筈のが、既に知ってて持ってる奴が自発的に取りに行かないとお目に掛かれないとはねえ。
完成度と書くからにはおいそれとトレースするのすら物心両面で困難だが、基礎知識として誰もが知れる状態に無いのは忌々しき事態であるぞなもし。

差し詰め普通科の学校で英数国のどれかが完全にレスみたいなもんで、アイデア・和声等の他グルーヴに関してとってもマイナスになるだよ。
彼等のノリって癖の強さからしたらBernard Purdieの対極に近いから、つい忘れられがちなんだけどさ。

俺言い「スマートグルーバー」としては第一人者的存在で、もし疑念が湧く様ならタイミング修正レスの打込みを試してみるがいい。
今迄拙ブログのノリ関連の記事で殆ど登場させなかったのは初心者には分かり難いかもと思ったのと、杜撰君自身は百も承知の基本だったからなんだ。

そんな態度が次世代伝達には支障してるなら猛省の至りなんだけど、自然体で居たら年寄りの多くはきっと皆そんな意識で逃しちゃってるに違いない。
そこでこんな損失や欠落を嫌うならボケ老人に頼るより、海外の放送等へのアクセスで情報収集するのが激奨ざんす。

悪政下では目立たなくても報道の公正さで日本は下位に沈んでるが、一見無縁そうで音楽に携わる人にもこんな処で多大な実害があるんすよ。
まだまだ今日本では音楽家が政治発言するな圧が強いけど、インボイス等でボコボコに殴られてるのに殴り返すはおろか文句1つ言うなって絶対おかしいやろ。

=つづく=

2024年8月 3日 (土)

音楽備忘録1814 Rock時代の松田優作⑥

久々でお得意の前回補遺から行くが、①Brassでの変態和声②曲自体の難解奇特なコード進行③Bassの他の特徴の順でお送りしやす。
これも再出年寄りに「チヤッ、チャラッ、チャッチャッ、チャーァ」と問えば、恐らく最大派閥は輸入TVドラマ「鬼警部アイアンサイド」のテーマと回答するでしょう。

尤も放送されたのが今では随分昔になっちゃたから、そこから更に引用した「テレビ三面記事 ウィークエンダー」「ダウンタウンDX」さらには映画「キル・ビル」って返って来るかも。
んま何れにしても主旋律のみなら知ってる人の多くは口ずさめるだろうが、ハモり(和声)も
付けてって求められたら俺でもまだ完全に白旗上がりますわ。

んで他の多くのメロ・フレーズだったら和声の印象的なのもあるにせよ、単音にしてもフルにしても大抵は極端に印象が異なったりゃしない。
んがこの手のって俺言い「和音で出来てるメロ」って感じで、あると無いとの落差が甚大なんだ。

杜撰比喩すれば単音でも男女の別だけは分かるが、BL又は百合か性同一性障害か堅物或は稀代のたらしかなんてのが全然分からんみたいな。
でⅡでもし対象者がLGBTだったりしたら、先ず必要なのは安易に外見で判断しちゃいけない処じゃない?。

そんな風にメロ・フレーズにも特殊な使用法では、和声の方がより重要なケースがあるんすよ。
②についても上記①に引き摺られて、変態コードや進行になっちゃてるのも少なくないんだ。

故に「和音で出来てるメロ」ってな解釈の仕方でもせんと中々手に負えず、GuitarではClassicやJazz系の奏法に比べ既存のRock系ではかなり不利だ。
加えてって事ぁ歪み音色と相性があまり良くなく、これも加えときたきゃ他楽器にメロ・フレーズは半ば自動的に委ねるしかないとな。(Jazz Guitarでは限界迄頑張ってるが出せる和声に限界がある:例えば超近接和音等)

さてオーラスにBassの残りを指摘すると、ルートをフォローするのみとか常時最低限しか刻まない様では状況次第じゃ躍動感が全く不足する。
無駄に強いだけでオーソドックスな指弾きでは、音色だけで躍動感等迄醸し出そうとするとちょっち苦しい。

但し動き回るっても悪目立ちしたりBassらしくなくなっては駄目で、その側面からは奏者ナルシスコスパはとても悪い。
だが困った事にそんなのこそがBassパートの神髄で、他楽器では困難で凌駕するのが無いんですわ。

一面でこれぞ職人技オーソドックスで飛び道具みたいなスラップも不使用で、音楽内容を充実させる点にはもっと評価と敬意みたいなのが必要っすよ。
そう簡単に到達出来ない領域なのは分かるけど、特に今劣化本邦ではほぼ絶滅したスタイルなのは忌々しき状況。

細部迄徹底的に拘る松田優作なんで、こんな玄人好みする様なのに着目したんだろうか。
何れにしても俺言いRock時代終焉以降、サウンドの独自固有性は彼の作品らは失せちまった様だ。

と同時に少なくとも杜撰君には、そん風に演るのは彼じゃなくても良い様に聴こえたよ。
まあ一度でもトータルで何か1つキャラクタをコンプリートしたのは大変な成果で、それが自身では達成出来てない外野が勝手に色々語るのも何ですがね。

=終り=

2024年8月 2日 (金)

音楽備忘録1813 J-POPでの無駄な苛烈サウンドに異議あり➐

ほいだら前回末尾のフラグを明かすと、現行で殆ど存在しないサウンドは技術面その他等で実現性が無いと考えちまうって事ですわ。
違うのの存在が無いか出逢うのが困難だと、今すぐ何か欲しい人にとっちゃ自動的に選択肢から洩れるべ。

その私的典型が球サウンドで、生まれて一度も直接聴いた事が無かったらどの位どう違うのかは分からないじゃん。
以前概述だがそんな俺言い「球バージン」さんには、なるべく典型的で大袈裟な位のを聴かせてあげなきゃね。

女性だとどうか分からんけど男って結構初体験でトラブルと、情けない位後々までトラウマを引き摺ったりするんだよねえ。
まあそっちの方は諸事情からある程度博打になっても仕方無いんだけど、音の方ではそんな風にする正当な理由が全くないんだ。

聴いてどう感じるかは個人の自由が完全に保障されるべきもので、元来は石でもより多くの魅力でアピールすべきもんなんだ。
んが余程自信が無いのか騙して儲けたいのか、俺から見れば必要以上に球を聴かせない様にしてるとしか思えない。

のと同様に高平均音圧は実際極小音量で内容を全把握するのは明らかに有利なんだから、敢えて正反対の低平均音圧の音源も聴き比べさせて納得させりゃ良いんだ。
それを買う買わないは自由だからと片方しか用意しないと、合わない人買わない→販売総数が減るのはサルでも分かる理屈だで。

内部事情は知らんし知りたくもないが、他の商法とはあべこべでそれも又大いに矛盾してるんだ。
相変らずRemix・Remasterだの再編集版だ等と目先を変えて売ろうとしてんのに、何故か低圧縮版とか低加工版とかだけ全然出さねんだよ。(全て掛け録りしちゃってたら無理だけど💧)

これには3重の損失があって、①音楽市場自体の縮小 ②オーディオ市場の縮小 ③セット販売効果の喪失に直結しとん。
概述の①以外を簡単に説明すると、先ず②はフル加工済み音源しか売らないとどうなるかだ。

日本では純粋に単独で成立してるレーベルはほぼ皆無なんで、オーディオが売れないと音楽制作の資金も減る構造なんだ。
苦境時程どちらかで確実に利益を得てないと、終いには共倒れの道しか無いん。

模型を例にすると基本キットしか売ってなきゃ、追加部品・接着剤・塗料等が確実にある程度は捌ける。
が完成品しか売らなかったら追加で売れるのは、ディスプレイケース程度になるのが関の山。

でそう云うヘマをやらかせば、③の音源メディアとオーディオ機器のセット販売なんて完全無効化するっしょ。
だから如何に時代が求めて様と、下手にコンプリートだけで売っちゃ商売的には駄目なのよ。

その意味でSONYが高平均音圧な作品を売るってなバカ中のバカな行為で、わざわざ携帯オーディオのポジションを自ら喪失させてんの。
再生時コンプ・EQ等が不要っつうか掛かり過ぎてて何も後掛け出来なきゃ、スマホ再生と素人耳に明確な差異は無くなるじゃんか。

=つづく=

2024年8月 1日 (木)

音楽備忘録1812 楽器業界の行く末⑬

ここからは杜撰大王が勝手に思い描く夢みたいなのになるから、非現実的かも知れないが出来れば耳を傾けて欲しい。
かつて眠らない都会だの24時間化とか言ってたアレは、一体今は何処へでごぜえますだ。

例に依って飛躍させてから戻る悪い癖が出ちゃってるが、本件では販売や流通経路に対して言ってんだ。
真夜中っぽいRockとかが好きでも、それを演ってる人が必ず夜更かししてるとは限らない。

けど音楽の為にサラリーマンになるのを避けてる層は、その時給の関係もあって所謂昼型で活動してる者は少なさそうだ。
そういう一部特定層に対しては昼の宅配は寧ろ不便だし、諸事情から専業主婦が激減した今留守の世帯が実際増えた。

そんな変化の中で宅配時間帯が昼間デフォのままでは、当然の如くラッシュと重なる朝夕や短い夜間に集中している。
そこで最初に考えるのは集中してその時間帯に大量処理する事だが、如何せん交通事情の悪さからとてもそうは行ってくれない。

ここでネット通販の利点を再確認してみると居乍らにして買えるのの他に、全てじゃないが24時間何時でも注文可能なのもある。
現時点での日本時間(習慣)は未だサラリーマンと専業主婦カップルに基づいてて、それなら買うのを奥さんに任せれば仕事の留守中に買えた。

が買いたい人の多くが皆昼は仕事中となると、注文も受け取りも中々厄介でせいぜい合間にATMに行く位で精一杯。
それで音楽関係ならあのサウンドハウスが主流になるよりそこそこ以前から、例え送料分高くなっても実売店舗より通販を選ぶ人が出た訳だ。

杜撰君は必定の最安狙いだからお世話になった記憶は無いが、通販で有名になったのは古くはミュージックランドKEYその次は今は無きゲス・コンビナートが等案外歴史は深いのだ。
又基本音響止まりだし地域がかなり限定されるが、近年だとヨドバシカメラは新宿から近い分は配送は自前化している。

杜撰君がサウンドハウスを利用し出したのはネット環境以前で、PAレンタル屋としての信用から電話注文で始まった。
彼等は開発の進んでない成田は街道沿いっつう当時としてはド田舎に、事務所だけで実売店舗を持てなかった!?分安く売れてたんだ。(その後はえらく立派なショールーム兼店舗を成田なのは同じでも目立ちアクセスの良い別の場所に構えてる)

それが難しいヨドバシは自社倉庫から店舗への搬入はどうせしなきゃなんなかったのの行き先を、購買者宅に変更しただけって発想なんだろうね。(故にこの場合追加の送料が一切請求されない)
尤もこれ等はある程度以上の規模があっての事でだが、流通業での夜勤がほぼ倉庫内の整理や拠点間の移送に限られてるのは無念だ。

かつての出生率のままなら夜勤従事者が限定的だったのも理解出来るが、こんなにお1人様が増えたのに外資系のUber Eats等に夜勤労働力を取られて黙って指を咥えてるのは情けない。
この様な社会情勢変化に酷く遅れを取るのは既得権益まみれの大企業が牛耳ってるからで、次回は又もや話しが大きくなるがそこを徹底追及してみませう。

-続く-

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